http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」  page051051.html(未定稿)



   日知り事典・古義     イテ〜イノ

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 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
いて● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆★

●いて・・・・・・・

イデオロギー・・・・・・イデオロギーとは「異教性」(別項参照)の事。イデオロギーは客観的な事実とか思想などで
はなくて異端・異教的な観念の事である。

例えば欧米人は自分たちが鯨油を採るために鯨を乱獲して来た過去を隠し、しかも自分たちが毎日、何万頭もの牛や
羊を殺して其れを常食としている事を棚に上げて、他国には動物愛護と捕鯨全面禁止を平気で強要する。其の正当化
の観念がイデオロギーの実体である。戦後のGHQの施策もキリスト教の観念で大日本帝国の精神主義を破壊した。

軍国主義を破壊する目的で自由とか権利と言う概念を注入しました。敵国・敗戦国だからシラミを退治すると言って頭
からDDTを振り掛けた事と同じです。その結果として今の日本になりました。何れにせよ思想的な正義や権威、或いは
客観的事実や伝統とか公平・平等性の論理などではない。

道理もヘチマもない、歪んだエゴによるマヤカシの論理であり、異教弾圧と排除の観念でしかない。従って其の観念は
聖戦の論理にも犯罪にも直結する。例えば近年、平気で強盗殺人をする外国人犯罪が日本で急増している。

これは異教徒の地ならば其処の住民は皆異端・魔物の徒と見て、「其れなら何をしても良かろう」とする、非常に偏っ
た、しかも激しい一神教的な敵対観や信念・観念であり、このイデオロギーを持てば平気で他人を殺せる理屈となる。
つまり新学説とか新思想の事ではなく、其の時代や本来の社会に馴染まない異文化破壊の観念である。

何時の時代も繰り返される異端の極論、「危険な観念」である。イデオロギーは全て敵対意識から発生した。例えば侵
略戦争を十字軍や聖戦と言う正義感にすり替える思想である。或いは凡そ250年前にはルソーの自由平等主義、スミ
スの国富論、そして200年前、ダーウィンやマルクスによる進化論や資本論と言う流行を見た。

哲学では形而上に対する形而下の概念であり、主に唯物(モノカネ)史観と言われる。これ等の特徴は、何れも学術的
な装いを偽装しているものの、法則ではなく、権威的なカトリックや王権に対抗し、敵対する目的で出た観念であり、「異
教性」的唯物史観による「階級性」を伴う一時流行の仮説である。

実際の自然科学とも道理とも矛盾する異端の極論(歴史的・社会的に制約された考え方)であった。因みに「階級性」と
は資本家と労働者と言う思想傾向・対立概念である。今になって見れば、デモクラシーや共産主義、或いは資本主
義・・・などが社会を如何に狂わせたかが分かろう。特に唯物主義は反社会的で俗悪な極悪観念だった。

例えば霊界はこの世とほぼ同様の世界であるが、あらゆる面でこの世とは逆相になっていて、例えば物質世界のこの
世とは逆に、あの世は精神世界である。だから、この世の常識で処理すれば間違いを犯す。其れにより、科学万能の
教育を受けた現代人が「見えないものは存在しない」と決めて掛かるようになった。

だが神仏先祖を無視すれば、やがてその人には決して無視出来ない様々な形(現象)として事故や事変に出遭う。見
えないモノでも此の世に写し出す現象を起こす力が大きいので、それらを「祟り」と言った。崇りに遭わないためには祭
りをする事であり、其れには神仏を無視するのとは逆に、神仏を認めて、しかも誰かを主神として特定したほうが良い。

ただ此れは簡単なようで実に難しい。其処で在地・在来の方法(作法)に従って祭るのが一番容易く無難である。所が
異教徒は其れをしないで異教の事物を恐れていきなり滅ぼそうとする。一神教が在地の文明を次々滅ぼしたのはこの
不安増幅の為である。

個人的には皆良い人なのであるが、異教の神を恐れて、或いは過激にも邪教と誤解して反射的に焼き捨てようとす
る。同じ人間とは思わないから原爆でも落とす。また新興宗教や創価学会が神棚や仏壇を捨てたり焼却させるのは、
矢張り在来の宗教(作法)に無知な事からである。

或いは在来神の「崇り」を実は事の外恐れるからである(「崇り」を参照)。

其れでもまだ信仰心が有るから救いがあるが、今のイデオロギーは政教分離を利用して唯物主義を基本としている。
無関心・無信仰・無神論である。要するに専らモノカネ主義であるから、もう手の施しようがない。例えば日本では進化
論が猛威を振るい、また世界ではアナーキズムやナショナリズムが言われる。

そしてグローバリズムと言ったイデオロギーが飛び交っていると見られるが、アナーキズムは自分だけの為に行動した
り戦う事であり、ナショナリズムは民族自決主義である。後者は言わば愛国心であるから極めて精神性が強いので問
題はない。今のイデオロギーは寧ろ其の逆にある。

此のナショナリズムに対抗するものとして更にグローバリズム(全世界主義)があるが、これは多様な社会を認めず一
極管理しようとする。つまり一神教的(ファンダメンタリズム)論理の無理な観念であり、例えば米国は日本のみならず
イラクをこの観念(米国の正義)で軍事制圧したのである。けれども無理があるから失敗した。

またグローバリズムは常にナショナリズムを「偏狭な」と言う形容詞を被せて批判する。だが民族自決はイデオロギーで
はなくて極く自然な本来の健全な精神(祖国愛)である筈だ。

それはアイデンティティー(帰属性)であってイデオロギーではない。其れを批難するグローバリズムこそ一面的・一神
教的な狭いローカルの観念(原理主義)であるため全世界から見て異端の論理となっている。

遺伝子・・・・・・メンデルやワトソン博士以来、遺伝の研究が進み、遺伝子の存在が次第に明らかとなった。細胞
の再生・分裂を掌る遺伝因子。これをDNA(RNA)と言い、人の場合はヒトゲノムと言う。遺伝子は元々一つの遺伝子
からコピーしたものである。このためコピーし易い仕組みになっている。

太陽の力が遺伝子の位置を八方に分割・配列した。次に月が其の特性によってコピーの作用を持たせた。と言っても
信じる人はないだろうが、此れはこの世に存在するマクロからミクロに至る万物の普遍の原理である。

ともあれ遺伝子はATGCと言う四つの塩基配列の順番をどうするかと言う単純な組み合わせなので、本人の遺伝子が
ファスナーを閉じるようにコピーされて行く。こうして人一人の遺伝子数は凡そ2万個に増えて、しかもまた再生産されて
行く。人だけではなく、植物や生物のDNAの殆ど98.6%の部分が同じ順番のDNAを材料としている。

因みにヒトゲノム(全遺伝情報)については2003/4/1、米欧日中の国際協力で、約29億個の塩基配列を99.9
9%以上の精度で読みきった。つまり「完全解読した」との発表があった。其のうち日本の貢献は全体の約6%だった。

遺伝子には植物細胞と動物細胞があるが、人の細胞は凡そ60兆もあって、遺伝子の数は約2.2万個であり、ショウ
ジョウバエと略同じである。遺伝子は無論、動物細胞の中の染色体にある。固有の種により染色体数は各々異なるが
何れも偶数である。ヒトの場合は23対46本ある。男女の場合は22本目までは同じだが最後の一本で決まる。

23本目で男女の別が決まるのである。人の染色体は23組あるが、その一つ一つの染色体は父母が一対の形で30
億対(百科事典で700冊分)もある。其れが子供に伝わるのは偶然の変化や選択肢によって800万以上となります。

例えば1〜2番目の染色体は祖父母から受け継ぐものの、23本目まで行くと、それぞれ2通りの選択肢によって減数分
裂して半減するが、子供に伝わる染色体の組み合わせは2の23乗、つまり840万通りになる訳です。赤ちゃんの細胞は
約3兆個、大人になるとその数は約60兆個にも達すると言う。

細胞や遺伝子の材料はアミノ酸からタンパク質となったものです。ただ遺伝子は固定的な部品ではなくて、生まれては
死ぬ細胞として、川の流れのように入れ替わっています。さて染色体は約60兆個の細胞の其々に組み込まれていて、
細胞の中の核にある。

核酸にはDNAとRNAとが有るが、「DNA=遺伝子」ではなくて染色体の中の核にあるのがDNA(デオキシリボ核酸)で
あり、糸状に連結して螺旋状にATGCの四種が一定の秩序で繋がっている。DNA(デオキシリボ核酸)の塩基配列の
はアデニン、Tはチミン、Gはグアニン、Cはシトシンと呼ぶ。

遺伝子工学の発展によって、人はサルから進化したものではない事も分って来た。DNA遺伝子は二重螺旋の帯状の
物体(デオキシリボ核酸)であり、つまりは二本で一つのペア(組)であるが、人によってDNAのコピーの繰り返しのパター
ンに違いが有るので、この特性を使ってDNAによる親子鑑定が99.9%の確率で出来るようになった。

此れは中国残留孤児の親子鑑定の際にも役立った(別項を参照)。けれども科学の発展と共に、実はもっと広い範囲
で人の誕生とか、「生命の神秘性」が益々深まった事になります。例えば母胎は血液型の違う胎児を育てる能力がある
のですから科学の力は及ばない。

次にたった一つの両親からの遺伝子と受精卵からどうして心臓になったり、腕や足になったり出来るのかと言う点であ
る。普通は情報の読み取りがロックされているが、ヒトの場合は13のホメオテック遺伝子がマスターキー遺伝子に働き
かけ、キーを緩めて貰ってDNAの信号を読み取り、其の信号を腕や関節に伝えるのが伝令遺伝子である。

此処ではABCDと呼ぶ四種の組み合わせを使って伝令RNAが作られ、タンパク質が作られて行く。内臓を作ったり、
腕や足を作るには、こうしたマスターキー遺伝子の働きが有るために複雑な肉体各部を作って行けるのです。タンパク
質に変えるにはRNA(リボ核酸)の設計図しかない。

RNAはDNAの指令を受けるだけではなくて、実は遺伝子の多くの働きを制御している事も分かって来た。RNAが蛋白
質を運んで来て翻訳(合成)している。また細胞には前述のミトコンドリアがあり、此処にもDNAがあり、やはり4種のA
TGCがあって骨格を作っている。ミトコンドリアは母系の遺伝情報があり、何万年前まで遡って調べられる。

但し日本人は9種類のタイプがあり、今の所、一番古いのはアフリカ系であると言う(以上の一部はNHK教育テレビ04/
8/30から引用した)。

さて遺伝子の二重螺旋の内部は、ATGCと言われる4種が三つの組でワンセットになっているが、この種の事は既に東
洋哲学では、「八卦」として既に数千年前から知られ、哲学や易として伝えられて来ました。

現代の発生学や生命科学者たちは、「DNAは人の設計図である」と豪語し、即ち科学万能を誇張するけれども、同じよ
うな遺伝子の人類が今や世界に62億1000万人もいます。その人間は各々別の運命で人生を歩んでいるのに、どう
して遺伝子で全てが分ろうか。

遺伝子から親子鑑定とか大豆の改良を行うようにはなったが、問題は未知数である。例えば下記の遺伝子操作による
品種改良や遺伝子診断です。つまり物質的な研究だけでやってはならないのですが、今のままで行けば、遺伝子レベ
ルの研究がこの先幾ら進んで如何に材料だけ研究しようとも物質だけの解明が進むだけである。

従って人間の本質も、個別の人格や魂についても全く解決不能であり、何も分からないのだ。

其れ、つまりDNAの枝葉末節を追ってDNAの設計図などと言うよりも、扇なら要の所から始めるのが順当と言うもので
あり、根っこの霊的要件の探求、つまり後述の「円系図に拠らなければ人の素性や設計図を判明させ得ない。例えば
鶏の卵の一個の細胞が一個の卵となるには約3万個、其れが雛や鶏になるには数百億個の細胞に分裂する。

此れはDNAがコピーを繰り返して2→4→8→16→32→64→と卵割するからである。其の遺伝子のコピーの手順を
指令する働きがホメオ遺伝子と呼ばれている。ともあれ、遺伝子の研究を更に高める第一歩としては、全ての遺伝子
配列を「環状ゲノム」として組み替えて見るのがより適切であろう。そうすれば、「円系図」と似たパターンが出来る。

此れについてはhttp://www.nibb.ac.jp/catarogue/2002/res17.html・・・・・・・などでも公表されるかと期待する。

遺伝子科学・・・・・・・・韓国ではES細胞(別項参照)、日本では有名大学で遺伝子実験データの偽装が露呈した。06
年は東大、京大、阪大その他で実験データの不正偽装・疑惑が相次いだ。問題の本質は科学が自然の仕組みを変え
るとか、自然から遊離した物を自然科学と見た点にあるのか(ニセ科学を参照)。

遺伝子操作・・・・・・・・カーネーションは赤か白の色をしています。其れに対して今は紫色のものも作られる。でも自
然界のない珍奇なものを作る必要性があるのだろうか。或いは実用的なものとして例えば米国では遺伝子操作によっ
て改良して、農薬がいらない大豆やトウモロコシを作り出した。其れが日本の食卓を支えている。

でもこの種の組み換え作物を蜂などの昆虫が食べたら死んで行く。農薬が無用と言うのは都合が良いものの、そうした
毒性作物である訳ですら、其れを日本人の食卓に盛っているなら不安です。フランスでは反対して実らない間に焼却処
分した。他方、東京農大は2004/4/22「ネイチャー」に「卵子だけでマウス誕生」と発表した。

自然界では雌雄両性により誕生するものであり、この例外はないが此れは其の例外であり、「単為発生」と言う。複雑
な遺伝子操作によって誕生させたものであるがクローンとは違う。生殖細胞の遺伝子操作は禁止されているので、「人
への応用はしない」と河野教授は言ったのですが・・・・。

遺伝子診断・・・・・・・・将来罹るであろう病気を予知するために行われる。先ず血液を採取して、試験管の中に繊
維状の遺伝子を取り出して調べる。既にヒトゲノムの解析が終わって全て解読している(四つの記号について30億に
分類出来ている)ので、米国では年間100万件の診断がある。ただ患者は病人ではなくて健康な人たちである。

彼らは将来の心配から予防を図るために血液を採取して遺伝子の変異を調べる。遺伝子診断は病苦からではなくて
不安から逃れるために行われるのが特徴である。しかし病気は遺伝的要因だけではなくて環境要因にも左右されるの
で遺伝子だけ調べても片手落ちである。

しかもこの診断は一つの病気に対して行うものであり、癌、次は糖尿、次は心臓・・・・と次々と診断すれば切りが無い
が、このため他方では遺伝子診断が将来巨大ビジネスになると期待する人も多い。ただ両親が癌で亡くなったと言う人
の場合は遺伝性を引き継いでいるかどうかが気がかりである。

遺伝子のどの部分が欠落しているかが分かれば何パーセントの確率で罹病するか、を医者や患者は調べたいと思う
に違いない。診断結果でもし其れが判明した場合、其の対処としては定期的に通院して早期診断・早期治療をする方
法、或いは予防薬を使い続ける方法、其れに其の部分を健康体であっても予め切除してしまう方法がある。

切除してしまえば不安と恐怖の種はなくなりますが矢張り問題です。また生まれて間もない乳児の診断も盛んです。米
国では既に乳児の1/3が受診している。結果としては平均値の何倍かの数値で示される。其れによって以後の食事
制限などが行われて行くが、病気になるかどうかも分からないのに、予防したり食事制限をするのはどうであろうか。

また出産前の診断ではカップルが体外受精した受精卵10〜20ヶの中から極体を取り出して調べる。其の中の完全な
ものだけを子宮に戻して妊娠させる。ただ自然な生殖を人為的に操作して優劣で選別すると言う事も自然の摂理や神
の計らいに対して倫理的に問題であるが、一度障害児を出産した経験を持つカップルにとっては悩む。

悩んだ末の一つの手段として救いになっている(05/7/27のNHK教育TVより引用)部分もあろう。

★遺伝子治療・・・・・・・・例えば、先天的にリンパ球を作れない特異体質で、病原菌と闘う事が出来ないと診断した場
合は、遺伝子配列の並べ替えの治療をして成功した例がある。

遺伝の法則・・・・・・・・メンデルが有名です。ブドウ作り、ワインの産地のオーストリアの一地方(今のチェコ)では
品種改良の盛んな地方だった。此処に生まれた彼は貧農出身のため大学に行けず修道院に入って研究者となった。
先ず単純な形のエンドウ豆を実験に選んだ。丸いのと皺の2種を選んで掛け合わせた所、其の子は全部丸になった。

次の世代(孫)は丸と皺の比が412ヶ:129ヶ=3:1となった。何度やっても同じ数でした。其処から更に7種を実験し
た所、2180通りのパターンになった。よって(1)独立の法則・・・・2組の対立から独立、(2)中間雑種・・・・・朝顔など、
(3)複対立遺伝子・・・・ABO式などを究めた。以来、今に至る遺伝子研究の発展になった。

だが、それ以前の江戸時代に、日本は3:1の遺伝の法則を知っていて、突然変異を利用して色んな朝顔を作るのが
ブームになっていた。メンデル以前からの日本の遺伝研究を今の九州大学が継承している(05/9/5、06/1/26、06/9/4
のNHK教育TVより引用)。

(字義)・・・・・・・・・・イタ、イチ、イツ、イテ、イトの五段活用の関連性を見れば、イチは市の位置、つまり位地(原
点)の巾を意味し、イツは其の原点に居着く事であり、其れを斎とも厳とも書いた。また、イトは糸であるが伊都国とか
委奴(下記)とも当て字された所はこの「糸」に深く関わった地名であろう。さて「糸」である。

糸の字は糸を束ねた形の象形文字とするのが定説であるが、実は「くム小」を縦に並べた文字である。「く」は曲尺、
「ム」は別項で述べている通り、天文観測文字である。何れも角度を測る器具を示した字でした。其処から勾配、公、鉾
の字にも変化している。

次に「小」については太陽の日影を観測しない人には理解できないだろうが、最も一般的な印しとして柱の影のラインを
川の字のように三本示した文字である。南の日光が北側に作る午前、正午、午後の3つの日影のラインを北側から見
て黙示した字である。つまり大小の字も、物の大きさの大小ではなかったのである。

こうした糸による見柱の影の観測から藥系紋累幻玄舷・・・・などの文字にも変化している。例えば「薬」は糸を使わない
のに何故か幺(ヨウ)を2つも付ける。其れは薬師(別項を参照)が方位を観測する暦の神であったように、医学・薬学
の前は方位と天文観測の文字であったからだ。

▲井戸塀政治家・・・・・・昔の政治家の事。今の政治家は口先だけ。国民の福祉など毎度奇麗事を並べても実は国を
売り、自分だけ利権を集めて太っていくが、昔は村のため、国の為、或いは人権や慈善の為に粉骨砕身、我が身を削
って尽した。為に山や田を売り、家も朽ち果てて廃墟となり、最後には井戸と塀だけしか残らなかった事を云う。

井戸物語・・・・・・地球は生き物であり、水脈は言わば動物の血流のように山の頂上にも流れています。だから山の
緑が維持されている。田畑は人が作ったものですから水不足で直ぐに枯れるが、山の緑は少々雨が降らなくても枯れ
ないのは此の水脈が山の上にも走っている証拠です(西埜先生の談話)。

と言うものの、凡夫には其の水脈が中々見つけられなかった。其処で昔から日本人は山の斜面に住んだ。山麓には新
鮮な湧き水が出ていたからだ。其処を泉と言った。しかし良い泉も地震によって出なくなる。其処で奥へ掘り進んだ。其
れを井戸(井処)と呼んだ(ガマを参照)。

更に涸れる事が有れば、其の都度、奥へ横穴を掘り進んで次の水脈まで辿り着いた。其れに対して平野部では河原
の近くに穴を掘った。此れは縦穴であるが矢張り井戸(井処)と呼んだ。川に近ければ涸れる事もなかったが、洪水の
被害を受けるので、より高台に家を建てて井戸を掘った。ただ水脈まで深く掘る必要が有った。

しかも其の水脈が地上からは見えないので何処を掘っても出ると言う物ではなかったから、何れの井戸も苦労して掘っ
た分だけ財産価値があった。因みに明治以来、「井戸塀政治」と言う熟語があった。此れは清貧な政治家を意味した。

お国のため郷土のため、山、次は田畑、次は家屋敷・・・を処分したり家族を捨てて公に尽くし、最後には井戸と塀だけ
残って廃屋となった篤実政治家を一言で示した。そんな人物は今の世間では皆無だが、昔に名を残した人物は井戸も
残した。

今の政治家はゼニ膨れを目差すので名も井戸も国も売る。其れに対して昔の人たちは古井戸を守るために七夕の頃
には井戸浚いをした。冬では井戸の中が暗くて酸欠事故にも対処し難いが、梅雨明けの此の頃は水量も少なく、井戸
の中が明るいからです。井戸には傍らに柱を立てて釣瓶(つるべ)を提げた。そして井戸の周りを石や板で囲んだ。

其の囲いから井戸の字を使った。しかし本来の井の字は井戸とは無関係でした(「井」を参照)。縦井戸は奈良時代に
は方形の囲いではなくて丸い桶を入れたのです。そして今は、水道全盛時代となったので、こうした歴史ある、しかも財
産価値のある井戸を無闇に埋めるようになった。だから祟りが出る。

出さないためには其れなりの作法を持って処する事である(龍神を参照)。千葉では「かずさ堀」が知られた(かずさ堀
を参照)。

委奴国・・・・・・・・・・今の福岡、糸島半島。近くに志賀島があり、此処から有名な「漢委奴国王」の金印が発見(天
明4=1784年)された。巨石の下からだった。後漢書によれば、後漢初代の光武帝(5bc.〜57ad.2/)が地方の
長官に与えたものと言う。しかし後漢書には「委奴国」ではなく「倭国」と書いてある。

昔の福岡には「ナの県」が有ったとも言われるが、一般的には発見場所の志賀島や糸島半島が伊都国と呼ばれたの
で、「委奴国」とは「いと国」を指したものと理解されている。

とすれば当時の日本の一部が漢の冊封体制に組み込まれた事になるので、大和朝廷は意図的に金印と後の魏志倭
人伝の事を無視・否定して来たのだろうか。確かに当時の日本は垂仁・景行天皇の時代であり、後漢書や魏志倭人伝
が伝えた記録も其れなりに参考になるものの、日本の史実とは余りにも合わない。

金印を此処に埋めたのも、また島根の荒神谷や神原に多数の神宝(銅剣や銅鐸)を埋めたのも大和朝廷に反発した
旧・王家(出雲)側によるものではあろうが、シナによる撹乱策とも受け取れる。俄か成金の後漢は日本政府のお墨付
きを得られなかったから其の腹いせに「委奴」即ち「この犬めっ」と漢字では「委奴」と書いて遣したのだろう。

後漢は今の中国と同様、俄か成金として居丈高になったものの、日本の助けがなく実力もなかった故に直ぐに滅びた
のではないか(魏志倭人伝を参照)。

因みに「漢委奴国王」の金印は一辺2.35cm重さ108.73g。ただ発見者が普通は「甚兵衛」とされるが、外にも嘉
平、秀二とも言われるので特定できない。また発掘場所が今は志賀島の南部に指定されているが、其処では無理であ
って北部の勝馬地区ではないかと言う説も有る。此処には今も弥生時代の箱石棺が露出している。

この様に発掘状況が不確かなために偽作説、奴国王の私印説もあるが、その後に中国からも類似品が発掘されてい
る。よって此の金印が学術的にも本物と認められて昭和29年に国宝に指定された(一部は06/2/23の読売テレビ
を参考とした)。

▲鯔・・・・・・・いな。ボラの幼魚。
▲イナセ・・・・・・・鯔背に似た髷を結った勇み肌の粋な若者。

稲作・・・・・・・米は美味しいし餅も好きな日本人が多いから異議を唱えてはいけないが、敢えて其の功罪を述べる。
人類は狩猟採集の暮らしから栽培農業へ進化した、と見るのが此れまでの人類発展史観でした。でも其れは荒野や
平野が広がる大陸だけの固定観念であって、日本のような山間部の土地では通用しない。

其の観念で見れば、確かに日本も弥生時代から稲作が始まって今に至る単一種の耕作栽培農法に発展したようにも
見える。けれども日本の平野部は3割、山間部が7割である。しかも其の山の周辺の半分は山影になり、山坂が多くて
作業効率が低い。そんな土地柄に無理解で、大陸式の稲作を採用したのは大失敗でした。

稲作は日本では年に一回の収穫しかない。だから其れよりも多種多様な地形を利用して、四季に応じて自然界で個別
に生成消滅する多品種の野の幸、海の幸、山の幸などの産物を育てたほうが理に適っていた。しかし不幸にして日本
は稲作を2000年間も続けて塗炭の苦しみを味わった。

稲作は月読み暦で稲の生育を楽しみながらすれば旨く行くが、数字や打算に走れば苦しむ。日本は有史以来稲作振
興を進めたが、平野部の少ない日本では所詮は渡来人の商品作物でした。

稲を神として大和朝廷が推し進めて日本の支配に成功したものの、そのため山間部の多い日本の環境を破壊した。
米はモミ一粒が半年で千粒に増える魔法の食物である。逆に言えば欲の極に位置する商品作物である。このため立
体的な生産地である森を刈り取り、魚介類を減少させた。欲得のために平べったい生産力しかない田んぼを広げた。

其の不足を補うために耕地拡大を狙って他所の土地まで奪い合う争いの歴史を日本の歴史としたのです。其れまで豊
かだった山間部での立体的な生産力を削いで、平面的な乏しい収量の稲作にした転換した結果、有史以来凶作と水
争いの時代とした。

このため国民を苦しめ続けたが、結果として米を輸出したのではなく、口減らしのためにブラジルやドミニカ(別項参
照)、満州にも大量の移民(棄民)団を送り出したのである。今、「地産地消」が見直されて来たので好ましい事だが、日
本で豊かに実るのは米ではない。果物や木の実であり、山菜だ。

であるのに不自然な米食偏重を主食とする固定観念で暮らすために今も多病であるのです。神社や神事では古来必
ず神前に米を供えて来た。今も其れは変わらないが、神前には其れで良い。米は神に捧げるものであり、人は時には
五穀絶ちして精進潔斎した。其れが今では、神を排除して人間だけが主食とするようになった。

此処にも問題があるのです。

▲イナサの風・・・・・・・巽(東南)の風。仙台湾では早春の4月に此のイナサが吹けば「情けのイナサ」として喜ぶ。豊漁
の風なのだ。此のため漁師たちは八大竜王に豊漁と航海安全を祈る(06/8/12のNHKラジオ深夜便より)。

▲伊那佐山・・・・・・・各地にあるが奈良の宇陀にある此の山はヤタガラスが天下ったと伝わる雨乞いの山。

▲稲妻・・・・・・・
▲稲妻・・・・・・・稲光、稲ツルビ、稲魂、雷光(「雷」を参照)。他に稲妻紋様や稲妻横這がある。

稲の神はない・・・・・・・日本は八百万の神々に守られている国とされている。そんなに沢山の神様がおられるにも
拘わらず、稲や米の神と言うのはない。無論漁労や医業の神もない。ただ、宇賀、稲荷神とか飯綱権現など、稲神と同
類かと誤認し易い名が有り、更に神の名のホヒ命なら穂日などにワザと穂の字を当て字した疑いも多い。

或いは稲田姫の例もあり、地名でも「稲葉」「飯田」などが有る。だから、稲作の国だったと誤解させられて来た。しかし
神々を精査すれば稲とも米とも稲穂とも無関係と判明する。ないのに有るかの如く吹聴したのはご神徳にあやかり、其
れを飯にする王権や神社側の喧伝であり、或いは其れを引用する事で都合が良くなる同列の書物である。

或いは先祖を祭って普通の生業をしていた村落に、大和朝廷の政策として稲作を押し付けた事から「稲の神」が波及し
た。其処がやがて稲作の中心地に変貌した結果、其処の神社が稲荷の神とされた。だから元々稲の神などなかった
のである。神を取り違えた結果として稲作で2000年間、日本は失敗続きとなった。

稲作は経済の足を引っ張って庶民を苦しめ続けた上、米食が肉食に次いで国民の間に病気を増やして来たとも言え
る。米は確かに旨い。でも神前に参拝し、其処に参篭して居つき、お籠りするのには必ず「五穀断ち」によって精進潔
斎するのが古来通例であった通り、日本の神々は実はイネの神はなく、米食を人がするのも嫌ったのだ。

米穀は神に捧げる珍味ではあっても、日本に住む俗人が常食とするには適材適食ではなかった(「移民」、「ヨモツヘグ
イ」を参照)。

稲むらの火・・・・・・・和歌山県広川の話。此処にある湯浅広港に嘉永7/11/5(西暦1854/12/24)夕方
から夜半にかけて津波が襲った。安政の南海地震の津波でした。其のとき庄屋さんが暗闇を漂流する村人に避難場
所を知らせようと稲ワラに火を放って広八幡神社(標高10m)に誘導した。

収穫したばかりの自分の稲藁を燃やしてしまったのである。当時の人口は1323人、死者36人、流失家屋125戸とな
ったが、其の犠牲を少なくした。その後も彼は炊き出しや家屋建設など救済と復旧に当たり、更に将来の津波に備え、
私財を投げ打って高さ5m、全長650mの広村堤防を築いて、4年間にわたる工事に村人を雇い、離散を防いだ。

其れが後に語り継がれて小学国語読本に載り、また「稲むらの火」のドラマとなった紀州・広村の庄屋さん・濱口儀兵衛
(濱口梧陵氏=1820〜85)だった。彼はその後も自費で900mの堤防を築いていた。

其れが92年後の1946/12/21、昭和の南海地震の時の津波からまた広村(広川)を救ったと言われる(堤防の南
西側では死者22人があったが)。広村は先の安政の津波の直後、1300人に減ってしまったがその後、広川町とな
り、今は8000人が暮らしている。

彼は当時、江戸に出店し、銚子で醤油の醸造を始めていて、この日は一時帰郷してこの屋敷にいて偶然、村の危急を
救った事になる。彼は明治に議員となり、「住民百世の安堵を図れ」と言い残して渡米したが惜しくも66歳で病没した。
浜口家はその後、現在のヤマサ醤油となった(05/2/24「毎日新聞」から一部引用した)。


稲荷・・・・・・稲荷の神はウカの御魂、宇賀神、倉稲魂の神、そして保倉と書いてホクラの神とか、ウケモチの神とも
読む。総じて穀物神、及び伊勢の神のお食事を司る外宮の神とも言われる。そして稲荷神には大明神と言う称号が付
けられる。

穀物神かどうかは後述するが、先ず「明神」とは日月を見る方であり、暦の神であり、「大」とは太陽の祭りである。さて
日本には「三大稲荷」と言われる所があるが定説はない。何れの場合も伏見が筆頭に挙げられるが、此れは四国から
弘法大師が連れて来たものと言われる。其の他については地方によって違う。

地方にとっては地元が第一であるからだ。有名な所では北から竹駒、笠間、下谷、豊川、京都の伏見、岡山の最上、
津和野の太鼓谷、九州では祐徳稲荷など・・・・が有る。何れも稲荷神はウカ神か豊受大神(※1)であり、前者は五穀と
養蚕、後者は伊勢の外宮の主神にもなっている。

総じて稲荷は「稲担ぎ」ではなく「稲生り」、即ち稲作の神とされているが、本来は八方を祭る方位神・暦神だった(イナ
ウを参照)。(※1)豊受大神とはイザナギの父神であり、日月星の天文観測のノウハウを完成してホツマのヲシデと言う
文字に残した。しかし今は其れが忘れられて雄略天皇の時の豊受姫命と混同しているケースが多い。

其の第一は初午祭りをする点である。初午はその年の最初に来る午の日である。午とは馬の事ではなくて本来はミハ
シラを立てた祭りである。見柱は御柱であり、太陽の祭りである。或いは毎月22日が縁日(歳時記の4/22頃を参照)で
ある。そして第二としては、稲荷神は宇賀神とも保倉神とも言われるが、神武以前のウカはウガヤ朝を意味した。

また保倉は「保久良」つまりホコラ(祠)に通じ、保倉はまた「保食」とも書かれて来た。此処から俗人は「倉庫の穀物」と
解釈したのである。だが、実は天文暦法で言う日食・月食などを「食」と言うように、天体観測に通じる。其の観測の為
の鉾と場、即ち神の座をクラと言い、この二つの意味から「保倉」と書いた。

其の点、宇賀魂を祭る伏見稲荷は現在、農業と商売繁盛の現世利益の神となっているが、この場合も「」の字は八
方を図示した印(米を参照)と見れば、本来は稲荷大明神、つまり位也(イ・なり)神、即ち暦の神と解釈できるので、暦
法が農業と関係した事にはなる。また明神とは日月の神、つまりヒジリの神でした。序でに狐について述べる。

一般神社の狛犬の位置に稲荷の眷属として向かい合って座しているは、米倉を荒らすネズミを捕るネコが未だいな
かった時代、其れを狐がしていた事による。或いは昔はキツネをケツネと言ったが、稲荷社には御食津(ミケツ)神を祭
っているので、どうやら此処で混同されてしまったようだ。

要するに狐は後世の付け足しであり、弘法大師以後の縁であって、其れまでは稲荷とは無縁だったろう。もう一つ異質
な例を挙げれば、豊川稲荷は室町時代に禅宗(曹洞宗)の寺院としてインド仏教のダキ二天を祭って創建した所であ
り、また岡山県の最上稲荷も豊受大神と言うよりも日蓮宗系寺院だった。

ダキ二天は殷王朝を牛耳った悪魔(魔女)であり、また釈迦の時代は腑分け、つまり今の外科医・移植ビジネスの元祖
であり、中世以後は現世利益目当ての異端の危険な呪術信心(ダキニ天を参照)とも言われる。つまりある意味では
稲荷神は契約神の一面もある。従って何かの願い事が叶った場合、一回り大きな絵馬を奉納したり鳥居を寄進した。

だから稲荷祠が江戸八百八町には辻々にあった。「江戸は稲荷で京地蔵」とも言われた。其処から何処にでもあるも
のの代名詞として、或いは「稲荷八幡犬の糞」とか「伊勢屋いなりに犬の糞」と庶民からも些か蔑まれる事になった。因
みに「伊勢屋」とは質屋の代名詞(裏語)だった。

江戸に出稼ぎ人夫があぶれて、毎度質屋通いの暮らしの中の、虚栄心の絡まる俗語(推測)であった。稲荷は一般に
五穀豊穣の神とされ、稲作地帯の伏見では稲作から銘酒が生れて酒どころの商売繁盛の神へも変化した。だから伏
見山全体が稲荷の赤鳥居のトンネルとなっている。

だが此処は元々賀茂氏などの墳墓の地で有り、全山が古墳群であると思われる。其処で初午祭りを始めた秦氏以
来、今では俗神のメッカとして名高くなった(※2)。それに対して「火事と喧嘩は江戸の花」とされた時代には、「火伏
せ」、つまり防火の神としても人気があった(一部はNHKテレビ「お江戸でござる」2004/2/5より一部引用)。

「ダキニ天」、「いずな」及び次項も参照。「遷座」については「遷座・遷宮」を参照。
※2については「神々の歳時記」http://kami.tudura.com/page104.htmlを参照。

だが其れ以前は、都が長岡から此処に遷座(別項を参照)して平安京となってから有名になり、正一位の神階となっ
た。其れは地方の神社には五位くらいの国司が徴税に出向いたのに対して、此処は朝廷のお膝元となり、秦氏などの
穀物を一手に集めるために左大臣クラスがやってきた。彼らが正一位だったからです。

誰も解説しないので本書が言うのだが要するに神階は、神の神徳に上下があるのではなくて、納税額に応じてやってく
る勅使のランクに過ぎなかった。穀物神となったのも、多額の税を当時は此処から穀物で納めたからです(律令以来、
全国的に貨幣経済ではなくて、穀物などによる物納が江戸時代まで続いていた)。

イナウ・・・・・・アイヌ語で木幣(きぬさ)。木を削ったヌサ(御幣)。イナウサン(其れを祭った場)が全国にある地名の
稲、伊南、伊那、井内、稲井、田舎・・・・の語源ではないか。因みにアイヌ語でイネとは稲ではなくて「四つ」の意味であ
る。下記のイナバを参照。

▲亥中・・・・・・亥中(午後11時頃)亥中の月は陰暦20日の夜の月。

イナバ・・・・・・因幡と言えば出雲(鳥取県)の1地方であり、常陸には印旛(いんば)と言う1地方もある。員弁郡や印
南野は播磨の地名。だが稲葉とか稲場と書く場合はどう言う事か。稲に葉があるだろうか。穂には価値や意味があっ
ても殊更「葉」を示したのは何のためだろう。葉身と葉鞘には殆ど意味も価値もなかった筈です。

とすれば寧ろ上記のイナウの場ではなかったか。と言うのは、稲田や稲葉の地名が平野部よりも寧ろ山間部に多いか
らである。丹後半島の伊根町の場合も海岸部まで山が迫っていて殆ど稲作が無理な漁村である。スサノオノミコトの后
神に櫛稲田姫がある。此の意味も稲田を作る農婦ではなくて寧ろイナウ串、つまりキヌサ姫ではなかったか。

★イナミ星・・・・・28宿の一つ、牛宿。山羊座の西、牽牛の事。

▲いに・・・・・・・

・・・・・・・犬は遊び好きの動物です。人類にとっても第一の伴侶として永く共生関係でやって来ました。獣たちは人
間が感知出来ない存在にも本能的に感知して反射的に対応する能力が有る。犬の場合は人に吼えるが、其の場合も
人に吼えているように見えても実は霊的なものに怯えたり警戒して吼えている場合も有ると心得て置きたい。

ただ今は救急車やパトカーにも共鳴したり花火の音に怯えて鳴くので始末が悪い時もあります。また猫は家に付き、犬
は人に付くと言われる通り、秋田犬では「忠犬ハチ公」(別項参照)が有名となった。涙を誘うほど忠実な所があるから
人はこのハチ公を可愛いと思う。実際イヌは人を裏切らない。飼い主の身代わりとなって犠牲になるケースもある。

しかし人間側の好き嫌いや勝手な都合で彼らを捨てたり殺す事が多いので哀れである。特にペットブームと共に飼う資
格の無い飼い主が増えた結果、飼い主のマナー欠如が目立つ。例えば他の獣と同様、テリトリーを主張するため犬は
周辺にションベンをかけて歩く。其のくらいは他人も受忍しているが、近隣が駄犬の吼え声と糞害に憤慨している。

その町を訪れて見て、観光地の寺社や歩道に犬の糞が多いのは其の街の文化程度のレベルを物語る(ゴミだらけの
ワーストワンは大阪の町と思うが)。犬はまた猟犬としてイノシシなどを追い込んでくれますし、番犬になる外、嗅覚でも
活躍する。

警察犬などである。犯人探しの外にも麻薬監視、爆発物の発見など、嗅覚能力が人類の1万〜10万倍と言われるの
で、癌の発見にも期待されている。人間は病気になると特有の臭いを発散するからである。或いは山岳救助犬や水難
救助犬として、また地震被災地では瓦礫の下から遭難者を発見するなど活躍します。

犬が嫌いな人でも犬の世話になっているのが人類です。そして古来、犬が安産の守り神とされて来た。犬が何匹もの
子犬を難なく生んで旨く育てるからであり、もう一つは冒頭に述べたように、母胎にとり憑こうとする邪霊を見つけて吼え
て追い払うからである(「日立帯」「犬神」を参照)。

さて犬に纏わる諺も多いが、例えば「犬の遠吠え」とか「一犬吼えれば万犬倣う」の例え話は、臆病者と弱い人間などは
直接面と向って相手に抗議出来ないので決まって遠巻きに高みの見物をしたり、一人が言い出した後に「右へならへ」
で集団行動で付和雷同する事を皮肉ったものである。「反日」に此のパターンが多いが、犬にも劣る行為である。

ただ人間に飼われて特にペットとされると不自然になり病気になる。此れについてNHK総合TV06/6/20「クローズアッ
プ」では遺伝病の拡大と障害の増加を報じた。其れによれば、現在国内には1300匹がペットとして飼われている。高額
商品として人気の犬種が無理な繁殖により市場に出ている。

問題の元凶は、人気の出る高額取引の対象として珍しい犬を生産するための悪質業者が行う近親交配の繰り返しで
不具の犬の大量生産・大量処分が行われる事である。例えばラブラドールの遺伝病感染率は米国が12%に対して日
本は47%となっている。此のため広島のNPOのJAHDでは、遺伝情報を血統書(系図)に記録し公開している。

障害を持つペットをこれ以上生ませないため、そしてペットを一生苦しませないために。

・・・・・・・方位の戌は真西から西北(北西)に向って15〜45度の方角を言う(半分が下記の乾と重なる)、暦の時
期は秋分から立冬までの約一ヶ月間。06年は干支では丙ひのえ戌年であり、戌が付く歳には戌の方位に大歳神(木星)
が回座する(エトを参照)。

さて戌年生まれの人は推計975万人(総務省まとめ06/1/1現在)で12支中で最小。戌年は決まって動物の犬が
シンボルとなるが犬とは無関係。干支の占いや12星座占いも気になるでしょうが理屈上は、人口の凡そ1/12を干支
や星座の運命として一律に片付けるのはどうかと思う。

譬え、当たったとしても、其れは凡そ1000万人の平均値の一端に過ぎないのです。ま、へ理屈ですが・・・・

▲いぬい(乾)・・・・・・・戌亥(北西)の方角、暦日(時期)としては立冬。
▲犬神・・・・・・・犬の死霊を使った妖術。または憑き物。または犬神使い。または其れを歌った長唄の名。

▲稲・・・・・・・インドのベンガル地方、インドシナ、中国、アフリカなどの広大な湿地で栽培する穀物。一粒が半年で20
00倍になると言う打算の商品作物。

・・・・・・・12支の亥(別項参照)が猪と言われているが、余り根拠が無い。猪と神仏の関係では武神としてのマリシ
天を参照。猪は家族愛のある生き物なのだが人に対して猪武者とか猪突猛進の熟語を作った。


いのち(命)・・・・・・・日本漢字能力検定協会が例年、「漢字の日」の12/12日に「今年の漢字」を清水寺で発表して
いるが、05年に森貫首が大書きしたのは「愛」でした。そして06年は「命」でした。命は生命。つまり息をしている事。単
なる物質には生命がないが、生物と言われる存在は息をしています。其れが命です。

神の創ったものは全て命がある。特に息をしているものは内側から成長する。この様な本質は、生まれた時から死ぬ
ときまで新鮮です。其れに対して人が作った道具や商品は作った時(完成時)が最高の状態であり、一端消費者に渡っ
た時から劣化の一途を辿り、ゴミになります。本質が違えば逆になる。本質とは命です。

命があれば内側から成長して膨らみ、子供でも年寄りでも、何時でも成長を続けます。つまり命があれば完結した状態
にする。其れに対して人が人形を作れば如何に芸術的に素晴らしく作っても所詮人工物であり、譬え科学技術で作っ
た高額製品であっても、「仏作って魂入れず」ですから決して命がないし、育ちもせず直ぐに劣化する。

木の場合は、苗木が未完であり、老木が完成品ではなくて、何時の時点で見ても完結しています。だから苗木が未完
であるとか、老木を劣化した製品と思うのは誤解です。息をしているのは命があり、育ち続ける。歳をとっても病気をし
ても、命があれば劣化しない。其れは完結した神の仕組みで支えられ、生かされている為です。

さて、息を止めた時を死去と言う。息や命を魂(別項参照)とも言い、古来「一寸の虫にも五分の魂」と言って、虫や魚
類たちまで大切にして来たのが日本人でした。

人は肉体を持っているが単なる物質ではない。其の肉体を包むように霊体があります。此れを古来「霊肉一如」とか
「心身一体」と言って来た。無論、今のような物質偏重の医科学で生体を解剖しても分かりません。何処にも命(魂)は
見つからない。でも心や命(魂)がある事は誰でも自覚出来ます。其れが今の科学では分からないだけの事です。

霊体は電磁波のような波動ですから目には見えませんが、生命波として活動して現実に24時間休みなく心臓を鼓動さ
せています。心臓は自律神経とか筋肉が動かしているのではなくて、寧ろ自分たちの持つ固有の先祖が引き継いで来
た生命波として全身を支え、動かしていると見るべきなのです。

所が此れを学校では教えない。だから今の子供たちは親から教えられた「お金の大切さだけ」を知るだけとなった。誰
もが「お金持ちになりたい」と思っている。でも其のお金をどうするのか、と言う点になると明快な解答が考え付かない。
ただ何か事件や事故があるとテレビでは必ず「命の大切さ」を叫ぶ人が出て来る。

よって今の子供たちはお金を貯めたら「命を買う」と答えるようになる。此れは命について何も理解していないからで
す。日本は古来、大家族制でした。従って日常に祖父母の死去や子供の出産に立ち会う機会が多かった。其処では命
の意味を実感として知る事が出来たが、戦後は核家族化が進んで、出産も病死も病院と言う隔離された所でする。

其れが当たり前となり、命の実態が家庭生活から離れて分かり難くなってしまったとも言える。従って殺人事件や災害
によって犠牲者が出た場合、マスコミや先生方は口を揃えたように決まって「人命尊重」を言うけれども、そんなお題目
は何の役にも立たない空念仏になってしまう。お題目では今の青少年にとっては何の共感も得られないのです。

特に戦後は事件や事故の度に「人命尊重」の言葉が至る所で乱発されるようになった。此れを言えば誰もを黙らせる
事が出来たものの其の都度空虚に響く。其れは、「いのち」を連発する輩が、実は何も実感として認識してい ない事に
もよる。

しかも其れを言う政治屋や教育・文化人・お役人と言った輩が実は人命軽視ばかりして来た側にあるから問題(次項を
参照)なのです。彼らの言う「命」は、肉体的な命だけを言う。従って「死んだらお仕舞いだ」と言う西洋的・退廃的な実
存主義的観念でしかないのです。

凡そ西洋科学と戦後日本の学理は一元論か二元論であり、心と物質、つまり、精神と肉体とを二極対立させる。此れ
はキリスト教の多くが、死後の世界を否定しているからである。仏教でも主流は矢張り霊界否定である。つまりモノカネ
主義である。06/12/12日に漢字能力検定協会が「今年の漢字」を発表した。

京都・清水寺の森貫主が06年には「命」の字を大書きした。秋篠宮様に男児誕生のニュースがあったが、イジメと自殺
がなくならず、幼児虐待や飲酒運転による轢き逃げ事件も多かった。何れにせよ「命」に関心が高まり話題にもなっ
た。けれども自分の命だけを大切にするから他人の命を切り捨てる。

だから「命の大切さ」を百万遍言われても問題がなくならない。其れより霊的な事実を知る必要がある。現実の世界の
魂は生命が亡びても生き続けます。円系図に示した通り、其の一部はこの世に再び蘇り、再生可能な存在です。人を
殺せば恨みを残すし、次は其の因果で自分が滅びる事を教えなければ何にもならない。

日本人は古来、「一寸の虫にも五分の魂」と言って魂を尊び、魂を否定する事がなかった。花の命は短いが、根っこや
種が有ればまた翌年咲くものである。其れは花の命の本質が魂であり、物質としての花は、因果の現象化に過ぎない
事を認識していた。つまり、花は魂があるから毎年其処に咲く事が出来ると知っていた。

物質(肉体)は、魂を包む衣服であり、固有の材料に過ぎない。従って、材料が枯れ果てても、魂が有る限りまた蘇ると
の理解があった。だから西洋人のように「死んだらお終い」とは誰も考えなかったのである。命とは「終わりのない」存在
であり、特に魂は永遠性の存在です。

其の中で、生命体は、息(別項参照)をする存在であり、息があれば「生きの命」、即ち生命と言う。生命体は各々固有
の使命があって個々に存在しています。人もまたこの世に個々に「生かされている」。其れが命ですが、生命は肉体と
共に生まれて肉体と共に亡びるのが宿命であり、従って「命より大切なものはない」とも言う。

また、死ぬのも殺すのも割りと簡単だが、其れと同じ固有の存在を此の世に人が作り出すのは大変難しいものだから
「掛け替えのない」存在とも言う。所がこれも例外なく色んなスローガンに利用されて別の形に変えられてしまう。この程
度の観念や一律の物理的な知識では多様な「いのち」に対する個別の実感が認識出来ないのです。

「いのち」は知識ではなく、母親の胸の鼓動を、抱かれた時に触れて感じ取るようなものである。

いのち(命)の法則・・・・・・・図説の円系図を参照。

▲いのち(命)の大切さを言う資格・・・・・・例えば徴兵・兵站・戦死者・戦災者に対する国の扱い方は無責任極まった。
国民の側も靖国批判を中国の口車に乗って叫び続けている。失敗は軍人の責任にして自分が善人になり済まして来
た。

軍人が心のより所として来た靖国を、今の人たちのイデオロギーで否定するのが人命尊重になるのではなくて、犠牲者
の遺志を尊重するのが人命尊重である。つまり国も国民も逆さ事をしていた。だから此れまでの公共工事や防災関係
も特に多くの人災を出して「想定外」と逃げて来た。此処もまた人命軽視でやって来た事になる(人命尊重を参照)。

そうした輩や靖国批判を言う人々が、他方では人命尊重や「命の大切さ」を言う資格がないのである。モノづくりや科学
者も、此の視点が欠ければ同列である(モノづくり、科学を参照)。

祈り・・・・・祈りの方法として例えば雨乞いでは神社に黒馬を奉納した。或いは一般的には起請文を捧げた。此れ
は神仏に誓いを立て、もし其の誓いに背いた場合は神仏罰を受けると言う覚悟を自署した文書でした(「午王法印」、
及び「起請文」を参照)。

さて現代では賀状などで「ご健康を祈ります」と気軽に挨拶として使うものの、実際に改めて「いのる」人があるだろう
か。祈りは時代により、或いは宗教宗派で異なるが、昔の日本では例えば阿吽(アウンを参照)、仏教は南無、キリスト
教がアーメンと唱えて来た。仏教の南無は「阿吽・オーム」と略同じであり、キリスト教のアーメンとも似た響きです。

アウンは「日受け」(各項を参照)の時の日月一体化の呼吸であり、或いは南無は佛尊への「帰命し奉る」とか阿弥陀
への「帰命頂礼」であり、要するに他人ではなくて「神仏との一体化」を仰ぐものだった。

イスラム教の場合もアッラーの神を讃える言葉が先ず大切で、聖方位(キブラ)に向かって祈る言葉として「アッサラー
ム」、「アーミン」など色々あるが、「サラート」と祈る場合は、「何某に祝福あれ」、の意味となる。何れも基本的には先祖
または神仏との一体化であり、若しくは其の僕(しもべ)として役に立つ人になりたいと祈る清らかな思いの言葉でした。

カトリック司祭・井上洋治氏は、「祈りとは自分の人生のみならず、主(アッバス)の思いの具現化であり、神に全てをお
任せしますと言う、神との一体化であり、其れが南無(帰命・帰依)である」と言われた(06/4/30のNHK教育TVより引
用)。

此れが正解である。所が祈りの対象が抽象的な架空の神とか人工的に創作した神仏であれば其の祈りが通じる事も
なく、自己満足だけの空しい行為となる。しかも其れが今では祈り手の邪心が多くなって傲慢な姿勢になり、こちらの都
合で「ご加護を祈る」と言うご利益信心に堕落してしまう事も多い。

日本は古来、墳墓と寺社を設けて年に二度の祭り(神幸)をして点と線で祈って来た。其れに対してギリシャ正教のメテ
オラでは600年間、聖人の遺骨に接吻し、聖人を讃える聖歌(賛美歌)を歌って祈って来ました。そして例えば平和に
ついて、ある修道女は「心に平和がなければどんな手段を使おうと平和は得られない」と言う(メテオラを参照)。

だが日本には各地に色んな寺社があるにも拘わらず、昨今の日本人は祈らなくなった。或いは祈りを知らない人ばか
り増えた。特になまじ学歴を持つ人や成功体験を持つ人は、「祈るとか拝む」行為を拒否するものである。彼らは「神仏
に頼るなどはしたくない」と言うだろうが其れは誤解である。

学校でも政府でも宗教団体でも今は教えないが、本来の先祖祭りや祈る行為は今の「願掛け」とは違う。本来の祈りは
我利我欲を達成しようとする勝手な祈りではなくて、前述の通り先祖や神仏に対する「帰命頂礼」であり、「どうぞ神仏の
お役に私をお役立て下さい」と念じる清らかな思いである。ですから願をかければ先祖供養にも祈りにもなりません。

ご先祖たちは、此方の状態を「百も承知」だから聞きたくもない。つまりお経や願掛けは無用なのです。其の点で神仏も
何も分からなくても昔の親は子供の前で先ず天のお日様に向かって感謝して見せた。だが今は無信心、無信仰の大
人たちが増えて、そうした下らない彼らが人の上に立つ世間になっていますから今の世の中を険悪化しています。

祈りをしなければ神仏から離れるのでやがてそうした人たちも「人の下」になるのが掟です。来世では無論の事、身か
ら出た錆でこの世でもやがて他人に食われる身に落とす掟です。物見遊山の観光で寺社に行くだけの人は、祈りとは
ゴリヤク信心で願う事と認識している。

だが此れでは自分の都合に対して、神仏を利用したいと言う「下らない心」かギブアンドテイクの取引的な祈りであり、
汚れた祈りであるから神仏に通じる筈がない。所が数多有る宗教団体が何れも「其れでは信心が足りない」と言って高
額寄付を強要するので問題です。

神仏への祈りは慎みが大切です。そして言葉に頼る口先だけの祈り(頼みごと)としないめには確かにミソギ(別項参
照)が要件となる。此のため昔は難行苦行をした。或いは自分の最も大切なものを捧げさせた。それがニエであり、税
金の由来です。それが行き過ぎた場合が殉死や生贄である。

此れだけしたのだから此の願いを是非聞き届けて貰いたい・・・と祈るのは信仰ではなくて脅迫です。お百度を踏むの
も神仏のお計らいを知らずに一方的に自分の要求だけ執拗に嘆願するのと同じ行為です。此れでは神仏や他人を自
分の要求に屈服させようとする邪な祈りになります。

神仏先祖などへの祈りで必要な点はそうした強訴ではなくて感謝であり、そうした想念が神仏の心を和ませ慰めるので
結果として弔いにもなりますし、また神仏・先祖の降臨を願う場合にも、其の感謝の心が「迎える」姿勢として略合格か
と思える。其の点、神主の上げる祝詞の「のり」は音の響きが「祈り」に近い。祝詞には他に寿事(ヨゴト)もある。

其れに対して呪術の祈りはイノリではなく、ノロイや調伏など、実に穏やかでないものとなり、此れを加持、または齧り
(カジリ・呪)と言う。その場合は感謝とか「祈り」と言うよりも手前勝手な願い事が主になり、言わば強訴となりますの
で、そうする側もそれなりの決意で精進潔斎してかからねばならず、一つ間違えば「人を呪わば穴二つ」と言われる。

つまりは心中行為となる危険をも覚悟する必要があります。要するに祈るなら感謝だけでよく、願い事はしない事です
(「千日回峰」を参照)。特に最近は昔の「お百度参り」がまた復活しつつ有りますが、それがもし「自分を変えずに他者
を変えようとする一方的な祈り」であるならば傲慢と言うものであって、それは神仏が最も嫌う行為と見て良い。

今の日本人は祈り方一つとっても余りにも幼稚ですから結論として「祈り」の方法を言う。賽銭は必要ですが、そんな物
は神仏には届かない。其の金銭を誰がどのように届けるのか、見届けるのが無理でもあるからです。其れより先ず
仏名を唱える事です。

誰彼構わず叫んでも誰も振り返ってくれませんし、救急車を呼ぶなら110番と言う番号にプッシュするように、別紙の
「円系図」で自分の先祖くらい先ず知って置く事です。次は方位です。前後左右か、正面か、その何れにその神仏が居
られるのかを確認する事です。確認が難しいなら探し求めるべきである。

普通は本殿(本堂)と鳥居(山門)のラインですが、其れが不明な場合は別紙の「円暦」で暦日・方位を確認します。そう
しなければ、百万遍通って何遍祈っても何の効果もない。自己満足と祈りとは違うのです(一願を参照)。尚、「祈り治
療」については「サムシング・グレート」を参照。











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