http://hijiri.tamajiri.com 「日知り事典」 page378.html (未定稿) 日知り事典 論説4 円相学会(未定稿) ■1.西風害 ■2.イデオロギーとは「異教性」 ■3.マルキシズムと進化論 ■4.アインシュタインのエネルギー理論はインチキ ■5.数値化は「奴隷化」の始まり ■6.洋式科学の実体は「無用の長物」 ■7.モノマネが間違いだった・・・・・日本は「伴天連」に宗旨替えしたのか ・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ ■5.数値化は「奴隷化」の始まり ★古代は数字がなかったのではなくて、数字に頼る事を避ける知恵があった。それでも時として使う場合は実数か方 位の枠をはめ、数字の裏付け(足かせ)をした。でなければ数字だけではどうしても飛躍したり虚数化し、或いは小数点 以下が増えて自然から遊離するからだった。例えば、常識として人は1+1=2である事を知っている。 とは言うものの、夫婦から子供が生まれた場合、1+1=2 ではなくて「3」になる。しかし○×式の今の常識では 1+ 1=2だけが正解であり、其れをもし「3」とすれば「間違い」と決め付けるのが今の数値万能社会の問題です。もしこの 世が「1+1=2」の世界であるなら、その子供はゼロから生まれた事になります。 だが数学では「ゼロは何もない、無」を意味する訳だから子供が産まれる事実を数式では説明できない事になるが、一 体この事実を数学ではどう説明し、証明するのだろう。このように数字とは人間が勝手に作った偏った観念だから自然 界には通用しない。 このように目の前の現実の説明も出来ず、しかも実数から離れると数字は直ぐにバーチャル空間にさ迷い、バブルや ディリバティブを現出してしまう危険性を持つ。だから古代は実数か方位と言う枠をはめ、裏づけとした。裏づけのない 数字は魔性だけだ。 日本の円も、米国のドルも、天文学的な数値化にも対応できる代物ではあるが、其の裏付けは神ではなくて2000兆 円の財政赤字なのである。 ★数字化・・・・・今の世間がデジタル主義となった。このため「アナログ」しか知らない人は「遅れている」と見下されて相 手にされない。でもナチュラルな自然界はアナログである。音も映像も波動であって数字ではないのだ。人の声も数字 ではなくて振動波で伝わる。だからマイクもスピーカーも電流と電圧によって振動板を動かして音声を再現させる。 所が、今もって電子工学では電圧を制御するのが難しいので電流だけでコントロールしている。其の手法がデジタル化 でした。従ってデジタル製品には迫力がなく、薄っぺらか騒々しいかの音楽になる。其の上、電子化により音や映像ま でデジタル化し、「従来よりも透き通った感じにした」、と関係者が自己満足しているが、実は違う。 寧ろ飽きられ、一般の「音楽離れ」を加速させたのではないか。音の滑らかさを無意味な数字でブツ切りして、平べった い数字に並べ替えるという膨大な手間を掛けた割には効果がなかった。膨大な手間隙を掛けて平べったくて強張った 音楽にしただけだ。このように、音や映像でさえ数字(デジタル)化に馴染まないのだ。 ★「数字は万能」と錯覚した日本人が今や多数を占めているが、数字は何度も言うように魔物である。だが現代日本は すっかり数値主義になって「結果を出せ」と数字で他人に命令し、追い立てて支配したり、デジタル製品を最先端と刷り 込む社会になった。其の一方では、同じ国の日本人が何かと言えば「戦争反対」とか平和主義を言う。 或いは軍事技術から出たパソコンやインターネットを覚えて得意気にしているのですから甚だ矛盾です。例えば電算機 は軍事か金融、バーコードによる在庫や人事管理、其れに保険や流通と言ったごく単純な仕事の補助にしか使えな い、未熟な道具に過ぎない。 だが、日本人は全面的に此れに依存し、支配される事を望み、それに頼るシステムを合理化と勘違いし、何処も競って 導入した。其れで得たものもあるが、その代わりに大事な事を色々失ったのではないか。例えば天気予報は数値予測 をし始めたがそれ以来、出鱈目になったし、大銀行は常にトラブル続き、通信回線もトラブルやパンクが続出した。 しかもお上は特許業務をロボット化した。考えるのが人の役割であり審査官であってロボットには出来ない。しかし其れ を自動販売機にしたのだから自己否定である。更に政府は国民総背番号制(住基ネット)を採用した。此れは日頃口 にする「民主的」とは逆の、「無理やり」でした。其の目的は「民主化」とは逆の「管理化」でした。 欺瞞の国民背番号制も何ら国民に役立っていない中で、トラブルだけが成果ではなかったか。 何れにせよ数値化は、コンピューターシステムに移行するための手段であり、其れは個人の思考による選択も自由も 離脱も許さない差別化キャッシュカードシステムであるのみならず、実はカードによる管理化社会の到来を意味し、人 の商品化やロボット化、奴隷化を進める手段である。 国が「IT化」を進め、900億円近く使って1民間企業に先の「住基ネット」を任せたのは新たな箱物行政である(田中知 事2003/8/17朝日テレビで)と批難された中で強行された。県にとっては新たなコストが掛かるし、国民にとっては メリットが少ない上、個人情報が漏洩する危険性と不安がある。 と云うように、近代化・合理化・「IT化」の何も人々を幸福にしてはいないのだ。ハッキリ言えば、「数の論理」と言うのは 金貸しの道具であ り、ユダヤの論理である。金貸しは頭から二倍に計算する。其れを何時まで回収するかで金利が決 まる。其れが金利の素性であり本質だ。計算と言うのは見掛けのソロバンに過ぎず、実の狙いは乗っ取りである。 数字やソロバンは其の為の「お膳立て」であり、「正義」を装う見せ掛けの商売道具でしかない。数値管理に徹した共産 主義が滅んだが、資本主義も米日と言う二つの頭が巨大債務を抱えて正に崩壊寸前である。こうなったのは、資本主 義が数値を無視したからではなく、道具としてこんな小悪魔を利用しすぎた結果である。 ■6.洋式科学の実体は「無用の長物」 ★西洋文明の特長は唯物科学である。其の下地として進化論があり、次に基本としたのはアインシュタインのインチキ 理論(前述した)でした。こうした素性の科学文明の成果を見よう。成果としては例えば「二十世紀は戦乱の時代」にし た事である。 科学は、正義の戦争と復興の美名によってスクラップ&ビルドによる大量破壊・大量生産・大量消費で大量の犠牲を 払ってゴミの山を築いた訳ですから此れが一つの証左であろう。それで人々の幸福が得られたかと言えば全く逆に全 てを失ったのだ。例えば、かつての日本は「水と安全はタダ」と思われていた。 しかし政府や企業は巨大化して同時に環境汚染を拡大した。其の結果、安全な水はなくなり、ミネラルウォーターは一 時ガソリンの二倍の値段になった。また例えば、医療機関は高額料金を取るが病人を治さない。治さなくても「人命尊 重」と言う「錦の御旗」の下で、その「人命」を操る権益集団と化し、或いは麻薬(鎮痛剤)ビジネスで儲ける所となった。 此処は更に権益拡大を狙って臓器ビジネスや遺伝子ビジネスに血眼となっている。此れが科学文明の「進歩!」の正 体である。 ★お上の場合も其の恩恵に浴した。税金が素早く集まるから仕事が楽になった。其の分、「政官財」のトライアングルを 組めば、デフレや不景気をよそに恒例として治外法権の立場で「増税、料金改定」と言う値上げが出来る。医学や管財 だけではない。 天気予報や地震予知と言う分野も「当たらない」事の代名詞であるが、科学的な機器のせいにしていれば良いのです。 当たらなければ其の仕事から手を引くのが社会の通念と言うものだろうが、彼等は逆に、「もっと予算を」と要求してア ミーバのように巨大化した。 彼らは無能と怠慢の責任を取るのではなくて、逆に「機器が悪いから」と機器のせいにして逃げて、「もっと進んだ科学 機器が欲しい」とゴネて予算アップを画策出来る所としたのです。そして人工衛星を使い、膨大な予算と人員増をして会 議で決めるのですが、下駄をひっくり返しても50%の確率で当たるのに実質30%しか的中しない。 此れが「科学の成果!」でした。 ★西洋占星術が近代天文学になったが、其の特徴はレンズ式と数値化であり、後の場合を人は「天文学的な数字」と 笑った。何れにせよ役に立たない学問である。レンズは拡大して見る技術に過ぎず、学問ではない。其れに比べて古 来日本は太陽を中心にして暮らした。天体の中では星の数ほどある星よりも太陽だけが不変で絶大な影響力がある。 しかも太陽はレンズなしでも見える。だから学者は見えにくい星だけを研究対象にしたのだろうが、或いは星を神とする 白人社会の信仰的学問を崇拝しての事だったかも知れない。何れにせよ、日本人には元々星は無関係だ。このように 何の役にも立たない「お遊び」の、生活に無関係の科学に愚かにも日本は高いコストを掛け続けた。 だが、無用の遊びでは弊害を増やした。 ★此れでは何のための機関であり、学問なのか、を日本人は今こそ問うべきだろう。所が気象庁は前日の予報が外れ ても誰も知らん顔であり、言い訳する場合も、自分の不明を恥じるのではなくて「異常気象」を連発し、次はエルニーニ ョのせいにし、それが矛盾して来ると今度は「ラニャ−ニャだ」と言う。そして今は「北極振動説」を垂れるから呆れる。 また地震予知などは大型防災工事と言う利権と結びつき、一度も当たらなくても長期間安定的に膨大な予算を山分け する側か食う側に寄与した。何れ劣らず学問としても代物(三流)か偽物である。昔の日本人はこうではなかった。特に 侍は威張っていたが恥を知っていた。 彼らがもし、今の公務員や学者の立場となったなら、禄を食み威張った分だけ恥を知り、直ぐに切腹出来ない場合も死 に場所を求めただろう。この様にモノカネ主義は人も社会も駄目にする無用の長物であり、其の元凶は西洋化を近代 化と刷り込まれた事にある。 そう云う事から産業は空洞化して就職は超氷河期となり、其れにつれて洋式渡来学の権化としての大学は費用が要る だけで質の低下が目立ち、有名無実の存在になった。こうして見れば西洋科学はやっぱり「無用の長物」でした。 ★此処で初めからの、西洋的近代化、政教分離(祭政分離)政策、進化論、物質科学、数値主義(デジタル化)、グロ ーバル化(画一化)などの六点が、仮に百歩譲って「全て正しかった」としよう。けれども其れらを今まで実験し、検証し た歴史時間が、たった100〜200年間の実績でしかない。 其れに対して日本の文化的な歴史の実績は少なくとも2000年あり、其れを支えたのは一万年の実績のある和風の 民族文化でした。この時間数だけで見ても彼我の実績は1:10で検証された事になる。其れは軽薄で空虚な近代のイ デオロギーとは別の、実際的で多重・多段の自然観を重層させた一貫性の有る哲理でした。 とすれば日本人はこの何れを選ぶべきかをもう一度考えるべきだろう。完結した昔を基本とし模範として尊重するなら ば今後も安泰である。だが今の国民の大多数が昔を未熟と誤解し否定し、其れとは逆の、根も葉もない未熟な未来を 進化論で夢見て浮き草のように追い求める風潮に有るとすればどうか。 「無用の長物」の西洋物質科学の犯した事実を問う事なく歴史の根を切って、更に同じ手法を採れば益々危険を犯して 無用な冒険に日本人を晒す事になろう。 ■7.モノマネが間違いだった・・・・・日本は「伴天連」に宗旨替えしたのか ■A.モノマネが間違いだった ★物余り・デフレ・スパイラル・・・・・・・今の日本は小さな車輪の中を走り回って一歩も進めないハツカネズミと似てい る。大量生産と大量輸入による物余りで商品が溢れ、価格破壊が進んで賃金カットやリストラで所得が減ると言うデフ レ・スパイラルの悪循環に嵌って抜け出せない。 一般家庭には一通りの生活用品が行き渡ったし、その後に魅力ある商品も出ないためか、「もう買いたいものはない」 と多くが言う。そのような状況下、人々の労働意欲もなくなり、目標も見失って凶悪犯罪増加の社会とした。とすれば、 此れまで努力して生活水準の向上とか「豊かな社会」を目指したのは「一体何だったのか」と言う反省の時代になる。 其処から「これからは物的欲望から精神的追求へ意識を転換する時代だ」と言う事になって当然だ(サンケイ2003/9/2 石川雄一氏の論文から一部引用した)。 所が「物より心の豊かさ」を他人に求めても無理なように、「経済大国から精神大国」に転換するのは中々難しい。其れ は戦後のGHQ政策以来、世界支配を画策するユダヤのシオンの議定書に見られる3S政策を積極的に採り入れて来 た日本では尚更困難です。 彼らの手先となった日本のリーダーたちの下で、セックスとスポーツ、そしてスクリーン(テレビ)と言う三本柱で日本はモ ノカネ主義と3Sに完全に毒された。しかし其れを止めようとする動きがあれば必ず彼らから妨害されたために、その結 果に於いて日本人の殆どが「自分が一体何をしているのか」も知らずに一人前の顔をしてエゴで威張っている。 こうした状況下にあるから到底無理だと言うのです。 ★「見せびらかす洋式文明」・・・・・・日本人の結婚願望は教会で挙式する事であり、新婚旅行はグアムかハワイかサイ パンが定番となった。でも其処は旧日本軍が戦った所だ。そんな(日本軍が負けた)所を見せびらかして観光地化した のが彼らだった。 ハワイは米国が侵略し、国を滅ぼして奪って属州とし、米国資本を入れて今は彼らが楽しむ観光リゾート地に一変させ たのである。昔のハワイは豊かな島だった。其処をすっかり荒らし、砂漠にしたのは白人たちの商業資本でした。 グアムやサイパン島も日本軍が苦戦して玉砕し、或いは多数の将兵が艦砲射撃で生きながら塹壕に生き埋めとなった 所もある。其処が今は見かけだけ観光地となっているとしても、ビーチの下は将兵の遺体が折り重なっているだろう(政 府が回収しないから)。其処へ出掛けるのも良いが、白砂青松の浜辺なら、かつての日本には何処にでもあった。 世界一美しい本物の浜辺があったのに、何処も今は埋め立ててしまった。だから人工的な、偽物のビーチに日本人が 憧れるとしたら哀れである。海外の観光地は昔からの本物の大自然ではなくて、商業資本によって彼らの気に入るよう にペインティングされた人工的に作られた観光施設、つまり偽物の「自然らしさ」である。 其れを日本人がある種の郷愁(ノスタルジー)と幻想・錯覚から競って出かけて行くとすれば哀れと思うのだ。この様に 洋式文明は「見せびらかす文明」だ。其れは「良いものを安く作る」と言う日本人気質とは違って、彼らの本性は「要らな いものを見せびらかして高く売りつける」と言う逆の考えであり、イデオロギーと同様の狡猾で卑劣な観念である。 彼ら列強は連合国として日本に勝ち、日本を滅ぼした。だが勝利の酒に酔ったのは其の時だけだった。日本に勝った ものの、結果としてその後、続々と東南アジアの諸国が白人支配の植民地から独立したからだ。 其れによって西欧諸国は広大な植民地の殆どを一挙に失うと言う痛手を負って初めて、「日本を滅ぼしたのは大失敗 だ」と損失に気付いて青くなった。そしてまた多くが、「アレもコレも日本のせいだ」と恨み、「この恨みは必ず返して貰う」 と決めたに違いない。ドイツやイタリアとはこの点で違うのだ。 だから日本だけは二度と立ち直れないよう、徹底して破壊し、特に「日本文化」や精神(大和魂)を叩き潰すと同時に、 日本を抱き込む政策に変えた。その一つがGHQの「政教分離」やデモクラシー、それからユダヤの「シオンの議定書」 による3S政策であり、此れが日本の退廃の元凶となった。 100年前に彼らが議定した狙いは、スポーツ、スクリーン(テレビ、ビデオ、映像)、セックス撒き散らし政策(誘導策)に よって世界制覇を目指す事である。其の術中に嵌って見事に日本人のバックボーン(背骨)が骨抜きにされた。此れが 彼らのイデオロギー(異教性)の正体である。 だから抱きこまれてもモノマネしては不味いのです。だが既に、日本人は英語を使い、家も車も洋服も彼らのモノマネで 装ってしまった。そのような今の日本人の顔の皮をひん剥いたとすれば、多分、思い込みの業ごうか無知・無能の本性を 曝け出すだけだ。其れを押し隠すために誰もが偉そうに振舞うか、傲慢になっています。 人は神に近い心を持つか、或いはこの社会にどれだけ貢献したかで偉そうにするのも許される。所が現代人はモノマ ネしただけで何も貢献度がないのである。其の上、犠牲的精神さえ失ったのだから要するに愚者の国に仕立て上げら れた。見当違いのイラク参戦が「世界への貢献」と錯誤している小泉自民党を圧勝させる始末である。 だから各々が自分勝手主義になって、エゴ人間だけが蔓延るストレス社会の日本になった以上、最早何も手が付けら れない。つまり自ら「自滅」を待つ事となろう。其れは現実にもう迫っている。「後書き」でも触れるが、日本は先ず未曾 有の経済危機に突入する。そうなれば「日本沈没」である(未来カレンダーを参照)。 「幕末の日本人と比べて、決定的に欠けているものは志と理念です」(「国家破産サバイバル読本」浅井隆著)。だが一 部例外的に有意の人はいる筈だから、今からでも近親者や友人に訴え、彼ら「一粒種」に微かな希望を持つ事もまだ 可能である。 ★西欧にだってそれなりの歴史文化が有った。物にも文化的背景があって当然であるのに、日本人は信教を嫌って物 だけを急いで学び、採り入れようとしたのは実に浅ましかった。英語を正課として採り入れ、小中高大と長年、習わせた が失敗だった。日本人は英語を使えないからだ。だからもっと習えば良いのだろうか。 古人は、このようなモノマネを、「仏作って魂入れず」とか、「蛙の子は蛙」と言い残したのである。日本人に外人の洋服 を着せて英語をしゃべらせても白人になる事もなく、和魂洋才くらいの変化しかなかった。 外来文明を真似ただけの事を「文明開化」や「進歩」と誤認し、矛盾を平気で誤魔化して来たために「間接侵略」にあっ て、其の後も失敗の連続となっている。物まねでは所詮、使い物にはならないのです。 パテント・著作権は本会に属します。 「鬼の会」 |