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http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」  page183.html(未定稿)


     日知り事典      関空〜カンタータ

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関空・・・・・・此処は新空港と言ってはいるが貧乏神が集まった因縁の所である。因縁とは言うまでも無く当初から
ゼニに群がるヤカラが造ったために以来ずっと「金食い虫」(金取り虫)となっている事に気づかない体質。つまり学習
能力も無い所。

此処は87年から工事に着工して94年に開港したが、先の因果から04年まで何と平均12.24mも沈下し続けた(数
字は04/9/3のNHK総合テレビ)。此処は1.5兆円も掛けて造ったが、見込み違いを理由に益々「金食い虫」を増やし
た。だから潰した方が良い。

所が今、2期島として、滑走路を二倍にしようと1兆円も掛けて07年の運用開始を目指して既に其の90%を完成した
と言う。此処は「ドブに金を棄てるように」海に金を棄てて来た。いやどっかに利権の吸い込み口がある。如何にジャッ
キアップしてもジャッキ自体が沈んで行くのだから底なし沼で際限なしだ。

そもそも此処には初めから善意がなく邪まな計画しかなかった。よって税金を横取りして尚、1.2兆円もの負債を抱え
た。サービス精神ではなくて半独占の殿様商法、プラスづるさ、悪賢さが目立つために「客離れ」となったのである。し
かも元々無競争に近い殿様商法だから料金設定が無茶苦茶・高額でも平気だった。

損したら税金を当てにして泣きを入れると言う低レベルの体質のまま、取り巻きが輪を掛けて悪質なタカリ屋グループ
である。だから諸費・値段が高いまま地盤沈下は続く。従って更なる被害を出さないためには潰すしかないと言うので
す。更に06/2/中には神戸国際空港が開港した。

伊丹の大阪空港に加えて関空、次は神戸空港と25km圏内に3空港も必要であるとは思えない。事実何れも赤字であ
る。のみならず一日600便の過密ダイヤと管制の複雑化で特に明石海峡の上空が危険地帯になっている(06/3/
17NHK総合TV・クローズアップ)。なのにどうして造るのか。理由は簡単である。

戦争を始める為であり、日本を米軍の「不沈空母」とするために全国各地に赤字空港を乱造中なのであろう。続いて06
/3/16には新北九州空港が開港した。因みに関空は神戸に8万人の客を奪われたとまた泣いている(数字は3/15朝日
記事)。日本列島は車の洪水で有事の際には到底役立たない。

よって空港を使って戦争しようとするのだろう。今や新空港が続々誕生して国内に97ヶ所。此れが中曽根の「不沈空
母」であろうが、自衛ではなくて要するに米軍基地化である。だがもし将来「不沈空母」が残っても日本人が全滅しては
元も子もない。やがて無人島の日本がUSA日本州となって、米国から植民団がやって来ると言う夢は見たくない。

此処には国から毎年90億円の投入が有るが、経営改善が進まないので06/10/11には遂に会計検査院が入った。13
万回の計画に対して11万回の発着しかなく、しかも人気が無いから3路線が撤退した。此の1.2兆円を越えた赤字をどう
するのかと指摘して二期工事の自粛(必要最低限度)を勧告したのだが、・・・・・

そうした中、国土交通省は航空会社のコスト削減と関空の為に大阪南部の上空通過案を許可する事になった。いや既
にかなりの数の航空機が住民の意思を無視して飛行していて既成事実を積み上げている。しかし関空は元々、海上ル
ートを条件に地元が同意して開港許可となったのである。此れでは民主的ではなくて、政官財による詐欺行為だ。

07/1/3の朝日は、水谷建設から関空工事の裏金10億円が議員秘書と組幹部に渡っていたと報じた。関空も関係者も
何処までも底なし沼である。


関係・・・・・・関わり合う、間柄の事。一例を引用すれば・・・・私は其れまで和文には関心がなかった。けれども「やっ
て見ないか」と言われて始めた。其れが先生との関係(ウッヒッヒ)の始まりでした。・・・・・此れ、どう思います?

観光地(寺院・役所・温泉)・・・・・・日本の四季は豊かでしかも山紫水明の景色が見られ、更に温泉地や素晴ら
しい歴史遺産も多い。だが国際的に見てもフランスが一番で日本は32番である(05/2/15のニュース)。来日する観光
客が少ないのはどうしてでしょう。一番の問題は観光地が汚い事である。

町にも観光地にもゴミが散乱し、公衆トイレも少ないし、宿泊施設も掃除が出来ていないからです。其の上、温泉が偽
物と言うのでは、態々観光地に出て行かずに「自分の家にいたほうが良かった」、と後悔するのです。観光地の要点の
第一は清掃、そして第二には親切と笑顔です。

だが今の日本の観光地にはどれもなくて、ただゼニ集めのための囮(オトリ)か落とし穴として、たいそうな箱物を作っ
て「さぁ入って来い」と待ち構える所が増えてしまった。其の典型的なケースが夕張市(別項参照)。此処は06年現在、
年収10億円に対して630億円の赤字を抱えて倒産状態である。

見込みがハズレ、観光客が来ないので寂しい町になった。この様な所には居たくないと住民まで逃げ出して11万人から
1.3万人へと人口も激減してしまった。だから箱物が観光ではなく、サービス精神とも言えない。打算が先に立つからシ
カメッ面のサービスとなるので観光客が楽しいハズも有りません。

観光客の多くは信仰を求めて来る人よりもレジャーでやって来ます。楽しければお金を落とすのです。所が観光地はお
客に法外なお金とマナーの両方を求めてしまうので客は馴染めない。また寺社の場合も其れに便乗して信仰と観光と
を混同する。「此処は観光地ではあっても”聖域なんだ”と威張っているから困る。

「聖域」であるなら俗化せず「拝観拒否」していれば良かったのです。その「聖域」にしたって狭い範囲の一部の観念でし
かない。如何に有り難い神仏を色々飾り付けていようとも、異教徒にとっては見世物小屋と大差ないのである。にも拘
わらず拝観料を狙って開放している限りは観光寺院であって「聖域」観念は通用しない。

そうした言わば「観光寺院」ならば客にマナーを求めても無理である。その他にも観光地の問題はお役所である。お役
所が「観光地」であると宣伝するのは結構な事です。地場産業や観光事業で地域が潤えば税収アップになります。

けれども「観光」を口実にしてそれまで誰でも自由に利用できた広場などの公有地に税金で箱物を作り、しかも何とか
協会や財団と言う化け物まで作って定年退職者を天下りさせ、彼らの温床のために入館料を取るようにしてしまうのは
公平・公正さがあると言えるのか。

本来誰でも自由に出入り出来ていた所を彼らの「姥捨て山」として銭集めする仕掛けに変えた。こうした第三セクター類
似の所は早々に潰すべきだろう。国や地方の公共団体が税金で作るべき所はトイレとゴミ箱だけに限定するべきだ。

必要に応じて図書館や資料館などを作っても良いが、箱物を作る以上は内容の充実に努めると共に、年中無休で只で
開放すべきであり、その代わりその場に限ってマナーを求めれば良いのだ。マナーのない客も自由に入れて料金を取
る主な観光施設は民間が自由に作って運営すれば良い。

だがお役所は税金と料金とを取りながら「ゴミ箱を置けば汚される」とか、「トイレは管理が難しい」として何れも増設せ
ず、寧ろ「煙草税」を取りながら「禁煙場所」を増やして灰皿まで撤去する傾向ですから自治体の税金流用であり、また
観光地としても邪道です。観光地にとって一番妨害するのがこうしたお役所の殿様商法・怠慢行政ではないのか。

因みにマナーならお客さんではなくて先ずお役人や聖職者が自分から模範を示せば良い事だ。其の点なら、宗教団体
を模範にすれば良い。此処はマナーが飛びぬけて良く、しかも来訪者に無料で見せて笑顔で歓迎している。公務員と
言うサービス業者はもって肝に銘じる事だ。そして温泉地の場合も清潔が第一です。

所が何処も薄汚れているし掃除も怠っている。しかもお客に対して逆に注文が多い。お客の都合や好みを殆ど聞かず
に決まったメニューの料理を押し付ける。馬に食わすのかと思うほど立派で豪勢な料理を盛って此れをサービスや接
待と勘違いしているかのようだ。いや料理の料金を嵩上げする手口である。

食い物に困った人とか食事を楽しむ客ばかりではなくて食べ飽きた客とか小食の客も多い。後者の場合は殆ど生ゴミ
になる。ですから料理がサービスと言う固定観念を取っ払って、文化的なサービスに重点を移して付加価値を付ける時
代です。例えば今は其の観光地に関心をもって行ってもホテルの従業員は何を尋ねても答えない。

「あの山は○×山ですか?」「さぁ良く知りません」、「此処はカジカの里と聞いて来ましたが、カジカとは魚の名ですか、
其れとも蛙の名前ですか?」と尋ねても「存じません」とだけ。これではプロと言えるか?今の観光地や自分の仕事に
興味も関心もなければ其の仕事に就かないほうが良い。パートだから仕方がないとしても質が低過ぎる。

観光地の多くは「団体さん歓迎」で此れまでやって来たが、今の客はマスプロ好みではない。或いは線香花火のイベン
トなどを企画して新規の客を呼び込もうとするが、其れよりもっと常連客(リピーター)を大事にサービスに努めるべきだ
ろう。リピーターは其処が何時までも昔のまま変わっていない点を喜ぶ。

お爺ちゃんと来た時の事とか恋人や映画のシーンの思い出を再確認して感動します。所が今はドンドン変えてしまう。
変えてしまうのは自分の町に自信も誇りも持っていないからだ。変えるよりも郷土の特質を知り、歴史を知って自信を
持ってお客に紹介できる体勢作りが大切ではないか。施設や料理は印象が薄いから直ぐに忘れる。

最終的には人との接点であり、触れ合いの思い出である。個々バラバラではなくて街全体の特徴を出す為に、滞在型
のプランを練り上げるとか、グリーン・ツーリズムの一環として都会人には新鮮に感じるような田舎暮らしや古里体験、
或いは木竹加工の体験教室などの場を提供する。

或いは地元の歴史文化を何時でもガイドする人を置くなど色々工夫の余地があるでしょう。更に改善すべき点は、「入
浴と食事はこの時間です」と指図する。しかし部屋にも風呂にも食堂にも殆ど時計を置いていない。にも関わらずお客
に対して時間を切って従わせようと言うのですから恐れ入る。サービス業はサービスの原点を弁えるべきだ。

特に清潔と笑顔が何よりです。

韓国・・・・・・大韓民国。朝鮮半島は朝鮮事変で38度線から南北に分断された。米軍は4.6万人の血を流して韓国を
守った事になる。無論、反共の砦としての意味もあった。だが日米の援助で此処まで発展した今は北朝鮮に接近して
反日・反米を掲げる国となった。

此の国は元々ハングルとハングリーの国であるが、立場を忘れて感情的に流れれば国際的にも優れた評価は得られ
ないだろう(「朝鮮」を参照)。

かんさ・・・・


関西・・・・・・・・漫才によく使われる関西弁は声調言語と言われる。同類にはチャイナ弁、タイ弁、ベトナム弁、南
朝鮮弁・・・などがある。東南アジアの地図で日本列島を見る場合に、南北をひっくり返して見れば分かるように、日本
海は地中海であり、日本列島は離れ島ではなくて大陸の一部である。とすれば環日本海言語があったと想定できる。

其れが声調言語です。此れは音調とアクセントのある言語ですが、縄文人は音調もアクセントもない言語だったと想像
されている。其処へ声調言語を使う人々が大陸の戦乱から逃れてボートピープルとして渡来して来て稲作と漢字とこの
声調言語を広める事となった。

従って奈良を中心とした近畿と四国北部に関西弁が広まったのだろう(05/4/1のNHK教育TVより一部引用)。
テレビや漫才なら兎も角、現実の普通の会話で関西弁が入ると関東の人はゾッとする。オンナ言葉に近いので男同士
の職場の場合は特に薄気味悪く感じて嫌われる。関西弁は矢張りローカルの中で使う方が無難です。

特に安倍総理の「美しい日本」を支持する者なら、先ずドギツイ関西弁を慎むのが良かろう。

▲漢詩・・・・

◆漢字1・・・・・・文字は天文を地文として記したものだった。つまり神との交信記録であり、暦時を記すものであり、或
いは其の祭りのノウハウを指事するものだった。なので漢字も方位を基点とした。例えば亠(鍋蓋)は見柱、「大」は糸
張り、「木」は亠プラス小、そして「亠」と「ロ」(定点)と「小」を縦にすれば京となる。

また「本」は木に+で定点、「東」は木に日が入った形で東、・・・となる。だが本来の文字が漢字に利用されて以後、文
字は複雑化したものの其れが発展ではなくて、特定の者が他人を支配し、命令を伝える管理文字に退化した。

漢字2・・・・・・日本には古来神代文字があった。此れは他人を支配する文字ではなくて、ヒジリが神との交信のため
の手段として、先ず方位を示す指事文字でした。所が今の定説では「漢字はシナから齎された」ものとしている。確かに
其のようにも見えるが順序は逆なのです。順序が逆では文字の意味も誤解する。

例えば学者がしばしば引用する「説文解字」も、既に真実から程遠い解釈になっている。ともあれシナでは神代文字を
変化させ、或いは複雑に組み合わせて漢字に発展させた。其処に至る過程として先ず殷の時代には甲骨文字が占い
に使われた。其の後、秦国以前にテンショ(篆書)が出来た(「甲骨文字」、「漢字」を参照)。

大篆と小篆があったが、秦の始皇帝の時に地方によって各種の文字があったのを統一して格式ある書体として採用
し、篆書に続いて隷書を公用文字にした。これ等は今も印章や額などに見られるが何れも書き難いため、以後は隷書
からやがて草書・行書・楷書へと変化する。

だが草書・行書は共に蛇形文字であり、此れは水神信仰の稲作民の文字として発展して稲作民に使われた。もし、お
上に露見してお代官様から糾明されても如何様にも言い訳が出来るように、初めから字をハッキリ書かずに崩して書
いたとも思える。

漢字の渡来・・・・・・漢字は仏教の経典として伝わってきた。例えば有名な千字文があります。だが漢字の歴史にも
甲骨文字など色々あって、要するに寄せ集めでしたから、シナ独自の発明品と言う訳でもない。実は日本の祭り事の
指事文字である神代文字を組み合わせたものが原初である。

簡単な神代文字を複雑に組み上げて色んな文字に変化させて占いなどに使った。其れをやがて他人を支配する道具
に変化させました。神代文字は他人を支配するためではなくて、祭りの祭式を示すものでした。だから如何に漢字を研
究しても、漢字では元の意味が分からないのです。

漢字の成り立ち・・・・・・文字は神代文字やギリシャ文字のように天文の事象を矢印などで簡単に示した指事文字で
した。所がシナでは田や囲形の斎場を基本として町形(別項を参照)と言う枠を作り、其れに日本の神代文字を複雑に
組み合わせて会意形声などの漢字とした。

人が太陽に南面すれば其の日影は時計回りに移動するので、其の文を地に印すのは右からであり、従って昔から、文
章は上から縦に書き、また一つ一つの文字も右から読んだのです。

例えば新聞の縦書きは問題がないが、昔は上に横書きで「聞新日朝」と有ったので、此れは右から「朝日新聞」と読
み、其の「朝日」の文字は「日月十日十」であって、「十早月日」ではなかった。

漢字も方位・・・・・例えば亠(鍋蓋)は鏡、または見柱、「大」はその場の糸張り作業、「木」は亠プラス「小」であり、
また亠ロ(定点)小・・・を縦にすれば京、「本」は木に+で定点、「東」は木に日が入る様を以って五行の方位の「東」を
黙示した。また、「ム」は天の心、つまり角度を示す文字だった。

其の反対に「マ」の字は其の逆の日影の角度で即ち「天下の事物」を示す文字になっている。また虫、以、虹などは鍬
形石(別項参照)によるコンパス線引き作業を示した文字。次は「山」の字である。此れは三本並びの木を図示した象
形文字ではなくて「モヒトリ」を象った字であり、「亠」(鍋蓋)の字と同類である。

古来、観測が小高い山で行われたからと言うよりも、垣で仕切った中に見柱を立てた「モヒトリ」(水取り)祭りを象った
のが山の字でした(モヒトリを参照)。

其処から「山」の冠を載せ、或いは山の字を付けて祭りの場を示した文字が、今使われているものでは仙、岩、岬、
岡、島、峰、崎、崑崙、祟、嵐、嵩、嶺、巌、巖・・・等ではないか。漢字の外、クレタやギリシャ文字もアルファベットも含
めて古代の文字は表音文字であるのみならず古代天文観測・測地・指事文字でした(ギリシャ文字を参照)。

元日・・・・・1年のスタート。原則的に太陽暦は冬至、月は立春の頃の新月の春節、または満月である。其れに対し
て星の暦は歳星の位置、または春分点である。でも現実に毎年此れを観測するのは大変であり、誰も正確には答えら
れない。特にエトや恵方の決定は難しい。

このため実際、世界各地には古来各種の暦法と其れに基づく正月(年始)があって今も都合三回以上の正月が存在す
る。星の年始はキリスト教圏の場合、春分の日の後の最初の満月の次の日曜日である。其れが「過ぎ越しの祭り」、
ースターであるが、便宜上其れを固定したのが4/1の年度初めである。

でもカトリックのグレゴリオ以来、今も1/1としている。此れはマリアの祝日であって天文暦法上は何の意味もなく、単
なる宗教的な祭日を押し付けた約束事に過ぎない。そう言う訳で、数字羅列の近代暦法が古代日本やシナやインドや
エジプトより進歩したカレンダーとは何も言えないのです(「正月」を参照)。


感謝・・・・・・・・人間社会では文句を言い合うより感謝しあう方がずっと良い社会にします。其れについて故・岡田
茂吉翁は、「感謝が感謝を生み、不平は不平を生む」との名言を残した。特に神への感謝や他人への感謝が大切で
す。ですが神や先祖は人の目に見えない。

ですから譬え、親や教師が子供に「感謝しろ」と言っても中々理解せず、親の言う事にも従わなくなります。譬え親子関
係の中であっても、子供が何も知らなければ親や神にも感謝できません。ですから親が先ず先祖を知る事が必要です
(「円系図」を参照)。親から模範を示さなくてはならない。或いは見えるものから感謝するのも良い。例えば天気です。

大人たちは毎日天気を気にして多くが「寒いとか暑いとか天気が悪い」などと文句を言う癖が付いていますが、此処か
ら先ず変えて行く必要があります。次は食事や火・水・土への感謝です。昔は火打石で火を起こして点け木で火を点け
る苦労をした。そうした方は、今になってもローソクのともし火を懐かしむ事が出来ます。

其の点で今はライターが有るから火への感謝がなくなり、煙を嫌う人が多くなりましたし、土への感謝がないからゴミを
捨てる人も多い。其れに「水」の有り難さを知らなければ感謝出来ない。昔は谷底まで水汲みに行く苦労がありました。
其の苦労を知らなければ感謝も湧きません。

蛇口をひねれば湯水が出る都会の現代生活は便利で快適ですが、其の来歴を知らず、「出て当たり前」と思えば何も
感謝する気にはなれません。現代まで、多くの人達が便利さと快適さを求めた結果、物質的には驚異的に発展したも
のの、其の反作用として感謝を失ったとすれば皮肉です。

だから日本は「物で栄えて心で滅んだ」と言われている。決まった時間になれば食事を摂ると言う実に有り難い習慣
が、実は機械的な餌の時間となれば感謝も湧かない。そして感謝がなくなった残りの心には其れに代わって不平不満
が蓄積し、ストレス社会としてしまいます。

しかしこの世は因果関係で成り立っていますので、何もしない人が神や他人から恩を受けるとすれば有り得ない事で
す。例えば時として何かを他人から受けたとしたら、其れを感じて「有りがたい」と思うのが人間性であり、其れは躾とか
精神性で培われます。

其れを認識し感謝出来る心を持った人が豊かな感性のある素晴らしい人であり、逆に其れを知らず、教えられなかっ
た人は恩を受けても「何だこんなもの」と見たり、他人の痛みに何も感じられない心の貧しい人になります。

其れでは譬え学歴があろうと精神性の貧しい不幸な人になるでしょう。そうならないためにも先ず晴れ雨の天気に感謝
したい。天気は何も感謝を求めず繰り返し人々にも恩恵を与え続けているのです。ただ問題はイチイチ「有り難う」とオ
ーム返しに言うだけのロボット人間がいる事。此れでは人間の感謝ではなくて自動販売機と同じです。

▲勘籍(カンジャク)・・・・・・8c初めに大宝律令や養老律令が制定された事で完成した律令体制下、戸籍を遡って身
元を確認する行政手続き。官人の登用や僧侶になる場合に実施され、確認が出来れば課役負担を免除された。犯罪
で刑罰を受ける際にも行われた。10c半ばまで制度として存続したとされている。

06/3/30、徳島市の観音寺遺跡でこの勘籍木簡が見つかった。「解ぶみ」と呼ばれる「阿波國司解申」とする文体で定
型的な書き出しになっている。当時、戸籍には名前や性別が記され、6年毎に更新していた(06/3/30朝日記事から引
用)。

官主主義・・・・・・官(公務員)が国民の上に立って支配する事。戦後の日本は自由平等を掲げて民主主義を標榜
しているが実体は不公平な官主主義になっている事である。国民が主権者であると憲法で標榜している日本の政府や
お役所の実体は、実は国民の上に官僚が君臨・支配する官主主義になっている。

表向きは確かに憲法で国民主権と詠っているものの、実体は逆なのだ。官は民を黴菌か煩いハエのように見下してい
る。のみならず官僚たちが勝手に決める横暴の前に国民を屈服させる。例えば所得の半分を巻き上げる強引な酷税
システムでは真面目に納税する国民を苦しめている。

こうした結果の大半は官僚の横暴に責任があるが、後の半分は国民の愚直さであり、国家依存体質である。政府は何
一つ満足に出来ないのに、如何にも何でも出来るようなマルチ(万能)政権を装った。だから国民は何でも卑屈に政府
に嘆願・要望して来たし、政府役人を万年横柄にしている。

政府は住民からの要望をテコにして行政システムを益々拡大し続け、其れに伴って予算獲得に走った。アミーバのよう
に組織は拡大・膨張したが、外交・農政・教育・厚生・保険・年金・医療・環境改善・・・全て失敗した。例えば防災課と言
う職場を作って数人を侍らせているものの、彼らはワタリ族であり、責任感も専門能力もない。

しかも土日や夜間は他者と同様、当然の権利のように休む。公共サービスを謳っているのに此れでは実に私的であ
る。災害は土日でも夜間でもやって来るからです。だから公共の場はその対応のために年中無休で存在しなければな
らない。此れが税金を取っているお役所の立場であるが、この点の履き違えから機能しないし誰も責任を取らない。

災害に遭う殆どが彼らによって作られた「人災」である。だが彼らは「天災だから仕方ない」と異口同音に天に責任転嫁
するのです。平日に災害があった場合でも彼らもまた被災者となり、数人の中で半分しか業務に就けない(防災を参
照)。

従って責任を取らないのが彼らの実態である。天災として責任から逃げる以外に彼らは寧ろ「もっと良い設備にしろ」と
開き直る事が多い。人の責任を機械のせいにするのも旨くなった。其処で更に巨額な公共工事の予算を獲得する。

失敗した者は懲罰し、免職させるのが世間相場と言うものだろうが、逆に彼らの要求に応えて更に資金を出して出世さ
せるのだから国民は甘い。こうして自民党政権は国民の期待した事に対して、全て失敗した上に、1000兆円の財政
赤字を積み上げた。

其の失敗の責任をとって官僚も議員も総辞職するのが昔からの日本の道理であり、少なくとも反省して減税するのが
筋である。しかし、彼らは其の例外の特権階級として赤字を理由に逆に大増税を画策し、消費税30%と相続税アップ
と環境税導入、或いは保険年金のアップなどを狙っている。此れが道理(世間の通念)の逆さ事となっている。

しかも其の目的は何れも国民への給付ではなくて、其の大半を今まで通りの官僚貴族の生活費に消費するためであ
る。従って日本は民主国家ではなくて、官主主義であり、其れを容認し続けているのが日本の愚民である。官は利権に
群がり失敗しても事故を起こしても誰も責任を取らずに利権を取る。

対する民は納税した上、毎回誰かが見せしめとして責任を負わされて処罰され、違う誰かがまた罰金に追い立てられ
ている今の日本が官主主義の見本である。此れでも貴方たちは社会進化論を唱えますか。

▲かんす・・・・・・

漢数字・・・・・・・例えば「一」は地平線。「二」は天地(陰陽)。「三」は天人地・・・のように天文観測のための指事文字
である。因みに六は鍋蓋に八で天文観測の場の北を意味し、八は地上の東西に広げた左右の糸の形を示した。八は
其れを北から見た形で八方のシンボル、つまり其の略字。

次に「十」は観測する場、定点、結び。それをキリスト教ではロザリオとした。更に「十」の下に八で片仮名の「ホ」となる
が、漢字では「木」。此れはしかし漢字で有っても漢数字ではない(別項の「木」を参照)。定点の北を意味したのは先の
「六」で足りるからです。

▲かんせ・・・・・・

官製談合・・・・・・・・・談合(別項参照)は昔からあった。入札制度が始まったのは、江戸時代前の16c末、家康が江
戸城を中心に町づくりのために「天下普請」として各藩に負担させた。経済的な負担であるから、労役の押し付けであっ
て談合する余地は無かった。戦国時代に武士として働いて来た者たちを労役に使う事によってリストラ出来た。

天下普請は江戸だけでなく大坂、名古屋、京都、伏見、駿府など徳川家の城郭と町造りが主な仕事だった。大名は石
高に応じて人足を出した。大きな負担であった。普請の出来・不出来が、将軍への忠誠心をはかる尺度になったから、
大名たちも必死だった。やがて各藩は普請請負問屋に「丸投げ」して任せるようになる。

此処から業者による談合、持ち回り、籤引きが行なわれ、寛文4(1661)年に幕府は小普請奉行に対して、いわゆる「談
合禁止令」を出した(大要は月刊PISC-07/1から引用)。談合は民間では元々当たり前の慣習として通用して来た。其
のような不正行為を取り締まるのが言わばお上の立場でした。

所が今は談合が官製で行われると云う。こうした逆転現象は全く不思議で考えられない事であるが、今は此れが横行
し、国民の血税を搾取し、のみならず1000兆円の赤字財政を更に雪だるまのように大きくしている。此れをなくすには
一つしかないと06/4/3の国会で民主の菅直人議員が小泉首相に詰め寄った。法律は要らない。

ただ「天下りを採用した企業には以後受注させない」と閣議決定すれば出来る。やる気があるかどうかと糾した。所が
小泉首相も閣僚も無理だと逃げた。このように共同謀議を放置する自民党では「百年河清を待つ」に等しい。此のため
06年にはわずかヶ月の間に15人もの知事や市長や地方の首長が逮捕されたが、氷山の一角とも言われる。


感染症・・・・・・鴨はインフルエンザ・ウイルスと旨く共生している、と言われる(だが人工飼育の鶏は大きな被害とな
った)。ウイルスの種類は139種あり、人が感染すれば大きな犠牲を出す。例えば第一次世界大戦当時、スペインから
始まって世界中に広がった死亡率の高い風邪は「スペイン風邪」と呼ばれた。

此れにより全世界で3000万人、日本では40万人が死亡した。今は国際化・グローバル化で感染がより早まる。199
9年にアフリカから西ナイルウイルスが米国に飛び火し、ニューヨークで大流行した。其の後も増え続けて2003年には
西へ西へと広がっている。拡大原因は航空機であり、其れに加えて蚊と渡り鳥も媒介していると言われた。

所がこのワクチンがまだないのです(NHKスペシャル2004/2/29より)。
今、「マラリア、エイズ、結核」が世界三大感染症とされ、年間600万人が命を落としている。其れに比べると昆虫たち
は感染症に罹らず、何万年も生き延びてきた。とすれば人類は医学よりも昆虫から学ぶべきだろう。

医学は高いゼニを取って此れまで一体何をして来たのだろう。既に薬剤のカクテル治療と言う療法が出来てはいる
が、年間110万円と言う金額を南アフリカでは負担できる人が居ない。よって年間40万人が見殺しである。このほど
明治乳業は牛乳にエイズ防止効果があると発表した(05/7/1ニュースと7/31のNHK総合TVより)。

ならば医学は無用である。序でに言えば、感染者は「うつされた」として「他者」のせいにするが、其れで問題が解決さ
れるとは限らない。問題とは自分である。感染とは第一に、キャッチボールと同じであり、其の行為に加わらなければ
感染しない。空気感染の場合でも、ラジオでも、同じレベル(周波数帯)に同調しなければ受信しないものだからです。

第二として、感染しても発病する人としない人とが存在するのは免疫性の強さであり、其れは予防薬よりも自己治癒力
であり、それは自浄能力であり、其れは「祓い」の力である(「自己治癒力」、「祓い」を参照)。日本では医学が進化し発
達したように喧伝されているが、人類が根絶に成功した感染症では天然痘只一つである。

西洋医学を過信する前に、牛乳を飲んだほうが良かろう。ま、其れは冗談だが、先ず自分に自浄能力をつけるべき
だ。此れは医師や他者を頼らず自分のため自分がすべきである。

▲かんそ・・・・・・

▲肝臓障害・・・・・・癇癪持ちがなり易い。「癇に障る」と言うのも肝臓に響くからであろう。こう言う症状になる人は穏や
かな生き方に心がけて、朗らかに生きたほうが良い。例えば其れまでのある種の「正義感」は捨て去り、或いは固定観
念で「べきろん・ネバロン」を思いつめずに気分転換を図ったほうが良い。因みに癌も頑固者がなり易いと言われる。

▲・・・・・・
▲かんたか・・・・・・お釈迦様を出家に導いた愛馬。7/15満月の夜、お釈迦様の迷いを断ち切った聡明な駿馬(東京諸
芸館の広告り引用)。

▲カンタータ・・・・・・イタリア語で「歌う」の意味の交声曲だが、本来はソナタ(奏されるもの)に対する「歌われるもの」の
事で、叙情的傾向がある(外来語辞典)。だがカンタータの言葉が日本人には「神歌ーだ」にも聞こえる。事実、数多く
のカンタータを作ったバッハは、人にではなくて神に捧げるために、一々「神の為に」と付記している。

つまり賛美歌でした。彼(ドイツ人)のアリアなどは名曲中の名曲です。


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