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    日知り事典       セカ〜刹那

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せか

▲世界の人口動態・・・・・・・2000年の世界人口は63億人、2050年には91億人になると予想されている中で、日
本は9200万人に減り、中国は13億人をさほど上回らないが、インドが急増する。石油はゼロになると言われる中、
中国が日独を抜いて世界第二の経済大国となる・・・・と予想されているが、こうした事態はもっと早まるだろう。

施餓鬼供養・・・・・・・仏教法会の1つで餓鬼道に堕ちて苦しんでいる生類、または有縁・無縁の亡者に食物などを
施して滅罪追福を供養するもの。空海が唐から持ち帰った経軌に始まるとも言われ、真宗以外の諸宗の間に広まっ
た。初めは期間を定めず行われたが今は七月の盂蘭盆の時に、別の壇を組んで行う。

因みに灯篭流しや川施餓鬼と言うのは水死者のために行うものと言われる。この世とあの世との間の幽界には非業の
死を遂げた亡者、死後も忘れられて誰も祀っていない死霊、戦場跡の自縛霊、自殺者の霊、或いは「ひだるかみ」や行
き逢いかみ、或いは其の家に対する怨霊、其れに先祖ではないが寄る辺ない御魂がある。

特に欲望の塊として狐や狸に似た人霊などが浮遊霊とかケモノの姿で人前に現れる。此れを餓鬼とも言う。要するに
未浄化霊が多数存在し、頼って来るので此れを拒否すれば時には様々な祟りや災いを及ぼす。其れに気付かなくとも
自分もまた死後にはそうした仲間に入らないとも限らない。だからこうした存在を認めて、優しく弔うものである。

▲因みに高野山寺院では盆前から受け付けた申し込みに対して盆には仏迎えの行事に始まり、灯、華、香、供物飯・
汁・餅・果」及び朝・昼・夕に精霊膳をお供えし、常時精進供・お茶の供養をして盆供養施餓鬼会としている(▲以下は
不動院資料より引用)。



石造(模造)・・・・・・・・遺跡からは土器や石造品が発掘される。中には包丁に似た物があれば、得意になって
石造模造品と名付けた。石器の場合は先進的な鉄器よりも未開で野蛮な文明があったと西洋史観でランク付けする訳
です。或いは戦前戦後の物資不足を経験した連中が非金属を見て反射的に「鉄の代用品」と見る。

こうした癖が染み付いているからだろうか。だが黒曜石やサヌカイトの包丁は鉄器やステンレス包丁よりも切れるの
だ。消耗するのも早いが錆びる事がない。しかも料理して物の味を損なわない利点があった。毎日の食事では、包丁
の材質よりも料理の味だけが問題ですが、最も肝心な其の点を見落としては誤解する。

日本なら本州以南ならふんだんにある竹を切って使う竹包丁も同じ利点から重宝されていたと見直すべきだろう。また
シナの景徳鎮は古来、世界で第一級の磁器であるが、此れはシナの伝統的な玉器に似せて作ろうとして発展したもの
である。つまり如何なる磁器も玉器の代用品・偽物にしか過ぎなかった。

玉器は硬玉であり、日本の古墳から出る此の石造品と同じもので其の用途は主として観測・測量器でした。其れが忘
れられて王権のシンボルとか装飾品と言う解釈の上に、更に考古学は石造・模造品と誤解しているのです。

石炭・・・・・・・大阪・生駒の石切神社にはかつて北海道からの炭鉱関係の参拝が多かった。石炭が重化学工業を
支えて経済復興を成し遂げた当時は、「黒いダイヤ」と持て囃されたが、当時から炭鉱では落盤事故が多発し、コスト
高から首座を石油にとって代わられた。

以後炭鉱の殆どが閉山して炭鉱の町、夕張炭鉱も93名の事故を最後に1985年に閉山し、今は石狩炭鉱だけが海
底鉱山で操業している。石油は取り扱い易い為に石炭にとって代わったものの、NOXなど公害問題が大きく、また供
給源の殆どが海外依存である上に、あと40年の寿命と言われる。

此のため横浜の磯子火力発電所などが石油から石炭に切り替えた。石炭は今でも国策上、電力需要の24%を支え
ており、石狩では火力発電などに現在、年間70万トンを供給するため、約300人が働いている。ただ鉄鉱石と共に石
炭は国内産出だけでは足りないのでオーストラリアと中国から今後も益々大量に輸入される。

其の予定だったが中国の石油消費拡大を見越した米国の戦略で06年来の原油高になり、エネルギー戦略次第で石炭
需給も逼迫するだろう。

責任・・・・・・・自分の引き受けた任務を成し遂げる事である。此れに関してハムラビ(別項参照)はバビロニア時代
に「目には目を、歯には歯を」と楔形文字で書き残した。此れを「敵対する相手への激しい憎悪」と解釈する事も出来る
が、寧ろ因果律と贖いの道理を説いたものと見るべきだろう。

贖いは例えば金を借りたら金で返すべきであり、また人の命を奪った場合は人(自分)の命で返すべきであって、金で
代物弁済出来ない存在であると言う道理である(「贖い」及び、「祓い」、「責任」を参照)。現代日本では全ての事を打算
的に金銭で処理出来るとする唯物的価値観から市場価値・ゼニカネ万能主義としてしまった。

其の点をハムラビ法典に照らして見れば、命を奪った人が金、もしくは紙幣と言う紙切れで責任を取る(片を付けよう)
とするのは間尺に合わない不合理(すり替え・誤魔化し)と分かる。何れにせよ責任者となった場合は其の責任を果た
すためにある種の地位が与えられる。

従って地位に憧れる者は圧倒的に多いが、地位の一面に付いている結果責任からは大多数が逃げようとするのが今
の世間であるから其れが人情とは言え皮肉である。つまり「責任を取る」と言う例は此の世には少なく、其の段階になる
と「誰も責任を取らない」、と言うのが常態化しているのが特に今の政府である。

車を運転する者には責任保険と言う義務が付いているように、地位や責任と言う言葉にも重みがあり当然、義務を伴
う。だが其のうちの責任だけを嫌って回避する手段として「会議」と言う隠れ蓑を用意して不利益や制裁を回避しようと
する卑劣な人たちが政府に増えた結果として政府の力は弱まった。

責任は法律的には、民事と刑事があり、或いは個人的なものと社会的なものとに便宜上分類されている。責任能力、
または無能力者として障害や病気の程度に応じて軽減措置が特例として認められているので、この点から弁護士を使
って抜け道を画策するケースも多い。

だがそうした社会だからこそ、目先の利益ではなくて、責めがあれば逃げずに自ら責任を取り、詰め腹でも自腹でも切
る者があれば実は輝く。男を上げるのです。そうした男が出た時に初めて世間は、「地位があっても責任から逃げるの
は無能力者か卑怯者であり、其れとは逆に、責任を取った人が能力者だった」と気づかされるのです。

石油・・・・・・・日本の石油の初見は天智天皇の時に越の国から燃える水として「くそうず」(草生水)が献上されたと
ある。その後、民間によって明治37年にアサヒ川油田、秋田油田などが開発された。特に岩佐徳三郎氏が私財を投じ
て調査を続けた所、二千数百万年前の地層に油層が伸びている事を突き止めた。

だが昭和27年に亡くなり、その後を湯浅氏が継いで米国の援助により、秋田沖で昭和34/11/10に海底油田の掘
削に成功した。ただその後は採掘量が年々少なくなって昭和52年には閉鉱となり、今は新潟など一部で採掘している
ものの、国内消費量の1%に過ぎない(読売テレビの「今日は何の日」より引用)。「原油」を参照。

せこ・・・・・
◆せさ・・・・・・

▲せし・・・・・
★せす・・・・・・・

●せせ・・・・・
◆せそ・・・・・・

▲せた・・・・・
★せち・・・・・・・

◆せつ・・・・・・
◆節・・・・・

▲摂官・・・・・・・・兼務の官。奈良時代、在京の内官に畿内諸国の国事を執らせた官(広辞苑)。

摂関政治・・・・・・・・摂政と関白とによる政治。清和天皇時代から後冷泉天皇時代まで、210余年間は此の政治であ
った(広辞苑)。例えば道長は娘3人を一条、三条、後一条と言う三代の天皇の正妃に宛て、「一家三后」と称される権
勢の絶頂に立っていた。

この様に藤原北家の嫡流が娘を入内させ、天皇の外戚・外祖父として権力を独占し、一族を繁栄させた事は一般に知
られているが、実資(さねすけ)の「小右記」によれば、「玉座は孤独な椅子だった」(07/2/4日の朝日、繁田信一著「天
皇たちの孤独」)。

例えば即位と在位期間と没年齢で見ても、円融11〜26歳、33歳。花山17〜19歳、41歳。一条7〜32歳、32歳。三条36
〜41歳、42歳。・・・「王朝時代、長生きした天皇はいません」(著者)。瀕死の円融天皇は、誰にも病床を見舞われなか
った。花山天皇は奇計に引っかかって出家させられた。

一条天皇は正餐で食事の給仕をして貰えなかった。三条天皇は36歳まで天皇になれず、「老東宮」と軽んじられた。
当時は「王朝ではなくて権臣の朝廷に他ならなかった」(文芸評論家・野口武彦評)と言う。

雪害対策・・・・・・・気象庁の暖冬予測が外れて05年末から06年初に掛けて1946年以来の極寒・大雪となり、各
地で事故が続いた。雪かきで屋根からの転落事故、走行車両の前に両側の家屋から雪が落下して車ごと埋まった事
故、或いは走行中の秋田新幹線を埋没させたり、3m以上の積雪で家屋を壊滅させる事故などで死亡者が出た。

今は太陽黒点の最小期に入っているため寒くなる事を予測して当会では防災対策の決め手となるV屋根(別紙参照)
を提唱して来た。V屋根は手間もエネルギーも要らずに屋根に積もった雪を自然に融雪して自力で水道水に変換する
システムであり、危機管理と環境改善にとって最有力のプランです。

石鹸・・・・・・・色んな製品があるが原料は油脂と苛性ソーダであり、其れに塩と増量剤や化学香料を加えたもので
す。特に洗剤の場合は燐酸が多く、此れが下水汚染の元凶である。だが今の人は石鹸か洗剤がないと汚れが取れな
いと言う錯覚(固定観念)を植え付けられている。

此のため、堂々巡りで良い知恵が浮ばないが、昔は良いものがふんだんに有った。其れは雑草と灰である。或いは野
菜です。野菜は植物性のアルカリですから油脂分を溶かして洗い流す。同じアルカリでも全然違います。野菜がないと
きは昔の家には灰なら何処の家でも竈か風呂場に有った。風呂では糠で体を洗った。

これ等は燐酸や増量剤による公害を出さない。のみならず肌を傷めない。今でも其れをしようとすれば雑草や灰なら結
構あるものです。野菜クズや糠も手に入ります。エゴの実でも見つかればもっと良いのですが、此れは山中に入らなけ
れば中々見つからない。だが雑草ならば何処のものでも採って上げたらきっと喜ばれます。

但し今の人達は自然への無関心と知識不足で「何が雑草か」を判断できずに隣人が大事に育てた山野草を雑草と見
て毟り取ってしまうので多分叱られてしまいます。

『 手づくりせっけん 』・・・・・以下、メルマガ「30秒で読む環境情報!」より転載。−−−地元で回収された廃食油が
原料の、石けんが活躍しています。石けんを作っているのは、NPO法人の「せっけんの街」(千葉県)。千葉県の16市
町村から4.8万リットルの廃食油を回収し、石けんとして資源化にしています。

こうした活動は、日本一汚れていた手賀沼をきれいにするために家庭から発生した使用済み天ぷら油を流さず、当
時、生物分解性が悪く社会問題であった合成洗剤を使用せずに、環境への負荷を減らす市民運動として、1980年から
スタートしたものです。

広く使用されている噴流式の洗濯機では、水に溶けにくい石けんは敬遠され、合成洗剤が広く使用されるようになりま
した。近年の少量の水を使用した叩き洗い方式の、ドラム式洗濯機は、石けんとの相性が良く、効果を発揮できそうで
す。

売上が伸び悩んでいる面もありますが、廃油のリサイクル、環境への負荷低減、手荒れが少ないなどのメリットがあ
り、今後の普及が期待されます。<参考資料>せっけんの街 http://www.sekkennomachi.org/日経エコロジー 2005
年 8月号−−−【拓也's コメント】手賀沼のせっけん工場が操業を開始してから20年。

この活動の継続性にまず頭が下がります。せっけんの街のHP、商品の詳しい説明・使用者の声等を充実させていれ
ば、もっと良さが伝わってくるように思いました。感想・コメントば、blog: http://plaza.rakuten.co.jp/eco30/

節句・・・・・・・節句は節供とも書く。人日1/7、上巳3/3、端午5/5、七夕7/7、重陽9/9の五節句があるが何
れも旧暦の月日である。でなければ西暦で節句をしようにも人日に七草粥の七草がなく、桃の節供に桃がなく、草もち
を作る蓬(ヨモギ)もない。

端午には柏モチの柏葉がなく、重陽の栗飯の栗もないと言うミスマッチになるが、今はスーパーが無理して集めて店頭
に並べるので自然の季節感を奪っている。此れはスーパーが悪いのではなく、旧暦行事を数字だけ西暦にスライドさ
せて、梅雨の中で星も見えない7/7に平気で七夕祭りをしている日本政府と社会の感性が問題なのです。

セックス・・・・・・・性。性交。交尾。まぐあい。愛の形や種別を詳しく言えば清純な愛とか純粋な愛が有ります。其の
逆がつまり不純なものと思われています。両性の合意とか霊的に縁のある愛が理想的で正常なものでしょう。この場合
は妊娠準備が出来て出産に結び付きます。

でも不純とか一方的な愛の場合は悲恋や悲劇を生むようです(「愛」を参照)。
ただ最近の青少年も大人も、テレビの効能によってセックスだけに異常に関心を持つようになった。愛よりもセックスに
関心が高いのは正常ではない。

一定の年齢に達した者が、愛やセックスに淡い期待を持つのは良いが、両性の陰部を見ても分かる通り、如何に大事
な所と言われても決して美しい所とは言えない。獣と比べて、人類の性器だけが格別誇らしいものとは言えず、何れも
グロテスクであって、其れを敢えて「誰彼のものが立派だ」と賞賛するのも変な話(猥談)となります。

しかも性交渉と言う行為も、第三者が見て何か美しいと思う点が有れば別ですが、初めから終わりまで実にドロドロし
た行為です。でも其れであっても、ご両人の考え方や使い方次第で何とか美しいものにも汚いものにもなるものです。
人各々が同じような事をしても片方は美しく、また別のケースは醜いものとなる。

何れにせよ戦後は「性の乱れ」を指摘する声が出たが、平成になるともう慢性化して誰も指摘しないアキラメムードにな
った。性風俗の歴史から見れば、戦前は赤線や青線と言う言わば公娼制度があって性風俗の取締りにより、軍国日本
の銃後の家庭を守り、併せて軍人や成年男子の性処理と特に未婚の女性を守っていた。

所が戦後のGHQ政策と女性解放運動によって公娼街と売春婦が一掃され、売春行為は犯罪となった。つまり性処理
の仕方が放置されたまま、同時進行で世界をセックス、スポーツ、スクリーン(今のテレビ文化)によって支配しようと目
論むシオニストの3S政策(別項参照)で日本は自由主義と此の3Sが蔓延した。其の結果はどうなったか。

平和や権利とか自由平等と言う美辞麗句の下で、世間にはセックスを煽る映像や風俗が氾濫し、フリーセックスの受
け皿として女性が若いうちからセックスの標的にされるようになり、此のため今の性風俗の乱れとなった。其れで婦女
子のセックス体験が早まり、多重体験となったが婚期も遅くなり、少子化となり、エイズ感染も広がった。

西埜先生の話によれば、セックスをオモチャにすれば二重人格の人になる。或いは数人の男と性交渉を経験した女性
の子宮は男経験を全て記憶していて、例えば6人目の男で生まれた子供は精神(情緒)不安定であると言う。家畜の場
合でも、飼い主がチャント種付け(交配)の相手を決めて置かなければ妊娠しないと言う。

進化論者はセックスについて勝手な解釈をしているが、事実は別なのだ。人の場合も妊娠準備が出来ていれば正常な
妊娠となるが、其れがない場合は人格が変わると言う。受精の瞬間に微かな光を発すると言うのですから不思議で
す。此れが言わば常温核融合である。

つまりセックスは両性の合意が前提であり、其の性行為にも清潔と不潔がある。とすれば、若人はセックスを玩具にせ
ずに清潔な性を目差すべきだ。「出産」「不妊」を参照。

刹那・・・・・・刹那とは梵語で「極めて短い瞬間」を言い、釈迦は「1/7000秒」と具体的に教えたらしい。其れに関
して筆者が愚考すれば、仮に魂の輪廻転生が3000年あるとの尺度から見れば、人の一生の60年はアッと言う間
(2%)であり、其れを時間にすれば72000×365=26280000時間である。

其の内の人生は525600時間あるものの、その1/3が就寝時間に費やすものとすれば実際に活用出来る時間は3
5万時間くらいですし、或いは一日24時間を86400秒とすれば、1/7000秒はたった12.34秒です。其れを長いと
見るか、短いと見るかは個人差があるものの、矢張り短い。

其れについて、戦後は、当時の若者に対して年長者から「刹那主義である」等と批判された。其れは過去や将来の事
も考えず、ただ現在の瞬間だけが良ければ良しとする現実的な生き方(享楽主義)を仏教観から嘆いての言葉となっ
た。

節分・・・・・・・例年2/3が節分であり、此れは2/4の立春の宵に当たる。節分とは一年一回りを四方八方に分け
た時に、其の節目に当たる時期・方位の事でつまり年に四回の節分があった。その内、特にこの時期の節分だけが残
ったのは、旧暦の正月前の晦日に当たったからだ。

八方の節目の時期には季節の変化があり、体調も狂うし事故も多発する。この為、節目の時期には「忌み籠り」と「祓
い」が行われて来たので、各地の神社では今も冬と夏には「大祓い」の神事をする。他方、官寺では古来、正月の月日
を定める「修正会」(しゅしょうえ)と物忌み(お籠もり)を行って来た。

なので、今でも有名古寺では修正会・修二会などの古式節分祭を行う。また平安・鎌倉の時代には陰陽道による見地
から、邪気を祓うために居所を移すと言う方違い行事をする所も増えた。そうした意味から節分には必ず暦・方位を司
る役割りとして方相士や鬼が出て来ます(「五行」、「五色」、「鬼」を参照)。

またこの晩には次の歳のエトに当たる人が年男として「鬼」や「福男」に選ばれて厄払いを担った。そして昔は節分の晩
に、「厄払い・厄落とし」とか縁起直しの祝言を唱えて町を回る回る「門付け」も有ったし、また西日本では節分の頃に年
占、成木責め(別項参照)、モグラ追いなどの風習もあった。

豆まきの起源は59宇多天皇の時に鞍馬山の鬼が都へ出てきて困っていた時に毘沙門様(鞍馬寺の本尊)のお告げが
あって七人の博士が77・49日の間、祈祷をして鬼の出て来る穴を封じて三石三斗の豆を投げつけて追い払った伝説
が有る。

其処で宮中では師走の晦日に追儺(ついな)行事として行って来たものを、やがて唐風の方相士が鬼を追う演技とした
り、豆まきをする行事にした。此れは室町時代以降とされ、特に芸能人や有名人を年男にして豆まきをする行事にした
のは近代の営業目的によるものである。要するに何かを何所かにブツケルような行為は日本の風習ではなかった。

此の節分の頃にはシナの正月であるが、シナでは花火を鳴らして鬼(先祖)を追っ払う風習である。ハロウィンも元はケ
ルトの先祖祭りだったが、仮面で脅して悪魔を追い払うものとなった。其れに対して日本の盆正月は神や先祖を迎えて
供応する。つまり正反対の文化です。

ましてや、炒り豆などは食料品である。其れを無暗に投げるような行為は好まなかったのが日本人だった。歴史的にも
朝廷から鬼として追われたのは和人でした。神を鬼として、「白を黒とした」のは、天皇(大和新政権)側が既に渡来人
であった事を物語っている。

ともあれ節分の晩には鬼は何処でも「鬼はー外!」と怒鳴られた上、煎り豆を投げ付けられて家から追い出される。こ
の晩は鬼が迫害されるので鬼にとっては厄日であるが、ただ何ヶ所か鬼を受け入れてくれる言わば「駆け込み寺」もあ
って、例えば群馬県鬼石町がある。

其れに奈良の吉野の金峰山寺では役小角が鬼を改心させた古事に因み、今でも「鬼もー内」と叫ぶし、またその鬼の
里である奈良・天川でも「福はー内、鬼もー内」と言う。このように昔から鬼に優しい所も日本にはあります。また年齢の
数だけ食べると言う習慣は後世に付け足したものである(別紙の「歳時記・2/3」を参照)。

節分の意味・・・・・・・節分は元々旧暦の歳末行事。この時期は1年の締め括りとしての鬼門に対する祭りとなりま
す。鬼を追い払うのではなくて、寧ろ昔は鬼を迎える祭りでした。心身を清めて特に鬼門の方角を清めて、新たな正月
様を迎える準備を終えてから祝詞を挙げて祓いとしました。

そして目出度く翌朝には正月様と言う新たなお日様を迎えて立春が始まりました。其のために昔は節分までに借金取
りが走り回った。此れも払えばハライになります。昔は今のように「いつもニコニコ現金払い」ではなくて、面倒な事は盆
正月に纏めてツケ払いをしたので、其れを全部精算、つまり支払って、風呂に入って心身共に綺麗にした。

歳末には家の内外も大掃除を済ませて新玉を迎えました。此れが日本人の律義さでしたね。オット・・・分かりましたか?
節分をすれば、祓いが出来るのです。なので別の日にお祓いを済ませて置いて、直ぐにまた節分をする必要はないの
です。

節分が節目であり、1年の祓いになると信じていいのです(以上は「ヤフー知恵袋」でベストアンサーとなったoniaの回答
から転載)。

節分の鬼は悪くない・・・・・・・西暦の2/3の節分は例年不変ですが、旧暦は太陽暦(本来は方位、今は西暦)に
対して相対的に動いているように見える。其処で何日が元日なのかを調べるために有名社寺では其の前後に「修正
会」と言う行事をして来ました。

旧暦は「月読み」の暦ですから05年は2/9が新月・月初めなので元日となり、大寒の最終日が節分で其の翌日が
「大寒」明けの立春でした。

此処から初春がスタートします。そして2/9の元日が干支では甲子となり、此処からエトがスタートして酉年が始まり
すので、歳末に出して、元日に貰った鳥印の賀状とか、初詣の時に神社の境内に有った縁起物の鳥は一体何だった
のかと言えば「初春」と書いたのも、「鳥」なども出るのがチョット早すぎた感じです。

どうです、「シマッタ!」と後悔してますか?でもまぁ赤信号でも皆で渡れば怖くないものです。知らなければ怖いのは寧
ろ鬼です。ですから鬼を知れば怖くありません。ただ「鬼はー外っ!」と叫んで如何ほど炒り豆を投げつけても、また其
れを歳の数ほど食べて「食い殺した」つもりでも彼らは四季の変わり目には必ずまたやって来るのです。

譬えヒイラギの枝にイワシの頭を刺してニンニクを付けて置いてイヤガラセても多分、何の効果もありません。彼ら五色
の鬼は五方から牛の角を付けて、虎皮の褌で必ずやって来る使命があるので、次からは追い返すのをもう諦めて頂き
たい。以下は子供騙しではなくて真面目な大人の話です。

何故、鬼が五色で「牛虎」なのかと言えば、四季の境目が節分であり、暦の上でこの時期は丑寅、即ち東北の方角を
意味する。試しに「鬼」の字を分解して見れば「鍋蓋・田・ひと足・ム」の組み合わせで成っているとお気づきの通り、此
れは太陽観測の「見柱、祭壇、日脚の速さ・勾配」を合成したものですね。

兎も角、北東の方位を丑寅と言い、「鬼門」として嫌いました。北東の方角が時刻では「丑三つ時」に当たるので、無闇
に出歩きませんでしたが、今は皆さん平気で夜更かししますけど、大丈夫でしょうか。しかし昔は時間よりも鬼門より
も、この日が実は一番怖かった。この日は歳末の師走の最後の晦日です。

節分は昔は年に四回もあって、季節の変わり目には人の体調も狂うので色々払っていたのです。衣服も変われば暮ら
しの中身も変わります。其処で節目節目に鬼が出まして其れや此れやを一切引き受けて「祓う役」を果たして来まし
た。

特に歳末は「大祓い」の時期であり、盆正月にツケ払いの精算をすると言う約束の日になっていましたから借金を溜め
込んだ人の家には取立屋と言う「借金トリ」がやって来たのです。此れはもう鬼より怖かった。其処でどうしても、「出て
行けー!、おみゃーわー外だっ!」と叫びたくもなります。悪夢のような昔の話ですけどね。

今の世の中にも鬼のような人が必ずいるものです。ですからつい「オニワーポカリ!」とやってしまいたい所でしょう
が、・・・・・節分の鬼は決して悪者ではなくて、暦と時刻を決める働き者でした。だから寺社では鬼に手伝って貰って「修
正会」と言う行事を例年つつがなく続けているのです。

皆さんもどうぞ、「鬼さんコチラ」と言って、借金トリとは別の「メデタイ酉」年をお迎え頂きますように。

ゼニカネ万能主義(論議)・・・・・・・現代は物質文明とゼニカネ主義である。その点で、世間では古代の物々交
換の経済を未開な文明と見下しているが、其れは誤解に過ぎない。確かに国民は、物々から貨幣、紙幣経済へ移行
し、其れが進歩である、と教えられた。

だが今のように実態の怪しい経済よりも、昔の物々交換や金貨・銅銭の経済のほうが安心ではなかったか。ただ例え
ば金貨・銀貨・銅貨・アルミ銭を作れば、「悪貨が良貨を駆逐する」。悪人は出回る金銀の貨幣を集めて鋳潰し、混ぜ
物を加えてより多くのニセガネ、つまり悪貨を増産したのが世の常でした。

其処で政府は兌換券を発行し、「此れを持参すれば金貨に換えます」と約束した。其れが銀行であり、その上で紙幣の
信用度が裏付けられた。所が今の政府は主として紙幣しか印刷しない。この場合の千円札では一グラムの金も買えな
い(06/6月現在、g2400円)。つまり代物である。だからゼニカネ主義は危うい。

政府が印刷費だけで実質無価値の紙幣を増刷しても、二重・三重にその価値を保証している訳ではないからだ。殆ど
ゼロの、虚の価値の代物を制度的に支えている訳だからインフレになり易い。特に今、その政府自身がお金持ならとも
かく、1000兆円もの赤字国債を抱えた最貧国である。

また銀行も軒並み公的資金で国民が支えなければ潰れる状況にある(06/6月にやっと息を吹き返した)。何れも矢張り
架空の、虚の経済である。其処で政府の信用度が国内外で常に問われる。其れならば物々交換と同様、市場価格の
域を出ない。

のみならず、其れをカードやパソコンで取り扱おうとも制度的に制約が増えるだけで危険性も大きくなる訳です。この様
に数字や虚の経済の裏づけは何もない。現行の紙幣は初めから紙屑である。だから、現代の数値主義、つまり「数の
論理」とゼニカネ主義の矛盾の経済に対して、此処で異論を呈し、警鐘を打って置く。

セーマン・・・・・・・星型(5角形)。此れを五旁星とも言う。其の対角線の長さの比は1:1.618である。此れはピタゴラ
スが発見したと言われる(黄金比を参照)。このように古来、最も美しくかつ安定した形の建築や美術に使われて来た
秘伝の寸法比として黄金比(後述)と白銀比(別項参照)がある。

また五角形の星型印には破邪の力があると信じられて昔から呪いや祓いに多用されて来た。鳥羽の海女たちはこの
一筆書きの形を体につけて海に入って来た。また平安時代の陰陽師・安倍の晴明が此れを使ったために以後は晴明
桔梗印、またはセーマンとも呼ばれるようになった。

其れに対して、芦屋道満がタテ四本と横五本の格子目、即ち九字の形を使ったので、其れはドーマンとも呼ばれた。ド
ーマンもまた悪魔のつけ入る隙を与えない「お呪い」とされて来た(「ドーマン」を参照)。セーマンの形は西洋ではペンタ
グラムとも呼ばれ、ギリシャ以来の迷宮マークでした。

何れにせよこの形は古今東西で「破邪の護符」として、軍人の星型の階級章やユニホームに着けられ、また中国漢方
では東洋医学のシンボルとして、そして今は国旗に五星紅旗として示されているが、建物の例では函館五稜郭や米国・
国防総省のペンタゴンにもなっている。





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