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    日知り事典       譲位〜浄霊

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・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
▲しよ・・・・・・
▲初・・・・・・
▲上位・・・・・・

◆譲位・・・・・・・・天皇が生前に禅譲など何らかの事由で次の方へ天皇位を譲る事。
◆攘夷・・・・・・外敵を追い払い、新たな入国・交通を拒む事。

攘夷・・・・・・和学を基礎に大日本史を編纂し、また朱子学を採り入れた水戸学に始まり、幕末には薩長を動かし
て倒幕、そして明治維新に至らしめた国粋主義的な民族自決の思想。当時、朝廷も幕府も水戸、会津、薩長の何れも
攘夷論では一致していた。何故なら其れが孝明天皇の勅命でもあったからだ。

其処(尊王攘夷論)からスタートした筈なのだが、薩長土肥の場合は純粋な攘夷論から脱線し、皇国主義の勤皇思想
を倒幕のための政治的理論に転換して利用した。外国と戦っても勝ち目がないと分かった時点で裏切った事になる。

攘夷から一転して寧ろ、開港に消極的な勢力のバックにいる幕府を倒してその代わりに薩長土肥の天下とする明治政
府を作り上げてしまった。此れは攘夷と言う当初の目的とは全く逆に、単に外国を利用して其の外圧によって自らの野
望(政権奪取)を遂げたに過ぎない。

このため攘夷の本家の水戸は全滅し、会津が最後まで勅命を貫いたが抗しきれなかった。だから「勝てば官軍」と皮肉
られた訳である。討幕派による孝明天皇の暗殺説もあるがかき消された。無論、明治新政府のその後は攘夷とは逆
の欧米追従に日本を急展開させ、戦争を重ねて惨敗し、今も米国に擦り寄り、米国の属国となった訳である。

国家的な宗旨替えをした維新政府と、戦後政府の商業主義による売国奴の政策が意気地なしの国民を蔓延させた。
幕末に散った志士たちがもし、攘夷も国粋主義も死語となった今の太平楽日本を知ったら発展ではなく「腑抜け」と嘆く
に違いない。

省エネ・・・・・・エネルギー消費を節約・削減するシステム。主として車や家電製品で達成しようとするが、建物でも
省エネは推進できる。例えば太陽熱(ソーラー)発電や外断熱工法であるが、最も良いのは半地下室である。外気は変
化するが地中の温度は最も凌ぎ易い15℃ですから天然の冷暖房になりますし、遮音性が高いので静かです。

特に日本は山間の地形が多いので、本気で省エネを図るのであれば、高い地価の平地の都市部を争って求めて来た
此れまでの頭を切り替えて、もっと斜面を生かして住宅を建てる工夫をするように法制度や建築方法を整備するのが
先ず前提であろう。土なら元に戻るがコンクリートでは数十年先に大量産廃になる事を環境問題から見ても分かろう。

日本は石油の97%を海外に依存して高度成長を続けて来たが、1973年の石油ショックで水を掛けられた。以来急速
に省エネ政策を進めて来たため、車や家電製品の省エネ化には成功した。ただ問題は半地下式の建物が高コストで
あり、また建築基準法なども劣悪であるため半地下式が進んでいない事に加えて、原発と夜型社会化である。

原発は火力発電と言う石油依存から脱却するための国策に支えられて電力会社により全国各地に広がったが、それ
で彼らが巨利を得ただけでした。一般人の理解に有る「省エネ」とは無関係だったのです。確かに電力需要の30%を
原発で賄うまでにはなった。

だが電力各社の繰り返す「省エネ」キャンペーンは無論自己矛盾であり、もしくは欺瞞でした。彼らは電力需要アップが
あってこそ成り立つ企業であり、逆では困るのです。

例えば水利関係利権業者が「世界水フォーラム」で水の重要性を訴えたように、只のオタメゴカシとして、「エネルギー
の重視」を訴える事で既得権益の確保と、高め安定の料金確保を維持しようとしたに過ぎない。

また03年には電力不足の危機となり、此れをチャンスとして再び危機を訴え、原発増設を国策的な正義として推進運
動を展開して反対論を減らそうとしたかに見えた。所が04年の美浜原発事故となった。この当時、ウソばかりの言い
訳に国民は怒り出した。利益先取り方式の杜撰な仕事が暴露した訳です(「関電」「原発」を参照)。

要するに省エネ=電化ではない。クリーンでさえないのだ。また彼らが「地球温暖化防止にも原発が役立っている」と宣
伝するのも大した根拠は無い。其れよりも日本人が急速に夜型都市社会化した今の状況から昔の昼型社会に転換す
る事が急務であるが、寧ろ逆に、「更に豊かで便利な米国型浪費社会」を日本が目差している。

其れを追い、或いは惰性で続けようとするので打開(省エネ推進)は無理だ。其れを少し改めて、デンマーク型に移行し
て自分の使うエネルギーは自分で確保する事である。ただオランダ風車式の風力発電は狭い日本では危険である。要
するに「省エネ=電化」ではない。

特に彼らの唱える「オール電化」は、災害時の被害を増幅する為、危機管理上、寧ろ弊害である。

荘園・・・・・・・以下、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1320819893「ヤフー知恵袋」の
dannersno13さんの回答(回答日時:2008/11/21 00:56:30)を引用する。-----律令(現在の憲法のようなもの)では土地
の私有は認められていませんでした。つまり、全ての土地は国有地ということです。

しかし、それでは新しく開墾する者がいないためという理由で「墾田永年私財法」という法律を作り、新しく開墾した土地
は開墾者の私有地に出来るようになりました。実際は経済力のあるものしか開墾事業は行えませんので、各地の有力
者たちは私有地を持つことになりました。この私有地を持った地方の有力者たちを名主と呼びます。

これで農地が増えて国力も増したのですが、当然この「墾田」にも課税はされます。そこで今度は有力な皇族・貴族・大
寺社たちは「不輸の権」・「不入の権」を確立しました。これは「墾田」を「荘園」つまり田畑を庭園と解釈して、「荘園」は
課税対象から外す権利(不輸の権)、「荘園」に官僚の調査を拒否出来る権利(不入の権)です。

つまり、国家の権力者たちによる大っぴらな脱税です。この「不輸の権」・「不入の権」を持った皇族・貴族・大寺社を荘
園領主と呼びます。名主たちは真面目に税を納めるより荘園領主に名目上土地を寄進して名目料を払った方が得だ
と考えるようになり、全国各地に「荘園」が拡大してきます。

これで事実上国家財政は破綻します。他の要因もありますが、この時代に国家による治安維持は万全ではなく名主た
ちは自分の身(財産)は自分で守るため武装していきます。これが武士の始まりです。荘園領主たちが私腹を肥やして
いる間に、武力という力を持った武士たちの台頭を許し、この頂点に立ったのが源頼朝です。

頼朝が反逆者源義経の追討を名目に朝廷に設置を認めさせたのが守護・地頭です。荘園領主と地頭は対立している
場合も多かったので一概に会長と支社長の関係とは言えませんが、名主との関係は会長・支社長に近いと言えるでし
ょう。因みに鎌倉時代以降、全国的に荘園は減少していきますが、一部では織田信長の覇権確立まで残っています。

消音・・・・・・音は波動の一種である。物理的には振動する縦波として常温では300m/秒の速さで伝わる。波動は
反射・屈折作用があり、音波は共鳴・回折・干渉もする。其処から合成波や消音作用を見る事も出来る(「音」を参照)。

其処で騒音に悩んで消音器を作る場合は、アンプとマイクとスピーカーを設置して、マイクとスピーカーのジャックを複
数作り、其のプラスとマイナスを逆にすれば打ち消す事が出来る(大要は05/7/15のNHK教育TVより引用)。

▲生涯・・・・・・生まれてから死ぬまでの一生。この間に子供は成人するものの、其れは肉体だけであって、多くは精神
的な成長がなく、此の為、「少年老い易く学成り難し」と言われて来た。つまり殆どが馬齢を重ねるだけ。其れに対して
木は立派です。

毎年花や実を付けて樹齢を重ねる毎に見事な樹形を作り、伐られてからも人の住居となります(木を参照)。人の生涯
もかく有りたいもの。

生涯現役の是非・・・・・・日本は古来、仙人の国であり、長寿国だった。よって秦の始皇帝も仙薬を求めて徐福を
派遣して来た訳です。つまり日本は昔から老熟した高い文化圏であり、太陽を神、または方位の哲理の基準として見て
公平社会を作る知性があった。此れによって高い精神文化を持つ「考える国」として尊敬されて来た。

だが精神主義一辺倒ではなくて神と人、心と体と言う両面の一致を重視し、家族親族の血筋を重視しながら悪平等に
はならない「公平」性によって秩序ある調和を守る気風や共和の道理を元としていた。

其の点から日本は古来、年中戦い続ける大陸の蛮族から高い文化を日本に温存するため、徳川時代は鎖国と言う方
法で蛮族を敬遠して日本を守って来た。

にも拘わらず、戦国乱世から火縄銃の威力に驚き、そして幕末の黒船来航で、海外の物質文明に腰を抜かした結果、
欧米に侮られて其の罠に嵌った。日本人は積極的に蛮族の仲間入りを果たし、此れを明治には「文明開化」と喜んだ
のですから実に愚かでした。

日本人は英語をしゃべって肉を食っても洋服を着こなしても東洋のメガネ猿であって白人にはなれない。にも拘わら
ず、戦後は経済発展に幻惑されて全く日族はいなくなり、バタ臭い民族に成り代わった。従って自ら神の力が及ばない
世界としたのです(「日族は考える国」、または「老成文化」を参照)。

「少年老い易く学なり難し」と古言に有る通り、人は「徒に馬齢を重ねる」ものです。現代は高齢化社会から高齢社会と
なった。皆さん元気ですが、若者たちと体力で競うとしたら「年寄りの冷や水」です。「まだ若い」と誤信し、「死ぬまで働
きたい」と言いますが、今は就職難の時代です。

ですから、老人が何時までも頑張っていると若い人たちの就業の機会が狭まり「老害」となります。なので潔く「後進に
道を譲る心得」が欲しい所です。幸い今は保険年金と福祉が整備され、或いは平均的に高齢者の方が豊かな時代で
すから、生活には困らない結構な社会となっている筈です。

余裕があるのですから、仕事への情熱を後世代の指導や、社会を明るくする方向に向けて行ったらどうでしょうか。仕
事よりも過去の知識と経験を生かしてより広い視野から後輩を指導して頂きたい。神や祖を敬い、道徳を弁え、歴史を
尊んで心性を磨くように自ら範を垂れて教える人があれば日本は良くなる。

そんな方々が地域の役付きとなって議会や町内で防犯や安全管理に尽くす事等を無報酬・ボランティアで行う事が未
来を良い時代に仕向ける事になります。だが其の逆にボケて体力もないのにポストにだけしがみ付き、保身を図り、我
武者羅に我を通し、まだまだ働くと言う。

とすれば人は醜くなり、人生を空しくするようです。インドでは人生を三つに分けて説きます。青少年期、中年期を過ぎ
て、愈々高年期となった人は、道理を説きます。昔の事を何も知らない若輩よりも良く知っている事が多いのですから、
彼らが暴走し始めたら此れを止める力がある。

老成の知力がメディテーション、即ち社会への提言や奉仕で生きるのです。此れは実体験や経験則をもつ高齢者でな
ければ出来ない役割であり、其れなら一杯いたほうが良い。「もう若くはない」と悟った人が良いものを残し、其れがま
た次の世代の良し悪しを決するかと思う。

障害者・・・・・・心身共に健全であり、五体満足な人(健常者)と比べて特に精神または身体不自由な人の事。病気
や怪我は精神的な問題で発生し、特に先天性の障害は、前世の因縁から現象化する。先天性から障害者となるケー
スに対して、後天的・社会問題としての戦争や交通事故で障害者となるケースも有ります(因果を参照)。

例えば被爆者はどんな因縁によるのだろうか。戦争は言わば人災であるが、此処では其れについての即断を避けて
次に移る。障害者としては今の不完全な状況から何とか脱出したいとリハビリに努力します。其の気持ちに鞭打つよう
な事を言えば反感を買うだろうが、敢えて言えば、この世は完全なものばかりであり、不完全なものはない。

全て「相応の理」によって現象化しています。プラスとマイナスが有れば相殺してバランスを取るのが自然界の理(働
き)である。要するに原因があるから今の結果となった。従ってリハビリで元に戻る可能性は限定的である。肉体が原
因ではなくて寧ろ心です。よって心のあり方を変える外は有りません。

そうすれば今までとは別の、完全性や存在感が見出せるのではないか。この世は多様な社会ですから不必要な存在
はなく、障害者と言えども無論この世に無用な存在ではない。寧ろ、家族の愛情を呼び覚まし、或いは社会全体の福
祉の向上を促す働きもしている。

実際、障害者たちは、総じて朗らかです。そしてある意味では健常者よりも「障害を体験した先輩」であり、家族や社会
は其処から学ぶ事が多いものです。其の点で精神障害者たちは特に明るく、周りを和ませている面も見られるが、身
体障害者の場合は暗い。其れは彼らが働けない。動けない。

痛い、自由が利かない・・・・・などと悩んでいるからでしょう。今まで何でも出来ていた人が、怪我などでそうなった場合
は特に苦悶する事になる。其れは災難であるとも、自業自得とも言える。頭や手足と言えども単なる肉の一部ではな
い。何れも先祖の霊の結節点である。

其の霊的設計図(円系図を参照)に気づかず先祖を無視し、自分の力を過信し、或いは物質・肉体主義で行動した結
果とも言える。因果律は公平に及ぶのが自然の掟ですから、不必要な事はこの世に存在しない。必要であるから今が
あるのですから、そうなって見て、他人の優しさに気づく。

或いは自由の有り難さを味わう事になるとすれば、「何が大事か」を誰よりも自分で確認する事になります。障害者が
そう思えば常人にはない別の能力が培われます。常人よりも遥かに記憶能力がある事。或いは視覚障害者の場合
は、其れに代る能力として三倍速の言葉でも聞き分ける能力がつく。

或いは雰囲気を読む力が何倍も出て来ますので、テレビが見えなくとも見る事が出来ると言う。こうして視覚に代る手
段で人一倍の情報を得る事が出来てしまう。世間の目は彼らを健常者よりも一段劣る存在と見なすが実は優れている
一面がある訳です。

でも周りの人達が彼らを部分的な「劣等」と見て慈悲の心をもって接し、手を貸したり特別待遇で助成したり福祉関係
の充実を図る事は大切です。ですが、劣等ではなくて寧ろ前述のように高等な面もある。例えば幅跳びで健常者が4m
跳ぶとしよう。その三倍の能力ならば12m跳ぶようなものです。

とすれば健常者たちの誰も真似の出来ない能力と思って良い。また例えば熊本盲学校がアンサンブルを始めて短期
間の内に全国高校音楽コンクールで健常者を超えて金賞を受賞した。健常者よりもズバ抜けて音感が良く、チームワ
ークも良いのです(06/8/20頃のNHK総合TV)。

また更に今の彼らはパソコンの達人が多いと言われる。何れにせよ健常者たちは彼らに学ぶべきではないか。健常者
と言われる側も大抵は何らかの障害を持っているものです。五体満足でも経済破綻した人とか、親や子がいなくなった
とか、頭が悪いと思って努力している人もいます。

難病奇病を抱えていたり離婚などで山積する悩みに押し潰されそうになっている可愛そうな人もいます。其れに心が悪
い人も多い。とすれば人は顔が違うし背の高さも違うように個性が違うが皆同じではないか。百人百様の立場が違うだ
けなのですから其れらを認め合い尊重しあうのが大切なようです。

松果体・・・・・・人体は、上半身から下半身まで真ん中を貫く正中線がある。先ず頭の上の百会から神庭、そして眉
間・人中・鼻・口・・・・・、そして臍(丹田)へと向かうラインです。或いはバックボーンとしての背骨と、尾てい骨と言う寿命
の底が貫く。さて、人の額の中心の奥にある球体が松果体である。

此れについて故・岡田茂吉翁は、「此処が霊的な事を司っている」と重視し教導した。神仏や先祖を思う心がこの壷を
刺激し、信号の出入りを促進するので若者には集中力が付き、年配者にはボケ予防になる所です。松果体が神霊との
交流点として古来認められて来た例として、既に仏像には第三の目としての仏眼が付けらる。

今のネパールやインドのご婦人たちも同じ所に印を付ける風習を持つのは何れも其れを明示したものであり、また修
験者が此処に12因縁を現すと言われる兜布(ときん)を被せて、邪霊から松果体を守るようにして来た。此処には前頭
葉があり、脳生理学でも「此処を活性化すれば思考力と推測能力が増進する」と言う(ピック病を参照)。

そして側頭葉は集中力アップにより、「気づく力」が付き、また海馬は記憶力アップを司る所と見ている。

正月・・・・・・「年始」、「春節」、及び別紙の「神々の歳時記」を参照。

正月(東南アジア)・・・・・・・中国の春節(お正月)は2/9、小正月は2/23。満月なので団子を食べます。ベトナム
のテト(お正月)も中国の暦を使って2/9に行われた。ベトナムでは歳末にお寺回りをします。元日と2日は親族への
挨拶。3日は上司へ挨拶に行きます。商店街も閉まっているので外人旅行者は居心地が悪い。

テトでは梅の一種の花が咲くかどうかで其の年を占う。ラオスではお釈迦様の誕生日が正月の元日なので05年は4月
です。其の時は「水掛け祭り」となります。メコン川の上流にあるルアンプラバンはお寺の多い街なので、数百人のお坊
さんがオレンジ色の僧衣を着て行列して托鉢に回るのが壮観です。

メコン川の下流がベトナムのホーチミン市(旧サイゴン市)です。バリ島のお正月はヒンズー暦で行われる。今年は3月
です。フヒと言う仮装パレードが有ります。大掛かりな獅子舞のようなドラゴンが練り歩く(05/3/5日、NHK「ラジオ深夜
便」より引用)。

正月(モンゴル)・・・・・・・モンゴルのウランバートルの旧正月(イオリカ)は、ロシアのクリスマスの名残りがある。シャ
ンパンやパルヒ(モンゴル・ウォッカ)を飲んで、ダンスをします。ただ町に出て騒ぐのではなく家族単位で祝います。其
処に雪のマローズ爺さんがやって来るのが楽しみです。

彼は「悪い子はいないかーっ」と子供たちを脅かします。そして大きな袋からプレゼントを分け与える。また家では、大
晦日と正月のようなハレの日には、ボーズと言う蒸した餃子や羊の丸焼き(石焼)、水餃子、羊の腸詰、ピクルス、テン
サイ(甜菜)等を出します(06/12/95日、NHK「ラジオ深夜便」より引用)。

モンゴル暦はチベット暦系で、中国の陰陽暦とは違うのですが、07年のお正月は偶然2/18日が元日で中国の2/18日
の春節と一致します。ただモンゴルの元日はサガーン・サル(白い月)と言います。大晦日に当る年末(2/17日)をソトー
ンと言って、この日は「ご馳走を食べる日」です。

元日はゲルで長老が皆から祝福を受けます。そしてボース(蒸し餃子)を食べます。日本のお餅に相当する祝いの食べ
物です(07/1/18日のNHK「ラジオ深夜便」より引用)。

正月(スペインとブラジル)・・・・・・カトリック教徒の多いスペインとブラジルのお正月の1/1日はマリア様の祝日であ
り、12/31〜1/6日まで国民の祝日です。マドリードとリオデジャネイロでは年末には家族揃って1/1日を祝うため帰郷し
ます。大晦日は食べてしゃべって歌い踊る。主に大海老、鰻の稚魚、メルルーサ(タラ)など魚介類を食べます。

其れにソーセージ、チーズ、ワイン等です。子羊、子牛(ビーフ)、お菓子もあります。夜中に12の鐘が鳴ったらシャンパ
ンを飲んでキスし合います。やがてニューイアーを祝う人々で道路が朝までラッシュとなる(06/12/31のNHKラジオ深
夜便より引用)。

浄化の理・・・・・・お清めの事。自然界は生理と浄化の因果律で成り立っています。人の暮らしでは食事と排泄であ
り、産業経済では生産と回収・還流(フィードバック)関係です。其のうちの浄化について自然界は地震、噴火、台風と
雨などによって営々と繰り返しています。

地震も台風も雷も、諸生物が作ったり人類が公害を溜めたものを大掃除する役目で働いているので、其れ(大掃除)が
終わった後は、「台風一過」の晴天となり、また海の中までかき回してくれるので魚介類が元気を取り戻す。

風も風邪(感冒)も昔の日本語では何れも「かぜ」と言ったのは、風も風邪も全く同じ意味・作用である事を見抜いてい
たからです。04/10/15日、岡山ではマツタケの大豊作となった。この年には例年になく次々と台風が上陸して環境を改
善し、野山の元気を回復させたからである。つまり「風水害」は、実は自然の恵みである。

しかし其れに無知な科学万能主義者たちは、其れらを自然災害と誤解して防災対策を採るため、自然の摂理に反して
矛盾する事となり、従って何をしても期待通りに行かない。病気に対する西洋科学の疾病対策・医療行為も同様の矛
盾により、病気を治せないのである。

火難、水難、盗難、交通事故、金銭トラブル、詐欺による被害、カルト教団による被害、殺人・・・などもこの「浄化の理」
による言わば「厄祓い」であり、因果による精算です(「清め」「晒し」「祓い」「厄」なども参照)。

蒸気機関・・・・・・1世紀のギリシャ人アレクサンドリアのヘロンが発明し、18世紀にジェームズ・ワットにより大きな進
化を遂げた、その後、数多くの技術革新を経て、現在は「ボイラ」として私達の生活・産業を支えています(日本サーモ
エナーの広告から引用)。


●招魂・・・・・・「動座」を参照。

「少子化」は神の経綸か・・・・・・・06年に新成人となるのは143万人で、総人口に占める割合は1.12%で過去
最低となる。でも今はゼニカネ主義ですから此れに危機感を持つ人はいない。自分が死ぬとは思っていないらしく、誰
もが目の前のゼニカネを追って暮しています(利子を参照)。

でも人は必ず死にますので、老後のためにと貯めこんだ資金はご当人の死去後に一体どうなるのでしょう。100年後に
は日本人がいなくなると言うデータもあるのですが、其れでも貴方はより多くの収入を求めて現金主義で頑張るのでし
ょうか。生活が苦しくて子供を育てるお金がないとか、親の世話が出来ないと言うのでしょうか。

其の点で昔の日本では子供を「子宝」と言い、或いは「子は授かり物」と言って喜んで来た。従って子供を溺愛するよう
な愛情ではなく、社会全体で支えたり育てる仕組みとした。所が日本は文明開化以来、欧米化を進めた。既に欧米の
白人社会では少子化が進んでいたが、「日本は元々多産国である」と事実誤認していた。

よって「子宝」などと扱うのは笑止と見下した。或いは将来「少子化」になるとは思いもよらず、戦前は海外移民を奨励
する傍ら、人を消耗品とか「人材」と見て前線へ送り込んで来た上、戦後は産児制限を徹底して来ました。

さて、人種に関わりなく、戦う民族は死後の魂が餓鬼道・畜生道に落ちてしまい、再生復活の道が狭まるものであり、
或いは高学歴化すれば晩婚化が進み、離婚率も高まり、少子化となるのはこれまた必然です。星のような冷たい腹に
は子は出来ない。時として一部に子供を溺愛する人がいても増やす力はない。

産児制限に加えて、戦後の日本人は子供を自由に育てるのが善とする洋式自由主義(誤解観念)が強くなった。でも
其れでは人の子としての理性よりも動物本能を育てる事になり、ペットを飼育する事と変わらない。従って今の若者を
社会人としての自覚も忍耐力もなく、感情的で直ぐに切れる人間に育ててしまった。

今回、年金改悪法案を国会通過させた後04/6/20日頃、厚生労働省は、「出生率1.29人」と発表して問題になった。
問題と言うのは、年金は出生率が最低でも2.1人以上でなければ成り立たないからだ。従って1.29では通過させた年
金制度を支える基盤が成り立たない事が判明した訳です。日本は80兆円を越す社会保障費を費やしている。

其れを年齢別に見ると高齢者給付が7割で、子供・現役世代は3割りだ。一人当たりでは65歳以上が年間247万円
に対して子供は17万円と確かに金額でも偏りがある。だが日本は共産主義の国ではない。確かに子供の数がこの24
年間減少し続けていて止まらないのは事実であり、深刻な問題です。

其処で「一人生めば3万円の補助金を出したらどうか」、とかの細木数子先生がおっしゃった。無論其れも一案である
が、所詮其れも彼女の世代の価値観である。今の日本社会が全てモノカネ主義ですから、それに賛成する人が多かろ
うけれども、本質とは違うのです。

年金や福祉、其れに文化経済の支えとなる若人の人数を問題視するのはモノカネ主義の常識である。けれども昔の人
は「生まれて来る子供は、一生の食い扶持を背負って来る」と言ったものです。ゼニカネよりも昔は心があった。つまり
親の資格や愛情です。或いは数よりも質がより重要ではないか。

今は就職難の若者が多いが、彼らには一人前になろうと努力する心構えも意欲もなく、目は虚ろであり、態度は優しい
ものの、ただ無為に過ごすか安楽で快適な暮らししか考えない。其の為、多くが親のスネカジリとなってしまったので、
其れを企業が雇用すれば負担を肩代わりするだけで問題解決とはならない。

要するに彼らはどっちへ転んでも社会の重荷であって、もし彼らが倍増すれば年金制度が整っても国は破綻するだろ
う。戦後の日本が馬車馬から車社会に変わったように、機械化の前では牛馬は競馬か肉にしかならない。時代は明ら
かにサラブレッドや真空管から、より小型化したトランジスターやICやLSIの時代になっている。

つまり質の向上である。所が若者の体格がサラブレッドのように一見立派に発育たものの人格も素養も、心掛けも意
欲も知性も潔さも信仰心も、温情で生かされている事への感謝も親への孝養心もないとすれば、其れは牛馬とレベル
が同じです。

だから内実が駄目な彼らに何も迎合する事はないのだが、此れまで世間が甘やかし過ぎた結果として彼らは親や年長
者の意見を鼻であしらって聞く耳も持たなくなった。よって世代間に信頼関係も築けず、手の施しようもなくなった以上、
最早同情の余地はない。こうして自分のシツケさえ出来ない若人たちがもし結婚して子を産んだらどうなるだろう。

時代はサラブレッドではなく、明らかに真空管からより小型化したトランジスターやICやLSIの時代になっている。しかし
若者たちは日本にとっては無意味な洋式の知識(誤観念)や学歴のあるサラブレッドになった。だがそれだけでは社会
人としては未熟であり、そうした若者たちでは親となる資格がない。

無資格者が子を産む世代が膨張したら日本はどうなるだろう。今でも負担になっているのにもっと社会悪を増やす事に
なれば悲惨になるだけだ。日本には半世紀前に、国のためならと神風特攻隊で海の藻屑と消えた若人たちがいた。だ
が今は其の恩さえ知らない若者たちばかりだ。

であれば「不妊」(別項参照)が深刻な問題となって当然である。更に05年のデータでは昨年の虐待処理件数(子供虐
待を参照)が3万件に達し、史上最多であると言う。虐待は夫婦間の問題であり、其の元には霊的な原因がある。だか
ら神々は、日本の子供よりアジア、アフリカや中東で、苦難の中でも目を輝かせて生きている子供たちを祝福する。

日本の若者にはスポーツとセックスを勧めて非婚・離婚を増加させ、少子化に拍車を掛けて当然である(ジェンダーフリ
ーを参照)。

また世の常として、何時の世も損得勘定でのみ生きて義理を返さず、或いは他人の葬式にはなるべく出ないとする人
たちがいる。でもそうした冷たいレベルの人には霊的な支援も冷たくなります。冷たい人には先祖も蘇らない。其れも少
子化の原因です。

先祖を嫌ったり否定して、自由な人生を一人で歩んで来た人は因果として子孫が続かない。確実に無縁仏となるのも
自ら選んだ宿命です。独身者は一個の個体として生かされても毒にも薬にもならずに自由に過ごした生涯に終止符を
打つためやがて自滅して火葬して消え去り、一代仏となる宿命です。

そうなるのは先祖からの戒告であり、今更人力ではどうしようもない「神の経綸」であると見なければならない。05/12/
16日、政府は遂に「超少子化国になった」と発表した。原因は晩婚化であると言うが、「仕事と育児の両立支援を総合
的に展開して行く」と言う(人口減少を参照)。

つまり「夫婦共働きの環境をより整備したい」、と言うのですから本質を何一つ分かっていない。両立しなければやって
いけないような歪んだ社会にした為に少子化に拍車を掛けてしまった此れまでの施政の失敗に気づかなければ少子化
が止まらないのです。また、ある女性は「結婚したいようなよい男がいない」と言う。

其れも正解であるが、同様に若い男性も「好きになれる女性がいない」と反発するだろう。こうしたのは男女共学とか男
女平等と言う西洋幻想史観が一因である。元々存在する陰陽の違いを誤解により差別として捉え、同質化したからで
ある。お互いにジーパンと長髪でロングヘアが良いと言うのでは男女の別がない。

女性の特質を捨てて、男性に肩を並べようとした結果として、何が何だか分からなくしたのではないか(「男女の極性」
を参照)。そして恋愛と結婚に関しては経済問題に不安を持たない事。不安は一番のブレーキになります(不妊を参
照)。06/6/1には出生率が更に1.25と発表した。此れを1.25ショックと言う。

所が厚労省はカネも目玉も無し。お産をする産院も全国に3000ヶ所しかない事も判明した。しかも07/1月には柳沢厚
労大臣が女性を「子供を産む機械」と発言して訂正したが問題となった。此の「少子化」を何とかすべき担当部署のトッ
プが此の程度の低レベル人間なのであるから何も言う事は無い。

日本の大多数がモノカネ主義となり、しかも数年先に破局(未来カレンダーを参照)を迎える。此れを先祖たちが知らな
い筈がない。だから生まれ出て来る子供たちも躊躇い、若いカップルたちも「二の足」を踏んでいるのだろう(下3段は
西埜先生の談話)。

聖徳太子・・・・・・・聖徳太子は実在したのか。また厩戸皇子と聖徳太子は本当に同一人物なのか!?以下、http://
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411219429「ヤフー知恵袋」に回答した中から引用する。
回答日時: 2007/4/3

日本には多くの優れた国民がいて日清日露と戦い、太平洋戦争では白人たちをアジアから追い出しました。惨敗したと
は言え、日本の犠牲によって彼らの植民地を結果として尽く独立させた。だから彼等は日本を決して許さない。其れが
戦後の東京裁判と占領政策です。

日本の軍国を支えた精神主義は脅威であるとして、GHQ指令によって神社を規制し、また御用学者が重箱の隅を突
いて日本史を抹殺しました。日本の大化の改新以前の歴史を尽く消しました。古墳時代とか弥生とか縄文とか言うよう
にしました。野蛮な暮らしとか神話としたのです。

でも聖徳太子の遺跡は各地にチャント守られ残されています。従って教科書にはなくても実在した事は幾らでも証明で
きる。其れに対して諸外国の同時代の人物はどうでしょう。マホメットはイスラム圏でだけで守られ認められています。
ペルシャのホスロー2世はどうですか。

当時の世界にはフランク王国のクロタール2世だけが存在したと言うのだろうか。漢東の劉黒達、徐円朗、僧吉蔵はど
うなのか。政治色だけで学理の整合性のない官製教科書による教育が国民から信用されなくなり、今の学力低下を促
してしまうでしょうね。
 
次もまたhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211189952「ヤフー知恵袋」に回答した中から引用
する。回答日時: 2007/3/31---命日と史跡を辿れば多くの点で記述と史跡が合致し、真実が明白となります。当時の
暦法は数字(月日)と方位も一致していました。

以下のhttp://kami.tudura.com/page083.html「神々の歳時記」の2/1日を参照。
 

少年犯罪・・・・・・少年犯罪が激増して其の検挙率が成人の5倍(15.5万人)に達した(05/11/8のニュース)。
犯罪増大の原因は少年たちの家庭環境である(セックスを参照)。親が無関心とか、共稼ぎのために留守であるから
だ。其れは前項の少子化ともリンクする問題である。

「豊かな生活」を目差して努力するのは良いが、専業主婦を馬鹿にして、共働きで家を留守にしてまで働かせる今の社
会制度も問い直すべきではないのか。

少年非行・・・・・・05/11/8日に法務省の出した「犯罪白書」の少年院の見解に依れば、思いやりや人の痛みへの理
解力や想像力に欠ける。対人関係が拙い。感情のコントロールが利かない・・・と言う。そして其の原因として親に問題
が有るとしている(同日の毎日Sより)。「セックス」を参照。

商売の秘訣・・・・・・この世は「明日がどうなるのか」誰にも分からないものです。そんな浮世でビジネスする場合、
狙いが当たれば楽しく、逆に外れれば苦しむ。特に今のようなカオス社会では明日の事も不確かですから誰もが不安
です。そうした中でビジネスをするのは誰かと契約するに限る。出来れば神との契約が一番確かだ。

だからユダヤ教とキリスト教徒は強い信仰を持って聖書にある通りの生活を守る。そうすれば不確かな中にも一部の
手順が示されているため安心感が構築できます。また日本では例えば熊野の午王法印(別項参照)と言うのを使った。
契約を取り交わす際に、熊野の神、ヤタガラスの前で誓い合い、或いは午王法印の印璽された用紙に書き記した。

こうすれば日頃から信奉する神のご加護が期待できるし、少なくとも現代版「公正証書」でした。いや神罰を恐れる間柄
なら公正証書よりも安全確実に履行された筈である。信仰も商売も仲間たちとの安心感を得るための方法と言える。
軍隊でも此れは同じだ。

軍隊では神仏が通用しないとしても、安心感は連帯感にとって必要である。前戦は特に不安ですから皆が後ろから援
護射撃をすると言う前提が守られる場合は、突撃する者が不安であっても突撃できる。だが約束の援護射撃が例えば
「玉が切れた」と言う言い訳で中止されたらこの作戦は失敗する。

弾を補給する兵站もしっかりしている事が仕事の前提である。突撃して行った兵士が死んだ後で、もし「弾が切れた言
い訳」を聞かされたって何にもなりません。商売の仲間であっても同じです。自分一人だけ儲けようとする相手とか、仲
間を見殺しにする心配のある相手とは人は中々手を組まない。

何れも仲間の信頼関係と連係プレーが旨く働く事が仕事の前提にあるからです。何処かでその歯車が欠けても全体に
影響して何処かに迷惑を及ぼし、仕事が継続出来なくなります。商売もまた階段を一段づつ上がるように一つづつの字
セ実績と安心の証明の構築であり、其れを確実に踏んで行く事が信用となり、信用から次のステップへの期待となる。

其の継続が業績・実績となって其れが長いほど信用が高まり、次のステップへの力となります。商い(ビジネス)とは昔
も今も注文、契約、納品・請求・決済と言うような形で約束と履行の繰り返しを通じて安心の構築と再確認をする行為
す。つまり暦日を守る関係先が商売仲間であり、取引先である。

約束、納品、請求、集金、決済、・・・・と言う繰り返しで誰にも分からない未来に対して信用が積み込まれて行きます。
其の連関の中で見込みが当たれば楽しいが、甘えた見方で予定が狂えば苦しくなるし相手にも迷惑を掛ける。其れも
相手の都合で破られるなら兎も角、自分から約束を裏切って信用を崩しては元も子もなくなるのが商売の世界である。

つまり商売のイロハは期日・約束の履行である。努力とか知恵とかソロバンと言う道具も必要であるが、肝心な事は期
日である。其のイロハを知ってはいても軽視する人がいるためトラブルが絶えない。イロハは前提であり、基本である。
如何に経営学的知識や資金があろうとも、其のイロハさえ守れない所には良い仕事を回さないものである。

だから喩え苦しくなっても社会の一員としての弁えをもって契約相手との約束を守るのがビジネスの鉄則である。其れ
を守った時に実績となり、信用を得るのである。其れを誤魔化したり怠って逃げていては信用を落とすのみならず、迷
惑を掛けてしまった場合は信用回復が至難である。

一度でも其の信用を失えば何時まで頑張っても決して良い仕事は回って来ない。だからもし迷惑を掛けたなら、今の状
況把握と善後策を協議するなど、素早く対応すべきであるが中々手間が掛かって苦労が倍加する。中々素早い対応も
出来ないので事後の言い訳をする人がいるし、其れさえ誤魔化して責任転嫁しようとします。

だがそうすれば取引先としては安心感が得られないのでその後も相手にしなくなる。よって取引先と長く続ける関係が
なくなって、一見さん相手の仕事を探すしかない。常に仕事を探し回ると言う不安な立場のままとなる。

何らかの特殊技術があるとか、他社にない商品を持っているなどの強みがあるなら話は別であるが、何所でも何時で
も他で間に合うような商売をしている大多数のビジネスでは約束の履行が大前提です。信用第一が商売の秘訣であっ
て、此れ以外の妙法はないと心得るべきだ(近江商人を参照)。

消防・・・・・・素性は鳶火消し。鳶職だから屋根の上など高い所も平気であり、或いは火中に跳びこんで火を叩き伏
せようとしたので其の勇ましさで人気が有ったろう。昔から彼らは決まって愛宕・秋葉へお参りすると言う感心な一面が
あった。でも火を消すために火の神に参るのは矛盾です。

水を使うのであるから水神巡りでもするのが筋だと思うのだが、昔から彼らは愛宕・秋葉が好きだった。此れは信仰で
はなくて京都見物の遊びに出歩く口実であった。ただ江戸の町には木造建築ばかりだったから彼らの存在が大きかっ
たが、今のようにコンクリートジャングルの都会に火消しは無用だ。梯子付の消防車でも高層ビルには届かない。

ならば水鉄砲に頼らずに、ビルにフタをして空気の出入りをシャットアウトし、ビル自体を「火消し壺」のようにすれば消
せるのである。兎も角、今は仕事が暇なので水防の役目まで消防の縄張りに取ったが、消防は今単に、救急車と言う
無料タクシーが頼られているだけである。

自治体の警察権に属し、消防法で運営されているが、予防課などの業務は住民への不当な無理難題が多いし、年間
予算に見合う火消し効果さえ上げている訳ではない。それなら今の消防予算を全て火災保険料金に回して、火事の時
は火災現場を燃やし切ったほうがゴミ処理が楽ではないか。

今は誰かが火を出せば消防法が有っても大損するだけだが、火災保険に切り替えれば保険料で被災者が救われるだ
ろう。

▲情報・・・・・・

情報公開・・・・・国家や社会は昔から共同体であり、其の維持にはコストが掛かる。よって徴税となるが、其のた
めには税法が必要であり、其の衆知徹底が納税効率の向上になるので法律や諸情報はもれなく公開するのが原則で
した。そうするのが寧ろ国家の義務と言って良い。

近代民主国家と言うならば尚更である。全てが国民の均しく共有する所であり、職員や施設や情報も其の例外ではな
い。例外となるのは戦時中なら軍の機密情報が非公開となり、平時に於いては例えば個人情報(別項参照)の開示を
禁止する事である。但し、公務に有る公務員の情報は個人情報としてはならず公開が原則であろう。

だが今の公務員たちは一度握った情報は離さない。其れで各省庁の縄張りを守ろうとして来た。ですから昔からの「知
らしむべからず寄らしむべし」と言う官の、国民の上に立ったような傲慢さとなり、一般への情報開示は望めなかった。
「官報を出しています」、と彼らは言うだろうが此れが分厚くしかも高額だ。

事業税や法人税を取るなら関係業界には無料で配布すべきであろうが、逆に利権にしている形である。此れでは封建
時代と同じ悪弊に戻っていた事になる。其処で次の法律が出来たが、皮肉にもインターネットで次々と大量漏洩を続け
ている。発覚するたびテレビでお詫びするものの、其の後始末を誰がどうして誰がどう責任を取ったと言うのだろうか。

固定資産税や都市計画税と言った根拠も極めて曖昧である。中でも例えば路線化に基いて地価公示をしているが、所
有者にのみ評価額を示すだけで、近隣の評価額を一切公開しない。「他人の個人情報だから公開できない」と逃げて
来た。こんな日本の役所は潰すべきだ。

以下、意味のない同法を掻い摘んで述べる。
「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」(平成十一年五月十四日、改正7/16、12/22)では

第 一条・・・国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき、行政機関の保有する情報の一層の
公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理
解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする。

第 二条(定義)・・・「行政機関」とは、内閣に置かれる機関(内閣府を除く。)及び内閣の所轄の下に置かれる機関、そ
の他(中略)、会計検査院 。「行政文書」とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的
記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。

当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。ただし、次に掲げるもの
を除く。
 一  官報、白書、新聞、雑誌、書籍その他不特定多数の者に販売することを目的として発行されるもの

 二  政令で定める公文書館その他の機関において、政令で定めるところにより、歴史的若しくは文化的な資料又は
学術研究用の資料として特別の管理がされているもの
第 三条(開示請求権)・・・・(誰でも請求出来る)。

第 四条(開示請求の手続)。
第 五条(行政文書の開示義務)・・・・(例外規定がある)。
第 六条(部分開示)。

第 七条(公益上の理由による裁量的開示)。

第 八条(行政文書の存否に関する情報)・・・開示請求に対し、当該開示請求に係る行政文書が存在しているか否か
を答えるだけで、不開示情報を開示することとなるときは、行政機関の長は、当該行政文書の存否を明らかにしない
で、当該開示請求を拒否することができる。

第 九条(開示請求に対する措置)・・・1.行政機関の長は、開示請求に係る行政文書の全部又は一部を開示するとき
は、その旨の決定をし、 開示請求者に対し、その旨及び開示の実施に関し政令で定める事項を書面により通知しなけ
ればならない。

 2.行政機関の長は、開示請求に係る行政文書の全部を開示しないとき(前条の規定により開示請求を拒否するとき及
び開示請求に係る行政文書を保有していないときを含む。)は、開示をしない旨の決定をし、開示請求者に対し、その
旨を書面により通知しなければならない。

第 十条(開示決定等の期限)。
第 十一条(開示決定等の期限の特例)。
第 十二条(事案の移送)。

第 十三条(第三者に対する意見書提出の機会の付与等)。
第 十四条(開示の実施)。
第 十五条(他の法令による開示の実施との調整)。

第 十六条(手数料)。
第 十七条(権限又は事務の委任)。
第 十八条(審査会への諮問)。

第 十九条(諮問をした旨の通知)。
第 二十条(第三者からの不服申立てを棄却する場合等における手続)。
第 二十一条(情報公開審査会の設置)。

第 二十二条 情報公開審査会は、委員九人をもって組織する。
第 二十三条(委員)。
第 二十四条(会長)。

第 二十五条(合議体)。
第 二十六条(事務局)。
第 二十七条(審査会の調査権限)。

第 二十八条(意見の陳述)。
第 二十九条(意見書等の提出)。
第 三十条(委員による調査手続) 。

第 三十一条(提出資料の閲覧)
第 三十二条(調査審議手続の非公開)
第 三十三条(不服申立ての制限)

第 三十四条(答申書の送付等)。
第 三十五条(政令への委任)。
第 三十六条(訴訟の管轄の特例等)。

第 三十七条(行政文書の管理)・・・・1.行政機関の長は、この法律の適正かつ円滑な運用に資するため、行政文書を
適正に管理するものとする。2.行政機関の長は、政令で定めるところにより行政文書の管理に関する定めを設けると
ともに、これを一般の閲覧に供しなければならない。 

3.前項の政令においては、行政文書の分類、作成、保存及び廃棄に関する基準その他の行政文書の管理に関する必
要な事項について定めるものとする。

第 三十八条(開示請求をしようとする者に対する情報の提供等)・・・行政機関の長は、開示請求をしようとする者が容
易かつ的確に開示請求をすることができるよう、当該行政機関が保有する行政文書の特定に資する情報の提供その
他開示請求をしようとする者の利便を考慮した適切な措置を講ずるものとする。

2.総務大臣は、この法律の円滑な運用を確保するため、開示請求に関する総合的な案内所を整備するものとする。
第 三十九条(施行の状況の公表)。
第 四十条(行政機関の保有する情報の提供に関する施策の充実)。

第 四十一条(地方公共団体の情報公開)。
第 四十二条(独立行政法人及び特殊法人の情報公開)。
第 四十三条(政令への委任)。

第 四十四条(罰則)・・・第二十三条第八項の規定に違反して秘密を漏らした者は、一年以下の懲役又は三十万円以
下の罰金に処する。

附 則・・・1  この法律は、公布の日から起算して二年を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。ただ
し、第二十三条第一項中両議院の同意を得ることに関する部分、第四十条から第四十二条まで及び次項の規定は、
公布の日から施行する(以上は全文掲載のhttp://www.soumu.go.jp/gyoukan/kanri/gh003.htmより引用)。

情報操作・・・・・・・・・かつて皇居から発信された「大本営発表」は虚偽が多かった。「勝った勝ったまた勝った」と言
って来たのに、日本は惨敗を喫した。此れに限らず、凡そ官製の情報は操作されたものになる。戦後のマスコミのニュ
ースも、UPIとかロイター電など限られたニュースソースを買ったものでした。

今も基本的には其のスタンスは変わらず、同種の手段である。彼らは何を報道するかを毎日選別している。スキャンダ
ラスなものを優先して、ホントに伝えるべきニュースを伝えない。或いは、米国による情報操作の手先となって、例えば
イラク戦の正当化のニュースを知らせる。とすれば公正なニュースではない。

此れは次のターゲットとしてイランを攻撃する狙いに手を貸している事になります。この様にニュースには裏がある。マ
スコミは公共放送として公正な立場でいち早く知らせる義務があるが、其れを果たして来なかった。多くはコマーシャル
か人気の低俗番組を垂れ流して来た。

本当に伝えなければならない情報を隠蔽して、世論誘導の為の手段として何者かによって常に操作されている(「知
識」、「グアンタナモ収容所」を参照)。

声明(ショウミョウ)・・・・・・仏様を迎えて供養するために唱えられる歌。仏教(神道でも)の法要では、道場を清め、
魔を祓ってから仏様をお招きする作法が先ず行われるが、散華(花を撒く作法)、その次は口上、火入れ、声明などと
進む(各項を参照)。声明は節を付けてゆっくりお経を唱えながら仏前または其の周りを回る事。

因みにイスラム教ではもっと素晴らしいホーミーがある。

聖武天皇(奈良の大仏)・・・・・・当時の僧尼令には「寺の外に出て仏法を説いてはならない」とある。仏教は国家
のものであって民衆のものではなかった。所が行基は其れをした。よって天皇は「反逆」と怒り、行基を都から追放した
が、各地で行基の元に人々が集まった。其処で天皇は鎮撫使を派遣して民を捕らえた。

当時の世界には大唐帝国や新羅が栄えていた。聖武天皇は律令制によって国を纏めて行こうとしていた。他方行基
は、仏法によって救済しようとして平城京の近くで1万人を集めた。其処に天平四年の天変地変が起こり、旱魃と水害
で飢饉となった。民衆は土地を離れて逃亡した。こうなると律令制の危機である。

地方官だった山上憶良は「貧窮問答歌」を書いて訴え、また行基は大阪狭山池など灌漑設備や橋を造った。此れに民
衆がボランティアで参加した。其の頃、天皇は河内の智識寺本堂を訪ねて、民衆の労働によって造ったと言う金色の
仏像・ルシャナブツを見て感激した。次に天平13年には天皇が行基の元を訪れて終日語り合ったと言う。

此処で天皇は大仏建立によって民衆を纏め、律令制の建て直しを計ろうと決意した。ホトケの右手で恐れを取り、左手
では慈悲と救済を図るため、高さ16mの仏像と大伽藍の建設をしようと天平15/10/15日の大仏造立の詔で大衆の参
加を呼びかけ、同日、信楽の丘で造立工事を始めた。

だが天平17年春、信楽に群発地震が始まり、しかも近くで山火事が多発した為、工事中断となった。その代りに奈良・
若草山の麓でする事になった。行基78歳。弟子たちが分裂し、3ヶ月たっても工事開始出来なかった。天皇の権力と冨
を使えば再開可能だったが、天皇は其れをせずに民衆の元へ向い、自ら土を運んで作業を始めた。

此の事から工事の再開となり、2年後に山場を迎える。全国から500トンの銅が集められ、鋳造が始まった。初めての
難工事であり、一度にするのは無理なため8段階に分けて順に流し込む作業とした。初めは順調に行ったが、天平21/
2/2日に炉が突然破裂して多くの怪我人を出した。同日行基が死去。82歳だった。

其処で天皇は剃髪して下級の僧(三宝の奴)になった。天皇は次に墾田永年所有法を発布した。此処から民衆が自分
の土地として開墾を進めるようになり、国内が益々栄える事となった。

延べ260万人(当時の人口の半分)によって次の孝謙天皇の時の752/4/9日には金色の大仏が完成して開眼法要とな
った。朱色で高さ47mの大仏殿は地上最大の木造建築として、また東西には70mの両塔が完成した。此処は天皇の
寺ではなく、民衆の寺として完成した所である。

聖武天皇は大仏完成の4年後に難波に行幸した。其処はかつて行基が橋を架け、港を整備した所だった。其の二週間
後、天皇は崩御した。56歳だった。天皇の遺品が正倉院に残された。ただ今の大仏は平安時代に焼かれ、元禄時代
に民衆の手で修復したものである。此処にも多くの庶民の名が記されている。

(06/6/20のNHK総合TV「その時歴史が動いた」より引用)。尚、06/8/30朝日記事によれば、正倉院に新羅の写経が
あると言う。仏教の基本理念を説いた華厳経であった。聖武天皇は華厳経を学び、其の世界を具体化するために大仏
を建立した。

752年の大仏開眼に新羅は700人もの使節を送って来たが、此の大方広仏華厳経は其の少し前の時代の作となる。つ
まり新羅仏教の影響が有った事になると言う。

07/1/30日の朝日新聞に寄れば、大仏は07年で1256歳になるが、決して安穏な日々を過ごして来た訳ではなくて、今
見る大仏の膝は奈良時代に、腰は鎌倉時代に、胸は戦国時代に、顔は江戸時代に造られたものである。将軍綱吉と
彼の母(桂昌院)が公慶に帰依し、幕府の全面的な支援により大仏殿の再建となったと言う。

(消)・・・・・・霊を昇華、または消化させる事。自然界は単なる物質の世界ではなくて、万物に霊が宿っていま
す。そうした見方をアニミズムの観念とも言う。しかし一寸の虫にも五分の魂があり、人もまた其の中の存在ですから
人も肉体とは別に霊を宿しています。其れが固有の心を多重の相で形成している訳です。

だが心と言うのは霊魂であり、目に見える物体ではなく、しかも単純なものではなくて細胞の数ほど多数の魂を宿して
います。例えば毎日三度の食事をする都度、何物かを食べる。此れは決して物だけを食べているのではなくて、其の
物を造った魂も同時に食べる事です。感謝の心で其れを頂けば諸霊も昇天するので其れが霊魂の消化となる。

無論人の心身と同化する場合が多いが、其の前に調理のときに火や水を使っただけで消化する場合も多い。此れが
お清めになる。護摩焚きや滝行をしなければ「お清め」出来ないと言うのではないのです。ただ旨く折り合いが付けば
調和し、栄養となり、健康である。けれども不協和音となれば気が狂ったり病気にします(憑依を参照)。

従って医学的に病気を治せない事が多く、そのため古来、「お清め」、「祓い」(各項を参照)がなされて来た。無論、修
験者や霊能者による「除霊」(同項を参照)もあり、或いは「気功」や「手翳し」(ハンドパワー、ヒーリングを参照)による
浄霊(下記を参照)も効果が有る。

所で、人も最終的には穢れが溜まって死去します。この場合も日月星の三族(三族の葬法を参照)で各々葬法が異な
る。独特の風習として土葬とするか、火で葬るか、水に流すなどの違いが有り、何れも穢れを祓って、元の神の世界に
送り届けようとしたものです。

浄霊・・・・・・自然界は単なる物質の世界ではなくて、万物に霊が宿ると言うのがアニミズムの観念である。一寸の
虫にも五分の魂があり、人もまた其の中の存在ですから人も肉体とは別に霊が宿っている。其れが固有の心を作り上
げていますが、心と言うのは霊魂であり、目に見える物体ではない。

しかも単純なものではなくて細胞の数ほど多数の魂を宿しています。例えば毎日三度の食事をする都度、何物かを食
べる。此れは決して物だけを食べているのではなくて、其の物を造った魂も食べる事です。ただ旨く折り合いが付けば
調和し、栄養となり、健康である(前項の「昇霊」を参照)。けれども不協和音となれば気が狂ったり病気にします。

従って精神的なモノですから肉体だけを扱う医学では治らない事が多く、そのため古来、「お清め」、「祓い」(各項を参
照)がなされて来た。無論、修験者や霊能者による「除霊」(同項を参照)もあり、或いは「気功」や「手翳し」(ハンドパワ
ー、ヒーリングを参照)による浄霊も効果が有る。

此れは要するに人各々が持つオーラの開発と利用である。此れでも医学処理以上の効果がある。だが昔の日本人は
方位で流した。方位の陰陽(別紙の「366円暦」を参照)の流れを知り、其の方位に流して祓った。



諸葛孔明・・・・・・以下、次ページへ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□
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