http://hijiri.tamajiri.com 「日知り事典」 page205.html(未定稿) ![]() 日知り事典 坂〜沢 ●さか● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆★▲◆★ ▼逆・・・・・・ ▼坂・・・・・・ ▼逆児・・・・・・・人の子の出産の場合は頭から出て来ます。其れに対して馬や羊など、動物は足からです。何故でしょ うか。進化論で言う「猿の子孫がヒト」なら、猿と同様に足から出るべきです。だが古来、足から出る場合を世間では「逆 児」と言って来ました。医学的にも異常分娩の1つとして骨盤端位と言う。 原因として骨盤狭窄、羊水過多などと見られているが、本当の理由は別にあり、一言で言えばケモノのように脚で働く 使命を持つ。或いは大陸や西洋に出て働く役割が有るのでしょう。ただ、何も考えずに本能的・反射的に素早く行動す るのは蟲やケモノだけで良いのです(「出産」「死去」を参照)。 ●盛り場・・・ ・・・飲食街・歓楽街の事。だが「酒盛り場」と言うよりも本来は男女が「さかりつく」場。 ●目(さかん)・・・・・・・祭典は祭主として天子や聖が務めた。古式祭典には式目があり、また今も「目次・目録」と言うよ うに「め」は祭典のキーポイントでした。祭主・天子の代役としての太政官や左右大臣を唐名で「相」と言ったが、此れに も「目」の字が付けられた。彼らは言わば「目付け」であったためか今も首相や外相と言う風に使われています。 「相」とは「木(神)を見る」意味でしたから、今一般に使う「木目」とは別である。また薬師如来(別項参照)のご利益信心 に「目の薬師」と言うのがあるが、この場合も薬師=目医者を言ったものではなくて観測業務でした。度量衡にも目印 や匁などの「目」や目盛りがあり、従って「目利き」が必要であり、こうして古来サカンは盛んに活躍した。 彼らは国家にとっても大役だったが、「目」はやがて大宝令以後は四等官の主典に過ぎなくなった。時代は更に源平の 頃になると国司の下に「目代」が置かれ、また江戸時代には、上は「大目付」から下は山横目と言う役柄とか下っ端の 「目明し」が出来たが、「主典」の出番はなくなった。ただ誉れの職名の名残を人の俗名に残す気風は続いた。 度量衡では例えば今でも取引や暮らしの中で五穀の分量を計る時などに、「多目に目印をつける」とか、「少な目の所 に目安をつける」等と言うように、現在進行形で使われる用語である。と共に、目的・目論見や目標に向けて仕事の「目 途をつける」と言えば、未来形で目を転じる意味になる。 そして今でも色んな役務を殊更「役目」と書く場合、其の役の主務は何らかの「目利き」の「目」であって、体(労力)は従 であるとした観念が残っている。 さてサカンについては今も「左官職」があるが、この場合も単に「壁塗り職人」ではなくて、腕や足よりも「目利き」が仕上 げを決めるとしたものか、或いはかつては祭壇を設える聖域的技能であったのだろう。またかつて僧官(僧尼令)の一つ に佐官(録事)があり、今の軍人にも佐官があるが、何れも頭(かしら)に代わる上級役だった。 所が現代社会で高位高官は無数にあれど物事を知る「目利き」が皆無のためか、本物が世に出ないようにしていて偽 物のみ跋扈するカオス社会と犯罪国家を現出させているようだ。従って未来志向の計画も悉く裏目に出て物事が捗ら ず裏目が恨まれる。だが裏目もまた差し金(曲尺)の目盛りの事でした。 ▲詐欺師・・・・・・・騙り。女たらし。または巧言令色によって他人の財物を奪う者。何れにせよ、詐欺師の特徴は夢を 語る。過去は完全ですから成立した。よってこうした過去の事実を語る事を歴史と言う。歴史は嘘が通用し難い面が有 るのに対して、未来の事は未定ですからどうとでも言えます。 ですからもし詐欺師になりたければ「前向き」に未来の夢を語りましょう。嘘を言うつもりが一切なくても期待は外れるの で結果として詐欺師になれるのです(「希望」、「信頼感」を参照)。或いは相手の望む事を言う。西田幸子さんの歌に 「嘘でもいいから好きだと言って」と言う歌詞(一節)が有った。 真実は大切であるが、真実を相手に言ってしまったらオワリですから詐欺師にはなれません。其の点で商売は約束と 実行の日々の繰り返しです。社会が不安の毎日の中でも、仲間の中では先の事を約束しあって安心を構築し、其の期 日になったら納品・請求・決済と言う結果を見せて約束の実行を繰り返し証明しながら信頼感を積み重ねて行きます。 此れが実績になり信用となる。信頼関係の基礎は期日、つまり暦法が前提にある。此の実績と暦法とを無視して夢を 語れば誰でも詐欺師になれます。此の意味では当会では人気ダントツのページ「天気カレンダー」もペテンに近い際ど い面が有りますが実績がある事と、財物を受け取っていないので今の所、詐欺師の仲間には入れないかと思う。 ▲左義長・・・・・・・正月行事の注連飾りや松飾などを各戸から集めて神社の境内などで焼く火祭りで、地域によって 時期も呼称も異なる(大晦日や七日正月にする所もある)。長野では師走に飾ったものを1ヵ月後の1/14頃に「まつ め年」として処分する。 其の夜から1/15(小正月)に左義長とか「とんど焼き」として正月様を天に送り届ける火祭りであり、つまり此れは単 なるゴミ処分の行事ではなくて、お盆とは逆の時期に盆の送り火に対応した宗教儀礼でもあった。 火の神を祭る拝火教・ゾロアスター教などのホーマー、密教で言う護摩法に当たるが、事の起こりは平安京の宮中で正 月15日の朝に陰陽師が青竹を束ね、立てて吉書・扇子・短冊を結びつけ、歌を歌って囃し立てて行った「悪魔祓い」か らとも言われる。 祓いには火、風、水、土など色々があるが、人の生死でも何でも何かにつけて「火で祓おう」とする火祭り族の言わば 「悪魔祓い」である。だが普通の解釈で左義長は、一本脚とも山ノ神とも独特の鬼でもあるとも言う。其れを正月の満月 の夜に祭るのであると。 さて左義長と言う言葉の由来は、後漢の明帝の時、仏教と道教の経典を左右に並べて焼いた所、道教の経典が灰に なったのに対して、左に置いた仏教の経典は焼けずに仏舎利から五色の光明を発して仏教が貴い事(左の義が長ぜ り)を現した事とか、「三毬打」からとも言われている。 何れにせよこの火祭りは大声で囃し立て、或いは鬼の行列を繰り出し、或いは四本柱を立てて、其の中に心柱を立て る。柱の周りに小屋(トリゴヤ)を作る例もある。何れの場合も其の柱を大切にしてトンド松、シンボコ、センボコ、お山 木、ご神木、歳神柱などと言う。其の柱の先には扇や色紙を折ったものを取り付け、または袋物(福俵)を吊り下げる。 そうして焼いて、炎が高く上れば「世並が良い」と喜び、其の火に当たれば無病息災、若返りなどにご利益があると信じ られている。広島の豊田・加茂両郡部では火が燃え上がった所で「明きの方」に倒し、飾りの日の丸の扇を取り合うと 言う。 それに似た例としては伊勢の神島にはゲーター祭と言う奇祭が歳末に行われるが、古くは当番たちが忌屋に籠って精 進潔斎して冬至を迎え、その後に左義長などの火祭りで「年占」をして来た。或いは大昔には方位を正して位置を正 し、或いは神の到来を告げる連絡法として、遠く隔たった各地点で闇夜に篝かがり火を焚いた事によるかも知れない。 其れもやがて「書初め」の清書を燃やして上達を願う行事として残り、或いは今や門松や正月飾りをゴミとして片付ける 催事・俗事に変容してしまった。 ★ザクセン・・・・・・・ドイツの芸術と中世バロック建築の町(世界遺産)。シナの磁器・景徳鎮等が西洋に伝わって、 「白い宝石」として珍重された。ドイツではアルフレッド王が其の技術を何とか真似ようとしてエドガーに密かに研究さ せ、各地から土を取り寄せて焼いた。 苦心して白磁の原料となるカオリンを1708年に突き止めた。其れがエドガー白磁と呼ばれる。よって此処で欧州初の磁 器を作り上げた。此の産地がマイセンの町だった。此のマークが双剣である。やがてアウグスト1世の時の18c末、エ ルベ川沿いのドレスデンの町には芸術家と文人が集まって繁栄した。 シラーやワーグナー、其れにモーツアルトなど。教会にはパイプオルガンが作られた(以上、06/6/17のNHK総合TV 「世界遺産」より引用)。 ▲冊封・・・・・・・シナは覇権主義の国である。この為、外交は「近攻遠交」策を採り、冊封体制を広げた。志賀島から 天明4年に金印が発見されたが、其れは筑前の伊都国が委奴国として冊封体制に組み込まれた事を意味する。そうな ったのは当時の大和政権が出雲に対して余りにも悪辣だったからでした。 だがその後、後漢が脆くも崩壊して三国時代に突入した通り、シナは常に戦乱が続く不安定な国であり、日本が仮に金 印を貰ったとしても日本全体の問題ではなかった。出雲王家は古来、世界に冠たる宗主国であり、寧ろ新興国の漢に 金印を与える権威が有った。にも拘わらず日本は外国を覇権主義で組み入れる意思がなかったのであろう。 ▲さくら・・・・・・・日本人は桜ファンが殆どですから桜前線に一喜一憂する。また古来、呑み助は春の女神の気まぐ れの下で花見酒を楽しみ、絵心のある人は花も木も絵に描いて来たし、歌心のある方は散り際の美を詩歌に詠んで来 た。其れに各地には今でも桜の名勝地や桜並木が守られている(桜山を参照)。 古木として北から有名なのが盛岡市の「石割櫻」(360年で幹周り1.35m)、福島県の「瀧櫻」、山梨県の「神代櫻」、岐阜 県の「淡うす墨櫻」、京都の「御車返の櫻」などが知られ、或いは京都・醍醐寺の櫻、奈良は大宇陀の「又兵衛櫻」※や大 野寺の小糸枝垂れ、其れに権現櫻や吉野の下中奥各千本の櫻も見事であろうし、何れ劣らず花の名所・名物である。 ※「又兵衛櫻」の家臣、後藤又兵衛が手植えしたものと言われる。また花の吉野の場合は3万本の山桜が06年は4月 後半が満開と言う。権現櫻は桜井市・長谷寺の奥の院・瀧蔵神社にある枝垂桜(樹齢400年)。 和歌浦や紀三井寺も昔から桜の名所です。この寺には約800本の古木があって3月下旬には関西一早く咲き始める。 ただ「櫻月」と書いてあれば暦では旧3月、つまり西暦の4月頃を意味した。また言霊の「サ」は方位の南を意味し、従 って「さくら」は南の座をも意味した。従って漢字では桜とは別の「佐倉」でも同じ意味が有る。 植物としての桜については万葉集には40首も謳われた。「サ」は早苗や早乙女にも掛かる言霊であり、クラは神の座 ですから、「サ・クラ」と繋がる場合は、「神が宿る蔵(座)と信じられた。実際、吉野では桜で仏像・尊像を造って来た。 桜は、山の神が春には里のサクラに宿り、やがて「田の神」になるまで穀物霊が宿る座(木)と見られたので、其の年の 豊凶を占う木とも信じられて来た。無論、桜は花木であり、その花弁は国花として日本のシンボルにもなっている。 よって其の種別は多くなり、山桜、里桜、マメ桜、峰桜、ウワミズ桜、イヌ桜、丁子桜、江戸彼岸、カンヒ桜、ミヤマ桜、オ オヤマ桜、カスミ桜、大島桜、薄墨桜・・・・・等があるが、中でも良く知られている桜にソメイヨシノがある。 此れは吉野地方に野生した桜ではなくて新種であり、凡そ80年前、東京の染井村(駒込)の植木屋が江戸彼岸に伊豆 七島の大島桜を接木して作ったクローンでした。此れが大流行となったため、反面では日本の多種多様だった在来種 の桜を駆逐した可能性がある。 またソメイヨシノもクローンの宿命として、花は咲いてもオシベと雌蘂で受粉して育つ事はないので、若木を作るには挿 し木か接木によるしかない。接木では在来種ではないから近年、環境変化に対応できずに各地で衰退が目立って来 た。其れにも増して誤解で伐られる桜が多く、昨今は銘木が次々消えて行くから寂しい。 古来、「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と言う古言がある。梅の新芽は箒のように枝が放射状に出て、しかも多過ぎて絵 にならない。だから剪定するべきです。但し梅は古い枝に花を咲かせるので其のコツを弁えて剪定するように、との教 えであろう。其れに対して桜は幹からでも枝からでも新芽が出て花を咲かせる。 其れを剪定すれば不自然な形になるし、其処から腐り出したり虫がつく。ただ07/3/15日のNHKラジオ深夜便によれ ば、弘前城ではリンゴの剪定のノウハウから敢えて「桜切る馬鹿」を続けていると言う。此処には桜としては古木(樹齢 100年を越す)が300本、みな元気に毎年見事な桜を咲かせている。 剪定の基本は@どの枝にも光が入るように剪定する。A花の数が減った枝は落とす。B全体の姿形で切り取りを行 う。こうしてC冬場に剪定し、施肥をする。このため普通の桜が一房に3〜4ヶの花しか付けないのに対して、此処では 一房に5〜7ヶもの花を付ける。つまり其れだけ花の密度が濃い。だから花に酔うと言う(引用以上)。 さて桜の一重や八重の何れが良くて、色香も白よりピンクの何れが良いか、薄緑色の花弁を咲かせる右近が良いとか 色んな好みも有りますが、山桜や枝垂桜(シダレ桜を参照)は古木に限る。桜は箒のように元気いっぱい枝を広げた若 木よりも風雪に耐えた古木のほうが風雅で味がある。 其れに桜は先に述べた通り、神の宿る木なので此れを伐れば祟りがあると考えた。事実、志垂桜はある思想を奉ずる 寺や名主の屋敷にしかなかった。つまり其処(桜本)が修験者や山伏風をした隠密などの情報源や拠点となり、彼らに とってはこの枝垂桜が一般の目から隠れたネットワークの目印だった。 今風に言えばサクラは携帯電話の中継所であり、従って300年以上の古木は其の役目があった以上、伐れば祟りが あって当然であり、同じ事が楠にも言えた。木は死者の命日ラインを印す墓標であり、或いは境界でもあった。何れに せよ古木は因縁の木であり、伐るには其れ相当の資格と作法が要る(「木を伐る作法」を参照)。 所が昨今は「桜には虫が付く」と言う理由と、庶民の家には軒より高い木を置けなかった時代があり、「だから一般の家 では屋敷の植木にはしなかった」と言う理由で嫌われたり誤解されて伐られる事例が多い。虫が付いた個所を一見す れば確かに腐ったようにも見える。 しかし、桜は本質的に自然界の母親のように、色んな虫を集める。受粉を促すミツバチが飛来するシーズンを待って開 花する仕掛けも心得ている。つまり相互扶助と共生関係で育てる役割の木なのですから、其れを嫌ったり誤解していた のでは桜の花を愛でる資格はないと言える。 07/4月のNHK総合TVでは宇都宮の古賀志町の孝子桜を放映した。小ぶりだが見事な枝垂れであり、孝子の由来の 伝説と共に、町の誇りとして大事にされていて、しかも初代-二代目-三代目が支えあっている櫻であると言う。 所で桜はどうして学校の校庭にあるのだろうか。其れは歴史に由来する。日本の学校は城跡や寺跡に建てられたから です。江戸時代は日本の庶民を武家や寺が支配したが、明治に日本は神国になった。よって潰した城や潰れた寺の 一部に小学校を作った。江戸時代は武士が支配し、武士は武士道を重んじた。 武士道とは引き際や散り際を知る道です。其れは桜花が象徴でした。ですから桜の木のある小学校では、小学生のボ タンも記章も帽章も校章も桜の花を使いました。しかしそうした所で育った人たちは悉く桜の花のように太平洋戦争で 美しく散ってしまった。 なので桜は乱暴に扱われて次々と伐られたり枯らされて運動場や建物になった。そんなモノカネ主義の時代の学校で 高等教育を受けた世代は、桜を知らず引き際も知らない。定年を延長し、退職金を貰い、天下りして濡れ落ち葉とな り、老醜を世間に晒す世代となりました。ですから今も桜のある学校や公園がある所は例外的な所です。 その例外的な地域で暮らす人たちはきっと幸せです。 さて、06年は梅花が2〜3週間遅れた。其れに反比例するように桜の開花が早かった。関東では偕楽園の梅が満開の 春の彼岸には桜が開花した。 だが古来、梅花と桜花が並んで見られる年は火事が多いとされて来たので念のためご用心を。06年は5/18日に稚内 で桜が開花した。 また気象庁は毎年、桜(ソメイヨシノ)の開花予報を発表して来たが、07年は間違った気温データを元にコンピューター に任せていたため、実際よりも3〜9日も早めに予想した事を認めて3/14日に「予想ミス」と発表しお詫びした。静岡で 中々咲かないのでミスに気がついたと言う(NHK総合TV)。 暖冬と言われた07年の3/15日現在、南大阪でも開花はまだ遠い。3/25日になってやっと一部開花となった。 ▲サクラ・ファン・・・・・・・日本人はサクラが大好きだ。サクラは散り際に美がある。よって潔く散る若武者や風雪に 耐えた古武士を想わすシンボルと見られた。其処で「花は桜木、人は武士」と讃え、また昔は桜縅(おどし)と呼ぶ鎧も 有ったし、かつて学生服のボタンも記章も桜か星がお決まりでした。 軍や警察もこの星のような五角形のデザインを定番とする。其れがサクラ星と呼ばれたのは形もさる事ながら、桜花の 宿命として星のように散る宿命を託された事を暗示し、同時に誇りともしたからでした。テレビドラマでお馴染みの「遠山 の金さん」もサクラ吹雪の入れ墨をチラつかせたように、「勇ましく」見せるためにはサクラを使う。 実際若い連中やそうした団体は好んでサクラの字を自分たちの組織や会社の飾りとして付けたので日本各地には古 今そうした例が多い。だがサクラの花弁は色香も良いが散り際にこそ美しさがあり、其れが潔さと勇気を代弁する形容 詞であったのですから散り方が肝心です。桜吹雪も散らずに萎びて老いては絵になりません。花の命は短い。 特にサクラは早く散るので干からびたサクラでは絵にならない。何時までも命を永らえて枯れたサクラ花はないのです からサクラと言えるのは若いうちの事であって、「花と散る」時代から程遠くなった人達とは無縁である。譬え「遠山の金 さん」が吹雪を散らしたとしても、60過ぎたら人の胸を打ちません。 だから若いときに作った会のメンバーが老人会になったら「桜会」から「葉桜会」とでも改めたほうが良かろう。第一色 香がない。色あせた病人が時には狂気のカラ元気を出して「死んでやる!」と粋がって見ても其れは「散る」のとは違 う。従って長生きを唯一の「生き甲斐」とするようなお年寄りが集う場とか、圧力団体の名としたのではミスマッチだ。 サクラ花はドスの形をしてはいないし、濡れ落ち葉や枯葉が風に舞うのとも違うからです。さてサクラは散り際の美しさ が第一であって色香は次だ。色香ならどんな花だって其れなりにあるからです。蝋梅やバラや椿も美しい。サザンカも 綺麗だが、これらの難点は花びらがこびり付いたり、腐ったり変色して枯葉や濡れ落ち葉のようになる事だ。 或いは椿は首を切られたようにポトリッと落ちるから武士に嫌われた。其れに比べてサクラは散り際の美で好かれた。 それ故に散り際の悪い老人たちの集まる組織に其の名が使われていては欺瞞となる。ただサクラの木も若木の内は 元気一杯に伸びて竹箒のような姿ですから芸も味もないのに比べれば古木は凄い。 サクラの木は前述のように母性のシンボルであるから男性の組織にもマッチしない。確かに桜木として絵になるのは若 木ではなくて風雪に耐えた形で苔生した老木が良い。よだれの様に樹液を垂らしていても其れは虫や鳥たちへの乳で ある。 多種の虫たちに自分の体を蝕まれる慈母か地母神のように見事な生き様を見せながら優しく佇む枝垂桜の姿は特に 絵になります。其れは包容力と古さ(忍耐)の味わいを示し、辛うじて立つ痛々しさを見せながら老体を支えて立ってい る姿を漂わす。老木は其れなりに人生の模範です。でも其れは木であってサクラ花の美とは別だ。 桜木は女性の鏡となるような女体や母神を黙示するものであって、男子の組織や老人会には似合わない。如何にサク ラが「勇ましさ」を標榜する名に見えても、其の代名詞に付けては不適格であり欺瞞とはならないか。もつとも、「サクラ」 と言えば欺瞞の代名詞でもあった。自然界のサクラは古来、人に見せるのに有料とする例が少ない。 つまり其の艶やかさを毎年只で見せてくれる存在でした。其処から河原芝居の「只見客」を隠語でサクラと呼んだ。よっ て今でも露店に集る客の中にサクラを入れる。業者の回し者である。06年は政府主導のサクラが話題となった。全国 で行なわれた教育基本法改正の為のTM(タウンミーティング)である。 「質問者サクラのリボン胸に着け」西木空人06/12/29朝日。 ▲桜山・・・・・・・埼玉の三波(サンバ)川村に桜山がある。此処には7000本の桜があるが、此の桜は冬桜(寒桜)と言っ て春と秋に咲く。此れは豆桜などを交配した種の桜でデリケートな性質があるため秋にも咲いてしまうらしい。其れだけ に保存が大変。桜山の頂上には虚空蔵菩薩が祀られ、其の縁日には人々が一層集まる。 s12/4/17に国の天然記念物に指定された(以上は06/4/17読売テレビ「今日は何の日」より引用)。 ▲酒・・・・・・・縄文時代には葡萄酒、そして稲作時代は米麹による濁酒(どぶろく)酒があり、今は課税対象のアルコ ール加工の飲料水の事。麦酒とか葡萄酒や日本酒など色々あるがアルコールの度数によって課税される。 ただ本来の酒は神に捧げてその後に直食(なおらい)として人が神の後で戴いた。其れで神の神気を戴いて、結果とし て神と一体化する事を期待し、或いは神が憑依し顕現したかのように振舞った。つまり酒は人に幻覚的な作用を及ぼ す。 要するに酒は先ず神に捧げるものであって、神を差し置いて人が先に飲んだり、人だけが毎日飲むものではなかっ た。酒は「百薬の長」と言われるように何らかの薬効も期待できる。でも酒に多少の効能が有ったとしても其れは痛み を麻痺させ、一時だけ厭な事を忘れさせる効能は有っても、其れで問題がなくなったり治る事もないのです。 とすれば、神にはともかく、人に対しては麻痺作用や暗示効果くらいしかない。従って祭りの後に、神の「お下がり」とし て戴く程度にすべきものだ。それで酔って、幻覚作用で先祖神が降臨(または憑依)して顕現したかのように舞や踊りを 披露するなら神にも喜ばれよう。だが殆どの人は酒好きなだけで舞う事は下手だ。 カラオケマイクを離さずに、下手な歌を唸る程度です。此れでは神にも人にもハタ迷惑である。所が日本人は凡そ酒飲 みに甘い。大酒のみを「酒豪」と表現したり「酒に強い」と尊敬する場合が多いが、其れも誤解である。大抵はその後、 体が蛇のように重たくなって横着になり、やがて足腰が立たなくなる。 もしくはアル中になったり肝臓を壊して早死にする。とすれば、その人は酒に強いのではなくて単に「酒好き」に過ぎな いか、酒にだらしなくて弱い人だった事になろう。因みに13億人の信徒を数えるイスラム教の聖典・コーランでは飲酒 を禁止している。酒は弱い人間が誘惑に負けるからである。アメリカだってかつて禁酒法があった。 だから矢張り酒は人が常用する飲み物ではないが、日本は寛容だった。でも神のお下がりを押し頂くように、嗜みを心 得て飲まなければ体を壊す元になる。特に今はガソリンや水の値段と余り変わらなくなった。酒が高いと思うのは其処 に税金が乗っかっているからだ。酒と言っても主成分が水かアルコールなので、市販品は大体質が良くない。 そんな安酒を呑んで酔っ払って喜んでいられるか。そんな安酒を毎日飲んでいるから行動が鈍くなり、足や目が弱り、 蛇のような生活習慣になって来ます。喜ぶのは保険屋と病院と薬屋だけだ。いやいや同僚・ライバルも喜ぶ。06年の9 月には全国で飲酒事故が多発し特に公務員が次々免職となった。 体だけではなく、精神的にも蛇(ウワバミ)のように、変になって来るので事故となるのです。 ▲「酒飲み」の効能は少ない・・・・・・・雪が降れば雪見酒、桜が咲けば花見酒と、酒は色んな理由が付きます。嬉し いにつけ悲しいにつけ酒は何時だって友達になってくれる。だから歌謡曲でも酒の付く歌が多くて、酒を飲まなくてもこ の歌を聞けば心から酔えるものです。ただ古来、葡萄酒にせよ濁酒にせよ酒は神に捧げるものであった。 人はその場でお下がりを頂く場合だけ酒が許されるものであって、人が年がら年中飲み放題とするには問題がある。 確かに「酒は百薬の長」と言う。でも此れは酒飲みのたちが美化した創作としか思えない。或いは商業主義が使う美辞 麗句の疑いがある。実に「過ぎれば害する」作用も目立つからです。実際、酒による失敗例は数多く有る。 けれども日本社会では何かをしでかしても「酒席での事」として彼を甘やかす「美風」が今も有るし、或いは「あの人は酒 豪だった」と呑み助を褒めるような雰囲気が根強い。しかし、喫煙が嫌われているが喫煙で人殺しをするケースはない のに酒を飲んで暴行したり罪を犯す。人殺しをした例は幾らでも有るから人の評価は当てにならない。 しかも今は飲酒運転が禁止されている。だが周りが甘やかす為に飲酒運転で事故を起こし、更に轢き逃げ事件が急 増している(轢逃げ事故急増については06/4/14のNHK総合TV「クローズアップ」)。タバコでは人格も変わらないし此 処まで卑劣になれない。 喫煙が寧ろ本人の精神安定剤となり、健康・長寿にしている例が多いのと比べて、酒豪に長寿はなく肝臓癌や胃潰瘍 で早死にしているケースも多い。だから昔から酒を「気違い水」と呼んで警戒した。人格を変えてしまうのだ。こうした点 を見れば、先の美辞麗句は思い込みや「怪談」とも言えよう。 つまり、「酒豪」と思っているケースは酒の誘惑にも弱いし「酒に強い」体質でもなくて結局は「弱い」、よって事故や責任 からも逃げるし自分も短命で終わるのだ。病的に麻痺し易く、しかも手術の際には麻酔が利かない。 また中毒によって自己管理不能なダラシない人間にする、と厳しく見る目を持つ事と、少なくとも、「酒は人を禽獣化す る」と警戒すべきである。実際、「酒気帯び運転事故多発」から近年は道交法も厳しくなったし酒税として酒に群がる政 府と言う化け物もとり憑く。 其れに酒好きと大酒飲みは足をやられる。大酒飲みを「ウワバミ(蛇)のようだ」と人が言う通り、ウワバミが憑く。ウワ バミには足が要らないから足の機能が衰える。そして意地汚く、執念深くなる(憑依を参照)。 あぁ、其れにもう一つ。古今東西、最も一般的なのは言い気分にさせてお金を取る商売ですが、女に酒を飲ませて思い を遂げようとする卑劣な男がいるのに対して、女は男に酒を飲ませて本心を聞き出そうとしますからドチラ様もお酒に はご注意を。何れにせよ、仮に酒が進化する事が有ったとしても人は酒で進化する事はないでしょう。 ▲座禅・・・・・・・・(「瞑想」と「滝行」、「死霊」を参照)。 ▲幸・・・・・・幸は幸いであり、幸いは例えば、「日々是、好日」と天地や他人に感謝して暮らす人に訪れる。感謝は理 屈や知識よりも、物事の道理を知る知性であり、其れは他人への思いやりから育まれる。其れに対して、不幸の例え ば「病・貧・争」などはご本人の無知や他人への憎しみから生まれ易い。でもこの世で無用なものはない。 一見、無用と思われる悪魔だって、其れを作るのはご本人の勘違いや良くない想念であり、他人が悪いとばかりは言 えない例が多い。ですから何かの事を「運不運」と諦める前に、其れまでの考え方を改める良いチャンスと見れば、物 事の表裏が反転して直ぐ「幸」に転ずるでしょう(「不幸」を参照)。 ★サタン・・・・・・・日本の風土には古来「悪魔」は存在しない。昔の人は、神が自然界や此の世に不必要なものは何 も存在させない事も知っていたのでしょう。其れがしかし渡来思想によって汚染され、日本では鬼や魔と言う観念を広 げるようになった。 悪魔を作ったのは仏教では浄土思想であり、キリスト教では一神教の二元論的・二極対立の観念である。彼らは先ず 抽象的な神を作り上げた。しかし、そんなインチキ臭い神を認めず、従わない人々も当然存在する訳なので、此れを彼 らは悪魔とし、或いはルシファー(堕天使)、もしくはサタン(赤龍)のレッテルを貼って敵対し、攻撃した。 そうした事から彼らは何れも前科としてあの忌まわしい「魔女狩り」の歴史を共有している。とすれば神も悪魔も彼らの 幻想的・空想的な観念による創作神話か宗教説話である。特にプロテスタントの歴史は、そうした自作自演の幻想によ って世界の人々を幻惑し振り回して来た。 現在の国連やNATO(北大西洋条約機構)など、各国の同盟体制を文明の進歩と見るのも、こうした意味の無い仮想 敵観念からであり、イラクに対する米国の「正義」も同類であり、何も正義ではない。イラクにとっては寧ろ彼らこそ悪魔 的であろう。 ▲さち・・・・・・・ ▲さつ・・・・・・・ ●五月・・・・・西暦の5月。其れに対してサツキと読む場合は旧暦の五月、つまり皐月。 ●五月晴れ・・・・・五月雨(サミダレ)、旧暦の5月、つまり西暦の6月の梅雨の間の一時の晴れ間を言ったもの。 ★殺虫剤・・・・・・・殺虫剤は害虫を殺す目的で作った毒薬入りの商品であるが、害虫にかけた場合は同時に自然循 環をも破壊する。以下「30秒で読む環境情報」より転載・・・・・名著、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」(新潮文庫) http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/0001700851/から引用する。 「Silent Spring」は1962年ですから、40年以上前の本ですが、化学物質による環境問題の原点となった本です。『 沈黙 の春 』−−−−◆化学物質の使用。科学の進歩により、人工的に物質を合成することが可能になった。人類はこれま で自然界になかった物質、化学薬品を手にいれた。この効果は劇的だった。 農業生産をあげるため等の目的で、DDTをはじめとする殺虫剤が、2-4D、BHC等の除草剤が広く使用されるようにな った。そして、あちこちの水圏、大地からこれらの物質が検出されるようになる。本書に登場する「パラチオン」等の有 機リン系の農薬は、現在でも、日本の土壌環境基準物質だったりします。もっとも、検出されることは稀ですが。 ◆生物への影響として、マメコガネ(日本から持ち込まれた甲虫)が大発生した際にも。殺虫剤が大量に散布されてい る。・・・かつて、日本でサクラにつくアメリカシロヒトリが問題になったように、侵入した昆虫は、野鳥等の天敵に餌として の認識が無いので大発生し易い。 そして、効果がある農薬は、「空中散布」により(本では一斉爆撃と表現)、化学物質は、ますます広域にばらまかれ る。こうした殺虫剤の散布により、対象となった昆虫はもちろん他の昆虫も、直接あるいは生物濃縮を経て鳥が、そし てさらに川では魚がいなくなる。・・・やがて、虫も鳥もいない、生物の鳴き声の聞こえない沈黙の春が訪れる。 昆虫とともに人類も滅ぶ未来が? ◆人への影響として、食品中からDDTが検出される。そして人への影響、発ガン性が、環境ホルモン(当時この言葉 はありませんが)と同様の現象が確認される。さらに、特定の生物種がいなくなると、天敵がいなくなったことにより、特 定の種が爆発的に増えて、別の問題を引き起こす。 あるいは、農薬に耐性をもった種が出現して、さらに強力な農薬が必要となる。農薬散布といった環境の変化、「環境 に適応したものが生き残る」まさに、自然淘汰のその現象が起きている訳で、進化論で有名なダーウィンが生きていた ら、非常に喜んだに違いない。・・・と書いているあたり、ちょっと皮肉が入っています(笑) 現在、毒性が強いモノは使用禁止、農薬の毒性低下、環境中での分解性向上などが図られていますが、この本がキッ カケになっているように思います。編集発行 :拓也 sea-side@cside.to:http://www.mag2.com/m/0000125755.htm ▲さて・・・・・・・ ▲さと・・・・・・・ ▲佐渡・・・・・・・ ▲茶道・・・・・・・チャドウとも言う。茶を介して心を通わせる場が茶室であり、もてなしの心で亭主として客を敬い接待す る行為の作法(「茶の湯」、「御堂」、「坊主」を参照)。 ◆悟り・・・・・・悟りとは神と人との差の「差とり」である。今も時として解脱とか「悟りの境地」と言って自嘲する人がいる が、其の心境は果たして何なのだろうか。其れは人生に失望し、諦めた状態なのだろうか。本来の悟りは「神と人との 差を取って少なく縮める事」でした。つまり神に一歩近づく事でした。 だが現代まで、人は「触らぬ神に祟りなし」などと言って神を嫌い、なるべく遠ざけ、距離を離して来ました。此れが正し い選択ではなかった事が今の世相に現れています。実際は「障らぬ神に祟りなし」でした(サワリを参照)。つまり神と距 離を置いた代わりに一歩動物に近づいてペットと暮らすようになった。 とすれば此れは動物との「差取り」であり、諦めの人生であっても「悟り」ではないし、解脱でもなく、単に人生からの逃 避ではないか。 ▲さな・・・・・・・ ▲「サナギ」・・・・・・・繭。銅鐸(別項を参照)。 ▲さなぶり・・・・・・・ ▲さに・・・・・・・ ▲サニワ・・・・・・・出現した霊が如何なる神であり、もしくは動物霊かを判断(審神)する者。因みに神功皇后時には竹 之内宿禰が当たった。 ▲サヌ・・・・・・・ ▲サネ・・・・・・・ ▲サノ・・・・・・・ ▲サハ・・・・・・・ ▲砂漠・・・・・・・陸地の1/3を占める乾燥地帯。乾燥した風が砂漠を作ります。雨の前には強烈な砂嵐となる。南米チ リのアタカマ砂漠は50年も雨が降っていない死の砂漠ですが、夜間は涼しくなるので蟲や動物たちで賑やかになる。サ ボテンの林を朝だけ霧が包むので、それで水分を補給します。 北米のソノラ砂漠ではサボテンが大量の雨水を溜めるので、其処を中心に生態系が出来ている。インドのタミル砂漠 は、年に1〜2度の雨の時に砂漠が一変する。僅か1週間ほどで草が生え蟲や動物が集まる。アメリカのデズバレーも 同様に砂漠が一面の花畑になる。30年間も待っていた種が一斉に花を咲かせるのです。 また北アフリカのサハラのモーリタニアでは砂漠バッタが一斉に孵化して歩き出し、草を食べて飛び立つ(06/8/10のN HK総合TVより引用)。 ▲砂漠化・・・・・・・アフリカのモーリタニアは雨が降らない。年間雨量がたった2mm。降ったら降ったで砂漠飛びバッ タが孵化して大繁殖し、空を覆い、作物を食い荒らしてしまう。砂漠化のため家一軒が1年で埋まってしまう。また内モン ゴル自治区はかつてモンゴルの大草原地帯だったが、今は砂丘の山となった。 木を植えても雨が降らなければ育たない。喩え芽が出ても羊たちが食べ尽くしてしまうし、喩え大きく育っても地元民が 薪(焚き木)にしてしまう。そんな中で1200万本の木を植えた日本人がいた(06/6/25NHK総合TVより引用)。ただ砂漠 化するのはそうなる因縁があります。 ですから日本人が「何とかして上げたい」と同情するのは良い事だが、其の因縁を現地の人たちが改めなければ喩え 「植林ボランティア」を繰り出しても一時のカンフル剤にしかなりません。 ▲砂漠の緑化・・・・・・・木を植えても雨が降らなければ育たない。喩え芽が出ても羊たちが食べ尽くしてしまうし、喩 え大きく育っても地元民が薪(焚き木)にしてしまう。しかも中国の官の意識が古く、また地元の人たちも砂漠化に諦め があった。そんな中で1200万本の木を植えた日本人(菊池豊氏)がいた。 ただ単一種(ポプラ)では失敗したので、木種を組み合わせた所、木々が助け合って育つ事が分かった。言葉の壁と二 度の旱魃と言う悪条件を克服してウユンの森を造った。その内、砂漠に田圃まで出来るようになった。今では住民たち が借金してまで木を植えるようになり、地域の1/3が田圃で稲作をするようになった。 彼は「アジアには3億haの砂漠があって私がしているのは其の内1haの緑化に過ぎない。今、日本に大量の黄砂が舞 うようになったが、黄砂は有毒ガスを含んでいるので日本の山を弱らせている」とアドバイスした。其の防止に彼が頑張 ってくれている事を私たち日本人も応援すべきでしょう。 次にサウジアラビア大学に派遣された稲永忍氏は「雨を降らせる男」である。サウジアラビアの殆どが砂漠であり、石 油が出るものの世界で最も乾燥した地域である。サウジアラビアは人口増によって急速に水不足となっている。彼は 「森が雲を呼ぶ」事に気付いて1mの紙筒に泥とナツメヤシの種を入れて砂漠に埋めた。 鳥取大で言う此の深根栽培法が旨く行った。先ず海岸部にマングローブとナツメヤシの森を作る。そうすれば海風が 其処から水分を吸い上げて重い雲となり、其の雲が其の先の高山にぶつかって雨を降らすと言う仕掛けに期待してい る(06/6/25NHK総合TVより引用、「森」と「森林」を参照)。 ▲サハリン・・・・・・・樺太を参照。 ▲サヒ・・・・・・・ ▲サフ・・・・・・・ ★サブプライム問題・・・・・・・米国は、日本政府と国民が安心してドル紙幣と米国債を買い支えてくれたので、ドル紙 幣の輪転機を回して無尽蔵に増刷していれば米国の好景気を維持できた。ただそうするとインフレになる。例えば住宅 価格が高くなった。米銀行は其れに対して特異な住宅ローンで信用供与してきた。 所が其の返済方法では行き詰まり、債務不能が続出する事となった。切っ掛けはそうなのだが原因は別にある。米国 の貧乏人にドルを貸すよりも、石油ファンドや金取引にドルを回した方が儲かるからである。そうすれば先ず資源小国 の日本を困らせる事が出来るし、日本企業の輸出力が落ちるからである。 日本の褌で日本の首を締める事が出来るのでロシアも喜ぶ。米国は産油国だから石油が高くなっても半分しか影響し ない。なので、アフガンとイラクとイランの油田を叩き続ければ石油が上がるし、ロシアも天然ガスをより高く売れるから だ。しかし其処までしなければ米国経済が成り立たなくなってきた事を意味する。 先ず08年には米証券大手のベアー・スターンズの突然の身売りとなった。米金融当局が矢継ぎ早に金利の引き下げな どでは追いつかなくなった。世界中がドルを信用しなくなってきたのである。ベアー・スターンズは08/3/16日にJPモル ガン・チェースに救済合併となった。 ベアー・スターンズの株価は14日に30ドル、15日には12ドル。しかし実際は僅かドルに叩かれた。理由も不透明な中、 「激安」である(JPモルガンは実はロスチャイルド系の子会社)。そして次はリーマンブラザーズの破綻となった。 Lehman Brothersはドイツから来たユダヤ系移民、ヘンリー、 エマニュエル、マイヤーのリーマン兄弟によって1850年 に創立して今はNYに本社を置く大手投資銀行及び証券会社である。続いてAIGかと噂されてNY株式市場が777ドル暴 落し、急ぎ米国上院では金融安定化法案を可決した。 日本でも株価が1週間暴落し、8200円となった。しかし日本政府と銀行がヨーロッパに先んじて米国に巨額資金を注ぎ 続けた。だが此れで解決するのではなくて、米国発金融恐慌の序幕である。米国の資産は6400兆ドルあった。其れに 対して金融資産は22京2000兆ドルに膨らんでいた。 ドルに対する信仰が世界中から金を吸い上げて米国の浪費とサブプライムローンを支え、レバレッジと言う大博打(空 売りインチキ商品化商品ビジネス)を膨らませてバブルとしていたからである。此れらにより実質経済の4倍×30倍=120 倍と言うバブル経済が破綻し始めたのであるから手がつけられない。 しかし日本だけが一の子分として、一般国民の苦しみをよそ(「銀行」を参照)に目出度くも、進んでその尻拭いをしてい る。 ▲差別の因縁・・・・・・「差別」イヤですね。でも星族の社会は何でもランク付けするのが好きですから武家社会や軍 隊社会では差別化が組織の前提となります。従って差別は因縁であり、理屈ではない。「差別は駄目」という前提で譬 え話し合いをしても解決出来る問題ではありません。インドのカースト制もインドでは必要なのです。 モンゴル帝国が短期間に世界の半分を武力支配出来たのもこのランク付けの効能でした。かつて白人はアフリカ人を 奴隷貿易で搾取し、今もキリスト教の傘下に置いた上、肌の色でも差別している。米英では白人と黒人のトイレは今で も別々にしています。バスの席でも別々です。 そうした人種差別から無用な摩擦を生み、英国では年間20万件の事故と犯罪を発生させています。またフランスの移 民政策の失敗からパリでは05/11に暴動となった。 ▲差別の歴史・・・・・・日本の場合は多少異なる。歴史的には出雲から始まる。元々出雲の国は和人の和国、つまり 奈良南部と大阪南部を中心とする西日本全域でした。やがて渡来系が入って勢力を強め、大和朝廷より以前の旧勢 力(元の国民)をマツロワヌ民、蝦夷や鬼として排斥し、土地を奪って海辺や出雲(今の島根)へ放逐したのです。 次は平安時代の触穢思想であり、また鎌倉以後の武家の長子相続制であり、更に江戸時代の士農工商であるが、何 れも元から人には上下がなかった所に対して、支配の便法として政治的・制度的に差別化したもの。次は宗教的な例 として先の触穢思想がある。 此れは当時の末法思想の終末観の中で弥陀の浄土を極楽として慕う余り、其の対極にあるこの世を穢土と誤解した 点にあり、例えば平城京から平安京の時代、内裏では犬が死んでも一々宮廷行事を全部ストップして祓いを行った。 こうした過度の浄土信仰によって此の世を穢土として悲しみ、また人の死を「穢れ」と見て、墓地を人里から離れた所に した事であり、同時に家畜を殺して肉や皮を作る職業まで穢れた存在と見て距離を置いて蔑視した。血をケガレとして 忌み嫌い、蔑視しても肉や皮は利用した以上、矛盾する観念であった。 そして次の長子相続制は、平安時代までは母系社会であり、通い婚が行われていたのを封建支配し易いように縦割り の男子相続と規定した事でした。此れによって徴税は楽になったが男尊女卑の傾向が強まり、婿養子などが軽蔑され る事となった。しかし日本は神代から母系による養子制度でした。 日本を造った大国主命や神武天皇も婿養子でした。其れを渡来系が儒教を盾に、或いは徴税管理し易い騎馬民族的 な長子相続制に変えて行ったのです。そして江戸時代は士農工商の下に非人と言う階級を作り差別した。これ等はし かし日本独自の悪弊ではなく、大陸渡来の支配法であった。 インドのカースト制や南アフリカの白人優位主義、そして米国の黒人差別など昔も今も世界各地にある。何でもランク 付けしブランド品を求める人類の、特に大陸性の人種の性(サガ)である。 彼らは今も資本家とプロレタリア、或いはエリート(選民)とアウトロー(部外者・レジスタンス・賎民)と言う二元論で差別し あい、常に対立させて叩き合うのです(人権・同和を参照)。 ▲サホ・・・・・・・ ▲サマ・・・・・・・ ●サマータイム・・・・・・時計の針を夏季と冬季で別としてズラせて見る事。例えば夏季は1〜2時間早め、また冬季 は1〜2時間遅く設定する。こうすれば早寝早起きとなるため「省エネ」になるので「温暖化防止」に寄与するでしょう。 此れは昔の自然時間に近い方法です。 例えば江戸時代までは四季によって時間が伸縮するアナログ式(自然)時間でした。つまりサマータイム先進国は大昔 から東洋でした。それに対して現代は洋式の機械的な定時法を採っているが、其れはエネルギー多消費の浪費社会 にしました(暦法でも同様です)。 特に現代ではあらゆる機械や家電製品がタイマー付きですから、高齢者が一々其の設定を変更するのが無理であ る。だからお役所サイドで無理にサマータイム制を採ろうとすれば悪評を買う。サマータイムは民間よりも寧ろ日頃休日 が多くてサービス低下が酷くなっている所が率先してすべきである。 例えばお役所や銀行、病院などがすれば良いのであって一般は自由にすれば良かろう。ただ今でもドイツではこのサ マータイム制を採っている。あの機械文明のドイツに於いてさえアナログ方式を大切に保守しているのは立派な心掛け です。 ▲サミ・・・・・・・ ▲サミダレ(五月雨)・・・・・シトシト降る雨。西暦の五月の雨ではなくて旧暦の5月、つまり西暦の6月の梅雨の事。梅雨 の間に一時の晴れ間を五月晴れと言った。 ▲サムシング・グレート・・・・・・・「大自然の不思議な働き」を言う。例えば、大自然や他人への感謝、或いは愛や誠に 満ちた祈りが距離を越えた所にいる他人の病気を治す事がある。祈りの効果が譬え科学的には説明できなくても、統 計的な実数として治った事例は枚挙に暇がない。 其の点から米国でさえ西洋医学では医療費がアップしたのに病気を増やしたとの反省から既に西洋医学の医療は半 数を切り、その代わりに伝統的な東洋医学や音楽、ハーブ、瞑想、信仰などによる治療が増えてきた(サンケイ2003 /9/9 村上和雄氏の正論より)。 ★侍・・・・・・サムライ。本来は侍り、サプライ。だが時代が下るに連れて主君・主家を守るため、身を粉にして働き、命 を捨てて名だけを残す立場となった。要するに血で血を争う人殺し稼業となり、本人や家族のみならず子孫の血で購 (あがな)って主家を支えた。 多少の領地や俸禄を貰っても当然ながら人の恨みを買う為、子孫も早世(早死に)が多く、家が絶える因縁を持つ(ム サ、ウエモサ、武士を参照)。 ▲サメ・・・・・・・ ▲サモ・・・・・・・ ★サモサ・・・・・・衛士府・衛門府のスケ(ウエモサ、衛門、サムライを参照)。 ▲サヤ・・・・・・・ ▲サユ・・・・・・・ ▲サヨ・・・・・・・ ▲サラ・・・・・・・ ●皿・・・・・・ ▲サラ金・・・・・・・・短期の高利貸しとして昔から有った。小口金融とかサラリーマン金融、町金、事業資金やカードロ ーンと名を変えても実態は同じである。昔は十一(といち)が世間相場だった。つまり金利が10日で1割が普通だった。 しかも天引きであれば最初から90%しか渡さない。 其れでも貸してくれる業者がいれば救われる。誰も相手にしないからそんな高利に頼るしかないのである。そんな客の 実態を知って、業者はなるべく短期間に回収する算段をする。何時「夜逃げ」されるか分からない客に対して、信用供 与の日数短縮が第一の安全策であった。見ず知らずの客の信用度が第一であり、金利は第二の問題でしかない。 此のため庶民金融として昔は質屋が一般的だった。質入する担保があれば其の範囲内で誰にも借す。よってこの種 の金融には安心感があったが、其の担保さえない者は質屋では相手にしない。つまり其処でブレーキシステムが働く 仕掛けになっていた。ですから金に困ったら直ぐに借りられると言うシステムが必ずしも良い社会とは限らない。 前向きとか夢を持つのも良いが、身の丈を越える計画を立てれば無理となり、借金すれば焦る。此れが良くない。失敗 の原因となるから要注意です(借金、自殺を参照)。だから業者は予め300万円の自殺保険に加入させて其の保険料 まで取る。06/9/13の朝日記事では05年のサラ金大手5社だけでも3600件の自殺保険を受け取っていた。 05年の自殺者数は32552人であるから、5社で3600件と言う数字は大きい。質屋からも排除された人にも貸すのが町 金・ヤミ金であり、それだけサラ金業者の危険負担が大きい。しかも悪徳都市銀行は町金を裏で使って繁栄している。 町金と言っても極端な場合は貸金がただの表看板であり、裏の目的は乗っ取り、つまり支配権の獲得である。 財産か命である。だから借りた者は其の時から焦りが発生する。其れをまた債務者は突付くのが通例である。弱みに 対して追い込んで責任達成を促す訳である。今流行のヤミ金の場合はもっと徹底している。彼らの目的は金融ではなく て金融と言う切っ掛けを使って行う長期間の恐喝行為である。 従って債務者としては旨く行く筈の予定も狂う事が出て来る。よって雪だるまになった債務が返せなくなり、このためそ の場から逃げる事がある。流石に夜討朝駆けの取立てはしなくなったものの、ヤミ金ならば暴言や脅しは朝飯前から 深夜まで連日続ける。 よって債務者は「夜逃げ」、或いは自己破産とか会社更生法などと言う合法的だが卑劣な逃げ場(責任放棄)に向か う。だから貸し手としては予め、金を貸すのと引き換えに生保に加入させ、返せなくして自殺させるくらいの事をして来 た。或いは銀行口座を作らせて其の口座を犯罪に利用する。つまり犯罪の共犯者に仕立てるのだ。 此れは良くないに決まっているし犯罪である。06/3/8には法定利息の270倍を掛けて大阪・八尾市の三人を自殺(心中) させた090式移動型ヤミ金グループ24人の内、主犯格が指名手配で残る6人が逮捕された。だがこんなものは氷山の 一角である。 貸し手と借り手の何れが悪いかは社会の仕組みも経済も複雑ですから一概には言えないが、兎も角、今の「サラ金地 獄」は上記のブレーキを外した事により発生している。其の第一の責任は警察とお役所である。 質屋と銀行は同じ金融業でもコロシや乗っ取りが目的ではなかったが、サラ金・ヤミ金は乗っ取り・恐喝が目的であり、 そのためには手段を選ばないので悲劇を生んで来た。そうしないように監督するのが警察とお役所の立場であるが、 「民事不介入」と言う勝手な屁理屈を作って彼らは怠慢にも放置し、或いは賄賂を貰って見逃して来た。 金融課と言う窓口が有っても業者の「やりたい放題」にして多重地獄を放置し、消費者保護をせず、二重三重に消費税 を取るだけだった。ブレーキも監督もなければ当然にして問題が発生するが其の解決もせず責任も取らないのが日本 政府でした。サラ金対策として弁護士を増やそうとしているが其れは問題のすり替えである。 金に困って借金した者が、更に高額な弁護士費用を払う余裕があるかどうかも分からないお役人は屑であり精神病院 へ入るべきだ。やっと06/3月になって金融庁が方針を示した。@多重債務に追い込ませないA自宅を担保として取 るのを防止するB年金を取るのを防止C完済拒否をさせない・・・・と言うものであるが、歌謡曲ではない。 歌っているだけでは意味がなく、誰が其れを責任を持って実施するかである。こう述べた後の06/4/14金融庁は貸金業 規正法違反で業界4位のアイフル1900店の全店業務停止を決定した。良くやった。しかし此れは氷山の一角であって、 目に余る違法金利と違法取立てをヤミで続ける悪徳業者はゴマンといる。尚一層の取り締まりを期待する。 また一般人も商売人も「無利子・出世払い」で貸してくれた親戚友人をもっと大切にする事だ。其の義理を返さず、寧ろ 後に勝手な理屈を作って裏切って置いて、次はサラ金に走った所で救われる可能性は更に狭まるのです。06/9/21の 朝日記事に依れば、現在、サラ金の借り手は1400万人、此の内、多重債務者は200万人以上いる。 弁護士会の調べでは多重債務者の借金は殆どサラ金からだった。「生活保護はどうも・・・」と言う素朴な遠慮から生活 保護(別項参照)を受けずに借金した人の4割が多重債務-->「自己破産」と言う結果になっていた。 05年の個人の自己破産は、18万4324件。手軽に借りられるから利用者が増えたが、業者にとって、確実な客は逃がし たくないので中々返済させない。其れが商売と言うものです。しかも生保を付けて担保とするので今回は高金利と共に 業者の行き過ぎが問題になった。 06/10/15には大手サラ金5社に旧大蔵・財務から23人も天下っていた実態が暴露した。 ▲サラ金被害・・・・・・・・全国には200万人の多重債務者がいる。悲観して自殺者が増えている中で、本人訴訟をして 11連勝して過払い金を取り戻した女性がいる。京都の女性44歳である。彼女は「お金がなくても出来るんです」と言う。 インターネットでも多くの雛形が出ている。 弁護士や行政サービスの無料相談会にも気軽に出て行ってはどうか(06/10/18朝日記事)。 ▲サリ・・・・・・・ ▲サリー・・・・・・・ ■申・・・・・・・・・日に縦棒を当てた形の字で一定の方位を示したもの。未申は南西の隅、即ち、裏鬼門を意味する。従 ってケモノのサルとは直接関係はない。因みに04年が申年だったので、次の申年は12年後の16(H28)年である。 ▲猿・・・・・・・動物の中では一番好奇心が強く、人類にも近い生き物で山に棲む。山ノ神の使い。日吉神社の使令・眷 属。厩(馬屋)の神、庚申信仰からのサル。猿田彦の信仰からのサルもある。また日蓮の説教説話にも猿軍団が登場 する。因みに馬と猿は河童にも関わる。例えば岡山・津山市の中山神社の猿神社は牛馬の安産信仰として知られる。 馬屋も申の方角が良いとされて来た(申と猿とは違うが)。猿回しも馬屋祈祷を目的としていた。猿引きの祖の小山氏 は蒼膳神を奉じた。猿信仰の伝播には猿丸太夫の祖、近江小野氏も与った。猿肉を食する禁忌は西日本に多いと言 われる(「民間信仰辞典」桜井徳太郎偏・東京堂出版より一部引用)。 因みに日本人は記紀にある通り、神の子孫であるが、西洋の一部には猿から進化したと言う人たちが100年前から現 れて、今の日本人も其れに毒され、頭から信じるように「進化」した。よって日本の国会では猿芝居が繰り返され、民間 でも猿真似・類似商品が多い。 こんなものはサッパリ面白くないから野次が飛ぶが、子ザルなどは其処にいるだけで黙っていても芸になるから嬉しい (投げ銭が飛んで来る)。テレビでお馴染みとなった日光サル軍団の演技などは世界的に活躍した。でも今は野猿が増 えて全国で農作物を荒らし始めた。其の対策には機械や人手に頼るより犬に頼め。 序ながら農薬を使って無理な農業を続けるよりも、寧ろほったらかしにして猿の楽園化を進めてもっと猿を増やし、猿 鍋なども研究してはどうか。BSE疑惑の米国産牛肉を食うよりも、安心である。 ■猿田彦命・・・・・・天孫降臨の際にニニギを案内して後にウズメと結婚した。彼は祭りの先導役として今も赤ら顔の天 狗として登場するが、毎日塩田で塩水を浚っていれば日本人でも赤ら顔になる。サルはサラリー、つまり塩の意味に通 じるが、古来、能面はトルコ人の顔に作られて来た。 事実、アラビア語でサルタンは君主、族長であり、トルコ語でサルタは支配者を意味すると言われる。また今でも浚渫を サルベージと言う(下記も参照)。古代世界は日本語であったのか。 ▲猿丸・・・・・・・伊勢物語・御伽草子には「雀の恩返し」や「コブ取り爺さん」の話が語られている。有る日、コブの有る 翁が大木の洞穴にいた時に多数の鬼が酒を飲み、踊っているのを見た。翁も舞を披露した所、鬼たちが喜んで瘤を取 ってくれた。 其れを聞いた矢張り瘤の有る隣の翁が其れを真似た所、踊りが下手なので鬼たちが怒って先の瘤を投げつけて来 た。よって後者は二つの瘤を抱えてしまったと言う。其の話の元が宇治の河原の猿丸大明神と言われる。 ■猿目・・・・・・天のウズメが猿田彦と結婚したが、その末裔が猿目の君となり、芸能の職掌を受け継ぐ事となり、以後 は神楽や舞妓、或いはお囃子を伝承した。お囃子の言葉から、大林とか小林の姓にも変化した。また西洋ではサルト やサラダ、サラミは塩を意味し、塩が換金物質となってからはサラリーの言葉となった。 さて先の猿田彦は天孫の御先を祓う役であり、塩もケガレを祓うときに使われるものであるのに対して、芸能もまた同 種の働きが期待された(「祓い」を参照)。 ▲サロス・・・・・・・星読みに別記。 ▲サロメ・・・・・・・星読みに別記。 ▲障(さわ)り・・・・・・・祟りに触れて障害を受ける事。注意点としては「龍神」を参照。よって人は「触らぬ神に祟りなし」 などと言って神を嫌い、なるべく遠ざけ、距離を離して来ました。此れが正しい選択ではなかった事が今の世相に現れ ています。「触らぬ神に祟りなし」とは誤解でした。 実は「障らぬ神に祟りなし」だった。つまり何の事象の変化も見せない神は存在する事もなく、従って祟る事もないと言 うのが正解であろう。人が嫌って神と距離を置いた代わりにどうなったか。其の分、一歩動物に近づいてペットと暮らす ようになった。此れも至極当然の帰結である。 ●さん●・・・ ・・・以下、次ページへ ■▲◆★ 次は パテント・著作権は本会に属します。 「鬼の会」 |