http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page338.html


     日知り事典       百〜ヒン


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・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

・・・・・・ヒャク。もも。一(水平)の下に「白」と書いて百とした。10の2乗。または多数、多くの事を意味する。

▲百会・・・・・ひゃくえ。頭頂にあるツボ。旋毛。肉体の神経が百も集まると言う意味。なので此処を抑えれば便秘も忽
ち解消する。つまり胃腸のスイッチでもある。但し馬の場合の百会は頭頂ではなくて背梁(せみね)の尻の最高の所か
ら少し前の所。

▲百姓・・・・・農家。但し農業専従者と言うよりも職業的には「百の姓」の言わばマルチ人間の事だった。別紙の月の
暦(陰陽暦)の「百姓」、及び「自然界」、「生育サイクル」を参照。

びょう・・・・・・貴人の墓地。其の字体は「广」に朝で、即ち朝日を観測できる場を要件とした事が伺える。

憑依・・・・・・物の怪(霊体・幽体)が人や獣に取憑いて内部からコントロールする事。犬なら狂犬となり人なら狂人
となる事。人の場合では其の人が先祖を祭っていれば、その血が正しく日(霊)次されるので憑依で支障が出ないが、
祀らない場合が問題となる。

祀れば家族の魂が正常であるから心身が健全であり、それであれば先祖霊がガードしているので問題はない。だが供
養も祭りもしない場合は血が濁り、気力・体力が衰えて来るので、この場合は他から憑依され易く、或いは低級霊に興
味を持っただけでも同調して憑依される事がある。

憑依体は死霊、特に人霊が死後、様々な獣と同化して化け物となったものが命あるものに取り憑く現象の事である。憑
依されると一体感があって一時は心地良い事も有る。

だが此れを他人が正常な目で見れば目つきが変わって異様であったりある種の動きがある。例えば小刻みに震えたり
体を揺らす。だから「変だ」と分かる人は良いが、気付かない場合が多いので要注意であり、此れを古来「憑き物とかモ
ノノケ」として恐れた。また希には死霊ではなく、生きている人魂が生霊として、他人に憑依する事もある。

死霊が生きている人の体に入り込む事は霊界では許されない行為である。しかしまだ霊界に達していないモノである場
合はこのタブーを知らないので始末が悪い。其処が幽霊のいる幽界と言う世界です。此処は霊界ほど厳しい束縛がな
いので、短期間は存在できる世界である。

何故此処にいるかと言えば、誰も其の死霊を弔わなかったため、行くべき所がなく迷っていたり、其の存在を此方に示
そうとしている場合です。こうした霊は、再び生まれ変わって生前の恨みを果たそうとか、やり残した仕事を成し遂げよ
うとする執念亡者の世界であるが、やがて人への再生が無理と分かるので次は誰かの肉体に乗り移ろうとする。

こうして旨く行けば他人を支配し、やがて思いを遂げようと執念に燃えて頑張る事になる。だから其れに懸かられない
ためには自分の先祖のバリアーが欠かせない。そのためには普段から先祖を意識する必要があり、そのためには先
祖祭りや弔いが大切です。

でもこうした行為を嫌う人が今は大多数ですから、多くの人は実は幾つもの亡者・霊体に既に憑依されている。人が幾
ら上等な衣服や装身具で身を飾ろうとも、先祖や神を忘れた程度に比例して、其れに代わって魂の周りには一杯、ゴミ
の様な霊魂がとり憑いている。其れが「穢れ」である。

その結果、ご本人が譬え「自分の自由意思」と思い込んで考えたり、欲求のまま行為した場合も、実は彼らの本能のま
ま動く。問題は自分の意思ではなくて何かに憑き動かされてしまう場合が多く、例えば輸血後に急に肉食好きになった
人も要注意だ。

また大酒飲みを普通は「酒豪」と言うが、此れだって飲んでいるのは「ウワバミ」や龍(ミズチ)や天狗の類である。つま
りご本人は僅かに酒を味わうだけである。そして使われた挙句、結局苦しみや病気を残す。或いは霊体の恨みなどが
移写して感情が昂り、ご当人の判断を誤らせて事件・事故を誘発するのです。

こうした霊体に憑依されるのは疲れや酒で眠気を催す時である。或いは恣意的に呼び込む場合には瞑想をする。寺で
は酒が飲めないから座禅をした訳だが、実は傍に誰かが居なければ座禅は危険性が高い。ともあれ憑依には悪寒や
熱感が伴う。前者は女性的、後者は男性的な霊体であるものの、悪寒の方が危険である。

悪寒の多くは性別よりも死霊によるからなので、夏でも悪寒がするような異常に気づいた場合は早く処置する事です。
適切な祓いをすれば処置できる(治る)ものの、其れに無知であれば医学信心によって対症する事になるが、原因が
風邪による寒気や熱発ではないから毛布を頭から被っても温まらないし、解熱剤を投与しても無意味である。

悪寒の場合は風呂に入ったり火に当れば祓えるかも知れないが、普通は無駄な医学的な対症療法に走るので解決し
ない。精神錯乱や異常と言うのも此れによる。何れにせよ、憑依された人は霊動と言う現象を見せる。彼らは脳天の後
ろから入って小刻みに体を震えさせたり揺れ動かす。

或いは人前でも動物的な仕草を始める。其れに誰も気づかない場合はやられる。次第にご当人の人相が変わって来
るし、性格が変わったり精神に錯乱を起こし、騒ぎ出したり事件や事故を起こす事になる。しかし多くの人は既に幾つも
の霊体に憑依されている事にも気づかずに一個の人間として振舞うから困る。

人は誰でも平等な一人前の人間として扱われたいと思う。けれども見かけ以上に実体はより千差万別である。極論す
れば多くが人の皮を被った獣たちに支配されているのだ。其れに気づく事もなく一生を無難に過ごす例も多いし、寧
ろ、憑依した獣や蛮霊・魔物の力を借りて成功者となる例がもっと多いのである。

スポーツ選手や政治屋たちは獣の力を借りて人と闘い、シャーマンや宗教屋も獣や蛇の思念に頼り、或いは占い師や
博打打も商人も狐霊に助けられるがやがて見限られたり裏切られる。そうした相関性も、飲酒の席や争いの場、また
はスポーツの場やテレビカメラの被写体となれば殆ど本性を浮き上がらせる。

其の点を見定めるために古来、商談や付き合いを始める場合の心得として、挨拶代わりに先ず酒宴を設けて相手を
接待し、かの人柄の実体(人品・素性)を観察して探るのである。因みに動物霊の特長は、人の心も社会の決まりも直
ぐには理解できないから兎角感情的であり、無暗に怒り出す。

其の他、龍、蛇、狸、狐、サル、犬、天狗や河童など、各々性格が違う働きをするから面白い。例えば笑い上戸、しゃ
べり、泣き上戸、犬食い、等はお馴染みの所と思うが他にも、タカリカラス、妬み猫と眠り猫、お経に似た蛇の雄弁家、
嘘つき威張り狐、タヌキは踊るか狸寝入り。

大言壮語の虎、大法螺吹き天狗、威張り龍、暴れ熊、など枚挙に暇がない。何れも面白い醜態を曝け出すので、暮々
も酒の席ではご注意を。更に言えば、輸血によって憑依する亡霊は今の人とは別の血に憑く異物である。異物によっ
て今の人の血が濁り、目も濁り、心も濁って来ますので健康から遠ざかり、病気の問屋になる。

ですから手術はなるべく避けるのが賢明です。或いは役職に就いた者が病気になっても居座る場合は彼に警戒すべき
です。そして外人は無闇に他人と握手を交わしたりキスをするが此れを見習ってはならない。不注意に他家の墓石や
仏壇に触れたりするのも避けるべきである。

憑依霊・・・・・・・・憑き物。憑依する神や霊体の事で、その種類を判断する人を霊媒・シャーマンと言い、古くはサニ
ワと言い、審神とも書いた。霊を呼べばやって来るが、其の本人のレベルに応じた霊が来て同調した時に憑ひょう霊現象
を見せる。

血筋と作法と時期に従って一定の依り代と場で行えば神霊が下るが、普通は求めた神霊ではなくて、其の本人が善行
したいと思えば善霊が来るし、また何も呼んだつもりではないにも拘わらず邪悪な心であれば、其れに同調した邪悪な
霊が一杯とり憑く。

病因・・・・・・病気の原因。人には十人十色が有るように、病気も一律ではなくて多様ですから百人百様の病因が有
る。先天性も後天性のものも有り、精神性や社会性のものもあります。従って占いで判定しても良いし、江戸時代まで
は加持祈祷や湯治で治しました。

所が自由主義と言う現代日本で其れをすれば病気を治しても、医師法違反で処罰される。とすれば此れは狭量な一神
教か独裁制ではないのか。西洋医学が治せないのに此れしか認めないと言うのが果たして科学的な文化国家と言え
るのだろうか。まぁ此処では原因を生理学や病理学ではなく物事の因果律で見てみよう。

例えば花粉症について、かの細木数子先生は次のようにおっしゃった。彼女はテレビの中で、「他人の話を聞かない人
が目に来るし、思い上がった人が鼻詰まりと呼吸が苦しくなる。だから心を柔らかくして花粉であっても消化するように
しなさい」とご託宣していた。

何れにせよ余り神経過敏にならず、気持ちを大らかにして花粉を嫌わずに寧ろ、杉エキスや花粉茶でも作って飲み親
しめば免疫力を和らげる事でしょう。彼女はまた足腰の痛みについて、他人を踏みつけにして来た因果であると言う。
こうして見ると矢張り「病いは気から」と言えます。

いや厳密には上記の憑依によるケースが多い。ですから近代迷信医学で「犯人探し」せずに、また余り取りこし苦労せ
ずに常々感謝の心を持って生きましょう(「食べ物の因果」、及び下記、及び「わづらひ」も参照下さい)。

病院・・・・・・1時間待ち3分治療の高額医療費集金所。診断して病名だけ付けて料金を取る所。各種の検査漬け、
大量の薬漬けをする所・・・・と、こう事実を元に定義すれば反感を持たれるに違いない。けれどもホントに治療する所
であるなら、病院と言わずに治療院とするほうが良かろう。

何れにせよ文字から見ても寺院や美容院と病院とは似た響きです。此処は実際、病気を治さず当然のように高額医療
費を要求する「金院」となった。或いは犯罪者や被疑者となった政治家や実業界の要人などの悪人たちが悪事がバレ
た時に逃げ込む「駆け込み寺」となった。病人と精神障害者は今の日本では甘やかされるし逮捕されないからである。

こう言う訳で保険制度の寄与と高度医療を期待する人たちとに支えられて各地に各種の病院が出来た。病院がある町
が良い町で、安心できると思う人が増えた。しかし此れが正常な社会と言えるだろうか。病院や薬局の多い街ほど異常
な町なのだ。事実を言うなら今の病院は入れば出口が無い「死院」である。

ですから病院が増えるよりも宗教や文化施設があるほうが健全であり活気がある。病人がいない町こそ健全な町では
ないか。そういう風に今の異常な観念を反転させない限り都市への集中が止まらず、過疎地が増加の一途となろう。

病院の実態・・・・・・人がもし病気に罹れば高度医療が受けられる。此れが現代日本の理想の姿として遂に現実
化して来ました。彼方此方に綺麗な病院が出来た。けれども施設や人員が増えただけですから病気回復を期待するな
ら裏切られる。下手な川柳を言えば、あの「優しさに惹かれて入る蟻地獄」(病死人)。

入るのは簡単だが、出口は霊安室から葬儀社に直結している。大体、医院とか病院と言う字は寺院と同類である。健
康的な天国を期待して入っても、其処は医術による算術の世界であり、寺院や墓地へ一番近いバーチャル空間であ
る。患者は健康回復を夢見て痛みに耐えて長く待ち、三分治療、検査漬け、薬漬けにされるだけ。

患者が望むので例外なく病名は付けてくれます。つまり此処は病気の回復所ではなくて病人メーカーなのです。ですか
ら算術が成り立ち、病院が乱立する結果となった。病人を治していたら病人が減って経営は成り立たないのが物の道
理と言うものです。ですから医療費と言う名目の料金を払って健康回復以前にモルモットにされる。

連日、マスコミが医療ミスを報道している通り、今の医学では病気を治せない上、死人メーカーとなっています。元々病
院は人を治す目的で存在した筈なのに、結果から見れば、治さずゼニにして一番多くの死者を出す施設になった。患
者は、見掛けが明るく綺麗なので錯覚するが、霊的には病院は真っ暗である。

病院が綺麗に見えても、霊的には痛みや苦しみを訴え絶叫する亡者たちの怨念の溜まり場です。ですから、幾ら健全
な人でも、もし此処に近づけば多少は憑依されておかしくなり、簡単に病人になります。

或いはもし入院患者を見舞いに行けば其の患者は喜んで見舞いの品々を見せた上、其れを「食べてと気前良くば
ら撒くでしょうが、決してそんな穢れモノを頂いてはいけない。

祭りの後で、神様のお下がりとしての神饌なら有り難く頂戴すれば良いが、院内感染の多い不潔な病院で、病人のお
下がりを貰って食べたら、此れも病院への片道切符になりますよ。

氷河・・・・・・氷河は何故出来たのか。また其れが溶けて間氷期になり、再び氷河期に入る周期は果たして何万年
なのか。其れには定説がない。何分、古くても新しくても氷は溶けてしまって後に残らないからである。地質学的に研究
されているものの、氷河の原因や実態はハッキリしない(全球凍結を参照)。

歳差運動説もあるが、寧ろ太陽黒点数の変化、つまり太陽の1年(2.5万年)の寒暖の差で生成消滅するものと推定し
たほうが良さそうである。ともあれ2万年前、日本も氷河期だった。06/4/4のNHK教育TVによれば、2万年前、海面が
120m低くなったとすれば、北海道は樺太を通じて大陸と繋がり、九州も対馬海峡と朝鮮半島が繋がると言う。

このためマンモスやナウマン象が渡って来て、人の往来もあったと推定している。当時は旧石器時代であり、黒曜石が
ナイフとして使われた。黒曜石はガラス質なので加工し易かった(引用以上)。

そして氷河期末期の1.2万年前、ユーラシア大陸と北米・アラスカとは氷河でまだ繋がっていたので、マンモスがアラス
カからも出土する。そして縄文時代になり、温暖化が始まった。海面が低かったため、例えば今の東京都内(下町)でさ
え高台になっていた。其れが6000年前(縄文時代)では温暖化で海進となり、武蔵野台地辺りまで海が迫った。

★さて今は温暖化の影響により、中国の氷河面積が、この約40年間で7%減少したことが、中国科学院青蔵高原研
究所の調査で判明しました。一方、EU(欧州連合)では、2050年にはスイス・アルプスの氷河の75%が消滅すると予
測しています。

世界の氷河の90%が集中する南極では、低温の中心部の氷河がすぐに融ける事はないと考えられていますが、沿岸
の氷河と氷床は解けて来ています(「温暖化」を参照)。
アジアでも高山地帯では氷河の融解が急速に進んでいる。

甘粛省の七一(チーイー)氷河(標高4300~5100m)は02年には2.6平方キロに減少し、氷の厚さは昨年より2mも薄
い。85〜02年には6.95mも減っていた。氷河全体の体積は、75年からの27年間で約1割失われた計算になる。
氷河が溶けると、其の融解水に頼って来た大陸中央部の水供給が不安定になる(04/10/18「毎日」)。

北極圏の氷河も減少し、グリーンランドでは、氷床が海に向かってスライドし始めています。今年(04)の猛暑を振り返っ
てみても、温暖化を実感(?)出来たでしょうか。温暖化による氷河の溶解は、海面上昇が懸念されます。そして海面上
昇は、水の体積膨張による影響も受けます。

その一方で、温暖化の進行により大気中の水蒸気が増えれば、南極の降雪量が増え、結果として氷河が増える・・・と
の予測もあります(以上の★以下はhttp://www.mag2.com/m/0000125755.htm・・・から引用しました)。

またヒマラヤはアジアの8大河川の源流であり、世界の氷河は全体として真水の約7割を閉じ込めているが、中でもヒ
マラヤ氷河は35000立方キロと最も巨大である。氷河は洪水を防ぐ一方、降雪量が少ない年の夏場に起こる旱魃時
に水を補い、暮らしや農業をにとって欠かせない存在です。

所がヒマラヤを含むチベット高原の氷河の溶解が年間10〜15mの速さで加速度的に進み、過去40年以上の6600
立方km以上も縮んだ(WWF=世界自然保護基金)。

病気・・・・・・・・「病は気から」と言います。なので何でも病気と決めつけずに、「自分で何とかしよう」と言う心得が
先ず必要です。でなければ病院や健康保険があっても、巨額医療費ばかりでもう限界点に達しています。「分業化が進
歩」「専門化が安心」「早期診断・早期発見・早期治療が大切」とした此れまでの常識(集合意識)は反省が必要です。

戦後は特に、西洋医学で助かった人よりも、医学の犠牲者のほうが多いと思われる。今のような「医学信心」に毒され
た結果、1億人くらいは医学の犠牲者であろう。病院嫌いの人は健康だが、そうでない人は病気になる。いやそう仕向
けられる。其れを避けるには冷静な生活態度が不可欠です。例えば

どんな難病でも玄米をゆっくり食べれば治る。ゆっくり食べれば少量しか食べられない。大食より小食が良い。そして甘
いものを食べないこと。この二つで治ると西埜(の)先生(東洋医学)は断言しています。

次に例えば、幻冬舎の「病気にならない人は知っている」(ケヴィン・トルドー著)は、「野生動物には心臓発作もガンも
無い。医者と薬とファストフードを今直ぐやめろ」と言う。以下、広告から引用すれば、例えば@自然療法。A体内から
毒素を追い出す。B携帯電話や電子レンジが万病を引き起こす。

C人間は本来、無病で健康。Dリンゴが病気を遠ざける。Eガンとの闘いに敗れつつあるアメリカ人。F処方薬・市販
薬は全て毒となる。G大量生産された食品は100%有毒。Hファストフード・レストランこそ最低最悪。I水道水が動脈
壁に傷をつける。・・・・とある。

さて人は例えば「頭が悪い」とか、「胃が悪い」、「足が悪いので歩けない」などとボヤいて暮すが、人間には悪い所など
はないものです。悪くないのに「悪い」と誤解するのは「天気が悪い」と誤解するのと同じです(「異常気象」を参照)。言う
までもなく、自然界は完全なシステムで動いており、人類も其の一部ですから完全なる存在です。

他人と違う処が有っても、其れは十人十色で良いのであり、或いは過去の因子が今の結果となった訳です。或いは其
の原因を解消するため個別に現象化しているに過ぎない。其れもまた完全性の一環として認識すれば、雨や嵐も人類
の穢れを大掃除するための完全な仕組みによって生成消滅している事が理解できる筈です。

気象庁は天気予報が大きく外れると自分の失敗を反省する事なく「異常気象」と言い訳して逃げますが、其れでは何時
まで経っても改善はない。所が此処は転んでも只では起きずに、此れまでは、失敗をテコに、此れをチャンスとして更な
る予算獲得をして来たのですから不思議な「異常」が尚も続くのです。

医学界も同様に、病気を治せずただ医療施設を増大させた。医学が進歩したなら病人がゼロとなり、病院が消滅して
こそ医学の正しさを証明できる。其れが現実には逆になっているのですから信じるに足りない。とすれば私たちは科学
や医学を過信せず、もっと自然の摂理を信じるべきです。自然は何も悪くないし狂っていない。

雨が降れば何処へ行っても人は「天気が悪い」と言うが、悪いのは寧ろ何時だって人間側です。其れに無知な防災工
事は、却って強烈な反撃を食らって人災を増やすのです。病気もまた同様に、生物が生きるために必要な生理現象と
して存在する。

生理的に必要な必然性から生まれて来る現象が病気なのですから、其れを悪玉としても解決から遠のく。科学や西洋
医学よりも自分の体の自然の働きをもっと信じるべきです。病気になるのは原因があり、症状が出るのは不調な事を
知らせる意味で現れる。

其の原因を消すために、或いは因縁の解消の為に、或いは汚れているから大掃除するため、雨嵐となって痛みを伝え
て知らせています。痛みは一つのセンサーであり、センサーで死ぬことはないのです。

ただ人類にも三種があり、男女の別や年齢差も有るので皆同一の病気ではなくて千差万別の現象・病象を見せます。
先天性の設計の問題や、後天性の原因もあります。其れは今、百種の車に百種の運転法があるようなものです。其の
上、気象条件や道路事情も違うのですから色んな操縦法があって良いのです。

其れに対して狭い観念の西洋医学一辺倒で、「此の答え以外の正解はない」と言う思い込みの論理で対処しているの
で病気がなくなりません。病気は個別で多様な病状を呈するので、人は其れを心配して近代迷信医学でストップさせよ
うとするが其れが間違いです。

どうしてそうなったのか、と言う必然性の理解が先ず必要です。病理の認識もなく、病気も治せない医師にのみ頼って
医師会に独占させているため大きな誤算が見えて来ました。独占的な医療によって病人と病院を此処まで増やし、巨
大な医療費が掛かる制度にしました。病人をなくしたのではなくて巨費を掛けて増加させたのは矛盾です。

矛盾の第一は病理の認識が間違っているからです。例えば医師会は病気を治せないにも拘わらず、医師会でなけれ
ば病気を治してはいけないシステムを作った。色んな病気には色んな治し方があるにも拘わらず、西洋医学による医
師法と薬事法しか認めない独占体制を確立して利権にした。

其れを許したのは日本人にも一神教的迷信崇拝の観念が染み込んでいるためであろう(医療を参照)。
「医学」で述べたように、西洋医学による医療は元々獣医と軍医術ですから切ったり貼ったりが主となる。言うまでもなく
戦場ではスピードが要求されるので救急救命術であり、一律の画一的な治療となる。

だが人間はロボットではないので一律ではなく多様なのです。特に病気は先天性と後天性の別が有る。中でも日本人
はサルから進化した西洋人とは違って神別、皇別、天孫族や諸蛮など出自も多様ですから因縁も複雑で一律一様に
は診断出来ない。神の子であるのにサルや馬並み、兵隊並みに画一的に扱われたのでは治る筈も有りません。

先祖が違えばDNAも千差万別であり治療法も変えねばなりません。或いは病因が後天性の場合も多いが、其れも一
様ではなく多種多様です。生活習慣病によるリンパ系の疾患、脳血栓、神経性の内臓疾患とか癌とか、暴飲暴食によ
るものとか薬物の副作用によるケース・・・・など色々です。

或いは外的要因としては感染とか公害の汚染によるアレルギー(皮膚過敏症)やアスベスト公害とか、傷害事件や怪
我、交通事故など人災、或いは水難、火災と言う場合も有ります。ですから対症療法も色々なければ対応できない。人
災には人事を尽くすべきである。病気は特に精神的なストレスや恨み辛みからなるケースが多い。

このため医者でさえ「病気は気から」と言います。そう言う医者は名医である。要するに病気は気持ちから発生する。で
あれば精神的に治すのが主であって、切ったり貼ったり投薬・注射と言うのは医学としても野蛮であり「下の下」である
と分かる。病気を治すに刃物は要らぬ。自分で治すものである。

他人が其れに手を貸すならば体に触れずに治すべきだ。

実際は病気になっても医者に診て貰わずに、知らない間に自分で治してしまうのが大半です。何か変だと気付いた場
合でも神仏のご加護で治してしまう場合もある。健康器具とかリングや気功で治してしまうケースもずいぶん多く、枚挙
に暇がないほどある。従って他人が病気治療に介在するのは凡そ半数である。

其のうち、ほったらかしや自己管理、或いは昔からの針灸、膏薬、漢方薬、和薬、マッサージ、按摩、湯治、売薬・・・・
で半分の人が治して来た。残りの25%くらいの人が西洋医学に頼ると仮定しても、これ等を全て医者が独占しようとし
ているのは傲慢である。彼らが責任をもって治すなら其れも良いだろう。

しかし現実には治せないし保証もせずに責任も取らない

病気を治せない上に、特に特許でもある訳でもないのに西洋医学的な手法だけが正義であるとして、其れ以外の医療
行為は禁止し処罰すると言う今の独占システムにしてしまった。此れは傲慢な医師会によるペテンではないか。少なく
とも完全に利権体質にしてしまった。其れを支援し、此処まで許してしまった日本国民も賢民とは言えない。

先の「病因」でも述べたが、人には十人十色が有るように、病気も一律ではなくて多様ですから百人百様の病因が有る
ものです。先天性も後天性のものも有り、精神性や公害汚染のように社会性のものもあります。従って占いで判定して
も良いし、江戸時代までは湯治や鍼灸、加持祈祷で治しました。

或いは気功でも治るし、先祖を供養しただけで難病奇病が治る例も枚挙に暇がない程ある。この様に色んな病因があ
る以上、色んな治し方が有ってこそ自由な社会であり、高度医療と言える。

所が自由主義と言う現代日本で其れをすれば病気を治しても、医師法違反で処罰する。此れは一神教や独裁制では
ないのか。西洋医学が治せないのに此れしか認めないと言うのが果たして合理的で科学的な文化国家と言えるのだろ
うか。それでも国民は黙っていて文句も言えない。

早く病巣を切り取って貰って早く楽になりたいとか、今は病気ではなくとも何時病院の世話になるかも知れないと言うよ
うな意気地のない気持ちや小心者が増えたために医師会を此処まで巨大化したのであろう。治せないのにです。

こう言う訳ですから人が如何に病院に「病気治し」を期待しても無理であり、其処は「健康」とも無縁な所になっていたの
です。実際、医療現場では費用を払っている患者を人体実験の材料として扱う例が多いから恐ろしい。占いや気功や
加持祈祷は患者に手を触れずに治してしまう。所が医師や薬は直接触れて、しかも野蛮にも切開手術をする。

後者の蛮行に日本人が気付かないのだから日本人全体も同じレベルに低下していると言える。患者も家族も医療関
係者も其の反省がない内に医学的な処方で止めようとするので一向に回復しない事実をもっと正視すべきです。現代
の医学は痛み止め程度の一時抑えは出来ても完治が出来ない。

其れは病因に無知のまま対症療法をしているためです。犯人を知らなければ譬え切り取っても解決(完治)出来る筈が
有りません。例えばガソリン車がガス欠でエンコしたらガソリンを給油すれば良いのです。でも醤油やソースとか水や薬
石を注入すればどうなるでしょう。

如何に高価な薬であっても、本質と別であれば役に立たないが、其れに似た行為をしているのが今の医療です。例え
ば医学では血が濁れば病気になると言う病理までは理解している。だが血は先祖霊と言う見えない存在が結晶化した
ものです。

それに対して医学は、例えば赤血球は小さな細胞として、1_立方中に500万個も活動していると見ているが、その様
な近視眼的見方では医学上の正解ではない。今の医学や科学では一滴の血も髪の毛一本すら作れないのですから分
かった事にはならないのです。

血は霊的なモノが物質化・有機的な生物化した実に神秘な存在ですから、此れが「命の源」ともなるのです。如何に科
学や医学が進歩しても人工的にこれと同じ血液は作れません。であれば治す事など到底無理である。少なくとも下水
が詰まったら家中おかしくなる。

其の下水の詰まりを放置して置いて、如何に健康食品を食べても注射を打っても治らない。より大切な事は入れる前
掃除する事であり、時々は風邪や下痢をして、詰まりを取るのが正しい処置である。

さて病気と言えば主として内科である。此れにも先天性と後天性の病因の違いがあります。例えば人の顔面や手足
の神経は敏感・繊細だが、内臓は神経が鈍感に出来ているので自覚症状が少ない。その代わりに内臓の状況を表象
(上記を参照)として現わす。表象は例えば人ヘルペス(別項参照)などで赤斑を見せる。

所が其れを本人が見過ごしたり誤解して誤処置をするために内臓疾患が進んでしまう。此れを防ぐためには今の予防
医学よりも「腹八分目に医者要らず」とか「腹も身の内」と言う諺に従っていれば良いのだが、つい無理を重ねたり暴飲
暴食したり不摂生を続けながらブレーキを踏まない。よって病気となります。

其の人は大概、「突然に病魔に襲われた」と言います。そんな事はなくて、普通は表象があり、或いは前兆現象がある
筈です。人は内臓の状態を表面化させてご本人に知らせるセンサーを色々持っている。折角機能しているセンサーを
病気と決めつけて犯人探ししても無意味です。

センサーによって注意・警告信号を発しているにも拘わらず人は其れを無視したり或いは折角の内臓からの信号に過
剰反応して病院や薬局に走りこんでしまう。薬局や病院へ行けば商売ですから、各々結構な病名をつけてくれるし、犯
人駆除の薬を付けてくれる。

でもセンサー(神経)を麻痺させたり抑え付けたり退治したりしても、其れは問題解決とは違って本当の病気にするだけ
ではないか。次にホントの病気になった場合も誤解が多いから治せない。

病気は浄化作用です(病理を参照)。従って「体を壊した」とか「此れで死ぬかもしれない」と臆病なったり「病気は悪
だ」と決め付けて、其の犯人探しをするのは誤診誤処置となります。病気になるのは何処かが悪いのではなくて、寧ろ
健康回復のシステムが正常に機能している証拠なのです。

第一にセンサーが正常に働いているから異常な現象(病症)を検知して現出し、ご本人に知らせている訳ですから、其
の機能が麻痺したり故障させるほうが寧ろ心配です。第二として、病気は何処かが悪いのではなくて、悪いものを排泄
しなさいと言う内部からの外部への警告発信であり、或いは自力で排泄しようとする生理作用(現象)です。

其の合図を誤解によって処置すれば誤作動をします。所が多くの人が今は「病気が悪い」と誤解して現代医学に頼りま
すが、其れが色々と誤作動を起こしている訳です。こうした誤解をするのは固定観念で診てしまうためです。どう言う事
かと言えば、早い話が病人は悪人がなる(善人は患いが少ない)。其れでも分からない人にはもっと強く言おう。

此れが第三の要点(因縁)です。例えば他人の言う事を頑固に拒絶し続けたり、もしくは他人の苦しみを思いやる気持
ちがなければ怪我や病気をして其の苦しみを身を以って味わう事になる。人が自分の持つ心も耳も閉ざした場合に、
今度は自分の体から教えられ、身に凍みて味わう事になるのです。

百獣の王と言われるライオンや無敵の猛虎であっても自らの中の「獅子身中の虫」(別項を参照)に苛まされるもので
ある。痛みを味わって自分の体に教えられる。其処に至っても尚、ご本人が気づかなければ、そのままあの世に持って
行く事になるでしょう。

こうなると病気が本来は健康回復の妙薬であったものが病気が逆に不幸の最大要因に変化します。だから古来、誰も
が病気を嫌って来たが、今はお役所が健康診断サービスをするので病人が減るどころか、「一億総半病人」社会を現
出した。従って病気になれば病院で治療を受けるのが当たり前と言う困った常識が定着した。

そうした心得違いが人々の罪悪感を失わせ、其処から不幸の原因になっている事にも思い至らないようになった。医
療費の増大により医療保険も破綻寸前なのですが、此れが正常な進歩であり、良い事なのだろうか。しかも病気にな
ると其の病人は「他人は私の苦しみに理解がない」とボヤクが、病気は本人の問題なのです。

自分が気づくために病気と言う現象となるものです。だから他人は無関係であり、理解しようがない。病いとは「わずら
い」であり、其れは他人の問題ではなくて自分の内面からの問題であり、つまり自分の先祖からの信号でもある。

だが今の中年以上の人は「早期診断、早期治療」と言う画一的な教育を受けているために少しばかり医学的な知識が
有る。

よって今更意識転換出来ずに多くが病気を「健康を犯すもの」と見誤り、死去に一歩近づく物と恐れて仕舞う。そうした
誤解と強迫観念から医療制度を頼り、そのために保険に入り、其れを使って医者や薬物に頼って病院に日参する。そ
れでも安心できない人が、入院(高度医療を受ける)しようとして、其の目的で日頃から銭を貯める。

こうなるともう悪循環の道に踏み込んでしまう。だが今の医学では多くの場合、注射打っても薬飲んでも効かない。第
一、此れでは問題の本質から目を反らす事であり見当違いです。昔から「病は気から」と言われて来た通り、病気は本
人が作るものです。ですから「病気ではないか」と思い煩ったり、取り越し苦労するのは無駄なことです。

特にくよくよするのが体に一番の毒である。根拠もなしに悩むのは「取り越し苦労」の徒労なのですが、此れが実に多
いために体を壊します。例えば定年退職した後は時間と金が出来る。そうすると途端に自分の健康が気になります。す
ると「病気探し」と言う「犯人」探しを始めます。

この犯人を捜せば必ず見つかるものですが、この世の存在は全て完全性があり、人間の身体にも悪い所などは
元々存在しないのです。ただご本人が病気と決めて犯人探しをすれば必ず見つかる。先ず病院に診断に行きますと、
其処では必ず病名を付けてくれますので、目出度く「病人」になれる訳です。

でも健康になりたいなら病院でも余り薬を貰わず、出来れば早く止める事です。病気と判定されると必ず薬を出されま
すが、其れで治るのは例外であり、殆どの場合、副作用で病気を複雑にする。だからやめれば自力回復します。

薬を止めた途端に病気が治るのは不思議な事に見えても実は当然の結果です。以上は筆者の持論だが、新潟大の
安保 徹教授も「薬を止めると病気は治る」と言っている。健康を害するもう一つの要因は「食べすぎ」と「冷やし」であ
る。其れを先人は「腹八分目に医者いらず」とか、「腹も身のうち」と戒めて来たのです。

若いときは消化力があるが、中高年となるに従い、其れが低下する。従って栄養学を齧ったり、惰性的に以前と同様
の食欲で同量を摂取していれば当然、消化不良を起こします。食事でも薬でも此れは同じです。過食と過薬の場合、体
に余分な過重負担を掛けますから眠気、ダルさ、消化不良から便秘となって当然です。

其れが其のうち下痢などで排泄されれば良いのですが、全て排泄される事がないために、やがて糖尿病など余病を増
やす方向に向いてしまう。或いは病気になると熱が出ますが、自分の熱で死ぬと言う例は無いから心配無用。体は寧
ろ、冷やしてはならない。

所が医療の現場では直ぐに冷やしたり解熱剤を投与するので、其の間違いで高熱になるか、死去するか、病気をこじ
らせる。ただ病人になると割りに長生きします。病気知らずの仲間が先にポックリ死ぬのに、持病持ちの弱々しい人が
案外長生きするから皮肉です。

此れは病気の過程で肉体の毒素を有る程度は排泄し、浄化するからです(「病人になったら」、「祓い」を参照)。結論と
しては当初に述べた通り、「本人の問題」と気づいたときに快方に向う。病気は其の問題をご当人に分からせるために
発生する現象なのです。

でも其れに気づかず、自分の甘えや苦しみを他人に訴える。このため家族を巻き添えにして不幸にし、或いは借金を
促し、保険金を浪費して家族や社会に迷惑を及ぼし、病気→貧困→争い・・・・と増幅する。このため、本来は幸福と健
康の元だった病気を不幸の原因としたり悪循環の種としてしまうのです。

病気みやげ・・・・・・昔は自然死が当たり前でしたが、今の人は病気で苦しんでも高度医療を受けられるので多くが
自宅ではなくて病院のベッドで病死する。でなければ変死扱いされると言う歪んだ社会にしました。死んでしまえば病気
の苦しみから解放されて天国へ行くだろうとも思われている。

でも其れは歪んだ科学万能信仰の身勝手な思い込みである。死ねば確かに財産も持っては行けない代わりに、肉体
から開放されるから病気の苦しみもなくなるように思える。けれどもどっこい病苦と言う苦しみはそっくりお土産として担
いで行くのです。あの世は想念の世界ですから想念が益々深まるだけで、病気を治すには800年間ほど要する。

つまりこの世での人生の10倍もの期間永く苦しむ。その過程を経ずに、無理して生まれ出て来れば、矢張り同じ病を
この世に持って来て遺伝性とか先天的な病気と診断され、或いは障害を持って半身不随のまま生まれ出てしまう。癲
癇とか精神障害も同じ理由によるものと思われる。とすれば病気は是非この世で解消すべきです。

病気の原因は医学的な判断では治らない。その事に気づいて生活態度を悔い改めてアクを濯ぎ払い落とし、次に悪を
溜める自分の精神構造を改める事である。でなければ身の丈よりも大きなみやげをあの世に背負って行くだろう。

▲病苦・・・・・・四苦八苦の一つ。

氷結・・・・・・水が凍る事。氷は水よりも体積が増えるので、氷結によって周りを破壊する。例えば寒冷地の鉄道線路
は氷結で持ち上げ、線路を曲げるので列車を脱線の危険に晒す。電線も切る。森林の樹木でも白樺などの原生林なら
問題がないが、人口植林の樹木は内部の水分が凍結して幹を破裂する。

自然石でも氷結を重ねて次第に粘土になる。だからコンクリートなどは無論ボロボロになって行く。

氷床・・・・・・日本人は氷河を見る機会が少ないので氷床に神経質な人はいないが、ヨーロッパではアルプスの氷河
が溶け出すのが見えるので温暖化に神経質である。例えば英国気象庁は国連の発表よりも南極の氷床の崩壊が早
いと警告している。だがCO2を一番大量に排出している米国は無神経。

南極の氷床の崩壊が始まれば海面が今より5m上昇すると予想されている(JAF Mate2006/4)。またシベリアのタイガも
氷床に支えられている。其れが山林火災の多発から溶け出してCO2を吐き出し、また氷床に閉じ込められていたマン
モスの牙が各地から出始めている(06/8/16NHK教育TV)。

表象・・・・・・目に見える形で現れる現象の事で、此れは数字や言葉よりも直感的・感覚的に素早く知覚・意識・認
識・記憶するのに役立つ。例えばデジタル時計を見て、表示された数字をいったん頭で時間と言う概念に置き換えるよ
りも、アナログ時計の文字盤に短針が角度で示した凡その時間を直感的に理解したほうが早いものです。

普通の場合、人は数字よりもこのように表象から直感的に認識しています。名医が占い師のように、患者の顔色や声
を聞いただけで的確な判断をするのもこの表象によるからです。ですから交通標識や車内のメーター類をデジタル式
に換えるより、旧来型の円グラフ式・円環状のメーターにする方が事故防止に役立つ。

そうした意味で、円相学では更に其処から物事の核心を見抜く手法として種々の理法を解説している。だが表象は、別
の側面で注意すべき難点もある。

と言うのは、表象が、広くは文字による書籍や新聞、其れに映画やテレビ、ビデオ、インターネットやケイタイで映し出さ
れる映像も含むとすれば、そうした映像や表面的な表相・事相・様相にのみ人の目が捉われてしまえば、その基底に
ある本質や実体が見え難くなり、もしくは仮想を現実と見損なって惑わされるからです。

よって、古来こうした見方を「皮相的・表面的」な理解として警戒し、戒めて来た。つまり表象は、方位と言う基準なしに
見ては、意味を誤解する事になる。其処で昔は円相学の言う暦・方位の観点、もしくは占いが役立った(「占い」を参
照)。所で、あの世とこの世との違いがこの「表象」と体験との違いである。

あの世では「表象」世界ですから実体験できない。だから人はこの世で実体験するために生まれて来たとも言える。と
すれば、折角体験するチャンスを与えられたのだから瞑想に耽ったりバーチャル空間で遊ぶよりも、この世でしっかり
事実を見て喜怒哀楽を味わい、多くの実体験をして見る事が大切と言えます。

病状経過発表・・・・・・・前項の続きを述べれば、03/1〜04/6に掛けて「天皇陛下にホルモン療法」と言うニュー
スが報道された。此れは宮内庁(皇室医務主管)発表によるものだからマスコミの暴走とは言えないが、何れにせよ慎
むべき事を暴露した事になり、残念である。06/8/16にはキコ様の出産前に詳しく報道し続けたのも行き過ぎである。

国民が心配するから何でも公表するのが立派な務めとでも関係者が勘違いしているのだろうか。とすればマスコミも宮
内庁も病的であり、その発表を国民が望むとすれば日本人の心も病的であり正常ではない事になる。

漂着ゴミ・・・・・・今や日本の海岸部に押し寄せるゴミは年間120万トンに達していて、各地に1mの高さのゴミの
帯とゴミの山を作り上げている。其の内の大半は中国、韓国、台湾からであり、沿岸部の自治体をゴミ処理問題で悩ま
せている外、今や国際問題となっている。コスト面だけではなくて魚網や医療廃棄物は生態系にも悪い。

韓国では此れまで海にゴミを大量廃棄して来たが、今は海のゴミを買い取り始めた。其の点で日本は縦割りで無責任・
無能でした。海岸は国有地であるのだから国が対処すべきであるが、環境省は何ら有効な対策をして来なかった。
漂着ゴミの大半はプラスチックゴミである。

其のプラスチックは年間2億トンも生産され続ける。特に今は東南アジアで大量生産されている。ただ漂着ゴミは分別
不能のためリサイクルが出来ない。しかも塩分を含むので焼却炉で焼却出来ない。と言う訳で各地の自治体をゴミ処
理負担増で悩ませている。

無論被害者は加害者でもあり、例えば鳥の楽園であるミッドウェー環礁のアホウドリが、日本からのゴミのために次々
死んでいる(05/11/17のNHK総合TV「クローズアップ」より引用)。

平等・・・・・・・・平らかで等しい事。戦後の日本は此の平等が流行・氾濫した。平等が正義として、或いは「分かり易
い言葉」として受け入れられた。だから誰もが平等を望んだ。だが本当に分かったのかと言えば怪しい。例えば「生命
は平等」と言っても、其れが人間だけの事なのか。鳥や虫や魚や獣たちは例外なのだろうか。

ペットが人間以下なのか以上なのか。人間はホントに平等なのか。アメリカ人とイスラエル人とパレスチナ人とは平等
に扱われているのか。或いは子供と老人とが平等なのか。例えば交通事故死では子供が高額で、老人は低額で保険
金が払われる。此れが生命の値段である。小柄な女性と巨漢とは男女差別や重量差でどれくらい平等なのか。

頭の良い人と馬鹿者も一律平等に扱うべきなのか。・・・ ・・・ 

日本国憲法は自由(別項を参照)と平等とを保障している。だが現実は言うまでもなく何も平等ではない。人は生まれな
がらにして実は不平等である。此れは人の世だけではなくて、この世の万物に共通する特徴である。よってどんな時代
になっても不平等である。

この点から言えば憲法は理念・理想を謳った看板に過ぎないものと分かる。目の前に現実に存在する物を説明しても
理解よりも誤解される事が多いのですから、架空の観念を謳ったり語ったりするのは難しい。無いものを有るかのよう
に言うのは容易いけれども、其れは何れバレる。

愛を語るなら兎も角、選挙の時の公約やスローガンと同様、何れ「嘘吐き」と言われても仕方が有りません。この世に
は「愛」はあっても平等などは存在しないからです。存在しない「平等」を自分にも他人にも納得させるのは無理である。
無論「平等」について色んな解釈がされてはいるが、真理ではなくて「真如」の誤解ばかりです。

日本人にとって「自由と平等」は、近代思想の一つとか南蛮渡来の舶来思想のように思われているが、無論ヨーロッパ
にさえ存在するものではない。「平等」の熟語は昔から日本の宇治の平等院があるように浄土・天台宗の教えの一つで
あり、あの世の事として閻魔大王が平等王として平等界を司ると言う仏教的観念である。

しかし今の日本人は此の平等の建前が好きだ。よって何でも人並みにしなければ許さない。例えば血圧です。個人差
や時間差があるため血圧は変化するものですから、「人は人、我は我」で良いのですが、同じでなければ不安になる。
機械的に標準的な数値や平均点を設定して、横並びでなければ差別し、それ以下なら落ちこぼれとします。

他人よりも劣っていると見て病気と診断するなど、こんな横並びの悪平等と点数主義が今の日本です。このため敢えて
言えば、物だけ狭量に見て即断するのではなくてもっと見えない存在にも気付いて欲しいものです。霊的には万物が
各々の立場で平等性があり、例えば自然界では若木が巨木の下で長年耐えて後に大木となります。

初めは足らなくてもやがて不平等な立場から脱出する方法が与えられている訳です。人もまた幼児から大人に向って
成長し、努力して地位や財産を確保する。平等になりたいと色々努力し、其の甲斐が見られるのがこの世です。その代
わり此の世では初めからの平等は与えられない。

何れにせよ、此のように無いものを有るかの如く見れば誤解と混乱を生むので憲法に謳っても意味がないのです。平
等が有るとすれば死に際です。死に際しては例外なく、誰もが地位も財産もこの世に置いて往きます。そして譬え美人
や病人であっても、生まれたままの裸になるのみならず、そんな肉体さえも置いて往く。

此れは人ばかりではなくて万物共通の厳粛な掟です。またあの世へ行けば、物質的なモノが存在しないと言う点で万物
共に平等である。其の点では確かに平等なのですが、あの世では魂の質が問われる。魂、つまりスピリッツ(精神性)
の質がそれぞれの段階に応じて光の色、強さ、形となって表象する怖い世界です。

そしてこの世とあの世とに共通のものは因果律である。其れは平等と言った観念的な概念ではなくて、因果律の中の
公平性と言う法則である。この世の公平は例えば先祖数である(「円系図」を参照)。あ!、一つだけ平等があったのを
忘れる所でした。其れは忘れてはならない年齢です。

貴方が譬え嫌ったり必死に抵抗しようとも、皺の数は年齢相応に必ず加算します(年齢を参照)。此れこそ太陽の力な
のですが人は「歳月」と言います。常識は誤解が多いので困ります。

平等利益・・・・・・・・平等の概念はフランス革命によって初めて作られた言葉ではなくて、昔からあった概念であり、
従って自由平等主義や革命によって得られた利益ではなくて、此れらは元々仏教用語であった。経文では平等リヤク
と読む。平等王とは閻魔様の事であり、平等界もあの世の事であって、此の世では平等はない。

此れは人それぞれ相応に、公平に利益を享受するように計らう事である。ですから例えば、十人十色の個々別々の所
得を悪平等に一律に単純平均化して課税・収奪し、他方では仏様の様な顔をした共産主義者たちが権力で没収また
は其れを再配分する今の日本政府のやり方と同じではない。

現実には年齢や能力差など、違いがあるのに一切の差別を認めないのが平等主義。だから平等と公平とは違う。無
論、所得と利益と再配分も違う。違うのにある種のイデオロギーで平等を説き、もしくは権力で平等リヤクに反する事を
やっているのが現実の悪平等である。

病人・・・・・・結論から言えば、病気は悪人がなるものです。言い方を変えれば、人間社会のアクを溜めた人がな
るもの。始末の悪い事をした結果、疾患と言う病理現象で苦しみを持つ事になるのが病人である。つまり勧善懲悪の
賜物とも言える。しかし悪人ではなく、善人であってもアクを溜めれば矢張り病に冒されて病人になる事も可能です。

例えば風邪や腹痛を理由にすれば他人から同情されて学校を休んだり嫌な仕事から逃げられる。そうした嘘吐きの悪
弊を身に着けてしまえばアクを溜めた力で一時は成功するがやがて事件を起こす。容疑者となったら彼らは決まって
入院します。日本では酔っ払いは「酒が強い」と尊敬され、病人も「可哀想だ」と同情され甘やかされるからだ。

日本は酔っ払いと病人の天国である。今になってやっと警察が飲酒運転には厳しくなったが、病人だけは相変わらず
保険でも社会の中でも保護されている。しかし病気はアクであり、恥ずべき事である。とすれば病気になったら官職・役
職を辞退する必要が有る。

思うように体が動かなくては一人前の仕事が出来ずお役に立てないし、はた迷惑である。また痛みがあれば正常な判
断が出来ないから個人の問題によって多数に迷惑を及ぼす。だからアクになるのです。心の病いがアクと言う現象を
見せるのです。だが其れを無理して頑張り、椅子にしがみ付く人が大多数である。

働く事が善であり正義や正当であると言う従来の思い込みは何処かおかしいのである。話は逸れるが、若い婦人をパ
ートで働かせて高度成長を果たした事が果たして良い事だったろうか。高齢者を死ぬまで働かせて税収にするのが良
い政治と言うのだろうか。子供の教育をすべき母親をパートで働かせて問題ばかり積み上げた。

お年寄りに育児を手伝って貰えば家庭が上手く行くのに核家族化して保育所と老人ホームとを増設したが、何れも失
敗だった。お金を稼ぐのが善であるとした此れまでの社会は心得違いした社会でした。しかし此れからは障害者まで働
かせようとしている。其れが進歩した社会であると多数が思っている。

「病気で仕事を失ったら生活できない」と言うのだろうが、其れは別の話なのだ。

何れにせよ病気になったら、其れは「アクを溜めたからだ」とご当人が気づけば治るのですが、悪人の場合は其れを認
めようとはせずに頑強に抵抗するので治らない。治したいなら其れまでの生活態度や考え方を反省する事である。だ
が彼らは多くの場合に先ず他人の責任にするか、或いは寧ろ病気を悪者と誤解して此れと戦おうとします。

つまり「闘病」と言う勇ましい気構え方をするので自分に益々害を齎す。「闘病」は言うは易いが自然の摂理に歯向かお
うとする無謀な行為であり、それでは悪循環に嵌まって結局は我が身を滅ぼす事になります。病気の原因は自ら招い
て罪障を積んだためであり、此れがアク、つまり毒なのです。

医療費が只であるとか、保険金目当てに病気を利用するケースも有ります。自分の健康のためと思い、或いは自分の
都合で病気を利用すれば、やがてモルモットにされる。色んな検査をされて色んな薬を飲まされる試飲ロボットとか、検
査漬けの検体ロボットにされます。

病院の若手医師の手術の人体実験の実験材料に自分の体を提供する事になって行くのです。何れにせよ生理的にも
精神的にも苦しむ病理的病症を見せる現象が病気であり、このため本人以外の更には家族や社会に迷惑を及ぼす現
象となる。ですからそうなるのを避けるためには自らのアクを祓い、抜き取れば元気回復して病気が消える。

所がなまじ医学的知識があったり薬物信心をしている人は、アク(毒)を自分ではなくて他力本願で医薬品と言うこれま
た毒物を利用して排除しようとします。でも「そうは問屋が卸さない」もので、「毒で毒を制する」つもりの薬理療法で治る
前に複合汚染か副作用でより重態となるか倒される。

或いは医者を利用して自分の体にメスを入れて「悪者を切除しよう」とするが、其れで手術が譬え成功したとしても健康
は回復しないものである。もしこの悪人が健康を回復したいならば、そうした面倒な事をしなくても、自ら持ったアクを抜
いて、心を入れ替え、善人に改心すれば良いのです。此れが祓いとか禊と言うものの効験である。

所が悪人は此れを殊更嫌います。寧ろ決まって虚勢を張って「神頼みなど」と誤解して小ばかにする。そうして寄ると触
ると誰彼なしに「病気自慢」をするのです。如何に自分が苦しみに堪えているかを言いふらす。

ご当人にとっては確かに痛い目をしたかも知れないが、其れはご当人の問題ですから如何に針小棒大に、野郎事大に
騒ぎ立てても他人には無関係であり、理解の外である。高齢者たちが今は社会保険や福祉に固執し、特に今の公務
員は手厚い保障や保険に恵まれている。

でも其れは何れもこうして苦しい闘病で重病化するための不安感を満足させるためなのだろう。そうした階層の非善人
の輩は自ら心配する通りのプロセスに向かうだろう。小金と暇が出来ると非善人たちは必ず病気探しを始める。そうす
れば目出度く病気(犯人)が見つかるものです。

其処から病気自慢が始まりますが、そうして毒気を振り撒いて、入退院を繰り返す内に苦しみながら散財し、目出度く
手厚く病院のベットで最後を迎えます。その点で善人は保険や手厚い福祉に過保護にされなくても至って健康ですから
安心していて良いのです。庶民は「病気などしている暇も金もない」と言うのが実情である。

世界中には水や食べ物さえなく、住む家もない人々が大勢いる。其れに比べたら病人になるのは「甘え」であり、其れ
が許されているならある意味で贅沢な果報者である。だが鳥や獣が病気で寝込んでいるのを筆者は見た事がない。と
すれば病人は文明の作った贅沢病とも思える。

俗諺に「馬鹿は死ななきゃ治らない」と言うのがあるが、実際の所、其れは嘘だ。死後に「やり直し」は利かないので
す。死後にあの世でも罪の精算が出来ずに永く苛(さいな)まれて苦しむのがあの世の掟である。とすれば寧ろ、生前
に悔い改めるほうが早く楽になれるのですが、病気も業が邪魔をする。

病人たちは決まって「さぁ俺を見ろ!お前たちも何れはこうなるんだゾ!」と言う顔をして、「病気の大先輩」を気取るの
です。

病人考え違い(病気自慢)・・・・・・世の中は半々で成り立つ。物を利用する知恵の無いテイ能児がやたらゴミ
を撒き散らす一方、其れを先生たちは止めもしない。先生方も同類ですから。仕方がないので健康なお年寄りたちが
常にボランティアで清掃しゴミ回収します。

テイ能児がやがてジベタリアンになり、大人になってピカピカの車に乗り、不法投棄するようになる。心身ともに健全な
人達がどうしようもない人達を下支えしているのが今の日本です。テイ能児は当然犯罪者となり、前科者ともなれば人
権とプライバシーを主張して胸を張り、公務員以外の、その他大勢が我慢します。

犯罪者や病人たちが自分の欠陥を隠すために日本人に対して盛んに英語を使ったり外車に乗って虚勢を張る。他に
自慢する事がないこうした哀れな人達とか公務員たちが海外旅行をしたり保険で入院して自慢しているのが日本社会
です。世の中は持ちつ持たれつと言うのが日本人ですが、此れで良いのだろうか。

立派な犯罪者は決まって海外に高飛びするが、其れも出来ない政治家や財界人が犯罪の容疑者となった場合は病院
に逃げ込むのが普通です。日本人は慈悲深くて哀れみがあるため病人には特に甘い。よって、「入院」した人には同情
してそれ以上追及しないからだが、此れが却って嘘吐き悪人を増長させた。

其れを止めるには、「病気」を理由にするなら辞職してから入院させるようにする事だ。ですからこのような人種は最早
例外として、この項目では多くを語らないが、其れとは別の普通の人でも、金と暇ができるにつれて、色々と心配事を
増やす。その第一が健康への不安と取り越し苦労です。

何かあれば直ぐに「病気ではないか」と勘ぐり、病気探し、犯人探しをして、悪者を仕立て上げて、そのせいにしようとす
るのは良くない。特に「早期診断」が大事と言われれば自分で簡単に治せるのに其れを怠って専門病院へ行くのが普
通ですが、身の破滅へ向うものです。確かに病院へ行けば、各々立派な病名を付けてくれます。

そうして「目出度く」病気と診断された人は、これから犯人と戦う「闘病生活」に入る訳ですが、そうなっては困る。治りた
ければ先ず従来の生き方を変える必要があるのです。所が普通の場合は医者の言う事を良く聞く優等生になろうとし
ます。其れが人間の弱さです。

自分の力だけを頼りに此れまで頑張って来た人は、霊的な力を信じないから何かが変わると不安になり、心細くてへな
へなになるのです。金に頼って来た人達は、此処では無意味と気付いて次は医者を頼るか薬に頼ります。そうすると彼
に同情してくれる医師が神様のように見えますが、家族や友人が同情しない場合は逆恨みするようになります。

でも「病気は身から出た錆」であり、敵は自分自身なのですから考え違いは有害でしか有りません。但し運良く少し快方
に向いて来ると、また今まで通り頑張ろうとして無理をします。時には甘えたり、我侭に我を張ったり、または周りの関
心と同情を買おうとして、「手術しても此れこの通りピンピンしている」と病気自慢する。

でも病気は自慢するものではなくて恥ずべきものではなかったか。自慢出来る病気が有るとすれば「恋の病い」くらいで
すが、皮肉にもこの場合(恋の病)は深刻なほど、特別の親友とか占い師にしか漏らさないものだ。それ以外の病気に
自慢出来るものはない。

日本政府の場合では例えば赤字国債1000兆円をこの先奇跡が起きてチャラに出来たとしても、病気が国を滅ぼす
ろう。日本は国民医療費毎年32兆円と言う、凡そ国家収入に次ぐ程の巨費を払い続け、今後高齢化で益々増大する
のを止める手立てがないからだ。稼ぎの少ないヤクザ者は大抵が病気を装って保険金で食い繋いでいる。

保険制度は極道者まで養っているのである。とすれば病人は、「穀潰し」の極道者と同列と言う事になろうし、他人に迷
惑を掛けてお世話になる身である。だから「病気自慢」は自慢にならない。

道理から言えば、仮病者や病人よりも、寧ろ健常者を尊び、大切にすべきなのであるが、何処でどう狂ったのか、今の
世間は病人に甘く、健常者から搾り取ると言う構造にしてしまった。此処まで逆差別の悪平等に逆転させた犯人は恐ら
く、社会主義に徹したお役人たちであろう。何れにせよ最早病人が威張ってはならない。

病気自慢をしたり、其れに同情しない健常者を逆恨みするような言動はモッテノ外である。病人となったら、先ず健康で
医療費を支えてくれている健常者に感謝すべきなのだ。例えば三菱総研は100年後の社会保障給付費が506兆円
になると予測した(04/10/15毎日)。

此れは年金、医療、介護費用の合計額を試算したもので、04年度水準の税負担と財政赤字分を加えると、国民所得
に占める割合は現在の45.1%から62.7%に膨らむ事になる。特に医療の給付額は今後、年金を追い抜いてトップ
になると指摘している。

04年度の社会保障給付額は、総額87兆8000億円で、内訳は年金46兆4000億円、医療費27兆3000億円、介護な
ど福祉に14兆円であるが、2100年には医療が270兆5000億円となり、全体の53%に達すると試算している。正に亡
国的金額である。其の点、長野県は日本一病院が少なく、医療費も少ないようであるから立派だ

所が普通は「過疎地は無医村であり、高度医療が受けられないから」と大都会に憧れる。確かに大都会には立派な病
院が多いが、其れに見合う患者も多い。つまり大都会は健全な都会ではなくて不健全で腐ってい事になるのです。とす
れば寒村こそ健全性のバロメーターとは思いませんか。

だが最近はいい年をしてその立場も弁えない輩がヤタラ多くなった。年寄りが寄ると触ると直ぐ病気を自慢し、錆(アク)
の痛みを舐めあう井戸端は傍はた迷惑であるのも構わずに、彼らは自分中心の手柄話を何時までも繰り返すので周り
から嫌われる。

「まだまだ大丈夫」と元気なのは結構だが、今のままでポストにしがみ付くのは見苦しいだけではなくて、其の事に気付
かなければ後で何かで醜態を晒す事になる。病気になったら恥ずべき要因があるのだから自慢ではなくて寧ろ自戒し
自重すべきなのだ。罹病や怪我をしたら、其れを理由に第一線を引いて引退すべきなのです。

体が心身ともに健全であっても世の中、中々思うようには行かないのが普通です。其れなのに、心に大きな悩みがあっ
たり身体に病気や障害を持ったら、他人よりハンディを持つ訳ですから、先ずは公職や役職から身を引くべきであり、
頑張られては傍(周り)が困るのです。

正常な状態でなくなれば、正常な判断が出来ないものです。其れに、病気とは「運が悪かったからなった」のではなく、
正常な判断が出来ず、失敗を重ねたり異常な心情になったのが原因して患った訳ですから、その辺への自覚と反省が
なければ治らないのです。要するに健全ではなくてアクでケガレの身となった訳です。

だから今まで通り、ポストに座る資格がなくなったと心得えて引き際だけでも綺麗にするのが採るべき道であって、そう
すれば治るものです。しかし多くが卑しくしがみ付いて、従来通り自由勝手な振舞いを続けようとすれば社会の毒か癌
である。

病人となったら、いったん他人との競争社会から離脱して、次は感謝して他人の話を良く聞き、指導を仰ぎ、援助を受
ける立場になった事を認識して頂きたい。「考え違い」に気付いただけで、もう近代医学や保険に頼らずとも回復に向
かうでしょう(「病気」も参照)。

病名・・・・・・患者側は「治す為の名前」と理解して来たが、医者や病院側は、「儲ける為の商品名」と認識しているも
の。

病理・・・・・・生体に穢れが溜まった場合に其れを排泄しようとする働き。つまり病因は浄化作用であり、其れが病
症を呈する。穢れは先祖の気が作用して本人の気持ちに作用する。先祖の結晶が血液であり、血液が上水道とすれ
ば、下水にあたるのがリンパ液であり、其れが詰まれば支障を来たして健康を害する。

其処で和方は生体を全体から捉えて方位で診断した。其れに対して漢方は複雑な生体の経絡秘孔の筋目を見て診断
し、或いは各所の症状を横から見て診断した。其れが東洋の2000年の実績有る医方でした。所が西洋医学はこの病
理を全く理解せず、縦割りで見るので根本的に間違っている。

従って科学的な機器類や薬剤で対症療法をやっても患者を治せない。人体は横割りでも縦割りでもなくて筋で繋がり連
携しているのだから筋目から診断しなければ見間違う。だが今の医学は全て先ず病名を付けて、其処からタテ割りで
処方するため治せないのです。

平仮名・・・・・・平安時代の公文書は漢字であり、男子は漢字を使った。其れに対して女性は女文字として平仮名を
使った。菅原道真は唐が黄巣の乱(875-884)と知って、其れまで続いて来た遣唐使の廃止を上奏した。以来、国内に
は寝殿造りや和服が出来てi国風文化が花開いた。

また藤原時平は其れまで万葉仮名で書かれていた和歌を次々平仮名に書き改めたり、新たに紀貫之などによって古
今和歌集を編纂した。以来、女流文人により平仮名を使った源氏物語、枕草子に結実した(06/12/26NHK総合TVよ
り引用)。


ピラミッド・・・・・・エジプト最古のピラミッドはイムヘテプの階段ピラミッドで、凡そ5000年前のものと言う(早大・吉村
作治教授)。内部にはミイラがあったが、墓地なのか、それとも公共工事であったのか、と言う築造目的についてはハッ
キリしない。

またエジプトの砂漠の中では、スフィンクスとピラミッドが今から5000年前に造られたと言われているが、スフィンクス
には不思議な事に大洪水などにより水に浸食された跡がある。

此処は長い間、砂漠であるから「ノアの洪水」か、或いは今から7000年以上前、或いは温暖な地球になった1.2万年
前、つまりペルーに先史文明があった頃のものとする説もある。

また例えばクフ王のピラミッドの高さは底辺の長さの1/43200になっており、此れは地球の長さと地軸までの長さの比
率の縮尺になっていた(04/8/26関西テレビ「アンビリバボー」より引用した)。何れにせよ、別項の「天円地方の理」で見
れば、エジプトの王家は日本に属する諸侯の位置づけであったと分かる。

尚、日本のピラミッドは黒又山(別項参照)など20ヶ所程度が知られている外、堺市には行基の「土塔」があり、また奈
良市の「頭塔」がある(「ボロブドゥール」を参照)。

ヒラメ・・・・・・子供の時は目が両側にあって普通に泳ぐ。やがて目が片方に寄り、海底にへばり付いて上を見上げる
姿になる。昆虫でお馴染みの変態が起きるのだ(07/1/16朝日)。

非理法権天・・・・・・楠正成が軍旗に掲げた文字でヒリホウゴンテンと読む。その意味は「非は理に勝たず、理は法
に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず」と言うもの。つまり非道は法に如かず、また如何なる権力も天には敵わ
ないと言う意味である。

彼は天皇に請われて軍師とはなったものの、当時このような哲学を説いた第一級の文人だったと分かる。水戸黄門も
彼を「あー忠臣」と尊敬した。其れを明治政府が利用して軍神に仕立て上げて利用した結果、敗戦となった事から戦後
は彼が皇国史観のシンボルとして排除され、歴史で語られる事もない。

時としてドラマに登場するが、決まって山賊の類として面白おかしく作り変えた話にされるのです。其の点、昔の彼の気
風をそのまま伝えるかのように、南河内の祭りでは今も必ずこの熟語を掲げたダンジリが練り歩きます。

ビリ・レイスの地図・・・・・・・・以下、「未知の事典」http://www.funnavi.net/michi/kdb24/k_db.cgi?action=
kategorie&k_no=6&mk_no=1から引用-------1929年にトルコ、イスタンブールのトプカピ宮殿で発見されました。この地
図は1513年にビリ・イブン・ハジ・メメド通称ピリ・レイス(レイスは提督の意)によって描かれたものでした。

この一見したところでは中世の稚拙な技法で描かれたような地図は驚くべきことに1950年頃に行われた地震波探査で
初めて明らかにされた氷の下の真の海岸線と内陸の地形が細部まで正確に描かれていたのでした。

この地図を調べたアメリカの地質学者チャールズ・ハプグッド教授は稚拙な作図技法と思われていた中米付近の海岸
線や島々のゆがみは実は球面三角法に基づいた『正距方位図法』で制作されたことを暗示していると指摘しました(以
上は「未知の事典」から引用)。

▲ヒーリング・・・・・・・・気功や手翳しの事。西洋医学ではなく、最も副作用がなく自然治癒力で癒す事。

・・・・・・・・一昼夜の中で日が照っている間の事。

▲蛭(ヒル)・・・・・・・・水田や野山にいる「ヒル」の事。軟体物で人や獣の血を吸う。夏場にいて生き物が近づいた時に
は二酸化炭素の濃度を感知して飛びついて来る。刺されても当初は痛みが無いので後に気づいた時に無理に引き離
せば中々血が止まらなくなる。こうした場合は塩を振り掛ければ離れる。夏場に野山に入るなら塩は必携である。

◆・・・・・・・・
◆ヒレ・・・・・・・・ヒレ、ひれ、鰭、簸れが有る。薄く、布切れのようなもの。
◆ヒロ・・・・・・・・

◆疲労・・・・・・・・「疲れ」を参照。

▲琵琶・・・・・・・・

▲琵琶湖・・・・・・・・琵琶湖の水は海流のように流れているのだろうか。その点について琵琶湖研究所は05/2/2
2、「琵琶湖の北湖では直径15km程度の時計回りの還流のある事が分かった」と発表した。時計回りは冬季に起き
るが、逆回りは夏季に起こる。夏季の場合は3還流が既に確認されている。

その速さは秒速20cm。また冬季の還流の際に、湖底の酸素濃度が急激に回復していた事が分かった。琵琶湖は最
大水深約104mだが、湖底付近の酸素が少なくなると、湖底泥に蓄積したリンや窒素、硫化物が水中に溶け出し、水
質が悪化する可能性があると言う。

◆ひん・・・・・・・・

貧困・・・・・・・「人はパンのみで生きるものではない」と胸を張り、「武士は喰わねど高楊枝」で暮すのも高潔な生き方
です。とは言うものの、「貧すれば鈍し鈍すれば貧する」とも言われる。凡そ、病-->貧-->争・・・のプロセスで悪循環
に進むので「病・貧・争」が三大悪とも言われる。

95〜04年の大阪の生活保護は人口1000人当たり11〜23.2人に増えた。他方、06/10/16朝日記事によれば、生活保護
(別項参照)を受けずに借金した人の4割が多重債務-->「自己破産」と言う結果になっていた。「生活保護はどう
も・・・」と言う素朴な遠慮からこうなるのだろうか。弁護士会の調べでは借金は殆どサラ金からだった。

もし生活費に追われだしたら其れまでの生活習慣を時々チェックする必要が有ります。間違っても500万円以下で将来
の可能性の芽を摘む事になる「自己破産」手続きに走らないよう、気をつけたいですね。

◆ヒンズー教・・・・・・・・インド教。hindu族の宗教。インドはシナと共に古来、月の国である。かつて王国が有ったハン
ピ遺跡(世界遺産)。寺院には音楽が溢れた。此処には巨石がゴロゴロしていて、今もお碗の船で川を渡るなど不便な
所にある。インドの結婚式は町中で行われ、其のパレードの周りを踊り回って進む光景が見られる。

人々はゆったりと牛を連れて農耕で暮す。牛は神獣であり、人間よりも大事にされる。因みにインドの燃料の大半は牛
糞燃料なので、石油がなくても当分心配ない。



◆ビンズル・・・・・・・・梵語の不動(pindola)の意。16羅漢の第一で日本では不動尊の脇に祀られる事が多い。俗に頭
を撫でて病気快癒を願う。

貧乏・・・・・・・「貧困」を参照。








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