http://hijiri.tamajiri.com 「日知り事典」 page359.html (未定稿) ![]() 日知り事典 ラ・リ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ ら●・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ● ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆▲◆★ ●ら・・・・・・・・「ラ」は太陽の事。または蔦、カズラ。 ▲羅・・・・・・・薄絹と解釈されるが疑問である(太陽ではないか)。 ★ラア・・・・・・・・・ ★ラーマーヤナ・・・・・・前5〜3世紀、インドの梵語による大叙事詩。英雄ラーマが魔王ラーヴァナに略奪された妃シー ターを奪回すると言うストーリー。此れが東南アジアに広がってタイやシナでは形を変えて独自の文化に発展した。イン ド文化を参照。 ★ラーメン・・・・・・近代建築の工法で枠型構造物。 ★らい・・・・・・・・・ ★雷・・・・・雷光と雷鳴を伴う大気中の放電現象(天象)。下記、及び「いかづち」を参照。 ★雷雨・・・・・ ★雷雲・・・・・積乱雲。 ★雷管・・・・・ダイナマイトなど、火をつけただけでは爆発しない鈍感な爆薬を起爆するための薬剤を別に取り付けるも ので、金属製の器具の中に雷酸水銀=雷汞(コウ)または窒化鉛を充填したもの。昔は此れに導火線を付けたが、今 は電線をつけて電気雷管としている。 また銃弾(薬莢)の尻に嵌め込まれているものは引き金の針で叩けば発射する仕組みのもの。 ▲礼記・・・・・・・ライキ。五経の一つ。大小の載礼が有り、大学・中庸・曲礼・内則・王制・月令・礼運・楽記・イシなど49 篇からなる(広辞苑)。 ★雷公・・・・・・本来はイカヅチのキミ、つまり加茂の雷公の事であったろう。記録には紀略・万寿4/5/24にあるが、今 は雷の俗称になった。 ★雷光・・・・・・稲光。 ▼来迎・・・・・・本来は東方からの日の出の御来光であり、御来迎がやがて仏教的な解釈の来迎になった。例えば弥陀 が衆生を救うために下降すると言う来迎図(変相曼荼羅)。または高貴な方の臨終の際には阿弥陀如来や諸菩薩が西 方から迎えに来て極楽浄土にいざなうると言う藤原時代の信仰となった。 ★雷獣・・・・・・雲に乗って飛行し、落雷と共に地上に落ちて樹木を裂き、人畜を損なうと言う怪物。形は小狗に似て灰 色、頭長く、嘴(くちばし)黒く、尾は狐に、爪は鷹に似ると言う(広辞苑)。 ★雷神・・・・・・・・・雷電を司る神、または其の眷属。鬼のような姿をして虎皮の褌を纏い、太鼓を輪形に連ねて負い、 手に桴(ばち)を持つ。光の神(広辞苑)。確かに雷神は「すっ飛び雷公」と思うほど突然やって来てバカッと空を割って 出て来る。 しかも中継点から横っ飛びに出張して来て暴れまわるので天下の人は「突然何だ」とビックリするが誰も手が付けられ ない。其の中継点は誰も知らないが、関西では殆どが出雲加茂神系統の神社である。祭っていない市町村があるので 彼が其のエリア一円に出張する必要が有る。従って今はかなり忙しくなっているようだ。 龍は図体が大きいがグズであるのに対して、雷神の発する雷光は電光石火の代名詞になるほどスピード感が有りま す。そうすると、雷神と竜神とは別の存在かと言えば、そうとも断言出来ません。雷神もまた古くから蛇体であるとされ て来たからです。但しカミナリは必ず男性系である。 また物質科学的に診断すれば、雷は電気であり、電気であれば電磁波であり、つまりは磁気とリンクして電気も存在し ている事が分かる。磁気は大きなダイナモである地球で生産される。或いは日と月と地球との三位一体で作用しあって 磁気として存在していますので、其処にモーターを介在させれば電気を起こす事が出来る。 水力・火力・原子力・ソーラー発電など、何れもモーターなしでは電気を取り出せないので、つまりは雷神もまた天(日・ 月)と大地の精であるとも言える訳です。そして雷神には意思がある。地球も一種の生き物であるなら、雷神だけが例 外的に無機物であるとは言えません。雷神もまた自然界の一部であり、有機体なのですから意思が有ると見て良い。 雷神は荒れ狂い、怒り散らすようにアチコチ走り回るが最後にドーンと落ちる。其れは彼の意思であるのか。と言うより も、女性的な竜神に誘われて、まるで龍女か遊女に誘い込まれた色男でもあるかのように吸い寄せられて稲光を発し て落ちた、とも見える。此れを落雷(「落雷」を参照)と言う現象として見るのが普通です。 このため、かつては稲ツル火とも言った。其れは雷光と稲がツルミ(結ばれ)て後に稲穂を実らせると言う経験則からな のでしょう。雷神は雷(カミナリ、イカヅチ)の説明と一部重複する。ただ厳密に言えば雷と雷神は別の存在です。彼ら には何れも意志が有るものの、神とは別である。意志はあっても主体ではなくて媒体であるのです。 神としては例えば古事記に登場する八雷神は黄泉の国のイザナミの死体に取り憑いていた恐ろしい化け物だった。 この八種が大雷、火雷、黒雷、折雷、若雷、土雷、鳴雷、伏雷である。或いは京都の蓮華院には運慶作と言われる彩 色木像の風神・雷神が残されている。 其れに平安京の内裏を度重なる落雷で震撼させた天満天神も雷神として恐れられた。落雷は怨霊の祟りであるとされ て特に京都では恐れられ、カムトキノ神の祭りが臨時祭として行われて来た。火雷神は其の前から奈良・新庄町の笛 吹き神社(名神大社)に祭られて来た。此処は言わば人なら肺を司る神だが、土雷以下は時々噴火もする。 所で京都の加茂神は別雷神と言う人格神であり、其のシンボルとして丹塗り矢がある(5/15「葵祭り」を参照)。 更に菅原道真公も先の天満天神と言う半神半人の存在である。こうした別雷命とか天満自在(火雷)天神とされた人物 が日本では神様です(「雷」を参照)。 ▼来世・・・・・・過去世、今世、来世の三世の一つ。死後に生まれる世界。未来の世、後世。 ★雷石・・・・・落雷によって砂地が熔解・合成して管状になったもの。 ★ライトアップは逆効果・・・・・・・・・夜桜、お盆、それにクリスマスの頃には各地でイルミネーションとライトアップが盛 んに行われるようになった。街路樹には年中、ミニランプが括りつけられて息苦しく哀れな感じです。そうしたバタ臭さに 負けてはならないと言うように、クリスマスとは無関係の寺社まで此れを倣い出した。 だが日本人には其の光景が異様にしか写らない。Xmasの頃だけは美しく見える冬の星座も、こうした無粋なライトアッ プに邪魔されて全く見えません。ライトアップは拝火教(ゾロアスターなど)の風習ではあっても日本人には馴染まない。 日本人は自然の中で天から届く光りを「美しい」と思って来ました。其れに対してライトアップは逆光である。 これは火を焚いた時でなければ自然界にはない不自然な光景であり、此の世にはない人工的な光である。其れと同様 の光としては、幽霊演出の場合のライトの当て方です。此れは下からでなければ効果がない。或いは暗闇の中で蝋燭 の光りに浮かび上がったモノを見た時は、此の世のものとは思えないような異界の姿を現す。 要するにライトアップは費用対効果はなく、しかもターゲットを立派ではなくて亡霊に見せる不気味な効果でしか有りま せん(「光害」を参照)。 ▲ライブドア・・・・・・漫画のドラえもん人気が現実化したようなホリエモンが出て忽ちマスコミを賑わした。アイテイ産 業の急先鋒とか「時代の寵児」と持て囃されたが06/1/24に逮捕となった。此れは戦後の「光クラブ事件」と類似の ものと指摘する人(作家・宮崎学氏)もいる。また米国では90年代末にネットバブルとなった。 其のバブルもネットを過大評価と判明した時点で消滅した。因みにライブドアの逮捕劇について作家の高村 薫さんは 「お子様銀行」と表現した。此れも世間的な評価として妥当な所であろう。「ネット産業急成長」とか「小泉自民の構造改 革」と言うのは何れも虚構、つまり嘘、もしくは国民の共通幻想だったと気づけば消滅する。 何ら優れた理念もアイディアもなく、「人の心はお金で買える」と豪語し、マネーゲームに暴走して拝金主義を見せ付け たが、蓋を開けたらタダの錬金術師だったと批判され、急成長した会社も空中分解寸前まで来てしまった。でも此れは ホリエモンとは別の意思であった。つまり彼らは破壊の役(鬼)として使われた。 小泉路線は日本国民ではなくて米国の意思によるが、取引市場もライブドアの暴走を止められなかった。ライブドアの 当初の役割はふじ日枝さる一味の傲慢な鼻をアカス事。只では転ばず巻き添え無理心中で株価落しと民放連の会長 辞任。資金はたんまり有るし法令違反でなければ特捜部が逮捕した所で処置に困ろう。 巧妙なカラクリと偽装で踏み台にした買収先や道具にされた株主騙しにあった22万の投資家は彼の協力者、または 自業自得であるから仮に9000億円が1000億円に目減りしたとしても自己責任である。寧ろ彼を持ち上げたマスコ ミ、其れに彼の人気に便乗した自民は此れからが問題だ。 06/10/5のNHK総合TVクローズアップではライブドアの04/9月の粉飾決算を取り上げた。3億の赤字を500億円の黒 字としたと言うのである。其のカラクリは架空取引と投資事業組合であり、企業監査の甘さが粉飾を許した。公認会計 士が「社会の番人」としての資格失墜であると言う。 さて人気者の彼がいなくてはテレビがまた面白くなくなるし国民は寂しい。会社の運営も成り立たないし、直ぐに出て来 て復帰し、破壊者としての人気役者ならもう少し続けて貰いたい。 ★雷鳴・・・・・・・・・日本には江戸時代の「風神雷神図」があって幾つもの小太鼓を持つ雷神として描かれている。仏教 でも天鼓雷音と言う菩薩があるが、物理科学では雲の中でプラスとマイナスに帯電してそれらが放電するからと見る。 雷は空気中に10kAの放電で一気に約3万度10気圧と言う高温高圧の状態に膨張するため、其の空気の振動が雷 鳴であると解釈する。音波としては小さいものだが、干渉しあってゴロゴロと言う音に変化する。そして雷鳴の大きさは 電流の強さの2乗に比例するため、約100倍の大音響となる。 北陸地方の電流は平均の10倍のため、「一発雷」になると言う。 ▲らう ▲らえ ▲ラオ ▲ラオス・・・・・ ▲らか・・・・・ ▲羅漢・・・・・仏教を守る存在として禅林では最も重視し供養する。阿羅漢、16羅漢や五百羅漢などがある。アーリア 人を象ったものとも言われる。 ▲らく・・・・・・ ▲楽焼・・・・・・秀吉が聚楽第で焼かせた事から此の名となった。轆轤(ろくろ)を使わず手捻りで作り、釉薬は赤・黒の 二色。光悦など茶人が好む低温陶器で風合いが良い。千利休の後に15代続けて利休式の茶碗を今に伝える。 ★落雷・・・・・・・・・落雷を人が捕まえた話は昔から色々語り継がれていますので、科学的な解釈よりも故事に学ぶほ うが楽しいでしょう(イカズチ、「雷かみなり」「雷神」を参照)。ただヒジリの場合も子小人(ちいさこべの)スガルのように雷を 捕まえて来て見せる程の芸は無い。 或は雷がヒジリを見た途端に怖がって逃げ回ったと言うような話も今の所、見た事がないし、ヒジリが雷を怒鳴って追い 払ったと言う話もない。だからヒジリだって皆様と同様に逃げ回る程度です。なので矢張り、一応は科学的・実証的に分 かった事を参考にするのも安全を選ぶ事になります。 例えば05/8/19MBSTVの「アンビリバボー」によれば、雷光を見たり雷鳴が聞こえた時に木の下に避難してはい けない。人体は60%もの水分があるので樹木よりも導電体であるから、一旦木に落ちて流れても近くに人がいれば其 の人に飛び移るからです。人体を通り抜ければ心停止・即死となる。 木は人体より水分が少ないので通り抜けずに割れる。或いは避雷針の有るビルに囲まれた中の、低地の公園にいて も安心ではない。ビルではなくて公園に落雷する例もあるからです。金属を身に付けていてもいなくても落雷の確率は 同率である。走って逃げても落雷のスピードには叶わない(雷の電圧は2000万ボルト、落雷の速さは1/1000秒)。 車があれば車の中に、避雷針のない所よりも避雷針の有る建物に避難するのが安全です。其れがない場合は樹木か ら3m以上離れて、両足を閉じてしゃがみ込む事。但し、JAF.Meit05/11によれば、運転中の車に落雷したケース では目の前が一面光に覆われ、直後に車の自由が利かなくなる。 50mほど惰性で走って走行不能となり、JAFに電話して牽引して貰った。車体の屋根には焼け焦げが出来て、電子機 器は全て交換する羽目になったが乗員の体には全く影響がなかったと言う。 ■らこ・・・・・・・ ■らさ・・・・・・・ ■ラサ・・・・・・・拉薩。ブータンの北にあり、中国チベット自治区のニェンチェンタンダラ山脈地帯の1地名。 ★ラサ(LASA)・・・・・・・地下核実験を探知・検出するため作られた超遠距離地震検出装置。 ■らし・・・・・・・ ■羅紗・・・・・・・ラシャ。羊毛で厚地の毛織物。室町末期に輸入された。 ●羅城・・・・・・・中国の地名の一つ、貴州のルオチョン(羅城)である。羅が付く地名は外にも中国には羅山、羅州、羅 津、羅泉井、羅定、羅田、羅東、羅南、・・・が有り、日本の羅城としては平城京(710~784年)や平安京の外郭の正門とし て朱雀大路の南方正面にあった事が文献や遺跡で示されている。 06/3/11には大和郡山市の下三橋遺跡で、平城京の九条大路南側で十条大路と羅城跡の一部と見られる簡単な板葺 き塀柱穴跡と瓦とが発掘された。 所が発掘考古関係の文人や歴史家は「羅城は城門であり、防衛の門である」との固定観念でのみ解説を垂れるので 真実から目を逸らす。外敵に悩まされた中国の場合は兎も角、羅とは元々「太陽」であり、従って京域の南に正面して 門を構えて観測した事を意味するのであって、堅固な施設を要件とする軍事施設とは全く別だった。 ●羅生門・・・・・・・羅生門とは太陽が生きる門を意味するが、本質的に羅城門(前項を参照)と同類。また芥川龍之介 には鬼が出没したと言う「羅生門」と言う小説がある。 ■羅針盤・・・・・・・本来は太陽の方位を測る盤であったろう。今も中国には羅盤が伝わる。だが西洋ではコロンブスの 頃の大航海時代以後、船に積載する磁気コンパスを羅針盤と言うようになり、今尚一般に日本でも此の磁気コンパス を言う。しかし此れは、真北ではなくて磁北を指し示す欠点があるので羅針盤としては玩具である(真北を参照)。 ■らす・・・・・・・ ★ラスベガス・・・・・・・・・米国のネバダ州の砂漠地帯に有る歓楽街。かつてこの辺りはグランドキャニオン(大峡谷) に近い砂漠だった。グランドキャニオンは17億年前は海底だったが、其処を削りながら流れ下るコロラド川があり、雨 季には度々カリフォルニア州が洪水となった。其処でネバダとアリゾナ州との境にフーバーダムが造られた。 そのお陰で、この砂漠には不夜城のようなラスベガスが出現したのである。今はカジノや絶叫マシーンが人気である が、砂漠の中で街全体が一大テーマパークとなっている。砂漠であるにも拘わらず、町の中には街路樹や池が有り、 例えばベラージオ池の噴水ショーは奇抜であり、しかも世界一のスケールであり、夜間はライトアップのショーとなる。 この享楽的で贅沢な楽園のような町には超高級リゾート地であるレイク・ラスベガス湖畔が有る。ラスベガスには既に5 0万人が住み着いている外、多数の観光客が来る訳だが、町の豊かな水や電気はダムからの恩恵であり、また彼らの 浪費を支える高コストは大博打で稼いでいる事になる(05/6/5の読売テレビから引用)。 能天気な日本人の多くが憧れるラスベガス。町おこしのコアに博打場を作ろうとする短絡的な人も多い。だが、不自然 で贅沢なこのような町を維持するには極めて高コストであり、また博打で町を栄えさせたら弊害が多いだろう。 ■らせ・・・・・・・ ■らそ・・・・・・・ ■らた・・・・・・・ ■らち・・・・・・・ ★拉致問題・・・・・・・・・北朝鮮。 ■らつ・・・・・・・ ★ラッキーセブン信仰・・・・・・・・・七の数字に神秘性があるとする洋式信仰。其の根拠としては北斗七星、或いは 旧約聖書の創世記に「神は七日でこの世を創った」とあるからだ。其処から西洋人は「七で完成する」と言う強い観念を 持つため、ユダヤの神の前には七本の燭台を立てる。このように古来西洋には「七並べ」が多い。 七曜カレンダーも其の例であり、漁師達の妙見(北斗七星)信仰とか室町に渡来した七福神信仰もこの変形である。 ただ「七の数」にそれなりの根拠があったとしても、「何でも七の数で完成する」と見るのは誤解であり、少しも科学的で も合理的でもなくて単なる迷信である。 ▲ラテン・アメリカ・・・・・・・日本の世界史(西洋史)では「コロンブスがアメリカを発見した」と言うが、其れは西洋人 の勝手な判断(宣伝)であって世界史的に見れば無意味な観念である。其処には当時何もなかったのなら兎も角、既 に人類が何の問題もなく平和に暮らしていた。北にはインカ帝国、南には14cからアステカ王国が栄えていた。 インカのアンデス山中には高度に発展した都市・マチュピチもあった訳だし、実は1402年に明の永楽帝の命でシナ人 が到達していた。またそれ以前には日本人が度々渡航しており、多数の古墳(マウント)も作った上、神代文字も残して いる。日本人はペルーまで行って、縄文土器まで残していた。とすれば南北アメリカは日本の一部だった訳だ。 ただ其の地を日本人はアメリカと言わず「エビス」の国と呼んでいたのです。其処へバイキングがやって来た事も有った が、コロンブスが此処をインドと誤解して漂着したのが1492/10/12の事だった。コロンブスは西に向かっていたの に航海中もオリエント(東方)に向かっていると信じていた。だから新大陸を西インド諸島と誤解して名付けたのである。 またイタリアの旅行家・アメリゴ・ヴィスプッチが書いた旅行記がヨーロッパでベストセラーとなり、この新大陸を「アメリ カ」と呼ぶようになった。無論ヨーロッパから見た勝手な命名である。海賊たちはパトロンの関心を引くために「新大陸 発見」「人食い」「裸の野蛮人」「無教会」「悪魔的」などのイメージを創作して西欧が優位であると見せた。 それに対する彼の地が「未開」であるとの印象(偏見による先入観)を強調し、デマゴギーを刷り込んだ訳でした。今の 日本にも横行する「情報操作」によってステレオタイプ(型に嵌った固定観念)の知識を西欧世界に広げたのである。 以来、海賊の跋扈で西欧諸国が潤い、またヨーロッパ人が植民して中南米に対する略奪と破壊の限りを尽くした。 しかも彼らは誤解と偏見による西洋史観を正義として振り回し、アメリカ原住民を奴隷として酷使して金銀鉱山を掘り尽 くした。其の結果として此処の人口が急減し、一割にまで激減した所も出た。 西洋人は略奪のお返しに鉄砲と騎馬と疫病(天然痘・百日咳・ハシカ)を持ち込んだが、此れらに対して原住民が無防 備で何の抵抗力も無かった為とも言われる(04/8/30のNHK教育テレビより一部引用した)。 西洋人はどっかを侵略する度に悪魔を創出するが、例えば十字軍ではアフリカを分捕り、またスペインとポルトガルは 中南米、やがてインディアンを放逐した米国はハワイやベトナム、アフガン、イラク戦争で正義の名によって侵略した通 り、悪魔は常に彼ら欧米人でした。 日本でもインチキ進化論者と彼らの手先が正義感やグローバル化と言う「情報操作」で日本社会に「新大陸発見」と同 様の問題を作っている。 ■らと・・・・・・・ ★ラドン・・・・無色無臭で化学反応しない放射性のガス。気体なので大気中に出易い。半減期3.8日でポロニウムに変 わり、更にビスマスや鉛へ移り変わる。これ等は放射線を出す固体で、塵にくっ付いて気管支や肺に沈着し、肺癌を引 き起こすと考えられている。 日本やドイツではラドン温泉が多く、「体にいい」と言われて来たが、評価は定まっていない。WHO(世界保健機関)は 濃度規制に動き出した(06/5/16朝日新聞より)。 ■ ★・・・・ ■らな・・・・・・・ ■らに・・・・・・・ ■らぬ・・・・・・・ ■ ▲ ■ ■らね・・・・・・・ ■らの・・・・・・・ ■らは・・・・・・・ ■らひ・・・・・・・ ■★ラピスラズリ・・・・・・・・・瑠璃に別記。 ■らふ・・・・・・・ ■らへ・・・・・・・ ■らほ・・・・・・・ ■らま・・・・・・・ ■らみ・・・・・・・ ■らむ・・・・・・・ ▲ラムサール条約・・・・・・この条約はイランで締結され、S45年に日本も加盟した。干潟や湖沼など湿地保全と 適正な利用を目的とした環境保護の条約であり、此処に登録し、指定されれば域内の開発行為が制限されて動植物 の保護が叶うとして大畑孝二氏が努力してウトナイ湖の自然環境を守り、野鳥の天国にした。 日本で見られる野鳥の3/4は渡り鳥であると言われる。北海道・苫小牧市のウトナイ湖には今では毎年1〜5万羽の 渡り鳥がやって来る。白鳥の湖、野鳥の天国である。此処に開発計画が持ち上がったので大畑氏や日本野鳥の会の 努力でH3/11/1にウトナイ湖が登録された(読売テレビの「今日は何の日」より引用)。 因みに同条約は今年05年で登録湿地を2000ヶ所にする目標であり、05年日本では新たに20ヶ所登録された。阿寒 湖や尾瀬沼などである。 ■らめ・・・・・・・ ■らも・・・・・・・ ▲ ▲卵割・・・・・・・・・ウニでも魚類でも、或いは両生類でも鳥や哺乳類でも卵割と言う細胞分裂から孵化し、或いは肉体 の形成が始まる事。此れを知るのが発生学である。ウニでも人体の場合も例えば口から肛門になるのである。しかも 其れは2細胞期、4、8、16細胞期と言う過程で行われる。つまり八方に分割して行くプロセスを辿る。 このように大自然には八方の理が働いている。其れを説いたのが仏教では蓮弁や法華、或いは和式ではヤタ、そして シナ式では八卦や曼荼羅である。今は原子核の電子殻が八方の軌道を周回している事や、DNAが8×8=64に配列 している事が分かって来た。其れはしかし数千年以前から東洋ではヤタや八卦と言う理法で説かれて来た。 にも拘わらず何でも数字や科学で解こうとしていては更なる展開はない(「円系図」、「ヤタ」を参照)。 り ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ り● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲ ●り ・・・ ・・・ ●立夏・立秋・立冬・立春・・・・・・「日読み」を参照。 ▲離婚・・・・・・結婚相談と離婚相談とはどちらが多いのだろうか。無論、前者が多いに違いないが、一度結婚させれ ば「後は知らないよ」と言う「人情紙の如く」薄情な時代ですから、年数がたって複雑化した問題を扱う「離婚相談所」は 希少価値があります。しかし「禁煙」を薦める程度に離婚を勧める所が圧倒的に多いのが問題です。 離婚すればコレコレの補助がある。パートで働けばやって行ける。今の旦那から此れくらいの慰謝料と養育費を取れ る・・・・などと知恵を付ける。実際そうかも知れないが、もし友人ならば、そうしたテレビの人気番組と同じように無責任 に離婚奨励をしてはならないだろう。 お客様が大事だから反対できないとか、友達に嫌われたくないからとか、自分がお金を出すのは厭だからと先回りして 逃げていようとする回答が「離婚賛成」である。同様な無責任さで自殺の場合は逆に世間的な回答で、「自殺は良くな い」と言う紋切り型の結論を言う友人ならば友人ではない。 本人(相談者)の考え方や態度に問題が有るかも知れないのです。ですから相談を受けたら、離婚や自殺を応援する ような事ではなくて、問題を和らげたり荷物を軽くして其れを回避する方法として先ず其の点をアドバイスするか、「じゃ ぁ私がこうして上げようか」と言って上げたい。 友人ならばこうして、問題解決のために手助けを申し出て、離婚や自殺を回避させる努力をすべきかと思うのです。 何れにせよ米国の離婚増大を見習って、日本も離婚増加となった。其れに拍車を掛けたのは平等とか権利意識の蔓 延である。更に親馬鹿がある。昔は嫁ぐ娘に対して「二度と再び此の家の敷居を跨ぐなよ」と厳しく諭した。 「出来たら嫁がせたくない、直ぐ戻って欲しい」と言うのが本音であっても、逆の言葉で送り出したのです。人生は波あり 風あり、山川も谷もある。従って結婚しても良い事ばかり有る訳はない。其れらを体験するのが人生であり、其の門出 が結婚である。波風が有っても耐え忍ぶ事が次の喜びとなるものです。 所が溺愛して来た親馬鹿は「厭な事が有ったら無理しなくて良いからね」と耳打ちしてしまうのだ。此れでは仕合せにな れる筈がない。本音であっても言うべきではないのです。此のためか▲離婚は1975年に12万組、80年代から増え 始めて90年代には急上昇し、2003年には28万組に達していた。 其れまでは夫婦間で「豊かさ」などを目指す共通の目標があった。其れが80年代から晩婚化が始まり、同時に「家庭 内離婚」や「濡れ落ち葉」などの言葉が話題となった。マイホームを手に入れ、家電製品や自家用車を持ち、快適な生 活が可能になり、子供の学歴もつけさせた。そうすると次の目標を見失った。 また若者も迷い始めて「パラサイト・シングル」と言われる世代となった。彼らが結婚しても、其のカップルを結び付けて おくものが「好きか嫌いか」と言うような不安定で感情的な要素だけとなった(セックスを参照)。共通の目標がないので す(▲以下は05/2/28の毎日新聞の文化欄より大部分を引用した)。 とは言うものの、縁結びも結婚生活も先の親など先祖の影響である。国や親は結婚家庭を守るべき立場にある。だが 今は寧ろ安易な離婚に国は22万円もの給付をしている。此れは離婚奨策なのか(結婚を参照)。いやモノカネの問題 ではなく、親馬鹿や先祖否定のカップルではコンピューターを使おうが何を望もうとも結婚生活の維持が困難となる。 ▲リサイクル・・・・・・水は人類発生以前からリサイクルして来たリサイクルの神様です。其の点で人類は水の働きに 助けられ、学んで来ましたが、今は学んでいると言えるでしょうか。例えば下記の家電です。 儲けたカスは知らないとするメーカーと、浪費思考の消費者と、税金をとっても責任を取らないとするお役所の論理で、 ゴミの不法投棄が増加しています。お役所の言う「分別収集」などは益々何十種別にも分けさせようとするもので、到底 無理難題であり、民主化と言うのとは逆の、住民無視の御意向である。 其の上、決まった曜日の決まった時間(早朝)にしか回収車が来ない。此れでは「やる気がない」としか思えません。其 の上、別料金制にすると言うのが05/5/26日の環境省のお達しですから呆れる。家電の量販店でも、お客から処 分料金を取りながら密かに海外へ輸出していたのですから、幾ら「リサイクルが義務」と言われても・・・ 不法投棄(別項参照)を増やすだけである。 ▲『家電リサイクル』−−−家電リサイクル法に基づく廃家電の回収が定着しつつあります。家電リサイクル法は、 2001年4月からスタートし、「消費者による適正排出」「小売業者による消費者からの引取り」「製造業者等による指定 引取場所における引取り」「家電リサイクルプラントにおける再商品化」が進められています。 廃家電4品目(エアコン、テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機)の引き取り台数は、2004年度に前年度比で約7%増加し ました。国内出荷が前年度比約4%増加していることから、買替えに伴って生じる以上に、引取台数が増加している 事、つまり、家電リサイクルの制度が広浸透しつつあると考えられます。 その一方で、不法投棄台数の経年変化を見ると、2000年から増加傾向にあります。不法投棄が多いのは、テレビ、冷 蔵庫、洗濯機、エアコンの順でテレビが最も多くなっています。引取等台数に対する不法投棄台数の割合は1.42%(前 年度同期1.48%)。リサイクルの推進とともに、不法投棄にも目を光らせる必要があります。 以上は「30秒で読む環境情報」: http://plaza.rakuten.co.jp/eco30/より引用した。 ▲『偽装リサイクル』・・・・・建築業界は05年末に耐震偽装問題が発覚したが、其のほかにも昔から談合や手抜き工事 をして来た。そして今は偽装リサイクルが問題化している。残土や建築廃材は産廃として厳しく規制されている。このた めリサイクル製品であるとした偽装ゴミが増えて来た。 06/4/5のNHK総合TV「クローズアップ」によれば、産廃の4倍の量がリサイクル商品として埋め立てられていると言う。 とすれば、リサイクルの美名に隠れた不法投棄である。不法投棄(別項参照)の場合は厳しい罰則があるが、「リサイ クル製品」と言えば罰則の対象から外れるために、この種のゴミが増加の一途であると言う。 ▲利子・・・・・金銭による貸借の謝礼。果物の木には何れ果実がなる。一粒の稲籾も何れ一束2000粒もの稲穂を稔ら せる。だから種を借りれば収穫後に其れに見合った利子を付けてお礼とした。或いは種馬を借りれば其の馬にではな くて馬主に礼をした。建物の賃貸では家賃を払うなど何れも因果関係でやりとりされる。 其の点で進化論ではこの点をどのように解釈するのだろう。人は先ず今の定期預金0.01%が妥当なものかどうかを問 う。金融システムが進化しているのかどうかではなく、銀行金利の低レベルと比べて嘆き、同時にサラ金の高利に憤慨 するが自分はどうなのか。 例えば男女2人が1+1=2ではなくて現実には「3」になる自然界の出産(利子)と言う現象について、年利何パーセントと する複利の計算でも説明ができない。いやそんな風に説明してしまうのは不謹慎である。ただ少子化(別項参照)で何 年もかかってたったの1.25%の出生率では余りにも非効率な逆ザヤではないのか(「出産」を参照)。 ▲リズム・・・・・・拍子。例えば地球も生きているので凡そ25800年の周期で夏から冬の時代を繰り返す。其れが氷 河のリズムである。日月星の動きは三種のリズムで三種の暦を作る。其処から三種の人種が生まれた(「地球の四 季」、「三族のリズム感」を参照)。 ● ◆りせ ◆理性 ◆りそ ◆りた ◆りち ◆律・・・・・・行人偏とイツ(聿イチ聿)で即ち、人が地上の一点に棒を突き刺して支える事。よって見柱に従わせる事。 つまり法(のり)を意味する。例として因果律、戒律、法律、規律、音律、一律・・・・など。 ◆律師・・・・道士の尊称の一つで僧正、僧都に次ぐ位。 ■律詩・・・・・・唐代の漢詩の形式。五言、または七言の八句からなって起承転結を踏み、押韻する。 ◆律宗・・・・・唐の道宣を祖とし、鑑真が唐招提寺に伝えた。戒律を重視する。以下-----http://www.tabiken.com/ history/doc/T/T079C200.HTMより引用。仏教の教典は,内容が経・律・論の3部に分かれ,これを総称して三蔵という が,大多数の宗派が経と論を所依として成立しているのに対して,この宗派のみは"律"を所依として成立している。 律とはサンスクリット語の優婆羅叉で,毘奈耶と音訳され"除去"の意味。釈尊在世当時より教団の弟子のなかに非行 があると,その除去のため禁止と罰則の法が規定され,それによって修行の規律が保たれ,出家教団として成立して きた。律のことはすでに阿育王の法勅(前3世紀ごろ)にみえるが, インドでは釈尊滅後100年ごろまでに,法蔵部の四分律・説一切有部の十誦律・化地部の五部律・大衆部の僧祇律・飲 光部の解脱律の五部に分かれ,どの教団でも入団に際し,戒律を授りその護持を誓約することが僧侶ないし仏教徒に なる前提であり,律典は戒・定・慧の三学の一として重要視され,その研究や講義は精力的になされたが, 律典を所依として一宗一派を形成することはなかった。魏の252年(嘉平4)に曇柯迦羅(法持)が中インドから洛陽に来 て白馬寺で『僧祓戒心』を訳出し,授戒したのが中国における律の伝来である。以後,律典が漢訳され,初め"十誦律" が多く行われたが,410年から442年にかけて長安で"四分律"が訳出され, 北魏の法聡が初めてこれを研鑽,憲光(468〜537)の弘法により"四分律宗"が盛んになった。唐代初期にいたってこ の系統に立つ道宣(596〜667)が出て中国の律宗を大成し,"南山(律)宗"を開き,一方,法礪(569〜635)も四分律を 研究して"相部(律)宗"をその弟子の懐素(629〜697)は師の説を批判して"東塔(律)宗"を開き, 中国律宗は全盛期を迎えたが,やがて相部宗・東塔宗は衰え,南山律宗のみが栄え宋代までつづいた。もともと四分 律は成実論にもとづく小乗仏教系のものであったが,道宣は分通大乗を説き,その後南山律宗は大乗系の戒律も取り 入れ,十重禁戒や三聚浄戒を説いた。 三聚浄戒は身心を清らかにする教えを集めた三つの戒律の意味で,戒律を守ること,善法を保つこと,つねに衆生の 救済を願う菩薩行を行ずることで,大乗菩薩戒を代表するものであるが,この戒律を守ること(摂律儀戒)の内容を小 乗四分律の580戒をもって充て,律宗は大乗戒を唱えながらも,小乗の戒律を包摂するにいたった。 日本における戒律の伝来はかなり古く,588年(崇峻天皇1)尼善信が百済に赴いて戒法を学び,天武天皇のとき道光 が入唐して律宗を学んだ。ついで736年(天平8)華厳宗とともに戒律を伝えた。733年に入唐した栄叡・普照の勧めによ るものである。 しかし戒律を伝えたとはいうものの,これを講義するのみで,正式に戒を授り,これを護持実践して身心を清浄にし解 脱にいたるというものではなかった。こうして真の授戒を求める気運がしだいに熟してきたなかに,5度の渡海の不成功 と,そのための失明にもかかわらず来日して真の律宗をわが国に伝えたのが 南山律宗の過海大師鑑真和上(688〜763)である。鑑真の渡来も栄叡・普照の勧めによるものであるが,754年(天平 勝宝6)来朝するや東大寺に戒壇をつくり,天皇・皇后以下440人余の沙弥に授戒した。こののち,東大寺に戒壇院を 建立し,公認の授戒の場とした。ここにわが国の律宗の成立をみる。 ついで唐招提寺を建立して律宗の根本道場とし,さらに下野の薬師寺・筑紫の観世音寺にも戒壇院を設け,日本の僧 尼は必ずこの三戒壇院の一つで具足戒を受けることになった。しかし歳月の経過とともにそれも有名無実となり,律宗 もまた衰微したが,1111年(天永2)ごろ,興福寺の実範が戒律復興に乗り出し, ついで仁治年間(1240〜43),覚盛は四条天皇に菩薩戒を授け,唐招提寺に住し律宗中興の祖と称せられた。睿尊は 西大寺にあって戒密を唱え,後に"真言律宗の祖"といわれた。こののち,東大寺に『八宗綱要』の著者の凝然(1240 〜1321)が出て,華厳と律の調和を唱えて戒壇院の伝統を示し,幕未,河内の慈雲尊者飲光は正法律を唱え, ともに律宗の振興に影響を与えた。現在の律宗は明治の一時期,真言宗に編入されたこともあったが唐招提寺を本 山として独立。所属寺院は24カ寺。 〔参考文献〕鎌田茂雄『中国仏教史』全7,1982〜,東京大学出版会 『日本仏教基礎講座1 奈良仏教』1979,雄山閣 ----引用以上。 ◆立秋・・・・・秋のスタート時点。方位は南西地点。8/7〜8/8日頃。 ◆律法・・・・・・ ▲律呂・・・・・音階。音律。長さの異なる12本の竹管により、半分づつを陰陽に分けた(周波数を参照)。 ▲律暦・・・・・一年12ヶ月の陰陽暦。 ▼律令・・・・・律は刑法、令は制度を規定したもの。律は民に、令は官吏に課した。 ▼律令国家・・・・・・・・律令とは言え、祭政一致の祭り事の第一は神への畏れの儀礼であり、また例えば国を支える経 済は稲作であり、よって穀霊への儀礼を第一とした。奈良に都が有った時の名残が春日大社の田楽能であり、平安京 時代の名残が天皇の大嘗祭である。 ▼律令制度・・・・・現代は土地を買った上で更に固定資産税など過大な税金を払い続ける外、相続税などで更に私 権が削られてしまうが、昔は国が只で土地を与えてくれたのですから良かった。例えば唐の律令を採り入れて我が国 は藤原京時代の702年に大宝律令を施行した。 此れは先ず6年毎に6歳以上の者に口分田を分け与えて租税を徴収(班田収授法)する公地公民制を根本としたもの である。だがやがて口分田が不足したので、其れを補うために平城京に遷都後の722年には百万町歩の開墾計画を 出し、翌723年には開墾した土地に池や水路を設けた場合には曽孫の代まで占有を認める事とした。 此れが「三世一身法」、743年には開墾地の永久所有を認める墾田永年私財法を発布した。これ等は開墾の奨励に よって律令制の欠陥を補うための策だったが、土地私有に道を開き、律令制を形骸化する第一歩となった(05/8/27毎 日新聞より一部引用)。 とは言うものの、広大なシナ大陸に比べて狭くて山間が多い日本で律令制を真似るには無理があったのです(「農家」 「地積」を参照)。 ◆ ★リトルボーイ・・・・・・被爆を参照。 ▲龍・・・・・・雷神をイカヅチ(雷)と呼ぶのに対して龍や辰はミズチと呼んだ。シナでは龍が神を意味するが、英語では 悪魔を意味するドラゴンに変わる。シナでは古来、皇帝以下、龍神信仰が強いので全国的に龍の国である。 特に長白山は龍伝説がある。中国の遼寧省・栄口市には龍の骨の一部が残る。蘇氏によれば10m大の龍で、頭は 牛に似ていて二本の角も有ったと言う。 此の骨が満州時代の日本軍に一部持ち出されたと言う。骨は今、栄口市の歴史博物館にあるが、「竜宮の使い」と言 う巨大魚の骨ではないか(06/4/22abcTVより引用)とも。下記の「龍神」も参照。 ◆琉球王国・・・・・・・・・蒙古襲来以後、九州西部の海人に朝鮮人やシナ人が加わった勢力である倭寇が時には数 百隻の船団で大陸側の沿海部の村を襲い、私財を奪って家を焼き払い、人民を拉致したのでシナ、朝鮮の沿岸部の 人たちや国々を悩まし続けた。だがそうした結果として先ず倭寇に対抗するために李ソンゲが出て朝鮮国を建てた。 次に明の光武帝が日本に倭寇の禁圧を求めて来たので足利義満は「日本国王」として、正式な交易船には勘合符を 与える勘合貿易を発展させる事となった。 「十三湊」も栄える事となったが、琉球では中山、南山、北山に主要なグスクがあった。琉球はこの頃から琉球王国を 築いて日本、朝鮮、シナ、シャム(タイ)、マラッカとの中継貿易を行い、「万国の架け橋」として栄えて室町から明治まで 続いた(05/7/5、NHK教育TVより引用)。沖縄を参照。 ▲龍神・・・・・・龍は火を噴きながら同時に水を自在に操るマニの玉か如意の宝珠を片手に握っている。ですから単 なる動物ではない。だが近代の科学者は、「龍は想像上の観念(動物)である」と決め付けている(無論誤解である)。 梵語では龍をナガと言い、漢字では「長」と表わす。そして天空には常に龍座が有る。 龍座は夜の北天の支配者であり、7月に輝く大きな星座で、時々大流星群を現出するが、5000年前には北極星だっ た。インドでは仏教の守護神とし、シナでは皇帝のシンボルとして来た。インドでは仏教の守護神・天龍八部衆としてナ ンダ、バツナンダなど八方の龍陀(実在の人物とする説もある)を伝え、水神として祭った。 日本では五色の龍を五色の幡として祭り、其れを今も神社の定番とし必需品として飾っている。龍はまた辰と言い、或 いは西欧ではサタンとか、ドラゴンとも言うが、此れを進化論的化石学や地質学で一億年前に繁栄したと言うザウルス (恐竜)や其の亡霊の事なのか、と言えばそうとも断定出来ない存在である。 彼らは波動に感応して時には風神として、また有る時には雷神として、また水神にも木龍や火龍・岩龍などにもヘンゲ して現れる。また極めて人間臭い性格・個性もあり、また明確な意思を持ち、しかも超人的で、まるで神の様な大きな動 きをする。神秘的なこうした存在について古来人々は「龍神」の働きと見て来た。 だが龍は神とは違って山に千年、海に千年、そして天空に千年の併せて三千年もジッと孤高に耐えながら神の眷属と して多種多様な姿で存在して来たし今も生きて活動している。龍は神ではないが、「祓い戸」の神々の眷属として多数 存在し、共同で働く(台風、竜巻を参照)。 先ず色分けでは先の五色、または金銀外七色があり、機能別では先ず天気のハレ雨風を司ったり河川に化けるクリ ーナーとしての青・白龍、或いは野に伏せてジッと長期間潜む黄・土龍、或いは動植物と化したり、巨木※に住み着い たり、作物を育てる草木龍、更に天地の通信・運搬を司る伝播龍等もある。 ※木にも龍が住み着いていて、此れを木龍とも言う。かなり大変な数に昇るので、人類が接する中で一番多い龍かも 知れない。だから勝手に伐ったりすれば祟られるケースが多い。 或いはシナの皇帝や暴力団に憑く黒龍など多士済々(多彩多様)で実に多数存在する。人に憑けば龍顔を呈し、気位 くらいが高くなり怒りっぽくて覇権を競うようになる。無論、悪徳官僚や談合組織も彼らの仕業で暴露する事がある。何 せ、水のように浸み渉っているので分かり難い。 人が其れに気づかずに例えば井戸を埋めたり巨木、特に楠を伐採すると龍を怒らせ、その祟りを生み、其れに無知な 人が下手な対応をした場合は災いを起こすなど、祟りの例は枚挙に暇がないので要注意である。或いは人為的に封じ た場合もある。 聖地や遺跡を守るために、例えば箱根権現のように其の役目を負わせて其の地に術を以って封じたケースも多いから です。だが軽率な者は無視する。「見えないモノは信じない」と全否定したり、其れを「迷信」と見て一蹴するのは簡単だ が、後で後悔する事のない様に寧ろ教訓とすべきであろう。 其処で老婆心ながら述べて見ると、古井戸を埋めたり勝手に生えて来た樹木であったとしても、人間の勝手な都合で 切るのはどうかと思った場合には、其処にコップに水を入れて置く。 一晩置いて水の減り方を見る。気圧の変化にもよるが、水の減り方が大きい場合は注意を要する。この場合は其れに 代わる雛型を傍ら、つまり其の日の方位の陽側に同種の植木を準備して両者間に注連縄を張り、お神酒や盛塩を捧 げてお移りを願い、また一晩以上置きます。 そして翌日、その場の変化を見てから工事に掛かれば祟りで事故になる事も少なく、障りも回避できるでしょう。次に天 気に関して言えば、彼らが汚れを祓って諸現象を見せる。其の副産物として人類は水の恩恵を頂くのである。彼らは色 んな方法でお掃除するが、先ず渦で低気圧を作って上昇気流を発生させ、天に昇る。 次に、下降する場合には高気圧を作って雲をかき集めて置き、其処に気圧の変化で風を作って一定の地域の上空に 運んで行き、団子に丸めて雷雲(積層雲)とし、冷暖取り混ぜて電気を発生させ、雷雨を降らす。其れを上昇気流でまた 回収するのだが、まるで母親が多数の子供を急きたてながら集めるようにする様が見られる。 山麓から上る切れ切れの端雲の群として彼らは其れを人の目に見せているのです(此れをタカオカミと言う)。だが通 常は、地上の水分を風で巻き上げながら同時に植物を育て、次は上空に溜めた雲を別の必要とする地域に運んで降 らす(此れをミクマリ龍と言う)。 またある時は地域の気温を下げて、空気全体を過飽和状態にして雲の中に水滴を作って、其れを地上に滴下するの である。とは言うものの、彼らは気象庁の言うような屁理屈やご託宣に従って働く訳ではなくて、実に動物的な感覚です ぐさま反応して大胆、巧妙に動いてくれる有り難くも実に怖い存在である。 だから彼らに気づく人には即反応し、逆に無視したり信じない人には殆ど働かない。つまり龍は極めてグズになる。図 体は大きいが日光、雷光などに比べるまでもなく、龍にはスピード感が全くないのが弱点とも言える。其れに鉄器を嫌う 性質もある。よってシナの祭器は鉄器ではなく青銅器と決まっていた。 因みに龍を東洋ではナーガとも龍蛇とも信仰して来た。其の点、日本では龍をタツ、ミヅチ、○○チ、等とも言って来 た。だが神とは言わなかった。龍神と言う用語は、一般名詞なのであって実体はない。精々タカオカミ、クラオカミと言う 程度だった。 こうした「竜神」のマークは例えば三つ鱗(ミツウロコ)、または其の倍数の九鱗などで示して来たので、こうした印のある ものを見たら、粗略に扱わない方が賢明である。 其れに中央構造線などの活断層や誰の目にも触れる事のない海底深くにも龍が活動している。例えば海底大山脈は 65000kmにわたって地球を抱え込むように伸びています。彼らは宇宙波動を受けて長いスパンで呼吸しています が、火を吐く龍であり、九頭龍とも言い、時々寝返りを打てば海底火山の爆発や地震を起こして来た。 なので、決してカラかったり怒らせたりしないで下さい。それから不動明王の剣に絡まるコンガラドウジ・倶利伽羅龍、 雨乞いの八大竜王、・・・が有る。其の他として五行・五色・九星に準えて「木龍、火龍、土龍、金龍、銀龍」とし、或いは 「青龍、赤龍、黄龍、白龍、黒龍」、等と識別出来る人もかつては有ったのでしょう。 つまりこの中には既に龍を架空の生き物ではなくて現実の存在として認め、既に既成の用語として多用して来た事実 が有ります。また実際に龍が木や人間に憑依しているのが当たり前であり、人間の場合は女性は寂しがり、男は通 信、運送業界に多い。総じて気位が高い。 よって皇帝にも獲り憑いた。ですから古来、シナの歴代皇帝に謁見する場合は「竜顔を拝する」と言ったのです。 ▲竜宮城・・・・・・浦島太郎のお話です。此れはもうお子様でもご存じの伝統的なお伽話ですから此処で下手な解説は しません。ただ男性としては大人になっても桃源郷とか竜宮城にはみな憧れるので補足して置きます。お仕事などは何 も心配ないのです。責任感を持って頑張るのも結構ですけど、其れも程ほどにしましょう。 貴方がしている程度の事は実は誰にでもやれるのです。いや、貴方がいたから遠慮していた。誰かが必ず貴方に代わ ってしてくれますから心配ご無用。もし其れが失敗した場合も、責任を取る為に上の人がいるのです。貴方が考えるよ りも、なるようになるのが世の中です。其れよりも大事なのは貴方の人生だ。もっと輝いていいのです。 だから思い切って竜宮城に行ってらっしゃい。海の中にザンブと飛び込む気構えですよ。そうすれば道が開けるでしょ う。突然、行方をくらまして2〜3年後にまた何食わぬ顔で舞い戻ってくればいい。ただ、浮気の所でも述べましたが、不 倫がバレたら包丁で奥さんや恋人に刺されます。 なので、一寸其の前に「竜宮城に行って来た」と言いましょう。そうすればいったんは許して貰えます。彼女たちには学 識経験があるかも知れない。世間の常識だって弁えています。しかし竜宮城だけは絶対未知の世界ですから、其れを 理由に怒鳴り散らすような事はないと思うのです。有り得ない話しですから怒りません。 不思議そうに「どんなとこだった?」と聞かれたら、浦島太郎のような体験談を聞かせます。譬え、もうくたびれて、ヘトヘ トになっていても、「楽しかったよ」と苦労知らずの素振りを演じて下さい。更にガリガリに痩せるとか白髪頭になって見 せればきっと効果抜群だと思うのですが・・・無事、ご成功を祈ります。 そしてあのー、余談ですが、決して「UFOに連れ去られた」なんて言い訳はしないで下さいね。間違っても、そんな嘘を ついては駄目です。マニアが聞きつけたらマスコミが騒ぎ、根掘り葉掘り問い詰められて嘘がバレる。そうすると奥様だ けでは済まない。近所の子供からもバカにされて、世間からはもう相手にされなくなりますからね。 其の点で浦島太郎のお話は実績と伝統がありますから、皆さん信じてくれます。竜宮城から玉手箱を貰って来た。其れ は空っぽだったと言って、其れらしい箱でも用意して置けば、奥さまは先ず信じてくれます。そしてやがて浦島神社に神 として加えて頂けるかも知れません。だからUFOより安全です。困った時は家内安全を祈って是非試して下さいね。 ▲竜谷山・・・・・・京都には龍谷大学と言うのがあるが、大阪・貝塚市には古くから龍谷山・水間寺がある。近隣からは 水間観音として親しまれている。本尊は聖観音で水の精が龍であり、其の化身が観音様であると言う。由来は聖武天 皇の勅願で行基が建てたが秀吉が根来攻めで消失させた天台宗寺院。 龍の名の付く寺は多いが此処は天皇が夢で龍が顕現すると夢に見た所とされているし、今も二尺大の三本爪の「龍の 手」が残されているので到底叶わない。 ▲龍泉寺・・・・・・一つは吉野の大峰山の麓・洞川にある修験道のメッカの竜泉寺。もう一つは大阪・富田林市にある 牛頭山・竜泉寺。後者は此処の池に悪龍が棲み付いていて住民に被害を与えていたので蘇我馬子が仏法によって追 い払って此の寺を創建したと伝えている。 その後、此の池が涸れた時に弘法大師が雨乞いをした所、大雨となって再び池に戻ったと言う。 ▲竜頭蛇尾・・・・・・読んで字の如く解釈すれば良い。火を噴くような初めの勢いが最後には消え去る事の喩えである。 具体的な形で言えば星座の場合も天頂には龍座があり、竜頭にはβなど四つ星が輝く。 また龍尾にはα(ツバーン)、x、λからなる箕宿(みぼし)がある通り、龍を描く場合も角は鹿に、目は鬼に、耳は牛に 似せて描くものと決まっている。其れに長い髭を伸ばす訳だが、こうした顔や頭ばかり重視するのではなくて胴体には 必ず九鱗と四足と玉、そして其の尾に輝く歯車のような金玉がなければ蛇の尻尾と変わらず、見分けが付かない事。 ▲龍の化生・・・・・・先祖が子孫の肉体からプラナ(「魂」を参照)となって離脱した後は、好き勝手な世界に遊離してい く。プラナは独立した魂にはなれない未生の存在であるが、強いエネルギーを持っているので、種々の現象となって人 の前に現われる。気象も其の一つである。 彼等は夏になると南から南風として故郷を訪れ、冬には北風として人々を震え上がらせる。そして春には東風で春を告 げ、秋には台風として恵みの雨と祓いの風で自然界に恩恵を齎す(上記の龍神を参照)。 ▲流氷・・・・・・知床には流氷が流れ着く。その下は豊かな漁場である。流氷はロシアのサハリン沿海で発生して海流 で運ばれて来る。此処に東樺太海流がある事が2001年に国際観測船によって明らかとなった。幅150km東西100 0kmの海流である。氷の下には珪藻が増えて、其処に天使のような大量のアミが増える。 其処に大量のカタクチイワシがやって来る。其れを餌にするためにサケやマスも集まり、ヒグマを育てたり鯨もやって来 る。こうして長大な命の輪が出来ていた。アムール川から豊かな養分を運んで来て、世界有数の豊かな漁場を作って いたのです(「知床」を参照0)。 ▲龍の手・・・・・・泉州・岸和田の先の水間寺は古来「厄除け」寺として、また今は新西国観音霊場7番として知られてい るが、此処には「龍の手」がある。結構大きなもので2尺は有るだろう。とすれば龍の本体は其の20倍は有っただろう か。但し木肌色なので木製かも知れない。 ★遼・・・・・・・契丹(内蒙古キタイ)族が熱河に建てた国。突厥を回復して東は渤海、西は回糸乞(コツ)を併合。太宗の 時、国を遼とした。聖宗の時に極盛に達したものの、やがて宋、金の挟撃を受けて9世で滅亡した。 ★量子・・・・・・物理量の最小単位。此れまでは分子が最小とされていたが更に其れ以下の原子、電子、素粒子(量 子)、クォーツ・・・・と、どんどん小さくなった。プランクの量子仮説、アインシュタインの光量子説、ボーアの原子構造論 などで一応の体系化が出来たが、何れも仮説であって真実が分かった訳ではない。 自然界は量子とか粒子で出来ているように見えても其れでは半分しか分からない。恐らく固有の波動性がレンズや電 子線で見れば粒子のように見えてしまうからだ(「プランク定数」「素粒子」を参照)。 ★漁師・・・・・・漁師の生業(なりわい)は漁り(すなどり、いさり)、魚採りである(漁業を参照)。餌で釣る一本釣りか、ウ ツボ、アナゴ筒、投と網、打ち網、刺し網(ニシンなど)、底引き網、追い込み漁、地引網、定置網、流し網など・・・・伝統 的な漁法と今の工夫で発展して来た。 はえなわ(延縄)漁はイギリスで発達したものをずっと後の明治以後に倣って山口県で始まった。今は魚群探知機の出 現で工夫も失敗も減ったが、基本は餌、囮(オトリ)、仕掛け、などで毎日ワクワクする仕事でありゲームであり、天候や 黒潮の読み違えでも一喜一憂の喜びと辛さがある。健康的な仕事であり、男なら誰でも一度は憧れる仕事である。 毎日に夢があるが命と生活を賭けた良い意味での博打でもある。よって生活が安定せず毎年1万人が減って06年現在 二十数万人(06/5/29朝日)しかいないとか。捕鯨は全滅寸前、更に遠洋マグロ漁などが今は台湾や韓国に荒らされて 瀕死の状態になった。クルマや家電の輸出の犠牲と米下無外交のせいであろう。 ★猟師・・・・・山野で狩猟する事。昔は鷹匠、或いはマタギや狩場明神の一族が山野を制した。もちなわ、罠、弓矢も 使った。今はしかし喩え武器が有っても狩猟法によらなければ野生のものを勝手に獲れない(罰せられる)。 ▲両界曼荼羅・・・・・胎蔵と金剛界と言う天地一対の曼荼羅を言い、真言宗(密教)の世界観を描いた物である。前者 は円の時空を八方に分けた形であり、後者は地を方形として矢張り八方・九界に分けて各々意味付けしたものである (「曼荼羅」を参照)。 ▲両方・・・・此処では弔いの時期・方位と、其れに相対する日迎えの時期・方位の両方(両方位)、つまり前鬼と後神の 対極を言う。 ▲両部神道・・・・・今でも古い神社の鳥居には両部鳥居と言う独特の様式を残している所がある。鳥居の一対の柱 が三本組になっている所です。其れが両部神道の名残であり、近くに神宮寺が残っているケースが多い。両部とは真 言宗で言う金剛界と其れに対応する胎蔵界との両部を言います。 神仏習合時代には真言宗に限らず、各宗派共に寺社が一体化していましたが、真言密教の場合は先の神道を両部神 道と言った。尚、橘香道氏は其の著書「大祓と般若心経」で、以下のように述べている。 役小角は天照日の大神(弁財天)と感応し、大峰山系の山上ヶ岳を熊野二所権現(高倉下命)と感応し、熊野の玉置山 をニギハヤヒの命と感応して、此れを三位一体と感得し、天川坪ノ内に勧請して此処に祠を建立し、神はタマシヒ、仏 はイノチと見なし、両者を併せて両部神道とした」のであると。 役小角は葛城には金剛宝座・法華経28品の経塚と転法輪寺を置き、また吉野・大峰には75靡(なびき)と宿所を設け た。全山系を金剛界と胎蔵界の寂光浄土と定めて山伏たちの十戒修行の場としたと言われる。以来、修験者は葛城を 顕の峯とし、大峰山を密の峯とした(「金剛山・岩湧山」仲西政一郎/昭文社より)。 ▲両墓制・・・・・・・山間部では山坂が多くて度々墓参するのが困難なので、山の上には共同の埋葬場を置き、一端 埋葬したら其処には家族であっても二度と墓参せず、その代わりに自宅の傍にも墓標を立てて毎日墓参出来るように した。こうして結果的には二つの墓地を作る風習を両墓制と言う。但し此れは分骨とは別である。 両墓制を便宜的な風習と見る人も有るが、それ以前の風習もあり、其れは古墳時代の思想である。其れは便宜ではな くて、埋葬の場と日迎えの場を別個にすると言う一貫した哲理に基づくものである。だが平安仏教の「穢れ思想」から出 たものは問題が多い。例えば、平安京では清水の舞台から死人を投げたり、京中から遠い仇あだし野に運んで捨てた。 この場合は死を「穢れ」として極度に嫌う事から其れを差別し、排除しようとする動きとなって各地にも特定の場に「三 昧谷」とか「ケガレ」地が設定された。鎌倉にはヤグラと呼ぶ洞穴があり、八丈島には「人捨て穴」がある。疫病などに 対して、医学など人知を尽くしても其の蔓延を塞ぎ止めるのが不能な場合もあったろう。 其の場合は止むを得なかった事とは思うが、此れらは姥捨て山とか姥酔山でも共同墓地でも、また全く別の先の誤解 による「ケガレ地」としたものであれば問題でした。先祖を偲び、墓地を尊ぶのではなくて、逆に死を恐れて排除しようと した結果が、以後の社会を混乱させ、戦乱の世界を現出させたと推定出来るからである。 ▲旅行・・・・・・・旅を参照。 ▲リンゴ・・・・・・自然界の物は各々天与の使命があって存在する。例えば柿やリンゴは整腸作用が有る。特に便秘 の時には此れを食べれば直ぐに回復する。病人の見舞いには昔は決まってリンゴを持参したが、其れはリンゴが特に 胃腸の菌の働きを活性化させるので病気の回復を早めたと言う経験則であろう。 次はhttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa2609200.html「教えてgoo」から引用する。質問者--西洋の神話や聖書にはよくりんご が出てきますよね。アダムとイブが食べた知恵の木の実や、ヘラとアフロディケとアルテミスが取り合ったのもりんごで す。こうしてみると、西洋の人は昔からりんごに対して特別な思い入れがあるようなんですが、どうなんでしょうか?? りんごは西洋人にとって何なんでしょうか? 回答者--->アダムとイブが食べた知恵の木の実や、ヘラとアフロディケとアルテミスが取り合ったのもりんごです。イヴ の知識の実は、古代女神の聖なる不死の心臓だった。 ギリシャ人は、ヘラが西方に魔法のリンゴの木をもっていて、生命の木がヘラの聖なるヘビに守られているとした。グレ ーヴスの指摘によると、イヴとアダムと木のひそむヘビの話は、太母神が崇拝者にリンゴの形をした命を与えるという 図象を誤まって解釈したものだとしている。 古代ローマ人はリンゴー母親を表す女神にポーモーナという名前をつけた。ローマ人と餐宴は、常に「タマゴから始まり リンゴで終る」まで続いた。記録によるとヘロデ大王は、毎食事をローマ式にリンゴを食べて終るとした。リンゴに対して 大変な敬意が払われる一つの理由は、ジプシーや占い師がリンゴを真横に切って占っていたから。 リンゴの芯にkoreを表す五芒星が隠れていたから。女神koreが大地母神であるデメテルの心臓に隠れて、世界霊を表 したように、koreを表す五芒星もリンゴの中に隠れていた。円の中に五芒星形があると、エジプト象形文字では冥界の 子宮を表していた。そこでは「変容」を司る母親ー心臓によって死者が再生すると信じられていた。 ジプシーの間ではオカルト性魔術を実践する男女がいて、タントラ経典にそって性交しながら、魔力を与えてくれる滋養 物として五芒星形が出たリンゴを一緒に食べた。(だからリンゴは性的意味の比喩ともなった。)キリスト教が三位一体 を父と子と聖霊と定める以前は、三面一体の女神という概念があった。 それは生と育成と死を司る女神で、そのうちの死を司ることが強調されると、危険な面があるということになる。そこか ら白雪姫がりんごを食べたという話ができたと思えます。(死を司る女神にりんごをもらい、王子さまにより再生するとい うストーリーですが、古代の概念からいくと明らかに王子と姫の立場は逆に描かれていますね。) そして女神の属性の一つ死を司ることが強調されたため、キリスト教ではリンゴは罪という概念になり、それを男にもた らしたのはイヴと聖書になっているので、かつて男は永遠の命を持っていたのに、女性が男に死をもたらし、限りある 命になってしまったとして、女性をとても罰してしまった。 死という定めから逃れようと、りんご占いをやるジプシーも火あぶりにすることになったわけです。とりわけ、死の恐怖に とらわれた教父たちは、女性を糞尿の容器であると決めて、再現なく全女性を永遠に罰しようとしました。恐らく男が永 遠の命を手に入れるまで、女性の対する憎しみは(冤罪)は永久に消えることが無いでしょう。 聖書にそう書いてあるから女性は悪である と言われても・・・ですよね。そもそもエジプトの概念を間違えなければ、こ んな冤罪は発生しっこない。リンゴの木は知恵の木とも言われていますが、エジプトの概念を知恵なく誤解してしまった ことから、女性に冤罪をなすりつける人はリンゴの木食べていませんね。 だって知恵が無いのだから、本来のエジプトの概念を理解できるはずもない。ルターなども、「女が出産の際に死んで もたいしたことはない。所詮 女は男の子供を産む器にしかすぎないのだから」と言ったとか。火あぶりを大いにやって いたのはプロテスタントだったそうです。エジプトのリンゴの概念が曲解されると大量殺人に繋がるんですね。 宗教は本当に恐ろしい。要約すると西洋人にとってリンゴは、心臓、セックス、知恵、死という概念があるようです。結局 それは女神の概念なんですけどね。 ▲臨死体験・・・・・・魂は肉体と一体化しているように見えるが、実はそれほど固く結びついている訳でもない(「幽体 離脱」を参照)。従って何らかの機会(衝撃など)によって離脱する。其れが再び元に戻れば良いが、戻らない場合は肉 体の死去となる。だが運良く戻った場合は「臨死体験」をした事になります。 手術を経験した人の中で、「私は天井にいた」と言うケースがある。手術室の天井から手術の様子を見ていた訳です。 或いは臨死体験者の多くが「三途の川を渡った」とか、「お花畑の中にいた」と語る人が意外に多いのも其の例である。 其の前に彼らは「暗いトンネルの中を走ったようだ」とも言う。 何れにせよこうした体験をした方々は暫くの間「人生観が180度変わった」と言うのだが、次第に其の感動が薄れてや がて元の木阿弥で凡人に戻ってしまうのが少し残念である。モノカネ主義と現実主義が行き過ぎた現代日本は犯罪増 大社会になったが、霊界を信じる人が少しでも増えれば犯罪は少なくなります。 神や先祖に感謝し、「生きる喜び」を再確認する事も出来るのですが・・・・・・。 ▲臨終・・・・・・人の死(今わの際、死に際、末期)に臨む事。先に死ぬのも後で死ぬのもそんなに変わりはない。例え ば石ころは一つ一つ違っている。木の葉も一枚一枚が別々で個性的です。一つとして同じものがない。人間だって皆 別々です。其の違いを受け入れなければ苦となります。般若心経でも「苦集滅道」と言う一節で「苦」に触れている。 此の場合の「集」は苦をあつめる「原因」である。自然に任せていれば苦にならないのに、人は他人と比べる。そうすれ ば拘ったり欲が出て、自分も他人も思うがままにならない。だから苦になる。特に死に際に立ち会った場合は、辛く悲し いが、「貴方だけが死ぬのではない。みんなが行くのよ」と言う外はない(一部は07/3/11NHK教育TVより引用)。 「私も何れ、後から行きますからね」と言う外はない。其れがこの世を去る者にとっても一番の慰めとなろう。生きる執 着から離して上げる事が苦を和らげます。あの世に行けば先祖になる。この世で祭りをするから、その時は先祖として また戻ってきてねと言う外はない。 別紙の「神々の歳時記」では、各地の祭りを列挙しているが、其の殆どは日本人が先祖を神として迎えたものです(「死 後」を参照)。 ▲・・・・・・ る ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆★◆★ 以下、次ページへ 次は パテント・著作権は本会に属します。 「鬼の会」 |