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   日知り事典    ダム〜断水

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ダム・・・・・・・大陸では雨季と乾季とがハッキリしているので、其処に住む人達は季節毎に毎年のようにやって来
る洪水、そしてその後は 一転して長く干天が続くなど、激しく交互に繰り返す環境変化に何時も悩まされて来た。そうし
た宿命から逃れるための夢のプランとしてダムが実現した(シナを参照)。

こうした大陸的な観念を真似て日本でも次々巨大なダムが建設されて来たが、生憎、日本の風土には余り役立たなか
った。日本は、雨季と乾季とが別々に来るのではなく、数日毎に雨天と晴天が繰り返すからです。諸外国にも山がある
が殆どが裸山です。だから雨が降れば一時に流れてしまうので其れを蓄える目的のダムが役立つ。

所が日本の山は殆どが緑の森林です。特にクヌギやブナ林はスポンジ状の腐葉土にしっかり保水し、水を蓄えるので
ダムの出る幕ではなかった。所が土木行政は巨大ダムを造り続けました。其れが原因で実際の所、森林破壊になって
川の水を減らしてしまったのです。

国土交通省の水資源のホームページ(2004/43月初)によれば、1960年を基準とした場合、以後43年間は降水量が減
少し、其の内、9ヶ年が厳しい渇水となったとし、今後、利水(水の需要)の安定性の低下が大きな問題となっていると
言う。

次に04/12月、「淀川水系5ダム問題」では、産業構造の変化と人口減によって水の需要が減ったため、利水事業にも
意味を失ったとし、更に ダムには「洪水防止」と言う期待もかけられて来たが、其の目的であれば、ダムよりも川幅を
広げる方がコストも安く、効果的である事が分かった。其の為、04年には「5ダム中止案」を発表した。

ダムは費用対効果の面でも今は疑問の声が大きくなった。実際、三重県の川上ダムは04年度完成予定だったが、未
着手のまま「水需要見込めず」として奈良県が撤退を表明した(04/3/6日)。

また其れまでに奈良県の大滝ダムの試験貯水で家屋に亀裂が入り、38世帯が移転決定(H15/6/23)など、環境に対し
ても問題の多い事が既にハッキリして来ました。其処で04/9/30日、国交省専門家会議は「淀川水系5ダム建設認め
」との断を下した。更に大滝ダムでは移転した先も地滑り地帯と分かって06/3/27に問題になった。

既に移転先の住宅地の造成も終わっていたが二転三転である。問題はまだ有る。全国には主だったダムだけでも782
ヶ所あるが、そのうち24ヶのダムが既に20%も土砂で埋まって水質も悪化していると言う。山が人工植林によって荒廃
した結果として、土を抑える力がなくなっているからでしょう。

また天竜川水系の佐久間ダムは完成50年で堆砂のため1/3埋まった。100m埋まった箇所もある。上流は洪水の危
険、下流は海浜がやせて行く。電源開発は浚渫しているが濁った水が流れるので生物が心配だ。ダムを造り続けた20
世紀の此れは負の遺産である(06/3/朝日記事から引用)。

次に06/9/30の朝日によれば武庫川ダム(兵庫)計画も30年間棚上げと決定した。

琵琶湖では最近の温暖化により湖水が十分循環せず、このため深部に酸素が届かず、従って湖底に蓄積した重金属
や窒素、リンなどが溶け出し、飲み水としての安全性に支障が出る恐れが出て来た(05/2/24、毎日)と言う。何れにせ
よ、ダムの場合は予想を超える早さで土砂の堆積が進んでしまった事に、関係先も頭を抱えている事だろう。

また06/8/17のニュースによれば、丹沢に30〜50mmの雨が降って酒匂(さかわ)川が急に増水し、25名が流されて2名
が死亡した。上流に丹沢湖があって大量放流をしたとも、更に三保ダムが毎秒23.5トンを放水した為、川の流量が毎
秒138トンに達したとも言う。であるのに、流量が通常(69トン)の7倍に達した為である。

此の程度の雨なら何処でも降る。しかし此処では50年来、こんなに急激に川が増水した事はなかったと言われる。つま
り人為的であり人災としか考えられない。しかもその後に雨量計は最大24mmにしか達していなかったと分かった。此
れでは「想定外」とは言えない。其れなのに増水したのは静岡県側との連絡不十分である。

だが知事は8/18に「流量計が足らなかったから増やしたい」と言った。でもそんな問題ではなかろう。警報のサイレンは
25トン以下なら鳴らさない規則だから鳴らさなかったと言う。とすれば規則が人を殺したのか。何れにせよ、ダムの目的
に反する行為を無責任な担当者が犯した(人災)のではないのか。

此の程度のダムでも矢張り「ダムが必要だ」と言う場合は、計画からダム完成までには30年を要する。逆に言えば、
今のインフラは30年前の気候や需要を前提に造られたものであり、従って今ギリギリの限界に有る都市部では、此れ
から先も同じ前提の設備が其のまま役に立つとは限らない。

だが矛盾の中、3300億円以上を掛けた日本最大のダム、岐阜の揖斐川の徳山ダムが06/9/25に見切り発車した。杜
撰な買収と利水未定のまま08年の運用開始を前に、巨大ダムの試験湛水が始まった。日本ではもう不必要な無用の
長物となっているのだ。もうギリギリである。此れから地球は乾燥化に向かう。

中国は黄河の水不足を補うために長江流域の住民120万人を移転させて念願の三峡ダムを06/5/20に完成した。此
れは東京から大阪の距離より長い、世界一のダムで有る。更に90ヶのダムを予定していると言う。大陸では其れも良
かろう。だが今の中国では其れで問題が解決する訳ではなかろう。今の中国には雨が降らないからだ。

日本も同じ愚策を発表した。06/12/10日の朝日に拠れば、国交省は先の「淀川流域委」について、「意見の対立があ
るから」と言う理由で中止を決定したと言う。治水を担う国交省が、時代に逆行するように、地域住民や学識経験者の
声に耳を塞ぐと言う、態度に変わったのである。土木業界の為であろう。

06/12/23日には中国電力の元社長など3人の相談役が引責辞任を表明した。土用ダム(岡山)が沈下している測量デ
ータを改ざんし、危険性を隠していたからである。其のほか全国各地で72のダムで不正が発覚し、発電所などでは540
ヶ所が無許可改修などをしていた。

何れにせよ、譬え氷山が溶けて海面上昇となっても海水が真水ではない以上、水不足の役には立たない。其の点、別
紙の「V屋根」はダムではなくてお皿のような構造の保水装置です。山には森があっても、都会には森がないから自分
の屋根に保水する訳です。

此れが広まれば結果的にダムが目的とする同じ効果を得られる訳ですし、そのコストはダムとは比較にならないほど
安くつく。其れに「V屋根」は何処にでも直ぐに作れる利点が有り、しかも直ぐに役立つ簡便性が有る外、副作用や公害
が全くなく、人畜無害、庭木にとっても優しい水が得られるシステムです(別紙を参照)。

タメ・・・・・・・・
タメ・・・・・・・・

溜池・・・・・・・・・ダムの原型。普通は村の共有財産とする。溜池は全国にあるが、特に雨の少ない瀬戸内地方の四
国、高松三豊市には個人所有の小さな溜池が多数有って、其の水を夏は田圃やミカン畑に使い、冬は鮒を採ってから
空にする。いったん泥を流して空にするのです(07/1/16のNHK総合TVより引用)。「めおい」を参照。

タライ・・・・・・・盥。平たい桶(おけ)。昔は此れで手揉みで洗濯をした。無論、産湯を使うのも此れによった。そして
実は、タライは単なる桶ではなくて、産土神社にあった。タライに水を満たして、糸錘を垂らした。つまり「垂らし囲」から
「たらい」に縮まったと思われる。ミタラシ(御手洗)を参照。


タラシ王朝・・・・・・・他国を侵略して鏡を奪った大和朝廷の事。鏡と言っても現代社会のミラーと同一の意味でも
用途のものでもなく、観測器具でした(「鏡」を参照)。要するに反射するミラーではなく、水準器、方位羅針盤、暦盤、分
度器などを同時に満足する神器でした。

だが、考古学では古墳から掘り出した鏡の表裏の意味も上下の見方も分らない。にも関わらず其れに恥じる事も無く
多弁を弄し、表を鏡背(裏)と言い、その用途は「化粧道具、或いは古代祭祀に使われたもの」と言って来た。

この辺りの事実を誤認して、「鏡は化粧道具である」との恥ずべき解釈をたれ、しかも同時に、鏡の表面を「鏡背」と名
付けて「表裏」を逆に解釈して来たので真実から離れるばかりとなっています。彼らは宗教音痴であり、従って祭祀の何
たるかを知らずに講釈して来たのです。

では神社関係者なら真実を知っているか、と言えば矢張り知らない。知らないから各地の神社では御神体として立て掛
けている。或いはお尻を向けて見せびらかすようにピカピカさせて澄ましているのですから矢張り駄目です。更に最近
は何処でもヒモロギと言う作り物にぶら下げています。此れは首吊りの状態を曝け出している訳です。

何度も言うように鏡は太陽の暦盤でした。神武天皇以後の天皇名(和名)にはタラシの名の付く天皇や皇族が多いが、
其れは他国の「鏡を垂らした」事(暦法の征服)を称えた称号でした。

元からの正しい日本の暦法を奪う事で、古来続いて来た祭り事を奪い、月の神の商品作物である稲作・米穀本位制の
新たな支配体制に日本を作り変えた悪者たちの仕業が「鏡垂らし」でした。

昔の精緻な日鏡を没収して鋳潰し、その代わりに暦盤としては全く使えない代物である三角縁神獣鏡などにすり替え
て、稲作のための月の暦への改暦を繰り返したのが大和朝廷であり、また其れに無条件降伏した形を今もそのまま全
く無頓着に神社では伝えているのですから立派と言うか迂闊と言うべきです。

御神体とする鏡の用途をもし知らないのであれば、其の神社ではマトモナ祭式が出来る筈もないからです。だから此処
で正解を述べる訳だが、本来のカガミの用途は多用途に使える万能の器具だった。例えば天文観測でとして使
う場合は、水平に置いて水を満たして水鏡とし、太陽光を戴いた。其れが「日受け」である。

同時に此れは水準器と方位盤・羅針盤・分度器であり、周囲の目盛で方位を知り、月日のコヨミを数えたのです。また
夜間には裏返して全天の星座や月を写し、方位との誤差を読み取って月日を数えたものです。其れは当然測量器とし
ても使った。

故に鏡は神器の筆頭として古くから尊ばれて来たのですが、タラシ王朝から日本の暦法の簒奪が繰り広げられて鏡は
悉く奪われ、鋳潰されてしまった。その代わりに三角縁神獣鏡など、粗悪な偽物の鏡が広まるにつれて、鏡は専ら裏面
のツルツル光るものと言う誤観念となり、同時に和暦(真の太陽暦)も忘れられ、渡来の仏教暦が一般化して行った。

この様に「悪貨が良貨を駆逐する」のは今の円札も同じであるのか(「カゴメの歌」、「円札」を参照)。

・・・・・・・「桶」を参照。ホカイ、マゲワッパ等。

●達磨さん・・・・・選挙で当選した時には選挙事務所の片目の達磨さんの目にもう一つの目を書き入れる。此れは必
勝祈願で大願成就の印です。つまり此れは「願を掛ける」、「眼を描ける」に通じるかも知れない。達磨さんは達磨大師
で禅宗のお坊さんだから、禅宗が渡来してから始まったように思えます。

とは言っても、今の政治屋さんたちは皆、禅宗をどれほど信仰しているのかな?

・・・・・日の出の事。地平線に日が昇る様をリアルに形象した象形文字。例えば元旦と言えば年初の日の出。今の
西暦1/1日(マリアの祝日)ではなくて実は冬至の日の出。

(タン)・・・・・・自然界の辰砂・赤土から採れる水銀の事で、此れを丹生(ニュウ)とも言う。丹には青丹にと赤丹にと
があり、赤丹は朱色なので、単に朱とも書いた。朱は古来、金を溶かして仏像に金メッキするのに使われたので金と同
額の貴重品だった。その貴い朱を、日本では最も大切な箇所に塗った。

古墳の石棺の内外から多量の朱が出るのはそのためです。奈良の大仏(別項を参照)にしても、電解作用によらずに
仏像に金メッキするには、この朱がなければ出来なかった。無論、神社の社殿や鳥居もこの朱で塗られた。其れは最
も大切な場を示すためでした。

だが其れを見て、伊勢神宮の白木とは違うとして、即ち渡来の風習や場所を示したものと誤解する人が多いが、実は
逆なのだ。誤解には理由があり、其の第一はシナの皇帝が丹を不老長寿の仙薬として常用し、其のため数人が丹毒
で死んでいる事です。自然界の丹は仙薬であっても、純粋な水銀にしてしまえば薬にも毒にもなったからです。

だがシナでは薬物信仰が今も続く。次の誤解は伊勢神道が国教になって、旧出雲神や地方神が1ランク下にされたか
らです。ともあれ人体の大切な場所も丹と言い、例えば丹田が有ります。此処が肉体を司る中心的な場となっている
(水銀については「ニ」を参照)。

たん・・・・・・・・・尺貫法で言う広さの単位の一つで、元は一反が6尺×60尺=360歩(平方間)だった。其れが秀吉
の太閤検地により、6尺×50=300歩、即ち一反を300坪とした。秀吉はこの度法の改悪で実質二割の増税をした
のである。但し布地の一反は別である。布地は鯨尺で計った。鯨尺とは曲尺で1尺2寸5分=37.5cmの長さ。

従って反物の場合の一反の単位は、鯨尺で並幅9寸、長さ2丈6〜8尺を言った。

団塊の世代・・・・・・・・・s22-24年生まれの戦後世代。第一次ベビーブームの申し子。同世代が多人数となった為
に入進学-仕事-結婚・・・全て過酷な競争を強いられた世代だった。就職だけは「金の卵」として優遇され、高度成長期
の波に乗ったが、今から定年を迎えた彼らが大量に退職する。そうすると職場の空洞化が問題となる。

熟年離婚も流行っているが、彼らの年金や高齢者医療の費用負担を誰が負うかも問題になる。仕事一途に競争に明
け暮れて来た為に家庭に歪を作った。夫婦共働きで働いたが、其の分、子供をカギッコとしたり甘やかして育てた。子
供を自由に育てるのが美学と誤解した世代だったから、「兎に角、勉強しなさい」と言う家庭にした。

団塊の世代の教師たちも「古いものは駄目だ」と学校で進化論を注入した。会社では挙って、大量浪費を煽って商売し
て来た。修理せず新品だけを売りつけた。此れから確実に其れらのツケが廻って来る。モラルもマナーもない、もうどう
しようもない団塊ジュニアを作ってしまったのだから老後にはジュニアに介護を期待出来ない。

ジュニアたちは古いオモチャを捨てるように老親を捨てるに違いない。こうしてGHQの占領政策が見事に成功して日本
は腑抜けにされ、団塊の世代の精神的な未成熟となって今の幼い成人を大量生産したのである(成人式を参照)。

成人式・・・・・昔は皇家・武家は元服(加冠)し、幼名から元服名に改めた。庶民は十三参り(別項参照)をした。十三
参りは北関東(会津)や京都で盛んで、後者は広隆寺の虚空蔵へ参った。エトは12であり、13は2順目に当る。女子は
此の頃から体質も変化する。

よって旧3/13日には数え13歳になった少年少女が近くの寺院に参拝して厄除・開運を祈った。また虚空蔵(別項参照)
求聞持法を修すれば仏智開発・記憶力増進があると言う信仰があった。同時に虚空蔵は、十三仏信仰として先祖の追
善供養33回忌の「弔い上げ」の御本尊でした。

従って成人式は、此れまでの成長を先祖に感謝し、祝うと同時に大人としてスタートする独り立ちのケジメの儀式である
から、何処かの町が07/1/8にした様にディズニーランドで騒ぐようではケジメにならない。体だけ大人になっても精神が
幼く未熟にしたのは、実は大人たちの問題である(団塊の世代を参照)。

今、国会では成人の年齢を20歳から18歳に引き下げる民法改正案が練られている。世間では此れを「喫煙・飲酒」の
問題と絡めたり、責任感を植えつけて「モラルの低下を止める」とか、経済的な自立と言う観点から賛否両論あるが、
議員は得票の為、政府の真の狙いは防衛省への格上げの次の憲法改正と徴兵制の準備であろう。

談合・・・・・・・・・公共事業の入札などで主として建設業者などが業者間で実績や馴れ合いにより適当に決めて落札
する事。此のため施主や国民の資金を不当利得する犯罪行為となる。主として業界内部の腐敗体質と見られたが、近
年は官制談合(別項参照)事件が多くなった。取り締まるべき官がリードするとは驚くべき時代です。

05年は建設業界の耐震偽装問題が暴露したのに続いて、06年は全国で前年の2倍の数の談合事件が発覚した。
此の業界は全国に50万を越える建設会社があり、凡そ500万人が働いている。だから各々が仕事を求めて取り合いに
なる訳だが、此れから公共工事が減る中で此の数字は多すぎる。

なので脱談合---競争化---淘汰される時代である(一部は06/12/13日のTVで三井建設社長の談話から引用)。

男子・・・・・・・・男子と言えば分り易いのが先ずは日本男児ですね。と言うのは、今の日本に男子なんていなくなった
からだ。と言えば、極論と見られる。けれど男子用の服を着ているだけで、見かけだけ。中身はオバちゃんより意気地
がない。潔さも、責任の取り方も知らない。席や銭に執着するだけなら男子とは言えない。

ただ今でも九州男児と言う言葉は有るから九州に行けば、熊本か鹿児島に行けば会えるかも知れません。大和撫子
が絶滅したのですから、もう日本には男子はいない。いや、男子の漢字はトイレにも貼り付けられている。だからトイレ
にはいるのでしょう。二つの玉と、ピストルみたいなものをぶら下げてはいるけど、余り元気がない。

其れに今は立ち小便が出来ない男子が増えて、座ってするそうだから・・・少し変ですよ。そうなったのは、男女共学が
当たり前となり、男女平等社会を目指した文化国家、日本の中性化教育の成果かな?(下紀の「男女関係」も参照)。

誕生・・・・・生誕。何かが生まれる事。この世に存在するものは神か人が関与したものです。其の存在には心と体
の一体同居があり、神が関与して作りつつ運営しているのが自然界です。其れに対して人が関与して出来たものが不
自然な人工物である。神が関与する場合は小さなものに魂を入れて大きく育てます。

でも不自然な人工物には命(魂)を吹き込めないので決して育ちません。人が譬え人形を作っても大仏を作っても、或
いはパソコンやビルを建てても其れには魂が無い無機物ですから新品の時だけは立派に見えても徐々に衰えて消滅
して行くのが宿命です。さて人の誕生を考えても神の仕組みは神秘的です。

先ず微細な魂を男女のペアに交歓させて、其処から蟻のように育てます。次にセミくらいにします。やがてネズミほどに
育てて行きます。そして羊水の中を泳がせるのです。そうして其の魂には順序を追って蟻、セミ、ネズミの因縁(世界)
を経て、水の中の魚類の経験もさせます。始めから人類の子として一足飛びに作り上げる方法を採らないのです。

色んな経験・体験をさせて、人類の一員に仕上げる苦労が認識できれば「命は全て貴い」と分かります(「誕生日」を参
照)。

誕生日の意味・・・・・・・・・生まれた日に関心を持つのは良い事です。きっと見えない世界から色々学ぶ事がある
でしょう。占いから天文へ関心が広まり、或いは先祖との関係が分かって郷土史に詳しくなるかも知れない。ただ有名
人と同じ誕生日であったとしても、残念ながら何も関係はない。

例えば12星座やエトで占えば何となく分かったような気がして納得出来るかも知れない。ただ其れが真実であったとし
ても其れは60億の人類を5億人に分けた平均値に過ぎない。其れを誕生日によって366に再分類すれば136万人
に絞る事になる。其れを更に出生時間から24に分類すれば5〜6万人に絞れるでしょう。

でも矢張り、個々別々の意味や運命を占って欲しいために自分だけお金を出して聞いているのに、何万人もの平均値
と貴方が一緒だと答えられたとすれば何も有り難くないでしょう。第一、出生時間まで記録していた人などは少ない。で
すから譬え5〜6万人に絞り込んでもまだまだ平均値であって個人の運命が此れで決まる事はない。

そうすると生誕地と言う地点が決め手になるのではないか。でも生憎、「生誕地占い」は多分ないだろう。そうすると先
祖が決め手になると分かる。人の設計図は円系図(別項参照)に詰め込まれているからです。そうすれば血筋による
設計図の解明が出来ます。そして更に方位が関わる。

例えば同じ所で亡くなった先祖の、逆の暦日に誕生した事が分かれば「生まれ変わり」と認定できる。このように誕生と
は血筋に加えて、天文(暦・方位)と地理(血縁・地縁)にリンクして永続的に繰り返される現象である(次の「誕生日」を
参照)。

また誕生日に関しては不思議な事も有る。例えば06/12/21日にトルコのニヤゾフ終身大統領が死去した。彼が21年間
統治して21日に心臓病で死去したが、実は92/6/21日に再選されたので21日は因縁の日である。しかも此の命日はス
ターリンの誕生日であった。

またスターリンの出身地であるグルジアの現大統領(サアカシュビリ氏)の誕生日も12/21日である。因みにペルシャ文
化圏には12/21日に生まれた子供を「悪魔の子」と呼ぶ迷信もあるとか(トルコ以下は06/12/28朝日より引用)。

男女記号・・・・・・・・・ユニコード(一般記号)として♂と♀の記号が使われる。前者は男性、後者は女性を意味するも
のとして使われる。後者はエジプトのイシス女神像では彼女が右手に持っている言わば神器であり、ケルトのシンボル
に似ているが、聖書にも此のシンボルが使われた。

またロザリオもまた、丸い輪の中にクロス(十字架)を付けて頸に下げれば此の形になります。では一体、何の意味が
あったのか、と言えば、○は太陽観測の場であり、クロス(+)は東西を結ぶ定点を意味した。つまり本来はヒジリの記
号とも思われる(ストーンサークルを参照)。


男女関係・・・・・・・・・日本には凡そ、男も女もいなくなった。男は金玉を抜かれ、女は風情を失って駆逐された。無
論、男か女かは一応、識別できる。けれども其れは格好だけ。中身は「男が腐ったような女」か、「女の腐ったような男」
である。こうなったのは、戦後の男女共学など、洋式教育の成果である。無論、憲法の誤解の弊害でもある。

今となっては、昔を参考にしなければ分からないので言えば、例えば「武士に二言なし」と言うのがあった。一度言った
事は曲げないと言う気構えで生きた。だから前言が嘘になるような事を言わなかったし、そうした結果にはしないように
努力した。男が世間で「あいつは嘘つきだ」と言われたらお仕舞だったからです。だが女は違った(許された)。

「男心と秋の空」と言う言葉があるが、実際は其れは「女心」を形容し、美化した熟語です。其の意味が曖昧となり、逆
転したのは、男女の意味の誤解と中性化による。文学的な表現は如何様にしても自由だが、現実は男よりも女心の方
が変わり易いので女心は「秋の空」が正しい。

男女関係は古今東西「日月・陰陽」関係にあり、日月の特性は光と影であり、即ち火と水、或いは知性と情緒である。
太陽は毎日同じ顔を見せるが、月は毎晩変わった表情をします。女性が何時も同じ顔のカカシやカラスのようではネ
ー。男にとって面白くも魅力も感じない。女は変化するから楽しい。

だから女は嘘つきでも嘘の塊でも八百代言を弄しても偽装しても構わなかった。時には母のように、時には娼婦のよう
に振舞えばきっと男を虜にします。でも半月もすれば満月から新月(無月)に逆転するのです。其れが女のサガ(性、リ
ズム)ですから時として恋人を裏切り、夫を戸惑わせる事もあるが結局トリコに出来た。

ただ男女共学や「夫婦共稼ぎ」時代ともなれば学習内容も経済的にも対等関係となって陰陽関係は薄まる。男に知性
があれば何とか維持できるとしても、男が腕力か金力だけとなり、女も情緒なしとなれば離婚が増えて当然である(「つ
き」を参照)。だが離婚したって極性がないのだからお互い何にも良くならない。

第一年齢条件が落ちる。それでも両者が仮に自己満足出来たって子供にとっては不幸です(前掲の「男子」も参照)。
中性化の成果として06年には耐震偽装の暴露、そして07年にはその年の漢字として男子のシンボルである「義」ではな
く、目出たく「偽」が選ばれた。偽装社会、つまり日本が女性化社会に成功したのです。無論此れも「進化」ではない。

シナが古来、月を祭る女性化社会であり、偽物天国で有り、今はコピー社会であるのと同様の現象ではなくて、日本が
偽装平和の国家として偽装社会を形成しているのは、決して同様の変化や同質化ではなくて「堕落」なのです。

男女の価値観・・・・・・・・・男女は本質的に対照的であり、その違いから思考方法も違って来る。其の点について
例えば「男は頭で考え、女は子宮で感じる」とも先人は言った。となれば両者の価値観も決して同一ではない。両者が
時として和合する事があっても、其れは交差点のように交錯点であって行き違いや喧嘩と同レベルであるとも言える。

従って仲良く二人三脚で並んで平行線を走るように、男女がそのまま永続するのは難しい。何故なら男は常に国家社
会の為に働くように周囲から吹き込まれて育つからだ。だから特攻隊に自ら志願して「死に花」を咲かす事も出来るし、
会社を背負って立つ男にもなれる。

所がそうした男も、実に私的な、例えば恋愛ともなると実に臆病になり、「惨めな人生を過ごした」と後でウジウジ懺悔し
たりロマンチストになるケースが多くなる。このように男は過去から判断して物事を決めようとするが、女は今の不安を
なくして未来の安心を求めるため、男に対して色々約束させる。

だがその彼女たちは男に対して何の約束もしないから男は用心したい。女性は決まって初めは「独身主義」と言い、や
がて其れを翻して「結婚したい」と言い出すものです。そう言う彼女は、国家社会や会社の事には鼻から関心がない。
彼女の目は常に愛する人や我が子に向けられる。

「その愛のためなら命さえも惜しくはない」と信じて一生捧げる覚悟になる点で立派です。ただ其の点について男がタジ
タジとなるのは、「二人だけ」と言う小さな世界に彼女が相手を閉じ込めようとするからであり、其処から逃げ出す男に
は「意気地なし」とか「卑怯者」のレッテルを貼るからだ。元来、男と言うものは自由に飛び回りたい意識がある。

だが一度、「幸福なマイホーム」を夢見た途端、女は「家」という密室空間や「二人だけの世界」、或いは過去の言動や
シガラミで相手を「約束」とか「恋の虜」として縛りつけ、手近な所に仕舞い込んで置こうと絡み付き、或いは女王様とな
って君臨支配し、操ろうとする。

なので、そうした場に選ばれた男があり、しかも嵌ってしまった場合は、其処を天国ではなくて地獄と見抜いて、直ちに
逃げ出さない限り哀れな男となろう。心中事件で女が先に死に、其の苦しみを見た男が怖じ気づいて死に切れず助か
ってしまう例が多いらしいが、そうして譬え生きながらえても彼は惨めである。

格好良さを求めながら結果として惨めな人生に終わるのも女次第と言う訳である。この男女の何れの生き方が正しい
のかを問うのは愚問である。人の世にはこうした男女の生き方の何れもが貴く美しい。何れにも光りと影と彩を添える
時があり、其れが幻惑でも現実でも常に価値観として信じさせる力が常に実在し働いているからである。


男女の仕組み・・・・・・・・・男女は陽と陰、つまりプラスとマイナスの違いがあって引き合う事が出来る。従って如何に
「男女平等」と言っても中性では区別がなくなり無意味となる。男女の心身は男が剛で女が柔、男女の性は心性と体性
との違いがある。普段はそうした面が見え難いが、極度の緊張状態に際して顕著となる。

また男は霊的にレベルが高く精神主義であるのに対して、女は子供を出産する程の能力があるほど肉体的なレベル
が高いが、其の分、精神面・霊的なレベルが低く、実利主義、現実的であるとも言われる。従って男が幾ら理屈を並べ
て女を説き伏せようとしても女は頭で理解せず体で感じ取る。

男は小さな種しか持てないが、女は其れを実らせ膨らませる力がある。と言う様に、男女の役割の何れが優劣かでは
なくて、一対有って満足する。よって何れもなくてはならない大切な存在です。

男女の極性・・・・・・・・・男女は日月に対比出来る。磁石のSN極や電気のプラスとマイナス極の場合、異性は引
き合うが同極同士では反発し合う。男は太陽のように輝き、女は月のように愛します。理屈抜きに慈愛・情緒・感性を
磨くのが女です。

カラオケや音楽、或いはヨーガや日舞、或いは映画や芸術に嵌って夢を持ち、たおやかでしなやかに変化しますので
愛がより強まるでしょう。或いは夏と冬の極性になるのが望ましい。そうなれば男は男らしく、女は女らしくなるので引き
合う事になります。でなければ中性化して引き合うものがなくなります。

男女は陽性と陰性であり、男女は言わば火性と水性とも言える。体温比較でも男が熱く女は冷たい。冷たいがしなや
かです。しなやかさが無くなると硬直化して妊娠しなくなります。硬直であるべきは男であって女ではない。其れに男は
頭で考えるが女は理屈よりも感情による好き嫌いであり、別に考えなくても子宮で判断出来る。

所で、ある種の魚類には両性具有の種が有る。必要なときに中性から何れかの性に変わる事が出来れば種がそれで
も保たれる訳だ。だが人類の場合は中性ではなく、両性が明確な故に安定した発展が有った。特に思春期には其の学
習時期ですから昔は明確に分けて、隔てて育てた。其の一例が軍隊や修道院の生活でした。

今も男子寮や女子寮が見られるのは同様の目的からだろう。多数の中でその特性をより強く示さなければ存在感が薄
れるので、男子はより「男らしく」なり、女子はより「女らしく」ならざるを得ない。つまり中性の幼児期を過ぎた時点で別
にすれば、その中から両極端が育まれるのである。

其れに対して青年期の男女が混在する男女共学の様な所では、中性のまま肉体だけ大人化する。しかも「男女平等」
とか現代社会の男女共働社会(ジェンダーフリーを参照)の合唱を聞かされて、両性の違いも特性も深く認識する事も
区別もなくして、折角の青春の感動も格別味わえないので、その若いエネルギーの行き先を歪めているのではないか。

そして恋愛と結婚に関しては経済問題に不安を持たない事。不安は一番のブレーキになります(不妊を参照)。

男女の恋愛心理・・・・・・・男は秘密の関係を求めるが無駄である。女はおしゃべりだから「誰かに話したい、自慢し
たい」と思うし、一緒に連れ立って歩こうとする。だから秘密は長続きしないものである。そして男は、常に活躍の場を
広く求めて「自由に飛び回りたい」と思っているので、一人の女に縛られる事を嫌う。

所が女はいったん愛した男とは常に「一緒にいたい」と願う。幸せの青い鳥を見つけたら、「二人のだけの愛の巣箱」に
彼を縛り、閉じ込めて毎日、自分だけが餌を与える女である事を夢見てしまうので彼は其処から逃げようとする。なの
で、女は其の不安を埋めようと男に次々と約束を求めるが、自分は決して約束しない。

未来を心配して指輪や籍とか、幾つもの保険契約を取り付けてより確かな安心を得ようとするのである。

男女七人の敵・・・・・・・昔は「男子、ひとたび門を出れば七人の敵あり」と自戒したものでした。其の点、女性は
気楽でしょうか。確かに「女性は八方美人」と言われるが、其れは自意識が少ないから受身に廻って常に他人に振り回
されるからだ。例えば古来、「三界に家無」と言った。

此れは過去現在未来の三界であり、或いは「生後は父母に従い、長じて嫁げば夫に従い、老いては子に従う」のが女
の宿命でした。だから譬え能面的一面的な顔であっても実は男より多面的な側面が有ります。しかも愛の強さゆえに愛
に負けて道ならぬ恋に溺れ、或いは未練を断ち切れずに前の男と撚りを戻す事にもなってしまう。

ですから女性は一人の男を目指しながら、其の意に反して実は何人もの男の影が付き纏う事になる。其れが、「男」に
ではなくて他の同性に何時かは見抜かれる。だから敵は男ではなくて「女の敵は女」として細心の注意を払うのであろう
か。

男女に八人の背後霊・・・・・・・人には敵もあるが強ーい味方も有ります。例えば守護霊です。でも其れは普通は見
えないのでお互い気楽でいられます。もし見えたら大変です。気持ち悪くて恋愛なんか絶対出来ないでしょう。だから守
護霊としては背後に隠れています(お互いが多数の先祖を背負っている)。

若い男女が好きあって恋愛し、結婚して次の世代を担う子供たちを産んでくれなければ人類社会も消滅しますし、そう
なれば霊界の存在も無意味になるからです。従って彼は彼女の肉体的な美点だけに目を奪われるのです。でも其の背
後には一杯背後霊がいて、此方を見ているのですぞ(「円系図」を参照)。

誕生日・・・・・この世に生まれた日(「誕生」を参照)。詩人・宗左近さん(故人)の詩に、三歳の男の子の話がある。
「あのねママ/ボクどうして生まれて来たのか知ってる?/ボクね、ママにあいたくて/生まれて来たんだよ」(新潮文
庫06/6/27の「天声人語」から引用)。

このように、子供の頃には本当の事が分かっていたのです。ただ其の日を自分で決めて実行したのかどうかなど、次
第に記憶が薄れる為もあって、親に叱られた時等、「生んでくれと頼んだ覚えはない」と開き直って反抗して親を困らせ
るようになります。

だが実例を調べた結果から言えば、先祖霊団から選ばれ、もしくは自分の前世の因縁によって出て来たものと推測出
来ます。其れを明示したのが特定の日付と言う暗号であり方位とリンクする。自分の誕生日は其の逆方位に亡くなった
先祖の因縁による生まれ変わりと見ても大きな間違いではない訳です。

これは占いや予言ではなくて歴史的な事実である点を具体例として「神々の歳時記」に一部示して置いた。先ず日付に
ついては先祖を辿れば同日か其の対極の日が命日であった先祖が必ず見つかる。この場合は其の先祖の生まれ変
わりと仮定する事が出来ますので、似たような所で同じような人生を歩めば大過なく幸福な人生となるでしょう。

ただ先祖は数人調べただけでは中々該当者に行き着かない。先祖は別項の「円系図」によって逐一辿る必要がある
からです。しかも明治6年以前の命日は新旧換算する必要があるので確かめるのは中々大変な作業となる。其処で先
祖が突き止められない場合は方角で見ます。

生まれた日付の方位には必ず縁の有る土地や遺跡や親戚があるので、分かったら一度は訪ねて大きな運や産土の
生気を得ると良いでしょう。何れにせよ前世を引き吊るのが誕生日であり、また逆に、死ぬ場合は有る程度自分で日
取りを選ぶ事が可能である。

これは自分で今生の因縁を作り、左右する自由があるからです(先の「誕生の意味」を参照)。

ダンジリ・・・・・・・・・神輿(別項参照)の後を付いて回る箱車なので壇尻と言い、皆で押し出すのでダシ(山車)とも
言う。無論、京都祇園祭の山鉾なども山車の部類である。神輿は数が少ないがダンジリは数が多い。神輿は其の神社
で祭るご祭神の数だけしかないが、ダンジリの数は地区毎に有る為だ。

また神輿がお旅所との間を行き来するのに対して、ダンジリは神輿の尻尾(壇尻、どん尻)について回る言わば荷車や
船(ふなダンジリ)だった。ただ昔は大きな道はなく、しかも舗装はなかったので今のような大型ダンジリを走らせるのは
無理だった。

何処も至る所が川筋だったため、大きなダンジリを動かすのは無理であったから、ダンジリよりも舟を仕立てたので今
でも其の名残を伝えているものがある。何れにせよ神輿が極部の点と点を繋ぐように一部を巡行するのに対して、ダン
ジリは各地区または広い支配領域をくまなく巡回する言わば下世話な立場である。

神輿は神の住居、または乗り物を象った小さなミニチュアのシンボル(「御堂」を参照)であるのに対して、ダンジリは大
型であるが俗世間の人物の乗り物(バス)を意味する。だから少しも「神々しさ」はない。喧騒と鉦や太鼓で煩いだけで
ある。同じユニホームの法被を着て行う、言わばデモ・示威運動である。

其処で住民の町内の縄張りを廻る場合は其の上に人が乗り、更に屋根には「大工」と呼ばれる囃子手が乗る。其れが
岸和田のような例である。何れにせよダンジリにはゴテゴテとデコレーションが飾り付けられる。柱には龍が絡み付き、
「見返り」には幾多の武勇伝の絵物語が各々浮き彫りにされる。

足回りは松やケヤキの重たい木車が取り付けられるので其の重さは2〜4トンにもなる。其の上更に派手な旗指物や
提灯をぶら下げて一層賑々しくする。ダンジリの大きさやそうした彫り物の出来を競い、或いは勇壮さを誇るのが地元
の心意気であり常に人気が高い。祭りの主役は神輿なのだが、皮肉にも寧ろダンジリに人気が集まる。

何故だか分からないが、恐らく若衆達が新たな神気に触れて勢いとなり、其の元気が人気を惹きつけて活気となり、周
りを熱気で包むのだろう。或いは笛や太鼓の音が近くなるに連れて人々の心が音響に同調・共鳴して浮き足立ち、落
ち着かない気持ちになって来るからだろう。

霊的にも大勢が乗り込んでくる。数百年の歴史のある祭りならば数百人の役職者の霊が乗り込む。だから入魂式の直
後、決まって重たくなる。其れにダンジリは何と言っても見せ場を色々と持っているのが強みである。重くてのろいが痛
みだけは早い。

一度の祭りで車輪だけでも1〜2cmは減ってしまうので予備の車輪まで常備の必要があり、昔は常時水桶に漬けて置
いた。だから買い替えともなれば巨額な資金が必要となるが此れが不思議にも全額が楽に集まる。其れだけ人気が高
い訳だが無論、其れを引き回す若衆や子供たちが花形となる。

また其れを見ようと群がって熱中できるのが罪のない幸せな日本人である。またダンジリの余生も永い。堺や岸和田で
活躍したダンジリはお古になってもまた周辺の都市のダンジリとして転売される。その次もまた他府県の町に転売され
て行く。神輿とはこの点でも違う。


男尊女卑(逆転)・・・・・・・大陸の騎馬民族や日本の封建時代(武家社会)では「男尊女卑」でしたが、現代日本は
寧ろ「女尊男卑」となっています。固定観念として、女子が生まれたままで可愛がるだけではどうしても放縦・怠慢にな
り、その本性も浪費癖があるので其のままでは本人のためにならないと考えられた。

しかも男子優位の昔は「女子と小人は養い難し」とか、「三界に家なし」と言われ、何処へ行っても肩身が狭かったもの
です。此れは男子の僻みやウップン晴らしで言われたものだろうが、現実にも女性は「褒めれば図に乗り、怒れば恨
み、殺せば化けて出る」など執念深い点があって始末が悪いとされた。

そうした経験則を教訓として、昔から旧家では女子を若いときから戒律の厳しい宗教に奉仕させ、或いは躾・作法を身
に付けるために嫁入り修行として女中奉公などに出したり、或いは少なくとも幼い時から自家で厳しく教育して、嫁いで
も尚、良家の子女として安楽に流されないように大和撫子(別項参照)として鍛えたのでしょう。

其の成果あってか戦後は特に女性の活躍する時代となるに及び、現代では女性の地位が逆転して男性より上位にな
った。オリンピックでも女子の活躍ばかりであるから男子は影が薄い。とは言っても今の大多数の女性は只のオバタリ
アンかも知れないが、元々男性よりも資質が高い女性が多い。

其れは神の子を受胎すると言う心構えがあるのだろうか。其の点で男性は気楽で無責任だが女性は男性よりも真剣
味が違う。生んだ後も其の子を育てると言う使命感も全く桁違いに強い点で、女性の方が精神性も肉体性も飛び切り
優れている。

多くの神々は一人で出て来たのではなくて、実際に一部の女性が産み育て上げた人間からやがて神になったのです。

男女平等・・・・・・・本来、男女は平等ですが、現実の社会に男女平等はない。此れについて「トイレも男女の別をなく
し、イスラエルのように徴兵制も平等としなければ自分勝手な理屈になる」(05/6/5の読売テレビから引用)と言う
理屈が有るが、其れは極論であろう。さて円系図(同項を参照)は現実の平等ではなくて霊的な平等を黙示する。

断食・・・・・・・・・インドのヨガ行者は年中断食をしているし、イスラム教徒も年に一度、ラマダーンと言う断食月を過
ごす。食べ過ぎは人間を馬鹿にするし内臓に負担を掛ける。だから時々は断食したほうが良い。断食すれば基礎代謝
が少なくなり、エネルギーの消費が減るので、意外に生存し易い。

食べない代わりに朝日に毎日1時間、我が身を晒す事である。そうすると太陽からのエネルギーを貰う。このため生理
的にはメラトニンが分泌されて松果体(別項参照)が大きくなるので意識が強く活性化される。ただ人は水だけで生きて
行くには無理がある。其処でリトアニアのある女性は土を食べて暮している。

恐らく彼女には例外的に特殊な酵素があって、土の微生物を蛋白質に変換しているのではないかと言う(06/4/09のM
BSTVより引用)。

断食の薦め・・・・・・・・・断食は「みそぎ」になるので、古来各地の宗教者に於いて行われて来た。だからと言っ
て「抹香臭い」訳ではない。其れより寧ろ意外な効能がある。現代人には嫌われ、到底受け入れられない話だろうが、
体の中から綺麗にするには此れが一番効果的なのです。

特に色んな病気や健康不安、或いは肥満の方には食事療法よりも此れが良い。現代は「飽食の時代」であり、誰もが
食べ過ぎて弱っている。だから不健康であり、体臭もきつくなっています。普通は誰もが惰性的に「一日三食」を続けて
いるが、此れは青少年時代の成長期・食べ盛りの世代なら兎も角、そんなに食べる必要はない。

或いは日本経済の高度成長期の、八時間労働の世代には必要であっても、普通は二食で十分です。「腹八分目」より
も「腹半分目」の小食と断食が身体浄化に役立つ。断食は医薬よりも健康維持に直結するのです。空腹は血を清め、
自然治癒力を高めるので、食糧難時代は肥満も便秘もなかった(「自食作用・オートファジー」を参照)。

特に冬季は節食が大切です。生き物の多くは冬には冬眠します。生き物の一種である人類も、冬季には余り活動出来
ませんから、食事も控えめにして丁度良いのです。其れにしても現代人は誤解による洋式栄養学が行き過ぎた事と、
洋食化のために過食が当たり前となったので自ら肥満と多病体質にしています。

この悪循環から肥満と便秘が健康を蝕み、慢性病を増やしますが、断食は食物を絶つ事で毒素の発生を遮断し、ひた
すら体毒を排出します。最も巨大な毒素の温床は酸欠による大腸の宿便です。酸欠は腹式呼吸(「呼吸法」参照)でなく
せますし、過食も心掛け次第で減らせます。

だが人は食べるだけで上の二つを怠りますので、普通は腹に劇毒を四キロも抱えています。だから空腹になる事は食
物を完全燃焼させて身体の浄化を進め、病気を減らし、肉体を活性化し健全化させるのです。だがどうしても断食でき
ない人は寒天を食べる事だ。

三日も此れを続ければ宿便がドッと出て体がスッキリする。この断食の効用の項は「健康への指標」(自然健康社)の記
述を参考としました。また、メルマガ「間違いだらけの健康常識」VOL91では以下のように述べている。

■『不食』の本に驚きの連続!】【光だけで数年生きている女性】の本。もう1冊は【人は食べなくても生きられる『不
食』】の山田鷹夫さんの本でした。今まで私が提案してきた50年間、ご飯とにがりの害のない塩だけで普通食50年の
人よりも長生きできる。ご飯とその1/8のオカズ量が最適で長寿食になる。

この提案はOリングテストで何度も確認したデータですが正直言って自分でも本当にこんな少ないオカズで間違いない
のか少し不安な気持ちもありました。そんな時にこの2冊の本を紹介して頂き、現代栄養学の言う食生活の間違い、ご
飯と1/8のオカズでも十分なのだという確信を得ました。

■【 山田鷹夫さんの本より】 抜粋・・・もし、人間が食物なしで生きられるとしたら、いったいどういうことになるだろう。
あなたは、社会は、世界は、、、、、、、そうまさしく天地がひっくり返るような真実の出現である。そのうえ、疲れず、病
気にならず、若返る! 不食を実行するだけであなたも100%超人になれる。

僕が人類を代表しての「不食宣言」である。
○断食56年の女ヨギ〈ヨガの行者〉→「私は12歳4ヶ月の時から68歳の今に至るまでつまり56年間、食べ物も飲み
物もいっさい口にしておりません」

○甲田光雄医師のもとで1日に青汁コップ1杯だけで7年間生きている女性の話し。「コップ1杯だけの青汁ですが、身
体の方が結構満足してくれるのです。体調は至極良好で、疲れることもなく、一日中、孫の世話やら畑仕事で忙しく動
き回っております。」

○川魚が餌なしで何日生きられるか実験してみた。307日間生きた。○柳の若木を5年間、水と日光だけで育てる実
験をした。肥料がなくても生育が可能であるという証明。では人間も植物のように「水と光と空気」で生存が可能ではな
いか。目に見えない無限のエネルギーによって生かされていると考えられないか。

成長を早めるとは寿命を縮めるということと同義だからだ。食は成長を進める。栄養豊かな食事は成長を早める。豊
かな食生活は死期を早める。老化を促進するという点だ。食を抑えることによって老化を防止できる。

食の理想的な量を見出すことができれば、これまでもよりもはるかに少量で健康を保ちながらエネルギッシュに活動で
きる身体を手に入れられる。

○「老化と死」めざしてひたすら食べる人間。食べるという行為は成長のためという理由が大きい。食えば食うほど死に
近づくということだ。一生のうちで食べられる分量は決まっているという話がある。それを食い尽くしたらもう死ぬしかな
いという。それは本当だ。食べることを停止すれば、細胞の成長は停止する。

細胞の成長が停止するということはガンなどの病気細胞もその進行を停止するということだ。ほしい物、食べたい物が
ない歓び。食べないということは何よりも歓び、快感である。胃腸が空であるときの快感を現代人は忘れている。

極度の欠食は人を死に誘うという潜在的な恐怖、食べないと疲労するという意識に脅かされて、決して空腹を好意的に
見る、感じるということがない。人間の身体は食を必要としていない。人間の身体は食なしに存在できる。これが主張で
ある。何故、心臓や肺は死ぬまで、休むことなく無限運動を繰り返せるのか。働き続けられるのか。

なぜ太陽は繰り返し、昇天しては沈み、休暇がないのか、答えてもらいたい。ともかく人間はたべなくても生存できる。
食べれば元気が出ると思い込んで、ひたすら食べる。それはひたすら身体への重労働を課していることだ。不必要な
作業を身体に負わせていることだ。食べれば食べるほど身体は疲れていく。

不食では睡眠を取らなくても仕事が終わると疲れは消えている。何度もこの体験はしたことだから間違いない。一時的
には疲れる。疲れるのだが、しばらくすると疲れは消える。疲れを持ち越さない。不食にすると睡眠時間は減少する、
眠くならない、寝なくてもOK。肉体の疲労を睡眠で解消する必要がないからだ。

内臓が疲れるから、そのために眠りが必要となる。以上、簡単な抜粋です。関心のある方は書店で求めお読み下さ
い。

■【コメント】山田鷹夫さんはこの3年間満足な食事を摂らないで生きてこられたようです。主食はほとんど食べず、野
菜や大根を生で少し食べたり、お祝いの付き合いとかで3年間で10回くらい食べただけということです。3年間完全断
食ではありませんが、ほとんど食べないに等しい生活でした。

これ等の事実、体験より人間はあまり食べることにこだわる必要がないことがよく分ります。何も食べずに56年間も生
きているヨガの女性、一日硬貨ほどの餅で12年間生きている女性、青汁1杯で7年間も元気で活動している女性など
現代医学や栄養学的には考えられない事実です。

このことから人間は食物からだけエネルギーを得ているのではなく。見えない宇宙の素粒子エネルギーや太陽の光エ
ネルギー、空気中のミネラル、エネルギー、微生物、水から得られるミネラル、微生物などからもたくさんの生命維持の
ために必要な生きる糧を得ていたのです。まさに驚異の人体です。

あまりにも神秘的で無限の可能性を秘めたこの人体は創造主の設計と創造以外に絶対にありえません。人間は生か
されているのです。この食べないで生きる方法は人に広めることを止められていたというのです。これは創造主の人間
を創造された目的が人間の喜ぶ姿を見たい目的があるからだと思います。

美しい緑の山々、青い空、海、心なごませる動物や植物、食べて美味しい食物や果物や飲み物、これら食べて喜ぶ人
間を見て創造主が喜ばれるためだと思います。しかし、創造主はその食物の食べる量は人間の正しい判断力と責任
に任されていたのだと思います。

人類、特に先進国、欧米、日本人は食欲地獄に落ち込んで抜けられない状態になっています。満たされない心の空白
を埋めるかのように食べ物を求めて美味しいものがあれば遠くに出かけてでも食べようとしています。毎日美味しい物
を食べるのが生きがいで働いている人もたくさんおられます。

町や繁華街に出ると食べ物に関するお店やビルが乱立しています。身体を悪くし寿命を縮め、ゴミを増やし、環境を汚
す、良いことが何もない食欲地獄にはまってしまっているのです。この食欲地獄から脱するためにも白いご飯中心の1
/8のオカズの少食を実践していこうではありませんか。

山田さんは食べないことの歓びは、食べる歓びよりもはるかに感動的だと述べておられます。これは体験者のみ知る
世界ですがあなたも少しでも体験してみて下さい。これがガンや難病にならず、寝たきりにならず、一生健康で長生き
できる秘訣中の秘訣ですから。世の中は○○が健康に良い、○○を補う、摂る、入れる、健康法ばかりです。

栄養を摂らない健康法を唱える人はほとんどいません。ご飯とにがりの害のない塩、味噌、醤油以外、ほとんど栄養は
いらないのです。オカズはたまに食べるか、1/8程度でいいのです。ちょうど、野菜不足で大根や白菜が2〜3倍の高
値になっています。そんなに食べる必要がないということです。大根2本で約1ヶ月分のオカズが作れるのですから。

どんなに野菜不足、米不足、大飢饉が来ても粗食をしていれば安心です。オーガニック、無農薬野菜でもオカズの過食
が病気の原因になることをくれぐれも自覚され、オカズを出来るだけ食べない決意をして下さい。肉や魚介類、牛乳、
卵、加工食品、外食、甘い物、油料理は控えるようにして下さい。

粗食をしていると身体が自然に受け付けなくなりますが、初めは決心が必要です。★以上は、メルマガ「間違いだらけ
の健康常識」より引用。■『地球を守る市民塾』http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000060758

因みに、「不食」については昔、不食供養と言う行法があった。或いは今の人は「仙人のように霞を食って生きる訳に
はいかないので」と生活費を云々します。そうです。仙人はそれでダイエットに成功していた。だから太った仙人の話は
無い。彼らは雨水だけでも生きてしかも長寿だった。

雨水は水道水のような下水リサイクルのブレンド水ではなく、マジリッ気なしの純粋な天然水ですし、しかも新鮮な酸素
を一杯含んだ水であり、其処から人は太陽のエネルギーを直接得られるのです。ですから此れを飲んでいればそんな
にお腹が空きませんから、別に苦しむ努力をしなくてもダイエットにもなるのです(別紙の「V屋根」を参照)。

断水・・・・・・・・・配管工事の為に水道を一時止める事は日常的に行われるが、問題となるのは長期間、何万世帯
も水路を絶たれる事であり、インフラの整った先進国では有り得ない事である。だが日本は地震や台風で水道管が壊
れて水道の給水が一日以上止まる事が多い。

或いは水源地が渇水の場合は、取水制限、給水制限(圧力ダウン、時間制限)、断水へと順次強化する手法が採られ
る。何れにせよ断水に際しては水道の代替手段として臨時の給水車を派遣する。水そのものは代替が利かない。喩え
ガソリンが有っても其れでご飯を炊く事も水洗トイレに使う事も出来ないからです。

電気や水道は迂回路を設定するのが基本であり、其れが有れば断水はない。所がお役所は目立たない地下の設備
には金を回さず、地上の目に付く物だけに予算を注ぐ。此のな点から毎年の年度末には道路・水道・ガス工事が団子
になって各地で繰り返される。

06/8/27には広島の呉市と江田島市の約32050世帯が断水となった。29年間も点検すらしなかった送水トンネルが老
朽化により崩落したためである。復旧には3週間を要すると言うのだから呆れる外は無い。此のような「後進国」の住民
はインフラの一極管理を避けて分散化を図って自衛する必要が有る。井戸やその他の見直しである(V屋根を参照)。


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