http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page218.html(未定稿)


   日知り事典       社会〜周

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釈迦・・・・・ゴータマシッタルダ太子。竹之内文書によれば日本に留学したと有る。帰国後に悟りを開き仏法を説い
て不滅の聖人となった。教えも素晴らしいが生き方は煩悩の排除である。彼は地位を捨て妻子を捨てた。煩悩の現世
利益を捨てる事で悟りを開いた。

其の後、彼の教えを慕ってシナからは399年にホッケ(法顕)が往還し、次に7cにはチゴン(雲華)と言う高僧がインドに
向かい、戻って華厳宗の基礎を築いた。

また太宗の時代には玄奘三蔵(別項参照)が長安からトルファンへ1年掛けて歩き、水のない熱砂の海を歩いてクチャ
(クマラジャが生まれた国)からルンビニ(ネパール)を経て北インドへ出た。ルンビニは釈迦誕生地、またクシャガラが
入滅地であったからだ。ブッダガヤーは釈迦が悟りを開いた地、つまり仏教発祥の地だった。

◆社会・・・・・ソサエティ。
社会主義・・・・・・・ソシアリズム(社会主義)。ソシアリスト(社会主義者)。ソヴィエトを参照。

▲社会保障給付費・・・・・・三菱総研は100年後の社会保障給付費が506兆円になると予測した(04/10/15毎
日)。此れは年金、医療、介護費用の合計額を試算したもので、04年度水準の税負担と財政赤字分を加えると、国民
所得に占める割合は現在の45.1%から62.7%に膨らむ事になる。

特に医療の給付額は今後、年金を追い抜いてトップになると指摘している。04年度の社会保障給付額は、総額87兆
8000億円で、内訳は年金46兆4000億円、医療費27兆3000億円、介護など福祉に14兆円であるが、2100年
には医療が270兆5000億円となり、全体の53%に達すると試算した。

ジャガイモ・・・・・・普通の作物は種を蒔いて育てるが、ジャガイモは例外的にジャガイモから育てます。其れを種芋
と言う。種芋が親芋として自分の10倍の小芋を作る。ただ病原菌があっては困るので、原原種から優良品種として育て
ているのが北海道の幸福駅近くの農場である。其れが全国に配られるまでに7年間も掛かると言う。

ジャガイモを春先に半分に切って灰をまぶして土に埋めて置く。そうすると殆どホッタラカシでも芽を出して夏には約10
倍の収量となる。其れはもう正に芋蔓式に鈴生りのジャガイモが採れる。預金金利が略0%の世知辛い現代、3〜4ヶ
月で10倍とは高利・暴利だとは思うのですが・・・・次は是非、「幸福」の土産の此れに投資(栽培)しませんか。


(シャク)・・・・・・神職が其のシンボルとして捧持する一尺大の長い木片(定木)である。ただ今は本来の目的が不
明となり、衣冠束帯の神職の礼服の1パーツとして、或いはカンニング・ペーパーのようなメモを置くために使う程度で
ある。

古来日本では暦法のための太陽観測の基本スケールが重視され、或いは条里制の元では測量のために基本スケー
ルを重視した。天皇の交代によって暦法・度量衡法も変わるので、其のつど国司が派遣され、或いは巡察使が領地の
大領の元を巡見し検地も行った。笏で尺木(測量木)の寸法を改めたのである(下記の尺を参照)。

丈部の測量は六尺棒と糸・縄で行った。寺社には検校が置かれた。このため「定木」とは言っても笏には古来、色んな
寸法が有った。其れは時代によって度量衡が変わり、尺の長さが変わった事を物語っている。つまり笏の長さが直接
税額に関わる切実な問題だった。

特に大化の改新以後は太陽観測なんかよりも現物・実利主義となったに違いない。例えば租庸調の中で穀物・反物の
量の多少を問う時代となり、このため大宝・養老・延喜と時代が下る程に升目、量目が厳しく監視されたろう。其の長さ
を守っているかどうかを監視・検査するために改正のつど朝廷から国司が代官として地方に下った。

例えば全国には「正一位」以下、19階に及ぶ神階を贈与された神社があるが、其処には其れ相当の高官が朝廷から
派遣された事を意味する。其れが勅使の意味である。

国司が其れに代わって祭典に赴く場合もあったが、其れを迎えるために神社側は鳥居とは別に勅使門などを拵えて威
儀を正し、同時に近隣に其の神社の威厳(社格)を示す効能もあったろう。ただ国司は例祭のお客さんとして臨席した
のではなくて、朝廷の代官としてシャク(笏)を携えて税を検校しに赴いたのである。

此れが地元には「シャク(癪)の種」であったろう。シャク(笏)は度量衡の尺や勺の基尺(定木)であったからです(下記
も参照)。今の官僚たちは数字を弄って国税をアップするが、昔は尺(笏)を短くする事で朝廷が益々太り、其れに対し
て民百姓は益々食うに困った。だから多分世界一小柄な人種になったと憶測する。

笏谷石・・・・・・シャクダニ石。越前青石。福井の足羽(あすわ)山から産出する緑色凝灰岩で1500年前から利用さ
れて来たが今は閉山になっている。昔から尺六サイズが基本。軟らかくて表面が細やかで温もりがあり、「乳出し地蔵」
の信仰もある(NHKTVの「新日本紀行」より引用)。

此の石は北陸の気候風土に良くマッチした石であり、特に水と馴染み、水に強いために水路や敷石、或いは石段にと
多方面で使われた。中でも上等な青石をタワシで磨けばより美しくなる。

・・・・・・上記の笏(シャク)の事。基準原器は天皇が一定数を保持した。所が一本ではなくて時代により多種存在
するし、寸法もマチマチである。正倉院の溌鏤(染色した象牙に彫の装飾で飾ったもの。一尺バチル)なども東大寺の
再建工事で持ち出されたり、明治以降に亡失して財閥の総帥たちの手に渡った。

尺とR・・・・・・「尺とRは同じだ」、と言えば笑われるだろうが、笑えない事実がある(「D・R」を参照)。先ず字体が似
ている。次に尺を定規とすれば次の半径に重なる。数学の円周 l(エル)=2πr・・・・で「r」を半径とするからです。因
みに周時代の尺は二種あって大尺は22.5cmで、小尺が18cmだった。

何故大小があるかと言えば、先ず祭りと測量との使い分けであり、次に高官(爵)が短く、下官が長いのを捧持した事
による。国別や時代によっても長さが違ったが、日本の場合、例えば国司は一尺のを都から地方に赴任する際に奉
持した。其れを検地の際に使ったのだ。つまり此れは尺貫法の基準器でした。

各時代、天皇が代わり、或いは度量衡法が変わる度に地方に其れを伝えて徹底するのが国司の役目でした。今でも
神社の禰宜がと言うのを携行するのは其の代官の名残である。此れはつまり神様に捧げるように見せているが、実
は、税金を取り立てる為の道具であり、神器とは違う。検尺と徴税の資格者・代理を意味しただけだ。

原始キリスト教の場合もグノーシス派があったが、グノーシス(別項を参照)とは「神の杖」を意味する。西洋ではノーモ
ンと言うのは杖の事だった。この杖からノーマル(基準)と言う言葉になった。此れが上記の「r」である。

L(エル)は長さ(length)を示す略号だが、丸い円はラウンド(round)ですから「Rまたはr」であり、此れ(r)を基尺とし
て円を描けば祭壇の基本となり、其処で太陽観測して日影の角度で方位と暦と時刻とを決し、またノーマルの整数倍で
度量衡、即ち領地の広さを決し、其処から税額が決定した筈です。因みにヤードポンド法は1/32の比率である。

此れは円を32等分して尺度を決した事を意味する。何れにせよ、日本では下士として古代の丈部や丁(ひのと、よぼ
ろ)は六尺棒を奉じた。またそうしたヒジリの役目柄を引き継ぐ立場を示すために弘法大師や山伏も宗教法具には直
接無関係なこうした六尺の棒を錫杖と言う形で持ち歩いて来たのでしょう。


尺貫法・・・・・・一本の棒を示して、此れを其の時代の基準として、円を描けば同時に長さと方位との整合性が示さ
れる。其処から面積も決まって来ます。ですから増税する場合は其の棒の長さを縮めるだけで良かった。例えば日本
では1尺が昔から約30センチですが、前漢以前(周・春秋・戦国)の1例を記す。

寸は2.25cm、尺(大尺)=10寸・・・22.5cm、咫(小尺)=8寸・・・18cm、丈=10尺・・・225cm
唐代の寸・・・3.11cm、尺=10寸・・・31.1cm、丈=10尺・・・311cmなどがあった。此れが尺貫法であり、メートル法※よ
りも古くから世界の尺度として長く使われて来た実績を持つ度法でした。

※地球一周の長さ(半径約6378m)x 1/4000万を1メートルとしたフランス製の10進法では、其の長さが1841年にベ
ッセル、次に1924年に国債基準楕円体、次はIAU楕円体が1964年、そして1976年にも同様の決議があり、基準とする
定数が其のつど総会の妥結でなされた。つまり1mとはそれほど曖昧な尺度である。

其処でメートル原器が作られたが1983年からレーザー分光器によって光の速さで1mを算出するようになった。でもそ
んなものでは1本の棒より優れた度法と言えるだろうか。

今は地球規模から逆算したとするメートル法が採用されて此れが最も進歩した基準としているものの、其の地球の大
きさが時代によって修正されたのでは、譬えメートル原器が有っても駄目だ。それでは実に曖昧な基準でしかない。譬
えレーザーが出て科学の分野では役に立っているかも知れないが、一般的ではない。

他方で数学は現代でも尚、円周率さえ天文学的な数字のまま実に曖昧であり、誰にも解けない以上、メートル法と数学
とは共に問題であって、このような代物が世界の基準であり続けるのは益々怪しい社会とするのではないか。

借金・・・・・・・・借金は誰もが知っておられるので此処で改めて言うまでもないが、金品に窮乏した者が他人から当
座の用立てとして融通を受ける行為である。此れを負債と言う。借りは返さなければならない。借金は貰ったものとは
違う以上、返済すると言う前提のものである。

だから其れを怠れば社会的な制裁を覚悟しなければならない。ましてや困った時に一時でも助けて貰った恩を忘れて
は人間性を疑われる。更に其の恩を仇で返す事にでもなれば身内からも疎まれる。そうすると家族の同情もなくなり、
次第に孤独で淋しい人生となる宿命を負う。ただ例外として貸金業と言うビジネスがある。

なので借金して商売に成功するには「戌亥に借りて辰巳に返せ」との俗諺もある。インフレやデフレの場合は読みが当
れば旨く行くし逆に読み違えれば失敗する。何れにせよ人の褌で相撲をとったら結果はどうであれツベコベ言わず返す
のが当たり前である。

借金は先ず返す。其処から再スタートを考えるべきであって、踏み倒して置いて「前向き」では困るしまた失敗するだろ
う。それが因果律による悪因縁である。ただ貸金業の場合は、銀行の裏の商売として活躍している。極端な場合は貸
金はただの表看板であり、裏の目的は乗っ取り、横取りつまり支配権の獲得である。

次に「高利貸し」の場合は出来るだけ早く回収したいが為に、逆に遅れれば客に対して暴利と脅迫・強要・暴行などに
及ぶ。事情により各種各様なので一律明快に借金・貸金関係を定義する事も出来ないが、何れにせよ借金すれば期
日と金額に対して互いに重圧感が生まれる(サラ金を参照)

其処から負債者側には焦りが発生する。其れをまた債務者は突付くのが通例である。弱みに対して追い込んで責任達
成を促す訳である。従って債務者としては旨く行く筈の予定も狂う事態となるケースが出て来る。よって返せなくなり、こ
のためその場から逃げる事がある。

此れが「夜逃げ」、或いは自己破産とか会社更生法などと言う合法的だが卑劣な逃げ場(責任放棄)である。そうした
悪循環とならないように、周りの人が心配して予め「無理して頑張るな」と言うのである。或いは「困った時でも借金はす
るな」と戒めのアドバイスをする。

日本社会に病気が蔓延する中で、流石に金欠病と言う病名は姿を消した。ただ金欠病は何時の世にも存在し、また何
時まで経ってもなくならないものです。例えば日本政府自体が1000兆円の借金財政で破綻しようとしている。優秀な
筈の政治家や官僚がワンサといても、半世紀も掛かって寄って集って此の始末です。

ですから一般の多重債務者を笑う事は出来ません。お役人は特に彼らの頭と無責任さが知れる。また一般人も商売
人も「無利子・出世払い」で貸してくれた親戚友人があれば利用するだけではなくてもっと大切にする事だ。人の褌で相
撲を取った以上、結果はどうであれ其の恩義を忘れてはならない。

サラ金の取立ての厳しさを知ったなら、先の親戚友人の有り難さを身に凍みて感謝すべきです。だが普通は義理を返
さず、寧ろ逆に手前勝手な理屈を作って裏切って置いて、次はサラ金に走る。しかし其れでは悪因縁の悪循環であり、
救われる可能性は更に狭まる。

更に言えば、お上が破綻するのも祭政分離と言う美名の愚策で先祖祭りや戦災者を弔らわず遺族保障も遺骨回収も
怠慢で放置したり朝鮮や中国の顔色を伺って納税した国民の意思を二の次にしたからである。金は経済の血液である
と言われる。其処までは優秀馬鹿たちでも分かる。

だが其の先が彼らには理解の外となる。血液とは何かを知ろうともしない。不思議な話ですが事実だから言えば、血
(別項を参照)は先祖の霊の結晶である。それに無智な医学的知識で簡単に手術し、輸血をするから仮に病気が治っ
たように見えても間違いなく人格が変わってしまう。借金も同じです。

知らないうちに他人に支配される側になって来ます。そうなると焦っても中々思うように運ばない。ですから焦る事が先
ず良くないが義務の放棄とか本質の無理解が原因である。其の上で前向きとか夢を持つとか言っても、身の丈を越え
る計画を立てるのが間違いです。

目先を追わずに過去の精算をして先祖を思い、先祖と共に歩けば焦る事も血液に不足する事もない。苦しい時期があ
っても其の場から逃げずに日々の暮らしを大切にするのが自分の血となり、肉となるのです。

▲尺八・・・・・・・尺八とは長さ一尺八寸(約48cm)の竹笛の事。竹笛は吹き口(歌口)を斜めにカットしているが、尺八も
縦笛の一つであり、ハチク(淡竹)の根本を加工して表に4つ、背に1ヶの孔を穿っている。寸法の長いものでは2尺のも
のもあるが、其れは低音になり、また1尺の短いものは高音用となる。

昔は音律の規定から長さを一定にした。律とは詩文では五言・七言などの調子を言い、雅楽では音調を言った。音調
を律管で規定し、管は主として長さで規定した。ともあれ昔は明暗箱を下げた虚無僧が門口で鳴らしたが普通の人は
中々音さえ出せない。其処から修行では「首振り3年」とも言った。


蛇頭・・・・・・・中国人暴力団。
シャーマン・・・・・・・神の託宣をする人。巫女。因みにシャーマンを漢字にしたものが沙門と言われる。

ジャミング・・・・・・・妨害電波。例えば北朝鮮の日本人拉致被害者に向けて日本から「助けに行きますよ」と言うメッ
セージを「しおかぜ」と言う短波放送によって定期的に発信しているが、其れに対して北朝鮮は聞くに耐えない工事現
場の騒音のような音響を妨害電波で発信して来た事が06/5/10頃にニュースとなった。

でも此れはお互い様です。此れはお互い間接侵略である。侵略されたら応酬して当然である。日本はイギリスを経由し
て第三国から年間1000万円の費用で北朝鮮に発信していた。北朝鮮の場合もNHKラジオ第一第二を妨害するように
かの国の音楽やニュースでかき消して来た。だから日本国内でさえNHKが聞き取れない事が多い。

科学立国のNHKならもっとしっかりやって貰いたい。日本政府もである。

沙門・・・・・・・仏僧。シャーマンを漢字にしたものと言われる。

シャングリラ・・・・・・・・シナで古来「幻の桃源郷」とされて来た所。香格里柆多郷とも書く。因みに四川料理は豆腐
が主である。四川省・成都からシャングリラは1000kmの奥地である。途中に楽山大仏がある。全長71mの巨仏があ
って洪水を鎮める仏とされている。

次に揚子江の支流にミンコウがあり、仙人が住むと言う仏教の聖地・峨眉山(2540m)があって、此処からのご来光が
素晴らしい。ただ霧が深いので中々見られず、チャンスは10回に1回位である。あと600kmでチベット自治区に入る所
に標高4298mの山があり、タンチョが風に靡いている。

新都京リータンは標高4200mにあり、此処まで来れば景色が一変すると共に高山病になり、吐き気がする。この辺りは
中国でも最も険しく美しい道と言われる。次に稲城の町が標高3720mにあり、近くに仙乃日山(6032m)があるが、麓に
20ヶの村がある(以上、05年のNHK総合TVから)。

因みに此処とは別の、新疆ウイグル自治区の天山山脈の北にはジュンガリア地区が広がっている。此の辺りも仏教徒
の憧れる聖地・シャングリラであったろう。また07/3/12の朝日記事によれば、シャングリラとは英国の作家ヒルトンが
1933年に「失われた地平線」で書いた架空の理想郷。

チベット語のシャンバラ(聖地の意味)が語源と言われる。中国では其れにあやかろうと「本家争い」も起きている。01/
12月に雲南省ジエタン県がシャングリラ県に改名を決定し、翌月には四川省ダパ県ローワ郷が「シャングリラ郷」に変
えた(引用以上)。・・・・・元々なかったシャングリラを偽物天国で探すのは更に困難なようだ。

★シャンポリオン・・・・・仏人で古代エジプト学者(1790〜1832)。ロゼッタ石によりエジプト文字(ヒエログリフ)を解
読するのに成功した。ロゼッタ石は上中下の三段にヒエログリフ、デモテック(民衆文字)、ギリシャ文字と並べて書か
れていた。

彼はヘブライ語やコプト文字にも詳しかったので、先ずプトレマイオスの文字を見つけ、次にクレオパトラを示す文字を
見つけて解き始めた。エジプトではもうヒエログリフの意味が謎となっていたのを、彼は1500年ぶりに解き明かしたの
である。以後彼は兄と共にエジプト学を盛んにした。

ルーブルには其の遺物が並んでいる(05/8/26のNHK総合TVから借用)。

▲シュイ・・・・・・・・

▲朱色・・・・・・・・朱とは水銀の事である。水銀を丹生(にゅう)と言ったので、其れで塗られた赤や青をアカニ・アオニ
(赤丹・青丹)と言った。漆器の場合も朱色は根来、黒は輪島が優れた物を残した。また寺社建築に赤丹・青丹が見ら
れるが、今見られる類似の物はベンガラもしくはペンキ仕上げである(ハニを参照)。

▲シユウ(蚩尤)・・・・・・・・シナの神農氏の時、黄帝と戦って濃霧で苦しめた。だが黄帝は指南車を作って方位を示し、
遂に彼(蚩尤)を殺したと言う。

・・・・・・・・紀元前1050年頃、シナの殷王朝を周の武王が倒して作った王朝で、武王の弟「周公」を孔子が儒教
の手本とした程この時代の政治が理想とされ、「史記」にも詳しく書かれている。周原から始まって西周※となり、やが
て東周へ移ったが、前256年に秦に替わるまで続いた。

だが考古学的には未解明で、歴史的空白部分となっていた。其れが今回、※2004/5/31日、「周王墓」群と見られる12
基の大陵墓遺跡発見があった。周の当時、度量衡では大尺と小尺とがあり、大は22.5cm、小は18cmだった(下記
の「周尺」を参照)。

西周は第12代幽王の前771で終わり、やがて今の洛陽付近に東遷して東周となり、前256年に秦に滅ぼされるまで
を春秋戦国時代と言う。

(字義)・・・・・・・円は丸の事。丸を特に円と書くのは、定点(自分)を軸にコンパスを廻した形を示した。先ず水平
面に柱を立てて、其れを中心軸にしてコンパスを廻した形です。所で今は「亠」と書いて「鍋蓋」と言うが、この呼び方は
古事・祭事に無頓着な俗学によるものである。

何故なら鍋蓋は古代から有ったものではなくて、中世からのものである。また鍋蓋の意味では例えば「亠」を付けた漢
字の「亡亢亦亥交京亶市・・・・」などについてどれ一つとっても的を射た説明が出来ないからです。其処で異説を述べ
れば、「亠」は地平線(一)に見柱(|)を立てた形で、物事の原点を示した。其処で円の字を「亠」に半円とした。

此れは太陽に向って北(手前)に位置する自分から見て、左から右へ太陽が動く事まで黙示している(「亠」、及び「円」
を参照)。其れに対して、周は一周を意味し、このため周の字は「吉」に半円としている。「吉」の字は土に口、またはプ
ラス(定点)と横線(水準線)と口(仕切り枠)とを縦に並べた字で「祭りの原点」を意味した。

「+」は定点・結点、横線は水平線、口は祭壇(祭りの場・方形の領域)を示す。こうして「吉」の周りに半円を描いて祭り
の場の一回り(または1年)、または周囲(領域)を表す文字としている。

次は
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