http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」  page198.html (未定稿)


      日知り事典      コ〜公務

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こうら〜虚空
こうら〜虚空

・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆★▲◆★

・・・・・・「こ」は子供であり、数字では「九」を意味した。また「此処」や「アソコ」と言うように、場所をも意味した。

・・・・・・児。方位では子をネ(別項参照)とした。次に女子の名前に子を付ける意味について、「ヤフー知恵袋」に
回答した中から転載する。回答日時: 2008/3/24 13:34:09 回答番号: 47,788,283 ----女子に限らず昔から大事な子
には子の字を付けました。例えば聖徳太子や遣唐使の小野妹子。

もっと古くは天子・神子・御子・皇子・・・・シナでも孔子、孟子、老子、荘子など諸子百家の実名とは別に子を付けまし
た。昔から子は北に位置して南の太陽を観測して暦を知り、先祖を祭ると云う意味・立場が有ったからです。

・・・・・・・方位の真南。暦では夏至。時刻では正午。午の字は「矢印に十字」で正面を印した文字。だがエトで午を
ウマとしたので生き物の馬と今は混同するようになった。

●五・・・・・・二、即ち天地を十字で結ぶ定点。また画数で五つになるので「5」の数を表した。

■呉・・・・・・・・シナの春秋時代の列国の1つ。周の文王の伯父・太伯の建国と言う。または三国の1つ。孫権が江南に
建てた国。または五代十国の1つ。淮南・江東に有って揚州を首都とした。及び江蘇省の別名(以上は広辞苑)。呉の
服が呉服。

ゴア・・・・・・・・インドの西海岸。
●コア・・・・・・・核心。鉄心。

・・・・・・男女の恋愛、慕情。古来人生の花とし、昔は恋歌を相聞歌とも言った。でも実際に効験が有ったのは詞を
返させない工夫を凝らした回り歌であったようだ。或いは昔から人は気になる「恋人」を「恋ウラ」で占ったり「恋文」を交
わして「恋の絆」を強めようとした。素敵な人には「恋草」があったり「恋敵」も現れるからでした。

歌謡曲にも恋をテーマにしたものが圧倒的に多い。特に女性にとって恋は人生の最大テーマです。ですから恋を堪能
するなら携帯で何時でも会えると思わず寧ろ「此れが最後」と思って会う。そうすれば一層感動的です。でも恋焦がれ過
ぎれば「恋の病」に罹ったり、「恋の闇路」に踏み込んで「恋は盲目」などと言われたり、邪恋に走る事にもなりますね。

特に男性は「秘密の恋」などを彼女に求めれば裏切られるからご注意を。恋仲となった自分の幸せを噛み締めた女性
は必ずその内、「あの人は私にこう言ったのよ」と誰彼なしに自慢し、言いふらしたくて渦ウズして来るのですから(「愛」
「声」「匂い」を参照)。

五位・・・・・・貴族として昇殿を許された最下位の位。正、従の別のほか、上下の別がある。

▲五位鷺・・・・・・醍醐天皇が神仙苑で名付けた鷺の1種。背は緑黒色。樹上に群棲し夜、飛びながら叫声を発する。此
れより大型で青い鷺は青鷺(別項参照)である。

▲五音・・・・・・ゴイン。5つの音律。

▲五韻・・・・・・アイウエオ。


・・・・・・物理的には音波の一形態だがそんなに単純なものではなくて多種多様動き回っている。ジェット機や選挙
カーの騒音にかき消される中にも、注意していればウグイスが恋の伴侶を求めて囀る声が聞こえたり、ラジオから流れ
る女性の艶かしい声やプレスリーのセクシー・ボイスなどが交差して聞こえるのが日常です。

彼のボイスはフェイス(顔)以上に女性の全身を痺れさせるパワーが有ります。外にも美声、犬の鳴き声、雀たちの
声々や子供たちの喚声、お声がけの声、男子の声変わりの声、テレビの音声、天の声(福田総理が聞いた?)、暴力
的な声色(こわいろ)、声音(こわね)、弱音(弱音)、猫なで声、ガラガラ声、シワガレ声、煩い声など色々有ります。

なので、300m/s程度の振動波として一律に規定できないほど多様で微妙な声が入り混じっています。ソプラノ歌手の
美声や本人だけがうっとり出来るカラオケの声も有ります。声の強みは「見たくない」と思って後ろを向いていても、勝手
に此方に聞こえてしまう点である。暗闇でも聞こえます。譬え美人でも暗闇では通用しません。

美人の欠点は此処にあります。美声の方が美人に此処では勝てるのですから容色に自信のない方でも諦めずにもう
少し声色で頑張って見ましょう(匂いも参照)。

・・・・・・公務に対して私があれば「公私の別」などと言う。この場合の「私」は所謂プライベートと理解されるが、果
たしてどうか。公私は共に「ム」と言う旁を使っている点で、元々共通性があると言えるからだ。「ム」は要するに角度で
あり、観測作業を意味した(「ム」「公務」を参照)。

次に上の八の字は八方を意味し、祭りの場の中心点から四方八方に公平分割する役目を示したものである。其れに
対して「私」の字は、ノギ偏に代わる。其処で両者の違いは公が天空や時空に関する形而上的な事であるのに対して、
「私」の場合はそれ以下の度量衡など物質的・経済的な行為を私事(国事)として見たものと判断すべきかも知れない。

豪雨・・・・・・H5/8月の豪雨では鹿児島で71人が死んだ。またH18(06)7月の場合は、台風の余波による豪雨であっ
たが「梅雨前線の停滞」と予報して来た。此のように7/23日になっても解説して来たので一般の油断を広げて被害拡大
とした面も有るのではないか。

因みに気象庁は先の大雨を7/26日になって「平成18年7月豪雨」と命名したが、26人が死んだ。命名すれば関係者が
全て責任回避できるのだろうか。北朝鮮では10〜20の雨で6万人が家を失い、国連に食糧支援を訴えた模様。

▲交易・・・・・・物々交換または商い。トレード。今の歴史家や発掘関係者は遺跡からその土地の産物とは何か違うも
のを見つけると一々喜んで、「当時、交易があったと見られる」と解説する。つまり交易がまるで人類の文化文明のバロ
メーターであるかのように錯覚した上で解説して来た。

だが其れは経済学者やモノカネ主義の見方であり、余り意味のない固定観念ではないのか。交易は単に物資の流
通、つまり交通手段の発達や経済活動の一面だけであって文化とは別の次元の異質の問題です。其の程度の事なら
渡り鳥でも昔からやっているのです。

ですから歴史家ならば、何故其の流通が行われたのかを洞察しなければならない。物質を通じて、人がどう言う精神か
ら関わり合い動かしたのかを判断して説明すべきである。先祖のための祭りとか友情による援助なのかを判定すべき
であって、「全て商取引」と判断するような薄っぺらな価値観で断定して貰いたくはない。

次に交易の利益について述べる。

▲交易の得失・・・・・・戦後の日本は交易で成長したように見られている。確かに朝鮮戦争とベトナム特需で儲けた。
其の関係者はその後、東南アジアに遊びに行って色んなものを買わされた。安く買って日本国内で高く売って儲けた。
其れが貿易や経済交流であると思い、日本は貿易立国を目差し、此処に国際交流をしているつもりでいた。

或いは衣類や日用雑貨を海外に発注した。次は自転車やバイク、其れに青果物を扱うスーパーや家電、そして自動車
業界も進出した。此れによって日本人は円高差益で安い買い物が出来た。でも次々とコピー商品が出回った。流出し
たノウハウや技術はもう戻って来ない。其れが此れまでの「国際交流」だった。

其れによって、今や家の中はプラスチック製品と衣類で溢れ、町の中にはゴミと放置自転車が溢れた。確かに安い雑
貨や安い野菜を手に入れた。何処のスーパーに行っても同じようなものが山積みされて並ぶようになった。でも商店街
の多くがシャッター通りとなったし、中小企業が潰れて行った。此れが交易や「国際交流」の結果である。

中韓に貢献して反日が増えた。こんな事が豊かさであり、将来も益々発展すべき日本の目標なのだろうか。こんな事の
ために農漁業を犠牲にして「お詫び外交」を続け、英語を習ったり国を挙げて米国に隷従したとすれば馬鹿ではないの
か。

公益通報者保護法・・・・・・組織内部の違法行為を通報した職員を不利に扱う事を禁止する法律として04年に成立し
た。内閣府はウェブサイトを開設し、相談ダイヤル03-3581-4989の外、東京・京都・大阪の弁護士会も相談窓口を設け
ている。


▲公益法人・・・・・・公益法人の数は25541社。例えば虎ノ門には財団や社団法人が密集している。しかし公益と言う
看板とは裏腹に甘い汁を吸う伏魔殿であり、天下りの温床になっている。全体の中の6630社が天下りした法人であり、
16225名が天下りである(「官僚」を参照)。

公益とは言っても実情は補助金と助成金5.54兆円に与り、しかも官僚の私益団体になっている(06/4/15のabcTVより
引用)。因みに特殊法人と言う隠れ公務員も含めた実数は人口1000人当たりで米国の81人、フランスの96人に対
して、日本は35人であると言われる。

単純計算では少ないとも言えるが、各業界の隅々まであらゆる面で官僚化と硬直化が目立つのが日本の実態である
(「官」「官僚」を参照)。

▲航海・・・・・・日本は古来、海洋王国であり、南洋やペルーまで行った形跡がある。ペルーに縄文土器と同じ土器が
あったのだ。また記紀には応神天皇の時代の枯野・軽野の地名が出ている。河野・神野・高野・向野・加納の地名も各
地にあるが、此れは「カヌー」の語源であろう。

イスラム教がアフリカ東岸のザンジバル辺りにスワヒリの地を作ったが、スワヒリとは「沢尻」にも聞こえるが、意味は
「海岸の岡」である。ともあれペルシャ人がカヌーに乗り、貿易風に乗ってかの地にイスラム文化を伝えた。

公害・・・・・・かつての鉱害や大気汚染、そして今はゴミ公害、アスベスト公害など。其れに加えて公務員公害が目に
余って来た。

★光害・・・・・・夜は暗いのが当たり前であるが、「暗くては防犯上良くない」としたり、町中をラスベガスのような不夜城
にして、其れを「進歩」とか「都会的」と見たのはイナカ者の勘違いだった。東京砂漠の若者たちは夜に街が明るいから
星空の美しさも知らず、また外灯が有る所では稲の穂も実らなくなった(「ライトアップ」を参照)。

公害防止協会・・・・・・此の協会パンフレットによれば、既に32年にわたって公害防止管理者・国家試験の受験対策
講習会を企画・開催している・・・とある。大阪事務局として封筒に電話番号などを書いてあるが、財団などの法人では
ない。

関係業者にダイレクトメールで国土交通省・国家資格の「講習会のお知らせ」をしているが、4日間の「第三種・下水道
技術検定」受講申込金が凡そ10万円。

光化学スモッグ・・・・・・・日本では高度成長期の昭和40年代に四日市公害などで問題になったが、今は中国の光
化学スモッグが黄砂と共に日本上空を覆って問題化している。中国では晴れていても黄砂と大気汚染(ダイオキシンや
光化学スモッグ)で曇っている。中国では其のため毎年40万人が死亡し、7500万人が喘息に罹っていると言う。

日本は06年から連日強い黄砂であるが、特に10/18日は強烈だった。しかし何故かマスコミや気象庁は一切此れを報
道しない。原因が北朝鮮の核実験にあるのか、其れとも中国東北部からモンゴルの異常乾燥にあるのか不明だが、
日本に越境汚染を及ぼして、日本海側の森林を枯らしているのだから、日本人は毎日お風呂に入るほうが良い。

外出するときも帽子を被ったほうが良い。服装は白色系が良い。外出から帰宅したら服の埃を落としたほうが良い。今
広がる黄砂は東風が吹き返すか翌日に雨が降るまで当分なくならない。それまでは以上の点を気に配るべきです。黄
砂は発癌物質も含む。其れらを大量に運んでいるからです(黄砂を参照)。

(ホワン)・・・・・・中国では長江に次いで大きな河。黄河は北部、長江は南部を流れる。

黄河断流・・・・・・大陸の渇水が続いている事に加えて、沿海部の水の需要増大に伴って川が黄海まで至らず、途
中で止まっている現象。此のため長江から黄河まで運河で引く計画が進んでいる。

けれども其れでは長江の水が少なくなり、海水が逆流する心配、つまり塩害となり、アラル海(別項を参照)と同じ結果
になると、世界の一部識者が懸念している。

抗癌剤・・・・・・肺癌の特効薬として一時人気が出た抗癌剤イレッサでは多数の死者を出した。製造販売元のアスト
ラゼネカ社(英国)がこのほど大規模臨床試験の結果、延命効果は何ら確認出来なかったと厚生労働省に提出した(0
5/3/23)。

であれば「国民の健康」を守るために存在する当局は詐欺・殺人罪で告訴するか販売禁止の処置を採るべきだろう
が、残念と言うか怠慢なのか、尚も放置の構えである。

高気圧・・・・・・1気圧は0℃の時に水銀柱を760mmまで押し上げる。此れをミリバールと言ったが、今はヘクトパスカ
ル(hPa)と言う。日本の場合、平均して15℃なので気圧も平均値が凡そ1018ヘクトパスカルである。ただ大気が太陽
熱によって暖められると上昇気流となって、其の場は低気圧になり、其れに対して日影の地域は高気圧となる。

ただ高気圧と低気圧とは絶対的なものではなくて周りとの相対的なものである。高気圧には余り移動しない大陸性のシ
ベリア高気圧があり、また移動性のものとしては太平洋高気圧などがあり、前者は冷気で乾燥性、後者は温暖で湿潤
である。何れも地上の気圧であって、山の上などは低気圧である。よって沸点が低くご飯が炊けない。

其れを逆に利用した計器が航空機などの高度計(バロメーター)である。

航空機・・・・・・

航空機産業・・・・・・戦前戦中の日本は世界一のゼロ戦(海軍戦闘機)があって米軍を散々悩ませた。だから敗戦
後に米国は日本の制空権を奪い、しかも日本に航空機を作らせなかった。しかし其れでは優れた日本の航空機の技
術が絶えてしまうとして必死の努力があった。占領下から抜け出した頃に漸く日本がYS11の開発に成功した。

官民一体となって辛苦の結果であった。ただ島津製作所により1機5億円で182機を作ったが中々売れずに360億円の
赤字を出した。よってS37(1961)年になって、製造打ち切りとなった。朝鮮事変が終わって緊張が薄れた頃の池田・ケ
ネディ時代である。しかし徐々にYS11が世界各地で人気が出て定評となった。

今もYS11が世界を現役で飛んでいるが、主力はカナダとブラジルの小型ジェット機が活躍していて、其れをロシアと中
国が負い掛けている。こうした中で三菱重工が次のチャンスを狙って開発を進めているが、資金面で不安であると言う
(06/9/28のNHK総合TV「クローズアップ」より引用)。

かのブラジルでさえ出来たのに、経済力も技術力も申し分の無い日本が此の有様では情けない。ブラジルと違うのは
日本が米国の事実上・植民地であり、従って制空権も無く、従って北朝鮮でも乱発するミサイル(ロケット)さえ上手く行
かない。車は日本に取られたが、ミサイルやジェット機は決して日本には譲らないと言うのが米国の本音であろう。


高句麗・・・・・・漢の成帝の頃、ツングース族の扶余人・朱蒙(東明王)が建国したと言う。満州南部から朝鮮北部に
わたり、広開土王の時に全盛となり、其の都は421年以来、平壌としたが、漢民族である唐の高宗と朝鮮民族の新羅
によって滅ぼされた。因みに高麗と言う場合は前37年から668年。

高句麗王国の都は今の中国の桓仁にあった。其の遺跡群を訪れる韓国人観光客が年間5000人ほどある。04年に下
記の五女山(823m)が世界遺産に指定された。五女山は、山頂を平らに削った山である。此処に紀元前1cから西暦7c
まで高句麗初期から山城が築かれていた(06/3/8の朝日新聞より)。

孝行・・・・・・北伊勢の「養老の滝」や楢山節孝(蟻通明神を参照)は親孝行の美談を伝える。親が子育てするのは
動物だって出来ます。其れは彼らにも本能的な使命感や母性愛が有るからです。だが子供が親の面倒を見ると言う場
合は事情が違うので動物はしない。此れはつまり動物愛・母性愛ではなくて人間性である。

だからかつて世間では「孝行したい時には親はなし」と言いました。出来る時の孝行はシテ当たり前であって、格別孝
行ではないと言うのでしょう。所が例えば自分の親への孝行も中々出来ないのに、夫の代わりを他人である嫁がしてい
るのが世間一般です。自分の親ではなくて、義理の親の舅・姑を見るのは心身ともに疲れる。

譬え愛があり、人間性が豊かで教育が高くとも、或いは遺産などに対する期待感(打算)が高くても疲れるだろう。
気苦労も行き違いも多いのに報われる事も無く空しいと思うに違いない。それでも其の親を敬い仕える事を孝行として
世間が讃えた。人の世は此れを美徳とする点に於いて古今東西変わらない。

しかし譬え世間から美徳と讃えられなくても、陰徳を積む最も貴い人間的な行為が「孝行」かと思います。でも其れを
「当たり前だ」と要求するのではなくて、感謝する親がなければ続きません。

考古学・・・・・・・・考古学とは地中のものを調べる学問である。ですから天文には無関心でも良かった。南蛮渡
来の西洋的唯物史観の学問では其れでも良かろうが、そうした観念から専門馬鹿が生ずる事となった。古の日本では
専門的な分化を避けたのに今の関係者が其れに気づかなければ愚かである。

日本は昔から専門よりも世間の常識や血の通った道理を重んじた。分業の前には統一哲理のような一元思考があっ
た。例えば天文に対応する地文を暦法として記した所が古墳である。ですから此れを如何に考古学的に発掘したって
古の謎は解けない。古代は専門化、分業化はしていなかった。皆が一緒に一つの目的のため仕事をしたのです。

だから考古学で其れをバラバラにして分類・分析しても何も分からなかった。にも拘わらず考古学者たちは古代の事な
ら全て分かったと豪語して来た。ボランティアで学問を楽しむ古代史ファンならそれでも良かろう。だが税金を使った行
政の一環として、科学的に立証できない講釈を垂れるのは困る。

個人的な観念を科学や学問として、或いはまるでカルト教団のようにバラマクのでは困るのである。日本には大陸のよ
うな魔女やシャーマンはいなかった。少なくとも公式祭典では呪術を採用しなかった。しかし例えば古代遺跡から何か
が出て、其れが西洋式考古学では意味不明である場合の殆どは「古代祭祀跡」と言うレッテルを貼る。

或いはそのように講釈し、其処が祭りの場であり呪術がなされたと講釈するが、殆どは誤解である。祭りは天神か先祖
か、それとも蛇か水神かなど、主神とするものの違いによって祭器も場も違って来る。所が無宗教の考古学では其の
違いさえ分からない。

分からない者が専門家として遺跡を掘りつくしたり講釈を垂れるのだから謎解きも出来ない内に別の多くの問題まで残
した。その祭祀跡の多くは太陽観測の場であり、暦法を確認した祭りであった。でも彼ら考古学関係者はそうした解説
ではなくて、先の誤解(嘘)を振り撒いて、其れを元に飯にして来た。

のみならず第一級の歴史資料を破壊して獲物を取った。其れは高松塚やキトラ古墳の例(埋蔵文化財を参照)を見て
も明らかである。或いはゴミのようなモノだけ拾い集めて手柄とし、更に自ら埋蔵文化財に指定しては箱物行政に手を
貸した。けれども当初の命題である「謎の解明」と言う使命は何も果たさなかった。のみならず遺跡を次々破壊した。

東日本の石器捏造事件も其の体質を暴露したものであるが、00年から5年経った今も何も変わらない。関係者は無
反省のまま、論争なき無批判体質の権威主義の体質(05/11/8毎日Sから一部引用)である。古墳と同様、考古学
会は矢張り「聖域」であるのか。


甲骨文字・・・・・・今から3500年前のシナ・殷の時代に亀の甲羅やシカの骨に印して占いに使った文字である。硬
い骨に印したので、どうしても直線的な文字になった。此れが漢字の起源とするのが定説であるが、実は日本の神代
文字が下地になっていた。何れにせよ、シナではこの後、秦国以前にテンショ(篆書)が出来た(「篆書」を参照)。

黄砂・・・・・・遠くはアフガニスタンから、或いは黄河(黄土高原)流域、ゴビ砂漠やタクラマカン砂漠、中国北部、モ
ンゴル高原などの砂漠地帯の黄土(細かい石英粉末が主成分)など、黄色い砂塵が舞い上がって天空を覆い、風に乗
って風下である朝鮮や日本に降下する現象の事。

昔は3〜5月頃に限定的に発生していたが、現在では年中やって来るので周辺諸国では深刻な共通問題となってい
る。中国国内でも健康被害や農作物被害などが深刻化し、韓国や日本でも被害が出て久しい。韓国では度々休校とな
る。88年以降は年間延べ300回を越えるようになり、00〜03年には同700〜1200回と特に多くなった。

時々降るのではなくて毎日3回は降っている事になる。発生回数の増加と共に期間が長くなり、しかも問題地域の広域
化が進んでいるためです。黄砂が韓国に飛来する回数が少ない時でも年に三回は町中が見えなくなり、先ず、目がや
られて喉も傷める。このため眼鏡とマスクが必要です。それに肌を傷めるので特に女性は被害者です。

黄砂の原因は、乾燥化し易い中国大陸の風土性とは分かっていても、問題は防止策を計るべき中国が此れを放置し
て加害の垂れ流しを続け、更に今では土地の乱開発による砂漠化促進と水不足と言う悪循環により黄砂被害の拡大
化が起こっている事です。

防止策としては工業化や都市化を止めて元の森や農地に戻す事であり、或いは緑化を進めたり水利を改善する事、
或いは過放牧の制限であり、一番効果的なのは実は下記の雨乞いである。でも其れらは月を神として祭った昔の伝統
を復活する事である。

だが其れは今の共産党政府では無理な事ですから年々黄砂の大量化が進むのを座視するだけ。黄砂は西日本のガ
ラス窓や車に汚れを着け、更に北海道にまで飛んで来るので半導体製品の質の低下なども問題となっている。

中国は広い国土を持つが、其のかなりの部分が何にも有効利用出来ない死の砂漠です。よって古来、シナの皇帝
は水神として月を祭り、雨乞いを主務として来ました。所が今は皇帝が存在せず、星の宿縁を持つ共産化・社会主義
化・軍国化と資本主義化した共産党独裁政権となり、贅沢はするが雨乞いなどはしない。

誰もが目先の高収益を求めて工業化に向って益々農地を放置するようになった。このため尚も雨が少なくなり、黄河も
断流(海に行くまで消える)となり、よって砂漠化が拡大して手が付けられなくなった。よって農民は農地を捨てて沿海部
に集まり、日本にも毎日、黄砂が舞うようになった。

特に春だけではなく乾燥した冬季にも大量に降り注いで車を白くする。日本は此の程度でもシナ大陸は13億の人口を
支えるために農産物が出来なくなる。飢饉が迫れば安価な中国農産物も日本に入って来なくなるし、所得格差から暴
動や革命となります。黄砂は其の兆しを伝えるバロメーターである。

06/4月から日本でも黄砂が激しくなり、其れを洗い流すためか梅雨のような雨の日が続いた。特に4/18日は北京と東
京で6年振りの激しい黄砂となった。北京では厚い砂が道路を覆い、東京では光環現象となった。薄日の中で太陽に笠
が架かる現象が珍しいとか「春の風物詩」とは言ってられない。

そうした中、内モンゴルで1200万本の木を植えた日本人(菊池豊氏)がいた。言葉の壁と二度の旱魃と言う悪条件を
克服してウユンの森を造った。その内、砂漠に田圃まで出来るようになった。今では住民たちが借金してまで木を植え
るようになり、地域の1/3が田圃で稲作をするようになった。

彼は「アジアには3億haの砂漠があって私がしているのは其の内1haの緑化に過ぎない。今、日本に大量の黄砂が舞
うようになったが、黄砂は有毒ガスを含んでいるので日本の山を弱らせている」とアドバイスした。其の防止に彼が頑張
ってくれている事を私たち日本人も応援すべきでしょう(06/6/25NHK総合TVより引用、「砂漠の緑化」を参照)。

06/10/9には北朝鮮が「地下核実験成功」と発表した(「核実験」「放射能」を参照)。10/12日に大阪と奈良は濃霧に
覆われた。霧ならば昼には晴れるが靄(もや)かスモッグは夜間になっても消えなかった。翌13日には強い黄砂の様相
となった。14日も16日・・・も同様。米軍は微量の放射能を検出したと発表した。

連日強い黄砂であるが、特に10/18日は強烈だった。しかし何故かマスコミや気象庁は一切此れを報道しない。原因が
北朝鮮の核実験にあるのか、其れとも中国東北部からモンゴルの異常乾燥にあるのか不明だが、日本に越境汚染を
及ぼして、日本海側の森林を枯らしているのだから、日本人は毎日お風呂に入るほうが良い。

外出するときも帽子を被ったほうが良い。服装は白色系が良い。外出から帰宅したら服の埃を落としたほうが良い。今
広がる黄砂は東風が吹き返すか翌日に雨が降るまで当分なくならない。それまでは以上の点を気に配るべきです。黄
砂は発癌物質も含む。中国では晴れていても黄砂と大気汚染(ダイオキシンや光化学スモッグ)で曇っている。

其れらを大量に運んでいるからです(光化学スモッグを参照)。

口上・・・・・・仏様を迎えて供養するために語られる物語。仏教(神道でも)の法要では、道場を清め、魔を祓ってから
仏様をお招きする作法が先ず行われるが、散華(花を撒く作法)、その次は口上、火入れ、声明などと進む(各項を参
照)。

庚申堂(講)・・・・・・「見ザル、言わザル、聞かザル」の三猿を軒先に吊るす奈良町や各地の庚申堂。江戸時代は
各地で庚申さんが盛んだったが其れには訳がある。奈良の町にも有名な庚申堂がある。お堂には普通、お不動様に
似た青面金剛が祀られる。だが其れだけでは不動尊と大差がない。此れは夜を徹して行われた所に特色がある。

一般的な話を省略して次に進む。06/5月には国会で「共謀法案」が審議された。不気味な法案ですから反対が多い。
何れにせよ世の中が不穏な時には一般の集会などが禁止されるが、こうした所は例外であった。つまり大っぴらに人
を集めて密談をしてもお咎めがない所とすれば、一揆の密談も可能でした。

従って此処で密談した事はお互いが、「見ざる、言わざる、聞かざる」とした。其れが今も三猿を飾る由来であろう。庚
申堂は元来はエトを追う場であった。エトの所で述べるが、エト(別項参照)がお正月に交替する訳ではなくて、実際は
星回りで変わる。365日ではなくて、太陰暦と同じ360日を数えなければならない。

其の点で干支は60日で還暦ですから元に戻る。年に6回の庚申を追えば、間違いなく干支の変り目、つまり暦日を確
認出来ました。或いは一面が90本、周囲に360本の桟を配置したシトミを持つ御堂(別項を参照)に入って見れば、星
回りが観測出来た。

干支(太陰暦)の60年周期を星周りで確認し、60日毎に星の位置を追い、そして一日の時刻配分を此処から行ったも
のと推定できる。無論360日年)単位で星が同じ桟の位置で会合する事を代々申し送って観測し、確認したに違いな
い。だが一人では無理なのです。特に星の観測は徹夜の仕事になる。其れを宿直と書いてトノイ(別項参照)と読んだ。

其れを360年も継続するには大変な事だったろう。一代平均25年とすれば、十数代先まで繰り返す事になります。
以下、「ヤフー知恵袋」から引用する----サルの中には「着飾る」なんてのが人間のメスにはいますけど、素敵なサル
です。

三猿信仰は中国の道教が有名ですが、日本の修験道では青面金剛を祭り、或いは60干支暦の庚申の巡りから来てい
ます。他には日枝の神、更には猿田彦にも由来する。日枝の場合、4月中申日、また新潟県にしくびきでは11/20日頃
に申祭りをして来た(08/02/13回答分)。

序ながら冗談ですが、女ザル、男ザル、子ザルもいるし、公務員のように「見ざる云わざる聞かざるセザル」もいます
ね。


荒神・・・・・・本来は先祖が新たな神霊となってこの世に降臨するより代であった。つまり年の初めの新玉のような存
在だったが、今は竈(かまど)神、三宝荒神と混同している。だから普通は火の神、竈神として家の中(台所など)に祭ら
れ、或いは屋敷の神、同族の神、部落の神としても祭られる。

野外に祭られている場合も怒り易く、祟り易い神とか荒ぶる神として誤解されて来た。荒神はある時には農業の作神と
しても祭られたが、其れに対して竈神は多くの場合、火の神として祭られた(「新玉」、及び「三宝荒神」を参照)。

洪水・・・・・・昔から治山治水は国家の命題であった。だから領主は古来、龍神を祭り、神の怒りを鎮めようとして
来た所が多い。洪水は今尚、科学的な物理工学上の論理で堤防やダムを造ってもコントロールできない事が多い。治
山治水の第一は森林の涵養であり、或いは田んぼであり、そうした自然の保水力が大量の水を蓄えて来た。

人間のする事は川ざらえする事くらいでした。所が戦後の土木行政は「川ざらえ」など、見えにくい事にコストを掛けるの
を嫌い、其れよりも「見てくれ」の立派な堤防やダムに巨費を投じて来ました。浚渫(川ざらえ)と共に大切な点は河川敷
を広く残して、其処には一切の人工物を構築せず遊ばせて置く事でした。

こうした川ざらえならば格別、税金を投じなくても出来る。しかし今は、特定の業者にしか砂利採りさせない。付近の住
民は目の前の河原に砂や石が有って、其れを活用したいとしても運び出す事さえ出来ず、建材店から仕入れる始末で
す。其れも海外からの輸入品である。

しかも政治家が堤防やダムなどの箱物を作らせてリベートを取り、或いは自治体が河川敷に石を並べたり無用の施設
を作って其処へお役人を天下りさせて管理すると言う図式が目立つ。何時でも皆が自由に使い、遊んで来た場所が今
は料金を払わなければ入れなくした。

時間外も利用できない所とした。つまり利権の場としたのです。しかも自然を大切に残すのではなくて、川の利用ばかり
図って不自然な工事をして来た。議員もお役人も民間も総じて、川を切り刻み、河原を狭めて堤防や道路に改造し、或
いは堰き止めたり、巨費を投じてダムを造るなど、治水よりも利水など、利用し収奪する事ばかりして来ました。

川から水を引き、砂利を取り、収奪を続けて更に川をゼニにして来た結果として自ら洪水被害を受け易くしたのです。
低地の田んぼよりも更に低い所を流れる川をかさ上げの「天上川」にして、人が河原や田んぼの上に住み着くようにな
った。だから大水が出れば溢れ出して当然です。とすれば洪水被害は天災ではなくて人災なのだ。

洪水は天災ではなくて自然界の摂理であり、自然の生理現象である。エジプトでも古来「洪水」は天災ではなく、ナイル
の恵みと感謝して来た。洪水は毎年、農地を肥沃にしてくれるからです。日本でも昔は其れを熟知し、河原は広くとっ
て、農地にする場合は税対象から外し、その代わりに家は建てさせなかった。

所がやがて河原に近い農地や低地に人家が密集するようになり、其れを行政が放置して課税した。其れを発展と言
い、都市化と誤解した。其れに比例して住民は川の氾濫を恐れて堤防を高くするよう願って来た。そして被害があるた
び、マスコミもお役所も「これは天災、自然災害」と言って自分たちの責任を天や川の責任に転嫁するようになった。

お上もまた被災後に決まって「急ぎ復旧の融資対策を練る」と言う。でもこうしたすり替えと曲解による「後の対策」では
遅いし、実は幾度復旧を繰り返しても何にもならないのだ。被害の原因が実は殆どこうした人災であり、其れを誤解な
いし曲解しての対策では改善が期待できない(「防災」を参照)。

其の前に先ず低地に密集する事をやめる事と、川ざらえせずに、更に堤防を高くして元の生活に戻ろうと固執するのを
止める事だ。そうしなければ再び甚大な被害を出して公私共に負担と悲嘆を招くだけである。繰り返せば、治山治水と
しての第一は川底を浚う(浚渫)する事である。

だが日本ではそのような「目に見えない所にコストを掛ける」のを嫌い、誰の目にも見えるように人工的な、コンクリート
で固めた「立派な堤防」を築いて来た為に人災を大きくしている。その結果、人家の広がる町並みよりも堤防の方が高
くなり、本来、平地より下を流れるべき川が言わば「上げ底」の危険な「天井川」を増やした。

こうした川を日本全国に広げてしまった。東京・大阪などの大都会は全て低地にあり、特に海岸部は海面よりも低い所
が多い。此れでは津波は言うに及ばず、地震にも台風にも停電にもミサイルにも弱くなる。せめて川底を深くしなけれ
ば、当然の帰結として少しの雨でも氾濫して洪水となり、「大水害が必ず都市で起こる」ようになった。

都内には50mmの降雨に備えて地下トンネルが用意されているものの、荒川上流に500mmの降雨があれば地下
鉄も地下街も大惨事となるのは必定です。例えば04/7/13から二日間、三条市には梅雨で450mmの豪雨とな
り、五十嵐川が氾濫して多くの被害を出した。

最近の政府は無力になったので各地で「自己責任論」を云々するが、緊急時くらいはお役所がしっかりして貰いたい。
所が頼りとすべきお役所は時間外で必ず不能・無能となり、また発電所が止まって電気も止まり、携帯電話も使えない
のです。イザと言う時でも自己責任か近隣の助け合いに頼るしかないのでしょうか(「台風」を参照)。
 

豪雪事故防止プラン4つ・・・・・・小千谷市とヒジリ掲示板。投稿者: オニアニ  投稿日: 06/1月 8日(日)に一
部補記。北陸豪雪に御見舞い申上げます。転落事故防止のため、屋根の雪かきの後にはブルーシートを張って置くよ
う提案します。其れにロープを付けて置いて、積雪のたび、反対側から下に引っ張って雪を落とします。

自分の家の敷地が狭い場合は植木の幹とか隣の家から滑車(チェーンブロック)などで引けば楽に落とせるでしょう。
落としたらまた逆からシートだけ引き上げます。この際、雨どいが邪魔になります。豪雪地帯では雨どいがないほうが
良いでしょう。但し、雪を落とす場所がなければ困りますので次に第二案として、電気毛布を屋根に敷きます。

電気カーペットでも良いでしょう。使い古しのもので良いのです。其れに塩ビ・シートを被せて置けば防水になり、コンセ
ントに繋げば融雪します。本当は電気工事店が屋根用の簡便なヒーター(ニクロム線)を取り付ければ済むとは思うの
ですが、やって見た事があるでしょうか。第三の案は融雪剤の散布です。

第四案としてはV屋根(日知り事典を参照)です。此れなら何も問題ないのですが、今回は間に合いませんので以上の
ような方法で出来るだけ屋根の上での危険な雪かきを減らして頂きたいと思います。他にもアイディアが有れば皆様も
提案して見ませんか。

豪雪被害・・・・・・06/1/10のNHK総合TVクローズアップによれば、今回の日本海・北陸豪雪による死者72
人、倒壊家屋1000件に達した。今回の被害は、寒冷のために屋根から雪が落ちないで凍結し、其れが屋根の積雪と
なっている事。近年に屋根の角度を急傾斜にした所が多いが、其れでも落ちない。

高齢者にとっては急な屋根が却って危険になった。今回の雪は10cm立方で293gと平年の二倍の重さである。此れ
は例年の三倍も降り積もったために積雪が圧縮された為であり、仮に4mの高さになれば1平方m当たり1.2トンの加
重が屋根に掛かる。一軒の家が100m平方とすれば100台の車が載ったのと同じ重さとなる。

次は其れを雪下ろし出来たとしても、其の雪のやり場がない。雪崩の危険性の心配もある。06豪雪では遂に140人以
上の死者を出した(「大雪」を参照)。

光速測定・・・・・・以下、「ヤフー知恵袋」の回答lni0_0inlさん から引用。----最初に光速度を計測した方法は、鏡を
使いました。光が発射された場所と到達する場所は同じです。 ですので、時計を押すタイミングや、測定器の反応速度
を、考える必要が無いのです。例えば、電球の5km先に鏡を置き、同じ場所へ戻るようにセットします。

この間に、直径10mの円盤に1mmの穴を開けます。この円盤を回転させ、少しづつ早く回します。円盤の回転が遅
いときは、光は穴の中を往復できますが、やがて戻ってくるまでに間に合わず、穴を往復できなくなります。 このときの
円盤の回転数で、光速度を測る事が出来ます。

ちなみにこの10mの円盤のときは、5km×2往復 ×10m×π÷1mm ÷光速度300、000km毎秒= 1秒間に1
0回転です。:2008/10/17 22:45

皇族・・・・・・・天皇の子孫。昔は天皇の二世を皇子・皇女と言ったが、今は男女別に親王と内親王と言う。天皇の三
世以下を王と女王と言う。

▲こうた・・・・・
▲こうち・・・・・

皇帝・・・・・・・白王、即ち星を祭る王を意味する。因みに太陽を祭る王を大王または天子(別項参照)と言った。北か
ら南の天を観測するのが天子の意味でした。

公的資金・・・・・・二種あって何れも問題が有る。1つはバブルを作った日銀が危なくなった時に、一般企業の一部に
過ぎない株式会社○×銀行だけに日銀で印刷した資金を貸し付けたもの。もう1つは中小企業を救う為として常設され
ている商工会や保証協会とか何とか財団と言う看板を掲げた公的特別機関。

後者は自ら作った資金もなく、また金融機関でもないのに、其れを謳って予算を取り、其処に天下る退職官吏の捨て場
である。一般人が其の看板を信じて窓口に行っても敷居が高くて特別の人しか融資が受けられないのが実態だ。窓口
は広いが縦割りの要件で書類の山を拵え、「針の穴」を潜るような条件を付ける。

だから特別の人とか嘘を書く人でなければ融資が受けられない。或いは此処では顧客を餌に予算を取り、其の資金を
自ら食い物にする所となった。とすれば、公的融資とか融通と言う体裁の良い名は彼らのための天下りと闇給与と裏
金作りの言葉であったのか。


▲こうと・・・・・・
▲こうな・・・・・
▲こうの・・・・・・

コウノトリ・・・・・・コウノトリは約2mの大きさになるので国内最大級の鳥である。肉食で寿命は40年くらいと推定さ
れている。西欧でも日本でも、「コウノトリは火事を防ぐ」と言う俗信もあって、特に日本では寺社の屋根に巣を作ってい
たのでツバメと同様に人と共生するなど、江戸時代には本州各地で極く普通に見られた。

だが明治からの乱獲と、戦後は農薬でs46年に日本では絶滅した。今はアムール川流域と中国東北部に推定2500
羽がいて揚子江辺りに越冬する程度である。昔は極く普通に見られたが、今の人はコウノトリを知らないためか鶴と混
同する事が多い。

例えば掛け軸や火鉢に吉兆のシンボルとして描かれたものを「松鶴」と喜ぶが、鶴は松の枝には止まれないので鶴で
はなくてコウノトリの見間違いと言われる。また今は「コウノトリが赤ちゃんを運んで来る」と言われるが、其れも実はヨ
ーロッパのシュバシコウの話であるらしい。鶴は「鶴の一声」の諺がある通り鳴けるが、コウノトリは鳴けない。

そのため嘴を鳴らすのが特徴と言われる。このクラッターリングがカタコトと機織する音に似ているので「鶴の恩返し」
の話となったと推測されている。

公平性・・・・・日本国憲法は自由と平等とを保障している。だが現実はどうかと言えば、人は生まれながらにして不
平等である。此れは人の世だけではなくて、この世の万物に共通する特徴である。よってどんな時代になっても不平等
が見られる。従ってこの点では憲法が単に幻想的な理想を謳ったものと分かる。

例えば若木は巨木の下で長年耐えて後に大木となります。人もまた幼児から大人になり、努力して地位や財産を確保
する。平等になりたいと努力すれば、其の甲斐が見られるのがこの世です。つまりこの世では平等は無い。有るのは
死に際です。死に際しては地位も財産もこの世に置いて往きます。

そして譬え美人や病人であっても、生まれたままの裸になるのみならず、そんな肉体さえも置いて往く。此れは人ばか
りではなくて万物共通の厳粛な掟です。だがこの世とあの世とに共通のものがある。其れは平等と言った観念的な概
念ではなくて、公平性と言う法則である。この世の公平は例えば先祖数である(「円系図」を参照)。

勾配・・・・・・ミヨイと聞いたら「見良い」と思うに違いない。実は数比の3:4:5の長さの直角三角形、つまり「三平方
の定理」の形であり、角度は各々30、60、90度になる。此れで勾配を示すのが一番確実であるから、古来日本では
勾玉を使って来た。

カタカナの「ム」や勾玉の「勾」は何れも勾配を意味した文字であり、勾玉が一つの場合は土に刺して勾配を測り、複数
の場合は形合わせ、そして其の外に多くの玉を連ねた物を数珠とし、計算に使った。因みに天象のような架空の事や
勾配を示す文字の「ム」の字からは例えば云、去、至、牟、矣、室、弁、台、鉾、公、参、參、勾、鬼、魂、魄、・・・・・

等が作られた(「ム」を参照)。次に尺貫法では尺、寸、分と言う尺度を使って長さを規定したが、長さだけではなく、勾
配も規定した。例えば「尺当たり一分勾配」と言う場合は30cm先で3cmの勾配だから5.5度の角度である。例えば
鳥居の天の中心に対する二本の角度は垂直ではなくて丁度この角度で傾いており、此れをコロビと言う。

此れも言わば黄金分割比(別項参照)であろう。また勾配を「傾き」や「コロビ・のり」とも言ったが、傾きは「方・向き」、
つまり方位でもある。

コロビは水平、または壇(囲の字形)に対する比率と見て、其の壇を仮に一尺四方ではなくて(10進法では誤解するの
で)、9cm刻みの方眼盤とすれば、縦横比率が9:0=90°、9:1=83.5°、9:2=77°、9:3=71.3°、9:4=
66°、9:5=61°、9:6=56.5°、9:7=52.5°、9:8=48.5°、9:9=45°となる。

従ってコロビとは5〜6度であると同時に9:6で「コロ比」と理解する事も出来るが、この場合は数列であり、正確には9
/55.6=1.618=ファイ、つまり最も「見良くて美しい」黄金比(数列)となる(「ファイ」を参照)。

因みに366円暦の角度を尺貫法の「勾配」で言うなら、尺当たり1分7厘3毛、または「八寸当たり一分刻み」であり、3
60度法の勾配・角度では0.98度になります(「ノリ」を参照)。

幸福1・・・・・・未来に有るのではなく過去の中にあるもの。過去を認めれば辛かった事も貴いものとなる(05/10
/1のNHKラジオ深夜便でギタリストの寺内猛氏)。ただ幸福とは自己中心の観念です。其れに対して科学は人間の
多数の幸福を目差して来たが、特に客観性を基本とするので主観的な事を一切排除して来た。

従って客観性や物質科学が如何に発展しても幸福からは寧ろ遠ざかる。其れに対して宗教や倫理は主観の問題であ
る。特に幸福感については他人が一般的・客観的に見て判断出来るものではない。つまり主観的に本人が「幸福だ」と
思えば譬え貧乏とか不健康であろうと、或いは他人がどのように思おうとも幸福を得ている事になる。

要するに如何に物質科学が発展しようとも、幸福感はこの主観によって判決を下される。科学や学問はこの点におい
て、幸福よりも常に下位である。神や法則と言えども矢張りこの幸福の観念には勝てない。

幸福2・・・・・・誰もが今は「今よりも幸福」な暮らしを求めているが、幸福とは退屈なものである。浦島太郎を知って
いるか。彼は思いもよらぬ幸運に恵まれて、絵にも描けない美しさの竜宮に招かれ、乙姫から歓待されて毎日ご馳走
を食べて、鯛やヒラメの舞踊など、珍しいものを次々見聞きして暮した。

だが竜宮の暮らしにやがて飽きて、貧乏暮らしをした昔の郷里の事が気になって直ぐに帰って来てしまった。従ってモノ
カネに溢れる近代社会の生活も、また上記のような酒池肉林の暮らしも幸福とは別であると分かる。ソロモン王も其れ
らを悉く体験した上で般若心経に有るような一節を伝道書(イエズス会の)に書き残している。

公僕・・・・・・下記の「公務員」へ。
▲こうま・・・・・
▲こうみ・・・・・

公民化教育・・・・・・戦前まで行われた日本の画一的な思想教育。国民の命を最も軽んじたものであり、精神を内部
から破壊するもう一つの戦争だった。「沖縄の集団自決」について(沖縄キリスト教短大助教授・1986金城重明氏)。

公務・・・・・・公務(公用)に対する私用など、其の言葉の解釈を間違えば「公私混同」とも見られます。だが近年、公
務の解釈はかなり曖昧になっている。公務員は何をしても公務だと言うに違いないからです。それに対して一般人が同
じ事をボランティアでしても公務にはならず、極端な場合は公務執行妨害で逮捕されるかも知れない。

其処で原則的な事を述べて置く。公(別項参照)の文字は八方に分けて公平を秤に掛ける行為である。資格があるか
どうかの前に、社会は元々皆のために皆が支え合うものですから、特に公務や公共と言うならば、官民の差別なく万民
公平・平等に扱うべきである。所が今の日本は民主主義と言いながら寧ろ傲慢にも官主主義が横行している。

此処を先ず正さなければどうしようもない。次に公務とは戦前の国家主義とは違う。継続性と公開性が原則である。例
えば墓地や神社は24時間オープンです。其れに対して官公庁・役所・公務員はカレンダーに忠実に休み、定時しか働
かない。

此処は寺社ではないので、特に何時起こるか分からない災害にも対応すべき責務から常設されたものです。だから年
中無休で行なうべき業務が多いにも拘わらず、其の機能を自らブツブツ切った中休みの多い業務にしているのですか
ら継続性に欠ける。

何時休んでも辞めても文句を言われないのが私人の自由さであって、公人となれば其れが許されない。許しているとす
るなら私的業務と変わらない。公務が勝手な私営の業務となっているため、民間人が色々用事があるある時には、会
社を態々休んで、役所の手続きに出向かなくてはならない。

と云うのが今の主客転倒の逆様の、官主民従の状態です。税金を払っている国民が官の勝手気ままに常に虐げられ
ていると言う此の図式について、公務に有る者が其の事にもし気付かないとすれば、社会がカオスになって当然であり
「世も末」である。

しかも彼ら職員は議会以外の事は殆ど会議と言う密室で決めて更に一度握った情報を中々公開しない。従って公開性
の原則にも反している。以上「公務」は今の日本に存在しない。このような混乱した公務は国民にとって無用の邪魔物
であり、此の無用の長物をなくすには今の公務を全て一度ひっくり返さなければならない。

公務員・・・・・・本来は奴隷であった。其れを今は公僕と書くのも「公の下僕」を意味する。最も今は公僕なんて言う
用語は死語となった。今は公務員と言う言葉でさえ実体がない。半人前の能力しかないのに特権貴族を気取り、人一
倍のお手盛り給与をヤミで受け取る恥知らずの職場の一員で言わば「穀潰し」の人々の事。

なので昔から、何も好んで公務員にはなりたくない。其れを古来、「すまじきものは宮仕え」と言った。

国家公務員と地方公務員の人数は併せて399万人。人件費は8.6兆円と28.9兆円で併せて37.5兆円に達し、国家予算
の78兆円の半分を彼ら公務員の人件費で食い潰している事になる。しかも官公庁の全職場にタイムカードがなく、自主
申告で遅刻は当たり前、と言う状況(06/4/15abcTV)。

因みに特殊法人と言う隠れ公務員も含めた実数は人口1000人当たりで米国の81人、フランスの96人に対して、日本
は35人であると言われるので単純計算では少ないとも言われるが、各業界の隅々まであらゆる面で官僚化と硬直化
が目立つのが日本の実態である(「官」「官僚」を参照)。

彼らは国民を敵視して常に規制して罰則を強めようとしたり納税者をうるさいハエかごみ屑と見て、上から見下ろしてあ
しらい、納税も罰を受けるのも常に国民の側とするのであるから「法の前の平等」も空念仏としている。要するに、国民
や納税者から見れば彼らこそ社会の癌(社会悪)であり、人間のクズかウジ虫である。

いやウジ虫では失礼であり「職員である」と言うだろう。けれどもIT化して、労働量が減った以上、人員削減をすべきだ
が、IT化で、機械を増やしただけで人員は減っていない。更に赤字体質をなくそうと市町村合併で合理化しようと市町
村数を大幅にカットしたにも拘わらず税収を下げない。

飽食の人員が其のまま害虫か寄生虫のように巣食っているいるからだ。

其のうえ天下り規制まで骨抜きにした。其れでも1労働者として公務で俸給を得るならば、最低条件として名札を付け
て業務をするべきだ。特に職場を転々として職責に不感症となる彼らには全員ICタグを付けて各人の立場と経歴を開
示すべきだろうが、此れはネズミが「猫の首に鈴を付ける」より難しいのだろうか。

なので公務と言う表看板を盾にして、裏ではイバリ、サボり、タカリが当たり前の輩が巣食う。其の巣窟では窓口に来た
市民をハエとして騙し、追い返し、またはタブラカシ、タライ回しするだけを仕事とする輩が増えた。サボりと企業へタカ
リ、上司にはゴマすりの上手い浅ましい輩が偉くなる。

厳しい自然界には一人も存在を許されない不自然な人種の事。つまり人為的な法制度によってしっかり守られている
特殊階級の人たち。旧農林省の食糧庁、厚労省、社会保険庁、警察、市役所、その他の公務員も例外なし。


▲こうめ・・・・・
▲こうも・・・・・
▲こうや・・・・・

高野の仇討ち・・・・・・明治4年、最後の仇討ち(「アダ討ち」を参照)となった事件。仇討ちは既に安康天皇の時代
から有ったが、江戸時代の荒木又衛門の鍵屋の辻、堀部安兵衛の高田馬場、忠臣蔵、・・・などが有名である。当時は
儒教で言う忠孝の思想が中心にあって、其の第一が親の仇を討つ事であり、子にとって当然の義務だった。

従って仇討ちを成し遂げれば美徳として世間が讃えた。無論、お上が此れを公認し、免許状を与えた。其処から仇を
追い求めて永い旅を始める。運よく見つけたら役所に届けて、役人立会いの上で決闘をした。但し仇が討たれたら、仇
の子は仇討ち出来ない(禁止されていた)。明治になっても初めは其の精神が残っていた。

さて此の事件の発端は、幕末に赤穂藩の村上真輔が殺された。一族は敵を探している中に明治になってしまった。や
っと敵が高野山に向かっている事を村上六郎側が知って追い詰めた。16人が半時間に及ぶ決闘の結果、村上六郎側
は全員無事。敵の6人は全員死亡した。明治4/2/29日だった。此れが当時世間の評判となったが、政府側は恐れた。

此れを美徳とすれば、幕府を騙まし討ちで倒した薩長土肥が狙われる事になろうし、諸外国からも「日本はまだ野蛮な
国」と見られる事を恐れたからだった。よって死刑と決めた。しかし新政府にはまだ刑法がなかったのに死刑にするの
は無理と分かり、取り合えず禁固10年とし、其の後、「放免」となった。

此の事件を教訓に後藤新平が事件から2年後に太政官布告で「仇討ち禁止令」を出した(此れが刑法制定の切っ掛け
となった)。つまり此の高野山での決闘事件が最後の仇討ちとなった(07/2/7の読売TV「今日は何の日」より引用)。


高野山・・・・・丹生明神の聖地。平安時代になって空海(弘法大師)が嵯峨天皇から戴いたと言う山で、其処に彼を
案内したのが狩場明神であり、実は丹治比氏(家景)の犬2頭とも伝わる。今も壇上伽藍に丹生狩場明神の御社と三
鈷の松(三代目?)が残る。鬱蒼とした杉檜の林を東に2km進めば奥の院に至る。

此処に彼は入城し、其の86年後に弘法大師の勅号を贈られた。今は既に1200年経っているが、弘法大師が今も此の
奥の院の御廟で生きていると多数に信じられていて、毎日食事が供えられている。また奥の院の広大な杉檜の林の中
には現在、有名無名の故人の墓石と供養塔が凡そ30万基建っている。

彼が標高凡そ800mの高野山を真言宗の聖地として以来、真言密教の道場として今も1000人の僧と3000人の町人、そ
して53の宿坊が有る。聖地であるから精進料理であるが、酒を注文する場合は般若湯と言う。修行の場ですから宿坊
でも毎朝6時から読経が始まる(06/12/28日のテレビ大阪より一部引用)。「紀伊山地と熊野古道」を参照。

高野街道・・・・・・・・高野山から葛城、そして河内に下る南北道。石川の川筋に沿って船と共に上り下りの多い古道
であるが川沿いであれば迷う事が少ない。ただ其の出発点によって各々東、中、西の高野街道があった。道幅は荷車
が離合するのがギリギリの幅一間(1.8m)ほどであった(「古道」を参照)。

因みに東高野街道は京から石清水八幡宮、洞ヶ峠、生駒山山麓を南下し、藤井寺、富田林寺内町を経て、河内長野
市で西高野街道と合流する。西高野街道は、堺の大小路を起点にして仁徳陵の北で竹ノ内街道と別れ、河泉国境沿
いを進み、狭山のグミの木を通って河内長野市の楠町で中高野街道と合流する。

ただ其れに略平行するコースとして堺と狭山の境界を天野山金剛寺に向う天野街道があった。天野から岩湧・滝畑を
通って高野山に向うコースである。此れは見晴らしが良く、当時は寧ろ本街道だった。其れに対して西高野街道は、京
からのお公家さんが使った。

或いは庶民も淀川を下る船便を利用し、大阪天満に上陸して四天王寺、住吉大社を経て、堺から高野山に向かうコー
スとして利用した。中高野街道は、大阪市の平野から松原市・阿保、堺市美原町の舟渡池、狭山から南下して河内長
野に至る。また四天王寺から真っ直ぐ南下して、狭山で中高野街道と合流する下高野街道もあった。

何れの場合も河内長野の本町で合流して一本道になり、三日市の宿場から紀見峠を経て高野山へ向かった(以上、大
要は河内長野市の広報誌より引用)。




■こうら・・・・・・以下、次ページへ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・  ・・・ ・・・ ・・・ ・・・
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