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     日知り事典      自然〜シックハウス

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▲自然循環と破壊・・・・・・大気と海流とが陸地の生物を育てる。陸地は其れによって育ち、作った養分を海に帰す。こ
うして自然の営みが循環(リサイクル)を作っている。だが科学技術や殺虫剤は其れを破壊するだけであり、科学技術
と言うコップの中のリサイクルさえ出来ないで自然界に汚物を拡散している。

自然の仕組み・・・・・・天象・気象や地異の原因、或いは植物の循環など大自然の仕組みについて、人間には分
からない事が多い。現代譬え 幾ら自然科学が発展したとは言っても、例えば蝶や野鳥の事など謎だらけです。

日本の野鳥の1/3以上は渡り鳥であるが、蝶や渡り鳥がどうして何千キロも飛行出来るのか、そして、夜でも目印な
しに目的地に到達する事が何故出来るのか不明です。生き物は気温や水温を選んで暮らす習性があるから移動する
訳だが、カラスや鰻の生態も謎であり、鮎や鮭、或いは病気の仕組みやウイルスの働きについても謎だらけなのです。

よって私たちは、分かったつもりで自然を「開発」の名で開拓したり壊してはならない。分からなくても日常や自然に感
謝する態度が大切です。其れには例えば先ず毎日の天気に対して感謝する心がけが良い結果を生む。そうすれば自
然から学ぶ事も多くなる。例えば▲渡来種の背高アワダチ草(キリン草)が猛烈に広がった時期があった。

人は此れを迷惑として心配したが、彼らは根から毒を出して急拡張していた。他との共生をしないで一人勝ちして来た
が、何時の間にか自家中毒で自滅して行った。また蛍の光から学んだ日本人がLEDを作ったり、イカから学んで液晶
技術を成功させた(▲以下は05/12/23のラジオ深夜便から)。

所が凡人は逆に先ず天気に対して不満をぶつけ合う傾向が強くなっているので要注意です。ともあれ真摯な態度が重
要であるのに、其れとは別の勝手な科学理論を立てて大自然を見下し、或いは自然に逆らって対策を弄したり、もしく
は謎の多い神々を否定するなどの傲慢な観念や生き方が目立つ。

だがそうすれば必ず頭を打って失敗するのです。人間には科学でも分からない事が多い。しかも人が一定の年齢に至
ると簡単な道理でも理解を妨げる心棒が出来てしまう。つまり自分の作った観念で自分を縛って更に「分かろうともしな
くなる」ので、此処から自然とは遊離して不自然となり、人間の堕落が始まるのです。

▲自然「災害」・・・・・・地震・噴火・台風・津波・落雷・山火事・洪水・・・などの現象によって被害が出た場合、マスコミな
どは毎回「自然の猛威」とか「自然災害」と連発する。けれども、其れが大自然の大昔からの営みであって自然界の摂
理・法則である。

法則があるのに逆らっていた結果において被害を出した場合は、其れは人災と言うべきであって自然現象が犯人では
ないし、そうすると「自然災害」と言う用語も不自然・不適切である。凡そこうした自然現象を怖がるのは人間だけだ。其
れに比べて雨嵐でも地震でも洪水でも、鳥や獣たちは大喜びだ。草木もそれで成長するから多分嬉しいだろう。

裸で身一つの彼らは、実に潔い。けれどもつまらない物を抱えた人類は其のつどオロオロと悩み苦しみ、悲しさを味わ
うのですが、特に星族(別項参照)系の欧米主義者は常に自然に対決して対策を練り、巨大な設備で対抗しようとして
来た。けれども悉く失敗したのである。其れも不自然な行為の当然の報いであろう(別項の「台風被害」、「ちゆるぎ」、
「防災」を参照)。

自然農法・・・・・・土地は本来一律ではなくて多様であり、その土地に応じた植生を持つ。その上に四季の日照や
風雨、其れに自然界の循環や周りの植生に応じて植物は旨く対応して自ら育って来た。

特に日本は平野部よりも山間部が多く、谷間や日影地が複雑に混在しているので、大陸的な一律な農法を持ち込んで
はそうした自然の繁盛性や農業をも駄目にする。従って自然農法とは在来の気候風土を貴んで作物を作る事である。
無論、焼畑や無農薬の有機農法も其の一つと見て良い。

だが焼畑と言えば日本の風土には無知な都会人がCo2問題と絡めて洋式学識によって批判するが、焼畑は表面の
草木だけ焼いても直ぐに蘇生するので何も害ではないのです。寧ろ表土を焼く事で雑菌を死滅させる効果と、副産物と
しての灰が次の生育の養分になっている。

また人糞を下肥として直に撒き散らす農法も臭くて近隣には迷惑ですが、こうした不完全な人肥農法であっても、堆肥
とすれば、自然のリサイクルを利用したシステムとして江戸時代まで旨く活用されて100%の自給率を達成して来たの
ですから実に立派でした。

所が明治以後、日本は農業の欧米化と言う近代化を進めたが、此れは西洋式農法であり、従って大陸式による機械
化と金肥(化学肥料)の大量投下に特徴があった。だが化学肥料は余計な害虫を多量に発生させ、其の対策として多
量の殺虫剤を散布する方式であり、それでは一部で旨みの有る商売となっても多数が困窮した。

人畜にも有害であり、食品とする農作物の汚染も懸念されると言う悪循環に嵌った。つまり南蛮渡来の舶来農法は
も鳥も排除する無機的な農地にするノーなし農法でした。この様に、機械化と化学肥料を使って、其の上、国から様々
な助成や恩恵を受けても近代農法では自給率の40%しか達成できなくした。

農業を打算として進めればこの様になる。でも近年は化学肥料を使わず腐葉土を作り、土作りから自然に戻す自然農
法が見直されて来た。自然(有機)農法が見直されて来たのは、従来の近代農業に対する批判からである。

こうした反省から一部では「自然食ブーム」となり、またスピード時代のインスタント食品に対する反省から、近年イタリ
アで活発化した「スローフード運動」が日本に逆輸入となった。所で04/12/19のNHK教育テレビ「今日を生きる」で
は名張市の川口氏との対談番組を放送した。

彼は自然農法実践化として18〜19年間も活動を続けていて、「自然農法で”生かされる”事を知る」とも、「野菜を育て
る事で自分が育つ」とも言い、従って人生転換になるとの話をされた。其れは「人が自然と一体化すれば自然から学
び、同時に喜びを頂くと共に、結果として作物が育ってくれて収穫の喜びを得る」からである。

こうした、「自然の理、命の理に沿ったものであれば喜びに繋がり、そうでないものに人は信を置けない」と語っていた。
とすれば、従来のアカデミックな知識偏重の教育家は彼の言葉に脱帽すべきであろう。

自然保護・・・・・・・「植林」、「森の文化」を参照。

慈善事業・・・・・・仏陀の慈悲による仏徒のお布施やムスリムの喜捨の行為、或いはキリスト教徒の博愛精神は
貴いものです。でも其れは一面で、「労働しなくてもある所から取れば良い」と言う歪んだ心を植え付け、性質の悪い共
産主義者を増やす結果にもなりかねず、それでは「笊ザルに水」になる場合も有ります。

其れは急場しのぎであって根本的な解決にはなりません。根本は本人の自覚と自立です。例えば被災者に対して義捐
金を拠出する行為は一時だけ被災者を楽にさせる。けれども其れで被災した場の復旧を早める事が出来たとしても、
原因の根本的な解決を遅らせる訳です。或いは砂漠地帯に植林する事業がある。

こうした慈善事業を装ったビジネスも後を絶たない。彼らは、其処に雨が降ると言う前提がなければ、幾ら資金を注ぎ
込んでも「ドブに捨てる」行為になる事を深刻に予定し、対処しているのかどうか、甚だ疑問です。

慈善事業を装った偽善的なビジネスや布教活動、或いは相手の立場に無知なまま、其処を「後進地域」のレッテルを
貼って、徒に「先進的指導」を押し付ける行為は何の貢献にもならない。教育でも医学でも同様です。

「ではどうすれば良いのか」と言えば、心が通う事です。理解者になれるかどうかであり、そうする事が彼らの自立を助
ける事になるのかどうかです。

■シソ・・・・・・・・・

地蔵・・・・・・・・お地蔵さんは偉いね。寒いときでも年中裸足で立っているんですから。そんな風に誰にも親しまれて
いる地蔵さんは毎月24日が縁日。安産守護や子安地蔵など各地に祀られて辻を守るので交通安全の祈りの対象に
もなっていて、特に水子供養とか子供たちの死後にも守ってくれるのが地蔵さんだと信仰されている。

其の事から舟形地蔵と言う墓石にしてある。此の形は夭折した子供の墓石である。また墓地の入り口には六道界を守
ると言う信仰から六地蔵が今は横並びに立てられて来た。お地蔵様に祈るのは地蔵和讃が有るが、密教のマントラは
オン・カカカビサンマイエイ・ソワカ。さて地蔵尊の縁日が24日であるのはどうしてだろう。

其れは薬師が八方×六=48、其れに中心を加えて49ヶ所(院)とされるのに対して、地蔵は六方位×四方・四季であ
り、三方×八方であり、二方×12月であり、24節気の節目を守る神として古くから信仰されて辻々に祭られて来た。
其れに対して従来、仏教的な意味不明の講釈が色々繰り返されて来たが其れでは分からない。

如何に珍しく壮大な話でも確かめようもない話は御伽噺と同じである。インドではクシティガルバと言い、大地の母とか
蔵と言う意味である。仏教でも日本でも本来は「地の蔵」、つまり地域の目印であり、神仏習合時代は国常立尊、鳥取
大山では大己貴命。

次は「ヤフー知恵袋」に回答した中から転載する。回答日時: 2008/3/10 16:33:11 編集日時: 2008/3/10 16:35:27 回
答番号: 47,131,682 -----地蔵さんは庶民的な存在ですけど、神様か仏様かが判然としませんね。奈良時代から江戸
時代まで日本は神仏習合の形をとっていました。なので色んな地蔵さんが有りますので一律の解釈では治まりません。

因みに寺と墓地はあの世への入口でした。其れに対して神社はこの世への入口です。例えば神社では祇園・牛頭天王
や大なむちの命が祭られています。でも、その横の寺院では彼らが地蔵菩薩として祀られているケースが有ります。ま
た墓地の入口には六地蔵を置きましたし、水子の場合は舟形地蔵にしました。

更に最近でも、交通事故のあった所に地蔵さんを立てるケースがありますね。なので結論として地蔵様は死後の御霊
を祀った所と見て間違いはないと思います。

■した・・・・・・・・・

しだれ桜・・・・・・古来、狩野派の襖絵には松と並んで桜が画材に選ばれて来たが、中でも絵になるのは枝垂桜であ
り、この名勝地も各地にある。枝垂桜は箒の様に元気一杯に枝を広げた桜ではなく、柳のような一種独特の風情があ
り、風雪に耐えた美しさが有ります。其の由来も修験道に因む所がある。

よって枝垂れの古木は普通の民家ではなくて庄屋などの名家、そして無論寺社に残されている。権現櫻は桜井市・長
谷寺の奥の院・瀧蔵神社にある樹齢400年の枝垂桜が見事と言う(桜を参照)。

■しち・・・・・・・・・
・・・・・・・担保。質草や人質など。

七観音・・・・・・・千手・馬頭・十一面・聖観音・如意輪・准ジュンテイ・不空羂ケンジャクの七種の観音菩薩の総称。明月記
によれば京都には革堂、河崎、吉田寺、清水寺、六波羅蜜寺、六角堂、蓮華王院の七観音が有った。

七五三・・・・・・・魔方陣を参照。或いは神宮暦などにある九星盤(図説を参照)の基本は357の数を横並びにして最
も安定した五行九星の基本形としている。此れは奇数(陽数)の三つ揃いです。方位は東西、時期は春分と秋分。此処
から幼児の祝いとして、或いは祝儀に使う数となった。  
  南  
  北

読みは357がミイナであるが、753とすればナイミ、または「和み」となる。また其の祝いの宴席では本膳を七菜、二の膳
が五菜、三の膳では三菜とした。また男子は三歳と五歳、女子は三歳と七歳を祝う。今は11/15日には晴れ着で神社
に詣でるように七五三の日取りが定着しつつある。

七五調・・・・・・・和歌や俳句のリズム(韻文)。
七言絶句・・・・・・・漢詩の韻文形式の一つ。

★七事式・・・・・・禅の教え「七事随身」(七事身に従う)に基いて本来の茶道への回帰を図るために江戸中期から裏千
家で始められた流儀の事。

七社・・・・・・・叡山の七社。
★七重宝珠・・・・・・極楽にあると言う金、銀、瑠璃、玻璃、珊瑚、メノウ(瑪瑙)、シャコなど七種の宝珠(宝樹)。

★七赤・・・・・・九星の一つ西の空の金星。
七生報国・・・・・・・七つの生、つまり七度、七世生まれ変わり死に変わりしても国の恩に報いようとする決意。こうした
楠正成の心意気を戦前は学んで祖国愛として多くの将兵が国のために殉じ散って往った。

七僧・・・・・・法会の時、重要な役を努める七種の僧職。講師、読師、呪願師、三礼師、唄師、散華師、堂達の称。
▲七大寺・・・・・・奈良(南都)の七大寺。東大寺、西大寺、興福寺、元興寺、大安寺、薬師寺、法隆寺。
▲七道・・・・・・古代の大道。東海、東山道、北陸、山陰道、山陽、南海道、西海道。

七徳・・・・・・・太平記に言う武士の七つの心得。暴を禁じ、兵を治め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和せし
め、財を豊かにする事。

七福神・・・・・・室町時代頃に作られて江戸時代に流行したご利益神です。戎、大黒は元々福の神として信仰されて
いた事代主命と大国主命。弁天は市杵島姫命だがインドではサラスバティエィー(川の神)。毘沙門天は仏教の四天王
の1人で北を守る多聞天。

また南に位置するのが寿老人で、南天にある星(カノープス)。従って日本やシナの地上からはめったに見られないから
見られれば長寿と言う信仰になった。また布袋様は実在の人物。そして福禄寿は宋代に活躍して福録寿を司る道士、
または南極星の化身とも言われる(以上「ヤフー知恵袋」に回答したもの)。

市町村数・・・・・・日本の町村数は幕末から明治初年の段階で凡そ1万だったが、1999/3月には3232、同年4月に
は3229、そして2004/12月には2927、そして平成の大合併を画策する国策により06(H18)/4月の段階で1850に減
らす予定だったが、06年3月末には1822となる。実に4割強も減る事となった。

いや現実には統一地方選直前の07/3/12日には1807にまで激減する見通しである。合併特例債など、財政優遇措置
によるゼニカネ主義の高まりに反比例して歴史文化が益々滅ぼされ、地名も益々抹殺されるが、其れでは地方が栄え
る筈がない。因みに05/7月の全国町村議員数は定数24657人に減っている。

所が職員数は合併後も減らず其のままの所が多いので合併によって新町名に看板を書き換えただけであり、中身は
変わらず税金の節約にもなっていない。インチキである。

死地を選ぶ・・・・・・・・・屡、人は「畳の上で大往生したい」とか「自宅で死にたい」と願う。或いは「小川の傍のお花畑
で花に囲まれて」とか、「花のように散りたい」と願う人もいたし、或いは「愛の炎に身を焦がしたい」とか、「スパッと斬っ
て貰いたい」とか、中には銃を選んだり、「車で突進して」自殺する人もいます。

何れも各々の終末・死生観があり、此れは人間だけに許された自由・選択肢かも知れません。人間の死は犬や猫の死
と同列ではないし、「何処の馬の骨か分らない死に方」はしたくないとか、「死地を選ぶ」事が何よりも、あの世に往生し
た場合に大きな意味を持つからです。

でも今では病院以外での死去は変死扱いされ、警察が入るので病院で死ぬのが無難な時代となり、実に嘆かわしい。
その点、昔の武士の生き様は「二君にまみえず」、死地を選んだ事だった。しかも重たい大小二本の刀を差して歩い
た。大は人を斬る武力を意味し、対する「小」は自らの腹を切る切腹用でした。

つまり武士は、自ら行った事に対して、死をもって償おうとする覚悟で生きた結果、各々大きな事跡を残したし、またそ
の死に方は感動的である。軍人たちもそうでした。だが同じ心掛けが今の警察官や公僕に少しでもあるのか、と言え
ば、何れも高給取りにはなったし図体も大きくなったが、小心者の口数が増えただけ。

此れでは大したお役には立っていないどころか罪悪集団に進んでいる訳です。つまり肉体主義者はこの世だけが全て
と誤解して惰眠を貪り、自ら地獄に落ちる道を進む訳です(僧については「行脚」を参照)。

★七曜日・・・・・・星の世界では七が神の聖数とする。聖書に「神は七日でこの世を創世した」とあるからだ。よって七
曜(七星)の七並べのカレンダーを作ったし、古キリスト教徒は一日に七回祈って来た。その時間を計ったのは砂時計
であり、或いは七枚ハネの錘による水時計でした。

またエジプトのキュービット(肘尺)も1パーム(指幅)×7、イコール1キュービットとした訳です。何れにせよ西洋には根
強いラッキーセブン信仰があり、日本では北斗妙見信仰があったし、室町以後には七福神などの迷信信仰にも変化し
ている。七曜を唐から持ち込んだのは空海である。彼は日曜を「蜜」と記して七曜を占いに使った。

だが現代日本人は此のような何の根拠もない七曜に支配され、これを基準に仕事のプランを立て、生活しているので
すから実に不合理で未開である。

地鎮祭・・・・・・・じちん祭。大土祖神、埴山彦神、埴山媛神、・・・を祭り、四方位に五行(注連)縄を張り廻らし、下地
に布を敷き、28宿神を祭る幣を立て・・・云々(江戸期の「匠家故実録」より)。世間では地鎮祭や建て前(棟上式)を大
安吉日にしようとするが、六曜は旧暦であり吉凶とは無関係なのです。

無関係だが西暦と対比すると不思議な動きに見えるので世間のゲン担ぎに流行しているに過ぎません。つまり迷信と
思って良いので、特に地鎮祭では無視して宜しい。ただ地鎮祭は神事が多いものの寺院でも行います。寧ろ本家は寺
院の鎮壇にあるかも知れません。本来は暦、つまり方位に対して行なう。

同時に天地の関係で先に述べたように産土神へ許しを請う事でした。そうした事から代々大工の棟梁が神を勧請して
執り行って来た。其れを踏襲したのが寧ろ今の神社です。或いは陰陽道から来たものも有ります。安倍晴明などが其
れですが、実は暦法によった。

この点では先の六曜に戻るように思えるが、彼の時代は六曜・六輝の暦注はまだ渡来してなかった。まぁ、神事でも仏
事でも其の作法に任せて置けば宜しい。彼らは其の道の専門家ですから、譬え暦注で日取りに支障があっても難なく
クリア出来るに違いない。

■しつ・・・・・・・・・

シックハウス症候群・・・・・・合板の接着剤に含まれるホルムアルデヒドやクロルピリポス(何れも毒性物質に指定さ
れた)によって皮膚障害を起こす事。室内の建材だけではなく、家具やカーテン生地、二段ベット、ソファ、パソコンなど
家電製品からも被害を受ける。

ジッグラド・・・・・・・・・メソポタミア文明の後に栄えたアッシリアは最盛期にはエジプトまで勢力を伸ばした。此処にジ
ッグラド(世界遺産)が残る。ジッグラドはバベルの塔の事ではないかと思われて来た。発掘したが王の墓や財宝は見
つかってない。更に500年古いジッグラドがある。此の頂上では豊作を祈願した。

またチグリス川の氾濫時には避難所となったと見られている(06/6/30NHK総合TVより引用)が、天文観測所であった
と思われる。

ジッ想観・・・・・・・かつて大阪四天王寺から西に難波の海が広がっていた時代、西門から望む光景が極楽浄土へ
続く入り口として信仰されたことに由来する修行。西方の極楽浄土に向かって手を合わせる事である。此処が特に有
名になったのは、西門であり、西門は極楽浄土の東門と向かい合っているとする信仰だった。

大体、四天王寺は南北を軸に金堂-五重塔−中門−南大門と参道が貫いており、また東にはかつて東門があったろう
し、今は西の西大門と石の大鳥居が残っている訳ですが、こうした四方の伽藍配置に対応するように暦の北に当る冬
至頃が此処の縁日(12/21の終い弘法)であり、また春と秋には彼岸会をして来た。

言うまでもなく、四天王寺は此の日想観だけの寺院ではなくて、聖徳太子が四天王を祀った寺なのですが、彼岸には
西門の中心に日が落ちたし、更に此処から夕陽丘の口縄坂からの景色が特に素晴らしくて名所となった。此の彼岸の
中日に「日想観(じっそうかん)」を行うために大勢の人々が集まって来たと言う。

特に春分と秋分の日は太陽が真西に沈むので、日想観に適した日とされ、先祖が極楽にいるとか自分も来世では同じ
極楽浄土に住みたいと願う善男善女の「彼岸会」がこうして起こったとも言われる。日想観による奇跡の成就を願って
夕陽に祈った。此処から見る夕陽は特に大きく見える。

あんなに大きなお日様がどうして急にドスン!と落っこちないのか。子供にとっては、実に不思議に思えるほど大きく神
秘的に見えるに違いない。此処のみならず各地の寺社にも日想観が行なわれた。本当は日本人独自の日迎え(別項
参照)の名残なのだが、仏教では此の日想観の由来をインドに結び付けようとした。

インドを始め、日想観を修した記録は中国においても『佛祖統記』第一四思照傳に知られるなど数多く存するからであ
る。以下、http://www1.kcn.ne.jp/~kosho/koshoken/ourai/90_kamii.html「日想観の風景」神居文彰氏の論説から引用
する。--- 日輪を媒体として佛を観想する行儀に「日想観」という一種の瞑想法がある。

太陽が沈む西の方を向き、心を静めてその落日をゆっくりと観て、沈みきった後もその姿を明瞭に見ているかのように
観想することである。それは、目を閉じていても開けていても観ることができることを諭す(中略)。

現存する『無量寿経』の最古の異本である呉の支謙訳『大阿弥陀経』下巻には、皆が佛の国土を見たいとを願ったと
き、「袈裟を被り、西に向かって、まさに日の没する処を拝し、阿弥陀仏の作礼を為し、以て頭脳を地につけていわく南
無阿弥陀三耶三仏檀」とあり、日没にぬかずき祈りをすることが説かれている。

皆ということは、全ての人であり、例外がないといっても良い。インドを始め、日想観を修した記録は中国においても『佛
祖統記』第一四思照傳に知られるなど数多く存する。誰もが、日没の太陽で楽土をかいま見たのである。人はなぜ日
輪を提起するのか。日本人は日輪の上る日の出を拝して、ご来迎という。

当然、来光・来降と関係させて慣用形成されていったのであろうが、光を見て救済と同義に理解されていたことは洋の
東西を問うことがない。文学ではゲーテの『若きヴェーテルの悩み』の「もっと光を」という叫び。建築では大聖堂のバラ
窓―日没の時の西に、面したバラ窓を通した光は燦然と堂内を荘厳する―、

絵画ではヒエロニムス・ボッシュの「天国の扉」。日本では湛秀『臨終行儀注記』に「臨終において日輪を見る」と示さ
れ、二上山や兵庫浄土寺の浄土堂、四天王寺の西門、黒谷金戒光明寺の門など実際の日没を拝するもっとも有効な
しつらえが臨終来迎と関係させて伝えられている。

これを単に、自然を拝するアニミズムに起因する行動と断定して良いのであろうか(中略)。『観無量寿経』は、「懸鼓の
如くなるを見よ」と円相を強調するが、C.G.ユングが編した『人間と象徴』のなかでアニエラ・ヤフェは円を「生命の唯
一至上の重要側面―つまり生命の究極な全体性を指し示している」という。

確かに二次元でもっとも単純な図形である円は、円のうちと外に分け隔てなく関係するように感じさせる。重要側面とは
生命が存する今しかそれを認知できず、究極には誕生と臨終に規定される(引用、以上)。

■して・・・・・・・・・

四天王・・・・・・・仏教の帝釈天の須弥山世界を四方から護るのが四天王である。多聞天・持国天・広目天・増長天
があり、よって各尊像が横並びではなくて北から東(持国天王)-西(広目天王)-南(増長天王)-北(多聞天王)-の順に配
置しなければならない。彼らは帝釈天の下で仕えて各々八部衆を従える。

因みに北を守護する多聞天王が毘沙門天である。また大阪の四天王寺は聖徳太子が建てたと言われ、和宗・総本山
として如意輪観音を本尊とする寺院であるが、この辺一帯がやがて四天王を縮めて天王寺村になった(今は天王寺
区)。他方、各時代に日本社会は和歌や武勇で四天王と言う人物を出して来た。


■しと・・・・・・・・・


地頭・・・・・・・・・鎌倉時代、承久の乱後に鎌倉は西国支配を一気に強めた。武士の館では長子、惣領制から庶子
が食み出たので彼らを地方に派遣した。鎌倉の権力をカサに、其れまでの在地領主に対して治安の維持を以って荘園
に割り込ませ、一部の土地を横取りさせた。例えば領家方と地頭方に分けて「下地中分」をしていった。

或いは地頭請と言って、訴訟を起こす代わりに一割ほどを荘園領主に払わせる事。一遍上人絵伝では萱津の宿(名古
屋市)で市が立った時に武士が脅している絵が見られる。また紀伊・宛河の庄には「地頭の言う事を聞かなければ、女
子供の耳を切る」と脅した文書が残り、更に地頭の手下が夜中に農民の集まった所を襲っている。

こうした横暴によって農民支配を強めて大きくなったのが例えば毛利氏である。だが農民たちも抵抗して土一揆を起こ
したり自治的な惣村を作り上げて行く(06/6/20NHK教育TVより引用)。

自動車・・・・・・クルマを参照。

自動車のリサイクル』−−−−−自動車のリサイクル料金は、前払いでユーザーが負担。使用済自動車の再資
源化を進める「自動車リサイクル法」が05年明けからスタートします。

シュレッダーダスト(破砕ごみ)とエアコンに使われるフロン類、エアバッグの三品目のリサイクルと適正処理を自動車メ
ーカーと輸入業者に義務付けた法律で、リサイクル費用はユーザーが負担することになっています。不法投棄を回避
するため支払いは前払い方式。

新車購入時もしくは最初の車検時までにリサイクル料金を管理する財団法人自動車リサイクル促進センターに支払い
ます。現在、廃棄される自動車の量は年間約400万台。総重量の約80%は解体業者や破砕業者によってリサイクルさ
れ、残りの約20%がシュレッダーダストとして埋め立て処分されています。

しかし最終処分場は残り少なく逼迫(ひっぱく)した状態。オゾン層破壊や地球温暖化の原因になるフロン類、展開時に
薬剤が環境に悪影響を及ぼすエアバッグ類の回収を含め、法規制によって使用済自動車のリサイクルを進めます。
2015年にはリサイクル率95%を目指す「自動車リサイクル法」が1月1日からスタートします。 

http://plaza.rakuten.co.jp/eco30/日本コパック(株) http://www.mag2.com/m/0000125755.htm(本項は上記のメルマ
ガから転載)。

★自動車「リサイクル」の実態・・・・・・国は環境について今更言う資格はない(「環境」を参照)。しかるに環境税など
を画策している。だが此れは従来の通産政策と両立できる政策ではないので、此れで其の矛盾を打開できないから
だ。従って単に新規増税策と、利権拡大のための迷案である。そして企業も同じ側に立つ。

企業はマスプロとマスセールで今も浪費を煽っている本家本元であるからだ。例えば現在の日本では年間500万台の
車が廃車ゴミとなっている。其の一部はリサイクルの名で転売されているが、どうしても1トンの内の200kg程がリサイ
クル不能のゴミとなる。其処で上記のリサイクル法となった。

改善策として此れまでは色々と手抜きと軽量化が行われた結果、車の燃費が良くなり、壊しやすくなった。其れは鋼板
やネジ止めを減らしてプラスチックやアルミの一体構造にした程度なので格別進歩と言えるものではなかったが、95%
リサイクル可能とはなった。だが本心は「買換え促進策」であり、「環境改善」とは全く別なのである。

次に三井物産が60億円の補助金を使って売ったDPF(ジーゼル黒鉛除去装置)にしても、環境データを捏造した詐欺
商法だった(04/12/27)。こうした環境ビジネスによって国民の税金は無駄に浪費され、そしてトラック業界は偽物
を買ってぶら下げて今日も走っているのです(「排出ガス規制」を参照)。




■蔀(シトミ)・・・・・・別紙の「月ヨミ」で解説。

★  



次は
・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆★●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
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