http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page214.html (未定稿)


     日知り事典   自殺・2

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自殺....2 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★


自殺受付所・・・・・・自殺は人口増大による歪が原因である。特に弱肉強食の今の進化論式格差社会が其れを
増大させている。つまりその責任は自殺者にではなくて寧ろ今の社会にあるとも言える。とすれば「自殺はいけないよ」
と言うだけでは解決しない。他人が「命の大切さ」等を親切そうに言うのも違和感があるだけで余計なお世話である。

特に政府は「人命尊重」などの、通り一遍のお題目だけ挙げて逃げていては良くない。人が一命を賭して死をもって3
万人もの人数で毎年訴え続けている現実が良い政治であり尋常な社会であるとは言えないのだ。年間3万人自殺と言
う世相の中で、小泉支持率50%と言う不変の数字をもっと深刻に受け止めたい。

この異常な状況を正視し、深刻に受け止めずに何も対応せずに見過ごしている為政者・関係者は特に恥ずべきであ
る。責任者をどしどし首にすべきである。政府は毎年3万人に及ぶ死を懸けた国民の訴えやニーズに対応すべき責任
を取って、毎年3万人の怠慢な公務員を首にすべきだ。其れをせずに自殺を禁止すれば良いと言う物ではなかろう。

例えば06/1/14の朝日新聞では「自殺未遂者や遺族に対する行政のケアは少ないし、自治体でも半数以上が自殺予
防に的を絞った活動をしていない。警察は自殺動機を詳しく集計しているが、8項目程度しか公表していない」と書いて
いる。「自殺は本人の意思の問題」と突き放したり美辞麗句で誤魔化すのはもう限界である。

例えばサラ金被害者の救済にだってお役所がどれだけ努力したかと言えば、金融課とか消費者保護と言うポストがあ
るのに業者の「やりたい放題」で放置して来た(借金を参照)。努力なんかしなかったのだ。自殺のニーズが多いのに、
事実を認めず否定的な事ばかり言っていれば闇から闇に自殺が続き、無関係な人々にも迷惑を及ぼす。

役所は何処も犯罪者集団の悪人役場となっています。06/10/6の朝日は「人権金融公社に府市が200年ローンで70〜
100億円融資の便宜」と報じた。しかも無利子。世間の常識なら10年が限度だが69年から以後200年のローンとした。
破格の扱いである。財団は公益性を言うが私的な部落開放にどれだけ寄与したのか。

実体は藪の中だ(同和系サラ金業者が使っている)。だから暴力金融に府も府警も甘くなり放任する。此の為、多重債
務者、破産宣告、自殺者増大の原因を作っている以上、破格の融資が「公益性」と言えるのか。苦しい中から無理して
納税しても、府市民は自動的に「社会悪」の共犯関係者にされている。

先に金融庁は一般企業を見捨てて銀行優遇の巨額公的資金を出した。銀行取引でも庶民を厳しく取り締まり出した。
しかし府市と同和のこうした巧妙なカラクリやマネーロンダリングを先ず何とかしなければ逆様であり逆差別ではないの
か。

何れにせよ、自殺を防止するには寧ろ各地に「自殺受付所」を設けて自殺ほう助をしてはどうか。そうすれば飛び込み
自殺や無理心中と言った悲劇が減るだろう。政府は困った人を抱え込む事が最早出来ない体たらくに在るのだから、
寧ろ自殺してくれたほうが楽ではないのか。

であればこの受付所を通じて自殺志願する人に対しては合法的な自殺として例えば、遺言を公正証書に書き残すサー
ビスとか、自殺方法をある程度選択させるサービスをしてはどうか。もしピストル自殺を希望する方にはピストルを貸す
とか、葬儀費用を国費で賄うなど、あの手この手の工夫を重ねるべきだ。或いはもっと良い方法もある。

例えば薬殺である。其れは医者だけが特権を振るっているので彼らに特典を付けて奨励する事だ。一般人は薬事法
や麻薬取締法があって厳しいが医局は例外だ。彼らは麻薬を自由に使えるのだから希望者にはどしどし与えて良い気
分で死なせてやる事も出来る。自殺者にとっては少し高くつくが、どうせ死ぬなら「宵越しの金」は要らないだろう。

患者を治せないと評判の高い藪医者にとっても此れは有りがたい話となろう。今の医学によって病人を治すのは中々
大変ですが、高額な麻薬を売っていれば売り上げアップで楽に暮せるだろうからだ。無論、自殺ほう助の医師には
生労働大臣賞を贈れば良い。

そうした特典を付けても当初は辞退者続出だろうが、一人殺して仮に10万円の利益とすれば、年間100人殺して10
00万円である。1万人の医師が此れに協力して仮に100人づつ殺せば年間3万人のラインを軽く突破して100万人
を達成できるかも知れない。

年間1000人を自殺させた医師には勲一等を乱発すれば自殺者は一層増えるだろう。病人を治すよりも、殺したほう
が楽に儲かるとなれば加速度が付くものです。こうして年間300万人くらいを目標にして次々自殺に追い込めば10年
で3000万人、50年で1億5千万人になり、数字上は日本人が絶滅する。

そうなれば米国も中国も韓国もロシアも邪魔者が消えて大喜びするだろう。日本には幸いにして麻薬を買う金が十分あ
るし、北朝鮮も楽に麻薬が売れてもっと喜ぶ筈である。と言えば此れは悪い冗談になるが、こうして人口減少に医者が
貢献すれば将来は寧ろ自殺者が減る可能性もある。

駄目な政府に代って従来は各宗教団体も自殺防止に一役買って来た。政教分離などと言う無理・無意味な建前を取っ
払って、其の辺りの力を借りたり生かすのも政治であろう。其れに生保業界も自殺者に冷たくなった。昔は契約から1
年後の自殺には保険金を支払った。その間に気が変わるからである。此れは実績から其のように判断した。

だが今は年々厳しくしている。この勝手な締め付けを保険業法は取っ払うべきである。ただもし過剰サービスとなれば
自殺に憧れて志願者が増加するかもしれない。この場合は自殺の前後の事を説明し、安易に憧れて自殺すれば後悔
する事を諭す役目を其の受付所に持たせれば自殺防止になるだろう。

或いは自殺を口実に様々な要求をする者も現れよう。アーセイコーセイとか、「1億円用意しなければ自殺する」などと
脅迫する手合いである。無論其れはぶち込めば良い。自殺志願者を甘やかすよりも、生きたくても生きられない状況
にある人たちを社会はもっと何とかしなければならないからだ。

生きたくても戦争に狩り出されて、命令によって突撃して逝った若い兵士も多かった。其れでも彼らは恨まなかった。其
れでも彼らは「お母さん、有り難う」と泣き、或いは「天皇陛下、万歳」と叫んで死んで逝った(「愛と死を見つめて」を参
照)。

因みにインドは人口12億なので日本の10倍である。インドでは其の二割が農家であり、自殺者が農民に多く、98〜03
年の6年間に10万人が自殺した事が大きな問題になっている。とすれば0.008%である。其れに対して日本は8年間に
24万人であり、人口の0.2%であるから、インドの25倍に達している。此れでも日本は先進国と言えるのか。

06/6/15自殺対策基本法が成立した。与野党の合意であった。8年連続3万人を越える自殺に対して、政府としてやっと
社会的責任を自覚した事になるが、ゼスチュアで終わらせてはならない。新任の文部科学大臣の元には早速「06/11/
11に自殺する」と言う中学生からの自殺予告文が届いてニュースになった。

其れを真似たように11/10日には各地から同大臣の元へ次々4通の同文が届いた。戦後日本の教育は失敗だったが、
子供たちにとっての文部科学省は、最後の駆け込み寺としての役割、つまり最後の仕事として皮肉にも自殺受付所と
しての期待だけ残されていたようだ。

自殺の因縁 1・・・・・・「自殺は良くないからやめとけ」と人は言う。けれども頭や理屈ではなくて因縁で選んでしまう
ので他人は押しとどめる事など出来ません。でもお後が・・・・実に醜態を晒す事になるのですから、もし自殺を志願した
方は決意を実行するまでに是非、思いとどまって貰いたい。自殺行為は自分を悲観する事から始まる。

悲観するのは自分を良く知らないからである。自分を知ればもっと自信が湧いて来るのですが、知ろうとしても普通の
人は教えられない。

だから他人に尋ねても無論分からない。他人は普通、自分の事でさえ良く認識出来ていません。普通の人は、自殺志
願者ほど深刻に人生を考えた事もないので、自分の事も知らず、従って他人の事などは尚更分かる筈も理解出来る筈
もないのです。しかも人間は元々同じではなく、個々別々です。

しかし学校や職場では1人の人間として同じ扱いをしますからこの点では問題です。同じ組成のたんぱく質、肉の塊ま
りとして見るなら、身長・体重の差が有るだけで同じ人間と看做します。だから如何に「命の大切さ」の空念仏を唱えて
も問題は解決しない。例えば病気の場合も同じ症状なら同じ薬を投与し、同じ手当てを施そうとします。

だが、人は何も「同一・均質・同等」ではなく、自分と他人とは実は全く別の存在である。だから自分の問題を皆同列の
モルモットとして処置する医学(特に心の悩みは医学では無理)に頼らず、また自分の事は他人に聞いても正解が出な
いので自分で調べる方が良いのです。

其のためにはお年寄りに尋ねるとか先の「円系図」を作って見れば逐一自分の設計図が明らかとなるでしょう(「魂の
実相」や別紙の図説の「円系図」を参照)。

そうすれば人は他人と一緒ではなく、過去・現在・未来の中で「只1人」の尊い存在であると分かってくるでしょう。其れを
お釈迦様は、「天上天下、唯我独尊」と説いた。人は皆同一の「平等」ではなく、魂も生まれも育ちも環境も他人とは全く
別の世界、つまり各々別々の天地に繋がっている独自の存在と分かれば存在感がハッキリする。

「自分でしかやれない」と言う使命感が意識できる。しかも人は誰でも個性的な多くの先祖の輪に囲まれている。ですが
其れが目に見えないから人は時として寂しく不安にもなるのでしょう。其処で先祖は高杉晋作が「面白き事もなき世を
面白く」と言った通り、色々味わって貰おうと様々な場面を工夫し、用意してくれたのです。

だから人生には必ず、山あり谷ありの喜怒哀楽がプログラムされています。その様に考えれば人がある時に苦労する
のも、其れはご本人が苦労を味わう体験をする時期に至ったからである。無論、其れを処理し、一段高いレベルの試
練を解決する能力が出来たからです。

従って譬え一時苦労しても、其の山を越えた時のより大きな喜びを味わって欲しいからに他ならない。俗諺に「這えば
立て、立てば歩めの親心」と言うのがある。親心・先祖の心は何時の世も此れである。其れを愛情と見れば有り難く受
け取れる。

だがオヤの期待に応えられない場合や其の愛を逆に受け取った場合は迷惑に思ったり苦痛に感じるだろうが、有り難
い物なのだから何も悲観する必要はない。無論、甘えてばかりではならないし、更に言えば、死を賭けて神や他人に訴
えたい事が有るならば、死を選ぶのではなくて、死ぬ気で生きて、何かを成し遂げてはどうか、と人は言う。

だが余りに真面目にしかも悲観的に受け止めてしまうと、目の前の「猪が山より大きく」見えてしまう。「自分には無理
だ」と諦めようとする。しかし、山より大きな猪は存在しないものですから、其れほど大きな苦労と思うのは錯誤(思い過
ごし)である事が多いのです。

でも、真面目な人ほど色んな問題を全て1人で抱え込み、その結果「この病気は治らない」とか、「自分には能力がな
い」と悲観し、諦めて自分を自殺に追い込んでしまうとすれば惜しい。その様な事態に追い込まないように、近くにいる
人は是非、本書の「患い」の項目を参照して教え、或いは褒めてあげて、十分其の能力がある事を認めて上げたい。

そうして本人が自信を取り戻せるように言葉を掛けて欲しい。こうした時に人を殺すのも生かすのも言葉の力が大きく
働くでしょう(次項も参照)。


自殺の因縁 2・・・・・・人は何時かは死ぬものである。であるなら、急いで死ぬ必要はないし、生き恥を晒したり無
駄な犬死としないためには、死ぬべき時に人生を締めくくり、花道とした方が良いに決まっています。だから大昔には殉
死も多かったし江戸期までは大儀の為に自害・切腹するのが武家の面目を保つ事も有った。

其れは其の時代は立派な最後と認められたからだ。そうした過去の因縁が自殺の一つの原因でもあるが、現代は其
れは通らない。神界の掟に照らしても通りません。殉死や切腹、そして玉砕などは人間を否定したのではなくて立場
上、義・礼を尽くして犠牲となった。其れに対して自殺は人間として生きる事を諦めて放棄する行為です。

よって自殺者は再び人間として生まれ変わる事もない。自殺者よりも寧ろ、この世に未練を持ちながら死に去った霊が
人として生まれ変わるのが優先される。所が医学(精神科)では其の主因が因縁とは認めず鬱病であると診断して薬
物治療でその1/3を治し、残りの2/3についてはカウンセリングや指導を通じて改善を図ると言う。

だが精神病は物質的原因よりも精神性のものであるから薬物などの対症療法では無理なのだ。主因は鬱病としても、
そうなるには因縁があるからであって、その因縁は主に血筋や家系の因縁であり、其の一つの現象として孤独感と言う
大きな穴を作る。其の穴が見えない家族や職場であれば、本人は冷たく放置された感じがして其の穴に入ってしまう。

孤独感は薬物でも指導でも取れないから内在化・深刻化して自殺に向わせる。既に起こった自殺の因縁を止めるのも
医学では無理である。其れよりも自分の前世の因縁の再現をストップさせ、或いは苦しんでいる先祖を突き止めて其
の遺志を別の形で代わって果たす(霊障消滅)とか、神仏や他人に謝罪すべきである。

人の死は突然の場合は別だが、自殺などの場合は大きな悩みを持ったままあの世へ往きます。単に「肉体の死去」で
はなくて問題を抱えたまま往くのですからそう簡単ではなくて、其の想念が更に拡大してしまうのです。其れも霊界で多
少は浄化されるが、「生まれ変わり」と言うのもある。

本人に代わって別の魂が其の遺志を引き継いで生まれ出て来るケースも有るでしょう(楠氏の「七生報国」の例)。
ですから其れは、後で僧侶が百万遍の念仏を唱えようとも簡単には解消出来ない。

其れよりも身内の人が世間的な評価で断を下さず、ご本人の身になり、同調し同情するのが供養になるだろうし、或い
は目(遺志)を転じてボランティア活動に励むような方法で解消するのが良いのです。そうしない内に一端自殺者を出せ
ば、後に悪因縁を残して更に最悪の結果を作る。

自殺すれば人間を放棄した訳ですから、あの世に逝っても席がない(「魂」を参照)。自殺者を出した後に譬え親族が、
自殺者に対して「早く天国へ行ってね」と幾ら供養し祈ろうとも効果はなかった事になる(「死生観」を参照)。「後の祭り」
である。普通の場合だって天国は遠いので中々到達できない。幾ら急ごうとも最初から天国に行き着く者はない。

其れは顕界、つまりこの浮世を見ても分る通り、この世にも天国がないようにあの世にだって限られた場にしか存在し
ない。自殺はだから如何なる宗教でも古今東西認めはしなかった。人間としても先祖の仲間としても籍を作れないので
霊界には逝けず、動物や虫に憑依するか、その場に縛られて暗くて狭い世界を作ります。

其の寂しさの余り無関係の他人に憑依しようとする。此処で更なる罪を犯し、中幽を迷う結果、「自殺は七代祟る」事に
なる。例えば深刻な問題が発生した人を調べれば分かる通り、其の家系には必ず過去に自殺者が続いて来たケース
が多く、しかも惜しい事に其の家系は優秀な家系であるケースが多い。

ですから此処で立ち止まって貰いたい。虫やケモノは本能のまま生きる。従って彼らは悩まない。つまり自殺例もない
に違いない。だが人間は本質的に考えると言う特権がある。つまり悩むと言う行為は優れて人間性が豊かであると言う
事なのだ。この点に気付いた途端に気持ちがクリアできる。

クリアした時点で知恵が出て人間性に一段磨きが掛かる。或いは教育や読書や他人の話では理解できなかった事が
色々見えて来ます。或いは自力で困難を乗り越えた自信が実体験として身に着くだろう。こうして自殺の因縁を貴方の
世代で止めるのです。此れは意外に簡単だ。先ず現実を正視する事である。

次に其れを認める事です。世間に腹を立てないで「まぁこんなもんだわ」と認める事です。例えば「自分は美人だ」とか
「有能だ」と思っていれば、其れを認めない世間に腹が立つでしょう。でも自己過信や誤解が有ったかも知れません。
とすれば今は一歩引いて見る事です。運を天に任せて暫く待って見る事です。

さて次は余談ですが、親が長生きすれば子供は楽できる。此れが幸福ですが、逆に親に早死にされると子供は苦労
します。普通は其れを不幸と言う。不幸に加えて長期間、毎月の墓参も大変です。ではあるが、墓参は子の務めであ
り、子が親の墓参をするのは順番ですから幸福の期間の長さの問題に過ぎないとも言える。

だが逆に、親より子供が先に早死にする「子の先立ち」は親にとって最大の不幸であり、子供としては親不孝である。
親は大きな悲しみを受けた上、老身で毎月墓参をするのである。とすれば、自殺してまで親に二重の苦を掛けるのは
是非止めたいものです。

自殺の動機・・・・・・・・自殺の動機は色々ある。例えば女性が男に腹を立てて「死んでやる!」と言えば、僕ならオ
ロオロしてしまいます。だから僕には効き目がありますが、決して万人共通の万能薬ではない。或いは誰かに迷惑をか
けた時に「死んでお詫びします」と言う場合もある。此れも時々聞く言葉ですが、死んでも意味があるとは思えない。

誰でも何れは死ぬのですから、死ぬ頃を見計らって死んだ場合と五十歩百歩と思われます。死刑のように他者から強
制されて待ったなしで死ぬ場合だけ、有効なのですが、死刑と自殺とは別なのですから。

さて自殺の動機は凡そ次の各項になる。例えば@友達や家族がいても、自殺を相談し掛けると必ず「やめろよ」と話を
打ち切られてしまって、それ以上に話が進まない。だから自分の苦しみを聞いたり理解してくれる人がいない。よって次
第に孤独になる。だからインターネットなどで同じ話題を探して其の中に入って行く。

A苦しみから救われたい。或いは苦しみから逃れたいから死を選ぶ。B何もかにも厭になって自殺を選ぶ。こうした事
から優しいタイプの人が自殺志願に嵌ると言われるが、本当は彼らも「生きたい」、けれども苦しみから「出口が見えな
い」と悩んで自殺を選んでしまう。

確かにこの世は「憎まれっ子、世に憚る」ようになっている。ですから人は厭な事でも適当にあしらったり色々体験して
もっと傷付いても良いのです。だが若者たちはクソ真面目に受け取ってしまう。或いは自分が傷付く事を恐れてしまう為
に自殺に走る。とすれば惜しい事である。或いは自分が頑張っても人や世間が中々認めない。

其れが続けば当然悲観します。「自分は駄目だ」と思って当然かも知れない。でも深刻な悩みを抱えているのは貴方だ
けでは有りません。皆さん誰もが悩んでいます。身体不自由とか生活苦もあります。愛の破綻もあります。どれも深刻
です。其れを顔に出さずに押し殺して済ましているだけです。

或いは其のエネルギーをスポーツとか仕事に転換して憂さを晴らし、或いは他に転嫁しようとします。酒に溺れたり他
人を騙すと言う行為もします。其の点で貴方は其処から逃げず、一人で何とか解決しようとするのであれば不器用な性
格かも知れないが、実は立派な事です。

其処まで考える貴方は他人よりも頭の構造が数倍緻密なのでしょうからもう一歩で哲学者になれるでしょう。頭で考え
てしまう人には其れなりの答えが用意されている.。例えばキリスト教では終末思想を用意している。新約聖書にも「この
世の終わり」を記している(例えヨハネの言葉とは言え、「最後の審判」も中々来ないし此の世が終わらないのだが)。

核が出来ても世界各地で戦争が絶えないし国内でもトラブルや事件が多発しているから厭なニュースばかりが届きま
すから益々悲観的になって当然であり、自殺の動機には事欠かない。でもヒト(他人)はヒト(他人)、ソレゾレなのです。
お互いがお互いの因縁によって、この世で色々体験するために出生したのですから、じっくり味わって欲しい。

とすればもっと悩んで欲しいとさえ思います(「誕生」を参照)。

人でも植物でも一粒種のような小さな状態から大きく育ちます。ボールが弾み、大きく跳ねるのは伸縮力、つまり弾力
(反発力)があるからです。つまりボールの場合はギュッ!と押し潰されて縮まった時に其の反発力が弾力となる訳で
す。新月から満月とか四季の繰り返しも言わば伸縮の繰り返しを教える事象です。

夏の暑さも冬の寒さも伸縮を助けて成長を促す働き(原動力)なのです。ゴムが延びきったままのように人が膨張し、弛
緩したままでは使い物になりません。とすれば今の風雪に耐えて今生の生命をより深く味わって欲しい。其れに耐える
忍耐力も大切です。もう一段飛躍するためには今よりもっと押し潰されて縮こまる時期も必要なのです。

其れが無理と誤解した人たちが其処から逃げて実に詰まらない行為に走るのでしょう。そうしないためにも時々は天空
を仰いで大らかなエネルギーを腹一杯吸い込んで見て下さい。其れが「祓い」(別項を参照)になります。或いは自分の
足元にある出生の謎に挑戦して見る事です。其処には先祖(「円系図」を参照)がいる事を思い起こして下さい。

▲自殺の動機の深層には今の自分に満足できない問題が横たわっているものであり、其れは自分の意識と潜在意識
との連携が採れていないからです以下は「駄目な自分を救う本」石井裕之著)。潜在意識とは先祖の意識体であ
る。誰が貴方を認めなくとも先祖は認めているのですから狭い目で即断してはならない。

神々やこの世の大自然があなたを認めているから其処に今存在できている事を忘れないで下さい。先祖と言う自分の
設計図を無視した上で、自分勝手な動機だけを追い求めずに、寧ろ足元を見つめて下さい。足元は親元、其処には暗
く大きく深い落とし穴ではなくて、もっと安全な広くて暖かい和と愛が有る筈です(人生観4を参照)。


自殺の前に・・・・・・「人命は地球より重い」か? 昔、ダッカ事件の時、福田官房長官の父君である当時の福田総
理が「人命は地球より重い」と称して「苦渋の決断」をし、「持参金」まで付けて政治犯を釈放して世界のごうごうたる非
難を浴びた。

しかし、あれは人質を「見殺し」にした場合の国民からの非難に耐える事に比べれば 「苦渋の決断」でも何でもない安
易な道でしたからね。265 :朝まで名無しさん :04/05/17 22:23 ID:ExF8owTf総レス数 26573 KB [ 2ちゃんねる 3億PV
/日をささえる レンタルサーバー \877/2TB/100Mbps]----より引用(超法規的措置を参照)。

日本国民は、此れまで政府からその様に重く扱われた事例がなく、寧ろ軽視されて来ました。しかし此れ以後、何か事
件があるたび「人命重視」を言う人が多くなったが、何れも政府や自分の責任をすり替える誤魔化しの「空念仏」に過ぎ
ませんでした。そう言う方々は、確実に税金や票を取る側の人たちの言い分に過ぎない。

つまり得票や人気、または税収が確実に減る事を恐れて言っている。コチラはもう其の苦しみを更に続けるのが耐え
難いのだから平行線である。「面白くもない今の世間に見切りをつけて去りたい」とか、こんな日本に嫌気がさして自殺
しようと言う人の気持ちをもっと重く受け止めるべきだ。

だがそんな人に、「生きてさえいればきっと良い事があるよ」と言っても、何の保証もないから自殺を選ぶしかないので
あって、家族や友人ならば理解して上げるべきだろう。出来れば重荷の一部でも肩代わりしてやりたい。それもせずに
只、「自殺に反対」と言うだけでは、気休めにもならず、どうしようもない。

嘘や仮定の話は此の段階では無用です。家族や友人ならば、打開策を一緒に考えて上げるべきでした。この段階にな
ってしまえば、今後もっと苦しみを味わう事よりも、楽にして上げるべきではないか。でも今の世の中、そんな友人はい
ないものだ。友人たちは寧ろ冷ややかに「情けは人の為ならず」と誤解する時代である。

だから此処では次の段階の話をしよう。自殺したいと思ったのは、神様の命令なのか、其れとも自分の自発的な意思
なのか。本当に自分の自由意思なのかどうかをどうして確かめたのか。一時の迷いとか悪夢を見ているのではないの
か。もしそうなら勘違いかも知れない。其れは今は分からない。

分かるのは殆どの場合は決まって死後に判明する。もし嵌められたと知ったら後悔するが、その時では取り返しが効
かない。だから思い込みで早まってはならない。特に恨まれた覚えの有る人は嵌められた可能性もある。かつて自分
の半生で他人の恨みを買う事がなかったか、自信があるだろうか。

なかったらもっと調べる必要がある。例えば物の怪に憑かれたら思い詰める。此処からは中々開放されない。自殺に
失敗しても何度でも再挑戦するような暗い方向へ進む。いや其のように仕向けられるのだ。自分の意思と思ってする事
が実は物の怪の意志(エネルギー)なのだが自殺の動機の原因の第一が先ず此れと見て良い。

其の第二は因縁だ。自分の意思と思っている事が実は因縁による繰り返しの場合も有る。因縁は先祖を洗えばある程
度判明する。此の何れかの原因が判明すれば気持ちが急転して死ぬ気にはなれなくなる。だから無理に自殺を急ぐ必
要はない筈です。

もう一つの解法としてヒントを言う。一人で閉じこもる事を止める。出て行って色んな人に会え。例えば買い物とか、公民
館やカルチュアセンターで他愛のない話をして見る事。或いは自分の先祖に繋がる寺社へ参拝して見る事。其の上で
別項の「霊主体従の理」を参考にすれば良いだろう。

自分が寂しいと思うのは、実は先祖が寂しいのである。先祖の墓参りをしなかったから寂しい思いをさせているので
す。或いは他人を恨んで自殺を決意した人は、他人に対してかつて恨まれる行為をして来た可能性がある(此れが因
果律)。それを反省した時に、気分は軽くなる。そして今、貧困である場合は、霊的なエネルギーが貧困だからです。

それを補給するにはサラ金の金で輸血してはならない(サラ金を参照)。エネルギーはサラ金や保険ではなく仏壇や墓
前で受け取れ。其処が霊的エネルギーのコンデンサーになっている。先祖の命日に帰省するか墓参する事が必要で
す。いや此れは今直ぐすべきである。





 
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