http://hijiri.tamajiri.com 「日知り事典」 page358.html(未定稿) ![]() 日知り事典 ユ・ヨ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ ゆ● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ゆ● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆★◆★ ●ゆ・・・・・・「ゆ」は水の場合の「湯」であり、鋳物の場合は溶けた鋳鉄の事で何れも液体。そして「ゆ」は「ユキ・スキ」 の「ゆ」であり、「行く、結い、床、柚子、百合、緩い」の「ゆ」でもある。 ■湯・・・・・・・「易」を参照。 ▲遺言・・・・・・・・生前に残した言葉。つまり如何なる者でも反論を許さない言葉。近頃は高齢者が激増したので病院・ 寺院・墓地ビジネスが栄えている。其れに銀行の遺言信託も静かに進行している。遺言は葬式の直後に親族の前で発 表(宣言)するのが効果的である。無論銀行はそうしている。 此れが「後の喧嘩」、つまり相続争いを防止する決め手だ。弁護士や公正役場はその場限りの使い捨てだが、此れで 銀行は後の世代まで相続人と信頼関係を継続できる。 ▲有機物・・・・・・・・ ▲有機EL・・・・・・・・山形大の城戸教授が希土類を光らせて完成させた薄膜状の光源。特に白黒のコントラストが良 く、紙のように薄型にできるので、色んな製品に応用できるし、蛍光灯の二倍の省エネであるため今後の活用が期待さ れている。 ◆郵政民営化・・・・・・・・郵政民営化法案が小泉内閣の熱意と05/9月の衆院選の圧勝で成立した。いや米国の圧 力による所が大きい。恒常化した内政干渉の成果である。米国は簡保の廃止を要求し続けて来た。其の背後には無 論、米国の保険業界の力がある。 郵貯・簡保の350兆円をハゲタカ外資が狙っていた。簡保の120兆円だけでもカナダのGDPよりも大きい。世界の保険 業界が此の空前絶後の商機に目を付けない訳がなかった。米、日、英、独、仏の5ヶ国で世界の保険市場の8割りを 占める。中でも日本は米国に次ぐ世界第二の保険大国である。 特に日本人は今の生活を犠牲にしてまで将来に備えて保険を掛ける国民性である。其れに対して華人、インド人、アラ ブ人は貴金属である。ともあれ先ず1995年の保険業法の大改正で国内の保険会社の9社が外資に買収された。法改 正と同時に「支払い能力に不安がある」と宣伝されたからである。 其れにBIS(銀行の自己資本比率)規制も加勢した。此れが8%を下回った銀行には国際金融業務を認めないとする 国際協定である。特にバブル崩壊後の銀行は自己資本比率に苦慮して国際金融市場から次々撤退した。国内では貸 し渋りと貸し剥がしが横行した。クレジット・クランチ(信用収縮)である。 此れで不良債権問題を拡大して平成不況を長引かせた。BIS規制の導入が日本の銀行と企業を弱体化させ、米国金 融業界を強くした。1980年代にも米国の巨額な財政赤字を日本の生保が米国債大量購入で穴埋めしたが、其の恩返 しが此れである。何れにせよ郵政民営化で民間に巨大金融・保険会社が誕生する。 だが本質は其れではなくて120兆円に上る官営保険の市場開放策であり、米国系民間保険会社に吸収させる目的で ある。「国家公務員を減らす」などと言う小泉首相の理屈は後からどうとでも付けられる。要するに今回も米国へ国民の 資金を還流させる仕組みにしたものと言える。外資は日本社会がどうなろうと一切関心がない。 彼らの客になるかどうかに関心があるに過ぎない。このため03/10/24に米国政府の「年次改革要望書」と言う対日要 求事項があり、其れに自民の小林興起議員が反対し、逆に前原民主党が米国に擦り寄った。 このため05/9/10に竹中法案を閣議決定し、小泉劇場により「対米迎合派」が「国益擁護派」に勝ったのである(大要は 文芸春秋05/12、関岡英之氏の論説より引用)。次は健保である(健保を参照)。 ▲幽体離脱・・・・・・・・魂の一部が体外に離脱する事。普通は夢か嘘と見られる。或いは幻覚や錯覚とも診断され る。だが証拠を残して来る場合があるので一概には否定できない。事実、透視実験で確認されたケースも有る。人間 は肉体のほかに心があるから一緒にして心身と言うように誰もが心身一体のものと自覚している。 だがどのように両者(複数)が密着しているのか。魂には最低でも魂魄の二種(もっと多い)があるが、肉体の何処にも 魂が存在出来る場はなく、魂を収容するような特定の構造にもなっていない。要するに魂は肉体の中にはない。 脳が一つの媒体・受信装置となっているか、或いは結合装置、もしくは再構成装置になっているようだ。従って何らかの 切っ掛けで離脱する事もある。密着していないのに心身一体で行動出来るのは幼児の時からの訓練の賜物であり、此 れを崩せば離脱してしまう。実際何らかの衝撃で離脱するものです(「臨死体験」を参照)。 また訓練によっても離脱する事が可能である。05/5/19フジテレビ(アンビリバボー)によれば、故ロバート・モンロ ー氏によるNYのマンチェスター病院(モンロー研究所)で行っている。此処ではある音が意識を自由にする、として三つ の音をCDに入れてヘッドホンで被験者に聞かせる。 被験者はこの三つの内、二つの違う種類の音を左右の耳で聞いて脳内で合成する。残りの音は雑音に似た音である。 だが離脱したは良いが、再び自分の肉体に戻れるかどうかが問題である。だから一人でしては危険である。ただ魂が 不滅であると言う事(霊界の存在)を信ずるかどうかで其の人の運命が変わるし、犯罪増加も食い止める事になる。 現代社会は「目に見えるモノだけしか信じない」と言うモノカネ(肉体)主義(唯物主義)の為に、人心の質を此処まで低 下させた。とすれば肉体は有限であるが魂は永遠・不滅であり、従って「永遠の絆」がある事を知らしめる事が大切で ある。そして「因果は巡る」と言う掟を知る事が本人のため社会の為でもある。 此のため社会には今の唯物科学よりも宗教が果たして来た役割(貢献度)が大きい。 ★夕張市・・・・・・炭鉱と温泉の町。石炭が「黒ダイヤ」と言われた頃、夕張には22ヶ所の炭鉱が有って栄えた。高倉健 の「黄色いハンカチ」の映画でも名所になったし、最近は夕張メロンをブランドにした町である。そして中田市長が炭鉱 からの転換を目差して24年間在任して観光化した。当初は全国的に有名になりチヤホヤされた。 ただ箱物は直ぐに出来るが他の所に直ぐに真似される。だから失敗し、06年現在、年収10億円に対して630億円の赤 字を抱えて倒産状態となって住民のお荷物を残した事になる。社会が高齢化し、夕張は平均65歳と全国一高齢化した 町だった。だから福祉施設を作るべきだったが子供たちの遊園地を増産して観光地化を計った為に失敗した。 今は全て売却を狙っているが全く売れない。見込みがハズレ、観光客が来ないので住民は苦しみ、寂しい町になった。 この様な所には居たくないと住民まで逃げ出して11万人から1.3万人へと人口も激減してしまった。次は大阪市と心配さ れている(06/12/13読売テレビから引用)。 ★遊牧民・・・・・・例えばスウェーデンでは1万年前からサーミ族がトナカイを飼って暮している。此処は氷河が作った 冷えた大地であり、ヨーロッパで最大の湿原でツンドラ地帯でラップランドと呼ばれる。一年を通じて雪原であるが、7月 には短い夏がある。彼らは万物に精霊が宿ると言う信仰を持って暮す。 普段はラポと言う大テントで生活するが、移動中には氷を削って作った家で暮す事もある。トナカイの数について彼らは 他言しない。数こそ財産であるからだ。特定のオスには30頭のメスを与え、また他のオスは去勢しておとなしくさせ太ら せる(06/1/22のMBSTVより引用)。 またシベリアにはチュクチ族が何万年も北方でトナカイを飼って暮して来た。彼らは移動の際に氷の家、もしくはヤラン ガと言う直径20mの丸いテントを張って居住する。そして生の肉にアザラシの油を添えて食べます。生で食べるのはビ タミン補給のためである。 その他の遊牧民は羊飼いや牛飼い(カウボーイ)である。彼らは国境を定めずに自由に草原の大地を駆け巡ったが、 例えば騎馬・遊牧民の突厥は風の民のように駆け抜けた。彼らの文明は「発つ鳥、痕を濁さず」のように生活の痕跡と か遺物を残さず、風のように消えた。突厥は8cまでユーラシア大陸に帝国を作っていた遊牧民でした。 遊牧の民は元々、大自然と共存して其の自然の永続的な利用をして来た人々だった。共存ですから弱肉強食とは別で した。特に西域、天山山脈からイリ川伝いにローマへ出るシルクロードのコースに彼らは広がっていたが、其処へシナ の東北部の瀋陽から同じ遊牧民のシボ族が連れて来られて突厥と戦い、その帝国を亡ぼした。 モンゴルも遊牧民でその後、モンゴル帝国を建てた(05/3/20、NHK総合テレビより引用)。突厥とは今のトルコで ある。其処には文字がなかったと見られているが実は持っていた。ともあれ日本人は遊牧について牧歌的とかポエム (詩的)と見てロマンが有るように見ているが、そうした誤解を元に判断して接近すれば手痛い犠牲を払う危険がある。 何故なら彼らは過去何度も他国を滅ぼし、前文明を破壊して来た前科があるからだ。今は欧米、昔は蒙古がそうであ り、其の前はローマ軍でした。「ベドゥイン」は家畜と共に移動して暮らして来た。「ベドゥイン」とは特定の人種を指す言 葉ではなくて「砂漠で暮らす人々」と言う意味である。 彼らは山羊の乳をチーズに加工し、紅茶に溶かして呑みます(ベドゥインを参照)。ただ山羊は草木の根っこまで食い 荒らすので草原を砂漠化してしまった。また先のサーミ族の外に、トナカイと共に極東シベリアで暮らす人たちには例え ばチクチ族がいて、彼らはアランガと呼ぶ直径20mのテントで生肉を食べて暮らす。 生物や植物たちは自然界で共生し、しかも他種に対して多くのものを与え続けて自然循環を形成している。だが其れ に無知な彼らは其れを誤解して全てのものから収奪の限りを尽くし、万民から剥ぎ取り、また地表の薄い皮まで羊やト ナカイに食わせて剥ぎ取り、其の地を砂漠に変えた後は、決まって使い捨て、別の新天地を求めて移動した。 其れを繰り返して四大文明を廃墟としたとも言える。だが此れを彼らは「弱肉強食」の世界と捉えて「進化論」に仕上げ た恥ずべき人種とも言える。因みにユダヤ民族は遊牧民とか彷徨える民と言われて来た。 戦後彼らはイスラエルを建国したが、其の中身はユダヤ人ではなくて実は政権にある主要な立場は突厥から出たカザ フ人が主流であり、ユダヤ人たちは此処でも下層民にされている。今のイスラエルの大半は白人であるが、本来のユ ダヤ人はアジア人であって白人ではなかった。 ●UFO(未確認飛行物体)・・・・・・地球外から飛来すると思われる飛行体。其の特徴は高速かつ直角にターンした り、逆行すると言う目撃談が多い点である。つまり重力の法則(慣性の法則)を超越している。とすれば宇宙人(または 人類の先祖)は現代の科学理論を遥かに超えたハイテクを持っている事になる。 従って地球上にUFOを晒せば人類が真似て軍事的に利用する恐れがあるため彼らは人前に出ては来ない。地球人 類の殆どが荒い波動の心に支配されているからです。其れに比べて宇宙人(または人類の先祖)は今の私たちからす れば神のような気高い心の人たちが多いと見られる。 人類が今までかかって作り上げたロケットやミサイルは、単に火薬や石油を燃焼させるだけの幼稚なエンジンであり、 まるで投石とか鉄砲玉のように飛ばすだけで精一杯の能力(ロケットを参照)しかないので、ある程度は姿勢の制御も 可能だが失敗が多いため、壊すだけの軍事利用しか出来ない。 所で蚊やトンボは昔から「とんぼ返り」する事が知られて来た。宙返りなどはお手の物です。直角ターンや逆行も出来 る。鉄砲を使う人類のような荒い波動ではなく、デリケートな波動があるから彼らの羽根の振動数も1万回/秒速に近 い。だから直角飛行も出来るのです。 地球人類も微細な精神波動を持つように心掛ければ化石燃料を使わずに「魔法の絨毯」一枚で、各人が思うままに飛 行できる時代とする事も可能でしょう。UFOもまた決して硬い金属の塊ではなく、高周波で飛行する生き物のような機 能の物体かと思われる。 ▲UMA(未確認生物体)・・・・・・・・ネス湖のネッシーやヒマラヤとかアルタイ山脈、或いはロシア(カレリア・スノーマン 伝説)の雪男。其れにニワトリなど家畜の血を抜いたプエルトリコ事件のチュパカブラ(吸血動物)。05/8月にテキサス に起きた事件も吸血動物の仕業と見られた。 ▲幽霊・・・・・布団の上で死ねたらしあわせと思う。 > 来し方を振り返る時間が欲しい。 > 80過ぎてライオンにかじら れたり看板に頭ぶつけて命を落とす > ことは不幸と思う。 > 蛇にのまれるのはって。そうね、徐々に消化されてくのっ てどんな > 気持ちだろう…わるくないかな。(うそ、うそ。) > さて、私幽霊っていなきゃならないと思ってるんです。 > 無念を抱きながら死んでいくのはどんなに辛いことかと思う。 > 歴史の中に葬られた名もない多くの人々は、化けて 出るべきである。 > それが自然に逆らうことであれば、せめて報いるために、私達は > 人々の存在を忘れることなく幸 せな人生をまっとうするより他、 > 術を持たないのではないだろうか。 > 来る8月に寄せて「幽霊論」など書いてみました。<ありばば>・・・以上は「BBS椅子席」より転載。 ▲幽霊の証明・・・・・・幽霊の存在は古来一万年、広く深く信じられて来たが故に宗教が有った。其れを歴史の浅い 近代科学が再現性のない事を理由に傲慢にも「幽霊は嘘だ」と「幽霊否定」をして見ても始まらない。彼らが再現できな いのは彼らの科学機器がお粗末であるためと、その唯物科学理論の目が狭過ぎるからに他ならない。 もし科学の力で幽霊を捕まえて来たなら何とでも好きなように解説すれば良かろうが、唯物科学の力では全く太刀打ち できず捕まえられなかった以上、何も言う資格がないのである。しかし彼らは平気で全面否定して胸を張るのが科学者 の立場と心得違いして恥じない。 兎も角、幽霊や怪談話が日本には多い。其れは日本人が外国人よりも精神的に深みがあるからです。つまり幽霊を見 たり恐れたり出来る人や社会は其れを否定する所よりも格段に精神性が高く文化的に豊かであると言える。今を生き る社会人に精神的な想像力や認識力がなければ幽霊さえ育てず存在も許されません。 其れは兎も角、此方の都合で幽霊を呼びたい場合はどうするかと言えば、まだ必要に迫られる事がないので筆者が実 験した事はないが、原則として霊体は一定の血縁に繋がる縁りの人が呼び出せる。縁りの地で依り代などを用いれば 再来可能である。 その再現の可能性を高めるのが各地の祭りであり、この場合は神霊として迎える。特に別紙の円暦による日・方位に 従う事である(「死霊」を参照)。だが其の祭りをせず、故人の弔いもしない場合には神霊ではなくて幽霊となって出て来 るのですゾ。 ★雪・・・・・・水は温度や気圧の変化に応じて氷、水、水蒸気の三態に変化する。このように水の宿命は三つのリズム に従う。水は酸素と水素が三角関係で結びついたものです。更に其の小さな分子が氷れば六角柱になり、其れが幾つ か連結した場合は凡そ六弁の花弁のような形になり、次は雪になる。 そして雪となっても其の構造は温度や水質で色々多岐にわたるとは言うものの何れも決まって三の倍数の六方形(雪 印)になります(「水」を参照)。そして雪は普通「白雪」と形容するが、其れは極寒の場合であり、暖冬の場合はならない ようである。例えば05〜06年に降った雪は中越でも近畿でも青く澄んでいた。 既に地震と風雨で清められて、もう何にも汚れていないと言う感じであったと(西埜先生の談話)。 ▲ユズの大馬鹿・・・・・・「桃栗三年、柿八年、柚子の大馬鹿18年」と言う諺がある。此れは植えてから実のなるまでの 凡その期間を言ったもの。ただ接ぎ木をすれば其の期間が短縮できるので今は殆ど原種がなくなった。接ぎ木はコピ ーかクローンであり、自然の環境変化に弱いのです。 ▲豊かさ・・・・・・豊かさの概念は物より先ず心であり、歴史や文化でも有る。所が今のモノカネ主義の社会では物だ けを豊かさと見てしまうので、「豊かさ」に関しても誤解がある。さて本来の豊かさは人が生産に従事する事で得るもの ではなくて、生産は自然に任せて人は非生産で暮す事でした。 大自然は日本なら日本の気候風土に合ったモノを四季折々育ててくれるので、海の幸、山の幸、野の幸が年中かけて 人や獣を育ててくれる。だから人は其の恩恵に浴して旬のものを感謝して味わうだけで良いのであり、其れに満足する 事が言わば豊かさであり幸福と言うものだったでしょう。 苦労して農作業などをしなくて良かったのです。天然の冷蔵庫である野山や畑が家の周りに有れば電気冷蔵庫が無用 ですし、河原や海辺が有れば毎日新鮮な魚介類が手に入ります。四季折々の味を味わえます。今あるものを何とか工 夫して生かそうとすれば、豊かに暮らせます。ですが、それ以上の欲で働けば歪んだものになります。 モノは丁度有れば良いし、少なくても良い。満腹になるよりも食べない工夫や四季をより深く味わうのが美味しさの秘訣 です。其れが豊かで健全な事でした。従って高価なものを山ほど買い集めて暮す「贅沢」とは少し違う。戦後の日本人 は、貧乏を脱出しようと夫婦共稼ぎで時間に追われて働いて高収入を得たり贅沢になった。 だが例えば子供の教育に失敗し、気が付いたらゴミの山になっていた。病気にもなったと言うのでは「豊かさ」ではな い。確かに今のデパートでもスーパーでも商品が山盛りにあるが、何処の店頭でも新鮮な旬のもの、地場の物がなく て、年中似たもの(一般的)しか並べていない。多種多様の自然の産物が売られていない。 化学肥料と農薬とによって大量生産できるものが売られているに過ぎない。そうした単作の商品作物ばかりというので は此れも豊かな自然の風味は味わえない。とすれば日本人は江戸時代の豊かさをもっと見習う時が来ています。戦後 は確かに経済発展があったが、誰も幸福感が無い。だから今は「物で栄えて心で滅びた」と言われる。 人の心掛けが良ければ豊かな感性を持つので他人にも感謝が生まれる。所が物を集めようと打算で働いた為に其の 人の心を貧しくし、何れ国を滅ぼすと心配されている。 ▲湯立て神楽-----福岡県豊前市の貴船神社の春祭りで行うもので、鬼面を付けた若者が高くたてた杉柱によじ登っ てからロープを伝って斜めに下りる。その下では湯立て神事がある。 ▲湯立て神事・・・・・・普通は野外に臨時に設えた釜に湯を沸かして神主が祓いの祝詞を挙げ、巫女などが御幣を付 けた榊を湯に浸して、其れを参拝者に向けて左右左右と振る。神事の時期は所によって違うが、何れも火と水による 禊みそぎ祓いの儀礼と思われる。 ★ユダの福音書・・・・・・イエスキリストの12使徒の一人だったユダについて書いた古文書。キリスト教では此の20 00年近く、「ユダはキリストを密告した悪魔」として来たが、実は近年エジプトから発見されたコプト語によるパピルス文 書によれば、第一の友であったイエスに「私を裏切って13番目の使徒になるよう」命じられてそうしたとある。 また同書によれば、イエスはゼウスの子ではなかった。ゼウスはギリシャのローカル神に過ぎなかった。今のキリスト教 はゼウスやヤーウェを唯一絶対の神としているが、イエスはもっと別の国(恐らく日本の事)を天国としていた。当時の ユダヤ民族もまたゼウスではなくて素晴らしい別の国を信じていた。 12使徒が其れを理解できなかったのでイエスはカナンの地を去ったとある。従って其れがコプト人からグノーシス派に 伝えられたが、「ユダは裏切り者」とするローマ教会からもユダヤ教からもアウトローとして弾圧されて来た事になる(イ エス、コプト、グノーシスを参照)。 ★ユダヤ教・・・・・・ユダヤ教は旧約聖書を正典とする律法主義の宗教であり、其の律法の象徴が「七枝の燭しょく台」 である(ラッキーセブンを参照)。因みにキリスト教には旧約と新約聖書とが有るが、ユダヤ教は旧約(神がアブラムに 語った言葉としてヘブライ語で記された)しか認めない。 つまり旧約(ギリシャ語)にある唯一絶対の神・ヤーウェ(エホバ)を信奉する典型的な一神教である。一神教は、神を 全知全能とするため、それに対する人間は不完全な存在と断定する。つまり彼らはエホバ以外を神として認めない。従 ってイエス・キリストを神として認めない。だからユダが裏切り、キリストが処刑された訳である。 そんな事で同族でありながら、しかもイエスのような高潔な聖者を裏切った以上、彼らが如何にエリート(選民)意識が強 くとも世界中からユダヤの民は有史以来爪弾きされる宿命を負った(ただ近年に裏切りを否定する文書が出て来た)。 契約と言っても其れは人との法律的な契約とは違って、神との約束や関わりを前提とするもの(聖書を信じて行動する 事)である。 旧約には@モーゼ五書、A預言書、B諸書が書かれており、馴染みの無い人は此れを硬い本と見るが、ユダヤ人にと っては「ドラマよりも面白い」と言う。契約と言っても其れは神との約束や関わりを前提とするものである。特徴的な言葉 に「召命」がある。 此れは仏教の「出家」と同義であるが、人の都合で出る出家と違う点は、神が主人であり、神の都合で人が出る行為を 意味する。神と人との契約が旧約であり、だからユダヤ人は神の選民を自認して来た。其の点、他方に有る「新約」は 神と人との間に神の子・イエスが入る形であるからユダヤとしては認めない。 例えばかのイエス・キリストが出た時も、彼をキリスト(救世主)とは認めず、よってユダがイエスの十二使徒でありなが ら裏切った。其れを今は、「金銭に目が眩んで銀30枚で最後にはイエスを裏切って祭司に売り、同族を処刑する側と なった」と言われている。さて先の律法の象徴・「七枝の燭しょく台」は誰の目にも「蝋燭台」と思われているが実は違う。 ヒジリの「天円地方の理」で述べる通り、この形は観測の場、即ち祭壇の「四隅の角」を表した印であり、「地方の理」の シンボル、即ち「一地方の王」としての位置付けである。従ってユダヤ教の神は天神や唯一絶対の万能の神などではな くて、日本から見て「ローカル神」である事を黙示した形である(「アーク」を参照)。 また彼らの神のヤーヴェは「ヤーベ」、即ち古の日本の職能集団だった矢部・八部に通じる。漢字にすればこの外に谷 部、弥部・谷邊・八戸・八重・屋部・・・・にも変化するが八幡(やはた)にも通じる。とすれば少なくとも布津主神、或いは もっと古くは国常立命の八王子の縁に繋がる神とも見られる。 ★ユダヤ語・・・・・・ヘブライ語(日本語との類似性)を参照。 ★ユダヤ人虐殺(ホロコースト)・・・・・・ナチスドイツがユダヤ人をガス室で「大量虐殺した」とする話。だがイラン大統 領などは其れを否定しているし、日本でもかつて月刊誌「マルコポーロ」(1995年2月号)に掲載された医師・西岡昌紀 氏の紀行文が大きな波乱を巻き起こした。 戦後最大のタブー・ナチ「ガス室」はなかった――と題するこの写真入り10ページの記事は、ユダヤの戦闘的擁護団体 ヴィーゼンタールによって激しい抗議を受け、ついに出版元である文芸春秋社はこの圧力に屈し、社長の田中健五氏 が公式に謝罪すると同時に、編集長の花田紀凱氏を解任し、さらに雑誌の廃刊処分を決定した。 西岡氏の文章は単なる主観や憶測に基づいたものではなく、欧米でもすでに論争となっている問題点について客観的 に述べたもので、実に説得力に富むものである。 「ガス室」による絶滅計画というのは誰も実証できないもので、戦後急に降って湧いた問題であり、西岡氏が主張する ように、ソ連(現ロシア)という大ペテン国家がプロパガンダとして発表したものにすぎない。この点では、東京裁判の時 に急に持ち出された「南京大虐殺30万人」というのも同じシナリオであろう。 要は、「世界支配層」ユダヤ・フリーメーソン陣営にとって都合の悪いドイツや日本という民族国家に虚偽の罪をかぶせ て、永遠に封じ込めようという国際的陰謀なのである。 原爆を開発したのはユダヤ人科学者たちであり、それを事業化したのは、はやりユダヤ巨大財閥のロックフェラーやモ ルガンであり、原爆投下を決定したのはモルガンの番頭であるトルーマン大統領であった(「混迷日本にとどめを刺せ」 ヤコブ・モルガン・著 、第一企画出版より引用)。 ★ユダヤ民族・・・・・・前10〜6c頃、今のパレスチナに王国が有った民族。前586年、バビロニアに征服されて滅 亡し、世界各地に分散して流浪し各地で迫害されて来た。ただ各地に分散してもユダヤ教を信奉する仲間として、更に ヘブライ語を通じて繋がっていた。 ただ彼らはエホバ(ヤーベ)だけを神として、それ以外を認めないため、かの高潔な聖人であるイエス・キリストを同族で あるにも拘わらず「王でも神でもない」として処刑した。此れは如何なる理由であっても非道であるから広い世界にあっ ては理解される事はなく、従って有史以来、ユダヤ民族が世界中で「不信」を買い爪弾きされたり迫害されて来た。 確かに旧約聖書にはアダムとイブからノア、そしてソロモンからアレキサンダー大王の系譜が厳しく印されている。まる で日本と同様に、彼らは血筋を尊んで来た事になる。だからナザレのイエスについてもある教会の像の光背にはイエス の先祖が広い範囲で円盤状に描かれていた。 其れはまるで本書の言う円系図であるが、残念ながら八方ではなく二方の欠けた六方の倍数(24方)に見える。ともあ れ旧約とイエスの光背を見ても、或いは彼らの選民意識から見ても、他の民族と全く違う点は、価値観がモノカネ主義 ではなくて血筋重視であった点です。 従ってイエスを「ユダヤの王」として認めた者でも「キリスト」(救世主)としては認めなかった。イエスの受難については、 「生きている人間は王であっても神ではない」と言う唯一絶対のユダヤ教の論理で排斥した。よってユダが裏切って磔 刑に手を貸す経緯があったと理解されて来たが、近年になって其れを弁解する文書が発見されたと言う。 この磔刑以後数十年間、ユダヤ教はキリスト教と同根だったがやがて80年代には分裂した。彼らは、一つの神と彼ら の正義を強く主張するために、歴史上、世界各地で異民族(アウトロー)として差別、弾圧され流浪し続けた。こうした経 緯から彼らは逆に結束し、敬虔な信仰を持続したとも見られる(杉原千畝を参照)。 彼らの目的は「地上の楽園」を目指す事であり、其の悲願がやっと叶って戦後の1948年にはパレスチナにイスラエル を建国したが、其の後も激しくシオニズム運動を全世界に展開した(「フリーメーソン」を参照)。 けれども現代のイスラエルを見れば、パレスチナに対する残忍な仕打ちは信仰者の行為として他から認められるもの ではなく、彼らのエゴが人類の歴史に負の遺産を作っている事は明らかである。信仰以前に人間性が問われるのだ。 ★例えばドイツ人はユダヤ人を殺したが、アラブ人はユダヤ人たちを救った。 其れなのにイスラエルを建国してから今まで、彼らはアラブ人を殺し続けている事に反省が無く、アラブにイスラエルの 植民地を拡張し続けている。其の無理を押し通すために外部に敵を作ると言うシオニズムのイデオロギーを使う。 此の国を維持するためには戦争が必要であるらしいが、其れでは平和ではなくて寧ろ逆の論理である以上、シオニズ ムに未来はないだろう(★以下は05/12/24のNHKTV「ルート181」より引用)。 次にホロコーストの問題にしてもアウシュビッツが戦前の話であるのに今のアウシュビッツが実は戦後に作られたと言 うのですから矛盾する。矛盾するが其れを言うのは特にドイツでは禁句である。とすれば、ホロコースト自体が中国の 南京大虐殺のカードと同様に疑問視されて当然である。 更に問題はユダヤ人の国を標榜して建国したイスラエル人が実は曖昧な事である。ユダヤ人と言っても人種的には雑 多であり、混血のユダヤ人としてはパレスチナ人もいるが、イスラエルを事実上、牛耳っているのはカザフ人たちである からだ。 本来のユダヤ人はアジア人であり有色人種であるが、今の人たちは白人でありアシュケナジーであると言われる。バビ ロン捕囚の後にドイツ以東に住み着いたのがアシュケナジムで、イベリア半島からアフリカに移住したのがセファルディ ムと言われる。 前者からはフロイト、作曲家のマーラー、演出家M・ラインハルト、科学者アインシュタイン、等が出ている。今、イスラエ ルに占拠して蛮行と悪事の限りを尽くしている輩はユダヤ民族とは無関係であり、ただユダヤの看板を使った方が好 都合だから自称しているものと思いたい(「イスラエル」、「遊牧民」、「因縁解消」、「ロスチャイルド」を参照)。 ★ユダヤ暦・・・・・・紀元元年をBC3760に置く太陰暦だったが、今は1年が西暦の9〜10月からスタートさせる太陰太 陽暦である。 ▲ゆな・・・・・・ ▲ゆの・・・・・・ ▲湯の峰温泉・・・・・・和歌山。以下、08/2/13日に放送のNHK総合TVから引用する。湯の峰には薬王山・東光寺 がある。御本尊は湯の花の薬師如来である。いや自然に湧き出した温泉の湯の花が自然の造形として薬師如来の形 に化石化した。 薬師如来の胸の辺りから温泉が出ていて、「湯の胸」と呼び、其れが変化して湯の峰と呼ばれるようになった。此処は 熊野古道の傍に有り、川岸には今も伝説の壷湯がある。此処は、下記の小栗判官が蘇生したと言う伝説が有名。以 下、http://www.hongu.jp/yunomine/oguri/index2.htm「熊野観光協会」の「小栗判官伝説」から引用する。 日本最古のお湯としても名高く、また、熊野詣の湯垢離場として知られ、小栗判官蘇生の地と伝えられる。高温(93度) の温泉が自噴し、古くから薬効高い熊野の湯治場として有名である。ボーリングが行われていない特異な温泉で、学術 的にも貴重な資源である。 中辺路−本宮−新宮−那智と通じる道から少し外れた位置にあるが、熊野九十九王子の1つ「湯の峯王子」が祀られ ている。 毎年4月13日、熊野本宮大社の例大祭での湯登り神事(和歌山県指定無形文化財)は、熊野本宮大社の宮司、神官 総代、稚児にいたる一行が、祭りの装束姿で湯の峯に来て湯に浸かり身を清め、温泉粥を食し、「湯の峯王子」で稚児 のやはぎ舞を奉納し、帰路は大日越をし、古道沿いにある「月見が丘神社」で同様の神事をつとめ、旧社地を経て大 社に戻る一連の儀式をおこなう。 小栗判官伝説-----その昔、常陸の国(現在の茨城県真壁郡協和町)に、城を構える小栗氏と言う一族が居た。「鎌倉 大草子」によると、今からおよそ600年前、1415年、関東で上杉禅秀が乱を起こした際、小栗氏は、上杉方に味方し、 足利持氏に敗れた。城主満重とその子助重(小栗判官)は、小栗一族の住む三河の国を目指して逃れようとした。 相模の国に潜伏していたとき、権現堂にて盗賊に毒を盛られた。しかし、照手姫に救われ、荒馬に乗って藤沢に逃れ、 遊行上人に助けられる。 その後、病が重くなり、遊行上人の導きと照手をはじめ多くの人々の情けを受けて熊野に詣で、権現の加護と湯の峰 の薬湯の効き目により全快し、小栗城15代当主となるが、後に、足利成氏との戦いに敗れ滅亡する。 小栗ゆかりの常陸の国の社寺の巫女が、滅ぼされた小栗氏の霊を慰めるため、1つの英雄談として物語を作り上げ、 史実から伝説化され語り伝えられたのではないかと思われる。 ▲ゆは・・・・・・ ▲ゆひ・・・・・・ ▲指・・・・・・回答日時: 2008/3/16 23:15:12 編集日時: 2008/3/16 23:16:33 回答番号: 47,436,886 ----人の小さな目 で見て一見して無用と思えるものでも自然界には無用なものは有りません。人体の場合も単に重力的な理解では分か りません。例えば臍を軸にして手足の指の先まで対称性や相似性で設計されています。 外見から見える物だけの理解を越えて、内臓の脈絡も手足に通じて各種のツボとしても活用されている。各指の裏も 表もサイドも、臓器や内分泌線との連関した関係先になっています。 また霊的には貴方の先祖の位置づけ、つまり各世代の先祖の時空軸として、例えばDNAの4×4=16、16×4=64種の 設計図の一部として、特定の先祖が各指先にまで、誰でも各々特定の3世代が凝縮されています。 ▲ゆふ・・・・・・ ▲ゆま・・・・・・ ▲ゆみ・・・・・・ ▲弓・・・・・・竹や鋼鈑に糸を張って矢を射る道具。弓の字は弓にツル(弦)を張っていない状態を示し、或いは射た後 の「返り」の状態を象形文字としたもの。当初は獲物を獲ったり神事の祭具だったと推定出来る。其の理由は例えば漢 字の場合、弓と書く他にも「弓弦矢」の三点セットをリアルに図示して「式構え」の字とした。 此処から式、弐、戦・・・・などに使われる。武の字にしても弓に矢を番えている形が式構えであり、その下に「止」を置い ている。つまり「武」とは、元々は敵を殺す武器ではなく、兵器を止めると言う意味でした。しかし時代が下がってから 「式」の本質を誤解・誤用して野蛮な戦いに用いたものと推定出来る。 ▲ゆめ・・・・・・ ▲夢占い・・・・・・人が身の丈を超える大きな希望を持つ事を「夢見る」と形容するが、夢の多くは実は日常茶飯事の 延長であって希望通りの夢を寝ながら見る事は稀であるし、大概は覚えている事もなく夢のように消えて忘れるもので す。寧ろ時として事故にあったり危険な状況を夢で体験する事がある。此れを悪夢と言う。 また目覚める前に見た夢が当日当たる事があって、此れを正夢と言う。正夢の多くは他愛のない事が多いので問題は ないが、悪夢を見た場合は気になって仕方がない。此れは強いインパクトになるので中々忘れません。よって人は悪夢 を心配するが其れが現実化する事は先ずない。此れが実は因縁の解消になります。 実際に体験すれば色々差し障りがあるので、夢で体験させて脅して見て、現実に罰したと同じ効果を及ぼす事で今回 は許して上げようと言う計らいである。 ▲夢見る玩具・・・・・・夢は潜在意識にある願望の影響である、とはフロイトの仮説であるが必ずしもそうではない(彼 の観念はセックス主義に偏っている)。ともあれ、夢から色んなメッセージを受けたり、新発見や発明のヒントを得る事 も有る。因みに「見たい夢を見る機械」が04/8月頃には玩具メーカーから発売予定とか。 ▲ゆや・・・・・・昔は銭湯を湯屋と言った。 ▲ゆら・・・・・・ ▲百合・・・・・・百合は花も美しいがユリキントンなど食用にする。万葉集にも登場するが、今は観賞用として日本原産 の百合が世界的に有名。 ▲ゆる・・・・・・ ▲ゆれ・・・・・・ ★ユーロ・・・・・・・・欧州12ヶ国で共通通貨として02/1/1から紙幣と貨幣が流通開始。欧州は1つと言う統合理論は第 一次大戦後に芽生え、第二次大戦後の荒廃の中で英国のチャーチルが1946/9月に提唱した。ユーロの記号はEを図 案化したもの。因みにユーロの旗は12の星。 所で人口比ではEU302百万人、米国272百万人、日本126百万人である。ユーロ紙幣は5-10-20-50-100-200-500の7 種類、硬貨は1-2ユーロ、10−20-50ユーロセント、1-2-5ユーロセントの8種類がある。 ▲ゆわ・・・・・・ ▲ゆん・・・・・・ ■◆ え・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ え● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ よ●・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ よ● ・・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●●■▲●★ ●よ・・・・・・「世、代、宵、酔う、除け、良し、余所、横、米、嫁、夜、黄泉、読み、選り、寄り、依り、因り、夜、萬」の「よ」 であり、数詞では「四つ」である。 ▲妖怪・・・・・・化け物。日常目にするものとは違って異様な感じのするもの。既成の概念では説明し難い物体。人知で は不思議としか言えない現象。中には見間違いとか心理的な現象とか物理的に説明可能なものも有る。しかし大半は 特定の人に何かを訴えて見せるために現れる現象とも言える。 また其のように深く考えて理解しようとするのが精神性の豊かな社会である。其れに対して既に起こった現象を想像す ら出来ずに、否定するために科学的とか再現性とか理屈を並べて押さえ込もうとするのは、想像力が欠如し、精神的 に狭量な未開で野蛮な貧しい物質主義の社会と言える(中島敦を参照)。 ●影向・・・・・・ヨウゴウ。特定の神の命日方位に設えられた場の事で、松ノ木や岩倉が置かれている。及び、その場で 待ち、神として御魂が下がって来るのを待つ行為。 ■養子・・・・・・・嫡子(実子)に対する養子、養女、婿養子。例えば三文小説やテレビドラマの筋書きは必ず婿養子が 悪人に仕立て上げられる。だが歴史的に見てもそうした例は少ない。例えば此の日本の国造りをした大国主命、神武 天皇、祟神、応神天皇も婿養子であり、関東に幕府を開いた源頼朝にしても北条家の婿養子だった。 頼朝は西日本から関東に都を取り戻したのだから今の東京にとっても言わば大恩人である。かの松下幸之助にしても 実に立派な方でした。つまり養子たちは飛びぬけた能力を発揮したり、優れた業績を上げた。しかし出来の悪い息子 たちはガンとして其の事実を認めようとしないものです。 でも其れでは譬え出雲の神に祈り、八幡様に参拝しても特別のご利益はなかろう。実子たちが、そうしてよそ者を排除 したい気持ちも分かる。自分の劣等感から僻みを持つ兄弟たちがソーダソーダと団結して、挙って養子を蔑視し罵り、 三文ドラマの筋書きに拍手喝采して溜飲を下げると言う気持も分かる。 こうした偏見は日本社会には昔から有った。其処に三文ドラマの人気の仕組みがある。文学や芸能の効ではなくて、 古事記以来の日本の男たちの平均的な僻み根性を煽るからである。ともあれ日本は元々母系社会であり、婿養子が 当たり前でした。つい最近まで、大阪の旦那衆は娘を産んで婿養子を迎えると言う形を採って来た。 実の息子は道楽息子になりやすく、其れを親がコントロールするのは無理である。よって何処も三代で財産を潰して来 た反省もあって良い婿を選ぶ方法を採った。 こうした伝統的な母系社会から一転して惣領の甚六でも男尊女卑で長子相続としたのは大陸の律令制を採用して封建 領主に徴税の責任を負わせて其の便を図ろうとした朝廷の策略に過ぎない。 ●遥拝・・・・・・上記の「影向」に通じる。各地の神社には「遥拝所」があり、関西の場合はその多くが東方を向いてい る。此れは日の出遥拝所であり、或いは幕末から特に明治に神道が国教となって以後、伊勢神宮に向かって祈った所 である。 ▲養殖は不自然だ・・・・・・鮎は昔から養殖しているが今ではマグロの養殖も日本では出来るようになった。昔から世 界各地で遊牧や牧畜があったように、日本でも養蚕、養魚、養蜂などをして来たが、其れは自然界の接点で営まれた ので問題はなかった。 其処には養殖と言う傲慢な観念ではなく、寧ろ「人間側が彼らから養われている」と言う自覚が残っていた。所が今では 専門の養殖業者が現れ、自然界から隔離した密室(或いは狭い魚場)での工場生産方式に変わったため、問題を生 み始めた。外にも、養鶏、養豚、養牛、養鯉、其れに養虫業者も出て来た。 だが其の殆どが餌料・飼料を定期的に与えて人工的に飼養して繁殖させる業態であり、其の目的は営利のために自 然界の生き物を「工業化」しようとするものだ。 そうした結果、不衛生となり、2003〜04年には狂牛病と鯉ヘルペスが出たし、鳥インフルエンザが広がって大きな問題 となった。彼らは鶏に毎日産卵させるために眠らせない。若鶏(ブロイラー)や牛を早く太らせ、肉を柔らかくするために ホルモン剤を与え、また糞を処理し易くするため発泡スチロールを食べさせ続けた。 こうした不自然な行為が当然にして不潔にした。だが業者も行政も単に消毒を徹底させるだけだった。自然に戻せば 解決するのに、不自然な人工飼育器で消毒を重ねれば問題は複雑化し、悪循環になるのです(祓いを参照)。 大規模化して低価格に貢献した一面はあるものの、自然界から隔離した密室(または一定の区域)でこうした行為を続 けるのは養殖ではなく、動物虐待ではなかろうか。 ▲幼児虐待・・・・・・近頃の世相は結婚難と離婚流行・増加です。此れも自由放任で育った世代の因果である。その 結果として幼児虐待が問題になって来た。虐待が良くない事は誰でも分かる。分かるから他人は反対し、社会的にも批 難が高まり其の親に刑罰を加えようとする。でもそんな事で此れが解決する筈もない。 心因を知らなければ解決はしないのだ。だがモノカネ・肉体主義の現代では、其れまでの愛や婚姻関係で作り上げた 霊的な事や精神面の精算を未処理か、なおざりにしたまま、次の段階に進んでしまう。従って過去の愛や婚姻は、法 律とかゼニカネでケリを付けようとします。そうすると心だけが、見えない形で残る。 愛情のもつれの上に次の内縁関係が出来て、其れが子供に影響してケガや病気や事故と言った霊障として問題の現 象化となって警告を発する。或いは生霊が魔物のような顔を相手に見せる。だから怖くなって殺してしまう事にもなる。 理屈では誰もが善悪を知っています。けれども恋人が亡霊の顔に見えたり、可愛い子供が悪魔に見え出す。 だから其の当事者は深刻に悩み、最終的には最悪の事態に進んでしまうのです。 ▲幼児誘拐事件・・・・・・奈良県の富雄で04/11/17日に女児が誘拐殺害され、翌11/18日に遺体で発見された。犯 人は家族にその後12/14にも携帯で新たな犯行を予告するメールを送信して来たが、その犯人像を警察は中々掴めな かった。しかし12/22日頃から事態は急展開して12/30日には新聞配達の小林容疑者が逮捕された。 遺体現場は彼の自宅から円暦方位にして12/22日だった。当日、其の方位の近くの小学校で「彼女とのお別れ会」か 何かがあった。其れに彼女の魂がきっと勇気付けられ、犯人の手がかりを警察に示したのではないか。此れで幼くして 逝った彼女も成仏出来るだろう。結果として奈良県警は久々のお手柄を立てた。悪い事は出来ないモノです。 と思ったが、犯人は初犯ではなくて何度も同じ罪を犯した前科者だった。とすれば其れを野放しにしていた警察の怠慢 について誰がどう責任を取るつもりなのか。 ▲腰痛・・・・・「こしいた」で記す。 ■よか・・・・・・・・ ▲ヨガ・・・・・・・印度の伝統的な体操。歴史があるので洋式の体操よりも実績がある。ヨガは洋式の機械的な運動とは 逆に、個人のリズムに応じた体操によって長い息をするのが特徴。また体を機械的・リズミカルに動かすのではなくて、 ゆっくりと息を吐き出す事で柔軟にして、蛇のようにくねらせたり、捻ったり、伸ばすのが特徴である。 特に肺呼吸による反射神経の発達よりも、腹式呼吸によって内臓の機能の向上、及び健康増進を図るので健康・美容 にも優れた効能が得られる(息、ダイエットを参照)。 ■よき・・・・・・・・ ■よく・・・・・・・・ ■抑留・・・・・・・・ソ連・ロシア・シベリアを参照。 ■よけ・・・・・・・・ ■予言・・・・・・・・何事も、起きてから言うのが人間で、起きる前から教えて通るのが神の道。此れだけ言っているのに 信じない人は、言う事を馬鹿にしている人だと言う事になる(「ソロンの預言書1」一神会)。 ■ヨコシ・・・・・・・・ヨコシとは「遣し・寄越し」にも通じる言葉で、古来、商いを生業とする人たちを言った。ただ正当な流 れは上から下に流れる。此れをタテドリと言う。其れに対してヨコシは邪(よこしま)に流れ易い。 ●ヨゴト・・・・夜毎。または祝詞の一つで、「寿詞」のこと。此れは特に吉事を祈る祝いの言葉。中でも上古に出雲の国 の長官が天皇に奏上した祝詞を神寿(神賀詞・かむよごと)と言った。 ■よさ・・・・・・・・ ■吉野ヶ里遺跡・・・・・・・・七田氏父子二代の努力が実り、工業団地計画の土地が遺跡と判明して平成元年に遺跡保 存が決定した。決め手となったのは、知事の計らいで急遽工事を中止して発掘した墳丘墓と、其処から運良く出土した 管玉と有柄銅剣であり、此れが王者のシンボルと評価された事である。 其れまで此処は工業団地建設が地元の夢であったが、結果として其れより素晴らしい「国の歴史公園」となった。現 在、此処には毎年50万人が訪れる(04/12/7、NHK総合TV”プロジェクトX”)。 ■四畳半・・・・・・・・和風の日本家屋の中心には四畳半があった。茶室の形が矢張りこの広さなので茶の湯を楽しむ気 風から一室を設けたのかと言えばそうとも言えない。 江戸時代、江戸市中には約二万棟の長屋があったが、其の江戸間の広さは九尺二間、つまり四畳半と決まっていた からだが、この中心に座れば、座っていても部屋中に手が届く距離になっているのて使い勝手が良い。だから古来この 形が踏襲されて来たのかと言えば、実は寧ろ御堂に原点があった(「御堂」を参照)。 ■よせ・・・・・・・・ ■寄席・・・・・・・・ ■よそ・・・・・・・・ ■よた・・・・・・・・ ■よと・・・・・・・・ ■夜伽・・・・・・・・ ■淀屋・・・・・・・・大阪には京阪電車・淀屋橋駅がある。此の橋の名は最初に豪商・淀屋が架けた事による。初代は秀 吉の淀川堤防工事の請負で起業し、二代目から米、青物、海産物の三市場を運営し、海運業、金融業などを経て冨を 築いた。また中之島を開拓してつくった米市場と北浜の本店を結んで架けたのが淀屋橋と言われる。 其の威勢は100万石の大名を凌いだと言われたが、5代目の時に幕府から財産を没収され取り潰された(06/2/28朝 日新聞より引用)。没収の理由は身分不相応の奢侈(シャシ)とされたが、以来諸説がある。当時は豊臣温故の大名が 次々と改易されたり、士農工商の分限もあったからだ。 ■与那国島の海底遺跡・・・・・・・・考古学界では認められていないが、海底の珊瑚礁の中に、人工的に加工したと思 われる垂直に立つ神殿と水平なテラス、階段、水路跡があるのがダイバーたちに知られており、テレビでも度々報道さ れている。楔クサビ穴が直線状に並んでいるのも自然のものではなくて人工的である。 沖縄本島の北谷(チャタン)町の沖にも高さ10mの城壁のようなものが約60m続く。此処は水深20mにテラスと垂直 の壁があり、階段もある。其処から採取した岩には+とVの記号が刻まれていた。「此の記号は、チャタンの陸上でも 同じモノが発見されている」と言う。 また琉球大学の木村政昭教授が「これ等の複合的な施設は、1万年前に氷河時代が終わった時、海岸が約40m沈 み込んでしまったもの」と解説した(04/12/25のMBSテレビ)。 ■ヨハネ・・・・・・・・イロハ48音、またはアイウエオ50音も実質48音である。此れは四季×12方位を意味した。因みに 聖書の一つにヨハネの黙示録(下記)がある。また相撲には48手があるとされ、全国都道府県数も偶然47である。 ★ヨハネの黙示録・・・・・・・紀元1c末に成立したと言われる「新約聖書」正典中の文献で、この世の終わりと永遠の 神の王国の到来を告げる「文学書」。しかしこの「ヨハネ福音書」は新しく創作された物と言われるので、カノン(正典)と しての価値がないと言われるが、今も妄信者が多いので別項を置いて此処に紹介する。 永遠の救済に向かうプロセスとして以下の三つが語られている。其の大要は、1.天界の玉座にある巻物の七つの封 印を子羊が開いて行く。2.七つのラッパが順次吹き鳴らされる。3.サタンが地上を支配する。4.最後の災いが地上 に降り注ぐ。 と言う謎めいた話となっているので如何様にも解釈できる事と、塗炭の苦しみや悲嘆に暮れている人にとっては慰めの 言葉とはなっても、現実には何れも有り得ない事である。 しかしそうして人類最後の日について、ハルマゲドンと言う最終戦争と其の次の「最後の審判」までのプロセスを、神の 力ではなくて人力によって現実化しようとする危険な勢力が有るので識者は常に注意(警戒)しなければならない(ラッ キーセブンを参照)。 ■よひ・・・・・・・・ ■よふ・・・・・・・・ ★予防・・・・・・・・水防などの外、予防医学とか地震予知があるが、其れは無理と言うものだ(「火事」、「防災」を参 照)。 ■よぼろ・・・・・・・・よれよれ、ボロボロの略ではなくて、古くはヨホロ(正丁などの課役人)。縄張りを決めたり尺木を 持ち歩いて測量に従事した方々の事。其処からヨホロとはヨボロクボ(ひざの裏)とか「日鏡」の意味もあった。古字の 丁は象形。五行では「ひのと」つまり火の仲間にされているがやや違って寧ろ「太陽の足」(日影)である。 今では丁が釘の原字ともされているが此れも疑問である。丁の字は田の字に付いて町の字になり、或いは庁となる。 丁の字は一に「はねぼう」でなり、「はねぼう」は鍵の手とも言われるが予や矛の字、事の字にも使われ、或いは仮に 巾、布、律、弟・・・とも同類とすれば「鍵」とは明らかに矛盾するため元の意味を正す必要がある(「ひのと」を参照)。 丁の字は十干の「ひのと」。方位では南、但し丁の字が示している通り、真南から柱の影が真北に伸びた形を示してい るのが「下と丁」の字。中でも「丁」は下が撥ねているが、此れは地平線からの影が左に傾いた形であるから時刻では 午後の始まり。其の逆の「丁夜」と言う場合は丑の刻(02:00前後2時間)を指した。 つまり丁の字は実に古く、太陽観測の方位と時刻を示した文字でした。従って丁の字は観測する役所として「庁」と化 し、其の観測に基づいた区割りで造った区域を「町」で表す事となり、またこの測地作業に従事した正丁(課役僕)を丁 (ヨボロ)と呼んだ。 また更にこの重労働のためにヨボロは膝を痛める。よって膝裏をヨホロやヨホロ筋と言ったものだろう。また逆に膝の 強い男たちを壮丁、馬丁などとし、或いは紙面の表裏(2頁)も一丁(または一枚)、豆腐も「一丁」と数えたり、仕事にあ ぶれた博労たちが楽しむ丁半(奇数・偶数)博打の符丁ともなった。 ■よま・・・・・・・・ ★ヨミ(黄泉)・・・・・・・・黄泉とは「あの世」と解釈されているが、実は「夜見」であり、此の世の果てにある現実の世界で あり、具体的には大陸で暮らし、星月を頼りに行動する人種や地域の事である(黄泉の国を参照)。また例えば日本で も飲み屋街では夕方に「おはよう」と挨拶しあうが、其れがヨミ族である。 最近は24時間オープンのコンビニと車社会で夜行性の人種が増えた。其れにつれて夜間でも他人の家を平気で訪問 する宅急便や来訪者も増えた。其れを失礼と思わない人たちは警戒心がないので犯罪増加となっている。昔から「夜 討ち朝駆け」は攻撃のチャンスではある。言うまでもなく此れは卑劣な戦法でした。 だから昔から日本では「夜来る客はない」と夜の訪問者を侮蔑して来た。夜間に出歩くのは押し込み強盗や夜盗の類 が多く、或いは借金取りなど、ロクな客ではなかったからだ。 ●蘇り・甦り・・・・蘇りは甦り、つまり「黄泉」から帰る事、生まれ変わり、もしくは生き返る事である。例えば太陽は日没 と共に黄泉・夜見の国、つまり大陸に行き、やがて翌日は日の出として東から復活する事を毎日繰り返している。 この事を人の生死に当て嵌めて見れば、死去は神から借りた肉体で人の業を終了して卒去する事であり、同時にあの 世へ向けて旅立ち往生して逝く事である。其れを親族が弔い、見送る事により、やがてヨミガエリする事が出来るが、 此れは「蘇り=黄泉帰り」、つまり先祖が死に果てて往生(この世からあの世へ行って生きる事)から帰る事である。 あの世への往生の結果として、次には子孫として死の果て(あの世)からこの世に帰る事、即ち「復活再生」するのが人 の「誕生」であり「甦り」するものと認識し自覚していた。だから死を恐れず果敢に活躍し、使命を果たした後は潔く退い た。早く死に果ててやがて新品の体をもって再び生まれ変わって来るほうがずっと快適である事を信じていた訳です。 そうすれば、此れまでの人生もやり直しが効くと思うから人は潔く生きてキッパリと命に決別できた。だが仏教では「輪 廻転生」を繰り返すのは業であり、良くない事として説いて来た。従って生きている内から信仰してホトケとなるように説 いた。生きている内に成仏してその因縁から解脱しようと試みたのであるが、何の事はない。 単に葬式仏教としてのビジネスにしかならなかった。だから現代は肉体主義となったし、其れ故に、老いてなお老後の ことを心配して銭をため、友達も先に死んで寂しくなる中で、老体に鞭打って長生きするのが次の目標になっている。 此れも哀れです。 ▲● ■ヨミ(黄泉)の国とは「夜見の国」の事・・・・・・・月や星を見て暦とした大陸諸国の事であり、決して「あの世」の事では なかった。太陽信仰、もしくは太陽観測による日暦を主とした日本から見て、敢えて夜空の月星を見て指針とする大陸 人の国を「夜見の国」としたのです。其れを漢字では「黄泉の国」とも書いた。黄昏(たそがれ)を意味したからだ。 タソガレとは薄暗くなって「誰そ彼は」と見定めが効かない夕暮れ時の事である。だが渡来仏教にとってはそう解釈され ては困る。よって以後、日本人の誰もが黄泉とは「あの世の事」と刷り込まれたまま固く信じてしまった。無論、誤解の ままでは困るが、現代日本は欧米化により、完全に「夜見の国」になってしまった。 早朝が苦手で午後や夕方から行動する夜行性タイプの人が多数を占めて来たからです。和風が廃れて欧米化、即ち 「黄泉化」となり、様々な問題を生んでいる(「根の国」「夜行性」「都会人」を参照)。 ▲ヨモギ(蓬)・・・・・・・・モチグサ。全国的に野生するので草餅にすれば春の香りが味わえる。また蓬飯、天ぷら、佃煮 にも食用して来た。また蓬やヤマモギを乾燥させて揉み、藻草としてお灸に使う。蓬を今は雑草として片付けるが、不 必要なものは生えないものであり、特に其の家の周りに生えるのは其の家の住人にとって必要性が有るためです。 つまり厄介者ではなくて天与のものと見た方が良い。中でも蓬は此のように大切な草である。しかも蓬は血液の浄化、 止血、痛み止め、高血圧症などに薬効がある。 ▲よも・・・・・・・・四方。 ★ヨモサ・・・・・・衛士府・衛門府のスケ(ウエモサ、衛門、サムライを参照)。ヨモサは夜警の武者か。 ▲よもの海・・・・・・・・四方の海。四方にある海。四海とは古来、四方(よも)の海と歌われた今の日本海、北海(オホー ツク海)、太平洋、東シナ海であり、此れを四境で分けた。 ▲よもやま・・・・・・・・四方山。四海(よも)と四方山(よもやま)の中心地にいて私たちが天気を見ていますと、五日に一 度の風があり、十日に一度の雨となりますので、此れを五風十雨と言い、天気の順行・循環の目安とした。 ▲よもつ・・・・・・・・四方津。夜持つ国。 ▲黄泉津屁食い・・・・・ヨモツヘグイ。日族は旬のもの、四季折々の新鮮なものを食べてスローフードを楽しんで真の 滋養を味わうのに対して、月族は月が満ちるように何でも腹一杯たらふく食べないと満足しない。彼らは大量生産と大 量消費の多食・多弁・多便族である。 其れに対して星族の場合は機動的な軍隊食としての弁当・携行食とし、簡便で栄養学的な「肉食」に偏重する。インスタ ント食品もそうしたスピード時代の申し子である。後の二者を「黄泉津屁食い」と言う。だが其れであっては人間としての 食性とは言えず、言わば飼料や藁加工品に近い。 だから譬え幾ら食べても「へ」を出す程度の力にしかならないと言う教えであったろう。のみならず不健康にして万病に 仕向けてしまう。今の巨額医療費を見れば、へぐいに偏重した洋食肉食の間違いが見事に現れていると思いません か。 ▲夜(字義)・・・・・「夜」の字の鍋蓋と部首は「夕(ゆうべ)」、即ち夜に関わる文字に用いられる。成り立ちは、「夕」+ 「亦(エキ)」です。「亦」はわきの下の意味で、部首と合わせ、月が腋の下よりも低い所に落ちて夜の意味を表します。 因みに日没から夜半までは、以下の順番で呼ばれています。「夕・暮・昏・宵・夜」。 以上は【作務衣の専門館 伝統芸術を着る会】 http://www.samue-e.com/メルマガ#知的道楽# mag@samue-e. comより転載。 とは一般論なのでヒジリの解釈を言えば、夜のように抽象的な存在を象形文字にするのは難しい。よって文字を集めて 会意とした(けれども今では「夜」の字を形声文字と解釈している)。何れにせよ「夜」の字は鍋蓋(別項亠を参照)が付 いているが、此れは昼間の太陽観測を意味する。 従って、その下の旁は地上の下の地下、または南に対する北を意味する。よって例えば前者では「変、衰、亡」や後者 では「亶、壇、交、京」の字としている。同様に「床、庁、廟・・・」など何れも祭壇を祭る場の字となっている。 ともあれ次に人偏と月については人が立って月の動きの角度を観測している様子を示して夜を意味する会意文字とし たと思える。 ▲夜型社会・・・・・日本は古来、典型的な昼型社会でした。所が今は急速に欧米風に倣った夜型社会化になりつつあ り、このためコンビニも増えたが、犯罪増加や幼児の睡眠障害など夜行性(別項を参照)の弊害も目立って来た。 ★ヨーロッパ・・・・・・ヨーロッパの名は、ギリシャ神話のエウロペが語源とされる。彼女はシリア王の娘だったがゼウス が恋をして白い牡牛に姿を変えて彼女に近づき、彼女を乗せて走り回り、クレタ島で結ばれた。其の走り回った地域が ヨーロッパであると言われた。 ヨーロッパと言えば今では先進地域であるが世界史の中のヨーロッパはギリシャ、ローマ時代を除けば広い田舎に過 ぎなかった。先のギリシャやシリアは今のヨーロッパではなくて中近東の話であり、中世まではイスラム教がヨーロッパ から東アジアまで支配していた。従って「古代ギリシャから今のヨーロッパに発展した」と言う西洋史観には嘘がある。 例えば12cのイスラム圏はギリシャローマ時代の学問を基に大学を作り、論理・文法・修辞・天文・幾何・算術・音楽の 自由七科を定めた。また例えば16cまでのイギリスなどは、オスマン帝国のスルタンの厚意に縋ってヨーロッパの片田 舎に存在する小国家に過ぎなかった。 イスラム圏からギリシャ文化を後の時代に今のヨーロッパが輸入したのである。そして宗教改革や産業革命、大航海 時代を経てやっとイスラム圏に肩を並べて発展したと言われる。しかもそうなるまでには大きな罪科を犯した。十字軍 の遠征とアフリカや中南米に対する破壊行為である。其の論理はキリスト教的正義感の押し付けだった。 其の為には異文化を魔物とみなし、ありもしない先入観念を創作して刷り込む技法がとられた。所が実は人類にとって の悪魔は今も昔も彼らキリスト教的正義感である。また十字軍の後にはアフリカ、中南米でも罪を重ね、米国の場合 (地理的にはヨーロッパではないが)はベトナムでも、アフガンやイラク戦争でも分かる通り、悪魔的行為を繰り返した。 イスラエルは其の本家である。所が日本でもこの種の西欧風の風邪に罹った患者が多発して、夢遊病者のように進化 論のお題目を唱え続け、或いは舶来品を買い漁り、更に十字軍的正義感に染まってグローバル化と言う「情報操作」で 世間を欺いている(「ラテン・アメリカ」を参照)。 ★鎧・・・・・・梶原源太は人が良く、イナセな男で和歌に長じており、戦いには矢を入れる箙(えびら)に梅を飾った。敵 の平家方も其の心意気を天晴れと見たと言う。梅香のみならず桜も武士のシンボルだ。「花は桜木、人は武士」と言わ れ、日本人は散り際の綺麗な桜が好きであり、概して潔よかった。 中でも武士は主君の為に忠節を尽くし、最後は主命で死ぬ事を目指した。其れは鎧を見ても分かる。西洋の兵士やナ イト(騎士)がブリキの継ぎ接ぎの没個性的な規格品のロボットタイプの鎧で組織的に戦うのに対して、源平の昔から日 本の武士たちの鎧は派手だった。しかも義経などは合戦の度に違う鎧を新調したと言う。 このように武士はスタンドプレーで目立ち、自己PR・自己主張して華々しく散ろうとした(05/12/3のNHK教育TVで作家 の長部日出雄氏)。そうした戦振りや死に様を飾るのが鎧である。緋縅おどし、黒糸縅の鎧など何れも高価で派手なもの だった。だが所詮日本では消耗品でした。 戦場では着替える事も風呂に入るのもままならないから言わば汗まみれ、血まみれ、糞まみれとなる。大事に大事に 其れを家宝として残そうとしても錆び付きボロボロになるのです。だから美術品として珍重し、日本の土産として買って 行くのは外人だけ。 ら● 以下、次ページへ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆▲◆★ 次は
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