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http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」  page006.html (未定稿)


    日知り事典      ツク〜津波

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つく ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 
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▲つく
▲憑く・・・・・・とり憑く。憑依(ヒョウイ)を参照。

▲つぐ
▲机・・・・・・筑前・筑後の古称。北九州。

▲筑紫・・・・・・
▲佃・・・・・・
▲つくの・・・・・・津久野

▲つくの国(島)・・・・・・・・木兎の国(島)。

▲筑波・・・・・・・
▲蹲(つくばい)・・・・・・・しゃがむ事。茶室の庭の手水(チョウズ)鉢。

▲ツクバネ・・・・・・・衝く羽根。
▲ツグミ・・・・・・・
▲つくも・・・・・・・九十九。百より一字足らない「白」を宛てる。


▲つくも神・・・・・・ツクモとは九十九とも書く。ツクとは「憑く」である。一般的には妖怪がとり憑いた物の事で、物の怪に
も通じる。例えば江戸時代の「百鬼夜行」図にある雨傘のお化け、轆轤首、濡れ女、おとろし、泥田坊、河童(川太
郎)、山童、・・・・などの魑魅魍魎(チミモウリョウ)の事。多くは闇夜に活躍する。

こうした妖怪たちを非科学とか迷信として片付けるのは簡単であり、否定するのが常識的です。でも敢えて言えば、闇
夜を恐れる文化は科学的にはどうであれ実際は平和であり、またこうした妖怪を怖がる社会が精神的により豊かで素
朴な良い社会と言える。

▲つくも所・・・・・昔の作物所。つくも司。内裏の鍛冶・彫刻を司った職。
▲つくり--------作り。
▲つくり--------造り。

つくり(旁)--------旁。以下、「ヤフー知恵袋」への回答(回答日時: 2008/4/6 00:20:23)から転載する。------ご
承知の事でしょうが、漢字は旁と偏で構成されている場合が多い。其れを左から筆記しますが、読みは右から、つまり
ツクリから読みます。例えば漢字の漢は三水と音を表すカンによって形声された文字です。

カンは今のパソコンでは出ませんが、漢水の事。また戦前の看板や本は右から左に筆記し、右から読みました。と言う
事は、文字は右側の旁に重点を置いていた事になります。つまりツクリが文字の主体でした。例えば、「興味」の「味」も
「未」に意味が有り、読みも口ではなくて「ミ」と読みます。「未」は12支方位のヒツジを表した文字です。

此れは五行では「土」を意味した。このように、古代の文字は天文や祭りを行うための指事文字から漢字に発展したと
言えます。なのでツクリに興味を持てば、今の売学とは全く別の、真の解釈が出来て来ますから面白いですよ。


▲つこ
▲つさ

▲つし

・・・・・交差点。十字路や山頂の境界など。古墳や祭りの場となる所は、誰の私有にも属さない共有地として守ら
れて来ました。そうした所は山の上が多かった。従って山で祭りがある時には、誰にも属さない土地を通って山麓の四
方八方から一斉に人々が集まった。色んな人々が他の土地を通過しなくても集まる事の出来るように設定されていた。

それが川筋・里道・尾根道の登山道でした。従って山の頂上は四辻が出来た。今の街の中にも幾つかの隣町と接する
地点があるものです。其処も昔は、大切なものがあって人々が周辺から自由に出入り出来る辻だった可能性が高い。
こうして昔からの辻は人が交流し、物も交流した。

よってやがて辻地蔵や辻堂が立ち、お寺の前には市が立ち、占いが行われ、辻講釈があり、辻番が出来た。但し昔は
平地よりも山に主要な街道があった。と言う訳で、辻や境界点などが今は譬え辺鄙な山間部になっているとしても其処
は本来は町だった可能性が高い。或いは下町の中でも色んな町と境界を接する地点があるものです。

其処は元々大切なものがあった聖域や辻であった可能性が高い。

(字義)・・・・・十字+「え」でなる字。十字(定点)が動く場を示した。

▲辻占・・・・・辻で商売する占い師ではなくて、昔は辻に立って通行人の話に耳を欹(そばだて)て聞いて占った。
▲辻売り・・・・・

▲辻斬り・・・・・・密かに夜陰に乗じて物陰から通行人に斬りかかって人を殺傷し、或は財物を奪う事。試し切りや辻強
盗。
▲つせ
▲つそ

▲つた
▲つち
▲土・・・・・単なる無機物ではなくて大地母神、つまり地上に生き物を生かし育む存在である。

土蜘蛛・・・・・・・ジグモの別称である。能楽にも其の演目が有るが、記紀にも先住土着の穴居人として記されてい
る。葛城の山麓には土蜘蛛塚とされる所も二ヶ所以上現存する。

記紀では神武天皇の時代に大和・葛城・吉野などに穴居していた人種とされているが、一部ではなくて実は日本列島
全域にその伝承が有り、石器・縄文時代から先住していた本来の和人であった事になる。

またアイヌには「蕗の下の人」と言う意味のコロボックルの伝説があり、アイヌが北海道に住み着く以前の、石器時代か
ら北海道に土着していた人種があったと言われる。北海道のフキは大きくて、高さが1m以上になるが、それにしてもそ
の下ほどの背丈であれば体長が80cm〜1mとなる。

真空管よりトランジスターの方が性能が良いように、人の能力も小型ほど高性能である。とすれば「サルがより大きな
人類に進化した」と言う進化論とは別の真実が有った(コロボックル、フロレス島人を参照)と言える。また此れは全く非
常識な解釈と思われようが、測量族の可能性もある。

今の測量は巻尺を使うが、昔の測量は縄を使い、或いは糸を伸ばした。今は一回計って終わってしまうが、昔は手間
を惜しまず再確認を繰り返した。この場合は四方八方に糸を張り巡らせて縦横斜めを確認をした。そうすると蜘蛛の巣
のようになる。

こうした特殊能力のある専門集団がいなければ大国主命の「国づくり」も架空の神話になってしまいます。何れにせよ、
地下に空間を作って住む事は、夏は涼しく冬は暖かく、常に快適な常温空間となりますので、地上に高く建てて住む現
代文明生活よりもずっと省エネで環境に優しい暮らしと言える。

土の神秘・・・・・・・・・日本は歴史的に世界一古くから森の住人として暮らして来たので森との付き合い方が旨
い。例えば木匠たくみたちは木材にホゾを付けて建造物を組み上げて法隆寺のような千年以上も持つ建物を完成した
り、大型構造船を造っていた。造船所が海ではなくて当時は山にあったのです。

或いは再生産可能な資源である木材を炭化させて燃料とするため、山に製鉄所を造った。山の中には今でも炭焼きの
跡が無数にある。シナは陶磁器の国としてチャイナと言われたのに対して、森と湿気の多い日本は漆(ウルシ)が特産
品でしたからジャパン(黄金・ウルシ)と言われるようになった。

ウルシの食器を作るには木を先ず木地師が加工するので、江戸時代は3000万人の人口に対して6万人もの木地師
がいたと言われる。日本経済をこれまで支えて来たのは其の基本に森があったからです。しかし現在は12000万人も
いるのに、林業人口が全体でも6万人しかいなくなった。森では暮らしが成り立たない経済にしてしまったのです。

森は狩猟を支え、漁民を支え、野の作物栽培を支えて来ました。家の周りを10分ほど歩けばキノコや魚介類も一杯採
れました。それだけ腐葉土や水辺があったのです。大国主命や少彦名命が薬草を研究し、また秦の時代に徐福が仙
薬を求めてやって来たくらい薬草や山野草も豊かで多種多様でした。

其れは落ち葉が木を育て、虫を育てて、その虫がまた土を作ると言う循環が活発だったからです。土が基本である事
を日本人は知り大切にして来ました。これは肥料を施す事ではなく、肥料を撒かない工夫をした自然・無農薬の農法で
す。土から生まれたものは譬え人間が死んでも土に戻す(土葬)と言う観念でした。

大陸の様に譬え広大な陸地があっても土がなければ木は育たず、また木がなければ森が出来ず、森がなければ虫も
魚も育たない事を知っている生物経済学でした。森がなければ水不足となる事を知る科学でした。水がなければ文明
は滅びます。でも土と言う基本がなければ水も得られないのです(「木」、「森の経済」を参照)。

砂漠の砂地のような所ではなくて、山間部の腐葉土などの場合は、無機成分と有機成分とが混ざっているので、1gの
土には、数十億から100億の微生物がいる。自然の土の表面にも人が片足で踏んだ下には数十億のダニや微生物
がいて、土作りやゴミの分解に働いている。

例えば97年に発見された「白神酵母」は、発酵力が強く、グルテンや油を添加しなくともパンがふっくらと焼きあがる。
ただ土壌にいる微生物のうち、90〜99%は培養できないと言われる(此の2行は04/8/3の毎日新聞)。

さて今、水耕栽培などが新式農法として期待されているが、作物は彼らの力で自然に大きくなるのであって、工場生産
方式で水と肥料を与えて大きくしたものには不自然なエネルギーしかないだろう。土は其のほか縄文土器のように人の
心を和ませたり景徳鎮のような磁器に化け、或いはセラミックとして活躍して京セラを一躍、大企業に押し上げた。

土御門・・・・・・・諸説あって混乱しているので原則だけ述べる。五行思想の配分から古来、土用は壇の四隅であり、
暦の土用の最初が節分までの一時期であり、従って内裏では主軸となる壇(例えば紫宸殿)から東北方に置かれた
門、または其処を司る職制。

若宮も東方に置いたので其処から即位した天皇名にも此の土御門が付けられた(ミカドを参照)。

▲筒・・・・・・・
▼頭痛・・・・・・「片頭痛」を参照。

▲謹み・・・・・・・・・物忌みに際しての心がけ。恭しく、礼を尽くす事。或いは日常で他人に接した場合に謹みとか慎みと
言う性質は自分の欲を出さずに包む心であり、また相手の気持を大切にする包容力でもある。自分の事ばかり晒け出
さない心がけです。此れが昔の日本人の美風であり人間性だったが今の人に慎みは分からない。

今は慎みよりもストレスの余り、他人を指弾するような笹くれ立った心や自己主張が多くなりました。

▲包み・・・・・・・
▲堤・・・・・・・

▲つて・・・・・・・
▲つと・・・・・・・

▲つな・・・・・・・
▲繋がり・・・・・・・
▲繋ぎ・・・・・・・

津波 

▲日本の歴史・・・・・例えば阿波・徳島には岡目千軒の民話がある。此れは小松島沖に千軒の漁村があった島が突然
消えてしまった伝説である。また紀州・川岸村も村ごと消えた。

津波の伝搬速度・・・・・04年、東海沖で地震が相次いでいます。9月5日には、東海地方を中心に「津波警報」が発表
され、直後、各地で津波が観測されました。

其処で「津波の伝搬速度」について・・・・・気象庁の発表によると、9月5日23時57分に東海道沖で発生した地震(南北
方向に圧力軸を持つ逆断層型でフィリピン海プレート内部の地震)で、和歌山、愛知県、三重県に「津波警報」、徳島
県、千葉県などに「津波注意報」が発表されました(前記の「ちゆるぎ」も参照)。

その直後、那智勝浦町浦神験潮所では、6日00時17分、第1波が観測されました。つまり今回の地震では、発生から津
波の到達までは、19分しかなかったという事になります。津波の伝わる速度は非常に速く、計算上、水深5,000m程度の
深海では、時速800km(ジェット機並)のスピードになります。

1960年のチリ地震津波では、津波は18,000kmの距離を約1日で伝わり、日本の沿岸まで到達し大きな被害となりまし
た(三陸沿岸で津波高5〜6m、日本全体で死者・不明142名、家屋全壊1500余 引用文献:理科年表)。

    津波の伝搬速度 V=√(g×h) (m/s)    h:水深(m)
  <計算例>     水深        速度
            10m     9.8m/s     (36km/h)
            100m     31m/s     (112km/h)
           1000m     99m/s      (357km/h)

水深が浅くなれば伝搬速度は落ちますが、それでも水深10mで時速36km(自転車並)ですので到底、津波を見なが
ら逃げる事はできないですね。そのため気象庁では、震度3以上の大きい地震が発生した場合は、約2分で震度と観測
地を発表、約3分で津波予報を発表します。

津波の高さや到達時刻は、あらかじめ地震規模、震源などのデータからコンピューターシミュレーションにより計算され
ており、計算結果をデータベースから検索し発表しています。ですので、早い発表ができると言う訳です(・・・・・・以上
マークの中は、「いさぼうネット・災害ミニ知識」より転載)。

以上、▽いさぼうネット 災害ミニ知識 http://isabou.net/index.asp?jump=/TheFront/disaster/point/index.asp ▽財
団法人 消防科学総合センター http://www.isad.or.jp/より引用。

津波に対して思い込みは危険。津波には引き波と押し波があって、地震の直後から潮位が引いて行きます。やがて
押し波が押し寄せて来る。此れを普通は津波と言う。引き波が前兆現象です。さて津波は第一波が小さくても第二、第
三波と大きくなって次第に被害を大きくする例が多い。

しかも打ち寄せるときよりも引き波に持って行かれる時にゴッソリやられるので決して甘く見ない事。町ごと消えてしまっ
た例もあります。

宮古島と八重山諸島を襲った明和の津波では85mの高波となり、死者約12000人を出した。石垣島は島の四割が
波を被り、人口の約半数を失った。だが隣の、竹富島は死者ゼロだったと言う。また譬え助かっても、津波を被った農
地は明治になるまで飢饉が続き、疫病も続いたとの事。

津波と思ったら高台に逃げるか近くのコンクリート建物(3階以上)に逃げる。近年の津波では船舶やタンクローリーが
激突して火災が広がるのが特徴。でも津波で困るのは人間だけです。魚は大喜びだと思うし、動物などの犠牲も殆ど
ないものです。

例えば中越地震では鯉が数日前から池の表面に出てこなくなり、ネズミが前日に集団移動し、犬が直前に騒ぎ出した
と言うが、下記のスマトラ沖津波でも「何故か象やウサギの死骸がない」とロイター電が報じた。またスリランカの動物
公園には多数の動物がいたのに津波の後に「死骸が見つからない」と言うので不思議に思われている。

インド洋スマトラ沖大津波・・・・・・60/5月に起こったチリ地震はM9.5で死者不明約5700人を出した
(日本でも死者105〜142人)が、04/12/26日の午前8時、M9の巨大地震により、インド洋沿岸8ヶ国を津波が襲っ
て死者2.3万人以上(05/1/13日現在の国連集計では死者・不明が18万人となった)。

家を失った人が110万人と言う大災害となった。地震の規模は1900年以降5番目で、インドネシアのバンダアチェ南方
沖の震源地の深さは約10km。此の海域は略南北にバンダアチェ海溝が伸びており、1861年と1881年にもM8クラス
の地震があったが、今回の2004年の場合は、凡そ此の日12/26日の方角の略南北方向に地殻変動したからです。

此の為、M9の地震(05/3/23、この海域で南北45kmにわたって海底の亀裂が確認された)となった。其の後、産総
研が、04年スマトラ島沖地震によるインド領アンダマン諸島の地殻変動を確認した。

日経プレスリリースによれば、04年スマトラ島沖地震による地殻変動は、スマトラ島から1000km以上離れたアンダマン
諸島北部まで達していることが、現地調査によって確認された。同諸島北西部では断層運動により陸地が1m以上隆
起し、サンゴ(※1)が海水面上に持ち上げられて死滅した(地震に関するGoogleニュースアラート07/1/27より引用)。

さて、話を戻せば、南北に対して東西方向へ巨大津波が押し寄せる事となって凡そ30万人以上の犠牲者を出した(05
/10月現在で17万人とも)。津波の高さは5〜20m(其の後の調査でアチェ.の一部では34.9mの高さになっに達して
いた事が判明した)。

津波による被害としては史上最悪となった。だが地震や津波はインド洋やスマトラ沖を海底からかき混ぜて海を大掃除
し、腐ったものを取り去る浄化の働きもあるので津波の後は海が活性化し、蘇るのだから魚介類は喜び、何れ豊漁に
なるのである。ただ大きな被害を出したのは不幸な事です。

其の原因として、沿岸各国の地震津波防災ネットが無かった事と津波の速さが時速720kmと早かった事が指摘され
ている。だが、少なくとも現地の人たちは事前に地震の揺れを感じた筈であり、或いは「う〜」と言う唸り音が響いたと言
う。其れを軽視したのが被害拡大になったのではないか。

結果論で申し訳ないが、津波の前に海岸部は海面の異常な低下となった筈であり、歴史を知る筈の現地の人々は自
然の変化を無視せず関心を払うべきだった。

現地は日本と同様、地震と津波の多発地帯であり、特に被災地はリゾート地も多かったので観光客の犠牲者が多かっ
たように見受けられる。とすれば、少なくとも観光業者の、客に対する安全対策、つまり避難回避と誘導の配慮義務が
足りなかったのではないか。

象や水牛は直ぐ高台に逃れいたと言うし、不思議にも豹の死骸がなかったと言う。阪神大震災でも猫の死骸がなかっ
たのは彼らには種の保存(自衛)本能が有った訳だが、近代人には其れがなくなっていたのかも知れない。其れに宗
教の問題がある。東南アジアは古来、水神やアニミズムと言った多神教圏でした。

その点で最も被害甚大となったインドネシア(1/14日、現在の死者不明118570人)とスリランカは、住居を失った住民
が120万人に達したが、両国は此れまで共に火を焚き付ける様に激しい性格の一神教であるイスラム教徒とキリスト
教徒の争いの多い場となって来た所だ(291日後の05/10/12パキスタン北部で大地震)。

其の辺りの争いの火が津波と言う水神によって洗われた事にもなります。12/27日は満月だった。満月が水神の力を
増した事になり、或いは月の引き起こす満潮と重なって現地の町を何処も壊滅状態にした。しかし「この地震は、米軍
の地震兵器の実験」と報じた権威有るAFP・・・・と週刊新潮1/20号は報じている。

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津波〜ツン
津波〜ツン
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