http://hijiri.tamajiri.com 「日知り事典」 page256.html (未定稿) 日知り事典 ネ ね● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ね● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆★●■ ●ね・・・・・・「ね」は「子、根、値、寝、音」の「ね」である。「子」は方位の「北」であり、日影の伸びる方角であり、また 「根」は地上に出ない木の下の部分のように人の目に入らない霊的な因果・因縁の部分でもある。 ▲ ▲子・・・・・・方位の「北」、暦の冬至、時刻の真夜中、陰陽では陰極、五行では水、五色では「黒」を意味した(「真北」、 及び各項目を参照)。其処から例えば「大黒天」を考えるなら、彼の像は、ネズミがいる米俵の上に載っている。其れは ネズミを従えている神ではなくて、「子の大黒」の意味を伝えたものである。つまり前述の通り、天子や御子を意味した。 其の外、シナでも孔孟老荘や諸子百家は何故「大」ではなく、好んで「子」の字を付けたのか、と言えば、北側に位置し て南の大、即ち太陽を「天子南面」で見る、聖の立場を標榜したからに他ならない。またノートルダムの場合もその意味 は「北のマダム」であり、矢張り北に位置した聖なる巫女(聖女)を意味しただろう。 秀吉の妻「ねね」もまた北の政所と言われた。彼女もきっと後半生は聖女であったのでしょう。こうした事から日本では 愛娘が生まれると御子(ミコ)とし、或いは○×子として「子」の字を付けるようになったのだろう。 ▲子(字義)・・・・・・古文字では「亅」(ケツ)から組み合わせた文字と判断出来る。或いはアルファベットのYに似た字で 「Y」を「ア、ふたま、あげま」と読む。此れは冬至の日に日の出入りが此の角度で東西に見られると言う、太陽観測の 基本的なパターンを図示した文字と解釈できる。北半球なら西欧でも同じ事である。 次に「亅」に頭を付けたのが「了・予」の字です。此れは鉾を土に刺した形の半影を象った文字と言える。鉾を立てれば 日影が北に延びるので、此の文字でも北を意味する事になる。仏教(梵語)でも、阿吽(あうん)のアが陽を意味する。 さて漢字の「子」はフ(半円影)の下に弧を付けて、横線(地平線、水平線)で切った形です。 此れは何を意味するかと言えば、太陽観測の場の中心に水の入った壷を置いて、其の影を文字に象ったものである (「アンク」、「オーム」、「酉」を参照)。そして横線は無論、「水平線」、及び「此処から時計回り」と図示したもの。また、 「子」の字の類の古体には○や▽に縦棒がある。此れも子供ではなくて天体観測文字である。 ○は丸い天、または太陽、または丸柱を意味した。お日様が丸柱の後方に日影を伸ばします。正午には真北を射しま す。だから○に「l」(縦棒)の字は「北」を意味した。でも此の場合、日影になる地面は水平でなければ正しく北を射さな い。よって水平面を表す為にー(横棒)を加えたものと推定する。 其れが「○に+」と書いた文字でした。「+」の意味は水平線と南北を意味する。同時に、手前は北ですから上が南で、 左右の線が東西を意味した。つまりプラスは四方をも意味した。そうした事から甲骨や漢字以外ではクレタ島やエジプ トにも伝わってヒエログリフとユダヤの聖書にも「○に+」と印している。 しかもクリスチャンはネックレスにロザリオ(十字架)として胸に懸けています。此処でも本来はコヨミ観測の原点と言う 意味だったが、イエスの磔刑の後は十字架を信仰する者のシンボルとなった。つまり宗教の原点を戒律として首に架 けて来た事になります。意味は多少変化したが古実を守っていたのは立派である。 しかし其の意味をクレタ文字では「Z」とし、エジプトではアネフ(ネフェルタとも)と読んでいる。其れなら「ネ」が付くもの の、其の意味を今は「生きる」としているので的外れではないか。日本でも今は「子」の意味を忘れて「忘子化」したので 「女の子や猫の子」と言うように使っているが、濫用でないかな。 ●ネイティブ・アメリカン・・・・・・アメリカインディアン。東洋では古来、虹や瑞雲が天子の善政・善事を天が認めて 民に証した瑞祥・吉祥、または其の兆しとして喜んで来た。虹の字は特に「天地を繋ぐ工の虫」(虫を参照)と書く。其の 点でネイティブ・アメリカンの一部でも虹は「天地を繋ぐもの」と見ていた。 彼らは虹が宇宙との交信であり、最後の時には人を救うと信じていると言う。例えばホピ族の場合は宇宙人との神話を 持つ。そして彼らに作物の作り方を教えたのは地底から出入りするアリ人間だったと言う。しかも此処にはセドナ山や ベルロックなどが古来7000年前からの聖地であった。此処に上がると風が駆け抜ける。 夜間は満天の星座が見られるので、今ではパワースポットとして人気が有る。また、UFO目撃例も多い。彼らは七つの 石で配置した円座の中を十文字に仕切って、其の中心に太陽の石を置いてメディスン・ホイールと言う円陣を使う。そし て天神に気持ちを伝える道具としてパイプを使う。 要するにパイプ・タバコから煙を出すのである(05/7/9のMBSTVの「世界不思議発見」より一部引用)。 ▲願い事・・・・・・・星に願い、或いは寺社に詣でる善男善女の願い、所謂「御利益信心」には家内安全、交通安全、大 漁祈願、雨乞い、豊作祈願、・・・・など色々無数に有って、特に其れを叶えたい一心からお百度石を回るような行為を する。また古来、神社には氏子や参拝者の願い事を神に取り次ぐ禰宜と言う神職が居る。 でも神仏は実はお百度を嫌う。人の執念を嫌うのです。ですから「御利益信心」による祈願よりは寧ろ、神恩感謝とか 一願(大願)成就など、感謝報告の形で参拝するほうが無難です。しかも願い事なら有名観光寺社よりは寧ろ、自分の 先祖にお願いするのが筋であり、効果も大きい。 個人にとってはメーカー責任である先祖のほうが万能なのです(「円系図」を参照)。 ▲猫・・・・・・・猫は家に付き、犬は人に付くと言われる。秋田犬の場合、「忠犬ハチ公」(別項参照)が有名だが、猫は 「化け猫」の話のほうが人気が有ります。実際、手ぬぐいを玩具にして化けて遊ぶらしい。猫はまた、耳をかく時の仕草 が商人に「招き猫」の信仰を持たせた。 或いは三毛猫のオスはめったにいないが、其れが逆に珍品とされた。「天気を占う」のか大漁を呼ぶのか漁師の信仰 を生んで、漁師が高く買ったと言われる。猫が漁師のために魚を捕るとは思えないが、猫が魚好きなのは確かである。 魚獲りは漁師のほうが上手いが、猫はネズミを捕るのが漁師より旨い。 捕えた時には夜中でも住人の枕元に来て其れを見せようとするのだ。褒めて貰うまで枕元でネズミをイタブリ回すので あるが、今はネズミのいるような古い家もなくなったためこうした健気な猫もいなくなった。そして飼い猫がもしいなくなっ た場合は探さなくて良いと言われたが、其れは健気な猫のいた昔の話だ。 猫は自分の惨めな死体を住人に見せたくないので自分で穴を掘って死んだのだが、今はコンクリートで固めた家が多く なった為か、生前から他人の家の庭に無断侵入して放糞をし続け、死ぬときも勝手に他人の家屋敷に行って其処に死 体を晒すと言う無作法な猫・近隣公害を撒き散らす猫が増えた。 仕合せそうな「眠り猫」かと思ったら「死に猫」と言うケースです。 ★猫の呟き・・・・・・猫公害と言われたので反論して置く。猫の理想は日光東照宮の左甚五郎作「眠り猫」のようになる 事であり、人間に飼われる事ではない。しかも猫は年中寝て暮しては来なかった。猫はネズミを獲るため夜働くから昼 間に寝たのであるよ。だが今となっては其れも昔の話だ。 兎も角、猫は可愛いよ。特に仔猫は愛くるしい。でも年を経て顔が四角張り、体がどってりと太ってくると横着になり可 愛くないらしい。そう見て見切った飼い主は吾らを簡単に捨て猫とする。次々仔猫を産んだ場合は、仔猫でも捨て猫に される。だから猫はだんだん人間不信になったし、猫は「家に付くが人にはつかない」習性を身に付けたよ。 其れを人は「猫は恩知らず」と言うのだが、此れは人間側にも問題が有るのではニャーだろうか。人の子も猫可愛がり で育てた場合は猫みたいな性格になるニャー。薄情者で恩知らずの子供になって親を放り出したり見捨てたり、自分が 飛び出してペットと暮らすようになるよ。そうすると先祖たちも其の子に寄り付けないので不妊・少子化となる。 譬え妊娠しても、其処に先祖霊が降りようとした時、我ら猫族が必ず嫉妬して其のエネルギー体を食い殺すので結局、 流産・死産・不妊となるケースが多い。だから人霊も猫や獣を昔から嫌って来たようだ。そんな中、例外的に目出度く出 産しても、猫毛が赤ん坊の呼吸器に入って病気にする。 目には見えなくても猫が人間と同居すれば先祖と違ってチョット不衛生(不潔)になってしまうのだ。小鳥や獣たちが自 然界にいる限りは清潔だが、人に飼われると途端に人類に害を及ぼす不潔な存在に変わるので、譬え「可愛い」と思っ ても、人の住居と一緒の所で共生させるのは問題じゃ。 其れに飼い主がペットと思って我輩たちを飼ってくれても、実は愛情から飼っているのじゃなくて、自分の寂しさを紛ら わす慰みモノであるから問題だわ。世話になった両親を捨てた子がやがて嫡子もなく、その代わりに恩知らずの我輩 たちにペットの餌を与えて寂しさを紛らわしても、其れがステイタスとはならない。 だが今やスーパーの店頭にはペットフードが所狭しと並ぶ。人間の食料の横に堂々とより高級なキャットフードを並べ てくれている。それだけ主客転倒して来た訳だが、今となってはネズミも捕らず、夜警もしないのに人様よりも高級な餌 を食い、左団扇で夜昼寝て惰眠を貪って暮らす結構なご身分となった。 此れもご先祖様や飼い主様のお陰と思って感謝しながら、今尚ネズミの通り道のような隅っこでひっそり暮しているの は因果だねぇ。だが吾々のお陰でペット産業も何と1兆円規模に増大した。此れじぁ「猫に小判」でなくて「猫は金にな る」ちゅー事だ。 けれども血統書付きのペットでさえ突然死が増えているし、生きていても飼い主の介護なしには生きられない例が増大 して来た。其れは吾々が自然界から隔離されて不潔化したからだ。 繁殖・飼育業者の粗製濫造にも問題があるものの、好んで400種類にも及ぶ遺伝病の仔犬や仔猫を「可愛い」と思っ て選び、買い求めた結果、十数年間(犬猫の一生)も介護する立場になるのも親を捨てた人間の因縁の裏返しだろう ね。 親を介護すれば子として立派であり、社会的にも大いに意味があるがペットでは無意味ではないか(「ペットを飼う因 縁」、及び「不妊」を参照)。我輩は人の子ではないから人の期待するような恩返しは無理だ。其の点でも飼い主にとっ ては幸せではなかろうが、其れも因縁の返しなのであって、我らの責任でも社会や親のせいでもなくてご当人のせい。 飼い主がエゴネコ系を真似た結果である。更にケモノや小鳥が近隣に迷惑を及ぼす問題だが、ネコの糞は公園の砂 場の糞でも人の鼻が曲がるほど強烈に臭い悪臭を放つ。猫にとっては縄張り獲得のために必要悪なのだが人間にと っては不潔なだけだから地域社会にも大いに迷惑を振りまく。 我輩たちが近所に極めて臭い糞を撒き散らすのは、自分のテリトリーを誇示する縄張り意識であり、此れは我輩たち の本能的な習性だから仕方が無いが、近隣に住む人にとっては迷惑この上ないらしい。猫連は自由に排泄するが、そ の便所にされる近隣の家は堪らない。このように「猫が近隣公害」と言われても飼い主は無税ですから気楽だね。 近隣の家では、見知らぬ猫が自分の家に出入りしても其れが野良猫なのか、もしくは何処かの家のペット(飼い猫)な のか全く分からないので苦情の持って行き場がないらしく、「ネコ公害」に泣き寝入りする所が多い。だから飼い主に面 と向かって言う人もないのでやりたい放題の無責任猫と飼い主のエゴが一向に止まらない。 兎も角、我ら猫族は、古代エジプトの時代から人類と共存して来た。だのに我輩たちは、人類史上良い話題にはならな かった。例えば「猫跨ぎ」とか「猫舌」と言うアレは何だ。吾々は人より贅沢ではないし、遅グイでも無いよ。其れに「猫に 小判」なんて言って何時も笑いものにするのは失礼である。 此れを笑いものにする人間どもに吾々は「人にマタタビ」の笑い話を返してやりたいものだ。あんなに素晴らしいものが 自然界にあるのに、お前たちは何も知らないではないか。しかも「猫なで声」とか「ネコっ被り」とか「泥棒ネコ」のような 酷い言葉でズルイ人間に喩えるのは不当差別で迷惑この上ないな。吾らはネズミ以上にすばしっこい。 しかもブロック塀でも駆け上るし、屋根から飛び降りてもヘッチャラの柔軟性がある。此のためか、逆にその場限りの適 当な人生を送る飼い主のミラーとして今は飼われているようだ。其のせいか不当と言うか不幸にもイメージが良くなって いない。特に「化け猫」と形容されるのは濡れ衣だ。猫族は日本女性のように旨く化ける事が出来ないのだよ。 ですから猫からハッキリ言えば、人とは凶なのだ。其の点、「鶴の恩返し」とか「忠犬ハチ公」など、鶴や犬、其れに狐や 他の動物たちは人間との良いエピソードを残して羨ましいニャー。 ▲根っこ・・・・・自然とは根、其れに因、つまり種のある地の事であり、よってネイチャーと言う。其処は全てのものを包 容力と根源力によって育て上げる母性であり、母なる大地のハラである。だが現代人は公園のような不自然な緑があ っても「自然がある」と喜び、稲田や公園で花や葉を見ても「此れが自然だ」と誤解している。 緑を自然と見るが其れと一体不可分の葉っぱが散ればゴミとして排除しようとする。蟻やハチまで嫌うから分かってな い。何れにせよ、自然とは根や土であって花や緑ではない。 人は木を見ても森を見ず、森を見てもその根っこまで見る人はないだろうが、根は人の目に付かない地下で複雑に絡 み合って生物とも共存して豊かな生態系を作り、自然界の基本を維持・循環させている。 人の場合の根とは先祖であり、種(地=血)であり、アイデンティティーである。人の目には見えなくとも其れが人の身体 と言う上部構造を支えてくれている因縁・因果の因である(「円系図」または別紙の月の暦の「自然界」、「因果律」、「生 育サイクル」、「百姓」を参照)。 ▲根の国・・・・・「夜見の国」の事。日は東天から昇り西に沈む。黄昏の西には大陸があり、其処から先は日本から見 て「夜の食おす国」とした。スサノヲノミコトにとっては母(イザナミ)の亡くなった方位に当たる国が根の国であり、黄泉路 の先の国。夜食をして夜に寝ず夜動く国の事でした(「黄泉の国」「夜行性」「都会人」を参照)。 ▲ネパール・・・・・・・・国土の八割が山岳地帯である。実はネパールを含むチベット高原は神代に日本から観音様が 天下った所と言われている(十二神将を参照)。其処から梵教が伝わり、▲今も「神々の住む山」「世界の屋根」と言わ れるヒマラヤ山脈の麓にカトマンズ盆地があり、ネパールの首都として67万人が住んでいる。 此処で毎週のようにヒンズー教の祭りが行われる。此処には17cからシバ寺院などヒンズー教の寺院が建ち始めて、 今やヒンズー教を国教としているが、其れは世界の中でネパールだけである。無論、殆どがヒンズー教徒である。また パタンの町はネパールの旧都であり、此処には17cのヒンズー教寺院が残る。 ヒンズー寺院は方形であり、其処にシトミのような格子戸を付けるのが特徴的である。ヒンズー教寺院の前にも狛犬の ような像が一対立っているが、向かい合っているのではなくてこちら(正面)を向いている。ヒンズーは多神教であり無数 の神々があるが、何れも輪廻転生を教える。例えばカーラバイラブ神は生死を司る最強の神である。 またラクシュミーと言う神は冨と幸運の神として人気が有り、各家庭でも祭られている。其れにガンジス川の源流に建つ パシュパティナート寺院(世界遺産)は、ヒンズー教徒の憧れる聖地である。此処はガンジス川の支流であり、人の死後 に火葬して川に流すため毎日のように火葬の煙が棚引く。生と死が同居する町である。 またカトマンズ盆地で最古の寺が仏教寺院であり、スワヤンブナート寺院(世界遺産)として残る。此れは巨大な丸いス トーパ(仏塔)であり、入り口がないため信徒たちはマニ車を廻しながら仏塔を回って祈り、或いは五体投地で祈る。仏 教徒はカトマンズの人口の二割。カトマンズは祈りの町である。 11月初旬に旧暦の新年を迎える(冬至の頃か)。このとき人々は町中を自転車パレードをしたり、額に赤い点を付けて 各地の祠にお供えをして回る。外にも古都バクタプルの町には五層の建物のニャタポラ寺院があるが、修復のため市 が外人観光客から高額入場料を取っている。 此処では釘を使わずに木とレンガの組み合わせで建築していて、特に木彫りの装飾が多い。 さてBC5〜3cにインドで仏教が起こり、その後ヒンズーがインドに生まれてネパールに伝わった。カトマンズがヒマラヤ 第一の交易都市となったのは、宗派の違いに寛容であるために栄えて来た。 此処には秋になるとインドから来て、春に北へ向う商人たちが行き来し、インドの香辛料とチベットの岩塩とが集まっ た。昔は馬でヒマラヤを越えた。カスタマンダップ寺院(世界遺産)は、最古の木造建築である。此処では宗派の違った 商人たちを昔は300人も無料で収容し宿泊させた(▲以下は06/1/26、及び6/9のNHK総合TVより引用)。 ★ネパールは国の面積は狭くても、高原の麓の標高60mからチベットの標高8800mまでの上下にわたってバナナから リンゴまで実に豊かな農産品が出来る国です。各地の民族は固有の言葉を話して、其れ以外に英語を学びます。 日本人は一日に何回も「有り難う」を連発するが、ネパールでは同じ気持でも言葉ではなく、笑顔で返したり表情でも現 します。★以下は06/10/13のラジオ深夜便より引用。 此の国には240年の歴史のあるネパール王朝が平和を続けていたが、10年前にビレンドウ国王など10名が銃殺さ れる事件が起こった。其処で弟のギャネンドラが国王に即位したが、国民の不信感が高まり、国軍と武装勢力が戦っ て既に1万人以上死亡している。国王は弾圧を強める一方、他方では民主化を掲げて06/2/1に地方選挙をした。 けれども候補者が半数だった。国民は国王側の候補者だけの選挙をボイコットしたため、投票率が22%。こうして今 は国王、野党、国民が三つ巴となって対立が激化している。標高8000mの山々に囲まれたカトマンズには観光客が 年間50万人訪れるが、今は治安悪化の為に2〜4割に激減(06/2/12のNHK総合TVより引用)。 ▲寝不足・・・・・・人は昼に動いて夜に寝るものと決まっているが、何らかの事情で睡眠不足となる事。ただ人間の生 理は原則として睡眠不足がないように何れは眠る仕組みになっているので、寝不足を心配する必要はない。けれども 仕事の都合や心痛などで寝不足となる場合がある。また昼寝をしていれば夜眠れなくて当然です。 或いは就寝前に夜更かしで体温が冷えたり夜食でお腹が張っていれば中々寝付けません。しかし機械的に「8時間睡 眠が平均値」として其れに合わせようとすれば無理な話となり、「睡眠不足が健康を害する」とか「美肌の毒」と思えば 尚更心配になります。でも睡眠薬に頼れば悪循環となる(薬を参照)。 だいたい現代の都会は夜でも明るく、不夜城の観がありますし、一般家庭でも仕事やその他で夜更かしするのが当た り前となっています。ですから、日本は言わば「眠れない」社会となって来ました。事実、統計によれば、日本人の睡眠 時間が年々短くなっている。 其れが病気多発の遠因であるとも言われ、また古来、「寝不足は身体に毒(障る)」と言われて来た事もあって、余計に 「寝不足」を深刻に受け止め、睡眠不足を訴える人が多い。でも生き物は、疲れれば自然に眠るようになっているの で、「不眠」を余り神経質に気に病む事はないのです。 其れよりもストレスを減らす事であり、其れにはゆっくり腹式呼吸をする事。そうすれば疲れて眠くなる。或は欲望や恨 みを取り去って先祖に日々感謝して過ごす事です(「円系図」を参照)。また先祖霊が懸かる場合も一時だけ眠気を催 す事が有りますが、此れは勿論「寝不足」からでは有りません。 ▲年忌・・・・・・・通夜・葬式以外の法要・法事。としいみ。親族の不幸には服喪(別項参照)が有る。一般の公式行事 に対して私的な年中行事であり、家族にとっては人生儀礼の基本である。厄年を含めて言う場合も有るが、普通は故 人の没後に毎年巡ってくる命日には墓地や菩提寺に親族が集まって僧に布施をする。 こうして読経を願い、故人の追福・追善供養し、その後に餅を配って会食する事。今は仏教的な色彩があるが実は日 本の伝来の古宗教様式である。仏教は元々先祖供養を否定する宗教でした。ともあれ一般的には毎月の月命日には 墓参をしたり檀家寺の僧侶にお布施を包んで回向を依頼する。 其の外に春と秋の彼岸や盆正月には他の先祖と共に卒塔婆を立てて弔う。また年毎の命日を祥月命日として3、7、 13、33回忌を行い、33回忌で「弔い上げ」とする。としているが、其処で終わりとしないほうが良い。33回忌までは親族 縁者に対してだけである。また33の意味は32方位に先祖を配分して見るからである(33観音を参照)。 因みに年忌の数え方は今の満年齢の数え方ではなくて、昔の「数え年」と同じなので注意して早め早めに準備しなけれ ば「後の祭り」となります。つまり死後一年目は満一周忌ではなくて二周(二回)忌になる。何れにせよ故人を弔うという 事は動物が決して行わない行為であり、人間だけがする貴い行為であり極めて精神性の高いものです。 其れを「古い」とか宗教だから科学的ではないと拒否するとか前時代的とか言って否定するのは進歩や近代化ではなく て人間性の欠落であり、今のような犯罪社会にするものです。さて人の死後に49日法要をするが、此れは以下の風習 によるもので、先ず13佛信仰がある。 13佛信仰は1(本尊)プラス12佛(方位)の事。今でも古寺に行けば自然石に1(主尊)を刻み、その下に12佛を配し て13佛(別項参照)とした石塔に出会う事がある。また仏教では中院法要と言って人の死後、初七日(不動明王)、2− 7日(釈迦如来)、3−7日(文殊菩薩)、4−7日(普賢菩薩)、5−7日(地蔵菩薩)、6−7日(弥勒菩薩)とする。 続いて7−7日(薬師如来)と言う風に七日毎に法事をする習慣があるが、中院(中有)と言うのは、別である。此れは 死の瞬間から次の生を得るまでの永い期間を言う(「苦」を参照)。シナではその中院の間には閻魔の裁きが有るとす る十王信仰が生まれて日本には鎌倉時代に特に禅宗によって広まった(不動尊を参照)。 尚、死後49日目の7−7日(薬師如来)以後は百ヶ日(観世音菩薩)、一周忌が勢至菩薩、三回忌が阿弥陀如来、七 回忌がアシュク如来、13回忌で大日如来、そして33回忌が虚空蔵菩薩となる。 ただ日本では十王に七回忌、13回忌、33回忌を付け加えて13仏事としたとか、或いは十王に各々本地佛を設け、地 蔵信仰と閻魔を結び付けて13佛信仰になっているとも言われている。特に山形の月山は、13佛の山であり、また福 岡の篠栗新四国霊場は各所に13佛像が見られると言う。 また33回忌(別項参照)で止めずにその後に神式では50年祭、100年祭、500年祭、1000年祭を行う事もある。何れに せよ、こうした信仰行事・冠婚葬祭は日本の美風であり、取り分け年忌法事は故人に対する追善供養の基本である。 最後に方位の観点から纏めて置く。 死後49日の制は中心点<命日・原点>から八方位を24節気で巡る事であり、数字よりも方位である。各7日飛びに7回 で八方位の元に戻って薬師を祀る。次に年忌の巡りが其の外円になる。3-7-13-17-23-27-33の回忌を通じて32方位 を巡り、最後の33回忌には中心(原点)に戻る。古来各地に33ヶ所観音霊場があるのは此の為である。 33回忌で弔い上げとする必要はなくて、49回忌まで行うのが良い。其の半年後が神式の50年祭りであり、此の時はホト ケではなくて神として日迎えする事になります。この世で一時、裕福になったり偉い人になるよりも、こうした人生儀礼を 一家系で継続して行く事が日本人の言う家の永続であり家系でした。 人は「死んだら終わり」ではなくて、縁のある所にまた生まれ変わる。だから悪い事は出来ないし人との縁を良い形で繋 いで行くべきであると信じて来ました。だから年忌に集まった。穏やかな家族の暮らしを保つ原理としての義理や律儀さ が此処に有った。 年忌<お年忌表>http://www.amigo2.ne.jp/~nishi/temp/nenkihyo.html ”お念佛と大賀蓮と天体観測の寺” 浄土宗 蓮池山 西光寺 より引用。---貴家ご先祖さまのお年忌の準備にご参照下さい!廿五回忌と廿七回忌は地 方により勤める習慣に違いがあります!
以上引用。 ▲年金・・・・・・国民年金の項目へ。 ▼念珠・・・・・・数珠を参照。 ▼念誦・・・・・・合掌してホトケや故人に祈りを捧げる事。または神仏の名号を唱える事。 ●年輪年代法・・・・・・考古学の資料として使われだした木材の年輪比較法。古い角材や材木なら何でも分かると言う 訳ではなく、表皮(樹皮)の部分が多少とも付いてなければ正確さが得られない。 ▲年齢・・・・・・自分が頼んだ訳でもないのに全国的に機械的・自動的に一律平等に加算されて行くもの。自分が必死 に抵抗しても歳月は誰彼差別せず空しく通り過ぎて行きます。特に昔は数え年が主流だったので年をとるのが早かっ た。 つまりお正月に皆が公平に一列横並びで一斉に年をとったからですが、1950年には「年齢のとなえ方に関する法律」が 施行された。此れにより満年齢が推奨され、誕生日の前日に一歳増える事となった。4/1日生まれが「早生まれ」に なるのもこのためだ(下の2行は06/1/1の朝日新聞より)。 でも今の人達は若さを競っているので、先の「数え年」では抵抗感がある。一歳老けて見えるので割が悪いと嫌うでしょ う。だが、昔からの九星占いとか厄年などは今でも先の「数え年」を基準にします(「数え年」を参照)。今の日本社会は 年齢差別が徹底して来たので此れにも抵抗し反発したいと思う人が多い。だいたい歳の差なんて無意味です。 機械的な年齢とは別に、実際のお肌年齢とか体力年齢があって個人差がバラバラなのですから。時間的な年齢を数 字にしても現実には血管年齢とか脳年齢も違います。スピードを追う貴方は実際より高齢化に向って大躍進してません か。 ◆★ の●・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 以下は次ページへ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ◆★●■▲◆★● 次は
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