http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」  page330.html


     日知り事典      ハタ〜祓い


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「ハ」 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆

はた・・・・・・20
はた・・・・・・端

はた・・・・・・織物、及び縦糸と横糸で布を織り上げる機織(はたおり)機。
はた・・・・・・仏教では梵語でパタカと言い、漢字では幡と書いて「バン、マン」と読む。国旗を参照。

はた・・・・・・畑。此れは「裸」に通じる。

旗揚げ・・・・・・新たに事を起こす事。挙兵。
旗頭・・・・・・陣頭指揮を執る者。

はだか・・・・・・裸。此れは「畑」に通じる。

秦氏・・・・・・秦の始皇帝の末裔と言われるが、日本を影で支えて来たとも見られる謎の一族。旗・波多・機・羽田・
幡多・畑・畠・端・葉多・波田・幡・旛・将・・・・などもハタと読む。日本では太古から神の衣類を織る人たちを機織として
来たが、渡来したハタ氏も有る。

渡来系については以下、http://www.h5.dion.ne.jp/~kame33/0-10.htm 「秦(はた)家の一族」から引用する。

日本が大陸と地続きだった頃、シベリアからやって来た部族が縄文人になった。インダス文明の航海者たちの末裔も、
ベトナムやインドネシアから黒潮に乗って日本へやって来た。彼らは弥生文化をもたらし、海人(あま)族と呼ばれてい
る。中国大陸や朝鮮半島からも、さまざまな部族が日本へやって来た。

全国に多くの古墳を残した権力者も、この中に含まれている。彼らはスキタイ民族を遠祖とする、遊牧騎馬民族だっ
た。ギリシャ人が「スキタイ」と呼んだ、強大な軍事力を持つこの民族は、北方イラン語系のアーリア人種で、ペルシャで
はサカ族と呼ばれた。インドでは「シャカ」と呼び、西インドに王朝を興した。

悟りを開いて仏陀(真理に目覚めた者の意)となったゴータマ・シッタルダは、シャカ族の王子だった。黄金文化を持つイ
ラン系サルマタイ人も、シルクロード交易商人で仏教徒のソグド人も、スキタイの末裔である。中国では「塞(さく)」とか
「烏孫(うそん)」の名で呼んだ。

この部族の一支流が、アルタイ山脈から敦煌・酒泉を勢力範囲とした「月氏(大月氏)」である。また、モンゴル草原地帯
を勢力範囲とした、アルタイ系の匈奴(きょうど)族、ツングース系の鮮卑(せんぴ)族、朝鮮半島北側の烏桓(うがん)族、
トルコ系の突厥(とっけつ)族なども、スキタイ系民族の末裔だった。

応神天皇在位の頃というから、紀元240年前後の頃、弓月(ゆづきの)君(きみ)に率いられた120県(あがた)の民が、
大挙して日本に渡来した。一県1000人としても、12万人という数になる。彼らは一族を「秦(はた)」と称し、朝鮮半島
の新羅から、加羅(から)(伽耶(かや)韓国(かんこく))を経て、新天地・日本に定住してゆく事になる。

秦は「はた」の他に「しん」とも読む。春秋戦国の乱世を征して、紀元221年、中国西方の「秦(しん)」が統一王朝を樹立
した。王の名は政(せい)。彼は始皇帝と称した。秦一族の故郷は巨丹(こたん)(現・新疆ウイグル自治区ホータン)であ
る。漢民族ではない。

シルクロード交易の地であり、早くから鉄や銅の冶金技術を得て、農具や武器に取り入れていた。また、絹や綿の紡績
に優れていた。秦は兵馬傭坑の顔立ちかが示すように、多民族国家だった。秦が滅び漢民族国家が台頭すると、秦の
人々は諸方に散った。朝鮮半島にも「柵外の人」という意味の「秦人(はたびと)」が、大量に流入した。

秦一族は山城国(京都府)葛野(かどの)郡を本拠にして、養蚕・紡績業に従事した。琵琶湖西岸の広大な野には、後に
平安京が建設される事になる。秦酒公は朝廷から「うずまさ」の姓を与えられ、「太秦」の字をあてた。太秦をどう読んで
も「うずまさ」とは読めない。

中国ではローマ帝国を大秦と呼び、長安の大秦寺が景教(キリスト教)寺院であり、ヘブライ語の「イエス・メシア」 が北イ
ンドあたりまで来ると「ウズ・マシャ」と発音する事から、秦一族とユダヤ教の関係が取り沙汰されている。シルクロード
的文化の混沌を思うと、有り得る話だろう。

秦氏は、近畿一帯の他、関東地方では、相模国(神奈川県)大秦野・武蔵国(東京都・埼玉県)八王子・飯能・秩父・下野
国(栃木県)足利などに土着していった。

秦氏はまた、なぜか神社の建立に力を入れた。松尾神社系、稲荷神社系、平野神社系は秦氏直系である他、白山神
社系は秦支族の三神氏が、賀茂神社系は秦支族の賀茂氏、八幡宮系は秦支族の辛島氏が創建している。八幡は「や
はた」とも読むが、これは「多くの秦氏がいる」という意味である。

さらに金毘羅宮系の神社は「旗宮(はたのみや)」と呼ばれていた。旗は秦に通じている。つまり、日本の主要な神社の
創建には、すべて秦氏一族が関わっていると言ってもよいのである。日本にとって秦氏が重要なのは、その支族の中
に「中臣(なかとみ)氏」がいる事による。

645(大化元)年の大化の改新クーデターを成功させ、内臣(うちつおみ)として国政改革にあたった中臣鎌足は、藤原
の姓を賜り藤原氏の大祖となった。藤原氏は、天皇家と密接な姻戚関係を結び、表は天皇家、裏は藤原家という歴史
をつくっていくのである。

藤原一族は、一条・二条・三条・四条・九条・徳大寺・西園寺・近衛・中山・芝山・高倉・松園・青山・足利などの公家。宇
都宮・菊地・上杉・伊達・織田・林・山内・桂・石原・岡本などの武家。佐藤・伊藤・近藤・齋藤・工藤・須藤・後藤・加藤
や、藤田・池田・山田・竹田・千田・赤塚などの32藤152家の支流をつくってゆく。

日本人が「シルクロード」という言葉から感じる、親しみとロマンと望郷にも似た思いは、ユーラシア大陸を西から東へと
旅してきた、遠い記憶への郷愁なのかもしれない。

更にもう1つ、http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1084901130/「2ちゃんねる」から引用する。

399 :出土地不明 :2006/10/22(日) 06:07:32 ID:8r+bmhQh元東京文理科大学(筑波大)教頭だった秦氏=景教徒説、
即ち、秦氏はネストリウス派キリスト教徒であると言い切っている。正確に言えば、平安遷都(794)が行われる以前の
紫宸殿を含む大内裏一帯の土地は秦河勝(はたかわかつ)時代からの邸宅があり、当然だが秦氏の所有地だった。

さらに、平安京遷都の巨額の資金も秦氏(秦島麻呂)が出していた以上、京都は秦氏が築いたと言っても過言ではな
い。その秦の字を持つ京の地に太秦(ううずまさ)がある。今では地名で知られているがれっきとした、秦氏の族長の名
を当てた地名です。しかし、この太秦と言う呼び名はどうひっくりかえしてもウズマサとは読めない。

なのにそう発音するのはなぜか? 400 :出土地不明 :2006/10/22(日) 06:16:39 ID:8r+bmhQhこうなれば、まず太秦と
同じ漢字をユーラシアで探すしかない。なぜなら、秦氏は渡来人であり、大陸から渡ってきたからである。すると古来か
ら「大秦」と書く国が世界史の教科書にのっているではないか!

そもそも、太と大は同じ意味を持つ為同じ漢字と見ても良い。では大秦とはどこなのか?古代ローマ帝国である!!
401 :出土地不明 :2006/10/22(日) 06:43:15 ID:8r+bmhQhまた、日本には多くの分社を持つ大きな神社系列がある。

有名所でも、松尾大社系、金比羅神社系、稲荷神社系、春日大社系、日吉大社系、八幡宮系、加茂神社系、白山神
社系、平野神社系など多数ある。建立当時からの宮司が全て秦氏系で独占されているのを皆さんはご存知だろう
か? たとえば、原始八幡宮を祀っていた「辛嶋氏」は「秦氏」の氏族だし松尾大社を建立したのは「秦都里」である。

さらに「賀茂(鴨)神社」は、鴨が示すとうり鴨氏が建立した神社だが、秦氏の支族である。金比羅宮も、元は旗宮とよ
ばれたように、旗=秦氏の神社で、白山神社を開いた三神氏は秦氏である。つまり、日本中の有名無名を問わず、全
ての古代の神社は秦氏が関係しており、原始キリスト教徒が宮(神殿)だったことになるのだ。

そうなると、日本中の神社の総本山とも言える伊勢神宮も、秦氏が関与する天下無双の巨大宗廟ということになる。
402 :出土地不明 :2006/10/22(日) 07:00:46 ID:8r+bmhQhまあ、まだまだあるのだが、とりあえずユダヤ人キリスト教
(原始キリスト教)=秦氏 はまちがいないと思う。そしてアークは日本の何処かに必ずあると思う。

追伸:秦氏はユーラシア大陸を経由して(シルクロード)来たことを述べている。つまり、中国の秦(しん)の乱から逃れて
きたと。引用以上。「景教」も参照。

はたしあい・・・・・・果し合い。決闘。因縁を精算(果たし合う)行為。近代国家は此れを「私闘」として禁じているが、か
と言って信賞必罰を徹底せず、そのため犯罪増加に歯止めが利かなくなった。であれば警察無で犯罪が殆どなかった
江戸時代に学んで「果し合い」を復活すべきかも知れない。

働く・・・・・・
ハタレマ・・・・・・ホツマツタヘで言う、神代に戦乱の因となった魔物。


・・・・・・・はち。八の字は分ける意味から「分」の字にもなっている。「分」の字は刀で切り分ける事。「公」の字は角
度で分ける事。「六」の字になると地平線の中に柱を立てて、其の日影に糸を張って観測して朝夕の時刻を割り出す位
置を示した(「六」を参照)。このように八は古来、ヒジリ数である。数字ではなくて寧ろ八方の定理の事。

よって古来、八物は神器でした。「蓮」及び「ヤタ」を参照。

・・・・・・蜂は生まれて3日で働き蜂になり、自分の体から蝋を出して上手に六角形の蜂の巣作りをして、次は朝か
ら晩まで蜂蜜集めに飛び出す。彼らはフェロモンの種類によってコミュニケーションを取り合い、チームワークで家族の
為に働き、5日で短い一生を終わる(06/6/10のNHK教育TVより引用)。エライなー。

07/3/1日の朝日記事、「全米、ミツバチ失跡の怪」によれば、ミツバチの「いないいない病」と言う異常現象が昨秋以降
広がり、被害地域が20洲を越えた。このためアーモンドやリンゴなどの収穫が心配されている。原因は不明だが、農薬
をはじめとする化学物質の影響か、感染症の病気で大量死しているのではないかと言う。


バチカンVatican・・・・・・・ヴァチカン。人口数千人のバチカン市国。第二次大戦後、米国との裏取引でイタリアから
独立を果たした。中でもバチカン宮殿(サンピエトロ大聖堂を参照)はローマカトリック教(カトリック教を参照)以来、10
億の信徒の大本山として権威も高いが魔窟(伏魔殿)とする風評も高い。

10億の信徒は「信じる者は救われる」。敬虔なる信仰と寄付者故に神に近づけばきっと死後は天国に召されるのだろう
が、歴代の教皇はじめ司教たちは貴族的な暮らしである。魔女狩りと十字軍と世界征服を狙って植民地獲得戦争を遂
行して来た彼らは、清貧だったイエス(別項参照)とは逆の贅沢な貴族の暮らしを更に続けるために米国と結託した。

カトリックと米国の行く手には平和が広がるのではなくて絶えず戦乱がある。よって彼らの行く手には天国ではなくて毎
度「地獄図」を見せている。

蜂の巣・・・・・・蝶や蜂は春になると何処からともなくやって来て朝早くから夕暮れまで花から花へと蜜を集めて暮ら
す働き者であり、更に何時も手を揉みながら花に挨拶してから立ち入る律義者である。そして植物の花粉を運んで受
精の媒体となり、更に蜂蜜を作って人を養う。だから蜂が出現する頃を見届けてから桜も開花する。

よって列島を桜前線が北上するのは、虫が這い出す啓蟄(3/5頃)以後と決まっている。桜や作物もこうして彼らとの
共生・連携で生育しているし人類も其の恩恵に浴している。人類は蝶や蜂がいなければ今の暮らしが成り立たないの
であるが、現代人は蜂蜜や桜花の恩恵を受けながら、其れを作る蜂を知らないハヂ知らずである。

彼らは独特の六角形の巣を苦も無く作る匠であり、建築家の言わば先師であり、其れに人類よりも先住者であり、敬
意を払うべき存在である。少なくとも「一寸の虫にも五分の魂」が有るものですが、大概の人は蜂を見たら途端に目の
色を変えたり目の敵にして極度に嫌って無礼にも平気で殺虫剤を撒き散らし、排除しようとするので反撃される。

或いは大騒ぎして駆除を図り、専門業者と称する人や救急車を呼ぶ事になる。蜂を退治しようと火をつけて大火事にし
た失敗例もある。しかもその種の自称・専門業者とか役場の係官も凡そ完全防護服を纏って現れるから滑稽である。

宇宙に飛び出す訳ではないのだから、そんな大そうな出で立ちをしなくても良いのだ。蝶でもハエでもヂバチにしても羽
根つき虫は宇宙服でなくともタバコの煙でも去ってくれる。

ヂバチはミツバチの一種で腐った木の内部や下に巣を作る。この巣にいるサナギは美味いし、釣りの餌にも最高だ。
また「土方殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の三日も降れば良い」と言う都々逸のように、雨の日にはあの煩いセミも全く鳴り
を潜める(鳴けなくなる)。羽を擦っても音が出ないのだ。蜂の巣の場合も刃物や薬はいらぬ。

今は何処にでも水道があるのだから大騒ぎしなくてもホースで巣に水を掛ければ退散するのです。或いはバケツ一杯
の水を掛ければ直ぐに落ちる。雨の日ならば素手で摘んで捨てれば良いのです。或いは蜂に襲われそうになっても怖
がる必要は無い。其のときは姿勢を低くすれば彼らは人の頭の上を飛び越えて行ってしまう。

彼らに敬意を払って頭を下げれば分かってくれる。彼らは詰まらない人間たちと喧嘩し攻撃するため其のつど大切な
針を無駄に使う事も許されないし、暇人と争う暇もなく、絶えず働かなければならない。だから物知りは彼らを哀れんで
「働き蜂」と言う代名形容詞を残した。

因みに蜜蜂の飛行速度は計算上ではジャンボジェット機の3倍と言われるので、人類の能力では逃げ切れないと覚悟
したほうが良い。また働き蜂は全てメスである。オスは餌が無駄になるので殺されるらしく、実際に働くのはメスであるも
のの、メスの中にも働かない遊び蜂も多いらしい。ただ彼女たちはイザと言う時に犠牲になる役目が有る。

八幡神・・・・・・八幡神とは応神天皇を祭った所です。つまり彼が大阪で亡くなったので古いところでは羽曳野市には
彼の墳墓と共に誉田八幡宮があり、其処から九州にかけて分布した。例えば鹿児島神宮は八幡神の総本社とも言わ
れた(「神々の歳時記2/15」を参照)。

次に京都の石清水八幡宮があるが、此処は宇佐神宮から勧請したが八幡太郎が元服して以来、源氏の神として栄え
た。次に此処から鎌倉に勧請されて鶴岡八幡宮となり、以後武家の神として各地に広まったのです(以上、「ヤフー知
恵袋」に回答文より)。他方、彼は寺院では八幡大菩薩として或いは阿弥陀仏としても祀られてきた。

パチンコ・・・・・・・尾張名古屋は城で持つ。今はトヨタとパチンコで持つ。其れに此れはずっとパチンカーが北朝鮮
を支えて来た。ただ初めは「遊びだ娯楽だ」と言っていたが、何時の間にやら深刻化した。パチンコは玉を穴に落とす
だけの単純なゲームだから外人のギャンブラーは軽蔑するが、日本人だけが嵌った。

つまり、好んで自らをケモノ罠に落とす仕掛けと分かる。確かにパチンコは日常の空間とは別世界だ。平凡な現実の暮
らしからバーチャル空間に嵌る事が出来るために、現実の生活に戻りたくない人が嵌り易い落とし穴だった。次々と射
幸心をそそる新台に釣られて結局、依存症となり今はパチンコ依存症患者が100万人と増加の一途である。

何れも蟻地獄パチンコの生活破綻者となって家族や友人に迷惑をかける。家の中でスポーツやギャンブルで毎日勝っ
た負けたの話題の家庭では子供の教育にも良い筈がない。のみならず多くが多重債務者となってヤミキン(サラ金を
参照)や社会福祉の世話になる。其れでも北との国際親善になれば救いがあるが、拉致被害者はそのままだ。

結局人生を棒にフリ、辛い思い出以外何も残らない。拉致の外、日本でパチンコは年間29兆円を稼ぐドル箱だ。此れ
は国民医療費に匹敵する金額である(06/5/15のNHK総合TVクローズアップより一部引用)。パチンコや覚せい剤の
密輸は日本向けの北朝鮮(別項参照)による間接侵略である。

いやパチンカーたちが北のミサイルと核実験を支えている功労者かも知れない。

初午・・・・・・・其の年の初めての午の日を祝うもので、稲荷詣でとも言い、茨城・笠間稲荷と京都・伏見稲荷大社で
は二月の月初めの午の日に大祭をしている。ただ地方ではバラバラで、小正月の頃から三月の頃までの間に行う(新
旧暦による違い)。田舎では子供たちが8人ほどで村の中を獅子舞して歩くが、伏見の由来は和銅年間とかなり古い。

ハッカ・・・・・・薄荷。しそ科の植物で香辛料。此処から軽くて高価なハッカ油が採れる。紀州の山間部に自生する。
屯田兵により北海道北見市に栽培され、明治37年以後44年には1000ha栽培された。北見はハッカで支えられ発展し
た。米国に輸出されて昭和14年には世界の70%の生産地となった。

作付面積も2.1万haに拡大し、ハッカ御殿(旧五十嵐邸)が建った。所が昭和15年には戦時下で減反。ジャガイモ増産
に転換し、戦後になって復活した。所が昭和30年から安い中国産とブラジル産に押され、更に合成ハッカの出現と輸入
自由化によって終わった。今、北見市はペパーミント・シティとして6/20をハッカの日とする「町おこし」が始まった。

客家(ハッカ)・・・・・・中国で「外来者」の意味。黄河流域の中原地域にいた漢民族が、戦乱を避けるため大移動し
て不便な山岳地帯に住み着いた。隔離された環境で独自の方言(客家語)と文化を育んだ。客家と其の文化は「コウ州
で誕生、竜岩で成長し、梅州で成熟した」とも言う。

客家の大本営と呼ばれるのが江西省南部と福建省西部、広東省東部が接する一帯。此処に約1600万人が住む。
以来、彼らはUFOのような円形土(土囲)楼と言う三階建ての集合住宅で平均100人ほどが共同生活して来た。このため
団結が強く、男系社会であり、此処で育った人の半数が広く海外に出稼ぎに出て名を成した。

ただ毎年旧正月・春節には一同が家族の元へ帰省する。指導者として日本でも知られるのは孫文、宋美麗、ケ小平、
李登輝、胡耀邦、リー・クアンユー、タクシン(タイ首相)・・・等だが、世界に7~8000万人のネットワークがあるので国家は
関係なく、其れよりも客家と言う絆が大切なので客家の大会では国旗を掲げない。

梅州の客家には三つの「多」があり、華僑、インテリ、異郷で軍人や労働者になった人が多いと言う。理由は貧困。この
ため努力によって生活改善を図った。労苦に耐え、開拓・進取の気性に富んでいて、同郷の人が助け合って難関に挑
んで来たと言う(06/2/14の朝日新聞より引用)。


■八角・・・・・・大きさが2〜3cmの木の実で、正八方の星のような形から八角と言い、スターアニスとも言われる香辛
料。肉料理の特に中華や焼き豚をする主婦の方ならどなたもご存知だが広辞苑にも載っていないので男性は知らな
い。今注目され出したのは此れがインフルエンザ薬・タミフルの原料としてである。此のため相場が急騰し始めた。

例年なら1kg3〜4元(1元は約14円)だが現在は約10元になった。八角の主要産地は中国とベトナム。特に広西チ
ワン族自治区で世界の90%を生産しているが、此れまでは売れ行きが悪く価格も安いため、農民が摘み残したまま
収穫シーズンを終える事が多かった。だが今は平時の7〜8倍の出荷量に追われている(05/11/15毎日S)。

ノロウイルスを参照。

八角形・・・・・・四角を45度ズラセて2つ重ねれば八方・八角形になる。

●白金・・・・・・・プラチナを参照。

●八卦(ハッケ)・・・・・・ハッカとも読む。「易」を参照。八卦は八方を八種の卦で占う。東南西北の八方を時計回りで
各々--(ダ、ダイ)------(カン、コン、穴)--(ゴン、コン、うしとら)--(コン、ひつじさる)---(シン)--
戻るのが伏義八卦と言い、この配分法を「先天図」と言う。

また東南西北を北から時計回りで(カン、コン、穴)---(ゴン、コン、うしとら)---(シン)---(ソン)---(リ)---
(コン、ひつじさる)---(ダ、ダイ)---(ケン)---そして「坎」に戻る配分を文王方位と言い、後天図と言う。此れらには
各々陰陽一対(コウと言う)で働き、太陽、少陰、少陽、太陰として、或いは陰と陽となって太極を生成する。

因みに----坎----は-父-母-長男-長女-中男-中女-少男-少女-の象徴で見る。この陰陽のコウを
三本づつ組み合わせて八方に配分する。其の組み合わせで64種の卦を導き出し、更に其の倍数の例えば384種を占
うので、此れでDNA(遺伝子)の配列を含めた宇宙観を東洋では数千年前に説いていた事にもなる(「遺伝子」を参照)。

・・・・・・
■八朔・・・・・・・・ハッサク。旧暦8/1の事。別紙の「月読み」で解説(またはナゴシの祓いを参照)。

八神・・・・・・・八方に祭られるトホカミエヒタメの八柱の神。古来、八方の神としてヤタの鏡や八王子があり、また八
幡、或いは天龍八部衆、或いはハスや曼荼羅としても示されて来た。

因みに古語拾遺と延喜式では順序が一部前後するが高皇産霊(高皇産日神)、神皇産霊(神産日神)、魂留産霊(玉
積産日霊)、生産霊(生産日神)、足産霊(足産日神)、大宮売神(大宮売神)、事代主神(事代主神)、御膳神(御食津
神)とある。

皇居八神殿の規模は長一丈七尺、広一丈二尺五寸。此処で鎮魂祭が行われたが、応仁の乱後に白川家と吉田家に
より別々に祭られて来たため神祇官八神と言われる。明治に神祇伯・白川家が再興して天神地祇と八神を祭ったのが
今の皇居の賢所にある八神殿である。

但し個人にとっての八神は自分の八方にある曽祖父母の事である(図説の円系図を参照)。

八専・・・・・・・・暦注の一つ。壬子(みずのえね)の日より癸亥(みずのとい)の日までの12日間のうち、丙辰(ひのえたつ)と戊
(つちのえうま)、壬戌(みずのえいぬ)、癸丑(みずのえうし)の4日間(間日という平日)を除く8日間を八専という。干と支の同気
が重なる日。1年に6回有る。

天地陰陽の気が八専に至って偏るため、婚礼や人の雇入れ、物の売買や神仏事には凶とされる。ただし、八專中は
地均し・棟上には大吉日である。 以上http://homepage3.nifty.com/zatsunen/koyomi/koyo_ks.htm 「暦関連語句解
説」より引用。

初日の出・・・・・・正月元日の日の出。黎明(かぎろい-あけぼの)の空から朝日が輝いて東天に駆け上る様を遥拝
して来たのが日本人でした。06年の元日も、日本列島各地では初日を見ようとする各種催しがあったが、生憎、日の
出を見られた地域が少なかった。ただジェット旅客機から雲海の上に日の出を見たケースも有った。

其れも幾許ばくかの感動が得られたであろうが、それでは本来の初日遥拝の意味にはならない。では「何を以って初日
とするか」について異論を言えば、昔は立春の正月に初日の出を遥拝した。だが、それ以前は寧ろ冬至の日の出遥拝
であった。

と言うのは、今の元日は太陽暦とか西暦と言っても太陽の節目とは何ら関係のない、普通の日取りであるからです。何
れにせよ此の頃に南面すれば東西に対してY字型に日の出入りが有り、特に冬至の日は太陽が一番低い角度から昇
る。

特に冬至の日の場合は、日の出入り角度が真南と真北の方位を確認する絶好の機会でしたから、暦法確認にとって
極日と真北を観測できる最良の日でした(詳しくは冬至を参照)。因みに元旦の旦の字は、地平(水平)線から太陽が
飛び出して全身を見せた形を示したものです。

八百八(はっぴゃくはち・やほや)・・・・・・八百(やお)とは本来は八方の事である(八百万の神々を参照)。しかし意
味が転じて「野菜くだものなら何でもある」店を八百屋と言うようになった。また「八百屋に看板要らず」とも言われる。文
字で掲げなくても並んだものを見れば魚屋ではない事が知れるからだ。

また八百は江戸八百八町に対して、水都・浪速に八百八橋、京都・八百八寺などの用例もある。此れは実際の数では
なくて、矢張り八方に広がる様を形容した言葉であったろう。京都の場合は確かに千を超える寺が有る。外にも春日大
社は八百八禰宜と言われた。

後者は其れほど多くの禰宜(神官僧都)がいたと言うよりも、二種・八方の座(八座・八乙女の例)を意味したものだろ
う。因みに関西では「大阪食い倒れ」に対して、「京都着倒れ」、奈良「家(建て)倒れ」とも自嘲的に話題とする事が多
い。地方色と言う宿命でしょうか。

初穂料・・・・・・初穂とは穀物の収穫前に先ず初穂を神前にお供えする事。朝廷では11月下卯日(今は11/23
日)の新嘗祭の前には悠紀(ゆき)田と主基(すき)田を指定して抜穂使を派遣して納めさせた。

そうした稲の初穂に限らず、初物の雑穀、もしくは野菜や果物、或いは炭や布地で納め、或いは漁民は魚や魚介類や
海産物を、猟師はキノコや獲物を納めた。つまり収穫感謝祭のための上分(所得税の納付)の意味があった。特に納
税の意味が強いために懸け税(ちから)とも言った。

其処から今でも地域の住民は鎮守の氏子に自動的に編入されて、毎年初穂料の名目で何がしかを納めるのが通例で
ある。別の宗教団体に入っている住民にすれば何か、税金の多重取りをされているみたいで反感を持つが、要するに
政府も、此れ(祭り事)に事寄せて横取り、もしくは独占した新興勢力の一つである。

また今では神社へ納めるものを何でも此の初穂料と言う名目にするのが一般的となり、此の用語が寧ろ無意味になり
つつある(「玉串料」を参照)。

発明・発見・・・・・・発明とは新たに物事を考え出す事。具体的には社会生活上価値有る技術上、または工法とし
て創作をしたものを例えばパテント(特許)申請をする。新規性、有用性、工業性などが認められた場合には先願者に
対して特許が公認・登録されて特許権が一定期間発生する。

発見とは研究などによって今まで知られていなかった事実や新種を見つけたり、独創的な仮説を立てたり新たな方式
を考え付く事である。それが関係学会の論文・発表などで認められれば公認される。公認されなくても自分で使えば役
に立つし公認されれば一般にも活用され、社会の役に立つ訳です。

日本は考える国であり、よって今も科学技術立国として栄えている。だが日本人が今のマスプロに流れていてはならな
い。日本人は大量生産・大量消費とは逆の発想を得意としたのです。所が問題は特許庁だ。此処は戦後は活躍したが
今は特権を振るう。

例えば若くて学識経験の少ない低質な者がペーパー試験だけ受けて審議官になっているため、自分の解釈が及ばな
いものは拒絶する。此処は人間が考えて処置する極めて高度な仕事場である。ロボットは考える事が全く出来ないも
のである。しかし無能な者たちが自分の仕事を全てロボットにさせる事となった。だから万事休すである。

彼等が仕事を嫌ってロボット化を進めれば自己否定であり公務員は要らない。特許審査官を全て自動販売機に代えた
ら良かろう。だが其の弊害により、今まで海外から日本企業が度々訴えられて特許競争で破れ、何れも法外な金額を
パテント料として支払わされるようになった。逆の例が殆どないのは特許庁(別項参照)の無能と怠慢を示すものだ。

はと・・・・・・鳩は八幡様の神使。

ハートheart・・・・・・・心情。心臓。因みに知的・理性的な心はmind。またトランプの赤いハート型は心臓を象ったも
のだと言われる。赤は血の色だから其れでも構わないが形は寧ろサトイモの葉やドクダミの葉に似ている。さて貴方の
ハートは何型でしょうね。

馬頭観音・・・・・・・6観音の1つ。他の観音様のお姿は優しいが、この観音は例外的に馬の首をした形であり、しか
も鋭い三つの目、火焔を放つ口、二本の牙、其れに獅子のような頭髪、更に明王のような憤怒の形相で現されるが、
此れは天台教学の産物である。

其れが現世利益となり、また車社会以前に活躍した博労(馬引き)たちによって、馬の守護神と誤解され、また行き倒
れとなった馬の供養のために街道の辻々にこの石仏が立てられた。だが高田馬場が競馬場ではなくて神社の祭りの
場であったように、馬が実は「午印し」を立てた場(午を参照)であったとすれば馬頭観音の素性も別であったと言える。

波動・・・・・・波動。波の種類。以下、http://www.sri-report.com/strage/note_08/node6.htmlより引用すれば、
自然界にはいろいろな波がありますが,これらの波は縦波と横波に分類できます。

縦波:波の進行方向と媒質の振動方向が平行. ---横波:波の進行方向と媒質の振動方向が垂直.----縦波の例:
音波,地震P波.----横波の例:電磁波,地震S波.

横波は,媒質の位置 と媒質の変位 の方向が垂直のため,波形として観察されます.一方,縦波は,これらが平行と
なるので媒質の疎密として観察され,波形として観察されません.そこで,次のように縦波を横波に変換します.する
と,縦波も波形として観察できます.

変換法則:縦波の正の変位 横波の正の変位,縦波の負の変位 横波の負の変位とする.

波動性・・・・・・渚に打ち寄せる波のように、この世はマクロからミクロまで波動性で成り立っている。物理学では此
れをプランク定数(1.616×10−33乗)として見る。だが其れは波動としてではなくて粒子と見た理論なので以後の諸科
学を混乱させている。其の点、昔から般若心経では波動を「色即是空・空即是色」と言った。

色とは色彩であり、この世のものは物質ではなくて実は波であると知っていたのだ(「ファイ」、「プランク定数」を参照)。
水も三態に変化するのだが、人の目には波が見えず単なるモノと見えてしまうだけの話。太陽の運行も周期性であり、
月の満ち欠けの周期も人体も気の流れもバイオリズムで理解出来る。

地震や台風も地球が生きて行く上で必要不可欠な生理的周期であり、言わば心臓の鼓動である。天気も四季により移
り変わり、五風十雨のような周期性、つまり波動性が有ります。ただ其の循環が崩れる事が多ければ異常と見てしま
う。其れが今盛んに連発される異常気象であるが、此れも誤解である(天人相関性を参照)。

音波も電波もこの見えない波動の具象であり、人間の心臓だってポンプではなくて体全体で受けた波動を動力としてい
るのかも知れない。或いは月が地球の衛星として其の軌道を周回しているのも、特別の飛行能力を持っているからで
はなくて、地球の波動に乗って浮いているだけである。

従ってこうした波に乗れば、ジェットエンジンやロケットのような花火ではなくて、UFOのような波動転換器を付ければ良
いであろう。或いは経済も「景気の波」と見る人が多い。此れが種々の景気循環説である(「周期性」、「景気」、「太陽
黒点数」を参照)。

波止場・・・・・・

・・・・・・
■埴・・・・・・ハニ。土。

埴輪・・・・・・ハニワ。墓前に立てて供えた土製の器物。最も多いのは円筒形であり、また人型や鳥型、或いは武人
型、家型、盾形、そしてキヌガサと呼ばれる円形の物もある。例外として、木製品でも今はハニワと呼んでいる物があ
る。07/1/25日に奈良県下の高取町・市尾墓山古墳から出土した、長さ2m以上の盾形木製品である。

こうした例外は別として、普通は土師氏の祖・ノミノスクネが土で焼いた器物を垂仁天皇に建言した事が由来(日本書
紀)とされ、従って古墳に埴輪が有れば、其の古墳の築造年代がノミノスクネ以後の築造と推定出来る。用途としては
先ず、生きたまま犠牲となる殉死者を無くす為であった。次は其れに代る多くの貢物を盛る為である。

器物の中には花や果物を盛り、墳墓の一定の位置に立てた。盛り物は親族により一定の位置・方位が割り振りされ
た。従って其の目印のものが埴輪であり、此処から貝の字となり、貴及び財の字にも変化した(各字を参照)。
財に才の旁が付くのは、「才」が天文測量器具の1つであったからです。

才で墓域を決めたり、暦を計った上で墳墓を築いたからでした。因みに其の才のある者を才能と書いた。さて貝の字は
目の字に台(脚)が付いた字です。此れは当時、墳丘の各所に目印になるように一定の角度に分散して置いた。所が
モノカネ主義の学者たちが「貝」の字を貨幣と誤解した。では何故ハニワ(埴輪)と言うのかについてはハジキを参照。

▲羽・・・・・・はね。
▲母・・・・・・母と父は陰陽の対極。

ハーバー・・・・・・毒ガスの父と言われるユダヤ系ドイツの科学者(1868-1934)。毒ガスを参照。空中窒素固定法によ
りこう高圧下で工業的にアンモニアを生成する事に成功してハーバー法と言われた。つまり硝酸カリの製造による火薬
の大量生産に貢献した。また窒素肥料の増産にもなったので食糧増産にも貢献した事になる。ノーベル賞受賞。

はひ・・・・・・

■パピルス・・・・・・葦で作った紙。ヨーロッパには紙を必要とする文化文明はなかったが、一部で羊皮紙を使った。他
方、古代中東からエジプトに掛けては何処にでも豊富に有った葦(パピルス)で編んだものに墨で文字を書いた。古い
聖書の場合は修道士たちがパピルスを縦横に編んで書き写して来たものがある。

パビロニア・・・・・・約4000年前のメソポタミアの人々は粘土板に楔形文字を刻み、やりとりしていた。シリア北東部の
テル・タバン遺跡から06/8-9月に紀元前18c半ば頃の封筒形の粘土板を発見した。ハムラビ法典(別項参照)の直後
の時代の物と推定06/12/7朝日)。

はふ・・・・・・

はへ・・・・・・
はほ・・・・・・
はま・・・・・・

ハマス・・・・・・パレスチナのイスラム過激派の事。06/1/25のパレスチナ選挙でハマスが過半数の76議席を取っ
た。対する此れまで自治政府の主流派だったファタ派は43議席に減った。此れは其れまでアラファト議長やファタ派の
自治政府が汚職と利権の金権支配で民衆の為にならなかったため。

其の事に民衆が反発してハマスを圧勝させたと言われる。アラファト議長の亡き後、自治政府のアッバス議長はイスラ
エルとの和平交渉を継続しようと言う穏健派であるが、ハマスの躍進で再び武闘路線に逆転するものと米国とイスラエ
ル(オルメルト首相代行)が反発し、欧州各国も警戒色を強めた(パレスチナを参照)。

ハマスはファタ派と違って此れまで慈善で援助活動に献身し、武装闘争を強行して来たし、イスラエル撲滅を目標にし
ている為に民衆の大きな支持を得た。だが此のため欧米は連帯してイスラエルを支援するだろうし、そうなればハルマ
ゲドン勃発の危機の可能性がより強まったと言える。

白を黒としてハマスに圧力をかけるイスラエルや欧米の論理よりも「パレスチナの自立を認めよ」、と民族自決を目差
すハマスの言い分の方が正しい。正しいけれども武力衝突が避けられない所に追い詰められる。だから危ないのです
(未来カレンダーを参照)。

破魔矢・・・・・・日本神話には素佐乃男命のヤマタノオロチ退治のシーンで白羽の矢の話があり、或いは天孫降臨
の前場としてタカミムスビからの「返し矢」の神話が伝わり、また加茂の別雷神は丹塗り矢から生まれた神とされる。そ
うした事から日本には弓矢に関して何か呪術的な畏敬の念があった。

ですから今でも正式に護摩法を行う場合も最初に四方に破魔矢を射つ。従って地鎮祭・棟上祭の後には其の矢も棟木
に祭られる。そうした事から男児出産の祝いには破魔矢が、女児の場合は羽子板(別項参照)と雛人形が贈られた。
何れも玩具としてではなく、厄除けのお守りとしての意味でした。

だから男児の五月節供人形には必ず弓矢が立てられるが、8/1(昔は7/1)には諏訪大社の秋祭りで御船には破
魔弓が飾られた。破魔矢とはつまり「魔を破る威力のある神のエネルギーが籠る」ものと言う信仰から今でも各地の神
社では節分・星祭に破魔矢を売っている。

バーミヤン遺跡・・・・・・・バーミヤンとは「光り輝く」意味である。此処は今、アフガニスタンであるが標高1000m
の高原地帯であり、4c〜8cにはガンダーラとヘレニズム、ゾロアスターと仏教などの東西文明の十字路として栄えた
宗教都市・仏教王国だった。1400年前には玄奘三蔵が此処を訪れ西域の記録として残している。

其処には当時数千人の僧侶がいたとある。金色の仏像と長さ千余尺(300m)の涅槃(ねはん)佛が有ったとも記して
いる。1000年来、此の地に住む人々は石窟で暮していて、今も彩色の壁画や高さ55mの巨大な石仏が有るが近年
にタリバンが2つの石仏を爆破した。彼ら一神教にとって偶像崇拝は悪魔と写ったのである。

ただ内戦が終わって、このほど世界遺産に登録されたので、日本から発掘調査隊が派遣された。3m地下には仏教遺
跡がある事を日本の発掘隊が確認した。そうした事から此処を今まで守って来た住民が「世界遺産を守るため」と言う
理由で追い出されようとしている(06/1/12のNHK総合TV「クローズアップ」より大部分を引用)。

ハムラビ法典・・・・・・・ハムラビ(前1728〜1686)はバビロニア第6代の王であり、楔形文字で円柱に刻んだ全2
82条からなるハムラビ法典を残した。此れが今では世界最古の法典と言われるが、中でも有名な個所は「目には目
を、歯には歯を」である。

此れを「敵対する相手への激しい憎悪」と解釈する事も出来るが、寧ろ贖いの道理を説いたものと見るべきだろう。贖
いは例えば金に対しては金で返すべきであり、また愛には愛で、人の命は人の命で返すべきであって、「何でも金で処
理しよう」と言うゼニカネ主義の代物弁済は出来ない相談であると言う道理である(「贖い」を参照)。

刃物・・・・・・一般に「鉄器は渡来したもの」と言われるが疑わしい。日本には古来火山が多く、また神代からナギナ
ミ2神から生まれたカグツチの神があり、以来「火の神」として祭られて来た。

カグツチとは鍛冶屋の神であり、日本に火山があり、鍛冶屋がいたのに「日本には其れまで金物がなく、金物は全て渡
来したものだ」と言う渡来学者の論理は成り立たないのです。

其れに次の天照の世には天群雲(草薙)の剣があった。此れは「他所から奪った物」とも解釈できるが、日本にも似た
物は有った。ただ刃物であったかどうかは別問題(観測用の神器であって武器ではなかった)。刃物としては日本の名
産品が日本刀であったように鉄の精錬でも日本には古来、世界に冠たる抜群のノウハウがあった。

ただ鉄は錆びるのでアクガネと言って嫌い、鉄の鋳物で鏡や銅鐸のような神器を作るのは避けた。其れらは銅で鋳造
したが、鉄は錆びないように工夫し、鍛造を行ったのだ。シナにも青龍刀が有ったが、其れは切る刃物と言うよりも、腕
力と重さによって斧のように叩き殺すような代物でしたから名刀と言えた物ではなかった(ナマクラばかり)。

鍛造では、カグツチの神を祭ってタタラで火を起こし、鋏や針、船具や鋸(ノコ)、カンナ、鉈(ナタ)、斧(おの)、鑿(ノ
ミ)、建築金具、金槌、鋤鍬(スキ・クワ)の農耕具、刀や鎧飾りまで作った。こうして鍛冶屋はやがて種子島伝来の鉄砲
も作った。江戸時代から明治になると刀鍛冶は衰退したが、刀に代わって日用品を作った。

例えば東京の鍛冶師の打ち刃物では裁ち鋏を作った千代鶴が名を残した。戦後のように大量生産の時代となっては
鍛冶屋も失業したが、百金の鋏やステンレスの包丁が幾らでもある当世でも、理容師や板前の使う鋏や包丁は違う。
形は似ていても打ち刃物としての生命(品質)がある。

切れ味が違うから目の利く職人は一丁数万円でも惜しまず買い求めるのである(上記の「ハガネ」を参照)。

ハフリ・・・・・・「ハフリ」とは古の葬儀を司った職制で、漢字では「祝・祝、忌部・伊部」とも書く。此れは「忌み事」を「放
る」(葬る)事によって次の「祝う」に通じる事を、古の時代では良く知っていた訳であり、こうした階層の末裔が例えば
祝、岩井、伊部、堀部、堀氏・・・等の苗字であり、或は寺僧や神社関係者にもなっている。

囃子(ハヤシ)・・・・・・人間としてこの世に生まれた事を喜んで神様に感謝して歌い・踊って見せる行為(一神会/
開会報060414)です。中でも囃子は神様を迎えてはしゃぐ事です。出番は二回あり、先ず神様が出て来られるのを予
祝し寿ぐ事(前座)。また最後に後座として賑やかに神々を送る事。

だが今の芸人は自分がまるで神様にでもなったように振る舞い、自分だけが終始、スター(主役)になって、客を下座に
置くから主客転倒である。大阪のドタバタ吉本などは最悪である。彼らは空のバケツのように中身がない。民放のCM
のように音だけ騒々しい。しかも相方をどやしたりドツキ回す下品なものとなった。

自己顕示で自慢の芸を披露するが、神様に奉納するのではなくて、自分が金を取って見せるビジネスにしているため、
其処に芸はなく、詰まらない見世物にしている。此れはテレビタレントでも新聞記者でも同様である。自分の作文や学
芸会程度の芸では客から金を取る資格がない。

其の前に先ず「自腹を切って金を払って見て貰う」くらいの謙虚さが欲しい。

・・・・・・祓いは清め祓いとも云い、神道の基本である。いや古来、自然の摂理であった。台風や火事も祓いの
一種であり、元気回復の原理です。凡そ祓いには日、火、水、風・・・によるものがあり、日の場合は日に晒し、火では
護摩を焚き、火渡りなどを行なった。また「禊ぎ祓い」と言う場合は滝行などで「水を注ぐ」行為となる。

風の場合は自然界の風雨があるが、人為的に行なうものでは息吹(「ながよ」「腹式」を参照)が行なわれた。こうして人
は自然界に自らの身を晒す事を心掛け、不自然な暮らしで心身が腐敗する事を避けようと心掛けて来ました。ヒンズー
やイスラムの断食も禊ぎの1つです。この場合は水絶ちで「身削ぐ」事でダイエットになり健康になった。

健康の為には沢山食べるよりも小食がよい。極端な話、腹の中が腐って来たら、薬を呑んでも何にもならないのです。
腐った物は早く出すに限る。此れがハライだ。ですから時々は下痢をするのが動物の生理であり、病気をしない方法で
す。所が人間は弱い。下痢を病気として警戒して今の医学に頼ってしまう。

また、今の日本ではスポーツ(別項参照)が美化されていますが、健康の為にはスポーツを避ける方が良い。健康の為
には吐く練習の方が大切です(腹式を参照)。欲望も同じです。栄養とか薬クスリ薬・・・と薬を求めても、体内の消化力
がなければ溜まるばかりで副作用の方が先に出てしまう。しかも体内を複合汚染にします。

モノカネ主義でカネカネカネと求めても同じです。因縁の汚物が一杯満ちている為、幸運が入らない。入る余地がない
から譬え入っても直ぐに出て行ってしまう。だから時々は祓い・払いをして汚物を捨て去り、清浄にして空っぽにして置く
必要が有ります。其れ(ケガレ)に気が付かない為、躓いて大ケガをするのです(ケガレを参照)。

ご飯の茶碗に一杯入っている事に気付かずに、「ご飯ご飯」と言うのは元気で食欲旺盛なのではなくて餓鬼道なので
す。其処で仏教は布施を勧め、イスラムは喜捨を務めとし、キリスト教では慈善を勧めて、人が益々欲の深くなるのを
戒めて来ました。

つまりハライは払いである。次に祓いはエネルギー交換であり、雷のようにプラスとマイナスがスパークして中和されれ
ば祓いが完了する。此の祓いが「払い」に通じる。こうした陰陽の交換・交流は人間でも行う事が出来るが、主として祓
戸神が司り、具体的には「祓い」の大部分を風雨として行う。

中でも、最大の祓いは実は「日」の作用であり、次は月や星である。人の生死も肉体を神から借りて生まれた以上、や
がて死をもって土に返すように、古来、諸民族の葬法は日月、風水の何れかを選択した。例えば日族は産土神から借
りた肉体を大地に返した。

すると魂は鳥が天へ運んでくれたが、月の力で生まれた月族は散骨で水に流せばやがて白粉が海に流れて溶けるの
で、其れを竜神に祈り、月に届けてくれるように願った。

或いは遊牧民は風葬でミイラとしたり海洋民族は水葬とし、また寒冷地に暮らした他の星族は冷たくなった屍を火の神
により熱い炎で包んで荼毘に付して天の星に届けようとして来た(「ハフリ」、「葬法」及び「三族」の各項を参照)。

さて、「日」は時間をかけて全てを育てながら、時には焼き尽くし、干からびさせる力がある。此れが復活(蘇えりの力)で
も有る。特に日本列島は火山国である上、地震国であり、其の上、毎年台風によって洗われる(「大祓い」「しなとの風」
を参照)。

其れほどに過酷な環境で「蘇り」と併せて、「祓い」による「禊(身削ぎ)」をさせられる事は、其れだけ清い国土と潔癖な
心持の民族を育む環境にあると言えよう。だから元々元気で暮らせる環境が日本にはあった。

つまり日本人は一定の時期の節目毎に心身を清める自然界があり、其の上更に年に二度の大祓いとか盆・正月、及
び五節句をして来ました。或いは四季折々の節分や土用の時期に大掃除や禊・祓いをした。其れを行う人に祓いを齎
し、或いは生きるヒントや答えを得させ、或いは元の元気を回復する方法としてハライが伝えられた。

このため地球上には生命が溢れ、特に日本列島は太古からの森が豊かで瑞々しい生命活動を続ける。此れは無味
乾燥な大陸の広がる諸外国とは別天地である。ただ今の所は誤解も多い。本来の天変地異や風水害によってミソギと
しての被害を受けて犠牲となる人は常識的には「災難である」と見られている。だが実はそれも幸運なのです。

もしこの様に神の犠牲となった場合は、神からの特別の配慮がなされる資格が有ると期待できるからです。しかし其れ
を信じたくない渡来系の人たちは対抗的に「予防医学」とか、或いは「防火・防災」、「災害対策」などに熱心である。自
然の摂理に対してこの様に何でも敵対的に対処するのが近代化であるとするのが洋式風の誤解である。

彼らは自浄能力の発露である病気に対しても「闘病」と言って闘う。こうした誤解によっては正解がなく、真の解決には
ならないのみならず、毎度人災や病苦を出してしまう。でも彼らは例えば台風に決まって「想定外」とし、天に責任転嫁
してしまう。大陸の場合は同様にして五大文明を破壊した後も不毛の地を広げている(「原罪」、「放射能」を参照)。

ですからそうした西洋の方式では健康を害して医療業界の巨大化を進め、公共工事に名を借りた打算の巨悪を生む
だけでした。或いは行政の無意味な対策や怠慢や病・貧・争についての誤解によって一般に多数の「人災」と言う犠牲
を出し続けるので不幸な事です。

何れにせよ、そうした天変地異や風水の「祓い」の力に比べれば禰宜の「御祓い」とか寺社のお札や祈願祈祷の祓う
力、或いは官符である紙幣(「紙幣」を参照)による「支払い」などは、実に微力。もしくは「移し替え」と言う逆効果になる
場合もある点、安心ばかりもしていられない(次の「払い」を参照)。

所で、健康のための祓いは時々風邪を引き、下痢をする事である。風邪や下痢を皆さんは病気と思って心配します
が、風邪は血液の浄化となり、下痢は胃腸の大掃除となります。なので、時々此れらを有り難く思って乗り越えていれ
ば大病を患う事も無く、大過なく過ごせるし健康維持に良いのです(「風邪」、「下痢」、「ミソギ」を参照)。

肉体の祓いは風邪(血の祓い)と下痢であり、その他の祓いは一般的に「塩」でする。塩の働きについては「塩」の項目
を参照。及び「紙子白木綿」、「祓戸神」を参照。


祓い(自然界)・・・・・・・自然界には祓いの機能が働いている。と言っても自然界から奪う算段ばかりして来た頭デッ
カチの俗学・欲学の人は信じないだろうが、自然の恵みに感謝して来た人は自然の絶妙な働きに気付いているもので
す。山や森には誰も水や肥料をやりに行かないが、木々は何時も元気で緑を再生産しています。

其処にナマジ、人が介在すると逆に弱ってしまうのです。人がそれを採って来て、農作物として栽培しようとしても中々
旨く行かない。彼ら(草木)は打算では生きていないのに、人間には打算があるからです。犬や家畜でも人に飼われれ
ば病気になるが野良に放って置けば元気になる。

「鶴は千年、亀は万年」と言う諺があって、其れは吉祥信心によって作られたかなりオーバーな表現とは思うが、自然
界の中では結構長生きするのです。人間も肉体的な健康は医学ではなくて彼らに学ぶべきです。例えば、着たきり雀
が寒風の中、電線に停まっているのを見た人は「寒いだろうな」と思うに違いない。

だが彼等がホントに寒ければ電線ではなくて植え込みの中にいれば良いのです。カラスの場合、酷暑の夏でも黒いマ
ントを纏っているが、其れでも夏バテで寝込んでいるのを見た事がない。彼等が強く元気なのは、色や形ではなくて本
能的な体質と共に、自然界の中で祓いがなされているからである。

但し同じカラスや雀も人間が飼い始めれば病気になる。犬はフィラリアに罹り、猫はコタツに逃げ込み、牛馬も獣医の
手を借りなければならなくなる。だから人間も自然の摂理に順応すべきであり、人工的で不自然な都市空間の中が快
適だと思っていれば、祓いが止まって弱って来るし、病気になる。

せめて時々は風邪とか下痢をして体内の大掃除、つまり大祓いをしたほうが良い。其れが実は合理的な生理の摂理と
いうものなのですから、そうすれば大病に罹る事もない。しかし其れを疑って逆らい、医学に頼れば検査、病気、投薬、
入院、輸血、・・・と相乗的に汚れて行く。従って痛みも増す。

だがこうなると祓い不能となり、保険医療費も巨額で支え切れなくなるだけで人は益々穢れて苦しんで枯れて老衰、死
去に向うのです(「払い」と「因果」、「ハムラビ法典」を参照)。

・・・・・・





払い・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・  ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆★●
◆以下、次ページへ続く。・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆
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