http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page188.html(未定稿)


    日知り事典   鬼門〜漁法

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きも・・・・・・・

鬼門・・・・・・・古来、「北東の隅には鬼がいる」として恐れさせて来た。元々方位は中立・中性であり、従って吉凶は
ないものです。所が古今東西、政敵の足を引っ張る勢力が次々と鬼と言う観念を拵えた。其の鬼のいる方角を鬼門と
言った。方位の北東は、時期では立春に当たり、その対極が裏鬼門である(「裏鬼門」を参照)。

方位の鬼門は暦の立春であり、其の宵宮が節分である。この頃は旧暦の晦日から正月であり、此の暦を決めるのが
古来「鬼」であり天皇でした。よって今も節分の夜には決まって鬼が登場するが、普通は色んな人達から「鬼は外 !」と
ばかり豆を投げつけられ、頭を抱えて退散するユーモラスだが哀れな存在となっています。

こうした鬼は決まって牛の角を付け、虎皮の褌を付けている。だが本来は珍獣でも化け物でもなくて方位の丑寅、つま
り北東を意味した。何れにせよ丑寅を鬼門と言い、其の逆の暦・方位である8/6頃を裏鬼門と言ってこの両方位を汚
さないように努めて来たのが伝統を大切にする人や旧家でした。

逆の時期・方位の裏鬼門は未申、暦では立秋であり、お正月に対してはお盆の頃になり、台風がやってくる時期であ
る。この関係は表裏・陰陽でもある。例えば柱には日の当たる部分と影になる側とがある。影の方位は死の側であり、
表の側が神の方位である。

或いは逆に、夏至の日の出は鬼門を過ぎた辺りから出るのに対して、冬至の日没はほぼ裏鬼門である。其れを人に
当て嵌めて今の暦で言えば、2/4生まれで、8/6に死去のケースとも言えるし、歳時記の例では日立の祭りと熊本
の幣立神宮の祭りになる。

年中行事では旧暦の正月とお盆の時期が西暦の2/4と8/6の頃なので、鬼門と裏鬼門が旧正月と旧盆に略重なり
ます。其処で今でも盆正月には日本列島が長い休みとなり、その間に多くの人が行き来するので帰省ラッシュで大移
動となる。此の動きは今だけではなくて昔から有った。

この時期のエネルギーは日本列島を鬼門と裏鬼門とを往復するように流れる。立秋の頃から台風もやって来ます。其
れに乗って先祖も帰って来る。だから誰もが迎えに出る。お盆の場合は「迎え火」です。其れが裏鬼門から鬼門への言
わば「御幸」であり、同時に「祓いと迎え」と言う形の、エネルギーの交換作用にもなっていた。

またこの関係を夷・大黒と見る事も出来る。西宮戎の戎神社を鬼門とすれば、その逆の略裏鬼門に西宮不動尊(円満
寺)がある。不動尊は大黒天の別の姿である。また大阪・今宮の場合はその略鬼門に生国魂神社(元の宮は大阪城
本丸にあった)があり、その相殿には大物主神を祭り、また末社には鞴ふいご神を祭り、7/9には夏祭りをして来た。

但しこの1/9〜7/9の方位は近くの高津宮との関係である。

そして葛城金剛山の東麓の御所市には一言主神社があるが、其処を略鬼門として裏鬼門方の8/10方位に進めば
金剛山頂の一の鳥居から橋本市の柱本・葛城神社(末社)、そして同市山田の一言主神社と幾重にもこの神を祭る神
社が野超え山超え連なって丹生神社や蟻通神社に達する。此れは偶然ではなくて意識的に古人が造った配列である。

▲きや・・・・・・・

▲キャノン・・・・・・・カメラ会社の一つ。本来(ギリシャ語)はカノン=法則、規則、キリスト教の正典。及び人体基準、及
び加農砲(大型の長距離砲)。

▲きゆ・・・・・・・

★キュウアール・コード(QR code)・・・・・・スーパーの商品にはバーコードが印刷されているが、其れは縦の情報が
横並びしている。それに対してQRコードは方形の印字で縦横に情報を並べたものなので二次元コードと言われる。此
れにより日本語なら2000文字が入る。

球技・・・・・・猫に毬、狸に小カボチャは良いオモチャになります。人類でも獣性が強まれば動くものを本能的に追い
かけるようになる。野球、サッカーその他の球技は何れも此の獣性によるものであって人間性に基づくものではない(ス
ポーツは国を滅ぼすを参照)。

救急医療・・・・・・・・市町村の救急車、及び其れを受け入れる医療機関の二人三脚によって成り立つ。医師会の武
見会長の時代には保険診療を拒否する時代があった。其の後は逆に保険と医療とが密接不可分の関係になり、医療
の特権化が進んだが、更に近年は救急医療に消極的になっていて、救急車で運ばれても拒否する病院が目立つ。

各地で拒否した医療機関側の言い訳は色々ある。しかし何れにせよ医療機関の特権意識によるものであって、結局は
義務違反か自己否定になる。そもそも最近の病院は医療行為を施して料金を取っても病人を治せず、治すという保証
もしない。こんな特権体制を作ったのは政府の厚生労働省であり、国民の意識の低さである。

江戸時代までは医者には誰でもなれた。蘭学か漢方か、医師の善し悪しを選ぶのも住民の自由だった。産婦人科では
なくて産婆が何処の村にも沢山いて活躍していたのである。政府がアレコレ口を出して何もかにも枠をはめてモラルの
低い医師にまで特権を与えた失敗が造った問題が今や山積していて手がつけられない。救急医療もその一例である。

取りあえず、拒否した医師と病院に対する対処法としては特権を剥奪する事だ。救急指定の剥奪と医師の義務違反に
よる資格の停止である。年金事務とか薬害訴訟など、不祥事とトラブルメーカーである厚生労働省もスッパリ廃止して
関連業務は全て地方自治体の所管とする事だ。

救済・・・・・・・人助け、人救い。慈善事業。例えばナイチンゲールやマザーテレサが慈母のような美しい心で接して
多くの人々を救済した事は人類史上から見ても、実に尊く気高い。そうした彼女たちに続いて此れからの若い人達が
人類の救済と福祉活動に貢献しようと続くなら人類の進化に直結する事になるでしょう。

けれども、「本当に助けたい」と思っても人一人救済するのがどれほど困難かは体験すれば直に分かる。人を人が介
護し、救済するには一生掛かる覚悟も必要です。其れが無理としても、「少しは役に立ちたい」とボランティアとして行動
に出るとか、或いは仏教徒やイスラム教徒のように喜捨するのも貴い。

「お布施」として何がしかの金銭を他人に喜捨する行為も神の心に適う立派な行為です。でも其れは与えられる側にし
て見れば、「労働しなくてもある所から取れば良い」と言う歪んだ心になる。怠惰が染み込み、性質の悪い共産主義者
を増やす結果になるのであれば「笊ザルに水」ですから問題解決にはなりません。

或いは被災者に対して急いで義捐金を拠出する行為は一時だけ被災者を楽にさせる。けれども其れで被災した場の
復旧を早める事が出来たとしても、原因の根本的な解決を遅らせる事にもなれば此れも問題です。或いは砂漠地帯に
植林する事業がある。こうした慈善事業を装ったビジネスも後を絶たない。

譬え善意から始めた事でも、其処に雨が降ると言う前提がなければ、幾ら資金を注ぎ込んでも「ドブに捨てる」行為にな
る事を予定し、対処しなければ詐欺行為になりますから大いに問題です。慈善事業を装った偽善的なビジネスや布教
活動、或いは相手の立場に無知なまま、其処を「後進地域」のレッテルを貼ってしまうのも無礼です。

キリスト教式慈善のように徒に「先進的指導」を押し付ける行為は何の貢献にもならない(異文化破壊の前科を重ね
た)。「ではどうすれば良いのか」と言えば、心が通う事です。上から下へ施すよりも隣人愛である。イエス・キリストは
「私にするように隣人にして上げなさい。そうすれば私に捧げた事と同じなのです」と言う意味の言葉を残した。

隣人に感謝し、或いは理解者になれるかどうかで救済となり、或いは本当の自立を助ける事になるでしょう。

旧石器時代・・・・・・・人類が石器を使って生活をしていた300〜200万年前に始まり、一万年前まで続いた時代
の事として考古学ではこの時代を前記・中期・後期に分け、前記は猿人と原人、そして40万年前から火の使用をしたと
し、中期は旧人(ネアンデルタール人)が石器の製造方法を高めた時代とした。

また後期は新人がアルタミラ洞窟に動物壁画を残した時代と見て来た。其の点、日本では明治から、「旧石器時代は
なかった」と言うのが学会の通説だった。日本の古代は神話の世界であり、其処には神々が居ただけであるから猿人
類が石器を使う遺跡を想定出来なかったからである。

だが其の後1949年に群馬・岩宿遺跡から2.4万年前の石器が発掘されたのを初めとして次々とこの時代の遺跡が
増え、今では全国に凡そ5000ヶ所の遺跡が知られるまでになった。岩手の金取遺跡は8万年前の遺跡と確認され
た。

海外とは違って日本では悠久の歴史が分厚い火山灰に埋もれているので真実が中々分からない。其処で近年、「旧石
器捏造事件」があって学会の盥回し構造が露呈した。此れを一人の犯人の責任にしてはならない。此れは、学会を含
めた日本人全体のモノカネ的体質を問われた事件ではないか。

先の岩宿時代は今よりも気温が7℃低く、大陸と陸続きだった。仙台市は亜寒帯の樹林があり、北海道にはマンモス
がいた。4〜5万年前には長野県にナウマン象がいた。これ等は筆者の推量ではなく、考古学の発掘で確認されたも
のである。

九星・・・・・一白水星や二黒土星として知られるもの。ただ本来はそうした九ヶの星回りではなくて厳密には五行の理
による五方に配分した九ヶのマスを言う。例えば田や囲のマス形の、特に囲の字は八方と中心との九マスであり、祭り
のマチ場としての祭壇、そして口分田、易・八卦の原盤であり、護摩壇であり、曼荼羅になり、法界・結界ともなった。

従って修験の行者も使う九字の手印に、また家紋、囲碁・将棋版にも変化した。

九星学・・・・・・別紙の「図説」を参照。本来は天文測量の原点・原型だったが今は星座占いに伝えられ、独特の星
回りによって占う。其の原型とは一区画を八方に等分、または三の倍数で細分化して9×9=81としたもの。口分田に
使われたがやがて曼荼羅の原型に、そして今は占星術や占いになって いる。


▲求道・・・・・・「ぐどう」を参照。

キューバ・・・・・1898年の米西戦争の結果、スペインから独立して共和国となり、米ソの冷戦時代にケネディを危
機に追い込んだ。以来カストロ政権が続く。所で不死身と言われたアラファト議長の入院、人質、薬物か内臓摘出で殺
して「病死」と発表するのは彼らの手口であり、譬えブッシュであろうとも、何時同様にされるかも知れない。

だが今回は、シラクの深謀遠慮で問題を抽出したように見える。アラファト議長の死因は毒殺説があるが弟が此れを
否定し「不明」と発表した(11/23現在)ものの、他人事ではない。アラファトはかつての英雄として人気が有った。彼
はその人気を独り占めして独裁者になった。

その裏を返せば、カリスマ的ワンマンのために後進の育成を怠り、引き際を知らなかった。其の点で、中国の江沢民は
賢明にも胡錦涛主席にバトンタッチして引退している。だから中国は当面心配ないだろうが、次はキューバのカ ストロ
が心配である。カストロの個人崇拝から今は権力集中となった。

余りにも権力が集中した結果に独裁となったので、米国には反カストロ勢力がいる。其れがカストロ亡き後、帰国して
内戦となる心配であるが、06年夏に入院した時には弟が代行した。

キューピット・・・・・・・恋の天使。Cupid。此処から人形のキューピーになった。だが語源は人形ではなくてラテン語の
cupido(欲情)なので、幼児のオモチャにするのは不適当かも知れません。ギリシャ神話では恋の神・ビーナスの子。
翼の生えた裸の少年で、彼の放つ矢に当った者は恋に悩むと言う。

ギリシャ神話のエロスに当る。
キューポラ・・・・・・・丸屋根の塔。ラテン語の樽(ポラ)からの用語。鋳鉄を溶かす為の円筒形の炉。溶鉱炉。レンガ
造りの高炉。小型の物はキュポラ、甑(こしき)と言った。


・・・・・・・・漢字は「亠」と書いて「鍋蓋」と言うが、この呼び方は古事・祭事に無頓着な俗学によるものである。何故
なら其れでは例えば「亠」を付けた漢字の「亡亢亦亥交京高亶」などについてどれ一つとっても的を射た説明が出来な
いからです。例えば京都なんかは「鍋蓋」をどうしたと言うのだろうか。

鍋に鍋蓋(別項参照)を載せて、京わらべを煮詰めれば都が出来上がるとでも言(別項参照)うのだろうか。文字と言う
のはそんな無理な解釈で作ったものではなかった。其処で異説を述べれば、「亠」は地平線「一」に見柱を立てた形で、
物事の原点を示した。「亠」は、実は太陽観測の定点(「玉串」を参照)でした。

だから「一」(地平線)から上下、そして丁止正の文字となったし、従って「亠」の付いた先の六、市、亡亢亦亥交京高
亶・・・は定点の手前で行われた何かを示したものです(「亢」を参照)。

だが日本では「京」の字が宮殿を象った象形文字と誤解されている。確かにこの字は「亠」プラス「口」プラス「小」を縦に
並べて高殿を象ったようにも見えるが、古字は指事文字であり、絵文字ではなかった。指事とは方位であり、天子南面
で北から南の基準点を見た様子を示している。

そうした故事来歴を知らずに、俗悪な固定観念で漢字を分類しても全く無意味であり、見当違いの結論に達しているの
です。先の「京」の字は、「亠」プラス「口」プラス「小」を縦に並べているのではなくて、基準点(観測作業の場)を平面的
に図示しているので建物を立体的に象形したものではない(次項の「享」を参照)。

「口」は口と言うより「国構え」であり、四方を正した測量によって条里制を敷いた区画の略号である。赤色でマーキング
した上の字のように正しく三分割法で区画された地域の略号であって、鍋蓋を被った京の町の人の口が小さい事を示
した文字ではない。

定点(亠)から手前に「小」の字のように糸を張った太陽観測による正しい方位(条理)で造営した口(区画地)であると
明示したのである。

・・・・・・・前項の「京」で述べた通り、「亠」は祭りの中心・定点であり、其れにL字と逆L字で四方を囲んだ形の指
事文字である口(国構え)を置いて、其処に一定の区画がある事を示し、其の北側、即ち手前が子の方角である事を
図示した文字である。また此の場合の「子」は、此処から左へ時計回りで進む地点をも示している。


古文字は縦並べではなくて平面的な事物をこの様に南北軸に見て印したものである。「享」の字は象形文字と言われて
いるが、実は日影観測の位置を示す指事文字であり、即ち北側の位置であり、此処は四時(四季)・四方を決する天子
の位置である(「京」を参照)。

つまり日の光を受け止める位置であり、其処からこの字は「キョウ」と読んで「受ける」の意味、其れに「進め捧げる、も
てなす、祭る」を示す文字とした。


・・・・・・道を行く事。例えば御幸(行幸)、行程、行為、行楽、孝行、と言う言葉が有りますが、此処から何を連想し
ますか。これ等は昔の日本の祭りでした。其れは一定の方位に向いた参道や巡礼道を踏んで神を迎えに出る行為で
あり、其の行程には幸が待っていた。

例えば行く先々にお旅所があって歌舞を披露し、親族や友人に出合って歓待されたり親交を深め、或いは土産物を交
換してお年寄りたちまで喜ばせた。つまり行楽でした。其れに対して仏教色の行者、難行苦行、諸行無常、となると暗
い感じになります。

境界・・・・・街道の交差する辻や十字路、或いは山頂の境界など。境界にも色々あるが、今は土地が財産権として
高く評価されているので私権の及ぶ民・民とか官民の境界確定が厳しく問われる時代となった。其の点で物金主義で
はなかった昔の境界は法界であった。昔は平地よりも山に街道があったので、辻や境界点などは、山間部が面白い。

譬え今は辺鄙な山間部であっても、本来は四方八方から色んな人々が集まる大切な地点、即ち古墳や祭りの場として
何処の領地にも属さず、私有地としない所だった可能性が高い。何れにせよ、単なる領地の境目ではなくて寧ろ大切な
場であった。

行革・・・・・・行政を改革する事。此れは国民が求めている事であるから、政党は此のお題目を必ず掲げる。土光
臨調でも此れを目差したが、何れにおいても現実に成功したとは言えない。寧ろアミーバのように自己増殖して来た。
其れにブレーキを掛けようとして省庁再編などと言って見ても、官僚組織の弄り回しで組織が改編されるだけ。

此れで責任の所在が消されてしまうので誤魔化しにより立ち消える。官公庁や公務員は巨悪の根源の癌であるが抵抗
勢力として強く団結が働くため中々壊せず減らす事さえ出来ない。民間では赤字を出せば倒産に追い込まれるから無
闇に増える事はないが、其の手は官公庁には使えない。

官公庁に譬えコストに見合う成果を要求しても、此処は法律で対抗する。自分たちが作った法制度で守られている。或
いは「此処は予算が来れば赤字にならない仕組みだ」(06/3/30セコム社長)と言うのですからお手上げです。

民間ならとうに潰れているようなお役所とか不必要と判断された官公庁が仮に行革で整理されても、次々と別の看板の
組織に不死鳥のように再生してしまう。

こうなると国民は、文句を言わず黙って納税して選挙義務を果たす外はない。せめて役人が転々と職場を変わらずに
終身、同じ職務に専念する事。其れによって盥回しと無責任をなくして貰いたい。また今公務にある者は、プライバシー
云々を言わずに正々堂々と名前を明記すべきだ。

国民の前では先ず名札を付ける事を求める事くらいしか今の国民には出来ないようであり、実に暗い気分になります。

狂牛病・・・・・・BSE。イギリスから世界各地に広がった。原因は牛の肉骨粉を牛に食べさせたからである。北海道
では死亡した牛を茨城県で資料分析の結果、国内では21頭目の狂牛病による死亡と分かった(05/12/10)。医
学が発達したと言うのに、どうして死ぬまで分からないのか不思議です。

教育・・・・・・人を教え、個人の能力を見つけ出し育み伸ばす事。ただ戦後教育は一律横並びの画一的な知識偏重
教育に競争主義を採っているため、様々な弊害のみならず、学力の低下が著しくなった。教育を間違えば国の存亡に
関わる。知識の押し付けよりも、考える事の出来る人にするのが能力開発である(「学び」を参照)。

或いは道理を教えて知性を整えること。特に男子は論理的で整合性のある判断ができる人間にする事である。また女
子は情緒と慈悲を養うことであろう。だが戦後はGHQ式の欧米イデオロギー(異教性)による洗脳教育となり、日本人の
質の低下を招いた。

また一律詰め込み教育は個人の意識を画一的に硬直化させるし、或いは流行的な教育は時代の変化に直ぐに役立
つ代わり、直ぐに役に立たなくなる。此れは社会を硬直化させるし世代間のギャップ(断絶)を齎す。要するに何れも要
注意であるのに日本の戦後教育が採用して来たのだから間違った。

日本人の学力だけではなく心まで汚染し害した。利益団体や企業性の売学教育も弊害が目立つ。進化論など、仮説・
通説を法則や科学でもあるかのように装った偽科学教育の弊害である。そうした教育が逆効果となったのが現代日本
である。

08/1/31のNHK総合TV「クローズアップ」では、其れまでのソ連型の知識主義から個別に「考える」教育に切り替えたフ
ィンランドを紹介した。此処は今、学力で世界一位となった。

教育再生・・・・・・・戦後の教育はGHQによる政教分離と言う実はキリスト教式思想教育だった。或いは社会主義に
よる日教組のイデオロギー教育の洗脳現場となって子供が犠牲にされて来た。その結果が今の学力低下、万引きなど
非行問題とイジメや自殺の流行と言うノーブレーキの問題にしている。

今までの先生方は、責任を取って全部辞めて貰った方が良い。特に公務員なのに組合を作って欺瞞の授業をしたの
が良くなかった。此の辺りから何とかしなければ制度弄りだけやっても何にもならない。しかし現職は先生不足を理由
に少人数の「30人学級」とか「ゆとり教育」を主張して来た。

その結果において今の状態が有るのだから「先生不足」は嘘だった。プロとしての能力不足が本当であろう。教師も生
徒も質の低下です。プロとしての自覚も工夫も努力も不足です。信賞必罰が教育の基本であり、質の良くない素人タイ
プの無責任先生とイジメをする生徒は登校停止処分とするべきだ。

無意味な公教育などを今後も期待して続けるよりも、各種の宗教団体に任せる方が教育の再生になるのではないか。

教育再生会議・・・・・・・関係者(教育経験者)の井戸端会議の場(関係者の談話から)。

▲教育問題・・・・・・政教分離政策、学校制度、教科書、教育基本法、日教組、生徒と父兄、不登校、など問題は色々
有るが此処では教師のみ次に記す。

教師・・・・・・青少年の持つ個性を引き出す人。実に素晴らしい先生方がいるが、知識偏重の現在では知識の受け
売りに重点が置かれるため公務員病や職業病に罹る。公務員病とは、府県職員である教育委員会などの無責任な下
司の感染者になる事です。そうすると生徒が事件や事故を起こしても何の責任も感じなくなります。

職業病とは、例えば自らは自分の家も職員室も掃除出来ない人間になる。此の勘違いが大きな問題です。自分の事を
自分で先ずできないなら教師を辞めるべきだが、今の流れは、掃除は清掃業者かPTAか、目下の他人や生徒がする
ものと朝鮮式に勘違いするようになる。

其れを味わえば授業・学習も塾に肩代わりさせ、普段の授業の中身(教育効果)よりも、先生が何時もガキ大将になっ
て生徒たちのご機嫌をとって楽しく遊ばせるか、或いは子供たちを何時も怒鳴り散らすのが仕事と誤解します。或いは
不祥事や事件事故が続くので「大人を見たら注意しろ」と言い、「知らないオジさんとは口を利くな」と言うようになる。

生徒を育てるとは言うが、実際に育てる事も守る訳でもない。校内で何かが起こっても体を張って守ってやる事もなく逃
げて来た。賊が入って来たらオロオロするだけで生徒たちを守る事が出来なかった。其れでも責任は取らない。だから
表面だけ繕い、甘やかして人気をとっている。

其の一方では大人や地域社会に対して学校から回覧を回して、「生徒を守るようご協力願いたい」と平気で上から見て
通達する。此れは虫が良すぎはしないか。地元は学校を支える納税者である。主権在民を勘違いしてお代官様になっ
たつもりでは困る。責任を持って努力すべきは公僕や学校やプロとしての先生方なのだ。

責任者に責任感も努力もないために地元では生徒たちが通学コースでゴミを散らし、石を蹴り、落書きしても転んで怪
我しても其れを見かねて地元がただのボランティアで奉仕している。だが学校側は侘びにもお礼にも掃除にも来た試し
がない。

生徒が人殺しをしても刑事罰は受けないが、親や先生たちが彼の代わりにどれほど責任を取ったと言うのだろうか。
何も出来ないとしても、せめて道理を諭すのが教諭であろうが其れも出来ずに矛盾だらけのエゴの塊で保身に甘えて
怠惰を重ねている。

学習も常識も教え諭す事が出来ないで、ただ高給を取って休みが多いだけならば生徒の教育にならず、地元の信認も
得られないだろう。寧ろ学校側は、日頃お世話になっている「大人」を実は陰で悪者にしている。税金で運営している校
庭も学校の管理が云々と言って地元に開放せず締め切ってしまう。何かあっても生徒にも地元にも責任を取らない。

でもまぁせめて、生徒たちを守ると言う姿勢とか責任感だけでも見せて貰いたい。「皆を守るのが先生である」と生徒た
ちの前で胸を張って大見得をきって見せてはどうか。「何でも言ってくれ、先生に任せろ、先生が責任を持つ」と、多少
背伸びしてでも一言言って見てはどうか。其れこそ何よりの教育になる。そうすれば生徒たちの信頼は弥増すだろう。

占い師の細木数子女史は06/5/28のテレビで100人の女子高生を前に語った。やる気のないロクデナシの子供ばかり
相手にする先生方は大変です。でも義務教育だからと、だらだらとマニュアル通りにビジネスでやっていては授業が楽
しくないとおっしゃった。人間教育が出来てないのにゆとり教育をしたのが失敗だった。

日本人は昔から世界一優れた資質があったのに今は学力低下となった子供に「夢を持て」と言っても無理だ。親と子、
先生と生徒に差が有って当たり前なのに人権や平等と言って同じレベルにしてしまったのがいけないとも。


行政・・・・・・住民と行政との基本は信頼関係である。具体的には住民の為の最大のサービス機関でなければならな
い。地震や台風も彼らの勤務時間だけにやって来るのではないから、24時間体制が基本である。住民が「困った時に
支えてくれる存在」であるなら安心感があり、存在意味があるが、今は逆であるから無意味となっている。

此処は上意下達で素早く課税を行なうが、住民に対する業務は従来から「お役所仕事」と言われるほどスローモーだっ
た。其れでも住民は忍従し、何を言われても善意でお役所を支えて来たにも拘わらず、今は住民を敵視して住民管理
体制を強め、課税を罰金として課す立場に変わった。

しかも行政主導の官制談合や住民無視で赤字でも夕張とか「すさみ町」のような箱物行政を行ない、或いは大阪府市
のようにカラ出張・闇手当てで赤字を積み上げる。更に各地で破廉恥事件続発など日々目に余る不祥事のメーカーと
なっている(前記の行革を参照)。

共生の原理・・・・・・地球上の動植物の99.99%は此れまでに滅んでしまった。残りの0.01%が今見られる500万種
の生き物です。生き延びる工夫のない種は滅んだ。其の点で植物たちは無尽蔵にあるCO2を巧みに採り入れて発展
しました。また例えばスミレは種を三つに分けるが、其れだけではなく蟻に運ばせて増えて行く。

蟻の好きな匂いを種に付けて、蟻の巣に運ばせて地下に埋めて貰っているのです。またユーカリの実は、火事になら
なければ発芽しない。山火事で多種が滅んだ後にいち早く芽を出す仕組みです。またオオバコの場合は、人の足に踏
まれて生きています。

他種の野草がオオバコの周りに繁茂しても動物や人に踏まれれば消えて行きますが、背丈の低いオオバコには硬い
繊維質があって、踏まれて他種が消えた後でたっぷりと日の光を受けて生きられる工夫をしている。また桜の葉は甘
い。此れを蟻が喜ぶ。蟻が桜の木に集っているため毛虫の害から守っているのです。

また青筋アゲハは楠の葉を食べて育つ唯一の生物です。楠は樟脳の原料、つまり防虫剤ですから他の蟲たちが寄っ
て来ない。其れに守られて生きる知恵が見られる。其の点、ヨモギやクルミは排他物質を出しているため、多種を寄せ
付けません。何れも自然の神秘、もしくは逞しさです(06/8/16NHKラジオ深夜便より引用)。

自然界は共生の原理で循環している。進化論の人間から見れば弱肉強食の世界の競争関係に見えたり自然淘汰と
見る事も出来るが、全体としては共生関係にあります。例えばミジンコは透き通った小さな体のプランクトンの仲間です
が、エビや蟹の仲間でもある。

ミジンコは他の生物に食べられる存在ですが、食べられて死んでも他の生物の栄養となって次の生命を支える存在と
なる。皆から食べられても決して絶滅する事もなく、ミジンコはまた何処からか湧いて出て来るのです。こうした関係を
食物連鎖とも言う。ミミズ(別項参照)だって多くの動物の犠牲になりながら生き延びています。

何れにせよ自然界はこの様に支えあって成り立っていますので、競争や淘汰の一面だけ見て心身一体の存在を物質
面だけから仮定した「進化論」は虚説(間違っている)なのです。人もまた「死んだらお仕舞い」では決してない。肉体は
必ず脱ぎ捨てる事になるけれども、魂が不滅である事をミジンコやミミズでさえ見せてくれているのです。


競争原理・・・・・・自然界は共生の原理によって循環構造をなしている訳だが、進化論によれば自然界は弱肉強
食の自然淘汰により進化を続けたと言う。其処から今の社会も競争原理で動いているものと仮定した論理を導き出し
ている。だが無論そんな事実はない。

自然界は全体と調和しながら共生・循環しているのであって、競争などは殆どないのである。其の点、今の人間社会で
は一部に於いて学生の受験や企業の売り上げ競争があるのも事実だが、競争のように見えても其れは表層的な部分
であって、社会全体の原理とは言えない。

確かに今は一部の経済界では過当競争社会があり、大人たちは死ぬほど働いて生き抜いているとも見られる。けれど
もそうした競争原理が何も進歩したものとは言えない。誰もが互いに競争し戦って一生かかって満足も出来ず幸福感も
ない社会が高度に発達した社会構造と言えるだろうか。

言えないとすれば税法や労働、或いは社会の分配システムに問題があるのだろうか。とすればもっと改革して更なる進
歩をさせようと目標を立てるべきなのか。人がどう考えどう思うとも結構だが「競争原理」と言う仮説に拘れば現実には
問題ばかりで進歩がないのがハッキリするばかりである。

このように最初のボタンがこの「競争原理」と言う矛盾した虚構の仮定に置いてしまっては、ボタンの掛け違えで振り回
されるし、「競争に勝てば助かる」と言う強迫観念の幻想を追う事にもなる。其れよりも「共生」ではないか(上記の同項
を参照)。

経塚・・・・・・02年、奈良の弥山の上から弥生時代の須恵器が出土した。また近くの大峰山には9c末から10c初
期に護摩壇が築かれ、盛んに焚かれていた跡が残る。その後、陀羅尼を埋納した上に塚を立てたものが経塚である。
大峰山には藤原道長や師通が立てたものがあり、また高野山にも多い。

他方、葛城山は文武天皇3(699年)頃まで役行者がいた所だが、葛城28宿の場合は陀羅尼ではなく、法華経であ
る。何れにせよ其れは丁寧に経筒に納められて埋められ、其の標として地上に宝篋きょう印塔を立てた。

どんな墓地でも、上にあるものよりも地下のお骨に意味があるのだが、現代は寧ろ、地下構築物や埋納を知らずに、
上の石塔だけを見て文化財などとして有り難がったり邪魔にしたりで、移したり保存しようとするから、肝心要の埋納物
は行く方不明となり、方位の意味も埋納の意味も分からなくしている。


京都議定書・・・・・・・・・・05/2/16日に京都議定書が7年ぶりに発効となり、これから世界的にCO2排出量削減の
取り組みが始まる事になる。

中でも地球温暖化の先進国として責任度が大きい点について例えば米国の環境シンクタンク「ピュー気候変動研究セ
ンター」は、1850年から2000年までの各国のエネルギー消費量などのデータからCO2排出量を推定し、主要国のC
O2による温度上昇の責任度を調査した。

最も責任度が大きいのは米国で、29.55%、これにロシア8.7%、ドイツ7.4%、中国77.2%と続く。

因みに日本の責任度は4.2%で第6位。議定書で先進国扱いされているこうした国の合計は産業革命期以降の20
世紀中の分析では上記のように77%に達した訳だが、今後は、排出量が増加している発展途上国の責任度が寧ろ大
きくなり、2055−65年頃には先進国・途上国の責任度がほぼ等しくなると予想されている。

・・・・誰にとっても一つしかない地球。その未来に対し、気持ちを一つにするときかも知れませんね。さて、削減目標を
達成することができるでしょうか?

アメリカが危惧するように、経済発展に対して悪影響を及ぼすでしょうか?私は削減が可能だと考えています(以上の
概要は「30秒で読む環境情報!」 http://plaza.rakuten.co.jp/eco30/から引用した)。

また別の計算もある。世界のCO2総排出量が230億トンと想定されているので、此れを100%とした場合、国別排
出量は米国、中国、インド、ロシア、日本で各々24.4%、12.1%、4.7%、6.2%、5.2%と言われる。

ただ問題は米中インドが不参加である事と、各国が国内で努力もせずに、余裕のある後進国から削減枠の買取ビジネ
スに走るのではないかと懸念されている事だ。つまり実質的な削減ではなくて、単にCO2削減マーケットの出現と言う邪
道のビジネスに今は走ろうとしている問題です。

其れにロシアは売るほど余裕があるから乗り気だが、日本は深刻である。日本は此れまでのツケが8%あり、更に6%
を達成目標としているので、合計14%を削減すると言う厳しい状況だからです。今までにも目標より増加して来たのだ
から此のままでは到底達成無理であると断定できる。

これを決めた京都はわが国である。議長国が6%カットを決めていながら逆に8%プラスになったと云うのですから、よ
その国は呆れるだろう。それでも日本はまだ「省エネ先進国」を気取って外国に売り込み、技術供与で貢献したいと寝
ぼけている。筆者に言わせれば削減なんか簡単だ。別紙の「V屋根」を採用すれば直ぐ達成できるのです。

其れが厭なら石油価格の操作である。ガソリンに税金を上乗せしてもペットボトルの水より安いような今の石油価格で
は何の効果もないだろうから、戦争を始めて原油の値段を10倍にすれば直ぐに解決する。黙っていても節約が徹底す
るに違いない。

だが京都議定書には米国が入らない。其れは核実験を2000回以上も繰り返したからである。また日本人を人類初の
モルモットとした原爆の放射能(別項参照)汚染の実体を彼らは知っており、其の責任回避の為である。原発をやめた
り核廃絶をしなければ地球の未来は闇になる(原罪を参照)。

共謀罪・・・・・・共謀罪と言う法案が06年の国会で検討され始めた。よって多くの識者・国民が警戒している。今の
段階では果たしてどのような内容なのか不明だが、要するに国家転覆を図るような犯罪防止であれば現行の刑法など
で足りる筈である。

なのに態々共謀罪を作るのは、戦前の暗黒的・治安維持法・治安警察の復活を狙うものと見て警戒するのであろう。
確かに歴史的に見ても幕府が腐敗し、崩壊する終末期には徳政令や力のない禁制や「お触れ」が乱発されて来たかと
思うし、また確かにお上と言う所は国民の要望には少しも応えない。

寧ろ、増税や銀行への公的資金や天下りなど、余計な事ばかりして来た前科がある。事実、戦前戦中は悪名高い特
高警察があった。だが今の懸念や警戒は勘違いかも知れない。戦前までは兎も角、戦後は一応、建前だけは「民主主
義」国家を標榜し、法治主義と罪刑法定主義を原則とする国家となったからだ。

と言う事は、共謀罪は寧ろ、国民が国家・政府の公務員を裁くための法律であるかも知れない。とすれば良い事ではな
いか。現に政府は此れまでにも共謀して1000兆円の赤字を累積し、しかも共謀して数々の無駄なODAを世界にバラ撒
いたりイラク派遣を推し進めてしまった。何れも国民が反対し、或いは与り知らぬ事ばかり。

大勢の議員や官吏がいながら、まだ誰も責任を取らない。それは彼らを取り締まるべき有効な法的根拠がなかったか
らである。だからこの際、共謀罪を拵えて網を被せ、公務員たちを一網打尽にしてくれれば大変結構だとは思うのです
が、無論此れは夢のような無理な話。しかし無理ならば論理上は憲法も建前も偽看板と判明するナ。

▼恐竜・・・・・・・・・・此れまで「日本では恐竜はいなかった」とされて来たが、少しづつ発見されて来た。恐竜の死骸が
川の流れによって湖近くに流されているので、そうした場所では化石が見つかり易い。此れまで日本では20ヶ所以上で
恐竜の化石が発見されている。

78年に岩手でモシリュウ(竜脚類)、79年には熊本でミフネリュウ、ティラノサウルス類(何れも肉食)、81年に群馬で肉
食恐竜の歯、85年には白亜紀前期(約1.4〜1億年前)の地層の福井、石川、富山、岐阜に跨る手取層郡からカガリュ
ウ(肉食恐竜)、フクイサウルス・テトリエンシスなどが出た(07/1/8朝日)。

また96年には三重でティラノサウルス類のトバリュウ(竜脚類)の化石が見つかった。更に今回、06/8月には兵庫県で
テイタノサウルスの化石が発見された。三田市の村上、足立両氏が発見して同市の「人と自然の博物館」に持ち込み、
其の鑑定を三枝研究員がしたため運がよかった。地元も感激して一躍町おこしの期待が集まる。

▲許可・・・・・・

▲きよき・・・・・・

▲曲・・・・・・曲は曲りであり、其れを計る工具に曲尺がある。そして音楽では節回しの事である(後述の「調べ」を参
照)。その点、今の音楽には曲がない。其の点で、現代の曲は直線的な機械音や電子音ばかりであるから不自然であ
り、嘘が有る訳です。

アナログなら電圧の変化で曲をなしたが、デジタルでは殆どが電流の変化しかないので聞くに堪えない「騒音」となりま
す。

▲きよけ・・・・・・
▲きよこ・・・・・・

清さが潔いさぎ良さ・・・・・・・日本は年中、地震(ちゆるぎ)や火山の噴火が起こる外、海岸は連日、波に洗われ続けて
いますし、陸地にも梅雨や台風がやってくる。そして年に八回、四季の節目(四至・四立)がある国です。其れだけ天か
らも四方からも洗い清められ、地からも揺らされる日本人は否応なしに清まって来て当然です。

其の上、年二回、神社では大祓いをして来ました。だから無病息災で医者要らずでした(「霊主体従」を参照)。

自然界からの「禊」で清まるために日本人は居ながら潔さが培われた。かつて平家が源氏に壇ノ浦であっさりと負けを
認め、或いは徳川武士が田舎者に対してあっさりと江戸城の無血開城をする事で明治維新を成し遂げさせた事も立派
な引き際と言えよう。日本人のこうした潔さ、清潔さは世界一誇りに出来る美風である。

でも日本人がこの美風を見失ったら何も残らないばかりか、今の様な日本にするのです。日本人の心が穢れたため
に、偽物・偽装が当たり前となり、水も空気も食品も汚染され、街は汚く、病気と犯罪増大と言う現象を見せられている
訳です。此処まで見せつけられるのは心が「霊主、ではなく体主」となっているからです。

「体主」とは精神を知らずに「肉体が全てだ」、とする肉体主義に心が汚染された事だ。そうした誤解をしないようにする
のが本来の教育の筈だった。所が今や其処は汚染をバラ撒く場としている。学校やお役所が自らの場を掃除せず、ゴ
ミ処理も掃除も業者に下請けさせてしまって以来、教師は誰一人掃除しない。

最も肝心な自分の「キヨメ」の掃除もしようとせず、学歴を取る以外には役立たずの知識の垂れ流しで時間を奪い、最
も肝心なキヨメは其れ以下の事として、「掃除は誰か目下のものがすればよい」と言う朝鮮式気風を植え付けている。と
すれば聖職者ではなく、動物的な「体主」の心を、他人から銭をとって刷り込み、その人達の心を毒していると言える。

よって今やトラブルメーカーのコアとなってしまった。お役所と教育のみならず、一般家庭も企業も「清さ」や自浄能力を
失えば日本には何も残らない。

▲きよし・・・・・・

挙式・・・・・・・・結婚式など。つまり結び固めの式。さて、神やヒジリは天地や四方を繋ぐ立場・役割であり、其れを
形で示したのが十字やクロスであり、これらが「結び」のシンボルを明示したものである。其れに対して結ばれていたも
のを「解く」のが仏教の卍であり、此処ではある種の世界観を分かり易く解くので「ホトケ」と呼ばれた。

其の点、生死を軸として人は人生儀礼を行うが、誕生は死の逆ではあっても同軸上に起こる現実であり、言わば「先祖
帰り」を祝う事だった。其れに対して結婚式は見ず知らずの他人との縁結びであると同時に、新たな生命を生む主体と
なる事を期待出来る行為であり、言わば「生死の結び」でもある。

従って、此れは何れも先祖が取り持つ縁と先人は捉えた。だから縁結びは出雲の神々の所管とされたし、氏神や産土
の前で挙式する神前結婚、或いは自宅(嫁ぎ先へ籠で向って夕方に嫁入りした)で挙げた。だから大正時代までは神
社以外の宗教家が結婚式に関与する事はなかった。

そうしていったんは堅く結ばれた夫婦の絆をホドク教えや立場が仏教であり、人が肉体から解脱し、あの世へ往生する
死と言う現象を弔うのも仏事である。魂を肉体から解き放つのが死であり、解脱である。元々釈迦仏教には葬式仏教
はなかった。しかし其処を曲げて、葬式をするようにして日本で生き残ったのが今の葬式仏教でした。

何れにせよ、「縁結び」や挙式は是非とも神前で行うべきであって、仏前でする事はミスマッチであり前時代的にも見え
る。前時代は神仏習合時代であり、寺社が一体化していたからでした。実際、仏教の経典にしても、結婚式にピッタリ
のお経と言うのはない。般若心経や理趣教と言う、男女和合やエロチックにセックス描写したお経もある。

だが、其れが挙式に必要かつ適当であるとは到底思えない。其処で仏前結婚の場合は念珠の授与や焼香をする事に
なるが、多くはアミダ様に対して行う。だが阿弥陀はこの世ではなくて極楽浄土の神であるから晴れがましい挙式にナ
ンマイダは矢張り馴染まない。其の点からもどうしてもキリスト教のほうに人気が集まる。

純白のウェイデング・ドレスを纏ってチャペルのバージンロードを歩んで見たい、と夢見る若い女性達が増えて当然で
す。日本では昔からホトケの前で御詠歌を歌ったが今の若者たちは眠たくなるようなお経よりも御詠歌よりも、オルガ
ンと清らかな美声がハーモニィ(和音)となる賛美歌を選んでしまう。

うっとりするような雰囲気の中で互いに誓って手を重ね、牧師の語る聖書の一節に「アーメン」と言うだけだから楽です
し、第一ポエム(詩的)であり心に響きます。仏式でお数珠を重ね合うよりも指輪の交換の方がずっと素敵だと思いま
す。そしてあのウェディングマーチで退場するシーンなどは、どんな映画よりも感動的なラストシーンになるでしょう。

以上はプロテスタント式であり、カトリックではやや違って聖水を十字に注いだ後にミサがあり、次にパンとブドウ酒を受
けます。所が何れにしても異教徒では問題がある。

譬えムスビのクロス(十字架)の前で誓う、とは言っても先祖が許さない。だから教会で挙式してしまった場合は、其の
後に近くの神社に正式参拝してお詫びした方が無難です。キリスト教はキリシタン時代以来、日本に来ていた。

そして艱難辛苦の中、実に多大な宣教活動をして来たにも拘わらず、キリスト教徒に改心したのは日本ではまだ1%で
あり、殆ど根付かなかった。其の点で仏教先進国だった朝鮮(韓国)では反日イデオロギーの歪んだ形で人口の40%
がキリスト教徒に改宗した優等生ですから、チャペルの挙式が似合う。

其れに比べたら日本では妥協によって仏教徒になった人たちが殆どですし、其の上、キリスト教会となると今も列席者
が戸惑います。しかもご両人がキリスト教徒でもなく、改宗する気もないのに、今の自分の都合だけでキリスト神を一時
だけ利用すると言うのは仁義にモトルと思うのです。其れでは神への信仰ではなくて神を冒涜する事にもなる。

従って「縁結び」の祈りは最初から近くの産土、もしくは氏神、もしくは出雲の神の神前で祈りたい。そしてもし二人の願
いが何とか通じて目出度く挙式となった場合は、矢張り同じ所へ報告し、或いは自宅に於いて先祖の許しを請うための
ご挨拶か誓いを行うべきだろう。キリスト教も皇国史観の戦前までは結婚式には当然タッチしなかった。

だが戦後はマッカーサーと言う軍服を着た宣教師により急展開である。仏教が葬式を請け負って生き延びたようにキリ
スト教も戦後になって挙式に力を入れ始めた結果、現代は教会の外、ホテルや式場と言ったビジネスの場で挙式した
り、更には海外のキリスト教会を利用する人が増えた。

此れも時代の流れなのでしょうが、其れについて週刊文春05/5/26号では「ホテル・結婚式場の牧師の9割は偽物
だ!」と書いた。同様にABCTVも05/5/20日に此の問題を報道した。式場業者がお客から偽牧師を問われた事はな
かったらしい。ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドやモスバーガーでデートして、其の流れでゴールインである。

お客たちは資格よりもアメリカンムード優先なのだ。関係者は挙式と言うクライマックスの出演者になりたいだけのよう
だ。だから業者は5〜10万円と言う費用を取って、偽牧師の派遣会社から派遣された外人には日当1.3万円を払っ
て口を拭っている。此れで三方丸く収まっているのは矢張り「目出度い」と言うべきなのだろうか。

結婚難の上、離婚が増え、益々「少子化」に向かうのは、こうした心得違いが常態化したからとも言えよう(「縁結び」を
参照)。だが神社側も皇国史観から一歩も出ない形式的な挙式を改め、もっと古式の大らかな儀礼に学ぶ時期ではな
いか。因みに結婚費用は現在、全国平均で524万円掛けている(北陸は625万円である)。

中でも挙式費用は240万円(05/5/30日の民放テレビ調査)。さて、纏めとして言えば挙式は神社で行なうべし。寺院は
ホトケの神なので挙式ではなくて、離婚の時にお世話になれば良い。序に挙式のマナーを述べる。参列者は花婿・花
嫁を一際目立たせる立場ですから、男子は出来ればボロを纏って女性の特に美人はスッピンで行く心得が欲しい。

所が今は「花を添える」を合言葉に誰もがチャラチャラと着飾って披露宴に参列するのですから、まるで合同お見合い
パーティのような華やいだ雰囲気で勝手に気侭に盛り上がってしまうならばマナー違反だ。其れでは折角、無事挙式に
まで漕ぎ着けたご両人の心が揺らいで後悔させる事になる。

でもまぁ只で招待されたのではなくて、高いご祝儀を払って仕事を休んで駆けつけた方々の場合は、そうやって是非元
を取って下さいませ。


▲きよた・・・・・・
▲きよな・・・・・・

▲きよは・・・・・・
▲きよま・・・・・・

清め祓い・・・・・・・清め祓いはエネルギーの源泉であり、万物を養い、蘇生させる力です。例えば台風は、空気を
かき混ぜ、海底までかき回して綺麗に掃除します。其れが酸素を送り、プランクトンを増やして海の生物を蘇生させる
力となる。

所が人類は心得違いによって人は栄養学でカロリーを採り、作物は「肥料で育つ」と誤解して環境破壊を進めました。
また、俗人でも学校の教師となれば、周りの人は「聖職者」と見てしまうが此れも誤解です。彼らの困った点は、決して
自ら掃除をしなくなる点だ。彼らは「掃除は下の者にさせれば良い」と言う朝鮮式観念の主となる。

其の誤解によって今は、「教育の荒廃」が社会問題になっているが、特に宗教の場にある本物の聖職者の資格は、年
齢や地位ではなくて、自ら掃除する人かどうかである。其の点で古来、聖者達は精進潔斎を怠らなかった。日本神話に
はイザナギとイザナミがあり、このご夫婦は高砂とか翁とオミナとして掛け軸にも描かれて来た。

このような箒と熊手を持った姿を日本では神々や慶事の象徴としたのである。神様でもお掃除したのです。従って、神
様を迎える場、つまり聖域とされる各地の神社には古来、「祓戸神」が祭られ、彼らがその場だけのみならず五風十雨
の雨風をもって列島全体を「五十払い」で祓い清めて来た。其処に「神の国」と言われたこの日本列島の源がある。

所で日本の首都・東京は神の国のシンボルだろうか。例えば「夢の島」は神とも夢とも無関係な所だ。此処は都民のゴ
ミ捨て場であり、ハエが群がり、其れに殺虫剤をかけるために、ハエの耐性が進化してもう殺虫剤も効かなくなった。ハ
エの大群と悪臭は都民を苦しめた。

其処に限らず、今は木花咲耶姫を祭る日本のシンボル富士山の頂上でも列島全体でもゴミの山となり、烏やゴキブリ
が増えました。何処でも彼らを悪魔のように見て排除しようとするが、彼らの存在が問題なのではなくて、人々が肉食に
なり、しかも自ら掃除しなくなった事がその元凶にあると知るべきであろう。

このように見れば、日本社会に必要なものは更なる経済発展よりも「清め」であると言える。「祓い」は「払い」に通じる
(各項を参照)。また其れとは逆の蓄積と不潔さのツケは、犯罪の増大による「危機管理社会」とか、「一億総病人」に
対する高額医療費と言った様々な現象と化して大きな支払いを私たちに迫っています(「霊主体従」を参照)。



漁業・・・・・・・漁業法により水産団体・漁業組合などが公有水面などに漁業権を設定した中で営利で行う採捕または
養殖業。市場への供給、加工販売も含む(漁師を参照)。

漁場・・・・・・・魚を採れる場所。水があれば何処にでも魚がいると言う訳ではなくて、水温や海流に左右される。世
界の漁場は全体の10%である。其処は陸地に近い所であるが誰かの所有物と言う訳ではなくて言わば共有財産で
す。だが漁法や船舶・漁具の進歩により、世界の漁場には各国が殺到するようになった。

此のため漁獲量が年々減っている。タコの場合は獲りつくした。タコを食べるのは日本人だけであるが、輸出商品とな
れば話は別であるからモロッコの場合はゼロになった。また日本は世界の1/3を消費するマグロ好きの国民です。だが
漁獲量が10年前の半分になった。しかも海外からの輸入に支えられている。台湾など、違法操業にである。

このため国際条約で規制したり漁業交渉をしている外、近年は養殖も始まった。だがマグロは最高時速80km/Hで泳
ぐ。ですからどんな競泳選手でも及ばない。しかし此のため狭いイケスでは衝突事故で死去するケースが多く、イケス
を大きくしても育つのは全体の3割である。

しかも1kg育てるのに3kgの餌(冷凍イワシなど)を与える(06/6/22のNHK教育TVより引用)。


漁法・・・・・・・・天候と時間、大潮などに大きく左右される為に機械的な単純労働ではない。魚網や仕掛けなど、今伝
わる漁法の殆どが江戸時代までに紀州の猟師たちによって完成された(司馬遼太郎)。ただ、はえなわ(延縄)漁はイ
ギリスで発達したものをずっと後の明治以後に倣って山口県で始まった。

例えば淡路島の延縄で採った鱧(ハモ)は美味しく料亭で高級料理となる。ただ船積みしたまま取引されるケースでは
ハモの腹に針が残っているので要注意。イワシなどは巻網で一網打尽とする。









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