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http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」  page207.html(未定稿)


    日知り事典   三族〜山野草

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三族の戦い方・・・・・・戦いからは何も生まれず、何の問題も解決せず、恨みの連鎖となるだけだ。よって先人た
ちは争いが起こった場合でも、人の戦いとせず神の審判を仰いだ。だがどうしても人が相争う事態となった場合でも日
本では総力戦ではなく、代表戦か大将戦とした。

戦いを決着する手段として、大将の勝負で済ませ、将棋の王のように何れかの首を取れば戦いを終結する道を採った
のが古の和人の英知だった。従って古都には城壁を造らず、また環濠都市を別とすれば、村境にも柵を付けなかっ
た。城下町の町人を守る城壁もなかったのです。

「島国だから」それで大丈夫だった、と言うのではなく、武力ではなく、道理や信義を第一として、支配の為に民を犠牲
にすると言う愚策・支配方法を採らせない良識があった。其の点、月世界では「戦いは嫌いだ。だから戦争には反対す
る」と言う臆病な平和主義に流れる。

よってシナ大陸では3500kmもの万里の長城を築いたし、更に中東から西欧に入ると城郭都市になる。人民は城郭
に囲まれた暮らしとなるが、其れは自ら蒔いた種による。結果として将棋から囲碁の世界に様子が一変する。稲作民
族にとっては「農地は広いほど良い」とする覇権主義と拡大主義で勝手に他国に侵入し続けた歴史がある。

其れが先の欲望の「種」(原因)である。従って其の先では星の世界との争いが続いた。月世界では人海戦術と重厚長
大の巨艦巨砲主義だが、其れに対する星の世界は機動性と情報戦を重視する。

しかも星族の特性は軍隊アリのような、規格化で統一しているため、例えば同じ規格の武器(ライフル)で同じ弾丸を共
有するし、同じ体格の兵隊を揃えて同じ規格のカーゴ(車)で移動する。とすれば戦力の差は員数で比較できる。人員と
兵站(物量)で能力差を算出できる単純な世界だ。

しかも彼らは同じ一神教的正義感が支配し、更に好戦的な者が絶えず武力で統一してリーダーになる。其処で全員を
率いて「月世界を悪魔に見立てて戦う」、と言う最悪の状況を作り、総力戦が採られる。其の結果として大量の人民が
犠牲となり、同時に「仮想敵を皆殺し」と言う悲惨な場を作って、過去には繰り返し巨大文明を絶滅させた。

更に彼らは「20世紀を戦乱の時代」としたのです。此れでは古代の英知と比べて進歩ではなくて退化である。さて、
本が惨敗した理由について、常識家は「物量で負けた」とか「情報軽視が敗因だ」と言う。前者は月の特技であり、そし
て後者は星の特技です。

薩長側の「官軍」でも確かに、こうした月と星の特技を「近代化」と見て採用し、しかも外圧として利用して幕府軍に勝っ
たものの、其れは国内だから通用したのである。日本は元々物量もなく、情報力も必要ない以上、月や星の兵法を舶
来崇拝で真似て、渡来の兵法で戦っては何れ負けるに決まっていたのです。

日本には世界一優れた古兵法があるのに其れを知らず、巨艦巨砲主義や総力戦と言う、彼らと同じカードを使ったか
ら惨敗したと分かる。

三族の力・・・・・・日族は先祖・氏神の祭りを続けた。「継続は力なり」と信じて実行し、数千年の古い歴史文化を守っ
てきた。其れに対して月族は「水こそ富を増やす力」と信じて一生働き、数の論理で広大で豊かな国を作っては滅ぼさ
れて来た。

それに対して星族は燃えるような自分の「意思こそ力」と信じて火で武器を作り、かつてはローマを、今は米国を軍事的
に戦争経済で支配している。細部は「日、月、星族」の各項目を参照。

三族の動機・・・・・・各々が行動するための動機(切っ掛け)は、日は日に、月は月に、星は星に向う。具体的には日
本人は国の誇りや歴史を守るために動いて来たが、シナは経済や農業基盤となる領土に強い関心があるため覇権を
守るためには動く。其れに対して欧州は獲物に向って機動的に行動する。

凡そ欧州人は小さな国が隣接して群立するため、国境を越えて行き来しなければ生活できない。だから、隣国への理
解が深い反面、自分の国の国家意識は薄い。従って国家の歴史とか誇りとか領土を守ると言った動機では動かない
(この点でナチスドイツは例外だった)。其れよりも、目の前の利益に敏感に反応する。

三族の特質・・・・・・日族は考え、月族は作り、星族は走る。日本人は古来、知的に考える国でした。日族は考える
特性から2000年の平和を維持した。所がやがて知性に無知になり、しかも考えを億劫がるようになった。それよりも欧
米の真似をした。近代化は物量かスピードかの時代にしただけであり、考える人をなくした。

しかも「日本人は器用である」との間違った信仰を植え付けて我武者羅に働き、経済大国にはなった。でも其れは本物
ではなく、従って今は中国に工場を奪われ、ロケットも先を越された。日本が「科学技術立国」を標榜し、国民の税金を
使って官製の物づくりをしたのが例えば宇宙開発事業団だった。

此処では何度もロケット打ち上げに失敗して世界に恥を晒した。先を越した北朝鮮にも笑われているだろう。要する
に、欧米の近代科学は軍事科学であり、せっかく独自の頭が日本にありながら其の大陸渡来の唯物科学を猿真似し
たのは日本人の自己否定でしかなかったのだ。

しかも戦後は政教分離=民主主義と言う偽看板の下でキリスト教に組み入れられてしまった。ソ連や中共を共産主義
だ、共産主義は危険だと刷り込まれて真の敵を知らずに国内で揉めている。自分で考えると言う特質を見失った為に
今の日本にした。此れも自業自得である。

三族の特性・・・・・・日は自然(ジネン)つまり現状是認、月は中庸(中途半端)、星はハングリー(不完全・不満型)で
ある。日本には資源も少なく、国土が狭いなど制約があり、食料も十分ではないが、其れを不満とか空腹感とせず、不
足を常として現状肯定(自然観)した上で知恵を出して工夫して質素な生き方を続けて来た。

其れに対して月世界は古来豊かな国である。だが欲望に天井はなく、特に此処は覇権主義に見られるように国の姿勢
まで「もっと寄こせ」と相手に要求し続けるような大欲の世界である。なので時には反動としてシナでも大欲を持たない
事が大事とされ、中庸の思想が重んじられて来た。

所が星の世界はそうした月世界と比べて、多種多様なものは無く、単一性と画一的なものに囲まれている。其処から此
処では常に不完全性が指摘・強調され、空腹感を持つ。

つまり現状否定(または拒否)の上、各種の対策や防衛や改善・改良を試行錯誤する世界となった。ハングルを話す韓
民族が何時も他国と比べて空腹感を満たそうと努力するのは此の「不完全性」がエネルギーとなっているのでしょう。

三族の匂い・・・・・・戦前までの日本人は醤油と魚臭かったが、朝鮮人はニンニク臭く、アメリカ人はバタ臭い。白人・
毛人・肉食人種は概ね体臭がキツイ。其れは遊牧民族の暮らしから保存食などとして腐った血肉を食うからです。

三族の人間関係・・・・・・日族は尊属卑属と言う縦関係の家族系列の中で暮らし、また横に広がる親族との位置関
係を保って暮らす。つまり縦横を繋ぐ円環の秩序で暮らすが、月族は横関係を重視して商取引や交流を広げて行くの
で多数の友人・知己のある平等社会とする。ただ多くの場合にその場限りの薄っぺらな人間関係で満足する。

つまり現実的な妥協と実利主義である。それに対して星族は縦系列の社会であり、国家組織や企業の部品として生涯
を送る。例えば軍隊、教師、サラリーマン人生のような狭い社会で上下の狭い関係で生きて、其の中にもヤクザの仁侠
道や擬似親子兄弟のような深い信頼関係を作る。

よって当然ながら無関係な人とは挨拶もせず近隣関係を軽視ないし破壊する都会人的社会を生む。

三族の発生(分化)・・・・・・暮らしの基準としての暦の中心を太陽とするか、其れとも月か、星にするかで世界各地の
地域差により人類は分化し、日族、月族、星族の三族が発生した。発生地点は無論、世界一歴史の古い日本である。
だが日本は火山列島だから遺跡は残っていない。ただ竹之内文書によれば「日本は世界の縮図」とある。

従って日本に起こった事はやがて世界の何処かで起こる(大本・出口王仁三郎)と言う。日本の場合は名古屋が日の
国、口数の多い大阪は月の国である。其れに比べて、江戸は武士の拠点としての幕府が有ったが、城下では「伊勢
屋・稲荷に犬の糞」と言われたほど犬が多く、また戌年生まれの「犬公方」も出た。

江戸ではまた、「花咲爺」の話」を残したほど犬との付き合いが多く、遊牧狩猟民的気風が有るので、東京から北部は
星の国と見る事が出来る。

三族の走り方(行動形態)・・・・・・日本は考える国である。特に銀行の対応は「石橋を叩いて渡る」ほど用心深い習
性が染み付いていたのでかつては世間の信頼(預金)が集まった。

其れに対して欧州人は走るのが得意です。イギリス人は走る前に考えるが、フランス人は走りながら考え、イタリア(ス
ペインだったか?)人は走った後に考えるとも言われる。また今の日本の銀行は、かつての其れとは違って走るように
なった。貸しはがし主義で米国に貢ぐだけの主体性のない、「使い走り」の犬としての取次店となった。

無論、政府やお役人がアメリカの犬になったからであり、従って何れも律儀な日本人から嫌われ、浮遊していくだろう。

三族の服装・・・・・・日族は貫頭衣?(最早不明)、山伏など山岳民族の衣装、裃(かみしも)、褌、または多様多彩な
独特の民族衣装、Tシャツ。月族は農耕民としての着物(野良着)、十二単、呉服、その他、地域性や時代によって多
様な流行がある。星族は乗馬ズボン、Gパン、スラックス、海兵はスカートやセーラー服など、略一定(固定的)。


三族の物質観・・・・・・日族は精神思考であり、よって物質に余り拘らないので、物はシンプルで良いもの、其れも出
来るだけ小さなものにしようと工夫した。其処から人や大自然をミニチュア化したコケシや雛人形や盆栽や箱庭を作っ
た。其の習性が戦後トランジスターやICにより、小型高性能の電卓や家電製品を作り上げた。つまり軽薄短小を好む。

其れに対して月族は重厚長大、巨仏・巨艦・巨砲主義と覇権・大国主義。そして星族は即物的・唯物史観であり、近代
物質科学文明は主として此の月星に属する。大陸社会は巨物崇拝思考が強く、従って幾つもの巨大文明を築いたが、
スクラップアンドビルドで其の殆どを破壊して来た。マスプロと大量消費(浪費)とゲームとスピード性の快楽文明です。

戦後日本も、この種の渡来人たちの悪因縁が作用して各地に箱物施設を広げて、此れを「進歩発展の証」とした。或
いは殆ど利用しない公共建造物を文化会館と称するようになったが何れも誤解と錯覚であった事が今になって漸く気
付く人が増えつつある。

三族の・・・・・・三族の各々は天の印しの三星の何れかを選んで人の合意形成の神とした。各々とは例えば日月
星の何れかを決めて神としたので、日族は太陽を神として昼間の南天主義を採り、月族は中間点から東・西を交互に
見直して日月星の何れも神とする柔軟性と多様な観念で妥協して矛盾の国となった。

中でもインドやシナの場合は月神を奉じて西方を極楽浄土と見たのに対して、其処から西はオリンポスであり、此処で
の神は逆に東方を聖地と見た。中東から西では夕方には東方からホタル火のような星屑の光が届いて一日が始まる
からであり、だから各地の星族は先ず東を位置づけて次に北の北天の神を仰いだ。

三族の祭り・・・・・・日を祭れば秩序や調和が出来て平和だが何も変化がなく退屈な鄙びた暮らしとなる。それに
比べて月を祭れば世の中が変化し面白く豊かになる。そして黄泉の星を祭れば武運が付いてスターや英雄が輩出す
る。

日族の祭りは例えば、朝から墳丘の周りに集い、其処では先祖を歌垣で寿ぎ、踊りを奉納し、大らかに模擬セックスを
演じて子孫繁栄を祈り(予祝し)ました。ただ先祖は誰でも32〜64人以上いる訳ですから、こうした祭事・法事を毎日
のように続ければかなり忙しい国となる。

毎日祭りでは多忙であるし、何時も同じような退屈な祭りとなる。それに対して月族の祭りは例えば仏教では月毎の月
次祭、つまり月並み祭があり、其処では僧などが仏像などの偶像を祭って其の託宣を述べたり、長々とお経を唱え、そ
の下で信徒はお経に似た浪花節や念仏踊りをして来た。月一回ですからのんびりしたもんです。

僧は全員を整列させて其の上に立って非論理的な話(説教)や御利益説話(お陰話)をするが、其れが決まって面白
い。或いは此処では論理よりも荘厳な伽藍を建てたり儀式を演じて人々の感性に訴えるので効果的でした。

或いはヒンズー教の最大の祭りは水神、つまり龍蛇であるガンジス川で12年に一度行われる大沐浴祭であり、この川
に平均3000万人が浸った。

此れは祓いの祭りであるが、シャーマンやヨガ行者なども人々の祓いを行う。ただ月世界の祭りはアニミズム的で真実
の神がハッキリしない。従って真理よりも真如の存在となり、よって多神教世界では五穀豊穣など具体的なご利益を祈
る祭りとなります。例えば満月を祭ればやがて収穫があり、人民は多産となる。

しかし月は変化を起こす神であるから何れは波の振幅が大きくなり、喜怒哀楽の波も大きくなる。つまり作物は育つが
不作の波もあり、天災地変が打ち続く。豊作によって時々は大食出来るが其れは大便をもたらし、マスプロは大量消
費で大量ゴミを作る。月の政権はクルクル変わり、制度も朝令暮改の改正・改暦が続く(別紙の「月のコヨミ」を参照)。

ただ祭りの回数は月世界になるとグンと少なくなり、更に星の世界へ移ればもっと少なくなり、一神教なら一神だけ祭れ
ば良い。その代わりに戦いが多くなる。しかも祭りは昼よりも夜の祭りとなって行く。月の収穫祭は年に一度だが、イス
ラム教では一生に一度、メッカに巡礼するのが義務と言う程度です。

例えばハッジ大祭ではサウジのカーバ神殿(方形回廊)に数百万のムスリムが集い、黒い石を回るので回教と呼ばれ
た。彼らは偶像を祭らずアッラーにのみ礼拝するが、一神教では偶像禁止であるから長いコーランを歌う。

星族のキリスト教の場合は教会と言う建物の中で、春の復活祭と冬のクリスマスが祝われる。コーランではなく讃美歌
を歌うが、何れも祭りの回数と逆比例して多くなるのは教条主義的な戒律や教えである。従ってヒンズー教のカースト
制にも見られるような様々な聖職者や階級が制度化され世襲化されて来た。

何れも大体は観念的な神であるが、遊牧民族たちも一神教であり、星を神とした。星は冷たく光る蛍火の神であり、時
として人の中からエースや英雄を輩出させる。しかし其の何倍もの人が犠牲となる戦いを求める。星はローカルな戦い
の神であり、祭よりも戦いを求める。戦乱が続くため譬え勝利しても少子化により少数民族となって行く宿命を持つ。

所詮「剣を以て立てば剣で滅びる」訳である。さて纏めとして言えば、日族は太陽の下で子孫繁栄の祭りで暮らし、月族
は真如の月に豊作と豊漁祈願をして働き続け、そして星族は暗闇の星に年1回、怨敵調伏と戦勝の祈願祭をして何事
にも戦いを挑んで来ました。

三族の文字・・・・・・日族は天神(日)を祭る立場から、丸い宇宙を丸く表した。例えばホツマ(別項を参照)のヲシ
デ紋は、丸輪の中に線を入れた形の文字とした。此れが一日の祭りの様式を方位でハッキリ示す言わば指事文字でし
た。此れは神との交信の文字であり、他人に命令し管理する文字ではなかった。

其れに対して月族は甲骨から漢字に変化したが、漢字は「田」の字で分かるように方形文字である。此れは領土を守
るための諸侯が其の地神を祭るために測量を主務とした為、土地に対する価値観も、管理のし易い方形を理想とした
からです。

このため漢字は方形を幾つも組み合わせて作ったが複雑怪奇な会意形声文字とした。更に時代が下がると楷書・行
書・草書となった。こうなるともう方位無視の文字となり読み難い。つまりどうにでも解釈して言い逃れ出来るように書い
たのか、或いは秘密主義の怪文書か暗号文にしてしまった。特に英語などは流れるような崩れた字体です。

横に水が流れるような流線型であり、言わばミミズや蛇の形である。こうして方位無視でも、数字や漢字が多ければ聖
書でもコーランでもお経でも値打ちがあるとでも言うような堕落した文字や数量式の文書にしたのではないか。其の点
で星族の場合は元々簡単明瞭が伝統だった。其れが例外的にギリシャ文字などで残った。

星の世界は言辞も限定的で文字数もアルファベットのようにたった26文字で足りる。漢和辞典でも7300字もあるのに
比べればアルファベットなどは極めて貧しい文字である(「三族の言辞」を参照)。

さて、古代文字が神や天体との交信や祭りの様式を伝えるためにあったのに対して、近現代の文字は他人に命令・支
配する文字に堕落した。しかも英語でもラテン語でも人の言葉と言うより寧ろ動物の鳴き声のような発音である。其れ
を今の日本政府は第二公用語に指定し、小5から必須科目に指定と言うのですから格別に愚かである。

三族のユートピア・・・・・・日族は陽光、月族は月光、星族は星の光を求める。先ず日族は、小山の上で緑の広が
る中で昼間に祭りをする事だった。祭りには一族が挙って集まる。一族は氏族であり、氏族も円系図にすれば親戚同
士と分るから、幾ら多人数になっても祭りから争いにはならなかった。

だがどんなに良い神や景色と出会っても、昼間でなくては神は出現されず、従ってユートピアにはならない。どんな宝石
だって暗闇に置いては石ころと変わらないように、日の光を透して見なければ美しくはないし、其処で何かを皆と食べて
も味がない。

明るい所には虫もたかって来るが、そうした虫やセミ、或いは小鳥の囀りが聞こえる暮らしがユートピアだと思う。
其れに対して月族は、牛馬と共に働く。牛馬は草食であり、昼間に活動するので彼らの稲作に使役出来た。そして夕方
になれば、仕事も終わり落ち着ける。そうした時の黄昏の空は格別だ。

其処には阿弥陀が住む西方浄土・寂光の世界が広がる。其れが月の理想郷(シャングリラ)であると信じた。其処には
常に桃の花があり、大輪の蓮も咲いていて、しかも「月下の美人」が格別に麗しく見える。つまり月世界では寂光の桃
源郷や酒池肉林の歓楽街が理想郷である。

其れに対して星族は、熱砂の昼間を避けて夕方から動き出す。羊や牛馬を飼うために夜行性のケモノを使って移動し
ながら暮らす。ケモノや魚類もまた夜行性のため、猟師も漁師も夜行性となる。彼らは何の変哲もない焼け付くような
昼間の広大な景色にはうんざりしているので昼よりも夕方から夜の一時を楽しむ。

もう一つ別の星の世界は単系の縦型系列ですから、現代のような都会でも一日中他人に支配され、命令されるが、夜
は一人になれる。だから矢張り、昼間の雑踏よりも、「百万ドルの夜景」と変わる「涼しい夜」が好きだ。ネオンの街が恋
しいと言う男もいるが、昔から多数のユートピアは、神の住む天空の星空である。

もしくは大海の中にあると言うエデンの園がパラダイスと信じられた。折角の太陽の祭りである冬至の頃に、クリスマス
として星のイルミネーションでツリーを飾ってしまうのも彼らの持つ闇の星の習性の故(因縁)である。

三族のリズム・・・・・・日族はゆったりした旋律の和歌や雅楽、民謡を残した。或いは速いテンポのものとしては
タンゴの様な八拍子のものも有って、其れが念仏踊りから「盆踊り」に変化したものと思う。だがやがて浪曲、歌謡曲、
ブルース時代となり、或いは静かにクラシックを味わう世代も出た。

だが今は騒音に近いニューミュージックへ急変してきた。其れに対して月世界には御詠歌などもあるが、今風に言えば
ソナタかノクターンだ。月のリズムはユックリしたテンポの、十二音律の唐様雅楽が似合う。其の基調はワルツやノクタ
ーン、或いはセレナーデ、円舞曲など、主として三拍子である。

或は時々は賛美歌に酔い、ブルースなどのダンスを好む。何れも優雅である。其れに対して星族は行進曲で元気良く
一緒に歩く事くらいしか芸がない。ダンスにしてもロボットのような踊りか、ジルバか精々スクェアダンスであろうか。

或いはアフリカの民族音楽のような激しいリズムを好むが、大多数は七曜日と同様に七音階で二拍子の、元気の良い
マーチ(行進曲)とかジャズを歌い、四拍子のブルース、ジルバ、トロットを踊る。

或いは手をつないで速いテンポのポルカを歌ったり、フォークダンスで四角(スクェア)に回って踊る。多民族圏では言
葉が複雑であり誤解し易い。其の点、言葉は通じなくてもお互いが同じリズムに乗って一緒に体を揺らせば一体感が
生まれて仲間意識を高める手段となる。だから星の世界ではメロディよりもハーモニィよりもリズム主義となる。

三毒・・・・・・仏教用語で最も根本的な煩悩として愚痴、瞋恚(シンイ)、貪欲の三つの毒。瞋恚とは怒り、貪欲とはム
サボリの事。何れも仏教の教えを知らず、道理や物事の真相を明確に理解できない事。

参道・・・・・・古い寺社の参道はどうして長く真っ直ぐ伸びているのでしょうか。古社寺の参道の先には太鼓橋、そし
て鳥居とか山門も有ります。太鼓橋はしかし、人が渡るには歩くにくい造りになっています。しかも、縁日など、特別の
日にだけ通る事が許されたものでした。

何故なら此れらは何れも人の道ではなくて、神仏の通り道、つまり神の通る道しるべだったからです。神道とは王の
道、即ち日本では祭り事のために王家が斎場へ向う道であり、或いは墓前に向う参道(道標しるべ)であり、其れが王家
の掌る神道であった。よって昔の人はその中筋(正中線)は神の道と心得て人が通るのを遠慮した。

鳥居の下を通る場合も少し遠慮して、神の通る正中線を避けて左右の端を通ったのです。とは言っても、建物ばかり立
派でも、そのような肝心の参道のない寺社が今は殆どです。しかも今の神社は何処も神社庁様式で規格化された同じ
顔の、詰まらない所になっている。

其れは元々千差万別だった多様な地域や氏族の神々が平安時代以後、朝廷が延喜式で差別化し、更に神階で格付
けしたからであり、此のため寺社が納税のために荘園と化して僧兵を配備し、更に武士の城に代わって砦となり、何度
も焼かれた事から参道を塞ぐ形に変えた結果なのか。

或いは幕末の廃仏毀釈の嵐で明治に神仏分離され、境内を寺は寺、神社は神社にと切り離したからなのか。更に明
治から昭和の間に神社だけ国家管理の国教として没個性化・一元化・規格化し、その後はGHQの手先による徹底し
た神社神道破壊工作によって解体させられたからなのか。

そして更には古式の常道を知らない新興の寺社が乱立して作法が乱れたからなのか。更に都市開発の煽りの結果で
す。しかも新しく道が出来れば其れに合わせて境内を削って車用の参道を新規に作った上、鳥居まで新設して境内の
配置も変え、もしくは寺社の建物も全て南向きにするのが正しいとする誤解がそうさせてしまった。

従って古い寺社の参道が今は辛くも生き残った古式日本神道の祭りの原点、即ち古式の暦と方位の「道しるべ」になっ
ている。

▲さんな
▲さんに

▲さんぬ
▲さんね
▲さんの

▲山王・・・・・・・叡山の神。日吉(ひえ)神社の旧称。昔は山王権現と言ったが権現号が明治に禁止になった。祭神は大
山くひの神。この神の親が大物主命。天智天皇が祭り、また後に大和の三輪から伝教大師が勧請して祭ったのが天
台宗の山王一実神道。独特の様式の山王鳥居がある。例祭は4月20日(「金」、及び「神々の歳時記」4/20を参照)。

山王大師・・・・・・・円珍(天台宗)の事。

▲さんは

三番叟(サンバソウ)・・・・・・・産婆そう。物事の始め。能楽では祝言の式三番の初めに千歳、次に翁を舞い、第三に
出て舞うのが三番叟である。能から歌舞伎に転じて幕開けの祝儀に舞う。

▲さんひ
▲さんふ

三分法・・・・・・・前述の「三三の理」で述べたように古の分割法は一つの場を三つに分ける三分法が基本でした。其
処から更に縦横三分割にして三×三=九とし、その中心に田の神を祭ったり、前述の「九字」として方位を見ました。但
し田の神と言えば稲田の神とし、また「井」の神と言えば井戸の神と解釈しているのは誤解である。

何れも観測や測量のための水準と方位の儀式であり、条里制も其の応用でした。其れに対して今の十進法の方眼紙
や数学が昔と比べて格段に進歩したもの、とは何も言えないのです(「カカシ」、「魔方陣」を参照)。

▲さんへ
▲さんほ

三宝荒神・・・・・・・三方荒神とも書く。三方とは、仏法僧の三つ、または如来、鹿乱、忿怒の三身の事。本地仏(神に
姿を変えている仏)は大聖歓喜天、文殊菩薩、または不動明王と言われるが、諸説有って不明確。だが主として修験
道と日蓮宗が祭祀した神と言われる。

一般には「火の神」として竈・台所などに祭られるが、同時に農作の神であり、田植えの時に苗を供え、刈上げの時に
初穂を供えるなど、農耕儀礼にも関わる。要するに荒神は竈神であり、作神ともされた。けれども本来は先祖の御霊を
呼び戻すアラ神でした(荒神を参照)。

▲さんま
▲さんみ
▲さんむ

▲さんめ
▲さんも
▲さんや

山野草・・・・・・・畑で栽培する野菜ではなくて野山に自生する野草の事。人が山野に出て野草に親しめば、万葉以
来の一木一草の特に草花(和名)を知り、和歌や俳句などをより深く味わう事にもなるし、情操教育に直結する。昔から
日本人は山野草を大事に守り、楽しみ、また此れを本草学として世界一古くから医学を発展させて来ました。

今でも無論、自然に親しみ、森の中のフィトンチッドを体一杯吸い込みながら自然を観察して学ぶ事は大きく、また美術
感覚を養う事にもなります。親から子にそうして自然を教え、或いは教師が生徒に山野草を直接伝える事が大切です。
教室の中だけの学習よりも時には野辺に出て自然を満喫する方が良い。

春の七草や秋の七草など、山野草は四季折々自然に自生するものなので無農薬の健康食品や漢方薬の薬膳料理と
しても近年人気が出て来た。人気上昇と共に一面では其れを商売にする人たちが乱獲しているのは困った事です。例
えば風ランなどが高値で売買されるが、此れは自然を愛する行為とは云えない。

売った後に直ぐに枯れるので彼ら(盗人)は儲かる。しかも枯れたランから種を採っても、土にラン菌がなければ発芽し
ないのである。古来こうした点から「矢張り野に置け野辺の花」と戒めて来た。無論彼らにだけ責任がある訳ではなくて
一般のハイカーの中にも悪質なのが結構多い。何れにせよ、盗り尽くさないで頂きたい。

高山植物は珍しいが、都会に持って来た途端に枯れるものなので、上に述べた理由もあり、見て楽しむだけが良い。
自然林の激減に伴って山野草や茸類の激減となっているのは次世代に残すものが減る事になり淋しくします。昔の日
本人は少ないものを今のように奪い合う競争社会ではなく、また何でも商売にする事を恥とした。

ですから希少種マニアになるよりも、ゴミのリサイクルとか雑草と言われる野草など有り余るものをもっと知って活用す
る知恵と工夫の道を選びたいものです。




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