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http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page030.html (未定稿)


  日知り事典・古義   ア〜葵

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・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
あ●・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ● ・・・ ・・・ ・・・ ・・ ◆◆◆ ●■▲◆★

・・・・・・・天、父、陽の立場。そして「生きる」の意味。
▲阿・・・・・・五輪塔にはキャカラバアの五大が梵字で刻まれており、一番下の字が「あ」であり、「地」及び月輪を意味
する。密教で「ア字観」と言う場合も、自己の本源たる根本生命を観想する瞑想法である(阿字、五大を参照)。

★ I (アイ)・・・・・・(アイを太文字で書く場合は「私」を意味する。ローマ数字では「1」であり、アルファベットでは9
番目の文字であるが、此れは原点、基点、中心軸、物事の初め・・・・を意味する。つまりは原点(八方の次の中心
点)となる柱を象った象形文字である(「ノーモン」「見柱」を参照)。

・・・・・・・日本漢字能力検定協会が例年、「漢字の日」の12/12日に「今年の漢字」を清水寺で発表しているが、
05年に森貫首が大書きしたのは「愛」でした。森貫首は「愛でいっぱいとは言えない世の中を、愛で染めたいと言う人々
の気持ちでは」とおっしゃったとか(12/13日の毎日記事より)。

愛なんて皆さん良くご存知ですから此処で下手な解説をする必要はないでしょうが、今年は事件事故が多発して「愛が
見えなくなった」と言われるので、一体何処に有るかを述べて見たい。愛とか神とか、ホントに大切な存在は、生憎全て
見えない所にあります。科学的になればなるほど愛が見えなくなります。

ですからコンピューターなどは愛を語る資格さえ有りません。愛は機械や数字にはない。数字に見えなくても、「恋は盲
目」であっても楽しいのですね。さて親の愛は天よりも高く、海よりも広いと思う事が有りますか?或いは、日月は明ら
かに見える存在ですから、此れを擬人化し、しかも其処に「愛」があると仮定しては笑われるかも知れない。

ただ日月は、ある種の愛の形を象徴的に示しています。太陽の光エネルギーだけを見ても其れは余りにも膨大で計り
知れない大きな愛です。其れも実は、光よりも方位エネルギーの方が巨大なのですが、見える光にさえ多くの人は気づ
く事も感謝する事もなく過ごしています。この様に見れば、太陽の愛は見えない愛かも知れません。

そして其れは自己愛とは逆の、深い利他愛の光りです。其れに対して月の愛は優しさです。例えば、仏教は月の教え
であり、またキリスト教は贖罪意識が強いので、「罪」と絡めてしまう。その「罪」とは「愛のない心や行為」である、と言う
のです。ただ人格や人生に愛がどれだけ有るかどうかは百人百様ですから一概には言えない。

ともあれ、理想的な愛の形と言うものがドラマや何処かに有ったとしても、矢張り「正しいフォーム」とか一定の手続きは
ないようです。挙式や入籍は極く一時の一部の定型ではあっても、全員が入学式に揃うように全体を一列で見たり決し
たりする事が有りません。だから矢張り人それぞれの時期や因縁に支配され、動かされた時に成就する。

其れも決して一つではなく多種多様の時期に、百人百様の花を見せ、実を結ぶ。愛はつまり因縁から縁結びされる。
従ってアナログの愛を求めるのにデジタルの機械に頼っては矛盾です。其れが無理な事は、コンピューター社会になっ
たのに成婚率が低下の一途で離婚率が増加で少子化となったのを見ても明らかです。

愛は多様なためか愛のモデルや言葉が実に多い。数値では到底認識できない世界です。愛の言葉には例えば愛犬、
愛読書、友愛、親愛、純愛、恋愛、性愛、母性愛、慈愛、愛まな娘、家族愛、兄弟愛、愛嬌、愛妻、愛人、インスタントの
愛、利害関係の愛、愛撫、愛欲、溺愛、貪愛、略奪愛、愛玩、愛社精神、郷土愛、愛国心・・・・・・など一杯有る訳です。

愛の形も人によって様々であり、べたべたする愛だけが愛とは言えません。愛の形や種別と言えば例えば清純な愛と
か純愛と言う事も有ります。其の逆がつまり不純なものと思われています。両性の合意とか霊的に縁のある愛が理想
的で正常なものでしょう。この場合は妊娠準備が出来て出産に結び付きます。

でも不純とか一方的な愛の場合は悲恋や悲劇を生むようです(セックスを参照)。

また各々のカップルによって其の過程も色々違います。愛の形にしても、職場内とか、或いは全く別の感動的な出会い
とか、お互いの愛の高まりの波がズレて噛みあわないケースとか、愛の強弱があったり、冷静で打算的なケースや逆
に激情的な愛と、其の逆の「殺してやりたい」と憎しみを募らせる愛など、色々です。

各々の過程で実に多彩で個性的な状態を作ります。でもMBSの角アナウンサーは「愛はギブアンドテイク」と言った
(06/5/11)。此れは彼個人の認識かも知れないが、男共の共通感覚を彼が代弁したものなのでしょうか。

何れにせよ取引関係や利害関係から結ばれる愛とか、ビジネスの銭臭い愛とか、援助交際と言うようなすり替えと偽
物の愛もまた矛盾から問題を起こす。

ストーカーなどの行為のような執念のような片想いには同情したいけれども、矢張り噛みあわないので諦めが肝心。で
なければ何か事件があるたびにマスコミが煩い。愛憎の顛末を興味本位で根掘り葉掘り追求して三面記事を飾り、紙
面を賑わします。でも愛に理屈や正邪は原則として有り得ないのでしょうね。

主観的な愛は一時の感情的な愛であっても素晴らしいが、客観的な永遠の愛などはないようです。従って女性たちは
主観的に愛を見つめます。恋愛に全身でエネルギーを注ぎます。ですから女性にはきっと愛が見えるのです。いやい
や、彼女たちがそうすると恋人の前では天使のようになれるからです。

そうすれば愛の花が咲きます。そして目出度く結婚にゴールインすれば夫を愛し、やがて結実して愛児が出来れば其
の途端に夫よりも愛児の母として我が子に全力で尽くす事が出来ます。何れも、愛がなければ実現しないものです。
ただ女性は月の精を持つ訳ですから、優しさが見えれば愛が有ると勘違いする事もあります。

其れと共に依存性や激情的な側面もあるので、大好きな恋人に愛された時にはツイ、「もう死んでもイイ!」と思ってし
まうのです。彼女たちは生まれつき親か子か、男か夫か、その他何かを常に愛の対象として生きていなければ不安に
なる、と言うような気持ちが積もっています。

此のように女性たちは何れも愛の塊ですからキリスト教の言う愛に関しては多分「合格」なのです。こうして愛を「永遠
のテーマ」として生きる女性は年齢に関わらず何方でも輝いています。ですから女にとっては愛が全てであり、愛がなけ
れば満足できず生きて行くのが苦しくなります。

ダイエットに血眼になるのも愛のためであり、化粧をするのも、他人と競ってブランド品を買い求めてぶら下げるのも愛
を繋ぎ止め、愛に勝ち残りたい一心からであり、服装やヘアスタイルを次々と変えるのも愛をより強くする為に、若返り
たいと必死に希っているからです。

時間を逆行させるのは儚い望みなのですが、毎日飽きずに努力するのも厭わない。愛のためなら何だって出来ます。
ただ筆者には良く分からないのですが恋する女は「永遠の愛」を求めてしまう。「理屈ではどうにも止まらない、エンドレ
スの愛」のケースです。

愛のためなら譬え火の中水の中、どんな事が有ろうとも辛抱できるし、愛に命を賭ける事さえ厭いとわない。でも其れ(一
時の感情)で死ぬケースはない。人の命は有限と知る彼女たちは、「永遠の愛」を望む。なので、決して死ぬ気にはなら
ない。愛と死は両立しないとご存知なのです。彼女たちは体で、我が身の中に愛がある事を本能的に知っている。

愛は考えた所にあるのではなくて、感じるものであると。ただ彼女にとっての愛は命であるのでしょうが、愛国心とか先
祖愛と言うような抽象的なものとは無関係。本能的なものですから、男性にとっては「結婚は地獄だ」と思う事がある。
そう思えばシラケて来たり煩くなって「蟻地獄」のような愛に疲れて行きますのですね。

男は会社や仕事とか、立場や過去と言ったしがらみが有り、或いはもっと詰まらない別の動機や理屈や価値観で動く
悲しい存在です。其れに、彼女の心は彼よりも早く変わるし、其の容姿も彼より早く衰えが進むから(変化は月の宿命)
決して永遠ではない。男にとっては、永遠とか愛ほど退屈で窮屈なものはない。

其の点で毎日のように「愛して !」と甘えて来る女性が傍にいますと男は煩わしくなるのですが、そうすると彼女は其の
つど腹を立てます。そうして決まって「じゃ〜どうして私を愛したの?」と昔の事をネチネチと蒸し返して「永遠の愛」を迫
るようです。男は愛ではなくて、初めは彼女の色気に参ったのですね。

そうすると彼女は「じゃー、アタシいなくていいのね」と言いますが、此れは愛の言葉であっても脅しとなります。愛が脅し
に変わればどうなるか。相手は縛られた愛から逃げたくなりますから脅して守る愛には無理があります。此処に於いて
噛み合わなくなり、結局、「愛に命を賭ける」のは女性の側となる。では煩いのから離れた男はホッ!とするでしょうか。

ホッとするのは愛に疲れきった方だけですから、最悪の場合は寂しくなります。寂しさの余り、誰かを憎み、或いは敵視
した相手を探す事も有るでしょう。愛の代りに誰かを敵に回して敵対関係を作り、競争しようとするかも知れません。こ
のように、愛がもし憎しみに変われば世間を悪循環にします。ただ女性的な愛は一応平和で幸福です。

其れに比べれば愛のない男社会は終始惨めですから愛の光で一寸だけ彼を包み込むのが得策です。
さて例えば、愛のキューピットなど、愛の女神とか愛を司る神は何か、と言えば其の第一は月であり第二は女性であ
る。

そんな愛の中でも最も尊いのは上に掲げた動物的な愛よりも、人間味のある友情や献身、或いは犠牲的精神、郷土
愛、祖国愛などでしょうか。とすれば其れを司り、縁の糸を結ぶのはキューピットでも出雲の神でもなく、先祖たちの妥
当なレベルによる「計らい」とか縋(すが)りも有るのでしょう(「志」を参照)。

・・・・・・「藍」は染色の藍染の事である。化学染料と違って本物の藍染は変色せず、しかも虫を寄せ付けないので
古来愛用されて来た。古代は摂津の安威川沿いに発展していたが、やがて阿波藍が主流となった。鎌倉時代に堺の
人が阿波(徳島)に広め、其の後に天正時代、徳島藩主となった蜂須賀家が藍染めを奨励したため一層発展した。

藍は3月に種をまいて梅雨明けに刈り入れる。9月に「寝込み」、発酵させると発熱するので水を掛けながら70度の温
度で養生させると12月にはスクモ(別項を参照)と言う天然の染料が出来る。江戸時代は阿波の藍が市場の9割を占
めた。このため徳島藩は名目27.7万石だったが、実質45万石であったと言う。

そうした所から阿波には藍師や藍大人(大尽)も出て栄えた。だが明治末期にドイツから化学染料が入って来たため衰
退し、今はたった四軒残るだけとなった(05/9/27日の読売テレビ「今日は何の日」より一部引用)。


★ISO・・・・・・環境基準に合格した製品の事。西洋社会は何にでもレッテルを貼るのが好きだ。当初はNPOが始めた
が今は其れに便乗する政府や販売促進を狙う企業の力で国際基準化している。購買・消費行動は自由選択であり、1
つの投票行為であるが、誰かが決めた基準のこのマークを選べば一応安心と言う訳であるのか。

愛煙家・・・・・・納税しても煙たがられる人。其れでも喫煙行為を止めない人の事。タバコの功罪は色々ある。例え
ば暗記力は低下するが理解力が高まります。高齢者にはこうした愛煙家が多い訳だが、彼らは健康だから長寿になっ
た訳である。とすれば、愛煙すれば健康になり、従って長寿となる見本を自ら示している事になります。

だから納税などは問題外と言うのでしょうか。そして何よりもタバコは本人の気持ちをリラックスさせるので良い考えを
齎すらしい。またアルツハイマー防止の効能と、その外にも、タバコにはケモノ払い(ケモノ除け)の効果がある事です。

現代社会には人間の皮を被ったケモノたちがウヨウヨいて見分けが付きませんが、タバコに火を点ければ彼らは必ず
コンコンと咳払いして見せて実は狐の正体を現して逃げ去るので愉快です。

タバコはこのように獣化した魔物を煙に巻いて自分の身を守る優れた火気であり、また煙は静電気を中和するので冬
季に役に立つ事などが意外に知られていない。煙を掛ければスパークが発生しないのです。

でも今では禁煙を正義とする過激な「嫌煙ブーム」となっているので、極端な場合、「彼らは意志が弱い為に禁煙出来な
い、自己管理能力の欠落した者」と決め付ける人もある。ともあれ、愛煙家たちはいわれの無い不当な差別に耐え、或
いは各地で敵視され嫌われています。

なので此処では愛煙家の気持ちを少しばかり代弁して見ましょう。今の社会は、納税していない犬をお犬様のようにし
て道路に糞を撒き散らす不心得者を許していて、納税している愛煙家を嫌うが、其れは理屈に合わない不公平と言う
か、不当差別です。何れにせよ人は何らかの動機で何かを始めるものです。

其れを継続する事は意志が弱いのではなくて、寧ろ意思が強いとも言えます。其れに対して途中で「タバコをやめた」
人は意思の弱い人と分かります。とすれば、社会が愛煙家だけを苛めるのは論理の矛盾となりますので社会が規範を
失ってカオスになります。禁煙した方々は別に正義感からではなくて自分の都合でそうしたケースが多い。

実は殆どが意志の弱い人たちです。例えば「健康に悪いから」とか「他人に迷惑を掛けるから」とか、「職場が禁煙にな
ったから」とか、「部屋が汚れるから」とか、「車が臭くなるから」・・・とか、「舌が痺れて食事が旨くない」とか、「歯が汚れ
る」とか、「喉をやられてカラオケが下手になる」・・・・・などと実にアレコレと理由をつけてタバコを止めたに過ぎません。

自分が良いと思っていったん始めた事を中断する理由としても、此れでは何れも言い訳に過ぎないのではないか。何ら
発展的でも積極的・建設的な理由でもなく、自分を納得させる消極的な言い訳にしか響かないのです。でも彼らは無理
に「自分の意思で決別した」と胸を張るのです。

そして「どうだい、意思が強ければ君も出来るよ」と「正義の使者」が上から見下すように、意志の強い喫煙者を意志の
弱い自分の子分にしようと唆すのでしょうが、バツイチが離婚を唆すのと同じではないですかね(「嫌煙ブームはエゴと
偽善の産物」を参照)。


愛国心・・・・・・人が祖国を思い、平和で正常な発展を願う心。ただ愛国心と言う心を持つのは貴いが、此の言葉が
戦前の国家的な標語に使われた為に戦後はナリを潜めていた。其れが今また小泉-安倍政権で教育基本法に盛り込
まれようとしているために白い目で見られている。

確かに郷土愛とか祖国愛や愛国心があれば、今のような犯罪社会をもっと別の良い方向に向けられるかも知れない。
そうした期待もあるが、其れには其の前提として、国家や社会の指導者たちが先ず模範を示す必要がある。其れがな
いから国民は白けてしまうのです。

例えば戦中に愛国に殉じた英霊に対して、国家は遺骨収集をしなかった。靖国も国家から切り離した。更に連合国側
が拵えた「A級戦犯」と言う判決を頭から是認して責任を軍人のせいにした。更に国税を遣って「お詫び外交」と援助を
続けている(「ドミニカ移民」を参照)のですから誰も愛国心をなくして当然である。

其の上、国民に対して欺瞞の口実で更に高負担の税や年金保険料を巻き上げようとする。或いはエイズでも建築偽装
(別項を参照)でもお役人は責任を負わず、逆に国民の行為を犯罪者と見立ててあらゆる角度から罰金税を徴収しよう
として来た。

こんな事をしていて愛国心を言うのは自分たちの権益を守ろうとする利権体制保守の姿勢が透けて見えるだけであり、
誰が愛国心を持つだろう。愛国心はお上のキャッチフレーズや標語で出来上がるものではない。制度弄りでも作れな
い。自分を愛し、家族を愛し、先祖を尊ぶ事から近隣を愛する心になります。

其処から始めなければ無理だ。学校で其れが教えられるのか。ならば親が教えますか?。ペットを愛するのとは訳が
違います。先祖の名前を何人知っていますか。家の歴史を言えますか。家の周りに四季の草花が各々どれだけ咲きま
すか。隣家の庭の紅葉や落葉を愛しますか。其れともゴミとしか見ませんか。

30分廻ってドレだけのキノコが取れますか。30分でドレだけ魚介類が採れますか。其の調理法を貴方は知っています
か。貴方は其れらを愛していますか。貴方は本当に日本人ですか?

▲あいさ・・・・・・
▲あいし・・・・・・

相性・・・・・・合性。性質が合う事。例えば、年齢が同じなら会話が弾む。此れをウマが合うとも言うが、誤解してなら
ないのはウマが合うのが相性ではない。性質が良く合う事ではなくて寧ろ正反対であるから合性となる点である。つまり
男女の年齢もあるが、年齢だけでは分からない要素が多い。此のため占い師が活躍できた。

人間関係や男女関係は意外にも火と水が合う。或は火と木である。水と土も良いが金と木は凶である。そうした事が五
行説や九星気学で言う相性である。しかも占いでは五行や干支、九星の組み合わせから、譬え面識の無いカップルで
あっても相性を予め判断できた。

此れは昔、恋愛期間がないままイキナリ見合い結婚した時代には大変重要性が有った。所が今は自由恋愛の時代で
すから占い師の出る幕ではない。其れよりも本人同士の方が良く知っている。例えば会話が続くかどうかで分かる。

或は、手を握り合えば好い感じか違和感があるか確認出来る。イキナリ其れを試みたら痴漢となりますが、ダンスなど
では正々堂々と其れが出来ます。其れが無理なケースならば、五行・九星の区分から相性を予断すれば良いのです。

▲あいす・・・・・・
▲あいせ・・・・・・

愛染明王・・・・・・アイゼン。愛に染まるとするインドの神。後に真言密教では外相は憤怒の情、内心は愛欲を本体と
する愛の神とした。全身赤色。三目六ぴで頭に獅子冠。恋愛成就や水商売関係の信仰を集める煩悩の守護神(明
王)。

▲あいそ・・・・・・

▲あいた・・・・・・
▲あいち・・・・・・

愛知万博・・・・・・「愛と地球」などを標榜して05/3/25日から愛知で開催されたエキスポ。愛はなくても愛知の愛か
ら「愛」をとったものとは思うが、要するにトヨタなどの大掛かりのビジネス・ショーであって「地球環境」と言うのは偽善で
ある。其れを見抜いたのか、「環境3団体」は3/7に不参加を決定した。

「日本野鳥の会」、「日本自然保護協会」、「世界自然保護基金WWFジャパン」等だが、此の判断が妥当と評価すべき
だろう。公的機関や企業は、愛や環境を唱えて太鼓を叩く資格も、銭を集める資格も全くないのであるが、結果的には
数字上では大盛況だった。また日本漢字能力検定協会が「今年の漢字」として、05年末に選んだのが「愛」でした。

けれども05年は一番「愛のない」事件や事故が頻発した歳でした。では「愛・地球博」は一体何を残したのか。愛をテー
マとしたイベントで関係者だけがお金を儲けたに過ぎない。地球規模の事態としてスマトラ大津波やパキスタン大地震
では数十万の人が死んだ。年末には日本海側の豪雪被害となった。

「愛・地球博」は此れらにどれほど愛で寄与したと言うのだろうか。

▲あいつ・・・・・・
▲あいて・・・・・・

IT化・・・・・・電子情報化。大いに期待されて今盛んになったが、問題である。得失については以下、引用する。

http://www.geocities.jp/kainaikajp/zxy.html具体的に「医療のIT化」とは、次の様なものが考えられる。1」 電子カルテ
システム---電子化する事によって、医療者側だけでなく患者側にも理解し易いカルテが誕生するし、遠隔診療支援シ
ステム等により診診連携、病診連携などはスムーズに行われて医療者側、患者側ともに享受するメリットは大きい。

2」 レセプト電算処理システム---紙での請求を電磁的請求にするメリットが我々に有るのかは疑問である。理由は
「医療の標準化」と「保険者機能の強化」の問題がある。提出される電磁媒体からのデータが一人歩きする可能性を否
定できない。

3」 保健医療分野におけるグランドデザイン(GD)の進む方向性---厚生労働省の「GD」と日医の「IT化宣言」が同時
期に出されている事からも想像されるが、医療のIT化についてどちらがイニシアチブを握るか主導権争いをしている感
じを受けていた。厚生労働省の「GD」の言いなりでは自分の首を自分で締める格好になりそうだ。

医療におけるIT化は避けて通れないが電子カルテの使用を医療機関のランク付けに利用したり、医療費の削減や医
療機関の締め付けにのみ利用される事のないように気を付けたいものだ。また「OA_IT」の相違についてはhttp://www.
pal-stock.co.jp/OA_IT.htmlは、オフィス業務の自動化、業務処理の自動化を目的としています。

つまり社内の内向きのビジネス化や作業の効率化が目的であり、手作業を機械化することです。 売上伝票を発行して
請求明細書を作成する、これだけであればOA化の仕事 請求明細書を作成した段階で請求明細データの役割は終わ
りとなります。直訳すれば情報技術の利用です。

ネットワークを利用した情報活用により、外向きのビジネスや競争力の強化をはかるのを目的とします。 請求明細デ
ータを社長や営業部長、営業社員がそれぞれの立場でデータ分析し、問題の発見や要因の分析、対策の立案などを
行えば、立派な競争力強化につながるIT化の仕事となります。

 IT化とは、情報の共有・活用という手作業時代にはあまりなかった部分です。OA化に必要なのはパソコン。IT化に必
要なのは情報の共有できるネットワーク。そして次にhttp://car.nikkei.co.jp/sp/info.cfm?i=20031010s2014s2 (08/15)が
「車のIT化とは」道路交通・車両分野で情報技術(IT)を活用し、車の安全、快適な移動を支援する動き、としている。

主なサービスとしてはカーナビゲーションシステム、電波やFM放送波により交通情報を車両に配信する道路交通情報
通信システム(VICS)、有料道路の料金所で停車せずに無線決済できる自動料金収受システム(ETC)などがある。

トヨタ自動車、日産自動車、ホンダが普及を進めるテレマティクスはテレコミュニケーション(通信)とインフォマティクス
(情報工学)を組み合わせた造語。車に積んだ双方向の通信機能を持つ情報端末にニュースや天気予報などを配信
する。車に新たな付加価値を持たせる分野として各社が研究開発にしのぎを削っている。

以上、[8月15日/日本経済新聞 朝刊]

さてIT化の問題である。此れは日本で馴染ませてはならないと思う。此れは遊牧社会のノウハウ、もしくは軍事技術で
あるからだ。欧米社会は黄泉の国であり、星族(別項参照)の世界である。此処は昔から皇帝(エンペラー)が武力で支
配し、戦乱を繰り返した。一神教同士の戦いも続く。よってフリーメーソンのような闇金融が陰で支配した。
 
軍事もコンピューターもその様な土壌から発展した。詰まる所は軍事・経済・金融・流通・医療・人民と商品管理情報の
暗号化である。昔は余り数字化しなかった。せいぜい電話番号や車のナンバー、或いは商品のロットナンバー、伝票
番号などだった。次は銀行の口座番号やキャッシュカードナンバーと暗証番号へと拡大した。

そして商品のバーコードなどと益々数字化が進んだが、此れまでは余り問題化しなかった。所が全国の郵便番号制度
や国民総背番号制は問題になった。納税者番号で管理されるからだ。其のうえ、最近はIT化で例えばメールアドレス、
ホームページのURL、商品のシリアルaAパスワード、各種のIDaAアカウントaA・・・・などが増えた。

凡て暗号である。中でもパスワードなどは、例え自分で決めていても、相手によって「其れはダメ」として別の番号を要
求される。そうなると一々覚えていられない。個人情報保護を理由に顧客の念書を取って集めたデータを、彼らは管理
し、また大量に漏洩して責任も取らず詫びもしない。管理するためとして彼方此方でパスワードと言う関所を増やした。

顧客は簡単な用件でも闇の世界では分からず手探りとなり、其の関所を通過するたび料金を取られるシステムが増え
た。便利さが期待されてIT化が広まったが、実は全く不便となっている。曖昧な情報の氾濫する黄泉の、闇の世界が広
がった。

此処を仮想空間とかバーチャル世界とも言うが、実は匿名性の利用者を犯罪に駆り立て、魔物にする世界である。で
あるならば、日本では此処まで拡散してしまったIT化を早くストップし、禁止すべきではないか。コンピューターは高性能
ではなくて実は役立たずの低能なオモチャに過ぎない。

そんな玩具に頼らなければ「仕事にならない」と言うような部門ならば、日本国内には無くても良い。情報化を利用して
いるつもりでも、多くは闇の勢力に利用され、一部の特権に利用・管理・支配されている事をもっと警戒すべきである。

IT関連・・・・・今や花形産業である。花形となるとアホでもチヤホヤされるからNHKも遂に国民から見限られたよう
に、アイティ関連も殿様商売で既に質が悪くなった。店舗がなくても誰でも出来る商売として通販業者や出会い系サイト
業者が幾らでもいるため、彼らが家賃分を自動的に支払う事となった為だ。

まぁ座っていても楽に商売になり、質が悪くてもやって行けるからである。

だからこの関連は→→パソコンメーカー→ソフト業者→→家電量販店→→独占的なNTT→→独占的な電力会社→→
ケーブルテレビなど通信関連業者→→プロバイダー→通信工事業者→→・・・・などの何処で切って見ても粗悪で横柄
なトラブルメーカーである。と言えば、「うちは違う」と言えるか。

例えば個人情報保護法が出来た。其れはアイテイを前提にしたものであるが、その後、情報漏洩が次々露呈して止ま
らない。個人的問題も有るだろうが、上記の企業が束になっても其れを止められなかった。つまり業務管理者として何
れも幼稚である。

また例えばパソコンでも通信関連でも商品説明書に「サポートセンター」等と言う電話番号が書いてはあるが殆ど通じ
ない。「鬼さんコチラ此処までおいで」と言うように「サポートセンター」が明記してあるが、何時も通じない。運よくやっと
通じた場合でも「ウルサイナ」とばかり「煩いハエ」を追うような横柄な応対をされます。

或いは丁寧であっても次から次に盥回しするセンターばかりであり、結局客は、簡単な一件でも中々埒が明かない。つ
まりお役所と同じになった。彼らはまた簡単に「では故障ですね」と言う。だが此れに2週間掛かると言うから呆れる。

車(車検など)なら何処だって一日で帰ってくるのに家電製品は簡単なトラブルでもその場で対応せずに「一律2週間」
で罷り通っているのだから先進国日本の家電が後発の朝鮮やシナにまで負けて当然である(パソコンを参照)。

05/11/1日にはJR西が「新ATS設定ミス」を発表、同日東証がダウンした。後者は同年12月に今度はジェイコム株誤
発注を見逃した。リセットさえ出来ない無ノーを曝け出して400億円を損失させた。ミスはまたも富士通だった。JR西
は「プログラム設定ミス」とか「想定外」と言い訳をした。また最近は東京株式市場を終日パンクさせた。

更にライブドアがアイテイ関連と期待した客の人気の高まりと共に簡単に巨額流動資金を集めたが、実は錬金術師と
分かって株式市場に泣き笑いを作った。とすればアイテイマンではなくて算術的芸人でも有ったのか。次は06/3/15
日、ファイル交換ソフト・ウイニーによる感染・情報の流失問題が全国に広がった。

個人ではなく官公庁や大企業の情報流失と言うのですから、如何に管財関係者までも低質・悪質だったかを露呈した
事にもなる。ともあれアイティ関係者の杜撰さが国際市場に日本の恥を此処まで曝してしまった以上、日本のアイテイ
の信頼回復は無理であろう(パソコンを参照)。

アイデンティティー・・・・・・自己認識の事、つまりその人独自の帰属先、自己同一性の事であり、其れは即ち先
祖に行き着く。先祖を知れば、ポテンシャル(潜在能力)のエンパワーメント(能力開化)も増進する。だがこうした外来語
や新造語を増やしても問題が解決する訳ではない。

今の日本は、言葉は多いが「奴隷的な平和」にどっぷり漬かっている以上、「アイデンティティー」とか、「生き甲斐」など
と言ってもどうしようもなく、誰もが「自己認識」も能力開花も出来ず、従ってプレゼンス(存在感)もない。実体を知らな
い人が定義するので、言葉だけ色んな形に増えても良く分かっていないのです。

其の点、下記の「円系図」を知れば、実体・本物の核心部を知る事になります。そうすれば、今世間に出回っている「自
己確立」とか、「スタンス」(立場)とか、或いは「平和」と言った様な、偽物の精神主義的架空の観念からきっと抜け出せ
るでしょう。

▲あいと・・・・・・

「愛と死を見つめて」・・・・・・昭和39年頃、吉永小百合と浜田行夫共演の純愛映画の題名である。其のテーマソン
グも泣かせる曲だった。ヒロインのモデルは西脇市の旧家(大嶋家)の娘だった。裕福だったが病魔に襲われて亡くな
る前に彼女は病床で詩を残していた。彼女は病床でも大部屋の多くの患者の世話を続けた。

そんな中で、「私に三日間の健康を下さい」と言う詩で彼女は、「一日目は郷里に帰って家事を手伝い、台所に立って
母を手伝い、父に一本つけて兄弟と食事をしたい。二日目は恋人の部屋の掃除と汚れ物のお洗濯をして上げたい。三
日目は戻って、ゆっくり思い出に浸りたい」と言うような内容だった。遊びたいとは思わないとも書いていた。

何と言う健気さ。他人に尽くす事が健康の目的だと言うかのようです。でも若干21歳でこの世を去りました(05/10/30
日のNHK総合TVより)。こう言う人は一体何処から来て、何処に行くのでしょう。きっと愛のある世界にまた行くのでし
ょうか。

▲あいな・・・・・・
▲あいに・・・・・・

▲あいぬ・・・・・・

アイヌ語・・・・・・日本の縄文時代の言語を伝えるとも言われる言葉。文字はないと言われる。明治の同化政策によっ
てアイヌ語が禁止され、以後消え去ろうとしていたが、萱野茂氏が700時間に及ぶ貴重な生録音を残し、また「アイヌ語
事典」を完成した。

アイヌ民族・・・・・・アイヌとは神(カムイ)に対する「人間」と言う意味。今は北海道の一部の居住地で少数民族として
暮す日本の原住民。狩猟採集で暮してシャケを常食とし、年に1〜2度イオマンテ(別項参照)を行い、ユーカラ(ユカラ)
と言う英雄叙事詩を伝える。其れを金田一京助が研究したときに菅野茂氏が助手となった。

以来、菅野氏がアイヌ語研究を続けて96年にカタカナ表示の「アイヌ語事典」を完成した。其の助手が本田優子さんだ
った。アイヌはシャケ(鮭)をシペと言う。シペとは主食を意味する。狩猟民族から定住させるとした北海道旧土人保護
法によって二風(ニブ)谷を与えられた。所が其処にs61年に沙流川ダム建設計画が出来た。

土地収用委員会で彼は「サケをアイヌに返せ」と言い、貝沢正氏は「裏山を返せ」と訴えたが、やがて2人の土地が強
制収用された。沙流川でチプサンケと言う「船降ろしの祭り」をした。1991年11月にチャランケ(裁判)となり、其の途中
の1992年に貝沢氏が79歳で亡くなった。

彼のためにエンジュ?の木を選んでオッカヨクワと言う男の墓標を作ってアイヌ式の弔いをした。オッカヨクワは槍の穂
先のように先端を菱形に削り出した墓標である。96年に札幌地裁の結審の時に彼(菅野茂氏)は「日本人は多数決で
民主主義だと言うが、アイヌにとっては暴力でしかない」と訴えた。

有史以来、アイヌから倭(日本)人は国(土地)を奪い、文化も奪い仕事も奪い、「シャケを獲ってはいけない」と言い、民
族の証しである言葉も奪って差別しながら日本人への同化を強いて来た。さて1997年に判決となった。ダムは完成した
が「ダムは違法」と言う判決となった。ただ違法だが出来てしまったので「存続は認める」とした。

またアイヌが先住民族であると初めて認めた判決となった。国は控訴せず此の判決が確定した。s31年頃からの高度
成長期の影で「滅びゆく民族」として倭人に興味を持たれて観光客が訪れたが、米国やカナダなど諸外国が少数民族
の保護のために一定の権利保障をしているのに対して、日本は放置して来た。

1992/3月まで北海道旧土人保護法が有った。彼はアイヌの人権回復のため社会党から参院に出馬する事となった。し
かしアイヌだけでは票が足りない。其処で北海道ウタリ協会が応援してくれたが、比例の順位が11位のため落選した。
所が2年後繰り上げ当選となった。村山党首の時だった。

其処で彼は1997年の国会で、アイヌ語で訴えて念願の北海道旧土人保護法を廃止し、新たにアイヌ文化振興法の成
立を成し遂げた。2年後にやめて北海道に戻り06/5月に79歳で亡くなった。彼は「アイヌ ネノワン アイヌ」(人間らしい
人間)と言う言葉が好きだった(以上は06/7/22のNHK教育TVより引用)。

▲あいの・・・・・・

の形・・・・・・愛は百人百様の花を咲かせ、或いは実を結びますので、一定の形はないようですが、例えば日月星
の内で、日光は照らし、月光は膨らみを伸ばし、星は其れを切る愛です。でもその様に言われても納得できない方も多
い。ある人は美しい歌声で愛を訴えて自分が泣く事も出来るし、周りの人たちまでうっとりさせる事が出来ます。

またある人は全く独自の感動的な絵を描き上げます。或いは愛の形を探して例えば先ず瀬戸物市をさ迷って焼き物を
色々買い漁る。でも彼女にぴったりの愛の形は其の辺りに転がっている訳では有りませんし、中々見つからなくて当然
ですから、次は自分で作ろうと決意して陶芸を始める。

不安な心を土をコネて紛わし、恋に身を焼く代わりに土を焼こうと言う訳です。其の愛の情炎で、独自の「愛の形」を結
晶させ、焼き固めたいと思う意地らしくも素晴らしい心がけですが此れは決して「焼餅」ではない。もっと別のより美しい
形を目差します。

或いは大きな鉢を作ってすっぽりと其処へ愛を放り込み、閉じ込めて、相手の愛の足らない分は電気やガスの炎を借
りて、兎に角、愛を「永遠の形」にしようとするのですが・・・無論、中々旨く行かず変なものばかりが増えますので「永
遠」は遠い。

愛の神・・・・・・ビーナスは恋の神であり、其の子のキューピット(別項参照)Cupidは恋の天使(ギリシャ神話では愛
の神エロス)。此処から人形のキューピーになった。語源は人形ではなくてラテン語のcupido(欲情)なので、幼児のオ
モチャにするのは不適当かも知れません。

日本で愛の神は縁結びの出雲の神。仏教では大慈大悲の観音様や愛染明王があり、愛に満ちています。因みに観音
様(観音を参照)には六観音の外にも衆生を救済すると言う慈母観音などが有る。

愛の告白・・・・・・愛が高まっても告白も出来ないのでは折角のクリスマスやバレンタインも恨めしくなります。其処で
クリスマスやバレンタインを「愛の告白」のチャンスにしようとする方がいます。其れにはプレゼントが一番です。プレゼ
ントには赤いリボンを付けます。バレンタインはチョコレートが定番ですが問題はクリスマスです。

其処で貴方は当日、髪に赤いリボンを付けて行って下さい。そうすればお目当ての彼が「チョコやケーキのような甘いも
のはうんざりだ」と言うでしょう。そんな時のために髪のリボンがあります。其れは、「このワタシをプレゼンよ !」と言う意
思表示になるのですが・・・・、ご成功を祈りますよ。

愛の種別・・・・・・太陽の愛の形は万物を遍あまねく照らす事である。其れに対して月の愛は皆が漏れなく順番が来る
ように自然界を循環させる働きをする。太陽の光は大きいが、日陰が出来るし、日光は気短に直ぐに通り過ぎるので
光が有ったとしても其の跡を確認できない。

其れに比べると月の愛は植物を大きくしたり、魚を肥やしたり、人の目にも見える形で限りない輪廻・循環の事実と足
跡を残す。そして星の愛は其れをバラバラにする愛である。時には冷ややかに切り刻み、また時には爆発的な炎や火
花を散らすような愛になって闇夜に散開した形を見せる。

つまり星は子供が両親から独立するようなエネルギーであり、或いは「略奪愛」のような激しい分離型、拡散型の動き
を強い愛と見ているのでしょう。

愛の力・・・・・・昔の話ですが「手鍋提げてもついて行く」と言う女性が日本にはいました。今でも「愛があれば歳の
差なんて・・・」と恋する素敵な女性が時々います。そう思われた男はきっと、「譬え火の中、水の中も厭わず」彼女を守
ろうとするでしょう。其れが愛のチカラでしょうね。

ただ韓非子は「男には一力あり、女に五力有り」と言った。月や女性の本質は「水と変化」であり、其れが清純さや美
(顔、容姿)、恋愛、優しさや慈愛、従順さや淑やかさ、其れに出産・育児の力で母としての役割りを持ち、更に社会経
済の基本である消費経済力を支えてしまいます。つまり色んな「愛の力」は月が司って女性が握っているようです。

とすれば其の前では男の学歴とか腕力など遠く及ばない。特に「女の涙」には男は負ける。彼女は泣きたい時に泣いて
いる。其の時には「愛がある」と勘違いしてただ「泣く」に過ぎない。しかし其れで男はイチコロになるのです。女性には
きっと、七面鳥や怪人21面相でもビックリするほどの多面的な対応力があるのでしょう(「月の多面性」を参照)。

女性が泣けば其れが「愛」と勘違いさせるチカラが出るのですから好都合です。ともあれ愛には、「一つの愛」と言うよう
な標準的な見本がないようですから一律・グローバルの形(モデル)を求めても何ら意味はなく、寧ろ個別で多様に多面
的で柔軟な働きなのでしょう。

中でも男の愛は「愛している」と言うもののアレコレ言う一種堅苦しい愛になり易いが、女の愛はそんなケチな愛ではな
い。目の中に入れても痛くないと思うように、或いは好きになったら「アバタもエクボに」見えてしまって、「全てを受け入
れ、包み込む」ような融通無碍の大愛となれる。だからこそ「愛の力」が発揮できる(愛に未熟な筆者の独断ですが)。

▲あいは・・・・・・
▲あいひ・・・・・・

▲あいふ・・・・・・
▲あいへ・・・・・・

愛別離苦・・・・・・愛する者と別れる事の苦しみ。未来永劫・永遠の愛が理想かも知れないが、愛は儚く掴みがたく永
遠ではないからこそ貴さがある。此の一時の貴さを「一期一会」とも言う。そして此の人生の中でやっと巡り会った愛す
る人ともやがて会者定離の宿命で必ず離別の日を迎えます。其の苦しみを愛別離苦と書いた。

浮気(別項参照)されても悲しいですけど、愛する肉親と離れるのは最大の苦しみです。でもあの世でまた会えるのが因
縁です。愛してない人や会いたくない人ともまた会うのが人の世の常である。愛妻家も薄情者も親孝行をした人も親不
孝者も同じ種を持つ人の因果です。ではあの世に行く為の覚悟のクイズを出しましょう。

此の場合は再会再苦と書くのでしょうか。此れを宿題にしておきます。

▲あいほ・・・・・・
▲あいま・・・・・・

▲あいみ・・・・・・
▲あいむ・・・・・・
▲あいめ・・・・・・

▲あいも・・・・・・
▲あいや・・・・・・
▲あいゆ・・・・・・

▲あいよ・・・・・・
▲あいら・・・・・・
▲あいり・・・・・・

▲あいる・・・・・・
▲あいれ・・・・・・
▲あいろ・・・・・・

▲あいわ・・・・・・
▲あいん・・・・・・

阿吽(ア・ウン)・・・・・・・日本では昔から神仏の前で、或いは先祖の墓地などで母親が幼児に「ハイ、ノンノンちゃん
にアーンするのよ」と言って聞かせた。ノンノンちゃんとは「お天ト様」か観音様でした。陽か陰かです。アーンとは阿吽
でありアウン(日受けを参照)でした。

阿吽は陽と陰。初めと終わり。開口と閉口の形で人の呼気と吸気の発声を言ったもの。また言霊の「あ」は天(アメ)の
「ア」、つまり陽を意味し、そしてカタカナの「ン」は陰を意味します。「ン」は「」の字であり、「日と月」を上下関係で
描いた略字であり、プラスとマイナスの対比、男女なら上下の位置付けを示している。

実は日本の古字(神代文字も)では一二の字を以て陽と陰としていた。一(または|)は天にあるから地上では二から始
まる。よって其処を「元」の字にしている。此れが天文観測の定点であり、祭事の原点である。其の場は南面した北側
だから日影が手前に延びる。よって漢字でも「示」の文字となった。

但しアウンは天地(垂直)関係であるのに対して、「示」の字はアウンの次の平面の指事である。

更に梵(シッタン)語の梵字の「ン」もカタカナの「ン」と字体が同じですが、梵字の場合は「ン」の一字で「お〜む」と読
む。また古来、日本語はアイウエオから始まって・・・・「ン」で終わるので、「あうん」は五十音全てを縮めた事になりま
す。シッタン(サンスクリット語)の場合も同様に、「あうん」は初韻から終韻までの全体を意味した。

実は古の日本ではホツマの「ア・ウ・ワ」で父子母の一体化を示していました。同時に上下(天地)と八方の神に対して、
つまり陽・陰の立体関係と八方のトホカミエヒタメ八祖神との中心に自己を位置づけて祈った。どう云う風に祈ったのか
と云えば「日受け」の瞬間にア・ウンと唱えた(「日受け」を参照)。

其の名残が子供に教える「ノンノンチャンにアーンと言うのよ」と言う「あうん」です。密教行者はマントラで「お〜ん」と唱
えるが、此れは四方に対する大日如来を縦に念じて「アビラウンケン・ソワカ」を縮めた祈りとなる。つまり立面を軸と
し、其れに時空間を加えて五大(別項を参照)・五行の理で祈った。此れも縦と横の関係です。

もしくは過去・現在・未来との三位一体の関係と捉え、或いは「宇宙(大自然)との一体感」で祈ったのかも知れない。
アウンを漢字では「南無」と書いて、此れを「ナーム」と唱えます。此れも「陰陽合体」の中、つまり自分を「天・人・地」三
位一体の中に合体しようと祈る唱号です。

例えば南無八幡大菩薩と言う場合は「八幡様と一体化したい」と言う願望の唱号になります。ただ人が現実に愛する恋
人と一体化したいと言う時には「南無」よりも、「好きよ」のほうが良いでしょうね。とすれば「一体化」の意味を混同して
は困るので、「南無」は正確には神仏に「帰命し奉る」意味だと説明される。

或いはオーンは「帰命頂礼」だと言う。アーメンも同様の唱号である。何れも口先だけではなく、かなり精神統一し集中
して唱える(「アーメン」を参照)べきでしょう。所で、神社の境内に置かれる狛犬や寺の山門の仁王像が東西(または本
殿から見て左右)に対峙して口の形を「ア」と「ン」の陽と陰の対相に置かれている。

此れは東から日の出があればやがて西に日没する自然の理(ことわり)を示し、特に古い石燈篭でも火袋の中に日月
を象った穴を開けているが、此れもその間に人が一灯を点してアウンの形になる祈りの場特有の装置でした。或いは
東西・陰陽の一対関係を位置付ける事で寺社の本来の正面を黙示した。

ただ今は間違って置いている所も多いので当てにならない。何れにせよ、万象万事を縮め、物事の始めと終わりを「ア
〜ン」の中に全て集約・合一して、其れに思いを載せて統合する祈りの場を示した。梵語(サンスクリット)で「オ〜ム」は
呼気(息を吐く)と吸気(息をひく)でした。息を吐けば吸うのが当たり前であり、上記したような理屈は無用。

此処から仲の良い夫婦などを周りの人たちが「阿吽の呼吸」などと冷やかす事が多い。因みに人の生死も「アー」と生
まれて「ウーン」と死ぬ。生まれる前に母親が教えた筈もないのに決まって赤ちゃんはオギャアーと泣き、つまり息を吐
き出して生まれる。

其れに対して死去の時にはウーッと息を吸って或いは「汐が引くように」息を引き取ると言う(息吹を参照)。なので此の
世はアウンで始まり・・・・終わる(阿字を参照)。

▲あえ・・・・・・

▲あお・・・・・・

▲青(アオ)・・・・・・主の月と書いてアオと言う。青年と言えば若い人。アオとは馬の俗称でもあったが、昔、青山と書い
て「セイザン」と読む場合は墓地を意味した。

▲葵・・・・・・スミレなど野草の一つ。この三つ葉の形が賀茂社のシンボル(神紋)。徳川家も葵の紋を定紋とした。

▲青色・・・・・色の三原色の一つ。七色の一つ。薄い藍色。但し空色や緑色もアオと言う。五色(別項参照)では東方に
位置づける。東方は日の出の方角である。つまり一日としては未熟な時点、つまり午前中を意味する色となる(プルキ
ンエ現象を参照)。よって青年と言う場合は若々しい人、青春と書けば若さに更に春を重ねた熟語。

▲青鷺・・・・・・大型の鷺で後頭に2本の青黒色の長い毛があり、風切羽は灰黒色。青鷺は樹上で冬、単巣で子育てを
するが、此れよりも小柄で背が緑黒色、樹上に群棲し夜、飛びながら叫声を発するのは五位鷺(別項参照)である。




▲あかい水・・・・・・以下、次ページへ
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