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   日知り事典        フ・不妊

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・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆★●■▲◆★

・・・・・・・「ふ」は内臓であり、腹から吹くのが「笛」である。そして「ふ」は「深、吹、服、老、伏、蓋、太、踏、文、船、
冬、古、降、振」のふとなり、一二三の数字の「二つ」であり、其れは天の日(ヒ)に対する地の位置を示した。

ファイ(Φ)・・・・・・・昔から名画とか名建築と言われるものの中には、其の基本形の長さの比が例えば1:1.618
の関係になっているケースが多い。無論其の長さの比は隠されているので普通気づかれる事は無い。例えば五芒星と
言われる五角形の星形は、その内角を辿るとまた五角形が出来ると言う無限・迷宮の形でもある。

其処からシナでは五行思想の相克を表すものだったが、西洋では敵から守る魔力があると信じられて古今東西で呪術
に印され、ペンタグラムともセーマンとも云われた。

五方に突き出た角が三角形であるが、其の一辺の長さの比は1:1.618であり、つまりファイの関係にある。さてセー
マンは安倍の晴明が使ったマークとして知られるし、函館の五稜郭や米国国防総省のペンタゴンがこの形で造られて
いる。其の外、各国の国旗や軍人の階級章は今も全てこのペンタグラムの形になっている。

この形は内角が72度なので5角で360度となる。また坂田の金時(足柄山の金太郎)に見立てた童画や節句人形に
は丸金の腹巻を着けている。こうした星型は一筆書きで書けるものであり、またそうする事で其の呪力が出るとも見ら
れる。或いは勾配を日本では「傾き」や「コロビ」とも言ったが、傾きは「方と向き」、つまり方位である。

コロビは水平、または壇(囲の字形)に対する比率と見て、其の壇を仮に一尺四方ではなくて(10進法では誤解するの
で)、9cm刻みの方眼盤とすれば、縦横比率が9:0=90°、9:1=83.5°、9:2=77°、9:3=71.3°、 9:4
=66°、 9:5=61°、9:6=56.5°、9:7=52.5°、9:8=48.5°、9:9=45°となる。

従ってコロビとは5〜6度であると同時に9:6で「コロ比」とする事でもあり、この場合は対数であり、正確には9/55.
6=1.618=ファイ、つまり最も「見良くて美しい」黄金比(数列)となるのである。

因みにΦには0.381、0.618、0.786、1.272、1.618、2.618・・・・・があるとすれば、其の関係の近似値を
含めて下記のように不思議な堂々巡りとなる(但し数学の劣等生だった筆者の考えなので眉唾の点もあります)。

0.3820.618×0.6180.6181.618=2−1.618=1−0.618           =1/2.618
                                =√0.146
0.6180.382×1.6180.786×0.786=√0.382=1−1.6181.618/2.618=1/1.618
0.7860.618×1.272=             √0.618=                =1.272/1.618
1=    0.618×1.6181.6180.618=1
1.236=             0.618×2=    √1.528=
1.272=                          √1.618                      =1/0.786
1.6180.618×2.618=2.618/1.618=√2.618=                    =1/0.618
2.618=1.618×1.6181.6180.618=√6.854=1+1.618             =1/0.382

さて円理で例えばパイ(π)は円周率であり、半径rに対するl(円周エル)=2πr2乗となる。其れに対して、曲尺(別項参
照)は円周や円の面積に対する方形の最大面積を即座に表示する計算尺として古来、大工にとって第一の必携品でし
た。また其れに対して此のファイは、円を当分分割する尺度でもあった。

例えば0.617の16倍を円周とすれば987の長さになる。其の√(平方根)はπ=3.1416であり、つまり曲尺の1になりま
す。其れを4等分して都合4回すれば円が1/16に分割できる。そうすると其の円のr(半径)は1.618、つまりファイに戻る
のです。即ち一辺が1.618:0.618:1.618の長さの三角形の内角は22.5度になる。

因みに「16弁菊花紋」、「黄金比」、「白銀比」及びプランク定数(1.616×10−33乗)を参照。

フィリピン・・・・・・ルソン島は昔から日本と交易があったが、1521年のマゼラン以来、スペインに占領されていた。
今の国名も16cのスペイン皇子フィリップの名による。1898年の米西戦争によってキューバと共に生まれた双子の
国。以後は米国領となり、第二次大戦によって1946年に独立した。

Vの字義・・・・・・・Vは角度だった。例えば前期古墳から副葬品として車輪石などと出土する鍬形石と呼ぶ石器は
角度を測るコンパスでした。しかし考古学的には装飾品、または用途不明の石造模造品と誤認し、多くは「腕輪」と解説
して来た。こんな重たいものをブラブラさせていては邪魔になって自分の顔も洗えません。

其処で此処で正解を述べる。此れは天文観測の場や古墳設計の時の定点に同心円を描くコンパスでした(「玉串の祭
り」を参照)。鍬形石は横棒を通して使ったものでした。横棒の左端を中心軸に置いてそのまま押し付けて回して行け
ば自動的に同心円が描ける。このため鍬形石の穴は斜めに開けられている。

其の天文観測のための円陣を作るコンパスをリアルに図示した文字がローマ字では「」であり、古青銅鏡の中には文
様にも「V」の字が描かれている例がある。古字では「ム」、漢字では「虫」の字がこのコンパスでした。虫は「中にム」と
書く。其処から虫は風や虹の字のパーツとしても使われた。

考古学で言う鍬形石は実はこの虫の事であり、従って虫は「蟲」とは別である(「虫」を参照)。

ふう・・・・・・

風向・風速・風力・風量・・・・・・▲風向は雲の動きを目測すれば略分かるが、地表近くの風は其れとは違って
来る事が多い。例えば朝と晩で逆に吹く。此れは海と陸との温度差のためである。また地表の風はクルクル廻っていて
捉えがたい。よって観測をしても天気カレンダーでは一言で表示し難い。

ともあれ普通は建物の上に風見鶏式やプロペラ式の器具を取り付けて見る。気象予報などでは風が吹いて来る方向
を北の風とか南からの風と言うように16区分で表現する。上空の風向きは気球を使う。ただ局地的には風は息をしな
がら行き来しているので中々定まらず、しかも吹き上げたり吹き降ろすので水平成分を計測して平均値を取る。

風速は風の吹く速度であり、気体の流れる速度として地表から10m以上の高さに設置した風速計によって計測す
る。例えば風車式のアネモメーターは回転速度によって測定し、またピトー管により圧力差で測定するものとか、加熱
線の電気抵抗の変化によって測定するタイプもある。

▲風力は風の速さの度合い。其の早さを毎秒メートルで言うが、風速は風力階級に分けて表す事も有る。
▲風力階級とは風速を目測する時、其の強弱の表し方。海と陸の二種があるが、今は海用としてのイギリス式のビュ
ーフォート風力階級が陸でも用いられる。13階級と18階級方式がある。天気図の風速は此れで表示している。

因みに0-17の18階級では、0は0.0-0.2m/s、1は0.3-1.5m/s、2は1.6-3.3m/s、3は3.4-5.4m/s、4は5.5-7.9m/s、5は8.
0-10.7m/s、6は10.8-13.8m/s、7は13.9-17.1m/s。8は17.2-20.7m/s、9は20.8-24.4m/s、10は24.5-28.4m/s、11は
28.5-32.6m/s、12は32.7−36.9m/s、

13は37.0−41.4m/s、14は41.5−46.1m/s、15は46.2−50.9m/s、16は51.0−56.0m/s、17は56.1−61.2m/s(岩波理
化学辞典3より)。

其れではピンと来ないと思うので、もっと馴染みの有る車のスピードに換算すれば、時速60kmは分速1kmですから秒
速では16.6mとなる(17m以上が台風)。また時速1kmなら分速16.7mですから秒速では0.28mとなりますので、バイク
で走れば其の違いを体感出来るでしょう。

風力(風速)計は風の速さを測る計器で、風盃に風を受けて回転させるロビンソン風力計、風圧によって風速を計る
ダインス風力計などがある(以上、広辞苑より一部引用)。ただ風は息をしているので10分間の平均値で表し、極端な
場合に瞬間風速と言う。

▲風量は風の量。帆船にとっては上記の風向・風速が何より大事な意味を持つだろうが、一般家庭の洗濯物の乾き具
合などに一番影響するのは其れよりも寧ろ風力とか風量である。ただ残念ながら今の科学のレベルでは風力・風量の
測定計器は作れないようだ。いや商品としては市販されているが、局部的なダクト内部の流量×風速センサーである。

従って天気概況や予報では此れを言わない。其処で目安を言えば1m四方の窓に対して風速を掛ければどうか。其処
で当会の「天気カレンダー」では風力階級などは使わず、便宜上当分の間、風速は目測m/sとします。なので仮に5m
/sとある場合は風力5立方m/sとなる。

また10m四方の家ならば50立方m/sの風量・風圧を受ける(因みに其れを60倍すれば分速になります)。吹流しを参
照。

風雨の作用・反作用・・・・・・風雨や嵐の役割の第一は大掃除であり、其の副産物として水を齎す。従ってその大
掃除と言う大業を人が迷惑に思い、そのための対策を採れば逆に大きな被害を受ける。此れが人災である。例えば都
内には古来「神田川」があるが、此処は昔「暴れ川」と呼ばれて来た。各地にもそう呼ばれる川は多い。

此れはしかし川が悪いのではなくて、流れを狭めて其の働きを妨害した役場や住民が悪い。其処に人災が発生する。
川は四季により、或いは其の年により流量が変化する。

其処で新住民は其の川を舐めてかかり、川中に固定的なものを造ったり、岸辺を埋め立てたり護岸工事をしたり堰き
止めて川岸を狭めたりするから、やがてしっぺ返しを受けるのです。

風雨に逆らえば其れに倍する大きな力で吹き飛ばされ、強く押し流される。川のみならず風雨、洪水、地震、噴火でも
病気でも同じ事が言える。暴風・暴雨に対する防災対策とかダムとか護岸工事。或いは風邪や疾病の予防医学が無
意味なのは其の為です。病気も風水も無機物や機械ではなくて生き物である。

「ではどのような生き物か」と言われれば「人間臭い龍」とだけ答えて置こう(「龍神」を参照)。木々にとって風雨は「大
好きな友達」である。だから風雨の時は彼女(龍)たちと一緒になって木々も魚も踊ったり歌いながら掃除をして貰う関
係者である。とすれば、彼ら生き物に対するより良い対応(調和と共生)を人は知るべきだ。

彼らは人に向って明確に「雲か何かを運ぶ為」とか「大掃除に来たい」と言う意思表示は出さないが、言わなくても前述
の通り目的は大掃除であるから、其れに対して何時も感謝し、快く迎える事が被害を軽くする秘訣です。

だがお役所などは、其れとは逆に、税金など巨費を投じて余計な対策を講じるので「銭をどぶに棄てる」事になるばか
りか人災による大災害として来たのです(「風」、「防災」を参照)。

風神・・・・・・江戸時代には俵屋宗達などによって風神雷神図が描かれている通り、風神は鬼のような姿で大きな袋
を持って描かれ、或いはお寺の堂内に尊像の一つとして配置して来た。彼らは確かに何かの意志を持った生き物のよ
うな働きをしているし、実にユーモラスな存在です。

だが何時もそんな姿では人の前に現れない。風(別項参照)には見える風と見えない風があって、何れも大切な働きを
します。罪ケガレを追い出し、祓い清める働きです。ただ気象学では人の目や計器に現れる風だけをデータとして拾い
上げるが、見えない風を見落とす為に予報が誤報となってしまう。

見える風は旗をなびかせたり木の枝を揺らせて其の存在を人の目に見せます。特に一個の台風のエネルギーを見て
も、人間の作った原爆のエネルギーなどは到底及ばない力を及ぼします。原爆は人類の特定階層以外には有害無益
であるが、彼ら台風は被害を与える以上に其の何十倍もの恩恵を地球上に与えています。

ただ彼らは時として神のように振舞うものの神の主体ではなく眷属とか媒体である。風神と言うのもシナ風の呼称であ
って日本の神とは別の存在である。日本では支那津彦、同姫として主神に祭られる場合があるが、其れはこの風神で
はなくて人格神である(風、台風、竜巻を参照)。

以下、「ヤフー知恵袋」に回答した中から転載する。回答日時: 2008/3/23 12:01:20 回答番号: 47,735,957 ----風神
は当時から現代まで、シナとべの神、即ちシナ津彦と伊吹戸主があり、前者は未申からの風、後者は丑寅からの風を
言い、各々「夏越しの祓い」と「歳末の大祓い」で働く神です。

其れ以前には多度神、即ち天目一個神が台風の神、踏鞴の神として祭られて来ました。他にも様々な竜神が雷雨や
暴風を起こして地球環境の維持に活躍しています。

封禅・・・・・・・・・始皇帝は山東省の泰山に登って封禅の儀式を行った。頂上に土を盛り上げて壇とし、此処に天の
神を祀った。此れが「封」であり、また泰山の麓の梁父と言う小山の上の土を削って地の神を祀った。此れが禅である
(「史記」、及び「中国文明の歴史」日比野丈夫編より一部引用した。要するに「禅」とは人(死者)を埋める事だった。

「封建」、「聖地」を参照。

風葬・・・・・・風葬には樹上葬と鳥葬などがあり、樹上葬では奄美の例を引用する。・・・まあ−与論で言うムヌガッタ
イ(物語)にして聞き流してもらえればと思います。嘘とか本当ではなくこういう見方考え方もあると見てくれるだけで結
構ですので・・・。 ええ、実は幽霊は人間がしたことであることを言いたかったのです。

幽霊は捏造されたということではなく、一つの宗教的儀式が知らない者にとってはいわゆる幽霊になってしまったという
話です。 狐の嫁入りとか狐火とか言われる火にまつわる宗教の儀式が、ポツンと残された与論には昭和30年代まで
残っていたのではないかということです、実はそんな話をしたかったのです。

新聞にも書いたピ、マチの話とも関わりますが火に関わる宗教儀式が相当あったのではないかと思います。得体の知
れない火や明かりは総て宗教的儀式とはいっていません。

ただ、一年に決まった火の帯がある地点から決まった地点に連なって見えたという話があり、その連なる火の一つ一つ
の場所が特定できないかと思って調査をしたわけであります。しかし、ご承知の通り,与論の地形が激変しその調査宿
題が暗礁に乗りあがったという訳です。

ここで見逃して欲しくないのは、火、というもの転じて、太陽、がいろんな意味で重要ではないかということです。太陽の
動線に関わって付けられたと思われる地名が相当あるからです。なぜそんな名前を付けたか、為政者の意図、政祭一
致が端的に現れているのではないかと思います。これが私の言う歴史です。

話は変わりますが,江戸時代末期薩摩から奄美に島流しにあった佐源太という役人が奄美の風俗について描いた絵
日記に木の枝からつり下げられた棺桶が描かれ、樹上葬なる奇習があったと本で知りました。その時私は殆ど忘れか
けていたある光景を思い出しました。

昭和32年、私が小学2年の頃の話ですが今の琴平神社の下、崖っぷちにできた与論唯一の橋の入り口あたりですが、
そこの大きな岩の頂から木製の棺桶がロ−プ一本で釣り下げられていたのを思い出したのです。こんな話与論の故老
といえども殆ど聞いたこともない見たこともない話です。私は運が良かったのでしょう。

以上、http://www.comb.kokushikan.ac.jp/yoron/comments/okabe.html から引用。因みに散骨(別項参照)は火葬の
後にするので風葬とは別と見て良い。その他、「鳥葬」を参照。

風鐸・・・・・・鉄または銅製で、堂塔・五重塔の軒下に吊下げる風鈴の一つ。黄銅製の鋳物が多い。

▲夫婦別姓・・・・・・今、夫婦別姓が問われているが、日本は元から別姓だった(「母系社会」を参照)。

夫婦喧嘩・・・・・・・神と神とが争う場合は何れ収まりが付くが、人と人とが争えば中々収まりが付かずに、何処か
火種を残して燻(くすぶり)り続けたり、或いは火の様にお互いの心(憎しみ)が燃え上がる。こうして両親が不仲で
を散らせば、子供は火傷や熱病・肺炎となるケースが多い。

近所が争えば火事となって妖炎が其の元を消す(祓う)事になる((「争えば火となる」を参照)。また民族や国同士が対
立すれば熱戦となる。さて夫婦の争いは摩擦をする事で熱を出す。一つ屋根の下で争えば屋根を支える棟を傷めるよ
うに「胸」を患う事になる。胸には左右に肺が有り、男は左、女は右を傷めたり肺炎となる。

普通は働き手である二親の身代わりになって子供がそれを引き受ける。先ず、風邪を引いて熱を出すが、無論、病院
に駆け込んでも治らない。治すには原因を元に戻す事です。例え奥さんが悪くなくても先ず主人に頭を下げます。そう
すると直ぐに子供は治る。

男女平等なのに何故女性から頭を下げるのかと言えば、男の理が「天・水・上・左」に対して、女の理が「地・火・下・右」
となっているためです。よって奥さんから謝れば「火の上に水が来る」ので下の火を消す事になり、其れが子供を救うの
です。不条理のようですが一先ず問題は解決です。

其の事に気づいてご主人が反省すれば良い訳ですが、そうでない場合は職場でトラブルを起こして頭を打つでしょうか
ら、結局は公平のバランスが取れるのです。また心臓病の場合は家の事や事業の事、或いは跡継ぎの心配などから
起こります(この項目の大部分はソロン・アサミ氏の著書より引用)。

▲フウヘ・・・・・・
▲フウホ・・・・・・

▲ふうら・・・・・・
▲ふうり・・・・・・
▲風力・・・・・・

風力発電・・・・・・・・・水力と風力発電はかなり昔から行われて来た。また近年は観光地の目玉とされたり、原発に
対する不信感や環境対策として風力発電が益々見直され流行し、05年度末で1050基になった。経産省は05年度末の
107万キロワットから10年後には300万キロワットに増やす計画である。

だが、其の75%がスウェーデンなどからの輸入品であり、其の構造がプロペラ式と決まっていた。此れは巨大な装置で
あり、近づく事も出来ない。羽根が唸りを上げて廻るし、其の羽根が飛べば周辺に危険を及ぼすのですから狭い国土
の日本には元々不向きだった。其れよりも寧ろ横羽根式のほうが構造的に安定しているし危険性も無い。

所が日本では中々別のものへの開発が進まなかった。その間に縦型風車が各地で強風や落雷で故障して放置され、
過去20年間で35例(43基)が撤去か休止となり、或いは野鳥を巻き込む事故があったり、「景観を害する」と反発される
ようになった。

02-03年には宮古島で4基が台風で倒壊し、07年1月には青森で強風で倒れた。高さ68mのコンクリートの塊が突然倒
れたのである。此れをテレビで見た限りでは、鉄筋の数などが普通の建物に比べて極端に貧弱だった。経産省は安全
性の向上についての指針作りを進めると云うが、全く別の方式に切り替えるべきであろう。

風鈴・・・・・・■ 涼を呼ぶ澄んだ音色 ー 風鈴の歴史 ■夏の風物詩の一つが、涼しい音色で涼を呼ぶ風鈴。今回
は、見た目と音色で夏の暑さを忘れさせてくれる風鈴にまつわるお話です。●風鈴のルーツは占いの道具でした。風鈴
の祖先は、古来中国の「占風鐸(せんふうたく)」。竹林に下げ、音の鳴り方や風向きで吉凶を占うものでした。

これが仏教と共に日本に伝えられ、魔よけとして用いられたのが「風鐸」です。お寺や貴族の屋敷の軒下四隅などにつ
り下げられ、この音が聞こえる範囲には災いが起こらない、疫病神が入ってこない、などと言われていたようです。鎌倉
時代になると、「風鐸」から「風鈴」という呼び名に変わります。

法然上人が「風鈴(ふうれい)」がと名付け、そこから現在の呼び方になったとか。●風鈴の大ブーム到来まで江戸時
代(享保年間)になると、青銅製の多かった風鈴にガラス製が登場します。ポルトガルから製法が伝わったガラス(ビー
ドロ)で長崎のガラス職人が風鈴を作り、大阪や京都、江戸で売り出したのです。

ガラスは輸入するか、長崎でしか手に入らなかったため、当初風鈴は2〜300万円もしたそうです。それから100年後
(天保以後)、江戸でもガラスが作られるようになり、庶民も涼しい音色を楽しめるようになったのです。明治維新後、外
国の大量生産技術も取り入れ、明治20年代には風鈴が一世風靡を巻き起こしました。

昔から有名なのは、ガラスでできた「江戸風鈴」、南部鉄でできた「南部風鈴」などですね。金属を火箸状にした「火箸
風鈴」も有名です。現代では風鈴の種類も数を増し、石製、木製、陶器製、竹細工を被せたもの、炭の風鈴など、見た
目も音色もお好みのままに楽しめそうです。

●昔の人に学ぶ、風鈴の気くばり。風鈴の音色も捨てがたいけれど、音がうるさいのでは?と不安に思われるかたも
多いのではないでしょうか。

風鈴を好んだ江戸庶民は、眠る前や雨風の強い日は風鈴をきちんとしまい、強い風で乱雑に鳴って周囲に迷惑をかけ
ないよう、風鈴の吊るしてある軒にすだれをかけるなど、周囲への気配りも欠かさなかったとか。「過ぎたるは及ばざる
がごとし」の通り、いくら良い音色とはいえ、加減は大事。

昔の人々はそれを知って実践していたからこそ、風鈴がより愛され、普及したのではないでしょうか。まだまだ残暑厳し
い中、日本の夏を、風鈴の音色で楽しみたいですね。--------以上は【作務衣の専門館 伝統芸術を着る会】 http:/
/www.samue-e.com/メルマガ#知的道楽# mag@samue-e.comより転載。

蛇足ですが風鈴は、見えない風を何とか見つけようとした人たちが生み出した昔の知恵であり今も生きる日本の原風
景・風情です。寺院用としては上記の「風鐸」もある。
 
風林火山・・・・・・07年のNHK大河ドラマのテーマ。武田信玄の軍師・山本勘助の物語。「風林火山」とは孫子の兵法
の一句をとって武田軍の幟に掲げた文句で、言わば商標。其の意味は「はやき事風の如く、静かなる事林の如く、侵
略すること火の如く、動かざること山の如し」。

▲フウル・・・・・・
▲フウロ・・・・・・

▲不運・・・・・・


フエ・・・・・・
▲笛・・・・・・・管楽器の一つだが女性器としての性格がある。男が吹いて女を誘惑するものであるとも言われる。

笛吹神社・・・・・・・奈良・かつらぎ市にある葛木坐(います)火雷(ほのいかづち)神社。櫟(いちい)樫の巨木の群落
に有る古社。火雷神の外に次項の笛吹連(むらじ)が祖神とする天香久山命を祭った所。北西には円墳がある。

此れは笛吹連の7代目の建多折命の墓と伝えられている。古代は王朝の笛師を務めたとか、宮中の台所の神と言わ
れ、其処からお菓子の神ともされている。今の宮司は建多折命から83代目で持田氏。社務所前には古来、占いに使わ
れたハバカ(ウワミズザクラ)の木があり、平安朝末期頃、宮中に献納したと言う。

(以上は大和高田市文化財を考える会/06/7月例会資料から引用)。

笛吹連・・・・・・・タタラで鋳物や鉄器を作った一族が居住し、祭った所として奈良・新庄町に先の笛吹神社が残る。
火を起こすのは火雷(火之迦具槌)神、其処に風を送る装置が笛でありタタラです。此処から「ひよっとこ」が出た。火吹
き男「火男」が訛った言葉です。或いは吹くが福となり「福の神」となった。其れは笛を吹くような仕事です。

よって中世では音楽、今は菓子の神とされている。所で鉄器は古来わが国では必ず錆び付いて他のものまで腐らせる
ので悪金として嫌われ、或いはクロガネとして差別し、其の使用を避けた。また稲作民が支配した時代は、タタラで冶
金をしたり鋳物や鉄器を作る山鉄民を夷(エビス)と見た。

しかしタタラ関係の神には愛宕とか秋葉の火雷(迦具槌)神、火産霊(ホムスビ)神、其れに金山彦や石凝女(鏡を作っ
た)神や其の神子の天香久山命、其れに風の神の天目一個神、或いは丹生(水銀)都媛神などがあるが、何れも渡来
神ではなくて、日本古来の神々ばかりであり、寧ろ稲作民こそエビスであった。

天香久山命は天照大神が天の岩戸に隠れた時に土を掘って鏡を作り、竹で笛を作って吹き鳴らしたとも言われる。其
れに天目一個神は、天照大神の孫でした。タタラも山鉄民も丹生一族も笛吹連も鋳物師も和人であり、従って日本に
は渡来の稲作や耕作民を守る神は有りませんでした(よって有史以来、日本で稲作が成功した験しがない)。

フェーン現象・・・・・以下、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用する。フェーン現象(foehn
phenomena)とは、風が山肌にあたり、その風が山越えをして下降気流として降りてくる暖かくて乾いた風によってその
付近の気温が上がる現象のこと。

フェーン現象という名前は、もともとフェーン(独:Foehn)というアルプス山中で吹く局地風から来ており、この局地風とい
うのがまさに風がアルプスを越えたときに吹く乾いた暖かい風のことである。現在は一般用語として使われており、単に
フェーンといってもこのフェーン現象のことを指すことが多い。

フェーン現象は、フェーンのほかに、北米のロッキー山脈を越えて吹く風シヌックなど、世界各地にある。分類すればフ
ェーン現象には二つの種類がある。すなわち、熱力学的な断熱変化によって起こるフェーン現象と力学的に起こるフェ
ーン現象である。前者を湿ったフェーン、後者を乾いたフェーンという。

乾いたフェーンは風が山を越えなくても起こるフェーン現象として知られている。この両者の現象の発生を唱え、フェー
ン現象の本格的な研究を行ったのはオーストリアの気象・気候学者ハン(1839年〜1921年)である。ハンはフェーン現
象の研究のほか、上昇気流による断熱変化、高気圧論など、気象力学(特に気象熱力学)の研究で業績を上げた。

さて、フェーン現象は時には非常に乾燥した強い突風ともなることがあるので、火災などの深刻な被害を招くこともしば
しばある。よってフェーン現象の時には火災などの厳重な注意が必要であるといえる。次に、日本におけるフェーン現
象では1933年7月25日、山形県山形市の気象台で日本の気温の最高記録40.8℃を記録した。

此れもフェーン現象が原因とされる。このときの湿度は26%と、かなり低いものであった。これは湿った風が山にあたっ
て、山を越えたときに吹く乾いた暖かい下降気流によるものである。フェーン現象は山地が多い日本でも頻繁に起きる
現象である。

日本では日本海に台風や前線を伴う温帯低気圧があり、強い南風が吹くとき日本海側では暖かく乾いた風が吹く。実
際、春にこの現象によって日本海側では一気に雪解けが進むことが多い。これだけではなく例えば冬、季節風によって
日本海側で雪や雨を降らせた後、山を越えて太平洋側に乾いた空気として吹くのもフェーン現象と考えてよい。

しかし、空気のもとが寒気なのでいくら山を越えても太平洋側の温度はそれほど暖かくなることは通常ない。以上、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E7%8F%BE%E8%B1%A1出典: フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)』

▲フェロモン・・・・・「匂い」を参照。


▲ふか・・・・・・・

不完全燃焼・・・・・・・燃焼は酸素によって生ずる。つまり酸化作用である。従って不完全燃焼とは酸欠の場合に起こ
る。此れを防止するため煙突を高くして吸い込みを良くするとか、もしくはブロア(送風機)によって半強制的に空気を送
り込む。溶鉱炉や蹈鞴と言うのが此れである。

だが今でも間違いを犯しているのが各地のゴミ焼却炉である。此処は従って作ってはならないダイオキシンを作り続け
た。或いはナショナルの壁抜きFF(ファンヒーター)事故となった。此の失敗の原因は何れも不完全燃焼であり、其れは
恐らくメカを過信して、空気や水の働きに無関心だったからではないか(「水の不思議」を参照)。

▲ふき・・・・・・・

▲吹き替え・・・・・・・鋳物を鋳潰して別のものに鋳造し直す事。

吹流し・・・・・・・戦陣で幡指物の一つとして使われたもので、長い棹の上に半円形の旗を付けた物。円形の口輪の
物は吹き貫と言った。以後、大名行列にも此れが加わった。今では五月節句の人形の備品として鯉幟に花を添える脇
役として並べる。此れが今では武具と考えられているがやや疑問である。

此れが武具としてどのように使われたのかさえハッキリしないのである。其処で解説すれば、此れは矢を打ち合う場合
に風の流れを読む必要が有ったからだ。従って単なるシンボルやお飾りではなかった。江戸時代の町火消しも此れに
似た物を「纏まとい」として真っ先に火事の現場の消し口の要路の屋根の上に立てた。

風上からなら仕事が楽だがもし風下に立ったら危険である。纏持ちが花形だった意味もまた風の流れを読むのが先決
であったからだろう。今でも気象観測具として此の吹流しの重要性は不変である(使われている)。風向を参照。

▲ふく・・・・・・・


▲福祉・・・・・・・福祉は物を与える事ではない。特に政策は、税金を再配分して大盤振る舞いする事ではない。与えな
くても物心共に自立できるように基盤整備する経世済民の治世が大切です。だが戦後政府は逆を行い、福祉の名で増
税し、自分たちが其の特権を振るう事で更なる増税を重ねて公序良俗を破壊した。

例えば02年度の生活保護に2兆2000億円を使った。此れにより、働く者より働かない者の方が収入が多いと言う逆
転現象を見せているのです。

腹式呼吸・・・・・・普通、深呼吸と言えば肺呼吸だけであるが、其れでは筋肉活動(反射神経など)には役立っても肺
呼吸ばかりでは内臓に良くない。其れでは内臓が常に酸欠状態になってしまうからです。其の点で女性は体質的に腹
式呼吸に慣れているし出産の時にも教わるので此処での説明は無用だが、男性は苦手である。

複式に心掛けていれば健康に良いが、心がけていなくても大笑いするとか大声で歌うかカラオケなどをしていれば慣れ
て来る。酸素を吸い込もうとするよりは、内臓に充満したガスを先ず吐き出す事が大切であり、そうすればもっと新鮮な
空気が自動的に入って来ます。此れが腹式であり、ストレス解消とリラックス効果になる。

無論内臓の働きを活発にするためダイエット効果、生活習慣病の予防、若返り、疲労回復、脳の活性化、自律神経の
安定化など好ましい結果となります(月刊ビスク05/11月号より一部引用)。また食事の時にはガツガツ食べづにゆ
っくり良く噛んで食べましょう。そうする事で唾液に絡ませ、酸素を送る効果がある。

其れをせず、スピードを急ぐ為に腹の中が酸欠になり、便秘になったりオナラを出したり生臭い息を吐くのです。

武具の意味・・・・・・星の世界である西洋や近代の軍隊はロボットのような没個性的なユニフォームです。其れに比
べて日本の武家は個性的でした。米国・メトロポリタン美術館には日本最高の美術品として多くの鎧兜が展示されてい
る。織物・飾り物・仕込み技能など、当時の世界に比類ない模範的な素晴らしさ、つまり美術工芸が鏤められていた。

だが日本では美術品としてはランクが低い。其れは日本人が其の価値を知らないからではなく、同類のものは他に幾
らでもあるので有触れた物として美術品としては評価しなかった事と、実用品であったからだ。つまり戦場では使えて
も、それ以外の価値は認めなかった。

しかも鎧などは汗にまみれ、血や汚物がコビリ付き、其の分、錆が廻り易いし臭かったからだ。其の上、死穢が憑いた
ものかも知れない。だから戦国時代を過ぎれば実用としての価値まで失い、売買する風習もなくなっていたのである。し
かし此処で考えなければならない点は、日本の武士の死に様が「花と散る事だった」点である。

其れに対して西洋の騎士は奴隷の代わりだった。だからブリキを貼り付けた粗末な鎧とか、一律のユニホームを纏っ
た一兵士や無名戦士として消えて行った。其れに対して、日本の古武士たちは、お互いが大音響で名乗りあった。お
互いが、名馬にまたがって大勢の目前で一騎打ちで戦い、ファインプレーで何れかが華々しく死んでいった。

此れは戦いを私闘とはせず、聖戦として、其の氏神の代理者として戦う武士の、「死を花」として、その戦い方と死に場
所を飾る文化があった事を意味する。つまり武具には意味はなく、神の下で戦う事に意味を置いた日本に対して、欧米
文化の価値観は戦利品としての収集品を自慢し、かつ物としての美観を重視するのです。

服喪・・・・・・喪に服する事。死はケガレであり、其れが祓われるには一定期間を要する。死去の場合は死穢(シエ)
として初七日から7日単位で49日までの期間を設定する。女性の場合は月経もケガレと見たし、お産の場合も昔はケガ
レと見て同列に扱ったがお7夜をピークとして21に明けを祝う。

また其のケガレを他人に及ぼしてはならないので先ずは日常的な行為を避けた上、謹慎する事が望ましい。火を使う
場合も忌み火は不浄のものとして別火として他の炊事などに使わない。特に肉魚を食べない。漁師・猟師は殺生をす
るので服喪期間は仕事に就かない。それが昔の忌み篭りの意味である。

故人の死に際しては尊属卑属の順位により、服喪期間に長さの差がある。今は親が死んでも一年で喪明けとするが、
昔は長かった。此の期間は忌み篭りの期間として、言わば精進潔斎期間と見て神社の鳥居も潜ってはならないとか慶
事に参加しなかった。

不幸・・・・・・幸福とは自然のまま、有りのままを感謝する事で得られるが、其れに無知な事から来る現象の一つが
不幸である。特に強情な人の場合には其れが倍加する。不幸の三現象が例えば「病・貧・争」とすれば、其の因はご本
人の無知であり、例えば病気に感謝する人と、病気を恐れて病院に駆け込む人とでは大きな差が出ます。

其の結果として不幸の連続現象を見せる。この世で無用なものはない。自然界にも無用の存在はない。一見、無用と
思われる悪魔にしても、其れを作るのはご本人の勘違いや良くない想念からである。例えば利他愛の心があれば他人
が困った時に同情出来るし援助もするでしょう。だが「他人の不幸は蜜の味」のまま暮らしていれば落とし穴に落ちる。

病気もまた他人が持って来てくれるものではなくて殆どが本人のために本人が発生する現象(身から出たサビ)です。
つまり、他人が此れを見て、社会的弱者、ないし不幸者とか「悪い」とは即断できない例が多い。

そうした「自然」と言う状態の事実誤認や無知があれば、対処を誤って不幸になるのが当たり前です。特に物質文明が
如何に発展しようとも人が幸福感を得るのは反比例して少なくなる。よって現代社会は多くがストレスでイライラしていま
す。他人との接点も少なくなる。日常会話でも例えばスポーツの話題で一致しても、他の分野では不一致となる。

カネならカネだけ、セックスならセックスだけ、仕事ならその場の仕事だけしか関心が向かない。人が即物的になれば
想像力が弱まり、頭が職別の専門的とか限定的になれば話題が其れ以上に広がらない。テレビやインターネットで情
報が多い筈なのに人々が分業化・専門化してお互いの見識が狭くなり、このため広い世間を狭くしている。

例えば、かつて日本人を30万人も虐殺した国である米国が今は「親日国」と言われているが、其れを鵜呑みにしてい
れば判断を誤るし、社会が益々険悪化している事実があるのに、NHKで「進化論」を垂れ流していれば此れも頭から
信じてしまうのでは誤った判断をする。昔からある因果律と言う法則を否定すれば、進化論のトリックに嵌るのです。

こうした勘違い、つまり最初にボタンを掛け違えば、次々掛け違える。例えば、良い天気や健康を当たり前と思って感
謝しない人は、病気探しをするため必ず病人になります。天気には不満を言い、自分の健康にしか関心が向かない人
は病気についての認識も狭いために自分中心となり、医者以外の他人の話を聞こうとはしない。

だから他人は接点を持てない。つまり相手になれないので、其の人は何処からも手を付けられない状態になって行く。
そうして最悪の事態になって行くのを他人が気付いても放置する外はない。どうしてあの時に、言ってくれなかったのか
と後に言われて悔いても無理なのです。家族も友人も同類ですから気が付かない。譬えアドバイスしても無駄。

その人は既に聞く耳を持たないために暴走し、行き着く所まで行き着く外は有りません。もう手の施しようがなくなって
自滅するのです。ですから不幸や不運を悲しんで泣いて暮らそうとも次々と災難が降り注ぐ。其れを其の都度泣いて他
人に訴えても他人には手が付けられない。手を貸せるのは、そうなる前である。

不幸にならない為には其の都度自ら反省し、その場から逃げずに祓い(別項を参照)清める外はない。しかし無知と無
反省が災いして其れをしないので不幸となる。逃げても追いかけて来るのが不幸です。とすれば、人生を諦める前に、
其れまでの考え方を改める良いチャンス。

不幸との巡り合わせは実は幸福へのスタートラインと気付いて欲しい(「幸」を参照)。

武家の力・・・・・・武家と公家とを比べると武家は常に公家の下にランク付けされる。だが中世の武家には高い見
識があり、民衆にも常に尊敬され支持されていたので公家はどうしようもなかった。公家はただ「氏より育ち」の家系と
血筋だけ(純粋培養)の存在だった。

其れに対して武人の多くは山伏など言わば修験者・高僧が多く、其の配下には多くの組織や経済力があり、各々が武
器を持つ北面、山伏、野武士、ワダツミ(水軍)などが各々生業としていたのである。武家の多くは一所で懸命に暮ら
す、半農半漁の言わば百姓でした。

百姓は一姓を護持する公家とは違って、農業だけではなくて「何でも出来る」と言う言わば多姓の事であり、マルチ人間
だったのである。しかし秀吉の刀狩りの後の江戸時代には身分が更に厳しくなり、士農工商のランクに規格化されて、
やっと幕末になって郷士と言うランクも加わって階級性の緩和、即ち秩序の崩壊が始まった。

▲ふさ・・・・・・・
▲ふし・・・・・・・
▲富士山・・・・・・・

不死鳥・・・・・・ギリシャ神話に登場する伝説上の鳥。500年経つと自ら神壇に昇って身を焼き、その灰の中から幼
鳥になって生まれ変わると言う。不死永世のシンボルとされる(「スモール・ビジネス」誌No.2より引用)。

▲富士塚・・・・・・・東京に散在する塚。昔の江戸では何処からでも富士山が見えた。江戸初期に「覚行」と言う僧が富
士講を始めて128回も富士登山をしたが、実際に富士山へ登れない人々の為に江戸の中に多くの富士塚を作った(06
/9/14NHKラジオ深夜便より引用)。


武士の素性・・・・・・今の社会で「当家は武士の家系だ」とか士族だった等と言えば自慢話に受け取られる。確か
に果たして胸を張って誇りに出来るかどうかは疑問である。武家とは言っても一概に名家とは言えないし、要するに人
殺しの家系であるから大なり小なり其の因縁を受ける。

よって自慢よりも人一倍社会奉仕に努める必要がある。武士の起源は物部氏ではない。時代はもっと下って日本を
「理想の仏国土」にしようとしたのが聖武・孝謙天皇でした。其の後に桓武が平安京を造って坂上田村麻呂を将軍にし
た。こうした過程で渡来人が朝廷の貴族や高官となり、文武を広めたし国事・仏事を司った。

従って律令・宗教・建築・土木・美術・工芸・武術・兵法・・・・など悉くが渡来人の支配する所となった。この中では和人た
ちが寺や武士を支配する側にはなかった。ただ寺の住持は東大寺など戒壇の律を受けた官人であり、その僧籍を持
っていたが、僧籍は出家した独身男性が主であるから妻帯しなかった。

従って嫡子がないので世襲がなく、弟子に引き継いだ。こうして寺が主となって日本は永く神仏習合時代を続ける事と
なるが、渡来人が広げた寺はやがて和人の寺となったものの、矢張り留学僧など渡来系が占めて来た。他方、国策と
して朝廷は東北平定を画策して坂上田村麻呂将軍を派遣したが彼も渡来人であった。

だから情け容赦なく東北のエミシを打ち滅ぼす事が出来た。平安時代の事である。彼は人格者とされているが、当時
は朝廷が悪辣だった。朝廷は既に渡来人たちが支配していたのである。彼らはこの同じ方法(渡来による征伐)を採っ
たので以後、武家の台頭となり、源平時代になった。

寺は和式とは別の仏教色を強め、軍事もまた渡来系の活躍する所となって寺と軍とが広く全国に拡散した。寺は世襲
がないから渡来系が薄まったものの、源平などの武士の場合は渡来系であっても出家せずに在家の僧として存在出
来たので、結局は武士も僧も世襲となった。

神仏習合時代は僧兵として、或いは広大な寺域や僧坊が城の出城や要塞となって機能した。時には僧都として或いは
逆に合法的な殺人を行える僧兵や武士として彼らは縦横無尽に活躍し、渡来系を誇って今日に至った。渡来人は土地
に固執した。よって以来、武士の時代も「一所懸命」で生きました。

或いは武士がなくなった明治以降は神官や官僚として日本を牛耳り、喰い千切ってすっかり駄目にしてしまった一面も
ある。

武士の本分・・・・・・武士とは人斬り(人殺し)稼業だったのか。確かに幕末の新撰組は「人斬り」として知られる
が、彼らの素性は武士ではなかった。武士とは身分制度の中で存在した御家人とか旗本、或いは家来などの職制であ
る。つまり素性が要件となり、其れはより古い昔に起因する。例えば頼朝は鎌倉で武家の棟梁となった。

其れまでの平家が天皇の配下として地位・領分を守ったのに対して、彼は天皇の国土を「切り取り自由」として戦ったの
だから、平家は初めから敵わなかった。武士が出来た由来は其の辺りである。彼は若いうちに「武家の棟梁」となった
が、先の理由によって楽に平家を滅ぼす事が出来た。

こうして台頭した武士たちは「人殺しの専門家」ではなく、建前上は氏神や先祖の本貫地に一生侍って命を懸ける「一
所懸命」の心で封建領地を守る人、または其の主家の元でサプライ(仕え)、忠誠を尽くす御家人としての存在でした。
例えば「弁慶の仁王立ち」は主君の義経を庇う為に盾となって集中砲火のような矢を浴びて果てた。

彼は斬ったのではなく、斬られて「立ち往生」して武士(モノノフ)の本分を見せた。とすれば矢張り、単なる「人斬り」を武
士と同列に見るのは誤解である。

其の点で先の新撰組は、当時の武士たちが「黒船」に腰を抜かし、其の本分を忘れて手も足も出なかった為に、新撰
組として斬って見せて、本物の武士の魂を見せてやったのであろう(「テロリスト」を参照)。高瀬広居著「翔べ、日本」
は、今こそ日本人の優れた資質に誇りを持とう。

日本を救うものは司馬遼太郎氏が生涯説き続けた「父性の復権」と「無私と仁愛」のサムライ魂である、と記している。

武士道は潔さ・・・・・・「花は桜木、人は武士」と言われ、日本人は散り際の綺麗な桜が好きであり、概して潔い。
中でも武士は主君の為に忠節を尽くし、最後は主命で死ぬ事を目指した。其れは鎧を見ても分かる。西洋の兵士やナ
イト(騎士)がブリキの継ぎ接ぎの没個性的な規格品の鎧であるが、源平の昔から日本の武士たちの鎧は派手だった。

しかも義経などは合戦の度に違う鎧を新調したと言う。このように武士はスタンドプレーで目立ち、自己PR・自己主張し
て華々しく散ろうとした(05/12/3日のNHK教育TVで作家の長部日出雄氏)。そして少なくとも幕末までは、「武士は二
君にまみえず」とか「己を知る者(主君)のために死す」と言う覚悟で生きた。

「義を見てせざるは勇なきなり」として武士が行動したとすれば、矢張り単なる「人斬り稼業」ではなかった(サムライを
参照)。だから士農工商のトップにランクされたのである。明治維新は260の小国群立から統一国家にしたものと言わ
れている。

であるが、江戸城の無血開城や廃藩置県は、一滴の血も流さず封建体制に潔く終止符を打って見事な最後を示した。
此れが士族の自己犠牲による大きな貢献度である。此れを諸外国の「血と暴力による革命}と比べると天地の開きが
ある。其処には、武力や既得権よりも「いさぎ良さ」があったからだ。この点でも今のお役人や警官とは全然別である。

新渡戸稲造はキリスト教徒になったが西欧の騎士道に対して英文で日本の「武士道」を唱えた。彼は寧ろ自分の魂を
西洋のFMに売ったが、当時の世間には武人の魂がまだ生き残っていたのである。

武士の末路・・・・・・明治初年の武士は40万人、家族を含めて士族が200万人いた。其れに対して政府は廃藩
置県を行った。此れは諸侯を廃して統一軍を編成し、税務には県知事を派遣しようとするものでした。

こうした無理な変革には抵抗が有ったので、内乱を防ぐために西郷隆盛が其の大役を引き受け、その後に「欧米に対
処する」と言う詔が出された。この大義名分のため騒動にはならず、261の藩主が天皇に恭順して270年間続いた幕
藩体制が終わった。こうした無血大改革は世界に比類ない事である。

ただ島津久光公だけが此れに応じなかったので、明治天皇が薩摩に出向いて説得した。武士は「戦うのが我等の役
目」と自負しても単に特権階級となっていただけで最早近代戦には適応できなかった。武士の特権を否定するために
明治5年には徴兵制が始まった。此れを金納に対する「血税」とも言った。

西郷は、一人矢表に立ってこの困難を実に潔くやり遂げた。当然士族からの反発もあったが、彼は西南戦争で其の責
任を取った。古い侍の世を終わらせた彼が、若い侍から担ぎ出されて、図らずも自分が作った「日本軍」と戦う事にな
り、其処で自ら侍としての死を選んだ(05/6/22のNHK総合TV「其のとき歴史が動いた」より一部引用)。

奉射祭・・・・・・祭りの前に四方に矢を撃って神域を清めようとした神事。或いは一定の方向に射って其の方向を示
し、もしくは戦いの前に音の出る鏑かぶら矢を放って合戦(宣戦布告)の合図とした。このため各地のこの種の神事には
独特の意味があり、時期は勿論、行列と進み方の動作の作法や的の数まで細かい規定がある。

1/3日には群馬・一宮町の貫前(ぬきさき)神社で水的神事。12/11の神機織神事の四方拝で使った桑弓と蓬の矢
を用いる。続いて1/7にも奉射神事をするが、此れは鬼退治の意味と言う(おお怖!)。
1/7日には鹿児島・川内市の新田神社で奉射祭(的射の神事)。

1/10松尾神社の奉射式は、京都西七条の御旅所で1/10と1/12に都合二回も行う。能舞台に幣を立て、組的の
裏に鬼の字を書いてブラ下げて、皆で寄って集ってウツのです(イジメの見本?)。

1/12(元は13)日、京都伏見の稲荷神社でも奉射祭(御弓始祭)。祭式の後に神職二人が的場に出て真弓で二回
射る。この弓矢は悪魔を除くと信じる信者から懇望される。また
1/13日には熊本・長洲町の四王子神社で破魔弓祭があり、此れを「的ばかい」と言う。

海に入って矢を奪い合うので裸祭りである。其の切れ端は火除けの護符となる。次に
5/14(昔は旧暦3/1〜3)日には島根・出雲大社で例祭の前に馬場で的射式と流鏑馬(やぶさめ)。由来は大穴牟
遅神が八十神を坂の御尾河瀬毎に追い詰めた古事によると言う(下記の二荒山も参照)。

★武術・・・・・・剣術、槍術、棒術、弓矢術、馬術、砲術、その他に忍術、柔術等、武芸百般があった。其れを指導した
のが指南番でした。つまり武の基本は方位です(武道を参照)。

普請・・・・・・建築の事。幕府には普請奉行、作事奉行、小普請奉行とがあり、何れも役料2000石以上の旗本が
なっていて、三奉行(寺社奉行、町奉行、勘定奉行)に次ぐ役職だった。普請奉行は石垣、堀、縄張り、屋敷割りから上
下水道などの土木担当。作事奉行は大工頭、下作事奉行、畳奉行、被官などを支配し、建物建築に携わった。

大工頭と言う、言わば技術官僚が、手大工と言う施工者や大棟梁と言う設計者らを使って普請事業を進めた。何れも
徳川縁の由緒有る家柄の者だったと言う。中でも作事方被官と言う役職は、言わば現場監督だったが、其れを監視す
る作事方仮役と言う役人もいた。

身分は低かったが、作事奉行直属の部下で、勘定吟味役が財務の不正を糾ただすのと並行して、普請現場を具つぶさ
検分して、大工頭や大棟梁の指示通りに工事をしているか、普請材木や石材などの吟味、工法の適正・不適正、強度
の検査などの不正があれば、老中に直訴する特権もあったと言う。

大工とは律令時代に木工たくみ寮(モクリョウ)に勤めた建築専門家の長に付けられた名称である。江戸時代は武家社会
であり、御定書百箇条には建築などに関する別段の定めはないものの、もしも今のような建築偽装や騙り(詐欺)に準
ずる行為があれば、極刑に処せられた(大要は月刊・PISC/06/1/作家・井川香四郎氏の記事より引用)。

布陣法・・・・・選挙などでは今でも紅白幕などを張って「出陣式」などと古臭い言葉を使うが、初陣でも先陣や出陣で
も、陣容でも布陣でも方位によらない設定は意味を成さない。恐らく、「天の時、地の理、人の和」を見ての出馬や出陣
なのであろうが、布陣とは選挙事務所の垂れ幕でもイス並べでもない。

特に天の時とは少なくとも暦であり、其れは方位による設定を意味した。また古来、戦陣の場合は先祖の墳墓でした。
つまり己の原点を見据えた上でスタートした事になります。地元の古墳に根小屋を作り、其処をやがて山城として囲
い、戦国期に郭を造って今に残る城とした。

▲ふす・・・・・
▲ふせ・・・・・

▲ふそ・・・・・
▲父祖・・・・・円系図を参照。

▲ふた・・・・・

・・・・・・容姿端麗な豚は鼻が上向きで胴長短足である。でも人は其れを高く評価しない。新約(マタイ)は「豚に真
珠」と言った。豚の前に真珠を投げてはならないと述べている。此れは日本の「猫に小判」の話と同じ(05/12/22のNH
K総合TVより引用)。

皆さん、鼻が上向きの人とか胴長短足の人を見て、「ブタだ」と笑ったり馬鹿にしますが、其れで良いのですか。私達を
「美味しい!」と言って食べている人もいるのですが、ブタはいない方が良いのですか?

■二手先・・・・・・寺院建築様式の一形式(科木共・トキョウ)で、柱の上を二股にするもの。両手を広げて軒・桁を受け
支える形である。

補陀洛渡海・・・・・・補陀洛信仰は観音信仰の一つである。観音経と言うのは妙法蓮華経・観音菩薩普門品第25
の事で、今から2000年前に作られて漢訳されたのが406年である。さてインド最南端の岬にホタラカと言う地が有り
航海安全の信仰が生まれて以来、今も観音聖地とされている。

これが仏教渡来以前に、インド僧の裸形上人によって青岸渡寺に伝わった。727年になると勝道上人によって観音信
仰の聖地が作られたのがフタラ、つまり日光とされている(アイヌ語の熊笹=フトラ説もある)。また仙台の瑞巌寺の場
合は遣唐使船によって運ばれたものと言われるが、聖徳太子のときにも仏教は伝わっていた(「観音」を参照)。

「熊野年代記」によれば、補陀洛渡海は、貞観10(868)年から享保7(1722)年までに20回行われたと言う(06/2/24の朝
日記事より一部引用)。

補陀洛渡海の実態・・・・・・前項の続き。仏教、特に平安密教に於いては即身成仏を説いたが、其の一つが観音
菩薩の浄土、即ち補陀落世界へ往生しようとしたものだった。所がその実態は、今のように美化されたものとは違っ
て、中世の堺、或いは熊野から高僧を死地に送り出す方便だったとも言われる。

日本に仏教が公伝する140年前、前述のインドの僧が那智に漂着した。彼は布きれ一枚を付けただけの行者だった
ので、裸形上人と言われた。彼が那智の滝つぼから如意輪観音を拾い上げて、開いた寺が青岸渡寺である。よって此
処が観音浄土の地とされるようになった。

しかも平安時代になると末法思想が起こり、平安京の南に位置する熊野が観音浄土であると知られるようになった。
となったものの、其れは更に海の彼方にあると信じられる事となり、此処から補陀洛渡海が始まった。

今、青岸渡寺は西国33ヶ所の第一番札所として観音信仰の巡礼者が訪れ、那智の滝が境内からも眺望できる所とし
て観光名所となっている。また補陀洛山寺は、千手観音立像を本尊とする補陀洛渡海上人縁りの地となって以来、平
安時代から何度も熊野から三隻の船が出て高僧を送り出した。850年間に20人余りが三艘の船で船出した。

しかし三艘の中の、高僧の乗った船だけは僅かの水と食糧を載せ、しかも必ずその後に沈没するようなお粗末な船で
あった。しかも南海の水平線の彼方はグアム島やサイパン島があるだけです。観音浄土と言うものの、浄土と言うより
大海原に過ぎない。

そうした大海に向けて、四方に鳥居を立てた入母屋造りの異様な船で漕ぎ出した。周囲から釘付けされて中からは出
られない箱舟でした。特に補陀洛山寺の住職の載った一隻だけは外から釘打ちされていた。此れはつまり、沈没しても
出て来られない仕掛けの船で旅立って、ひたすら極楽往生を願って読経すると言う悲壮感の漂う宗教儀礼でした。

実際、最後の渡海上人となった金光坊の場合は、其れまで既に三人の住職が61歳で「渡海」しており、怯えて途中の
小島に脱出を試みたが失敗した。再び無理やり船に乗せられたと言うのである。だから強い信仰心からと言うよりも、
年功序列で高僧が中々引退しないのでは下の者が手を焼く。

若い者より長老が重んじられた時代とは言え、年寄りの専横・老害が目立つ場合は、定年制ではないが、ある時期が
来ると周りから唆し、肩を叩くように死地に送り出す共同謀殺、ないし姥捨て山の代わりとして、其れまで彼が教えた
「即身成仏」の模範的実現を迫った訳であろう。

いや修行を積んだ高僧ならば生死など超越して死出の花道を演じきったかも知れないが、要するに邪魔者を水葬する
儀式だった。今もこの寺の裏山には渡海上人の供養塔が並んでいると言う。しかし中には運の良い方がいて、奇跡的
に琉球に流れ着いたとの記録もある。

さて即身成仏が出羽三山の場合は海への投棄、ないし投身自殺に代わって、「入城」と称して塚に封じて小窓だけにし
て自然死を待つ手段がとられた。従って此れもまたやや意地悪な仕返しである。実際、このミイラ化したものからは歓
喜と言うより苦しみの形相が見て取れる。因みに弘法大師もこの方法で高野山の奥の院へ「入定」している。

二荒山神社・・・・・日光の二荒山には男体山があり、神代に赤城山と戦ったと言う伝承があり、今の戦場ヶ原も同
じ由来を持つ。この由来から大己貴神を祭る二荒(フタラ)山神社では永く武射祭が行われて来た。

神々が中禅寺湖の奪い合いをしたが中々勝負が着かない。このため男体山の神が鹿島の神に手助けを頼んだ所、
「弓の名手の猿丸の力を借りたらどうか」と言われた。其処で東北の猿丸に頼みに行ったが、猿丸は白い鹿を追い駆
けていたので、其の鹿を日光に誘い込んで結果として猿丸も誘い込んだ。

其処で男体山の神は猿丸に正体を現して頼んで見た。そして彼は「私は大蛇に化けるので、赤城の大百足(ムカデ)と
の戦いが始まったら大蛇に味方してくれないか」と頼んだ。やがて何万もの蛇とムカデの争いが始まった。猿丸は中で
もひときわ大きなムカデに向って矢を放った所、大ムカデの目玉を射抜く事が出来た。

其の場が今の戦場ヶ原と勝負が浜である。ムカデは去った。喜んで歌を歌った所を歌が原と言う。昔は湖がもっと広く
て歌が原まで浜だった。勝負も今は花ショウブと思われている。日光は三つの山と三つの神仏を祭っている。

山は男体山と女峰山と太郎山、神はオオナムチ、タオリ姫、アジスキであり、仏名が各々阿弥陀、千手観音、馬頭観音
である。神は二荒山、仏は輪王寺で祭っている(06/4/23のラジオ深夜便より引用)。

因みに此れは実際の戦乱ではなくて、赤城山と男体山が略鬼門と裏鬼門に位置する。此の為、立春と立秋との暦法基
準線に位置する関係上、武射祭の縁起となったものと推測できる。また上記の補陀落信仰から此処がフタラサンとな
り、其処から二荒山の字を宛てた事から更に此の「二荒」が日光の漢字に変化した。

▲ふつ・・・・・
▲布津・・・・・・・

▲仏忌令・・・・・・・・ブッキレイ。物忌みに関する定め。例えば身内が亡くなった僧侶は参籠しない。此れは仏教にはな
かった禁忌であり、日本古来の掟。

仏教・・・・・月の教え。釈迦(仏陀を参照)が説いた教えだが、仏教は月の教えであるから水っぽく、水臭い。この点
を小倉紀蔵氏(韓国哲学者)は「海は仏教である」と論説(05/8/17毎日)した。其れによれば「山は毅然と其処に立ち、
天に向かって上昇している。・・・真っ直ぐとした主体である」。

つまり山が儒教的であるのに対して「海は何時も動いており、実体がなく、全てが関係している」。つまり「法界縁起の世
界であり、一即一切、一切即一の世界ではないか」。つまり「主体の解体、関係性の哲学」であり、「山はプレモダン(前
近代)、或いはモダン(近代)だが、海はポストモダン(脱近代)なのだ」と形容している。

仏教にもインド仏教とシナ仏教があって何れも素晴らしい教えであるが、自然環境や風習が違うので日本には馴染ま
なかった。其れでも日本に定着したのは仏教を国教とした聖武天皇のお陰である。其れでも中々庶民に浸透しなかっ
た。だが家康がキリシタン政策のため寺院を役場として寺請けさせ、庶民を組み入れた為に全て仏徒になった。

しかし所詮、唐天竺の風習であるから例えば仏教は先祖祭りを否定していたが、日本では皮肉にも菩提寺として定着
した。ただ火葬・散骨にしても中々浸透しない(定着したのは戦後の行政主導のお仕着せである)。仏教の僧籍にして
も男系相伝であったが、日本では例外的に尼が存在し、住職も妻帯するようになった。

また肉食も魚食もタブーであるが、其れは坊主でも今は守らない。と言う訳で、最早仏教が日本に有るとは言えない。
何れにせよ仏教は月の教えだから教条主義ではなくて妥協的である。よって打算的でもあるから意外に仏教寺院や仏
教徒は商売上手である(「月族」を参照)。

アジアは月の神の支配する農業地域であるから仏教文化が根付いたが、其れもアジア圏外に出れば余り通用しない。
通用するのは星のような火花を散らす戦いの教えではなくて平和の顔を見せる月の天下の教えです。ただ仏教は今や
殆ど消滅したが、月は変化の神であり、今は商売教として、今正に世界を席巻している。

特に日本国民などは仏教徒が大半であるから一億総商売人となった。其れにシナも戦後に中共政府が星の旗を掲げ
ていた間は貧乏国だったが、元々月の仏教国であり、日本のブルドーザー総師・田中角栄に見習った途端に一転して
今は「世界の工場」として仏教の月の仇花を咲かせて見せた。

因みに漢字で表す経済用語の「利益」や「投機」も仏教に由来する用語であった。

▲腹筋の鍛え方・・・・・腹筋運動がしんどいと言う方は犬になれば良い。犬がするようにハッハッハッとやって見ると直
ぐにお腹に力が付くのが分かるでしょう(05/5/19のNHK教育TVより引用)。

物質・・・・・エネルギーの死骸。と言えば反論する人が多いだろう。多くの人は物質にはエネルギーが充満していると
考えているからだが、エネルギーが有れば拡散して見えなくなってしまうのです。つまり人の目に見えるものにはエネル
ギーがない。其れを有ると見るのがモノカネ主義であり、そんな誤解からは正解が得られない。

人類は其の誤解によって色んなものを加工して作ったが、物からは精々原爆程度のものしか作れませんでした。原爆
は確かに巨大なエネルギーに見えます。けれども其れは、台風一個にさえ到底及ばないのですから「月とスッポン」で
す。

物質科学・・・・・前項を参照。物に価値やエネルギーがあると誤認して研究する分野の学科。此処では主観を排除
し、客観性を主とする。よって目に見える形で再現性(実証性)を重視する。此れにより人類は此れを大いに発展させ
た。しかし如何に物質科学が発展しようとも、幸福感は人の主観によって判決を下される宿命を持つ。

科学や学問はこの点においても、幸福よりは常に下位である。神や法則と言えども矢張りこの主観的な価値観には勝
てない。皮肉にも今は、科学が排除した筈の、「主観」によってオモチャの科学が裁かれているのです。


物証主義・・・・・・この世の法則は進化論ではなくて因果律で成り立っている。例えば交通事故の場合、物が動くの
は、動かそうとする意思、つまり人の心因が働いた結果である。だが意思は見えないために、結果論として物損等の状
態から判断するので、此れを「物証主義」と言う。

所が先に述べた通り、人間社会に於ける其の「因」とは本人の精神状態であり、潜在的には先祖の意思(霊界を参照)
が働いた結果に過ぎない。しかし先祖を嫌い、そんなものを否定する今の唯物科学では人の心が目に見えないから
「証拠にはならない」と否定する。

従って例えば警察が犯人を逮捕しても、「自白だけでは証拠にならぬ」として物的な裏づけを探す。物証が得られなけ
れば犯行動機、つまり意思が有ったかどうかを確認出来ないからだ。先祖を避けて否定する代わりのものとして、物だ
けに頼る近代唯物科学は、こうして物々の論理で処理する事になります。

でも其れでは何も分らず如何なる諸問題も解決不能となるのです。そして何よりの問題は犯罪の多発です。人は、「天
知る地知る我知る」意識が働けば悪事が出来ない。だが、近年の物質主義から神を否定し、無神論者を増やした事か
らこの公害を大きくした。

此れは「証拠がなければ分からない」と言う意識から狡さとなり、其れが犯罪増加に拍車をかけている訳です。そのほ
か、気候変動、医学・バイオ・病気・交通事故・・・・・・全て因果律で成り立ち、左右されている。この事は単一の先祖か
らでは分からなくても別記の円系図で分るのです。或いは病・貧・争の問題でも因果律により発生し、また収束する。

だから其れを他人が祓う事も、唯物科学で処理する事も無理なのてす(「因果律」、及び「祓い屋」を参照)。

▲ふつす・・・・・・・
▲ふつせ・・・・・・・

▲ふつそ・・・・・・・

仏像・・・・・・・人は何かに付けて心とか愛とか幸せとか神・仏と言うけれども、そうしたものは大抵見えない。ホント
に大切な存在は人の目には決して見えず、寧ろどうでも良い物や見たくも無い物に囲まれているのが浮世です。そんな
中で、「お釈迦様とはどう言うお方だったのか」と関心を持ち始めた人々に向けて、形にしたのが仏像です。

但し絵に描いたり像にしただけでは「仏作って魂入れず」の諺で笑われますので、入魂式を済ませてから仏像としてい
る。そうしなければ譬えミケランジェロとかダ・ビンチの作品であろうと、また如何に美しい芸術品であろうとも単なる絵
画か美術彫刻品とか骨董品・商品に過ぎません。

どんなに古くからお寺に秘蔵されている像であっても、其れらが全て仏像であるとは限らない。多くは尊像であり、或は
神像として作られた物もあります。大多数は菩薩像、明王、仁王(金剛力士)像とか羅漢とか言われるものです。お釈
迦様と無関係な像であれば厳密には仏像とは言わない。

ただ仏陀は色んなお姿に変化しますので、色んな仏像があります。種類、材質、年代、作者・・・の違いもある。材質で
は例えば7c飛鳥時代は楠(樟)で法隆寺の6尺9寸の百済観音(実は虚空蔵菩薩)を彫った。樟は特異な香気を放つ
が、其れに金箔や彩色をして仕上げた。

其れに対して吉野の蔵王権現などは桜の一木作り、白木造りである。奈良後期8cから平安初期9cには主として榧(か
や)を丸彫りして木肌の素地仕上げとしたものも多い。1300年余り経過した木でも樹脂が失われず、今も榧特有の香
気を放つ。だが線香やロウソクや護摩の煙で今は何れも黒くなっている。

榧材は白檀の代用とされた栢木(ハクボク)の思想が底流にあった。栢木も香木の1つであり、樹幹の捩れた巨樹(古
栢)が貴とばれた。平安後期になると、大きな仏像を造る為に数本の角材を寄せる木寄せ法が確立した。此の時に選
ばれたのが檜だった。檜は建築材としても加工し易く、狂いの少ない材であり、特有の匂いがある。

其の表面に布を貼り、漆を塗って下地を整え、矧ぎ目を隠した(06/12/5の朝日から一部引用)。また大きさについて一
言すれば、古い仏ほど念じ物(念持仏)として懐に入れるようなコケシ程度の大きさだった。其れが時代が下がるにつ
れて、人に見せるための物となり、大仏・巨物になって賽銭回収箱を付けたり拝観料を取るまで堕落して来ました。

ではもし暇が出来ましたら、そうした観点で寺院を訪ねて見ると良いでしょう。

仏壇・・・・・・・仏壇は極楽浄土の世界を黙示した様式の造りとなっている。其れが漆製でも黒檀製でも要するに極楽
のミニチュア版を象った物種であり、其処に暮す先祖霊をこの世から弔う(鎮魂する)場となります。

やや詳しく言えば、先祖霊を迎える場が祭壇(「白木の神棚」ではない)とすれば、仏壇はこの世から感謝の誠(エネル
ギー)を送る場である。丸い天に対して地には方形の場として祭壇や仏壇が設えられた。こうした「天円地方の理」によ
って今でも三宝と言う方形の盆に供物を載せて捧げる。

また神式祭壇の供物(ニエ)は山海の珍味など生物を供えるのに対して仏壇の場合の供物はお年寄りが好むような熟
撰(煮物)を主としてお茶を添えます。これが黄泉の食べ物である。其れらを漆器など塗り物の容器に入れて供える。
其処は夜の世界に対してですから灯明を点し、香を焚いて礼を捧げます。

▲ふて・・・・・・・

不定時法・・・・・・・・大昔の時刻はシバと言い、中世にはトキと言った。トキも12時法でしたが、今の機械的な定時
法ではなくて、自然な時間、つまりアナログの不定時法でした。此れは昼間と夜間とを何れも六等分したものですが、
四季によって昼夜の長さが伸び縮みすると言う自然に即した時間割りでした。

因みに今も午後三時頃を「お八つ」と言いますが、其れはお寺の鐘が八つ鳴ったからでした。また日の出と日没は明け
六つ、暮れ六つと言った。何れも鐘の音が六つ鳴ったのです。因みにサマータイムもこの不定時法の部類です。

フットプリント・・・・・ 以下、メルマガ「30秒で読む環境情報!」より転載。『 エコロジカル・フットプリント 』とは何
か? フットプリントは「足跡」ですが、エコロジカル・フットプリントは、人類が地球に与える「環境負荷」、「人が生きるた
めに、どれくらい土地を必要としているか」を示す指標です。

おもしろいのは、食料の生産、資源の消費、廃棄物の発生など全てを「土地面積(単位は ha/人 等)」に換算して計算
すること。そうすることによって、我々が地球何個分の生活をしているのか?何がどの程度負荷を与えているのかを知
ることができます。

■ 現状はどうなっているのか?国別のエコロジカル・フットプリントを比較すると、日本は大幅な赤字です。不足分は、
輸入等によって成り立っている訳です。世界中の人が日本人のような暮らしを始めたら、地球は2個必要。アメリカ人
のような暮らしなら、5個必要となります。

環境の許容限界を超えた状況が継続すると、巨大石像で有名なイースター島のような悲劇が訪れることが予測されま
す。人口が4000人まで膨れ上がった結果、森林を伐採し、食料を奪い合い、そして155人にまで減少してしまうような。
■ どういった活用方法が考えられるのか?

国や都市の評価、から持続可能な条件を確認することができます。また、下のような基礎データも参考になりそうです。
・電力供給 : 石炭 > 石油 > 天然ガス > 太陽光 > 風力
・貨物輸送 : 航空 > 道路 > 鉄道・船舶

・食料   : 肉類 > 魚類 > 豆類 > 穀物 > 果物 > 根菜・野菜
・水    : 洗濯 > 食器洗い > 風呂 > シャワー > トイレ > 飲料

そして、将来予測、企業経営、地域計画、製品評価、ライフスタイル等にも使用することが可能です。おむつの例をとり
あげると・・・使い捨て > 再使用(家庭で洗濯)> 再使用(クリーニング)エコロジカルフットプリントは、シンプルでイメ
ージしやすい、解りやすい指標だと思います。今後の活用が期待されます。

<関連資料>エコロジカル・フットプリント・ジャパン http://www.ecofoot.jp/top.html−−−−: http://plaza.rakuten.
co.jp/eco30/ 編集発行 登録解除 :http://www.mag2.com/m/0000125755.htm

▲ふと・・・・・・・
▲太・・・・・・・

武道・・・・・・武術を参照。最近のニュースでは不祥事や事故・災害が多発し暗い世相を見せている。其れは社会の
ストレスからである。何故そうなったかと言えばスポーツ(別項を参照)を教えたからです。日本にも古来、武術があった
が、其れを単に体力を付ける手段や娯楽とはせず、精神鍛錬をした上で師匠の眼鏡に適った者にだけ免許を与えた。

でも今は誰にでもスポーツを勧めるので精神的に未熟な者に武器を持たせるのと同じである。人を放置すれば争いを
好むようになります。其れは男性ホルモンが活発なときには攻撃性が高まるからだとも言われる。其れを自制するの
が精神力とか年長者の力である。

だから例えば明治に入って加納治五郎は其れまでの柔術を柔道と改め、格闘技よりも人の道、柔の道の精神修養を
重視するものとしたのです。

不動産・・・・・・・・・土地や建物は移動できない為に不動の資産と見られる。土地家屋は移動も売買も中々簡単では
ないので、不動性がある。だが資産とは言え時代によって価値観も変わり、相場も変動するので不変の資産とは言え
ない。所で昔は住処にしても作物の日当たりにしても@方位に土地の価値があった。

其れは別紙の「歳時記」で列挙しているので此処では先ず現実の話だけ述べれば、次はA高さである。暦を作る為の
天文観測の立地にしても軍事上の要塞としても見張りをするには谷地では無理なので周囲よりも一段と高い場所が選
ばれた。次はB地の利である。

例えば住居地の場合は交通の便と官公署や学校、病院、銀行、スーパーに近い所が良い。つまり町の中である。町に
は水路がなくても今は水道があるので少し小高い所が住宅地や工場や倉庫の立地や畑作にも適する。地の利は次の
水運にも関係する。第3としてはC水運や水利だった。

先ず稲作には湿地帯が要件になり、少なくとも水利がなければ水田耕作が出来ない。漁民にとっても漁場に近い湊が
必要であり、海軍にとっては航路を監視できる湊が第一要件となります。所がスピード社会となった今は駅から何分か
が土地値打ちに変わった。つまりBの地の利が言わば今の路線価である。

だがスピードなどは今だけの瞬間風速的な価値観ですから永い歴史の中ではかなり曖昧な価値でしかない。従って不
変・磐石の価値ではなくて今後どうなるかは不明です。古今東西、土地の価値は現金とイコールではなく、先祖や地域
との繋がりにあった。其れは本願地で子孫が「一所懸命」に暮らすと言う観念と共に封建時代まで続いた。

古来、日本では家制度が続いて来たが、此れは男系女系を問わず、継続が生命でした。少なくとも神武以来凡そ2000
余年、家は不動の価値観で見られた。其れは土地や建物と言うものに地縁や家系と言う繋がりが有った場合の値打ち
でした。中でも家は塚と同様に、先祖の依り代として、先祖祭りの基本(必要要件)でした。

其の祭りは家を基点に命日方位に向かって次の世代が新基点に家を作った。其れが遷宮・遷座の原理でした。古墳も
古都も古道もこの原理に基づいて造られました。古社寺も無論、其の例外ではなかった。つまり何れも@の方位で決し
ていた。

其れに対して近代社会では銭金で決するのを市場原理と言い、此れが一番進歩した経済原理と思われているが錯誤
かも知れません。路線化が価格を決定するので方位などは評価外の付録に過ぎなくなり、敢えて方位などを気にすれ
ば変人とか迷信家と思われて相手にされない。だが、日照権で言う日射・採光は方位である。

日照が不十分では部屋が暗いし洗濯物も乾かず不衛生となり、花壇も育たず耕地なら作物の生育もないので農業が
成り立たない。

さて次は其処に水利の便が有るかどうかで昔は決まった。このため四大文明が大河の流域や扇状地に栄え、日本で
も川筋から都市化した事が分かる。喩え中国のように広大な土地があっても砂漠では水がないので利用価値がない。
農耕のためには水利が必要であり、其の目的のために資金を集めて土木工事を計画する事になる。

このため多数の合意を集めて税金を取る事とした(目的税)。日本は秀吉による厳しい検地(測量改め)によって江戸
時代には石高制になった。

(目的税)は合理的な考え方と言える。其の目的が土木工事や祭りの為に使われるのであれば、更なる収量アップや
平和が期待出来るからです。だが何時の世も其れが終わっても徴税だけが継続され、官吏の生活維持や戦争に使わ
れた。こうなると納税が無意味となるし戦争を支える共犯関係にもなる。

戦争が防衛目的ならば受忍出来るが、土地から収奪して他国への領土的侵略で他国を苦しめ、或いは人殺しや経済
権益の拡張とするならば土地の評価に如何なる意味があるのか問題です。戦国時代はこうして軍資金を集めて軍事
に使った。

何れにせよ農耕地の面積(反)当たりの収穫量を想定して其れで土地を評価し、反(300坪)当たりの税額を決したのが
石高制でした。こうなると土地が方位から離れて先のC水利と路線化に近づき、其れに加えて山林は山林、農地は農
地、商店街は商店としての売上や所得から逆算して収益を割り出す。

其れが固定資産税の評価法や収益還元法と言う今の不動産鑑定法になった。数字で管理すれば其の上に都市計画
税も下水分担金もどんどん上乗せ出来る。しかしこうなると本来の土地の価格とは乖離して、税金の対象としての土地
と言う歪んだ価値に変わるので寧ろ家制度を否定し、居住権を侵害し排除して行く。

更に今は市場価値とか流通価値となり、従って何時の間にか不動産と言うよりも投資や投機の対象となり、不動産が
貨幣価値に化けて、流動資産化して来ました。

不動尊・・・・・・お不動様は目が憤怒の相をしていて手には剣と縄(羂ケン索)とを持ち、炎を背負った形相で立ってい
る明王です。仏教寺院では不動明王とも言って仏の部類にしているが、「不動尊」として日本的な尊号を持つので神で
あるかも知れない。仏法に従わない者を縄にかけ、或いは煩悩を火炎で焼き尽くし、剣で斬るとする教えです。

ただ此れについて異説を述べれば不動尊は天文観測の神だった。不動尊は大日如来の化身であるとも言われるが、
筆者には大黒天の化身とも感じられる。彼は太一(黄道の天極)の真下に立って、天空の28方位を区分し、其の目印
として特定の恒星を毎月の月の宿る宿とした(28宿を参照)。月の巡りが1ヶ月ほぼ28日であるからです。

このため、お正月の初不動から12ヶ月後の「終い不動」まで毎月28日を縁日として12方位(13佛を参照)を一巡す
る。しかし釈迦仏教には不動明王などはなくて、印度ではアチャラナータと言い、シヴァ神の異名(シバ神を参照)であ
る。日本でアッチと言えばアッチであって、インドから見たアッチは日本の事だったに違いない。

因みにチベットから見たインドはインドラ(南)であり、薬師十二神将のバサラ(丑=1時)神は東北(鬼門)の守護神で
ある(下記のマントラを参照)。チベットから見たバサラは日本でした。日の出の方位の日本には夷大黒が祭られてい
たりシバ神(香取の神)がいて其れは鬼門と裏鬼門に祭られ、更に「時の神」だった。

時の神が仏教に敵対する存在を処罰すると言う呪術的な意味・役割に変化した。大乗仏教により7c後半になると「大
日経」や「仁王般若経」が出て、良源が勅命によってこの修法で冷泉、円融天皇の病魔を退散させたと言う。其れが五
壇(五大明王)法であるが、外にも八大明王がある。

何れにせよ、不動は明王の中心的な立場(主尊・本尊)に立たされた。円珍による天台密教(聖護院など本山修験道)
の不動明王法で三井寺の金色不動の秘密真言はオン・マイタラシテイ・ソワカと唱える行者守護・除災の意味から山岳
信仰に結び付き、天台宗の千日回峰では必ずナマクサマンダバサラナン・センダマカロシャナ・ソワタヤ・ウンタラタ・カ
ンマンの真言(マントラ)を唱える。

また真言宗の五大明王法のマントラはナウマク・サマンダバサラナン・センダマカロシャナ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマ
ン、そして不動明王法ではナウマクサマンダバサラナン・センダマカロシャナ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマンである。

因みにサンスクリット語でバサラは「丑=1時」を意味する(12神将を参照)。つまりチベット高原から見て、日本は丑の
方角、時刻にして漆黒の0〜1時である。よって天の太一に対して月毎の28日には篝火(かがり火)を焚いて祭った事
を意味する。

つまり彼の姿は地上の基壇の12方位や28方位に索縄を張り巡らせて天体の日月星の各々の動きを定点観測したヒ
ジリの立場を表している。或いは不動明王は火炎を背負って右手に剣を立て、剣には倶利伽羅(梵語)竜王と言う黒い
火竜が巻き付いた形、または八大童子のクリカラ、コンガラ(金伽羅)童子たちを従える。

此の様式は八方を凝視する天文地理の神である事を黙示したものとも推定出来る。さて、埼玉・越谷市の大聖寺 (大
相模不動尊)は、越谷最古の寺院で、天宝勝宝2(750 )年に奈良の東大寺の開山で知られる良弁僧正が 、相模国
の大山で自ら刻んだ不動明王 ...(以上はf23.aaa.livedoor.jp/~mokuemon/daishouji.html -キャッシュから引用した)。

また其の大山不動尊である大山寺は、奈良の東大寺を開いた良弁僧正が、天平勝宝七年(七五五)に開山したのに
始まる。良弁僧正は相模国に生まれたが、間もなく鷲にさらわれて金鷲寺に入りそこで育った。晩年に及び、僧正は父
母を慕い当地を訪れて大山に登った。

嶺上に到ると、僧正は地面から五色の光が出ているのを見出し、不思議に思い岩を掘り返してみると石像の不動明王
が出現した。有難くも尊い像と、早速山頂に安置して加持を修し、不動明王を拝した。すると僧正の眼の前に光り輝く
不動明王が現れ、僧正に霊託を告げ始めた。

不動明王から、この山が彌勒菩薩の浄土であり、釈迦の代わりにこの山に出現して法を守護し衆生を利益していると
の託宣を受けた僧正は、この尊い不動明王の御姿をうつして像を謹刻し、さらなる衆生の救いを祈ったのである。不動
尊による衆生済度を発願した良弁僧正は、しばらく東大寺を離れる許しを得るため、一旦奈良に戻った。

聖武天皇は東国にも仏法の光を及ぼしたいと、僧正に勅願寺の宣下を賜った。天皇の勅許を得ると、東大寺建立の
際に協力した工匠・手中明王太郎を伴って大山に戻り、三年間当地に住して伽藍を整えた。こうして大山不動は東国
における最古の不動尊霊場として開山され、国家鎮護の霊場として栄えたのである。

此れは「関東三十六不動霊場ガイドブック」より引用したhttp://www.isbs.co.jp/hudou/hudou1.htmより転載。
先の越谷は東大寺から円暦方位で見て3/5方位に当たる。ユリウス3/5に対応する当時の暦では1/23日であったろう。
正月行事として奈良の「お水取り」を始めた良弁ほどの高僧が暦日方位を無視して不動尊を祭ったとは思えない。

さて全国的には平将門を降伏させたと言う寛朝開山の成田不動が有名だが、東京では高幡の外に江戸を守るために
目青、目赤、目白、目黒、目黄不動が置かれた(目黒不動も最古の不動尊と言われるが根拠不明)。何れも武家に深
く信仰されたからであるが、それは五方(別項参照)に対応する五大明王と言う意味もあった。

ただ其処でどんな事がなされたのか。密教であるから呪詛の実際や不動護摩法などは一般人が伺い知るのは無理と
しても、「不動金縛り」などの呪法の言葉だけは聞き及ぶ事もあろう。外にも北向き不動や波切り、水掛け不動などが
各地に残るし、毎月28日の縁日のお不動さんは庶民に親しまれている。

とは言うものの、あの憤怒の形相のお不動様は何ともおどろおどろしいお姿である。特に真っ暗な堂内に黒く立つのは
不気味であるが、元は五色に彩られていたのが、護摩に燻されて古い尊像ほど黒ずんでいるのである。何れにせよ尊
像は決まって火炎(カルラ炎)を背負って目を爛々と光らせ、右手に降魔の剣、左手に綱を持つ。

しかもコンガラ、セイタカの2童子や八大童子を従えて岩窟の上に立つ。だから消防署のご本尊や警察官のモデルに
すれば良いと思うのですが、今も各署には見られないのが残念である。いやそうならなかったのは彼らの神仏ではなく
て、暦・方位の神であったからだ。

▲ふな・・・・・・・・
▲鮒・・・・・・・・

▲舟人・・・・・・・・渡し。ワダツミ。船を参照。
▲ふに・・・・・・・・

不妊・・・・・・・・日本はかつて人口増で悩んで産児制限をして来ました。其れが見事に成功して今遂に少子高齢社
会を迎えました。だが目出度し目出度しとは言わないで、寧ろ少子を深刻な問題として捉えています。原因は過度の産
児制限によるものか、其れとも放射能なのか。日本は唯一原爆被災国です。

原爆による後遺症は色々ありますが、放射能汚染によるものもあります。8月に投下された場合、死の灰は日本列島
を覆います。其の上、戦後は定期的に健康診断としてレントゲンを濫用しました。原子炉の場合、今でも未婚の青年を
作業に就かせません。一定量以上のエックス線を浴びれば精子が損傷するからです。

こうなると医学的治療は無理です。日本は戦後、急速に医学が発展しました。健保の果たした役割が大きいが、何れ
も某国の得意とする分野である。国民は早期診断早期治療のキャッチフレーズで病院へ行って先ずレントゲンを撮ら
れた。日本人は太平洋戦争で欧米の利権(植民地)を殆ど奪ってしまった。だから絶対許せない。

教育も彼らに握られた。政府が少子化対策に積極的ではなかったのも彼らの意思である。大和民族を根絶やしにする
日本絶滅計画(別項を参照)がこうして着実に成功して行くのでしょう。

不妊治療・・・・・・・・主な治療法に@タイミング法Aホルモン療法B人工授精C体外受精D顕微授精がある。治
療者は03年の推計で約47万人。女性の平均年齢は36.9歳。平均治療回数はAホルモン療法の排卵誘発が17.2回、B
人工授精が8.8回、C体外受精が3.7回、D顕微授精が4回だった。

治療費総額は平均153万円。体外受精の経験者の4割が200万円以上だった。顕微授精の場合は職場には内緒でフ
レックスタイムなどを利用して治療を続ける。生理が始まると約10日間、排卵誘発剤の注射を打ち続ける。採卵日と受
精卵を子宮に戻す日は休む事になるので、次第に仕事との両立が難しくなる。

年間100万円の治療費を払うためには仕事を辞める訳にも行かない。年齢の限界もあるので焦る。こうした事から家電
業界では労使の合意で、不妊を理由に休暇・休職して治療するのを制度として認めようとする時代になって来た。シャ
ープは特別融資制度も新設する(06/3/13朝日記事より引用)。

厚労省は少子化対策の一環として、体外受精など保険適用外の不妊治療費への助成を、此れまでの10万円に対し
て、07年度から「年20万円」に、所得制限緩和して助成倍増と決めた。05年度の場合、約26000件の助成申請があり、
助成を受けている人は約85%(06/8/28朝日記事)。


不妊は心の問題・・・・・・・・言うまでも無い事ですが、男同士とか女同士では子供が出来ません。男女の別(違
い)がハッキリしていてプラスとマイナスが引き合い、スパークしなければ無理である。W形の男とM型の女では無理で
ある。先の「不妊」で述べた通り、戦後、連合国の意志により日本は色々変わった。

男女共学も男女の別をなくす事に成功しました。セックス、スポーツ、スクリーン(テレビ、パソコン)文化を日本に垂れ
流す戦略も成功しました(シオンの議定書を参照)。ジェンダーフリーも上手く行った。女性が働く事が当然とする社会
にしました。でも子供は若い女性でなければ産めない。

06/10/1の朝日には「働く女性が多ければ出生率が下がる」(政府の調査会報告)とあった。其れは当たり前であって
態々調査するまでもなかろう。仕事のために適齢期を過ぎたり、また職場で長くクーラーに冷やされていれば不妊の確
率が高まる。ピルをやったり堕胎をしていれば不妊になる可能性が高い。

過去を捨てて前向きにやろうとしても、そんなに都合よくは行きません。だがそんな例を別とすれば不妊は病気ではな
い。血の問題であり、種の問題である(血を参照)。生体的には年齢の問題もあろうが、何れにせよ原因は精神であ
る。

所が其れを認めたくないため社会のシステムを云々したり医学の問題にすり替えようとしているが、それが矛盾です。
若い者たちは昔から「一寸触っただけ」で出来てしまいます。

なので「出来ちゃった婚」が今も後を絶たない。また「女が若ければ男は80でもいける」と言うのが世間の通り相場であ
ると言う。其処で昔は小娘や幼女のうちに許婚としたり早めに嫁に出しました。親は世間体を考えて他人には「行儀見
習い」などを装ったが、要するに女中奉公でした。

そうしている間にお手つきとなって目出度く懐妊すればお女中から女房となった。或いは「足入れ」と言う風習も残した。
日本は昔から人口増で悩んだのは1部であり、家や因縁によって寧ろ何度も深刻な無嫡子・少子問題があった。特に
殿様・若様は生まれた時から跡継ぎの責任があった。だから取り巻きは早い内から女を侍らせました。

其れも領地・領民を守る役目からでした。庶民の側も子沢山か間引きか身売りの選択を常に迫られ、口減らしのため
とか労働力として子女をやり取りした。とすれば、嫁に出す前に花嫁修業や学歴を就けると言うのは逆理になる。行か
ず後家(ハイミス)になる心配です。白無垢の花嫁衣裳は、死出の「死に装束」を意味したでしょう。

其れは同時に、「教育は嫁ぎ先で受ける」と言う暗黙の了解があったものと思えます。何れにせよ、お産は人間をこの
世に生み出す貴い務めです。ただ学校とNHKではサルの子孫のサル先生たちがお猿の進化論を刷り込むので此処
まで少子化を深刻にしました(利子を参照)。

だから意識転換のために敢えて言えば、日本人は太古から神の国ですから私たちも神族の末裔と思って良い。とすれ
ば女性は言わば神の子を生産するメーカーです。ですから男性よりもかなり意識が高く出産に対する心構えも半端で
はない。性行為によって妊娠・出産するのが普通だが、出産を願っていながら妊娠しないケースが不妊です。

不妊とはその貴い務めを願いながらも中々叶えられない状態、願望の成就しないと言う問題であり、先のような学歴・
ハイミスの無理難題も有るが心の問題もある。心は因縁と本性の問題であり、因縁については「少子化」を見て頂くとし
て、本性について述べる。

先祖や因縁と言う先天性の問題と後天的な問題がある。先祖や前世から引き継いだ心や血流も有りますから、自分の
心の有り方や先祖に先ず関心を払うべきが順序です(妊娠を参照)。後者では自分の過去の生き方やトラブルがあり
ます。所が今の日本人は其処から逃げていきなり、物質的な側面だけに偏った員数主義になる。

胎児を肉体と看做して、出産を物質の生産行為と見てしまう。其れも完全に間違とは言えないが物事の反面だけしか
見ていないために正解ではなくて不妊問題を発生させます((「縁結び祈願の寺」、妊娠、成木攻め、日立帯、子沢山を
参照)。

言うまでもなく出産とは受胎し月が巡って無事にヒタチ、人の子として子宝を授かる事であり、此れを日本では昔から
「神様からの授かりモノ」として喜んだ。つまり物をプレゼントされるのではなくて魂を持つ人を預かる事に貴さがあっ
た。所が今は「昔の人は未開で野蛮で無知であり、其れに比べて今は遥かに進化した」と錯覚させられて来た。

だから真っ先に物質科学的な西洋医学や医療にだけに目を向けて、其の前にもっと心を配るべき魂とか精神的問題
に関心が向かない。とすれば、モノカネ主義者に変化し、人間性が退化しただけです。よって少しばかり学歴を付けた
現代人は、ジェンダーフリーのイデオロギーに被れて、昔のやり方を遅れたものと見下してしまう。

其処で「不妊」と言えば直ぐ短絡的に医学の問題と判断するようだ(此れを体的、または即物的と言う)。外にも例えば
インターネットで「不妊」の検索をすれば全て医学や医療の問題ばかり出て来ますので驚く外はない。こうした無知・軽
薄さ・知識偏重・物質主義の異様さに日本人自身が気が付かないとすれば少し変ではないか。

玩具店でオモチャを買って来る様に子供が買えるとは思ってはいないだろうが、日本人から精神性が希薄になった。
「心」に目を向けたページが皆無なので此処でページを割いて敢えて一言しているのですが、モノカネ主義者が動物と
同じセックスと言う行為の結果、人の親として肉の塊(かたまり)としての子供を生産する訳ではない。

そんな家内工業的な行為や解釈であれば、昔の人の出産と同じである筈がない。それでは生まれて来る子が可愛そう
です。いや寧ろ、そうした不憫な子を増やさないために先祖たちが仕組んだトリックが少子化と言う現象であると見たほ
うが良い。何時の時代でも「出来の悪い子供を再生産したくない」と思うのが親心と言うものです。

そうした親心を察しながら此処で筆者が余計な事を言ってしまえば水の泡、親心に背く事になります。だから余り言い
たくはなかったが、心の問題に漸く気付いたのか、数ある検索の中を掻い潜って此のページを訪問する方が結構多い
ので、其れに免じて話を進める。最近の神々は「種無しとウマヅメ」を設定して少子化を図っているようです。

世の為にならない家系を根絶やしにする計画である。ですから心よりもモノカネ主義に嵌った大多数の人たちはどうぞ
病院に通って、次々と金を捧げて自分たちの体をイジクリ回されて結局滅びの道へ向って下さい。其れが神々や先祖
たちの計画なのだから。其の事は先祖もご本人も内心気付いている筈だ。

此れから大変な時代になると予見して、出産に戸惑い、二の足を踏んでいる面もある(未来カレンダーを参照)。
折角セットした其の設定を此処で筆者が暴露して変更するのに手を貸すのは先祖たちの計画を妨害する事になります
が、それよりも今は心の問題に気付いた方を祝福したいので少し述べる。

ですからどうぞ真剣に受胎と誕生を待ち、無事出産して頂きたいと思うので敢えてメッセージを付けて解説して見る。
この世に祝福されて迎えられ、目出度く出て来るのは肉の塊としての生きた物質や死産の胎児ではなくて、身も心もあ
るうぶ子です。ですから心や精神を何も考えない人たちがかくも圧倒的に多くなったとすれば何とも嘆かわしい。

先祖を祭らず老親を放り出して不潔なペットと暮らす因縁もまた問題です。此れが先ず不妊・少子化とする一因(「猫」、
及び「ペットを飼う因縁」を参照)であり、幼児虐待(別項参照)の問題もあるので不妊となるのも当然の世相です。

ただ一般的には不妊の理由として精子少、排卵障害、出血流産、子宮内膜症などで不妊症と診断し、其の患者に対し
て前項のような色んな治療をするのが今の医学です。此れまで問題が多かったのは医学にも患者にも意識の間違い
が有るからです。

子供は授かりモノと言われて来たのに、「病院へ行けば何とかなる」と言う夫婦の医学迷信が第一の問題。病院へ診
断に行けば、医者は適当な病名を付けてくれるけれども、それらは何れも症状名であって根本的な病因ではない。譬
え病因が分かったとしても医学では2割以下の改善しか出来ないのです。

以下、新聞記事から引用すれば、人工授精24回、体外受精3回、顕微授精21回で其の費用は医療保険の対象外で
すから500万円以上掛かる。其れでも厚生労働省の推計では03年で46万6900人が不妊治療を受けたので、4年
間で1.6倍に増えたと言う。体外受精をしても妊娠に成功する確率はたったの2割です(「体外受精」を参照)。

凍結胚移植は一回100万円。薬の副作用もある。少子化時代となった事から、不妊治療に対して今は国が一部を補
助するようになったが、其れで妊娠率が上がる訳でもない。夫婦が如何に不妊治療に期待しても、結果は負担と落胆
の繰り返しと言うのが現実です(05/1/12毎日新聞記事より一部引用)。前項の「不妊治療」も参照。

更に05/8/28のNHKTVニュースが、「不妊治療施設の83%が不衛生と判明」と報じた。

さて繰り返しになるが、子供が出来ずに「少子化」となるには其れなりの原因が有る。心です。心とは先天性の因果・因
縁つまり先祖であり、次は此れまでのご本人たちの半生の生き方について反省する必要もある。学歴や恋愛経験、海
外旅行やペットとの同居は直接の原因ではないがマイナスに作用する(セックスを参照)。

よって此れからの改善策としては、男性側は特に先祖祭りをする事。また女性側は月神崇拝に切り替える事です。古
来、男性には「種無し」が問題となり、また女性も貴い使命を果たさない「うまづめ」はお払い箱となった。女性週刊誌M
AQUIA06/6月号の見出しには「生き方は体に表れる」とあった。此れも至言である。

女性は年齢や学歴と共に体が硬くなって来ますので出産までは月のように身も心もしなやかさが第一です。そのほか
当然ながら、若いときに避妊をしていた場合は不妊となるケースが多い。両家の親が心配して、「もし役に立てる事が
有れば」と思うなら、銭金を出して病院へ行かせる事ではない。

其れよりも男性側の親は先祖に頼む事だ。そうすれば知的に変化して男性らしくなる。そして親も自分自身の心のあり
方を問い、特に普段の会話で「言挙げ」に注意する事です(「ことたま」を参照)。

それでも駄目なら若夫婦に代わって先祖の鎮魂と「迎え」をする事です。出来れば一系統ではなくて別紙の円系図(別
項参照)で先祖を次々発見して供養する事であり、男性側は先祖祭り、女性側は月を祭る事です。

そうすれば先祖の縁日には其の方位から分け御魂(別項を参照)がやって来て若嫁さんの肩に乗るでしょう(「勾玉」、
のろい」と「日たち帯」を参照)。(別項参照)は小さな種を大きく育て、花を咲かせて実を結ばせる妙なる力のある神
である。此の力は物質科学や医学ではないのです。

具体的には金銭問題ではなく、日舞、ヨーガ、気功、水神、観音信仰、などに目を向ける事です。医学でも経済問題で
もない。

女性の特質を捨てて、男性に肩を並べようとした結果として、何が何だか分からなくしたのではないか(「男女の極
性」を参照)。そして恋愛と結婚に関しては経済問題に不安を持たない事。不安は一番のブレーキになります。
所で06/6/1には出生率が更に1.25と発表した。此れを1.25ショックと言う。

所が厚労省はカネも目玉も無し。お産をするお産施設も全国に3000ヶ所しかない事も判明した。医師は8000人余りに
急減した。しかも実態は厚労省の発表よりも少なくて半数しかない事が日本産科婦人科学会の調べで分かった(06/6/
15朝日新聞)。でも不妊を其のせいにしてはならない。昔から全国には産婆さんが活躍していた。

しかし此れまでは産婆よりも妊婦は産院を希望した。従って医師や産院は過酷な勤務や訴訟を受けるケースが増加
し、更に少子化でやっていられないから激減(他へ転向)したのだ。

日本は少子化したが、東南アジアを見て下さい。日本よりも経済環境や医学が整っていないのに何処も多産で人口爆
発しています。其処は月を神として祭る夢のある国々だからです。不妊は肉体の問題ではなくて心、即ち「不安がある」
からです。ですから経済的な不安を心配していては駄目だ。

此れは先の月神圏で多産である事に気付けば分かる筈です。「生まれて来る子供は自分の一生の食い扶持を背負っ
て出て来る」と故・岡田茂吉翁が言い残した。取り越し苦労する事がブレーキとして働くのです。昔から「貧乏人の子沢
山」かせ世間の常識でした。

其の道理を無視して、「経済力が出来たから次は子供が欲しい」と言うのでは無理が有る。金か子宝か、どちらかにし
て貰いたい。でなければ不公平である。男子側には先祖の問題もあり、或いは夫婦の此れまでの因果による。人は
各々千差万別ですから色んな原因と色んな解決法があるが一律に見る医学では無理であり非力過ぎる。

不妊となった夫婦が其れに気付いて心に目を向けたらきっと幸せになり、問題から救われるでしょう。どうぞ安心して新
たな御魂を迎え、無事受胎し出産するように祈ります。ただ年齢的に無理となったら潔く諦めて肉体奉仕や別の道に転
換した方が良い。人は十人十色です。各々他人とは別の使命をもって生まれて来ます。

子作り・子育てだけが人生ではない訳です。例えば筋肉労働と人殺し稼業だった武家筋の家系では誰かが出家して敵
味方の霊の菩提を弔った。出家とは僧籍に入る事であり、妻帯しないので嫡子が出来ない。だから社会的に同情が集
まった。また此れは社会的に貢献度が大きいので死刑さえ免れるものでした。

また今でも修道院では男女別々であり、一生独身で神仏に仕え、人を教育し、慈善事業に尽くす尊い存在となる。或い
は戦争末期の特攻隊は若い命を国難に捧げました。或いは嫡子がない分、代りに養子や里子を預かって育てる事も
有りました。一族や他人の栄達や事業に献身して会社を育て、社会に尽くして立派な名を残した方々も多いのです。

このようにどうしても実子に恵まれない人は別の使命があると見て良い。











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