http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」  page251.html  (未定稿)


     日知り事典       土葬・トンパ


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土葬・・・・・・・古代世界では「死者は自然に帰す」と言う観念から殆ど土葬だった(「古墳」「両墓制」を参照)。魂は
天に帰し、肉体は地に返すと言う観念からでした。ただ寒冷地や遊牧民族は火を神とする観念があり、事実ツンドラの
凍土は掘り返せないので死者も火で清めて神に帰す意味で火葬を習いとした。

其の点でインドは寒冷地も酷暑の地もあるが、拝火教(ゾロアスター)、バラモンの影響で仏教国、ヒンズー教になって
も火葬してガンジスの神に散骨する風習が長く続く。此処には川を神とする水神信仰もあったからだが、道昭以来の日
本も仏教の広まりと共に火葬が広まった。

イスラム教は土葬であり、キリスト教も土葬を基本としたが、カトリックが1960年代になって公式に火葬を認めた。中
国や韓国は基本的に土葬だったが、近年は土地不足から火葬を奨励している。現代日本の場合は原則として火葬以
外は埋葬許可を出さなくなった。土葬は墓地埋葬法に基づき市区町村長が許可する。

許可基準は各地域の風習があるため、各自治体の裁量に任されている。厚労省によると、1960年度には全国で23
4297人が土葬された。死者の三割だった。其れが2003年度は一割以下に低下している模様。生前に大多数が「焼
かれるのは厭だ」。

「家から出して欲しい」と言って土葬を希望するけれども、隣近所の協力体制がなければ困難であるためだ。

■とた・・・・・・・・・・
■とち・・・・・・・・・・・

■土地・・・・・・・・・昔は住処にしても作物の日当たりにしても方位に土地の価値があった。次は水利だった。如何に大
陸が広大でも砂漠では生きられない。所が水道が前提にあり、スピード社会となった今は瞬間風速的に駅から何分か
が土地値打ちとなっている(不動産を参照)。

■土地制度の変遷・・・・・・・・・昔は土地公有制度であり、一部は大化2年より条里制の田んぼを班田収受法によって一
代限りの土地(口分田)を与え(貰っ)た。其れが律令制(公地公民制)でした。だが其の後は荘園制が広がって公地公
民制が崩れた。でもまだ個人の所有権はなかった。

■とつ・・・・・・・・・

特許・特許庁・・・・・・・・発明とは新たに物事を考え出す事。具体的には社会生活上価値有る技術上、または工法と
して創作をしたものを例えばパテント(特許)申請をする。新規性、有用性、工業性などが認められた場合には特許とし
て公認・登録されて特許権が一定期間発生する。特許は出願から20年、実案は10年、意匠が15年である。

類似品を販売した場合は特許関連4法、不正競争防止法、半導体、種苗法違反として民事刑事で裁かれる(著作物は
著作権法)。また発明が公認されなくても自分で使えば役に立つし公認されれば一般にも利用され、社会の役に立つ
訳です。

パテントは特許、実用新案、意匠・商標登録、としてもう一つの知的所有権である著作権とは別の工業所有権と言う。
其の売買や貸し借りは通常実施権、専用実施権としてロイヤリティのやり取りがある。日本は考える国であり、よって
今も科学技術立国として其れなりに成功した面も有る。だが日本人が今のマスプロに流れていてはならない。

日本人は大量生産・大量消費とは逆の発想を得意としたのです。所が問題は特許庁だ。此処は戦後は活躍したが今
は官僚化・利権化して特権を振るう。特別料金を払って申請する者を讃えるなら良いが、今は容疑者・犯罪者並みに扱
って上から断罪する姿勢である。しかもロボット化によって由々しき事態になっている。

審査官はペーパーテストで合格した未熟者に過ぎない。彼等が権力を持って国民の上に立ち、苦労して開発したもの
を理解できない。彼らの理解と解釈が及ばないものは直ぐに拒絶するだけで能無しだ。だから海外から日本企業が
度々訴えられて特許競争で破れ、何れも法外な金額をパテント料として支払わされるようになった。

逆の例が殆どないのは特許庁の無能と怠慢を示すものだ。此れは海外特許を取っても例えばホンダと全く同じバイク
が中国で公然と製造販売されている。其れに対して特許庁は何ら手を打てない。国民の権利を守ろうとする姿勢が無
く、寧ろ海外で使われている事実を以って、国内の特許を認めないとする姿勢が強い。

とすれば逆様であり、特許業務は有名無実であり、特許庁の存在自体有害化しているのではないか。例えば今はロボ
ット・システムになったが、電算機やロボットはメモリー・分類・検索には向いているが、考える事が出来ない。人が創造
的な発明案件を考えたものを審査として理解し判定するのは矢張り人間である。

其れこそが人としての彼らの仕事であり、ロボットには到底無理である。ロボットには作詞・作曲・発明発見が出来ない
から人間の値打ちがあるのだが、其の辺りの事にも彼らの頭が働かなくなっている。ただ多忙を理由にロボット器機を
入れて処理を早めようと言う訳だ。

確かに学識も劣り、社会的な経験も知見も未熟な若い審議官では工夫を重ねた現場の専門家の案件を見ても理解で
きず、何人かかっても今の登録申請事案の処理が手に余るに違いない。此のため発明の良否は無論の事、事案の内
容さえ理解出来ないようだ。よって彼等が立ち塞がっている日本はお先真っ暗である。

とつくに・・・・・・・古くは畿内から見た畿外の地方の事だったが、広くは外国を意味する。

突然死・・・・・・・交通事故や災害で人は突然亡くなる場合があるが、特に「突然死」と言われるケースは病気による
其れである。しかも心因性と言う特徴からである。例えば強い恐怖や絶望感、或いは大きな悲しみに死因が認められ
る場合が多い。

何れの場合も強い刺激に対して交感神経が働いて強いアドレナリンを出すので興奮するため心臓に過度の負担が掛
かるが、其のバランスを計るように副交感神経が働く。よって興奮が発散、緩和されてリラックス(安らぐ)するのが普通
であるが、体調が衰えている場合は旨く働かず、心臓が其の負担に耐え切れずに突然死となる。

■とて・・・・・・・・・
■とと・・・・・・太陽、または父。または幼児語で魚。
■とな

■とに
■とぬ
■とね

■利根・・・・・・・アイヌ語で「とぃね」は泥まみれ、土まみれ。
■との
■とは

■とひ

▲トビ・鳶・鵄・・・・・・・カラスより一回り大きな鳥で鷹の仲間。上昇気流に乗って高く上がる。ピーンヒョロと鳴く。神武天
皇東征の師走の時に天皇のユハズに金色のトビ(またはトキ)が止まって稲光の如く光輝いた事からナガスネ彦の軍
が戦えなくなったと書紀にある。そうした由来から日露戦争以来、軍人には金鵄勲章に象られた。

■とふ

■とへ
■とほ

度法・度量衡法・・・・・・・「尺貫法」を参照。
▲とま

ドーマン・・・・・・・タテ四本と横五本の格子目の線を引いた形であるが、要するに密教行者の使う九字(「九字印」を
参照)の形と同様、「井田」の護符としても使われた。平安時代の陰陽師・安倍の晴明がセーマンと言われる五角形の
星型を使ったのに対して、芦屋道満がこれを使った事によりその名(ドーマン)が残った。


この形が悪魔のつけ入る隙を与えない「お呪まじない」とされて来た。だがこの形は道満以前の古代から既に秘符として
存在し、或いは漢字体の原型として、或いは口分田や条里制、囲碁・将棋盤や阿弥陀籤にも使われて来た先の「井
田」の変形であり、格別秘伝でも呪術でもなかったと言える。金剛界曼荼羅や各種の家紋にも類似のものが多い。

ただ口分田の割り方を見ても単なる方眼紙ではなくて、「9×9=81」と拡大し、或いは同率で万分の一に縮小するの
も自在である迷宮構造の魔方陣となっている点を見れば、今の物質科学とは別の深く大きな世界を垣間見る事も有る
でしょう。

▲とみ

ドミニカ移民・・・・・・・・日本は戦後、海外からの引揚者などで急増した人口を減らすため中南米への移住を推進
し、ドミニカ共和国には56〜59年に249家族(1319人)を入植させた。募集要項では約18haの肥沃な土地を無償譲渡す
るとしたが、実際の配分面積は狭く、土地も耕作不適地で、しかも移住者に所有権がなく、耕作権しかなかった。

よって移住者の生活は困窮し、61〜62年に約130家族が国費で集団帰国した。残留した移住者は00年に提訴。帰国者
も訴訟に参加し、併合審理されていた。其の結果06/6/7に東京地裁判決となった。除斥期間を理由に「賠償責任は棄
却」とし、請求権は期限切れと結論付けた(以上同日の朝日新聞)。

言わば時効を理由に謝罪さえなかった。此れに対して原告らは「全く期待を裏切る判決だった。祖国とはこんなものだ
ったのか」と嘆いた。ピストルを突きつけられて奴隷のように働かされたドミニカに日本政府が結託し、国民を騙して棄
民したのに責任を取らない。帰国できる事さえ知らせなかった。此れでどうして国民が愛国心を持てようか。

▲とむ
■弔い・・・・・・・「死霊」、「葬法」を参照。
    
▲とも

ともの浦・・・・・・古来、航海法は風(別項参照)を頼った。エンジンがなくても季節風を利用して航海した訳です。例
えば福山・鞆の浦には朝鮮通信使も立ち寄って風待ち潮待ちの湊として栄えた。船の動力は風の力の外に潮も利用し
た訳です。

とら・・・・・・・方位の寅と獣の虎。

渡来史観・・・・・・・日本は古来、永く役に立つ基本的な哲理・原理とか良いものを西に教え伝えて来た。其れを元
に大陸では変化・応用して枝葉末節の複雑怪奇なものに発展させた。しかも大陸の戦乱と共に日本には大量の難民と
して避難するボートピープルが増えた結果、日本には稲作が伝わり、やがて仏教と漢字、律令制・陰陽暦も伝来した。

平安時代になると彼らの故郷である西方を浄土とする無価値の観念まで押し広めた。更に室町時代には種子島に鉄
砲も伝来した。此の銃の場合は信長の時代の長篠の戦い時に3000丁使われ、家康の関ヶ原の時には5万丁使われ
た。此れによって日本人の価値観が大いに揺らぎ大転換した。

弓矢よりも鉄砲のほうが遥かに威力が強いと分かったからです。其れまでは東西の文化が伯仲していた。其の日本人
の価値観が種子島銃を転機に、先進文明は西から東へ来るものと言う信仰と流れが変わり、特権的な南蛮渡来の舶
来品礼賛と支配の術へと急傾斜してしまうのです(論説1を参照)。

渡来の文物・・・・・・・日本は古来、太陽を物事の判断基準にして安楽に暮らして来ました。よって日の出から
西に日が動くように其の文化が大陸に伝播して行った。所が大陸では度重なる戦乱が続いて日の文明を破壊し、此の
ため大陸からは椰子の実が流れ着くように大勢のボートピープルが日本に逆流し、避難して来た。

彼らはモミを持って来て大陸と同じ方式の稲作を始めた。此れが日本の悲劇の始まりでした(稲作、及びドミニカとブラ
ジルを参照)。彼らは何時までも自分たちの故郷を懐かしみ、「西方浄土」と言う観念を日本人に植えつけた。だが果た
して今の西域・西洋に浄土があるといえようか。いまだに戦乱が続いて不毛の大陸が広がるだけである。

しかし、そうした転倒した価値観を持つ此の種の渡来人の子孫だけは日本では大いに栄え、今も国会を牛耳り、政府
の官僚として権力と権益を握っている。だから言わば彼らの故郷である北朝鮮や中国の言いなり、または代弁者として
君臨し、今でも国民を使役して巨額のODA援助と「お詫び外交」の二点セット外交をもう数十年続けている。

ですからこの弊害は百年河清を待っても改まらないだろう。彼らはかつて稲作文明と共に永く月の暦に馴らされてしま
ったし、シナの律令制まで日本に持ち込んだ。のみならず明治には欧米文明を採り入れる為にカトリック教の西暦を採
用したのですから堪らない。此れは星を基準とする暦法でした。

だから狭い日本には併せて三つもの基準(物指し)が出来た事になる。此れは安直な転換ではあったものの、国民にと
っては不幸の始まりでした。その結果、日本国内では宗教もバラバラ、盆正月でも三回づつするようになった。

このように風習が違えば常識もバラバラとなり、日本語のほかに漢字やハングル・英語や色んなイデオロギー(異教
性)まで持ち込まれた結果として、どうにもならなくなった。

中でも学識経験者と言われる渡来系の人たちの殆どは、日本の古い文物などは関心を持たず知ろうともせず、先ず海
外の文物から学んで、南蛮渡来の一片の知識や学名をひけらかしたり、其れを根拠に渡来種を乱発してモノを言って
来た(個別の「渡来品」については別紙の「神々の歳時記・論説」を参照)。

よって日本の文物は全て椰子の実が漂着ゴミと一緒に、渚に打ち寄せる様に渡来したかの様に講釈して来た。でも其
んな薄っぺらな観念を学問と言うのはおかしい。凡そ日本の国民性は誰にでも分け隔てなく気前良く渡す。しかし海外
からは気前良く来なかった。

漂着ゴミならイザ知らず、優れた文物は譬え古代であってもそう簡単に手に入らなかったです。例えば、鑑真和上は何
度も渡朝に失敗し、老境に入ってやっと六回目に成功したが失明していた。東大寺と唐招提寺はこうして出来たが、決
して只で成立したのではなかった。遣唐使や留学生には金銀を与え、交易にも大量の金銀銅や丹生を費やした。

日本がジパング(黄金の国)と言われたのはそのためである。特に清盛や大内氏や足利義満は支配と私益のために
金銀を船に積んでボロ銭・唐銭を買い集めた。金と引き換えに偽の銅銭を大量に買って国内にばら撒いたのである
(続きは「論説」で述べる)。

こうした行為は、今の自民党政府がボロドルや米国債を大量買付けしている構図と同じである。また日本原産の動植
物の多くが「中国原産」などの「渡来種」とされている場合が多い。けれども其れほど渡来種ばかりであるなら、其れま
での日本列島は何も無い不毛の砂漠や裸山だったのか、と聞きたい。

例えば日本文化や花鳥風月に欠かせない菊や松竹梅の内、孟宗竹は渡来としても異論が無いが、良く調べれば菊も
梅も竹笹も日本古来の原種(在来種)が既に有った。他の事例では山梨県の勝沼の大善寺が葡萄寺として聞こえる名
刹である。其の葡萄はシルクロードから渡来したものを行基が広めたものと言われる。

其れは甲州名産の由来なのかも知れないが、日本の原野には既に在来種が野生し、特に北海道の野葡萄は昔から
熊の好物でした。戦後は特に外来文明が広がって和式文化が消えました。外国情報と外国製品の氾濫と外国資本が
目抜き通りのビルを占めるようになった。此れを「国際化した」と喜ぶ能天気な日本人が多いがとんでもない事です。

其れは殆ど悪辣な外国資本であり、日本人を食い物にするため進出して来たものである。其れに一国内に色んな基準
が多いのは人々を迷わせるだけで何の益にもならず、住みにくい社会にする。例えば国語以外に使う事もない英語を
何年間も学ばせて何の役に立っただろうか。

必要以上の風習や文物は人を多忙にしますし、「礼節・マナーなし」とか、常識知らずにする。そして渡来のものは生態
系も破壊する。例えば奄美大島では毒蛇・ハブを退治する天敵と誤解してマングースを輸入した結果、今は1万頭に増
えて困っている。「奄美黒ウサギ」を食い尽くしていると気がついたがもう遅かった。

渡来種では外にもセイタカアワダチソウと西洋タンポポ、アメリカザリカニとブラックバスやブルーギル、緑カメや背赤毒
グモとアライグマの増加で困っている。其の上、食文化の乱れと病気と病人の増大、そしてトラブルの増加、犯罪増大
とし、・・・そうして結局は古くから実績のある優れた植生を破壊し、日本文化も消滅させようとしている。

結果として渡来の文物にロクなものはなかった事に日本人は気づく時であろう。日本は稲作も仏教も漢字も受け入れ、
特に遣唐使以来、唐風文物を舶来として尊重して来たが、モンゴルは更に元寇(蒙古襲来)としてやって来た。また、日
本が多額の援助をして来た今の中韓両国でさえ反日感情を煽り立てる反日教育によって日本を間接侵略している。

ですから其れに感染した文物を輸入するのは警戒すべきだろう。白人たちの場合も、敵に対して先ずキリスト教を売り
込み、次に植民地としました。まず他者を「教化」した上で隷属させ、支配しようとたのです。無論、信長時代の日本もこ
の他者にされていた。だが秀吉と家康は彼らの其の企みを見破った。

だからやがて徳川の世に鎖国としたのであり、其れも幕末の攘夷思想に引き継がれて行ったのですが、明治の開国
と、特に戦後の薄ら馬鹿たちは、日本を彼らの他者としてしっかり組み込み隷属させた。要するに国を売って飯にして
しまったのです。と言っても愚痴になるから別の面から述べれば、北朝鮮の日本人拉致も同根である。

或いは今の日本社会で外国人犯罪が急増しているのも中国と韓国政府の反日教育の成果である。沖縄と長崎・対馬
に今流れ着く韓国や中国などからの漂着ゴミ(別項を参照)を見ても、7年で10倍に増えて年間11万〜120トンに上
り、海岸に1mの帯を作り、ゴミの山を各地に置き土産としている。

其れに04年の外国人犯罪件数は47000件を超えたが、中でも中国人が42%とダントツであり、次は韓国の9.5%
である。であるから西方浄土史観や渡来の文物を賛美したり信奉する舶来主義は自分だけなら勝手だが、他人にまで
吹聴するのは自制すべきであろう。物ばかりではなく、先に述べた渡来人も危険である。

一人一人は良い人たちに見えても、イデオロギー(異教性)によって毒され、それを隠し持った者が日本に来れば平気
で残酷な犯罪を繰り返すのである。進化論の汚染も既に手遅れとなった。このように渡来の文物にロクなものはなかっ
た(「侵略的外来種」を参照)。イザナギは黄泉の国から戻って先ずされた事は「みそぎ」でした。

神様でも禊をするのに今の日本人は気軽に海外旅行をして平気で過ごしている。彼らがやがてエイズで苦しむのは至
極当然であり、其れを自分のエゴでプライバシーとか密かに隠して国内に撒き散らす事のないよう、自分の責任で早く
始末すべきであろう(「攘夷」、「民族主義」を参照)。

★トラウマ・・・・・・・ショックによる精神的外傷。

ドラキュラ・・・・・・・怪物映画の一つの題名、または其の主人公。吸血鬼。舞台となったのはルーマニアのブラン城。
14cに建てられて15cに残虐な刑罰で「串刺し公」の異名を持ったブラド・ツェペシュ公が19c末にドラキュラ伯爵のモデ
ルにした。ハプスブルク家の所有だったので06/5/26日に58年ぶりに其の子孫に返還された(AP−朝日)。

▲ドラゴン・・・・・・・「龍」を参照。
▲トラス・・・・・・・建築工法の一つで三角構造とするもの。此れによって強度が大きくなるので鉄塔、小屋組み、橋梁な
どの基本となる。ハウトラスと曲弦トラスがある。また此れとは別に一般的近代建築はラーメン工法を採る。

▲ドラック・・・・・・・「麻薬」、「薬物信心」を参照。

・・・・・・・「酉=鳥」とするのが今の一般的理解ですが、昔は鳥ではなくて方位でした。酉は夕日のお日様に酒を
奉げた方位を意味し、或いは鳥居に日が沈む所をリアルに図示した文字だった。従って酒壷の字にも使われた。酉は
五行の方位では西、秋、五時では夕方、五色では白の暦時・方位の原則を示したのです。

「酉」は鳥ではなくて、「ひよみのとり」と言う。つまり酉は元々太陽観測の方位でした。所が呑み助は「酒つぼ」の象形と
理解した。よってそれに水を表すサンズイを付け、お酒を表すと理解したのです。或いは「西」は、お酒などを濾すため
の竹かごの象徴とされ、更に、お酒をこす時のように、水を注いで洗う意味を表すとか、要するに迷走しています。

因みに、「酔う」という漢字がありますが、これは「酉」の右側が元は「卒」という漢字で、「全うする」という意味です。「酉
+卒」で酒の量をまっとうする、イコール「酔っぱらう」の意味になっているのですね(この項目の一部はメルマガ「知的
道楽」http://www.samue-e.com/より一部引用)。

所で、エトの酉年については星空の方位(エトを参照)による観点です。例えば木星の周期は12年周期で回座するの
で、12星座も12支の方位で対応した。つまり星座は回るので、地上の空間・方位は固定しなければならない。所がそ
の意味を今のエト信仰では混同しているため「方位は迷信」とか「占いの世界」と誤解するようになった。

例えばエトによる景気循環説が毎年繰り返されるがどれだけ当たっていますか?景気は星空よりも寧ろ太陽に左右さ
れる。太陽の周期は略11年であり、其れが日本の景気の波を作っています(日読みの「太陽の黒点数」を参照)。其
れに景気はエトよりも地震噴火などにも大きく影響されます。

04年には「サル」で「景気が去った」が、その代りに中越とスマトラ沖地震がやって来た。この為もあって05年は景気
が下降するだろう(政府統計では好景気となった)。其れは太陽の黒点数からも言える事だ。しかし日本社会では正月
から「酉年は鳥が飛ぶ」と誤解して縁起担ぎのぬか喜びで酔っていた。

・・・・・・・04年は申年、05年は酉年なので猿から鳥に神社の境内の飾り物が正月を境に一変した。所で、都会で
一番身近な鳥はカラスです。此れまでカラスを嫌っていた都会人が、鳥の一種であるカラスを今年はどうする気でしょう
か。でもエト(別項を参照)は動物とは元々無関係である。

だとすれば、誤解を刷り込むような今のマスコミや神社の宣伝は問題ではないか。元々鳥は空を飛ぶ存在です。つまり
天地を上下する存在(生き物)です。大きな荷物は無理だが、人の魂も運ぶと信じられて来た。或いは伝書鳩のように
通信機能を持つ鳥も有るが、カラスや小鳥などその他大勢の鳥たちはお掃除屋さんです。

人間が酉年を鳥と混同して酉年には鳥を描いて満足しているが、何か変ではないか。歓迎する一方でカラスを嫌って
来たのは矛盾ではないか(カラスを参照)。歓迎する酉年の鳥はカラスとは別であるとして、掃除を怠って毎日カラスに
来て貰っている事実を学識の高い都会人はどう理解しているのだろうか。

鳥居の意味・・・・・・・鳥居は神社のシンボルであり、もしくは其処に神社がある事の目印であるとか、其処への入
り口を表示した看板代わりの存在なのだろうか。無論、その何れでもない。単なるゲート(門)ではなく、「鳥居」と書く以
上、漢字の意味では「鳥が居た所」と思って当然だが、生憎、其の実例もなく文献に掲げた例も無い。

鳥居を小鳥たちがある時に「止まり木」にしたとしても其れを目的に人類が立てた訳ではない。朝鮮には「鳥が居た所」
と言う例があると日本で説く韓国系の高名な学者もおられるが、此処は日本ですから其れだけで説明するには無理が
あります。

鳥居は鳥を置いた所でもなければ、人が出入りする門でもなくて、一定の時期に神が通ると言う道標であり、ゲート(地
点)だった。つまり祭りの日取りを確定するための位置に立てられたものであり、日読みの方位採りの為の「採り位」
した。要するにライフルの照門のようなものです。

ライフルは照門から照星を覗いて的に合わせて狙いを定める。其れと同じ意味である。だから日本人は昔からの鳥居
の位置を無暗に動かさなかったし、其処を人が通る場合にも正中線を外して、なるべく端を通った(「玉垣」も参照)。

鳥居の種類には材質の違いの他、丸や四角・八角形、そして様式では諏訪、山王、稲荷、明神、神明、両部、三輪、
鴨、八幡、三つ鳥居などがあるが、各様式に格別の意味があったとは思えない。鳥居は華表とも書く。そして神輿や墓
標の周りの井垣(高欄)にも設置するし、船にも付ける。

船では帆柱を倒す場合の受け木となり、或いは舵吊りとしても使われた。そして鳥居を立てる場合、「転び」と言って、
垂線よりも内側に5〜6°傾けて二本柱を一対で立てるのが普通である。一本当りでは2 〜3°、一対では言わば「5
6比」である(「勾配」を参照)。

しかし其の意味について解説したのを見聞きした事がないので、此処で述べれば、「コロビ」は、境内の中心の対応
点、つまり定点(本殿など)から見た角度の開きだったろう。とすれば、境内の広さに比例して鳥居の大きさが決まった
訳であり、境内が狭いのに大きな鳥居を立てても無意味なのである。

鳥居とは、生物の鳥とは無関係な当て字であり、本来は暦と祭りの「方位採り」の照星に当たる場だった、と理解しても
略間違いはない。であれば移動してはならない。境内の楠を一本伐っても人が死ぬのである。此れを科学者が見て
「迷信だ」と言っても始まらない。科学で其れを防止した実例がないではないか。

理屈抜きの迷信で怖がらせるくらいで良い。だが今では「新しく駐車場を作るから邪魔だ」とか「新道が出来たからそっ
ちにも一つ作れ」、と言う風に簡単に処理し、勝手に移動しているとすれば問題である。もしどうしてもその必要があると
判断した場合でも、鳥居の向きや本殿からの延長線から外してはならない。

鳥居は他の寺社とのラインの交点になっている場合もあるので、移動した場合でも、元の位置には標識を標して置い
て頂きたい。其れが元の祭りの暦日を示すものであるからです。序に鶴岡八幡宮と春日大社の一の鳥居がどうして本
殿から遠い所に在るのか、宿題にしよう。

前社は本殿近くに三の鳥居、次が二の鳥居、そして弓ヶ浜に一の鳥居がある。春日大社の場合は、興福寺に一の鳥
居がある。其れに金剛山の場合は、山の中心地に一の鳥居があって、神社や寺は其の場から遠い(何れの場合も、
今の本殿よりも鳥居の場がより重要であった)。


鳥インフルエンザ・・・・・・・04年に京都で、05年には茨城で6月末から感染が始まり、京都の5倍の処理量となった。
後者は全国一の鶏卵産地であり、原因は渡り鳥説があるが、グアテマラタイプの遺伝子だったので否定され、闇ワクチ
ンの投与の可能性が指摘された。

京都タイプは強毒(死ぬ)系であり、茨城タイプは弱毒(死なない)系であるものの、強毒系に変わる恐れがある(05/11
/8のNHK総合TVより)。此のため日本は大量のタミフル(別項参照)を買い占めたが、被害はなかった。つまり予想が
大ハズレ。また07/1/13日には宮崎県の孵卵場で3800羽が感染死した。

鳥インフルエンザでは世界中で既に160人が感染死している。宮崎県の此のケースも人に感染し易いH5型と分かっ
た。此れについてまた渡り鳥を犯人としているが違う。インドネシアなどの小規模の放し飼いの鳥小屋を犯人にしてい
るが見当違いである。自然の生き物を人工的な工業生産管理のような不自然な飼い方をしている事が原因であろう。

自然界には無尽蔵の雑菌がある。各々必要が有って発生し、変化し進化しているのであるから、限定的な人や機械の
目で管理しても追いつかないのです。ウイルスが鳥インフルエンザと酷似の人インフルエンザ対処法については「風
邪」、八角、ノロウイルスを参照。

ドル・・・・・・・・dollar(ボヘミアの鋳造所)。$、弗とも書く。米ドル、USダラーの1ドルは100セント。他にエチオピ
ア、オーストラリア、香港、シンガポール、ジャマイカ、カナダ弗など23ヶ国に及ぶ。補助通貨はセント(ペニー)で1ドル
100セント。

16cボヘミアの銀貨ヨハヒムス・ターラーがドイツの歴史的通貨のターラーとなり、米国に渡ってダラーとなり、明治初期
の日本ではドルラルと発音した。「$」の由来はペソのPSを重ねたとか、イギリスのシリングのSからとか諸説ある。か
つて大英帝国のポンドが世界の基軸通貨だったが、戦後はドルに代った。

1920年代後半に世界一の債権国はイギリスから米国に交代した。此のため1929年のNY株式市場の暴落が世界恐慌
となった。株の暴落に対してきんゆうかんわをするべき所をFRBが金融引き締めで対応したのが間違いだった。米国
が其の責任を自覚したのは大戦直前の1944年だった。

此処に連合国45ヶ国が集まってブレトンウッズ体制と呼ばれるIMF、世界銀行、ガット(現WTO)など国際経済機構が
創設された。国際通貨は金1オンス=35ドルの固定相場として、ドルに対する各国の交換比率が定まった。ポンドは金
本位制から離脱し、米国の圧倒的な経済力と金保有をバックにドルだけが金本位制を維持した。

日本は1949/4月から対ドル360円に固定して20年以上にわたって輸出主導型の高度成長を続けた。欧州も戦後アメリ
カのマーシャルプランによって順調に経済拡大した。だが其のドルもベトナム戦争以降加速的に地位が低下し、金の保
有高は1955年の世界シェア58%から70年には27%へ半減し、1971/8/15日には金・ドル交換停止した。

此れがニクソンショックである。更に73年には変動相場制に移行し、ドル相場は低下を続けた。特に85年9月のプラザ
合意以降、ドルは円に対して200円を割り、10年後の95/4月には一時80円台を割り込んだ。今やユーロと円との共存
時代に入り、更に中国の元が大きな存在となる。

05/9月に米国財務省は新10ドル紙幣を発表し、06年から流通している(以上は月刊PISC-07/1から引用)。

今の世界経済は8兆ドルで貿易の決済が出来るのに30兆ものドルが出回っている。お金とは違う価値観を持たな
ければ、自然も人間も駄目になる(以下は05/11/12のNHK教育TV「もう一つの日本は可能か」で内橋克人氏と菅
原文太氏)。因みに今の日本は米国のドル箱。


★トルエン・・・・・・・・炭化水素の一つ。医薬・爆薬の原料。

トルコ・・・・・・・ラテン語でJurcusは「強い国民」を意味する。セルジュク、次にオスマン帝国として東ローマ帝国を
滅ぼしたからである。トルクメニスタン(トルコ共和国)の首都はアンカラ。地縁で結んだ6つの有力氏族が支配する国。
祭政一致を原則とするイスラム圏の中では、例外的に政教分離を掲げた唯一の国(イスタンブールを参照)。

東西の接点に位置するトルコは政治と宗教との接点でもあり、祭政一致のイスラム教圏と祭政分離の欧米・キリスト教
圏との接点(ビザンチンを参照)にある。第一次大戦後にオスマントルコ帝国を解体し1923年から欧米型の共和制・大
統領制の社会になったが、心の荒廃と経済政策の失敗により貧富の格差が大きくなった。

其処で1995年にはイスラム福祉党が第一党になり、宗教の復活やアラビア文字の復活をした。95年から永世中立国と
なった。だが1997年に事態はまた逆転して宗教国家から政教分離に向かった。例えば今、ベールと髭の禁止で揺れて
いる(05/7/21のNHK教育TVより一部引用、「イスラム復興」を参照)。

福祉党のエルバカン首相は破れて党の解散命令を受けて激しい戦いが続き、代って党首・エルドアン氏が06年現在、
ベールと鬚を許可した。欧米の圧力に対するイスラム原理主義である。トルコはまた東西の接点ある為、EU加盟で揺
れている。最初は政教分離で結婚話を持ちかけられて結婚を前提に付き合って8年たった。

当初はドイツとフランスがトルコを後押ししていた。だがEU(別項参照)側は厳しい要求を次々突きつけてトルコに変革
を迫ったものの今尚ゴネて加盟を認めない。なのでトルコなどイスラム圏からEUは、「所詮キリストクラブ」と反発される
ようになった(06/12/21NHK総合テレビ「クローズアップ」より)。

01年のNY多発テロを契機に独仏共にイスラム教に不信感を持ち、差別し始めた。移民にも厳しくなり、更にアルメニア
問題やキプロス問題を持ち出して古傷を叩く。またEU加盟となれば、EU内ではフランスより人口が多い人口7000万人
のトルコのほうが発言力も補助金の額も大きくなるとして阻害されている。

また06/12/9朝日によれば、国際社会から独裁国家として厳しく批判されて来たニヤゾフ終身大統領率いる此の国は
現在、天然ガス輸出で活況に沸いている。エネルギー消費急増の中国やインド、其れにロシアも巻き込んでガス争奪
戦の恩恵で白熱化している。

例えばガソリンは4円/リットルと言うのですから、日本も独裁国家になればカーキチが喜ぶに違いない。だが06/12/21
日にニヤゾフ終身大統領が死去した。ベルドイムハメドフ副首相が葬儀委員長、即ち後継者となるものの、以後、与党
の共産党が握る利権に野党が反発して混乱すると予測されている。

先のニヤゾフ終身大統領が21年間統治して21日に心臓病で死去したが、彼は92/6/21日に再選されたので21日は因
縁の日である。しかも此の命日はスターリンの誕生日であった。またスターリンの出身地であるグルジアの現大統領
(サアカシュビリ氏)の誕生日も12/21日である。

因みにペルシャ文化圏には12/21日に生まれた子供を「悪魔の子」と呼ぶ迷信もあるとか(06/12/28朝日)。またトルコ
と日本は潮岬と縁がある。ただ日本で言うトルコ風呂はトルコと無関係。

ドルトンの定律・・・・・・・・英国の化学者。混合気体の圧力と温度の関係を定律(定比例の法則)で示した。倍数比例
の法則とも言う。

トルネード・・・・・・・アフリカや米国ミシシッピー流域で発生する大旋風。

ドルーマン・・・・・・・・日本に原爆投下を命じて散々な目にあわせた33代目のメリケン大統領。

ドルメン・・・・・・・・ケルトのtol()卓とmen(石)を合成したフランス語で巨石記念物を意味する。平らな石を上に載せ
た西欧の石棺。

★トレード・・・・・・・・商取引。
★トレミー星座・・・・・・・・トレミーはプトレマイオスの事。北半球の48の星座。
ドレミファ・・・・・・・・イタリア読みの音階。ヨハネ讃歌の各行の初めの綴りUt、Re、Mi、Fa、Sol、La、Si(コンサイス
外来語辞典より)。

★トロイ−オンス・・・・・・・・ヤードポンド法による重さの単位。記号はozt.約31g。因みに06年の金相場では約600弗(7
万円)。

トロイの木馬・・・・・・・・トロヤ戦争で使われた戦術。Bc1875、トロヤの王子がスパルタの王妃を誘拐した事でギリシ
ャ軍10万がトロヤを包囲した。交戦10年でギリシャ軍が木馬を作り、其の中に兵士を入れて敵地に送り込んで陥落に
成功したと言うホメロスの叙事詩イリアスにある伝説。

其れを信じて1871年にシューリマンが発掘に成功した(コンサイス外来語辞典より)。

★トロール・・・・・・・・わな(ラテン語)。英国で発達した底引き網。日本では1903年から。
★ドロン・ゲーム・・・・・・・・勝敗無の引き分け(コンサイス外来語辞典より)。

土用・・・・・・・・・・・■ 春も終わりの春、土用入り ■桜が見頃になったと思えば、もう散り始めています。暖かくなっ
てようやく春を感じるこの時期、暦の上ではそろそろ春も終わりを迎えようとしています。もうじき、春の土用がやってく
るのですね。●05年の4月の17日は春の土用入、春の終わり。

日本には、干支や行事など、中国から日本に渡ってきて根付いたものがたくさんあります。その一つが「五行思想」と春
夏秋冬の関係、そして土用です。五行(別項参照)では全てのものが、木、火、金、水、土の五つに当てはめられ、春は
木、夏は火、秋は金、冬は水、と、それぞれの四季にもこれが割り当てられています。

そして、各季節の末に、そこに振り分けられなかった土の時期がやってきます。夏の「土用丑の日」でうなぎを食べるこ
とが有名ですが、夏だけでなく、他の季節にも土用はあるのですね。05年の春の土用は4月17日から5月4日。各季
節の終わりにやってくるのが土用ですから、この時期を抜けた5月5日は立夏。暦の上では夏の始まりです。

●土いじりは禁止!? 土用の言い伝えとして、土用は古くは「土王用事」や「土旺用事」と言い、土の気が旺(さかん)
になると信じられていました。この気が働くことによって、四季の変化が始まると言われています。土は消え行く命を受
け入れると同時に、新しい命を育むことから、古い季節の終わりと、新しい季節の成長を司るのです。

こういう日本の感覚、とても美しくて大好きです。さて、何故「土が旺ん」になるかと言うと、土用の期間は、土の神様「土
公神(どくじん)」がいらっしゃるからです。よって、土いじりや穴掘り、工事など、土に関わる作業を忌む習慣がありまし
た。お正月や春、神様を迎える時も仕事は禁止になりますが、土用もそんな感じでしょうか。

しかし例外もあり、「間日」の間は土公神が地上を離れるので、土を動かしても良いとされています。また、土用前に始
めた作業は、土用中も続行して良いとされています。「間日」とは、下のような決まった日です。

春の土用:巳・午・酉の日 夏の土用:卯・辰・申の日 秋の土用:未・酉・亥の日冬の土用:卯・巳・寅の日。
土用は一年の5分の1を占めるので、その間、土に関わる作業が一切禁止となると大変です。そんな状況を避けるた
め、逃げ道的な要素を授けた日が間日という訳です。なんだか、一休さんのとんちみたいな話ですね。

土用を入れて考えると、もう季節の変わる時期なのかと、春夏秋冬が短く感じられてしまいます。しかし、わずかな間に
しか咲かない桜のように、季節も短いと思えば、より大切に過ごすことができるのかも知れませんね。土用つながり
のお話ですが、丑の日は、災難を受けやすい日だと信じられていました。

五行では、東西南北に青白赤黒の四色が当てはめられていて、丑の日に当たる丑の方角は北、すなわち黒(因みに、
土は東西南北の中央で、黄色です)。

北の守護神も玄武という黒い神様だったため、「この日、黒いものを食べると難を逃れる」というおまじないが考えら
れました。ウナギだけではなく、ドジョウや黒鰹なども食べられていたようです。また、「う」の付くものを食べると食あたり
や病気をしないと言われ、梅干やうどんなども食べられていたようです。

「土用丑の日がうなぎの日」と定まったのは平賀源内のおかげである、というのが一番有名な言い伝えですが、いろん
な説があるようです(以上、メルマガ「知的道楽」http://www.samue-e.com/より引用)。

トヨール・・・・・・・極小人型生物。トヨールはマレーシアで人の生き血を吸うとか金を盗むとして恐れられる体長が15
〜50cmの極小生物で、目が赤く、口が緑色、体が黒い悪魔。マレーシアでは博物館に黒光りしたこの生物が保管さ
れているが、公開一日で中止した。人が見ただけで気味悪く、災いに遭うとも言われる。

他方、インドではチュパカフラと言う。またエナーノと言うのは南米サンチャゴ。此処では地下15mに棲むと言われ、其
のミイラもある(06/4/22のabcTVから引用)。

▲とん・・・・・・・

▲トン・・・・・・・重さの単位。古英語で約250ガロン入りの酒樽。英トンは2240ポンド(約1016kg)。仏トンはメートル法の
1000kg(約267貫)。米トンは2000ポンド(約907.2kg)。外に船舶の容積、排水量のトン、或いは貨物で40立方フィートを
言う。因みに水の比重は1gですから1000リットルが1トンです。

▲トーン・・・・・・・調子。
▲ドン・・・・・・・スペイン、イタリアなどで「君」「主人」。

トンパ文字・・・・・・・中国の少数民族・ナシ(納西)族が伝える絵文字。1000年の歴史があり、今も使われる象形文
字としては世界最古。但し1つの文字にも色んな意味があり、文章としては更に色んな解釈に変化する。ナシ(納西)族
は古来、チベットとの交易路としての茶馬古道で栄えた。

特に明王朝の時代に栄えた木氏が雲南省の麗江(世界遺産)の街を築き上げ、今も其処(木府)を中心とした地域で
暮す。年一回の祭天(別項参照)とは玉流雪山?の麓で豊作と子孫繁栄を願う祭天である。トンバ文字の経典にあるト
ンパの由来を記した神話を5時間余り掛けて朗々と歌う(06/12/8NHK総合TVより引用)。






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