http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」  page245.html (未定稿)


    日知り事典       津波〜ツン

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津波(前ページの続き) ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆★


何れにせよ、犠牲者たちの多くは老人と子供たちでした。津波被害は直接受けた場合に加えて、引き波によって浚わ
れる場合の被害が大きい。其れを助け出せなかった被災者たちの間には「神の怒りだ!」との悲しみの空気が流れて
いる。貧しさの故か、其れとも享楽的だったのか。

12万人の犠牲者の因縁は個別で多様ですから一概には言えないものの、そんな所へ多忙な年末に態々バカンスに
出かけていた日本人21人(1/4現在)も犠牲になった外、まだ86〜250人が所在不明と言う。日本でも地震津波を体
験できるのに何故この歳末に、バカンスを楽しむために行って災難に遭ったのか。此れも因縁だろうか。

多くの観光客が海を見ていた。でも逃げなかった。危険とは感じなかったようだ。自分には関係の無い他所事として高
見の見物をして自分が犠牲となった。後になって多くの人が「此れは神の怒りだ」と感じている。特にキリスト教徒は其
の意識が強い。

其れとも犠牲者たちは環境破壊と温暖化により、「次は貴方だ」と言う警鐘を世界中に打ち鳴らす役割だったのか。
天災か人災か、因縁なのかの理由を問わず今は兎も角、天災地変ならば神々の格別のご配慮を信じてご冥福を祈
る。

人災ならば関係者の猛省と事後の改善を望むと共に今後、衛生状態の悪化でマラリアやコレラなどの伝染病が心配さ
れ、また180万人が食糧危機となるとも懸念されている。其処で各国は援助を申し出たがタイは辞退した。タイでは
5300人が死去したが、外国からの資金支援を全て辞退したタクシン首相が人気急上昇となった。

インドも「受けない」と発表したから立派。いや此れはカースト制度である。カーストの下に有るダリッド階層は2億人い
るが、今回も死体処理の身分で自分の家も持てない。援助も受けられないと言う。其れを知られたくないのかも知れな
い。何れにせよインドもスリランカもインドネシアも本来は豊かな国でした。

インドネシアやタイは大きな被害を出したが沿岸部では日本向けのエビの養殖が盛んだった。其処が貧困だと言うの
であれば、其れは海を汚くしたからであり、或いは争いを繰り返しているからではないのか。この海域には海賊が多い
のが国際的に問題だったが、津波の後、この海域には海賊事件がなくなったと言う。

津波が大掃除してくれたかと思ったが、3月14日に日本の韋駄天丸がマラッカ海峡で海賊に襲われ、3名が拉致され
た。独立を争うなら他国を巻き添えにせずに独力でやって見たらどうだ。特に今回、被災者に即刻巨額援助をしている
日本にこうした敵対的犯罪行為に出ては以後もこの地域にロクな事はないと断言して置く。

と此処に書いたら直後の20日に3人全員(近藤海事の井上船長と黒田機関長、外一名)を解放したから驚いた。

犯人はアチェかパプアの何れの独立派か知らないが、後悔して無条件開放したならば前言を撤回して、今度は「是非
独力で頑張れ」とエールを送りたいが、もし身代金を取って開放したならば、何れ天罰が下ると覚悟して貰いたい(※下
記)

其れにしても腐った外務省ルートを当てにせず、直ぐに現地に飛んで自力で救出に務めた近藤社長の胆力を評価した
い。彼は「水面下の働きをした方がいる」と話したが、彼こそリーダーとして心強い人物と評価したい(3/21筆者)。

さて、前に戻れば、インドネシアのアチェは敬虔なイスラム教徒が多いけれども、同時に石油と天然ガスの出る豊か
な所であるが故に争奪戦、つまり政府の利権支配に対する独立戦争と言う内乱状態にあった。だから一番大きな被害
を出したのではないか。アチェ州では住民の90%が死亡した地区もある。

スマトラ島の北に位置する南アンダマン島(スリランカの一部)は満潮のたびに内陸部まで海水が浸水する事態になっ
ているが、此処は地震の震源地だったので地盤沈下したものと思われる。アチェ州のバニヤックのバライ島も沈み出し
た。こうした事からインドネシアの犠牲者が1/16現在、16万人以上に増えた。

しかしインドネシア政府はアチェ州への外国軍の出入りを3ヵ月以内と制限した。「此処は紛争地域であるから」と言う
理由によるらしいが、支援にやって来るため出入りする軍隊に対してインドネシアの政府によるこうした身勝手な態度
が国際的な理解を得るのは難しいだろう。それに比べて日本には争いが少ないが苦しんでいる人はまだ多い。

でも日本政府は海外には気前良くバラ撒き、国民には厳しく増税する。そうするのは海外で裏リベートを取るためとし
か思えない。因みに05/1/9現在で中国700億円と言う話は83億円にダウンし、其れに代わって豪州が815億円、ド
イツ660億円、EUが523億円、日本500億円、米国350億円・・・など我先に緊急援助案を出した。

しかし被災関係9ヶ国が抱える対外債務がすでに10兆円ある。其の内の6.3兆円が日本である。其の返済を猶予す
るだけでも日本は大変苦しい。他方では他人の災いを儲けのチャンスと見る輩も多い。

日本人や世界中の宗教関係者が綺麗な心で寄付を募って送金しても、其れプラス日本からの500億円をおいしい餌
として飛びつく業界が多い事は言うまでもない。従って援助はやがて紐付き援助同然の内容に変質するだろう。

そして不良グループである環境ビジネスとか、不況で喘いでいたゼネコン、其れに通信関連の電設会社などを大挙し
て売り込みに行かせて裏でリベートを取る政治家も続出するだろう。そんな事をしている場合ではないのだ。

「明日は我が身」であり、日本もスマトラと同様、海洋国であり、列島全体が島国であり、海岸線で囲まれている。特に
都市部は海抜ゼロメートル地帯が多く、またリアス式海岸もある。こうした所は一様に過去、何度も津波被害を受けて
いるし、今回のスマトラ沖津波を「対岸の火事」とせずに、早急に海岸部から撤退する施策を採るべきではないか。

全ての海岸から高台にエスカレーターを無数に設置するのは無理なので、行政が土地を買い上げるか税制の改正で
被害防止を図るべきだ。歴史的事実や前例があるのに何もせず、災害があってから被害のつど義捐金を集めたり、自
衛隊を派遣し、或いは税金をバラマクとか投入すると言う此れまでの愚策を繰り返してはなるまい。

所が日本の外相は当日映画の後、有名女性とフランス料理を食べていたとか。白夜のスウェーデンからも被災地には
当時2万人が来ていて1890人が不明となった。建国以来の大惨事となったスウェーデン外相も当日は映画を見ていた
事を批判されているが、不明者名を公表している。だが、日本のお役所は傲慢にも何もしない。

不明者が誰なのさえお役所は、持ち前の傲慢な観念で公表さえしていないのだ。国民の税金で巨費を援助する傍ら、
この津波の当日、米国とドイツとは自国民の帰国手続きをとったが、日本の大使館は電話にも出なかった。電話しても
「本日は休日」と言う留守番電話に被災者は歯軋りしたと言う。

政府は他国の援助より、先ず「国民の命を守る」と謳った憲法を自ら守れ。其れが出来なければ税金を取って「公務
員」として存在し、国民や被害者を守ると言うお役所とは言えない。「稲むらの火」(同項を参照)のドラマとして後に語り
継がれた紀州の広村の庄屋さん(濱口梧陵氏)はそ後も個人の自費で900mの堤防を築いていた。

其れが昭和の南海地震の時の津波からまた広村(広川)を救ったと言われる。広村は先の安政の津波の直後、1300
人に減ってしまったがその後、広川町となり、今は8000人が暮らしている。彼は明治に議員となり、「住民百世の安堵を
図れ」と言い残して渡米したが惜しくも66歳で病没した。

このように民間には気高い人がいるのに対して、お上は、昔から税金を自動的に絞り上げるだけで国民のために必要
な事は何もしない。順序としては先ず日本国内で万全の対策を果たして後に、海外支援に乗り出す力があればしても
良いが、其の力がありもしないのに順序も無視して国民から預かった富を海外にバラ撒くのは如何なものか。

邪(よこしま)な下心しか見えないではないか。(上記※)マラッカ海峡の海賊事件では身代金12万ドル、1200〜2000万
円相当を受け渡したと言われる。05/3/29日、01:10(現地時間23:00)頃、北スマトラ島では再び、前回の震源地から
東南に凡そ150km離れた所を震源とするM8.5〜7の地震(深さ30km)があった。

此の地揺るぎは円暦の法則によるタイムラグに略近い。

バンダアチェ近くのニヤス島では200人が犠牲となり、インドネシアの副知事が同日、「凡そ1000〜2000人が死亡」
と発表した。アチェは政府からの情報が伝わらなかったとも言う。前回は縦揺れだったが、この地震はどんぶらこ、どん
ぶらこ・・・と横揺れが3〜5分間も続いたと言うから3時間ほどはパニック状態で肝を潰したようだ。

戦争ばかりしているから繰り返して怖い目に遇うのでしょう。だが月齢19.1(日本上空)のため津波にはならなかった
のに気象庁はご親切にも「インド洋の広域にも津波発生の可能性がある」との警報を出したが空振り。此れが海外向
けの発表第1号と言うのですからああ恥ずべき余計なお世話でした。

何れにせよ此れだけ大規模の地震が続いた場合は「10年ほどは余震が続くだろう」と専門家も予測しているので、し
ばらくの間、忌み籠り期間と見て悪事を働かないほうが良い。特に春から夏までの期間は危い。ニアス島の住民の多く
はローマ・カトリック教徒であるが、4/2日にはパウロ二世も亡くなった。

其れに05/4/12日にはタラン火山(2600m)が噴火した。05/5/14日に再びM6.9の地震(深さ30km)で揺れた。
国土地理院の調べでは当初の地震から南北軸に隆起と沈降が起きたと言う。南北ラインの東側と西側が浮き沈みと
なり、例えばシムルエ島では海から上に陸地が広がり、逆にスマトラでは海岸線が海に沈んだ事が判明した。

ニアス島沿海では新たな小島が10島ほども生まれたし、スマトラの沿海部も広がった。此れはかの地の人口増大に
かなり寄与する朗報だろう。05/6/27のNHK総合テレビ「クローズアップ」によれば、アチェ州では半年たった5月末に
なって、やっと支援金1000円ぽっきりが出たと言う。

インドネシア当局は支援金を一般の被災者に配分する前に汚職や利権、横領や責任のなすり合いで事が運ばない中
で、支援金を元手にした新たな商売を当局で始めようとしているのだろうが、何れにせよ日本からの500億円は宙に
浮いたと見るしかない。

05/7/21日にはアチェの西海岸でM5.6、続く7/25日の日本時間で00:42にインド洋のアンダマン、ニコバル諸島では
再びM7.3の激震が走ったが津波被害は無かった。

スリランカではゴール新市街のバスターミナルが津波で渦巻いた。だが旧市街は城壁と排水口が町を守ったので被
害がなかった。スリランカでは4万人近くが死去したが此処では一人の死者も出なかった。此処はかつてイギリスが占
領して軍事拠点にした。かつて450年間も植民地として続いた遺跡が今や世界遺産となった。

初めはポルトガル、次はオランダ、続いてイギリス領となったが、此の街の遺跡を実際に造ったのはスリランカ人の労
働であるとして現地では誇りを持って守って来た。此処には仏教徒が七割いる。スリランカは古来、ブルーサファイアの
原産地であり、1948年に独立したが北部ではタミル人がヒンズー教徒であるため民族紛争が続いて6.5万人が死んだ。

ゴール市では例外的に人々が仲良く暮している。ゴール旧市街にも仏教徒が多いが、半数がイスラム教徒とヒンズー
教徒、其れにキリスト教徒もいる。しかし津波の後に救援物資が届いた時は平等に分配した。此処では皆が「一つの
家族」を目差している。

海岸に月と星を表したイスラムの旗や青と白の横縞の旗、其れに紅白の縦縞の旗も立てて四つの宗教が一つになっ
て追悼式を行った。以上は06/3/2NHK総合TVより引用。

★以下、05〜06年のスマトラ、ジャワ、パプアニューギニア地震については「地揺るぎ3」へ続く。

ソロモン諸島沖でM8.0---朝日07/4/2夕刊---震源は首都ホニアラの西北西約345キロの沖合、南緯8.4統計56.9°
米国太平洋津波警報センター(ハワイ)は、広範囲に津波警報を出した。さて天体との関係で言えば、此の日は満月
すから津波が大きくなる。また方位で言えば、単独の海底地震ではなくて、スマトラ地震との関係で発生した。

以下、「地揺るぎ6」へ続く。



▲つに・・・・・・・
▲つぬ・・・・・・・
▲つね・・・・・・・

▲つの・・・・・・・角、津野、都農、都野、都濃、・・・・。

(つの)・・・・・・・鬼には角が有る。そして建角身(タケツヌミ)命と言えば熊野へ神武天皇を迎えに出たヤタガラス
の神である。また敦賀市はツヌガアラシト(歳時記の9/4を参照)に由来する地名である。其れにミケランジェロの彫像
のモーゼにも一角が付けられている。彼らには角が有ったのかと言えばそうではない。

鬼(別項を参照)の場合の角は太陽観測の見柱を意味した。ヤタガラスも「太陽神の使い」と伝えられる。彼は鴨王の
身内だったので神使となったのである。つまり鴨王が当時の太陽の祭主であり、建角身命も後に加茂大神となった。
其れにモーゼの場合は「光を得た人」と言う意味で付けられた。光の国・日本に留学したからである。

▲角刺宮・・・・・・・飯豊青尊(忍海部女王)が忍海の高木のツノサシで臨時に政務を執ったとされる所で今はかつらぎ
市(新庄)にある。今彼女をご祭神とする角刺神社と神宮寺(忍海寺)がある。彼女は履中天皇の皇女とも皇孫とも言
われる女性で、以後、葛木氏から大王の后を選ぶ事はなくなり、代って忍海氏が勢力を拡大した。

一説に「飯豊青」とは白いフクロウを意味する。謎が多い女性です(以上、H18/7月の大和高田市「文化財を考える会」
例会資料より引用)。

▲つは・・・・・・・

▲ツバル王国・・・・・・・06/2/28(新月)、大潮のため市街地が冠水し、史上最大の浸水となった。
▲つひ・・・・・・・
▲つふ・・・・・・・

▲つへ・・・・・・・
▲つほ・・・・・・・

▲ツボ・・・・・・・
▲坪・・・・・・・
▲壺・・・・・・・

▲つま・・・・・・・

▲つみ・・・・・・・
▲罪・・・・・・・

▲つむぎ・・・・・・・真綿(繭からとった綿)を紡いだ絹糸で作った織物で産地により個別の名を伝える。結城紬、八丈紡
ぎ(黄八丈)、大島紬、白山紬など。

▲つむぐ・・・・・・・
▲つむじ・・・・・・・辻。人体では頭頂や後頭部の百会に出る旋毛。但し其の位置は個人差がある。また満州語のtomji
は馬の毛の渦巻き。

▲つむじ風・・・・・・・小さな渦巻きの風。辻風。旋風。

▲つむじ曲り・・・・・・・ねじけた根性の人。ひねくれ者。但し其の位置は人により個人差がある。よって「ツムジ曲り」と
言う場合は、其の位置が正中線からズレている事を言うのかどうか。或いはツムジの形を言うのか判然としない。後者
の場合でも凡そ人の旋毛は皆曲がっており、直立した毛を旋毛とは言わない以上、人は誰も「つむじ曲り」と分かる。

要するに「へそ曲がり」と同様、「人並み」と言う事にもなる(正論を参照)。

▲つむ・・・・・・・



▲つめ・・・・・・・
▲つも・・・・・・・

▲つや・・・・・・・
▲通夜・・・・・・・

▲つゆ・・・・・・・

梅雨(つゆ)・・・・・・旧暦5月の霖雨や長雨。よって五月雨と書いてサミダレと言った。沖縄では西暦の5/15頃から、
西日本では例年6/11から梅雨入りとなり、7月半ばに終わる。其れについて気象庁が毎回ご親切に「梅雨入り」「梅
雨明け」宣言を託宣するが、皮肉にも毎回外れるので殆ど迷惑がられる。

04年の場合も、梅雨入り宣言の6/6から7/13までの間、西日本は「梅雨を飛び越して夏が来た」ように12日間、
連日猛暑の夏日が続いた。降った日もあるが、其れは二度の台風上陸によって降ったのであって、それ以外は「空梅
雨」であり、しかも梅雨の雨ではなく、モンスーン地帯のスコールのような豪雨が有った。

7/9前後にも降ったが、其れもスコールのような雷雨(中京)だった。因みにサミダレの合間に晴れる事を「五月晴れ」
と言う。つまり西暦の五月の晴ではなくて旧暦五月の梅雨の晴れ間を言った。

梅雨は古来、旧暦の皐月(五月)雨、「さみだれ」であって六月=水無月ではないのだ。ですから万葉歌や俳句に五月
雨とあれば、今の五月の雨ではなくて今の梅雨と見なければミスマッチである。何れにせよ梅雨は雷鳴によって明けて
来た。因みに7/7には全国的に七夕をするが、其れは星祭である。

梅雨空で星が見えないのに何故形式的にするのか(旧暦でしなければ無意味である)。ともあれその後、7/13になっ
て近畿の「梅雨明け宣言」があったし、新潟と福島方面はこの日、豪雨となり、死者14、不明1(7/17現在)となっ
た。また韓国では梅雨真っ最中、東欧では13日までに猛暑で33人以上が死亡した。

京都祇園祭りの山鉾巡行が例年7/17に行われるが、この日はまだ梅雨が明ける前なので、殆ど毎年のように雨の
中の巡行となる例が多い。とすれば、「梅雨明け宣言」を敢えて出すなら、祇園祭の後でも良いのである。

ともあれ梅雨でしとしと降れば地中に滲みこんだ水分がやがて気化して気化熱で冷やす半面、蒸し暑い夏となるが、空
梅雨ならばもっと激しい猛暑となる。04年の夏は正に此れで、立秋に入っても連日猛暑続きとなったが、世人はこれを
また「温暖化」と心配した。

其れに対して05年は春から寒さが続き、地震も続き、空梅雨、冷夏となる心配があったが、後半に台風の接近と雷雨
のお蔭で雨となり助かった。次に06年は6/8に「近畿も梅雨入り」と発表したが・・・・・最初の2日だけで後は14日になっ
ても降らず(沖縄のみ長雨)。近畿は15日になって久しぶりに65mmの降雨(南大阪)となった。

▲露草・・・・・・・梅雨の頃に青い花を付ける軟質の草。別名でうつし草、蛍草、帽子花、月草、藍花、青花、かまつか、
などとも言う。若葉は食用となり、脳血栓の予防になると言う。また乾燥して利尿剤とする。この花で摺り染めたものを
露草色、または「はなだ色」と言う。

鶴・・・・・・・日本画には松に鶴とか双鶴などとして鶴が描かれて来た。特に鶴と亀は夫婦円満とか吉兆・縁起物とし
て喜ばれて来た。日本には丹頂鶴とか白鶴がいるが、「鶴の恩返し」などの民話はコウノトリの事だと言われている。
              
▲連れ・・・・・・・

ツングースカ爆発・・・・・・シベリアのツングースカで1908年、大爆発があり8000万本の木が薙倒されていた。クレータ
ーは見つかっていない。似た現象が3000万年前のエジプト西部のサハラ砂漠にもある。砂の石英質の放射線反応分
析から巨大隕石(小惑星)が大気圏に突入して空中爆発したものと推測されている。

砂漠には高温ガスの火の玉が出来て地表面には黄緑色のガラスを残していた。此れは原爆実験と似た現象である(08
/01/26NHK教育TVより引用)。



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