http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page031.html (未定稿)


   日知り事典・古義     赤い〜校倉

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・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
あ●● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ◆◆◆ ●■▲◆★▼☆★

▲あかい水・・・・・・おかい水(早朝一番に専用の井戸から汲んで仏前に捧げた水)、若水(お正月に際して一番先に汲
んで神棚に供えた水)など。

赤がね・・・・・・・銅のこと。鉄は黒金、金銀は黄金(コガネ)、シロガネと言った。日本は古来、ジパング(黄金の国)と
言われ、また銅や銀も産出した。江戸時代でも日本の銅や銀が世界の相場を支配したほど産出も多かったし金属精
錬にも長けていた。

特に大阪は住友銅山が支配してオランダの出島から輸出したが、其の金額は輸出額の90%が棹銅と言うインゴットだ
った(銅については「銅鐸」などを参照)。

▲赤潮・・・・・・瀬戸内海など海水温が高くなった頃に発生して大きな被害を及ぼす厄介な潮だが昔からあった。原因
は高度成長期の工場排水や今の家庭排水による富栄養化である。此れによってシャットネラの大発生となり、其れが
養殖ハマチの大量死となって来た。

被害の大きさから国立公害研究所が委託を受けて分析した結果、水温27度、塩分4.5〜5%の所に発生し、昼は海
水面に、夜間は水面下10mの所に移動する事が分かった。

このメカニズム解明によって赤潮発生の予測が可能となり、生け簀の深さを其れまでの10mから20mまで深くする改
良と、餌を止める等の対策によってH6年には被害ゼロ件に至った(05/8/17の読売TV、「今日は何の日」より引
用)。

▲赤字国債・・・・・・日本政府が08年まで掛かって積み上げた借金。以下、「ヤフー知恵袋」に回答した中から転載。回
答日時: 2008/3/23 15:43:01 回答番号: 47,743,562 ----インフレになれば返せます。返す気が政府に有ればの話で
すが・・・。今まではデフレでした。だから追いつけませんでした。でもインフレになれば返せます。

返す気が有ればの話です。今は確実にインフレに向かっています。原油も金もレアメタルも税金もです。ただこのインフ
レは国際マフィアによって操作されたインフレですから、世界の経済の実態とは違う。なので暴露とハイパーインフレと
暴落。

バブルの崩壊と国家の破産と言う副産物を伴うので、少なくとも官僚支配の悪弊による日本の赤字国債は帰らず泣く
のはまたも国民だけと予想出来ます。
 
★アカデミー・・・・・・・プラトンが前387年頃、アテネ郊外に建てた学園「アカデミア」に因み、今の大学、研究所など、
専門的な学問研究に携わる機関の総称。

アカデミック・・・・・・・「学究的な、官学的な」、を意味するが、普通は寧ろ批判的に「役立たずの権威主義」の熟語・
形容詞として存在する。

▲贖い(あがなひ)・償い(つぐのひ)・・・・・・罪の埋め合わせ。犯した過ち・罪・責任を認めて財物や労力を返す事。も
しくはその代わりに苦痛を味わう事。この点について例えばバビロニア時代のハムラビ(別項参照)では「目には目を、
歯には歯を」と書き残した。

此れを「敵対する相手への激しい憎悪」と解釈する事も出来るが、寧ろ贖いの道理を説いたものと見るべきだろう。贖
いは例えば借金した場合は現金で返すべきであり、また人の命は人の命で返すべきであって、金で代物弁済出来ない
存在であると言う当然の道理である(「祓い」、「責任」を参照)。因果律は心身・物心で異なるものです。

此れを日本では「背に腹は代えられぬ」と言った。とすれば元のモノと異質なもの(代物弁済)を返したとしても全部を贖
えないので一部に因縁を残す。現代日本では全ての事を打算的に金銭で処理出来るとする唯物的価値観からゼニカ
ネ万能主義となっているが、ハムラビ法典に照らして見れば、其れは誤解だ。

例えばチンピラは人に金を借りて、其の借金を返せなくなると博打に誘う。こんな卑劣な考えしかない奴は死ぬまでチ
ンピラで終わる。或いは他人の命を奪った者が金、もしくは紙幣と言う紙切れで片を付けようとする(代物弁済する)の
も間尺に合わない不合理(すり替え・誤魔化し)と分かる。

また原罪意識の強いキリスト教では「贖い」について、「身代金を払って自由にする事」とか、「人は贖いによって自分の
苦しみから解放される」と説く。此れがため、悪名高い免罪符の販売となるのだが、旧約のイザヤ書53章に「人の咎、
不義の為に叩かれた。其の打たれた傷によって吾々は癒された」と言う。

またイエスが人々の罪と苦しみを一身に背負って十字架に架かり、全ての罪を神に贖ったと教えて来た。

アカモク・・・・・・・海中の森を作る海草で長さ10mに達する。

▲アガリクス・・・・・・キノコの一種である。医学では癌は治せないが、このキノコの免疫力が癌を阻止する即効力があ
る事が民間では広く支持されて来た。無論宣伝のために広がったとも言える。安くても効くのであるが、商売だから中
には広告で釣って高額で売るものが多くなった。所が詐欺商法として出版社など一部業者が訴えられた。

恐らく医学関係者からの横槍であろう。此処は常に「医師法違反」と言う「錦の御旗」を使う。医師会は病気をなくすので
はなくて、邪魔者(ライバル)を消す組織であるかのようだ。マスコミもアガリクスの広告料収入で此れまで儲けて来た筈
であるが、一斉に背を向けて医学と言う権力を正義とする側に回ったかの感じがする。

●アキツ(現)・・・・・・・アキツには秋津や安芸津の字が当てられたケースが有るが、此れでは意味不明である。戦時
中は昭和天皇がアキツ(現人)神と呼ばれた時期があった。当時、皇国史観による行き過ぎた教育もあったが、秋津や
安芸津よりも本来のアキツに近いものである。アキツとは聖(日知り)の事。方位を基に太陽を観測する人でした。

日ノ本の国では太陽を暦の指針とし、この「日知り」が、天地を繋ぐ役柄を担った。よって王(別項参照)と呼ばれ、王が
捉え所のない天空の日月の巡りを調べて具体的に地に印した事から見る「王」と書いて現(アレ、アキツ)と言い、或は
「明」とも書いた。やがて神やミコトとされ、或いはオオキミ(大王)とも呼ばれた。

類似の言葉に現在とか現象、其れに明神・権現(別項参照)がある。

秋津・・・・・・・トンボの古名。トンボは秋に群がるので意味を重ねた。また神武天皇が奈良に来て国見をした時、国
人たちが仲睦ましく暮していた。其れを「あきつトンボ」と言い、「飽きずにくっ付く人達」として歌ったもの。

秋津島・・・・・・・奈良・御所市にある。神武前から此の一帯には葛城・高天など日本の皇居が点在した。秋津島の場
合は当時広大な奈良湖の湖畔寄りの島だった。鴨王の下ではアクセク働かなくても楽に暮せたのだろう。だから人々
は日中から彼方此方で契り合っていた。其処に神武天皇がやって来て空き地で稲作を始めた。

其れを村人が見て「草を植えて何とする」と笑った。此れに対して神武が「何を言うか、飽きずトンボめ」と返し歌をした
のであろう。以来日本は稲作農業を国策として2500年頑張って見たものの遂に米粒ではなくて移民を輸出したのであ
る。以来、この秋津島も水田地帯となったが慢性的な水不足が続き、涙ぐましい努力が続けられた。

日本の地理風土に合わない大陸型の稲作農耕政策の導入によって水争いと戦乱の国に変えたとも言える。

秋田犬・・・・・・・渋谷の美談となった「忠犬ハチ公」など、秋田犬が和犬の筆頭である。番犬として役に立つが戦中に
は食糧難のため、秋田犬の人間並みの食欲が嫌われたり、皮を採るため殺されて激減し、戦後には13頭にまで減っ
た。其の後苦心して交配されて増えた。

米兵が持ち帰ったのがアメリカ・アキタとして別種になり人気があるが、現代日本ではおシャレ気がないとしてペットとし
ては嫌われて今また急減し、血統書付きの秋田犬としては2000頭台になっている(05/2/2、アサヒテレビ)。

秋の長雨・・・・・・8月末から10月上旬の秋に3日以上の雨が続く事を「秋霖」、または「秋の長雨」と言う。初夏の梅
雨が梅雨前線を伴うように、「秋霖」も秋雨前線を伴う。

梅雨前線と秋雨前線は、南北の空気が張り合っている状態である。梅雨はシナ、朝鮮、日本にあるが、「秋霖」は日本
だけの気候である(この項は04/8/1、NHKラジオ第一より引用)。

秋の七草・・・・・・萩、薄(すすき、おばな)、桔梗(ききょう)、撫子(なでしこ)、葛、藤袴(ふじばかま)、女郎花(おみなえし)
・「秋の野に 咲きたる花を 指折り(おゆびおり)   かき数ふれば 七種(ななくさ)の花
  萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌(あさがお)の花」  (山上憶良 やまのうえのおくら、万葉集)
  秋の七草は万葉集のこの歌で山上憶良が選定し、今に至っている。
 
・春の七草は「七草がゆ」にして食べるなど、 ”食”を楽しむものですが、秋の七草は花を ”見る”ことを楽しむもののよ
うです。★ (覚え方、考えました ♪)----ハスキーなクフ王 < ハ ス キー な ク フ 王 >
萩 すすき 桔梗 撫子 くず 藤袴 女郎花----以上は、http://www.hana300.com/aki777.htmlから引用。

空き家・・・・・・住人がいなくなった家。江戸川柳に「売り家と唐様に書く三代目」と言うのがあったが、今は孫の代に
英語でセールと書く時代に「進歩」したのだろうか。其れに少子高齢社会が拍車を掛けて06年現在、全国には650万戸
の空家・空き店舗が溢れる時代にした。此れも高度成長の効能・副産物であろうか。

トモアレ神奈川のNPO下宿茶屋が地域活性化のため貢献している。06/7/16のNHKラジオ深夜便によれば、彼女た
ちが介護サービスの一環として、空家を活用して子供と老人の地域の暮らしの憩いの「溜まり場」、拠点として、或いは
若人たちの下宿を復活させるなど、多様な活用法を模索していると言う。

或は京の町家の活性化策として京都市が助成して空家の活用を推進し始めた(06/9/16ニュース)。


あく・・・・・・・飽く。厭く。灰汁。悪。無用なもの。

▲悪・・・・・・悪や不幸は無知により発生して不幸の原因となる。例えば「病・貧・争」に関して言えば、病気一つとっても
千差万別で色々あるが日に学べば解消する。病気は「日の病い」と言われる通り、放ったらかして日数を掛ければ回
復する事が多いのはそのためである。

余計な治療や医学を施せば余計な病気を作るのです。次に貧は、月に学べば良い。月の働きはモミを短期間で千倍
に増やす程の力がある通り、万物を育てて豊かにする。でも人の欲が行き過ぎれば打算から争いとなるか、もしくはマ
スプロと大量消費でゴミの山とします。

次に争いは欲や主義主張(イデオロギー)でお互いを共倒れにします。争うには星に学べば勝てるのですが、星は夜空
に輝いていても寂しい存在であり、勝っても何れ負かされるものです(剣で立てば剣で滅びる)。このように悪は無知に
より発生して次はお互いを不幸にする力(喧嘩両成敗の力)があります。

アーク・・・・・・・胎蔵界の大日如来、または釈迦如来。密教、及び梵字では三点具足を言う。また「アーンク」と言う
場合は五点具足を意味し、梵字では荘厳体になる。古い石塔や板碑にこの種子(梵字)が主尊として彫られている。た
だ現在はその略号として梵字の「阿」を象徴的に刻む。

この場合は大日如来以外の別尊をも代行する意味となるので極く一般的に五輪塔などに「アビラウンケン←→キャ・
カ・ラ・バ・ア」の五文字で刻む(「五行・五大」、「アメン・アーンク」を参照)。


アーク・・・・・・・神とユダヤ人との契約があった事を示す「契約の箱」であり、ヤーベ神を唯一絶対の神とするユダヤ
教のシンボルである。其の中には「十戒の石版」が納められていたと言う。このため特に世界の王を画策する現代のフ
リーメーソンにとっては是非とも必要なものと言われる。

だが其れは旧約に記されているものの現物は無い。何処かに消えてしまったままである。だから今も彼らが裏で必死
に世界各地をくまなく探しているが、紀元前の遺物であるから無論、見つかる可能性は無い。所が其の記述から寸法
通りに再現すれば日本のミコシと同一の形である。神輿ならば日本には全国各地の神社に今でも無数にある。

先のアークが「神と人との契約の箱」と言う事を逆に見れば、神輿が多い日本は正に「神の国」と言う事になります。つ
まりユダヤ(中東)地域は、日本の一地方だったとも言える。さてもう一つのアークについては、近代になって電気が生
まれた時にも彼らは電孤を雷光と同じ「神の光り」と見て「アーク」と名付けた。此れがアーク燈(電燈)である。

ただ今では電光が神ではなくて放射能をバラ撒く原子炉で作られるので、神の光からは遠い。

悪事・・・・・・悪とは上記の通りだが、不道徳や邪気と言う場合や悪人(かつては荒々しく強い者を言い表わす場合
もあった)、もしくは敵・仇を言う。善悪二元論では善悪がハッキリと対立する概念となるが、現実はそんなに単純では
なくて寧ろカオス(混沌)です。このため多くの場合に多くの人が悪事を許す事になる。

例えば聖徳太子が推古12(601)年に「和を以て貴しと為し、さかうる事なきを旨とせよ」と17条憲法の第一に掲げ、
以下の条文も民主的な政治運営の理念を幾つも掲げた。同時に勧善懲悪も謳った。此れに従って仲良き事は良い事
だが、其れも時と場合で違う。

現実に泥棒や強盗に出遭った場合でも「和の精神」で争わず、素直に身包み剥いで与えるのが良いのかどうか。自分
の保身やエゴの為に一時の和を口実に、目前の悪を見て見ない振りをしたり見逃しては、他人の悪事に加担したのと
同罪である。後から陰口を叩いても其のツミは許されない。だから日本には「和して同ぜず」と言う諺も有った。

「血に交われば赤くなる」と言う諺もあった。善でも和でも民主化でも言うは易いが継続するには「なれあい」を避ける厳
しい覚悟が必要であり、官公庁に行けば見られる、お役所の「内部処理」や「糊塗」などは公務にある者として厳に慎む
べき事である(「馴れ合い」、「和」、「病因」を参照)。

06/5月29日現在、厚労省・社会保険庁で官僚の裁量により、10都府県で8万人に及ぶ大量の「年金違法免除」をして
いた事が発覚したり大阪市役所の闇手当て、岐阜県庁の裏金暴露など幾らでも「馴れ合い」の結果が出て来ます(チェ
ルノブイリ事故を参照)。

▲芥川・・・・・・大阪・摂津を北から南に流れる川。
芥川賞・・・・・・・芥川龍之介が作ったのではなくて、文芸春秋を作った菊池寛が1935年に亡友のために直木賞と共
に作った文学賞。

悪魔・・・・・・・日本の風土には古来「悪魔」は存在しない。神は自然界や此の世に対して、不必要なものを何も作ら
なかったし、其の事を古来、日本人も良く認識していた。だがキリスト教ではアダムとイブの話の中でサタン(蛇)を登場
させて、キリスト教に敵対する存在としました。

以下、ウェキペディアから引用すれば---旧約聖書では悪魔・堕天使という名称はなく「蛇」「古い蛇」が後世該当とされ
る。また、新約聖書も同様で「竜」「悪霊のかしら、ベルゼブブ」またサタン(試みる・誘惑するもの)が該当とされた。キリ
スト教では後に「ルシファー」をサタンの別名とし、悪魔と堕天使という言葉と概念を創り上げた。

悪魔は、誘惑によって堕落させるために人々を訪れ、最終的にはその人の魂を滅ぼそうとする。しかし、悪魔が試すた
めに人に苦しみを与えても、死に至るまで神に忠実な人は神に命の冠を与えられる。また、悪魔に属する霊は、地上
の主君に夜も昼も働きかけ、戦争を起こさせる(ヨハネ黙示録)。

なお、唯一神教のキリスト教においては、悪魔といえども全能の神である創造主が作りたもうた被造物である。西方キ
リスト教会は、キリスト教伝来前に信仰された他宗教(異教)の神々を、悪魔と称して異教信仰の根絶を図った。

そのため冒頭にあるように、西方キリスト教世界における悪魔は、地中海世界で信仰されていた古代文明の神々が否
定され悪魔とされたものが多く、バアル神やモレク神などは代表的なものである(これらの神格はユダヤ教の時点で
「魔神」シェディムであるとされていた)。

ただし、キリスト教以外の神々が全て悪魔とされたわけではなく、キリスト教に取り込まれた例もある。その代表例は、
かっては新バビロニア地域の神々、あるいは神の諸側面を表象する存在であったミカエル (大天使)やガブリエル(大天
使)である。

ユダヤ民族のバビロニア捕囚時代に新バビロニアの宗教(とくにゾロアスター教のアムシャ・スプンタ)に影響を受けて、
ユダヤ教に天使として取り入れられた。ミカエルやガブリエルは旧約聖書にも登場し、キリスト教では大天使として継承
された。ヨーロッパ土着の神々が矮小化され妖精伝承となったこともあるらしい。

また、西方キリスト教世界では悪魔と迷信が結びつき、魔女狩りのように残酷な蛮行が中世後期から近世にかけての
ヨーロッパに蔓延った。

十字軍時代やオスマン帝国膨張に伴って、イスラム教徒やギリシア正教徒との接触で文明的に啓蒙され、宗教改革や
ルネッサンスの勃興を経て近代化が始まるまでは、西方キリスト教世界での迷信的な悪魔観は衰退しなかった。今日
の欧米社会においても、そのような迷信的な悪魔観は完全には消失してはいない。

その一方で、東方キリスト教世界では、ギリシア哲学(特に新プラトン主義)を基盤とした神学を発展させたためか、こ
のような迷信的な悪魔観は起こらなかった。ただし、11世紀の東ローマ帝国の知識人で宮廷の有力者でもあったミカエ
ル・プセルロスは悪魔額研究の著作を遺している。

またエクソシストについて---カトリック教会における悪魔憑きは外から語りかけることによって始まり、体内に入り、体
をのっとる「憑依」によって完成する。外から語りかける段階・・・電気製品から、「私を助けて」という子供の声などで話し
かける。 憑依する段階・・・呼吸音・骨のきしむ音・腸をごろごろ鳴らせる音で語りかけてくる。

憑依後・・・本人の意思とは関係なく、口から完璧な言葉を話し、人に望む行動をとらせるよう働く(以上引用)。

以来、一神教の神以外は全てサタンとする論理で「聖戦」を続ける。つまり破壊と殺戮だった。とすれば逆説的には一
神教の神こそサタンであった事が証明されたようなものです。人生の中では確かに、他人が鬼に見えたり、或いは失敗
の原因が悪霊・悪魔の仕業と思うような体験を何度か味わうかも知れない。

でも其れは自分が原因する「身から出た錆び」など因果の常であり、或いは人生経験として、誰かが悪人の役割を担
わされるケースです。ご当人に具象体験させる必要がある場合や因縁返しと言うケースで現れる場合が多い。

或いはどのような家にも床の間だけではなくてトイレも必要であるように、誰にも必要悪として、苦渋の体験も必要性が
あります。このため、人生には誰にも明暗苦楽が共に設定されている。

でも其のショックが余りに強すぎると、こうした点を深読み出来ず、他人を恨み、世を儚んで自殺すると言う不幸な結果
や悲しい結末になる場合もあるので、こうした場合は年長者が善導すれば感謝される。つまり此処から善人の役者が
浮かび出る。善人が存在するためには、其の逆の「悪役」がどうしても必要になる。

こうした道理を昔の日本人は良く心得ていた。其れがしかし渡来思想によって汚染され、穢れ思想や鬼や魔と言う観念
が刷り込まれた。鬼と言う架空の観念を作り上げたのは大和朝廷や其の御蔭で発展した坊主たちである。彼らは支配
の道具として鬼と地獄界を使った(或いは神社も負けずに神楽で作り話の神話を演じた)。

仏教的な空想・創作劇として勝手に地獄絵を描き、其れを皆に見せて、「吾らの言う通り従わずに逆らえば此れ、この
通りだ」と脅す手段が支配者にとって最も効果的である事を熟知していたのだ。此れは古今東西、支配者たちの常套
手段でした。同様に、悪魔を作ったのはキリスト教的二元論・二極対立の支配観念でした。

彼らは先ず抽象的な神を作り上げて過去や他者を否定した。つまり、神も悪魔も彼らの幻想的・空想的な創作神話か
宗教説話である。

だから、そんなインチキ臭い神を認めず、従わない人々も当然存在する事となり、そうした人々(まつろわぬ非従属民)
を彼らは悪魔のレッテルを貼り付け、或いはルシファー(堕天使)、もしくはサタン(赤龍)のレッテルを貼って敵対する
勢力として誹謗し、内部を纏めると同時に敵を弾圧しました。

こうして一神教が幾多の文明を破壊し尽くし滅ぼして来た。とすればキリスト教こそ悪魔であると言えるのです。具体的
にはアフリカや中南米を、次はアジアを悪魔の世界としてキリスト教を布教したが何の事はない。彼らが収奪する植民
地として支配しただけだった。

特にプロテスタントの歴史は、そうした自作自演の幻想によって世界の人々を幻惑し振り回して来た。そうした手合いこ
そ今はあの世で地獄にいる。彼らが説いた通り、今は其の地獄で責め苦を受けていよう。子孫が絶え、絶家となって祀
られる事もなく衰え、其の苦しみから其れを現界(この浮世)に訴えて来ている。

しかし訴えられても霊系統が違う他人には分からない。其処で其の現象が何れも奇妙な災難や事故となっている。現
在の国連やNATO(北大西洋条約機構)など、各国の同盟体制を「文明の進歩」と見るのも自由である。でもこうした意
味のない自ら作った幻想(二極対立観念)のサタンと言う観念・仮想敵に自ら恐れ慄いている。

悪魔やテロを恐れて監視カメラを増やして同盟関係を増やしているのが今の社会であるが、幻想に怯えているのであ
って結論として今も悪魔は実在しない。テロは散発するが其れ以上に悪魔的な殺戮をイスラエルや米軍がするからで
ある(666を参照)。

悪魔祓い・・・・・・・カトリック教の悪魔祓い(エクソシストを参照)。カトリック教では神に逆らった天使が地獄に落ちた
のが悪魔(サタン)であると言う。中世までカトリック教では此のサタンの名によって「火あぶり」や「魔女狩り」と言うおぞ
ましい行為で「異教徒迫害」の蛮行をして来た。

「魔女」のレッテルを貼って悪魔を作り出し、昔からの伝統的な自然神信仰を迫害し封殺して来たのです。そうした反省
からカトリック教では悪魔祓いをしなくなったが、1992年にヨハネパウロ二世が銃で撃たれた事から翌年に悪魔祓いを
彼が復活させた。

今もロシア正教では「悪魔祓い」がなされるが、此処の場合は少し様子が違う。ロシアのノボクズネックの町に悪魔祓い
で有名になったワシリー神父がいる。其の教会には悪魔に魅入られたと言う信徒たちが集まる。だが「悪魔」に入られ
ても本人は自覚出来ない。普段は普通の人々である。所が儀式が始まるにつれて豹変して来るのです。

先ず十字架に顔を背けるように変わる。ただテレビで見た感じでは単なる憑依(憑霊現象を参照)、もしくは演技であ
る。憑依した場合は女性でも大男を投げ飛ばすほどの驚くべき力を出したり大声で喚き散らしたりする。だが「悪魔」に
入られても本人には自覚がない。

だからそうした人々が教会に集まり、悪魔を誘き出すための油が頬に塗られて儀式が始まるにつれて抵抗して喚き出
すようになる。だが神父は「悪魔と直接話してはいけない」(対話すると悪魔に引き込まれる)と言う。神父は冷静に祈
り、聖水を注いでやがて悪魔たちを鎮める。

そうすると其れまで騒いでいた「悪魔信者」たちが、其れが終わると「スーと気持ちが良くなり清々した」と言う。ですから
此れはストレス発散の一つの妙薬にもなっているようだ。或いは何か失敗しても悪魔のせいにして本人のした行為の
失敗責任から逃げる方法にも利用される。例えばブッシュ大統領は9.11NY同時テロの後に「此れは悪魔の仕業だ。

私に従うか、それとも悪魔につくのか」と言ってアフガニスタンに侵攻したのです(06/4/22abcTVより引用)。

▲揚羽(アゲハ)・・・・・・黄地に黒斑の羽を持つチョウで、平家の紋所でもある。幼虫は柑橘類の害虫とされる。だ
がこのチョウは柑橘類と共生関係なのかも知れない。筆者の所でも数年前、オレンジの木を鉢植えにした。すると其処
へ毎年春から夏にかけて揚羽蝶が次々と飛来するので気を良くしていた。

だが、数年経っても少しもオレンジの木が大きくならず、買って来た時に比べて寧ろ樹形が年々小さくなって来たので
す。なので心配して見ていた所、揚羽蝶が次々と其処へ産卵に来ていたのです。卵は直ぐに幼虫になって育ち、巣立っ
て行くが、そのためには若葉を次々と食べ尽くす事になる。だからオレンジが数年たっても成長しなかった訳。

だが毎年彼女たちが飛来するのは此のオレンジの木が故郷の実家であるからだ・・・と分かった以上、其の幼虫を殺
す訳にも行かなくて・・・・悩む(「チョウ」、「蜂」を参照)。

赤穂浪士・・・・・・大石以下、大半が常陸(笠間)ゆかりの武士(赤色)であり、残りが赤穂武士だった。彼らこそ何
れも「武士の鑑」であり、今も日本人の魂である。以下、大半をhttp://www.geocities.jp/kimkaz_labo/age-akou.html「大
河ドラマ&時代劇 登場人物配役事典」より引用(只し現在、問い合わせ中)。

----最終年齢順--氏名--「仮名手本」ほか--赤穂藩取り潰し時の役職--討入時の所属--討入後の預け先の順。

77 堀部弥兵衛金丸 - 江戸留守居役 表門隊 肥後熊本藩主・細川越中守綱利
69 間喜兵衛光延(みつのぶ) - 馬廻勝手方吟味役/山奉行 裏門隊 肥後熊本藩主・細川越中守綱利
64 吉田忠左衛門兼亮(かねすけ)- 加東郡穂積郡奉行 裏門隊副将 肥後熊本藩主・細川越中守綱利

63 間瀬久太夫正明 - 大目付 表門隊 肥後熊本藩主・細川越中守綱利
村松喜兵衛秀直 - 江戸常詰扶持方奉行 表門隊 長門長府藩主・毛利甲斐守綱元
61 小野寺十内秀和 - 京・留守居役 裏門隊 肥後熊本藩主・細川越中守綱利

59 奥田孫太夫重盛 - 江戸詰武具奉行 表門隊屋内組 肥後熊本藩主・細川越中守綱利
57 原惣右衛門元辰 原郷右衛門 足軽頭 表門隊 肥後熊本藩主・細川越中守綱利
56 貝賀弥左衛門友信 - 中小姓/蔵奉行 表門隊 伊予松山藩主・松平隠岐守定直

53 千馬(ちば・せんば)三郎兵衛光忠 - 馬廻/宗門改役 裏門隊 伊予松山藩主・松平隠岐守定直
48 中村勘助正辰(まさとき)- 祐筆役 裏門隊 伊予松山藩主・松平隠岐守定直
47 木村岡右衛門貞行 - 国絵図奉行 裏門隊 伊予松山藩主・松平隠岐守定直

45 大石内蔵助良雄(よしたか) 大星由良之助 国家老 総指揮/表門隊大将 肥後熊本藩主・細川越中守綱利
菅谷半之丞政利 - 馬廻/郡代 裏門隊屋内組 伊予松山藩主・松平隠岐守定直
43 早水藤左衛門満尭(みつたか) - 馬廻 表門隊 肥後熊本藩主・細川越中守綱利

40 前原伊助宗房 - 江戸詰金奉行/中小姓 ? 長門長府藩主・毛利甲斐守綱元
39 岡島八十(やそ)右衛門常樹 岡島新右衛門 勘定奉行 表門隊屋内組 長門長府藩主・毛利甲斐守綱元
寺坂吉右衛門信行 寺岡平右衛門 加東郡代組下足軽弓組 裏門隊屋内組 (1747=延享4年まで生存)

38 神崎与五郎則休 千崎弥五郎 足軽徒士目付/郡目付役 表門隊 三河岡崎藩主・水野監物忠之
横川勘平宗利 - 徒士横目/焔硝蔵奉行 表門隊 三河岡崎藩主・水野監物忠之
三村次郎右衛門包常(かねつね) - 台所役/酒奉行 裏門隊屋内組 三河岡崎藩主・水野監物忠之

37 片岡源五右衛門高房 - 内証側用人小姓頭 表門隊 肥後熊本藩主・細川越中守綱利
茅野和助常成 - 横目付役 裏門隊 三河岡崎藩主・水野監物忠之
36 潮(うしお)田又之丞高教(たかのり) 小汐田又之丞 国絵図奉行/郡奉行 裏門隊 肥後熊本藩主・細川越中守綱利

35 近松勘六行重 - 馬廻 表門隊 肥後熊本藩主・細川越中守綱利
赤埴源蔵重賢(しげかた) 赤垣源蔵 馬廻 裏門隊屋内組 肥後熊本藩主・細川越中守綱利
34 堀部安兵衛武庸(たけつね) 織部安兵衛 江戸常詰馬廻役使番 裏門隊 伊予松山藩主・松平隠岐守定直

不破数右衛門正種 不破数衛門 浪人 裏門隊 伊予松山藩主・松平隠岐守定直
富森助右衛門正因 - 江戸詰馬廻兼使番 表門隊屋内組 肥後熊本藩主・細川越中守綱利
倉橋伝助武幸 浦橋伝助 扶持奉行/中小姓 裏門隊屋内組 長門長府藩主・毛利甲斐守綱元

32 武林唯七隆重 竹森喜多八 馬廻/中小姓 表門隊屋内組 長門長府藩主・毛利甲斐守綱元
大高源五忠雄 大鷲文吾 膳番元方/腰物方/金奉行 表門隊 伊予松山藩主・松平隠岐守定直
30 吉田沢右衛門兼定 - 蔵奉行 不明 長門長府藩主・毛利甲斐守綱元

矢田五郎右衛門助武 - 江戸詰武具奉行 表門隊 肥後熊本藩主・細川越中守綱利
29 大石瀬左衛門信清 - 馬廻 裏門隊屋内組 肥後熊本藩主・細川越中守綱利
小野寺幸右衛門秀富 - (小野寺十内秀和嫡男) 表門隊屋内組 長門長府藩主・毛利甲斐守綱元

杉野十平次次房 杉野十兵衛次 札座横目 裏門隊屋内組 長門長府藩主・毛利甲斐守綱元
28 村松三太夫高直 - (村松喜兵衛秀直嫡男) 裏門隊屋内組 三河岡崎藩主・水野監物忠之
26 奥田貞右衛門行高 - 加東郡勘定方 裏門隊 三河岡崎藩主・水野監物忠之

岡野金右衛門包秀(かねひで) 岡野新右衛門 (岡野金右衛門包住嫡男) 表門隊 伊予松山藩主・松平隠岐守定直
間十次郎光興(みつおき) 矢間重太郎 (間喜兵衛光延嫡男) 表門隊 三河岡崎藩主・水野監物忠之
勝田新左衛門武尭(たけたか) - 札差横目付中小姓 表門隊 長門長府藩主・毛利甲斐守綱元

25 礒貝十郎左衛門正久 - 物頭並側用人 裏門隊屋内組 肥後熊本藩主・細川越中守綱利
24 間新六光風 矢間新六 浪人 裏門隊 長門長府藩主・毛利甲斐守綱元
23 間瀬孫九郎正辰(まさとき) - (間瀬久太夫正明嫡男) 裏門隊 三河岡崎藩主・水野監物忠之

18 矢頭右衛門七教兼 佐藤与茂七 (矢頭長助教照嫡男) 表門隊 三河岡崎藩主・水野監物忠之
16 大石主税良金 大星力弥 (大石内蔵助良雄嫡男) 裏門隊大将 伊予松山藩主・松平隠岐守定直

因みに水戸市郊外に古墳群があり、其の傍らの村落に浅野家と大石家が肩を寄せるように何軒もひっそりと残ってい
るが詳しい経緯は不明。

・・・・・・真夜中から午前と言い、正午までを午前中としているが、中でも朝は、東から日の出がある頃を言う。此
の為、日の上下に各々「+」、右に月を置いて形声文字とした。前者は日の上下に「+」を置いて、此処で東西南北の方
位を結ぶ事を示している(下記のアザーンに影響?)。草や車の字にも似ているが草とは無関係。

朝は天子を意味し、天子の祭りの場を「朝の庭」、即ち朝廷とも言った。其処から王朝、朝賀、朝儀、朝権、朝威、朝臣
(あそん)、入朝、登朝、参朝、来朝、朝貢、帰朝、南北朝、六朝、朝敵、廃朝、朝野、異朝など・・・・何れも天子に因む
事柄に用いた。其れに対して「草」は国民を指す蔑称でした。

▲麻・・・・・・麻は四月に実を植えて夏に刈り取る。雌雄異株で雌には実が、雄には花が咲く。成長が早く、一日10cm
伸びて夏には高さ3〜4mの篠竹のようになる。麻は実は鳥の餌になる。インド産のものは麻薬(大麻)を作る。茎の繊
維から紐や糸を作り、良い麻製品は黄金色をしている。

古くから麻布とか麻紐として、神事に欠かせなかったものである。また、弓の弦や綱、網、帆布、そして一般の衣類やズ
ックとしても使われた。麻の繊維は強く、其れを夏衣にすれば涼しいが、麻紐・麻縄も水に浸かれば弱い。このため庭
や船など、濡れる場所にはシュロ縄を使う。

▲麻紙・・・・・・マシと読む。
▲浅草紙・・・・・・江戸浅草で作った紙で、色黒く粗悪な、漉き返しの紙だったのでトイレ用の「落とし紙」として役立っ
た。

▲麻作り・・・・・・群馬県吾妻町では今も麻作りを伝えている。刈り取った麻茎を乾燥させて後に、水を張った麻お舟に
漬けてふやかし、次に二日半寝かせば発酵する。次に麻皮剥ぎ。次に「麻お挽き」があり、「麻お挽き」で粕取り、磨き
をする。次に乾燥させると良質の黄金色の麻製品となる。

以上の工程は何組もの夫婦が仲良く連携して行う作業である(以上はNHKTV、2003/9/3放映分から引用した)。

アザーン・・・・・・イスラム教のモスクで礼拝の時間が来た事を知らせる声。此のときの声がモスクから毎回街中に響
く。

▲足・・・・・・其の意味の詳細は足相(ソクソウ)を参照。
▲味・・・・・・

阿字・・・・・・墓石やマンダラに記されている第一文字。阿は梵字で「子し」のように書かれている文字(種字)。仏教
では蓮華座とセットで宇宙の根源とか月輪(阿弥陀)を意味し、密教では大日如来(自己の本源)を指す。また此の阿を
「無」または「不」として無常、無住、不来、不流、不破壊を瞑想する事を阿字観と言う。

▲安治・・・・・・安治石を参照。

亜細亜・・・・・・1820(文政3)年と1992年についての世界のGDP(国内総生産)と人口の推移を比較して見ると、
1820年の世界はアジアが圧倒していた。GDPの首位はシナで28.6%、2位が印度で16%、3、4、5位が仏、英、
露で日本は6位の3.1%であり、米国は9位で1.8%だった。人口でもシナと印度で世界の半分を超えていた。

1820年のGDP比ではアジアが世界の6割弱を占めていたが1940年には約19%にまで低下する。其れが95年に
は4割に近づいた。そして25年には再び6割弱を回復すると見られている。江戸時代への回帰と言う点では経済的に
は停滞しデフレ気味で人口も増えなくなるが、当時は循環型社会で知的水準も高かった。

そして対外戦争ゼロの良い時代でした(以上は05/9/9の毎日記事より引用)。

▲安治石・・・・・・四国高松に産する御影石(別項参照)。「石切」を参照。

▲芦屋道満・・・・・・安倍の晴明のライバルとなった陰陽師でドーマンと言う形の呪術を使った。ドーマンとはいわゆる
「九字の印」であり、彼の後も九字(別項参照)は密教と修験道に広く使われ、また家紋として印した家筋も多い。

アジャンタ石窟・・・・・・デカン高原にある石窟。Bc1c頃は釈迦の骨をスツーパに納めて礼拝していたが、Bc5cに
は仏像礼拝になった。例えば釈迦は前世に猿だった事があって、仲間の猿を多数助けて犠牲になったので今は人とし
て生まれたと言う因縁噺が彫られている。修行僧にとって石窟は静かでかつ冷暑を避けた快適な空間だった。

近くに水場があり、托鉢に歩く町も近かった。評判を聞きつけて多数の人たちが此処を訪れたに違いない。此のアジャ
ンタからデカン高原、そしてアフガンのバーミヤン、或いはシナの敦厚へと仏教が伝えられた。アジャンタを支えたスポ
ンサーは3〜6cのワカタカ王朝(インドを参照)である。

当時の衣装がインドのシルクのサリーである。此の王朝の都はナグプールに有った。其れを発見したのが佐々井氏で
あり、彼はカースト制に反対したアンベート・カル博士の影響を受け、また龍樹菩薩の啓示によって南天竜宮城を探し
て此処に至り、今も活躍中である。近くにはシルプール遺跡もあるが、此処には今も巨大な三階建て石像物が有る。

3Fが王宮、2Fは僧院、1Fが貴族館であった。プラバーラッシー王の印章も発掘された。壁画技術者たちは当時都だっ
たマンセルから来てアジャンタの壁画を描いたが、王朝が戦乱となり、経済が廃れて後ろ盾をなくした。因みに543年に
はチャールキヤ朝が生まれ、560年にはマイトラカ朝が興盛に向う。

シナは五胡十六国(304〜434)、日本には4〜7cに大和政権が出来た頃である。だが19cに再発見されるまでアジャン
タは忘れられた。其れが今、彼の尽力によって仏教徒も1億人にまで回復した。宗派を超えて此処には今、年間100万
人が観光で訪れる(MBSTV06/5/27「世界不思議発見」より引用)


▲阿修羅・・・・・・略して修羅。梵語でアシュラは非天。インドでは鬼神の1つとして阿修羅王となる。梵天帝釈と戦い、正
法を滅ぼそうとして阿修羅道の長とされる。また仏教ではカルラ(迦楼羅を参照)と並んで釈迦を守って説法に会座する
守護神とされ、八部衆の1つに数えられる。

▲阿修羅道・・・・・・人間界の六道の1つ。阿修羅の住む世界。我慢強く、猜忌の盛んな者の行く世界。悪鬼の世界で、
阿修羅王が梵天帝釈と権を争い、常に闘争が絶えない世界。修羅道・修羅界。

★アスベスト公害・・・・・・・アスベストは石綿の事。此れは断熱材や建材、或いは配管などに多用されて来たが近年
「アスベスト公害」として問題になって来た。

例えば此れを材料に水道管や建材を製造して来た「クボタ」(大阪市)は、関係者の中に中皮腫や肺癌など石綿関連病
の発症が急増し、過去10年で51人が死亡していた事を認めて其の対応を迫られた(05/6/29毎日)。また翌日の
NHKTVニュースでは「78人の死亡」と報道した。

其の後、ニチアス(奈良の竜田工業)など全国からも同様の被害・死亡例が続出 して05/7/7現在では302ヶ所の
工場から301人の死者が判明した。アスベストは潜伏期間が30年間と永く、今判明した中でこの数字で ある。アスベ
ストの中でも青石綿がより毒性が強いと言われ、塵肺、中皮腫、癌などで死亡している。

メーカーはこのように責任を認めたが、問題は其れを施工した建築業界は未だに知らぬ顔であるのはどうしてだろう。
またお上(厚生、環境、建設、通産関係省)は誰がどう責任を取るのか。政府は被害者に対して12/22に300万円
支給と決めた。でも其れは行政の無責任を野放しにしてすり替え、税金で国民に尻拭いさせる事になる。

次は06/1/31日のNHKTVクローズアップからの引用である。本日「アスベスト救済法」が国会を通過したが、一律10
万円(月額)と医療費の自己負担分を免除すると言う内容なので労災と比べても劣る。このため「中身も誠意もない」と
被害者がデモをした。国は其れまで把握していたにも拘わらず公表しなかった責任がある。

先ず謝罪すべきである。次に担当者の責任追求である。しかる後に税金の算段であろう。無論、被害者救済も急ぐ必
要が有るが、中皮腫になると治療法がない。また第三の問題として原因不明のままでは救済にならないし、30年も国
が放置して来たのに政府が究明せずに、被害者が30年前に遡って原因を究明すると言うのは至難である。

国は平成元年に動き出して平成15年になってやっと規制し始めた。またアスベスト廃棄物が4割も増加している問題
である。廃棄物を安全に処理し無害化出来るのかどうか。今の所は埋め立てしかないが、埋立地は60ヶ所の処分場
があと4.5年で満杯の予定。

高温処理すれば無害化になり1/10の容積にもなるが、処分場となれば近隣住民が心配するので仕事に掛かれな
い。日本は既に1000万トンを輸入した。今後、アスベスト公害が広まるのに比例して建築廃材の不法投棄が増加す
ると懸念される。

此処で一つの救いとしてアスベスト代替品としては先ずクラレのビニロンが有って此れは既に海外で実績がある。次に
アスベストを無害化する特殊溶剤の開発メーカーが現れた事である。06/3月に被害者救済のためのアスベスト新法が
成立した。

◆東
◆吾妻・・・・・・地名。関東の場合、ヤマトタケルが妃を偲んで名付けたと言う由来の地名。

東屋・・・・・・・東屋を四阿とも書く。単に屋敷の東にある小屋と言う意味のものではなくて由来は方丈の御堂であ
る。御堂は10尺四方、つまり方丈のお堂であり、内陣が四畳半の広さとなる。其の中央に座れば四面を等間隔で観測
出来た。つまり四季を観測して暦を読む場であった。其の格式が茶室に発展した。

仮にこの東屋の正面を真南に向けて建てれば、四季の時期を確定出来る。建物の四隅が丑寅、辰巳、未申、乾であ
るから、其処が暦の立春、立夏、立秋、立冬を画する定点となるシステムが構築されていた。

よって薬師堂、観音堂、地蔵堂、不動堂がこの建築様式・格式であり、特に虚空蔵の求聞持(グモンジ)堂が離れ屋と
して建てられた。但し求聞持(グモンジ)堂の場合は本堂から鬼門の方位に向けて配置されたに違いない(「御堂」、「シ
トミ」を参照)。

アゼ(畦・校)・・・・・・アゼを「畦」と書けば田んぼの畦道を表示する。つまり田と田を区切りとして盛り上げたクロ(土
のライン)である。また織物で畦織りと言う場合は、布地に糸を交差させて布地に高低差を付けたものである。建築で
は鴨居や敷居の溝をアゼと言う外、「校倉」と言う場合は角材を交差させた建物を意味する。

其れに昔は検校と言う厳しい職制があり、其れが今はマッサージ師の元祖とも思われているが、実は寺社の監督官で
あった。また今は学校と言う楽しくも苦しい場もある。其れに職場などで校正と言う場合は、重箱の隅を突く様に文章の
間違いを探し出す作業である。要するにアゼとは何なのかと言えば「交差」である。

シャク(笏)及び次の「校倉」も参照。

校倉造・・・・・・和風建築では古来、板壁と土壁が基本であるが、校倉の場合は土や板ではなくて角材を菱形に並べ
て井形に組み上げて外壁とした建物であり、今は正倉院の宝蔵(高床式)に見られる。東南アジアの外に、スイスや北
欧の住宅・倉庫にも類例が有るが、湿度の高い山国である日本には最適の伝統建築とも言えよう。

特に20cから日本では鉄筋コンクリート建物が半永久的建造物と誤信されて、其の種の建物が多数建つようになった
が、此れは室内に結露を作る。更に其れが骨材を錆びさせ、内部から崩壊させると言う致命的な欠陥があるのに対し
て、校倉造りは第一の特徴として空気の自動調節機能がある。

室内に湿気を溜めず、従って保管物を保存するのに最適な構造である。外気が湿ったときには木が膨張して隙間を閉
じて室内に湿度が入るのを防ぐし、また外気が乾燥した時は、隙間が広がり、室内に風を通すからだ。だが実際に正
倉院の内外の湿度を比べた所、其の差が殆どない事が分かった。

だから先の解釈は根拠がないとする説も有るが、1200年間、御物を保管した実績を、僅かの観測で「誤解」と即断し
て良いものかどうか。第二として、コンクリート建物は地震に弱かったが、正倉院は過去何度もの地震や台風にも耐え
て来た。其れは40本の檜の丸柱で柔構造になっていたからだ(NHKTVより引用)。





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