http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page350.html(未定稿)


    日知り事典   マナ・満

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・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆
まな● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 
▲マナ・・・・・愛。真名。
▲マナ・・・・・不思議な食べ物。

マナー・・・・・・・・・ラテン語のmanus(手)からmannersと言う。礼儀、作法である。此れは躾によって習慣化される
態度や動作を言った。または人間の共同生活をする社会で必要な条件、公徳心を含む。例えば文化都市とはマナー
の良い町であって、恒例で文化祭を催していても、犬の糞が道路に散らばっている町は文化都市でも先進国でもない。

マナー低下・・・・・・・・・・明治や戦前まで日本人はマナーの良い国民だったが、戦後は一変して悪化の一途である。
原因は何をしても「自由」と誤解した事。神仏に無信心となった為、「人が見ていなければ分からないだろ」と言うモノカ
ネ主義の人間が増えた為。「人様に迷惑を掛けない」と言うお年寄りと共に子供が暮す三世代同居が減った為。

人の善意を食い尽くす人間が増えた事と、モノカネ主義の一般家庭と共に、学校の先生の質の低下の為。等々色々言
われているが、第一は国が戦没者を放置すると言う、何処の国でも決してしない事をして、悪い模範を示しているから
である。

▲俎板・・・・・

▲マナウス・・・・・ミシシッピー川と並ぶ世界最大のアマゾン川の事。長さは6200km。水温と水質により白い川と黒
い川、其れに青い川とが混じり合わずに縞模様となって流れる。約7万uに及ぶ広大な氾濫原と台地とがあり、氾濫原
の雨季と乾季の水位差は10mに達する。

◆学び・・・・・・・・「学びは真似る事」と言う説がある。其の程度の話が今は理解し易いためか大方の支持を得ている
が実はマナビは「真南日」であるかも知れない。つまり真南の日光と日影の観測、即ち「日知りの作業」に付き従う事で
天地の道理を知る事であったろう。とすれば日本人から太陽の視点がなくなれば如何なる学びも無意味となる。

さて青少年にとって学び(学校)はこの世で生きるため、社会に入るために必要な関門である。但し今の教育はマナビ
と言うより寧ろ大人社会の約束事の押し付けである。つまり暗記や画一的な詰め込み教育となるため青少年の個性を
引き出す事が出来ない。

物事の真理や道理よりも、約束事を教え込むので世渡りの常識に長けた小ざかしい人間を作って行くだけである。しか
し学校に行きたくても戦争などで行けなかった世代があった。彼らは今でも学校に甘い感傷を抱いて憧れる。また世界
各地には学校が少ない地域がある。そうすると慈悲深い方々が「後進国だ」と断定して学校建設に寄付金を集める。

また、老いてから入学し卒業したと言う話が美談としてニュースになる。或いは努力家が「人生は一生勉強である」と話
す。けれども此れらのケースは少し変なのだ。霊界ではこの世で生きる術の殆どを教育されて出生して来る。性善説と
言うのはこの事である。従ってこの世で学校へ行く必要性は殆どないのである。

折角持って生まれた性善性が、拝金主義の歪んだ社会の教育によって性悪に歪められるのが現状である。其れでも
今では30歳位まで高等教育を受ける人が多いが、人生80年としても、其のうち半分近くを学習で穀潰しするのは本人
のためにも社会のためにもならない。この世では学習よりも実体験を味わう意味があるのだ。

其れを捨ててより価値の高い教育に期待するのは優秀な資質を作るよりも半人前の人の甘えを助長する。昔は「お国
の為に早く戦列に加わりたい」として少年たちが志願していった。後に残った妹や弟たちは父母を助けて働いた。こうし
て今の日本になったとも言えます。

学歴の有るものは愚将となって万兵万骨を枯らしたし、長期間の教育が今のような混沌とした日本にしてしまった。寧
ろ教育から排除された人たちの血と汗の結晶で日本の繁栄を築いた。実体験のないまま机上の論理を学べば禅問答
のような空理空論を弄ぶ哲学者にしかしない。此れに憧れるなら仕事を果たした後に、道楽としてすれば良い。

人は従って今の教育では進化しない。カエルの子はカエル。トンビが鷹を産むことは無い。此の2つの古言はこの真理
を言い切っている(因果論を参照)。



●マハ・・・・・・
●マヒ・・・・・・
●マフ・・・・・・

●マホ・・・・・・

マホメット・・・・・・・ムハンマド。竹之内文書(皇祖皇大神宮文書)にはマホメットが来日していたと記録している。彼
は舒明天皇の時代に来日したが、日本は既に仏教に汚染されていた。ただ彼は其の仏教ではなく岐阜で元の皇大神
宮を守っていた仙人(天狗)に8年間師事して34歳の時にメッカに戻ったと言う。

其処からソロンアサミ氏(ソロンの預言書)は「マホメット教は魔法の教え」とも言う。(イスラム教を参照)
●魔法・・・・・・

魔方陣・・・・・・・魔法ではなく魔方陣と言う形の名称である。この形は一つの場の三分法であり、例えば一つの枡
を縦横三分割すれば九つの枡になる。其れは同時に一つが九倍になる事でもあるし、内部が八方に分割される形であ
るが、この形は太陽観測の場の基本形として古代から存在した方位盤である。数字は古来、方位の裏づけがあった。

即ち単なる数字ではなくて五行の原理からこの方陣が出来て、九星基盤の形として多用され、もしくは秘符として存在
し、或いは漢字形成の原理として使われた。そうした基本原理であるから口分田にも応用された。口分田の割り方は
「9×9=81」と拡大し、或いは同率で縮小もする迷宮構造である所から、「魔方陣」と言われる。

  南  
  北

よって外にも条里制、囲碁・将棋盤や阿弥陀籤にも応用され、また、阿弥陀九品図や金剛界曼荼羅、及び各種の家紋
にも応用・伝承されたので類似のものが多い。此れは「井田」と言う護符としても使われたが、他の護符として別項で述
べたセーマンやドーマン、即ち九字印等とは実は似て非なる形である。

そして厳密に魔方陣と言える形は、今でも九星気学に伝えられる。此れは上図のように九つの枡に1〜9の番号を付
けて、其れを縦横斜めの何れから数えても15になる数字盤にしたものであり、其の数字を詰めて行けば不思議な数列
が出来る事から古来数学者を悩ませて来た。究極的には369(弥勒)の数が中心に来て全てが整合する。

或いは新古今和歌集などに配置された和歌は何れもこの盤に並べて言葉を繋いで祈願に使ったものである。一般的
には例えば先の九星盤として、或いは神宮暦などで方位と気学の解説に使われているお馴染みのものである。其れに
最近は数独パズルが大流行ですが、此れもこの魔方陣のリバイバル。中毒にならないようご用心(数独を参照)。

●マホメット・・・・・・
▲ママ・・・・・・・ド
▲マミ・・・・・・・
▲マム・・・・・・・
▲ママ・・・・・・・
●マメ・・・・・・
●豆・・・・・・

●肉刺・・・・・・
▲マモ・・・・・・・

魔物・・・・・・・魔性の物、妖怪。魔王、大魔王、666を参照。

●マヤ・・・・・・

麻薬・・・・・・・ドラッグ・麻薬・覚せい剤。月の国の産物であり、幻覚症状を得たい月性人たちに古来愛用されて来
た。だが幻覚が麻痺してやがて薬物依存症となる。此れに一度掛かれば一生治らない。未成年の場合は脳に傷が出
来て一生廃人同様となる可能性が強い。

かつてはイギリスがインドで作らせて清国に買わせてアヘン戦争を起こし、英仏露が清国を餌食とし山分け(一部植民
地化)する事に成功した物種。

其の後、東南アジア、そして今ではアフガニスタンや北朝鮮が麻薬の産地になっているが、中でも北朝鮮は国家ビジネ
スとしてミサイル、偽札、麻薬を生産している。其の最大の客筋は日本であり、漁船による海上取引とか中朝国境、或
いはロシアルートで入り、日本の若者たちに蔓延して来た。

また北朝鮮内部では此れまで勝ち組と負け組みとの二極分化が進んだが、最近では勝ち組の中で麻薬が濫用されて
中毒者が続出と言う事態になっている(05/1/24の民放テレビで)とか(「薬物信心」を参照)。

此れまで平成11年から1530kg密輸された中で、北朝鮮からは560kg入った。末端価格にして800〜900億円。06/5/
12に島根の安来港で受け渡した事件で組織的に行っていた暴力団の宮田組長とウ容疑者が逮捕されたが氷山の一
角である。拉致の外、日本で年間29兆円を稼ぐパチンコや覚せい剤の密輸が北朝鮮による間接侵略である。

パチンコ依存症患者が100万人と増加の一途である。何れも生活破綻者となって家族や友人に迷惑をかける。多くが
多重債務者となってヤミキン(サラ金を参照)や社会福祉の世話になる。其れでも国際親善になれば救いがあるが、拉
致被害者はそのままだ。麻薬もパチンコも結局人生を棒にフリ、辛い思い出以外何も残らない。


マヤ文明・・・・・・・・6c-8c、今のグアテマラで栄え、ティカル遺跡を残した。ピラミッド4号神殿は漆喰で塗り固めてあ
る。地下に太陽神(キニッチ・アハウ)を祭り、夜の神(水の神)としてジャガー(バラン)も祭っていた。赤い階段も太陽を
意味した。またリンテルと言う木版にはマヤ文字で4-5万もの文字を彫刻している。

マヤ天文学では既に日食と月食の予測をしていた。ティカル王は生ける太陽神であった。1年の半分は雨季。雨の神
は雷(チャーク)で、王の仕事は水の支配でした。西暦700年頃にティカル25世が1号神殿で自分の血を流して雨乞いを
した。2号神殿には水路を張り巡らせて更に下の巨大な貯水池へと導くようにしていた。

つまり熱帯の中の水の循環都市だった。またトウモロコシの神を祭り、段々畑で焼き畑農業をしていた。やがて人口増
から森の気を伐って農地拡大をした。此の為、保水力の無い土地にして土地争いとなって行き詰って行く。700年頃に
は巨大神殿造りが続いていた。

しかしヤシャ湖の水位が900年頃に低下し、200年間水不足が続いて900年には日照りがピークに達した。其れでもティ
カル27世は森を伐り、神の如く振舞い4号神殿を造った。漆喰を作る為には、石灰岩を焼いて水に浸けて消石灰とし、2
ヶ月間醗酵させる。此の為、大量の薪を必要とした。

白い色は光を反射し、土地を冷やす(近代都市のコンクリート・ジャングルも同じ効果を及ぼしている)。このため雨が
降らなくなります。こうして西暦869年にはマヤの歴史を閉じた(以上、07/1/2のMBSTVより引用)。マヤについては「コ
パン遺跡」も参照。

●マユ・・・・・・繭。生糸の原料。昆虫の1つである蚕(カイコ)が繭を作る。繭の生産は昭和5年に40万トンあったが、今
は3万トンに激減している。明治以来、日本の輸出品の大部分が生糸だったが、戦後は化繊が発達した為に激減し
た。

●マリ・・・・・・
マリア・・・・・・イエスの母。聖母。

摩利支天・・・・・・・・マリア様の親戚のような響きだが違う。梵語では陽炎。インドではマリーチ。日天に付随して自在
の通力を有する女神。誰も見る事も、捕らえる事も出来ず、従って害される事もなく、どのような難からも免れると言うカ
ゲロウの神格化。天女、または猪の上に立つ武者として表される。

楠正成が甲冑の中に忍ばせ、穏形の術をもって敵を恐れさせたと言われ、武士の守護神として尊崇された。07年の大
河ドラマでは山本勘助が戦の神としてお守りにしていた。江戸は上野の徳大寺(下谷の摩利支天)、真言はオン・マリシ
エイ・ソワカ。盗難・水難・火難を避けると言う。


●丸・・・・・・

マルチチュード・・・・・・多数者・多数性・群衆・多衆を含む共生。グローバルな世界に登場した多様な人間の集合体
であり、今は其の拡散状況にあるとも言う。現代はグローバル秩序が失敗して世界の混乱の中で経済格差が拡大し、
「危機の時代」にある。この危機を解決できない支配者に代わるのが怪物的な力を持つマルチチュード。

怪物性は現代を生きる全ての人間の中にある。人々は変身し、新たな民主主義社会の担い手になる可能性を持つ。
つまり21世紀は知の再生(ルネッサンス)の時代であり、「共衆性」のある「共の労働」への転換期にあるのか(06/2/15
の朝日記事より引用)。

●マレ・・・・・・

マレ人(客人)・・・・・希人。マロウド(客人)神。常世の国から此の世に訪れて来る神。中澤新一氏は07/3/2のNH
K総合TVで柳田國男と折口信夫の意見の相違を対比しながら、「彼の世と此の世との通路を開くのが祭りである」と解
説した。沖縄のニライカナイは遥か遠くの海から神がやって来る。

信州のサイホウでは神が岩の中や壁の向こうからやって来る。秋田のナマハゲも客人神である。其れを迎える事から
日本の文化・芸能が発生した。しかし今の社会は死を恐れ、死との繋がりを遮断しようとした社会にしていると言う。

●万・・・・・マン、ヨロズ。ヒフミではモチロのロに当たる。古くは萬とも書いた。

万華鏡・・・・・板ガラスを三角形に組んで反射させて何倍にも見せる玩具であるが、反射によって方位(角度)に則っ
た幾何学文様が出来るため一つの壮大な宇宙観・曼荼羅世界を現出する装置である。昔からあってカレイドスコープと
か錦眼鏡、百色眼鏡とも言った。

▲漫才・・・・・お笑い芸能の一つ。由来はバンザイを参照。

・・・・・・万字。日本の神々は天地を結ぶ役目から「+」を文字の基本とした。所が仏教は十字に尾ひれを付けて
回転させる形で卍をシンボルとした。此れは秩序を「ホドク」教えであり、よって倭人はホトケと読んだ。ホトケは調和よ
りも変化を求める一定の動きを示すものである。其処でインドでは功徳円満の意味で吉祥の標相として相伝した。

仏教寺院のマークはこの反時計回りの形であるが、日本の家紋には左・右・丸・角立等の種別がある。また逆万字(時
計回り)もあって、ゲルマン民族の「生命力」のシンボルとして伝わっていた。其れがヒットラーの時代に反ユダヤ運動
のシンボル(ドイツ国章)のハーケンクロイツ(カギ十字)として使われた。

満州・・・・・・・・官主導による護送船団方式による「王道楽土」「民道楽土」を目差した実験国家だった(「王道楽土の
戦争」NHKブックス、吉田 司著)。

満州開拓移民・・・・・・・31年の満州事変後に本格化した開拓移民は、広田弘毅内閣が36年に「20年間に100万
戸」の計画を打ち出し、国策として推進された。

昭和恐慌による農村の疲弊と、ブラジル(別項参照)などの南米諸国が移民の制限を始めた事が背景にあり、地縁関
係を重視した町村単位の集団が軍事訓練を受けた「開拓団」として送り込まれる方式が採られた。

戦局の悪化による兵力動員で42年以降は成人男子の入植が困難となり、15〜18歳の少年で組織された満蒙開拓青
少年義勇軍が主軸となった。軍事的観点から主にソ連国境に近い同国北部が入植地に選ばれた。2000万haの移民
用地が強制収用されたが、多くは地元農民が開墾した土地だった。

青少年義勇軍も含めて移民の総数は27万とも32万人ともされる。ソ連の参戦で国境地帯に取り残され、帰国できたの
は11万人余りだった(06/3/30の朝日新聞記事より引用)。政府は甘い言葉で偽りの「王道楽土」を鼓舞したのである
が、其れを朝日も扇動した。何れにせよ此れも日本への稲作渡来の失敗の見本である。



▲マンジュシャゲ・・・・・赤い花。「彼岸花」を参照。

●満足・・・・・・「足るを知る」事。自然界は全てが満足した状態にあるので、此れに感謝して現状を是認するのが先ず
大切です。だが別項の月性の心が常に「何か足りない」と言う強迫観念を齎す。

例えば財界人は此れだけ日本が経済大国となって、もう環境破壊が止まらなくても「まだまだ足りない」とボヤキ、また
女性の多くは愛の不足を嘆き、病人は「良い薬が足りないから治らない」と思っている。何れも「足るを知らない」からで
ある。

曼荼羅・・・・・・・・・仏教などの世界観を幾何学的に図示したもの。有名な例ではインド・チベット系のタントラがある
が、日本の密教寺院には金胎曼荼羅がある。此れは、胎蔵と金剛界とを円と方形で対照的に描いたもので両界また
は両部曼荼羅とも言う。両界とは天界と地上界を意味し、曼荼羅は其の時空と地理を結ぶものだった。

ただ具体的な胎蔵と金剛界との別は、前者が天体と大自然の方位と摂理、法華の精神体を意味し、後者は地上の領
地、地理方位、つまり人民管理の秩序やモノカネ主義の物理を示した。つまり陽と陰、即ち男性原理と女性原理でもあ
った。所が今は、前者が女性、後者が男性原理と解説している(此れは誤解であろう)。

次に、「界」と言うのは八方または十二法の法華・方位法理の境目を示した鏡と同じ意味でした。だが今では鏡を固定
観念でミラーとしか理解しない人が殆どなので、何を言っても始まらないが、曼荼羅は方位盤なのだ。実に簡単な事な
のに其れを素直に理解できず、逆さまにしか受け取らないので残念ながら真実を中々理解出来なくしている。

ともあれ本来の曼荼羅は例えばチベットに今も秘法として残る砂曼荼羅のように、水平面に描き、或いは敷物として織
り上げて地面に広げて暦盤・方位図として、中心部から周囲を見るものでした。繰り返せば「曼荼羅」とは、何れも天・
地を四方・八方・十二方位に区分した方位図であり、中心点に人が入って周囲を観る場としたものでした。

従って其の形は丸と四角、即ち「天円地方」の形となる。丸は天体、四角は方位を基とした条里制などの基本形であ
り、秩序の理法でした。所が日本に残って今も見られる殆どのものは曼荼羅とは言っても変相図に書き換えられてい
る。

此れは目の前に見える天体・天神・自然界を軽視して、他方に物質世界としての人工的・人為的な金剛界を至上とする
誤解の図としたものです。

例えば平安以後の阿弥陀九品図または弥陀来迎図、或いは当麻式25菩薩来迎図、或いは春日、熊野、地獄曼荼羅
など、何れも天地を無視した黄泉の構図であり、従って立体的には見えても目線が低く、曼荼羅とは言っても曼荼羅式
絵模様であって現代絵画と何ら変わらないものです。

しかも方位を無視した変相図であり、単に仏教の功徳・ご利益を説法する為に使った掛け軸式の「絵解き曼荼羅」と言
う代物となった。そのため壁に張り付けて拝ませる用法となり、方位とも世界観とも無縁なモノカネ主義の「文化財」に
なってしまった。

これ等の幾つもの点を大多数が誤解している現代人に対して、この項目1つで異議を唱えても空しい限りであるが、弘
法大師の東寺と高野山の多宝塔、或いは根来寺の大塔(国宝)を拝観すれば大日如来を中心とした立体曼荼羅が見
られるので、こうした事物を一見すれば、元の形や真実に近いものを認識出来る人もあると期待する。

或いは舶来崇拝者ならばイングランドから移住して米国のペンシルバニアやオハイオ州で現代文明とは交流せず、聖
書にある通りの暮らしを続けようと自給自足を続けるピューリタンたちの織ったアーミッシュ・キルトを見れば良い。

此れは日本の五行・五色の思想(同項を参照)をそのまま伝えるもので、方位を示すシンプルな幾何学文様の柄に太
陽が赤、空が青、木が緑、大地が茶色で縫いこまれている。所で戦国時代には堺湊にはポルトガルなどによって南蛮
渡来の絨毯(カーペット)が入って来た。

以来日本人は此れを舶来の洋風のものと錯覚して珍重し、祇園祭では山鉾に飾り付けた。そして今でも人々は洋間を
造れば真っ先にカーペットを敷いて悦に入り、応接間とする。でも此れは西洋と言うより南蛮人やオランダ商人たちが
途中のペルシャやインドに寄港した時、行きがけの駄賃に積んで来て堺で売りさばいたものに過ぎない。

言わば西域の曼荼羅でした。アラベスクの唐草文様の絨毯は、実は曼荼羅であり、其れを尻に敷いてしまう。其の一
方では旧来の「お曼荼羅」を仏壇の壁に貼り付けて拝むと言う二つの矛盾を平気でしているのを笑うべし。

▲マンダラゲ・・・・曼荼羅華は上記のマンジュシャゲと似た名であるが全く違う。白い花で梵語で「天上に咲く花」の意
味で聖花。白花。朝鮮朝顔。紫華曼とも言う。白い蓮華。花は有毒、根は薬草。紀州粉川の華岡青洲が江戸時代に世
界で始めて此れを麻酔薬として使った。

姑と嫁とがお互いに人体実験を申し出たと言う美談が今に伝わりテレビドラマにもなった。

満中陰・・・・・・・仏教で中院(中陰・中有)とは、人が死の瞬間から次の生を得るまでの期間を言う。シナではその
中院の間には閻魔の裁きが有るとする十王信仰が生まれて日本には鎌倉時代に特に禅宗によって広まった(不動尊
を参照)。

また中院法要と言って人の死後、初七日(不動明王)、2−7日(釈迦如来)、3−7日(文殊菩薩)、4−7日(普賢菩
薩)、5−7日(地蔵菩薩)、6−7日(弥勒菩薩)、7−7日(薬師如来)と言う風に七日毎に香を焚いて経を読み、法事
をする習慣があって7−7=49日目を満中陰(中陰=忌み明け)とする。

因みに先の曼荼羅には中院八葉院曼荼羅と言うのがあるが、其の基本図形は八方を区画した図盤である。外に民衆
の13佛信仰があるが、これも本来は1(本尊)プラス12佛(方位)の事。シナではその中院の間には閻魔の裁きが有
るとする先の十王信仰が生まれて日本にも広まった(「13佛」を参照)。

何れにせよ、中院や13佛信仰は日本の故人に対する追善供養の基本であり、また49日の区切りは薬師の12神将
による「48方位」に対する祭りであり、このため行基以来、新墓地には49本の柵を設けたものでした。また餅を搗いて
49ヶを寺に持参したり、この日に巫女を呼んで口寄せ(仏下ろし)をして招魂と供養をしたのである。

因みに死後49日目、つまり7−7日(薬師如来)の満中陰(仕上げ)以後は百ヶ日(観世音菩薩)、または一周忌をしま
す。主尊は勢至菩薩、三回忌が阿弥陀如来、七回忌がアシュク如来、13回忌で大日如来、そして33回忌は虚空蔵菩
薩となる。


万年時計・・・・・・・・江戸時代に製作された和時計。「からくり儀右衛門」こと東芝の創業者・田中久重の傑作であ
る。天頂部では太陽と月が各々の軌道を運行し、一時ごとに鐘を鳴らす。現代の西洋式時計は機械的な時間である定
時法であるが、日本の和時計は日月の示すアナログ式不定時法を採った。

日本人は機械的な時間に制約されるよりも、天文と合致した自然時間を大切にして暮らしたからです。従って冬時間と
夏時間とは違って来ます。

万年暦・・・・・・・・・旧暦や現行の西洋暦は毎年クルクル変わるカレンダーですから、其れを万年暦とするにはどうし
ても無理があります。つまり万年暦とは数式のカレンダーではなくて、方位と暦日とが合致した366円暦と言う事になり
ますが、詳しくは別紙の「真の太陽暦」で解説しています。

▲まんの
▲まんは
▲まんひ

万引き・・・・・・衝動的、もしくは性癖から行う陳列商品窃盗行為。此れまでは青少年の悪戯が目立ったが、近年は
成人の万引き事件が多発している。経済的理由(生活苦)によるものも増えた。発見次第、以前は本人に厳重注意し
たり家族に通報したが、今は83.5%が警察に直行となる。従って起訴→送致→家裁→刑務所(少年院)行きとなる。

生活苦の場合は同情したいがその他は同情できない。世間への甘え、または道徳観の欠如か自己管理不能者、或い
は家族の問題による社会への波及がこうして迷惑行為を及ぼしている。此処まで至ったのも宗教や道徳を嫌う家族の
責任であり身勝手なプライバシー云々を言う今様の社会の歪・責任でもある。


▲まんふ
▲まんへ

▲まんほ
▲まんま
▲まんみ

▲まんむ
▲まんめ
▲まんも

▲満蒙開拓団・・・・・・・満州開拓移民を参照。

▲まんや
▲まんゆ
▲まんよ

▲万葉仮名・・・・・・仮名を参照

万葉集・・・・・・現存最古の歌集20巻。仁徳天皇の時代から淳仁天皇の天平宝字3年まで、四、五百年間の歌、約
4500首を収録している。相聞、挽き歌、雑歌を含めて長歌、短歌、旋どう歌を主とし、短歌が4000首以上を占める。
大伴家持の手によるものと考えられ、素朴な感情が率直に表され、格調高く、我国古典の随一。

注釈書に「万葉集考」九冊、賀茂真淵著などがある(広辞苑より)。また江戸初期に契沖が著した「万葉集代匠記」54冊
がある(国学を参照)。

▲まんら
▲まんり
▲まんる

▲まんれ
▲まんろ

▲まんわ
▲まんを







次は
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