http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page334.html


     日知り事典      ヒ〜ヒタゴ

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●ひ・・・・・・「ひ」は日(太陽)であり、暦日の月「日」であり、火であり、霊(ひ)である。日と火が共に「ひ」になるのは矛
盾のように見えるが、天の火に対する地の火であるから混同する必要はない。「ひ」はまた、方位の西北(裏鬼門)であ
り、「左」のであり、数字の「一つ・ヒトツ」、一二三の「ひ」を意味する言霊である。

・・・・・・・・日本的な美しさは心であり、次が所作や音であり、そして最後に姿かたちである。所がシナ、漢文明で
は「太った羊」で、即ち「美」と言う会意文字にした。モノ金主義の所産と言えよう。また月を祭る月族(別項を参照)の心
情は大きなものは美しいとする。

其れが巨物崇拝と箱物主義、そして覇権主義となっている。日本人でも渡来系や女性たちはこの心情から抜け出せな
いが、巨物、巨人、大仏、デクノボーなど、大きなものに「美しくて良いもの」などは日本には昔からなかったのである。


◆PSE・・・・・・・・・電安法を参照。

BHC・・・・・・・・リンデンとも言う。1945年に英国のローランド、スレード両博士が発見した。有機塩素系の殺虫剤とし
て戦後活躍した農薬だが、人体にも有害で肝臓・腎臓に障害を及ぼす。なので今は製造・販売・使用共に禁止されてい
る。粉剤などは燃やせばダイオキシンが発生するので、もし見つけたら農協に相談してメーカーに引き取って貰う事。

BSE・・・・・・・・狂牛病。草食動物に肉粉を与え続ける結果として狂う事。イギリスから広がった。人には感染しない
とされていたが、脳など特定感染部位を食べれば感染する。米国のBSE対策に対する不信感から日本では牛肉輸入
を中止していたが、約定に違反して米国が検査不十分のため骨付き牛肉を輸出した。

「国民の安全を守る」と言う政府の建前に対する問題として05年末には再び輸入中止としたが、米国からの圧力が続
く中、06/2/1の国会では厚労省の対応が問題となった。生肉だけではなく、米国内でさえ肝臓エキスなどの医薬品
が問題になっているのに、日本は野放しではないかと追求された。

厚労省は、肝臓エキス250品目、バイオ系100、カプセル系1750品目、凡そ2800品目の中で17〜19品目につい
て問題が有る。此れを公表すると川崎大臣が約束したが・・・・・・

●ヒウケ(日受け)・・・・・・「受け日」を参照。

火打ち石・・・・・石器時代から世界中で使われて来た生活必需品。火打ち石は鉄片(火打ちがね)に打ち付けて火
を発する発火器であり、昔は男に必需の携帯品だった。火打石をカチッと打った時に火花が出るのを下に置いたガマ
の穂、または綿などに落として火を起こすので、湿気は大敵。

火打ち石そのものは、古生代に於いて放散虫やプランクトンなど、海中生物の死骸の珪酸質による変成岩であり、海
岸部などに有る普通の岩盤である。地質学ではチャートと呼び、此れを年代測定の指標とする。また日本では河原に
乳白色の石として散見する。

また昔から「金山」と呼ばれる山に産する事が多く、深山ではこの石にだけ「イワタケ」が繁茂する。つまり逆説になる
が、イワタケがある岩場そのものが火打石の山であり、鉱物資源の宝庫である。所がイワタケは10年で1mm程しか
伸びないから中々ない貴重種であり、格別珍味とは言えないが、仙人の食べ物と言われた。

外にも火縄銃にとって火打石は重要であり、江戸時代には携帯用の「鉄砲火打ち」が作られた。此れは西洋式のもの
を改良したカラクリ式の携帯用ライターだった。

そんな訳で火は昔から其れほど大切にされたので囲炉裏や竈には必ず火種を残し、其れを守るのが主婦の務めだっ
た。だが、今ではライターにとって代わられて人の意識に「火を大切にする」心はなくなった。僅かに、神事に際して「キ
リ火」を行う時にだけ「火打ち、火きり」が使われる。「キリ火」とは、火によるお清めである。

ヒエラポリス・・・・・・・・・トルコにある。1cから栄えて約4.5万人が暮らしていたが2c頃にローマ帝国に支配された。1.5
万人収容の円形劇場や大浴槽が残る。町の水は何処から得たのか。山側にはマグマから噴出した広大な白亜の石灰
棚(石灰岩の水槽)がある。ローマ帝国は800もの温泉があった。市民にパンとバスを与えるのがローマの政治だった。

今も古代の床暖房が見られる。此処は同時に昔からパキスタンと並んで良質の綿花の栽培地でした。綿花と綿織物が
古代ローマに大きな富をもたらしたので今も1000ヶに及ぶ石棺が散在する。ユダヤ人は石棺に7灯を記した。各地から
色んな人たちが此の地で死のうとやって来た。だが地震で滅びた。

1354年の地震で水の神殿も崩壊し、今やっと観光地として復活した(06/9/16のNHK総合TVより引用)。

ヒエログリフ・・・・・一般的には古代エジプトの聖・神官文字を言う(シャンポリオンを参照)が、実は其の多くが絵文
字であってヒジリとは言えない。寧ろ日本のホツマのヲシデこそヒジリ文字である。

日影の科学・・・・・・日影は毎日一定の動きをします。どうしてでしょうか。古来此れを知るのが聖(日知り)でした。
・南中時刻はどう求まるか?---毎分ごとに日影の長さの変化を厳しくチェックすると分かる。
・南中時刻が正午にならないのはなぜか?---黄道と赤道との関係。

・一定時間に太陽の移動する速さについてどのようなことがいえるか?---太陽は人間の考えで機械的に動いている
のではない。一定の時空間になるのは春分と秋分。角度が大幅に違う理由はケプラーの法則が参考になる。

・日の出や日の入り、太陽の動く方向はなぜ決まっているか?---地球が太陽の周りを1年かけて回っている為、何万
年もの間、1年の締め括りとして冬至に元の位置に戻る。以上が分かれば、今の西暦の矛盾が分かります。

其れに対して、日本が古来何故、太陽を主として暮らしてきたかが認識できます(以上、http://detail.chiebukuro.yahoo.
co.jp/qa/question_detail/q1011218585「ヤフー知恵袋」に回答した)。

ヒガシ・・・・・・東、またはヒムガシの事で、漢字では「東」と書いた。それは「木」の字(木を参照)に朝日が入った事を
示し、其れで東方を意味する文字としたもの。太陽は必ず東から出ます。五行・九星学でも、方位の東は木性と決まっ
ていた。ただ12支の方位では東を「卯」とした。

卯は日の出の方位であり、其の字は地平線に対して太陽が二つに分かれる地点であるから其の形を漢字でも卯の形
に残している。

東山三十六峰・・・・・・・京都は山城の国と言われたように山間の盆地であり、東西には丘陵地があり、南には石清
水、北には北山が有る。中でも東山を古来「東山36峰」と呼んだ。

東山には足利義政の銀閣寺など名所旧跡が多いとは言え、其の東山文化が山間の銀閣寺ではなくて、寧ろ対極の北
山・金閣寺や嵯峨・嵐山など西山側の室町時代の文化として栄えたとすれば皮肉である。つまり東山とは足利将軍義
満の建てた金閣寺のある北山や大徳寺、天竜寺やもしくは御所から見たものではなかったか。

しかも東山には36もの峰が連なっているとは思えない。一般に北は如意が岳から南の稲荷山までを言うが、此れは山
並みの起伏を方位の目印としたものであったろう。例えば北から見て叡山775m、瓜生山301、東には大文字山466mと
如意ヶ岳477m、次に清水山242m、そして巽に稲荷山233m(何れも標高)がある。

そうすれば仮に金閣寺や御所の御堂の東面を36に区切って見た時に、36×2の4周が288となるので月の巡りを数えら
れる。または36×60方で2160年とする天文単位を確認したものと推定できる。また6×6は36であるが、12×3、即ち
一ヶ月を十日刻み、即ち一旬として数えると年に36旬を数える。

口分田や条里制、そして土地区割りには三倍数から九画を基本とした。其の四方倍がこの36であり、外にも和歌では
三十六歌仙を選び、今も其の絵額を拝殿の鴨居に掲げる社寺があり、例えば壁の四方に九枚づつ掛けて36枚とし
た。東山の36も、其れと同じ原理だった。


干潟・・・・・・・干潟は海のゆりかご。アサリなどはプランクトンを食べて1時間に1リットルの海水を浄化する。だが戦
後四割に減った。干潟が減れば貝や海藻類も減って赤潮発生となる。愛知・三河湾の六条潟ではアサリの大量死(全
滅)が二回あった。近くに深さ3m広さ70haの巨大な浚渫窪地が出来たからと思われた。

付近の6mの海底は澄んでいて貝や海藻類など生物も多い。其れに対して窪地(9m)の海底の泥はフワフワしていて
酸素の融和度が20%と低く、酸欠状態のヘドロになっていて、大量の硫化物が堆積して黒くなっていた。其処で費用を
掛けて埋め戻した所、1年未満で酸素飽和度が60%まで上昇した。

生物が戻って来たのです(以上、06/6/17のNHK教育TVより引用)。

・・・・・・「神は光である」と言うのがキリスト教である。確かに教会・聖堂は高い窓にステンドグラスを入れて幻想的
な光の空間を演出している。イスラム寺院も矢張りこうした様式である。其れに対して東洋でも同様に考えていた事が
光の文字(次項を参照)に示されている。

の字義・・・・・・「光」の意味は日光や月光、さまざまな「光」を表します。「光沢」のようにつやを表したり、「光景」な
どの景色、「光栄」などのように誉れや栄も表します。「光陰矢のごとし」のように、歳月や時間を指すこともありますね。
光の字の成り立ちは「火」+「にんにょう」です。

「光」部首は「にんにょう(「元」の字から「二」を除いた部分)」で、人の象形です。二つを合わせて人の頭上で光る火を
表し、「光」の意味となります。-----以上は【作務衣の専門館 伝統芸術を着る会】 http://www.samue-e.com/メルマ
ガ#知的道楽# mag@samue-e.comより転載。

こうした通説に対して次はヒジリの解釈(異説)を述べる。「小」の字に似た字は日月星の三光を意味し、横線は地平線
を意味した。従ってその下は人間世界を意味する。因みに「ル」の字は「人あし」と言い、兄、鬼、其れに競の字にも付
いています。つまり光は止まらず走る事を示した。

この様に「光」の字は、上天の日月星の光が不動のものではなくて、常に流動するものと見たが、其の前提の上に、人
は其の動きに合わせて走り回る事をも意味した。つまり四季の変化で色彩が変わり、人の暮らしも変わる事を示した。
同時に天文観測で暦時を知ろうとした当時の作業の形を借りて、抽象的な光の意味を表したものも思います。

彼岸・・・・・・春分の日と秋分の日を中日と言い、其れを挟んだ前後7日間を「ヒガン」と言う。この間に法要や墓参
をする風習が有る。この頃は日の出と日の入りが真東から真西になり、一日の昼夜の時間が略同じになる。其れが先
の「卯」の字や「中」の字で示された。

其の点、水の教えの仏教で言う彼岸は、煩悩の向う岸の事であり、例えば「三途の川」があの世と此の世とを隔ててい
るとしている。其の川の向こう側を彼岸と言い、其れに対する此の世を「此岸」と見た(2005年3月15日号 Vol.62より一
部引用 )。

彼岸だんご・・・・・・【メルマガ いばらき】お彼岸が近づくとスーパーの店頭や和菓子屋さんに必ず並ぶのが「おは
ぎ」と「ぼた餅」。でも知ってますか?「おはぎ」と「ぼた餅」の違いって。こしあんがおはぎで粒あんがぼた餅とか?実は
これ、全く同じもの。春のお彼岸で作るものを「ぼた餅」、秋のお彼岸で作るものを「おはぎ」と言うだけなんです。

なぜ季節によって呼び名を変えるのかというと、それぞれの季節の花の名前に由来しているからなんだそうです。春の
お彼岸の時期に咲いている花は牡丹。だから「牡丹餅(ぼたもち)」。そして秋のお彼岸の頃に咲いている花は萩。だか
ら「お萩(おはぎ)」なんだそうです。

季節によって呼び名が変わるなんて風流ですよね(以上はhttp://www.pref.ibaraki.jp/movie/index.より引用)。

彼岸花・・・・・・秋の彼岸の頃になると決まって真紅の花を咲かせる野草。其れまで何も無かった土手に突然、彼
方此方に凛と立って「一人立ち」するので、誰もが不思議に思いながら秋の彼岸になった事を思い知らせる花である。
多年草の一種の深紅の花でマンジュシャゲ(曼珠沙華)ともハミズハナミズとも言う。

またシビト花とも葬式花とも言う。1本の茎に小さな八ヶの輪状の蕾を付ける。其れが各々6枚の花びらと7本の蕊(し
べ)でなっている。彼岸花は球根から生えるので種子が生らない言わばウマヅメ植物。彼岸の頃になると不思議な事に
突然出て来て燃え盛るように畑や田んぼの畦を彩るために人の心を揺り動かす。

しかも、彼岸の終わる頃には散るのではなくて色香がうせて萎む。其の色形が無残に見える事から不吉と見る人と、其
れとは逆に、「実に繊細で美しい」と見る人も多い。細く長い付け睫(まつげ)のような蕊(しべ)の鋭い美しさと其の儚い
命を「美しい」と見る訳である。ただあれは「花」と言っても他の花弁と同じものではない。

因みにマンジュシャゲ(曼珠沙華)とマンダラゲとは違う。前者は赤く、後者は白花、白い蓮華である(「マンダラゲ」」を
参照)。彼岸花は種子で増えるのではなく、ムクミ(浮腫み)取りの薬効があるため、人によって球根から増やした。しか
も其の球根には良質の澱粉が有るため飢饉の時のために備えた。

ただ、アルカロイドを含むので其れを旨く洗い出さなければ中毒を起こす(有毒である)。


ビキニ事件・・・・・・・1942年、米国はマンハッタン計画により、コンゴから輸入した3万トンのウランから原爆を開
発して45/7月にプルトニウム型原爆の実験に成功した後、ウラン型原爆を広島に、次にプルトニウム型原爆を長崎
に落として日本人を人類初の実験体にした。

その後、鳩山内閣のときの1954/3/1、広島型原爆の1000倍の規模の水爆をビキニ環礁で実験した。近くの島
には「死の灰」が3cmも降り積もった。しかし住民が被爆したのに米国は被爆者としての手当てさえせず何故か54時
間も放置した。この問題が94年に暴露し、ビキニ(プロジェクト4.1)事件となった。

近くで操業していたマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員も12名が死亡し、付近で取れるマグロも汚染した。此れで米国
は日本人とマーシャル諸島の住民までモルモットにした事になる。つまり意図的に被爆させ、人体実験にした疑いが強
い。米国はこれまで既に67回も核実験を続けている(一部は04/8/4NHK総合TV、「クローズアップ関西」より)。

▲飛脚・・・・・・源頼朝が鎌倉と京都間を七日間で行き来させたのが始まり。其れまでは二十日間ほど掛かっていたの
を武士が馬を乗り継いで走って何とか辿り着いたが、高低差700mの高い山ばかりの峠を幾つも越える箱根八里は
かなりの難所だった。江戸時代になると宿場が出来て馬飛脚の外に、定飛脚や町飛脚も盛んになった。

★飛行機の歴史・・・・・・・人が鳥のように空を飛ぶのは永年の悲願だった。其の夢を約100年前の1903/12/1
7、アメリカのライト兄弟が初飛行で実現した。彼らは自転車屋だったが、小型エンジンを付けて飛んだ。

この日の午前10:00に小屋から引き出し、10:35にエンジン始動し、弟が乗って地上から3m上がって36.6mの距
離を12秒間かけて初フライトに成功した。ただ飛行機の飛行原理は科学では良く分かっていない。一応物理学では揚
力と言う説明をして来たが、其れが全てではなく経験則で試行錯誤している途上にある。

飛行原理は実は波動である(振動を参照)。

また飛行機にはジンクスがある。かつて天下一家の会長がネズミ講で巨利を得て自家用機を乗り回した。ライブドアの
ホリエモンやヒューザー社長も同様。自由に飛びまわるのは男の夢であるが其のときが絶頂期だった。実力があって
人の上を飛行するなら落ちないが、少し早めに舞い上がった場合は逮捕され、失速して急降下・墜落するようである。

被災者救済・・・・・・被災者を救済しようとする善意、または其れを装う詐欺や偽善的な行為。例えば義捐金など
は善意であるが、偽の窓口を作るケースも多い。また地震・噴火や津波・洪水があれば必ず「被災者救済」を目的とし
た話が出て来るが、誰が何を救済できるのだろう。命を失い、家を失った魂や人に対して、何をどうするのだろうか。

例えば被災にはそうなる因縁がある。決して偶然や不運で遭遇するものではなくて個人には因縁と心因があった結果
として必然的に災害としたり被災する。或いは社会的には人災が介在したからです。其れが分からない場合には救済
しようにも無理である。

例えば天災・地異ならば其の神を祭って亡霊の救済と以後の平穏を祈り、或いは人災であったなら責任者が懺悔して
供養する事である。そうして以後祟らない事を祈る事がなければ魂の救済はできない。しかし「救済」で最も肝心な筈
の、この話題は一切出ない事が多い。

出るのは決まって「救済出来る」と言う前提で被災者救済法が議決され、関係諸機関が其の都度増大し、各々に巨費
が配分される。とすれば不思議な事です。組織が在りながら現実に何も出来なかったのが過去の事実であるからだ。
ただ、命は戻らないが怪我には対応できる。

其処で医療が救援の筆頭に立つが、例えば医療関係者は他の業界と比べて高齢化と一億総半病人の中、不況知ら
ずである。にも拘わらず何かと言うと平気で経営難を理由にする。こうした所に災害時に何かを当てに出来るのだろう
か。その点で自衛隊が一番心強い所であり、実際此処は災害派遣で一番活躍して来た実績がある。

とは言うものの、救済の専門職でもゴミ回収業者でもないので何でも頼るのは無理と言うものです。実際、自治体は自
分がなすべき危険負担をせずに自衛隊に押し付け、或いはゴミ片付けまでさせて来た。さて、救済である。神仏を敬い
先祖を供養し、また自然の摂理に有った暮らしなどが「大難を小難に」する秘訣である。

つまり個人の平素の心がけが自己救済であり、自己責任でなされる自立救済である。其れとは逆に常に危険性のある
大都市に暮らして欲望のまま生きていれば災難にあって俄かに神頼みしたって遅いし効果もない。だから社会や他人
やお役所に泣きつく事になりますが、こうした他力本願は総て「後の祭り」である。


ビザンツ帝国・・・・・・・東ローマ帝国。ローマはコロッセオと共に栄え、共に亡びた。ゲルマン人が北から侵入して
4c末にローマは東西に分裂し、其の後5c、チェコにドイツ王が「神聖ローマ帝国」の元を作り、やがてプラハ城(ハプス
ブルク時代のもの)を中心に約1000年続いた。其れがボヘミア文化である。

また東ローマが残ってビザンツ帝国(別項参照)として6c〜15c栄えた。ビザンツ帝国は地中海の東のコンスタンティノ
ーブル(ビザンティウム、イスタンブール)を中心とした。皇帝はユスティニアヌス1世、皇妃がテオドラであった。彼女は
元は踊り子であり、言わばシンデレラ物語のように皇妃となり、やがて皇帝を支え、また人民救済に尽くした。

コンスタンティノーブルは以後1000年続くローマの国際貿易都市として15cまで栄えた。ただローマ帝国は伝統的にパン
とサーカスを只で市民に提供するのが皇帝の務めであり、連日競技場では馬の戦車と剣闘士の争いを続けた。日本
は当時、古墳時代後期から飛鳥時代になり、百済から仏教が伝来していた。

南米ではマヤ文明が栄えていた。地中海の西は西ローマ帝国に代って西ゴート王国やフランク王国、アングロ・サクソ
ン7王国、ヴァンダル王国、ランゴバルド王国などが興っていた。当初此処ではユスティニアヌス1世の増税により、532
年に其れに反発してニカの乱となり、皇帝が逃げようとした時に皇妃テオドラが「逃げてはいけない」と諌めた。

よって皇帝のその後の治世が変わったと言われる。皇帝は逃げずに数万の犠牲を出したが反乱を鎮圧し、その後、西
に進出して地中海全域を支配する事となった。更にローマ法大全を作り、聖ソフィア教会(カトリック)を完成し、或いは
養蚕と絹織物工業を東から採り入れて以後のローマを栄えさせた。

ローマ法大全はローマ法を集大成したものであり、近代法の元となったとも言われる。ただ548年にテオドラが死去する
や皇帝の力はなくなり、其の17年後に死去した。地中海南部(アフリカ北部)はイスラム勢力に占拠されて支配地が小
さくなった。また公用語がラテン語からギリシャ語になり、ローマ固有のキリスト教がギリシャ正教となった。

(以上、06/6/12のNHK教育テレビより引用)。また現代のローマ帝国・アメリカが、享楽的なラスベガス文明を支える
ためにイラクを侵攻し、其の資金を日本に負担させる構図は先の東西ローマ帝国の仕組みと似ている。

★毘沙門天・・・・・・・別紙の「月ヨミ」を参照。

比重・・・・・・・ある物質の密度と、標準(摂氏4度の蒸留水)の密度との比。水を1として、其れよりも軽いガソリンなら
0.71、軽油0.80、重油0.82などとしている。普通は比重計を使って調べる。水より重いのは石や金属であり、例えば石英
なら2.6、鉄ミョウバン類なら1.71、赤鉄鉱は4.9〜5.3など。

ヒジリ(日知り)・・・・・・どうして仙人や魔法使いは杖を持って描かれるのでしょう。昔の王様(キング)も剣ではなく
玉杖を持って描かれている。其れはヒジリのシンボルが杖と帽子だったからです。炎天下で太陽観測するには、この二
つが必要でした。其の点、剣や馬はヒジリではなくて武人や泥棒の道具でした。

聖と俗との違いは其の対象が無形(形而上)か有形(形而下)かの違いである。要するに聖とは、捉え難い天上の事象を
知り、また霊界と言う抽象的な概念や無形の現象を的確に把握する事を教えた先生。或いは見えない事象を目に見え
る形にコトワケ(翻訳)できる人である。

其れに対して俗人とは天下の事、つまり初めから目に見える形や目の下の物にだけ関心と執着を持つ、その他大勢
の人達を言う。其の点で昔から日本人はモノカネよりも天気とか人間関係に関心が高かった。其れに日本には今で
も、日高見、日立、日向などの名が残る通り、古来日本は「日を祭る」宗主国として尊崇されて来ました。

中でもヒジリは「日知り」であると同時に「霊知り」として、取り分け太陽観測によって方位を決し、其れで円暦を作っ
た。そして大目的である先祖祭りをして来ました。そうした役柄の人たちはやがて神として祭られた。また其の方を後々
まで祭る仕組み(事業体)を作った人が王と呼ばれた。

何れにせよ日本のヒジリは神となったものの、其の神を恐れる勢力がヒジリを「鬼」として民から遠ざけて来た。要する
に、渡来・新参の勢力が、ヒジリとは逆の大和朝廷を拵えるために、元からいた原日本人(和人・出雲など旧勢力)を恐
れて、「鬼」と言う抽象的・架空の概念も拵えた。

そして祭りを祭り事として税金を徴収し、其れに従わない勢力を「まつろわぬ鬼」として見せるために神楽を通じて、事
有る毎に「鬼」を悪者として宣伝して何とか此れまで誤魔化して来ました。何れにせよ、神・ヒジリ・鬼のような方々を担
ぐのが神輿であり、その神輿はヒジリのいた御堂をミニチュアにしたものでした(「鬼」、「御堂」を参照)。

そうした祭りを「祭り事」とし、即ち「政」の字を当てたのです。政の字は「父を正す」と書くが、此れは先祖を祭り、「血筋
を正す」意味である。其れを聖治と言い、其れに帰化した渡来人まで従う事を聖化と言った。古来日本にはこうした聖
化を慕って海外から留学し、帰化する人が絶えず、青年期の釈迦、孔子、イエスなども舞い来っていた。

其れが竹之内文献にも記載されている。従ってシナの諸子百家が好んで名前に「子」の字を付けた。其れは真北から
南面して太陽を観測する立場、つまりヒジリ(日子・彦)である事を自称したものでした(「真北」、「天子南面」を参照)。
ヒジリはやがて神や神子とされた。

更に生きているヒジリとしては王や王子(皇子)、巫・巫女、そして前記の「子」の名の付く方々の外、官職では太政官(お
ほきおとど)、大臣、神祇伯(かみつかさのかみ)、朝臣、弁官も含められる。其れを寺院では弁天、観音として象り、職
制では忌寸、祝(ハフリ)等がいた。或いはヒジリが宿禰と言う立場の家柄を継いで来た。

此れが単なる引継ぎ・世襲とは別の、言わば「日継ぎ」の意味でした。時代が下って江戸時代の大和守など地方の領
主も「かみ」とされ、「殿」と呼ばれたのは、矢張りヒジリの側面を持っていたからだろう。其れは日本の神が武力ではな
くて、丘の上に御堂を立てて暦を観測する伝統があったために、言葉だけで同じ立場を示したのです。

例えば天守閣は物見櫓ではなくて四畳半の御堂、つまり観測場の要件に合致している(「ミアラカ」、「御堂」を参照)。だ
から天守閣は特定の大名しか持てなかった。外にも日本では神の名が付く地名や苗字が多数に及ぶが、諸外国には
少ない。ただスペイン語でSalvadorは救世主、ラテン語とスペイン語ではSanが「聖」を意味した。

またドイツ語ではSankt、スペイン語ではSanto、Santa、ポルトガル語ではSao、フラマン語ではSint、ハンガリー語
でSzent・・・・が各々「聖」を意味する地名である。それからルーマニア語でSoaraが「太陽」だ。

所が、日本の場合、仏教渡来以後はヒジリの神皇からやがて天皇(人皇)となり、或いは御門(みかど)からやがて上
皇・法皇となり、更に「おおき」(太政大臣)に政が委譲され、更には弁官やサカン(目)に下請けさせるなど、其の役割が
低下して行った。

稲作・仏教・漢字・唐風渡来文明によって徐々に日は落ち、黄泉(夜見)の月を愛でて暗がりを好む京風のミヤビの時
にしたのです。日向(ひなた)よりも日影のある宮事、或いは侘び寂びや秘め事が奥床しいような観念となった。更に
時代が下がるに連れて法事も時報も侍僧の職能とされるに及び、ヒジリの意味も分らなくなりました。

例えば中世の街中には遊行聖が横行し、室町以降のヒジリは貧乏人の代名詞として、或いは乞食と同類に看做される
まで零落した。また例えば戦国時代の尼崎の寺ではヒジリは死体処理人になっている。それでも未だ、ヒジリの意味は
人々の記憶に微かに残っていた。けれども今はどうですか。今の日本でも毎日生まれる人がいる。

しかしそれ以上に死んで行く人がある以上、死体処理人はなくてはならない存在です。ですが現代社会ではヒジリが全
く誤解され、或いは有名無実の存在になっているのみならず、今では「聖堂」「聖書」「聖教」などの文字が俗世間に幾ら
でも溢れるようになった。聖職者と言う人たちも多いが全て「日知り」とは無縁だ。

単に職制や立場として世襲していても彼らは決まりきったモノコトを言い、ビジネスにしているに過ぎない。この様に言
葉は有るが、ヒジリ(日知り)は見えなくなった。

唯一、其れらしい職業として気象庁や天文・暦関係者があるものの、彼等は天体のうち、日ではなくて星にしか関心が
ないし、「太陽暦」とは言ってみてもカトリックの星のカレンダーしか作れない。ましてや霊的な事には無知であるからヒ
ジリからはやはり遠い。

とすれば戦国時代以後、人の上に立たず人の下に置かれて目立つ事無く今までヒジリの実務と伝統を守って来たのは
葬儀社か墓地関係者だけかも知れない。だが読者がもしヒジリになってやろうと思うなら簡単だ。先ずは別紙の「V屋
根」かバケツを野外に置いて、降った雨水を飲めば良い。

人は此れまで牛馬の如く働く必要から力(ちから)を得るため力の源泉である父母からの血や乳、それに土からの食物
に頼りすぎた。地べたを這って来た水道水でも飲んで力を付けようとしました。力は「血から、地から」摂取した。だが聖
や仙人は少なくとも今のような下水ブレンドの水道水を飲まなかった。

利権の絡んだ狭い「地から」ではなく、天からの新鮮なエネルギーで自ら(水から)「気」を養ったのです。其れが言わば
ヒジリの蘇りの気であり、「知力・知性」を養うでしょう。

ヒジリ(日尻)・・・・・・出雲には日御碕(ひのみさき)神社、そして和歌山市には日前(ひのくま)神社があり、また各
地に日向(ひなた)の地名があり、宮崎では日向(ひゅうが)と読む。さて肥後の由来については普通、肥前と肥後の意
味から見ますが、日向と「日後」として見れば、肥後は矢張り「日尻り=ヒジリ」の意味が強まると言えます。

のみならず肥後は日立に対応する位置づけがあった。日立の近くに水府村と金砂郷村があって、東西の金砂神社(大
己貴命、国常立命、少彦名命)が有り、また日立市には神峰山がある。つまり日立から夏至の日の出があり、冬至に
は肥後の幣立神宮に日没するのです。

此処から日立(日発つ)に対して、幣立神社が日没を意味する「阿蘇・日の宮」と言われた。また此処は高天原とも言わ
れたようです。つまり天照大神が天岩戸にお隠れになったと言う、其の地が「日隠れる宮」であり、事実「日篭る宮」とも
言われる。そのように見れば肥後は少なくとも「日尻」だったと見られる(歳時記の8/23を参照)。

また日の出を日出と書いてヒジと読むが、兵庫県の宍粟市には古来、比治里がある。

ヒジリ・王・・・・・・大王の事。と言えば、今の常識では皇帝より下位にランク付けするだろうが、かつては最高位であ
り、オオキミとも呼ばれ、もっと古くは大神とも呼ばれた。日本の天皇も辛うじてその筋である。天皇の場合は、諸外国
のキングや皇帝が前政権と戦って血を流して権力を奪って制圧し、以後も武力で君臨したのとは全く違う。

皇帝などは一時、絶対的な権力を持ってもやがて一たび危なくなったら海外逃亡する。天皇はこうした権力者たちとは
対照的に、戦わずして祭り上げられた存在だった。神皇や古の天皇は、そうした皇帝とかキングとは違い、太陽観測を
続けて暦を作り、やがてヒジリや神となった方々です。

ヒジリコ・・・・・泥の事。

美女・・・・・・・美しい人。美男美女のうちの此処では美しい女性。個人差があるので一般的・客観的に定義するの
は難しい。因みに婦人公論は06/5/7号の見出しで「美しい人には品がある」と書いている。また世界三大美女としてク
レオパトラと楊貴妃と小野小町が人の口に挙がる。

クレオパトラは古代エジプトの女王としてローマのシーザーら敵対勢力の権力者さえも其の美貌で虜にして一度は祖国
を滅亡の危機から救ったが、悲惨な最期を遂げる(コプラに噛ませて自殺した)。

楊貴妃は玄宗皇帝を色香で惑わし、国を傾けた。彼女は体身香と言う媚薬を用いて体から良い匂いを発散させたので
玄宗をトリコにしてしまった(匂いを参照)。外にも古来、女人は「夜目、遠目、傘の内」が良しとされて来た。真昼間に見
るより多少暗がりで見るほうがより美しく、しかも余りズームアップせずにチラッと見るくらいが良い。

或いは昼間なら傘を差した女性や屋内で見たほうがより美しく見えると言うのでしょう。其れに玉を転がすようなお声の
ウグイス嬢などを声美人(下記の「美声」を参照)と言う。但し今はミニを履いて闊歩するかビキニを着てビーチで男の
目を眩ますほうがより強くアピールできるかも。

美人・・・・・・・美しい人。

ひす・・・・・・

ヒスイ(翡翠)・・・・・緑青色の硬玉。今も糸魚川流域に有って、海岸部に近い長者ヶ原遺跡は4500年前には翡翠の
加工地だった。上流の姫川渓谷には翡翠渓谷もある。白くて大きな岩が、磨けば緑色の半透明の翡翠になります。此
処からは当時、翡翠が東日本から北海道に掛けて運ばれた。

07/6/6日の朝日によれば、「熊本でもヒスイに似た玉類が産出した。だが熊本の玉類はヒスイではなくて、クロムを含
む白雲母である」と言う。何れにせよ翡翠はダイヤに次ぐ硬さであるのに人力でどうやって穴を開けたのか。現地で木
島先生は、笹竹を火きりのように廻して2〜3日掛けて空ける事が出来た。

翡翠を砂岩の砥石で磨けば石の粉が副産物として出来る。其の粉(石英屑砂)を竹の先に付けて廻せば少しづつ削れ
ると言う。だが此処は縄文時代に活躍したが3000年前には人が消えた。

元の住民が此処から追い出されたのだろうか。弥生時代からは東日本には運ばれず、西日本に運ばれた。西日本に
は稲作が広がって来た。ただ西日本では小さな勾玉に変わる。当時の翡翠の最後のものは東大寺三月堂の不空羂索
観音の冠に翡翠の勾玉として飾られた(05/12/1日のNHK教育TVより一部引用)。

価値観が弥生になって大きく変わる。石よりも金へと変わった。青々とした春の息吹よりも黄金色の稲穂の秋の山吹色
にである。このためかやがて1000年以上忘れられていて、戦後に再発見された。海外ではビルマ、チベット、ミャンマ
ー、南米、メキシコなど六カ国にしか産出しない。だから其れまでの日本は輸入していたのです。

ただ偽モノや低質のオニックス(縞メノウ)を翡翠として売る所もある。翡翠は単なる宝石や装飾品ではなくて、子宝を
産む「日を吸う」石であったろう。つまり神霊の波動を吸う石と考えられる。だから珍重された。特に女性にです。事実宝
石類は男よりも女性に関心が高く、男は無関心である。

装身具でも数珠でも男者は金属や木製が多く、宝石類は女物です。神とか彼の心を受け取る受信機として根強く信仰
され使われて来た可能性がある。と言ってもモノカネ主義人は信じないだろうが、例えばシナや高麗青磁(別項参照)
は入手困難な翡翠の玉器を何とか人工的に作ろうとした。

そうして陶磁器に発展したものと言えるし、また戦後にやっとシリコンから整流器が出来た事や、水晶が発信器として
使われ出した事を思えば、翡翠の利用法も古来、宝飾品以外に観測器と呪術祭器としての用法があったと考えられる
筈である。

美声・・・・・・・麗しき声。綺麗な声。鈴や玉を転がすような声。ハッキリした声。天使のような声。歌う様な声。艶のあ
る艶かしい声。例えば戦後、プレスリーの声に痺シビれた世代もありました。彼の顔つきや米語の歌詞にではなくて彼の
声に魅せられたのです。また裕次郎の歌や美空ひばりに魅せられた世代もありました。何故でしょう。

そして中には鶯嬢と言われる美声の持ち主がいます。ウグイスの場合は日増しに美声になるので人はその声にうっと
りします。ウグイスの顔ではなくて声にです。ウグイスの姿が見えなくても、彼女の前から去ろうとしても声だけは追いか
けるように聞こえて来るのですからつい引き込まれます。

美顔以上に異性をつい蕩とろけさせてしまうチカラが美声には有るようです(声を参照)。人間の場合でもウグイスのよう
な美声に惚れる男がいますが、ただ妙齢の時期を過ぎて艶が涸れるに従ってカエルのようにゲロゲロ泣くように変化す
るケースがありますので念のため。

微生物・・・・・・人は二足歩行で土を踏んで歩くが、其の片足の下には無機物の土だけではなくて、何億もの微生物
がいて働いている。

微生物の働き・・・・・・雑草が一年中、同じ所に生え続けている事はなく、四季それぞれ違う草花が入れ替わり立ち
代り生え変わり交替しています。微生物も同様に四季に応じて別の種類のものが繁殖し、活躍する。例えば春は麹
菌、夏は乳酸菌、秋になって納豆菌、そして冬には酵母菌と言うように循環する(カビを参照)。

なので、其れに応じて農作業すれば旨く行く。先ず四季に応じた堆肥作りです。微生物が旨く働くようにすれば、牛小屋
も清潔で悪臭もハエも発生しない。でも現代人は「そんな事より化学肥料の方が手っ取り早い」と言うだろうが、そうす
れば収量が一時上がっても結局は田畑を弱らせ、害虫発生となるのです。

田畑は肥料ではなくて土が作物を作って行く。其の土はこの微生物なのであって、微生物が働くためには酸素が必要
である。其れを理解せずに「肥料と水と農薬で出来る」と誤解した近代工業的農法が悉く失敗したのを直視すべきであ
ろう。

ヒゾク・・・・・・・尊属と卑属は先祖と子孫の事。外にもヒゾクでは匪賊があり、此れは戦前の造語で満州の盗賊集団
の事。後者は満州国建設後に発生した武装勢力で約50件の報告例があり、約36万人がいた。当時、既に馬賊が活
躍していたが、事変により武装蜂起して活躍したのが匪賊集団でした。

日族とは・・・・・・此処で言う日族とは太陽族であり、太陽を基準にして万事・物事を考えて暮らす人たちであり、古
来こうした日族が全世界に遍満していた。取り分け古の日本では上記のように常陸つまり日発ちの国や日向、其れに
肥後(日尻)の地名を残した通り、朝日発ち、夕日正さす国であり、日ノ本と言われた。

またそうした祭り事をする場を「朝の庭」として、朝廷と書きました。職制としては日祀部とか日置氏がいたが、彼らに限
らず昔は毎日、お天道様に対して朝一番に挨拶と感謝を捧げるのが日本人でした。つまりモノカネよりも神や天への関
心、即ち知性的な人々でした。

よって其処では第一に太陽に従って先祖を祭り、其の為に第二として方位を重視し、暦を読んだのです。以来、日本人
は其の日の天候の話題から挨拶を始めるが、其れが今は特殊な国民性と見られている。こうした民族は例えば日本で
は日の丸(日章旗)、台湾は晴天白日旗(満地紅旗)を国旗として掲げる。

だがそうした人種は有史以来漸減し続け、今では日本と台湾の一部だけになった。日本人は今でも毎日の天気や時
、或いは祭事・行事の話題から挨拶を交わすし、俳句にも季語を入れるのを要件とします。

だが今では、天気や時候が毎日の関心の的であると言う様な観念は、当の日本人でさえなくしており、例えば大阪では
「儲かりまっか」が決まり文句となった。全国的には野球かサッカーである。そんな中で太陽や天気を話題とするのは
「世界広しと言えども実に例外的な事」と見下す時代となった。

しかも、其れを、「稲作民族に特有の悪癖」と誤解する悲しむべき時代となり、例えば近年のデータでは、「日の出入り
を見た事がない」、と言う小学生が42%もあると言うから太陽への無関心さが増加の一途である。因みに、日本史の
実態は弱肉強食の戦いではなくて、祭りの月日を決定する太陽暦の争奪、つまり暦法の変遷にあったのですが・・・・・


日族の生き方・・・・・・・どうでも良い知識の集積より、全てに通じる一つの法則(例えば因果律)を知れば多くの
事が分かりますし、多くを知らなくても真に幸福を生む道を知る事にもなるでしょう。特に大陸人が最も苦手とする精神
性、神や先祖と言うテーマ、歴史の深さ、方位や魂と言った本物が足元に散らかっているのが日本です。

だが明治開国以来、日本は殖産興業と軍拡をした。日清日露と戦い、大東亜戦争では極端な精神主義の元で世界の
列強を敵に廻して大立ち回りした結果、原爆の犠牲となり惨敗した。だが日本人は自ら300万の犠牲を払って日本帝国
を滅ぼし、其の代わりにアジアから白人を追い出した。

この点では何も貢献せず自動的に独立して恩知らずにも反日を煽る韓国や中国とは逆であり、またユダヤ民族を称す
るイスラエルがヒットラーを悪魔に仕立てて大戦後にイスラエルを建国したのとは対照的である。此れが日族の力であ
る。日本は武力とか経済力と言う彼らと同じレベルのカードで勝負する必要はなかった。

昔からの本物を知って世界一の平和を此れからも続ければ良いと思います。

日族の職業・・・・・・此処は神に仕える人たちの国であるから職業を持たない天国でした。だが全く無職の国と言う
訳ではなく、強いて分類すれば百姓とか自営業と言う事になる。此処は黄泉の国ではないので、階層社会を作らなかっ
た。つまり職業と言う分業社会にはしなかった。各々が自立する人たちの国でした。

よって金銭で人を使うと言う事を好まず、自分の事は自分でして暮らすのが当たり前でした。百姓とは無能ばかりの官
僚的専門家ではなくて、何でも出来るマルチ人間の事でした。ともあれ人々は山と野と海とに住み分けて、山伏(仙人)
と野伏せ(農民)、わだつみ(漁民、いさり)と言うような生業(なりわい)の平和な暮らしを続けた。

其の何処にも各々冠婚葬祭があり、神部(宮部)・カンナギのある世界でした。多くが自己完結型の部族の中の品(か
き)部として存在したので、職業と言う概念を当て嵌めるには無理があるが、例えば、掃守(カモン)、水取(もひとり)、
丈(たけ・はせ)部、膳(かしわで)、酒部、織部、服部部・衣縫、錦部・染造、猿女、歌女、采女、笛吹き、乳母、

・・・・があり、また甲工、笠縫、弓削、鞆工、鞍造り、矢作、建部、楯部、漆部・塗師、馬飼、牛飼、・・・・・・そして猪飼、
鳥飼、鵜飼、船史、筆氏、画師、土師(はじ)・土部、陶部、石工、土方、木工、鍛工、冶工、船工、葺工、瓦工、鏡作り、
玉造、服部、薬師等があった。

水取とか丈部とは測量であり、外に大工(宮大工・船大工)も必要であり、鍛冶屋も有った。その他として少数の僧都が
国の暦聖・哲学者として存在し、町では教師も勤めた。また発明家や陰陽師、算術家、大道芸人、相撲取り、とび職(う
なて)もあり、興行師や手配師も活躍し、マタギ、木地師、狂言師、能楽師、太鼓匠、炭焼き、鋳物(いも)師、

・・・・・・・など、其れに家具屋、鍵職人、野師(香具師)、指物師、桶屋、提灯屋、油屋、蝋燭屋、小間物屋、針売り、下
駄屋、左官、キコリ・山林業、和紙作り、織姫、果樹園、キノコ栽培もあり、其処から今の時計など測定器具、機械金
属、メガネ、精密工業、事務用品、不動産業者となっている。

或は導師・山伏・御師(旅行案内業)・・・・・・等として近代化し、経済産業社会の基盤となったのです。日本人はモノづく
りに熱心だった訳ではないが、昔からの正確さ、律儀さ、緻密さ、誠実さが今の経済を支えている。

日族は小柄・・・・・・日本人は古来「考える人」であり、単なる肉体ではなくて知生体でした。よってシナからもヒジリ
の国、仙人の国として尊敬されて来ました。世界に比類ないくらい高齢者が多く、其の為「不老長寿の仙薬」を求めて徐
福が秦から派遣された程でした。長寿者が多ければ知性が豊かだったでしょう。

だから考える国であり、斬新な発想や独創が生まれ、独特の哲理や道理が出来て永く平和を保つ事が出来た。06年も
日本が世界の長寿国となった。其れに対して大陸に暮らす月星族は体格も大柄ですが、日族は小柄です。其の点から
今の日本人は外人に劣等感を持って、「大は小を兼ねる」とか、「大きな事は良い事だ」との流行語を生んだ。

だが、果たしてどうか。人間は頭を支えるだけの肉体があれば良いのです。例えば電車やエレベーターでも大柄の人
が来ればハタ迷惑です。家の作りも小柄なら一間(1.8m)の尺度で建て付ければ問題ないが、大柄の外人が出入りす
る家ならドアの高さも2m位にレベルアップする必要からコストアップになる。

ですから車や飛行機でも子供と大人の料金が同じでは不公平です。また服のサイズでも給料でも、大小に拘わらず一
人分の計算ですから、何処かに無理が出ます。要するに中身の問題であり、図体が大きな人は大食漢、大便人、浪費
人ではあっても、余り使い道はない。

体力がいる仕事でも今は機械がやってくれるのですから、小柄の方が巨人よりも効率的なのだ。日本人は小柄に劣等
感を持っているが、寧ろ其れは小型高性能として誇るべきなのです。白人たちはAA諸国の人口爆発に危機意識をも
って食料飢饉を叫ぶが、大柄な彼らが滅びれば倍する人口を賄えるのです。

例えばテレビでも、初期の大型真空管タイプは場所をとったし電気を食いましたが、今はICのお陰で省エネ、液晶タイ
プに小型化して性能もアップした。日本人の得意とする小型・高性能化が其れを実現したのです。ですから環境や食糧
危機を叫ぶなら、肉食・大便・大食漢の白人や大陸人が絶滅して草食性のアジア人が残るべきである。

ひたい・・・・・・人の心を支配するのは目である。だが、目だけでは見えるものしか見えない。「見えるものに真実はな
く、見えない所に真実が有る」とも言われる。とすれば見えない所から何かを感じて認識できる人こそ貴い。例えば額に
は松果体(別項を参照)がある。よって人の子が産まれたり宮参りする時には額に朱を付けた。

また修験者は此処に兜巾を付けて隠したのです。よって仏像には第三の目として刻み、またインド人の女性も額(また
は眉間)に黒点を付ける化粧をする。額の中には松果体があり、其処が父性・心性を支配し、母性・肉体を動かす要所
です。其れに対して肉体の要所は丹田(臍)にある。

ピタゴラスの定理・・・・・・・「星の暦」へ。




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