http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page349.html(未定稿)


     日知り事典      枕〜纏

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・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
まくら・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・  ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 

●枕詞・・・・・・・俗世間で「枕言葉」と言えば「寝物語」の事でもあるが、和歌の中では話が違って修辞用として、常に一
定の語の上にかかって修飾、または句調を整えるように存在する不思議な言葉であり、通常は五音句で置かれる。
此れが和歌の発語、冠辞、或いは前置きの詞として理解されているが、果たしてそうだろうか。

其処で異説を言えば、和歌は神に捧げる歌であり、動の詞を静なる下地、つまり八方の時期の中のこの時期の神を念
頭、に置く為の、つまり主語のテーマ(主題)の詞として和歌の枕・頭に被せて、以下の歌を綴って神に捧げる歌とした
のではなかったか(「和歌」を参照)。

マグロ・・・・・・日本は世界の1/3を消費するマグロ好きの国民です。だが漁獲量が10年前の半分になった。しかも海
外からの輸入に支えられている。台湾など、違法操業にである。このため国際条約で規制したり漁業交渉をしている
外、近年は養殖も始まった。だがマグロは最高時速80km/Hで泳ぐ。ですからどんな競泳選手でも及ばない。

しかし此のため狭いイケスでは衝突事故で死去するケースが多く、イケスを大きくしても育つのは全体の3割である。し
かも1kg育てるのに3kgの餌(冷凍イワシなど)を与える(06/6/22のNHK教育TVより引用)。因みにオーストラリアでは
蓄養方式で太らせていて、其の95%を日本に輸出している。

地中海やメキシコでも此れが盛んになっている。

曲げ輪っぱ・・・・・・・マゲワッパ。木製の丸い食器の事。木材を薄く加工し、其れを曲げて仕上げる事で強度を増し
たものであり、結果として軽いので弁当箱として、或いは美術的にも優れたホカイと呼ばれる旅行・携行食器として使わ
れた(「桶」を参照)。

■マゴ・・・・・・孫
マゴ・・・・・・古くは馬飼い人の事だったが、何時の頃からか其れを「馬かい」と読み、しかも馬の子供でもないのに
「馬子」と書くようになった。博労とも書く。

■まさ・・・・・・
マサダ・・・・・・オペラで「サロメの踊り」に語り継がれるイスラエルの最後の砦。ユダヤ民族はローマの圧制を受けて
西暦73年に落城した。

マス・升・・・・・・升の字は人偏に十文字と解釈できる。度量衡の中の容量を計る道具。昔は1升枡、1斗枡、1合枡な
どがあって、1斗枡は丸かった。他に6合枡(別項参照)と言う便利なのが使われた。但し5号枡と間違いやすい。なので
各々焼印を押していた。

■マスコミ・・・・・・マスコミは今は「マスごみ」とも言われる。公共性より広告媒体として、ゴミ情報を垂れ流すだけの存
在となったからだ。メディアに別記。

■まし・・・・・・

▲麻紙・・・・・・マシと読む。麻皮を細かく切断して突き砕いて漉いた紙で紙質が緻密で上品なため、古来、詔書・宣命・
経文・和歌などを印すのに用いられた。だが生産効率が悪いので今は類似品しか作られていないが、正倉院には奈良
時代のものが残されている。

魔術・・・・・・

魔術化・・・・・・古い時代から人間は合理性を超えた神秘の世界に心を惹かれて来た。21世紀の人間は、今度は
夢のような消費社会の魔力に魅せられている。魔術的な世界は、先端技術などの分野にも広がっていて、「現代の社
会は魔術の世界に近づいている」と言うのが「再魔術化する世界」山之内靖氏、御茶ノ水書房。

早大教授の塚原史氏も「現実の消滅」を警告したボードリヤールの説に注目する。その説とは情報化・記号化によって
現実以上にリアルな世界が出来た結果、元々の本物の世界から現実感が消えてしまったと言うもの。例えば、現代日
本社会の記号化には非現実的な曜日支配の弊害がある(七曜を参照)。

近代文明は神秘や迷信など非合理なものを排除し、科学的な合理性と効率の道を目差した。「脱魔術化」と呼ばれる
流れだ。しかし其の反動が再魔術化である。科学は発展したかに見えたが、其の正体は軍事科学に過ぎなかった。物
質を混ぜ合わせて違うものを作ると言う中世の錬金術からスタートした科学は、元々魔術的だった。

「万有引力の法則」を構築したニュートンも、当時、錬金術に関する多くのメモを残していたので当初は一種のオカルト
だと思われていた。国際基督教大学教授の村上洋一郎氏も、「科学技術が実は魔術と切り離せないもの」と語っている
(大要は06/2/13朝日新聞より引用)。

魔女・・・・・・・間男は多いのに魔男と言う言葉が無い。のに対して魔女と言う言葉だけ使われるのはどうしてでしょ
う。女はそんなに悪いのでしょうか。因みにイエス・キリストが磔刑になったのは、キリスト教がまだ存在しなかった時で
ある。以後、キリスト教でも目の仇にしたのは男よりも女であり、特に火あぶりの刑にされたのは大抵「魔女」でした。

とすればキリスト教は女性差別の宗教だったのか。日本の女性たちがクリスマスや挙式の場として憧れるキリスト教の
素性がそうであったとするならば益々分からなくなって来てしまいます。いや実は西洋には元々魔女が多かったのでし
ょうか。かつて米国版「奥様は魔女だった」と言うホーム・コメディが人気を博した。

米国では家庭の中にさえ魔女が入り込んでいたのでしょうか。でもあんなに魅力的な女性なら、譬え魔女だろうと何だ
ろうと2〜3人囲って置きたいと普通の男性なら思うに違いない。実際、魔女を気取る女性もいますので男どもは気をつ
けるべし。其れほど魅力的なのが女である。だから昔から警戒されて来ました。

特に修道士や修験者にとって女は修業の邪魔になった。だから大峰山は今も女人禁制である。魔物のようなあの金ピ
カや黒い神仏を祀る修業の場にあっては、魔物のような日本女性でも実に素晴らしく見えてしまうので、神仏と見分け
がつかなくなる。だから禁止したに違いない。今でも「犯罪の影に女あり」とも言います(「魔」、「魔物」を参照)。

でもどんなに素敵な女でも、魔が年増とか大トシマと言う風に変われば魅力も魔力もなくなるのをご存知で、彼女たちが
一番警戒し敵視する所です。「時は金なり」ではなくて「時は敵なり」です。

■ませ・・・・・・
■まそ・・・・・
■また・・・・・・

マチ・・・・・・、待ち、兆(まち)、マスなどは何れも神の降臨する場で「神を待つ」意味からその場を方位に従って方
(マス)形に区画した。神の丸い形の祭壇ではなくて、人の領域は方(マス)形に区画したのが町(兆)形である。よって
人の使う文字もこの方形を基本として其の枠内に、更に色々付け加えて組み立てた(「田」を参照)。

従って文字も画数に格別の意味がある訳ではなくて、方位に重要性があったと言える(「九星」、「曼荼羅」を参照)。
田は祭りの場であり、必ずしも水田ではなく、稲田とイコールでもなかった。田、即ち「待ち場」は方形の方式の領域で
ある。其れに縄を引くため丁(ヨボロ、尺木、T定規)を当てて一定の区画に分けて、人の住む地域を「町」の字とした。

古来、人々が社会生活をする以上、其処には明らかなシルベ(標)を元に一定の合意が図られる。例えば其の集落の
中心には見柱を立てて太陽観測の日時計とし、其の高木の立つ所を村と言った。木の作る日影を見て誰もが暦時を
知って集落の中の約束事のシルベとしたのです。このため村の字は「寸の木」と書く(「村・京」を参照)。

文字は神代文字やギリシャ文字のように天文の事象を矢印などで簡単に示した指事文字でした。

日本人は田や囲形の町形・斎場を略して「+」と書いて「結び」とした。其れに対してシナでは逆に複雑化した。田や囲
形の枠に日本の神代文字を色々組み合わせて会意形声などの漢字とした。元々は天神と人とを結ぶヒジリ文字だった
が、其れを天下の人民管理に流用し、他人を命令・支配する文字としたのが漢字です。

本来の文字は例えば人が太陽に南面すれば其の日影は時計回りに移動するので、其の文を地に印すのは右からで
あり、従って昔から、文章は上から縦に書き、また一つ一つの文字も右から読んだのです。

例えば新聞の縦書きは問題がないが、昔は上に横書きで「聞新日朝」と有った場合は、此れは右から「朝日新聞」と読
み、其の「朝日」の文字は「日月十日十」であって、「十早月日」ではなかった(「漢字の成り立ち」を参照)。

★町金・・・・・マチキン。都市銀行の台所(第二営業部門)。「サラ金」を参照。

街づくり・・・・・・町は暮らしの伝統継承の場なのですから古いままで残すのが望ましいが、そうも行かないので、今の
暮らしに合わせて町つくりや再開発と言う事になる。しかし最近は観光施設や文化ホールと言う箱物作りが先行し、流
行した。

税金を使って首長が裏リベートを取ったり、役場の天下りの受け皿機関としたり、地元市民ではなくて外部から人集め
してヤクザ稼業で稼ごうと企む邪道が蔓延した。しかし中にはニシン漁が寂れた北海道・増毛町のように真面目にエネ
ルギー転換をした地方も有る。

ともあれ「村おこし」や町つくりの基本は、その町の住民が納税し、其の税金を使うならば住民主義でなすべきであろ
う。具体的には町民の安全を図るためのインフラの整備と町中の清掃を維持し、老若男女が安心して暮し易い所とす
るのが前提。

●マチュピチュ・・・・・・日読み5を参照。

・・・・・・松をどうしてマツと呼び、またどうして松の字を当てたのか。此の字は「公の木」と書く。公とは主であり、も
しくは八方を意味し、八方を祭る場は太陽観測の場であった。日影観測すれば日影が松葉の様に、或いは分度器の
線のように秒刻みで移動する事が分かる。よってそうした場や人には「公」の字を付けた。

従って例えば昔から其の家の主人のシンボルの木として松は大切にされてきた。従って庭木の中でも植木屋さんが剪
定に一番手間をかける木である。梯子をかけて一本に一日費やす。だから庭に数本の松があればもう家計のやりくり
が大変だ。ただ、松が元気旺盛ならば、其の家の主人が立身出世している時である。

こうして松は庭木の中でも一番大事にされて来た。だがもし其の松が夏の日照りで弱ったり松くい虫にやられれば主人
に何か問題が有り、或いは病気や事故に遭うとも心配したのです。庭木にも松竹梅があり、竹の場合は庭には植えな
いが何れも正月にも飾られ、縁起の良い時にも縁起物として飾られ、結婚式の引き出物にも使われる。

其の筆頭が松でした。次に先の「公の木」が下記の「松の内」や「松迎え」とどうリンクするかです。松は「神を待つ」意味
にリンクする。神を迎えるために、宵の内から篝(かがり)火を焚いて待った。松脂の炎は電光よりも明るい。一定の方
位に点々とそうした光が連なり、篝火に照らされた光の筋道から神が降臨します。

祭主はだから他の木の薪(たきぎ)を使わず松を薪(まき)に選んだ。祭政一致の昔は、祭主は国王・領主・殿様であ
り、従って「公の木」と書いたと思うのですが・・・此れは推測です(タイマツ、篝火を参照)。寺や神社でも大事にしたの
で昔は松の大木が残っていた。盆栽や庭木のマツは大木にならないが、何れにせよ樹齢を重ねた。

よって長寿のシンボルとされ、ナギナミの高砂の松の絵にもなり、殿様の御殿にも狩野派の絵による松の間が設えら
れた。長寿かどうかは皮の厚さで分かります。松の場合はツルツルの皮ではなくて龍鱗の如きものが凸凹と何枚も積
み重なっているのが古木です。ただ今では陶器の火鉢や絵皿でしか其れを見る外はないのですが。

松は昔から燃料として一番役に立った。松葉は焚きつけの時に良いし、薪の場合は高温になる。此のため今でも陶器
窯にとって無くてはならない。備前焼や丹波立杭は自然釉(ユウ)を特徴とする。此れは、土器が高温で熱せられた所
に灰が舞って独特の窯変を作るもので緋のような色を出す事がある。松の炎による神業のような芸術である。

但し松は建材としては駄目だ。真っ直ぐな所がなくて曲がっている上、ヤニが何時までも出て来て刺激臭を発し、ベタベ
タとするので嫌われる。嫌われる半面、曲がった所が絵になる。人間は80年生きても腰が曲がるくらいで絵にならない
が、樹齢数百年の松は風雪に耐えた形を見事な樹形として示す。

だから日本人は柳や杉の木ではなくて好んで松の絵を襖絵と共に、一番大事な床の間に掛け軸にして懸けたのであ
る。

松飾り・・・・・・・・・門松に代表する「松飾り」は、古代日本で松などの常緑樹に神様が宿るとされていた事から、お正
月にお迎えする歳神様に向けて立てた。但し今は門に立てるので門松と言う。同時にシメ(注連)縄などを神域や神殿
に引き回します。何れも迎春準備として年末に行なわれる。

或いは神様が降りてくる目印となる御神木とか御神石は其の依代(よりしろ)として、注連縄が掛け替えられる。門松は
雌松と雄松で一対とし、松葉が太いのを雄松、細いのが雌松で、雌松を向って右に飾ります。松の外に竹と梅とを荒縄
で束ねて松竹梅の形で門松とします(下記の「松迎え」、及び「注連飾り」を参照)。

松くい虫・・・・・・松を食べる虫の事で、マツノマダラカミキリを指す事が多いが、松枯れを起こすのはカミキリの体内
に寄生するマツノザイセンチュウが原因であり、此れは北米から輸入した材木から日本各地に広がった。松はやせ地
に育つ木であるから大事にし過ぎて肥料を施せば弱る為に被害を広げる。また酸性雨と大気汚染にも松は弱い。

汚染によって松葉が呼吸できなくなるのでカミキリが活躍する訳だが、其処に駆除剤を撒いても被害は止められなかっ
た。松枯れを防ぐにはこの逆を考えるべきだが、元々日本の自然は広葉樹林であり、今また温暖化が進む以上、松に
限らず杉・檜など寒冷地帯の針葉樹を守ろうとするのは不自然であるし無理がある。

松の内・・・・・・松は「正月の神を待つ」に掛けた松であり、従って松の木だけに上記の通りの特別な意味がある。但
し、榊など他の常緑樹でも差し支えはない。松の内の期間は7日まで。因みに初詣とは松の内の間の参拝を言い、注
連飾りは此れを過ぎれば外して集めて15日には「とんど」(焚き火)して天に送り届ける。

松迎え・・・・・・正月行事の事始として12/13頃から山へ門松や松飾り物を伐り出しに行く事。翌年の歳神・神霊を
門松に迎えるためである。其れを当日や翌日に直ぐに立てるのは忌み、日をおいて立てる。そして正月が終わった時
には処分するが、地域によって時期も用語も異なる。

長野では「まつめ年」として1ヵ月後の1/14頃に処分する。其の夜から1/15(小正月)に左義長やトンド焼きして天
に送り届ける(事始を参照)。

貧し・・・・・・・・貧乏で困窮し貧困を味わう事。貧しさにも心の貧困と物質的な貧しさが有る。例えば神や愛や友
情を知る感性があるのが豊かな心であり、其れとは逆に他人の苦しみに同情出来ない冷酷な人は心が豊かとは言え
ない。人を理解し、四季折々の花鳥風月を親しめる人が心の豊かな暮らしです。感謝があれば心が豊かになる。

所が、機械的で都会的な暮らししか知らない人は貧しい暮し方である。ただ普通「貧しい」と言えば物質的・経済的な欠
乏感や苦しさを指す。何れにせよ「貧しさ」は「拙い」に通じる。つまり生き方の拙さから貧しくなるとも言える。貧しくなる
ための方法は二つある。例えば収支バランスを考えずに物を買えば生活が破綻して貧しくなる。

今の日本政府が此れである。だが逆に使わなければ貯まる筈です。とは言っても、そんな当たり前の道理が中々実行
できない拙い体質が貧しさを味わう事になります。貧乏は誰にも嫌われるが、嫌うならば他に秘訣は無い。この道理に
従う以外はないのです。収入内で賄うと言う道理は個人でも企業でもお役所でも同じです。

所が中々道理は通しにくいし当たり前の事が出来ず、つい無理をしてしまう。このため借金してまで欲望や無理な望み
を叶えようとしますが、無理をすれば焦ります。焦れば正しい判断が出来ずに結果が違って出るから当初の予定は失
敗して結果として貧しくなります。もう一つは何でもカネで解決できるとする銭金主義である。

支払いは「出世払い」とか、美男美女なら「体で返す」とか笑顔や言葉で返したり、知恵を貸して返すとか色々あるの
に、「銭金でないと駄目だ」と狭く律儀な固定観念が有るためにお金を使い果たして貧乏化する。そうすると、「もっとカ
ネがないと足りない」と心配するケースです。よってカードやローンを使うが、そうすれば蟻地獄となる。

其の点で政府やお役所は親方日の丸(国民)だから安心して使い放題出来ます。よって此処は悪を溜めて腐敗する。
何れの場合も「神頼み」は効かない。どんなに立派な神様でも千円くらいの「お札」を買って来て飾ったくらいでは借金
の肩代わりをしてくれる訳がない。

幾らご当人が「前向き」に生きたいと願おうとも、借金を返さなければ要するに「踏み倒し」であり、そんな身勝手な道理
はお役所でも通らず、不幸や災いの元となります。借りは返すべきである。ただ「目には目を」と言う因果律(ハムラビ
法典を参照)がある。

何でもカネではなくて「愛には愛を」、「心には心で」、「心遣いには心遣いで」、「義理には義理で」、「体には体で」、「物
を貰ったら物で」、「手を借りたら手で返す」のがハライの原理(筋)であると弁えて生きたいものです。でもまぁ一般的に
「貧しくては不幸である」と思われている。

例えば歌謡曲にも「貧しさに負けたー」と歌った一節があったが、貧しさがイコール「弱さ」や「不幸」とは限らない。貧し
さの効能もあるのだ。若いときに貧しさを味わった者が、やがて収入が増えて来れば貧しさに苦しんだだけ、より大きな
喜びが得られる事です。其れに元々貧しければ敢えて豊かさを守る必要がないから、其れが強みともなる。

若いときには結婚して子供を育てて親の世話もすると言う責任上、其れに見合う収入増が有ります。だが年を取れば
親は無く、子供たちも独立しているので肩の荷が軽くなりお金も余りいらない。

このため収入が減って当然です。しかし其れを不安に思って無理をして「老後資金」を溜め込んだりすると決まって病
気や事故となり、お金を其れに費やして貧困になってしまう例も多い。此の場合の惰性と心配が貧乏・循環への一里塚
である。そうしないためには感謝の心で暮らし、道理を弁えて欲を出さず無理をしない。焦らない。

お金に頼らず、因果律で払う事(「ハライ」を参照)が真に自立する事であり、それらが貧困にならない方法であろう。
ただ現代日本の病理としてやや例外も有る(ワーキングプアを参照)。

・・・・・・・・祭りは太古から日本文化の原点であり、今も日本の花である。無論、祭りに出る人々は花形であり、
其れに熱中出来る人は無邪気に幸せな気分になれる。のみならず町中を活気付けますから不思議です。

またこうして神を祭った方々がやがて年老いて亡くなっても、祭りの場には毎年同じ時期になると次の世代がその祭り
を継承して数百年から1000年間も繰り返す。こうして日本人は祭りを再現し続けて来た。此れは単に世界各地に世
界遺産や遺物が残っているのとは違って、時空を超えて神々と共に人々が同じ行為を繰り返す生きた文化です。

凡そ日本の祭りには神楽があり、神輿が出て其の後にダンジリが町に繰り出す催しとなる。誰もが楽しく此処に集うよ
うに設定されているが、特にダンジリに人気があり、お囃子やニワカ、其れに笛や太鼓の音曲も行列も楽しい。しかし
それらは総てイントロか前触れ、もしくは余興であって祭りの主ではない。

祭りの主は神なのですからダンジリなどは「人の祭り」か「後の祭り」のアトラクションに過ぎない。過ぎないが此れまで
はこうした言わば体育会系の人達に支えられて祭りが牽引されて来ましたが、此処ではもう少し別の観点から述べる。
何れにせよ、日本は年中何処かで祭りが繰り広げられるために平和が守られて来ました。

守られて来たが、此れからはもう少し知的な面で見直す時に来ている。全国各地でバラバラに行われる祭りですからそ
の様式は多種多様で複雑に見える。特に伝統的な古い祭りは永い歴史があるので何れをとっても祭りの原点の深くは
分からない。中々一筋縄では理解できないように思えます。

だが実は、日本の祭りは簡単に理解できる単純な法則で貫かれている。其れは方位、つまり円暦による暦日と、もう一
つは参道を行き来すると言う方式です。此の点に於いて全国の古式祭りは一定である。

天体の動きと一体の方位の道しるべ、つまり天地と祭礼一体、神人一体の祭りによって、この行為に参加する人たち
が日々の暮らしを安心して生きるシステムになっていた。

其れに対して今は特に猫の目のように変わるハッキリしない社会ですから、各人の境遇も危うく変化する中で、全国何
処でも一定の方式の古式祭りが繰り広げられる所は例外的に幸いです。其処では、祭りに参加すれば神や群集との
一体感があります。

少なくとも一本筋の通った昔のままの何時も変わらない連帯感がその場に流れるので、その場に入っていれば安心出
来る事になります。

祭りの要件はご祭神と祭日(命日、または逆の時期)、及び縁の場(神社の位置)と依り代である。此の4点が曖昧で
は如何に盛大な祭りをしても意味はない。先ず「何故此処に寺社があり、何故この祭となったのか」と言う原点を知る
事だ。其れについては「神々の歳時記」で具に検証し謎解きして例証した。

そして神社に祭られている神が一体何者かをハッキリする事。其れは特定の神名で示されているが多くは記紀などの
神である。次に祭日を昔のまま固定する事。所が最近は例祭を土日に変更する所が多くなった。だが此れは人の都合
にご祭神を従わせると言う逆さ事であるから祭りを衰退させる。

本来の祭りとはつまり一定の期日に主神を迎え、此れを一族で奉じて供応し、お喜び戴く事である。人を楽しませるの
ではなくて神を主体にした尊い行為であり、簡単に言えば先祖供養です。従って方位と期日には厳格でした。だが時代
と共に仏教的・唐様となり、また明治には西暦への改暦があって祭日が1ヶ月ズラされてしまった。

更に近年は特に海外の祭りと同様に五穀豊穣とか大漁祈願などが祭りの目的のようになった。此れも祭りの本質とは
別物である。そうした打算で神を利用しようとの下心では良い祭りにはならない。其れでは喩え「伝統の祭りを継続す
る」と言う大義名分があっても、其の下では「銭集めか票集め」にすり替わってしまうのです。

実際、祭りと言う大義名分の下に集まった人々を取り仕切るのは銭集めの呑み助ばかりとなる。彼らが神々よりも大き
な顔をして神前に屯(たむろ)し、それ以外の者を排他的に仕切り、支配すると言う図式を各地に定型化させれば祭り
に巣食い、祭りに託かこつけて私益を図るグループが出しゃ張って牛耳る。

此れでは祭りを食い物にする蛆虫の巣窟と化し、祭りを浸食し滅ぼす側に立ってしまいます。祭りの意味を誤解した場
合は、このようにして大切な神事の足を引っ張る存在を作って祭りを衰退させ、その代わりとしてニセ祭りを増やしま
す。例えば祭りに集る大酒飲みは意地汚い。

彼らは自分たちの酒盛りの為に奉加金を集めて限られた仲間内で騒ぐだけである。だから決まって排他的だ。祭りな
どはどうでも良くなるのです。今の「まつりごと」と称する政治も其の御本家である。或いは、神を排除して銭集めだけを
目的とした商店街や行政が、イベントとか「○○祭り」と言う本質とは別のショーや偽祭りを乱発する事になります。

此れは神ではなく米や金を祭る商魂祭りや納税促進の偽善的なお役所の催事に過ぎずインチキです。

更に近年は、無意味な祝祭日を増やして文化的退廃を見せています。また遺跡から何かが出土した場合、考古学
者は決まって「古代祭祀に使われたもの」との講釈を垂れるが、上記の意味からすれば、其れは何の託宣でもなく、祭
りの説明にもなっていないし祭りをアニミズムと誤解・曲解した解説である。

例えば明日香村で亀形遺跡が出た。此処は迎賓館があったと言うから要するに古の厠(川屋)、つまり水洗トイレであ
っただろう。しかしこれを関係者たちは「大発見」と発表し、手柄話にした。しかも古代祭祀跡」と言うフィクションで説明
して入場料を取って見せ物にしている。

先の明日香村の亀形石造物について村の教育委員会は05年現在、ビデオを上演しているが、その内容は川屋の水
を頭から掛けて「禊」を演出している。お笑いである。其処にもし仮にも「祭祀」が有ったとするなら、其処で祭られた主
神が先祖か天神か、其れとも狐か蛇なのか、を特定しなければ学問的な説明とは言えない。

しかも祭りは一定の期日になされたものであり、其れは日月星のどの暦法だったのかを推定し確認しなければ意味が
ない。でなければ、其処に祭祀が有ったとは言えないのだ。祭りには少なくとも日月星の何れかを暦とした(「三族の祭
り」を参照)。更に言えば祭りは全て単純同一様式ではなく、少なくとも二方式の何れかでなされた。

先ず主神が決まり、其の上で「弔い」か「日迎え」と言う別種の、何れかに分かれていたので両者を一緒にする事はな
かった。前者は盂蘭盆と略同様の鎮魂の祭りであるのに対して、後者は相反する逆の時期に正月行事に相当する迎
えの祭りを行った。但し、行事とは「行く事」であり、送り出したり、迎えに出る事でした。

つまり祭りの場や行列には一定の順路や経路、つまり「道」が設定され、其れが「神道」と言う言葉の由来であったろ
う。そして前者に対する供物は年寄りの好む食事、熟饌を供えて香華・灯火を燈して夜に送り出した。また後者は三界
の珍味である果物、新鮮な野菜、米、酒、塩、魚を供えて夜明けから迎えに出る者と待つ者とに分かれた。

しかも其れを主宰する祭主は氏子や宮座の中から血筋の濃い順に選ばれた。此れを世襲して盆と正月行事のような
繰り返しの行事として宿直で務めた神の嫡子を御子(巫女)とか宿禰と言った。或いは仏式では禰宜や僧都と代わり、
今の神社では禰宜・神主※・宮司と呼ぶ。

※神主・・・朝鮮では位牌の事を言う。また今も「神官」と言う説明が有るが、今の日本の制度では神官は存在しない。
こうした一連の事を何も説明できずに其処に「祭りがあった」とは言えないのです。

祭りの場では主神が中心課題ですが、其の神が何時、どの方角から現れて何時また消え去るのかを確かめる事が
中々難しい。だから常日頃から神の験(しるし)を修める修養が必要となり、其れが修験の道だったろう。祭りでも修験
でも、格好や形よりも先ず「験」を求めたのです。

ですがそうした心得もなければ後悔さえする事もなく、また神の有無も気にならない人が役員であれば混乱する。とす
れば其の祭主は失格であり、神の降臨も祭りの効果もないのです。祭りを主宰する神主・祭主は、祭りの間、必死に神
を追い求めた。その場に何時どのようにして神が降臨するかを注視し続ける必要が前提として有った。

もし神が降臨しなければどんなに派手な祭りも全く無意味となるからです。其れでは如何に長期間かけて準備して多く
の関係者や銭を集めても、神が顕現しなければ総てに面目が立たない。のみならず、この先の事が衆にとっては何よ
り心配になったでしょう。

例えば雨乞いの場合は、勧請した神と、休まず動き続ける天空の雲の様子から一瞬たりとも目が離せない。其れこそ
真剣勝負である。そうした祭主には他者の視線が集中するので、其の指示に従って全体が一糸乱れぬ儀式となる。
しかし祭主がキザハシに立って其の兆しを読もうとしても読めない場合は祭りにならない。

そうなると、其れまでのコヨミの観測に読み違いがあったのか。其れとも精進潔斎に落ち度があったのか、と後悔する
だろう。このように祭りは神主の力量で決まるのですから極端な話、一人でも良い。参加人数ではないのです。とは言
っても神の存在は中々目に入らないものです。

ですから一番無難な方法として昔から氏族の系流が輪番制で祭り事を日嗣(日次)するのが慣しとなった。ですから血
筋が要件でした。だが中々そうも行かないので次第に職業化したが、祭りは祝詞を上げる儀式ではない。

特に連日神を呼び出しては利用している神社や宗教団体の神主や祭主ともなれば、そんな事を一々気にしていては仕
事にならない。或いは多少知りえた場合でも世襲に心が動いた途端に秘密として秘伝・口伝・直伝を増やしてしまうの
で潔く他者に申し送る事がなくなる。この様にして次第に本質が分からなくなり形式的になります。

職業化して世襲を重ねれば職業化と共にマンネリ化します。此れは公務員が公僕としての初心を忘れて一労働者とし
ての既得権益の保身に変わるのと同時に、たった一代で堕落し、或いは魔物と変わるのと同じです。其の上、時代に
より政治経済社会情勢の変化によって領主も代わり、暦法も変わるから例祭日も変わる。

神主の首も挿げ替えられるし、都市計画などの都合で本殿の場所や鳥居の位置まで動かされてしまう。この様に見れ
ば、古式伝統を守ると言うのが如何に困難かが想像出来るが、更なる問題は神を迎えると言う中心課題がとっくに忘
れられ、不明となる。

其れに従って逆比例するように前述の銭集めの儀式に堕落するか硬直化・形式化・官僚化して祭りの人気が落ちて行
く。そうしない為には如何にボランティアとは言っても役員を固定してはならない。25年もすれば社会も一世代交代して
しまう。ですから永代役員や過疎地は例外として普通の町なら数年で交替すべきです。

名誉欲にしがみ付くご老体や、自分一人の独占支配をする牢名主のような顔役を作ってしまえば祭りの精彩もなくなり
人も集まらなくなります。其の場合は恐らく自分が譲らず神を譲らせるような妖言を吐いて組織を惑わす。「祭りに人が
集まらないので土日にしよう」と提案するのだ。

その人が引退すれば阻害する害毒がなくなって全て旨く行くのに辞めない。寧ろ祭りを、気の合う仲間の同好会として
私物化し、問題をすり替える訳です。こうした逆さ事が全国に広まった。此れは葬式やお墓参りでも同様です。

結論として、祭りとは暦日を守って其の方位に行き来する事でした。ご祭神の時代のままの衣装を着けて行列した。
特に昔のままの歌舞音曲を披露して、本人(ご祭神)に昔の事を思い出して貰うためです。そうしなければ御本人が自
分の祭りと気付かず通り過ぎてしまうと心配したからでしょう。だから今風の芸能ではなくて、伝統芸能が第一なのだ。

ズーツとそうやって日本の人たちは何百年も毎年其の神が戻って来てくれるのを待ち続けた。其のうち自分が先に死
ぬので、後の世代に同じ仕組みを引渡し、交替して守って来たのですからホントに涙なくしては語れない。そう思えば理
屈なんか要らない。何と言う人たちなのか日本人は。底抜けに優しく素晴らしい心情である。

だが不幸にもお上からの度重なる「お達し」で昔のやり方が幾度も曲げられた為、今はもう何が何だか良く分からなくな
ってしまったのです。其れに乗じて誰かがゼニを集めて騒いでセレモニーで終わり、或いは寄付を募って建物を建て替
えて一件落着とする。そうなって祭りの力が弱まった。

り事・・・・・・今は政治の事を言うが本来は「祭り事」でした。祭りは何らかの目的のために行われる。血筋の者が
祖霊への感謝で豊穣を達成するとか、或いは験者の法力など神通力によって雨乞いをするなどである。とすれば神社
や寺でも祭り事を主催する立場であって、何も日本政府や地方自治体の専売特許にして置く事はない。

譬え新興の宗教団体であっても祭り事をしている。慈善事業をするとか、会館を建てるとか、色々計画して、其れに必
要な予算や労力を構成員の人数で頭割りすれば達成できる。つまり全て全員で分担する合意形成があれば祭り事は
完結する。中心になるのは一人で良かった。また完結すれば解散すべきであって、誰かが居座ってはならない。

目的もなくなったとか、目的があったのに達成もせず責任も負わないまま、単にだらだらと官庁や官吏が多数居座り続
け、肥大化しているために今の日本としました。其れに比べて古来、シナの天子の場合は、一端支配した後には雨乞
いを度々成功させて権威を高める手法を採った。

ヒジリや天子のように奇跡を起こせない国王は、祭政一致の具現化としての道理を示して仁政・徳政に努めた。これら
が平和と秩序の理法でした。とすればヒジリや王にとってこの「祭り事」は神に仕える事であり、苦行だが、逆に支配だ
けを目論む悪い奴らにとっては今のコレ(政)ほど美味しいビジネスはない。

彼らは公平性を装った「多数決の原理」とか、物質科学と言う歪んだ観念を新たなビジョンとして持ち込んで実に素晴ら
しく見せびらかすのに学者を使った。だが多数決などは市場原理と横並びの、単なるモノカネ主義であり、其れを「民主
化」と言うのは欺瞞です。こんなイデオロギー(異教性)では当然ながら未来はない(「アメリカの正義」を参照)。

そんな所(政府)に期待するから「お人好し日本人」と笑われているのです。もし彼ら(乗っ取り屋)が、神を排除する「祭
政分離」に転換するのに成功しさえすれば、目の上のコブの神はいないし、黙っていても税金が転がり込むシステムに
乗っかるだけですから、議員だって一度やったら辞められなくなります。

問題は勝ち馬投票(多数決)をどう旨く切り抜けるか、だけである。其処で銭集めか人(票)集めに長けた兵(つわもの)
だけが牛耳る議会を作り、其の手下として餌に群がる官と言う蛆虫どもを並べる図式が成立する。其の点で日本の政
治は古来、先の愚策ではなくて先祖の祭り事を基本として来た。つまり祭政一致でした。

所が明治以来、特に敗戦により洋式に倣って「祭政分離」としてしまったので外圧で神を排除出来た。日本と外国とは
本質的に違う。多民族国家を統一するには多数決と言う手法を採らざるを得ない欧米と、単民族的日本とは事情が違
うのです。

だから当然にして乗っ取り屋たちは、大戦で国に殉じた兵士たちの遺骨収集も進めず、また英霊を祭る靖国神社の存
在もいい加減なままにしている。ですから此れでは占領下の体制其のままであって独立国とは言えず、従って「祭政分
離」が優れた国家形態と思うのは事実誤認に過ぎないのみならず、亡国の危機に至らしめている。

家にとっては子作りや子育てよりも「先祖祭り」が基本であり、其の集合体である国家も祭政一致を基本とすれば平和
が永続する。其れに対して神や先祖を否定した家や国家は目的・本質から離れる以上、矛盾を発生して其れを解決で
きず、無価値の存在となり、今既にハゲタカの餌食となって崩壊寸前である。

其れを今の日本が座して待つだけとなっているのもこれまた当然の帰結・宿命である。

祭の字義・・・・・・マツリとは日本語であるが、祭りと言う字は漢字である。だから日本ではなくて漢の祭りを象った字
です。祭りの字は「月・マ・示」を合体させている。「月・マ・示」を今は「肉を手で祭壇に捧げる」と解説しているが的確な
解釈とは言えない。「月」は肉にも通じるが漢字の発明当時のシナでも「月=月=夕」と解釈していた。

次の「マ」は矛や公務の字にも使われているように矛を立てた事を意味し、其の略字である。従って祭の字は、矛を立
てて月の傾きの角度を示(壇)で観測する様子をリアルに示していたと言える。尚、日本の祭りについては「玉串の祭
り」を参照。

ろわぬ者・・・・・・大和朝廷の主宰する祭りや政に従わない者共を「祭わぬ者ども」と言った。平安時代になって
も桓武が渡来系の田村麻呂を使って蝦夷地(エゾチ)の蝦夷(エミシ)たちをしつこく征伐し徹底的に壊滅した。日本人
同士なら殺し合いが出来ないが渡来系の桓武や田村麻呂なら其れも出来るだろうと思って使った訳です。

でも良く考えて見れば、「夷」とは桓武や田村麻呂のような渡来人の側に貼られるレッテルであって、日本に元からいた
縄文人たちに貼り付けるのは主客転倒であり、此処に用語のすり替えが有る。しかも政権側の表向きの理由は、決ま
って「大和(京)の祭り事に逆らう、まつろわぬもの」と言う訳だ。

そうした渡来型朝廷にとっては、東北の金や豊かな農地を官軍を使って我が物にしたかったに過ぎない。その天皇にし
ても、制度的な天皇であって、元から祭りを主宰する資格は弱かった。従って神の祭り事をする能力に欠けていた。だ
から多少虚勢を張って大きな祭りをしても、或いは叡山の最澄を使って仏事を催してもイベントに近かったろう。

其れで其処に何らかの奇跡でも見せられれば兎も角、何も出来ない場合は司祭者としての資格が疑われるだけに留
まらず、先ず、祭りをした事にはならない。祭りは何らかの目的でなされた。先帝の弔いの祭りで墳墓や寺社を築造
し、或いは遷宮と言う国事をして来たのが天皇家である。其れが無理なら雨乞いでも良い。

ただ雨乞いの祭りならば雨が降らなければ意味が無いのです。無能者による祭りの結果、何も起こらなければ祭りを
した意味も無い訳です。とすれば誰だって従わない。

ですから譬え、祭り事と言う名目の下で納税義務や徴兵が行われても従う必要はない。天子に血筋(皇位継承の正当
性)も資質も統治能力もないとすれば、其れに服従する意味も必要性も義務もないとするのが古今東西、不文律の不
変の鉄則でした。だからシナでも古来、支配者となったら「雨乞い」をして初めて天子としての権威を得た。

其の点、現代であっても同じである。仮にも国王とか宗教団体の教主とか言う立場の人なら、公開の場で奇跡を見せ
なければ人は従わなくて当たり前です。一回の雨も降らせず、経済を改善する事も出来ないならば、ただの銭集め人
寄せパンダの芸人であり、もしくは偉ぶるだけの人間なのですから会費も税金も払わなくて良い。

でも今の日本人はお人よしにされた。教育によって制度的に従順にさせられているので実に目出度い民、「祭ろうも
の」、百姓(おおみたから)、善男善女にされたのであろう。しかし昔の人たちは本物と偽物とを見る目が有った。従って
彼らは新興勢力の大和朝廷には納税せず、祭礼にも不参加だった。

このため、お上からは人民にも奴隷の数にも入れず、更に憎しみを込めて鬼とか蛇とも呼んだ。従って渡来系の新勢
力である大和・京都の朝廷を和人たちは認めず、其れに従おうとはしなかったために武力で征伐された。無能な支配
者は古今東西、必ず武力や権力を振るうものです。

こうして元からの和人である出雲族・鴨族、物部氏等が鬼、神(みわ、三輪)、蛇(ナガ)、クズ(葛)、雲(出雲)と蔑まれ
たり、シコ、奴、蝦夷とも呼ばれ、弾圧され、征伐された。彼らは近畿から放逐されて、奥州、山陰、土佐、九州、沖縄、
へと分散させられた。

そうした和人が各地に散って各地で出雲の神を祭ったので今見るように全国にその種の神社が出来た。神社のご祭
神は殆ど出雲の神である。つまり出雲の国は元々奈良県にあったのです。


●まつら・・・・・・・
●まて・・・・・・・
●まと・・・・・・・

的・・・・・・・ターゲット。
まとい・・・・・・・纏。
●まな・・・・・以下、次ページへ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
  

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