http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page032.html (未定稿)


   日知り事典       アタ〜アホ

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・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

あた・・・・・・尺。
・・・・・・あだ。敵。恨みの種。仕返し。害。

(空)・・・・・・あだ。真心がない事。儚い事。浮気なこと。無駄な事。
婀娜・・・・・・あだ。なまめかしく色っぽいこと。

仇討ち・・・・・・主君、親、親属友人などに害した人を討って報復する行為。敵(かたき)討ち。例えば富士の裾野の
曽我兄弟の仇討ちや鍵屋の辻の荒木又衛門の活躍、それに高田馬場の堀部安兵衛は講談や歌舞伎でも良く知られ
る通り、見事に仇討ちを果たした。昔は正統な理由があれば果し合い(仇討ち)が公認されていた。

此れによって江戸時代は軍事費ゼロで警察もなかったのにボランティアの岡っ引きの力で265年間の平和を続けたの
ですから大したものだ。優秀な町奉行や岡っ引きの力も寄与したが、自力救済の道を閉ざさなかったから功を奏したの
ではないか。

ただ今の人は「秀吉の刀狩り」で武器を一掃したから「犯罪防止できたのだ」と反論するかも知れないが、武家や猟師
は依然として大量の武器を持ち、百姓町人でも一応は持っていたし、道中差し程度の武器は誰でも持っていた。持って
いたが一生使う必要がなかった。一生ではなく武器が300年間忘れられたほど日本は平和が続いたのだ。

其れは武器の問題ではなくて信仰の問題である。或いは因果律が犯罪を食い止めた。信賞必罰の論理が徹してい
て、「悪いことをしたらバチが当たるよ」と言う極く当たり前の道理の因果律を持っていた。バチとは天に唾する行為に
よって当ると思う事であり、要するに良くない行為に対する戒めになった。

「他人を殺せば殺される」と言う因果の報いを知っていたから「敵討ち」容認の気風となった。とすれば、銃砲刀剣類よ
り怖いのは寧ろ進化論である。それに戦後にGHQによって植えつけられた「仇討ち」の言葉狩りである。

真珠湾に誘き出して日本をハメて置いた彼らが、寧ろ逆に「日本軍は卑劣だった」と宣伝し、日本が負けるときには原
爆をお見舞いしたのがリメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)の論理だった。

自分が原爆で何倍もの「仇討ち」をしていながら、次に米国が仇討ちされるのを一番心配して「仇討ち」の言葉狩りをし
たのがGHQだった。この対日政策により、日本の若者を腑抜けにする思想教育に見事に成功した。怖いのは武器よ
りもこうしたイデオロギーである。

其れにしても日本では赤穂浪士の仇討ちが一番人気があるのは何故か。其処には道理と人情が有るから美談とな
る。赤穂浪士の場合は吉良上野介を見事討ち取って本懐を遂げた。その結果として元禄16/2/4、大石蔵之助(良雄)
は細川邸で自刃(切腹)した。何もかも彼の読み通り運んだとすれば、思い残す事はなかったろう。

以来、此れに涙を流し「実に立派な最後」と讃えるのが人生の苦楽を知った日本人の心である。ともあれ日本には明治
四年に最後の仇討ちがあった。其れに対して、「決闘や仇討ちは野蛮だ」と言うのが戦後の識者の常識だが、其れは
女性的な優しさに見えて実は平和ボケの論理だ。

そうしたのは戦後民主主義の副作用である。いや元を糾せば明治維新にある。「仇討ち」を禁止して「決闘に関する
件」として明治22年12/30に決闘挑応、決闘、決闘殺傷、決闘立会・場所貸供などを禁止する法律を作った。更に大正
15/4/10には「暴力行為等処罰に関する法律」まで作った。此れで日本人を腑抜けにしたとすれば大失敗である。

政府が今のように高額徴税しても無能であり、しかも法律が山ほど有っても無法の国家となり、犯罪増大に対して警察
もなきに等しいのであれば決闘でも仇討ちでも認めた方が合理的である。そうすれば政府は労せずして国民の道徳観
と社会の道義を取り戻し、犯罪増加をストップさせられる。

平和ボケの日本人はそれでも尚、闇雲に米国が銃社会であるのを批判するが、アメリカ人は前述のような自己責任の
自覚が徹底しているから銃を持つのである。日本は警察に巨費を投じているが其れに反比例するように犯罪が増加の
一途である。全国の刑務所は犯罪者でもう満杯である。

裁判所は本来、法律で信賞必罰を裁く目的の処であるが、毎度曖昧な判決しか出せなくなり、また警察も被害者を捨
てて犯罪者を庇う所となった。信賞必罰とは逆に、犯罪者のプライバシーを守り、暴力団を国民からガードし擁護する
所になっているから矛盾です。

こうしたあり方では政府や法律が社会の公序良俗を守ると言う目的とは既に乖離しており、公序良俗を破壊するもので
しかない。無理とは思うが、政治家はもっとしっかりして貰いたい。

よって此処で一案を提示する。今は正当防衛とか緊急避難と言う狭い範囲の自力救済しか認めない犯罪増加に歯止
めが利かなくなったのだから、この際、大幅に規制緩和して一定のルールに則って行うならばOKすれば良い。例えば
先の二法の例外規定として先ず、管轄警察署長の許可を受ければ「お構いなし」とするのが良い。

例えば保証金の供託、または後見人の選定である。この何れかが有れば、署長はツベコベ言わず直ちに「仇討ち」を
許可する義務を負うと提案すれば、民族自決の「自己救済案」ではなくて「危険思想」と勘ぐられるだろうか(コウヤの仇
討ちを参照)。


愛宕神社・・・・・・天人熊(アメノヒトクマ)と言う神は、天照大神に、「米作り、野菜作りをしている人達の生活を見学し
てきなさい。」と命じられて、農業に励む人達を訪れた。その作業は決して清潔とはいえず、腐ったものとか、又糞尿を
肥料として育てた作物を食べなさいと言われて大層怒り狂った。

「こんな穢れた汚いものが喰えるか!」と仕え女を叱り、一撃の下に殺して仕舞う。高天原に戻った人熊命(ヒトクマノミコト)
は、大霊女貴神(オオヒルメムチノカミ)に報告するが、大霊女貴神はこれを聞いて「何て酷い事をするのだ!」と大いに怒
り、軍の旗(イクサノハタ)に封じ込め、愛宕の山に住まわしめるのである。いわゆる愛宕神社の神である。

後に神武天皇ご東征のみぎり、弓の先に止まった鳶は軍(イクサ)の神として祀られた天人熊命の変身である。戦前、武
功抜群の陸海の軍人に下賜された「金鵄勲章」は"愛宕神社の祭神の如し"という意味の褒章である(以上は「先代舊
事本紀」舊事紀の広場http://www.shonanfujisawa.com/~kujiki/hiroba.htmlより引用)。

因みに、今も有名な所としては京都嵯峨の北にある愛宕山(924m)の愛宕神社はご祭神が雷神で防火の神となってい
る。愛宕詣りを口神、実に京都観光に来る消防関係者も多い筈だ。

アダム・・・・・・Adamヘブライ語で「土から生まれた=人」。旧約聖書で最初の人間。神が土を捏ねて造って息を吹
き込んだ。其の肋骨からイブを作った。だが禁断の木の実を食べた為にエデンの園から追放されたと言う。よって聖書
から派生したユダヤ・キリスト・イスラム教など一神教は、人類の歴史は7000年であるとしてい来た。

だが何れも誤解であった。竹之内文書にはアダムイブは二人称ではなくてアダムイブミッドソンと言う大使が日本から
かの地に派遣されたと記録していた。何れにせよ、彼は死後エルサレムに埋葬された。だから先の三教はエルサレム
を聖地としているのだ。

以下、http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1084901130/「2ちゃんねる」から引用する。72 :出土地不
明 :04/11/09 05:32:39 ID:W4HAMyDq>>60 それは十九世紀初頭に生きたドイツの修道女、尊者カタリナ・エンメリック
--- 現在列聖調査中 --- の記録であった。エンメリックは、際立った幻の賜物をもっていたが、病弱なため、修道院か
らは一歩も外に出ることはなかった。

幻は、天地創造からイエス・キリストまでの歴史、終末の預言までを含む壮大なものである。幻の正確さは立証されて
いる。当時誰も知らなかった聖母マリアの隠居所の跡が、彼女の述べた通りの場所(トルコのイズミール)で、100年
後に発掘されたのだ。

彼女はまた、イエスが磔にされたカルバリーの地点を、定説(聖墳墓教会)とは異なる、ダマスコ門の外の丘に特定して
いた。「園の墓」の発掘により、イギリスのゴードン大佐がここを真のカルバリーの丘と定める、実に50年も前のことだ
った。

だが、もっとも驚くべきは、この十字架の地点から一直線上の地下に、人祖アダムの遺骨を納める契約の櫃が眠って
いることまでを、幻に見ていたことである。ロンは、アダムの遺骨のことまでは、明らかにしていないが、この驚くべき一
致に、私は鳥肌が立つ思いがした。

彼女によると、カルバリー(どくろ)の名は、アダムの頭骨がここに葬られたことに由来する。そして、アダムの骨と契約
の櫃、イエスの十字架が直線で結ばれるこの地点は、「地の中心」であるという。エンメリックは、契約の櫃の歴史につ
いて詳しく物語った後で、「これらすべてのことは、終わりの日に明らかにされるであろう」と預言した。

今は、まさしくその時代なのだろう。

アーチ・・・・・・太鼓橋。神の渡る橋なので人間は上ってはならない。但し皇居や長崎の眼鏡橋のように上を平らにし
た橋は「人の橋」。また今の日本の建築家たちはアーチ建造物のような優れた工法を採るのが下手なようである。

其のためか鉄筋やコンクリートに頼って、より簡単な物を粗製乱造し、味気ない直線的な建物ばかり作った(「ドームの
造り方」を参照)。

●あち・・・・・・
●あつ・・・・・・
●アッバ・・・・・・ギリシャ語で父、神、息、風(カトリック司祭・井上洋治氏)。

▼あて・・・・・・目的。目当て。見込み。頼み。抵当などを意味する。此処から例えば借金の時に「当てがある」とか「当て
が外れた」と言う。
▼あて・・・・・悪質な木材。醜女。関西弁で「自分」の事。
▼宛・・・・・其々の割り当て。

▼当馬・・・・・試馬。牡(おす)馬の発情を検査または促す為に適当な雌馬を当てて別の雌馬にすり替える事。客を釣る
操作として今もインターネットなどで盛んに使われる。

▼宛名・・・・・手紙などの先付け。


アテルイ・・・・・・・日本史では東北、特に北上川流域で反乱を起こした悪逆非道の「悪路王」を坂上田村麻呂将軍
が捕らえて京都に連れて来た結果、此れを斬首したと記録している。アテルイは反逆者であるから斬首刑にしたとして
いる。だが事実は違う。彼は日高見地方の英雄だった。

当時、一関を中心とする地方は平和で豊かな国だった。此処は歴史的にも大和とは別の国でした。其れを大和側は虎
視眈々と狙い、何度も侵略をして追い詰めていた。だからそうした姑息で不当な侵略に対して彼が立ち上がって敢然と
戦ったに過ぎない。

自分の故郷を守るのは反逆ではなくて当然の事であり、彼はアイヌと共に大和に対決した首長でした。其の正統性を
知る和人の兵は幾ら多数繰り出しても、彼らの蕨手刀には38年間戦っても到底勝てなかった。其処で大和(京都)側
では彼を反逆の鬼と見なし、桓武は、渡来人の傭兵・坂上田村麻呂を使った。

坂上田村麻呂を使って、やっと勝つ事が出来た。田村麻呂は以前の経緯を知らないからどんな卑劣な行為も出来た。
アテルイはそんな田村麻呂と戦った結果、捕らわれて和平と言う話で京都に上ったが、騙まし討ちだった。田村麻呂で
はなくて朝廷が騙して斬首したのである。ねぶた祭りは「大和にねぶられた」彼を慰霊する意味も有った。

枚方市内に彼の墓所がある。また茨城・桂村の鹿島神社にも「悪路王」として祭られている。水戸黄門が祭ったと言う。

アトピー・・・・・・アレルギー性皮膚炎の一つであり、原因はダニ犯人説とか胃腸が弱るためとか色々言われている
が何れにせよ中々治らないので深刻な悩みである。何れにせよ、幼児期の子供が罹る。此れをカルキなどを含む水道
水で洗えば洗うほど症状が悪化して手が付けられない。

殆どの場合は医者の処方箋でステロイド剤を使うので症状が寧ろ悪化する。漢方は太古からの経験と実績を持つのに
対して、西洋医学の特に薬学は100年程度の歴史しかない。従ってサリドマイドやアトピーを見るまでもなく、薬効よりも
副作用や薬害問題を作り続けている。胃腸は酸欠と水道水のカルキの弊害で弱る。

其処で雨水(別紙「V屋根」を参照)で洗えば全治が早まるので此処で提案する。

アナナイの罪・・・・・・「和いの罪」とも書き、例えば死人を合葬すれば災いとなる事を言う。聖徳太子は「和をもって
尊し」と諭したが、其れは生きた人間界の話であって、霊界では別なのです。人の死骸は別々に葬るべきであって、此
れを面倒だからとか、「生前に仲が良かったから」と断定して一緒に葬っては災いの元となります。

ですから例えば他人のお骨と混ぜて「練り仏」にしたりすれば大変です。例祭や法事の場合も一切合切を合同で済まさ
ずに命日毎に一柱づつ分けて祭るのが原則です。霊界と限界とは違う。

だから現代の科学とか合理的な知識と言う打算や常識や利便性、或いは「人情」に流されたり勝手に拙速な判断をす
れば「アナナイ」を犯す事にもなって、やがてより大きな「アガナイ」で償う事になりますので、其れよりも昔からの風習や
知恵に従い保守的であった方が無難です。

其の保守的な方法としては例えば死後50年以上経った人の遺骨は、「先祖代々」の墓石、または五輪塔に入れる。更
に無縁仏となった墓石も無縁墓地に纏めるのが慣わしであり、この場合は世代、つまり時間の経過から上のアナナイ
にはならない。夫婦の場合も合葬するのが慣わしであり、此れも無論アナナイではない。

あの世・1・・・・・・彼の世は霊界である(黄泉の国とは違う。黄泉の国については別紙の「月ヨミ」を参照)。あの世
とこの世は逆転する事が多い。例えばあの世は精神世界、この世は物質世界である。さて、この世で人が生まれるの
は「結び=産霊」の力である。

そしてやがて死去すれば「往生」と言うが、其れは彼の世に往って生まれ変わる事を言ったものである。其れは肉体の
分解と共に魂が分解する事を意味する。だから人は死人を「解け=ホトケ」と言う。彼の世(ホトケ)にもこの世(ムスビ)
と同様の社会や職業が有るが、かなり秩序が整い、ピラミッド形の階層になっているので、魂はいったん解体する。

そして、この世の想念のレベルの所に個々に向って帰着する。つまり再構築である。従って精神的な自由が制約され
る反面、その制約内の想念の世界は実に広大無辺で自由である。ただ此の世との大きな違いは「実体験する」事が出
来ない。食事を味わったり子供を作り、分魂(わけみたま、魂を増やす)と言う行為も彼の世では無理。

其れは此の世だけの特権である。彼の世へ入れば戦争でも結婚でもやりたい放題であるものの、先のような実体験が
なく、譬え結婚しても子供を生む事もない。従って再びこの世へ生まれ変わると言う可能性も狭い。さて、この世に再び
生まれ変わるには此の世でやり残した事があって、しかも彼の世で親族の代表として選ばれる場合。

或いは、この世で祭り事をして迎えられた場合である。でも生まれ変わるためにはいったんバラバラになった魂を再び
「結び直す」必要が有る。ですからこの世に人として、或いは動植物として存在する事は実に貴い事です。

しかし其れを知らずに、もしこの世をはかなんで自殺すれば最早彼の世でも歓迎されず、従って可愛そうだが再び人と
して生まれ変わるチャンスも閉ざされると見た方が良い(「円系図」「死後」を参照)。

あの世・2・・・・・・人は「自分が死ぬ」とは思っていないが、今までの永い歴史の中で長寿者はあったものの、今も
1000年以上、生き残っている人がいない以上、「人は必ず死ぬ宿命である」と覚悟する必要が有ります。そうすると「彼
の世」は何処にあるのか、と言う心配をする事になります。

だが彼の世から此の世へ舞い戻って来たと言う人がなかったので良く分からない。分からないけれども、先の事実を元
に「死んだら終わり、彼の世はない」と言う人たちが多い。客観的には其れが正しい。ただ人には心があるが、人体を
解剖しても何所にも心は見つからない以上、事実が全て真実とは言えないのです。

つまり彼の世は心の世界です。人は大概、其処に行く。モノカネ主義の人が「死んだらお仕舞」と思って、彼の世を信じ
ていなくても往くのです。なので神が「いない」とか「いる」とか判断するのはインターネットの特に本欄よりも、人生の苦
楽を通じてご自分で体験する方が良い。

ただ一言だけ言えば、相応の理がある。「いない」と言う人は、獣や虫の世界に同調していますので、死後は其の世界
に住みます。其処が天国だと思うからです。肉体主義の人も、肉体を此の世に捨てて、心だけ往きます。其の時に、モ
ノカネ主義と肉体主義の人は大いに当惑して苦しむ。彼の世は此の世と諸相・諸観念が全く逆転するからです。

従って此の世で通用した観念も常識も全く通用しない。馬鹿はバカのまま、病人は肉体がなくなっても病人のままです。
心の貧しかった者はそのまんま、ではなくて、寧ろ更に増幅して行くのが彼の世です。愛も憎しみも募る。犯罪を重ねた
者も当然いますので、其れを続ける事も自由です。

だが其れを恥と気づいて隠そうとしても自分の表層・表象として尖鋭化して出てしまう。因果によって全てが顔形表情に
ハッキリ出てしまうので、他人にはハッキリ分かってしまうと言う恐ろしい世界です。其処へ貴方も行くのですね。必ず。

あの世・3・・・・・・今までの人は、仏教説話としての例えば弥陀来迎図と地獄絵を以て教えられて来た。だが人は
死後、最初は親族に迎えられる。早速、阿弥陀様がいらして、貴方を浄土に迎えると言う事ではないのです。人は次に
「類は類を呼ぶ」ように、精神性が同じレベルの仲間の所に行き着いて其処を極楽と思って長い間過ごします。

其処はバーチャル空間ではなくて、ハッキリと手ごたえのある現実空間であり、しかも広大無辺である。だが神は神、
竜神も鬼の世界もあれば、人は人、魔物は魔物、獣は獣と言う棲み分けがあって、言わば六道の辻で区分されてい
る。そして大概は魔界に棲む。生前がそうであったからである。其処は今の娑婆と同様。

天界も地界もある。知性も獣性も植生の世界もある。ただ植生は無言ではなくて各々意志を持ち、其れを語るだろう。
魚介類も獣も同様に語り始める。人間界も種々雑多な階層で職業も様々。経済界もあれば戦争を続ける人種も活躍
するし、詐欺師、騙り部、売春婦、人殺し、虫ケラのような公務員などが渦巻く世界である。

では、其れまで、どうぞ此の世をお楽しみに。

★アパルトヘイト(人種分離政策)・・・・・・・南ア中アなどで行われた白人による極端な現地人(黒人)差別待遇。

★あひ・・・・・・
★あへ

安倍の晴明・・・・・・・陰陽師。外に天文博士、左京権大夫などを歴任し、85歳まで現役として生きた。命日は寛
弘2(1005)/9/26(ユリウス暦10/31。歳時記の「9/8または7/19」を参照。因みに04年は1000年後にな
った。

彼の出生地については、一説には大阪の阿倍王子神社と安倍晴明神社、其れに和泉市の信太の森の稲荷を母とす
る伝説(葛の葉稲荷と聖神社)や茨城に晴明稲荷(猫島と吉生)、香川にも井原庄があって謎に包まれているが、「尊卑
分脈」によれば彼は右大臣、安倍の御主人(みうし)の九代目の子孫と有る。

だが、実は平将門の子だったとも言われる。母は大阪の和泉市の信太の狐とされているが、実は新治の志田とも言わ
れる(2/14「将門」を参照)。其の為、父の遺志を継いで関東に新政権を建てようと目指して藤原道長に近づき、また
花山天皇を関東に迎えようとした。けれども其れには失敗して一介の陰陽師で終わったと言う話もあるのだ。

ともあれ彼の師は賀茂保憲であり、暦道をその子、光栄が継ぎ、晴明の子孫は天文道を世襲した。時の権力者・藤原
道長とも親交があり、一条天皇にも信頼された。ドーマンを印した芦屋道満とライバル関係にあって、道満に勝った話
は有名である。

彼が勝ったのは式神(別項参照)を使い、呪詛する場合は呪詛神と言う手法を採ったからと言われ、中でも得意とした
のは、閻魔に頼んで寿命を書き換えると云う「泰山府君祭」であり、また晩年には「玄宮北極祭」をして一条天皇の延命
祈祷をした。

その他にも多くの祓い(呪詛返し)や祈祷をしたので、東北から沖縄までの各地の「蝮封じ、虫封じ、井戸掘り」に晴明
伝説が残る。また彼の使ったシンボルマークとして五芒星(セーマン)が有名である。彼の住居跡は京都にある今の晴
明神社、墓所は嵯峨野。

安倍晴明の子孫は宮廷陰陽師として、後に土御門家と言う貴族になり、室町時代には従三位にまでなった。そして
代々栄えて子孫(土御門家)は江戸時代には京都の北方、今の福井県の名田に領地を持ち、暦法を司ると共に地方
の陰陽師を「門人」として支配下に置いたが明治に廃絶した。

★あふ

▲アフガニスタン・・・・・・・・19cのアフガニスタンはロシア帝国とペルシャとイギリス領インドに囲まれていた。イギリス
とは第1、2、3次の戦争をして第1、2次では勝った。だがロシアの南下を恐れたイギリスが執拗に其の南下を恐れて
国境線を確保した。

このため其れまでタジク人、ウズベク人、ハザラ人、パシュトゥーン人がいた中で、パシュトゥーン人が二分する事にな
った。宗教は大多数がイスラム教徒だが、スンナ派が大勢を占めてシーア派は一部だった。そうした中でアアヌツラー・
ハーンが国を纏めて1919年に完全独立して国王となった。

1973年に王政廃止、1978年に共和制。1979年にソ連が侵攻。1982年にムジャヒディン軍事援助による内戦となり、多
数の難民を出した。1989年には東西冷戦緩和によりソ連軍が撤退(06/1/23、及び07/1/22のNHK教育TVより引
用)。

以下、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3「歴
史」より引用。---紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシャ帝国に編入され、ゾロアスター教も伝えられた。

紀元前4世紀、アレクサンドロス大王の征服は、この地にヘレニズム文化をもたらし、アーリヤ、アラコシア、バクトリア
などに呼ぶ都市を築いたが、それらは現在もへラート、カンダハール、パルフとして残っている。紀元前3世紀中頃、ギ
リシャ人が建てたバクトリア王国に支配され、次いでクシャーナ朝がこの地に栄えた。
 
1747年、パシュトゥーン人によるドゥッラーニー朝が成立。
1826年、ドゥッラーニー系部族の間で王家が交代し、バーラクザイ朝が成立。
1838年、第一次アフガン戦争。

1880年、第二次アフガン戦争に破れ、イギリスの保護国となる。
1919年、アマーヌッラー・ハーン国王が対英戦争(第三次アフガン戦争)に勝利し、独立を達成。
1973年、ムハンマド・ダーウードが無血クーデターを起こして国王を追放。共和制を宣言して大統領に就任。

1978年、軍事クーデターが発生(四月革命)。大統領一族が処刑される。人民民主党政権成立。革命評議会発足。
1979年、ソ連によるアフガン侵攻開始。親ソ連派のクーデターによってアミン革命評議会議長を殺害し、バーブラーク・
カールマル(元)副議長が実権を握る。社会主義政権樹立。

1987年、ムハンマド・ナジーブッラーが大統領に就任。
1989年、ソ連軍撤退(10万人)。国土は荒廃し、食糧事情は悪化の一途。反ソ連ゲリラ(ムジャーヒディーン)と政府軍
の間で内戦が勃発。

1992年、ムジャーヒディーンが攻勢、ナジーブッラー政権崩壊(その後ほぼ無政府状態)。
1994年、内戦が全土に広がる。この年ターリバーンが急成長。
1996年、ターリバーンが全土をほぼ掌握し実効支配。

旧ムジャーヒディーン勢力が反ターリバーンで一致し、北部同盟となる。
2001年、アルカーイダがアメリカ同時多発テロを起こす。アメリカは報復でアフガン侵攻する。年末にターリバーン政権
崩壊。

2002年、ハーミド・カルザイを暫定大統領に選出。
2004年1月、新<a href="/wiki/%E6%86%B2%E6%B3%95" title="憲法">憲法制定。
2004年10月9日、初の大統領選挙。カルザイが当選。選挙を前にターリバーンが再結成し、南部で武装蜂起。

2006年、駐留軍の指揮権が北大西洋条約機構(NATO)に移譲される(引用、以上)。


アフリカ・・・・・・イギリスがまだ世界史に出てこなかった7c〜11cのアフリカの中世はガーナ王国、コンゴ王国、マ
リ王国などが次々栄え、アラブやインドは無論の事、シナやアメリカとも交易していた。此れはコロンブスが「アメリカを
発見!」する以前からである。アフリカは農耕と狩猟と産金国として栄えていた。

イスラム教も受け入れる多様で豊かな国だった。サハラ砂漠が交通の障壁となって民族を孤立させる、と日本人が思う
のは誤解である。白人ギャングに大陸が荒らされて線引き・分断されるまでの砂漠は、国境がないから、誰もがどの方
向へでも行き来できる自由な交易路でした。

またアフリカには長大な川が何本もあるので、川から海へと交易が盛んでした。実際14cのマリ王国は「黄金の国」とし
て世界的に豊かな王国だった。またアフリカ東部にはイスラム教が広がってスワヒリ文化が栄えていた。日本は足利義
満、タイはアユタヤ王朝、中東にはティムール王国の時代である。

同時代のヨーロッパは百年戦争と黒死病の蔓延で酷い状態だった。其処で白人の海賊がアフリカに進出して内戦に乗
じて武器を売り、奴隷貿易をした。此処からアフリカの悲劇と苦難の歴史が始まった。

さて白人の手先である日本のインテリたちが議論に負けると決まって「其れでは日本は孤立する」と脅かす。だが過去
から現在まで世界で孤立しているのは星の国、白人国家だけである。そして例えばこのアフリカだけ見ても彼らがした
事はギャング行為であり、世界中で同じ事を繰り返して来た結果なのだ。

だから尻軽な手先たちに騙されるのはもう止めたい。

アフリカの神様・・・・・・昔々、アフリカの神様は地上に住んでいたが人間の不始末で遠くに去ってしまった。東アフリ
カの例えばシェラレオネのメンデ族の神は、人間が望むものを「持ってけ」と気前良く与えたので「モッテケ」と名付けら
れた。だが神様は、人間の余りの要求の多さに呆れて天上に去った。

そうすると人々は漸く神様の大きさを知り、今度は「タカミ」※と呼んだ。また西アフリカの神様は昔々、人間の直ぐ頭の
上に住んでいた。※「タカミ」・・・・・日本には高御むすびの神がある。

子供は手が汚れたら空で拭いたし、主婦は食料に困ると空を千切って鍋に入れた。だがある時、一人の女が長い杵で
空を突き破り、神様に怪我をさせてしまった。だから神は、空を遥か高みへ引き上げてしまった(以上は毎日新聞05/
7/5「余禄」から引用した)。

▲アへ・・・・・・
▲アホ・・・・・・


あま・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ から以下に進む・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・
次は
または・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
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