http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」  page206.html(未定稿)


日知り事典  サン〜三族

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「サン」・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

サン・・・・・・・太陽(Sun)。ヨーロッパも大昔は太陽信仰だった。その名残はサンと言う言葉の多さでも分かる。先ず
ヒジリ(聖人)をサンと呼んだ。そしてヒジリのいた処をサンクチャリ(聖域)、「有難う」をサンキュー(サンクス)、清める
言葉をサンクトウス、太陽にキスされた果物(商品名)をサンキストと言った。

其れに、サンタ(聖人、次項参照)、サンピエトロ寺院(カトリック教の大本山)、サンマルコ聖堂(ベネチュア)、サンタマ
リア(聖母)、サンデー(日曜日)、サンルーム(日光浴の部屋)・・・・・など。

そして世界の地名では例えばサンサルバドル(エルサルバドルの首都)、サンジェルマン(パリの西)、サンステファノ(コ
ンスタンチノープルの西)、サンディエゴ(カリフォルニア東南)、サンフランシスコ(米国、聖フランシスコ)、サンマリノ(イ
タリア半島の古国)、サンレモ(イタリアの都市)・・・・など枚挙に暇がないが、今の人たちは太陽信仰ではない。

三角点・・・・・・・国土交通省(国土地理院)の基準点の1つとして、見通しの良い山頂などに約1.5km間隔で全国に
約10万箇所設置されている。一等から四等までの種別がある(「基準点」を参照)。

三角地・・・・・・・四角形の土地や家は管理し易く住み易い。所が丸い地球や島を四角に区割りして行けば、どうして
も三角地が出来てしまう。平野部でも山や川を避けて方形に区画して行けば、此処にも三角地が生じます。不定形の
屋敷の場合も一部では三角地が出来る。でも其処は要注意である。

気の流れが違って来るのか何事をしても旨く行かない例が多いからです。従ってその場にはなるべく人が住まずに緑
地として残す。けれども其処を選ぶように事故や事件となる例があるので、経験則としてなるべく三角地を作らない工
夫が必要ではないか。

三角縁神獣鏡・・・・・古墳から出土する鏡の一種で、周縁部が一段高く作られている特徴を持つ。「鏡」の用途は
別項の「鏡はミラーではなかった」で解説したように、太陽観測、取り分け日影から方位を測るモヒトリ(水準器)でした。
従って鏡の使い方はミラーではなくて凹面の側に水を張って水準器とするものでした。

其の場合、凹面の突端をこの形にして置けば、水を張ってもこぼれ難い利点があった。また鋳造する場合もこの形の
方が都合が良かった。鋳造では鋳型に湯(溶けた金属)を注ぎますが、湯を一瞬で全体に回す必要がある。だが、普
通は途中で冷えるので中々うまく行かない。

其処で周縁部を三角形にしたり大きくして置けば、中心部と周縁部からの両方から湯が回り込むので製作上の失敗品
を少なくする事が出来たのです。ただ此の二点を知らない考古学者や歴史家たちは、「卑弥呼が魏の国から100面の
鏡を貰ったと信じて来た。しかも其れは「この三角縁神獣鏡である」と解釈して来た。

其れが間違いと分かるのは以下の三つの理由からです。先ずシナは太陽よりも寧ろ月神崇拝の地方ですから上記の
ような太陽観測よりも月の観測を重視した。従って鏡を使う場合も凹面ではなくて凸面を使った。凸面はミラー部分で
す。

天を見上げて観測したのではなくて、方位盤の上に置いた鏡(ミラー)に夜空を写して地上で屈んで月の動きを見定め
たのです。ですから態々三角縁の形にするよりも平べったくした方が良かったのです。従って第二点としては日影・水
準観測よりも月影観測の風習を重視した中国では三角縁神獣鏡は無用であり、事実今なお一面も出ていない。

卑弥呼が100面貰ったと言うのに日本では何故か既に500〜700面も見つかっているため、この矛盾で行き詰って
います。こうした事から第三の理由として、中国自身の見解がある。

中国社会科学院の考古学研究所長が「三角縁神獣鏡は中国製ではない」と論説している(メルマガ「科学の目で見え
て来た日本の古代」よりこの部分だけ引用)からです。何れにせよ、もう「鏡=ミラー」と固定観念で見る説と「魏志倭人
伝」信奉から離別すべき時ではないか。

▲山間部・・・・・・・・山間僻地と言う熟語があるように稲作民族に支配された日本は、山間部を無価値と見てしまった。
平野部でしか画一的で平べったい商品作物・稲作経営が出来ないからでした。だが日本の地形の殆どは山間部であ
り、其処には多種多様な産物がバラバラの時期に豊かに稔る。そうした特色があった。

▲さんき
▲さんく
▲さんけ・・・・

散華・・・・・・仏様を供養するため花を撒く作法。花の代りに今は色紙を撒く事が多い。仏教(神道でも)の法要では、
道場を清め、魔を祓ってから仏様をお招きする作法が先ず行われるが、散華は其の一環である。因みにその次は口
上、火入れ、声明などと進む(各項を参照)。

▲さんこ
▲さんさ

三三の理・・・・・・・水は水素と酸素の三つの分子で組成された物質である。よって氷の結晶も三の倍数の六角構
造であり、逆に水に関わる他の多くの植物の成長も三を基本形としている。具体的には根も葉も花も、基本的には三
方に広がる習性を持つ。其処で此れを「三倍の理」、または「三三の理」と言う。

但し、此れは筆者の造語であるが、自然界の万物は凡そこうした三拍子のリズムや三要素と言ったもので生育してい
るのです。嘘だと思ったら、先ず手近な植物から見てもそうした形はすぐ確認出来よう。また、この理を知れば、キノコ
や竹の子を一つ見つけた場合は、あと二つが近くに隠れているのを見つけられるでしょう。

従って古の農法もこの理により、畑を三分割した。正確には三・三=九として、その中心に田の神を祭った。そうした形
でエネルギーの核心部を作って全体の成長を祈った。その方式の場が後の公分田であり、条里制の基本ともなってい
た。また京都市街は今も条里制(口分田)の応用が見られる。例えば左京区が東に位置しています。

此れは今の地図が北天主義だから奇異に感じるのであって、昔は南天主義、つまり北から「天子南面」で南の天を見
たので、東から日が昇って昼に南中し、夕方に日没となる常識から見れば何も奇異ではなかったのです。つまり中座か
ら左が上座であり、日が沈む西側は下座とする見方でした。そして全体が三・三=九になっている。

さんし・・・・・

三種の神器・・・・・・・記紀には鏡と勾玉、及び剣の三種が記されているが、此れは神のシンボルであり、日月星を
観測したヒジリの象徴ともなった。ですから考古学が言うように武器や権威の象徴ではない。また考古学の言う装身具
でも宝飾品でもなくて古代天文と測量の機器だった。

其の一つ一つが地域差による観測方式の特長を意味したので、各地に以下の三族(日月星)を発生させたが、何れも
今の物質科学より優れた一点多機能の道具だった。今の科学技術は洗濯機なら選択にしか使えず、コンデンサー一
つ故障すれば全く使えなくなる。其れに対して神器は多用途に使える物でした。

次の特徴は観測・暦法・度量衡など物事の基本、基準器であった事です。従って此の三種の神器をワンセットで持つ者
が世界の天文の宗家・統治者を意味した。其の個別の意味については鏡、勾玉、剣・「か」「鉾」の各項を参照。さて三
種の神器は各世代の首長の死去と共に墳墓に副葬された。

天皇家でも神代の神器を其のまま全て伝世している訳ではなくて各世代に新調された。例えば壇ノ浦では安徳天皇と
共に神器も海中に没したが一部は引き上げられた。また鏡が地元で発見されて赤間神宮に奉納されたとの話もある。

何れにせよ、今では其の使い方を誰も知らず、考古学でも謎としているので譬え全て揃えたとしても「猫に小判」であ
る。ただ神器が単なる「お飾り」となっても、「権威の御印」と言う誤解があれば、第三者に渡った場合に面倒である。無
意味・無用な権力闘争に悪用されるからです。



三辰の特質・・・・・・・三辰とは日月星の三星の事であり、この三つの光を三光と言った。だが三つが平等ではなく、
また三つが一度に出る事もなく、昼夜で分かたれる。先ず日が主体であり、月星は日と日との間を繋ぐだけの夜見の
世界の客体もしくは媒体としての仲間に過ぎない。そして三辰は各々別個の暦法を生む。

日は南天を照らす東西軸であるのに対して、星の基点は北天だから、日の下と星の下の民族では自ずと行動基準が
異なって来る。其処から日暦月読み(陰陽暦)と太陰暦との三暦となり、下記の三族の発生となった。よって同じ天を
戴かない間柄を「不倶戴天の敵」と言って敵対する事となった。

本来、太陽は四季を決し、昼夜を分かち、方位を定める指針であり、凡そこの世の全てを決する主でした。だから日道
が道理を整えるので人の作法は無用である。其の点、月は日月の間に立つ媒体として、光を反射する役柄だけで主体
とは成りえない存在であり、星は更に其の外環に散らばる。

星は闇夜の外からスクランブル体制で昼間に対峙する存在です。また星は、物質世界のシンボルであるため、知恵の
無い力と力の激突や競争と戦争によるスクラップ・アンド・ビルドの世界を作る。所が今、この世を支配しているのは月
と星との黄泉(夜見)の文明であり、従って薄明かりか無明・薄明の世界とするので道理が見え難くなる。

法は山ほどあっても全て満足に機能せず、また星は数と数との唯物史観の世界であるため、知恵の無い力と力の激
突や競争と戦争によるスクラップ・アンド・ビルドの世界を呈し、武力とかゼニカネとか点数主義で物事を決する。何れ
にせよ裏・闇の世を支配し、もしくは支配される宿命である(下記の「三族の三教」を参照)。

三十三回忌・・・・・・「年忌」を参照。世間にも例が少なく他書でも検索でも余り詳しく出てこないので述べて置く。1
世代凡そ25年とすれば、親の死後30年以上も法事を重ねる例が少ないのは年齢的にも止むを得ないが、昔は「弔い
上げ」として、此れを欠かさず行った。

死後32年目の命日には本家の仏壇と墓地、そして寺へと法事を進める行事である。事前に寺に卒塔婆を持参して置
いて、当日僧侶が仏壇から墓前に立てます。では先ず、当日の自宅から順を追って考えよう。

行事式次第は、場所と予定時間を計画し、予め寺と親族に知らせる必要がある。例えば1.当家にて〇時から×時。
供花・二御膳。系図お供え。僧侶による読経・焼香。2.墓地にて〇時から×時。墓地または寺(電話番号)、またはA
霊園のB区01号。墓前で僧侶による読経・焼香。何れもトイレや駐車可能台数を明記して置くのが望ましい。

3・お斎(とき)、つまり会食は〇時から×時。場所はCD亭(電話番号)で案内図を付ける。交通アクセスとか駐車スペ
ースも付記。記念撮影と会席。解散時刻。当日の親族の分乗その他の役割分担の依頼。例えば高齢者についての介
護者。座イスの準備。墓地での雨天の場合の僧侶への翳し(傘)の手配なども必要(此れは墓石店から借りる)。

更に飲酒運転防止のために運転者の特定と駐車場係、カメラ係などを決めておくべきでしょう。其れまで親孝行らしい
事が出来なかった方は、こうした法事を催し、或いは参列する事で改めて故人の冥福を祈り、親孝行出来る事になりま
す。親族の方々に対して斎主は特に会席の場で挨拶する為、感謝の言葉を用意して置く必要も有ります。

同時に此れは今を生きる子孫を取り巻く先祖への感謝・報告でも有ります。寺には蓮池があったり、仏像には蓮華座
があり、また寺の軒丸瓦にも八弁の蓮を刻んでいる。また天皇家や神社では十六弁・三十二弁の菊花紋を使っていま
すが、其の意味は単なるシンボルやイデオロギーではなくて八方の先祖を表している。

また各地には三十三観音霊場がありますが、其れだって同じ意味からの霊場です。此の為、斎主の家では床の間に
三十三ヶ所観音霊場札所巡りの掛け軸を掛ける。だが其れは天皇家の霊場であって庶民の霊場とは言えません。此
の三十三回忌は、子孫たちが四方八方の三十二祖の存在を知る事で感謝の気持をあの世へ送る事になる。

其れによって其の中心に位置した親や故人の菩提(道・知・覚)を関係者で弔う追善供養になる訳です。よって同時に
子孫の系図も霊前にお供えする事により、此処まで子孫が繁栄した事を先祖と親や故人に報告し、安心して戴く事で
ある。

此れが一族の更なる発展に結び付くものなので、八祖出自(八祖略記)や別紙の「円系図」と共に、出来れば横(親族
三代程度の)系図とを記して仏前に奉げます。さて世間では三十三回忌が一応「弔い上げ」となります。故人の霊から
先祖の列に入る訳ですが、其れで終わるのではなく、後十六年で四十九回忌に繋げるのが良い。

この間、八方を各二年づつ廻れば十六年になり、此処から故人(親)も親から先祖となって五輪塔に遷座となります。
33回忌が終わると、山岳霊場や善光寺に其の板塔婆を持参する風習もあった。其れで先祖や仏になるとしました。

何れにせよ今後、更に其の先祖や父たち、及び、子孫にも恥じる事のないようにお互いが努めて、できれば次の50年
祭に繋げて行くのが親や先祖の苦労に報いる事であり、そうして「神上がり」を祈ったのが名家でした。33回忌と言う法
事によって、先祖と親族縁者に感謝する行為は、故人の追善供養である。

同時に、子孫の弥栄を祈念して六代供養とするとか、また後々の為にも無論お叱りも覚悟の上で、系図を図示するとし
ても、問題は親族系図です。俄か作りであれば、横線一本違っても大変ご無礼であり、もし間違いが有れば申し訳ない
ので其の旨加筆し、同時にご存知の事が有れば教えて貰うようにするのが良い。

其れから故人の略歴も作成して、仏壇に捧げ、会席で改めて読み上げて顕彰したいものです。また其れには命日と戒
名や墓地の場所、寺院の場所と宗派なども記載したい。系図を書くのは苦労するが、親族にとって意外と重宝されて以
後100年も残る可能性があるので、奥書として文責人の署名も付けて置きたい。

繰り返せば、「此の法事だけすれば責任を果たした」と思わずに、同時に八祖の墓参をする事です。米寿の場合も同
様です。其れを明らかに出来ず、墓参もせず、命日とは違う土日を選んで祝事や法事だけするとすれば単なる儀礼か
形式主義になります。

所で、親族からお布施などを戴くかどうかは其の家の都合によるでしょうが、葬式以来、何度も頂いたり負担を掛けて
来た筈ですから、33回忌は頂かないほうが良いかと思います。特に参列者の大半が高齢者となり、年金暮らしの状態
でしょうから、更に負担になります。

其れよりも、古いアルバムとか写真があったら持参して頂き、思い出話をして頂くほうが供養になるでしょう。また此の
日を機会に旧家では町会への寄付をしたり、墓地にバケツを寄付すると言うケースが見られる。情けは人のためなら
ず(己の善因善果となる)。

三十三観音霊場・・・・・・此れは前記の「西国」の例の様に各地に有るが、本来は別紙の円系図の通り、先祖が父
母の上に四方、八方、十六、三十二、と方位に従い、先祖を遡るにつれて誰でもその数が二倍で増えて行くので、その
方位を一巡する先祖供養法であり、最後の一つが基点、即ち自分の位置になり、全部で三十三になる。

中でも最も有名な西国三十三観音霊場は奈良・長谷寺を開基した徳道上人が始めたものを、橘氏出身の性空が法華
行者として書写山円教寺を開いた頃に失意の花山天皇に巡拝を勧めた。其れが定式化したものと言われる。其処か
ら近畿各地の民間では三十三度講と言う行者講が活発に活動した(下記を参照)。

何れにせよ、在来の霊場には其の当時、一律の観音様とは別の、天皇に所縁の個別の先祖祭祀があった筈であり、
従って第三者である庶民には無縁の場と言える。従って各人は各様の八方、十六方の霊場を設定して参拝した方が
良いとも言えるが、今は本質が誤解されたままである。

三十三度講・・・・・・上記の由緒の原点にあるものである。各地に33観音が出来ると同時にまた各地にも有名社寺
を廻る行者の組織が出来た。花山院は鎌倉時代に16弁菊のご紋章を南河内や紀州の人たちに下賜した。よって其の
地域では行者の笈(おい)に此れを付けて各地を巡行させた。

観音像と観音経を納めた厨子を背負って各地で御開帳し宿泊して回る。病気快癒なども祈る。其れは地元の病人から
頼まれて社寺に代参、もしくは笈の観音様を個別の家に持参してご開帳するものでした。

さて、江戸時代になると、大名行列と遭遇した庶民は土下座したものですが、この笈を付けた行者に対して紀州侯は逆
に自らの籠を止めさせて行者を見送った、と言う逸話が今尚伝えられている。其れ程、当時、この行者には庶民は勿
論、紀州の殿様にまでその権威が認識されていた。

其の為か、今も近畿各地には石灯籠より大きなこの種の宝篋印塔が多数残っている。此れは言わば観音様への感謝
の記念碑でした。所がその後は零落の一途となり、三度行者たちがやがて乞食と同類にまで落ちぶれて今は絶えた。

さんす
▲さんせ

酸性雨・・・・・・・酸性・中性・アルカリ性をph(ペーハー)値によって分ける。蒸留水はph7であり、中性です。中性
では電気を通さない。だが此れに石鹸やカルキが入ればアルカリ性や酸性になり、電気伝導度が大きくなるので電流
が流れる。

また雨水は蒸留水に近いが、空中には0.04%のCO2があるので、其れを溶かしていれば導電率が高くなる。ph5.
6以下の値の低い水を酸性雨と言う。大気中には煙もあるが、煙はCO2(二酸化炭素)とNOX(窒素酸化物)などを含
むので、此れも酸性雨となります。

特に降り始めの雨はph5.1と低く酸性雨となり、数時間降り続いた場合の雨はph6と高くなるが、雨水の平均値とし
てはph4.77(弱い酸性雨)である(以上は05/7/4のNHK教育TVより引用)。

酸性雨の検査は少し面倒なのでテスターでも確認出来る。電気伝導度が大きい事はテスターで誰でも確認できます。
この場合、現在の雨水は平均300Ωくらいなので蒸留水・中性に近いのですが、其れに比べて水道水は約100Ωで
ある。

此れはカルキによって弱アルカリ(水酸基)水にされていて、pH値7〜7.5の水準(または5.8〜8.6)の弱アルカリ
設定されている事になる。だが水道水は下水ブレンドの不衛生の水であり、其れに比べると雨水が一番フレッシュな水
である(別紙の「V屋根」を参照)。

★また赤城で此の調査を続けている宮下正治氏は、「コップに雨水を入れて飲んで見れば分かる」として、「殆どが苦
いのでph4である」と言う。そしてこうした酸性雨が一度や二度降った所で心配ないが、何十年も降っているため山が
枯れると言う。この20年間、酸性雨は減っていない。問題は日本の努力だけでは済まない。

大陸からやって来るので森の立ち枯れが増える。其処で炭焼きを始めた。炭を細かく砕いて森に与えるためだ。年一
回、一本の木に10kgを入れると、炭は多孔質なので、其処に微生物が棲み込んで活動する。こうして枯れた松が蘇
生した(★以下は06/1/16のNHK教育TVより引用)。

三族・・・・・・シナで「三族」とは父と子と孫とを言うが、本書ではは父性・老成、は母性、は子供の国と見る。
三族は各々別の地域で日、月、星の何れかを祭り、個別の暦法と風俗をもって暮らす三種類の人種である。

従って三族の宗教は神道、佛教、キリスト教の三教であり、各々の年始は太陽が冬至(元旦)、月が正月元日または立
、そして星の世界では春分後の復活祭、または、4/1を年度始めとする。つまり世界のお正月は三度ある事になり
ます。日を祭る日本が古来、精神面から世界を方向付けて来た。

其の点、月を祭るシナが覇権を広げて一時の大国となり、中華思想を掲げても世界を統一する力とはならない。月の
精である水や女性も、万物の主成分であっても主体と成る事が出来ず、容器や温度に従って姿形を対応させる媒体と
しての力しかない。

また星の世界は黄泉の光であり、従って子供が不完全と思って明るさや高さ、或いは知識を求め、更に食物や成長を
求めるように、常に不足感から不満を持ち、其れだけ他民族より欲求が強い。此処は即ち物質世界であり、激しく破壊
と創造をするが精神性の主体とはなれない。

かつてハンチントンが「文明の衝突」を書いた。そして今キリスト教とイスラム教とが対立している。其処から「戦争より
対話」が叫ばれる。だが対話は無理なのだ。利害の対立は対話で其の都度解決出来たとしても、お互いが相手の立
場に立つ事、つまり現地に行くべきである。

そして相手と同じ位置から天空を見て、同時に其の地の風土に有った食べものを食べてみなければ「机上の論理」で
は通用しないのである。

三族の操り方・・・・・・現代世界はグローバル化の波でアメリカンスタンダード一色に染められつつあります。だがお
国柄はまだ生きている。中央公論新社の「世界の日本人ジョーク集」早坂隆著には例え話でジョークの見本が書いてあ
る。此のジョークが通じるとすれば、米英独伊は星の国、仏は太陽、日本は今は月の国である。

ある豪華客船が航海の最中に沈みだした時の船長が乗客たちに船から海に飛び込むように、指示しなければならな
かった。船長は、それぞれの外国人たちにこう言った。
アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄ですよ」。

イギリス人には「飛び込めばあなたは紳士です」。ドイツ人には「飛び込むのが此の船の規則となっています」。
イタリア人には「飛び込むと女性にもてますよ」。フランス人には「飛び込まないで下さい」。
そして日本人には「みんな飛び込んでますよ」。

三族衣装・・・・・・日族は出雲の神の恵比寿・大黒様とか、埴輪に象られた衣装であり、神職・武士・貴族の着た
ひた垂とか、羽織袴、それに山人は山伏・修験者のようなスズカケ(篠懸)を着用し、漁師はフンドシでした。其れに対し
て月族はシナ服か呉服であり、朝鮮の民俗衣装はあのチュマチョゴリである。

そして星族は乗馬の必要からズボン、スカート、ジーンズである。さて、このほど2004/1/28、フランス政府はスカーフ禁
止法案を閣議で承認した。ターバンやスカーフ(及びヴェール)はイスラム教徒のシンボルであり、ユダヤ教徒は丸い帽
子「キッパ」であり、キリスト教徒が胸にかける大きなロザリオ(十字架)も各々宗教色が強いので禁止される。

フランスは伝統的に多様化を許容する自由な国の筈であるが、此れは何とも狭量な、グローバリズムではないか、と思
うが、ドイツでも同じ動きがある。

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▲三族・三教の祈り方・・・・・・●神道は先祖を弔い、そして神として神霊を迎えるために青天白日の下で光と影を追
い求める様式でした。今も禰宜様バッタのように礼をするが祝詞は短い。仏教渡来以前は社殿や神像もなかった。

それに対して▼仏教は壮大な伽藍や仏像と言う具体的な装置や形がなければ衆に信じられず、祈りも届かないと見て
何処の仏堂でも盛んに仏像を並べて長々とお経を唱えて祈って来た。月族は観念よりも実像や実体を求めるのです。
或いはお経や賛美歌のように声によって交信する。此れは薄明かりの世界の宗教を意味する。

其の点で★ユダヤ教やキリスト教(カトリックはマリア像がある)とイスラム教は違っている。先ず偶像を禁止して来た。
此処になると星空の下ですから実像はどうでも良い(暗闇では見えないから)。従って観念的な講釈が多く、教条的な信
仰となる。一神教は観念的かつ理論的である。或いはコーランのように神の言葉を聞くモノでした。

或いは音を出して音楽として捧げた。或いは聖歌(賛美歌)を歌う事で神との交信(祈り)を捧げたのです。例えば隠れ
キリシタンは唐歌と称して意味不明のラテン語のグレゴリア聖歌をポルトガル語で忠実に伝えていた。

役人から咎められたら「唐歌だ」と言って御詠歌風に書き換えて隠して伝えた(★以下は05/5/1NHK教育TVで皆
川澄夫氏の談話から引用)。

仏教徒でも叡山などは信長の焼き討ちに遭ったが、彼らキリシタンの信仰心は其れ以上に命を懸けたものだった。た
だコーランも賛美歌も星の一神教と言うよりは寧ろ元々は月世界の祈りであり、特に月と星との中間地帯では遊牧の
暮らしであり、つまり動物との交信ですから妙な声や大声を出すのは生活の一部であった。

▲三族の生き方・・・・・・「面白き事もなき此の浮世」で暮らす上で、人は各々人生をより面白く暮らす方法を選んだ。
古の日本人は多くが神と共に生きようとした。先祖を神として祭り上げて、その神の子として生きて、祭りを楽しみとし
て、毎日何所かで祭りを繰り広げていました。

其れに対して大陸のシナでは月を祭り、豊作を祝った。そして天子は仁政を敷いて人を大切にして国を統治した。或い
は儒教や仏教などによって戒律とか人生儀礼を作り、人間教育をしました。義理や人情が、此の世の暮らしをより良く
します。また西アジアから西欧ではより戒律を厳しくして厳罰主義を採った。

其れでも従わない者が多いので弾圧したり武力行使となった。朝日の出る日本から、夕月のシナ、そして夜見の大陸と
なると此処まで変化します。なので黄泉の人々は常に儚い自由を希望として来ました。其れさえ叶えられないのでケモ
ノや家畜と共に遊牧や放牧で暮らした。

日本では因果律を学び、神を歓迎して喜ばすために神楽や舞楽を習ったが、ヨーロッパでは普遍の法則である因果律
を否定し、自分が楽しむ為に他人や他国を犠牲にするのを楽しみとしました。ゲームやスポーツで享楽的な人生を送る
ようになった。此れが適者生存と競争原理と突然変異を基盤としたインチキ理屈の進化論に発展する。

元の論理に錯誤があれば、自由を求めても自由はなく、またどのような人生も他人に迷惑を及ぼす。

▲三族の因縁・・・・・・イザなぎの尊とイザナミのミコトを父母として三貴神が生まれた。天照大神と月読み(黄泉)の
尊、其れにスサノヲの尊である。天照大神は「中つ国を知らせ」と命じられ、月読み(黄泉)の尊は「夜の食す国を知ら
せ」と命じられたが、スサノヲの尊だけは泣き喚いて乱暴狼藉を犯した。

其の為に「千倉の置座」(別項参照)と言う死刑以上の罪を背負い、神やらい(中つ国を追放)された。よって彼の子孫は
朝鮮半島からユーラシア、エジプト、そして米大陸にわたった。此処で日神信仰を続けるには無理があったので星を方
位の神として祭った。よって其の子孫は星族となり、世界の僻地をサスライ、さ迷う漂泊の宿命を負った。

そして先の月読みの尊の子孫はインドやシナ大陸に居住して、月族となり、月の暦で稲作で苦楽を味わう宿命となっ
た。そして初めの中つ国・日本は太陽によって先祖祭りを世界一古くから続けて栄えて来た。和国、其れが世界の宗主
国、日本である。

▲三族の価値観・・・・・・古の日本では神が善であり、其の元に大儀があった。だが現代日本では月世界のような、
穏やかな平和が善とされ、よって「平和」を唱えれば全て誰も反対出来ない社会になった。それに対して中東から西側
諸国に行けば、「豚のように暮らす平和」よりも「正義の死」に価値観が与えられる。

また、男女の価値観について日本では、「男は度胸、女は愛嬌」と言う。或いは男は「潔さ」、女は「美人」が評価され
る。従って女性は、「若さと長寿」と言う二律背反の願望を持つ事になるが、其れを決して矛盾とは思わない怪しさが女
性性である。其れとは別に、子供の価値観は常に「大きく成長する」事です。

この三者の図式がそのまま三族の日、月、星の価値観に通じる。サルは山に住み、蛇は湿地帯を好み、羊たちは草
原を好むように、価値観は決して一律グローバルには行かない。

また例えば創価学会は「真善美」に価値を置いて来たが、其れより昔から関西には、「京は着て果て、大坂は喰くろうて
果て、堺は家で果て」(正徳3「商人職人懐日記」)とも云っていた。此の気風は現代にも受け継がれている。

▲三族の環境性・・・・・・日本のように森との共生文化ならば自然を破壊しない。稲作や漁労ならばどうか。矢張り共
生であるから問題はない。其の点、ユーラシアの乾燥地帯では牧畜か畑作しか出来ない。中東以西の年間降雨量は
凡そ1000mmだが、多くが冬季に降るだけである。

従って麦を作りパンを焼き、肉食とバターやチーズの食文化となる。そのため紀元前3000年の中東以西のギリシャ
やエジプトにも森がなくなっていた。森林破壊は西欧に進み、12cの時点で70〜80%の森が破壊された。此れは肉・
パン食もさる事ながら、キリスト教が自然との共生を否定したからでもある。

また麦作が「種を蒔くだけ」で後は手間要らずの農法であるため、耕地の拡大が即ち生産性の拡大であった事から、
森林を破壊して農地にする行為を「開発と誤解」した事による。同じ事は牧畜にも言える。

東南アジアのような稲作は水の保水と利水と言う循環システムがあるが、ユーラシア・中東・欧米型のように、水のリサ
イクルの必要のない、肉・パン食による食性が広まれば、21世紀を「水戦争」の時代とするものと懸念されている。

三族の企業の特質・・・・・・日族は、現場の摺りあわせでモノづくりを進める統合調和型。月族は、労働集約による
大量生産型。星族は、基準算出、即ちモジュラーによる機械的方式である。そして日本の企業の99%は中小企業で
あり、労働者の七割が其処で働いている。

ですから日本は今でも多様化社会であるため、其れとは異質なグローバル化や一律の官制基準で支配しようとすれば
有害無益となって必ず失敗する事となる。

▲三族の系図・・・・・・系図は冠婚葬祭、祭り、政治、相続などに関わる。その形態が三族によって特質がある。日族
は神に対して人が氏子や宮座を組む円陣社会であり、従って系図も円系図(図説を参照)でした。其れに対して月族は
男女横並びの親族系図が多用される横社会ですから横系図になる。

だが星族は男尊女卑の世界であり、よって古来、男子が縦に繋がる縦系図が封建社会一般で伝えられ、武家の長子
相続にとって大変重要な血統書となった。また大陸渡来の各宗派寺院の僧籍もこの縦系図でした。

従って従来から儒教圏やキリスト教圏は縦社会となり、縦割り社会とも言われて来たし、其の流れに沿って官僚組織も
縦割り社会を現出させている。

三族の国旗・・・・・・世界の民族が各地で活動するためには一定の合意が必要であり、その合意形成の基準を日
月星の何れとするかで結び付いたのが同じ民族である。其れは誰をも超越する天上の存在であり、此れには誰もが文
句なしに従うべき存在、つまり神とした。

日本は太陽、そして大陸は月であり、その他の諸民族は星を神とした。神とは即ち其の地の暦法と其れに伴う風俗習
慣である。よって今でも各国は其のシンボルを国旗として掲げて明示する。従って其の国では同じ旗の下に集結した
し、また其の旗の見える国境または領海に入った場合の外国人も、文句なしに其の旗に敬意を表、暦法に従った。

此れが暗黙の了解、つまり「郷に入っては郷に従え」の意味である。本書で特に「三族」の造語をもって論じるのは、特
に日本人が此の観点から諸外国を見なければ他民族の根本習性を読み違えるからである。

三族の国境・・・・・・日は方位、月は作物、星は武力である。太陽を祭る地域は日本や極東、月はアジア大陸、星
は中東からヨーロッパで祭られる。こうして地域的にそれぞれの地域性の暦法が使われた。日本は島国だったので境
界も無用だったが、月の境目は大陸の場合は山脈や大河でした。

其の中で方形に仕切った領地や田畑に、同種の作物が広がる区域でした。稲作面と畑作面とでは作り手が違ってい
た。そのため延々と境界線を他国にまで伸ばして構築する。其のため月は星との接点で争いとなった。また星と星との
境界線は武力と武力の接点であり、月世界(万里の長城)のような目に見える境界線は無用でした。

特に遊牧民や海賊にとって境界は邪魔なので何処でも「自由」を求めて来た。今でも米国が「自由化と民主化」とを看
板にして他国にまで押し付け、やがて植民地化する。そうなると国境線があってもなくても強い者勝ちである。

三族の暦・・・・・・日族は太陽、つまり方位式の暦を使い、月族は月の形を追う陰陽暦を使う。其れに対して、星族
は数式カレンダー、つまり太陰暦でした。この星の世界では「一か八かの数の論理」が支配する。日族は日の出入角
度、即ち方位主義だった。其れに対して月族は朔望の月読み、即ち形式主義と手続き主義。

其れに対して星族は各個に個別の星を選んで唯一絶対の神(指針)とし、それ以外の星々を悪魔として排除する無数の
一神対多数の多神教的カレンダーとしたのです。

三族の暦と宗教・・・・・・三族は日月星、それぞれ個別の暦によって暮らして来た。暦法は同時に個別の風俗習俗
を作る。よって三族が各々固有の宗教を持つ事となった。宗教についてはこの先でも述べるが、固有の風土に固有の
暦法が定着した場合に天地の道理が通って秩序が出来た時に其処に平和が成立する。

所が、お互いの生活習慣や民俗性、及びそうした順序についてお互いが無知と無自覚となれば、各地で差別と混乱を
生み、其処から紛争が絶えない事とした。要するに争いの原因は宗教ではなくてそれ以前の暦法である。特に一神教
や新興宗教は星を神とするので教条主義的に唯一絶対の万能の神とか、わが教祖を信奉させようとする。

だが、この世には一神教的な宗教や団体が無数にあるから矛盾であり、そうした誤解を広げる事が他に迷惑を及ぼす
事となった。日本も今のカレンダーを太陽暦としているが、中身は太陽無視の星のカレンダー(カトリック暦)であり、従
って政府がする事には一々道理が無い。それに対して中国人民は古来、月を神として来た。其れが仏教である。

だが今は人民の上には星を正義とする共産党独裁政権が星のカレンダーで支配しています。またイスラム教の風土も
アラーの神も、本質は月の風土の神でした。けれども今は月を無視して想像上の唯一万能の星の神に仕立て上げて
いるから自ら争いを続ける宿命にしている(下記の「宗教」も参照)。


▲三族の言辞・・・・・・日族は50音をハッキリ話すのに対して月族は滑らかにお経を唱えるように長々と、歌うように話
すけれども言辞も内容も不明瞭で有る。そして星族の場合は更に動物の鳴き声のような発音になり、言辞も限定的で
あり、文字数もアルファベットのようにたった26文字で足りる。

漢和辞典でも7300字もあるのに比べればアルファベットが極めて貧しい言辞と分かろう(「三族の文字」を参照)。

三族の色別・・・・・・凡そ集団は、他の集団と区別するため固有の色を持つ。其の1つは国旗であり、日本は紅白
である。或いはユニホームなども学生は学生服、警官は警官のユニホームを着ける。

竹之内文書に拠れば人の肌の場合も人種により本来、金人、黄人、茶赤人、白色、紫・黒色の五色だったが、今は黄
色人、黒人、白人に三分類される。太陽は金色であり温帯に暮らす人達の肌は金色か黄色になるし、夕方の月も黄色
い。従ってその下で働く人達の肌も黄色になる。

中には茶褐色の肌や黒い瞳もあるが、其れは酷暑地帯に住むためです。其れに対して、星月は空にあり、空は青く、
真夜中に輝く月や星はひと際白く青く輝く。また魚類のすむ海も青く、其処で暮らす人達は青い目の白人となる。或い
は彼らは氷河時代、氷の中で暮らしている中で保護色として脱色した人種である

三族の支配方式・・・・・・陸続きの大陸では国境を自由に行き来出来る反面、他国からの侵略が絶えなかった。こ
のため人々はより強い部族を作り、より強大な国家を目差した。よって星の国では武力が支配の原理となった。其れに
対してアジアは人口増と食糧難が繰り返した。

其処でシナでは雨乞いが天子の主務となり、従として治山治水を行った。月世界では武力支配よりも経済支配が第一
だった。其れに対して日本のような島国は戦乱があっても直ぐに治まった。日本は太陽が人々の暦時を直接支配する
国でした。つまり神や先祖に支配される国であるから平和でした。

各時代に、他国や他人に経済で支配される事を避けて来たし、また戦乱を繰り返す蛮族に武力で支配される事もなか
った。何故なら、神や先祖を祭る事で他国の雑事に振り回される愚を避けて来たのです。

三族の宗教・・・・・・日族は古い文化に拘って保守的に伝統を踏襲し、宮廷やお役所も前例に従って新規を敬遠
しました。日本では記紀を、儒教は論語を残し、ユダヤ・キリスト教でも聖書と言う古典に忠実に生きようとします。イス
ラムでもコーランを固守して来ました。其れに対して月族は時代の流れに応じて変化します。

其の都度、お経が変化して万巻の諸経として残ったが、其のうち、釈迦の言葉も不明にしました。キリストの言葉も其
れほど残ってはいない。時代に合わなくなったものは切り捨てられて、流行のものが流行って行く。其れに、もっと激し
いのが星族の宗教です。

此処は例えば一頃の創価学会のように、先祖の位牌や仏壇も神棚も破却する。前文化を否定し覆した上に新興宗教
を絶対のものとして植え付けます。西欧のキリスト教も例えば、メキシコを攻め滅ぼしてメキシコ寺院を潰し、其の跡地
にキリスト教会を新築した。異論があればイデオロギーで封殺し、戒律を厳しく守らせる一神教としたのです。

さて日族は日祭りの祭典(暦法と葬送儀礼)、及び太陽の道(方位で敷かれた道)を前後する迎えの儀礼を続ける民族
でした。所が月族は水田に定着して水神を祭り、もしくは侘び寂びを言い、仏教的な西方浄土信仰や弔いを主として来
た。つまり生きた神道に対して月は死人のための宗教でした。

それに対して星族は遊牧ですから夜の星明りによって機動的な行動に走る伝道宗教となった。其れに対して太陽は四
季を決し、昼夜を分かち、方位を定める指針であり、凡そこの世の全てを決する主でした。そのため古代世界は何処
でも方位による太陽暦に基いて祭り事をして来た。

特に日族はお天道様を主たる基準に先祖祭りを継続して来た。このため生きた祭り事として年中何処かで賑やかに祭
りを続ける国となり、其処には天の日道が道理を整えるので自然に調和が図られたので人の作法(宗教的な教理)や
戒律は無用でした。

「三辰」で述べた通り、人類は日本から世界の各地域に分布して暮らしの指針として日月星の何れかの下で日暦
月読み(陰陽暦)か太陰暦かを選択して社会的合意形成を作った。従って各暦法から三種の人種に分化して「三族」の
発生となった。

ただ其の後の日本は仏教の渡来により長い間、神仏習合の時代を経て、特にキリシタンを恐れた江戸期から日本人
全てが制度的に仏教徒にされた。だが明治以後は西洋近代化の波によって全ての暮らしがキリスト教化した。従って
規範が歪み多様化した事になります。

但し現実の数字として見れば、全人口に占める日本のキリスト教徒は1%に過ぎない。つまり星の教えは定着しなかっ
た。このためか今も屡、「日本人は無信仰」と批判されている。けれども、寧ろ日本は、日祭りの古風文化を美風として
暮らしている事が分かります。

其れは仏教に固執しているからではない。古仏教は元々、先祖祭りを否定した新興宗教でした。とすれば、それ以前
からの「先祖祭り」を日本人は今も遵守し踏襲している事が分かります。つまり日本では昔からの先祖祭りが宗教で
す。こうして日族が先祖祭りだけの宗教であるのに対して、月族は月神(水神や女神)崇拝である。

従ってシャーマンの活躍する仏教やキリスト教など実に多彩な多神教となる。つまり、月は日月の間、もしくは闇の星と
の間に立つ媒体であり、光を反射するか闇に溶けこむ役柄でした。よって何れの主体とも成りえない存在である。星も
また星の数ほど「最高の神」があっても夜空の中の多数の一部に過ぎない。

其れに対して月の神は生命と成長を重視し、其の上、実益を求めた。そのため清め払いと占いの役割の龍神信仰とシ
ャーマンとして占い師が活躍し、アニミズム的な無数の宗教を生んだ。日本の在来宗教も大小を問わず、殆どがこの
月神の部類の流行宗教である。ただ其の祓いについては、其の能力が各宗派に有るかどうかは別問題である。

例えば今の神道の場合も「お祓い」を主務として行うものの、厄払いの効果を確認する事も不能であり、また祓った後
の後始末を見た事も立証したケースも見られないからです(天河の橘香道氏)。

所で、月世界である古代インドで、月の教えを仏教として説いた釈迦が「女性は霊性が低い」と言う意味の事を言い残
した。以来、仏教は男子だけの徒弟制度で続けられて来た。ただ日本と朝鮮だけは仏教世界では例外的に尼僧を認
めたものの、僧籍は原則として世襲せず、独身の男性が弟子に後を継がせて来たのです。

しかも各地に女人禁制の場を作った。何故なら女性がその場に現われれば修行僧を惑わすと懸念した事と、また女性
側も、自由奔放のままでは魔物となり易いと分かっていたのだろう。よって女性も宗教的な修養が必要であるとして、別
に尼寺を設けて戒律を授けた。

此れを女性蔑視と批判する人もいるが、蔑視ではなくて異性を尊び、区別・敬遠する時代であったとも言える。こうして
戒律宗教の教条主義で身を修めた女性は、マリアとかマザーテレサなど、或いは敬虔なクリスチャンが慈善事業家や
教育家として名を残し、或いは全女性の憬れの的となり、男性からも尊敬・信頼される人格者となる訳です。

この様に月世界では宗教的に洗練された女性たちが活躍する場合が多い。そうした月世界の信仰は慈愛や寛容性に
特性がある。更に仏教は、こけおどしの様な荘厳な大伽藍を設える点(巨艦巨物崇拝)が特徴的です。
それに対して星の世界はシンプルな一神教である。

その代わりに唯一絶対の神を、偶像を使わず祭らず信仰するために観念的な理論武装をする。この点で日本人が具
体的な先祖を神々として祭って来た事とは異質である。つまり今の日本が譬え星の世界となったとしても、こうした抽象
な神は日本には生まれない。

とすれば外国の神はそうした言わば嘘(人為的)神を誰かが作り上げて他の人々を騙す方便で問題を作ってしまった。
其のような実在しない観念的な偽神を深く信奉するのも自由であり勝手だが、一神教は他の宗教を「サタン」「悪魔」
と見なして排斥する事となるので必ず異教徒と争いとなったし、事実「聖戦」の名の下で十字軍を送り出して来た。

従って他者と妥協したり、他を受容する事もなく、排他的です。中でも狂信的な一神教徒は暴徒と化すために各地でト
ラブルを起こして来た。世界の四大文明の地を廃墟としたのもこうした彼らの激しい気性の仕業であり災いでした。

こうしたスクラップ・アンド・ビルドの星の世界の中で、数少ない例外的な所がスペインの首都、マドリード近くのトレドで
ある。此処はユダヤ、イスラム、キリスト教の三つの文化が其れまでの弊害を避け、多重に重なって住み分けに成功し
た結果、例外的に栄えた。

だがキリスト教支配が強くなると共に衰亡したのである。この様に、同じ天を戴かない間柄を「不倶戴天の敵」と見て対
立し敵対しあって争いを続けて何時までも光が少ない地域を夜見の国と言う。こうした日月星の葛藤が三族の宗教の
因縁である。

三族の習性・・・・・・民俗学や人類学では、大陸は動物性の文明であるのに対して、日本は植物性の文化である
と言う。大陸では動物と共存して動物を支配し、広大な自然も自由に行き来して支配して来た。他人に対しても攻撃的
であり支配しようとするが、日本の歴史では大型動物と共存しなかった。

少なくとも遊牧や牧畜はなかったし、島国に閉じこもってコツコツと暮したので言わば植物性の文化であると言う。
大陸性の特に中東以西を星族とし、日本人を日族とし、シナ大陸を月族と分類するのが本書の体系である。中でも日
本の風土では太陽の光は軟らかくて暖かく、其処に暮す人々も和やかで賑わった。争いや駆け引きは好まなかった。

日本はまた山人の国なので古来、「仙人が住む国」として大陸からも尊崇されて来た。この日族は長寿国であり、考え
る人が多い、老成の高い精神成熟の文化圏でした。また日と星との違いは、老人と子供である。高い見識と知性、そし
て深い経験のある老人の指示で若党が行動し、走る、と言うのが、何時の世でも普通です。

ただ日族は争いを避ける知恵があるが、其の反面では自然とうまく折り合いをつけて暮らす日和見主義ともなり易い。
また、聖徳太子の「和をもって貴しとなす」とした良い意味での国民性も、戦後は刺々しい競争社会と化した中で、事な
かれ主義の「安全第一」で冒険しない「腰抜け」になったとも言われる。

人権思想や民主主義、即ちデモクラシーと言う仕組みも小田原評定と寸分違わない。此れは太陽ではなくて月の原理
に染まったからである。月は口数が多く人情味が有るが蛇のように臆病なので実益に関わる事以外は無力になる。其
の点で星は冷たく、冷血であり、法律主義を採るが用心深く淋しがり屋で犬のように先走りする事が多い。

星族たちは常に「大変だ」と「狼少年」のように危機感を煽る習性がある。其れに星族はゲーム好きだ。博打も其の一
つだが此れが一番タチ(性質)が悪い。飲む打つ買うの道楽のうち、女や酒は年が行けば弱って止めるが博打はさして
体力を要しないから病人でも出来る点だ。しかも賭ける金がなくなれば、直ぐ他人の懐を当てにする。

その結果、請け判で他人を自殺に追い込むなど周りに迷惑を撒き散らす例が多いから博打は社会問題である。特に
韓国はオンラインゲーム先進国であり、人口の1/3がゲームに熱中し、ゲーム没頭症が社会問題になっている(2004/1
/20、NHKクローズアップ現代より一部引用)。

また例えばイスパニアで伝統的に人気のある闘牛士。観衆は彼に声援を送るが、何の罪もない、草食動物で性質の
優しい牛を引き釣り出して怒らせ、この動物を多数の人が弄んで虐待して歓喜し感動すると言う異常な非人間性のゲ
ームを楽しむ。

其れも最後に牛に褒美を与えるなら兎も角、残虐にも刺殺して喜ぶ所業が国技とは恐れ入った悪習ではないか。そし
て更に、一番刺激的なゲームは牛よりも実際に人を殺す事であり、更には命や財産を賭けて戦う戦争が彼らの生き甲
斐である。このように人類には三族の違いがあるが、日本人の中にも其の三種が混在している。

▲三族の職能・・・・・・日は精緻・精密。月は肉体労働と怠慢。星は単細胞で戦う。星はゲーム感覚で数字により電算
機を発達させ、此れを軍事面で活用したが、更にアイティ化で金融・商品・流通・医療経済の外、人民カード化によって
全世界の管理・支配化・統一化を画策する。「三族の職業」については個別に述べる。

▲三族の衝突(20世紀は星の世紀)・・・・・・人類は各々が其の地域で見える星を神と信じて暮らす中で日月星と言
う三つの星の違いで三族に分化し、各々の暦法を整え、各々固有の価値観を持つ民族性を作って住み分けて来た。
従って其れを武力や経済力で統一するには無理があった。

暦法1つとっても各々動きの異なる日月星をグローバル化と言う理屈でごちゃ混ぜにする意味は少しもなかったので
す。従って其の神や、祭りや政治も、話し合いによって妥協しあう意味も、またない訳です。其れよりもお互いの天神祭
りの宗教や国政・伝統・職制・風俗文化に多様な形がある事を相互に多少は理解し、尊重する程度で良かった。

或いはモノを交易・流通する程度で良かった。多種多様な個別の個性に無理解のまま無理に統一支配をする必要は
少しもなかったのです。例えば日族は多重円環の思想により、理性を持つ人たちの秩序ある国でした。

そして月族は、情緒豊かで経済力もあり、実利も求める現実派の国であり、また個人主義の自由と平等を尊重するバ
ランス感覚を持つ国となった。

それに対して星族は、一神教や進化論的・垂直思考の縦割り主義で未来志向の価値観を持ち、正義感と純粋性から
階級性を整えて全体を纏められるような国づくりに務めて来た。其れで良かったのです。

所が時代が下るに連れて食糧増産と人口増加となり、人々の関心は心よりもモノの魅力に魅せられて戦争を続け、統
一する事が至上命題と誤解され、ないし其れが「進化」であり、近代国家であると決め付けるようになった。此れでは話
し合っても無意味です。無論、武力では更に深刻な問題とする事をイラクで見せてくれました。

しかし時代は星の世紀となり、星の金属文明が支配する時代とした。だから「20世紀を戦争の世紀」としてしまったの
です。21世紀には入ってもガソリンを焚いて走る車社会であり、火力発電の電気や原子炉の火によって動くロケット、
携帯、ジェット機、船舶、パソコン、・・・・など、全く夜見の星の文明となった。

人々は各地に集まって全国に「100万ドルの夜景」を現出し、昼よりも夜が栄えてXマス・イルミネーションのように七色
に輝き出した。ただ一部に輝く処が有れば他所には輝かない闇も多くするのが夜の世界です。また真っ暗闇の次は
明けであり、そうすると巨大な星影もケバイ・イルミネーションも悉く消えてしまう。

暗闇と光との狭間で混乱した社会を見せるが、こうした世界情勢を改善するには、武力や妥協や外交力ではなくて三
族の歴史と因縁や宗教をもっと尊重しあい、相手の道を決して塞がない心得です。

▲三族の食性・・・・・・日族は「地産地消」する。海山野の三界の旬の物を選んで、各時期に先ず神に捧げて、そのお
下がりを少量頂き、其の滋味をゆっくり味わうスローフードでした。此処では神に捧げるものとして新鮮さが第一条件で
した。次に、月族は食を「医食同源」と心得る。

薬膳料理も漢方薬の献立である。またシナ料理は安くて旨いと言うのが世界的に定評であるが、其れより寧ろ、お酢を
多用するので健康に良い点である。だが彼らはゲテモノ食いの面と、月が満ちるように何でも腹一杯たらふく食べない
と満足しない面もある。彼らは月族は大量生産と大量消費の多食・多弁・多便である。

シナでは穀物が主食で豚肉・魚食が従であるが、イスラム社会とユダヤ教は豚肉を食べない(「大陸の食性」を参照)。
其れに対して星族の場合は羊や牛の肉食であり、主として「インスタント」フードだ。此れが機動的な軍隊食としての弁
当・携行食となるので確かに簡便である。所が健康面から言えば肉食・洋食は最悪である。

日本人は栄養学や洋食信仰に毒されているが、洋食は肉食を主とする訳であって、従って腐った肉でも加工して食らう
事になり、或いは当然ながらインスタント・加工・レトルト食品へと移行する。そうしたスピード社会の申し子として洋食が
日本でも主流になったが、其れに比例して病気を増やした。つまり洋食は肥満食・不健康食と言える。

また食事を急ぐのは決して人間的とは言えない。そうするのはケモノか軍隊的な食性であり、もしくは奴隷か乞食であ
る。だからこの様な後の二者を「黄泉津屁食い」と言う。

三族の住み分け・・・・・・太陽を回る地球の周りには月がある。月はつまり地球の衛星である。その外側には無数
の星の世界が有ります。月はつまり日本を守る衛星国である。其れがシナ、インド、インドシナ半島であり、其の周りに
中東やAA諸国がある。

日本を囲むこうした諸国は有色人種の国々であり、日本は彼らの長兄として位置付けられている。其の先の最果て
に、白人国・ヨーロッパと黒人などの星の世界、蛮族の黄泉の国が有り、此処は時代を通じて日本の衛星国に敵対し
て来ました。

中東は月と星との接点であり、最前線にあるため、其処を犯された場合は今でも月が果敢に戦ってくれているのです。
さて日本の近隣と国内ではどうか。今の中国と韓国は星の国。台湾から沖縄に掛けては日本と同じ太陽の国。高知や
名古屋も太陽の国だが、京都と大阪は月の国。今の神戸や群馬は星の国。その他の地域は三種混合に見えます。

三族の生業・・・・・・日族は日和見主義であるが、自然とうまく折り合いをつけて暮らすために何とか工夫して暮らす
のでマルチ人間となる。つまり一姓とは違う「百姓」を自負した。其れに比べて月族は一粒の米が半年で何千倍にも増
える豊かな国で稲作に専従する欲の深い民族である。つまり此処は一律単作の商品作物生産者たちである。

その欲望から労働集約型の「働き蜂」となる面も有るが、多くは月神に頼った、作物生産方式で気楽に暮らしている。
月族は口数は多いが人並みの仕事しか出来ない平凡な民族だが、シナ人の料理人は国際的に評価が高い。其れに
比べて星族は特に職人社会であり、何かの専門家でなければ信頼されない。従ってギルドも何処も狭い社会である。

狩猟では罠を仕掛けてケモノや敵を仕留める。だから獣を追うため犬を使い、雪の中ではイヌゾリも使い、また羊の管
理の為にも犬を使うが、朝鮮ではその犬も食料にするので極めてシンプルライフだ。自然界への理解が足りない遊牧
にとって、ケモノや魚類は人の代わりに自然界から食料を採取する道具である。

動物や魚類に食糧生産させて、其れを彼らが罠や家畜を使って絡め取ると言う狡賢い生活習慣を培って来た。またヨ
ーロッパではイギリス人が銀行家、イタリアンがウエイター、ドイツ人が警察官、そしてフランス人がシェフ(料理人)にな
れば天国であると言い、其れが逆になればミスマッチのジョークになると言う。

三族の性質・・・・・・日は大儀の名の下で調和を重んじるが、月は名より実利を求め、また星は実より名を尊ぶの
で面子、つまりプライドに拘る。別の言い方をすれば日本は精神文化の源であり、対極の西洋文明は物質文明の権化
である。その中間に位置する月世界は常に右顧左眄し、力の強い方に靡いたり、中庸を価値観として来た。

此処は大国となるものの、要するに矛盾を孕む烏合の衆の多民族、多様化文明圏である。よって古来「支那」と言われ
た。それに対して星たちは動物生産方式の暮らしを続けた結果、民族性はアングロ・サクソンのように狡猾、かつ薄情
(冷徹)となるが彼らは其れを合理化と言う。

▲三族の相続制・・・・・・日族は古来、母系社会であり、円系図(図説を参照)の通りに先祖祭りをして公平分割を原則
として来たが、現在は違う(「母系社会」を参照)。また月族は横並びの社会であり、横系図を使った。此処はつまり男女
平等が原則であり、時として女尊男卑の悪平等に走る。

其れに対して星族は男尊女卑の長子相続制の下、律令・封建社会を通じて縦系図を残した。僧籍や武家もまた縦系
図である。

三族の葬法・・・・・・日は土葬、月は散骨(水葬)、星は荼毘・風葬。そして星たちが軍隊で戦死者が出た場合、その
遺体は兵子達に担がれて、神の身元へと聖堂に運ばれる。米海軍は海の仲間の遺体を星を鏤めた星条旗に巻いて
ネイビィブルーの海に流すのが正式儀礼です。その他、詳しくは「葬法」、「祓い」を参照。




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