http://hijiri.tamajiri.com 「日知り事典」 page058058.html(未定稿) ![]() 日知り事典 鬼〜オワ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ ●・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・■▲◆★ ●おに・・・・・ ●鬼・・・・・・・「鬼」はスーパーにも売っていないし、其の辺りをうろついている訳でもないので何時の時代でも一般の 目には馴染みがない。従ってどうにでも創作し易いのでどちらかと言えば悪いイメージで創られて来たと言える。ですか ら殆どの人は「鬼」に好感を持っていないし、「鬼」と言う字や話になると皆さんイヤーな感じで一歩引きます。 そして鬼ごっこの時に「鬼さん、コチラ、手の鳴る方へ」と囃したてるように、鬼は本質的に「追いかける」役を持たされ た。また例えば昔話を聞いた子供が「鬼と仲良くなりたい」と思ったとしても、其の子供たちでさえ、他人から自分が 「鬼」とか「鬼っ子」と呼ばれたいとは思わない。 そうなるのは多分、瓦屋根の上に載った鬼瓦を見たり、節分の時に「鬼はー外!」と煎り豆を投げつける悪習にもよる のでしょう。でも果たして鬼はそんなに悪くて怖いものでしょうか。今の社会には結構「仕事の鬼」とか「鬼監督」などが 実在しますが、多分皆さん、何れも責任感が強いとかエネルギッシュな良い人たちではないか。 であれば鬼とは、「仕事を追う男、責任を追及する人」と置き換える事も出来る。「日本昔話」にも鬼が時々出て来ます し、日本各地にも結構「鬼伝説」が残っています。彼らは総じて力持ちとか人の良い存在として語られて来た。 しかし其れだけに義憤を感じていったん立ち上がった時にはやがて反対勢力から悪者にされて誰かに退治された話と して残った。また岡山や熊野には鬼ヶ城などの名勝旧跡があったり、長崎の鬼岳などがあり、また各地には鬼沢とか 鬼塚、鬼住、鬼怒川・・・・などの地名や苗字を持つ人が実在します。 けれどもそれほど強い鬼が、逆に誰かを征伐し亡ぼしたと言う歴史が国内にはないから不思議です。ですから逆に、 「鬼とは前政権を亡ぼした新参の権力側の事ではなかったか」と言うような見方をする歴史ドラマが繰り返し作られる。 でも実際は、鬼がやがて小さな島や城のような所に閉じ込められたり、何れも亡ぼされた例が多い。 けれども鬼が退治されて滅ぼされた名残として、其の子孫が僅かに生き残って鬼の付く苗字を持ち、鬼の地名の地域 に住んでいるのかと言えば其れも違う。早い話が、鬼とは先祖を神として祭った人達でした(詳しくは次項で述べる)。 何時の時代にも進化論はあった。旧風を打破して新風を入れるのが革命の論理となる。 従って新興権力者は前勢力(旧風、伝統、保守)を「悪だ」と決め付けて滅ぼした。もしくは滅ぼしてから後に歴史を書 き換えた。自分を正義として書き換えるために、前勢力(敵)に「鬼のレッテル」を貼って悪者に仕立て上げた。こうして 亡ぼす手口は長い間旨く行った。つまり、鬼の再生産で歴史が綴られたとも言える。 謡曲や能にも観世流の鬼が登場する。このように創作された鬼が多いし、心の中の夜叉も鬼とする仏式観念が作られ た。だが其の手口は国内でしか通用しなかった。戦前・戦中には例えばアメリカやイギリスを「鬼畜米英」と言いなが ら、結局は日本が滅ぼされました。日本で鬼を創作しても国際的には通用しなかったのです。 このように、鬼は其の時代の敵として為政者が拵えて民衆に刷り込んだものが多い。支配者にとって邪魔な存在、例え ば与党にとって野党は鬼である。この様な手口は何時の時代でも便利に使われたものの、実際に強くて悪賢くて鬼より 怖いのは権力を笠に着た支配者でした。 要するに「鬼」を作った輩は、そう言う一握りの権力者と其の手先である。其れに虐げられる一般民衆の側、支配構造 からハミ出たアウトローや弱い人たちにも鬼はいたが、其の鬼は正直で純真で無欲で力持ち。常にひっそりと暮らした 民衆であって、鬼として誰かを亡ぼして支配した事はなかった。 所が近代の支配者と其の手先たちは何時も鬼とは逆に、神のように振舞っている悪魔である。彼ら権力者は何時でも 神のように人々を裁き、其れに異を唱えたり正しい事を言う者を悪者(魔女)や鬼のレッテルを貼って血祭りに上げた のが此れまでの歴史でした。中国は被害者のような顔をして今も日本人を鬼子と呼ぶ。 特に最近は反日感情を煽る為に日本を「侵略者」として詰なじり、「日本鬼子」(リーベングイズ)と叫んで溜飲を下げる。 此れに敢えて反論する気はない。シナ大陸は広いが、確かに彼の国の何処から見ても日本が鬼門(別項参照)に位置 する。よって日本に逆らったら必ず彼の国は滅びたのであるからオニと言わして置けば良いのである。 しかも日本人の殆どが日の丸を国旗として太陽神の御子・末裔えいとして来たのだから、「鬼子」で正解なのです。 ●鬼の真実・・・・・・・節分の夜には決まって鬼が登場するが、何処でも鬼は、人々から「鬼は外 !」と煎り豆を投げつ けられ、頭を抱えて退散する。なのでユーモラスだが哀れな存在と見ている。こうした鬼は決まって牛の角を付け、虎皮 の褌を付けている。しかし鬼たちの素性は珍獣・妖怪ではなくて方位の丑寅、つまり北東を意味した。 其処から丑寅の方位を鬼門と言い、其の方位の暦の節分が明けると翌日は立春であり、昔はお正月、つまり新春が 始まった。とすれば鬼は珍獣・妖怪ではなくて、方位と暦を司り、春を齎す役者だったと推定出来る(「鬼門」を参照)。 彼等はつまり、正しく太陽観測した暦によって先祖祭りをする和人(原日本人)でした。 其れは兎も角、観測に関わる点については漢字から見ても分る。鬼の古字は上の「点」が三角形でした。此れは太陽 観測に使う見柱を意味し、観測精度を上げる必要から柱の先端を尖らせた形です。其れが「鬼」の頭に付く「点」即ち 「ツノ」であり、続く「田」の字は水平面を四角に仕切った形を示した文字です。 此れは円または方壇、即ち法界・結界の意味でもあった。其処では柱を倒して円周を描き、或いは柱を定尺として方形 の面積を画いた。こうしたのは日影を観測して方位を確認する必要があったからです。更に真昼間の日光の動きは早 く、中々捉え難い。其の日光の動く早さを強調するために「田」の下に「人足」を付けて示した。 同様の理由から太陽の陽の字にも「易」の旁を付けた。此れは獣の足のように日光(日影)の動きが早い事を示すた めでした。「易」とは占いの事であるけれども元々は「変化」を意味した。変化する光を観測する所を「場」と書き、また三 態に変化する水の熱くなった物を「湯」と書きました。 場とか湯の文字には変化を意味する「易」の字を当てました。そして鬼の字には「ム」の字も付きます。此れは角度、即 ち日影の勾配を計る作業を意味した(ムを参照)。つまり鬼とはこうした神柱(見柱・大柱・宮柱)を立てて、その柱の下 で作業をする方々(ヒジリ)を意味しました。 其れに、鬼は、赤鬼や青鬼として今も出て来ますが、此れは四季を四方で計ったからです。つまり五行の理で方位を示 したものであり、五方に対する五色を表している。東西中南北が青・赤・黄色・白・黒となるのは相撲の場合も同じで す。ただ鬼はユーモラスに見えても実は怖い存在である。 人は鬼を人間以下の獣か「化け物」の類と見下していますが、其れは何の根拠もない偏見と誤解であって役には立た ない固定観念です。嘘だと思うなら「墨子」とか「鬼の日本史」(沢 史生著 彩流社)を一読すれば良い。鬼は怪獣やオ バケでもケモノでもなく「神」かヒジリでした。其の点については今でも「鬼神」とか、「神出鬼没」と言う熟語が有ります。 鬼神は自由自在に変幻し、出没出来る、と人は見た訳です。鬼が去ればその代わりに神が出現するように見えても実 は、鬼と神とは同体異面だったのです。また日本史を裏から見れば、厳格な天文観測を基に祭事と祭政一致の政治を した出雲の神々が、やがて大和から追われた事実が分るだろう。 以来、正しい太陽暦が消されてなくなって渡来の暦法による暗い時代としました。正しく暦を作ったのはつまりは鬼たち でした。彼らは結果として追われたが、本来は太陽を追いかける人々でした。だから其れも知らずに「来年の事を言っ たら鬼が笑う」と古人は戒めたのでしょう。 其れにしましても「百鬼夜行」とか「疑心暗鬼」とか「悪鬼!」なんて言う熟語はイヤですね(鬼族としては)。鬼は朝と昼 を祭るヒジリ(神人)なのですから夜に出歩く事はないのだ。魑魅魍魎(チミモウリョウ)とか暗鬼なんか、一体、何処に いると言うんですかね(全く)。 さて地上に柱を立てた様をリアルに示したのが今では鍋蓋と言われる┻の字(鍋蓋を参照)であり、其れに地平・水平 線を意味する横線を付け、或いは四方を意味する「+」に横棒を付けて「土」の字とした。其の上さらに横棒をもう一本 加えて「王」の字にしています。文字は、鬼や王が天文観測した事を示す一貫した図式になっています。 「王」はつまり、天地を繋ぐ人だった。もっと厳密に言えば、日の下であの世とこの世を繋ぐのが墓標であり、見柱であ り、其れを祭る「鬼」たちでした。ただ鬼は「君臨すれど支配(統治)せず」でした。鬼と共に働いた人達が古の聖、即ち 「日知り」であり、常に天上を見るヒジリと多数の俗人とを繋ぐ役目が天下を纏める人王の立場でした。 それに対して権力者は常に神や正義の名を騙り、実力でなくて権力(仮のチカラ)を借り、或いは外圧を頼って国を売っ てまで人民の管理と支配権を獲得しようとする存在です。特に今は偽王(政府)が民主化など渡来の観念を騙って正義 とし、其れを着て権力を振るう立場となった。 だから鬼の出る幕ではないが、「鬼監督」とか「仕事の鬼」などは活躍しています。色んな鬼が作られたし、中には上記 のような偏見で鬼を見るので注意を要する。鬼に冷た過ぎるのです。鬼は赤鬼や青鬼、前鬼・後鬼など、もっとオーソド ックスな観念で見るべきですが、人は、何か、気に入らなければ直ぐに「鬼ババア」とか鬼女と言うから酷い。 悪鬼とか、鬼畜(米英)と言う場合も此れは恐ろしい差別と偏見です。其れに「日知り鬼」としては特に、「百鬼夜行」と か、「疑心暗鬼」なんて書く熟語は真に迫る言葉だとは思うが虚構と言いたい。太陽のしもべである鬼は昼しか行動しな い。夜行性は黄泉の西洋人や都会人や化け物とケモノであって鬼ではないのです。 ●オニックス・・・・・・・・onyx(オニキス)。ギリシャ語。縞メノウ。色が爪の色に似ている所から名付けられたと言われ るが、白黒のもの(偽物?)もある。 ●鬼の面・・・・・・・能面や祭りの面として各地にあるが、京都府宮津には一角の鬼の面がある。夫婦一対である。鬼 が自ら彫ったと言う面で、今あるのは鎌倉時代の作。此処の鬼は水飢饉の時に村人の為に雨を降らせた優しく良い鬼 と伝えられ、節分では今でも「鬼はー外」としないと言われる。 ●おぬ・・・・・ ●おの・・・・・ ●おは・・・・・ ★オーパーツ・・・・・・考古学的には矛盾するので説明できず、「謎」として闇に葬られる貴重な遺物。例えば「カブレ ラ・ストーン」を参照。次は例えばトルコ博物館に秘蔵されている「ビリ・レイスの地図」 (別項を参照)はBc5cのアレキ サンダー大王時代の地図である。此れが今の衛星画像と一致する。 つまり上空から見なければ描けないのだが、当時は宇宙航空機はなかった。一致しない部分も有るが、其れは南米大 陸から南極に向って陸地が描かれている点である。南極大陸は近代に入ってやっと200年前に発見された所である。 其れが約1.1万年前の氷河時代は、南米から南極大陸まで陸続きだった。 つまり地図の原図は、其の当時に作られた事になる。第3として東北から出土する縄文土器の中で遮光器土偶と言わ れるものは宇宙服を着てヘルメットとサングラスを掛けたような姿の土偶が多い。此れは当時の宇宙飛行士ではなか ったか、と言われている。 また第4としてマヤのパレンケ遺跡にはパカル王の石室の絵にロケットエンジンに囲まれたパイロットの図が描かれて いた。また第5として「黄金シャトル」(下記)、第6として水晶髑髏、第7として蒸気モーターや古代の電池、其れにスリラ ンカでは1500年前にカッシャバ王が山の上の王宮に水道設備を作り、その下には噴水設備を造っていた。 当時から此処は水を制する者が王者だった。今も此の噴水施設は一部機能している(06/6/3のabcTVより引用)。 第8として、八卦の場合は既に数千年前に今のDNAの仕組みを全て読み解いて伝えて来た。第9として「テーベの小 箱」がある。此れは古代エジプトで作られた白金製の宝石箱だったが、その後の西欧では錬金術師たちが白金を「溶 けない金屑」として捨てていた。過去に行われた高度な白金加工法がやっと復活したのは中世を過ぎてからなのだ。 だがこれ等は意味が分からないだけであって直ぐに捨てられた訳ではない。オーパーツとして諸学問から証拠能力を 奪われて、謎の物として扱われるだけで、一応宝物として保存はなされている。第10としてギリシャのアルキメデスは天 文時計を作ったがローマ軍の兵士に殺された。 星の世界では文明を起こしても其のたび戦乱を重ねて高度なハイテクを滅ぼして来た。神代から全てがあった日本で は此れらを以って古来「日の下に新らしきものなし」として渡来のものや目新しいものを見下げて来たし、進化の嘘を知 っていたのである。 ★次はまた引用する・・・・・・今だ解明されない数々のオーパーツの中でも例えば有名なクリスタルのどくろ(上記し た)。これは現在の科学を用いても 作るのが困難なモノらしい。他には紀元前には作られていた電池等。 その時代で はありえないような技術の数々が詰め込まれた謎のアイテム。 次に「黄金シャトル」(上記した)を見た米軍技官が「これはF4戦闘機だ」と言った話は有名だが、実は、この話には後 日談がある。航空機産業で有名なダグラス社がこの話を聞いて、黄金シャトルのレプリカを制作した。精密な三次元計 測によって、全金属性の黄金シャトル(現物の25倍の大きさ)が制作され、小型エンジンが搭載された。 驚くべき事にこのレプリカを用いた飛行試験は成功裏に終わった。シャトルはスケールスピードにして最大マッハ1.2 の速度を記録し、飛行姿勢等にまったく問題は見られなかった。 実験を担当したダグラス社の製造技術部職員ダネル・リーは、レプリカを計測して作った設計図は航空力学的に完璧 だったと証言し、黄金シャトル=飛行機説は、事実の上からも裏付けられたといえる。ここで、これら黄金製品の出土 時の状況について説明したい。 黄金製品は各所から出土したが、出土場所ごとにちがった系統の黄金製品が混在していることはなかった。動物は動 物だけ、シャトルはシャトルだけ、というようにそれらは完全に異なる場所に保管されていたのだ。しかも、驚くべきこと に動物形状のものについては鳥類、両生類、爬虫類、哺乳類、魚類という区分が整然とされていたとのことである。 これは、黄金製品がある種の博物的区分を認識した上で作られていたことをしめすものだ。実験を担当したダグラス社 の製造技術部職員ダネル・リーは、「レプリカを計測して作った設計図は航空力学的に完璧だった」と証言し、黄金シャ トル=飛行機説は、事実の上からも裏付けられたといえる。 以上はhttp://piza2.2ch.net/occult/kako/1006/10060/1006066601.htmlから引用。 ●おひ・・・・・ ●おひねり・・・・・・神仏に供えるために洗米を白紙に包んで上部を捻ったもの。サングとかオサゴとも言い、最も素朴 な形の神供である。棟上の時の餅撒きや、節分の豆まきと同様、米を撒く事は、周囲の精霊に対する供養や魔祓いの 効果を期待して行われる。オヒネリは、正月の作り始めや山ノ神祭りにも供えられる。 熊野地方では銭を紙に包んでひねったお年玉をヒネと言い、人に物を贈る場合にもヒネリと言って、紙を折って拵えた ものを添える。秋田市では握り飯をオヒネリと言い、山梨県巨摩郡では洗米の包みをオヒネリ、オハナイリとも言う事か ら、オヒネリは花米から出た語とも考えられている(「民間信仰事典」東京堂出版より引用)。 ●おふ・・・・・ ▲オーブ・・・・・・・・プラーナ(別項参照)などと共に空間に現れる霊的現象の一つ。無数に蠢く泡粒のような形で人の 目に見える場合も有るが通常は見えず、他人から教えられれば見える。眼病にも同様な症状を呈するものもあるが、 プラーナやオーブは眼病ではないので誤診に注意。眼病を別とすれば普通の人の目には映らない。 また写真に撮った後で心霊写真として人の目で渦巻き形などが確認できる事も有る。或いは魂の動きが火の玉(別項 参照)や豆粒大の光芒の形として人の目の前に現れる事。此の種の霊体が現れるのは感謝の意思表示である。此れ に似た現象として金粉・銀粉が目前や足元に舞い降りる現象が有る。 ★オプスデイ・・・・・・・・ユダヤ・キリスト(カトリックとプロテスタント)教と結託した金権教。敬虔な信者たちは神か聖書 か教会に支配されていると思っているが、実はオブスディと言う黒い貴族に支配されている(カトリック、バチカンを参 照)。 ▲お札(ふだ)・・・・・・・・本来のお札は神を勧請する際の神の形代、つまり依り代であった。だが今はそうではない。 お札にはお守り、護符(別項参照)、大麻などと称するものもあるが、要するに今出来のものは全て「売り札」である。 其れを信徒が買ってきて家の神棚や車に貼り付ければ、神のご加護があると信じるものであるが、要するに領収書で ある。 と言うのは、其処に神が宿った事を証明できた例よりも寧ろ、事故を起こした車の何処かに、この種のお札を見かけた 例の方が多いからです。ですから此れは単に献金証明か領収書程度のものか、或いは「納税済み証」や「組員バッチ」 の類と見てもよい代物である。其の証拠に今も「お札」は「おさつ」と同じ字で「お札」と書く。つまり紙幣の類である。 紙幣の素性は要するに「おふだ」だった。祓う力はなくても、多くの人に交換性が認められれば市場価値が公認されて 「支払い」や決済の手段として紙幣となって流通する訳です。御札がやがてオサツと呼ばれるようになると世間では「お 足」とも呼んだ。オサツ(紙幣)を持っていても、「不動産」ではなくて足がある様に出て行ってしまうからだ。 さて例えば紙切れに「壱万円」と書いたお札(紙幣)には、其れ相当の支払い能力が認められる場合は、其の額面の範 囲内で世間の信任を得て円貨・円札として通用する。此れが流通価値であるが、「祓い」の価値は弱い。従って代物の 力による「数の論理」がバブル経済の破綻を見た訳です。 このように、お札が代物として化けている時期の紙幣は胡散霧消する。其処で其れを「ソロンの予言書」は事前に「神 はお金を使って裁く」と警告したと言う。またドルのように粗製濫造されたり、或いは軍事経済で財政赤字2000兆円と なった米国の属国となって財政赤字1000兆円の日本の日本銀行券となればどうか。 其の裏付けは神様の保証のない、マイナス札である。トランプならジョーカー(ババ)である。従って「ハライ不能」である が、「お人よし日本人」の神仏無信心・「金券過大信仰」と「拝金主義」で今は何とか支えられている。其のようなババ札 (円貨)を溜め込んでいるよりも、寧ろ神仏の裏付けのある寺社のお札を買って溜め込んだほうがまだ安心性がある。 有能な神のお札なら万能の力が期待できるかも知れないからである(「ハライ」と「円」を参照)。 但し、今の社寺の「おふだ」には生憎、流通性と決済手段がない。此れが泣き所である。そうしたのは神を皆で無力化 したからです。しかも神力の効能さえ不明な時点で社務所で先に銭を取る「売札」行為が間違っている。 其処で本書は神を強力化する方法論を歳時記として提示した訳だが、少なくとも次善の策として、お札は効果を確かめ た後の「後払い制」とすべきだろう。 効果も定かでないのに先に銭をとってしまう今のやり方(先取り商業主義)を変えて、一年後にまたお祭がある時には、 其のお礼に山ほどの供物を捧げると言う方法に変えるなら、日本の美風が育まれる。其れでこそ神力もイヤ増して共 に栄えるだろう。無論其の「お札」の交換価値・流通性もイヤサカエるに違いない。 ただ少し困る事がある。別に欲しくもないのに神社から下さるから溜まって来るので処置に困るのです。良く参拝したり 寄付などでちょくちょく戴くので、次第に寺社の護符や御札が溜まって来ます。此れは自宅に有り難い神を勧請する行 為にもなります。なので悩む。でも今はまだ特別な御利益があるとは思えません。 各々寺社の受領印を押した領収書のようなものだと先ずは考えて見たい。次に日本には八方に万の神が宿る国です。 だから各方位に神がましますので1戸の家に一ヶ所固定した神棚はこの際は大して意味がなくなる。なので家から見 て、その寺社の方角に貼り付ければ、毎日でも家に居ながら其の神仏を礼拝出来る事になりますので意味が出ます。 以上2点を前提として言えば、画鋲で壁に貼り付けても良いのです。気が咎める場合は、ポリ袋に入れて止めれば良 い。そうして何時までも置くのではなく、年末とか1年後とか節分には近くの神社の納札所へお返しする。と同時に、1年 間の間に、その神の霊験があったり、感謝したい場合は、新たな護符を戴いて来るようにします。 末尾の部分はhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311209893「ヤフー知恵袋」に回答した部分 から引用した。 ●おへ・・・・・ ★オベリスク・・・・・・石の角柱で、先が尖っているので「串」を意味した。古代エジプトのピラミッドの近くに多数立てら れていたが、その後、戦利品としてローマ外、ヨーロッパ各地に持ち去られた。当時のエジプトは太陽暦であり、オベリ スクはその日影を観測した御柱だった(「御柱」、及び「ノーモンを」参照)。 ▲お遍路・・・・・空海(弘法大師)を慕って、「同行二人」を信じて四国88ヶ所(別項参照)霊場を巡拝する事。この寺の 巡礼姿は菅笠・ずだ袋を負い、白衣(白木綿)・手甲脚絆・白足袋で金剛杖を携える。つまり「死に装束」である。こうし た様式で何百年も続いて来た。今風の観光ツアーとは本質的に違う為に「継続は力なり」となる。 ●おほ・・・・・ ▲お盆・・・・・・・・盆を参照。 ●おま・・・・・ ▲お守り袋・・・・・・・・かつて晴れ着(着物)にはセーマンやドーマン(各々の項を参照)の形を縫い付けたり、桐紋や鶴 などの吉祥紋の形を縫い込みました。或いはカゴメの形が魔除け、邪気祓いとされて来ました。紐の結び方にも吉祥 が有ります。お守り袋の場合は叶結びが多いが、安産のお守り袋には犬のマークを付ける。 犬は安産のお守りでした(「日立帯」を参照)。 そして袋の中には桃(邪気祓い)、ひょうたん、「無病息災」の文字とか笑顔の絵など・・・・・を入れます(以上05/3/ 3、NHK教育TVより引用)。 ●おみ・・・・・ ◆臣・・・・・・・おみ。 ▲オミナエシ(女郎花)・・・・・・・・秋の七草の一つ。因みに其れは萩の花、尾花葛花、撫子(ナデシコ)の花、女郎花、 また藤袴、朝顔の花(万葉集、巻八)。小枝が左右一直線に出てスックと生えて立つのが特徴。上から見れば直角と直 角が交互になって十文字にも見える。語源は女(おみな)飯ではないかと言う(柳宗民著「雑草ノオト」毎日新聞社)。 オミナエシは黄色の花だが白い花を付けるのがオトコエシ。昔は野生のものが見られたが今は玉川オミナエシと言う園 芸種の市販品である。 ●おむ・・・・・ ●おめ・・・・・ ●おも・・・・・ ◆表日本・・・・・・・今は日本列島の太平洋側の事。「裏日本」と対照的な関係で使われる用語となったのは、黒船来航 以来、横浜や神戸が米国との関係を深め、また此処に工業都市が発展して太平洋ベルト地帯と言われるようになった ため。ただ日本海側には直ぐ近くにシナ大陸があり、かつては渤海や朝鮮などとの交易の玄関口だった。 二千年間以上の長い歴史の間に渡来文化を採り入れた玄関口が日本海側だったのですから昔は永く「表日本」だっ た。其処を逆に今では裏日本と言い、明治以後は特に、海原以外には何にもない太平洋側を「表」と見てしまった。い や、表裏の関係は日本が元々南天主義であったためかも知れない。 「天子南面」の価値観から日本人が生活して来た事による観念である。例えば元旦の日の出の遥拝も東に礼拝します し、朝日が必ず太平洋から上がり、昼間は南にあるから南が表で北が裏となる。旧正月方位の鬼門に対して、裏鬼門 (お盆の方位)と言うのも同じ観点による。 ただ今後、日米関係よりも日露、日韓、日朝、日中関係が活発化するとまた日本海側が玄関口となろう。でも表裏の関 係は逆転しないであろう。 ●おもろ草紙・・・・・神を護り讃える意味の琉球古代の歌謡。我国の祝詞や万葉集に比すべき叙事詩。ノロ(祝女)が 神、及び神の子なる自らを歌い、更に天地創世・国王・英傑・宗教・風物などを歌って人民に聞かせたもの。天文元年 から慶長18年までの全22冊に歌数約千五百種を載せている(以上「広辞苑」から引用)。 ●おや・・・・・ ▲親・・・・・・・・オヤは祖、または親と書く。祖の字の「且」は「男根を示す」とも解釈出来るが、男根ではなくて実は「目」 である。「目」については別項で述べるが、定規(スケール)の目盛りを象った字である。凡そスケールは元々木であり、 其れは「相」の字にもなるが、其のスケールを地上に立てたのが墓標であり、石なら碑であり、其の意味は「表」でした。 「表」は主の衣と書いて一定の動きを示す意味を持たせているが、標は「しるべ」であり、太陽の日陰を印すものでした (「御柱」を参照)。親の墓地に子供は命日の「しるべ」として見柱を立てた。あの世は西方浄土であり、従ってやがて漢 字が「西を示す木」として「標」としたものだろう。 何れにせよ、子供は親に育てられるが、親の柱を立てて日影の線を図って暦を辿る立場であった。子は親を見て育 ち、やがて成人すれば老親を看て暮し、更に其の墓標を立てて命日を見る立場を字が示している。両親は愛と鞭で子 供を育て、見守り、食事を与え、学費を工面して成人させ、結婚させる。だから老いる。 老いれば力が衰えてよぼよぼになりますので、一見して無力になったようにも見える。けれども親は子供のメーカーで あり、生きても死んでも子供を実効支配し続ける。喩え死んでも子供より大きな刃のような力も持っている。其れがメー カー責任としての生殺与奪の支配力であり、天与の正当な権限である。 この親子の関係がこの世で逆転する事は決してない。ないのですから親の意味・使命・責任は重大である。 ▲親方日の丸・・・・・・・・日本の国旗は日の丸であり、其れを掲揚した時には国歌「君が代」を歌う。だから親方は天 皇であるのかと言えば、そんな話ではない。企業は多かれ少なかれ綱渡りの上で成り立っているので儲けもあるが倒 産の危険性が常にある。だから親方がそんな危うい企業なら従業員は常に心配です。 其の点で日本のお役所は国民が言わば親方ですから倒産する心配が絶対ない事を皮肉って言ったもの。皮肉とは例 えば、日の丸は政府の掲げる看板であって実体はなく、また此の米国隷属の政府が赤字国債残高1000兆円を積み上 げたからである。しかも其の大半は公務員の人件費で食い潰した。残り半分は助成やODAや談合で浪費した。 しかし今尚、公務員だけ高給・優遇されており、しかも譬え犯罪行為を犯しても役人は一切責任を取らず誰も処罰され ず、納税、責任、処罰、・・・・全て国民が負うカラクリで、国民が益々油を絞られ窮乏した。少なくとも国民はその様な国 家(偽日の丸)政府に対して酷税を払って青息吐息で支えて来た。 或いは国民だから国債の利息程度で我慢しているが、此れがサラ金だったら小泉さん、どうしますか。何回自殺しても 首相が足りませんヨ。 ▲お役所・・・・・・・・お役所は有史以来、唐の律令制を採り入れた所であり、以来、平安貴族を支え、また江戸時代 は仏教寺院が寺請け制度で引き継いだ通り、今も平安以来の月性の亡霊がさ迷う所だ。よって今の日本も「役人天 国」と言われる。例えばabcTV(05/11/28)によれば、彼らは「寝る・食う・帰る」の毎日である。 此処は月のような無気力な脱力社会であり、やる事がないから疲れる。よって何処でも集団で公然と居眠りする。其れ を報じた週刊誌や暴露本も出始めたと言う。・・・今の日本のお役所は薄明かりの月世界ですから当然こうなります。そ んな手合いが組織の癌となり、「お役所の論理」で全国的に私物化して機能不全にしている。 其処で歴代内閣は「行革」と言うスローガンを掲げて国民の人気を集める。けれども中身が腐ったまま、表紙を替える だけでした。大蔵省を財務省や金融庁に、建設省や運輸省を国土交通省に、農林省を農水省に・・・・と言う化粧直しで 目クラマシするのです。クルクル転勤させ、クルクル名前を変えて責任回避と責任転嫁で癌を全身に転移させた。 しかも其の癌は国民の金を当て込んで巨大な庁舎を造った。リベートを取って箱物作りに勤しんだ結果、借金漬けの 体質にした。乱立する高層ビル群の中でも天を突くような都庁舎のように、皇居も寺社も三池炭鉱の煙突が見下すよう になった。其処から見下ろしたら都民や市民はきっと蠢(うごめ)く蟻ンコのように見えるに違いない。 霞ヶ関でも地方でも同じである。瀟洒な建物にした所で、其処に巣食うのが腐った体制の中の無責任な高給取りの貴 族(ロボット公務員)を増やすだけでは日本を滅ぼします(「つき」、「役所」を参照)。 ▲お役所解体論・・・・・・・・今のような無能なお役所は無用な時代です。でも「それは無理だ」と言う人が99%であろ う。そうした方々はお役所を食い物にしているか、もしくは此れまで過重に依存して来て義理や恩義のある人たちであ ろう。或いは自立する気の無い人が反対するに違いない。 自立について特に言えば、食料を農業などで自給自足し、消費したものをリサイクルしてゴミ処理まで自分でしている 人はお役所がいらない。他方、自助努力をせずに依存した人々がお役所を肥大化しました。人口増大によってあらゆ る業種が専門化し、分業化したために、お役所が肥大化しても今のような無責任体制にしてしまった。 かつては頼れる存在と見られたが今は膨張して無責任になり、簡単な事でも半人前の事しか出来なくなった。半人前 だから二倍の人数を抱える。此れでは住民に高負担となり、規制を増やして住民を縛り、罰金を課すだけの所となり、 住民にとっては何のメリットもなく、ただ迷惑なだけの存在になった。 警察と消防まで直ちに無用とは言わないが、此れだって縮小すべきです(防災を参照)。特にお役所のする公営(公 共)教育のような安易な仕事は民間でならもっと上手に出来ます。また例えば大阪を再生するには民間の努力よりも今 は先ず府庁と市役所をなくして身軽になる事です。府市民にとってこんなものはなくても全く困らない。 グズグスしている間に、どっちも数兆円の巨額赤字を抱えて破綻寸前です(「大阪」「同和」「夜警国家」を参照)。府市 民の為に費やしたのではなくて、職員の人件費やヤミ給与が赤字の原因ですから破綻の責任は彼らが負うべきです。 よって退職金はゼロとし、此れをチャンスに府市を廃止する。全ての職員を首にして民間委託します。 でも其れにはかなり抵抗があろうから庁舎を解体して公売にかけて先ず借金を片付ける。残った職員はプレハブか貸 しビルに間借りして定年まで勤めるが補充しない。丁度06年には建設80年を迎えた大阪府庁舎が震度6で崩落の危険 があるとして建替え案が再浮上した。もう5度目らしい。此れを撤回して公売に掛ける。 何をやっても半人前で巨額赤字だけ積み上げたのだから潰したほうが良いのです。府民は困窮して「夢のプラン」所で はないのだから跡地を処分して今の借金を先ず減らすべきだ。此れまでは「天下り」をなくせなかったが、職員がやが てゼロになれば民間委託しても「天下り」する事はない。此れで府民はひとまず安心出来る。 地方交付税の窓口と徴税業務は信託銀行か経理会社に委託し、保険年金は保険会社に、警察や消防は警備会社と 町会に、上下水道や清掃業務は民間業者に、福祉も民間に委託すれば良い。地下鉄などは民間に払い下げる。 首長や理事・参議と言った無意味な高給役職を全廃し、議会も解散して、全てボランティアの名誉職とする。民間委託 した業務を監督するため議会と委員会を大幅拡充し、庁舎の跡地は公園緑地にします。大阪は公園が少ないので避 難場所を確保する必要からです。 「そんな事、絶対無理だ」と言う人もあろうが、「お役所の論理」でこの先も存続させれば巨額赤字の解消さえ無理であ る。どうしても職員として残りたいなら庁舎ではなく、戸別訪問して御用聞きに徹するべきだ。 今は急速な少子高齢社会と産業の空洞化に至り、「お役所の論理」よりも民意、つまり世間の常識で断を下さなければ 府民も市民も暮していけない時代です。今までは窓口に訪れた市民を盥回ししたが、以後は逆に個別に訪問して苦情 を聞き、各セクションを回って問題を自ら解決してから税金を戴き、或いは年金と相殺するべきだ。 此れからはそうした実働職員やボランティアの方が期待されるだろう。 ▲お役人・・・・・・・・国民を黴菌か罪人の様に見下す公務員。常に自分たちの縄張りから他人を排除しようとする人 達。独占的な権限を振り回す階層。公僕とか公務員と言う立場ならば、少なくとも対等な関係で住民と接するのが当た り前である、べきであろうが、現実は逆様である。 彼らは採用時に公僕として宣誓している筈であるし、無論「法治国家」や「国民主権」と言う事を知っている訳であるが、 現実には官の論理を優先して官主官守主義で住民を従属民と見なす人々。こうした状況は歴史の中の異端の時代で あり、国が滅びる時はこうなる。幕末も、戦前も同じだった。 因みに明治のお役人は人口の0.4%だった。彼らは高給取りで優雅な暮らしだったが、国としては其れで纏まっていた (かつての武士は逆転して辛酸を舐めたが)。其れに対して現在のお役人は、赤ちゃんまで含めた全人口の3.2%と言 われる。国費の大半を彼等・ゴク潰しが占めるて亡国の平成末期としている。 ▲親孝行・・・・・・・親に孝養を尽くす行為。「姥捨て山」をモチーフとした映画・今村昌平監督による名作「楢山節孝」が こうした孝行噺を演じて世人の感動を呼んだ。何時の時代の親も、何人もの子供たちを育てた。だが何人もの子供が 成人すると、何人いても一人の親の世話もしなくなるのが古今東西の世間である。 だが孝行しなくても道義的責任くらいで、別にどうと言う事はない。各々自分の子供や目の前の事に精一杯で親の事ま で及ばないから社会福祉制度があると言うのでしょう。でも其れに応じて自分には経済、育児、病気などの問題が増え てくる。其れが霊的公平である。やっと解決したときは親の年齢になっていて、親と同様の宿命になります。 よって世間は「親孝行、したい時には親はなし」と言った。 ▲親子関係・・・・・・・・両性の合意によってABの男女が結婚すれば嫡子が出来る。日本の場合は出生から14日以内 に届出をする。此処から共同親権が発生し、同時に扶養義務が出来る。扶養義務は夫婦(ABの男女)の親(A2B2)に まで及ぶが、英米スウェーデンの場合は夫婦と子供だけである。 所で親子関係は当然ながら親(A2B2)とABから始まった事であり、従って4人の親(A2B2)が死去した場合はABには 相続権が有る。尊属卑属の配偶者の相続権の順位は配偶者が1/2、残りの1/2を子供の数で均等配分を原則とする。 因みに離婚の場合は親子関係は協議、調停、審判、裁判によって決定して届ける。 ▲親不知・・・・・・生みの親を知らない子。また新潟県の日本海に面した波の荒い海岸絶壁に「親不知」の地名があ る。外にも人には最も遅く生えて来る歯に「おやしらず」があり、最奥の上下2本、合わせて4本ある。鬼歯とも知歯とも 言う第3大臼歯。人の成人の歯は上下に16本づつ合計32本ある。 28本しかない人もあるが、此れは不完全な人ではなくて最奥の4本がまだ生えてないか、歯肉に隠れて見えないだけで ある。 ▲親の責任・・・・・・・・日本人は昔から、性質(たち)の良くない子供を見たときに「親の顔が見たいものだ」とボヤいて 来たが、ハリウッド女優からモナコ王妃となったグレース・ケリーも「果実を見れば木が分かります」との名言を残した。 リンゴを見ればリンゴの木がメーカーであると分かります。美味しい桃を食べれば、其の産地に関心が向きます。 また逆に、値が高くても美味しくない食品であれば、其のメーカーが不評を買います。子供を生んだ最初の製造元(メー カー)責任は古今東西、親と決まっています。 ▲親バカ・・・・・・・・必要以上に子供に甘い親の事。でも良いですねー、あの親子水入らずの親馬鹿風景は。ただ幼 児の期間中は其れも微笑ましく大いに結構ですが、何時までも子供にべたべたの愛情を押し付けていればやがて子供 にも嫌われますから、此処ではやや批判的に述べる。 親馬鹿は一見平和で微笑ましい面を見せるものの、結局は「子を滅ぼし、家庭を滅ぼし、国を滅ぼす」事になる。其れ を別の喩えとして日本では古来、「親はなくても子は育つ」と言って実は親馬鹿を皮肉っていた。昔は「貧乏人の子沢 山」と言われ、譬え貧乏しても大家族で支え合い、旨く育てる知恵があった。 だが今の社会は豊かになったのに「子育ては無理」と言う若夫婦が増えて少子化に拍車をかけたから皮肉です。其の 分、親や先祖を何人も見ているのかと言えば、そうではなくて寧ろ親を見捨てて社会制度に負んぶして、自分は海外旅 行をしたり高価なペットと暮らしているのですから呆れます。 要するに経済力はあっても親には愛情も知恵も労力も金銭さえも出し惜しみするのです。今は親孝行より子育てより稼 ぎや教育が優先と心得違いして共稼ぎの核家族化にしました。従って其れなりに何処も経済的には豊かになった反 面、少子化により、一人っ子家庭が増えて、其の分余計に子供を大事にし過ぎます。 ペットを大事にするよりは親馬鹿の方がましかも知れないが、その結果が犯罪多発となっているとすれば問題です。 子供が本当に大事ならば、先ず親や先祖を大事にして、老親を見届け、臨終にも立ち合わせて供養すれば生きた教 育になる。だが多くは無信心を自慢して来た(逆を示した)。親を見るより子供や孫を可愛いがって過大に干渉します。 このように親がペットに「命令する喜び」を得ているだけで、真の愛情からではない場合が問題です。この場合は子供 が成長するにつれて親を煙たがります。そうすると親子共に、もっと命令に従うペットと暮らすようになる。こうして目上 よりも目下を選ぶようになるのも親子の因縁・因果です。 子供はこの時点で親の意見も他人の意見も聞かない、勝手気ままな人生を送る人非人化するでしょう。 そうするとやがて親自身が老いた時に、「親不孝者」と子供を罵っても始まらない。其れは自分が其れまでして来た事 のコピーであり、子供に不孝の範を垂れて来た報いですから同じ憂き目にあっても仕方がないのです。そうした非人が 会社務めをすればやがて職場を混乱させる。もし学歴か何かの力で地位を持てば最悪です。 彼が他人に命令を下すのですから世の中が変になってしまいます。この様に、間違った愛情と自由主義や学歴主義で 子育てをする子供主義の親バカはその結果が凡そ裏目に出て悪循環に向う。溺愛された筈の子供は成長しても堕落 して駄目になり、またその親は失望して別居や離婚などで家庭崩壊し始めてやがて病院やホームに入るでしょう。 この様に甘やかしたわが子がやがて自分の先祖や親を「煙たくて臭い」と誤解するようになれば、やがて其の子供は親 の言う事も聞かなくなり、親から離れるか親を放り出します。子供が小さい間はペットと同様、扱い易く可愛いと思うので しようが、勘違いが有りました。 目下に有る子ばかり見て暮らして、必要以上に子供にサービスして機嫌をとり、或いは過度の命令などで子供の世話 に明け暮れている内に子供はやがて親の手の届かない所に行くのです(離婚を参照)。此のため子供の機嫌を取ろう としてやがて車を与え、結婚させ、家を買い与える。 そうすると子供が「自ら努力し苦労して手に入れよう」とする目標まで奪う事になる。国家社会の場合も、本来の義務で ある「祭り事」を祭政分離の美名の下で放棄すれば失敗する。 手前勝手な理屈(イデオロギー)は幾らでも思い付きますが、その様な勝手な解釈で利益(税金)だけを貪るにつれて 大局を見ず、ビジョンもないまま、下世話な事に終始するようになるし、其れに従って国を危うくし、滅びの道を進み始 める。其の世界的な好例が今の日本政府です。 子供のためには両親の中でも父は厳しく、母は優しくして、自然界には暑さ寒さの違いが有る事を教えるのが親の役 目である。エサを与えるだけが育てる事ではなくて、子供が良い事をすれば褒めてやり、また悪い事をすれば叩き直す のが親の務めだ。此れがメーカー責任と言うものです。 しかし多くが其の道理を弁えずに学術・学歴、点数主義に走らせる。其れを誰かに注意されると「ウチは子供の自主性 を大事にして自由にさせてます」と言うような生意気を言って甘やかしたまま育てる家が多い。だからその内、親の言う 事や先生の話も子供が聞かないようになる。 子供にさえ信用のない親では大人社会では半人前ですから対等に振舞ってはならないと思うのだが、そんな親馬鹿で も社会の一員として振舞うものです。平等とかヘチマとか言ってモノを言うので職場も社会もだんだんおかしくなって来 ます。悪人が出たり、犯罪が多発するのもこの世では必要悪の事ですが、今以上に増えるのは好ましい事ではない。 そうしないためには其れなりの道理を弁える必要があろう。子供が親の言いつけに従うのは当たり前であり、また成長 すれば親を看るのが義務であり、其れを放置して子供に専念すれば其の親は社会福祉のお世話になるから社会の損 失である。 喩え社会が平均的に良い仕事をしても、全体として損失が多ければ其の社会はストレスで険悪化し、青少年犯罪の多 発も促してしまう。先祖排除の親馬鹿の尻拭いまで社会全体が負担するようになれば、結局は国が滅ぶと言う事にな る。とすれば此の様に子供主義の親バカは何も社会に好結果を生まないと認め、反省すべきではないか。 ●おゆ・・・・・ ●およ・・・・・ ●おら・・・・・ ★オラトリオ・・・・・・イエズス会の聖壇。「セミナリオ」を参照。 ▲折りがた(折形)・・・・・・・・礼法の一つ。慶弔に際して金銭や花を包んで贈る場合の和紙の折り方である。無地の白 紙を上格とし、また天地・左右の別がある。天地は先が天で手前を地とする。また左側を太陽として右より上位、即ち 「吉」を意味する。 折り方と水引の色よって吉凶の意味が変わる外、水引の色や本数、結び方、折り方のヒダの数で軽重を決める作法。 箸折りなども其の部類になる。 ▲折りがみ(折り紙)・・・・・・・・鳥の子紙、奉書、檀紙などを横長に二つに折ったもので、公文書、交名(キョウミョウ)、 目録、極書(きわめがき=鑑定書)に用いた。 ★オリンピック・・・・・・蛮族の地、ヨーロッパでは古来、国々の争いが絶えなかった。狩猟と遊牧の星族(別項参照)は 好戦的な種族だからです。ギリシャのアテネと言う都市名も「アテナ」と言う「戦う女神」が語源であろう。 其のためオリンピアでスポーツの祭典を行い、その間は戦争を一時中断する事としたのがオリンピックの起源と言わ れる通り、其れほど彼らは有史以来、好戦的だった事を物語る。しかも其れは奴隷同士を全裸で戦わせる競技だっ た。 だから無論「女人禁制」だったが、女性は競技に参加しなくても、彼らの痛みを知らずに楽しく高みの見物をする立場だ った。だが現在のオリンピックではイラク戦争の間も戦争を止められなかった。今の社会は社会進化論とは逆に、理性 が失われて対抗意識や敵愾心だけ煽る醜い時代にしています。 アテネでは日本も負けずに大量の金メダルを獲得した。けれども其れはスマートな方法だったかどうか。罵声を張り上 げたケースもあり、実に恥ずべき場面もあったのである。また04/8に中国で 開かれたサッカーのアジア・カップで は、中国人が感情的な「反日」の罵声を投げ、物を投げて騒ぎ、大使の車のガラスを割る状態だった。 こんな有様では次の北京オリンピックに日本は参加をしないのが賢明であろう。中国は今回、過去最高の32ヶの金メ ダルを獲得し、国威発揚を祝っている。 それは結構だが以前から中国当局が日本を敵視して政治的に「蔑日・反日・抗日」を煽動して来た責任を回避し、トラ ブル多発を防止する気も力もない以上、日中間に深刻な事態となるのを避ける為にも日本は参加拒否を打ち出すべき だろう(「五輪」も参照)。 ●おる・・・・・ ★オール電化・・・・・・・風呂、暖房、調理などの全てを電気で賄う事。以下、06/9/10の朝日記事から引用すれば、 深夜電力を割安に供給すると言う電力会社の「エコノミー、エコロジー、セーフティー」の触れ込みで現在は全世帯の 3%まで普及した。 特に都市ガスのない北陸、中国、四国電力などでは新築の6割が此れになっていて利用者の満足度も高いとされてい る。例えば関電などは原油高の中で火力よりも安価な原発で発電して儲けているが、此れをクリーンエネルギーとして 宣伝している。だが放射能がクリーンなのか。石油を燃やしてもCO2は排出するのだ。 原発・電力関係者の欺瞞の論理が「温暖化キャンペーン」(温暖化を参照)に悪乗りしている訳です。例えば環境団体 の「気候ネットワーク」の調査では、オール電化住宅が「電気ガス併用」に比べてCO2ガス排出が実は5割以上も多いと 判明した。電化生活は確かに利で快適である。ただ深夜電力は昔は半額だったが今はそれほど安くない。 エコキュートなどの設備費も高くつくが此れも電力会社の儲けとなっている。深夜電力としての電気代は安目に設定さ れているが電気代が安いのが省エネではない。電力使用量は多くなるのですから矛盾するのだ。其の電気は放射能 やCO2を大量に撒き散らして生産しているのですから要するに原発を支える意味しかない。 見かけはクリーンであっても温暖化防止の役にも立たない代物・食わせ物である。のみならず電化にだけ依存すれば 危機管理上一番弱い。地震や台風で大きな被害を出すのは停電が原因しているケースが多くなっているのです。 ●おれ・・・・・ ●おろ・・・・・ ●おわ・・・・・ ■ 「おん」以下は次ページへ ・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆★▲◆★ 次は ![]() パテント・著作権は本会に属します。 「鬼の会」 |