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http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」  page250.html  (未定稿)


     日知り事典    都会〜屠蘇

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・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
■とか・・・・・・・

■都会・・・・・・・従来は商品の市場(マーケット)であり消費地とされて来たが、実はゴミ生産地である。住宅街でも商店
街でも工業団地でも、現実には未消化の物をゴミとして放出し続ける所となっている。都会とは対照的な森林の場合
は、一切が自然循環のサイクルで生産・消費・再生を繰り返しているためゴミは出ない。

寧ろ、都会の出したゴミや環境阻害物質を吸収・還元・消化・再生しています。無論、緑の大生産地であり、小動物やイ
ノシシや熊など蛋白質の生産地でもある。

都会人・・・・・・・・都会人は遊牧民族の因縁を持つ。遊牧民は夜行性の動物と共に夜間に移動する。都会人の場合
も競争社会の中での仕事だから精神的に疲れる。よって会社帰りになると元気が出て退社後に町をうろつく。特に深
夜に元気が出る。ラジオ番組もゆったりとした音楽ではなくて何れもガンガンやる。全く非常識で異人的な社会である。

だから都会は不夜城のように夜に輝く。都会人は転属・転勤で渡り歩くので地元に愛着も執着もなく、従って固執しない
代わり地元を知らない。よって自然を知らず、自然を育てる事もなく、自然界から奪うばかりとなる。食べ物も地産地消
とせず、スーパーで売っている一般的な商品しか食べない。専ら肉食か冷凍・乾燥の加工食品である。

土方・・・・・・・・土木工事従事者。土方たちは橋や道路を作り上げた。今は機械化によりブルやユンボを使うので、
オバちゃんでもダンプを乗り回している御時世ですから肉体労働者ではなくなったが、昔の土方風情と言えば体が大柄
で目付きも厳ついので今の暴力団と見分けが付かなかった。

実際、彼等が屯する飯場は賭場と大差なかった。そんな彼らにも泣き所があった。刃物ではなくて雨である。雨が降れ
ば仕事が出来ず、親方は気が滅入った。ヤクザは口先介入で身を立てるがホントは刃物が怖かった。だからハジキを
持つのだが、土方の親方は刃物よりも雨が怖かった。

雨には身を切られる思いで、「土方殺すニャ刃物は要らぬ、雨の三日も降れば良い」と都々逸で唸った。切実さと開き
直りの実感が有ったと思います。

■トカラ(吐火羅)・・・・・・・北魏の頃に今のアフガニスタン辺りからトルコを通ってアラル海に注ぐアム川流域にあった
国。隋と交流して唐の時代に突厥に服し、次いで唐に帰順したがその後、大食(タージー)国に併合された(広辞苑)。
九州にも火山群のトカラ群島(鹿児島・十島村など)がある。

・・・・・・・今の約2時間。過去現在未来を連続的に計る尺度。ただ昔は機械的な時間ではなくてアナログの自然
時間だったから四季によって伸縮した(時間を参照)。

今も1日12時間、つまり昼夜を機械的に等分して24時間法を採っているが、昔から四方八方を12支によって分けて12
時間とし、其の倍数の24に区分して真夜中の子の刻から1つ2つと数え、更に1トキを上中下に3分して48刻とした。
例えば昼下がりの3時頃を今でもオヤツと言うが、此れは昔の八半に当る。

昼夜の12時を何れも九つとし、朝晩の日の出入り時刻を明け六つ、暮れ六つとした。九から時計回りに八、七、六、
五、四、そして九に戻るのがトキ巡りであり、三、二、一は無かった。今は時間を数字やデジタルで認識するが、本来の
暦時(時空)は数字ではなくて方位でした。数字は今の人間だけの狭い観念ですから大自然には通用しない。

自然の一部である人類が、自然界に通用しない観念を使っていては自然界から遊離する事となり、環境悪化さえ止め
る事が出来ないでいる訳です。特に方位の観点がなくなれば時空も、先祖や神との接点も失います。また霊界・神霊と
の接点は方位であり、数字ではない。さて神代の時間呼称を「シバ」と言った。

当時のシバは、方位と共に時空を刻む目安でした。其の点、現代では時は方位を無視してデジタル化し、数字でだけ
比べて見る単位としてしまったが、其れでは進歩ではなく誤解である。単に人類だけの狭い観念で自然を理解しようと
しても無理である。

天体の動きも自然界も人類も一心同体の時空で繋がっている以上、人間だけの単位で切って見ても、自然界のリズム
とミスマッチとなるのである。自然の中の花鳥風月が全体の中の各々として調和の中で一体的に流れ、或いは育つ。

因みに「かつて北米には144もの標準時があった」と言う(「生物はなぜリズムを刻むのか」ラッセル・フォスター著、日経
BP社)。ですから多様で有るべき時間を人類が一律に決めて万物に適用しようとしても通用する訳がない。譬え機械的
に一律一定の世界的な尺度単位にした所で大した意味はない。例えばネズミと象の時間も大差がある。

人も老若男女で時の流れ方が各々違うように感じます。其れは人生の栄枯盛衰でリズムが違ったり、肉体のサイズで
リズムが違うからです。従って日、月、星が各々別の周期で回る事から広い世界では古来、各々太陽暦、陰陽暦、太
陰暦の別として地域や民族によって特定の天体を暮らしの基準として来ました。

言うまでもなく、太陽暦と陰陽暦とでは時間の長さが違う訳です(「不定時報」を参照)。
火星には火星の、地球には地球の時間が有り、また大きな生命体である象の時間と小さなネズミの生命で流れる時間
が違うように、個別の種や立場によって、一生の尺度も違う。

種が同じでも時間の進み方が違って来るのは、例えば子供にとって一年は長く感じるが、老境に入った人の時間は慌
しく一年が直ぐに過ぎ去ってしまう。従って一律で画一的な数字的観念でのみでトキを認識すればナンセンスであり誤
解の元となる。よってハッキリ言えば時は数字ではなく渦である。

個別で単体の渦が最初は大きく、従って大回りでゆったり飛ぶように回るが、其れも次第に小さくなり、やがて消滅する
存在である。だから同じ一回転でも中心部は小さく、其処から遠ければ大きく猛スピードで回らなければならない。或い
は渦の消滅前には小さく、従って小走りでも一回転してしまうのです。

トキ・・・・・・・鴇。桃花鳥とも朱鷺とも書く。赤みかがった羽根の色が美しい。ただ季節により羽根の色が保護色で白
から変化すると言う。神武天皇東征の師走の時に天皇のユハズに金色のトビ(または此のトキ)が止まって稲光の如く
光輝いた事からナガスネ彦の軍が戦えなくなったと書紀にある。日本でも昔は多かったが今はいない。

世界で唯一、中国で500羽が農村で無農薬で守られて平和に暮らしている。田圃で虫を取って暮すので、巣を作るため
に近くに大きな木の森がある事が生息の要件となる。新潟の佐渡にも1952年まで100羽ほどいたが、其の7年後6羽に
減り、国によって人工繁殖のため捕獲したが一羽のみとなり、しかも83年に死んだ。

99年に中国の協力で2羽がやって来た。06/8月には現在98羽にまで増やす事が出来た(一部06/10/8NHK総合TVよ
り引用)。

時の字・・・・・時の字は日と寺で図示されている。日は太陽であり、そして寺は、刻む所を意味する。寺はヒンズー教
寺院とかイスラム教寺院と言う様に、仏教だけの専門用語ではない。ただ「寺」と書いた漢字の意味を見れば、其れは
「土」と「寸」で図示されているので、寺は墓守と日時の観測の場であった事が分かる。

従って「時」と書いた漢字の意味は、「太陽の日影の角度を土に刻んで観測して暦を知った所」と意訳出来ます(「玉串
の祭り」、「御堂」を参照)。

時量師神(トキハカシノ神)・・・・・・・イザナギの尊が禊をした時に現れた神である。漢字の時の字の通り、時空を計
るヒジリの職能を表した神である。

土器・・・・・・・土を整形して焼いて固めた器。素焼きのものは水が浸みて来る。此のためやがてより高温で焼き固
めたり釉薬を塗って焼いたものが今見る陶器である。さて縄文土器と弥生土器と言う場合、多くは考古学上の壷の分
類法の呼称であり、昔の人がそのように言った訳ではない。

何れにせよ土器には壷の外にカワラケと呼ばれて来た皿型が有る。カワラケには土師器(はじき)と須恵器があり、何
れが進歩したものかどうかを判定するのは難しい。夫々に土質の違いや焼成方法の特質が有り、用途の違いが有っ
たに過ぎないからです。

何れにせよ古いものほど土に立てる必要性から底を尖らせた。縄文土器の場合は地面に立て、火炎に晒すために底
部を尖らせ、また葡萄酒の醸成のために上部に穴の多い飾りを付けていた。それに対して弥生土器の場合は穀物を
入れるために作られた。外にも鉢類があるが、何れも底が尖っている。

其の点、カワラケは底が丸く、或いは時代と共に平らになっている。此れは台の上に載せたからです。土器一般の用
途としては酒や液体、果物、料理などを盛るものであり、神への供物や人の食器にもなった。それに対して埴輪は先祖
祭祀の供物専用であり、財物を意味した。漢字の「貝」が実は埴輪です。

それに対して壷は「豆」、または酉の字でした(下記の「酉」を参照)。

▲徳・・・・・・・生まれつきの天性的な人望。或は道理を悟って行為に現すなど他人に敬服される人格・人望。或は其の
人のお陰・恵み、恩恵。或は善行や実績による信用等。徳などはモノカネ主義の社会では一番軽視される存在である
が、実は税金のかからない無形・無税の財産である。

特異日・・・・・・・4月23・24日は「寒の戻りの特異日」なんだとか。「特異日」とは、気象学的な理由は不明である
けれど、何故か毎年その日には、特定の天気になることが多い日です。東京オリンピックも、10月10日の「晴れの特
異日」を狙って開催された事は有名ですよね。「寒の戻り」とは、春暖かくなってきた頃、突然やってくる寒さの事です。

大陸からの寒波、北東気流による冷え込み、移動性高気圧による夜間の冷え込み等が原因です。特異日としては他
に、二百十日や二百二十日、八朔などが台風襲来の日で、農家の三大厄日と言われています。また、6月28日などは
雨の特異日で、東京などは53%の確率で雨が降るのだそうですよ。

こういう言い伝えを知っておくことで、予想外のお天気に対する心構えができるかも知れませんね(以上はメルマガ「知
的道楽」http://www.samue-e.com/より引用)。

但し「特異日」は天気予報官が予報間違いを言い訳する場合の方便語ともとれる。昔は春先の冷え込みを「寒の戻り」
と言い、桜の開花の時期の其れを「花冷え」と言った。所で特異日と言うのは統計的には有り得ない。長期間のデータ
をとれば、全て平均化されて特異日はゼロになるからです。

▲とくお・・・・・・・

▲とくか・・・・・・・

毒ガス・・・・・・・色んなガスがある中で、現在の日本では硫化水素ガスによる自殺が流行っているが、アレは火山性
のガスで有って毒ガスとは言えない。軍事用にはもっと比重の重い塩素を主剤とする。塩素にCOを混入したのをホス
ゲンと言う。他に催涙ガス、びらん性ガス、神経ガスなど各種。ハーバーを参照。


▲とくさ・・・・・・・

●十種神器・・・・・・・トクサノカンダカラ。ニニギノ芽衣りも先に天孫降臨したニギハヤヒが持って来たと言われる神器
で、此れによって御子のウマシマデが神武天皇の皇后の鎮魂をしたと旧事記は伝え、其れが神祇官八神の起源と言
われる。ニギハヤヒの末裔の物部氏も雄略天皇の病気を治して巫部連(かんなぎべのむらじ)を賜っている。

さて其の神器は興おき津鏡、辺へ津鏡、八握つかの剣つるぎ、生いく玉、死まかる返かえしの玉、足たる玉、道ち反か
えしの玉、蛇比礼、蜂比礼、品くさぐさの物ものの比礼」と言う十種の鏡と剣、其れに玉と比礼であったと言う。

●十種の祓い・・・・・・・天神(あまつ神の)祖神(みおや)教えのりごちてのたまわく、もし痛むところあらば、このとくさ
の宝をして、「ひと、ふた、みよ、いつ、むゆ、ななや、ここのたり、といひて、ふるへ、ゆらゆらとふるへ、かくせば、まか
(死)れる人も生き返りなむ。これすなわち、いわゆる、ふるへのことのもとなり」(鎮魂法を参照)。


徳政・・・・・・・政府の力が弱って来た時に乱発される借金棒引き政策の一つ。例えば蒙古襲来によって鎌倉北
条政権は財政ピンチに陥り、ボロ銭である宋銭元銭をトン単位で輸入して自らインフレを招き徳政令を乱発した。

今の自民党政府もこの轍を踏襲してドル買いを続け、別の名前の徳政令を乱発している点では「歴史が繰り返してい
る」と言える。また江戸時代には犬公方・綱吉が赤穂浪士に切腹を命じた後の時代、百万石の大名をしのぐと言わ
れた淀屋が五代広当の時の1705年に突然潰され、財産没収の憂き目となった。

淀屋常安は秀吉の悩みを知恵で解決(城門建設に邪魔となった大岩を運び出すのではなくて埋めて解決)して以来、
大いに栄えた。やがて淀屋は米市を始め、困窮した大名に大名貸しを行い、世界に先駆けて先物取引を始めるなど其
の業績は枚挙に暇がない。商人が町造りを担った大坂に有って、淀屋橋を架けるなど行政にも参画した。

商都大坂の基礎を築いたのだ。だが幕府の理由は「町人の分限を越えた奢侈は不届き」と言う事だった。大名の借財
が多額になり、淀屋の力を恐れた幕府が強権を発動したとされる▲〜▲は05/5/14毎日新聞より)。
また次は田沼意次の後に松平定信が1787年に「寛政の改革」に着手した。

其の一つが「棄捐令」であり、旗本や御家人の借金を棒引きすると言うものだった。彼らにとっては結構な政策だが、
今の銀行に当たる「札差」はたまらない。金貸しはやがて「貸し渋り」をするようになった。

此れも現代の事情と一致する。徳政令は政府壊滅の序曲であり、「公的資金の投入」と言う金融機関の救済、それに
続く新札切り替えとかデノミ、或いはペイオフも形や名を変えた徳政令である(「ペイオフ」を参照)。

▲とくせ・・・・・・・
▲とくそ・・・・・・・
▲とくた・・・・・・・

▲とくち・・・・・・・
▲とくつ・・・・・・・
▲とくて・・・・・・・

特定外来生物・・・・・・・渡来のものにロクなものはなかったが、輸入生物も困った状況にしています。其処で政府
は「特定外来生物被害防止法」と言うのを作った。環境省が輸入・移動を禁じるため05/1/31に、37種類の生物を
指定して6月から施行した。

ただブラックバス(大口バス)やアライグマも含まれるが、浜松で堤防を穴だらけにするヌートリアとか、トマト栽培の受
粉のために輸入された西洋大丸蜂はまだ未指定である。以下、■30秒で読む環境情報! http://plaza.rakuten.co.jp
/eco30/から転載・・・・・・・

特定外来生物として、ウシガエル(食用カエル)など29種類が2次指定される見通しです。特定外来生物被害防止法
(外来生物法)では、日本固有の生態系や人の健康、農林水産業に影響を与える外来生物を指定し、新たな輸入や飼
育を禁止しています。

第1弾では、ブラックバスなど37種類が既に指定されましたが、第2弾は、7月中に正式決定します。国際自然保護連
合(IUCN)の「世界の侵略的外来種ワースト100」や、ほ乳類3種、両生類4種等29種が、第2弾としてリストアップさ
れています。

【ほ乳類】ナミハリネズミ、マンシュウハリネズミ、アメリカミンク【両生類】シロアゴガエル、コキーコヤスガエル、ウシガ
エル、キューバアマガエル【魚類】カダヤシ、ケツギョ、コウライケツギョ、ストライプトバス、ホワイトバス、ヨーロピアンパ
ーチ、パイクパーチ、ノーザンパイク、マスキーパイク

【昆虫類】コカミアリ、アシナガキアリ、ツヤオオズアリ、テナガコガネ属【無脊椎動物】カワヒバリガイ、カワホトトギスガ
イ、ヤマヒタチオビ、ニューギニアヤリガタリクウズムシ【植物】アカウキクサ属、オオフサモ、ボタンウキクサ、オオカワ
ヂシャ、スパルティナ・アングリカ

指定種を野外に放したり違反した場合、最高3年以下の懲役、300万円以下の罰金が課せられます。−−−−−−
【拓也's コメント】第1弾では、ブラックバスの指定について大騒ぎになりましたが、今回は、すんなり決まるのではない
でしょうか?

こうした場合、指定前に野外に放してしまう人が出たりしますが、今回の種では、飼っている人はあまり多くないので
は?(以上)。

続いて05/8/5に環境省は追加として42種を「2次指定」した。例えばキタリス、ウシガエル、上海(モクズ)ガニ、ホ
ワイトバス、・・・などの42種であるが、クワガタなどは見送られた。続いて06/2/1には上海蟹など43品種を追加し
た。此れは中華料理の材料である。


★特定有害物質使用制限(メルマガ「30秒で読む環境情報!」http://plaza.rakuten.co.jp/eco30/から引用)・・・・・『 R
oHS対応 』2006年にスタートする、RoHS規制対応の取り組みが進行中です。RoHS は、the Restriction of the use
ofcertain Hazardous Substancesの略、「特定有害物質使用制限」です。

2006年7月以降、EU加盟国で発売する電気・電子機器製品について、特定有害物質の使用が禁止となります。電気・
電子機器における危険物質の法規定を整備し、生産から処分に至る全て段階で、環境や人の健康に及ぼす危険を最
小化する事を目的としています。

特定有害物質は、鉛、水銀、カドミウム、六価クロム、ポリ臭化ビニフェール(PBB)、ポリ臭化ビフェニール(PBDE)の6
種類。こうした規制に対応して、無鉛はんだ、クロムフリー鋼板などへの切り替えが進められています。

鋼板では、六価クロムの代わりにモリブデン酸やタングステン酸等を使用、することにより、安全を確保するとともに品
質の維持を図っています。しかし、こうした環境対応は、コストアップとなり、中国・韓国等との国際的なコスト競争力を
低下させる要因となります。その一方で、環境技術で差別化し競争力を維持することを目指す企業も増えています。

環境技術の重要性は、ますます高まり、企業業績に対する影響も大きくなっていきそうです。

▲とけ・・・・・・・

時計・・・・・・・時を図る場、または機械的な装置。機械では西洋式の時計や和時計(別項を参照)があり、精緻な腕時
計で技術の頂点に達したが、以後は電気時計に譲り、今はデジタル式に急変した。しかし無味乾燥なデジタルウオッチ
よりも、かなりの人が美術品としても優れた機械仕掛けの神秘さの漂う昔の丸型の金属時計のファンである。

▲とこ・・・・・・・

■床・・・・・・・ゆか。物事の基本となる台場の事。床の類例は川底を川床、苗を育てる所を苗床、船では舵床、家では
床の間となり、また鍛冶屋では「かな床」、畳屋では畳の芯を「畳床」と言い、理容店を昔は床屋さんと呼んで来た通り
古い言葉なので、「床」を直ぐに寝るための「寝床」としか考えないのは誤解となる。

床の間・・・・・・・和風建築の家屋の中で上座として一段高くした小間の事。大きさにより一間床と半間床とがある。
床の間には左右に床柱が立って、部屋より一段奥の壁には掛け軸が掲げられ、床框(かまち)によって仕切られた床
の間は部屋の畳よりも一段上になっていて此処には花が生けられる。つまり神を迎える座であった。

この床の間、または其の近くに仏壇が設えられる事が多い。こうした建築様式を今では平安時代の寝殿造りや書院造
が変化したものと言われているが起源はもっと古い。世界各地の古い民家にも家の中には必ず祭壇が設えられた。古
の日本では先祖の墳墓の上に子孫が家を建てて先祖を祭った。

つまり「床」とは先祖の寝床の事であり、其のための祭壇の変化が「床の間」である。だがモノカネ合理主義の現代人
は床の間を「無用の長物」と見なして省くようになった。

しかしそうすれば畳や襖、障子や欄間の意味も見えなくなり、全体としての優れた伝統や実に合理的な和式文化まで
見えなくしてしまうと同時に先祖との心の交流も見失ってしまうでしょう。床の間を含めた座敷の様式は、実は天体観測
の格式が組み込まれていたのです(「御堂」を参照)。

▲とこひ・・・・・・・呪詛。ズソ。神仏に頼んで特定の人に災いを起こすように祈る事。特に本尊を決めて護摩などが焚か
れ、或いは呪文・呪符が使われた。但し、古来「ひと(他人)を呪わば穴二つ」と戒めて来た通り、結果は喧嘩両成敗と
なるのです。

■常世の国・・・・・・・常州、常盤・常葉の国、つまり今の茨城県を中心とした東関東の事。

▲とさ・・・・・・・

十三湊・・・・・・・・・十三湊(青森)は縄文時代から続く名港だった。此処は元寇に活躍したトサ湊である。蒙古襲来
以後、九州西部には倭寇が大陸沿岸に出没して時には数百隻の船団で沿海部の村々を襲い、私財を奪って家を焼き
払い、人民を拉致したのでシナ、朝鮮の沿岸部の人たちや国々を悩まし続けた。

だがそうした結果として先ず倭寇に対抗するために李ソンゲが出て朝鮮国を建てた。
次に明の光武帝が日本に倭寇の禁圧を求めて来たので足利義満が「日本国王」として、正式な交易船には勘合符を
与える勘合貿易を発展させる事となった。

其処で琉球ではこの頃から琉球王国を築いて日本、朝鮮、シナ、シャム(タイ)、マラッカとの中継貿易を行い、「万国の
架け橋」として栄えて室町から明治まで続いた。其れに対してこの「十三湊」も栄えた。此処は函館とも交易していて、
当時道南には12の館があり、函館もその一つだった。

函館からは和同開珎などわが国の通貨の外に、唐の銅銭が37万枚も見つかった。此処は当時からラッコの毛皮や昆
布の産地として栄えていたが、1457年のコシャマインの蜂起などで和人と戦い、やがて松前藩により弾圧支配される
事となった(主に05/7/5、NHK教育TVより引用)。

其れに対して十三湊の場合も其の後の地震や津波で湊が埋まり、衰退してしまった。


登山・・・・・・・古来、山は青山、つまり聖山、即ち墳墓の地であり、濫りに立ち入る事はなかった。日本が明治に近
代化するまでは各地の山が嶽・峰とされ、或いは信仰の場(「山」を参照)として女人禁制で守られて来たのでした。無
論、祭りの時にはその山へは老若男女が何処からでも登れるようにしてあった。

其の場合は「六根清浄、懺悔(ザンゲ)、懺悔」、と唱和して一合目から六合目まで登った。其処までが六道迷界と教え
られたからだ。其処を越えれば四聖界に入り、やがて十合目に達する。其処で人は即身即仏の十界に至ると見たのが
山岳への信仰でした。

従ってこの様に山岳へ立ち入る事を「入峯」と言い、其れは神仏へ一歩近づく信仰の場と見たのですが、其の場と機会
とを生かして善男子の教育訓練を続けたのが日本人でした。所が日本は、明治以降の西洋化と共に登山がスポーツ
やレジャーとされて、聖地は俗化し、観光地と混同されて汚された。

だが今では街の近くのそま山は裸山か人工林と化し、8848mのエベレストも、3776mの富士山もゴミの山となった。
トイレットペーパーが垂れ流される醜い状態に晒されてしまっているのですが、其の原因は無信仰であって何も進化
はない。山を見れば問題の答えが出ています。

登山者の実態を見れば、信仰よりも神よりも、今の科学やモノカネ文明の方が一層素晴らしく見えるに違いない。此処
にも進歩や進化が溢れていると誰が断言出来るでしょうか。

土産土法・・・・・・其の地域に住む住民は、外来食品を買い漁るよりも、其の地で採れた野菜など、地場の産物を食
べるほうが適していると言う事に最近気づきだした。しかし自給率40%を切ってから気づいた。昔から日本人は地場の
産物を大事にして100%自給し、健康で暮らして来たのです。

国津神のエネルギーを宮気(みやげ)として受取り、漢字では土産(みやげ)と書いた。其れに関連して今は「土産土
法」が提唱されている。無論、昔からある。土佐で採れたカツオは地元でサワチ料理にするのが最高。同様に、讃岐で
採れたサワラは、地元でカンカン寿司にして食べるのが最高(「地産地消」を参照)。

都市インフラの老朽化・・・・・・・07/1月に北見ガスで老朽ガス管により死亡事故となった。ガス漏れだけではなく、
全国の都市で上下水道管の破裂による道路陥没事故が多発している。年に1000件である。水道、電気、道路、鉄道な
どは公営事業か独占企業が行っている。しかし公共性は看板だけで実際は利益重視である。

従ってコスト削減が命題となり、必要な設備投資も保守も怠っていた。地方自治体も目立たない箇所には充分なコスト
を掛けなかった。例えば鉄筋コンクリートは此れまで永久構造物としていて、造ったら最後、ほったらかしだった。メンテ
ナンスなし。その結果、米国のサンフランシスコ大地震では破損箇所が70万件に上った。

コンクリートは「永久構造物」ではなかった。なので今、忍び寄る老朽化の危機に直面して全国の自治体は頭を痛めて
いる(大半は07/2/5NHK総合TV「クローズアップ」より引用)。

都市洪水・・・・・・・05/8月には東京の杉並区などが集中豪雨で近年は都市洪水が頻発して被害を拡大している
が、其の都度マスコミやお役所は「想定外の規模だった」とし、其の原因を「異常気象」とか「地球温暖化」のせいにして
逃げているので問題は解決しない。

普通の都市は平野部に発展したものであり、其の平野部は河川の氾濫によって出来た扇状地である。だから本質的
に洪水の危険性がある。従って危険性のある区域を想定して都市計画がなされる。だが、其れは名ばかりであり、現
実には河原の部分がどんどん町域に変わり、都市化が進められるので必然的に川幅が狭くなる。

其の場合は堤防を築いて町を守ろうとする。或いは支流に堰を造り、増水して溢れそうになった水をポンプアップで排
出しようとして来た。だが増水と冠水で停電して機能不全になる例が多い。問題解決にはそうした事より河原を狭めな
い事であり、また川は大量の水と共に多くの土砂を運んで来て川底に堆積して来る。

よって徐々に川床を嵩上げして来るので、其れを時々浚渫しなければならない。所が今の都市計画と言うものは川底
を掘るのを禁止し、或いは利権にしている。のみならず堤防のような巨大なものにしか予算を組まない。或いは都政
は、地下に巨大なトンネルを造った。

そんな予算があるなら、川沿いの町並みを買収して河原にすれば良いのに、土木業者を儲けさせただけだった。こうし
たミテクレ重視の政策の結果、二つとも直ぐに満杯になって洪水防止の役には立たなかった。このようにしてお役所が
「人災」を増やしているのである。其の人災を隠して「自然の猛威」と言う嘘を言って誤魔化して来たのである。

もうダムに期待するのも無理であり、保険をかけるか、或いは地域全体でV屋根(別紙を参照)に変えて行くなど自己防
衛するしか打開策はないだろう。

(歳)・・・・・・・

年男・・・・・・・其の年のエトに当たる人の事で、古くは武家で新年の諸儀式一切を行った役。座敷の清掃その他、節
分には豆撒きも務めた。今は名士や芸能人、相撲取りが選ばれる。以下、「ヤフー知恵袋」に回答したものを転載す
る。回答日時: 2008/3/23 14:50:37 回答番号: 47,741,631

其れは各地にあります。祭りと言うのは多くの場合、その年のエトに当たった年男とか厄年の人たちが担って来まし
た。神輿を担ぐのも無論彼等でしたし、役員になるのも一回り上の世代でした。其れが男の厄除けにもなると信じた(次
項の「年祝い」を参照)。

ただ今は地元の神社や町会の分担に参加する人口が減少するにつれて、毎年同じ人たちが交代もなく担っているよう
です。

年祝い・・・・・・・長寿を祝う儀式を「年祝い」(算賀)と言い、無事に過ごして来た事を神仏縁者に感謝し、此れからも
健康であるよう祈ります。何れも数え年で還暦61歳、古希70歳、喜寿77歳、傘寿80歳、半寿81歳、米寿88歳、卒
寿90歳、白寿99歳、上寿100歳、茶寿108歳、皇寿111歳。因みに皇の字は白と王が99と12の数を表す。

また数え年とは生まれた時点で既に一歳と数え、新年が来るたびに歳を加算して行くもので、みんな揃ってお正月に
「歳を取る」事になります(以上は「神道青年近畿地区連絡協議会」の”鎮守の杜”から引用)。
またhttp://www5.ocn.ne.jp/~nanko/toshiiwai.htm「南湖神社・年祝い早見表」から引用すれば、

年祝い(平成19年)   年  齢    対象年
   初 宮 詣 男児31日目  平成19年生 
 女児33日目
 数え3歳男女児
  平成17年生
   七 五 三   数え5歳男児   平成15年生
  数え7歳女児  平成13年生
   十 三 詣  数え13歳男女児   平成 7年生
   成人式詣
  満20歳男女
  昭和62年生
  古 稀 祝    満70歳男女  昭和12年生
  喜 寿 祝    満77歳男女 昭和 5年生
  傘 寿 祝   満80歳男女  昭和 2年生
  米 寿 祝
   満88歳男女
 大正 8年生
  卒 寿 祝
  満90歳男女
 大正 6年生
  白 寿 祝
   満99歳男女 明治41年生
 

歳祝いとはこれまでの神様の御加護に感謝して今後もますますご利益が頂けるようにお願いする行事です。最近は
核家族化が進み、私達の先輩であるお年寄りのお話を聞く機会は少なくなってしまいました。歳祝いは、なくしてはいけ
ない伝統や貴重なお話を伺う、たいへんよい機会であると思います。

十三詣・・・・・・男女とも、数え13歳のお子さんが大人への第一歩を踏み出す節目として神社にお参りし、厄除け・健
康・知恵授けの祈願をいたします。生れてからちょうど干支が一回りする時期にあたり、気のバランスがくずれ、厄を招
きやすいといわれています。

十三詣は特に北関東や南東北で盛んに行われている行事で、学校の遠足などで神社やお寺にお参りするところもある
ようです。ちょうど小学6年生のお子さんが該当しますので、時期を見て早めに祈願なさることをお勧めいたします。

成人式詣・・・・・・・男女とも満20歳の時に「成人式詣」を行います。とかく最近は着飾って記念写真を撮ることだけで
終わりがちですが、立派に成人した姿で地元の神社にお参りすることを忘れないようにしましょう。これまでのご加護を
神様に感謝するとともに今後の健康と安全を祈願いたします。

歳祝いの由来・・・・・・古稀・喜寿・傘寿・米寿・卒寿・白寿(健康長寿祈願祭)の内、古稀は満70歳・喜寿は満77歳・
傘寿(さんじゅ)は満80歳、米寿は満88歳・卒寿は満90歳・白寿は満99歳のお祝いです。ご家族の方が長寿である
ことは、ありがたくおめでたいことです。

古稀(こき)は中国・唐時代の詩人・杜甫の「人生七十年古来希なり」に由来し、喜寿(きじゅ)は「喜」の字の草書体が
七十七と読めるところからきています。傘寿(さんじゅ)は八十が「傘」の字に通じるところから「傘寿」と呼ばれるように
なり、米寿(べいじゅ)は八十八を組み合わせると「米」の字になるところからきています。      

卒寿(そつじゅ)は卒の俗字(卆)が九十に通じるからで、白寿(はくじゅ)は九十九が百より一つ少ないという意味から
「白」の字が用いられています(以上、引用)。因みに平成19年・厄年早見表は南湖神社・厄年早見表

年取りの火・・・・・・・昔はライターも電気もないから火は生活の中心にあり、その火を守る(火種を絶やさない)のが
家を守る女性の主務でした。特に年末晦日(今の節分頃)は歳の神を迎える準備のため、火を焚いて徹夜で守るのが
当たり前でした。

此れが新年の日を迎える年取りの「つなぎの火」、つまりヒツギ(火次)でした(05/6/19の「NHKラジオ深夜便」より
一部引用)。

土砂災害警戒区域・・・・・・・01年に施行された土砂災害防止法は広島県で32人の死者・行方不明者を出した豪雨
を教訓に出来た。都道府県は此れに基づいて「土砂災害警戒区域」の指定作業を進めている。危険な場所として指定
した地域はハザードマップなどで避難所を住民に知らせる。

また「特別警戒区域」とした場合は、宅地開発や住宅建築にも制限が掛かる。しかし指定作業が中々進まない。国交
省は、2010年度までに全国で20万ヶ所の指定を目差しているが、06/3月末で約14000ヶ所である。住宅に規制を掛け
れば私権の制限に繋がるため、住民の合意を得るのに時間が掛かっているため(06/7/20朝日新聞)と言う。

しかしそれは言い訳であって事実ではなかろう。減税すれば良いのに其れをせず、或いは各地で宅地開発が進められ
ているのに何も対策が無いケースが殆どである。沓掛防災担当相は7/20の会議で「人命救助と被災者支援に全力を
挙げる方針」を確認したが、其れを紋切り型の答弁と言う。

長野県では06/7/20の大雨で6人の犠牲者を出した。どうして大雨程度でこんなに犠牲者を出してしまうのか。防災関
係者は犠牲者の数だけ辞任すべきであって、調査と答弁ばかりしていても埒が明かない。

屠蘇(とそ)・・・・・・・お正月に飲む風味のある薬酒。元旦に飲めば一年の邪気を祓い齢を延ばすと言う。其の成分
は山椒、防風、白ジュツ、桔梗、蜜柑皮、肉桂皮、赤小豆などを調合したものを紅絹の三角形の袋に入れて一晩味醂
に浸す。

市販品(桂皮、山椒、陣皮、桔梗、大茴ウイ香、丁子、白述、浜防風など)は大晦日に清酒1カップ(一合ビン)に此れを
入れて一晩漬けて置き、砂糖を加えて元日から三ヶ日の間に家族で頂いて健康を祝し、或いは年始の来客に差し上げ
る。由来はシナの名医、華佗の処方と言われる。

また日本記・倭古事によれば、嵯峨天皇の弘仁年間に唐の博士、蘇明が和唐使(からのつかい)として来朝の砌、絹
の袋に入れた屠蘇白散と称する霊薬を献上した。天皇は元旦より三ヶ月、清涼殿の東廂(ひさし)に出御されて四方拝
の御儀式の後、御酒にお屠蘇を浸して用いられたのが始まりと言う。

国民もそれに倣って邪疫病魔を除き、幸福の年を迎えるとしてお正月には家毎に必ず屠蘇酒を戴き、一家揃って新年
を祝った(以上「広辞苑」、及び立石春洋堂の説明書より引用)。




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