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http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page108.html (未定稿)


     日知り事典   死後〜自殺

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死後・・・・・・・・・死後はどうなるのか。先ず幼くして亡くなった子供の場合は寂しい思いをするので特別な計らいが
あるようです。ですから賽の河原で石を積むような事は先ずないでしょう。其れに地域の人の為に人柱になったり、天
災地変の犠牲となった場合は大切にされる。其れに対して普通はどうか。此れは千差万別です。

奇特な方の場合は、極楽浄土から宝輦を曳いた行列でお迎えに来るらしいが、其れを常人が確認するのは無理。で
は普通の死後はどうなるのか。肉体の面だけ見れば簡単です。火葬場に運ばれて骨と灰になるだけです。骨も灰も何
れも白い。よって生き物の本質を古来「魂魄」と書いた。魂は精神。

魄は肉体であり、其の肉体が滅びて白い骨に変わるので魄と書いた。例外として黒くなる箇所があるが、其れは薬害
の跡である。

さて昔は土葬したので此れもやがて白骨になり更に水になります。ただミイラなど例外も有るので一応述べて置く。例え
ば中国福建省で3年前に116歳で亡くなった僧侶を永久保存した。彼は生前から医薬に通じ、其の遺言に従って弟子た
ちが遺体を甕の中に座禅させた格好で木炭や石灰で密封して保存処理した。

06年2月に甕を開けた所、肉体は腐らず、表情は生きているようだった(即身成仏を参照)。頭髪は1.8cm伸び、手の
指の爪は1cmほど伸びていたと言う。弟子たちの記憶では、僧侶は死ぬ十数日前から、水以外は何も口に入れてな
かった。地元の仏教協会は、彼を「肉身和尚」と呼び、永久保存を指示した(06/6/27朝日新聞より後半を引用)。

さて今は年をとるほどに「若さ」を誇り、競うと言う矛盾した観念が蔓延する時代です。だが本人が如何にそう思っても、
死は必ず有りますし確実に近づいています。死ななかった人間などは一人もいないのですから、殆どが突然に死がや
って来たように思って戸惑う。普段から「死」を考えない人達は特に突然の事のように思って逆らうだろう。

でも逆らっても自由が利かなくなる。次に、死後の事は肉体だけの問題ではないのでやや詳しく述べる。殆どの日本人
が今は「死」を「天国に旅立つ」と言うが、其れはキリスト教の観念に過ぎない。其の観念にしても、天国が何処かに実
在すれば問題ないが、天国は無いのだ。特に日本の場合は生まれた里に戻る。其処を本源と言う。

即ち先祖の懐に帰幽する。或は別天地に骨を埋める場合は、其の地域共同体の霊界の一員に加わる。つまり何れも
初子(うぶご)として新入りする事になる。何処にも1万年以上の歴史が有り、魂も溢れている。幽霊が犇(ひし)めき合
っているので、ある程度は序列や秩序があるものの、矢張り天国ではなくて、この世の社会と略同じです。

ただかなり違う点は精神世界ですから道理が第一となる。其処から此の世で道理に反して他人を苦しめた者や我利に
働いた人は選別されてランクが下がる。モノカネは此処では全く通用しないので、喩え地元で幅をきかした有力者や集
団に頼ろうとしても、此処では空中分解しているから存在しない。

だから此の世で経済活動して出世した者にとってはそのような友人やグループを探しても存在せず、寂しい思いを味わ
い、また経済観念が全く通用しない為、一時は地獄を味わうかやり直しを迫られます。しかも此の世の人生は短いが死
後は永い。と言っても現代人は全く信じないだろう。

人は今、生きる事だけに精一杯ですから、死ぬ事などは予想すら出来ない。ですから余程暇人でない限り、「死後に何
処へ行くのか」などと考えようともしない。其れが普通であり、死後は何もなく、何処へも行かず「死んだら終わり」と思う
のが一般常識です。

でも「死後がある」と信じている人達の方が古今東西多いし歴史も永い。其れは、近代科学迷信に毒されなかった以前
の何万年もの間、固く信じられて来た実績があるものです。其れに対して今のキリスト教とか科学イデオロギーは百年
か数百年と言う極く短期間の実績しかない。従って今の常識も仮定や仮説で固めた未熟な約束事でしか有りません。

さて人は死後、生物は肉体を失うので、精神だけの存在になります。心が先鋭化し、増幅するのです。愛はより強い愛
情に、喜びは歓喜に、憎しみはより大きな憎悪にと膨らみます。病気は治らずそのまま苦しみを手土産に持って行きま
す。

生前の観念や行為によって、霊主体従の理(同項参照)に従って自分の想念に同調・共鳴出来る世界に進みます。
これが自己責任による公平の理です。だが死後に直接何処かに旅立つと思うのは早計である。実は死後、一定期間
は子孫の肉体に一部の魂が留まるものの、その後は中幽界に進んで郷里や仕事仲間と暮らす事になる。

其のプロセスを経てやがて神界・仏界(六道界)、即ち動物界・虫類・植物界へも分化する(六道を参照)。

所で、「突然死」などに遭遇した関係者はその死を悼んで当然ですが、ただ余りにも悲しみが大きな場合は、其の愛の
絆によって地上に執着を残してしまい、亡霊が後ろ髪を引かれる思いで中々往生出来ませんから、法事を区切りに遺
族は悲しみを乗り越えて徐々に忘れる事も必要です(13仏、年忌を参照)。

或いは遺族や友人が、気休めのように「あの人はきっと天国に旅立った」とか、「巨星堕つ」とか、「あの星へ旅立った」
などとロマンチックに語り合う事も有る。そう思いたいものですが、実際は子孫の体の中や人間社会の身近な所に留ま
っているのです(「霊界」を参照)。

遺族の愛情が余り強かったり、或いは死者のこの世への執着が強ければ成仏出来ず、未成熟のまま虫やケモノや身
体的に障害を持つ形で再生してしまうケースもあるので要注意です。

無論、死者が再び人として再生するかどうかの保証はない。生前の行い次第で自ら行く場所が決まってしまうので、大
多数は人として再生せず、動物界や虫類に化生する。しかも其れさえ叶わず、永く中幽界に迷うケースが多く、此れが
色んな災厄を起こして問題を作ってしまうので、こうした霊的な精算が次に行われる(「最後の審判」を参照)。

また俗諺に「馬鹿は死ななきゃ治らない」と言うのがあるが、実際の所、死後に「やり直し」は利かない。つまり馬鹿は治
らない。繰り返す。死後にあの世でも治らず罪の精算も出来ずに永く苛(さいな)まれて苦しむ。なので其れよりは、生
前に悔い改めるほうが楽である。今の人生よりも死後の期間のほうがずっと永い(「苦」を参照)のですから。

其れは理屈や観念論ではなくて見本もある。例えばセミは、暗い地中で幼虫として数年間過ごし、この世に出て成虫と
なってたった2週間と言う生涯を人に見せている(次の「死後の再生」、及び「中島 敦」も参照)。だから釈迦は刹那の
享楽ではなくて未来永劫のためにこの世で修行し、功徳を積む事(成仏)を説いたと言われる。


▲しごあ・・・・・・・・
▲しごか・・・・・・・・
▲しこく・・・・・・・・

四国八十八ヶ所・お遍路・・・・・・弘法大師・空海が四国各地に修行の場として配置した寺が88もあり、昔から何百
年も続けられて来た信仰形態です。だから今風の観光ツアーとは歴史も性格も違うが、今も「お遍路さん」の名で親しま
れる霊場巡りの場である。お遍路姿は菅笠にズダ袋を負い、白衣(白木綿)・手甲脚絆・白足袋で金剛杖を携える。

つまり「死に装束」の出で立ちであり、此の姿は即身成仏や「死出の旅路」を意味する。その意味で参加するのだが、
参加した後は至福感を味わうようです。無論若人たちも増えて来た。因みに、淡路とは「阿波路」とも書く。其処で、鳴
門の渦を見る第一番「霊山寺」(ご本尊は釈迦如来)から発願すれば、地元の「お接待」を受ける。

普通は、其処から時計回りで八十八番まで巡る(順打ち)だが、歩いて全部を廻ると約50日はかかると言われる。なの
で普通は何度かに分けて廻る「区切り打ち」をする。バスツアーでは普段着の上に法衣を簡略化して首から掛ける輪袈
裟と、金剛杖と言うスタイルになる。

また寺(札所)に納める納札は、沿道の人から接待を受けた時に、名刺代わりに差し出す事になっている。他方、「お礼
参り」には十番まで「さか打ち」し、また、閏年にも逆周りする例(逆打ち)も出来た。「順打ち」が基本ですが、「逆打ち」
のほうが弘法大師と出会い易いとか「功徳が大きい」とされる。

因みに八十八番は結願所として大窪寺(本尊は薬師如来)が有り、古くから「女人高野」として親しまれて来た。此処は
高野山と善通寺との間の、略東西線上に位置する。お遍路で此処に至った場合は菅笠と金剛杖を方丈堂に納める。

金剛杖は握りの部分を五行(別項参照)の理、つまり卒塔婆の形に刻んだ杖であり、この杖を突いて巡れば、弘法大
師との「同行二人」の行脚になるとの信仰がある。またこの杖により、お遍路すれば「新しく生まれ変わる」(再生)とも
信じられて来た(前記の「金剛杖」を参照)。

何れにせよ、「お遍路」は各地で朱印を押して貰うが、四回以上回った人は御札の色が別になる。次は余談として、数
字だけの話だが、八十八は「米」の字であり、八方をも意味する。だが四国のこの寺々は無方位に四方八方に散在す
るので、平等に順に巡る事になるが、各地には弘法大師が水に纏わるご利益を残している。

よってこの霊場巡りは稲作民の信仰と結びついた。また88×4回=352の数字は、先ず8×4=32とすれば父方先
祖と母方先祖となり、次は352/12=29.3、つまり約1ヶ月(朔望月29.53日)の日数になる。とすれば此の日数も矢
張り稲作の月神巡りと見る事も出来る。

地獄・・・・・・・・天国に対する地獄があるとする仏教的な概念。暗くて冷たい所が多く、外にも炎熱など八大地獄があ
って大多数の人が死後、一たん此処に向かうと言う。

時刻・・・・・・・・・機械式の時計がなかった昔はどうやって時刻を計ったのか。日影の一番短くなった瞬間が正午。従
って其の影を例えば御堂の奥にでも記しておく。そして日没からは星影を追った。星が見える場合は御堂(別項参照)
の蔀しとみ戸の格子目から見える星座の動きから時刻を図って定刻に鐘を突いたと思われます。

其の定刻の印を格子戸に印して置けば、もし翌日雨天の場合でも、其の逆の位置・方位を昼間の時刻として設定可能
でした。

■しここ・・・・・・・・・

死後硬直・・・・・・・・死後、死体が硬直を始める事。このため刑事事件などでは硬直の状態から死亡推定時刻を逆
算する(厳密には前後2回の硬直がある)。トモアレ動物は皆、上顎が固定されて下あごを筋肉で支えて下あごだけが
動くようになっていて、人は四本の咀嚼(ソシャク)筋で動かしている。此のため人は死後、下あごが開いてしまう。

でも其のまま硬直してはお葬式の「最後のお別れ」に困るので、ご臨終後には直ぐ下顎から頭に掛けて白布を巻いて
頭頂で結ぶ(歯科医師の話から)。

■しこさ・・・・・・・・・


自己実現・・・・・・・自分の意思や決意、つまり自己が主体的に決定した事を実現しようとする事。但し希望や理想が
大きくても実力や運が伴わなくては空回りとなり実現化は遠のく。譬え社会制度が多少変わろうとも自立さえ無理であ
る。自己実現に一番必要な事は自分の足元の設計図である先祖を先ず知る事である(「円系図」を参照)。

自己責任・・・・・・・自


子午線・・・・・地軸を中心に北極と南極とを結んでグリニッジから人為的に細分化したラインである。太陽の黄道で
はなくて赤道と直交する地軸ラインである点に注意を要する(黄道、及び「星読み」を参照)。

死後の再生・・・・・・・・・人は「生後、老後、・・・」と言う人生を経て死に至る。其処から死後の問題となるが、生後
よりも死後の期間のほうが実は遥かに永い。死後に魂は肉体から分離し、しかも其の魂が「」に再分霊する。電
界がプラスとマイナスから成るように、魂も陰陽に分離する訳です(「魂の実相」を参照)。

分離後は死後の世代にして凡そ9代(約230年間)、子孫に頭を貸し、手を貸し足を貸して次々と世話を焼く。其れが
済んでからやっと開放されて自由の身(みたま)となります。此れは霊体の彼が一定のカルマを果たした時や命日や法
事の時など、子孫の状況を見届けて自分の果たした一定の役割を有る程度見届けて達成感を味わう。

其れをエネルギーとして昇華、つまり安心して次の段階へ旅立つのですが、自由な旅立ちとは言っても、中幽界を経て
天国へ直行する魂は少なく、ゆったりとした静かな時間を過ごしてから其れまでの想念に従って殆どがいったんは地獄
に進む。其処で色々学んでからまた徐々に浮かび上がるまで数百年かかる(「苦」を参照)。

其のときがあの世での誕生(往生)である。つまり早い話が若返る事になります。其処からまた成長して成人になり、そ
して運よく、同調できる他の魂と出会った場合に魂の合コン(魂の合体・融合)と言う結果を得るのが霊界での結婚であ
る。合コンと言ってもこれは今流の「合コン」ではなく、肉体の結婚と似ているがもっと至福感の大きなものと言われる。

・・・・・死後の処遇は生前の想念や陰徳によって決まる。例えば、ソロンアサミ氏の予言を借りて述べれば、一生真面
目に働いた人は「働き虫」に過ぎないので、虫の世界に行きますので人間としては再生しない。人は働くだけではなく
て、人としての道とか、真理の勉強が必要な存在なのです。

でもなまじ勉強しても、この世に不平不満を募らせてボヤキや泣き言ばかり言うのでは此れは「泣き虫」ですから、泣い
て動くだけの動物や鳥や虫になります。或いは逆に他人に迷惑を掛けたり、弱いものイジメを繰り返して人を泣かせた
場合も同類になるか、泣く事も、笑う事も出来ないケモノになります。

また「人間嫌い」になった人も死後、人間として再生する事はない。・・・・・と言う。自殺も同じです。しかし人間として再
生する道もまだ残されている。其れは子孫が彼(彼女)の弔いと霊迎えの祭りを続ければ必ず再生できる事です。此れ
は過去数千年間、世界各地の特に日本で「先祖祭り」として信じて続けられて来たし実績を持つ事実です。

万物は有限ですが、無限の宇宙の中で息をして動き回っている限りに於いて「無限」の存在となります。こうした真理に
気づいた人が「悟り」を開いた人であり、それに対して学識や権力があっても、死後を信じられない狭量の人が「迷い」
の世界に入って死後に後悔し、苦しみ続ける。のみならず子孫に訴えて来る。其れが霊障(別項参照)となる。

人の誕生は素晴らしく、其の逆の死は悲しい。でも素晴らしい筈の誕生とは、実はこうした死後の魂の大きな悩みや思
いの結晶であると分かった時、魂の継続と不滅が実感できる。其れが肉体ではなくて命(魂)の貴さであり、其れを「魂
の尊厳」と言う(「魂の実相」、「七生報国」、「因縁」を参照)。

仕事・・・・・・仕事はキッチリ、綺麗に確実にするものです。基本に忠実に、しかもプロとしては工夫を重ねて日々研
鑽努力する。最近はオーダー(注文者)が「急げ」と言う場合が多いので、この場合は早くする必要が有ります。お役所
の様に、何時始まって何時終わるのか分からないような業務は仕事ではない。

仕事は時間中うろうろしていれば其のうち勤務時間が終わると言うものではなくて、一つ一つ片付けるコトである。だが
今の下請けイジメのように合理化・数値化で極端な時間との競争となれば基本から脱線して手抜きや偽装となります。
仕事は「仕える事」であり、単なる時間つぶしでも労働でもない。

戦後はキチッとした仕事を出来ない人が増えたのでお役所は盥回しが当たり前、民間ではニセ温泉、医療ミス、商品・
耐震偽装、パロマガス器具など弊害や事件続出など問題ばかり増えて来た。仕事とは単なる無責任労働ではない。

お客の要望をキッチリ成し遂げる事が出来なければ仕事をしたとは言えず、報酬を取る資格もない。仕事はそうした責
任を取れるプロでなければならない。お役所のように何の責任も取らない所は、何万人いても仕事や公務に従事して
いる所とは言えず、俸給を取り、休暇を取る資格もない。

今の仕事は資格試験(ペーパーテスト)に合格したら資格が出来ると思わせるシステムになっているため矛盾が出てい
ますが、其の資格とは決まりきった仕事の手順など最低の条件の一つに過ぎないので、合格者が仕事に就いていても
其れだけでは仕事をしている事にはならない。

要するにもし仕事で間違いを犯した場合は資格剥奪が前提にあり、或いは辞任すべきものである。つまり責任の伴うも
のが古来、仕事の掟でした。近年は何か起これば国も責任を認めて国家賠償などのケースが増えて来たが、担当官
がハラ切りせずに税金で責任を取るのでは主客転倒である。

其れでは国民に責任転嫁しているのであって卑劣なすり替えである。ダニが集るように既得権益にしがみ付いて離れ
ず、一度クワエこんだら絶対口から吐き出さず、私生活と既得権益を守る。使い過ぎて足らない分は増税を図って来た
のが実態でした。

国民には罰金税として税金を掛ける。其の税喰い虫の彼らが毎回無傷であり、処罰されるのは常に民間側だけとな
り、しかも国民が尻拭いすると言う今の図式が責任のある仕事とは言えない。こんな業務は公序良俗を破壊する欺瞞
と犯罪行為であるから誰であろうと決して許してはならないのだ。

仕事とは間違いなく早く綺麗に無事故でやってしかもアフターケアをするのが当たり前の行為であり、其の点で上のケ
ースが喩え法律の下の行為とかお役所業務であっても根本からそうした認識もモラルもなければ深刻な問題とする。
今の公務は仕事ではなくて、ヤカラたちが「あとは野となれ山となれ」と言う呑ンダクレの盛り場業界である。

従って此れは早晩潰れる運命にある。民間でも05年にはJR尼崎事故となった。日航も事故続出です。此れはいい加
減な人間が日本に増えて職員・社員たちも半人前の事しか出来なくなったからです。かつて、安全と安心は有って当た
り前だった。そうした日本人の律儀な仕事が国際的に評価されて来ました。

そうした世間の前提にある常識とか信頼関係を守るには毎日の持ち場の一つ一つの責任を誠実に踏んで行く事が前
提であり、それが仕事です。


仕事は神事・・・・・・仕事とはビジネスであれ公務であれ「何かに仕える事」ですから、自分のしたい事とは違う。神
か先祖か、或いは宮仕えかです。子は親に、社員は社長に、お役人は国民に、組織は組合員に、商売人はお客に律
儀に仕える事である。

所が大抵は其の辺りの事を主客転倒・公私混同し、役人は国民の上に立って管理支配を強め、或いは組織には理事
長などが君臨して自分のために其処に座っているだけとなるので組織も腐って来ます(権力を参照)。

或いは他人と同じような事をしていれば其れが仕事だと思い込む馬鹿の場合も当然「良い仕事」にはならず、目的とす
る任務を果たす事も出来ず、日時が来れば給料を取る餌待ちペットのような存在になります。其れだけの「ただのロボ
ット人」となってしまう。特に「事」とは実体のある物とは違い、事象・現象である。

従って仕事とは不確定な、実体も明らかでない対象を、現実のものにして行く人の働き、営みなのである(サンケイ
2003/12/30、三浦朱門氏の論説から一部引用)。何れにせよ仕事はコトに仕える事であり、主として神に関する行事・
祭事に宮仕えや奉仕をする事でした。

よってこの意味では現代人が、仕事=ビジネス=商売=ゼニカネ・・・・として「先に銭を出せ」と、短絡的に計算高く認
識してしまうのは誤解であり、誤解があっては仕事の目的を達し得ないばかりか初歩的ミスを重ねて他に迷惑を及ぼ
すものとなり、少なくとも「良い仕事をした」と評価できる事にはならない。

ホントの仕事とは、先ず先様の希望を叶えようと務め、其の務めを誠実に果たせば勝手に銭が付いて来るような事を
言う。

■シコロ建て・・・・・・「しころ」とは元々、兜の後ろの覆いだった。其処から、建物の庇に「しころ」庇が現れ、やがて母
屋の屋根から外回りを一段低くした「しころ葺き」の瓦屋根の和風建築となった。この様式は関西に多く、一般住宅とし
ては江戸から明治の旧家(大農家・大商家)の建物が殆どこの様式であり、寺院では例えば四天王寺の金堂の屋根。

▲而今(シコン)・・・・・・禅宗の教えで「今を生きる」事。作家の水上 勉氏が亡くなる前に、「老いとは生きていると言う
生命力を認識できる時だ。だから老いてこそ華やぐもの」と言い残した。この様に禅宗では過去や未来に思い煩うより
も、今を認めて今を楽しく生きようと「シコン」を教える(05/2/23、NHK総合テレビ)。

自殺...1・・・・・・自殺すれば地縛霊として其の場に留まります。人が通るのを見るのですが、話しかけても気が付
かないで通り過ぎてしまいます。なのでだんだん寂しくなります。寒くなります。自分はまだ死んでなかったと半信半疑に
なります。其処でそんな人の後ろから取り憑きます。そして同じやり方で自殺するように仕向けます。

そうすれば突然死んだ人の場合は、自分の死を納得できるし、自殺者は同類の仲間が出来て一時はホッとします。で
も恨まれます。だから次にまた別の人を殺します。やがて中幽界に進みます。其処で長期間さ迷います。自殺した魂は
許されない。彼にとって地獄へも入れないし天国は有りません。

それが親族・子孫に7〜27代祟ると言われます。恐るべし。

さて日本は世界一、子供を大切にする国でした。此れは筆者の独断ではなくて、明治以後に来日した外人たちが異口
同音に驚き、言わば「子供天国」と記録に残しているからです。其れに日本は戦争ではなくて年中何処かで祭りがある
国です。祭りは元々神が中心でした。

だが今でも子供が祭りの中心であり、その点について筆者はやや批判的に見ているが、「子供が来ないと祭りにならな
い」と関係者がこれまた異口同音に言うのです。戦中・戦後は子沢山の家が多く、「お前は生まれなくても良かった」と
か、「泣いていたから拾って来て育ててやった」などと子供の前で言う親があり、平気で殴る親もあった。

其れを聞いた子供は深く傷付いて「自殺しよう」と悩んだに違いない。殴られた子供もその場では泣いて親を恨んだか
も知れない。でも極楽トンボのような日常の中で直ぐに忘れて親兄弟と仲良く暮らし、やがてお国の為に「お母さん」と
叫び、散って往った。或いは生き延びた者は戦後、奇跡の復興を遂げた。

其れに比べて大事に育てられる今の子供たちはどうか。そのような平和な国である筈の日本に近年自殺者が多くなっ
た。何不自由ない暮らしの中で簡単にゲーム感覚で自殺を図る。其れを「個人の問題」と避けて通っても問題は解決し
ない(イジメを参照)。

問題はスポーツ(「スポーツは国を滅ぼす」を参照)である。スポーツに似たものに武術や武道が有るが、此れは「人間
性の向上」と言う精神性の命題を前提としている。其れに対してスポーツは徒に人を攻撃的・娯楽的な衝動に駆り立
て、要らぬ敵を作って社会全体を競争社会とする肉体活動主義のものである。

しかし誰もがスポーツを誤解して学校と職場と町の中で持て囃し、家の中にまでマスコミのスポーツ報道として入り込ま
せてしまった。こうしてスポーツは何も利害関係のない社会にまで徒に敵対関係を作る。ですから家の中も学校でも職
場でも優しさが消えて相手に攻撃的になり、人格を否定するものとなるためお互いの居場所をなくした。

だからスポーツに高じる社会にして置いて、自殺だけを「個人の問題」と見捨てても問題が全く解決しないのです。事
実、98年から9年連続で自殺者が3万人を越えている。インターネットによる自殺者も増えた。

此の数字が交通事故死の3倍(05年の交通事故死は6000人だから5倍になった)であるから数の上でも看過出来ない
し、此のページを訪問される方も多いので敢えて言う。男女別では男が圧倒的多数。その動機の第一は健康問題、次
は経済苦。年齢層では60過が最多(または40〜50代が半数)。

健康問題は医学(別項参照)の誤解と間違いを正す時であろう。

経済苦の場合はパチンコやギャンブル、其れに多重債務者や自己破産の激増(サラ金を参照)などと言われている
が、其れにしたってリストラによる中高年者の失業など、決して個人の責任とは言えないケースもある。クビになった事
を家族に言えずに通勤を続け、或いは深刻に悩んで帰宅が出来ず、遂に浮浪者(ホームレス)になるケースもある。

家出は毎年7万人である。であれば此れを世間が放置しているのは文化国家とは言えないし「社会の病理」として国が
積極的に有効な対策を採るべきであり、我々個人も無責任に薄情であってはならない。ただ其の前に因縁による場合
も多いので自殺願望者は先ずは自分を知る事です(後述)。

因縁としては先ず、昔は大儀の為に自害・切腹するのが武家の面目であったから、其れはそれなりに立派な最後であ
るが、現代の自殺にはそうしたものは少ない。だから少しも格好良く有りません。其れなのに敢えて「美しく死にたい」と
思ってもそうは行きません。

其れに、何をするのも自由ではあっても、列車飛び込みなどは無関係な多数の人々に迷惑を掛ける行為であり、自分
勝手と見られるだけで何の同情も得られないので一応否定的な注意点を述べて置く。特に後始末が大変なのだ。此の
ため例えば忠義によって名誉の割腹をした赤穂浪士の場合でも一定の作法に従った。

邪魔が入らぬように塀で囲んだ屋敷内で行ったが、座敷内を血で染めるため此処は上位者のみとし、普通は庭先を選
んだ。ハラワタが飛び出さないように配慮して腹には予めサラシを巻いた。自分が死ぬのは誰でも初体験だから死ぬ
のが分かっている場合は先ず手本を知った上で色々気配りする必要が有ります。

切腹しても多くは直ぐに死に切れないものです。だから頸動脈を自分で伐るのだが苦しくて中々力が及ばない。此のた
め予め介錯人・介添え人を頼んで置く。しかし一刀でバッサリ頸を落とすと言うのはかなりの熟達者でなければ無理
だ。当時でさえそんな人物はザラになかった。元禄泰平の時代ですから刀は既に「無用の長物」となっていたのだ。

このように腹を切るのは大変です。列車飛び込みは簡単だが、此れは肉片が飛び散って汚い。目の玉が飛び出して見
っとも無い。バラバラに飛び散った肉片は警察が拾い集めて死因を突き止め、医師の検死を受けて其の日のうちに
遺族に渡す。だが身元不明は別として、例えば頭が見つからない場合は一日では終わらない。

一番多いのが今は「首吊り」だが、此れははヨダレを流して脱糞するので此れこそ「クソッタレ」になるから見っとも無
い。状況も違うし個人差もあるので一概には言えないが、ダムに飛び込んだら即死か水死か窒息死になる。水死の場
合は何故か男は仰向け、女はうつ伏せになる。

海の場合も同じだが、水を呑んで膨(ふく)れるので土左衛門と呼ばれる。「牛のようになる」と言う。大きく膨らむので
す。ガス自殺では体がピンク色になるが、今の都市ガスはメタンになったので此れでは死ねない。車に排気ガスを入れ
るとか練炭ガスで一酸化酸素中毒になるケースは苦しむので、先に睡眠薬を飲む。

服毒自殺も体中に紫や黒い斑点が出て実におぞましい形相になるし、発見が遅れれば死後硬直して棺桶にも入らな
い。その後、軟らかくなるらしいが腐り始める。冬と夏、屋外と屋内では硬直と腐乱する時間にかなり差があるが、3日
目で腐り始めるので発見が遅れれば腐乱する。そうなるとウジが湧き、ハエが集るので手も付けられない。

麗しい天国を目指すのも結構だが、こうなるのは惨めではないか。銃は一般に手に入らないからピストルや猟銃自殺
の例は少ないが、何れも即死出来るものの体に大穴が開いて肉片が飛び散るので眼を背けたくなる惨状を残す。
だから自殺志願は考え物ですが、どうしてもと言うなら次の事も心得て置いたほうが良い。

先ず何処の葬儀屋も変死体や血みどろの遺体処理はしない。だから葬儀屋に頼んで見ても仕方がない。警察が死因
を追求するためバラバラ死体の肉片を寄せ集める。身元不明の死体は市町村で担当する。斎場で火葬して僧都に供
養して貰って無縁仏とする★から★までは06/5/18の警察の取材から一部付記した)。

また突然の事で身内が困らないように自分の墓地も予め手配して置くほうが良い。ただ無事、願いが叶って目出度く即
死できて、しかも墓地に納まる事が出来たとしても死後の魂の行く所がない。自殺の肉体は汚い残骸を見せたが、次
は魂が天国に行けないのだ。

未熟な果物のように、肉体側で魂を離脱させる準備が出来ていない上に、霊界でも受け入れ態勢が出来ていないため
です。このため腐敗した肉体と共に其の体が腐敗してなくなるまで共に苦渋の日々を送る事になる。よって自殺者に限
って言えば火葬するのが人の情けであるとも言う。





自殺の因縁・・・・・・以下、次ページへ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆★●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
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