http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」  page199.html (未定稿)


    日知り事典       こうら〜虚空

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 ・・・ ・・・ ・・・・・・ ・・・ ・・・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
●こうら ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆★▲◆★

■甲羅・・・・・・

高麗青磁・・・・・・仏教文化の華を咲かせた高麗王朝のときに作られた10〜13cの青磁である。土器を別として陶
磁器には陶器と磁器があり、磁器には白磁と青磁がある。中でも高麗磁器は翡翠に似た色合いが好まれた。特に14
c以降の朝鮮は李王朝が立ち、特有の白磁を出すようになった。

他方シナでは北宋が滅び、南宋に遷ってから景徳鎮で独特の青磁を焼き上げて世界一の磁器産地となった。

▲コーラン・・・・・・イスラム教(別項を参照)の聖典・クルアーン。イスラム寺院から定期的にコーランの声が朗々と響
き渡る。モンゴルのホーミーも素晴らしいし、日本の密教の声明も良いが何れもコーランの響きには及ばない。

・・・・・・寺社建築の縁側に設置された「手摺」と今は解釈されているが、本来は神境に巡らせた井垣に相当す
るものであり、御堂の中から外部の時空を仕切る目印だった。因みに最下層を地覆、中間部を平桁と云い、その上を
架木(ほこぎ)で組んだもので、階段が付く。階段は登り高欄と言い、端に男柱が立つ。

華麗な建築ではその根元には「根巻き」、上には「擬宝珠」(ギボシ)と言う飾り金具を付ける。この「擬宝珠」付き高欄
が御堂と神輿には必ず付けられる。字が高欄・勾欄の何れにせよ、天体観測の目印(目星)となった。またこうした階
段を昔はキザハシと言った。

字が陛下、音が「兆」に通じる言葉であるのは、何れも天と地を繋ぐ接点に位置したからに違いない。また古い民家に
も高蘭を見かける事があるが、此の場合は宿場町の湯宿か遊郭の名残であろう。遊郭は「○×楼」と言うような望楼を
気取った名が好んで付けられたが、ヒジリの代りに花魁(オイラン)などの遊女がいた。

しかし彼女たちが二階の高蘭から天体観測したのではない。そうではなくて、高蘭に寄りかかって下を通る旅人を斜に
構えて品定めして、気に入った男ならば手招きして呼び込むドラマが時代劇・テレビドラマでも見られる。

■公立・・・・・・海外には王立と言うのがあるが、日本には国公立、県立・市立・・・と銘うった機関がある。公立とは広く
住民の為に設立した機関であって、私立など一般の営利企業とは違う点を表明した所である。なので其れが近くに出
来れば住民は喜ぶ。けれども現実に何か住民が此処に依頼しようとしても応じない。

此処は上からの命令で動く所なので、一般の要望には応じられないと胸を張る。法令に基づいて作り、法令によって運
営されているから・・・と言うだろう。ならば其処は上司が私的に作った機関なのだろうか。税金を使って公私混同してい
るなら撤去すべきではないか。

公衆衛生研究所とか幼稚園とか・・・色々あるが、関係者は初心を忘れないよう心すべきである。

「好老文化」・・・・・・・堺屋太一氏は、日本は世界に先駆けて急速に高齢社会となった。もし日本で「好老文化」に成
功すれば、世界を「好老化」出来ると話した(07/1/8のNHK総合TV「団塊の世代」で)。

■ゴオ・・・・・・


午王法印・・・・・・・熊野の神・ヤタガラスを印字した用紙。神に誓って事の成就を願う場合に起請文(別項参照)を書
いたが、其の用紙に押された印璽が午王法印である(祈りを参照)。特に自分たちの信奉する神の印に誓えば安心感
がいや増す筈ですから一番に人気が有ったのは熊野の午王法印でした。

此処に書けば不確かな未来に対しても一部の安心が構築できるからです。よって他人と契約を取り交わす際には、熊
野の神、ヤタガラスの前で誓い合い、或いは午王法印の印璽のある用紙に書き記した。

熊野神社の外にも奈良の手向山八幡宮、京都八坂神社、高野山、東大寺、法隆寺、東寺などが厄除けの護符を兼ね
て出した午玉法印・法命もあった。昔は其れらを売り歩く「午王売り」と言う人が町にはやって来た(商売の秘訣を参
照)。

古学・古伝・・・・・・日本の古典には「ホツマツタヘ」や記紀がある外、各種の文献や神代文字、其れに神社の由緒
書や教派神道・寺・修験道の理法や古伝もあり、また現物として多数の古墳も実在する。だが洋学崇拝一辺倒で我国
の古学に無知な学者たちが否定するため正しく伝える解説書がなかった。

其のため、図らずも本書が古学・古伝の集大成になりつつある。

五感・・・・・・四方・五方に五行(下記を参照)を配分して、人体の反応を五感として表したもの。五方に対して人は目
耳鼻口手などで感触を得る。其れを視--聴--臭--味--触で表した。例えば四季の春は視覚。五臓では春は肝臓であ
る。春--木--青--若芽--酸--視覚--目--肝臓・・・・などが全て連関していると見たのが東洋の哲学です。

ゴキブリ・・・・・・我々は太古から自然界の枯葉や腐敗物の解体屋として特に熱帯で活躍して来た。つまり人類の
大先輩であるが、温暖化して亜熱帯化する前の昔の日本は温帯地域だったから縁がなかった。だから油の乗った
我々を見かけるのは珍しく、時として見て吃驚した日本人が「油虫」と呼んだ。

だが油を売るような生活態度ではない。我々ゴキブリは絶えず休み無く他の微生物や昆虫たちと協力して腐朽した枝
葉を腐葉土に変えるので、長期間に渡り、植物にとって最も必要な肥料メーカーだった。つまり人類社会にも貢献して
いる訳だが家の中に入って来た場合は家庭から排出された腐敗物を解体し、お掃除する役目を担っている。

だが台所に棲みついて走り回ったり食器を汚すので「気持ち悪い」とか「伝染病を媒介する害虫」との嫌疑を掛けられ
ているので立場がない。人類にとって益虫であるのに、誤解によって嫌われ、絶えず追い回され、殺されている。でも本
当は吾々を苛めたら顔向け出来ないのは人類のほうである。

ただ吾々もせめてキリギリスのように上手に鳴くとか、鈴虫君のように背中で鳴けば少しは好かれるかとも思うのだ
が、アクセク働くだけで生憎芸がないし、要領が悪いので常に辛い立場である。

ダーウィン先生は進化論(種の起源)で、「諸生物は時間の経過と共に機械的に進化し続ける」と言う仮説をぶち上げ
たようだが、ゴキブリは例外なのか、生物たちの大先輩であるのに何も進化していない。とすれば彼は嘘吐きだ。

我々は昼となく夜となく日陰者としてこんなに働いているのに、どうして人目を恐れながら働き続けて短い一生を送るの
だろう。掃除をやり残す事のないように一夏に2〜3代は世代交代しては子孫に掃除の持ち場と家人の習性(暴虐性・
危険性)を申し送り、人目を忍んで特に夜間に活動して来たので陽光にも弱い。

しかも常に水周りを掃除する使命を持つが、吾々は飛ぶ事が出来ても泳ぎが苦手なので水にも弱く、直ぐに溺れ死ぬ
事故が絶えない。夜更かしの日陰者になったので日光にも弱くなって、日向に放り出されたら凡そ2〜3分でイチコロ
だ。つまりゴキブリ殺すに殺虫剤は要らないのだよ。其の上、寒さにも弱いので関東以北には棲めない。

例外的に都内に多くなったのは、都内の暖房と温暖化で汚れが溜まったからである。であるのに人は、ゴキブリを敵視
して殺虫剤を撒き散らしている。でも其れでは何も解決しない。もし人類が吾らと共生を望まないならば、常に清潔にす
れば良いんだよ。

密室化が原因なら乾燥すれば良い。キッチンとバス・トイレには必ず換気扇を付けて年中フル回転させて置けば室内
の乾燥化と清潔さが保てる。此れがゴキブリ排除の決め手である(注:この項目を書いた者は、若いときにゴキブリ採り
器を製造した悪者である。

その結果、爆発的に何百万個も売ってしまった。従って吾々は短期間に何億匹もの仲間を失うと言う未曾有の犠牲を
蒙った。要するに前代未聞の天敵である。其のゴキブリ殺しの前科を恥じて、其の責任を此処に懺悔して吾々の鎮魂
と供養を計るために此処で我等の声を代弁したもの。大いに宜しい)。

呼吸・・・・・・息。人は当たり前のように寝ても起きても息を吸っていますが、息が絶えれば死去となるように、其れ
ほど呼吸はにとって大切であり、この「生き」を「いのち」とも「息」とも「気」とも言い、その状態を「気持ち」と言う(「気」
を参照)。

のある間はごく当たり前のように呼吸をしているので人は呼吸法に無関心ですが、実は上記の通り、命や健康の源
泉が息であり、息する事によって生物は自然界からエネルギーを出し入れして消化し生かされています。ですから時々
は深呼吸をしたい。そうすると落ち着きます。

気には天・地つまり陰陽の気があり、陽気は肺呼吸でするが、陰気は腹式呼吸で行う。陽の気は反射神経など運動す
るためには必要な息(酸素補給)ですが、健康には半分しか役に立たない。其の点で後者は健康維持にとって何より
重要ですから、意識して陰気・地気を内臓に取り入れる必要があります。それには先ず息を完全に吐く事が大切です。

凡そ普通の人は此の吐き出しが下手なので内臓が常に酸欠状態となっているため、不健康であり、其処から病気にな
りやすい。ですから残留物をいったん吐き出さなければ無駄になります。幾ら大きく呼吸をしても内臓には腐臭や炭酸
ガスなどが溜まったままでは、新たな呼気が入らないのです。

其処で何より先ずゆっくりと完全に排気する事に心がけ、それから呼気をゆっくりと腹いっぱい入れる事です。因みに
健康のためには食事も大切ですが、それには加工食品を止めて四季折々の旬のものを採るのが大切ですし、地産地
消の心得で近場の野菜を採る事です。

散歩も健康に最適ですが、其の場合も足裏から気を吸い取るように歩くのが良いでしょう。よく世間で「板についてい
る」、とか「地に付いた仕事」とはこの地気に則った状態を言うようです。

故宮(紫禁城)・・・・・・北京の天安門広場の前には天安門があり、入り口が27mも有る。次に端門--次に午門(正門)
--そして金水河(天の川)を渡る五橋があり--その次にやっと大和門に至る。其処に広さ3万uの大和殿広場がある。
此処で皇帝の即位式や結婚式が行われた。其の前の大和殿は幅60mあって中国最古の木造建築である。

屋根瓦は黄色の瑠璃瓦。黄色は五行の中心点・皇帝の権威を現した。大和殿はその数12000に及ぶ龍の彫刻で飾ら
れている。龍も皇帝のシンボルであり、其の中に皇帝の玉座がある。此処は永楽帝が造って以来、24人の皇帝が入れ
替わり、明と清朝の宮殿として400年間続いた。

故宮は、天が九匹の龍を遣わして築いたと言われる。大和殿の玉座の上の天井にも龍がいる。龍は、丸い玉を吊り下
げていて、天命が変わった時には此れを落として皇帝を殺すと言う仕掛けになっていた。故宮から少し離れた所に天壇
がある。此れは同心円状の三段の段からなるので園丘壇とも言われる。此処も1420年に永楽帝が造った。

中心に天心石があり、此処で声を上げれば反響が聞こえる「天人感応」の仕掛けである。「天人感応」とは、天から命じ
られて人民を統治する天子が皇帝であると言う思想。清国末期の乾隆帝の時代、シナには3億人がいたが拡張主義が
祟り、外寇内乱でイギリス領事から「図体だけ大きいボロ舟」と評された。

1840年にはイギリスと阿片戦争となり、敗れて1912に滅亡した。今の中国は人口13億人、世界第四の経済大国になろ
うとしている。此処・故宮は今世界遺産に登録され、一日10万人が訪れる(06/3/16のNHK総合TVより引用)。


五行・五色・・・・・・太陽は日の出から日没まで東から南、そして南から西へと天空を廻るので、人もその順序に従
ってこの世の物事を解釈しようとしたのが五行思想である。つまり円の中に四角を入れて見たものです。大自然と言う
事実・基本を前提として、其の基軸を通して他の事象・事物を多段に重ねて見る世界観でした。

よって他に幾らでも応用できるものであり、万事に当てはめて判断を助ける実践的な方法論であった。ですから極く有
り触れた「当たり前の道理」であり、特に難しい哲学ではなかった。ギリシャ哲学以来の西洋哲学は抽象的な観念論で
あり、難解なだけで役に立たない。禅問答もその類の空論であるが、そうした不毛の哲学とは逆のものでした。

ただ五行の用語を漢字にしたため意味不明や難解となり、此れまで誤解されていたので説明する。先ず甲乙(きのえ、
きのと)から始まる十干については、渡来したものではなく日本古来の太陽の祭りの原盤を順番に述べたものです。先
ず木の御柱をその場の中心に立てます。

中心に対して、東西南北を設定するために、仮の方位として5ヶ所を区画し、其処も名付ければ併せて10ヵ所を指差
す事になるので十干と呼んだ訳です。先ず木の上と、の下(木の止)、次にの上、日の止、の上、土の止、
上、金の止、の上、水の止と次々呼ぶ。其れを漢字では甲乙丙丁、戊己庚辛、壬癸として十干と言った。

しかも其れを二つづつ括り、漢字で「木・火・土・金・水」の五要素と見たのが「五行」です。そのように呼んだのは観測
前には方位がまだ確定出来ないからです。其処で先ず地面(平面上)を四方に分け、其の中心を定点として木を立て
て、仮の南北線を元に四方を仮定して仮に五方とした。

そして其処に落ちる日影の位置を次々と地面に記す言葉として十干が使われた事が分かる。こうした場は水準器とし
てモヒトリ(別項参照)と呼び、或いはヒモロギとか御手洗、ミズハや玉串の祭りとも呼んだ。

つまりこの場は水準の要点であり、其れに対して空間を移動する天の太陽を垂直に立つ柱に重ね、同時に下に広がる
平面的な水準器と結び付ける場でした。そうした祭りの場を五行の第二の前提として設定した(第一の前提は円環)。

このようにして南北線を軸として平面上を四方に分け、其の中心を定点とすれば五方(キツヲサネ=東南・中・西北)が
決まるので、その場を太陽観測の場とした。其処から観測される太陽の位置を十干とし、季節の移り変わりを四季(五
季)とし、その他の動きと変化を五行と呼んだ訳です。

10干や五行は必ず甲(きのえ)と乙(きのと)から始まる。東に木が配分されるのは日の出の位置であるからです。方
位の東・南・中・西・北を古来、「キツヲサネ」の順番で呼んで来増した。其処で甲乙は東を意味し、東は即ち「木」と決ま
っていた。

よって五行では五方を五季(気)と重ねて見た。季節の春を東・木とし、夏は南・火とし、中心を、秋は西・白、冬は
北・水とした。

またこの五行に木星周期(12年、エト)倍したのが 60干支でした。今の日本人は五行や十干がシナから渡来したもの
と誤解しているが、実は日本が独自に生んだ哲理でした。つまり干支と五行とは同じ観点に立った方理でした。其処に
立脚した哲理として後述の五大、五色、五臓、等があり、それらは中軸と四方に幾重にも重なる統一哲理でした。

中でも五大(別項参照)は五行と直交する立体的な存在を示した。所で、節分や修二会には決まって鬼が登場するが、
鬼とは方位によって暦を正す役人たちの事だった(「鬼」を参照)。従って鬼が今でも五色の別で、赤鬼・青鬼などとして
出て来るのです。しかし、単に五の数を頭に付けても、方位と言う枠に嵌らないものは排除される。

五色の場合は東西中南北が・黄・白・となるが、此れは方位に従って朝日から夕闇までを象徴する配色でし
た。其処から五大明王(下記「五大明王」を参照)や鬼も今に伝えられている訳です。色は色でも色即是空つまり時空で
あり、其の枠内で活動する波動であり表象ですから色気や情事とは違う(下記の五大」も参照)。

因みに、神社の内陣には今も五色の旗が飾られるが、此れは其処が方位による暦法を司った軸足であるとの名残を
示しています。カンボジアの12cのヒンズー教寺院・アンコールワット(同項を参照)もこの五行による観測の場だったと
推定出来る。

また曼荼羅や灯籠、五輪塔、其れに造園、或いは相撲や茶道も先の五行の理を応用・踏襲・変化したものです。或い
は九星学や陰陽道、更には忍術や兵法も五行を応用し変化させたものでした(「五大」と「十干」を参照)。所がこうした
優れた哲理もその後は変化し、万物の生成を五つの要素(木火土金水)の関係式として見るものとなった。

特にシナの陰陽五行説は、五要素が相生と相克と言う五角形の図式で説明されるようになった。此れが例えば安倍晴
明の使ったセーマン(別紙の「星の暦」を参照)であり、或は米・国防総省のペンタゴンの形である。此処から呪術・占い
や兵法、東洋医学(漢方)、及び軍法・西洋医学へと発展した。しかし其れらは本来の五行とは別である。

であるが、今の日本では、逆に、干支も五行説もシナから渡来したものと誤解され一般にも信じられている。 

(五色の配分図)・・・・・四方(東南西北)の中心「中」が有って「五方」と言い、五色の中心(黄色)となる。

       南   
       北         

実際はこの方形の周りに円環を描いて五行配分を説明するものであり、自然の中にあると言う大前提を忘れて方形
だけを見れば誤解する。

他方、ギリシャ数字では1から10までをTUVWXYZ[\]と書くが、Tは御柱、Xは其の柱の作る影の角度、そ
して]は10であると同時に四方を結ぶ中心点を示したものと解釈できる。とすれば此れも天文観測、つまり日本式の
五行思想(「御柱」を参照)から出た方位文字からの数字だったと推定出来る(次項も参照)。

五行説・・・・・・・序ながら大陸に行って変化した変相・五行、即ち五行説について述べて見る。此れは変化した仮
説であるから先の五行とは別に五行説と言う。特徴としては形が方形ではなく五角形の星型(「ペンタグラム」を参照)
になる事です。

人の掌は紅葉の葉のように指が五本づつあるからこの互角形で相生と相克関係を説明すれば実に理屈が合っていて
理解し易いし面白い。先の五行(基本形)は自然界の現象として東南・中・西北に対して木火土金水が配分されている
のに対して五行説の場合は四方を崩して五方位に木火土金水を配分する。

方位を崩せば自然界の力が働かないから問題であるが、一巡する順番が、方位を無視して時計回りに→木→火→土
→金→水→木・・・・・と回るものとした点が特徴である。そうすると「木は火を燃やし、火は灰・土を作り、土は金を生じ、
金が冷えれば水を生ずる・・・・」と言う循環が想定出来ます。次に其れを逆に踏む事も出来る。

先の循環を反時計回りで1つ飛びに進めば、「木は土を食い(封じ)、火は金を溶かし、土は水を止め(剋し)、金は木を
切り、水は火を消す・・・・・」・と言う時計回りの論理で相克関係が有るかの如く旨く説明できる。問題は其処である。先
の五行では中心に「土」があって五要素が直接作用しあう事が出来ない仕組みにある。

其の点、五角形にすれば一々中心の「土」に戻らず極端から極端へと直線的に進む(直接作用し合う事が可能)ので
話が早い。しかし其れは「土」の代わりに人間が関与すれば成り立つものの、人が仲立ちしなければ自然循環では成り
立たない、と言う無理が分かって来る。つまり其処にも矛盾があるのです。

ですからそうした前提を考えずに、五行説を必然性として理解すれば誤解によって間違う。兵法や医学に応用すれば
飛んでもない失敗や誤処置をする事になる。例えば「水は火を制す」と言う事を兵学に応用しても、其の可能性がある
だけで現実には何も起こらず逆に「火性が水性を」負かす場合もある。

しかし此れが法則のように信じられて東洋医学や兵学や茶の湯に昔から活用された。よって今もこの信奉者が殆どで
ある。さて此れを図解しようにもパソコンでは旨く行かないが・・・・・・

    ★時計回りに   →  →  
                           ↓
                       ↓金と動いて

                   ←水←


次に五行配分の主な意味と関係を掲げる。


五行
五色  五臓
 

 
 青  肝臓・主眼  
 
 
 火 赤 心臓・主舌
 土
 黄 脾臓・主口
 金 白 肺臓・主鼻  
  
 水 黒 腎臓・主耳



外にも五行説では木→火→土→金→水を人体の臓器に配分して各々肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓とする。其処で例
えば肝臓病の患者に対して東洋(五行)医学では「金が木を切る」と解釈して診断を下す。つまり「木(肝)を痛める原因
は、金が木を切るからだ」として金星の肺臓を犯人・病因に見立てて、その肺を少し弱らせるための薬を出す。

薬は土星を意味するので其の介在役となって強者を挫いて弱者(木星)を救うため金星を痛めつける役回り(毒薬)とし
て働かせる訳です。しかしこうした対症療法を続ければ元気な所を次々弱らせて行く為徐々に全身の体力低下になっ
てしまうので元も子もなくなる心配が有ります。

都会人は緑があれば其処が農地や公園であっても「自然に接する」と無邪気に喜ぶかも知れない。其れは無理もない
事でしょう。また逆に、緑に囲まれていても「何もない」とボヤク地方の人にとっては其の町や村の全体とは人口数や企
業数、得票数、或いは地域経済や歴史的遺産を言うのかも知れません。

でも、全体とはそれらを含めた、山や川や虫や小鳥たちまで包括した大自然である。とすれば、五行説と言う人為的な
理屈は狭過ぎて極く限定的な場だけしか当てはまらない論理と分かる。自然界であれば人間などが手を出さなくても旨
く回り、黙っていても森羅万象が生き生きしているものです。其処へ人が介入すればロクな事がない。

無知・無関心とその逆の欲や知識や善悪のイデオロギーで五行循環のメカニズムを狂わせ、或いは収奪を続けて壊し
て環境破壊としたのが現実です。逆の見方をすれば、人類が打算や科学で人的に行わない事を自然界は黙ってやっ
てくれていると分かります。とすれば自然とは実に偉大な五行の哲理の生きた見本であると思います。

◆古曲・・・・・
◆コキリコ・・・・・・赤小豆を入れた竹製の楽器。子切子。
◆こきん

●古今伝授(コキンデンジュ) http://www.gujo-tv.ne.jp/~kokin/index.html「古今伝授の里フィールドミュージアム」より
引用---古今和歌集の中の語句の解釈に関する秘説などを特定の人に伝授すること。三木・三鳥が中心で、切紙伝授
を生じた。東常縁に起り、宗祇に伝わる。

宗祇から三条西実隆を経て細川幽斎に伝えたものを当流(二条派)、宗祇から肖柏に伝えたものを堺伝授、肖柏から
林宗二に伝えたものを奈良伝授という(以上引用)。薫り高い文化を郡上八幡で伝えている。
 
●古今和歌集(コキンワカシュウ) http://www.gujo-tv.ne.jp/~kokin/index.html「古今伝授の里フィールドミュージアム」
より引用---8代集・21代集の第一。勅撰和歌集の始まり。20巻。紀貫之・紀友則・凡河内躬恒(オオシコウチノミツ
ネ)・壬生忠岑(ミブノタダミネ)撰。905年(延喜5)または914年(延喜14)頃成る。

六歌仙・撰者らの歌約1100首を収め、その歌風は調和的で優美・繊麗。真名序・仮名序がある。当初、「続(ショク)
万葉集」といった。古今集(以上引用)。

古今和歌集・・・・・・・古今集。二十一代集の1つとして平安時代の醍醐天皇の勅撰により紀貫之などが20巻を編集
した。当時の漢詩に対する伝統的な和歌、即ち大和歌である。別名・続万葉集。とは言うものの素朴な歌風の万葉集と
は違って、優美、繊麗。先ず四季により342首が選ばれている。

何故かと言えば月の暦の1年が28.5×12=342日になるからだろう。次に恋の歌が360首ある。男女の恋は直接出会う
前に先ず和歌のやり取りをした。360と言うのは円環で360度になる数であり、日々ぐるぐる廻す事も出来たに違いな
い。

小野小町の場合は、
         「思いつつ、寝ればや人の見えつらむ、夢と知りせば醒めざらましを」
と書いている(06/10/17のNHK教育TVより一部引用)。

古今集の中の難解秘密の部分を伝える事を古今伝授と言った。堺伝授や奈良伝授があり、細川幽齋は二条伝授を受
けた(前項を参照)。

◆こく

虚空蔵菩薩・・・・・・・・丑寅歳の守り本尊として親しまれる虚空蔵菩薩は、漆器関係者の祖神・守護神でもある。
其処から秦氏との関係も見られる。虚空蔵は如意の宝珠を持つ尊像で現される。福島では円蔵寺、常陸では東海村
の虚空蔵堂、或は鎌倉の円覚寺、愛知の虚空蔵堂、伊勢の勝因寺が知られる。

また奈良の北僧坊、額安寺、そして京都の虚空蔵・法輪寺が古来名高い。法輪寺の東北東に広隆寺が有り、また法
隆寺の北北東にも法輪寺があり、矢張り虚空蔵菩薩を祀っている。大阪・天野金剛寺に対する下里・虚空蔵も同方向
にある。そして凡そ虚空蔵堂は寺院の境内の外れに置かれる。

高台が多いが人の通行するような所ではなく、孤立した所である。特に丑寅の方位に建てられる。行者は五穀絶ちなど
して此処に籠り、人と会わず人を避けて呪文を唱え続けた。御堂(別項参照)にはシトミ戸の桟が嵌め込まれて方眼の
目の様に張り巡っている。

本来の御堂はつまり天文観測の場であり、特に虚空蔵堂は東北に位置して観測する場であった。其の格子目を数える
ように行者は寝食の暇もなく呪文を繰り返す。こうして夜明けの明星(金星)が口の中に飛び込んで来れば智恵が増
し、かつ超人的な記憶力が得られると言う。真言密教では此れを虚空蔵グモンジ(求聞持)法(別項参照)と言う。

虚空蔵菩薩に対して真言密教で使う呪文(マントラ)はオン・バサラ・アラタンノウ・ソワカである。凡そ徳の高い高僧は
此のグモンジ(求聞持)法を習得したと言われる。また雨乞い(別項参照)などにも此の法が効験を現した。そうした信
仰から十三仏(別項参照)信仰や十三参り(別項参照)の風習となったケースもある。




▲国分寺・国分尼寺・・・・・・以下、次ページへ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ■▲◆★

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