http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page343.html  (未定稿)


      日知り事典         ほ 

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・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
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・・・・・・・・・「ほ」は「炎」の「ほ」であり、八方方位では東北、即ち鬼門であり、「星、蛍」の「ほ」であるが、やがて稲
作時代以降は、稲の「穂」と誤用されて来た。 

穂・の混同・・・・・・・・・一度刷り込まれたイメージや先入観は、次に新たな情報や真実が伝わっても消える事は
ない。ステレオタイプの固定観念となるか、積み上げられるだけである。だから本書が少しくらい異説を述べても何の意
味もないだろうが、一応は記述する。

漢字が渡来して以来、日本の地名や神々の名では例えば「日を火とし火を穂」とした疑いがある。其れは稲作を善と
し、国策とした倭朝廷が意識的にスリ代えたものであろう。

例えば火の神には火雷神、天孫には天火明命や火々出見命があるが、火々出見命を「穂々出見命」としたのを手始
めに、忍穂耳命、穂能ニニギノ命、天穂日命などと稲穂とは無関係の神に「穂」に付け代えた疑いです。

或いは綿作物とは無関係の海神に、大綿津見神、上津綿津見、中津、底津綿津見神としたが、海神であれば綿摘み
とは無縁であろう。またナギ・ナミの時代の「淡路の穂の狭別神」の島を粟島とし、大宣都比売命の阿波の国を粟国と
したり、讃岐の神を飯依比古と書き換えた。あづき島(小豆島)にしても大野手比売の島でした。

其れに櫛名田比売命を稲田姫と書き換えているが、彼女はスサノヲの妻であり、スサノヲは商品作物となる稲作に猛
烈に反対してシママキをして稲田を荒らした神である。よって稲田に書き換えては矛盾する。稲田の前は、恐らくイナウ
(御幣木)の祭田であった。其れが伊那、伊奈、伊南の地名に名残を止めているのではないか。

イナウは木の串(幣)であり、であれば串伊那田でも良かった。けれども彼らは稲の字にスリ替えた。ホツマツタヘを書
き残した豊受大神を祭る稲荷明神も明神(別項参照)と言う通り昔から暦の神であり、このため祭田にイナウを祭った
事になる。祭田は囲形の町形(別項を参照)で祭事を行うものであり、言わば囲の中の神でした。

其処から囲中、つまり「イナカ」を井中とか田舎の字とはせずに「稲荷」と当て字したとも思える。その他として天火明命
の子孫が穂積氏を名乗り、また山の名前でも当時は恐らく火山であり、或いは高過ぎて稲穂が育つ山とは思えない所
に穂高や高千穂などと当て字した。北海道の穂別にしたって明治政府の無責任な当て字であろう。

或いは海神の子の稲飯命や稲氷命に稲や飯の字を付けて正体不明とした。或いは農具の鋤を意味する字を味すき高
彦根命、大倭日子すき友命、豊すき入日売命、御すき友耳建日子に付けて、農耕の神であるかの如く装った。

その他にも「穂・飯」を多用・濫用して、水穂五百依比売命、水穂真若王、飯肩巣見命、飯野真黒比売命、飯日比売
命、吉備津彦、吉備建比売、大吉備諸進命、八瓜うり入日子王、・・・等とした。外にも天種子命(神武の侍臣)がある
が、彼は何の種から生まれたのか。天児屋根命、つまり天神を祭る暦の神の子孫でした。

また稲依別王は近江の出であるから稲作に無関係とは言えないが、ヤマトタケルの御子なので稲に依ったとは考えに
くい。或いは、祟神天皇に代わって日本の神を祭祀した若宮・神人にも田んぼを意味する大田を付けて、大田田根子
と書き換えたり、稲とは無関係の雷光(異な光)を稲光としたり、稲ツルビとした。

人名にも迦邇米雷王などの字を当てた。此れらは稲作奨励の国策、または渡来学者による日本文化破壊の漢字式書
き換えと見て良い。

・・・・・法の字は「去る水」と書いて「のり」と読む。此れが何かと言えば、泥田と勾配を意味し、口分田の法理とし
た。古法は先ず水田に水を張って一本柱を立てた。其の柱から四方に糸を張って日影を計り、其れで勾配と寸法比を
出して暦を作り、その後に測地をした。この場合のの法が寸法であり、土を載せれば寺となる(寸を参照)。

(別項参照)もまた観測点だった。さて観測後に水を抜けば泥田に糸の条痕が残るが、此れが法線、「法理」、即ち
「のり」でした。ですから寺の字は士に寸と書く。「士」は武士の士ではなく、土の上に十字を印した所でした。そうした場
が「寺」であって、当初は観測場であり、インドやシナの宗教伝道施設ではなかったと言える。

十字もまたキリスト教のロザリオではなく、先に述べた田の略字であり、定点(結び目)を意味した。日影の勾配と寸法
比の整合性を採りながら其の作業を拡大して行けば、四角四面の升目のような方丈や口分田と条里制が出来上が
る。

この場合、一本柱に玉(考古学で言う車輪石、または石釧)と言う分度器のような神器を使えばより正確な角度が採れ
る(「ム」「勾配」を参照)。此れを御柱(見る柱)、または玉串(高木)祭りと言い、神や先祖を祭るために太陽観測をして
暦を作るために行った。因みに糸については慶弔(のし)袋の「水引き」と言う形で今も伝わっている。

尚、インド(サンスクリット)では法をダーマ(dharma、達磨)と言う。其れは「理、本体、聖典、軌範、善行、一切の事
象、・・・」などを意味した。

・・・・・・・・・坊は「方に土」を付けた文字です。つまり「方位を観測する場」を意味した。同時に方形の建物をも意
味した。観測の場は、面積を方形にする必要があり、其処に固定的な建物を建てる場合は、平面と立面を共に真四角
の寸法にした。其れが坊の要件・格式(御堂を参照)である。

また奈良の都の場合は条理式の条坊制によって区画を仕切った。其の建物(坊舎)に住持する僧を「坊主」と言い、宿
直や宿泊する場を宿坊と言い、方位を図り、日時を決めて時刻を知らせる所をとも書いた。寺は「土に寸」と書く。此
処も日影の角度を地面に記して月日時を掌握した場でした。

何故なら寺は、命日ををすれば記して菩提を弔う為の場だったからです。寺にはこうした坊や御堂があったから、天文
観測をして定刻を確認の上、鐘楼の鐘を衝いて、住民にも告げる事が出来た。また住民はその寺の縁日や月並祭に
参加する事で、暦日を確認出来たので、今のようなカレンダーがなくても特に不自由はしなかったと思われる。

封建・・・・・・・・・土を盛って寸を刻む事を「封」と言い、其処には同時に標しを立てて天を祭る場とした。此れを封建
と言う。封とは天神に報告する事。また封建とは祭り事を前提として立って政治的領土を分限する事を意味する(「封
禅」を参照)。

今の祭政(政教)分離は其の対極であり、其れを「近代化」と云って飾り立てて見ても封建よりは劣る(本義がなく欺瞞
である)。

方位・・・・・・東西南北など、方位は誰でも知っているようですが、簡単なようで実は皆さん良く分かっていないので
す。コロンブスでも日本を目指したのにアメリカに辿り着いて、其処をインドと思って西インド諸島と決めました。ともあ
れ一般的には地図の子午線が南北を指しています。これは地球の地軸に沿って描いたラインです。

ただ太陽の観念も地図の観念も今の日本では低くなっている為に、太陽の示す真北・真南ではない。地球が23.5度傾
いていると言う知識を知識として覚えているに過ぎません。また、東西ラインも大きな誤差がある。今の地図で見れば、
日本の東にはアメリカのサンフランシスコがあると思っていますが、実はペルーです。

しかも日本の地図には北を示す矢印が有りますが、其れが真北か、磁北か、方眼北か・・・などを明記していないので
数度以上も誤差が出ます。磁石は実際の北よりも西を指す癖があるのです。

此れは地軸主義の今の赤道主義の地図によるためです。いや近代化と言うモノカネ主義による弊害です。学校では科
学の基本である方位を教えていない。その代りに何でも数字にした。魔法の数字と何でも数式に変える数学を基本と
する西洋文明に染まったからです。

黄泉の国では夜道を照らす真の光が闇夜の月光であり、磁力だった。月の力が磁力線であり、モーター文明を支えて
来たのが真如の光だ。物質文明は生活を便利にしたが、人の心を暗くしている。心も科学も月の力の壁に当たって駄
目になったのが今の日本です。とすれば、太陽の示す方位を知る事が此れからは大切である。

方位とは古来、天地の関係式でした。つまり天文と地理とを結ぶ暦法の基本でした。日の出入り方位による祭り事で、
太陽の黄道に従って暦を確定した。所がシナ大陸は月形を追う暦法を採り、領地を測る測量によって方位よりも面積
主義になった。

また西洋では北極星座を見て数字に変換した。よって方位よりも数字式のカレンダーにしました。太陽は黄道を回って
いるが、北極星は地軸の先にあるので地軸主義で赤道による北緯と東経を決めて、其れを占星術から西洋天文学と
軍事利用に使って来た。よって黄道の示す方位と赤道の其れとでは23.5度も開く。

こうなると誤差とは言えない。此れでは黄道地図が出来ない限り、矛盾を解決できません。譬えGPSナビが発展して
も、東西文化の行き違いはなくならず、大きな偏差が誤解を更に重ねるでしょう。

また、今は時間を数字やデジタルで認識するが、本来の時間は数字ではなくて方位でした。数字は今の人間だけの狭
い観念ですから大自然には通用しない。自然の一部である人類が、自然界に通用しない観念を使っていては自然界か
ら遊離する事となり、幸福感もない上に環境悪化さえ止める事が出来ないでいる訳です。

特に方位の観点がなくなれば先祖や神との接点がなくなります。霊界・神霊との接点は方位であり、数字ではない。で
は方位とは何か。近代科学はこの点について無知・無関心ですから正解を出す事が出来ず誤解しか与えない。今流の
学理や科学は何でも数値化して其れを「進歩」と誤認しているが此れも錯誤である。

地図や地球儀には一応緯度経度を記しているが、此れは方位座標としては役に立たない代物であり、無用な錯覚を生
む事になる。例えば地図から見れば日本人は「東に向かえば同緯度の北米・ロサンゼルスに行く」ものと誤解する。所
が東には南米リマやアンデス山脈しかないのです。

しかも数字は抽象的な概念ですから直ぐに流動し飛躍する欠点があるのに対して、方位は不動ですから此れを目安に
すれば安心です。例えば改暦によって新旧暦の月日が数字で示されている場合、其れは同一の数字であっても同一
の暦日ではない。

だからもし改暦があれば、命日や祭日など、特定の日付けが時代と共に変ってしまう訳ですから、此れでは暦として問
題です。この様に、暦に数字を使えば混乱の元となるので、古の日本では暦に数字を使っても其れは従とし、主は時
空を方位で示し、区分していました(「方式」、及び別紙の「神々の歳時記」を参照)。

日本の古式祭りはこの方位を暦に方式化・定型化したものでした。ただ、方位は固有のものですから、世界標準で決
めるよりも各地・各人で確認する必要がある。例えば自分を基点にして南に向けば左が東で右が西になり、後ろが北
になる。基点から見て何処の場にも東西南北がある。この場合の基点は現在地・物事の中心点・基準点・定点です。

其処までは誰も認める事でも次からが問題です。先ず、誰もが南向きに見るとは限らないので混乱する。神を日月星
の何れとするかで古来、三大暦法となったように、神の位置によって方位の採り方も違って来る訳です。例えば神を太
陽とした場合は「天子南面」の南天主義となり、逆に、神を星とする場合は北天主義となります。

前者は黄道の心から四方を画して真北を決したが、後者は「子」の方位を赤道の心、つまり地軸主義から子午線を採
った。其処で両者は角度にして11度ズレてしまう。何れにせよ、方位の基準をこの子午線、つまり南北線から北の位
置、つまり「子の方角」であると統一すれば良いが、わが国には其の外にも各種の北がある。

色々あるのが豊な文化としても、基準が曖昧では混乱します(「真北」を参照)。暦法の北は本来は冬至点であり、「子
の方角」に合致しなければならない。其れは個別の定点で太陽が南中する方角であり、此れを真北と言った。所が天
文台では此れを特定する事が出来ないので「正北」と言うが、其の定義をしないので紛らわしい。

此れは「史記」に出てくる用語ではあるが、現代の「正北」が史記と同一とは思えないので問題を作る訳です。何れにせ
よ、その「正北」に略近いのがGPS北である。其れに対して「磁北」があり、此れはコンパスの磁針の指す方位ですが、
各地で偏角によるバラツキがあるため、大阪の場合では「正北」から西に6.4度傾く。

其の外に地図に表示された図北(方眼北)がある。此れは丸い地球をメルカトル図法などで方形に仕切ったものなの
で、実際の北とは違う方角を図示する事となる。この様に各種の北があるのは問題なのですが、更なる問題は、それら
の内のどの北を示しているかを地図や測量図に明示していないから更に混乱する。

また、「恵方」とか「行方」の「え」のように、ある一定の方位に動く事を「え」と呼び、其れを「之」の字にした。其れが
「しんにゅう」に変化して国字の辷込辻となり、或いは其の他多くの会意形声文字となった(「え」を参照)。基準とする方
位は不動のものですが、外にも個別の暦・方位がある。個別の方位のエネルギーは日々移動するものです。

因みに磁北の場合は例えば大阪では子午線から6.4°(円暦では便宜上12/16に固定している)ですが、其れに対
して太陽のエネルギーは366方の方位盤を日々一目盛りづつ移動して行きます(別紙の「真の太陽暦」を参照)。

方位はつまり固有の日でもある。日の事を今でも3日、4日と読むようにコヨミはカヨミでもあった。日を「カ」と言い、
「カ」の字の上に鍋蓋(⊥)を付けた字が「方」の字です。鍋蓋(⊥)は鍋の蓋ではなくて地上に立てた見柱の事を知らな
い無知な学者が漢字を分類するために便宜上付けた名です。

だから、そのような間違った学理を頭から信じたり従う必要もないのですが、社会的・学術的な約束事として今は定着し
た。また今の天文学は地軸主義のため赤道主義である。此れで天文学をすれば、太陽との関係式がなくなる。誰もが
方位に無関心になり、その代わりに数字に煩くなる。方位とのズレや矛盾に気が付かず、異議を言わない。

最も肝心な基準である太陽の方位とのズレを政府もホッタラカシのため、今のような無基準の曖昧社会、文化不毛の
社会としてしまいました。

方位の指針・・・・・・・日族は太陽の日影を図って暦と時刻を知った。或いは周囲の山を目印として方位を定めた。定
住したのでそれが可能でした。其れに対して★族は夜に動きまわる。夜は暗いので方向も現在地も不明となる。其処
で夜空の星座に指針を求めて方位と時刻と現在地を知った。

聖座では例えば北斗七星。北極星を軸点として時計の文字盤の上の針のように回るので時刻を知ることができまし
た。

方位の計り方・・・・・・・別紙の「日読み5」を参照。

防疫・・・・・・・日本では古来、神仏を祭り、或いは「蘇民将来」の伝説の有る牛頭天皇(スサノオノミコト)など、神仏
に疫病退散などを祈願して其の目的を達成して来た。だが現代では神仏を拒絶して人力で何とかしようとします。と言
っても専ら西洋式薬物医学的に伝染病の進入を防ごうとして来ました。

例えば戦後、ノミ、シラミなど害虫駆除として殺虫剤のDDT(独・ツァクドラー開発)を撒き散らし、綺麗な水にも水道に
はカルキ(猛毒の塩素ガス)封入を義務化して拙くて有害な水にして来ました。今も此の姿勢は基本的に変わらない。

同時に伝染病の予防のためにも早期治療を促して来ましたが、何一つ十分には機能していない。保菌者まで強制隔
離する11種(腸チフス、パラチフス、赤痢、コレラ、ジフテリア、しょう紅熱、天然痘、発疹チフス、ペスト、流行性脳脊髄
膜炎、日本脳炎)の法定伝染病はめったに自然発生もしないし海外から侵入する事も少ないので先ず問題ない。

だが、日本脳炎は毎年問題となるし、この予防注射もやり過ぎて来た。しかも副作用が強いため、接種中止と決定(0
5/5/30厚労省)した。箕面市は同日、期限切れのワクチンを幼児に投与(接種)していた事が分かった。何れも本
質とは違うし、やっている事も杜撰である。

ですから例えば肺病(結核)患者は増加し、エイズもなくせず、O−157にしても狂牛病にしても打つ手がないではない
か。今回の鳥インフルエンザではウイルスに効くワクチンが間に合わないとしてタミフルを大量買占めを政府が決定し
た。しかしタミフルでは防疫出来ない事が分かって来た。西洋医学では高額医療費をとっても最早お手上げなのだ。

今回05年の「大流行」の宣伝は幸いにして嘘になったが、彼らの嘘にまた振り回されるよりも「祓い」によるか別紙の
「円系図」に勝る防疫はないと知るべきである。

防火・・・・・・・火事と言うのは、モノカネ主義では分からない原因で発生する。よって防火は無理である(火事を参
照)。しかも今の防火設備では例えば05/2/12にはスペインのマドリードで32階建て(106m)の高層ビルが30時
間以上も燃え続けた(日本では横浜マリンタワービルと同じ高さ)。

古いビルなので、スプリンクラーなどを設備中だったと言われているが、直接の原因が電気的ショートと見られている以
上、其処に電気が来なければスプリンクラーが有ってもなくても同じです。其の上、消防の出動が遅れた上に、梯子車
が出動しても水が届かなかったため被害を広げたと言われる。

燃え残ったこのビルは今にも崩落しそうで危険である。電気に頼ったのが先ずは問題だった。其の点で日本の消防は
建築申請の段階から煩くスプリンクラーや防火扉などの防火設備を要求するので「安全だ」と言うが、ニュージャパンの
火災のときもスプリンクラーが効かなかったと言うのですから呆れる。

譬え幾ら水があっても電気仕掛けである以上、電気系統のトラブルがあれば総て機能不全となる弱点がある。また阪
神大震災の時には神戸市消防局が出動したが、大威張りで「水が出ない!」と叫んで消火を放棄したのである。このた
め地震よりも二次被害の火災で神戸市を焼け野原にしたと言われる。

此れではプロとして恥ずかしいではないか(下記の「防災」と「V屋根」も参照)。昔からの祓いや別紙の「円系図」に勝る
防火はないのである。

方向音痴は文明病か・・・・・・・・・都会人や女性には「方向音痴」を自負する人が多い。自負するのは「方位なんか
信じないわ」と言うモノカネ主義の意識があるからでしょうか。其れとは別に、「自然界から離れた都会人特有の文明病
だ」と評するインテリもいる。確かに動物は方向感覚が鋭いが、都会人は動物とは異質のようにも見えます。

でも此れは文明病ではなくて囚人的属性に過ぎない。都会は管理社会であるから数字という目標を与えられて動くので
独立心が欠けて来る。コンクリートジャングルに囲まれ、情報洪水の中で都会人たちが数字と言う「目くらまし」にあっ
て、単に目標や命令に右往左往し、烏合の衆になっているだけだ。

太陽が出ていても室内で働くため其れを無視してしまう。此れでは都会と言うより、養鶏場か養豚場の家畜、或いは広
い大陸にいる遊牧民と同じ状況である。大陸では目標となる山や河からも遠く、目標物がない。特に砂漠を夜間行動
する遊牧や隊商は仮に目印を見失い、方位を間違えば全滅する危険がある。

だからリーダーはしっかりしなくてはならない。行く先や方位を知り、決定するのは其のリーダーであり、それに対してそ
の他大勢は絶対服従で従うしか有りませんが、指示通り動き、命令に従うだけなら女子供と同じです。其れなら烏合の
衆や囚人でも出来ます。

方角よりも銭金や宝石の数が問題であり、大事だと都会人が思っているなら其れは文明病ではなくて、やはり他力本
願(自主性のない)的な、恥ずべき生き方ではないか。

防災・予知・減災その1・・・・・・・災害を防ぐこと。この為に予知して減災しようとする事。主としてこの看板
はお役所の論理で掲げられるが実効力はない。戦争や交通事故は人為的な行為ですから人智を働かせて有る程度
は予測したり、規制や訓練で解消可能だが、それにしても訓練が役に立つのは其の半分くらいが限界であろう。

住民に「安全・安心を与えるのが行政の基本」であると意気込むのは結構だが、殆ど看板倒れであった。ただ勇ましく
防災訓練をすればその場限りの訓練は必ず旨く行く。決まったシナリオがあるからです。そうしたシナリオ通りのデモン
ストレーションでも住民は一応安心するが、訓練のシナリオ通りに実際の災害はやって来ない。

ですから如何に勇ましく役立つように安心させても関係者が利権と給料を得ているだけで実際の時は裏切った。行政
は特に業界や企業に甘かった。

とすれば其の罪は大きい。消防、警察、土木、医療・・・等は何れもお役所の専門分野であり利権が絡む。専門や利権
は固定化・硬直化するが天災事変は変化するし予測が付かない。予想とは違った形の時期、場所、規模の大小で突
然、天変地異が起こるからだ。従って戦場での攻撃よりも防戦よりも遥かに難しいのが防災である。

難しいのに此れが如何にも「可能である」かの如く装い、色んな予測や口実を付けて予算を獲得するのがお役所の論
理であり、縄張りと看板である。とすれば詐欺師や不逞のヤカラと何ら変わらない。そう言われたくなければ、責任体制
をキッチリして置く事である。

所が何処もキッチリしているのは予算獲得と組織拡大と浪費と責任逃れの会議だけであり、災害が有った時には人災
を増やして来た。しかも其の結果責任は一切取らない。従って通常は「担当部課の人数が少ない」とか「自然の猛威」と
「想定外の規模」とか、或いは「地球温暖化による異常気象」と言う紋切り型の口実をもって逃げる。

この様に「人災」の真犯人が逃げていては被災者続出が何時までもなくなりはしないだろう。此れは防災のみならず、
他の面でも言える。例えば予防医学とか地震予知などがあるが、其れだって無理と言うものだ。其の考えが間違いで
あるために実際これと言った成果も上げていない。従って「予防」の名の下で銭集めの手段としたケースが多い。

例えば予防医学で一体何人の人を救ったのだろう。多くの人が「予防注射や予防医学で助かった」と思っているとした
ら其れは誤解である。人力や金力では人一人の命を救うのも並大抵ではない。病気に対しても現実には対症療法しか
ないからです。医学は救う数よりも、保険と本人から費用を取って合法的に殺すケースが多いのが現実です。

また例えば防犯・犯罪防止ではどうか。かつて日本は「世界で一番安全」と言われ、或いは「日本人は安全と水は只と
思っている」と言われた。しかし其れは警察力が優秀だったからではなくて、日本人が神を崇敬して其の逆にある犯罪
を憎み、許さないと言う優れた公徳心を持つ国民性があったからです。

しかし警察は自分が優秀であると誤解・宣伝して予算を増やして今のように増大したが、どれだけ犯罪が減っただろう
か。現実は警察力とは反比例して刑務所がパンクするほど犯罪増加の一途に歯止めが効かない有様になっている
(「防犯」を参照)。

さて、日本は地方自治法第一条に「住民の安全」(秩序維持、安全、健康、福祉)を守ると謳っている。しかし今は子
供たちの通学の安全さえない。ならば地方税を半減すべきだろう。そうは言っても無理だろうから次は参考までに災害
と事故防止に役立つと思われるケースを二点述べる。

先ず米国NTSB(事故調査委員会)は各省とは別の独立した機関として設けられている。従って有効に機能している。
災害事故の現場にいち早く駆けつけて独自に調査し、再発防止策を各省に勧告している。其れに対して日本は何時も
縦割りである。再発防止すると言うだけで内部処理しているが改善不十分である。

次に警察関係では交通事故死は減ったが、交通事故は増加の一途です。このためドライブ・レコーダーが開発実用化
された。此れは事故の10秒前から映像を記録する装置で、現在3万台使われている。(06/4/22NHK教育TV)。

★しかし物証主義(別項参照)だけでは事故が減らない。其処で物事の道理から説明して置く。自然界は完全な循環構
造で成り立っている。完全なのですから人間が手を下すべき箇所はないのです。全体の総和の中で調和が図られてい
るが、人類が其れを破るために調節作用が起こる。

雨風は其の一端であり、特に戦争や核実験していれば調和を破壊する為、津波や地震がより強烈になる。また都市化
や工業化により其の程度に応じて洗い流さなければ自然が維持できない。其れが通常の摂理であるのに人が何時も
「異常気象」と騒ぐのは事実誤認です。

人体もまた病気と言う完全な健康維持のための生理作用で守られていますが、其れを誤解して西洋医学で治療する
のは邪道である。神なら兎も角、予知・予防・防災などは並の人間には実行出来ないにも拘わらず、此れまでのリーダ
ーたちはこのように、如何にも其れが可能であるとの前提で話を進めて来た。

其れが間違っていた。「何でもアリマスデパート商法」で縄張りを広げて予算を取り、其れに見合う程度の怪しい法制度
を拵え、また其れらしい真似事をして予算を年々積み増して来たが悉く食い潰した。つまり間違った考えには正しい結
果はない

彼らは夢遊病者のように予知予防とお題目を唱えながら、人一人の命を救う事も、毎日の天気1つ変える事も出来な
い以上、この方面では言わば無能・失格者である。つまり予知予防と言う言葉はあっても現実性のない空論でした。

其れはB29で飛んで来る米軍に対して、当時「竹槍部隊」を準備した帝國の精神主義と同じレベルのものではないの
か。其れにも気づかない科学万能の進化論者の傲慢な関係人たちに「もっと冷静になれ」と言いたい。元来、自然のエ
ネルギーは巨大であって、人力や科学が及ばないものであり、太刀打ちできない存在です。

結果から見ても、防災で成功したのは避難訓練程度のものであり、それ以外のものは成功例が殆どなかった。このよ
うに全く根拠がなくとも尚、「防災可能」として、其の前提で他人から銭を集める覚悟なら、自分で天気を変えるくらいの
事をして見せてからやるべきだ。

また今回はスマトラ津波の直後の05/1/18〜22、「世界防災会議」と銘打った国連主催のイベントが世界150ヶ国の参
加で神戸市で開催された。恐らく兵庫県・神戸市がホスト役となって開いたものだろう。此処では「防災対策の指針を採
択し、日本の防災システムを云々」すると言うものだ。

しかし、阪神大震災で全くの無能を曝け出した彼ら(兵庫県・神戸市)は、先ずホストとして一番不適格な側に有る。とす
れば此れは事情を知る誰が見ても「火事を出した人に防火の講釈を頼む」(泥棒に留守番)ような逆さ事であり、笑止
千万なのだ。であるにも拘わらず彼らは澄まして神戸に、「国際防災復興センター」と言う機関の設立を目論んでいる。

此処で税金を浪費する以外に、一体何が出来ると言うのだろう。此処に限らず何か災害があるたび、「防災・防災」の
声が各地で湧き上がるが、そんな事が誰に出来ると言うのか。只其れを口実にしてイベントをして予算獲得と利権にす
るだけの事が多かった。

例えば、保険会社の裏付けを担う再保険会社の最大手「ミュンヘン再保険」が発表した世界の大都市の災害リスク指
数では、東京・横浜圏が最悪の710、大阪・神戸・京都圏で92(05/1/17毎日)である。首都機能移転論の中心人物は
公共事業族のドン、金丸信・自民副総裁だったが失脚した。でもこの案は失脚させるべきではなかろう。

実際問題として関西から東北へ行こうとすると東京経由となるが、東京には用事がないのに渋滞する都心をどうしても
通過しなければならない仕組みにしているのだから問題である。都知事はそんな通過車両に対して課税しようとした
が、それなら「肥満児となったお前こそどっかへ行け」と言いたい。

一割の肥満児・都民のエゴのために、9割の国民が迷惑している現実を考えてモノを言って貰いたい。このような危険
地帯である大都市のエゴのために、「防災」を図るのは「ドブに金を捨てる」行為と変わらないのです。阪神大震災や中
越地震、そしてインド洋大津波があったため、以後は各地でまた「予知・防災」が声高に叫ばれた。

だが予知は何時まで経っても「予知予知」歩きですから、実際は「事後の解説」ばかりで予知が役に立った事が無かっ
た以上、巨費を浪費するヨチヨチ歩きの道楽息子は見限るべきではないか。防災もまたお役所の太鼓叩きロボットや、
紋切り型の「ボーサイ、ボーサイ」の空しい掛け声を独占的に流すだけのスピーカーに任せてはならないだろう。

繰り返せば防災が旨く行くのは訓練の時だけである。此れはシナリオ通りの演技・演習であるか芸人でも出来る。だが
実際に起こったら被害を出して「想定外の事だった」と其の都度、関係者が責任回避して来たのではなかったか。だか
ら後始末も放棄して自衛隊にさせて来たが、自衛隊はどぶ浚いとゴミ回収の係りではない。

本気で予知や防災を考えるならば、お役所任せではなくて各人が自然回帰するしかないのです。都会人たちは今の便
利で贅沢な暮らしを永久に持続したいと願っている。其れを政治家たちは保証しようと巧言令色に言って働く。所が実
際問題として災害が起こり、国民の多数が被災した場合は政治的保証が少ない。だから損保に加入する外はない。

加入していれば何割かが戻る程度である。被災者は災害で失ったものを元のように再生したいと願い、また政治家も
今までと同じ便利で豊かな生活をそのまま続けさそうとする訳だが、便利さと豊かさの欲望を維持するための防災など
は神業でも至難で有ろう。

例えば数年前のH12(2000)/8月に三宅島の噴火があったが、政府や都庁は何を予知し防災したと言えるだろう。
確かに噴火前には火山活動が活発化したので6/26日には2362人を避難させた。8/18日には雄山が噴火したので残っ
ていた人も全島避難させた。だが其の後は爆発していない。

公僕たちが寄って集って「島を出たくない」と言う人もいたのに強制移住させ、生活の保障もせず、「家に戻りたい」と言
う主人に「避難指示」と言う命令のまま数年間拘束した。その間、数年かかって「ガスレベル1〜4」と言う幼稚園児並の
目安を示しただけでした。中にはガスが怖い人がいるかも知れないが、火山性ガスと温泉地のガスとどう違うのか。

同じ亜硫酸ガスであって、毒性などは少ないのだ。其れを怖がるのなら同種の温泉地の人々は此れまで総て死んでい
るだろう。こんな事が「防災」として通用すると思っているならどうかしている。05/2/2日になってやっと一部帰島させた。
と言う次第だが、此処までの何処に一体どんな防災があったと言うのだろう。

離島の必要もないのにただ無用な拘束を強いただけに見える。ともあれ以下に異論を紹介する・・・・・★防災を剛柔二
方式に分類すれば、戦後日本は驚異的なスピードでダムや堤防を建造して来た言わば「剛」(ハード)方式だった。それ
でも災害が減らず被害を出した。

だから直ぐに更に堅固に復旧工事が行われて、自然の力を押さえつけようとし、美しい自然をコンクリートで固めてしま
った。其れに対して昔の日本は「ウサギ追いしかの山、小鮒釣りしかの川」のしなやかな柔構造で被害を避けて来た。

米国でも93年のミシシッピー川洪水の教訓から、危険度の高い地域での住宅建設を抑制し、自然の回復を目的に土
地の所有権を政府が買い上げ、住民をより安全な場所に移転させた。95年、再びこの地を大洪水が襲ったが、被害
は減少し、其れまでのソフトな対策費がこの一回で回収された。

この様に「自然の再生は最大の防災である」(★以下は04/12/6毎日、池谷奉文氏の論説から一部引用)。其れに
比べて日本は、命を失い、家を失い、仕事をも失って途方に暮れる被災地に対して、例えば阪神大震災ではお上は彼
らの何の役にも立たなかった。

平成7(1995)年1/17には阪神大震災となって6434名の死者となった(「地揺るぎ2」を参照)。多数の犠牲は天災
地変と言うよりも実に人災でした。其れまでの神戸は神戸(株)と言われるほど、お役所商売の模範として持て囃された
が、其れは利益第一・人命軽視の町にした事であって、お役所自ら「反防災都市」に変貌させていた訳だ。

従って有事の際には県も市も全く無力でした。実際、災害は広範囲に及んで、直ぐに出動すべき警官や消防士なども
被災した。よって現地に行けたのは極く少数だった。地震では消防署や警察署も倒壊するのです(地盤を参照)。

其れなのに倒壊せず「防災出来る」との前提でお役所は予算を確保し、組織拡大と増員をして来た事に第一の問題が
あります(「被災者救済」も同類)。安全神話を看板にした道路公団や土木・建築業界も全て手抜きが暴露した。消防は
水も出なかったし、行政に災害対策の意識もなかった。だから役所には非常食さえゼロだった。

だが此れまで首長など責任者が責任を取って辞めたと言う話がない。とすれば死者への鎮魂にならない。死因にも火
災と洪水による違いもある。東京大空襲や阪神大震災では多くの方々が火と煙で苦しんで亡くなった。そうした御魂に
対しても決まってロウソクを灯し、線香を燻して供養になると思うのなら人間としては軽薄である。

お役所主導の慰霊祭などは大いに供養になるのだが、硬直化した貧しい発想の、感性のない職員によるロボット的な
機械的セレモニーで火を灯し、或いは「命の大切さ」と言う空念仏を唱える様では御魂を弔う事にはならない。住民とお
役所の意識改革がなければ駄目である。駄目な首長と駄目な政府が駄目な業者を助けるだけだ。

其れでは「百年河清を待つ」ても防災にも減災にも供養にもならない。兵庫県と神戸市など、阪神大震災当時の行政の
直接責任者が責任を取らずに、県民の税金で何度セレモニーをやっても建替えても鎮魂は無理だ。責任者の辞職と
水による供養が必要となる。

それが無い為に6434名の尊い命を教訓に出来ないままでいる。教訓としないから前と同じ形で復興した。此処は「10
年後に復興した」と胸を張るが、其れは国の予算を使ってビルに建て替えただけであって、慰めにも自慢にもならな
い。人々の心が復興する筈もない以上、無理して建て替える必要さえ疑わしい。

地震国・日本の気候風土に合わない洋式ビル建築と渡来式の瓦屋根を増やしたのでは、此れも「百年河清を待つ」て
も人災はなくせないのだ。昔から日本では川の河原を広くとり、道には並木、家には庭を作った。今のように緑地の無
い町にビルなど建ててはならないのです。

庭のある家に助成をするのが当たり前なのに、政府は逆に狭い敷地の課税を安くして過密化を進めて来た責任があ
る。住民も緑を好みながら隣の樹の葉が落ちれば文句を言うような浅ましい人種が増えた。そんな不自然な町は災害
で早晩潰れる宿命になる。

更に行政の無策の一端が高齢者の孤独死や自殺とした。先進国では何処でも公的援助法が有るのに、日本には被
災者救援法もなく、自衛隊と義捐金だけを頼りとした。見かねて各地からボランティアが救援に向かったのでした。この
時に被災した作家の小田実氏は「繁栄の陰でこの国が如何に市民をないがしろにして来たか」を実感した、と嘆いた。

国や自治体は、生活基盤を失った被災者にビタ一文出さないと彼は嘆いて、直後に「市民救援基金」を設立して活動
し、98年5月の「被災者生活再建支援法」の成立に結びつけた。こんな所にでも「戻りたい」と言う人が多くて、10年後
の05/1/17日には神戸の復興が大々的に報道された。

けれども、此処にまた高層ビル群を復興してどれだけの意味が有ろうか。少なくとも無能なお役所や機関は復興させる
べきではなかったのに、以前より巨大化したのである。しかも、被災を餌にするかのように次々と○×防災や○×災
害、○×救済・・・・・と言う機関や組織が出来たが、無力な官僚の天下り組織を増やしただけなら意味はない。

また医療関係者は他の業界と比べて高齢化と一億総半病人の中、不況知らずである。にも拘わらず何かと言うと平気
で経営難を理由にするから呆れる。お役所も消防も、警察も医療も、予算ばかり要求して組織を大きくしたり設備を作
り上げて来たが、彼らは地震にも津波にも火事にも遭わない高い所にいると思っている。

でも彼ら自身も必ず被災する普通の市民である。其のときには彼ら自身が被災者となり、救護される側になるとか、自
宅からも出られないのだから、他人を助けるような保証を前提に予算を取れば殆どウソになる。此れをおこがましいと
思わないとすれば無責任か傲慢である。

次に08/1/15の朝日は「復興住宅・独居死60人」昨年、平均年齢75.5歳と報じた。8年間の総数は522人に達した。此れ
が「神戸の復興」なのか。

▲因みに「土砂災害危険箇所」が全国に約21万ヶ所ある。其処に計約340万戸の民家が建っているが、砂防ダム建
設などの対策が採られているのは約124万戸に留まる(05/9/7毎日記事より)。

・・・・★最近は1つの災害があれば、色々な災害対応の不備が表に出てきます。先日首都圏を襲った千葉県北西部地
震でも東京都の災害対応が問題となっています。東京都は災害時に備え、都庁本庁舎の徒歩圏に災害対策住宅を設
置し、職員を割安の家賃で住まわせる一方、緊急の出動にも応じるようなシステムを構築していました。

しかし今回の地震では、緊急対応の業務要員で同日待機の当番だった34人のうち、登庁したのは13人だけでした。
都では理由なく緊急対応しなかった職員を災害対策住宅から退去させる方針のようです。また他にもミスがありまし
た。

都総合防災部が待機要員の職員の参集を指示した際、職員からの電話の自動応答メッセージの設定を誤り、「神津
島で地震が発生した」との訓練用の音声が流れていた。「応答を設定する際、『参集』のバージョンを選んだが、以前の
訓練の内容のままだった」のが原因でした。

流れているニュースから伝わるのは、プロ意識の欠如や気の緩みだけです。我々防災の技術者も突然発生する災害
に敏速に対応できてこそプロなのです。そのためにはより多くの対策工法などの情報を集めて置く事もプロとして大切
な準備になります。

以上の★・・・・以下は05/8/3のメルマガ・土木情報サービス『いさぼうネット』 http://isabou.net/から転載。

次は電気に頼る防災の問題の中で例えば伝達手段の停電や設定ミスの問題です。トンガでM7.9の地震、津波警
報届かず・・・・・・サイエンス2006.05.04。トンガ・ヌクアロファ――米地質調査所(USGS)などによると、南太平洋トンガ
王国のネイアフ島近くで4日早朝、マグニチュード(M)7.9の地震があった。

ハワイにある米太平洋津波警報センターはハワイからニュージーランドにかけて、太平洋の広い範囲に津波警報を発
令したが、約2時間後に解除した。USGSによると、震源はトンガの首都ヌクアロファの北東160キロで、震源の深さ
は55キロ。同地域では4日夜にかけて、M5クラスの地震が断続的に続いている。

トンガ、フィジーなどは津波が発生した形跡はないとしている。トンガでは今のところ、大きな被害の報告はないが、政
府は遠島などを中心に、さらに詳しく調べている。首都ヌクアロファなどでは、窓が割れたり戸棚から物が落ちるなどの
被害が確認されている。

太平洋津波警報センターは地震発生後、電話やファックス、電子メールなどで震源に近い各国へ津波警報を伝えた。
しかし、震源に最も近いトンガへは、停電のため警報が届かなかったとしている。同センターの担当者は、停電の原因
が地震によるものかどうか、把握していないと述べた。

一方、トンガの災害対策当局はAP通信の電話インタビューに対し、「警報は届いていない。受けたのは津波警報の解
除連絡だけ」と回答。「何の警報もなかった。システムが機能しなかった」と述べている。また、トンガの西に位置するフ
ィジーでは、主要な島だけに津波警報が届いたが、その他の島には連絡がなかったという。

2004年12月に発生し、死者・不明者20万人以上を出したインドネシア・スマトラ島沖の大地震後、津波警報の重要性
が認識されているが、伝達システムの再検討が迫られそうだ(以上は、地震に関するGoogleアラート「サイエンス」、及
び同日のラジオ放送より引用)。

此れを「対岸の火事」と見るのではなく、「他山の石」としなければならない。防災、つまり危機管理は一系統だけに統合
するよりも多系統に分散する必要がある。電気仕掛け一本槍に頼って満足している今のシステムは脆いのです。洪水
ではポンプが停電で動かず、センサーは誤作動で役立たない。

大災害となった場合に毎回責任者が「想定外だった」と繰り返して逃げる。此れでは如何に巨費を掛けても業者だけを
儲けさせて逃がす「逃げ得」公共工事の繰り返しであり、お役所や防災関係者としては失格であり背任行為である。

建築関係者もズルイ。阪神大震災では住宅が破砕して約5000名が命を落としたが、建築関係者がこれほどの命
を奪った元凶であると認めて反省したとか、何らかの責任をとったと言う話は聞けなかった。損害は保険が尻拭いし、
ゴミは自衛隊が片付けたのであって県でも市でも建築関係者でもなかった。

行政や建築関係者は寧ろ「大多数の倒壊建物がs56年以前の建築物である」と開き直り、更には「平成12年」とも言
うから驚く。平成7年に阪神大震災となって、其れに耐えて残った事が安全証明された建物であり、ミソギが済んだ事に
なるのだろうか。

しかも不安になって耐震建築に補強しようと言う場合は、只で補強すべきであるのに、業者は高額要求しているので
す。更に05年から姉歯事務所の耐震偽装問題(建築偽装を参照)が起こり、建築業者の悪事がまた次々と暴露した。
と言う様な訳なので、都会に住み付くなら「防災」は諦めるしかない。

また得票と予算「山分け」用の「防災」を餌にした政治家のどぶ板的な巧言令色を信用しないほうが良い。そしてガラス
張りの箱に住むのが都会人の流行ではあっても、敬遠すべきです。快適なガラスでご本人が死ぬのは勝手だが、散
乱・落下して凶器となる以上、ご本人が死んでしまっては其の責任を取れないからです。

平成17(05)年4/25日にはJR尼崎で列車衝突事故により107名の犠牲者を出す大惨事となった。満月の翌日でし
たから危険な時期であ り、東天にマルス・火星が接近していた(5/15から見えるが10/30に最接近して逆行を始める)と
は言え明らかに人災である。この事故では乗客や付近の人々が救出に大活躍した。

工場、運送会社、中央市場が仕事を捨てて進んで大勢が協力したのに対して、JR職員は其れを知りながら多数がボ
ーリング大会に行き、二次会をしていた。此れはJRの弛みが原因だったが、そうしたのは言わば国民だった。国鉄が
赤字を出したから民営化した筈であり、それなら安全第一から利益主義へ国民自らが転換させた訳である。

しかも今はスピード社会である。誰もが早く行きたいと言うせっかちな社会にしている。国民は安全よりも利益を求め、
其の上スピードまで求めたのではないか。であれば今更この人災をJRだけの責任として批難できなかろう。

無論、事故現場にいながら救出に加わらなかった運転手とか、親睦ボーリング大会とかゴルフコンペや社内旅行や送
別会に出ていた延べ180人の職員たちの不適切な行動は批難されて当然である。鉄道マンとしての誇りも自覚もなく
して、惰性的にセクショナリズムの日常的な仕事しか出来ない職場にしていた。

しかも人間として人間らしい判断が出来ない職場にしていた。集団になると尚更無能としているのでは安心して乗れま
せん。でも毎回問題となる村田防災担当相にしても今回また其の所在が批判された。「防災」とか安全と言いながら何
れもこうした人災が続くのでは、どうしようもないではないか。

色々問題点を述べたが、最後に「危機感なし、プロ意識の欠如」を述べる。関係者は官僚化して役立たず、職人気質
など全くなくした。今は他の物価と比較して人件費がアップしたのに反比例して無責任になり、仕事の質の低下が著し
い。お役所は半人前の高給官僚・職員ばかりで一寸した用件でも盥回しで中々埒があかない。

従って、あっても無くても良い所となった。警察も交通マヒをほったらかし。防災関係者は土木工事だけに予算を使って
人災を作る。建築は偽装、交通機関も安心して電車や飛行機にも乗れない。食品、温泉、医薬品、手術、ファンヒータ
ー、マンション、エレベーター・・・・などもトラブル続出です。マスコミも其れを正しく迅速に報道しているとは言えない。

どの局(チャンネル)も画一的な金太郎飴・既製品のニュースとコピー番組で役立たない事が有る。特に連休期間中は
お粗末過ぎる。昔は安全は当たり前だった。「水と安全は只」の社会だったが、今は杜撰な仕事で事故続出し、安全も
安心もない不安な社会になって来ました。安全は当たり前の社会に戻すのは厳しさと努力が必要になった。

安全の為にコストを掛けて備える時代になって来た。いや費用の問題ではなくて職人気質とか責任感と言った心がけ
の問題です。だが06/5/23和歌山で砂防学会主催の全国防災会議が行われたが、参加者は1割り程度。広い会場を
用意しても、申込者はカラ出張なのか、それとも此の機会に観光地へ向ったと言うのだろうか。

何れにしても防災関係の巨額予算とは裏腹に関係者の低意欲と無関心の姿勢が此処からも読み取れる。以上から結
論として、古来の「祓い」か、もしくは別紙の「円系図」に勝る防疫・防火・防災・危機(リスク)管理法はないと言える。

★因みに災害用・NTT伝言ダイヤルは171(「イナイ」と記憶する)・・・・・此れをダイヤルすれば、録音は「1」を押し、
再生は「2」を押すとアナウンスがある。また暗証番号による録音再生は「3と4」を使う。其れに相手方の電話番号を入
れ、或いはメッセージを録音する。携帯からは駄目。

防災・予知・減災・その2・・・・・・・此れまで「安全・安心は行政の基本」とした姿勢だったが、実は業界に
甘かった。業者には甘い基準で次々と道路や建物を作らせて来た。地震や風水害では其の道路が倒壊した建物で塞
がれて通行できなかった。其れでは消防車が有っても通れない。通ったとしても消火栓の水が出なかった。

風がどちらに吹くかで類焼が広がる。しかし119番に電話しても電話が繋がらない。自分で消すしかありません。特に超
高層ビルは、倒壊する。倒壊しなくても大きく揺れて火災が発生する。30階以上の建物はM8クラスの地震で4mも揺れ
る。従って自分で消そうとしても転がるだけです。

だから同時多発火災で瞬く間に炎上するなど、大規模火災になる事が分かった。防火扉もスプリンクラーも故障して機
能しないからビル全体が1時間くらいで燃え広がるが、1〜1.2mの狭い避難通路を全員が批難するには1時間掛かる。
日本の超高層ビルは、阪神大震災の教訓を何も生かしていなかった。

地震と火災が前後して起こると言う当たり前の事を、行政も業界も前提にせず、想定さえしていなかった(以上、07/1/
12のNHK総合TV「関西クローズアップ」より引用)。

業界には甘く、住民を見殺しにした経験を踏まえて、愛媛県などは「行政には限界がある」と開き直って住民の「自己救
済」を言い出した。61年の国の災害対策基本法は、「国民を災害から守るのは国や自治体の責務」と定めている。各
地の災害対策も其れに準じて行っている(07/1/13朝日記事)。

しかし例えば高知県で決めた「公助」とは、火災訓練や予防の啓発だけ。市民に様々な努力義務を課して、勝手に自
助努力せよと云うものです。イザと言うときには行政の手が廻らないので各人が対応するようにと言い始めた訳ですか
ら此れは開き直りかインチキかペテンです。そう言う事は、税金を撤廃してから言うのが順序である。

もう1つ、此れも厭な言い方ですが、中途半端に消火するよりも燃やし切ったほうが後片付けが楽だと言うのが一般論
です。こんな時代ですから住民は相当の覚悟が必要。



法事・・・・・以下、次ページへ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・  
 
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