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    日知り事典       台風2

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台風の進路・・・・・・06/8/7には789号がトリオで現れて先ず7号が接近した。予報では北進とし、8/7から8/8に掛け
て「近畿が250mmの降雨」と警戒を呼びかけたが8/7も8/8も近畿は降雨ゼロで東からの微風だけ。7号は北東へター
ンしていた。8、9号の予定コースも何故か見当違いを予報している。

◆此の時期の台風のエネルギーに載って先祖がお盆に戻って来ます。被害をもたらす為ではなくて、太平洋岸に沿っ
て列島各地に送り届ける目的もあるようですから拒否ばかりせずに迎えて上げようとする心があればソフトランディング
(軟着陸)となるでしょう(◆以下は先の西埜先生説)。

10号は北進して8/16日に名古屋・関東に風雨を齎した。其処から西に進路変更して大阪は300mmの雨が降ると予報
されたが8/17には四国九州(南部)に向かった。普通のコースとは逆向きである。因みに大阪にも風は時々吹いたが
300mmの雨はなく、8/15-16ともに雨量ゼロだった。

だが旭川、神奈川、宮崎で大雨となり、北九州から朝鮮に行ってしまった。当初は東京に向かっていたのにこうして西
に進んで朝鮮に行った台風10号のみを追っていたが、実は列島の3地点に分岐したようである。此のように台風の進
路は予報だけ見ていても分からない。其れよりも自分で空を見る事です。台風が接近すれば雲が半円を見せます。

其の半円の中心に軸(台風の目)が有りますので、此方に近づいているのか、それとも遠ざかっているのかをご自分で
判断出来ます。

06/9/16現在、台風13号(925hPa風速50m/s)が沖縄の西海上を通過中。九州が大雨となって伊万里市では3名が
死亡した。今後、この風速の強い台風が九州に上陸すると警戒され、其の後は日本海に抜けると推定されているが、9
/16日の暦方位で見る限り、寧ろ太平洋沿岸を掠めて進むと此処では予想した。

だが06/9/17昼に台風13号は強い勢力(945hPa風速40m/s)を持ったまま東シナ海から枕崎に接近した。満潮時刻と
も重なるので高潮が心配されたが広島で大雨の為、死亡1、不明1名のニュースがあった。台風と大雨とが一緒に来て
いるのかどうか、即断出来ないが、九州への上陸はあるだろう。

17日に五島では最大風速53.4mを記録し佐世保に上陸。延岡では突風で3人死亡。竜巻かダウンバーストと言う。此れ
で合計7名死、1名不明となった。台風13号は四国室戸には大雨を齎せたが同日夜9時に日本海へ抜けた。

とすれば「太平洋沿岸を掠めて進む」と予想した筆者が、「天気カレンダー」と言うローカル長期予報では勝っているも
のの台風の短期予測では気象庁に今回負けたのか。

▼気象庁発表の台風第13号、9月18日10時現在・・・・・松江市の北北西 200 Km北緯37.2゜東経132.3゜、北東 20 km/
h、中心気圧 975 hPa、最大風速 30 m/s、暴風半径(25m/s以上) 150 km、強風半径(15m/s以上) 330 km----とある
が、南河内にも此の台風が来ていて、10:30現在、台風の目に入ったのを確認した。

予報では「近畿が150mmの降雨」とあったが昨夕から降雨ゼロ。気象レーダーの雨雲は確かに日本海を広く覆ってい
るが、其れは台風ではない。台風は1018-1020の高気圧に阻まれて北上出来ない筈である。南河内は晴れていて中心
気圧 1002hPa、最大風速 10 m/s、台風の目の半径10 km ---である。

雲はゆっくり東北東に流れているがは移動せず。2時間以上止まっている。此れから吹き返しがあるかも知れないが
今も穏やかな風である。此の台風は9/17から枕崎--佐世保--福岡--北九州--広島--南河内・・・と9/18の方位に移
動して9/18正午現在、死亡9名・不明1名と言う大きな犠牲を出して南河内に至った。

犠牲者と被災者には御見舞い申し上げます。ニュースでは9/18深夜になっても「勢力を弱めながら尚も日本海を北上
中」と発表し、日本海は強風、北陸ではフェーン現象で暑い日になったと言うが、南河内のは此処を終点として16:30
(5時間後)頃に消滅している。

13号の意外な面を2〜3述べて置く。西表島で69.9mを観測した。史上6番目と言う猛烈な風である。其れが北九州から
防府--広島--大阪と略一直線のコースで来た事は9/18日の円暦方位に合致する。つまり日本海を北上したのではな
くて、瀬戸内海を東進した事になる。

しかも大阪(南河内)の筆者の上空で停止した。私事になるが9/18日は筆者の父の命日でした。父の魂を13号が西か
ら運んでくれたとも思えた。犠牲者や被災者には申し訳ないが、筆者は13号に感謝したい。次に気象情報の問題であ
る。13号で九州は停電し、観測機器もかなり壊れた。其の上、9/16-17-18は気象関係者も連休でした。

従って充分観測し、分析出来たとは思えない。つまり此の時の気象情報が何処まで信用出来るかと言う事です。13号
の本流は大阪で消滅したが、気象情報としてはテレビで流れ続け、亜流が日本海を北上したようでした。でも其れは前
線の雲であり、幻の台風である。

雨雲が日本海を流れて北海道へ向かったとしても何ら台風としての影響が日本にはなかった。幻の台風であるから。
だが気象庁は13号が9/20朝6時過ぎ、オホーツク海に抜けて992hpの温帯低気圧に変わったと発表した。

▼06年の台風15号はフィリピンに被害を与えた。次に10/5に台風16、17号が出現したが、此れらは多少風波はあって
も上陸しないだろう。と述べたが、10/6は16号が熱低になって千葉・東京に大雨を齎せた。

また此の日は満月の為、高潮となり、しかも熱低とは言えオホーツク高気圧との差が982:1020で38hpとなり、翌10/7
には更に発達して976~966:1020で気圧差が44~54hpとなった為、猛烈なシケとなり鹿島沖で貨物船が座礁して9人不
明。

気仙沼沖ではサンマ漁船が座礁して16人不明となるなど関東から東北に台風並みの強い雨風に発達して海難事故を
起こした。北海道では42.2mの強風で吹き荒れ、其処から遠い伊豆下田沖でも10/8に釣り船が転覆するなど、台風とし
て上陸はしなかったものの予想以上の荒天となって東日本で死者不明計43名の犠牲を出してしまった。


台風の進路変更・・・・・・雄略天皇の時代には子小部(ちいさこべの)スガルが雷を捕まえた。其れに対して
風を捕まえたと言う話は歴史的にも余り無い。もし、「飛ぶ鳥を落とす」ほどの勢いがある者ならば、つむじ風一つくらい
は捕まえて見せてくれても良さそうに思う。

もし風を捕まえたらヨットでも自在に動かせるし、今なら風力発電にも役に立つでしょう。だが、風を捕まえたとか、竜巻
を怒鳴って追い払ったとか、ヒジリを見た途端に風が震え上がって逃げ出したと言うような話もなかった。有るのは風車
に立ち向かったドンキホーテの物語くらいです。人間は大言壮語したって風の前では微力です。

ただ地球も台風も地震も生き物であり、生き物は息をしていて生死の道筋があると理解する事は出来ます。しかも其
の筋目は円暦に従って発生・終息する。落雷の場合のプラス極とマイナス極との交尾を「稲つるび」と言うように、「地
震」(地揺るぎを参照)の場合も陰陽両極を想定して見て良い訳です。

さて、台風は限られた時空間に一つの大きな使命を持って働く巨大なエネルギー体ですが、かなり短い一生を終わる
存在です。一つ一つが明確な目的意識を持って日本列島に迫る。

人には其れが振らついているとか気まぐれのコースを進んでいるように見えても実は毎日コースを変えながら偏西風で
エネルギーを蓄えて北風と戦いながら目的地に迫って来ています。ですから其の巨大な力を数値的・機械的・物性的に
のみ測ろうとする科学や防災では見えないし役立ちません。

とすれば今の「防災」などは全く意味を成さず、却って逆効果なのです(決まって人災を出す)。何れにせよ、ヒジリとして
は放置できない場合も有るので時と場合によっては「進路変更」を試みる事になる。

円暦の理によって気持ちを集中させ、台風のエネルギーと同程度の気のパワーを高めれば結果として略八割程度の
的中率で進路変更や被災の回避に成功する。

けれども其れをしても毎回「果たして何の意味があったのか」と言う空しい思いが残る。誰に頼まれてした訳でもない場
合には孤独な作業であるし、しかも何事もなかった時には胸をなでおろすと同時に、却って彼ら台風の使命を妨害した
と言う罪悪感のようなものが圧し掛かる。

それでも特に日照りが続く場合には見かねて介入し、「雨乞い」のために台風を呼ぶ形になります。このように台風を
変更・消滅させる事は可能であるものの、実は誰にも頼まれないのに勝手に判断して操作すれば、気象庁が予報して
発表した予定のコースと違ってしまう。

そうすると一部が助かっても別の所に被害を及ぼすかも知れないので其の判断に迷う事になるから難しい。其れにヒジ
リ個人が台風に対抗しようとする場合、台風と同じパワーとまでは行かなくとも、矢張り相応のパワーを高める必要が
あり、或いは雨乞いの術や円暦の時期方位などのノウハウを駆使する事になる。

台風の行く手を妨害しようと無手勝流で迫っては、ドンキホーテか「貴い人柱」になってしまうからです。従って普通は
「吾関せず」の傍観者の一人として人ごみに隠れている方が楽である。

ともあれ彼女たちは春は東風、夏は南風、秋は西風となって季節ごとに別の方位からの風として吹きつけて来る。従っ
て05/1/16日にはもう台風1号が発生したと気象庁が発表したが、此れは来ない。この時期は北風の時期ですから、北
風に押し返されて台風は南海上の海の藻屑と消える宿命だからです。

台風と言う場合は夏風か秋風なのですから南から北上して日本列島に近づいてもめったに上陸しないのです(別の役
割で来ている)。其れはこの時期だけは偏西風により、東にある日本列島に流されて来る存在となる。

従って秋口から台風シーズンに入り、特に立春から数えて210日の9/1、220目日の9/11頃はしばしば上陸するので
稲の開花から収穫時期に当たる稲作農家は此れを恐れて来た。特に稲作の収穫が始まる二百十日や二百二十日
は、台風シーズンと重なるとして、「農家の厄日」とし、昔から警戒して来た。

台風の経路について円暦で見れば分かる通り、この暦日方位に台風が来れば、更に方位の力で更にパワーアップす
る事と、日本列島がこの方位に沿った地形であるから恩恵と被害との両面を同時に受ける仕組みになっています。

但し例外として04年の台風10号の場合は反時計回りにやって来て、四国に上陸して集中豪雨を与え、次に広島に再
上陸してから円暦に沿って日本海に出て熱低となった。

次の台風11号は潮岬の南南東で8/4に発生して其の日の内に紀伊半島から中国地方に向かうと気象庁は予報した
が、実際は円暦に沿って大阪に向かい、給水制限を始めた猪名川ダムを満たすのではないか。と本書は予言したが、
伊勢の熊野川町に600mm、奈良の上北山村に700mmの集中豪雨となった。

他方、其の日の夜半に徳島に再上陸し、小豆島に数十ミリ、水不足の大阪にも35mm(河内長野)降らせて兵庫県・
豊岡市を通過し、8/5の13:00には日本海へ抜けて熱低となった。

そして8/6日、北海道全域に雨を降らせるだろう。この台風は広い範囲に雨を齎せたが、徳島と大阪、其れに兵庫と北
海道との位置関係は円暦のこの日の方位に合致する。ともあれ人的被害を今回は一人も出さなかった。

さて普通の場合、立秋から月遅れ盆の前後に来た台風は上陸し易い。先の210日、220日より可能性が大きいのです。
其れは円暦方位と偏西風とが相乗効果を齎すからである。

台風が日本に来るのは発生地点との距離により発生から1日の場合(04年の11号)もあるが、普通は約二十日であ
り、其れが実際に上陸する場合は円暦の月日よりも略同日数早い日付・角度で進入して来ます。其れは円暦よりも偏
西風が早く押し出すためかと思われる(但し最近は日本近海で発生して直ぐにやって来るので油断できない)。

そして例えば立秋頃の其れは円暦の南西からの方位のエネルギーに乗って必ず上陸する。所が立秋を過ぎれば、円
暦方位が変わるので、其れに遮られて台風は日々屈折し、真っ直ぐ北上する事も、北東へ進む事も出来ずに大きく北
から東に押し出されて行く。結果として台風は日本海を進むので上陸には至らない。

予測や雨乞いは、その屈折点を何処にするか、で誰かが進路を決め、或いは「雨乞い、風乞い、晴乞い」など、別々の
人により別々の成果となる。

04/8/30日には台風16号が南九州に上陸し、北九州に進む過程で5名の犠牲者を出した後に其の日の方位から逸れ
て、13日前の立秋から立春方位に向かい、西日本を縦断した後、ニュースによれば日本海に抜けた模様である。無
論、一翼は瀬戸内海を通過している。

台風は雲の流れが渦巻きであるから、雲の流れを見て、円の中心点を推測す見れば「近づいているか、其れとも遠ざ
かっているのか」を即断できるし、同時に台風の目(中心点)も推定出来るでしょう(但し例外も有るので雲だけでは分か
らない)。一般的に、渦の東側では強い風を受ける。18号では西日本一帯が強風を受けた。

また風の歌う歌に耳を貸してやれば、風が一定のリズムで息をしているのを読み取れる。其れに凡その風速(数値)を
掛けて見れば凡その位置を判断できる。其れに対してマスコミの天気予報は、台風が一定の機械的なコースで移動す
るように観て予報し、解説をする。でも台風の実態は複雑ですから予想もつかない形で恵みと被害を齎す。

台風が教科書通りの姿や形で予報のコースを一本筋で通る事は無い。実際は予定のコースを通るよりも予報外の個
別の地方で個別の時間に複数の台風が散らばって進む。

まるで九頭竜のように複数の風が別々に拡散していて、各地域で個別の働きをするのですから「一筋縄」では捕らえら
れず、従って予報士の筋書き通りには進まない。だから現地の人が其のテレビのニュースに一喜一憂するよりも、外
へ出て自ら天を見上げて判断する方がずっと的確であり安全です(下記の「天気予報」を参照)。

例えば21号は04/9/29日の朝、鹿児島に上陸した途端にバラバラに分解して勢力が削がれた。今回の場合も気象庁
は天気図に真っ直ぐ線を引いて、「東北東に向い、近畿には29〜30日に通過する」と予測して「来るぞ、来るぞ」と終日
警報を出し続けたが、台風はその一本道ではなくて各地に分散していた。

そして29日の晩にはもう何事もなく去っていたのですから西日本各地は取り越し苦労しただけで空振りとなった。台風
はとっくに通過していたのであるが、その後の深夜になってから警報解除をした事になる。とすればアレは何だったの
か。確かに三重県には豪雨をもたらしたし、神戸は市街地に雨水が溢れた。

だが其の他殆どの西日本一帯がデマ情報に翻弄され、交通機関は運転を休止し、各地では自主避難する騒ぎとなっ
たのですから、マスコミと気象庁は今回も大阪に関しては「狼が来た!と叫ぶ嘘吐き少年」でした。台風はその後、30
日の昼に岩手や釜石に風雨を与えて温低に変わった。

04/10/8日、夕方のNHKテレビ・ニュースのトップで気象庁はまたまた「過去10年来で最大規模の台風22号が今夜
から近畿・東海に上陸する」と警告を発したが、近畿には来ませんでしたので毎度の事ながら最大規模のデマに終わっ
た。旅行社などはキャンセルが相次いで観光地は見えざる被害を受けただろう。

でもその後に首都圏を掠めたので嘘の予報とはならなかったものの、渋谷などは今回もまた下水が溢れて冠水した事
と、めったに台風が通らないコースを大掃除のために荒らしまわった。此の為、犠牲者を出して7人死亡、4人不明と言
う事態になった。今年9回目の上陸では都心も泣き笑いだ。

下水の関係者と車の修理屋さん、或いは左官屋大工といった修繕屋さんたちが大繁盛となろう。
23号は室戸に上陸し、大阪の泉佐野市に再上陸したと報道したが、九州で被害を出したし、大阪南部は雨だけだっ
た。つまり予報のコースと被害とは別だった。

ともあれ、今年の台風の進路について纏めれば、円暦との関係では殆どが未申、即ち立秋の方角から鬼門(丑寅)に
向かった。立秋を過ぎてもこのコースを取ったと言うのでは円暦から解釈した先の説明が矛盾するので撤回すべきか
も知れない。其処で言い訳になるが少し補足する。

10/21日に23号が採ったコースは略7/28〜8/26の方位から上陸した事になり、結局そこから10/21〜22日までの間に
57〜85日もの差が有りますので円暦の例外となった。今回の台風23号は気象庁の予定のコースを通ったのに、其の
コースから全く外れた豊岡市が水没して大きな被害を受けた。

其れは豊岡市の10/22の方位が日本海側であり、其処に秋雨前線があったので丹後地方に大量の雨となった模様。
台風の大きな渦のように見えた雨雲は台風ではなくて実は秋雨前線の雲だった。ですが此れらは何れも聖たちが天気
の動きに干渉せず傍観した事にもよる。

介在すれば天候を左右し変更するのも容易であるのに邪魔をせず傍観した。よって大陸性の高気圧が弱くなり、其の
為に台風が易々と列島を何度も縦断し、前線もそのまま雨となった。此れらはつまり神(大自然)の意思である。日本を
大掃除しようとの必要性からでした。

続いて台風27号が04/11/30日にフィリッピンを襲って死者不明1000名を出した。12/4日には台湾に被害を与えて台
湾東沖で熱低になった。台風のコースが東から西の大陸に向かいながらそのまま直進せず殆どが東に向きを変える
のは偏西風に遮られてターンするケースが多いためである。

05/8/26日の台風11号は三河沖からこの日の方位に進んで箱根に593mmの雨を降らせて千葉に上陸し、房総半
島を横切って8/28日には其の日の方位の太平洋上に去って温低となった。

続く05/9/5〜6日の14号は、其の直前に米国のハリケーン(カトリーナ)が壊滅的な被害を及ぼした事と、規模に於い
てもカトリーナより巨大であるとして恐れられ警戒されたが死者22、不明6名と言う大きな犠牲を出してしまった。此処
から喩え「恐れても警戒しても対策を立てても無駄」と気づく必要が有ろう。

さて筆者の場合、普通なら円暦通りに九州から関東に向かうと思った。だから油断して「永田町のお掃除でもすれば」と
呟いた。自意識過剰と笑われるかも知れないが此れは冗談だった。しかも今度の台風は都内の地名を知らなかったら
しく、「永田町」ではなくて鹿児島・枕崎から人吉、長崎から本渡島、那珂川から長門へと進んでしまった。

それら殆どが「ナガ」の地名であり、先般、筆者が旅行したコースである。円暦コースに進めば楽だったのに、二つの高
気圧の壁の中を無理に通り抜けようとして減衰し、日干しになった四国の水瓶(早明浦)を満タンにしてくれたり、宮崎
には1300mmもの降雨を齎した。

此のため44地点でアメダス観測以来最多となったが、先の犠牲者を出してしまった。其の前に筆者は宮崎の椎葉村
の夢を見ていたがこの台風に直接関係するとは迂闊にも気づかなかった。犠牲者にはお詫びの言葉もないが、責任
の一つとして以後この種の軽はずみな言葉を慎みたい。

06年の台風1号は5/9にフィリピン東方に発生して次々と其の日の暦・方位に進んだが、5/15-16日から急カーブして
5月18日に中国に上陸した。此れは気象庁の予報が的中した例である。オメデトウ。


▲タイホ・・・・・・
▲逮捕・・・・・・

ダイポールモード現象・・・・・・天気予報(別項参照)は当らない。此のため色んな学説や色んな新造語を生んだ
が、ダイポールモード現象も其の1つ。無論未だ実証された訳ではない。予報関係者は先ず自分をプロとして自覚せず
に「自分の責任ではなくて天気のせい」にする。

此のため例えば予報が外れるとエルニーニョ(神の子)とかラニャーニャと言う新造語によって説明をしたり、其れでま
た矛盾した時は北極振動説を言い出した。そんな事はないのに要するに「異常気象だ」と言う。06年にはダイポールモ
ード現象まで出現した。此れは東大による説だが、インド洋の大規模な海水温変化を予測したと言う。

其れ(06/10/17の朝日記事)によればインド洋東部で発生する南西の風が強まるのが発端で起きる。表面の温かい水
が風で西に吹き寄せられて此の現象を起こすと言う。5〜6月に発生して10月に最盛期を迎え、冬におさまる。

60年から此れまで10回起きて、特に顕著だった61年、94年など4回は、西日本や朝鮮半島で記録的な酷暑や干ばつと
なり、中国や東アフリカでは大規模な洪水などになったと言うもの。

▲台本・・・・・・

大本営・・・・・・・以下、関連HPから3件引用する。
★天皇御臨席のもとに開かれる国家最高の会議・・・・・明治時代には元老や軍首脳などによって構成され、日清・日露
戦争中は大本営会議に天皇が臨席される形式となった。

昭和12年11月 支那事変の本格化による大本営設置により、大本営会議に天皇御臨席の大本営御前会議と、政府
首脳と統帥部首脳との大本営政府連絡会議(昭和19年8月以降は最高戦争指導会議)に御臨席を賜る場合の2種類
存在する。

一般的には後者を御前会議と呼称し、支那事変・大東亜戦争期の重要国策については後者で決定された。すなわち
昭和12年11月19日の閣議決定において、政治と統帥の調整を図るための協議機関として設置された。官制にはな
い組織ではあったが、重要な国策や政策の方針などはこの会議によって決定された。

近衛内閣時代の昭和15年11月28日から 大本営政府連絡懇談会 という名称になり、小磯内閣時代の昭和19年8
月4日には 最高戦争指導会議 と改称した。

しかし、改称しても大本営と政府の連携は緊密さを欠き、本来は『統帥機関』であった大本営が、『政治(戦争指導)』ま
で介入するようになり国家意思の統一を妨げたという観は否定できない。

会議の構成は、参謀総長・軍令部総長・陸海軍大臣・首相・外相・企画院総裁(国務大臣)などであり、蔵相ほか所要
の閣僚や参謀次長・軍令部次長などが列席するようになった。

なお上記会議は権威はあっても法制的根拠はなく、必要な場合は閣議決定の手続きを必要とした(以上、http://www.
geocities.co.jp/WallStreet/2687/siryo/siryo03.htmlから引用)。

★昭和16年12月8日朝7時、時報を告げた後ラジオは突然臨時ニュースのチャイムを鳴らした。 「臨時ニュースを申
し上げます。臨時ニュースを申上げます。大本営陸海軍部午前6時発表。帝国陸海軍部隊は本八日未明、西太平洋
においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。」

日本放送協会の館野守男アナウンサーはニュースを繰り返した後、 「今日は重大ニュースがあるかも知れませんか
ら、ラヂオのスイッチは切らないでください」と国民に呼びかけた。 ラジオ嫌いで自宅にラジオを持っていなかった作家
太宰治は、隣から聞こえてくるラジオ放送に耳を傾けていた。その日の騒動を作品「十二月八日」に記している。

ラヂオは、けさから軍歌の連続だ。一生懸命だ。つぎからつぎといろんな軍歌を放送して、たうたう種切れになったか、
敵は幾万ありとても、などといふ古い古い軍歌まで飛び出して来る始末なので、ひとりで噴き出した。放送局の無邪気
さに好感を持った。

太宰のいう無邪気なラジオは午前11時30分軍艦マーチに続いてハワイ、シンガポール、上海等での攻撃開始を、正
午の時報の後には君が代に続いて情報局発表の「宣戦の大詔」、東條英機首相の「大詔を拝し奉りて」を放送した。
この日発表された大本営発表は10本。12月中に88本もの発表が続いた。

以後陸軍発表には「陸軍分列行進曲(抜刀隊の歌)」、海軍発表には「軍艦行進曲(軍艦マーチ)」、陸海軍協同発表に
は「敵は幾万」が前奏として流れ、国民を鼓舞した。

昭和20年8月14日最後の大本営発表までの3年9ヶ月の間、新聞・ラジオは大本営発表を報じ、国民はその内容を
疑いもなく信じ続けた(以上はhttp://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/dai.htmから引用)。

★「大本営が廃止となった日」・・・・・・明治26年に設置、日露戦争で再び設置し、s16年に天皇を補佐する機関として3
度目の設置となった。政府とは独立した場であり、更に陸軍は市ヶ谷、海軍は霞ヶ関にあったが、大本営はこうした陸
海軍の上にあって作戦の立案と発表をした。徹底した指揮・命令系統が出来ていた。

当初はエリート中のエリートが集められて400人でスタートした。s16/12/8の真珠湾攻撃からその他、様々な作戦を指
揮して凡そ846回の戦果を発表した。国民は当初挙って「万歳」を叫んだが、陸海軍別々に分かれていたので互いの情
報を明かさず、お互いに都合の悪いニュースは隠蔽し、更に報道の検閲と規制を徹底して行った。

戦果は大きく、被害は小さく発表したので国民は、「勝った勝った、また勝った」と思っていたのに蓋を開けたら惨敗だっ
た。ミッドウェー海戦もガダルカナル戦でも大敗したのに虚偽(事実とは逆)の発表だった。s20/8/26に最後の発表をし
て9/10にGHQが大本営を廃止。9/13に廃止となった。

数百万の兵士を死なせた罪は大きく責任は重い(以上は06/9/13の読売テレビ「今日は何の日」から引用)。

さて此処で問題とする昭和天皇の時代は、帝国議会でも軍部でもなくて統帥権を持つ大元帥として皇居内に作った
特別機関である事。軍政及び日本神道の大本山として大本営と銘打ったのであろうが、06年出版の「天皇のロザリオ」
によれば、此処には陸海軍大臣でさえ入れなかった。

此れによって天皇は現人神としてまた大元帥として全国に号令出来た。無論其処から発信した号令や情報は悉く誤算
とインチキ情報だった事が戦後に暴露した。しかし天皇は其れに詫びず、しかも天皇の命令によって犠牲となった300
万の国民に対しても責任を取らなかった。確かに天皇の大日本帝国も瓦解した。

しかし国権の最高責任者としての天皇は国民や軍人に対して遂に何の責任も負わなかった。ではそうなった因縁から
言う。日本は幕末まで攘夷をスローガンにして来た。所が薩長土肥は最初は攘夷だったが其の後は攘夷とは逆の洋
式によって軍を作り、外圧を借りて幕府を倒して新帝国を拵えた。

此の変心によって日本はシナから欧米へと急接近した。其処から政治もシナ式から欧米型の軍拡帝国主義となった。
戦う準備をしていた為に運よく日清・日露には勝つ事となった。だが軍拡は欧米と戦う宿命を負ったのだから当然にし
て欧米の反発を招いてABC包囲作戦、つまり経済封鎖を受けた。

其れが大東亜戦争の引き金であり、列強の罠に嵌って真珠湾攻撃となった次第である。其れでも今は天皇家を国民
等しく敬愛する所である。だが其れは明治からの精神教育の成果、及び国民の感情的な思い込みであって表面的な
事実に過ぎない。確かに天皇家は日本人の総本家である。

数多の名族・名家と言えども其の祖先を辿れば何処かで天皇に繋がって行くからです。だが言うまでもなく天皇家と言
う所は権力の中枢である。だから各時代、権謀術数の渦中に有った。諸外国でも権力を持った王権や皇室は日本の
半分も永続できなかった。

其れが例外的に日本で続いたのは幕末までは権力ではなくて暦法支配によって政治を祭り事として来た為である。其
れが幕末から明治に捻じ曲げられて権力の坩堝となった。政変については卑近な例を見ても幕末の孝明天皇の兄弟
が10人暗殺され、其の結果として新生・明治天皇が出来上がった。

戦後はキリスト教に天皇が取り巻かれて支配されて来た。此のため天皇は国民を裏切り、しかも彼の命令に従った軍
人をA級戦犯としてGHQに売ってご自分は助かったと言える(天皇家を参照)。

1将功成り万骨枯れるのが世の常ではあるが、300万もの犠牲を出した張本人が謝罪もせずご健在と言うのでは無責
任の模範としか言えない。古来軍人は戦って戦死するか主君のために命を投げ出す哀れな宿命だったとは言うもの
の、少なくとも国民は天皇とか国民のために戦って散って行った軍人たちを深く知るべきです。

無邪気に天皇を善とし、自分も善人の側に立とうとするのは兎も角、GHQや中国の喧伝に乗せられて、軍人やA級戦
犯を槍玉に挙げて靖国参拝反対で満足していては英霊が浮かばれないだろうし子供の教育にも良くない。

 
▲タイマ・・・・・・
▲大麻・・・・・・
▲當麻・・・・・・

大魔王・・・・・・鞍馬では大魔王を祭っている。http://www.kyoto-tv.com/makai/kuramadera/kuramadera.html「鞍馬
寺」によれば、「鞍馬寺」の「奥の院」には六百数十万年前、金星から飛来したという大魔王が祀られており、天狗は金
星人?と摩訶不思議な伝説がいくつも残っていると言う。

そして5月16日頃、五月満月祭が毎年5月の満月の宵に行なわれ、鞍馬山に祀った尊天大魔王に、人類の幸福を祈
願する。祭典は午後7時から、第2部は午後10時、第3部は翌日の午前3時からである(魔を参照)。

タイマグラ・・・・・・アイヌ語で「森の奥へと続く道」の意味。

タイマツ・・・・・・松明は松の木を焚く。松(別項参照)の炎は輝き方が格別大きく明るいから「篝火」(かがりび)として
も使われた。松は火力が強いので高級な瀬戸物を作る穴窯・登り窯などでは古来、松だけを選んで焚いて来た。松は
高温を出す為に素焼きの陶器でも自然釉が掛かり、時には窯ヨウ変となって名品を生んだ。

所が今のタイマツは松ではなくて、竹や葦を束ねて燃やしているので光が弱く灰ばかり撒き散らす。

▲タイミ・・・・・・
▲タイミング・・・・・・
▲タイム・・・・・・

●タイムラグの原理・・・・・・「時間的変容」。タイムは時間であると同時に「度・回・倍」の意味もある。方角はdirection
(ディレクション)、移動はムーブメントであるからラグ(ボロギレ)は無関係と思われるが、何故か先の「時間的変容」を
タイムラグと言う。

具体的にタイムラグとは太陽が日の出から日没まで天空を東から西に移動するように、時間によって方角が変わり、
物事が移動して行く事。地震の場合も震源地を軸足として時計回りに激震地が日々移動して行く(「円暦」、「ちゆるぎ」
を参照)。

●・・・・・・


ダイヤモンド・・・・・・宝石の中の宝石である。昔は金剛石とも言った。金剛とは硬いと言う意味であり、事実、硬度
10度であるから「ガラス切り」としても不可欠です。そう言う訳で金属の研磨剤としても古来、使われて来た。ダイヤに
は無色透明のものと、少し赤みや白みを帯びたもの、或いは黄ばんだ色や紫や黒系の珍しいものもある。

何れもミネラル分の混入による発光であろう。但し宝石は全てエネルギーの死骸である。個別の宝石の歴史を見ても
其の所有者の泣き笑いの人生が凝縮されているものである。さてダイヤモンドは宝石とは言っても普通の石ではなくて
炭素であり、言わば燃えカスである。其処で今は炭素に高温高圧を掛けて作った人工ダイヤモンドが普及している。

それらは工業製品に多用されるが、宝石としては一時、ジルコンなどが出たが不人気だった。矢張り光沢が違うのだろ
うが偽者と言うマイナスイメージも手伝った。所が最近は遺灰ダイヤモンドと言うものを作り出したメーカーがある。その
詳細は不明だが、松脂から出来た琥珀に似た透き通った淡黄金色の光沢に輝く美しいものだ。

宝石には何れもエネルギーがないとは言え、家族が故人を偲んで遺灰の一部を宝石にして、其れを身に付けていれば
其の故人にエネルギーを送って上げられようし、また時にはこちらが勇気付けられるようである。


太陽・・・・・・・太陽は万物を支配する天の主である。だから古来、日本民族は太陽を敬い、神とも見て来たが、実は
彼の力が余り強すぎると熱砂地獄としたり万物を枯れさせる。其処で月星の存在が必要なのです。月は雨で、星は冷
たい光で、熱くなった地球の頭を冷やしてくれます。例えば、中東・砂漠地帯では月が神であり、太陽は悪魔だ。

地球温暖化の犯人も彼であって二酸化炭素が悪いのではなく、時代の流れで太陽の力が弥増して行くのです(「温暖
化」と「太陽黒点数」を参照)。ギリシャ神話で太陽はアポロン。別紙「日読み=真の太陽暦」の日神を参照。


太陽黒点数・・・・・・・別紙の「日読み」に記載。


太陽信仰・・・・・・・詳しくは「玉串の祭り」を参照。今の世間は偽物が大威張りしている。言葉も其の例外ではな
いし、ニセブランド、ニセ温泉だけではない。日の丸や太陽暦も同類です。世界各国の国旗は凡そ三種あって日月星
の何れかを旗印にして来た。中には縦縞・横縞のデザインもあるが、其れも月か星の変形を意味する。

古来世界の民族は、日月星の何れかを神として選んで暦とし、其の動きに従って約束を交わし、其の節目を守る政府
に税金を払って来たのです。日本は日の丸を掲げている通り古来、太陽中心主義を明らかに示して、其れを守ると言
う前提で国民は天皇家や幕府や政府を信頼して従って来ました。

天皇は昔から天皇とは呼ばず、日子とか日のミカド(別項参照)と言った。或いはスメラミコトとした。太陽の祭りを前提
として日の出を見守る朝の庭としての朝廷があり、見屋(宮)が置かれて、応神天皇の軽島豊明宮とか舒明天皇の高
市岡本宮と呼んだ。其れを略して豊明朝とか高市朝の帝と呼んだに違いない。

所が月を祭る仏教や星を祭る儒教やキリスト教が日本に渡来して以来、聖武天皇の頃から祭り事も暦法もすり替わっ
て混乱した世相にしています。今の政府も庁舎に日の丸を掲げている。でも其れは建前(看板)だけであり、公務員の
誰一人として太陽にも日の丸にも敬意を抱いていないし、太陽を祭る事もしていません。

とすれば政府が「祭り事」とか「太陽暦」と言うのはおかしいではないですか。でも誰も其れに疑問を持たなくなった。で
すから民間でも大会社は兎も角、一般住宅では祭日に国旗掲揚する家が少ない。そんな事をすればたちどころに「右
翼」と見る色眼鏡で見られ、もしくは変人のレッテルを貼られる。

日本人がこうなのですから世界は闇です。或いは多くの人が面倒臭そうに「其れは神社で祭っているのだろう」と言うか
も知れない。でも其れだって怪しいものです。確かに伊勢神宮では天照大神と言うご祭神を祭っているが、その祭式は
太陽(玉串)の祭りではなくて、暗闇の星祭りである。

こうなったのは聖徳太子が毘沙門天の力を借りて物部氏を滅ぼし、また聖武天皇が奈良に大仏を造って日本を理想
的な仏国土にしようとしたからである。以来天皇は神主から仏弟子となり、或いは法皇となり、或いは門跡となって院政
を敷くのを慣例化した。しかも明治には旧暦(月の暦)から一転、カトリック教の西暦に切り替えたのです。

こうなると太陽暦とは言っても誤魔化しです。こうした矛盾から以後の日本人の心が乱れ、信じられるものを見失い、日
本国中で犯罪増大が止まらない状況にしました。お正月とか日本文化や日本庭園と言っても、それは欧米社会とは別
のものであるに過ぎず、要するに其れまでの唐風文化を日本文化と思うようになった。

本来の日本文化など最早すっかり人の目の届かない所に押し込めてしまっていたのです。ただ其れが庶民に支えられ
てごく細々と葬法や墓制と言った古風で保守的な部分とか、地名や苗字、或いは神社の祭礼と言う部分で守られ残さ
れていたのは幸いでした。太陽信仰の一端が凡そ2000年間、此処に残された事は実に驚嘆すべき事でした。

この様な希少な事柄を日本文化の原点として必ず今の私たちが守り通さなければ先人に対しては無論の事、後の世
代にも申し訳が立たないだろう。でも其れを政府に期待しても無理である。天皇家はクエーカー教徒や仏教徒(学会)、
政府は優れた宣教師・マッカーサー元帥の占領政策以来、カトリックの手下となっていた。

でも既に政府は、国民には太陽信仰の祭り事を守ると言うゼスチュアだけで税金を取りたてながら政教分離と言うペテ
ン師的な背任行為に制度をすり替えてしまった。従って寺社を切り離した上、先祖や戦没者の弔いすら行わず、しかも
実はカトリック教の傘下に入って堂々と西暦を使って来たのです。偽物が本物以上に大きな顔をしているのです。

政府は国民には威張りながら海外では欧米の手下の優等生として収まり続けるために海外支援と言う名で国民の税
金を気前良くバラ撒く。しかし国内では古い地名を抹殺して昭和町とか寿町に変えたり、無意味な数字番地に切り替
え、歴史さえ抹殺して来た。

自然を残せば豊かな農産物も魚介類もあったのに、大和政権以来、日本は森を削って月の力を借りて稲作農業を広
げた。雑木を切り倒して畑田を広げて開墾と言ったり、単品の杉ヒノキを植林して山を殺して魚介類を大幅に減らしてし
まった。

日本の支配者となった彼ら前科者渡来人たちが太陽の意味も恵みも知らずに幾度も改暦を繰り返して月世界の商品
経済を推し進めた。だから既に日本は太陽信仰とは逆の存在となり、今や太陽信仰は風前の灯火となり、自給率も
40%になった。

では太陽信仰とは何だったのかと言えば太陽信仰は物ではなくて元々知性である。或いは方位であり、ストーンサーク
ルであり、古墳であり、玉串の祭りである(各項目を参照)。

太陽電池の普及に向けて 』・・・・・・・■メルマガ「30秒で読む環境情報!」 http://plaza.rakuten.co.jp/eco30/より
転載。太陽電池を設置した住宅は22万軒(2004年度)。一戸建て住宅の100軒に1軒が、太陽電池を設置していま
す。太陽光発電のメリットは以下の通りです。●日本の気象条件では、風力発電よりも発電量が安定している。

●電力消費量の多い夏季・昼間に発電量が最大となり、電力需要のピークカット効果が高い。
●太陽電池の耐用年数は、20〜30年。製造時に消費するエネルギーを1〜2年で回収し、最終的には10〜20倍の
エネルギーをつくることができます。その一方で、普及のネックとなっているのは、太陽電池・システムの価格です。

住宅の一般的なシステム設置費用は、約270万円。発電コストは、1kWh あたり約45円、家庭用電気料金の約2倍で
す。電力会社が太陽光発電での余剰電気を、買い取る制度を設けているため、約30年間使用することにより、元が取
れる計算です。今後の普及を図るのために、政府は発電コストの目標を設定しています。

●2010年は23円/kWh(家庭用電気料金 現在の約半分)。●2020年は14円/kWh(業務用電気料金)。●2030
年は7円/kWh(火力発電と同等)。そして、アルファモスシリコン系・化合物系(CIGS系)・有機質系(色素増感型)など、
発電コストを低下させるための技術開発が進められています。

太陽の祭り・・・・・・・此れは上記の「玉串の祭り」の事です。だが日本人はもうとっくに忘れてしまって外国にしかない
ものだと思っている。確かにインカ(ペルーのクスコ)で6/24日に行われるインティライミの祭りは太陽の祭りです。


太陽熱発電所・・・・・・・■「30秒で読む環境情報」より引用。『 高さ1000メートル太陽熱発電所 』−−−オーストラ
リアで、太陽熱発電所『ソーラータワー』建造計画が進んでいます。ソーラータワーの発電量は200メガワット。20万世帯
分の電気を供給可能。温室効果ガスの放出量を、年間83万トン削減できることになります。

ソーラータワーの内部は中空であり、100km2の基盤には透明の太陽光集光装置が円形に配置されています。集光装
置の下の空気は太陽熱により暖められ、煙突状の塔を上っていきます。この空気の流れは、約15.6 m/sまで加速し、
塔の内部の32基の風力タービンを回し、タービンが電気を生み出します。

ソーラータワーは、エネルギーの貯蔵用に太陽電池に日中の熱を蓄ることにより、24時間発電可能です。また、エアコ
ンがフル稼働する、一日中で一番暑い時間に発電量が最大になります。ソーラータワーの建造費は、5億ドルから7億
5000万ドル。

投資の回収には、10年以上かかりそうですが、建造費用は高いものの、ランニングコストはほとんどかかりません。タ
ワーが高ければ高いほど、効率はよくなります。1980年代、スペインのマンサナレスで、高さ194mのソーラータワーが
建造されていますが、当時は原油価格が安価であり、大きなタワーを建造するメリットはほとんどありませんでした。

建設が開始されるのは、2006年行以降となる見通しです。このシステムは、エネルギー需要が急増する中国、南アジ
ア・中近東・米国南西部など日照量が多い場所が、発電塔の設置に非常に適した場所として注目されています。http:/
/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050225-00000001-wir-sci

太陽の王・・・・・・・ルイ14世は天の太陽に代わって地上を支配する王として君臨した。太陽神・アポロンがカオス
(闇)を征服したように、自らも「闇を征服した光」として、自ら其のシンボルとして太陽を掲げ、また自ら「太陽の王」とし
て君臨したが、彼は実際、毎日太陽に従って厳格に行動して生きた。

ベルサイユ宮殿も、また豪奢な「鏡の間」もその象徴で有ると言われる。

太陽の四季・・・・・・地球は生きている。生きていれば呼吸をしますから、地震や津波も其のリズムです。月の一ヶ
月は約30日ですから七日の節目毎に色々変化を見せますが、地球の一年は約365ですから略91日のスパンで四季
の変化を見せます。

ですが地上の人類は目の前の変化を気にする程度です。地球から遠い太陽の四季のようなマクロの周期については
一生かかっても感じ取れませんし、考えようともしないものです。ですが例えば約26000年前の氷河期が最大規模だっ
た事を知る事は可能です。

マクロ的に見れば太陽の一年は銀河を凡そ25800年の周期で回って夏から冬の時代を繰り返す。其れが温暖化から
氷河期・間氷期などのリズム(周期)を造ります。氷河期の頃はシベリアにはマンモスがいたし、日本列島各地にも防寒
着を付けた象(ナウマン象)が走り回っていた。

そして当時の日本(縄文)人たちは白兎のように保護色をして、雪女か青い目の白人のようだった可能性が有る。かつ
て日本は毛の国があり、毛人と言われる人たちが多かったのは其の為だ。つまり此のように人類が自然環境に適応し
て地球の冬に対応していたようです。

よって氷河が溶け出して温暖化に入った12000年前の地層から縄文時代早期の遺跡が見つかり始めた。人類は温暖
化と共に急速に増大したが、今世紀は丁度2.6万年前の氷河期のピークに当たる。地球の軌道は太陽に従って今、
魚座を過ぎて水瓶座に入った。従って此れから2150年間は乾燥期に向かう。

12支で言うなら卯から辰巳の時代に向かっている事になる。此れまで人類は、ミクロ的なリズムを指標として、例えば
毎日動く日月星を追って三種のリズムの、つまり三種の暦を作って歴史を刻んで来ました。地球の一年は365日であ
り、従って四季はその1/4づつですから約91.5日となり、また月の一ヶ月(朔望月)は約29.53日です。

なので、月の四季は略七日となりますが、其れを新月、上弦、満月、下弦などの呼び方で見分けて来ました。此れもま
た暦です。このように日月星の何れを神とするかで三種の人種に分化しました(「三族」を参照)。

さて現在「温暖化による危機」が叫ばれるようになったが、実は辰巳から午未へと至ればもっと急速に酷暑の山(ピー
ク)を迎え、此の時点で徐々に地震や噴火が多発して乾燥化を進めて再び氷河期に突入すると予測出来ます。
古代の暦法は数字ではなくて方位、つまりれ分度器でした。数字でなければ太陽暦も太陰暦の別もないのです。

数字で計算すれば暦法の違いから、太陽の一年(四季)は地球の25800〜25920年と言うように幅が出てしまう。此の
為一年を5日刻みに等分したものを72候とした。茨城と熊本では大祭礼と言う祭りを毎年春と秋に冬至と夏至の日の
出と日の入りに当たる方位の日立と日尻(肥後)で繰り返して来た。

銀河を回る太陽の一年を知っていたから、神代から彼岸の祭りを続けていたのです。ギリシャでは此れをプラトン年と
呼んだが、無論、彼が発明したのではなくて世界の通念として古来ヒジリが知っていたのです。

▲たいら・・・・・・・・
▲たいり・・・・・・・・
▲内裏・・・・・・・・天皇の住む御殿。

▲大理・・・・・・・・シナの古代官名。または検非違使別当の唐名。または10c中葉、シナの雲南省に出来た大理国で
1251年にモンゴルにより滅びた。または雲南省西北に出来た大理石の産地の都市名。

大陸の食性・・・・・・・食性は地域の風土によって特徴が出ます。北方遊牧民族のチュクチ族はトナカイを飼育して
其の肉を生で食べる。野菜が少ないので生肉で食べる事がビタミンを摂るためになります。またシルクロードの乾燥し
た砂漠のオアシスで羊を飼って遊牧をする人たちは塩漬けのチーズを作って食べる。

其れに対してメコン川のデルタ地帯は気温が高くて水が豊富なので稲作により、多くの料理がある。先ずご飯の外に米
を石臼で粉にして練って天日干しにしてライスペーパーを作る。或いは麺に加工したのが「フェー」である。また内陸部
では畑作になる。麦の場合は秋に種をまいて翌年の夏前に刈り取る。

穀物は硬いので其れを粉にしてパンやスパゲッティ、或いはうどんにします。イスラム圏では血抜きしていない(穢れ
た)肉と豚肉とアルコールが禁止されている。其れを祓った(クリア)した食品を「ハラール・フード」と言う。トルコは東西
文明の接点にある。

此処の家庭料理はマントウが中心であり、マントウとは米粉で作った皮に牛肉とニンニクを入れて餃子風にしたもの
で、此れにヨーグルトで作ったソースやバターを掛けて食べる。またシルクロードのウズベキスタンでは羊肉のものを
「マンティ」と言い、シナにも豚肉のマンツゥがあって此れを中華饅頭と言う。

此れが日本に来て肉の代わりに餡子(アンコ)を入れて饅頭とした。またインドは古来、香辛料の産地であり、此処もま
た暑くて腐敗が早いので病気になるのを防ぐ為もあって食べ物に香辛料を使う。だからインドカレーは辛い。其れをイ
ギリス人の口に合わせて甘いカレーを作ったのがイギリスから日本に18c後半に入って来た。

所が後にインド独立の父となるボース氏が日本に亡命していてこの「英国カレーを許せない」として本物(辛口)のインド
カレーを広めたと言われる(05/7/6のNHK教育TVより引用)。中華料理を参照。

▲大理石・・・・・・・・マーブル。石灰岩の一種で建築・彫刻・装飾品などに使われる。白色と斑紋とがある。古来有名な
のがシナの大理、今はイタリア産が著名。日本では岐阜、山口、茨城からも産する。

▲たいろ・・・・・・・・
▲大老・・・・・・・・豊臣、及び徳川権力者を補佐した最高位の職制で幕閣による各藩の取締りの為、三大老(五大老)、
五奉行が置かれたがキリシタン大名は除外した。

▲たいわ・・・・・・・・

対話・・・・・・・民主主義は対話の重視である。だが対話で何が解決したろうか。かつて日本には「小田原評定」と言う
言葉があったが、今の国会でも其れは変わらない。対話では利害の対立だけが生まれて、其れに時間を掛けても解決
する事が何もない。つまり無益である。会議(別項参照)も同じ。かつてハンチントンが「文明の衝突」を書いた。

そして今キリスト教とイスラム教とが対立している。其処から「戦争より対話」が叫ばれる。だが対話は無理なのだ。利
害の対立は対話で其の都度解決出来たとしても、お互いが相手の立場に立つ事、つまり現地に行くべきである。

そして相手と同じ位置から天空を見て、同時に其の地の風土に有った食べものを食べてみなければ「机上の論理」で
は通用しないのである(「三族」を参照)。

台湾・・・・・・台湾は戦前まで日本の統治を受けた。日本は白人が植民地として収奪したのとは対照的に台湾の開
発に国民の血税を注ぎ込んだ。だから戦後、蒋介石は日本を恨みとせず徳をもって許し、戦後賠償も求めなかったし、
戦中戦後を通じて今に至るまで日台関係は蜜月時代で安定している。何れも太陽信仰の国民であるからか。

ただ蒋介石が中国から入り込んで月の文明を植えつけてしまった為に、戦後は中国が「中国の一部である」と主張し、
実際、金門島では米軍をバックにした台湾と中共とが衝突し、今は其の中共・中国が軍事大国になった事から台湾に
圧力をかけている。

中国はあれだけ広大な領土を持ちながら覇権主義の悪因縁があるためモンゴルもチベットも征服しようとしている。
「犬の遠吠え」のように日本や台湾を怒鳴り散らしている間はともかく、これ以上の欲を出せば必ず戦争になって負け
るか自滅するのです。実際中国は昔から弱い国である。明治の日本にさえ簡単に負けた国だ。

戦中は連敗していたのに連合国側にあった点から棚ぼた式に偶然、戦勝国側になってしまっただけの国である。
さて今、台湾の独立の機運があるため此れを武力で阻止しようと中国は脅しの「反国家分裂法」を05/3に上程した。

今や100万人が中台関係として存在する以上、両国内は複雑であるが、台湾国民が居丈高な中国共産党の姿勢に
反発して当然である。しかし最近は中国からの観光客が増えて台中関係は日本よりも密接になりつつある。








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