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http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page186186.html(未定稿)


日知り事典   キ 

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・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

き● ・・・ ・・・ ・・・  ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆★▲◆・・・ ・・・ ・・・ ★■▲◆★

●き・・・・・・・「き」は東の気です。東は日の出の方位である。ホツマでは五方をキツオサネと呼び、その中で「キ」は
「東」を意味した。東は五行で「青」即ち「木性」であり、「木」を意味した。木は成長のシンボルであり、また東は日の出
のエネルギーの方位であり、此れが元気に通じる青々とした「若気」であり、季節としてはを意味した。

此処から伝統的に東宮もまた若宮の事である。

・・・・・・・気には天地の別がある。前者は天体や天気、そしてある方位の空気や霊気です。また後者は主に水で
すが、その水気が入った土産(宮気)物とか野菜など、農作物や海産物です。其れを得るには散歩が良い訳ですが、
息、つまり呼吸、特に深呼吸が大切です。

現代人は深く息をせず、何時も浅く呼吸してせかせかしていますが、此れでは精神衛生上も健康上も良く有りません。
だから次第に気が枯れます。其れを「気枯れ・穢れ」と言う(「穢れ」、及び「気配」、及び「呼吸」を参照)。人にとって気は
魂であり、魂は先祖との繋がりです。

其れが強ければ血も若々しく元気であり、逆に気が薄らいだ時には血が濁り、気が涸れ(疲れ)て、弱ります。気が涸
れればケガレとなり、人気のあった人も影が薄くなって人気が落ちる。


   

・・・・・・・

木種(木守り)・・・・・・・キダネ(キモリ)とは木の実を収穫する時には全部取らずに1〜2個残して置く事。木の実は
人間だけの物ではなくて、先住者である野山の鳥や虫の物でもある。しかも人間は実を食べるだけで種はゴミとして焼
却場に運んでしまうだけだが、カラスが此れを食べれば必ず其の種を別の所に運んでくれる。

だから、人が全部採るよりも多少は自然界に残して置く事が木の種を守り、木を守り、自然を守る役に立つと言うもの
です。

木の文化・・・・・・・木については誰でも知っているので此処では別の話をする。草木は太陽と月と土の働きで生き
る。育つ仕組みは人でも肥料でもなく、月である。だから人が介在しないほど木は良く育つ。人が水をやらない山の草
木や雑草が野菜や田の稲よりも常に元気なのは其のためだ。例えば満月のときに草木は地中から水を吸い上げる。

そして枝葉を伸ばした後に新月になれば、水分が下に向かって根を育て、余った分を地中に蓄えます。其の繰り返しで
草木は育つので、従ってこの有機的な働きの結果としての産物である野菜や果物も満月の時に採ったのが一番旨い
のです。だから時々は月の形を見て、満月の時に採るほうが良い。

所が現代人は無機的な星の西洋知識や西洋暦の七曜循環で金肥を施し、無機的な農薬と機械を入れて農作業する
から良い結果を得られず悉く失敗を重ねた。其れは月や木を見ても理解していないからだ(次項の「木龍」も参照)。月
は月曜日ごとに出るものではない。また木は森を作りますが人は木を見ても森を見ない。

森を見ても木を見ないのです。また木を見たとしても木を支える根っこまで見る人はないが、人が先祖から生まれるよ
うに、木は根っこで育つものです。根っこは土で育ち、其の土には酸素と水がある。しかも木は空気を清めて水を蓄
え、しかも川や海の魚を育てている。

木は外にも人々に新鮮な空気を送り、緑葉や紅葉となって人の目を楽しませてくれます。また風雨から人を庇い、緑風
で人の体を潤し、人の臓器の肺を空気で洗って養い、また緑葉で木陰を作り、伐られて尚、人の家や船となり、朽ちて
もなお薪となって人を暖めます。そのような木々に人は恩返ししているだろうか。

隣家の植木の落ち葉にさえ「迷惑だから伐れ」と文句を言って唾を吐き掛けているのではないか。虎は死して皮を残
し、木は家となるが人は名を残し金を残すと言うのだろうか。人は死しても只の煙となって空の彼方へ消えて行くだけで
良いと言うのでしょうか。

木の根っこの事も、自分の先祖の事(千祖)も知らずに、自分たちが食うためだけに一生を費やしている以上、せめて
一度は人類の長兄たる立ち木に触れて、一言褒めてやろうではないか。言うまでもなく木は、人類以前からこの地球の
主でしたし、人や自然界の父であり、人類の大先輩として人々を幾千年も見守り育ててくれた。

従って人が木から学ぶ事は多いし、敬えば与えられる。日本人は世界の例外として、そうした木や森と共生して暮らし
て来ました。木と共に生きる知恵を木から授かれば、文明の衝突など起こらない。木の文化は環境破壊さえ防止する
のに対して西洋式・金属文明は、幾多の森と都市文明を壊滅して来たのです。

所で、神話時代にスサノオノミコトは大陸に渡ったが、御子たちに木々の種を持ち帰り、木の国に植えさせたと言われ
る。木の国とは熊野と紀伊・紀州の事だが、彼と其の子々孫々が筑紫から東日本にまで木育て事業を拡大して行った
のです。日本は当時(2万年前)、火山噴火が激しく、特に一面の焼け野原となった。

だから本州部分には人が住めなくなっていた。此の状態が約一万年間続いた。従って当時の奄美大島や富士宮は地
下の恐らく100m以上深い所に埋没しているだろう。とすれば、考古学で表土を多少発掘しても、当時の古代文化は
到底分からないのです。

兎も角、彼が大陸から苗木を運んで神子たちに植林させた訳であって、其の木の子孫が今の縄文杉だろう。序でなの
で、今使っている文字の意味も解説しよう。木の漢字は象形文字と言われるが、どうもその様には思えません。その字
が果たして自然の木の何処に似ていると言うのでしょうか。

此れは樹木の象形ではなくて、「き」で解説した通り、五行の東、東は五行の観点から「木」を配分した点にある。つまり
古代太陽観測のための御柱をリアルに描いたものでした(「モヒトリ」の項を参照)。

古代エジプトでもスサノオノミコト以来、太陽のシンボルとして町の中に木を立て、天神を祭るようになった。其れが彼の
地のオベリスク(串)である。その種の太陽の祭りが世界各地に広がったのはスサノオノミコトが広めたからに違いな
い。

木をノーモン(1本の杖)として立てて、其れを基準とする事を英語でもノーマル(標準)と言う通り、一本の柱の日影の長さ
を基準とする文化です。此れが古今東西の常識になっていた。古字では地平線に柱立てて「┻」(鍋蓋)で表し、其の下
に糸を張って観測したため、糸形を「小」で示して「木」と言う字にしたのです。

またこの場の木は中心に立てられたが、観測の場には東から朝日が上がった。東から日の出がある事は常識ですか
らこの形をリアルに象って東の文字とするため、「木」に「日」を重ねて「東」の字とした訳です。

木の恵み・・・・・・・人々の暮らしにとって「一番大事なものが銭金である」と言うのが今の日本の絶対的な価値観と
なった。だが其れは皮相的な価値観であってホントに必要なものは空気と水である。また其れを黙って提供している木
であり森である。木は人に依存せずに自分で育つが人々には綺麗な空気と水を齎す。

木は人より長寿であり、人よりも古くからの歴史を高みの見物で見て来た。其の上、人に伐られても尚、人の家となる。
其れでも彼らは黙っているが、人間が神とか恩人と言う存在が有るとすれば、其れはこうした木々であるかも知れな
い。だが人間は彼らに其の恩の一部でもお返ししているだろうか。

現代の日本は欧米化して見事にモノカネ主義となったが、木はモノカネ主義者達によつて地球上から幾たびも滅ぼさ
れて来た。だから今は地球の例外的存在として日本だけに太古からの姿を伝える豊かな森を残している。其れは日本
人がつい最近まではモノカネ主義ではなかったからです。木はその場限りのエゴの人種とは共生出来ない。

其れは不毛の原野や砂漠が広がる外国を見れば分かる。木は100年前の事を大切にし、また同時に100年先の事ま
で考える人と共に生きる存在です。木は自立出来るが、人類が出てからは人が森に感謝し、木を守ろうとする人々が
いなければ存続し得ない。

木は新月に伐れ・・・・・・・農協の選果場では果物のサイズをLMSとランク付けて選別し、其れを果物店では店
頭に並べて値段にランク付けします。色んな果物が並んでいるものの、大きさで値段にランクを付けても味は分からな
いものです。木の実や果物の美味しいのは見かけではなくて実は満月に採ったものです。

満月には果物の中に養分・水分が十分凝縮されます。果物や樹木は月の神が育てるので、この水分がキーポイントに
なる。木は満月に向かって地下から水を吸い上げて新月にまた地下へ戻す行為を繰り返して育つ。木にはポンプがな
いのに数十メートルも水を吸い上げるのは、毛細管現象ではなくて月(引力・重力)の力なのです。

水を吸い上げて行くスピードは一日平均約2m位で昇降する。従って満月や雨上がりに木を伐れば枝葉が重いために
ヒビが入る。此れでは建材としては使えない。木も人間も全体の凡そ70%が水分であり、言わば水柱が立っている
と同じです。ですから満月に山火事になる事は原則として有り得ない。火をつけても消す力が有るからです。

逆に言えば、山火事になるのは、山の土壌自体が枯れて死んでいるからであり、そうしたのは過酷な人工植林など人
間の不自然な打算と欲望の結果である。何れにせよ時期が冬季や新月ならば全体が軽い。竹は寒のうちに伐らないと
虫が入って竹を粉にしてしまうので注意を要するが、木も伐るなら乾燥期の冬が良く、しかも新月が良い。

いったん伐った用材を屋内の軒に吊るして更に二、三十年乾燥させて建築材として使えば狂いが出ない。昔の日本人
新月に伐った木は割れ難く狂いが少なくしかも黴(かび)ずに長持ちする事を知っていた。だから法隆寺が1300年
前の木造建築物で証明している通り、和風建築は何百年も長持ちして来ました。

コンクリートが数十年で崩壊するのに対して、今も残る文化財クラスの建物はこうした木を使ったから数百年から138
0年(法隆寺など)も日本では残っているのでしょう。其れに対して鉄やコンクリートの強度は完成した時の尺度に過ぎ
ない。完成時には確かに強くても、其処から徐々に強度が落ちて行く訳ですから予想以上に劣化が早い。

其れに対して、1000年掛けて育った木は、伐られてからまた1000年も耐える力がある(但し乾燥が条件となる)。
さて、もし木や竹を切ったり割ったりする場合は「木元竹裏」と言って、木は根本から、竹は裏から割るのが原則です。
木にカンナを掛ける場合も、根本側から削ると美しく仕上がる。

(龍)・・・・・・・木はどうして100mも成長できるのか。其れは其処まで水を吸い上げる力があるからです。電気
の力やポンプも借りずにどうして根から吸い上げているのかについて、科学者は毛細管現象とか浸透圧と言う解釈をし
て来た。でもそれでは限界があって、月の力を借りなければ無理なのです。

もし満月前の朝の間に、静かな森の木の傍に行ったら幹に耳を当てて見よう。そうすればきっと木が水を吸い上げる
微かな音を聞けるでしょう。或いは山の上で飲み水に困った時には、高い木に上って其の先の枝に、ポリ袋を被せて2
〜3時間、其の口を縛って置けば水を作る事が出来るでしょう。日光が指す所にはポリ袋に水滴が一杯溜まるのです。

木は呼吸しているので、それほどに水を高く吸い上げます。木は日光によって光合成(炭酸同化作用)で葉緑素を作
る。光が当たれば葉の気孔が開き、水が蒸散するシステムです。この様にして木は水を根から一日につき約2m上昇
させています。恐らく半月掛けて導管・仮導管を通じてゆっくりと30m以上も吸い上げている。

表皮に近い所が比較的早く、芯のほうは遅いが、この時に風が吹けば、もっと活発に蒸散します。活発であればあるほ
ど木は育つのです。ですから無論太陽も風も協力して木を育てている事が分かる。特に風と気圧です。木はこのように
有機体であり、言わば龍の化身であり、風や気圧もまた別の形の流体・龍体である。

木は堅物ですが、物理化学的に無機的成分分析したり物体としての有機物と見ても分からない。木は生き物であり、
息をしている龍の化身と見たほうがもっと分かるし親しめるのではないか。あのザラザラの木肌に触ってみれば、特に
松の古木等ならきっと龍鱗に触れた感触があると思うのです。

でも其れに無知で、木を囲めば困る。困ると言う字にしても「木を囲む」と書いて示します。人を囲み、木を囲み、自然を
囲み、都市化するのが発展ではなくて実は現実に色んな問題を出して困って来ていますね。木も人も、天から許されて
立っている。根や足が有るから立てるのでは有りません(ソロン・アサミ氏の著書から)。

其れを勝手に伐れば、やがて其の人も会社も潰れる。では「転ばぬ先の杖」として、最低限、配慮すべき点を以下に示
す。
 
(龍)を伐る作法・・・・・・・八王子市の薬王院には蛸の足のような根を見せる千年杉がある。それには伝説が
あり、昔、天狗が参道を造ろうとした所、杉の木が邪魔になるので伐ろうとした。杉は驚いて自分の根を後ろに回して其
の難を逃れたと言うのです。さて木を伐る作法とは「人も木も同じ生命体である」と知って行う礼儀です。

天気は天理で動き、物は物理で動き、人は金理で動くが、木は其れらでは動かない生命体です。木は単なる有機物で
はなくて、人が見る以上に地中深く、広く根を張って生きている生命体です。木は地面を盛り上げて生きているので、上
部構造の木を伐った場合は根が腐るにつれて地面を沈める通り、上だけで生きているのではない。

人は其れをアリを踏み潰すくらいに軽く考えて伐ろうとするが、木の勢いの強い時に其れをやれば不測の事態を起こす
ものです。ですから「伐る」と決まったらお供えをして事情を述べ、許しを請うが良い(前項の理由を参照)。或いは同じ
樹種の若木を近くに植えて、其処まで麻紐か注連縄を渡して御幣を付けます。

こうして予告してから一晩以上置いて、出来れば葉の色合いの変化などを判断して、しかる後に工事に掛かる。でなけ
れば特に楠などは因縁の樹と言われるので事故を起こす。人間でも死にかかっている時に医療ミスで死ぬのは楽です
が、元気旺盛な時に突然殺されようとすれば命を懸けて闘うでしょう。木だって同じです。

楠などは「枝を払っても何かがある」と植木屋さんを怖がらせ泣かせる木でもあるので、科学や合理主義と言う人間の
狭い観念で事を進めては良くない。ですから昔からキコリたちは年に二度は山の神を祭り、また山に入る前にも山の神
(別項参照)に挨拶してから仕事に掛かった。こうした努力の結果として日本には世界一の森林が残せたのです。

山の立木や屋敷内の庭木でも校庭の(別項を参照)でも一緒である。人が立ち、建物が立ち、木が立っている事は
其れなりに意味がある。獣は立てないが木は何故立っているのか。物理的に説明しても分かりはしません。学校では
教えないが大変意味がある(此の部分はソロン・アサミ氏の著書より)。

庭木ならば同じ時代を共に生きる家族の仲間である。大きくなった庭木を伐るなら誰かを斬ると思っても良い。駐車場
にしたいとか、家を建てたいとか言う理由は人間の都合にしか過ぎない。此れまで家族を守ってきた立木の心を無視し
てはならない。

無視すれば所有者か家族に災いが降り懸る。伐った建築業者は何れ潰れるし、数年で社長が病気になり、家族も離
散する。かなり注意して掛かっても災いが及んだケースは幾らでも有ります。特に宅地造成業者などは何度でも何社で
も潰れている。


気圧・・・・・・・大気の圧力。大気は地球上に薄く広がっているが、気温が摂氏0度で水銀柱を760ミリの高さまで押し
上げるので、此れを1気圧と言い、760ミリバールと言った。ただ現在は此れをhPa(ヘクトパスカル)と言う。気圧を測る
器具は晴雨計、またはバロメーターと言う。気圧が太陽光に暖められて上昇気流となれば低気圧となる。

低気圧となれば空に雲が有っても拡散してしまうのでハレとなるが、今の気象学では「天気が崩れる」としている。以
下、NHK教育TV08/2/1「地学」から引用する。台風など、低気圧は反時計回りに渦を作り、逆に高気圧から低気圧に
向かう時は時計回りに渦を作る。何れもコリオリの力による運動である。

また低気圧の東西には温暖前線と寒冷前線が出来る。何れも雨が降り易くなる。中緯度地域では気圧が西から東に1
日当たり凡そ1000kmの速度で移動する。この為、「天気は西から変わる」事になる。と解説するのであるが・・・

紀伊山地と熊野古道・・・・・・・1992年に法隆寺、94年に京都17ヶ所、96年には姫路城や安芸の宮島(厳島神
社)、98年には東大寺など奈良の文化財、99年には東照宮など2個所、2000年には沖縄のグスク、そして此処が2004
年に世界文化遺産に登録された。

NHKでは7月に特集を組んで「木と水と火の祭典」として吉野・高野山・熊野三山を紹介したが、地元の人を出さずに
態々素人臭いゲストやアナウンサーの独りよがりの憶測や主観による解説に終始した。しかも新聞も此れに追従・コピ
ーして同じ人たちが同じ説明を繰り返した。没個性のメディアと化した所が没個性の解説をしても白ける。

折角の生放送が、手垢に汚れたコピー情報では活き活きした山地も歴史も伝わらない。例えば紀伊の国は元々木の
国と伊都国であり、其の頃から高野山は別天地だった。この聖地は空海以前からあって、地元で信奉されて来たのは
真言宗ではなかった。

此処は中世の一時期、高野山と言う荘園領主に支配されていた、言わば非抑圧民の先住地であって、元々真言宗の
信徒ではなかった。地元の神は今でも丹生都姫神である。事実、空海は高野山の最奥(壇上伽藍)に丹生四社明神を
地主神・鎮守として祭る事によって地元の信認を得て成立している。

其れに33観音の粉河寺の産土神(鎮守)もこの神であり、和歌姫でもあった。つまり那智の観音以前から伊都の国が
観音信仰発祥地だったと言えるが、そうした歴史を外部の人が理解できないまま平べったく解説する。ですから、こうし
た在り来りの観光案内を繰り返す限り、此れまでこの地が何れも閑古鳥の鳴く寂れた所にしていた。

其処が今回、一躍脚光を浴びる事になったのは大いに喜ばしいのではあるが、一時的に線香花火のように光彩を放っ
ても、上滑りの御利益話では直ぐにメッキが剥がれ、飽きられて再び閑古鳥が鳴くのではないかと心配する。NHK大
河ドラマが例年ドッと観光客を動員するけれども、翌年、其の地は忘れ去られるからである。

詳しくは後述の「熊野」を参照。

議員・・・・・・・会議は一人の武断を避けて、多数の英知と議論によって、より良い考えを導き出して事を決する場と
期待されて設けられて来た。だが中々理想通りにはならず、普通は太平楽の居眠りか「小田原評定」の場にしかならな
い。従って「会議とは次の開催を決める」場である、とも言われる。

とすればその場に座るだけの議員は気楽な稼業である。或いは利権と圧力団体の利害の衝突の場である。ですから
叡智などは期待しても無理である。だが、かつては有効に機能した事も有った。国家が危急存亡の時期とか、或いは
祭政分離の弊害がまだ出なかった明治と昭和(戦前戦後)には例外的に一時優れた議員や官僚も出た。

しかし祭政分離で神仏を完全排除した現今では、利権のための米式軍備の改憲とか組織拡大と増税を図る猿芝居と
共謀の場として機能するだけである。従って大前提に有る国民の福祉は後回しである。党派・議員は全てを「会議」で
決するものの、その結果の責任は誰も負わなくて良い仕組みにしてしまった。

こうした議員・役人天国を下界から見上げれば、議会を占めているのは選ばれた公僕や公務員ではなくて、国民を食
い物にする国賊か「人間の屑」であり、金権腐敗の無能な輩か、売国奴や犯罪者でしかない。実際、悪事が露見すると
決まって入院するのが議員たちである。

或いは年金負担のアップを図った2004/4/23、三人の閣僚が国民年金を払ってなかった事が発覚した。国民の模範と
なるべき議員の、特に閣僚が此れでは語るに落ちる。更に4/28日、四人の閣僚も未払いと発覚した。此れだけ国民を
なめた話はない。内閣は総辞職すべきである。

こう述べた後の05/11/28日に西村議員逮捕となった(「国会議員」を参照)。でももっと多くの巨悪が議会の場には隠れ
ている。

喜界島・・・・・・・鹿児島県の奄美諸島。喜界町。グスク(城久)遺跡がある。8世紀末から10世紀前半、11世紀から12
世紀頃の2時期に分かれた大集落で、規則的に並ぶ建物群と45メートル続く石敷きの道路が発掘された。出土品の量
などは国府に相当する(07/3/13朝日)。陸奥湾を参照。

祈願・・・・・・・人の勝手な願いを神仏に祈ること(下記の「起請文」を参照)。神前で祈っただけでは安心できずに更
に絵馬を買ってぶら提げる方がある。「念には念を入れて」と言う気持も人情としては理解できるが、理解できないの
は、寺社の中には「男絶ち」と言う古い絵馬も有る点である。しかも期間限定で「3年間」とある。

色々理解できない点もあるが、このような体を張った健気な願掛けならば、其れはキット成就したに違いない。

記紀・・・・・・・古事記と日本書紀の略語。国史(正史)。日本神道の経典。古さと言い、また正確な暦日で記録され
ている歴史書として、世界に比類なき文化遺産である。ただ欲を言えば、大和言葉を漢字に宛て字した為に、今の解
釈では誤解されている点がある。当時は稲作を賛美した。このため穂が多用されている。

しかし穂は稲穂ではなくて炎のホと解釈したほうが良い場合がある。もう一つは出雲の国と神々の扱いです。西日本一
帯は古くから大国主命の出雲の国として、平和な神の国だった。其処へ大陸からの渡来人が大挙して帰化し、稲作を
始めた。其れで潤った大和朝廷と蘇我氏(崇佛派)による国史書き換えが有ったと推定できる。

其れは大国主命の出雲の国の扱いを見れば分かる。スサノヲノミコトや大国主命や少彦名命が不当に差別され、実像
とは全く別の人格で描かれている。風土記もまた同じである。今も尚、日本の神々の90%は出雲の神々を祭っている。
そうした優れた神々を記紀と風土記は一貫して冒とくし、全く意味不明の存在と国にしているのです。

危機管理・・・・・・・万一の危機を回避する手立てを講じるもの。ただ天災事変などの危機は昼夜・土日も盆正月も連
休にも無関係に起こる。であれば危機管理の立場にある行政部署や公営企業は土日も盆正月も無休が原則である
が、実際の彼らは其の立場に有りながら此の自覚が欠如している(「防災」「東京」「停電」を参照)。

企業・・・・・・・規模の大小、或いは営利と非営利とを問わず、旨く行っている所はお客のニーズに対応した所であ
る。お客を主とし、手前を従としてお客の役に立ちたいとの姿勢が見える処が旨く行く。其の逆に、官僚型になって、手
前勝手な理屈をお客に押し付ける「注文の多いレストラン」タイプや、割れ鍋蓋型の組織体になると危い。

小さくとも「一国一城の主」となれば立派ですが、企業生命が平均50年と言われる。成功すれば良いが失敗する企業
も同じ数存在するものであり、何れにせよ業績を伸ばすか財を残すか悪名を残す。企業も水商売であり、水との関係
で見れば、重たくなったものから沈む。であるなら企業主は、組織と運営の実体を常に把握し、硬直化しない事だ。

つまり重厚長大よりも伸び縮み可能な柔軟な体質を維持する事、或いは何時でも風呂敷の四隅を摘んで包み込み、
何処へでも移せる状態にして置く事が大切であるようです。07年1月には不二家が危機を迎えた。些細な事からだっ
た。食品メーカーとしての自覚を忘れた者が、其れを些細な事と無視したからである。

企業責任・・・・・・・企業の社会的責任。高度成長時代は公害企業が槍玉に上がり、またチッソによる水俣病が深刻
化し、森永砒素ミルク事件もあった。平成7(1995)年から「製造物責任法(PL法)」が施行された。企業の製造・販売商
品や作業が原因で起る人身・物損事故、いわゆるPL事故について高額の損害賠償を請求される心配から出来た。

06年には電安法も出来た。企業論理による責任回避策である。しかし毎年の様に土木建築業界は談合事件が暴露し
ていて、あの阪神大震災でも大きな被害を出したが、建築業界の質も責任も問われなかった。05年にはJR尼崎事故
で大きな犠牲を出した。また同業界では建築偽装が暴露した。

外には三菱自動車リコール隠し、雪印乳業、松下のファンヒータ、クボタのアスベスト問題、パロマガス湯沸かし器(21
人が死亡)、07年には不二家、北海道ガス3人死亡事故、と不祥事が相次ぎ、改めて企業責任が問われ出した。古い
暖簾やブランドを此れまで築いて来ても、其れにアグラをかいて油断し、利益重視で顧客軽視をすれば腐敗する。

危機管理がなければ一夜で潰れる時代となった。のみならず今後は官界・業界と企業ぐるみの組織犯罪として制裁を
受ける時代となろう。此れまでは官界・業界と企業の社会貢献度があった為に容認されて来たが、今は其れが無くて弊
害ばかり目立つ。であれば従来の固定観念の反省の時期である。

・・・・・・・菊は日本の国花です。つまり自生して来たものである。けれども学者は「中国から渡来した」と断じて来
たから困る(其れが事実としてもシナはあっても中国と言う国すらなかった)。さて植物の菊は兎も角、菊花のデザイン
は下記の「菊花紋」でも述べる通り、植物の菊ではなくて自分の魂や先祖の存在を図示した形でした。

ですから古来、植物の菊を神仏先祖への供花として来たし、従って祭り事の本家としての天皇家のシンボルにも使わ
れて来たが、無論天皇家の「菊花紋」独占は一時期の事でした。誰もが仏花、供花として仏壇に奉げ、また葬式の供
花として来たのです。日本には各地に菊が自生していた。

例えば全国的に自生している秀明菊があり、また京都には嵯峨菊、其れに美濃、伊勢、肥後菊などの菊も古典種であ
る。所が学者たちは各分野で「何でも中国から渡来した」と言わなければ日本では学問の仲間に入れなかったようだ。

其処で、「日本には元々菊はなかった」と言う誤解の前提から「菊は中国原産であり、重陽の節句には菊花を酒に浮か
べた」と言う故事を使って、全ての文物の起源をシナとして唐風文化を美化して来た。更に後鳥羽上皇の時代になって
菊酒を飲んで長寿を祝い、其処から「一文字菊」を皇室の紋章に採用したと見なした。

しかし前述の通り、古くから菊形の神座が日本では先祖のシンボルとして、或いは長寿と日輪のシンボルとしていた。
普通に描かれる菊花の形は、植物の菊とは形が違うのです。形を見る日本紋章学でも最近は、「菊の花弁は日輪、即
ち太陽の光線を現している」、と解釈している(下記も参照)。

菊花紋・・・・・・・紋章の中でもこの16弁菊花紋は天皇家の紋所として有名です。だが菊とは言っても、此れは普通
の菊とは似て非なる形であり、野路菊かマーガレットか、もしくはローマの墓地の周りに植えられるローズマリーにしか
似ていない。

ローズマリーはフアーブの一種なので独特の香りがあるため、死体の腐乱した場で死臭を消すために植えられて来
た。因みに中東にもこの種のロゼット・ストーンが残され、かの地ではバラの花、即ち「王家の紋」と認識されていた。
従って騎馬民族が渡来したのが天皇家であると誤解した風説が一時広がった事もある。

だが其れも天皇家が渡来したと実証出来なければ無理な話であるし、菊花紋にしても殊更海外の文物を天皇家の定
紋に採用する意味はなかったろう。とすれば、別の和花を菊として採用したのだろうか。いや、凡そ自然界の花は奇数
弁であり、其れを敢えて奇形に近い偶数弁を定紋のデザインとしたのは不自然である。

つまり矢張り此れは植物の花ではなく、法理を示していた。現実には自然界に実在しないものを法身と言い、佛理の花
を法華(別項参照)と言い、此れを八弁の蓮華で現した。

つまり本書が「円系図」として示した通りの八方、十六方の先祖や神仏を現したのが蓮華座であり、神座を菊座と言っ
た事から菊花紋としたものと見なければならない(ヤタを参照)。因みに易・八卦も此処から発展した。
次は「ヤフー知恵袋」に回答した中から転載する------回答日時: 2008/4/2 22:23:03
 
菊の紋の歴史的な経過について前の方が通説を語られましたので、僕は別の意味や象徴について述べます。一般に
菊の紋章は植物の菊花と見られていますが、自然界の菊花は実は16とか14と言う偶数弁ではなくて、17-19-21等の奇
数弁です。天皇家が敢えて、自然界には存在しない奇形の花弁を紋章として採用したとは思えません。

なので、菊とは別の意味が有ったと考えるべきです。類似の紋に蓮が有ります。蓮もまた自然界にあるのは偶数では
なくて奇数弁です。お寺の軒丸瓦の紋とか、仏像の蓮華座や曼荼羅の多くが此の八弁の蓮華を使っています。此のよ
うに自然界にはない別の法理を法身・法華と言い、仏教以前の日本ではヤタの原理として伝えました。

何故そうした哲学があったのか。其れを見るために視点を変えます。万物は二親から生まれる。人もまた同じです。そ
の両親にも各々両親がいた。其の先祖にも両親がいました。此れは2-4-8-16-32・・・の倍数関係を説いている。2-4-
を省略したのが8弁のハスの花であり、また2-4-8-を省略したのが16弁菊花紋である事に気づく。


気功・・・・・・・・手翳し(別項を参照)の事。今ではヒーリングとも言うが、シナ風の呼び名が気功である。日本では
昔から「遠当て」と言う術が有った。此れは要するに「飛ぶ鳥を落とす」術でした。外にも加納治五郎時代の柔術には
「空気投げ」と言うのがあって、相手に手を触れるか触れないかの瞬間に数メートル先に投げ飛ばした。

今の合気道などでも相手の気を巧みに利用すれば、子供が大の男を四方投げで投げ飛ばす事もある。そうした見えな
い気によって病気を治す事が出来れば、敢えて今の医療に頼る必要が無い。手術と言う野蛮な西洋的軍医式治療よ
りも、気功のほうが優れたものと認識しなければならない。

所が今の日本の一般常識では寧ろ此れを念力とかオカルトと言って見下したり避けてしまう。病気は色んな理由で発
生するものであり、色んな治し方が有って良い。しかし今は西洋医学しか認めない。つまり唯一絶対の一神教的論理
が日本人には染み付いてしまった。大変困った事である。

其処で06/2/23の19c(大阪放送)TVで詳しく気功を報道したので以下に引用する。オカルトの意味は隠されたもの、
見えなくしたもの」の意味のラテン語である。中国では張氏が有名だが、今回は来日した彼の弟子と村松氏が気功師と
して出演した。気功で治しても「暗示効果」つまり思い込みによるものと人は見る。

此れをラテン語でブラシーボ効果と言うが、今回の実験では其れとは別であるのが確認された。人間ではなくとも効果
がある。例えばカイワレ大根の成長が気によって早まった事例も確かめられた。次に被験者たちに気功を施した場合
に、彼らは異口同音に「温かくなった」と言うので、サーモグラフィーで測定した所、確かに体温上昇が測定出来た。

体を温めれば栄養補給をしたのと同じ効果があると言われる。此の為、癌の治療にも赤外線治療が行われている。気
功の場合も、気功師の手が熱くなる事をサーモグラフィで確認出来た。赤外線がかなり出ていたが其れだけではない。
被験者との間を断熱材でいったん遮断して見た所、確かに赤外線が遮断された。

遮断したのに気功師が被験者を動かしてしまう事も確認出来た。ではもっと別のエネルギーではないか。と言う事で静
電気を測定した。気功を受けるとピリピリしたり締め付けるような感じがするが、此れが静電気に似ているからです。
でも人間は科学によっても静電気をコントロールできないので、静電気を厄介者と見ている。

ただ静電気を使って例えば、手を触れずにローソクの炎を動かす事も出来る。また人に静電気ショックを与えた瞬間に
ビクッ!とします。其の一瞬に筋肉が収縮するからです。だが静電気で人を動かすのは難しい。今回は気功師が静電
気を絶縁する手袋をして被験者に当てた。其れでも被験者が反応する所を確認した。

つまり気功は静電気ではなかった。では音波なのか。例えばモーツアルトの曲を聞かせればイチゴの糖度が上がる事
が実証されているし、乳牛に聞かせると乳の出が良くなる事も確かめられている。気功は音を出さないが、イルカの声
がイルカ・セラピィーとして実用化されて、多くの成果が報告されている。

例えば問題児に対して3日間、イルカ・セラピィーを体験させた結果、癒し効果が現れて明るい絵を描くように変わった
と言う。此れは2万サイクル以上の超音波による脳の活性化であるとも言われる。超音波による訓練によって、人は目
隠しされても物の大きさの別や色彩の別を知り、或いは障害物を避けて道路を歩く事もバイクで走る事さえ出来る。

実際、超音波治療と言うのが使われて効果を上げている。其処で超音波測定をした所、自然界では考えられない数値
が検出された。其処で被験者を超音波から隔離した室に入れた。其の室外から気功を当てて見た所、其れでも内部の
被験者が反応した。被験者にも超音波にも反応が見られた。つまり気功は超音波にも影響するものと分かった。

しかし気功の正体が分かった訳ではない。では一体何なのか。中国には蓮花山と言う小高い丘がある。此処が最近、
癒しの場として人気スポットになっている。其処で武漢大学が調査した結果、癒し効果があると認めた。此処は気功師
の第一人者・張志楊氏が「私と同じ磁場がある所」と言った所である。

磁場の特殊な作用をジオパシック・ストレスと言う。例えば磁場の影響で癌になった例が有る。また1978年に「アース・ラ
ジェーション」と言う本が出版された。水脈や鉱脈などの物質情報を地上から探る方法として、昔からダウジングと言う
簡単な手法が伝えられて来た。此れは二本の棒や針金を頼りに地面を探るものである。

其の棒が水脈の上に来ると反発したり引き合うなど、特異な反応で動く事がある。此れは金属棒が電磁気的な働きに
反応するからである。つまり水脈が電界を作り、電界が電気を発生して磁界を作って人体に作用する。特に血液には
鉄分があるので電気的な影響を受ける。

このため、水脈の上に住居があればリウマチや癌に犯される事も有る訳です。良い流れをホーリーライン、良くない流
れを彼らはジオパシックと言う。中国で人気の風水はそうした流れを占うものである。大地にも気が流れているので、風
水は其れを知って調整する訳です。

其処で今回は磁場を遮断した箱を作った。其れでテストした所、磁場測定では全く確認出来なかった。気功は実際に
は作用するのにこうした科学機器には全く反応しなかった。要するに物質科学では精神的な働きが測定出来ない。出
来ないけれども実在すると言うのが此の自然界の不思議な働きである。

先の蓮花山もゼロ磁場である事が武漢大学の調査で判明している。此れは普通では有り得ないケースである。しかし
ゼロであると言うのが果たして「何もない」事なのかどうか。例えば5ガウスと5ガウスを当てれば10ガウスになる。其れ
を逆方向に双方向から流して相対させればお互いが打ち消し合ってゼロガウスになります。

気功には此のような磁場の可能性も有るものの、今回は此処までしか確認出来なかった(以上は06/2/23の19c大阪
放送TVから引用)。

乞巧奠・・・・・・日本には神代から棚織姫の伝説があるが、シナでも陰暦のこの日の夜、牽牛と織姫の星を祭り、女
児が手芸の上達を祈る。此れをキッコウデン(乞巧奠)と言う。日本でも昔は此れを宮中行事とし、また民間では女性た
ちが手芸や芸事の上達を願って竹の笹に短冊を掛け、またお月様へのお供え物をした。

その数は1、3、5、7、9など奇数(陽数)作って、屋根など高い所に捧げた。だが戦後になって西暦の7/7に七夕を
するようになったので意味不明の行事となった。この時期では梅雨の中であり、満月になる事も有って夜空の星が見え
ず、伝統行事としても全く無意味となるのです。つまり旧暦行事は旧暦ですべきです。




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