http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」  page246.html (未定稿)


     日知り事典      テ〜テレ

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・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
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●て・・・・・・・・・「て」は手であり、敵の「て」、照りの「て」、でもある。
●デー・・・・・・・昼。一日。
●ディアナ・・・・・・・・ダイアナ。

出会い系サイト・・・・・・魑魅魍魎の世界。覆面して石を投げるサクラ集団の跋扈するバーチャル世界。サクラとは
サイトに屯して客にポイントを買わせて吸い取る偽装会員である。多くは渡来系のサクラが働く世界だから日本の良識
等はカケラもない。なので甘い言葉に誘われてもし会員登録すれば、サクラたちから洪水のようにメールが舞い込む。

メールの殆どが口から出まかせの出鱈目。何通か見ていると前後で矛盾する支離滅裂な内容です。美人や援助は全
て擬似餌であり、一片の真実もない餌で釣るのが出会い系サイトに巣食うサクラたちであるから、飛ばすメールは「逢
いたい」と言うラブコールである。

でも其のラブコールは全く架空のメンバーからの仮想の作り話のメールだから幾らやり取りしても不毛で実りがない。
直ぐ手の届くような餌だから其れに釣られて返信する事になるが、返信しても、はぐらかされて更に遠のく。サクラがダ
ラメ(どうでも良いダラダラした話題)にすり替えて来るからだ。彼らは決して自分の居場所や連絡先を言わない。

寧ろ此方のアドレスをインプットさせようとする。デートするには日時が要件であるがサクラは其れを言わない。目印な
ど、此方からの質問には中々答えず、答えるのは嘘ばかり。特にサクラはもっともっとと逆に質問して来る。更に毎回メ
ールの最後に「?」を付けて、此方に更に返信を求める形にする手口である。

或いは時々写真を張替えて「見てね」と催促する。しかし其れを見ればポインとが食われる。サクラは初めから会う気な
どはなく、メールでポイントを稼ぐだけなので、「何百万円渡す」とか言いたい放題、好き放題の大ボラを吹く。何の証明
も出来ないデッチ上げ作文によるメールだ。

のみならず他人(美人)の写真やヌード写真を再三張り付けたり張り替えたりする。だから実態は男か女かさえ確かめ
ようもない。実は特定のこの種の専門業者が色んなサイトを作って糸を引いている。従って個人情報を彼ら・従業員た
ちが独立採算で作ったサイトにタライ回しする。偽装ラブコールは其処から商売メールとして飛ばしている。

一片の事実もない嘘八百のサクラ(疑似会員)とのやり取りだから、会員は何時まで経っても何の結実もない。結果とし
ては何万円ものポイントと時間を浪費するだけのカモにされるだけ。人の善意を食い物にしたり裏切って稼ぐ(太る)手
合いだから捕まらない。なので普通の会員は裏切られて自然消滅(退会)して行く。

哀れ会員は、1通500円だがサクラは只(ゼロ)か、或いはバックマージンがあるのだから初めから勝負にならない。で
も彼らは必ず「サクラではない」と言う。押し問答しながら、例え1年間続けても誰にも会えない。ポイント代だけでも何百
万円も吸い取られる結果となる。彼らサクラは冷淡で非常識。日本人かどうかさえ不明である。

下品で世間では相手にされない人間の屑か、女が腐ったような男のような人種のサクラが殆どである。実際、馬鹿か
嘘つきか心身障害者か色情魔か変態か病人か公務中に遊んでいる悪質公務員たちだ。いや中国や韓国に下請けさ
せて飛ばして来るのだ。いやもし、「違う」と言うなら人前に堂々と姿を見せて証明して見れば良い。

其れが出来ない魑魅魍魎か幽霊のような存在だから、覆面してサイトにタカリ、メールを飛ばして稼ぐ。勝手にメールし
て来て「お返事下さい」と言う厚かましくも要求する非常識な奴ばかりである。そんなサクラメールは相手にしないのが
一番で有り、其れを防ぐ為にはプロフィールに「返信しない」と表明して置く。

其れでも「会いたい」とメールして来る相手には、「直接連絡先のアドレス」を求めるのが良い。ヤフーメールのようなフ
リーアドレスか携帯電話の番号の添付などを求める事だ。或いは「援助したい」と餌を見せる手合いには郵便局や宅
急便の局留め・営業所留めで送ってくれるかどうか尋ねる事だ。

善良な一般人が会員登録して、そう言う防衛策を採らずにポイントを買い続けるならば、悪質なサイトと性質の悪いサ
クラ(吸血鬼)たちに集中攻撃されて食い尽されるので、つまり此れは悪事に献血するような愚行となる。要するに「出
会い系サイトは出会えないサイト」である。でも日本人は此れに嵌る。

パソコンや携帯の利用人口の増大は日本が情報化社会に進歩したのではない。情報化社会によって日本社会が進歩
したり良くなったのではなくて、単に悪質な出会い系サイトが儲けて社会を暗くしているに過ぎないのだ。こうした詐欺の
横行のみならず犯罪が多発して来た。

政府はこうした出会い系サイトが犯罪の温床となっている事から、08/1/17、公安委員会への届け出制と決めた。しか
し悪質サイトは担当者を首にするだけで生き延びる。彼らはクルクルと名前を替え、トカゲのしっぽ切りのように直接責
任者・担当者を取り換えて当局の目を掠めてインターネットの闇の中で増殖し続けているのである。

因みに其れに便乗し、支援して共存共栄の共犯関係にあるのがインターネット業界やプリペイド式のキャッシュカード、
及び金融機関である。なので政府は罰則を強化する事にした。08/02/11日のニュースによれば、迷惑メールの消去に
費やす時間的ロスだけで今や7000億円の損失を被っていると言う。

この為、迷惑メールの発信者には1000万の罰金を課す事にしたと言う。兎も角、悪質なサイトや架空請求の被害など
は、インターネットホットラインセンターhttp://www.internethotline.jp/または大阪府警http://www.police.pref.osaka.jp/
05bouhan/high_tech/taisho/index.htmlにドシドシ通知するといいだろう。

▲手当て・・・・・・幼児が転んで怪我をした時、其の子はビックリして泣き出しますから直ぐに母親が駆けつけて、傷の
ある箇所に手を当てて、「痛いの、痛いの飛んでけ !」と言えば幼児はすっかり安心して泣き止みます。そして其の傷の
回復も早まる。お腹が痛む場合も手を当てれば大抵治るものです。此れが「手当てのパワー」です。

だが手当て=医学ではなくて、太古からあって西洋医学以上のものであり、誰でも簡単に癒す効能が大であり、実績も
永くかつ大である(下記の「手カザシ」を参照)。

ティオティワカン・・・・・・メキシコ中央部にある巨大遺跡。アメリカ大陸最古の巨大都市。2000年前に現れて古代
ローマに匹敵する都市と巨大なピラミッドを残したが6世紀に突如滅びた。此の名は後のアスティカ帝国時代に「神々の
集う場所」と言う意味で命名したもの(06/5/24朝日・試写室から一部引用)。

BC2cに建設された町とも言われる。高さ65m石段248段の階段ピラミッドがあり、春分の日にはこのピラミッドの真
上を太陽が通る。ピラミッドは方位盤と暦盤になっていた。所が8cには此の町から人々が忽然と消えてしまった。近く
に「月のピラミッド」があり、内部から後ろ手に縛られた遺体の数々が出て来た。

其処から「死のピラミッド」とも呼ばれる(ナショナル・ジオグラフィック資料から一部引用)。以下、05/4/28のNHK
総合TVから引用する。

マヤ、アステカ文明よりも前に栄えて其れらに影響を与えたこの壮大な都市計画は、誰が何のために築いたのか、大
きな謎とされて来た。春分の日の祭りの様子も交え、生け贄の儀式など、ユーラシア大陸文明とは異なった世界観に迫
る。テオティワカンはBC2〜AD6c、つまり日本の弥生から飛鳥時代に掛けて栄えた。

標高2300mの高原地帯に太陽のピラミッドと月のピラミッドがある。ピラミッドは元々真っ赤に塗られていた(朝日
S)。後者は高さ46mしかないが、此処から建設がスタートしたとも言われる。日本人の発掘関係者がこの遺跡の寸法
に注目した。建造物や都市計画の原寸が83cm(仮にTMU単位と言う)になっている事に気づいたのだ。

例えば太陽のピラミッドの一辺が260TMUである。

此れはメキシコ博物館が所蔵している「太陽の石」と言う円形カレンダーの意味に繋がる。260は20の浮き彫りと13
ヶの印との乗数である。つまり大小の歯車が260と20のギヤであれば、一回転したとき260で元に戻る円暦になって
いた。このアステカ宗教暦は1年を260日とするものである。町全体がこの独特の世界観を持って作られていた。

町全体が一つのモニュメントであり、其れは自然と人間が共存するモニュメントだった。其れが忽然と7cに滅んだ。や
がて16cにはスペインによって徹底的に破壊され、以後混血が進んだが、今になってテオティワカンの不思議な力に人
気が集まり見直しが始まっている。

100年前から発掘が始まったが、日干し煉瓦で造られた建造物の中には個人の墓は今もって見つかっていない。此
のピラミッドは上の神殿、または公会堂の台座であったとの見方が通説となりつつある。ただ頭骸骨だけが幾つも埋め
られていて、中には打ち首になった子供、或いは両手を後ろ手に縛られた人骨も見つかった。

当時既に人口20万人の住宅地が広がり、豊かな食文化があった。水路で区画された畑では水路の泥を畑に撒く自然
農法(今のチナンパ農法)だったようだ。此れは太陽と土だけの農法である。だから人々は太陽に感謝した。ただ西に
沈んで死んでゆく太陽が再び東から甦る保証はなく、其のためには犠牲が必要と考えた。

それには自分の最も大切なものを捧げる事(イケニエ)だと考えたようである。こうしたテオティワカンの古い文化が生
きる力を与えるとして多くの人々に見直しが始まり、13年前から始まって以来、毎年参加者が増え続けてこの春分の
日には150万の人々が集まる。

先ず先住民の踊りが披露され、正午には全員が太陽に両手を挙げて掌を翳し、古代のように太陽の恵みに感謝し恐
れ、敬うようになった(以上)。

ディオニソス・・・・・・・ギリシャ神話でゼウスの子。ローマではバッカス。葡萄酒、豊穣、劇場の神。

低気圧・・・・・・・気圧は昔はミリバール、今はhPaで表示される。低気圧は一部の地域の晴天により、上昇気流が
生じて周囲よりも気圧が下がった状態を言う。天気図では閉じた等圧線で囲んで示される。温帯性と熱帯性とがある。
前者は多量の水蒸気を含む湿った風を伴う。ただ相対的なものなので数値的な基準と言うのはない。

季節によっても違うからです。標高が低い都市部よりも山岳部のほうが低気圧である。山に登った時に耳が一時ツー
ンとするのも気圧のイタズラです。そして低気圧は上昇気流ですからその代りに渦巻きになって周りの高気圧が吹き込
むので天気が荒れる。よって人の場合も、ご機嫌斜めな状態を「低気圧」と表現する事がある。

06/12/27日には北日本で大荒れとなり、最大34.3mの強風と大雨となり、其の関係で2人が死亡した。トラックも各地で
横転した。此れは大陸で1048hpaに対して、列島では988hpaのため、台風並みの落差60となっていたからです(竜巻
を参照)。

鄭芝龍1604?〜61まつ・成功・・・・・・・明の泉州生まれの海賊。泉州には7cにイスラム教徒が布教と交易の為に
やって来ていた。マルコポーロも1290年に来て「アレクサンドリアに劣らない」と書いている。鄭芝龍は青年時に泉州か
ら長崎の平戸に来て「まつ」と結婚した。

明は鎖国に似た海禁政策を採っていたが、平戸には藩主・松浦氏が海外との交易を保護していた。田川まつ夫人が
鄭成功を生んだが、成功は7歳で泉州に渡った。鄭芝龍は日本を離れて瞬く間に東シナ海を股に駆ける海賊の大ボス
となった。

僅か3年で1000隻近くを配下に収め、オランダ船団との海戦で勝利して東シナ海を通行する船から通行税を取った。福
建省の政治権力までも手にして安平橋の横に城を築いた。1645年に「まつ」を呼び寄せたが、明朝が滅んで満州族が
攻めて来て「まつ」は死んだ。

子の鄭成功は日本に援軍を頼んだり、台湾を根城にしたり、「恩義のある明の復興」を目差して必死に戦った若者とし
て中国でも台湾でも英雄視され、日本では近松の「国姓爺合戦」のモデルにもなった。だが父・鄭芝龍は清側に寝返り
其の15年後に頸を切られた(06/10/7朝日新聞より引用)

●ディスクdisk-disc・・・・・・・円形板、レコード盤、磁気ディスク。

ディダラボッチ・・・・・・・・・ダイダラボッチ。巨人。ダイダラのディ(ダイ)とはデート(日取り)か、または大(デッカイな
ど)の事。また「ボッチ」とは、「一人ぼっち」「此れっポッチ」(此れっきり)と言う意味のボッチ、及び法師に通じる(「法
師」「坊」を参照)。

日本各地にはダイダラボッチという巨人に関する伝説が残るが、東と西とでは伝説にも当然差異が見られる。東日本
では、主に関東一円を中心に『常陸国風土記』に登場する「ダイタボウ」を主にダイダラボッチと呼び、富士山から常陸
まで物語が広がる。つまり日の出と日没の方位関係で有る。

また近年、青森と琵琶湖近辺から縄文時代の柱列が発掘された。或いは近江には太郎坊山が有って、此の伝説の関
係が指摘されている。因みにご祭神はオシホミミ(天照の神子)また諏訪地方では今も6年に一度の「御柱」(おんばし
ら)の祭りを続けている。つまりデイタラボッチとは太陽の日影を測る巨柱であったと推定できる。

また名古屋周辺では例えば多度に「天目一箇神」(天照の孫)が祭られている。此の神は「片眼(または一つ目)であ
り、1本足、巨人、踏鞴を操り風を起こす」と言う。其処から、踏鞴(タタラ)鋳造と製鉄との関連性が指摘される。

近畿地方では先の滋賀のほか三重、奈良、和歌山に「ダンダラボッチ」、「デイタラボッチ」、「一目連(いちもくれん)」な
どの名前で同種の伝説がある。踏鞴法師をダイダラボッチとも呼んでいる。また、四国地方にも関東同様の伝説が伝
わっているが、播磨でも「天目一箇神」を祭り、冶金が盛んだった。

また山陰にも同種の伝説があって踏鞴が盛んでした。ただ「ボッチ」や法師とすれば、太陽観測の伝承かと思われる
(ミハシラを参照)。

●ディティール・・・・・・・・・詳細。

デートdate-data・・・・・・・・・日付。年月日。異性との会合。また其の約束。つまり日取りの約束です。但し暦法によ
って日取りは異なる。天の日か夜の月か、夜空の星かで違ってくる。方位か、月の形か、星の曜日で決めるかをハッキ
リしなければ行き違いになる。デートなら日時と場所、手形のの場合は金額と決済日が要件です。

何れも「日」を誤解すれば成立しない。

●ディナー(正餐dinner-disner)・・・・・・1日のうちでも最も正式、かつ豪華な食事(正餐)。西欧では晩餐(さん)を指す。

DDT・・・・・・・ジクロル・ジフェニル・トリクロルエタンの略。接触性の殺虫剤。1874年に合成されて1939年以降
に米国で大量生産された。当時は「世紀の化学物質」と褒められたが鳥や虫が死滅して環境破壊物質と分かった。戦
後GHQが日本に持ち込んで日本人の頭からこれを擦り付けた。シラミ退治と言う衛生観念からだった。

猛毒のものでも薄めて使えば安全か、と言えば無論違う。毒は薄めても毒である。DDT等は食物連鎖で小から大へと
凝縮されて、結局は連鎖の頂点に立つ人類に何千倍もの濃度で直結して来る。レイチェル・カーソン女史が「沈黙の
春」と言う本を出してDDTの恐怖や「自然との調和」を訴えた。

そして彼女がケネディ大統領を動かして1972年に米国で禁止とする事が出来た。人類は科学を信じて自然界にはな
かった約1000万種の薬剤やプラスチックを合成したが、其処から生ずる問題を科学技術の力で解決できないでいま
す。こうした化学物質が環境ホルモンとなって野生動物を痛めつけ、種を減らしている。

これは彼らではなく、人類の科学が作った問題であり、如何に科学信仰が高まっても矛盾を解決出来ない科学はニセ
科学です。地球も自然も人類だけのものではありませんから、「自然と調和した生き方が大切である」と彼女は訴えた
(この項目の大要は05/2/17、NHK教育テレビから引用した)。

停電・・・・・・・昔は水力・火力発電だったので停電は当たり前だったが、今は原発時代ですから停電はない。しかし
最近の日米は低開発国並みに停電が起こる。地震台風その他が原因として上げられるが、其れは口実であって実体
は危機管理能力のなさ、つまり怠慢による人災である。

バックアップ・迂回路システムを設定していれば防げるのに、コスト重視で設備をケチるために迂回路も同時に駄目に
なるのです。大停電が東京電力ではs62/7月に280万世帯、そしてh18/8/14日には139万件に及んだ。

後者の場合は27.5万ボルトの送電線にクレーン付きの浚渫艀が06:00に接触して復旧までに3時間余り要し、終日大混
乱が夜中まで続いた。盆休みの間だった。浚渫艀側の三人の係員も幼稚だったが、東電側も休みで対応の不手際が
此処まで混乱を長引かせたのだろう。h11年は高知で、h12年は下関で1.5万世帯が停電事故の被害を受けた。

電気に頼り過ぎたり便利で快適なオール電化を進めれば危機管理上寧ろ問題を拡散する。天災事変などの危機は昼
夜・土日も盆正月も連休にも無関係に起こる。であれば危機管理の立場にある行政部署や公営企業は土日も盆正月
も無休が原則であるが、実際の彼らは其の立場に有りながら此の自覚が欠如している(「防災」「東京」を参照)。

停電世帯数は過去2番目(東京電力)・・・・・・「東京新聞」電力量では今回は86年3月の神奈川県内の大雪による
約315万キロワット、83年8月の地震による約257万キロワットに続き、過去4番目の約216万キロワットだった(地
震 に関する Google アラート8/15)。

DNA・・・・・・・「遺伝子」、「ヒトゲノム」を参照。

DR・・・・・・・「DとRは親戚だ」と言えば、其の意味を考えもせずに人は先ず一笑するだろうが、大事な事なので述べ
て置く。DとRとは共に半円を図示した所謂ローマ字である。そしてRはDに逆Vを付けた文字です。Vは古鏡(青龍鏡)
にも図示されているように、コンパスを示したものです。

従ってDV=Rの意味は、「この半円の直径の長さはV(コンパス)の尺度(幅)で決する」と言う事になる。其処から例え
ば現代の設計図や道路工事などで「R10」と有れば、此処は「10mの半円で隅切りせよ」と言う指示になる(「尺・R」を
参照)。

鄭和・・・・・・・凡そ600年前、コロンブスの新大陸発見よりも100年前に27000人から成る大船団を率いて中国からア
ジア、中東、アフリカ大陸にまで大航海を実現した人物。外交・交易のためであって海賊ではない。また西洋式の新大
陸発見とか支配・植民地化と言う構図とは全く違っていた点が今になって高く評価され始めた。

彼は雲南に生まれたが祖父がハッジ(イスラム教徒でメッカに巡礼した者)だった。当時、明が起こって雲南を攻め、親
族が明兵に次々殺される中、彼は拉致されて宦官にされた。彼は漢民族ではなくてイスラム教徒だったが、やがて頭
角を現して永楽帝の当時の兄への反乱の成功に寄与するなど幾多の戦功を上げた。

永楽帝はモンゴル軍に備えて万里の長城の修復を果たし、次は南京造船所を南宋時代に完成。北方の脅威を封じる
ために南方とイスラム圏との親交を図った訳である。帝は対モンゴルの為に200隻、2.7万人の大船団を造ってイスラム
教に通じる鄭和に軍事・外交を任せた。

鄭和は長さ36mで60のキャビンを持つ400人乗りの宝船を主力とし、外に水船、戦船、馬船など200隻もの船団を従え
る俄か船長となったが、其れは「海の皇帝」のような立場だった。彼はイスラム教徒だが船にはシナ伝統の船神マ祖
(メンマ・女馬)を祭った。そして当時早くも水羅針盤を使って出帆した。途中チャンパ王国へ立ち寄った。

此処は朝貢が続く間は栄えたがやがて17cに滅びて今のベトナムとなる。次に向ったマラッカ海峡には陳祖と言う海賊
がいたが、鄭和の船には当時230mmの大砲が27門あり、水雷やロケット弾もあったので陳祖を撃破した。言わば砲
艦外交で東南アジア各国に朝貢を約束させて進軍したがシナの貴族の娘をマラッカ王に届ける役目もあった。

次に、風待ちの港としてマラッカに倉庫を建てた。やがて此処が華僑とイスラム教徒が共存する自由貿易都市として発
展した。因みに今のインドネシアには2億人のイスラム教徒がいて、鄭和600周年を祝う祭りに5万人が参加する。華僑
とイスラム教徒が宗教を越えて、年に一度の三保コンに鄭和を三保大人として祭る。

1406年にはインド洋に向った。船の中には仏教徒、イスラム教徒、道教徒、などが混在する中、先ずセイロン島に向っ
た。此処は仏教、イスラム教、ヒンドー教徒が対立していた。鄭和は三教のために三つの石碑を建てて顕彰した。だが
セイロンに捕らえられて戦いとなった。次はインドの西岸の古里(カリカット)に入った。

此処は今、昔の面影もなくなったが、当時は絹で賑わい、同時に胡椒の港として黄金海岸と言われ、世界貿易の中心
地として栄えていた。此処を中継地としてペルシャまで1ヶ月の海路である。鄭和は此処でユダヤ人と出合った。その
後、彼は1412/11/15インドへ第3回の航海に成功するなど、都合七回インド洋へ航海した。

次はアラビア、アフリカを目差せと命じられた。此れで彼はメッカへの巡礼を果たせると思った。シナはジャンク船だっ
たが、インドからアラビア海にはダウ船が活躍していた。1413年冬、200隻2.7万人の船団で南京を発った。長さ60mで
キャビン(船室)60室、1270トンの船であり、100年後のコロンブスの船の5倍の大きさだった。

当時はヨーロッパよりもアラビアの方が栄えていた。世界最大の貿易ネットワークをアラビア人が持っていた。彼らは駱
駝600頭を運ぶ船でカマールと言う道具を使って天文航法によって季節風を利用して航海していた。其れに対して彼は
当時「世界の宝石」と呼ばれていたホルムズ島に立ち寄り、倉庫を建てて南宋からの陶磁器を運んだ。

ホルムズを拠点にしてアラビア各国に使節を派遣した。しかし彼はメッカに憧れながらホルムズを離れなかった。そして
アデン(阿丹)港から騎兵7〜8000人が守るラスール王朝・サナアに行って国王に謁見した。サナアは1700年を越える
歴史のある金銀細工の町だった。国王は南宋に使節を送る約束をした。

派遣隊は実はアフリカに一番憧れていた。彼は医師・薬剤師など180人を同行して乳香を求めた。乳香は当時、外科
手術の鎮痛薬となったので金以上の価値があった。アフリカのマリンディ港は交易で栄えていた。此処では今も海中か
らシナの難破船の遺物と見られる陶磁器が時々引き上げられる。

以後シナの陶磁器の欠片でも珍重され、墓石にも飾られた。ケニアのパテ島にはシナ系の子孫が今も住んでいる。此
処にはやがてスワヒリ語が出来る。ソマリアで象牙や麒麟、縞馬やライオンなどを手に入れた。シナでは其れまで麒麟
は伝説か想像上の生物と考えられて来た。

其処で彼は甲板を切り抜いてキリンを持ち帰り永楽帝を喜ばせた。永楽帝は紫禁城を完成させた所だった。第4回は
1421年、第5回は不詳。第6回は再びアラビアとアフリカを目差して出帆したが、此れには謎がある。ベネチュアには円
形の世界地図が残されている。南北が逆になった地図である。

此れには彼が「喜望峰を越えた」と記されていた。此の頃紫禁城が炎に包まれた。永楽帝はモンゴル軍と戦って1424/
8/12日に67歳で死去していた。鄭和51歳の時である。以後9年間、遠洋航海は中断した。1430/12月に27550人を載せ
て再び遠洋航海に出たが、彼はインドで死亡した。メッカへの巡礼は彼の部下のバカン派遣隊が代って果たした。

アデン(阿丹)からメッカに向う間には466の門が有った。バカンは「法を犯す者もなく誠に天国のような所」と記録してい
る。だがその後、巨大な費用の掛かる遠洋航海は中止となった。シナとアフリカとは直線距離でも8000kmである。

こうして彼は200隻の大艦隊で嵐や海賊と戦いながら砲艦外交ではなく各々の宗教を尊重して平和な交易を求め、7回
の航海により、28年の歳月を掛けて共存共栄を図り、結果としてアジアに大貿易圏を作り出し、インドから次はアラビ
ア、アフリカ、そしてアメリカに向った。

其れに入れ替わるようにバスコダガマのような武力の時代となる。ガマは大勢の人を殺してキリスト教へ改宗させた。
西洋による植民地化、収奪の歴史が始まるのです。続いてコロンブス(コロンブスを参照)は鄭和の100年後に1/5の大
きさの船で航海したのである(以上、06/5/3のNHK総合TVより引用)。

▲テウ・・・・・・
▲テエ・・・・・・

▲テオ・・・・・・
▲テカ・・・・・・

手かざし(手翳し)・・・・・・・・今で言う気功やヒーラーによるヒーリング。かつてキリストもこうした手翳し(ハンド・パワ
ー)によって多くの病人を癒した事が知られています(「目からウロコ」を参照)。彼以外にもこの種の方法が時代を超え
て古今東西で効果を上げて来た。

此れは上記の「手当て」と同様、痛みのある箇所に他人が手を当て、或いは患者の体から30cmくらい離れた所から手
を翳す行為である。こうすると、別に念力のように力まなくても相手にオーラ(生体波)や陽気が流れて、被験者の患部
に滞っていた気が動き出し放散される。

此れは、他人のエネルギーを受ける事で本人が活性化し、結果として難なく治癒するので何の難しい理屈も要らず楽し
いものです。しかも気のパワーには何の副作用も無いから安心です。施術の時間は平均五分間くらいで効果が出るの
で長く行うほど良い訳ではない。

そして更に効果的なのは患部に直接照射するよりも、患者の額(松果体を参照)に向けて行う事であり、更に効果的な
方法は、其の日の方位から、逆の方位に気を流す事、つまり患者・被験者を陰極側にして、手翳しを施す人が陽極に
立つ事です。

だが、ご本人の先祖を抜きにして、その代わりに特定・架空の神などに祈れば念力となってしまうので、この場合は一
時的な効果しか見せず、根本治癒には至らない(浄霊を参照)。

手形・・・・・・手形とは額面通りの金額を一定の時期に一定の場所で決済すると言う為替制度の一つであり江戸時
代から始まった。今は約束手形が主流であるが、広い意味では小切手も其の一部である。日本は神代から紙があり、
祓いは御幣でして来た。紙はその後にシナに伝播した。

日本は金銀銅も豊富にあったので上方は銀貨、関東は金貨が流通していたが室幕府がシナに金を浪費して放蕩を尽
くしたので江戸時代になると通貨不足に陥った。其処で元禄には勘定奉行の萩原重秀が瓦で通貨を造ろうとした。政
府(幕府)がしっかりしていれば金銀でなくても良いと言う「先見の明」があった訳です。

また商人たちは紙切れによる為替システムを作り上げた。此れは古くから日本では「祓いは御幣でする」と言う慣習が
何処にも有ったから民衆に抵抗なく受け入れられ支持されたからであろう(祓いを参照)。つまり外国では無理な決済
方法だが日本では実現した。序に先物市場も作った。此れはシカゴ市場に1世紀以上も先立つ文化でした。

鴻池や三井(越後屋)は担保による「信用貸し」や「大名貸し」と言う金融システムを1600年代から使って明治維新を
支えるスポンサーにまで成り上がっていた訳です。何れにせよ皮肉にも通貨不足が今の手形制度に発展したと言え
る。其れに比べてヨーロッパにはマルコポーロ以前は紙さえなかった。

従って紙幣経済とかマルクス経済、近代経済学と言うものはつい近年の事だ。経済行動は欲と欲との突っ張りあいで
交換されるものである以上、元々いかがわしい物であるから、今になって経済学などと学名を装っても本質は変わらな
い。

ともあれ、其れまでは金銀を基本としていたから貨幣経済だったが今は紙幣経済からプラスチックのカード経済にと変
貌しつつある。だが此れが経済の発展ではなくて、よりいかがわしい面もある。


▲敵・・・・・・
▲テコ・・・・・・梃子

▲テサ・・・・・・
▲テシ・・・・・・

デジタル化の弊害・・・・・・・自然界はアナログ世界であるが、其れを無理に数字に置き換える事をデジタル化と
言う。例えば演算回路は単純な一とゼロとを組み合わせた二進法(ビット)で数だけを追う事となる。従って此れはアナ
ログの自然界とは異質な仮想空間を演出してしまう。其れが良い面と良くない面を現出する。

後者の場合、例えば数字はハッキリしているようで元々曖昧な概念なので屡矛盾を広げて来た。所が今は軍事利用と
商業主義に偏り、この欠陥品が世界を制覇する事となった。例えばNHKが進める「地上デジタル放送」である。此れは
画像が綺麗になるなど利点ばかり宣伝されているが、不利益な面も多い。

デジタル化のテーマと言う此処の問題とは直接関係ない問題であるが、序なので言ってしまえば、放送内容が従来通り
陳腐なものであれば視聴者にとってデジタル化が大した朗報とはならない。その性能も度重なる衛星ロケットの打ち上
げ失敗で受信機能は不完全となろう。

にも関わらず総務省の先導により、旧来のアナログ放送の打ち切りが予告されたので消費者は否応なくテレビの買い
替えをしなければならない。国の方針でデジタル化を進めたければ、先ず国民に国の予算を使って新型テレビを無料
配布すべきであろうが、国に其の力がないので太鼓をタタクだけとなった。

かつて家電業界はワープロを開発して人気を掴んだ。ワープロは性能面で完成した優れた製品でした。所が価格競争
で廉価となった時、彼らはより高額なパソコンを客に勧めた。けれどもパソコンはご覧の通り、年賀状一通書くにも色ん
な道具が必要となり、しかも実に使い難く、トラブルメーカーである。

その事とデジタル化のテレビも同レベルである。何れにせよ、デジタル化で一時だけ活気付くのは家電業界だけであ
る。だが安くて儲からなくなったテレビから新種のものを流行らせたいため、あの手この手を使い、ラクして売り上げの
金ガサを増やせると狙っただけの代物である。

最近は車や家電にバグ(別項を参照)が頻発。大きな問題となっている(06/4/9の朝日新聞)。下記の手相(カード)も
参照。

▲てす・・・・・・
▲てせ・・・・・・

▲テソ・・・・・・

手相・・・・・・人の瞳孔と指紋は一生不変(指紋を参照)である。其れはDNAが設計図と同じパターンで再生産を繰
り返して不変にしているからです。其処から個人を特定するため私印として日本では古代から使われ、明治以後は犯
罪捜査に使われ、其れを西欧がやっと明治以後に気付いた。けれども彼らは曖昧なサインを風習として続けた。

今は米国化によって日本もカード社会になった。其れが指紋よりも優れたものと錯覚した。けれども今になってカードの
無能が次々と露呈するにつれて其の矛盾を打開するため指紋や瞳孔を使おうとしている。でも指紋が不変と言うのは
原則であって、霊的に変化があれば瞳孔も指紋も手相も変わる。つまり人生の運命も変わる。

人は成長に従って顔形が変わるのですから例外的に手相だけが不変と言う事はない。老齢化と共に人相や体つきも
変わります。善因善果・悪因悪果の相が表象して来るので誤魔化しが利かない筈ですが・・・・其れを占いで読み取れ
るかどうかはまた別の問題。

▲てた・・・・・・


・・・・・・鉄器は太古の昔から日本にもあった。其れがヒッタイト(別項を参照)に伝わったが、粗悪なものになって
いた。しかし其れで古代エジプトを征服したし、砂漠地帯の騎馬民族に重宝されて来たのだが鉄は錆び易い。このため
漢字でも「失う金」と書くのである。

特に湿気が多くて火山国で酸性土壌と海岸部に囲まれた日本では鉄器が錆び易いために「悪がね」として造る事も使
う事も避けて来た。特に神器には使わなかった。縄文遺跡や初期の古墳から鉄器が出ないのは其の為である。しかし
表層的な見方しか出来ない歴史家や考古学者は「何でも朝鮮式」に説明する。

鉄器は太古の昔から日本にもあった事を認めずに、何でも大陸から渡来したと解説し、其れが大陸に一番近い北九州
に渡来して出雲の蹈鞴製鉄になったと言って来た(刃金を参照)。しかし大陸にはヒッタイトでもシナの青龍刀でも鈍(ナ
マクラ)らな鉄器であって、到底先進国とは言えない。

其れに対して日本の蹈鞴製鉄は日本刀(刀を参照)など世界に比類ない優れた刃物である。此れは不純物を叩き出す
鍛造法が伝わっていたからです。ただ印度に今も立っている鉄塔は時代が分からないほど古いにも拘わらず錆びてい
ない。此れは恐らく自然界に鉄鉱石として存在するままの、自然の成分をそのまま溶かした「黒金」の部類であろう。

哲学・・・・・・・ギリシャ語のフィロソフィ(愛する+知識)を哲学と翻訳したのは幕末の御用学者・西周あまねである。以来
日本では中東からギリシャ以来の西洋哲学しか哲学として認めない傾向が有るが、日本の哲学の方が歴史も伝統も
ある。其れを何故か日本人だけが認めないのである。またシナには東洋哲学がある。

此れだって4000年の歴史と言っている。因みに現代は哲学の無い時代である。ハイデガーが64年、既に「哲学の終
焉」と言う論文を出した。西洋哲学の無意味と無力に彼自身が失望したのであろう。近代化が便利さ快適さのためのモ
ノカネとスピードを求める余り、考える事をしなくなったからだ。

だが考えると言う事は、人類の特権であり、特に日本人の特質であり、此れが世界人類並びに環境に対しても世界最
大の貢献をするに違いない。ただ日本の哲学の原理は一切知られていないので、この「日知り事典」で逐一述べて行
く。

●哲学者・・・・・・・ソクラテスに向かって「どうすれば哲学者になれるのか」と尋ねたらソクラテスは「悪妻を持てばなれ
る」と答えたと言われる。要するに学識経験や学歴よりも、実際の社会の中で人一倍苦労すれば誰だって哲学者にな
れる(但しその哲学でゼニにするには学閥が必要か)。

と産鉄民・・・・・・・太陽は不変の金を作り、月は変化の銀を作り、星は火花を散らして鉄を作った。鉄はつまり星
の一部であり粉である。だから溶鉱炉から溶けて出てくる時も、激しく赤い火花を散らし、或いは冷えた鉄の肉をグライ
ンダーで削っても星のような白い火花を散らす。

またその鉄粉を花火に入れて点火すればまたオレンジ色の星のような火花を輝かせて飛び散る。鉄は元気の良い時
は白人のように白い肌を見せるが、直ぐに錆びて褐色になり、或いは砂鉄や鉄粉もやがて光を失って黒くなるのでクロ
ガネと呼ばれた。また鉄を釉薬にして土器に塗って焼けば黒色の陶器になる。

鉄は元気な内だけ強いが、直ぐに錆びて弱くなり、しかも直ぐに原形を失うから漢字では「鉄」の字にしたのです。鉄は
ヒッタイトが紀元前15cには作っていた事が分かっている。日本にはなかったのか、と言えば、「有った」と推定出来る
が、湿気の多い酸性土質の日本では砂漠地帯とは異なり、精々1000年前くらいの鉄器しか残っていないだけだ。

日本は古来火山列島であり黄金の国であり、ヒヒイロ金を用いた。次は青銅器を用いた。其れに対して鉄器は必ず錆
び付いて他のものまで腐らせるので悪金として、或いはクロガネとして差別し、使用を避けたのである。シナでも鉄の古
字は「銕・鐡・鐵」と書いた。「銕」とは異人の使う金属と見て来たのです。

このように稲作民の国々では鉄器を見下げて来た。日本でもタタラで冶金をしたり鉄器を作る山鉄民を夷(エビス)と見
た。タタラ関係の神には愛宕と秋葉の火雷神、火ムスビ神や火具槌神、其れに金山彦や石凝女(鏡を作った)、其れに
風の神の天一個目神、或いは丹生(水銀)都媛神などがある。

だが何れも渡来神ではなくて、日本古来の神々ばかりである。従ってタタラも山鉄民も丹生一族(丹、またはニュウを参
照)も鋳物師も和人でした。日本には渡来文明である稲作や耕作民を守る神は有りませんでした。けれども税金を払う
稲作民だけを「オオミタカラ」として優遇した大和朝廷は、彼ら産鉄民を夷とし、阻害した。

素佐乃男命がヤマタノオロチを退治したと言う神話はヒッタイトであろうし、祟神と垂仁天皇時代に敦賀や播州には大
加羅(伽耶)の王子・ツヌガアラシトや新羅の王子・天日槍(アメノヒボコ)が聖化(帰化)した。何れも山鉄民であったろ
う。しかし彼らは迫害され続けたので山岳で別世界を作り、其の子孫は漁師、猟師、或いは修験者などになった。

其れを渡来した稲作民が鬼、ヒョットコ(火男)、天狗・・・・などと恐れ蔑んだのである。


鉄砲・・・・・・・昔は火縄銃があった。此れはヨーロッパでシナから伝来の黒色火薬を銃身に詰めて鉛弾を発射させ
る武器にしたもの。日本には種子島に伝来した。発火には当初、火打石を使って火縄に点火した。種子島銃の場合は
信長の時代の長篠の戦い時に3000丁使われ、家康の関ヶ原の時には5万丁使われた。

朝鮮出兵も弓矢のかの地に鉄砲で襲い掛かったのである。此れによって日本人の価値観が大いに揺らいで戦術が大
転換した。弓矢よりも鉄砲のほうが遥かに威力が強いと分かったからです。其れまでは東西の文化が伯仲していた。

其の日本人の価値観が種子島銃を転機に、先進文明は西から東へ来るものと言う信仰へと流れが変わり、南蛮渡来
の舶来品礼賛へと急傾斜してしまうのです(渡来史観を参照)。

ただ鉄砲に付ける火薬は黒い煤の出る黒色火薬だった。此れは銃孔を汚すため今は無煙火薬(ニトロ・セルロース)
に変わり、掃除が楽になると同時に発射力も強くなった。発火は火縄から雷管式に変わって性能もアップした。鉄砲の
種類にはライフルと猟銃があり、前者は一つの弾丸、後者は主に散弾が使われる。

外にも今はピストルや機関銃、自動小銃などが出来ているが、何れも銃身によって照準を合わせて撃つ武器(飛び道
具)である。

デートdate-data・・・・・・・・・日付。年月日。異性との会合。また其の約束。ディトを参照。

テポドン・・・・・・・北朝鮮の弾道ミサイルでノドン、テポドン1、テポドン2がある。各々の諸元はノドン16.2m16.5t、射程
約1300km、1号は27m21.7t1500km、2号は35m64.0t、3500〜6000km(ジェーン年鑑から06/6/23朝日新聞)。弾道ミ
サイルの発射を禁じる国際法上の規定はない。1号の時には「人工衛星の打ち上げ」と主張した。

ただ02年に小泉/金正日による日朝平城宣言で北は「発射猶予の延長」を表明したので、発射すれば宣言を破る程
度である。

手水の作法・・・・・・神社や寺には手水(てみず)舎が有ります。御手洗(みたらい)舎とも言う。茶室には蹲(つくばい)があ
り、旧家のトイレの横にも手水(ちょうず)鉢と言われるのがあった。中でも神社の手水は御手洗いではなく、水飲み場でも
ない。本来の意味は御手洗(みたらい)、即ち盥(たらい)盤、即ち水準器でした。

だが今は身を清める場としての意味に変わっている。従って作法がある。特に柄杓で直接水を飲んではならない。今
の作法を言えば、先ず一礼して右手で柄杓を持って左手を濯ぎ、次に左手に持ち替えて右手をすすぎます。そして最
後に右手に持ち替えて水を汲み、左掌で柄杓の水を受けて、其の水で口を漱ぎます(ミタラシを参照)。

其の後は両手で柄杓を持って立てれば残った水が流れて柄杓を清める事になります。その後に一礼しますと実に綺麗
な動作になり、茶道でも此れを作法としている。

・・・・・・多くの寺院は火事の歴史を重ねた。其の時に真っ先に持ち出すのは何か。それは仏像と言われて来た。
いや寺宝とも言われて来た。しかし住職が持ち出す寺宝とは閻魔帳、つまり檀家の過去帳である。寺は質屋ではない
から質草を取らないが人には虎の巻が必要であり、其れと墓地とを質草に取って置けば檀家を意のままに出来る。

寺の因縁・・・・・・寺は日本では仏教の因縁と其れとは別の先祖祭りの役目を踏襲する。従って時代により変化して
行くとしても、其の基本から離れれば支離滅裂になる。仏教の因縁とは第一に月の教えである。月は変化のシンボル
であり、多面的である。例えば月の暦法を司った。東大寺の3/12日の修二会(お水とり)も正月を正す祭りだった。

例えば聖武天皇は奈良に大仏を建立して国家の祭り事の主役とした。つまり政治的役割です。また正倉院には国の御
物が保存されているが、其の大半が貴重な薬種・香料である。と言う事は病院の役割もあった。光明皇后は、悲田院・
施薬院を設けて病人を療養したのである。

其れ以前に、役小角は陀羅尼介と言う腹薬を作って修験道を起こしている。そうした経緯から各地の寺院の山号・寺
号には今も「薬・寿・延命」の字が多いし、古い建築材にはそうした薬木で造ったものが多い。無論、そうした薬木を護
摩木として焚いて効験を示した。

ただ人は佛徳も薬効も足りずに必ず死去するものであるから、その時には葬式を主宰した。こうして人々の姓名と戒名
を綴る以上、役場の市民課以上の立場となる。江戸時代にはだから寺請制度で役場として機能した。元々広大な荘園
を持っていたので其の経営も主宰した。つまり年貢・税金を集めた。

農事暦により水稲を指導し、種モミを貸し与えて利子を取り、同時に鐘で水利を管理して国家の下支えの事業となっ
た。人集めと金集めは事業化にとって大事である。公共工事の政治原理は古墳時代からあったが、仏教として土木事
に貢献したのが行基である。彼は弟子を率いて各地に港湾・堤・田池・道路・橋・寺・布施屋を造った。

寺はこうして天文観測で暦を管理して鐘を衝いて告知し、百姓を管理して税金を集めた。そんな所は戦乱では真っ先に
攻撃された。よって城と並んで軍事基地としても機能した。また古くから学問所としての役割があり、弘法大師の東寺の
種芸趣智院は最古の私立大学だった。

此処では「貴賎ヲ論ゼズ、貧富ヲ看ズ、教育の機会均等、給与学費完全支給制」で仏教・儒教・道教を教えた。其れが
やがて江戸末期の寺子屋となり、今の学校教育に繋がっている。其れに対して神社は素朴で律儀な面がある。寺の因
縁のある神社も多様で多角経営をしています。

仏教と先祖祭りについては今更説明を要しないと思うが、菩提寺としての役割を忘れたら寺は消滅する。駐車場や幼
稚園経営など多角経営をするのは此れも因縁であるが、基本を忘れればなくなる。因縁がなくなれば消えるのが宿命
と言うものです。

寺の字・・・・・・土に寸と書いた文字。つまり日影の動きを土に刻んで死者の命日を観測した所。

寺の数・・・・・・全国に75000寺。

寺請け制・・・・・・昔の寺社は宗教機関であると同時に荘園を持つ領主だった。だから領地や墳墓地を守るために
僧坊に僧兵を囲い、「いざ鎌倉」のように一端事あれば軍隊にも変化できた。従って戦国時代には寺が城の外郭や砦
となり、真っ先に被害をこうむった。実際の城よりも、多くは寺の方に火事の歴史が有るのはそのためだ。

従って戦後、その寺に領地が加増されたり、建物の寄進があったと寺の縁起で書いている例が多いが、無論其れは殿
様の信仰心からではなくて、戦後処理、つまり褒章・保障の意味からだった。

また北海道の善光寺は今はアジサイ寺として観光地の一つとなっているが、実は千年の歴史を持つ古刹と言われ、江
戸時代は十万石の大名と同じ格式が与えられた。つまり此処は、ロシアの感化を受けないための砦として、アイヌ人へ
の仏教布教と併せ、実は人員管理の役所だった。

此処に限らず、全国の寺院は、キリシタンへの改宗を恐れる幕府と結んで「寺請け制」とし、布教の名の下で幕府の家
僕となり、領地を支配する役場に代わって戸籍を管理し、人民の監視をした。だから坊主は立派な公僕でもあった。

所が明治になると一転して多くが廃寺とされ、其れに代わって僧が神社の禰宜になり、禰宜が神官と言う官吏に登用さ
れたのである。

(神社)の素性・・・・・・日本に仏教が公伝する以前は、日本では宗教も弔いもなかったかと言えば無論そうではな
い。各氏族の中でハフリがいて、忌シノビ事として弔いをして来た。今も各地に残る古墳はその時代に壮大な祭りがあ
った事を示しています。

この時代のハフリや忌部と言った和人の代わりに渡来した仏教が渡来人のリードで広めたものが寺である。それを国
家が継承して日本を「理想の仏国土」にしようとしたのが聖武・孝謙天皇でした。其の過程で渡来人が朝廷の貴族や高
官となり、文武を広めたし国事・仏事を司った。無論暦法も其の流れにあった。

従って律令・宗教・建築・土木・美術・工芸・武術・兵法・・・・など悉くが渡来人の支配する所となった。

この中では寺や武士だけが和人の支配である訳がない。寺の住持は東大寺など戒壇の律を受けた官人であり、その
僧籍を持っていたが、僧籍は出家した独身男性が主であるから妻帯せず従って嫡子がないので世襲がなく、弟子に引
き継いだ。こうして寺が主となって日本は男子相伝により永く神仏習合時代を続けた。

渡来人が広げた寺もやがて世代交代で和人の寺となったものの、矢張り留学僧など渡来系が占めて来た。よって寺は
和式とは別の仏教色が強まり、従って其処からが問題となるが、例えば明治に寺から分離した神社もまた和式とは別
の神社神道を残す事となる。

ただ源平以後の武士の場合は譬え渡来系であってもなくても百姓でも武士になれたし、また出家・在家を問わず僧にも
なれたので武士も僧も世襲し、神仏習合時代は僧兵として働いた。或いは広大な寺や僧坊が城の出城や要塞として両
面の意味で存在した。

寺はその後お役所に変化したものの和式よりも渡来系の因縁が強いために今は武士や僧都ではなく官僚となっていて
も日本を喰いちぎり駄目にしている感じがする。

(神社)の功罪・・・・・・「前書き」で神社と違って「寺は元気だ」と述べたが、其れは寺が曲がりなりにも先祖祭りを
しているからです。特に都市部の寺は、日本の工業化と人口集中で墓地を売って儲け、更に檀家増でも儲け、今は高
齢化で葬式でも儲かっている。

だが他方、其の分吸い取られた地方の過疎地では檀家減少で無住寺となり、放置された寺もある。此れは中央集権
化の弊害であるけれども、皮肉にも其のモノカネ主義の弊害から寺が逃れてひっそりと昔からの自然を残すと言う効果
もあるかも知れない。

(神社)の暦・・・・・・陰暦、つまり太陰暦や太陰太陽暦を使うために定例の星祭りや月並み祭りをして来た。これ
等は月を祭る仏教暦・農事暦として一般に寄与した(別紙の「月読み」を参照)。

明治まで暦は伊勢神宮暦が専売であったから「伊勢暦が一番格式が高い」と日本人は思っているが、実は日本で古く
から暦を守って来たのは天皇家ではなく、暦を作って来たのも寺院である。

寺子屋・・・・・・江戸時代の庶民の私塾、または学校。以下、「ヤフー知恵袋」に回答した中から転載。回答日時:
2008/3/10 00:33:38 編集日時: 2008/3/10 00:35:53 回答番号: 47,107,024 -----寺子屋が姿を消した理由は脱皮と
変化かと思います。寺子屋の果たした役割が如何に大きかったかは明治維新後の日本の発展を見れば分かる。

だが新政府は幕府時代を許さなかった。幕府の遺産や遺物は全て悪として「白を黒」としました。しかし彼らが大言壮
語しても新政府には財源がなかった。其処で寺を解体(廃仏毀釈)して跡地に学校を建てた。もしくは寺小屋を其のまま
「学校」と改称した。或いは役場に変えたり寺の看板を神社に宗旨替えさせて神道を国教としたのです。

無論、新政府に無害な坊主を先生に変えたり神官と言う公務員に採り上げたのである。
 
デリバティブ・・・・・・・金融派生商品。
▲照る・・・・・・

★テレビ・ゲーム・・・・・・・現今の犯罪の多発の状況から「ゲームが青少年に悪影響を及ぼす」と言う心配でこれからは
テレビゲーム規制の時代です。各自治体では余りに攻撃的で暴力的なテレビゲームの氾濫を規制する方向です。

ゲームでは簡単に人を殺せるが、問題は其れをしても自分は少しも痛くないし、他人の痛みも感じない。だから簡単に
他人を殺してしまうなど犯罪多発の原因と見られる。ただ今は子供でもゲームをしなくなった。操作が難しいからです。

よって業界では団塊ジュニアの世代に狙い撃ちをするように、より刺激的なゲームを売り出して来たので、其れを「有
害図書規制」と言う方法で規制する方向が働いて来た。

テレビ・・・・・・・ジャーナリズムとメディアの公共性としての役割は正確、公正なニュースを伝え、或いは権力の不
正・腐敗を監視し、多様な言論の場を提供する事である。だが今のテレビ・新聞はそれらの何れも果たさず、メディアを
餌とした単なる娯楽番組メーカーであり、しかも官僚的な利権集団となっている。

だからホリエモンが「そんなものはもう必要ない」と噛み付いたし、其れに国民も拍手喝采した訳だろう。メディアは放送
法と通信法でガッチリ半独占・利権化されていた。NHKと民放の受信料・広告料収入は年間凡そ3兆円である。しかし
そのために更に巨大国費が投入されて来た。

米国では放送網がどんどん削減されている今、日本では逆に地上デジタル化を進めている訳だが、此れでは国民の
血税を注ぎ込んで独占的なテレビ関係者の貴族化を増長するだけである。

どんなにテレビの性能が良くなり、またデジタル化を進めても問題はテレビ局の利権と腐敗体質による独裁独善で放送
内容の質の低下が止まらず、陳腐な不良番組しか見られない以上、社会的負担が増すだけで何の貢献度もないので
ある。その意味では日本放送とフジテレビの乗っ取りを図ったライブドアに新鮮さを感じた国民も多い。

ただ今のように劣化し腐ったテレビ局が、次には大したビジョンもないライブドアと言う名の別の手品師にすり替っても
何の進歩にもならない。しかもライブドアの自力ではなくて、他人の褌、つまり外国ファンドなどの外資系の力を借りてマ
ネーゲームを演じている以上、どっちに転んでも行く末は見えているではないか。

テレビ番組・・・・・・・此れまで日本の最大のメディアがテレビでした。このため公共の電波を割り当てて半独占の機
関として許認可されて来た訳だが、テレビ関係者の驕りが質の低下をもたらしてしまった。無論、其の裏にはGHQ以
来、シオンの議定書による「情報による世界支配」の戦略に晒されている事実もある。

其の因子に無頓着のまま、関係者が公共性を単に商売の利権としただけで、新鮮な情報の提供と報道責任、或いは
日本文化の維持継承と言う面の努力がなくなり、落第でした。維持ではなくて、専ら娯楽化で国民を堕落させる側で機
能して来たとも言える。

NHKなどはニュースを軽視し、毎日のように渡来文化とイデオロギー(異教性)刷り込みと、スポーツ垂れ流し局になっ
ていた。だから受信料の不払いが100万件に達した。其れに比べて民放は受信料を取っていない。しかし取る相手が
違うだけで広告主から取っている以上、サービスで放送している訳ではない。

何処もコマーシャルの合間に少しだけ番組を流すと言う体たらくだ。またその番組にしても何も世界に誇れるものがな
く、腹が立つほど低俗でかつ内容がない。ドタバタ番組と低俗さの何れをとっても単に日本人の良識の欠如を物語る状
態ですから、世界に恥ずべき陳腐で不良な内容である。

どうして巨費を掛けて、あんな詰まらない番組を作る必要が有るのか不思議に思うほど酷いお粗末な番組が揃ってい
るのが正月番組です。顧客(視聴者)もスポンサーも此処まで馬鹿にされている事に腹を立てないのだろうか。娯楽メ
ーカーのようなテレビ局なら幾らあっても無意味であり、全くなくても誰も困らない所に来てしまった。

日本のテレビ局を全廃して、海外の日本語版のテレビを受信したほうがずっと安くて良質の番組が揃うだろう。この為
か遂にライブドアがフジテレビに攻勢を掛けた通り、今のテレビ番組では質の低下が酷過ぎて、これでは如何に、家電
製品の質の向上があっても「テレビ離れ」からインターネットへの移行が止まらないだろう。



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