http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」  page208.html(未定稿)


     日知り事典      シ〜時空

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 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・  ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★●■▲◆★

・・・・・・・「し」は知る、印、知るべの「し」であるが、日本人は「し」と聞いただけで「しは四、死」と連想して忌み嫌う。
でも其れでは何の益にもならない。日本では四をヨ、ヨンと言い、死を「身マカル」と言ったのです。

・・・・・・・四方、または四つの事。「四」の字は、昔はヨコ棒4本でも示されたと言われる。ただ其れでは単純に、タ
テ書きの時、ヨコ棒が何本もタテに並べば何処が数字の区切りだか分からなくなる…と言った理由もあったので、口の
中に歯や舌がのぞく形で、息を現す現在の「四」の字になったとも言われるが誤解である。

昔は、横棒が何本かと言う数字主義ではなく、古来東洋の価値観の第一が方位重視でしたから、全ての古文字は人を
支配する数字・数詞よりも、寧ろ正しき神祭りのための指事文字や象形が主に使われていたのです。さて「四方」をリア
ルに図示したものが升目の字でした。

先ずL字と逆L字で四方を囲んだ形の指事文字である口(国構え)の中に+(結ぶ)を入れたのが田であり、プラスでは
なく儿(ニン)を入れた「四」は、其の区画の北側を指定した文字である。儿(ニン)とは日影観測の位置を示す字であ
り、即ち北側であり、此処は四時(四季)・四方を決する天子の位置でした(「京」「享」を参照)。

口(国構え)の例では他にも囚、囲、因、回、団、困、固、国、・・・がある外、光圀の圀があり、此れは「則天武后が作っ
た」とする俗説もあるが、口の中に儿(ニン)方、または八方を示して四方の国の意味を正しく表した文字である。こうし
た意味から口(マス)形が四方を決するシンボルとして使われ、其れが後に数詞としても使われた事になる。

▲尸(シ)・・・・・・・・しかばね(死カバネ)。死骸。屍。但し「尸者」と書いて「ものまさ」とも呼んだ。尸者はまだ生きている
親族の中の一人が死者に代わって籠る事、または喪屋で添い寝すること、または弔いのために喪に服す立場の人だ
った。また彼が死体(墓地)の上に見柱(墓標)を立てると「戸」の字になり、戸主と書いた。

家(別項参照)の字もまた「冢」の上に見柱(墓標)を立てると示している。死者、つまり先祖を誰が第一に弔い祀るかが
主や家の字の原点でした。

・・・・・・・天は丸く、卵も丸く、丸く動いて収まっているのが自然界です。自然界で生きているものは全て息をして
いる。息が止まった状態を死と言う。全て生物は死に際して自分の肉体を形成したこの世に置き土産として返して往く。
人の死もまた同じであり、譬え巨万の富を蓄えたとしても、生まれたときの裸同然になって去る。

其れまで譬え美人であっても其の肉体も共にこの世に置いて往くのです。譬え地位が高くてもこの世のものは捨てて往
く。つまりこの世の万物万民は何れも此の時点で平等になる。持って往けるのはただ「思い出」である。美味しかった食
事の、或いは楽しかった思い出。

そうした喜怒哀楽や四苦八苦した事、或いは間違った知識の例えば「死は魂も記憶も全てが亡くなる事であり、死後は
無い」と思い込んでいた詰まらない誤解なども土産として持って往きます。土産は楽しいものが良いので、苦しみや恨
みは置いて行くのが望ましい。其れを持って往けば、あの世で増幅してもっと苦しむからです。

ですから如何に旨く死ぬかが人生を締め括る。其の点で武士は華々しく散って花道を作ろうとした。如何に悪い人生で
あったとしても、最後の気持の持ち方一つで「終わり良ければ全て良し」に逆転させる事も可能だ。

こうした人の死に際ぎわ、臨終の場に居合わせる医師や看護師は一番重要な引導役を務める立場になるのでご苦労様
である。此れは決して楽しい役柄ではないが、其の務めを自覚すれば他の人には得られないきっと大きな感動がある
でしょう。

死を前に不安に怯える患者を見て彼らはきっと「大丈夫ですよ、皆が行く所に行くのですから安心して良いのですよ」と
優しく言うだろう。次に葬儀屋、そして保険業者もまた辛い仕事であろう。それだけに普通の人よりは死を真剣に見つ
める事になります。ともあれ医療の立場としては「人事を尽くして天命を待つ」心境で他人の死と対峙する。

肉体面についての死の定義は一般に心臓停止、脈拍停止、呼吸停止、そして瞳孔が開く事で確認されるが、脳死は@
深い昏睡、A瞳孔の固定、B脳幹反射の消失、C平坦な脳波、D自発呼吸の消失、の条件を満たしている事を先ず
確認し、更にE6時間後に同じ事を再検査して変化がなければ此れまでは脳死と判定して来た。

死は「永眠」とも言われるように永遠の眠りにつくか、「旅立ち」である。つまり死とは肉体の死であっても魂は不滅であ
る。魂は肉体を離れて自由になり、意思と想念の異次元世界に徐々に移動して行くが、大体は先に逝った血族、また
は友人や職場の先輩などに導かれて、最も同調し易いグループに入る。

だが無論、其処にも一定の枠や掟があるので、必ずしも完全な自由世界ではなく、この世の延長とも言える。例えば戦
死した者は戦友と共に尚も敵と戦いを続け、また病死者は更に闘病を続けるなど、この世の最後の想念があの世に逝
った場合、更に増幅されるようである(「往生」、「人生観」、「死後」、「死地を選ぶ」を参照)。

所で「脳死」状態から低温療法によって回復した例が相当数有る。けれども「移植でしか助からない」と言って人体実験
による高額医療費を取る医師会が「脳死判定権」を握る。

要するに、命のある者にも死を決するのは本人でも親族の判断でもなくて日本では医師の独占であり、特に05/4月
から「臓器移植法」の改正案で「脳死は人の死」と医師が判断できるようになった。人は此れで、「生きていても」、「ほぼ
死んだ者」と判断されて、誰かによって自由に料理される事となる。

いったん病院に入れば医師の人質となる。この「入院患者」と言う社会的弱者は「生きる権利」が簡単に剥奪・否定され
て、人命尊重も尊厳死もなくなるのです。ま、何れにせよ人は死後皆一緒ではなくて、実は別々の世界に向う。特に苦
しみを持ったり、ストレスを持ったまま死去するのは好ましくない。

其処で医療関係者や親族は出来るだけ其の苦しみを理解して上げて、出来れば分かち合い、或いはせめて一番楽な
方法で死なせてやろうとする事です。では最後に死の意味について述べる。死は精神と肉体の精算である。特にこの
世での肉体の精算であり、一時的にお借りした肉体をこの世にお返しする事です。

つまり、死は疲れて汚してしまった肉体をこの世に置き土産として返す事。ハライ。全てを完結する為のハライ。因縁の
最後の決算。ただ単なる1個人の祓いを超えた「死」のケースでは例えばスサノヲの流離いもハライ。キリストの死も、
多くの人の罪をかぶって犠牲となったと信じられている(「人柱」、「祓い」を参照)。


寺院・・・・・・・・お寺の数は7.5万。コンビニ数4万店に比べて略2倍に近いが、寺が増えたのではなく、激減してこ
の数である。僧侶は30万人。葬式、戒名、墓石、檀家制度などのシステムを確立した寺と僧を支える6000万人の信
徒がいると言われる。

★CS・・・・・・・・企業が顧客満足度を高めようとする社員教育。


★ジェンダーフリー・・・・・・・・性差解消運動。ただ「狂気の」と言う冠詞を付けて見る必要が有る。何故ならこの運動に
よって「自由な性教育が良い」と誤解されて、例えば小学二年生から過激なくらいのポルノ的性教育が行われている
が、此処からフリーセックスと不倫や堕胎を促した。少子化が進む中、堕胎は年間30万件に達する。

有史以来、人口減で栄えた国はない。日本はつまり衰退の坂を転がり出している。とすればこの危険なイデオロギーは
実に亡国的と言える。

G/L・・・・・・ジーエル。グランドレベル。またはグランドライン。観測の水準点、または建築設計に於いて、建物を建
てる場・地盤・基準とする地平線である。

・・・・・・・・・塩には不思議な働きがありますが、安価で何処にでも売っている為、皆さん無頓着になっているので
敢えて一言する。祓いの項目でも述べるが、塩には神仏にも人にも通じる価値があります。物には固有の役割が有
り、中でも塩は塩でなければ出来ない使命が有り、其の第一が「祓い=払い」なのです。

例えば病人の患部に当てて置けば病因を取り去る。此れはつまり患者の痛みを吸い取る働きをしている。但し其の汚
れを溜めた塩は捨てます。でも其れを捨てる前に、石鹸代わりに洗濯に使えば、洗剤で取り切れなかった頑固な汚れ
を取り除く。其れほどの浄化力が塩には有ります。特に良い塩ほどこの力が強い。

天然の海水や塩は万物を結び固める働きがあり、また心や物を清める働きが大きいので、古来、神前へのお供えの
筆頭とされて来ました。と同時に此方をも清める働きが有ります。また塩は、物質から水分を奪うので、結果として物質
を乾燥させる。或いはエネルギーの余った所から此れを奪って別の所に結び付けたり固める作用も有る。

例えば生肉を乾かせば雑菌が死滅するので肉の保存剤として遊牧民族に重宝され、エジプトではミイラを作る際にも
使われた。その他の地域でも塩は魚の干物や野菜の漬物、或いは調味料として使われるなど、古今東西で必需品とさ
れました。

だから塩(サルト、サラリー)はローマ時代の兵士の給料として支給され、其れがサラリー(マン)の語源であるともと言
われる。但し、塩を使う場合は、用途をハッキリ命じるべきであり、例えば「旨くなれ」とか「アクを抜け」などと念じなが
ら、一つまみを右ひねりして使うのがコツとされる。其れをしなければ塩は単に塩辛いだけにしかならない。

また例えば嫌な客が帰った後に「塩を撒いとけ!」等と言う場合は、塩に「祓い」の機能が働く事を知っている人が言う
事ですが、其れよりもっと具体的に「アクを祓え」と命じた方が効果的かと思う。その他の問題として、本物と偽物とで
は、成分が似ていても働きが大きく違う事です。

塩の種類に今の人たちが無関心であるため、敢えて言えば、栄養学的に塩分を見たのでは理解した事にはならない。
例えば「専売塩」は安価ですが、此れは化学塩ですから食品としては不適であるし、また折角、塩田法で作った塩でも
安心できない。

其れは最終的に煮込んだり苦汁を取り出して人為的なものに加工したもの、つまり命を半殺しにした塩です。ですから
天然塩とは言えず、従って特に専売塩は有毒性もあるため「減塩が必要」となる。だから「必要なのに減らせ」と言う変
な話になっている訳です。

また最近は苦汁が見直されて来た。けれども苦汁が良いとしても取り過ぎては下痢をします。下痢にも良い働きがある
とは言え、過ぎれば有害に作用します。塩やニガリに限らず、人工的な「不自然なもの」には気をつけたい、と思いま
す。其の点、自然な形でニガリ(主にマグネシューム)や微生物が入ったままの「生きた塩」なら減塩は無用です。

生物には元々塩が必要ですから減塩は矛盾であり無用なのです。減塩すべきは科学塩など粗悪な塩なのですが、何
れにせよ、食品業界も今では主に減塩食品を販売している。ただ生き物は常に一定量の塩分が必須なのですから、今
の様な「減塩」趣向を続ければ肥満女性やボケ老人を増やすなど、弊害を既に色々出しています。

問題解決のためには其の大事な塩の良否を選ぶ目を持つ事と、その塩の使い方を知る事だ。因みに塩には塩田法以
外に岩塩もあり、また特殊なものではマングローブの葉が海辺の塩水を吸い上げて葉の表面に結晶を作る。其れに山
にはヌルデの木が有って塩の実を作るが、此の塩は塩の味がするものの別の成分である。

序ながら塩と酢があれば薬は要らない。医者も無用である。だから医者と薬屋は塩と酢を売らない。如何に良いもので
も安過ぎては商売にならないからです。是非お試しを。

▲潮待ち・・・・・古来、航海法は風(別項参照)を頼った。エンジンがなくても季節風を利用して航海した訳です。例えば
福山・鞆の浦には朝鮮通信使も立ち寄って風待ち潮待ちの湊として栄えた。潮も利用した訳です。よって船(別項参照)
の形は流線型にして舳先には龍頭、船尾には龍尾を象った。龍と一体化するためである。

塩原・・・・・栃木の温泉地で渓谷と紅葉が見られる。数十万年前、此処は湖だったが火山の噴火があり、今でも当時
の植物が化石群として残る。

CO2問題・・・・・・・・・CO2は酸素の燃えカス。炭酸ガス(二酸化炭素)。温暖化問題の第一にこのCO2問題が有
ります。此のためとしてブラジルでは植物性のアルコール(エタノール)生産の増大に力を入れていて、現地ではガソリ
ンスタンドでガソリンより二割も安く販売している。

日本もアラブに依存して原油を輸入するより、このエタノールの方が安いし、CO2を出さないのだからより安心性があ
ると見て検討すべきだろう。

■CO2排出量関連のデータをまとめてみました(解説は「温暖化」を参照)。・・・・・以下、「30秒で読む環境情報!」
http://plaza.rakuten.co.jp/eco30/より引用。 

■部門別CO2排出量−90年度比(環境省「2003年度の温暖効果ガス排出量速報値」) 
工場等  476 百万トン −0.02 %  自動車・船舶等 259 百万トン +19.5 %  オフィスビル等 197 百万ト
ン +36.9 %   家庭  166百万トン +28.9 %

■国別のCO2排出量(1996年)   
アメリカ  22.2 %   中国  14.2 %   ロシア  6.6 %   日本   4.9 %   インド  4.2 %

■一人あたりの年間CO2排出量(オークリッジ国立研究所 1996年)   
アメリカ  5.37 炭素トン/年  オーストラリア  4.63 炭素トン/年  カナダ  3.76 炭素トン/年  ロシア 
2.91炭素トン/年  ドイツ  2.87 炭素トン/年   イギリス  2.59炭素トン/年日本  2.54 炭素トン/年

■家庭部門での一人あたりCO2排出量の割合
電気   38.2 %   ガソリン  22.2 %   灯油  15.9 %   ガス  15.7 %   ゴミ  4.1 %   
道  3.7 %   

以上<参考資料>http://www.env.go.jp/earth/ondanka/ghg/2003sokuho.pdf    http://www.jccca.org/education/
kyozai/kit/resume_main.pdf

排出量の測定・・・温室効果ガスはCO2や一酸化二窒素など6種類。国内分はつくば市の国立環境研究所で算出し
ている。測定しているのではなくて、国際機関のIPCCのガイドラインによる「排出量=活動量×排出係数」の公式によ
って算出する。例えばガソリンや都市ガスなど各燃料の炭素量から係数が決まる。

04年のガソリンの国内消費量は約6100万キロリットル。此れに係数(2.32トン/1キロリットル)を掛けて約1.4億万トンの
排出となる。

▲「油田封印」を言わない論議はまやかし・・・・・・先の議定書の締約国会議では90年比6%を約束しながら24%増の
議長国カナダが、13%増の米国の離脱をなじった事。また、8%減を約束して42%増のスペインや、37%増のポルト
ガルなど諸国が「削減」談義を繰り広げた。美しい話ではない。

問題の第一は「油田封印」を棚上げしている点。化石資源を掘る限り、譬え議定書通り進めても事態を何一つ変えな
い。第二は削減しても昇温抑制効果は0.5度にも届かない。怪しい排出権取引は論外。植林がCO2排出削減になる
と言うのは錯覚である。ツバルの海面は何も上がっていない(05/12/24の毎日の渡辺 正教授の論説より)。

▲歯科・・・・・・・・「歯」を参照。

■四界・・・・・・「天・地・水・陽」の各界、または地・水・火・風の事(「五大」を参照)。

四海・・・・・・・・四方(よも)の海。天下、または須弥山世界観。例えば「四海兄弟」とは論語の一節で「天下の人は全
て我と同一人類で親疎の別が無く兄弟のようである」とするもの。此れは円系図(別項)で分かる。

死海・・・・・・・・「海」とは言ってもエルサレムから約30kmの位置のヨルダン川に有る塩湖である。砂漠の中の湖で
あり、しかも世界一低い位置にある湖である。海抜ゼロmよりも低い海抜マスナス392mの所に水面がある。この死海
の水は12種のミネラルを含んでいる珍しい水質である。

普通の海水は塩分濃度が3%であるが、此処はヨルダン川があっても砂漠の中にあるので水分が直ぐに蒸発してしま
うため30%と非常に濃く、生物は生息しない。ナスやキュウリを20分も浸けて置けば漬物になってしまう。この塩分は
其れだけ脱水効果が強いので人が浸かればダイエットになると思うだろうが、人の体は浮いてしまう。

因みに死海の広さは琵琶湖の約1.5倍。05年の愛知万博ではヨルダン館で死海のプールを展示。また泥エステも実
演された模様(05/7/15のNHK総合TVより)。

時間・1・・・・・・・・・太古、時間はシバと言い、江戸時代はトキと言った。普通の時刻はエトによる12時法が採られ
た。ただトキは神、神は方位であり、「トキはカネなり」ではない。昔の自然な時間は言わばアナログ時間(不定時法)で
あり、それに対して不自然な機械的な現代の時刻法を定時法と言う。

暦や時間は自然界のものであって数字ではなくて方位であり、特に霊界とのパイプは数字式暦日ではなく方位である。
従って古式祭りは一定の方位で移動する。其れが神社の参道であり、御幸や道行でした。こうした祭りの準備のため
に御堂を建てた。シトミ(別項参照)によってヒジリが観測し、天文による暦時を決定して寺の鐘を突いて知らせた。

この限りに於いて「時は鐘鳴り」でした。さて時間と空間を時空と言う。其れは何故か。「時空」を参照

時間・2・・・・・・・・・地球上の時間は太陽が基準です。日が最も低くなる冬至の日の出から始まり、1年後の冬至の
日の出前で一区切りとなります。其れを古来「元旦」と言った。次に大陸に進めば黄泉(夜見)の国では月の時間を採
るので、元旦の後の満月の時の元日、または新月の春節に始まる。

更に西に進めば星の国になり、春分を基準にしてイースターを祝って来ました。月の出ない新月に星が輝くからです。
今は其れを4/1日に固定して新年度と言っている。西暦の場合は1/1日のマリアの祝日として1年をスタートさせる。

此れを日本では太陽暦と言っているが、故意による翻訳ミスか誤魔化しです。太陽の天文定数に数字だけ合わせてい
るだけですから、1年の日数は小数点以下、続くものとなり、太陽暦でも正確な時間でもない。諸科学も人為的な此の
数字に合わせて時間を規定しているが、何れも矛盾を含んだまま見過ごしている。

このため、古代日本は星や数字ではなくて方位で規定した。冬至は真北、立春は北東、春分は真東、立夏は東南、夏
至は真南、立秋は南西、秋分は真西、立冬は乾、そして冬至(真北)に戻した。太陽の道である黄道は、何万年経って
も其の方位の指針として不変でした。

よって、東洋の哲学は今の赤道主義を取らず、数字も主とせず時間を含めて時数ではなく時空と言った。ただ人により
時間の遅速に差がある。子供は1時間を退屈に思うが、高齢者は早く過ぎ去ると感じる。「少年老い易く学成り難し」と
か「光陰矢のごとし」と言った。

象の時間とネズミの時間も桁違いに違います。其れは時間が、個体の心拍数、つまり寿命に比例し、相対的であるか
らです。

時間は一定か・・・・・・・・・時間がスムーズに流れず、時々止まったり固まってしまっては大変です。時間が思うよう
に進まない事などがあれば困りますし、時間を気にする暮らしも疲れます。だからトキは一定の流れで流れ去るのが好
ましい。其れを掌っているのが時の神であり、暦の神であり、日本では太陽です。

でも近代の人類が時間を仕切り、所により一定ではない仕組みを作ったので、今の人は時として「時差ボケ」などの経
験をします。此れは日付変更線によるためです。その外にも、セミと象の時間が違うように、各々の種による生態系の
違いで時間は別々です。赤ちゃんだって大人とは別の時間で成長しています。

人類の文化圏には日月星の固有の天体があり、其れに基づく暦(時間感覚)や言語を持っているので、時間は確かに
個別であり一定ではない。此のため一定の基準にしようとしたのが近代社会である。此の為、自然時間とは違う機械
的な時間(定時法)とした。

それが今のデジタル(機械的な数字式)方式とグローバリゼーションであり、此れはワンワールド方式の不自然なカレン
ダーによって無知な人々を統一支配しようと画策する連中の罠かも知れません。

・・・・・・先ず祭式があり、或いは「式次第」とか下記の「式目、方式」、「古式、式内、神式、仏式」「葬式、正式、公
式、格式、儀式、式典」などの熟語を成す。さて此の「式」の字の本来の意味は何だったのか。此れは「一」、プラス「弧
線」、プラス、「エ」の字からなる。「弧線」を「弓」と解釈するのが常識だが其れは無知による俗信かも知れない。

先ず「一」の字は水平面を示した字であり、次に弧線は、円形の壇の平面図の1/4を図示したものである。よって左
右に使い分けられて「丈夕左夊大」の字ともなっている。其れに対して式の場合は先ず弋(ヨク・イキ、いち・いつ)、弌
(イチ・イツ、ひと、ひとつ)、弍(ジ・ニ、ふた、ふたつ)、式(シキ、ショク、のり、のっとる)・・・・・・

弐(ジ・ニ、ふた、ふたつ)、貮(ジ・ニ、ふた、ふたつ)、弑(シ、シイ)、貳(ジ・ニ、ふた、ふたつ)、杙、桟・・・・のように変
化する。中でも先ず「弋」の字は「ka」とも読まれ、矛・鉾を意味した(「弋」を参照)。それが次に「戊つちのえいぬ」とか「式」
にも変化した。

つまり本来の弋(鉾)は、祭典を行う円形壇に於いて、其の中心軸から特定の方角を示すために鉾を横にして、時計の
文字盤の針のように使った事が分かる。弋(鉾)は武器ではなくて祭式の祭具であったのです。

次に「エ」は工具で機械弄りをする意味ではなくて、天地を繋ぐ意味の天文地理の祭式であった事を念のために付け加
えたものと分かる(「弓」を参照)。

「色即是空」・・・・・・・・回答日時: 2008/3/23 17:19:09 回答番号: 47,747,415 ----般若心経の例えば、「色即是空・
空即是色」なんて言う所は、「目に見える物質は固形物に見えても実は波動であり、実態はなく幻なんだ」と言ってい
る。だから「物欲に捉われてはいけないよ」と言うものだ。でも今の常識とか物質科学では其れが分からない。

今は謎でも此れから本来の自然科学に目覚めれば、最先端の所でやっと、波動性の作る形と影とを認識できるように
なるでしょうね。
 
式目・・・・・・御成敗式目、貞永式目、建武の式目などが知られる。では式目とは何なのか。前項を参照すれば明白
な通り、単に箇条書きにした目録や法律ではなかったと見るべきである(「目さかん」を参照)。

式神・・・・・・式神を職神とも書くが、具体的には式とは六壬式盤の12月像の事。陰陽師の安倍晴明が12式神を使
ったが怖がる妻のため、普段は其れを一条戻り橋の下に隠して置いた、とのエピソードは有名だが、その実像の詳細
は不明。

給率は戻る・・・・・・江戸時代の日本の食糧は100%自給自足出来ていた。所が05年現在では40%を割った。
農村は就農人口が減り、残った所も高齢化が進み、また「漁業大国」と呼ばれた時代に50万人いた国内の漁民も20
00年には22万人に減った。

従って和食文化が残っているとしても其の中身は残念ながら渡来品で支えられている、と言う。自給率では例えば牛肉
39%、鶏肉65%、魚介類46%だが、中でもワカメは24.5%に低下した。よって、其れを料理して「和食」と言うなら
偽物である。だが悲観する事はない。

米や魚が日本で採れなくなったから自給率低下となった訳ではなくて、輸入したほうが安いから農民も漁師も生活がな
り立たず減った。だから自給率が落ちているのである。林業も同じだ。山には腐るほど木が生えているのに山村はすっ
かり疲弊し過疎化した。その様に仕向けたのは高度成長であると言われる。しかし其れも誤魔化しだ。

成長したならもっと木材の需要があって当然だった。所が小ざかしくも商社が外材を買い捲った。貴重なドルを使って
海外の山を環境破壊すると同時に彼らは結果的に日本の山村まで疲弊させた。此れが当世流の「日本人の常識」
あり、其の本質はヨコシマサである。だから何れ鉄槌が下ろう。円安、円の暴落と言う鉄槌である。

そうなれば日本に木や魚や食糧を安く売ってくれる国はなくなり、否応なしに自給するしかない。幸いにして日本には山
も農地もある。此れまで減反政策で農地にブレーキをかけて来たくらい有り余っている。それほど有り余っているのに
此れまでは「日本には資源がない。だから・・・・」と言うのが正論だった。

正論の中身は「コストだけ」であり、其処に本質を摩り替える誤魔化しがあった訳です。其の誤魔化しがやがてキャベツ
一個1000円の時代となればハッキリする。サラリーマンでは食えなくなるから皆が農家に転業する。そうすれば忽ち自
給率100%達成です。逆説で恐縮ですが・・・・

死去・・・・・・死に去り。生命体の終わり。肉体が死んで魂が離れる事。所で、人の子の出産の場合は頭から出て来
ます。其れに対して馬や羊など、動物は足からです。何故でしょうか。進化論で言う「猿の子孫がヒト」なら、猿と同様に
人類も足から出るべきです。だが古来、足から出る場合を世間では「逆児」と言って来ました。

其の原因を医学的とは別の意味から言えば、ケモノのように脚で働く使命である。或いは大陸や西洋に出て働く役割
が有ったのでしょう。ただ、何も考えずに本能的・反射的に素早く行動するのは蟲やケモノだけで良いのです。頭から此
の世に出た多くの子供は、蟲や獣とは別の、人として頭を使って自分で考えて判断する役割が有ります。

出世の瞬間に、其の頭に先祖の魂が入る。別紙の「円系図」を記入すれば、先祖の代表として人が頭から出る理由が
認識出来るかと思う(死去を参照)。其れに対して死去の場合は何処から魂が抜けるだろうか。死に際して魂が幽体と
なって出るのは頭、臍、脚の別がある。其の人の生前の生き方によって違って来るのです。

肉体主義者は胆力があり臍に魂があった。足で稼いだ人は足から出る。彼らは彼の世に往っても人間離れした世界
で、体を大事にして体を使って働く事になるのでしょう。


●司空・・・・・・古代シナで暦を司る官職。

時空・・・・・・時間は時計を見れば分かると思われているが、其れは約束事項としての観念的な理解であって時間
の本質を知った事ではない。時計で分かる時間は、例えば鶏に人が餌をやった時に、ニワトリが「餌の時間だ」と知る
のと同じ意味の時間に過ぎない。

時間は空間を進んでいくモノであり、従って方位との関係で見なければ分かった事にはならない。従って昔から単純な
数字とか一本線として理解出来ることでもなかった。よって時間には方位を含めた「時空」と言う認識が無ければ一面
的な理解になり、機械的で不自然な観念に陥る。

例えば点と線との関係で見よう。点と点とを線で繋いだのが時間である。方位空間)を区切った線で定点(太陽)と定点
(観測点)とを繋いだものが時間である。人類の殆どは地球から離れて暮らせませんから、言わば「籠の鳥」と同様の
状態の視点で良い。だから鳥籠の中の鳥の目で見たのが時空である。

時は時空と一体であり、其れを線分で区切って時間を捕らえて来た。事実、古来、聖堂でも御堂でも洋の東西を問わ
ず点と線に時間を重ねて宇宙観を設定して来ました。しかし西洋科学では時間を過去から未来に一方通行で直線的・
機械的にに進むものと誤解して、其れを更に数値化したのが正確であると錯誤している。

だが抽象的な数字で正確に表しても、方位から遊離した時間は架空の、観念上の機械的な不自然な時間でしかない。
つまりバーチャル空間や時間であって事実ではないために現実の暮らしに役に立たない。

従って此の様な数字式のデジタル文明のパソコン文明だけが進化の証しと錯誤した方々がバーチャル空間に遊ぶ内
に今の危機を迎えてしまった。また例えば象の時間と虫の時間とは共有できないモノである。

何故なら象と蟲とは一生の長さが違うからです。生物は同時に同じ空間を共有して共存する時期があっても生命の長
さによって個別の渦を作っている。其の渦の大きさが個別の時空である。従って時空は種によって異なる。数字上の一
年は同じ一年である筈ですが、例えば青少年の1年と老人の1年も大幅に違う。

この様に人によって時間の幅や時間の価値観が違うものです。若いときには時間を持て余すが、年齢を重ねるに従っ
て1年がアッと言う間に過ぎてしまうので、加齢するほど時間が足りなくなるため、「光陰矢の如し」と形容する。加齢に
従って時間はゼニカネよりも貴重になる。異なるのが平等とか不平等と言う問題ではなくて其れが寧ろ公平である。

渦、つまり生命エネルギーが始まるときには旺盛ですが、生命の峠を越せば次第に減衰し消滅して行く。人も加齢と共
に渦が小さくなり、一回りの時間も短くなって当然です。

ただ一般的に時空とは三次元の容積・空間に四次元としての時間を加えた観念であり、四次元の時間・空間的連続体
を言うが、其れだけでは抽象的過ぎて空論になり、現実の問題に役立たない。何故なら位置・方位と言う最も肝心な要
件が先ず必要だからだ。

其の点で古来、暦法は定点から天文の位置・方位を割り出し、其の上で暦法を作り、更に数字を使って古の時空観を
示し、また其れに整合する形で度量衡を組み入れて来た。例えば古の方位は八方、条里制や升目は三分法、三進
法、そして度量衡も其の平方倍に整合させるため八分法とした。

また天文係数として太陽の日数は366とし、更に天文係数として12年の木星と30年の土星の周期から整合性を確認
して1年360日の暦法を組み、度量衡として一部で360度法も採った。時間単位は年月日、日時分秒であり、度量衡
は尺貫法の場合、長さは里、間、尺、寸、分。重さは貫、匁。面積は丁、反、畝、坪。容積は升合、勺などとした。

所が、現代の暦法は上記の時空一般論と同様、方位を無視して数字だけ羅列し、また度量衡も地球の長さを係数とし
たメートル法を採った。此れでは古代の哲理に対して余りにお粗末な時空観である。其の点で例えばヤードポンド法は
八方分割の古例を守って来たが、現代の時空の例えば、方位は十二方、または無視した空論である。

天文係数として12年と30年の木星と土星の周期の理解があるのかどうかは不明だが慣習から辛うじて角度だけ360
度法を採り、従って太陰暦と一部の度量衡が360度法を踏襲するものの、時間単位は年月日と、60度法の日時、
分、秒を併用し、度量衡など計算数字は10進法とした。

長さはキロ、メートル、ミリ、ナノメーターなどとしている。つまり数式では計算できても全体の整合性が図られていない。

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