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http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page223.html(未定稿)


    日知り事典        神社〜森林

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辰砂・・・・・・「スサノヲ」、水銀、丹、「に」を参照。

神社・・・・・・神の社。其の要件としてご祭神と例祭日があり、其れを心身ともに支える氏子組織(財政基盤)があ
り、同時に祭式を実行するために相応しい施設がある所。ご祭神は記紀その他にある一定の神、或いは国家社会に
貢献した方々が祭られる。

組織としては神社庁に登録された神職による管理が要件となる(此れにより宗教法人として税法の適用除外となる)。
また境内には本殿、拝殿、社務所、玉垣、鳥居などが配置される。神社や鳥居の建築様式も大社(出雲)造り、鳳、吉
備津、住吉、神明(伊勢)、八幡、権現、祇園、日枝(山王)、春日、入母屋、流造りなどに分類される。

また鳥居は其の他に両部、明神様式が多い。ともあれ、では何故其処に神社があるのか。と言う点になると多くは不詳
である。無論、寺社には由緒書きと言うものが有る。或いは創建年代がハッキリしている場合も有る。だが多くは特定
の建物の創建記録に過ぎないので、何のために誰が此処を特定する必要が有ったのか。

と言う点になれば、今となっては不明である(下記の「神社と寺」を参照)。此のため別紙の「神々の歳時記」では他社と
の繋がりを含めて、古墳からの暦・方位や縁日・ご祭神の整合性を見て一々謎解きした。

神社合祀令・・・・・・明治39/12月、1町村1社を原則に統廃合を行うとする法令。同年以来、内務省は荒廃した小祠
や淫祠を廃止・統合して、国家の祭祀として神社の尊厳を高める為、また地方行政の合理化のために数年間掛けて神
社の整理事業を行いました。

一方で、地域の氏神信仰に大きな打撃を与える、などの理由で反対意見も多く出され、民俗学者・南方熊楠は「日本及
び日本人」等で、十年間にわたって反対運動を行いました。広大な面積の鎮守の森を失った事も弊害の1つだったと言
えます。

其の為、神社が保有する森林を材木とし財源とすることが1つの狙いであったと言われるようにもなりました(以上、高
鴨神社の「神ながらの道」H18/7/1号より引用)。また06/11/14の朝日で下鴨神社の新木宮司は下記の様に語った。
明治新政府は神社や寺の土地を取り上げ、払い下げて税金を取る政策をやった。

後になると、今度は村の神社を合併して、跡地を耕して増産しようと言う政策もやった。此れに反対したのが南方熊楠
先生でした(中略)。更に・・・終戦で、代々神社の家の私の家には石が投げられ、私も地元の学校に行けなくなり、大
阪の親類を頼って転校しました。糺の森の木は薪にされ、・・・(以下省略)。

神社数・・・・・・平安初期の神社数は延喜式神名帳によれば全国で2861社(3132座)、及び六国史にも391社ある
ので3252社が記録として残っているが、無論それ以外もあった。式内社に組み込まれる事を忌避した所もあったので
す。ともあれ平安時代の里村数が12000以上あったので、其れと略同数の神社があったと見られる。

其れが明治末年の合祀以前の数では19.3万社となり、合祀によって減りながら終戦まで国家管理されていた神社数
が106137社でした。昭和40年現在、神社本庁に所属する神社数は78,565社である。ただ、此れに属さない神社も多
いので八万社以上はあるだろう。因みに全国のコンビニ店数は4万軒を越える(04年現在41500店とか)。

神社祭式・・・・・・今の其れは養老年間の神祇令に基づく「令義解」によるが、唐の律・令・礼に倣ったものであるか
ら和風を基本としたものとは言えない。例えば延喜式には年間19の祭礼を定めているが、其れを執行するためには
先ず暦法の問題から始まる。

つまり天文の観測、もしくは月並み祭りなどの様式(式次第)、及び神域の伽藍配置から建築様式に至るまで神社祭式
は広範囲に及ぶ筈であるが、其の具体的な規定が見られない。実際上明治まで使われたのは先の神祇令(養老)であ
るが、此れは行政手続法(及び税法)であるから祭式の中身とは言えない。

取りあえず今一般的に見られるのは鎌倉初期の白川・伯家、或いは室町末期の吉田神道流儀による祝詞主義であ
る。祝詞の中身があればそれでも良いが、此れは仏教の紋切り型の長いお経に対抗して作った臨時的な短い作文の
ようなものであるから此れが祭式の主体であるとは考えにくい。

日本は古来「作文」ではなくて和歌を奉ったので有る。その他として地方に色濃く残るのが密教(神仏習合)流である。
仏教が神道に大きな影響を残したが、それ以外にも日本神道には道教、儒教が大きく関わって来た。そうした中、日本
の和式を伝えるものとしては暦法が壊滅した中で、例外的に神域の配置が方位に印された所は名残をとどめた。

其れに神社建築様式も和風を留めてくれた。だが例えば「邦楽」と言っても楽器は全て唐様であり、舞楽も唐風か朝鮮
式である。このように本当の神社祭式が名残を留めていないので、更に古い古代祭祀を論うのは中々難しい(玉串を
参照)。

神社と寺・・・・・・日本には元から神社と言う所があった訳ではなく、其れに近い存在が多数あった。それに対して
寺は無論、仏教渡来以後の歴史しかない。寺社のある所は元々は山か墳墓であり、よって山号を冠して呼ぶ。例えば
前方後円墳の場合は、後円部には首長、そして前方部には女性が葬られていた。

つまり首長の弔いは男子が外から行い、此れを祭り事、即ち政と言うようになって行く。其れに対して首長の御魂を迎
えるのが女性の役割だったと推測できますし、宮事と言えば、何となく女性的な響きです。大陸の仏僧は出家した男子
だけであったのに、日本と朝鮮には尼僧がいたのもそうした事からです。

ともあれ日本は長い間、神社と寺が男子と女子とで一対の関係で神仏習合の時代を続けた。とは言うものの、神社の
実体はなく、寺の鎮守と言う小さな祠か鳥居程度の施設で事足りていた。重要な点は壮大な施設ではなく、祭事・行事
を継続できる組織や場があったと言う事です(前記の「神社」を参照)。

其れに対して寺には古墳や廟があり、菩提を弔う墓守りとしての主務があり、其の上僧兵を抱えて、戦乱の際には城
の出先機関として働いて、何処も前線基地となっていた事から戦乱が始まれば真っ先に攻撃されたため度々消失した
歴史を持つ。

だから江戸時代になっても「寺請制度」の元でお役所をして来た経緯も有って、今も一般人の上に立つような傲慢な態
度が見られる。また寺は商売も旨い。例えば檀家に死者が有る度、戒名料や法事で稼ぐので古来、「坊主丸儲け」と陰
口を叩かれて来たが、今も寺は例外的に不景気知らずです。

まぁ、堂塔伽藍などの施設が多いから管理も大変なのだろうが、税法の特典を受けながら檀家には頭割りで寄付を割
り当て、其の上、文化財保護の名の下に補助金を食いながら平気で拝観料を取るし、そのためにまた門限を置き、勝
手に決めた時間で閉鎖するので極めて「お役所的」である。

だが其れに対して、神社は原則として24時間オープンなので有り難い。しかも、無料であるから自ずと両者の違いが
分ろうと言うものである。しかし多少問題があっても、何れも見えない神仏の世界を、人々の目に見える形で教え導く点
に於いて、寺社は他の何よりも精神性の豊かな場であり、文化面でも第一の重要な存在と見て良い。

神職・・・・・・神職の役割(存在意義)については一般的な合意として「神との仲立ち者」と認識されている。だが仲
立ちとか取次ぎはそう簡単な行為ではない。神社庁の祭式儀礼に則って一方的に祓いとかネギ事をしても、其の「返
り」が見られなければ交信・交換を果たしたとは言えないからだ。

其れをもし「果たした」と言うならば、何らかの反応がある筈だが其れがなければ仲立ちとは言えない。例えば祓った後
に病気が治ったとか、亡くした財布が戻って来れば有り難いが、山なら山彦が反って来るのに対して、神職の祝詞の後
には山彦もなく、或いは神からの御答えがあったと言う話さえ聞いた事がない。

であれば制度的・形式的・事務的に祭式をしていると見られる。取次ぎのモノザネは神職者ではなくて御神体などの「依
り代」であり、またヨリマシとなるのは血流の筋目の人であって、其れから外れた人は例え神職者であってもヨリマシで
はない。其れに「取次ぎ所」となるのは神職者ではなくて本殿と鳥居など、方位の接点にあるものです。

従って誰かが「仲立ち・取次ぎ」を行うと言うのは無理が有ります。でも今の世の中はモノカネ主義ですからそんな事よ
りも建物や組織の管理業務をしっかりやれ!と言われよう。神社の禰宜は教団の教師でも宣教師でもないので信者を
増やす事も期待されていない。ただ決まり切った祭式を執行する者として存在する。

権威も権限も曖昧なまま神社全般の祭式、交渉、会計事務から雑務まで一人でこなすしかないのです。其の上、神主
や宮司と言われても其の多くが自治会などから指名された言わばお雇いのサラリーマンなので、昔も今も神ごとよりも
「宮仕え」のほうが中々気苦労が大変なのでしょう。

身障者・・・・・・「障害者」に別記。

人生 1・・・・・・人生色々です。それぞれの因果と能力により、或は境遇や環境によって千差万別の人生を歩みま
す。何が正しく何が間違いと言う訳ではなくて各々に涙や花実があります。花も実もある人生とは言っても、何時が花だ
ったか分からない内に中年になる。

ミカンの木ならば毎年花と実を稔らせるし他の雑木でも40年もすれば立派な樹形になります。其の点で人は木より立派
な形になっていると何人が言えるだろうか。40から50歳代は働き盛りとは言うものの、人生半ばに至ればもう峠であ
る。還暦を迎えたら祝っても良いが、人生の結実として締めくくりを考える時期である。

他家の葬式に参列する機会も増えて来ますので、自分の死後も考えて置くべきでしょう。死ぬ気がなくても人は必ず死
ぬのですから、死に際に喩え「突然なので何も準備してなかった」と言ったとしても言い訳にしかなりません。

人生 2・・・・・・NHKTVでは毎度繰り返し「動物はセックスの為に生きて子孫を増やし続ける」・・・と「進化論」的解
説の番組を垂れ流して来た。人々の人生も其れと一緒であるかのように何も知らない小中学生にも刷り込んで来た。
人生の目的がセックスと子孫を残すためだと言うのはNHKの考えであるようだが、事実は違う。

1万年の先人の歴史の中で、今のような軽薄な観念は一切見られなかった。現実の動物たちも人々の暮らしも、セック
スのためだけに毎日暮らしている訳ではない。

其れを無理に歪めて注入するのは動物・生物学者の個人的な歪んだ観念か、もしくは何らかの目的を持って行うケー
ス、或いは日本人を骨抜きにしようとする某国の手先に彼らが身売りしている訳である(「3S政策」を参照)。

人生 3・・・・・・色んな人がいるけれど、人間も一皮剥けば誰だって肉の塊ですから美人もヘチマもない。ともあれ人
は毎日食べては古い皮質を捨て去っています。つまり緩やかな脱皮を繰り返して新たな日々を生きているとも言える。
では脱ぎ捨てた皮はもう何の意味もないのかと言えばそうではない。

人の目には見えなくても入れ替わり立ち代り積み重なっているのが父母の存在や先祖となって人の目には見えない霊
的な根っこの部分を支えているのです(「カラダ」、「ミソフ神」を参照)。

人生 4・・・・・・歴史が繰り返すように、人の人生もまた先祖と自分の因果律で繰り返すものです。従って其処には
偶然は無く、必然として結果に現れる。人は誰も、一生の間に、三度の試練があると言われる。

其れを仕組むのも先祖の愛であり、其の試練を突然の苦難と受け止めるか、逆にチャンス到来と見て活かすかはご本
人次第、つまり心掛けであるが人は此れを「運」とも言う。人は各々幾つかのテーマを果たすように仕組まれていて、其
れを果たして死ぬものです。

其れを生命と言い、或いは「命」とも使命とも言う。ただ其れを先憂後楽とするか、或いは其の逆とするか、の時期や方
法・程度は個人の都合により進み、或いは自業自得とするのも本人の自由選択に委ゆだねられているものです。
さて人生は短い。生後、老後と永いようで実は死後の期間よりも短い。

「死後はない」と思うのが今の人の解釈ですが、其れが「ない」のを実際に確かめる方式がない以上、「死後がない」と
信ずるには足りない(「苦」、「死後」を参照)。どうぞ短いこの世を大切に暮らしてより深く味わって下さい。

人生 5・・・・・・どうすれば生き甲斐の有る人生を味わえるだろうか。人生を楽しむ為には少しは苦しみも味わう必
要が有ります。例えば此の冬の寒さに耐えた後に、春を知り、やがて夏や秋をより深く楽しむ事が出来ます。其れをせ
ず、年中温室のような、エアコン生活を続けてしまえば、全く飼い殺しの人生でハリがなくなるでしょう。

其処で神々(先祖たち)は、各人に四季の天候の様な節目を公平に与えた。誰にも春が来て夏が来て、次には秋冬と
四季が「五風十雨」の天気として巡るように様々な設定をした。だから年齢・年月によって其の現象を彩のある晴・雨・
風として見せるのです。

或は人生を味わうには歴史を知る事です。例えば今の人達は自分の為に戦っていますが、戦前は国の為に働きまし
た。硫黄島でも多くの若者たちが玉砕して逝きました。其のお陰で今の日本が有ると思えば感謝できる。自分だけが楽
しもうとすれば他人を犠牲にしますが、感謝は人間に優れたエネルギーを与えるでしょう。

人生観1・・・・・・人は一生真面目に暮せば無名で終わるし、仮に人殺しなどすれば殺人犯として処断されます。其
の点、信長、秀吉、家康などは何万人もの人を殺し、土地まで奪った言わば大悪人です。にも拘わらず英雄になった。
此の差は一体何なのでしょう。或いは米国は日本に対して原爆を投下して其の効果を試した。

其れを投下した人間は日本の非戦闘員の10万人以上を虐殺した悪魔である。でも彼らは米国では英雄か科学者とし
て栄誉を受けた筈であり、処罰されて電気椅子に掛けられたと言う話は聞けなかった。欧米型キリスト教はこの点で悪
魔教である。或いは戦争だから仕方がないとか、命令だからとか、仕事であれば人殺しも正当化されるのか。

人は何れ死ぬのだから、其の期間を誰かが少々短くした程度なら、どうと言う事はないと言うのでしょうか。其れとも、
人はその場の理屈さえ通れば、何をやっても構わない(許される)と言うのでしょうか。そうすると彼の犠牲になる大多
数の人たちの生きる意味は何だったのでしょう。神も仏もないのでしょうか。

真面目に一生懸命勉強して進学・資格・就職試験に合格しても、其の過程で例えば交通事故で死亡した場合は、彼の
人生は勉強して事故に遭うためだったのでしょうか。こう言う風に考えると、後にも先にも進めなくなり、「人生不可解」と
言う壁に至ります。禅の公案に己事究明があり、釈迦も「人生は苦だ」と言った(「苦」を参照)。

真言と禅は「有無の対比」が見られる。有だけでも「無」だけでも真実の一面しか分からないが、有によって「無」の存在
を知り、無となって初めて「有」の有り難さが分かる。人生は要するに体験です。知で味わい楽しめば良い(06/2/
12NHK教育TVより一部引用)。

人生観2・・・・・・人により時代により価値観も人生観も違って来ます。その人の出生・性別・環境・職歴・恋愛経験
など・・・ 或いは時代背景によっても大きく違います。例えば昔は「花は桜木、人は武士」と言ったように、散り際の潔さ
を称えた。武者小路実篤も、「人は自分のために生きていると思うとつまらない」と言った。

けれども現代社会では心よりも「体を大事に」と言うのが挨拶の決まり文句であるように、肉体主義と化しています。従
って、「使命」よりも「人命尊重」指向ですから長寿が人生の勝者としてのバロメーターになっている(「死生観」、死に
花」、「蘇り」を参照)。でも此れではどうかと思います。

先ず其の外見から見ても例えば梅でも桜でも幼木の内から毎年の春になると花を咲かせて夏には結実します。彼らは
自分だけではなくて、同時に鳥や虫も育てながら数十年後には成木となり、見事な樹形や紅葉を見せます。其れに比
べて人はどれほど周囲を育て、或いは花を咲かせ、或いは定年頃に其の樹形をどのようにしているだろうか。

喜寿、米寿を祝う時に、母親はそれなりの花も実も見せる。けれども男は、「花も実もある」人生50年を務めた会社で
大木として見せられるだろうか。

人生観3・・・・・・人生とは「上り坂、下り坂、マサカ」を超えてゆくもの(06/2/26、TV大阪の「なんも鑑定団」で)。

人生観4・・・・・・広い宇宙も狭い世間も、歳月や四季の巡りも他人との出会いや腐れ縁も全て貴方のために用意さ
れた舞台装置です。日月も星も、貴方が今輝くために何万年も掛けて神や先祖が用意した背景であり、BGM(バック
音楽)かも知れません。とすれば其れを大いに喜び、楽しんで味わって見て下さい。

其れに気が付かない内は、悲観して泣く事もあるでしょうが、泣き疲れた時には大きな愛に包まれている事に気が付く
でしょう。雲や木を見て下さい。彼らもまた貴方の一生を見守り、或いは通り過ぎて行く仲間たちです。一人でも生きら
れます。だから諦めないで下さい(「カラダ」を参照)。

人生観5・・・・・・人間はお互いが支えあうものだと言う人が多い。そう言う人が他人に奉仕し支えているのを確認で
きれば問題がないが、実際は無理だ。そう言う人たちの実態は寧ろ吸血鬼のように血を吸う人たちである。人は万物と
関わりあう存在であり、人生とは其の実体験や道程である。虎は人と関わりなく死んでも皮を残す。

木は自ら生きて人に綺麗な空気と水を齎し、人に伐られてなお人の家となる。其れに比べて人は一体何を残すのか。
何も残さず、何にも奉仕せず彼らに感謝さえ出来ないとすれば譬え一時の栄華を極めようとも貧しい人生である。人は
一人でも生きて行ける。感謝があれば役所や他人にもゼニカネにも依存しなくて良い。此の自立に輝きがある。

人生観6・・・・・・平凡な人生、後悔し、懺悔する人生、波乱万丈の人生・・・・・色々あるが、「あぁいい人生だった、思
い残す事はない」、と死に際に言える人生が最高です(06/6/7の民放ラジオから)。譬え苦難の人生であっても、臨終
の時の心持一つで「終わり良ければ全て良し」に反転します。


神前結婚・・・・・・・「挙式」を参照。

心臓移植・・・・・・インドの釈迦の時代にダキニ天(鬼子母神)の逸話として語り継がれて来た通り、「腑分け」は昔
から行われて来た。今も同様な事が脚光を浴びようとしているのが臓器ビジネスである。此れは失敗続きの医療ビジ
ネスの最後の賭けとして脳死判定とか臓器移植が期待されているが成功例がどれだけあるのか。

心臓移植の場合、公式には国内で27例で、其の内、患者の死亡は2件(05/3/22)。それ以外に闇移植も横行してい
る。ともあれ公式の移植例が少ないのは、自分が助かりたいために他人の死を待つ心臓病患者やビジネス医療機関
が多いのに対して、そうしたエゴに協力する提供者(ドナー)が少ないためである。

と言う訳でこの程、05/4月から「臓器移植法」の改正案で「脳死は人の死」と医師が判断できるようになる。「脳死」とさ
れた時点で、以後は人工呼吸器も外されて保険の適用もなくなる。此れが成立すれば目出度く、人が生きていても、ま
た遺族が同意しなくても、また子供であっても医師は自由に料理出来る訳だ。

しかし、死を決するのは本人でも親族の判断でもないとすれば問題です。其れが医師の独占・独断によって一律に、或
いは闇から闇へと処理されるのが「人命尊重」とか進歩と言えるのだろうか。交通事故にあって救急車で運ばれたらオ
ワリとなるのです。

其の一方では、今までと同じ顔をして中身が他人の臓器に入れ替えた不気味な人たちが毎年1万人以上も増えるとす
れば、此れが「明るい未来」と言えますか。

●神代(ジンダイ)文字・・・・・・・・一般常識では「神代文字はない」と決め付けているが、此処では異説を述べて反論
をしておく。古の文字は、漢字やギリシャ語でも日本の神代文字から派生したものである。原初の文字はホツマ文字の
ように神との交信、もしくは天象を記し、或いは其の祭り事を指事するためのヒジリ文字でした。

此れは祭りの為の方位・暦法と言った公務が第一義であり、庶民の暮らしや雑事よりも重要性があったからです。無論
その後に象形文字も出来たが、ヒジリ文字は文字の煩雑さと複雑化を避けて矢印のような簡単明瞭なものとしていた。
紙ではなく、土器や竹木簡に文字を記すためでもあった。

よって例えば祭りの場については囲・田で示し、其れを簡略化して「+」と書き、此れを「結ぶ」意味とした。所がシナで
は甲骨の占いから文字とし、或いは先の田の字のマス形の中に各種の神代文字を複雑に組み合わせて漢字に発展さ
せたものの、複雑怪奇で収拾の付かないものとしたのです。因みに漢字との関係について下記に引用すれば、・・・・・

聖徳太子16歳の時、神代文字が数種類もある事に気付き、貢として渡来した秦字、即ち漢字が整いたるに眼を注ぎ、
父君用命天皇に言上、漢字の一万三千字を以て音訓に分け国字とされ、宗徳経、神教経を認められたとあります。

その時の記文(しるしぶみ)は、論語の左側に神代文字を以て、呂無五(ろむご)、右側には漢字で、阿解途羅比加多
留古登葉(あげつらひかたることば)と訓(よみ)を付けたとあり舊事本紀の編纂に当たっては、神代文字は全く使用さ
れてはおりません。それ故に、舊事本紀を以ては神代文字を知るべくもありません。

聖徳太子が十六才の砌,皇紀千二百四十七年,西紀は五百八十七年に神代文字は廃止され、それ以来わが国では
漢字を国字とし今日に及んでいます。我々がこのように容易に読み書きが出来るのは、まさに聖徳太子の英断による
もので、太子こそ日本の文学の開祖とも言うべき人であると思っています。

 以上、http://www.shonanfujisawa.com/~kujiki/hiroba.html「先代舊事本紀研究学会」宮代勢一氏の記事から引用。
 
神道(古説)・・・・・・・わが国の道、神道は天照大神に仕えた天思兼命(あめのおもいかねのみこと)、天太魂命(あめのふと
だまのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)によって記録された道であったが、皇室の即位の神事を掌握していた武夫
(もののふべ)=物部家が滅びると、天児屋根命の子孫、中臣御食子(なかとみのみけこ)が家に延々と伝わる宗源神道に、

天思兼命、天太魂命の霊宗神道、斉元神道を中臣鎌子(後の藤原鎌足)に掌握を命じ、今日に及び伝わり、皇室神事
が繰り返し行われているのである。仏教者は支那(中国)にその教理を学び、日本人に頻りに説教するが、日本の神
道は皇室の神事を司るに留まって、一般国民にその教えを垂れる事なく今日に及んでいる。

それ故に日本人は"皇室は尊ぶべし"、いわゆる年頭の皇居参拝、"神社は お詣いりすべし"、いわゆる初詣、神社の
年中行事のお祭り、いわゆる祭礼のみ心に享けて、神道理念の真髄を勉強する場もなければ、風習すら絶えてしまっ
ている。

聖徳太子は古来の日本の道、日本神道を「先代舊事本紀」という書物をもって後世に遺し給い、仏教を日本人に薦め
たのではなく、神道を知らしむるべく、五十年の生涯を貫かれたのである(「先代舊事本紀」舊事紀の広場http://www.
shonanfujisawa.com/~kujiki/hiroba.htmlより引用)。

また06/11/14の朝日で下鴨神社の新木宮司は次の様に語った。「自分よりも相手を思うのが神道の基本で、神社は
個人ではなくて共同体の宗教です。でも其処を利用され、国家神道になってしまった」(戦時中の事)。

神道(異説)・・・・・・・公式的・常識的な解説を省いて本来の意味を言う。神道とは王の道、即ち日本では祭り事の
ための斎場への葬送の道・参道(別項を参照)であり、其れが王家の掌る神道であった。もしくは日本古来の先祖祭り
の方式でした。それは暦(方位)を道にした方法ですから教会堂や経典主義による他の宗教とは異なる。

先ず暦・方位を実物の配置で示して、其の一定の暦方位の時期に其の方位の道を行き来する事、其れが「神道」でし
た。従って暦と道が基本であり、社舎はあってもなくても良かった。こうした神道の暦方重視は、永く伊勢神宮などが権
威があり、事実、江戸から明治期まで神宮暦として一手に頌布して来た事からも理解出来よう。

次は「道」の意味と性格である。この場合の道とは、普通は一般人の通る道でありながら、ある一定の時期には臨時に
神が通る道として、神幸、行幸、遷宮の行列などが通って祭りをする事でした。所で日本神道日本鉄道と書いた場
合、一字違いで良く似ています。つまり神道は鉄道と似ているが、鉄が通るのではなくて神が通る道でした。

神社と言う建物管理が主ではなくて、レールの上を一定の時期に行き来する行為に意味があった訳です。其の祭りの
準備のために、其の行事の段取りや作法や暦日の決め方など、祭りに関する教えや伝統的で組織的な民俗文化、並
びに神事・祭事・行事を纏めて歳時記、及び「神道」と言う言葉に集約したものです。

要するに神の通り道にお供しながら神にアエ(饗応)する事(行為)であり、其れを古人は人の意思ではなくて随神(惟
神・かんながら)とも言った。だが明治の「神仏分離」でその道も寺社もバラバラにされた事から現在はもう関係者がそ
の道を忘れて余り往来しなくなり、消滅した。

また戦前の皇国史観に反発して戦後は神道に対する抵抗が強まり、渡来史観によるイデオロギーが国民の意識を一
変させた。宗教の否定、政教分離が正義となったので、無宗教者が幅を利かせ、国民の総意として神社は無用とされ
る時代となった。神社の宗教文化遺産も宗教を否定した上で、美術品として鑑定する時代とした。

専らモノカネ主義による宝物や建物本位主義となった。宗教原理も文献には惟神(随神)、即ち神の道、「道の祭り」と
有ったとしても、もう其れがどんなものであったか知るすべもなくなった。今は直近の明治から国家神道となった事、もし
くは原典を記紀に置く神社を中心とする宗教と理解されている。

国家的、または民族的な基礎となる先祖祭祀を行う日本古来の信仰と理解されてはいるものの、実態は不明となった
為、外国の宗教に肩を並べて教祖・教義によるイデオロギー的教条主義を持つ所も出て来た。従って神道教義につい
ても曖昧となった。

このため神道の組織についても、戦後の神道指令によって国家から離れて神社庁に属する神社と、宗教団体としての
教派神道(13派)とに分かれた程度に理解されている。

従って元の意味よりも神社と言う施設を作って其処に居座り、官僚的な業務管理を主務と心得、もしくは古事記や日本
書紀を唯一の聖典とした教えを守る所と見ているかのようである。

だが神社は本来、個別の故事来歴を持つ部族・氏族の神であり、千差万別の神を多様に祭った所でした。其れを今に
なって一律に規格化した為に神社は何処も同じ顔の所となった。明治の宗教の国家管理によって統一した結果、其れ
まで一連の関係に有った寺社が悉く分断されて没個性化され、更に戦後は国家から切り離された。

ただ辛うじて参道だけが今に残されたので此れを「神道」として守る必要があります。何れにせよ下記の素性の故に今
は神社神道と教派神道とに分かれた。後者は殆どが神社となれなかった寺僧などの勢力が新興宗教団体としたもの
である。

ただ、古今の神道の理解や有り方に多少の問題があったとしても、時代を通じて貴い物事を今に伝えて来た功績があ
る事と、更には見えるものより「見えない神の存在」を人々の目に見える形で敬神崇祖の心を教え導く所として、寺や神
道は他の何よりも重要な人類の文化遺産として誇って良い。

神道(その後)・・・・・・・神道の本家は天皇家と思われているが其れは正しくない。例えば聖武天皇が仏徒となって以
来、歴代天皇は仏教徒になった。奈良方式が言わば神道として民間にも残ったが、天皇家は朝鮮系の桓武天皇が平
安京に遷都した。以来京都は、今も八百八寺と言われる通り、仏都として栄えた。

仁和寺も西本願寺も天皇や皇族が出家して門跡となった寺である。つまり天皇家は蘇我氏以来1300年以上、仏弟子
だった。明治に一時神道を国教として天皇が神格化されたが、其れは国学に儒教などを加えたり、唐風・公家風仏教
を神道にアレンジして国粋主義の皇国史観としたもの(天皇教)に過ぎなかった。

其の「天皇教」も敗戦により天皇家から分離された。天皇家は仏教徒から神道の元締めとなったのも束の間、敗戦後
は天皇皇后以下殆どがカトリック教徒になった。靖国神社の存在もカトリック教のバチカンは認めている。伊勢神宮以
下の神社神道もバチカンが認めている。

其の狙いは、天皇家をキリスト教に改宗させれば、全国の神社も日本人の全てもバチカンの支配下になる。要するに
フィリピンの様に米国式植民地になると期待し、舐められている訳です。天皇が僅かに国事行為を神式で行っているも
のの、其れは仕事としてであって信仰としてではない。神道は元々国民の側の伝統ある信教でした。

其処に有った太陽暦を奪って日本教の祭り事に介入したのが天皇家であり、今やっと其れが国民の側に戻ったと言え
るが変質した(下記の神道と仏教を参照)。

神道指令・・・・・・・米GHQ(占領軍)が昭和20年12/15日に「神道指令」として発したもの。米国は硫黄島や沖縄にお
ける日本軍の勇猛な戦闘ぶりに心底から恐怖の念を覚えた。其の精神の根底に「国家神道」があると考え、此れを抹
殺する為に発令したものだった。

こうしてGHQ関係者1000人と日本人の高給検閲官5000人を使って7年間にわたる徹底的な検閲で日本人の精神性を
根こそぎ無くす事に成功した。因みに此のときアメリカの犬(検閲官)となった方々は、その後、革新自治体の首長、大
会社の役員、ジャーナリスト、学術雑誌の編集長、大学教授に収まったが、何れも過去を隠した。

更に昭和20/12/31、連合軍は「修身、日本歴史、地理の授業停止」の指令を出し、学校の教科書の書き換えを命じ
た。更に日本の書物7700冊を接収して抹殺した。此れは中国史に悪名高い秦の始皇帝の「焚書坑儒」と同じである。

更に連合軍は、翌年5月に極東軍事裁判を開廷し、日本を侵略国・犯罪国家として断罪する、新しい「太平洋戦争史
観」を注入した。此れは裁判の体裁を採った手の込んだリンチ、復讐劇に他ならない。此れで米軍に向けるべき憎しみ
を旧日本の軍部に転嫁させる事に成功した。

この神道指令によって公文書には下記の用語が使用禁止となった。大東亜戦争、八紘一宇、大東亜共栄圏、神州日
本、大和魂、敵、紀元二千六百年、四海同胞、万邦帰一、大東亜の盟主、アジアは一つ、忠臣蔵、仇討ち・・・・・・此れ
により日本人は完全に「侵略戦争史観」に洗脳された。

事実はアベコベなのに・・・・(以上は「大東亜戦争の正体」より引用)。

神道と仏教・・・・・・・端的に言えば奈良と京都の関係になる。奈良は今の神道を支配し、京都が仏教を支配して
いる。一部に南都七大寺(別項参照)の事跡から奈良仏教と言う概念も有ったが今はローカルに過ぎない。京都は叡
山(天台宗)以来、天皇が引退して門跡となった寺が多かったので、今も八百八寺と言われる通り仏都として栄えた。

このため大本山が軒を連ねています。例えば東寺(真言宗)、仁和寺(真言宗)、知積院(真言宗)、泉湧寺(真言宗)、
大覚寺(真言宗)、勧修寺(真言宗)、醍醐寺(真言宗)、随心院(真言宗)、東西の本願寺(浄土真宗)、仏光寺(浄土真
宗)、永観堂・禅林寺(浄土宗)、光明寺(浄土宗)、金戒光明寺(浄土宗)、知恩院(浄土宗)、・・・

知恩寺(浄土宗)、誓願寺(浄土宗)、相国寺(臨済宗)、建仁寺(臨済宗)、大徳寺(臨済宗)、天竜寺(臨済宗)、東福
寺(臨済宗)、南禅寺(臨済宗)、妙心寺(臨済宗)、万福寺(黄檗宗)、本能寺(法華宗)、妙満寺(法華宗)、清水寺(北
法相宗)、聖護院(修験道)、要法寺(日蓮本宗)、廬山寺(円浄宗)・・・・等の総本山が集まっている。

其れに対して大和(奈良)は南都七大寺(別項参照)など仏教の先進地でした。今も東大寺(華厳宗)、興福寺(法相
宗)、元興寺(華厳宗)、大安寺(真言宗)、薬師寺(法相宗)、西大寺(真言律宗)、法隆寺(もと法相宗)などの外、唐招
提寺(律宗)など古刹も健在であるが京都の寺ほど末寺がなくなったので言わば単立となり組織(資金)力が無い。

こうなったのは、天皇が平安京に遷ってしまった為である。以来、京都と叡山(天台宗)が栄えて奈良は衰退した。だが
南都には、南都六宗が有った。六宗とは三輪、成美、法相、倶舎、律、華厳の仏教宗派である。其の奈良仏教は衰退
したが、例えば興福寺(法相宗)が春日大社として現代の神道の主流として残った部分が多い。

幕末まで藤原系の談山神社(天台妙楽寺)が権力を持ったが、今も多数の末社を抱えるのは寺ではなくて春日系1300
社の春日大社(興福寺)である。また出雲の神の大神神社(三輪寺・平等寺)、そして物部氏の石上神宮(永久寺・龍福
寺)、或は天武以来の農業に纏わる風神と水神としての龍田大社、広瀬大社がある。

其れに水神としての丹生川上神社や新設・吉野神宮もある。他方、修験道の天河弁天などの名社もあり、そして神武
縁りの新設・橿原神宮、或は近代の天理教、五条の弁天宗など新興宗教も出。ている。出るには下地が有ったからで
す。神武以来、歴代天皇家の故郷は奈良であり、神道の本家である伊勢神宮の旧跡も奈良であった。

だから神道が国民大衆によって守り残されたのだろう。今も天皇家は日本教の宗家でも天皇教や神道でもなくてクエー
カー教などカトリック教に懐柔されて其の支配下にある。神社庁以下、唯一神明の伊勢式全国の神社も仏教系で統一
され、もしくは天皇教に自己陶酔している。

神道の素性・・・・・・・神道とは一言で言えば参道に尽きる(参道を参照)。だが今は曖昧になっているので一通り
の素性を述べる。昔から日本の宗教は永く神仏習合(下記)の形を採って来た。つまり神社と寺とは一心同体でした。

だが幕末の廃仏毀釈の流れの中で、「寺よりも神社とした方が都合が良い」と考えて選んだ所が明治に神社の看板に
架け替えた訳であり、従って以後の神官も禰宜も出自は僧都であって、昔からの神主などは極く希である。だから由緒
書きに譬え「奈良時代」とあったとしても、其れは眉唾である。

其れは寺を創建したとか、建物の由緒を学者が調べて彼らなりの判断で解釈をしたに過ぎないものであるからだ。言う
までもなく神社の歴史は寺の建物よりもずっと古代に遡る所が多い。しかも神社の経典とするものは記紀であるが、こ
れにしても、其れは神社に代々伝わっていたものではなくて寺に有ったものだ。

真福寺本や四天王寺など幾多の寺僧が写して寺院に伝えて来たものだから皮肉であり矛盾です。或いは「延喜式」と
言う神社の格付けにしても、其れは天野・金剛寺本などによるものです。何れにせよ、今の神道の実態は日本古来の
由緒を知らず、神の道ともズレて、寧ろ仏教に近い。だからと言って「新興宗教の方が正しい」と言う事ではない。

此処こそもっと根も葉もなく、訳の分からない所も多い事は、「オウム真理教」を例に出すまでもなかろう。

神託・・・・・・神から委託された事。普通は神懸りの言葉として「神のお告げ」等と言う。不思議にも日本は神の国で
あるが神託の事例は少ない。いや有ったとしても其れを利用する事が少なかった。太陽の国は神託を必要としなかっ
たのであろう。それが時代と共に利用された。其の例が神功皇后のケースとか道鏡事件である。

世界が薄明かりの黄泉の時代になるに従って西欧では王権神授説がローマ皇帝の権威に利用されるに至る。由来と
して古いのはデルフォイの神託によってギリシャがペルシャ戦争に勝ったと言う伝説がある。以来こうしたシャーマンが
世界各地で活躍して新王を追認し、或いは新たな信仰を形成して行った。

確かにデルフォイからは膨大な遺跡が発掘され、世界最古の楽譜も19cになって発掘された。其れはしかし神託では
なくてアポロン賛歌であった。

▲信託・・・・・・

シンデレラ・・・・・・「死んでれら」ではなくシンデレラ姫。原典は9cのシナにあるらしい(06/6/22NHK教育TVで詩人・
アーサー・ビナード氏)。確かにシンデレラは靴がキーポイントですが纏足の風習はシナですからね。


振動・・・・・・物質には固有の振動があります。見かけ上では物質に見えても其れを微視的に観察すれば原子や分
子が細かく振動している事が分かる。つまり形あるものは波の塊とも言える。因みに般若心経の「色即是空」と言うの
も、この世が振動で彩られている事を説いたものと解釈する事も出来ます。

電子顕微鏡で鉱物を見ても原子が振動して物質を構成している事が分かります。鉱物以外でも例えば光も粒子ではな
くて振動波である。或いは原子核を繋ぐ中間子の場合、毎秒凡そ3兆回振動している。其れを筑波大の国際チームが
捉えた(06/4/14朝日新聞)。これでやっと般若心経の説いた意味が世間に理解されるかも知れない。

また振動波で音波を出すのが弦楽器です。例えばギターの振動数は略60〜350hzですから、其のギターに対して低周
波発信器で83Hzを与えるとギターが勝手に唸り出す。此れは弦に固有振動があるから共振・共鳴現象を見せる訳で
す。固有の基本振動波は、其の整数倍で波が重なる。

ギターの基本振動数が60hzとすれば、其の整数倍で定常波が出来ます。入射波と反射波が重なって波が増幅したり
或いは節となり、波に山と谷が出来て、定常波と言われる形になります(05/7/22のNHK教育TVより一部引用、
「地震波」を参照)。

波動の山と谷のピークとピークの間隔(節と節の長さ)を波長と言いますが、定常波は発射と反射を繰り返す関係なの
で進行はしない。発射の時に入射波と重なり合って一部消滅・合成・増幅作用をします。弦の長さと波の伝わる速さで
音が決まる。弦の太さや張り具合で音程が変わります(06/7/21のNHK教育TVより引用)。

言うまでもない事ですが、言葉や音楽も音波と言う振動です。そして雲もまた振動しています(雨乞いを参照)。また例
えばメッシュ#100(番)の紙やすり(サンドペーパー)で鉛筆を削る場合に、鉛筆を1秒間擦りつけたら100/ヘルツs
の振動数の音波を聞く事になります。

因みに「飛行機が何故飛ぶのか」と言うと、普通は「揚力」と考えられているが、ホントの事は今の科学では分からな
い。実は此の振動波が飛行の原理である。

神仏習合・・・・・・・昔は神社と寺とが別々ではなくて一体化していた。例えば今でも奈良の春日大社と興福寺とは
其の名残を留めています。藤原氏の祖神・天児屋根命を東西一体化の場で律令国家として祭る所でした。また各家庭
では昭和の時代まで、日本の家屋には仏壇と神棚が仲良く共存していた。

神仏を殊更区別せずに理屈ぬきに一対の関係として祀るのが日本の慣習でした。このような日本の宗教形態には永
い神仏習合の歴史があるが、事の発端は、物部氏と蘇我氏が排仏と崇佛で対立した事にある。

其れまでの日本では宗教らしいものがなかった訳では無論ない。自分の住居を墓地とし、或いは墓地や古墳の前後で
一定の時期に弔いと日迎えと言う正反対の厳格な宗教行事を続けるために暮らして来た訳です(家を参照)。其の基
盤の上に、更に忌部氏や中臣氏と言う、祭祀を司る専門的な職制が決まっていた。

にも拘わらず、仏教渡来によって、鎮魂は仏教寺院で行い、其れとは逆の祭りは宮で行う形で妥協し合い、分限し両立
を図ったのが神仏習合でした。其れを推し進めたのが道鏡(物部氏)である。彼は仏弟子となった聖武天皇亡き後、孝
謙天皇の下で東大寺、西大寺、そして全国に国分寺と国分尼寺を作った。

此処に於いて神仏習合を完成させたものと推測できる。とすれば全国の寺社にとって彼は大恩人である。だが称徳天
皇の崩御後に道鏡が不在となるや大事件として騒いで道鏡の名を一切封じてしまった。だから何も分からなくした。例
えば神仏習合の原理として今は「本地垂迹説」と言う観念で語られるが、此れも錯誤や誤解の上で解説されている。

此れではまるで、「日本の神がやがて仏に進化する」ように説かれているからです。日本の古宗教はそうではなく、先祖
が死去してあの世に逝った所が本地であり、其処に子孫が居つく場合を公的に認めた所を本貫・本願地と言った。其
れに対して、先祖が別の時期にその本地に神、または荒神・権現として蘇る事を垂迹と言ったのである。

何れにせよ大化の改新以後の日本各地には壮麗な寺院建築が流行り出し、中世になると寺社は、壮大な伽藍を造
り、しかも荘園経営で維持発展させた。其の方が巨大な墳墓を造るよりも安上がりであり、しかも箱物のほうが立派に
見えたからだ。

こうした寺社領主・首領の質実の低下から、源平、戦国乱世の時代になるに及び、領主は野盗を、寺社は僧兵を雇
い、各地に関所を作って荘園領主として人民に君臨して過酷な徴税を課し、或いは藩主の前線基地としての役割をも
寺社に担わせた。

其の結果として信長の叡山焼き討ちを見るまでもなく真っ先に焼かれた所も多いが、寺は其の都度、何度も建て替え
て壮麗な伽藍を焼け太りで復活整備し、また幕末までは寺請け制度でお役所としての機能も担った。其の過程で鬼と
神、仏事と祭り、寺と宮と言う一連の相対関係性が忘れられて、平凡な浄土観念と地獄極楽思想で人民を脅した。

或いは寺社は士農工商の埒外としての高みにいて階級的・宗教的差別観念を作ったり脅迫的徴税で苦しめた所も多
い。無論其の反動が大きくなった結果として、幕末には廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた。此れで多くの寺院が危急存亡の
時代を迎えた訳である(次項に続く)。

神仏分離・・・・・・・どうして明治時代にお寺と神社を分けたのか?---http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/
question_detail/q1111212526「ヤフー知恵袋」---回答:日本は神仏が並立する国でした。人はやがて死にますので、
神だけでは解決できないからです。

神仏習合の形は仏教渡来以前からでしたが、ハッキリとした形になった発端は東大寺の大仏建立の頃です。其れまで
も日本は神仏の元で、天皇による祭政一致でしたが、聖武天皇は、日本を理想の仏国土にしようとしました。天皇も仏
弟子として仏教の下で出家したり院政を採りました。

よって寺の中に宮が有り、また神社の中に神宮寺があるのが当たり前でした。伊勢神宮にも神宮寺があった。だが幕
末には「お伊勢参り」が人気爆発。皇国史観が台頭して廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、明治維新に進みました。

其れまでは幕府が寺を支援して来たので、新政府は神社を軸にしようとしました。例えば新政府は神仏判然令によって
寺社の別を明確にしようとした。寺を潰し、神社も合祀によって整理しました。こうして凡そ800年続いた伝統文化をバラ
バラに解体し、精神文化を破壊する結果になりました。---以上、回答分から引用した。

日本は1000年以上の永きにわたって神仏混淆(神仏習合)の時代を続けて来た。その祭事については「神々の歳時
記」で一々実証している通り、寺は死者を弔う鎮魂の場、其れに対して神社では同じ死者の御魂を「神霊」(荒御魂)
して迎える祭りの場として共に両立して来た訳です。

所が明治政府は元年3/17〜4/24日に12件の「神仏分離令」(神仏判然の令)を発した。此れは徳川が重視して来た
祭政一致の仏教政策を新政権が否定する狙いであって、仏教そのものを廃絶しようとするものではなかったが、何れ
にせよ寺社を分離し、神社から仏教色を一掃した。

天皇家は仏弟子・門跡から一転して神社の総元締めとして返り咲いたが、此れで日本の宗教は何が何だか分からなく
なった。此れを機に本来一対関係にあった寺社や祭りも此れでバラバラにして、改暦の弊害もあって事実上、日本の
宗教は分断され、歴史や精神文化は半身不随となった。

幕藩体制では寺請制度が続いて来たので、寺僧が言わば役人・公務員だったが、明治になると立場が逆転して神主
が神官と言う公務員になった。此の為、寺の多くが文明開化の「時流」に乗っかって寺の看板を外し、「宗旨替え」して
目出度く「神社」として生まれ変わる事で、整理されず助かった所も多い。

其れまでは坊主であった僧達が序に国家神道を国教とした帝国の公務員、即ち「神官」として召抱えられ、再就職とな
った例が多い訳だ。幕藩時代の反動として寺院潰しが横行した結果、例えば十津川村は明治の神仏分離で寺を一箇
所もなくして、村民は全て神道一色に変わった。でも此れは「進化」ではなくて単なる「宗旨替え」と言う変貌である。

新興国家の政策(祭り事)が、宗派寺院の「宗旨替え」以上の実は霊的裏切り行為をした事になります。だから今も神
社はしんどい。神社になってしまえば、其れを支える基盤となる檀家がなくなるからだ。

こうして寺が神仏分離の荒波を被った結果、宮となったものの、旧村落単位に檀家を氏子として仕組み直して、以後は
地区組織に頼るようになった所も有ろう。其れは良いが、其れに伴って架空の神を祭る所にした所が多い。

俄か神社は本来の祭神を不明にした。本質が寺院で、宮司が実は坊主だった大部分の神社が正式な神社となり、或
いはアウトローが教派神道と言う新興宗教団体に結集したものの、やがて日本神道の関係機関は、今や結婚式も初
宮参りも少なく厳しい時代を迎えている。何故なら其の素性から神事を知らない階層であるからだ。

単に寺院の世襲体制に乗っかって今も神主を務めている所も実は多いため、神も仏も判然とせず、更に正しい暦でさ
え知らない神職たちは教条的な教えを垂れる戒律的精神主義、もしくは不思議や奇蹟を売る御利益主義の新興宗教
的な場と変え、或いは組織・建物管理業が主務と勘違いする所も増えた。

従って其れに忙殺されてしまえば、当然ながら神事・行事は従となる。しかも敗戦の憂き目として、また立場は逆転し
て、其れまで政府の作った皇国史観を刷り込んで神風的戦争に駆り立てた軍人や神社を、敗戦の後の国民が反動的
に敵対・反感・敵視するように変わったからである。いやバチカンの狙いに嵌められた。

天皇家が寺や神社の元締めから切り離されてカトリックの信徒となったからです。其の点、寺は曲がりなりにも檀家回
りで先祖祭祀を継続して来たので、喩え「堕落」と言われようとも安泰だ。喩え「葬式観光仏教」と批判されようと、また
単に読経を売る「坊主丸儲け」と陰口を叩かれようと、しかも境内が薄汚かろうとも此処は安泰。

しかも今は、文化財保護の恩恵で建物も次々新品になった。のみならず高齢化社会で死亡者が増える一方だから有り
難く、毎晩歓楽街で騒いでいても楽に暮らして行けるのである。この様な反転逆転劇もまた飛鳥時代の排仏と崇佛の
因縁の葛藤の繰り返しなのだろうか。いやそうではない。

神社の復権には先ず古い参道に合わせて祭日を見直し、祭りをより厳格に行う事である。

新聞・・・・・・かわら版。ニュースペーパー。購読料と広告料で営利活動を賄う媒体。官に迎合すれば情報を取れ
る。情報を握れば二重スパイでも脅迫でも「しよう」と思えば出来る訳だが、官でなければ世論に迎合的であり、戦前は
戦争を鼓舞し、戦後は一転して戦争犯罪を断罪する側に立つなどご都合主義の論理に走った。

何れも最大のマスコミとしてメディアの中心に収まった。よって其れだけ権力を持った所。従って社会のニーズは大きい
が実質的に官僚化して社会の役には立っていない。魅力もなくなった。だらだらと書いた記事を読んで付き合うほど現
代人は暇人ではないからだ。今の社会は多様化している。

大きな記事を貼り付けただけで、どれも中身不足の記事ではうんざりである。記者は自分の文才で飯にしているプロと
自負しているかも知れないが、其れを一体誰がどう評価したのか。下手な作文がゼニになる時代ではない。最後まで
付き合って読んで見ても、一体何なのか意味不明な論説が多い。

購読者のお金のほか、時間まで奪っては新聞として失格であろう。もっと4H5W(何時何処で誰が何をどうした)に徹す
るべきだ。記者は多くの読者から寄せられる投稿文を殆ど理解もせず反故にして反り返っている事だろうが、実は読者
が投稿した声欄の方がずっと簡潔で訴えるものが有る。

其れを平気で没にして自分たちの記事のほうが優れているとでも誤認しているのだろう。だから広告で埋め尽くして、
余白を大見出しの下手な三文記事とした。こんなものは全てカットして、此れからは分類に徹した方が良かろう。今の
社会は多様化している。

つまりニーズが多岐に亙るのだから、全分野を網羅してギッシリと細かな事実を詰め込むべきだ。其のうちのどれがニ
ュースとして役に立ち、また大きな意味があるかを決めるのは、記者の独りよがりの独断ではなくて読者の判断に任す
べきだろう。メディアの前科を隠して、新たなキャンペーンを張っても迫力が無いし、記者の資質の低下が進んだ。

そんな文才よりも此れからは検索に役立つ的確な分類のほうがよい。特に、毎日どの記事が何処に有るかをもっとハ
ッキリさせて検索し易く工夫すべきだ。テレビもまた視聴率などと言う如何わしい基準で番組編成をせずに、インターネ
ットのランキング発表のように、人気順に番組を作ったり広告料を設定したほうが良かろう。もう時間がないぞ。

▲じんへ・・・・・・
▲進歩・・・・・・
▲しんま・・・・・・

▲親身・・・・・・
▲神武・・・・・・
▲神明・・・・・・

人名・・・・・・子供を作ったメーカーは親ですから、親が子の名を付けて当然であるし、親の名を子供が継ぐのも当
然である。其処から日本では例えば桓武平氏(坂東武者)の秩父氏の場合、秩父重弘--畠山重能--重忠--小山田有
重--稲毛重成--小沢重政--と続いた。此れを一字襲名と言う。

また殿様が手元不如意の時には自分の名の一字を「ご褒美」として家来に分け与えたケースも多い。此れなら乱発し
ても懐が痛まない。また封建時代の日本では家督相続の関係から親の名を子供が襲名する風習が広く行き渡ってい
た。お上の長子相続制と言う手法から此れが庶民の中でも江戸時代まで続いた。

江戸時代は特に「公儀名」と言って何代も同じ名前を世襲した。例えば農家でも商家でも各家には代々屋号があって其
れを「通り名」とした。今で言う「社名」のようなものでした。こうした「公儀名」は検地帳や人別帳(戸籍)に載せる公式の
名前。苗字はあっても名乗れなかったからです。其れとは別に色んな名前があった。

子供の時は幼名。家督を継げば公儀名。隠居すれば隠居名を名乗った。また仏弟子として得度または出家すれば法
名を貰ったが、此れは往生した時に其のまま戒名になった(06/8/5の朝日記事から一部引用)。

▲人命・・・・・・

人命尊重・・・・・・事件・事故が起こる度にマスコミや責任者が「人命尊重」と言う言葉を乱発する。此れを言えば誰
をも黙らせる事が出来るからだが、そう言う人たちが人命尊重をして来た人たちではないケースが多い事に問題が有
る。例えば徴兵・兵站・戦死者・戦災者に対する国の扱い方は無責任極まった。

国民の側も靖国批判を中国の口車に乗ってし続けている。失敗は軍人の責任にして自分が善人になり済まして来た。
軍人が心のより所として来た靖国を、今の人たちのイデオロギーで否定するのが人命尊重になるのではなくて、犠牲者
の遺志を尊重するのが人命尊重である。つまり国も国民も逆さ事をしていた。

だから此れまでの公共工事や防災関係も特に多くの人災を出して「想定外」と逃げて来た。此処もまたモノカネ重視の
人命軽視でインチキをやって来た事になる(イノチを参照)。

其の点で秀吉は「人命尊重」をした。勝つ見込みのない戦をせず、どうしても戦う場合は諜略をもって準備して戦が始ま
る時には勝っているような合戦にした。其の為には人モノカネを惜しまず使った。秀吉は、カネは何れ取り戻せる。物は
また買える。だが人を失ったら取り返しが効かない、と言う信念で動いたからだと言う。

彼が本当に人命尊重を理解し、活用した人物であり、人はそれを「人タラシ」と評した(下記の「人文主義」も参照)。

シンメトリー(左右対称)・・・・・・・・・人間や動物の体、神鏡、神剣、数珠、古墳等は中軸線から見てシンメトリーであ
り、また古京の配置、寺社の建築様式や伽藍の配置、仏壇と神棚、曼荼羅、日本の家紋、アイヌの半纏の紋様、囲碁
将棋盤などは左右対称を基本形として来た。

其れに対して自然界の植物などは左右非対称のカオス構造であり、文字の形では両者が混じる。

人文・・・・・・天文・人文・地文(地理)の中の一つで、人類社会の文化・文明。特に社会の倫理、秩序。人物と文物。

人文主義?・・・・・・イタリアから始まって16cのヨーロッパで花開いたルネッサンスの、ヒューマニズムを日本で人文
主義と意訳したもので、云わば「人間尊重主義」の事。但しルネッサンスは当初、古代復興の聖書研究から起こり、ル
ターの宗教改革でプロテスタントを生んだ訳で、芸術の発展は副産物に過ぎない。

また今、日本のリーダーたちの決まり文句として「人命尊重と人権尊重」を叫ぶが、此れも此処から生まれて日本を毒
する弊害となったもの。例えばアフリカの奴隷貿易や中南米の殺戮、其れにインディアンの虐殺は此の「人間尊重主
義」を唱えた西洋人による行為なのだから。無論日本に対する原爆投下も同じ彼らの罪業である。

▲陣屋・・・・・・
▲真喩・・・・・・

シンユウ革命説・・・・・・古来シナで予言学の法則として使った迷信。もしくは辛酉の年は人生の変わり目であり、
1260年毎に大変革があると誤解し支持して来た仮説。例えば十干十二支の組合せの内、甲子・戊辰・辛酉を三革と
言い、この年は変化が多いとする。

要するに天文単位を前述のシンに結び付けたものであり、「辛酉革命説」は辛酉の年には革命が起こると予言
し、或いは故事付けたもの。だが単に21回×60干支=1260年と言う暦単位に過ぎない。よって此れは晋の時代に
禁止され、隋の時にも取り締りによって此れに類する書物が焼かれて衰えた。

だが、其の間に朝鮮を通じて日本に渡来・伝染した。日本では菅原道真のライバルの三善清行が此れを理由に改元
を上奏して901年の延喜となった。此れ以後しばしば甲子・辛酉の年には改元された。以来明治期には那珂通世(漢
学者)が矢張りこの考えから神武即位年代の600余年短縮説を唱えた。

更に戦後は我が国の学者から一般市民に至るまで金太郎飴のような此の仮説に傾倒して、手を変え品を変えて類似
の迷説を立てて外典を元に、より古い日本の古典である記紀の年代を邪推し疑い、我が国の歴史を短縮する試みに
挑むようになった。だが誤解からはどんな正解も生まれないものである(周期律を参照)。

瀋陽・・・・・・シナ東北に位置する明時代の古都(盛京)。太祖ヌルハチが17cに造った故宮が有る。旧満州国の奉
天。日本とは古来、歴史的にも繋がりが深い。遼寧省の省都で人口が約700万人。鉄鉱石や石炭などの資源が豊富で
重工業・機械工業で発展して来た。農業ではトウモロコシ、水稲など。

信頼感・・・・・・昔の人たちは凡そ神仏を信心し、道徳を高めて来ました。だから郷土愛や愛国心もあったし、或い
は身内では親兄弟を頼って信頼関係を築くように心掛けました。また会社勤めの人は先輩を尊敬して年功序列を信じ
て支えて来ました。或いは友情や義理・人情を大切に守って来ました。

隣近所の助け合いやお上への信頼感も有りました。また一神教の場合は、神を信じて神と契約をして安心しようとしま
す。だが商売人は神とは契約出来ないので仲間と契約する。そして約束を守って取引を重ねて、日々信用を積んで行
きます。

しかし苦しいときに約束を破り、或いはチョクチョク嘘をついて其れがバレれば信用を失い、仲間外れになります。信頼
は日々の積み重ねが大切です。所が今は宗教を嫌う無信仰者が大多数となり、義理人情も道徳も死語となり、其れに
代って事務的・科学的に処理する「契約、数字、現金主義」になった。

お役所は住民たちを慈しむのではなくて敵視し常に罰する立場に立って規則を増やし課税を強化した。町内会や会社
でも信頼関係よりも規則と競争と監視と敵対関係になって来ました。

ですから過当競争の中ではゼニカネを重視し、目先の利害のためには他者との信頼感を断ち切り裏切っても生き残ろ
うとする時代とした。なので、「神も仏もいない」のみならず人の義理も信頼も紙の様に薄い時代にしました。親兄弟も
友人も我が子も頼れない。

「人は当てにしない」と言う覚悟が必要なので、どうしようもない自己責任を言う時代にしました。人間関係はライバル関
係とか不信感の漂う関係となり、信頼できるのは数字や科学、或いはモノカネです。結局頼れるのは自分だけであり、
命の次に大切なのは「お金」と言う心の貧しい人ばかりになりました。

神とか愛とか言っても、その様な見えないものより現物、即ち「信頼=金」の時代です。此処に、信頼と言う心の問題を
物にすり替えた欺瞞がありますが、殆ど無視して過ごしています。所が04年にはニセ温泉やコピー商品が氾濫し、05
年には建築偽装の問題が出た。06年には全国のTM(タウンミーティング)もヤラセだった事が暴露した。

信頼は更に大きく揺らいだ。他人は駄目、会社も駄目、お役所も無理。専門家は金が掛かるから此れも駄目・・・・と言
う寂しい現実を見せ付けられました。一番確かなのは毎日のように東から日が昇り、自分も他人様と同じだけ毎年歳を
取る厳しさだけでした。でも其の年回りや日周りは神様が廻しています。

神様はいたのですね。金よりも神を信じれば信頼が戻る筈です(詐欺師を参照)。

侵略的外来種・・・・・・外国の侵略は直接戦争だけではなくて間接侵略も多い。例えば沖縄のヤンバルクイナを食い
殺す野生の猫やハブ退治と誤認して輸入したマングース、或いは船舶に載って来て海岸から侵入するセアカゴケグモ
などを侵略的外来種と言う。

森林・・・・・・「森」を参照。

森林火災・・・・・・例えば中東は現在、広大な砂漠地帯であるが、5000年前はレバノン杉の巨木の森だった。だが
やがて地球上の森林は年々減少し、此処30年間で日本の5倍の面積の森が消えた。其の最大が旧ソ連の地域で
す。原因は人間の不始末による山火事である。ロシアは広いが殆どが凍土とタイガ(9000年前の森)である。

氷点下50度の寒冷地で、しかも降雨が少ない乾いた大地です。山火事によってCO2が発生し、タイガの森の急減に
よって、同時に永久凍土が溶けてメタンガスが大発生している。陥没した土地が増えて沼地になり、塩が出て再び森林
には戻らない。

因みに旧ソ連では02年に1000万、03年に2000万haの森林が山火事で焼失した(06/1/11のNHK教育TVより引
用)。此れは他山の石ではない。日本は既に大量の材木をロシアから輸入している。其れが今、高騰しつつある。中国
が大量に買い込みを始めたためである。と言う事は、逆に日本の森林の復活が期待できるかも。






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