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      日知り事典      七夕〜タミフル

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●た(続き) ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・ ・・・★○●◎◇◆□■△▲▽▼☆★

七夕・・・・・・・神代の天照大神の元には棚機姫が登場し、またシナには牽牛と織姫とのロマンが伝わる。其の何
れによるものか不明だが古来、各地では竹笹に願い事を綴った短冊を掛けて七夕を祝った後に川に流し、願い事の
成就を祈る風習が続いて来ました。此れはケガレの祓いを水神に願う信仰である。

旧暦の七夕はお盆の頃であり、下町では井戸さらいが年中行事になっていた。其れは夏至から七夕の頃までは太陽
が上天に有って井戸の底まで明るいので其れだけ安全であり、また周りが猛暑でも、井戸の中は冷たく気持ちよい時
期だった為でもあったろう。

また、丹後半島の網野町と伊根町には浦島伝説があり、町の神社には玉手箱と乙姫の打ちかけも残されている。そし
て隣の峰山町は「羽衣天女」の舞台との伝説があり、713年の「丹後の国風土記」には「天女は天界へ戻れないまま
一生を終えた」とされ、現在は「酒の神」として祭られている。

他方、口伝による説では、人間と結婚して三人の娘に恵まれた天女が、隠されていた羽衣を見つけて天界へ一時帰
省。其処で「もう会えない」、と思った夫が天の川に架け橋を作り始める。そしてラストは年に一度、この夜に天女が星と
なって夫と娘に会いに来る。

と言う話が有るのですが、今は西暦のこの日、7/7に行っているので梅雨の時期であり、星空は見え難い。つまり七
夕もまた西暦でやっては意味が半減する。何故なら七夕は星、つまり夜空の天の川の物語なのだから。

万葉集には七夕の歌が約130種も掲げられており、家持の歌では織姫が川を渡るのでシナ風であるのに対して、他
の多くは彦星が織姫の所に通う形で歌われているから面白い。何れにせよ、二人が年に一度の逢瀬を祈る訳だが、他
方では此れを警戒する。

俗信では七夕の夜に雨ならば天の川が氾濫するので二人が逢えないが、ハレなれば二人が逢える。しかし、「逢えば
疫病が流行る」と警戒して来たのです。この場合も西暦では意味が通じない。稲作民はこのシーズンの晴天よりも雨を
祈ったに違いないからです。日本の七夕と同じ祭りがシナの乞巧奠である。

シナでは陰暦のこの日の夜、牽牛と織姫の星を祭り、女児が手芸の上達を祈る。此れをキッコウデン(乞巧奠)と言う。
日本でも昔は此れを宮中行事とし、また民間では女性たちが手芸や芸事の上達を願って竹の笹に短冊を掛け、或い
は和紙を折って切り、網の形や御幣の形にして吊ったり、紙人形を吊り下げた。

7/7は1/8の事始の略対極の時期に当る。事始めも類似の事をするが、人形は風に晒して厄払いを祈るものであり、水
に流せば、旧暦三月の雛流しと同じ意味となる。裁縫・手芸の上達を祈るには、繭玉と生糸(五色の糸玉)、其れに七
本の針に糸を通して供えた。

またこの夜は七日月のお月様となるので、お月様へのお供えのお団子なども作り、これ等を1、3、5、7、9など陽数
(奇数)の数に揃えて、屋根など高い所に捧げる。或いは瓦、土器(かわらけ)に盛って捧げた。お皿などには水を張
り、星写し(星や月影を写し)て祈った。だが戦後になるとこの行事を西暦の7/7にするようになった。

だが、其れでは梅雨の中であり、満月になる事も有って全く形だけで意味不明となった。満月では明るくて星影が薄くな
るのだ。だから寧ろ七日月が良かった。そして祭った後に直会(なおらい)としてお下がりを戴き、翌日にはそれらを手
早くサッと片付けるのでした。

日本文化は「潔さ」でした(この項目の一部は04/7/5のNHK教育テレビ「七夕のしつらえ」から引用した)。
しかし、今は川に流す事さえ出来ない。

流域の市町村は税金を取っているのだから、雛流しと七夕、其れにお盆の灯篭流しのシーズンくらいは進んで清掃処
理の義務を果たすべきであり、またお役所が「伝統文化」の旗振りをするなら、先ずは旧暦行事を破壊しないで貰いた
い。

▲たに・・・・・・
▲たぬ・・・・・・

タヌキ・・・・・・狸と狢(ムジナ)の別で言われたが本質的には同じと見られ、また狐と比べてタヌキは何となく親しみ
が持てると思っている人が多い。其れはトボケたような間が抜けた顔のためであり、また愛嬌の有る信楽の名物のタヌ
キの置物によって皆に刷り込まれた親しみもあろう。だが矢張り獣であるから何かを食い千切る様な歯をしている。

ただ狐は人を騙すし薄情モノと言われるのに対して、狸は不精であるものの実に情け深い性質があって、其れが人間
臭いので親しめる。例えば東日本(青森)には人を騙して風呂に入れる小娘(狸)の話がある。風呂だと信じた男は実
に良い気分になるのだが其処は野ツボ(肥溜め)であり、皆に笑われると言う民話である。

恨みから他愛のない悪戯をするのだ。四国にも狐の話よりタヌキの話が多く、阿波の小松島には金長狸の民話があ
る。四国には不思議にも狐がいないらしい。其の訳は弘法大師が狐を本土に連れて行って閉じ込め、「鉄の橋が出来
たら帰れる」との謎の予言をしたとも伝えられて来た。

狐の悲願である其の鉄の橋も今の本四連絡橋と言う三本もの橋が出来たので、狐が戻り始めている事だろう。
さて狐も狸も冬眠するのは同じであるがタヌキは堂々巡りの習性がある。化けるのも下手であるようだ。また色々物を
集めこむコレクターの一面もあり、また家族をゾロゾロ連れて歩くなど家族愛も強い。

情けも強い代わりに恨みも強い。其れにタヌキのまたの特徴は夜行性と臭い付けと溜めグソである。同じイヌ科の犬は
方々にションベンを駆け回って年中テリトリーを誇示するが、タヌキは本能的に年に1〜2度、晩秋には猛烈に臭い特
有の臭いを付けて回る。其の時に周りの物を引き裂いたりぶっ散らかすのでタヌキのお宿は臭くて汚い。

まぁ運よく狸のお宿に誘われた場合は狸にモテタ事にはなるとしても、臭いに気付かないとやられる。彼らは同じイヌ科
のためか人よりかなり嗅覚が優れている。だからバナナの皮でも其の匂いを好んで寄って来る。だからテリトリーを守
る武器としてキツイ匂いを付け廻るのだろう。

また例えば人間が彼らに取り憑かれると掃除しなくなる。しかも容姿端麗とは逆に太っ腹だが下手な嘘を吐くようになる
とか、酒好きで陽気だが直ぐに眠るし、論理が堂々巡りとなったり急に怒り出す(憑依を参照)。因みに男女関係でも同
性でも狐と狸はコンビを組む事が多い。

種1・・・・・・種族とか種類と言うように種は原点であり、設計図であり、先祖である。男は其の種を伝え、女は其の種
を育てる畑であると言われて来た。また馬の交配の場合を「種付け」と言った。

種2・・・・・・住吉大社には今も種貸社がある。男を貸すのではなく稲の種を貸した。神様の稲の種なら良いお米が
出来ると期待できる。無論、神社と言えども借りた種については収穫後に利子を付けて返した(すいこを参照)。

種3・・・・・・草や木は種から大きくなったものです。お米だって元は稲モミと言う実、つまり稲の種である。其れを食
べて日本人は大きくなりますが、だからと言って、日本人を米国人とは言わない。米と言う種から出来たのではなく、神
(先祖)と言われる優れた先人たちの種から出来た存在です。

其れが日本人の由来、つまり因果関係ですが、ダーウィンが「種の起源」で「人の先祖(種)はサルである」と言う仮説を
唱えた。

確かに西洋人や赤い顔をした白人は、氷河時代から長期間、狩猟や遊牧生活で動物と暮らして来ましたので、ケモノ
と間違いを犯して赤い顔のお猿さんから生まれたのでしょうし、日本で進化論を宣伝するテレビ関係者や「サルの子
孫」を自認して他人に刷り込むサル先生方も殆ど同類なのでしょう。

種4・・・・・・種子と言えば植物の種以外に梵字の事。曼荼羅は元々絵ではなくて此の種子曼荼羅が主だった。
種5・・・・・・自家菜園にトウモロコシを植えて見ようとして店に買いに行った所、色んな種があったが全て「アメリカ原
産」と有ったので諦めた。米国では大豆もトウモロコシもDNA操作によって害虫対策などをしている。

DNA遺伝子操作は、目先の増収を目論んで自然界が完成した種の仕組みを人工的に弄り回したものですから数十年
先の安全性を確認した訳ではなく、危険性が大きいと見たほうが良い。これ等はつまりビジネス種である。此の種の種
屋たちは「古今東西、種を制する者がこの世を制する」と見ているようだ。

種6・・・・・・柿の種は柿になり、ミカンの種はミカンを作ります。種が違うだけなのに、同じような土と水から出来るモ
ノが違って来るのです。自然界は此の素晴らしい種の仕組みで出来ているのであって、ダーウィンの進化論(種の起
源)では分からないのです(06/8月の西埜先生の談話)。


種蒔きと収穫・・・・・・月は満ち欠けを見せてモノを膨らます習性があります。妊婦も此の作用で月が満ちるように胎
児を養う。作物も無論、月の力で育つので、農家は月の周期にあわせて耕作して来ました。つまり旧暦に従えば豊作と
なる。例えば種蒔きは新月に、収穫は満月です(小林 明氏の談話)。

其の点で、明治以後、改暦と共に日本の農業が失敗の連続なのは星の神のカトリックの西暦に従って農作業を七曜
主義でブツブツ切って進めたからです。

▲たの・・・・・・

田の神・・・・・・稲田の神ではなくて本来は太陽の神を井田で祭る事。井とは囲みであり、水田のような水平面に垂
直の柱を立てて日影を観測したモヒトリ(別項参照)の神。ただ稲作時代になると人々の意識の変化で水田の神から稲
田の神に変貌した。井田に柱や御幣を立てた名残が案山子(カカシ・玉串・御柱を参照)である。

其処から今でも田舎に行けば田植えの時期になると神社で御幣を貰って来て田圃の隅に立てると言う所が有る。従っ
て本来は天照かムスビ(産霊)の神であるが、御幣は太陽から凡そ「ウカの御魂、豊受大神、大歳神」と変化した。

或いは大歳神や稲荷神、或いは恵比寿・大黒、地神、竈神、亥の子、社日様、穀霊、水神、守護神、祖霊などの幾つ
かを選んで農神、作神、百姓神として祭って五穀豊穣を祈念した。

農耕儀礼として年頭の予祝、苗代の水口祭り、田植え祭り、病害虫や風害を封じるための呪術的行為や収穫祭・・・・と
一連の儀礼があったが、今は祭りの時期が年二回程度、各地の例では2/10と10/10の亥の日、または丑の日。或い
は3/16と10/16、または春秋の社日・彼岸、または収穫が終わった日となる。

何れも田の神の去来観は春秋の二回、その場に臨んで神を降ろし、丁寧に祭り、事終われば送ると言う古い祭式を踏
む点である。其の場合に各地で言い方が違うが祭りをサンバイと呼び、サオリ(田植え始め)やサノボリ(サナブリ、田
植え終わり)と言う儀礼をする。

また高知・中村でオサバイ様と言うのは苗代にオイノベカズラの輪を作り、河原石を据えて榊を立て、木の枝に正月の
シメの穂を付けて依り代として栗、ウツゲを供え祭る。オサバイ様は七夕までに家に収める。能登のアエノコト(饗の事)
は11月初旬頃に田の神を家に迎えて饗応し、籾俵に鎮まって貰う。

種籾に籠るので穀霊と看做し、やがて野に下りるのは正月10日前後である。自然石を田の神(御神体)とする風習は
岐阜・坂下町と南九州にある。坂下では五月節句に朴の枝を立てて萓で棚を設え、供物をあげて祀る。

此処から南九州のタノカンサァと言う石像になっているものと思われる(大要は「民間信仰事典」桜井徳太郎編・東京堂
出版より引用)。

▲南九州にはタノカンサァと言うユーモラスな石像が1400体余り有る。鹿児島の場合は凡そ300年前から始まった。此
処では五穀豊穣の外に安産(授産)祈願が付加される。一年間新婚の家の床の間に祀られて次の新婚家庭に4/10に
引っ越すのである。この日は村人が仕事を休んで手伝う。

重さが約30kgのタノカンサァは綺麗な白面に「お色直し」されるが、其れを運ぶ村人たちはタノカンサァのお供として、 
或いは神の化身・分身として働くよう、人格を消して、誰かを見分け出来ないように各々の顔に煤(墨)を塗りつける。黒
い顔に鼻は赤く、頬は白く塗る。周囲の人たちも誰彼なしに煤を塗りつける。

こうすれば、一年間無病息災になると言う呪(まじな)いである。同時に村人は小豆餅を搗いてワラッツ(藁筒)に巻いて
供える。そうしてタノカンサァはウグイスの鳴く此の時期に花篭に結え付けられて村人たちから「別れの舞」を奉納され
る。舞う人たちは円陣になって各々黒面で筆のような杖を翳して五穀豊穣と子孫繁栄の祈りの舞を踊る。

此の後、タノカンサァは法螺貝を吹く黒人たちの行列によっていったん田んぼに向う。タノカンサァは田んぼに戻ってま
た舞を奉納されて次の家に向う。次の所でまた舞を奉納されて次の新婚さんの家まで凡そ数時間掛けて遷座される
(06/4/10のNHK総合TVより引用)。

頼母子講・・・・・・毎月掛け金を集めて、その資金を籤引きで当たった人に貸し付け、利息を取るシステム。以下、ヤ
フー知恵袋に回答した中から転載する。回答日時: 2008/3/8 10:58:24 回答番号: 47,030,316 ----皆からお金を集め
て困った人にカンパする仕組みとして昔からありました。言わば江戸時代の庶民金融システムでした。

当時、日本の金融は世界一進んでいました。頼母子講は今でも地方で行われていますし、その発展した形が信用組合
と言われています。

▲・・・・・・


▲たは・・・・・・

タバコ・・・・・・アメリカからヨーロッパに持ち込んだものである。タバコの葉を乾燥して巻いたものが葉巻。葉っぱを
刻んだものが刻みタバコ。其れを紙に巻いたものを紙巻タバコと言う。刻みタバコは煙管(きせる)やマドロスパイプで
吸う。紙巻タバコの殆どが今はフィルター付きとなった。此れは見た目にはスマートだがゴミの元凶である。

紙巻タバコだけならゴミになっても自然に帰る。だがフィルターを付けたタバコは何時までも厄介なゴミ屑である。フィル
ターを付ける効能はフィルターとしての働きの外に、タバコの葉の質の悪さを香料などで誤魔化すためである。

だが宣伝文句には必ず「ニコチンとタールを減らす」と言っているので、喫煙者は其れを頭から信じて割高な製品を買
わされている訳だ。其れは「喫煙は体に悪い」と言う、これまた何の根拠もない非科学的な仮説、嫌煙(別項参照)運動
のキャッチフレーズに怯えて保身を図るからである。お役所はタバコ税を取っているので喫煙者は納税者である。

徴税する以上、吸殻入れを各所に配備して置く義務があるが、近年は嫌煙運動に便乗して灰皿を撤去した所が増え
た。其れなら課税を拒否するか、もしくは徴税した分を国庫に返却すべきである。所がタバコ税はチャッカリ猫ババして
澄ましている。確かに一般のマナーもない日本では喫煙者だけが良い訳は無い。

だから道路には吸殻がポイ捨てされ、更に街角の吸殻入れが吸殻ではなくて空き缶や他のゴミで溢れる事になる。
よって千代田区では「歩行中禁煙」として罰金2000円と言う条例を作ったが目立った効果がなかったと言う。此れは喫
煙者だけの問題ではなくて、日本人全体のモラルの程度の問題である。

犬を飼って近隣公害を及ぼしても、更に犬の糞害でどれだけ社会に迷惑を掛けても飼い主の責任を問わず課税もしな
い。其れよりも納税してタバコを吸う人を敵視し槍玉に上げるような、精神性の質が低い日本にしたのがお役所であ
る。だから先の千代田区の論理は支持されなかった。

問題が、一般のマナーの低下にあるのに、特に徴税している喫煙者を槍玉に挙げて罰金まで取ろうとした役所の狂気
に一般都民が反発したからであろう。その他にも例えば人類が此処まで発展したのは火を利用する知恵と、火を絶や
さない工夫が有ったからです。つまり人類は何百年間も火と煙と共生して来ました。

こうした火やタバコをオール電化とか「嫌煙権」と言うような便利さとか流行性の一片の偏見で排除するには無理があ
るようです。


▲たひ・・・・・・

・・・・・・我が家を出て一時、他郷を訪れる行為。よって日常とは違う行動のため余計な負担を伴うし、頼るものが
なくて寂しくなり辛いものである。所が其の非日常性を快く思い、大きな感動を味わう事もある。此れは他人には理解で
きない面もあるので個別の因縁が左右している部分が強いと思われる。

出張も私的な旅行も、動機や立場の違いはあっても、何れも主として遊牧や前世の因縁である。諺に、「旅の恥は掻き
捨て」とか、「旅は道連れ世は情け」が言われて来たのも、個別の因縁の多様性・多重性によるものである。例えば海
外旅行に憧れるのは渡来系の因縁であり、逆に憧れないのは原日本人である。

高額な費用も掛かるのに其れでも必要性を感じて憧れる人も多い。「一生働いたのだから」と言って、最後に世界一周
するのが夢であり最大の幸福と決めている人も日本人に増えて来た。例えば06年末には帰省ラッシュとなるが、逆に
07年のお正月を海外で過ごす人達は65万人である。

海外に里帰りするのは朝鮮や中国が故郷である為だ。こうした方々はお金持ちであるのだろうが、寧ろ霊的に引っ張
られて行くのであって、理屈ではない。前世からの因縁である。因縁は公費で外国の大使になって赴任するのも海外で
事故に遭うのも、旅行代理店で行き来するのも、海外派兵で行って其の国の人民を殺すと言うのも有る。

同じ渡来の因縁、もしくは復讐のためである。何れも因縁の追認、または繰り返し、または解消の為に、人は行き来
し、其の都度物資を送り、または渡来品を輸入する。其れに対して元々定住して来た人にとっては此の旅への憧れは
理解できないし、行く必要も起こらない。


▲足袋・・・・・・
▲たふ・・・・・・
▲タブの木・・・・・・火防ぶせの木。酒田市の山火事を止めた。

▲たへ・・・・・・

食べ初・・・・・・生後100日で食べる真似をする儀式。生後30日(男児)・33日(女児)に近くの産土神社に「初
宮参り」をすれば、小さなお膳のセットをくれるので、それで後日、親族が集まって食べる「真似事」の祝いを行う例が多
い。

べる・・・・・・人には食欲があり、食べる必要があるが、食べれば食べるほど実は体内を汚す事になり、過ぎれば
内臓負担を増すだけで病気の要因となる。消化力旺盛な青春時代なら兎も角、消化力が弱くなった中年、高齢者が食
欲だけとか習い性で大食すれば身体に大きな負担をかけるから眠くなるし、頭を悪くする。

消化不良を起こして便秘や胃腸病、或いは健忘症(認知症)とする。何れにせよ、大食はどっさりとウンコを作るだけで
ある。食べると言う行為はつまり動物的な行為であるし、実に汚い事であるから昔の日本人は食べる所を他人に見ら
れるのを恥じた。だが今では見せびらかすように街頭を食べ歩くテレビ番組によって其れを真似る若者が増えた。

戦前戦後を通じて、「ハラが減っては戦ができぬ」とか、「働かざるもの食うべからず」と言い、「食うためには」全てが正
義となり、此れによって現代日本は肉体主義になった。嘘だと思ったらテレビを見れば分かる。ドラマでも観光番組でも
食べるシーンが多すぎる事が分かるでしょう。

其れにグルメ志向ですから、余り健全な食文化とは言えない(「食文化」、「断食」も参照)。
商業主義のテレビや雑誌ではそうした行為を「食文化」と言うが、其れは食文化ではなくて古来「餓鬼道」と言った。其
れよりも自然の物事を知り、見て楽しみ、匂いで食感をそそられ、最後に舌で味わうのが食文化であろう。

所が茶の間ドラマと業者丸抱えの旅行番組では観光地や歴史の案内が殆どなく、グルメ食べ歩きのシーンばかりであ
る。しかも匂いには一切コメント出来ずに、馬鹿の一つ覚えで、ただ「美味しい」とだけ連発するロボット・リポーターで
す。腹が減っていれば何でも旨い。そうした場合でこそ「美味しい」には実感がある。

けれども次々食べ歩き続ける「グルメ尽くし」のリポーターの其の言葉には何の実感もない。ですから視聴者を餓鬼扱
いで馬鹿にしている番組としか思えないし、此れでは単に飽食時代の恥ずべき文化、肉体・肉欲主義を見せ付けるだ
けで食文化は微塵もない。

そのような餓鬼的番組を見て、其の観光地やレストランに態々出かけて見ようと言う物好きはもうないだろう。

食べ物の因果・・・・・・戦前・戦中は食糧難が続いたが、敗戦後は一転して心(精神)よりも物の価値としてのカロ
リーを云々する栄養学が正義となった。確かに其の力もあって今の世代の体格は馬並みに良くなった。其の上、今は
金満日本の輸入力のお陰で食料の量も余るほどあるため、「飽食」の時代となった。

従ってビールの掛け合いとか食べ物を玩具にするとか粗末にする行為が目立つ。体格が良くて高価な衣類を身に纏っ
ていれば立派に見えるが、良くない食べ方の習慣がいったん身に付いてしまえば中々改められない。その結果として
子供が生まれても乳が出ない例が増えた。普段、食べ物に感謝していればそんな事にはならないのです。

牛が草やワラを食べて牛乳を出すメカニズムを解き明かしたなら栄養学を信じても良いが、其れさえ科学の力では分
からない。ですから科学的な理屈では本質を見損なう。他人にも感謝できず、物へも感謝できず、施しも出来ないケチ
な人は粉ミルクに頼る事になる。特に食べ物となるものは全て生き物であった。

日本には社寺がたくさんあるのに「祈る」と言う行為が出来ない人が増えた。「神仏が嫌い」と言う人でも食物には感謝
出来なければ譬え人の形をしていても心(想念のレベル)は虫や獣と同類であろう。食べ物を食べ残したり捨てたりす
る人は今の職がなくなり、或いは職場で居辛くなり、胃腸を患って食べられなくなる。

また好き嫌いが激しい人は、職を転々と変える事になります。働きたくても病気になって食べられなくなるのです。女性
の場合、最近は学歴や遊びや仕事を理由に料理を嫌う人が増えたが、そのままでは来世には動物となって、拾って食
う立場に落ちるでしょう(この項目の一部はソロン・アサミ氏の著述から引用)。

▲たほ・・・・・・

多宝塔・・・・・・多宝塔は二層建て。屋根は薄く削った板を重ねて屋根としたコケラ(柿)葺きで、上層が円筒形、下層
が方形の塔身を持つ建物である。上層の円筒形の下部には亀腹と呼ぶ白くて丸い部分を設えている。下層の規模は
三間四方で約30u、凡そ8.8坪である。

塔は一般に「仏舎利を納めた所」と解釈されているが、お釈迦様のお骨がそんなに沢山ある筈がないので、寧ろ「貴人
のシャリを納骨して祀る場」と解釈すべきです。河内長野市の金剛寺の多宝塔(国の重文)の創建年代は建久2(1191)
年、後白河法皇が末期、鎌倉幕府は草創期だった。

昭和13-15年の修理の際に、塔の中央付近の地中から鎮壇具(土地を鎮めるための道具)と火葬骨の入った白磁の壺
が発見された。此れは金剛寺に縁の深い八条女院の蔵骨器と推測されている。彼女は後白河法皇の妹でした。また
大津市の石山寺の多宝塔も建久5(1194)年と古い(以上の大部分を広報かわちながの--平成20/2月--より引用)。

次に何故高くしたかと言えば、昔の暦は数字ではなくて方角主義でした。なので高塔によって一定の方位の遠くの山の
峰などに寺の本堂から目線を繋ぐ事で命日方位に鎮魂する方式の場になっていたと思われます(ヤフー知恵袋onia回
答より)。「五輪塔」を参照。

・・・・・玉は魂に通じる。そのために玉類を身に付けたのが装飾品の由来であるが、勾玉(別項参照)の場合は観
測器具でした。八坂迩勾玉を造ったのが玉祖命で周防国と河内に祭られ9/25が例祭日。また宮城には玉造郡、大
阪市には玉造があり、鳥取には玉造温泉がある。

其れとは別に山幸彦(若狭彦)命がワダツミ神の龍宮で潮干る玉と潮満つ玉を貰ったと記紀には記されており、その伝
承地が大阪・住吉の玉出ほか各地にあり、大阪・柏原市には玉手山もあり、また神武の三代後の天皇には玉手見命
が有った。外にも薬師や観音、それに龍が持つとされる「宝珠」(別項参照)がある。

ただ龍は普通、宝珠よりも金玉を握って描かれる。狸でも犬でも人間でも男性の其れは二つだが、龍は何故か一つだ
け掴んでいる。或いは金玉ではなくて何かの目玉なのだろうか。

玉垣の意味・・・・・・・・鳥居や玉垣は神社、または神域を示すシンボルですが、元々鳥居は神社の入り口ではなくて
神様の出入り口を明示したものです。其れに対して玉垣は、「関係者以外立ち入り禁止」を示す障害物とか、一般の
「泥棒除けの頑丈な壁」とは異質のものでした。

生垣同然のものとか、境内・所有地を明確に画する仕切り物でもなかった。鳥居や太鼓橋は人の通り道ではなくて「神
の道」を示した標示物であるように、玉垣の場合も人ではなくて神の場との境域を示す「座」であった(クラを参照)。
其処で本殿、または前庭を中心として四方に廻らせて井垣とし、太陽観測の目印とした。

そうする事で、本殿や前庭から見ると、方位を示す複数の連座となったのです。だから、隙間だらけに板を張り、もしく
は石柱を一定の間隔で並べた。しかも其の先を尖らせている。此れも敵や泥棒の「侵入を防ぐ」と言う意味ではなく、日
影の先を厳密に計る必要からでした(次項の「玉串の祭り」、及び「鳥居」、「ベランダ」も参照)。

其の点で板垣は玉垣と同じであるし、瑞垣(別項参照)や大垣とも言う。大垣があって「小垣」の言葉がないのは垣が太
陽を囲む場だったからです。それに対して他の「垣」については例えば内垣とかカイト(垣外)があり、或いは「石垣」もあ
るが、石垣と玉垣とは本来、全く別のものである。

玉串・・・・・・・現在用いられている玉串は榊の小枝にシデ(五平)を付けたもの。その意味については「神様の着物」
とする説など諸説有って定説はない。ただ習いとして、朝廷からのものを奉幣と言い、人民からのものを玉串料として
来た。

また扱い方(奉奠方法)としては立てるのが古風であるが、伊勢では葉先を神前に向けるのに対して、一般の神社庁方
式では此れを逆とし、立礼と座礼との二様式(下記「玉串奉奠」を参照)がある。

玉串料・・・・・・・凡そ神があり、祭りがある場合は其の名目に必要な資金を何人かで分担するための勧進・奉加・献
金システムが定着した。つまり玉串の意味は祭りが建前である。

しかし今は誰も祭りの意味や方式には無頓着であり、知らなくても良い為に関係者自身が知ろうともせず、初穂料(別
項を参照)も玉串料も税金も一緒くたに曖昧にしたまま、要するに名目の如何を問わず銭集めに執着して其の後始末
は適当に処理しているから問題です(税を参照)。

領収書も発行せず、会計報告もしないのが当たり前ですが、其れが問題と言う以上に、祭りの軽視が第一の問題で
す。其れは別項に譲って、序に余計な話をして置く。賽銭、玉串・初穂料などは村の鎮守であれば自治会の収入にな
る。或いは慣習とか話合いで神職と折半する。其処で神職は其の外にアルバイトをして稼ぐ事になる。

其れが個別に行われる地鎮祭、上棟祭、神前結婚や宮参りなどの清め祓いの各種儀礼の玉串料、或いは交通安全
祈願など各種の祈祷料収入である。序にもう一つ余計な事を言えば、賽銭を上げるよりも昇殿参拝したい。

賽銭箱に入れたら自動的に村祭りの呑み助の餌になるだけなので、其れよりも数人で参拝したときは何がしかの玉串
料を納めて正式参拝で昇殿すれば気持ちが良いし、神職の実収になり、由緒の一つでも聞かせて貰えよう。さて今は、
本来の玉串の意味も曖昧なままで玉串料をとる神社、其れに対して「靖国反対の玉串料訴訟」を起こす時代となった。

政教分離の日本の裁判官も宗教問題は苦手であり、税の本質も知らないのですから埒が明かない。其処で本来の玉
串の意味を下記に述べる。


玉串の祭り・・・・・玉串の祭りは地平線や水平線の中に一本柱を立てて祭った。この柱を見柱と言い、或いは
「宮柱」とも高木とも言いました。其れを漢字では「御柱」と書いたので今では訳が分からなくなった。水平線と言っても、
要するに今の田んぼです。

畦で仕切って水を張った田んぼが「水垣」であり、此れを漢字では「瑞垣」と書いたので訳が分からなくしました。でも注
連縄とか前項の「玉垣」も此処から来たものでした。ですから決して「石垣」とは意味が違ったのです。そうして田の中の
柱の上から四方に紐を張り渡したので、丁度これが、雪国で植木を守るために今も作られる「雪吊り」のようになった。

其の柱の下には玉を通していて、其処から四方八方に糸を張りました。するとまるで蜘蛛の巣か、別紙の「円暦」のよう
な状態になりました。玉に串(丸柱)を通して行うので「玉串」の名で呼ばれたのです。玉とは今の考古学で言う「石釧」
とか「車輪石」の事であり、分度器のような形穴あき石器です。

こうした設備をして太陽観測を行いました(「網干紋」、「のり・のし」を参照)。 この様に「玉串」とは元々太陽観測の祭り
だったのですが、今では考古学でも史学でも「玉」が全く不明となりましたし、また肝心の神社側でも分からなく なってい
ます。ですから今は神前で榊の枝をクルクル回して奉げると言う儀式にしてしまった。

本来は信濃のモミの木による「おん柱」の祭りのように、大木を立てて、日影を観測する祭りでした。カナダ・インディア
ンが立てるトーテム・ポールも、モミの木のXmasツリーも同類の祭りです。また今でも祭神の数を一柱、二柱と呼ぶの
は其の為です。柱の垂直を採り、また日影の角度を印す為に水平線に糸や紐を張り巡らせた。

其の点、仏教の神とされる観音様はこの玉串の祭りの主宰者でした。例えば千手観音や千手千眼観音は多数の手
を孔雀のように広げています。

外にも奈良の興福寺・北円堂や東大寺(三月堂)の本尊の不空羂ケン索観音とか各地の孔雀明王と言う尊像も八方・三
十二方に手を広げたり、或いは輪にして手印を結び、周りに多数の糸を引く形を見せています。此れは古代に実際に
方位を採って太陽観測をした方々の姿と作業の様子を仏像に仮託して後の世に伝えたものかとも思われる。

或いは全く別の姿かも知れない。機織は無数の糸をクモの巣のように室内に張り巡らせて行う作業です。不空羂けん
観音もこうした織物を織る方(天皇や皇后)の肖像だった可能性もあります。

何れにせよ仏・尊・神像は、インドの諸仏ではなくて日本に実在した方たちの菩提を弔うために生前の彼や彼女の暦つ
くりの業態を功績として生き写しに象ったものでした。また後背として後光のように象られている造形も、こうした諸尊に
も無数の先祖が実在した事を黙示し説いているものと見なければならない(「円系図」と「法華」を参照)。

彼らはこうして天体を日々観測し、円暦のように四周に糸を張り巡らせて暦を編んで先祖祭りをしたに違いない。神名
では例えば日本の古い神々には高木神の娘で栲タク幡千々媛とか奈良・川西町の久波神社の祭神の久波御魂とか天
八千々姫命がある。

「久波を桑」と書かなかったのは「区分ける」作業を意味し、其れは即ち「弁天」と同じ意味と見るべきなのです(「弁天」
を参照)。また東大寺では今も「お水取り」をしているが、此れは「修二会」と言う春を迎える暦事の一端であり、この頃
に天体を観測して正月や春の時期を確定するための大事な作業があった事を伝えている。

だから東大寺には二月、三月、四月堂が其の方位に配置されている訳です。太い柱ではなくて細い柱の場合はシナで
言う碧玉(考古学で言う石釧・車輪石)を嵌めて糸を張り巡らせました。そうして作ったのが別紙の「円暦」であり、或 い
は条里制のための測量でした(「みはしら・御柱」を参照)。

御柱・玉串の祭りは主神が太陽の祭りですから、主体を別の月や星に代替させる事が出来ない。祭りにはニエが供物
となり、其れを文字では、もしくは「貨」とした。貨は化の下に貝の字であり、貝は「買」にも変化するが、海の貝ではな
くて埴輪の象形文字である。類似の文字に豆があるが、これも食べ物のマメの事ではなくての事でした。

埴輪や壷は祖先の墓地に奉る供物を意味した。子孫に譬え問題があっても感謝の供物としての貨幣やニエを捧げれ
ば諸問題を先祖が解消する。其れが贖(あがな)いであり、其れが祓いになったのです。所が今は祭りと言っても御柱
も玉串の祭りでもなく、太陽があっても太陽を無視した祭りをしている。

此れでは神社で紙を切って御幣を作って振っても神の力が及ばず「祓う力」もない(「祓い」を参照)。よって人々は決済
手段として貨幣や紙幣に頼る事になります。それでもインフレで役立たなくなれば現金(ゴールド)か現物(物々交換)で
精算しなければなりません。だから玉串の祭りがない今は神や紙より現金主義です。

玉串の祭りや鏡と言う神器が神の為に使われた時代は現金以上に祓う力が神様にあった。だが玉串や鏡のノウハウ
がなくなると同時に、祓う力がなくなり、其処で天武天皇の時代になると朝廷は鏡に代わって銭を出現させた。銭にも多
少は因果を払う力(決済力)があった。

因みに今も使われる「悪貨が良貨を駆逐する」と言う格言は貨幣経済時代の諺であって紙幣の場合は当て嵌まらない
だろうか。今も貨幣は小銭として生きてはいるが次第に紙幣に代わってしまった。紙幣は兌換券でない限り金の裏付け
もなく、無論、神器の「鏡」などの裏づけもなく実体もないからインフレに弱い。

実力のある貨幣の第一は金貨であり、江戸時代までは大判小判や分銀などが使われた。所が金の含有量を減らして
も見分けが付かないので時代と共に悪化や贋金が増えて来るのが世間相場と言う訳です。紙幣を贋金とは今では誰も
言わないが紙幣の場合もインフレに弱い以上、偽札と同類の悪貨の一部と言える。

紙幣は、金がない政府が其の証文として印刷した借用証に過ぎない代物です。従って其の政府に信用がなかった明治
初期は兌換券と言う紙幣でした。これは「銀行に持参すれば金貨と交換します」と言う一文が書いてあった。鏡と紙幣と
では価値観が別ですし、従って等価交換も不能ですから間尺に合わない。

神社や国家が、本当に祓う力がないならば性悪狐と同様、葉っぱを小判に化けさせて人の財物を騙し取るのと同じ(す
り替え・誤魔化し)と言われるかも知れない。どんぐりや星の数ほどある星や紙幣なら確かに互換性が有り市場原理が
有りますが、太陽は互換性がない。

玉串の祭りも太陽でなければ力がない。人の命や男女の別も代物では力が出ない(余計な話ですが)。

玉串奉奠の仕方・・・・・・・冠婚葬祭では突然に玉串を奉奠する立場になる機会があるものです。先に誰かが奉奠し
てくれれば其れを真似て同様にクルリと時計回りに回して捧げれば良いのですが、たった一人でする仕儀となった場合
は慌てるものです。神職から受け取った榊を時計回りに回して、榊の枝を神前に向けて捧げ置きます。

そうすると榊の葉の方が手前になります(但し伊勢神宮では逆に行う)。

卵の物語・・・・・・九州の古墳からは甕棺が出土する。吉野ヶ里遺跡の墳丘墓にも卵型の甕棺があった。日本民
族は神から生まれたと言うものの、実はこの卵形の棺の上の墳墓で結婚式が行われた。つまり神の再臨が人の誕生
に直結していた。だから朝鮮半島の王族には卵生神話が多い。

昔の日本人は鳥か蛇のように卵から生まれたので天神様を信仰する氏子たちの町では「卵を食べない」と言う所が多
い。特に異様な風習は、三輪明神を蛇の神と信じて、蛇にやるように境内の至る所に鶏の生卵を置いて回る信者が多
いが、此れは神域が汚れるし第一、神に失礼ではないか。世界的に見れば肉食人種か穀食人種か魚食が多い。

そうした中で、イスラエルと日本人は例外的に卵を食べる民族と言われる。特に日本では生卵を飲めば「精が付く」と信
じて丸呑みする人もいますし、朝から「目玉焼き」を毎日でも平気で食べるし、長崎カステラ等は卵を固めて作ります。
其れに卵を卵丼、玉子酒、卵繋ぎ、卵豆腐、卵とじ、玉子焼き、卵湯・・・などにして食べ尽くします。

そして日本にはかつて「金の卵」と言われた団塊の世代が有った。彼らは若いときから企業の引っ張りダコとなり、日本
の高度成長を成し遂げまして、今はかつての金がシルバー世代となりました。

・・・・・・タマシイを玉とも言う。心は玉の様にコロコロ転がって生きている。従って肉体が死んでも心の玉は生きて
いる。神道で言うタマシイは和魂・荒魂・奇魂・幸魂の四魂であり、此れを「にぎ玉・アラ玉、くし玉・さち玉」とも言う。

人は神様から一霊四魂を戴いてこの世に生まれて来ると言われる。一霊とはムスビの霊であり、死して肉体から魂魄
が分離する。だが其れらが人体の何処にどの様にして有るのか。と言っても無論、物質的なものではないから外科的
に解剖しても見つかるものではない。物事には因果関係が有り、物質化するにも其れが必要です。

因果関係は別紙の円系図にある通り、先祖の仕組みによって魂の種が決まります。円系図はつまり命の法則であり、
魂の実相図です。

魂の再生・・・・・・仏教には、「生き物は生死を繰り返す」と言う「輪廻転生」の教えが有り、また、古代世界の通念
は、「人は人として生死を繰り返す」と信じ、此れを因果律(法則)として支持して来ました。実際、例えば鈴虫を飼って
見れば分る。初秋から鳴いて人を楽しませてくれるが、仲秋には全て死に絶えて土だけになる。

でも翌年の夏にはその土からまた子孫が生まれ出て来て、その数も前年の何倍にも増えているのです。また仲秋には
稲も枯れてしまいますが、モミは生きているので、地中で越冬して翌年には稲穂を付け、一粒のモミが半年間に1000
粒のモミに増えるのです。

人の生死の場合も、其れは肉体の生死であって、種を再生させるのは不滅の魂があるからです。だが後述の「魂の実
相」の通り、一つの魂の場合も其の都度、外皮を取り巻く先祖の順位、つまり魂の内容が一部入れ替わるため、次に
生まれ変わる場合は、生前と全く同一になる事はない。

従って、厳密な意味では「魂が不滅」と言うのは適切ではない。不滅と言うより変化と継続性である。

魂の実相・・・・・・人のコア(核)は肉体では細胞であるが、其れだけで成り立つわけではなくて心があり、心のコア
が魂である。魂はラッキョウのように何層にもなっている。その中心核に本人の魂(コア)があり、その外皮は守護霊、
つまり先祖が連なっている。

先祖が子孫の霊的バリアとしてコアの外皮を形成し、心身を守っているが、其れを守護・背後霊と言う場合もある。何
れにせよ、其れは血族の霊であって、それ以外のモノが憑く場合を憑依霊(同項を参照)と言う。
人体には額と臍があり、此処が人の心の要所であり、父母が幼年期を守る。

次は青年期の四股・五体を祖父母が守る。やがて成人すると人の八方は曽祖父母が守る。此処は八方神の位置であ
る。其れは手指の数が1対4で四本ある事で示されている。そして次の壮年期まで、16人の高祖父母が、上下32本
の歯として現れている。だが、一部が歯肉に隠れて28本しか見えない人もある(図説の「円系図」を参照)。

こうして歯などに化けた先祖の分霊が昼夜守護し、その後はミソフ神たちが司る。此処から先は精神波の振動数がよ
り高くなるため肉体から離れ、幽体となって更に高次の異次元世界に羽ばたいて行きます(「龍の化生」、及び「八柱の
神」を参照)。

人の身体の周りにはプラナ(別項参照)と呼ばれる霊子が無数に存在しているが、此れを実際に見る事も可能です。此
れが先に述べた肉体から振動して離脱した先祖の霊であり、透明のエネルギー体として周りから子孫の心身を守護し
ている。元気な人はこのプラナの動きが活発であり、普通は此れを後光とかオーラと言う。

其れらとは別に、本人の核心部にはコアとなる魂があって、其の大きさはソフトボール大である。魂が宿る箇所は普通
は頭か心臓であるが、人によって色々であり、乳児の時と病人や老人になった場合も、時期によっても違う。ただ本人
の元気度によって此れも大きく伸縮する。

色はほぼ月光の色に似ていて、男性が白色、女性が薄橙色であるが、外見は似ていても個別の中身は他人の魂とは
全く違う。多彩であるが故に全く別々の人格で個別の人生となります。そして死去とは、この魂が肉体から離脱(死後を
参照)したときを言う。だが憑依霊(別項を参照)は例外である。

魂の所在・・・・・・人の魂は心の蔵としての心臓部に位置する。人により、或いは状態によって大きさも色も違うが、
普通は心臓の大きさ、つ まり握り拳程度である。この魂は額と丹田で息をして、エネルギーを出し入れする。この魂が
抜けた時が臨死、または死去である。

人により、抜ける場所が違っていて、額、口、胸、臍、手足の先・・・・などご当人の臨終時の想念によって違って来る。
そして臨終の時に室内で就寝している場合は先ず天井辺りに留まる。其の後しばらくして去って行く。指導霊に導かれ
て一端は幽界に向かうようであるが、肉体に留まる霊も有る。つまり魂の分離が死去によって始まるのである。

魂の実態・・・・・・魂のコア(核)は本人と先祖の多層である。コアは、コアの本質に基づいて色んなものを付着させ
る。前者を先天的と言い、後者を後天的と分別する。この二つに分別はしても、複雑な魂の実態を把握できる訳ではな
い。

特に後者の場合は生まれた環境、経験、学習によって色んな装飾をして行くので譬え兄弟であっても個性が違い、十
人十色となります。次に問題となるのは、人は例外なく色んな霊体・邪霊を憑けて行く事(「憑依」を参照)です。此れは
本人の魂の周りに取り憑いた別の霊で、此れを魔とか邪霊とも言い、要するに気を枯らす存在なので「ケガレ」と言う。

要するに先祖の力が衰えるにつれて別の霊が乗り移る事をケガレと言う。ケガレの問題は、物質的な見かけの汚れで
はない。其れよりも心掛けが損傷される問題が大きい。ですが殆どの場合、ご本人は其れに気づかず、「此れが私の
本心よ、僕の自由にさせて」と思って頑張らせる。

無論、ケモノ憑きはそれで食欲旺盛となり、スポーツに励み、酒豪にもなる。だが人間性を失うなど弊害も多い。マイナ
ス面では例えばケガレが頭に憑けば頭痛、背筋に憑けば体温を奪われて悪寒、胃に憑けば吐き気となるが、其れに
気付いて病院へ行っても当然ながら取れない。占い師や宗教に頼っても益々邪霊が増える事が多い。

此処から脱するには「自分を救うのは自分で解決する外はない」と決める事であり、例えば心身を清める事、または先
祖を供養する事である。そうは言っても見えないものに対して努力するのも限界がありますから、穢れが溜まって行け
ば何れ死んで往きます。そして死後にあの世でクリーニング(浄化)されて再び再生する事になる。

ただ死去・再生は、車が壊れて再びリサイクルされるのとは違う。特に人の死去は色んな思いがあの世に持ち込まれ
る訳ですから、そう簡単には浄化されません。其処に魂の尊厳があります。生まれ出て来るのも死去するのも魂にとっ
て大きな意味がある訳です。 

魂の出入り口・・・・・・古代エジプトではパレットの絵とヒエログリフ(聖刻文字)で魂の行方を「死者の書」として絵
解きしている。死後の魂は秤に懸けられる。軽ければ天へ導かれるが、重ければ地獄行きと言うのが掟です。重いは
「思い」であり、モノカネ主義や恨みと言う欲得・怨念・執念が一番悪いと決まっている訳です。

さて、言うまでもなく墓地は遺骸の埋葬の場であって魂が出入りする所ではない。実際に魂が出る時は死去した場所で
あり、逆に入って来る側はこの世に誕生の時である。だが、その前後に霊界との接点として存在するのが先祖に所縁
の地であり、或いはご本人にとって気がかりな場所である。

また先祖霊や神霊の場合は寺と宮である。寺は魂の出口であり、宮は入り口に当たる。更に言えば、春に死去するの
は、次に生まれ出て来る魂を迎えに逝った事であり、その死人を送るのが遺された遺族の務めです。彼を送る事で次
の半年後には彼(分霊)が再び新たな魂として反対側から蘇える事が出来る。

例えば寺はお盆の日に台風に乗って帰って来る先祖の魂のために、其れを迎えに出る死人の出口となる。また寺とは
逆にある神社の場合は役目も逆になる。反対側からやって来る先祖の魂を迎えに出る所であり、この世から見れば鳥
居はその入り口であるけれども、あの世から見ればその鳥居もあの世からの出口となるのである。

そして魂の分霊(わけみたまを参照)は、雨風の力ではなく、秋に川から遡上して来る鮎やシャケとして、或いは家の四
方八方に其の時節になると其の時節を知らせるように咲いてくれる草花にも憑依しているので、心ある日本人は其れ
を父かとも母かとも想い、手折って来て床の間に飾り、お供え物を上げて来た。

◆たみ・・・・・・

タミフル・・・・・・ロッシュ社製の抗インフルエンザ特効薬(特許)。リン酸オセルタミビル(ウイルス増殖抑制剤)。米
国はこのタミフル購入に10億ドルを投入すると発表したが、既に日本は生産量の8割を使っていた大量消費国であ
る。

更に厚生労働省は05年に此の薬を2500万人分の3〜5日分が必要であるとして、1年半の予定で備蓄すると言
う。でも此れは買占めであり、そうすると買えない国は困る。このため例えば台湾はコピー薬を作ろうとしており、また中
国人は八角の買占めに走った。

此の薬は中国南西部で採れる八角からシキミ酸を抽出して合成したものであり、八角はスターアニスとかトウシキミとも
言われる植物の実で中華料理の香辛料だった(05/11/13の毎日新聞より一部引用)。

だが其の効果は動物実験のデータであり、実際効果のない人もいる外、突然走り出して死去する事故が頻発し始めた
(05/11/14のNHKラジオ深夜便より一部引用)。16歳以下の青少年12人が死亡し、32人が神経症となるなど、重大
な副作用が見られる(05/11/18の毎日S)。世界では71人が死亡(11/21毎日S)。

このため、では次に「副作用を予防する薬」を開発しようと言うのだろうか。其れは兎も角、日本の備蓄の半分は都
道府県が集めると言う。此れでは「無理の連鎖」である(インフルエンザを参照)。しかも12/22にはベトナムの感染
者がタミフルで治療しても効かず死亡した。

インフルエンザが既に変異していて、タミフルでは防疫にならないのである。幸いにして05〜06年は政府の脅しも裏目
に出てインフルエンザが思ったように蔓延せずタミフルはそんなに要らなかった。裏目に出たが、此の在庫をどうする
のだろう。06/12月には鳥インフルエンザではなくて、ノロウイルス(別項参照)に300万人感染したのである。

「子供1人にしないで---タミフル転落死で通知」07/3/1日、朝日。厚生労働省は「2日間は一人にしない」事を保護者に
説明するよう、医療関係者に通知した。

また07/3/12日の週刊朝日の見出しには「タミフル異常死と疑惑のカネ」---ラムズフェルドを儲けさせた”インフルエン
ザ特効薬”相次ぐ10代少年少女の転落死のウラで、厚労省の調査研究者に製薬会社から「資金」が渡されていた---
としている。


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