http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page181.html  (未定稿)


   日知り事典         カム〜カヲ

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カムチャッカ・・・・・・カムチャッカにはトナカイを飼うチュクチ、コリヤーノなどの遊牧民が石器時代のままの暮らしを
17cまで続けて来た。此処では鉄器を使わない。アイヌの地名が今も残る。やがてロシア人が入って来て、ロマノフ王朝
の頃には日本の江戸幕府が善隣関係を持った(ロシアを参照)。

以来、日本とは日露戦争とソ連時代に不幸な時代としたが今やっと民族独立の気運が膨らみ、民族の祭りが復活し
た。彼らはパオと言う円形テントで暮してお客が来ればトナカイを殺してご馳走する。

カムロ木(神漏岐)・・・・・・・・天津祝詞では、皇祖皇宗の神々に対して男女的な意味の対句として普通、「神漏岐・神
漏美のミコト」と唱え詞に使って来た。だが、此れでは意味不明である。其処で具体的に何かと言えば「神から漏れる霊
を貰う木」の事であり、つまり日を貰う「ヒモロギ」と同義で神の降臨する場の「御柱」と推定できる。

其れに対して「神漏美」は、神の降臨する場の御柱の日影を受ける場、つまり地面(壇)や座、もしくは水面(みなも)を
言ったものと判断できる。

かめ・・・・・・・・甕。

かも・・・・・・・・神(別項参照)は昔はミワと読み、カモとも呼んだ。漢字では「かも」を鴨、加茂、賀茂などと当て字する
が、其れをアイヌはカムイと呼んだ。大陸ではキム(金)とかカン(漢)となり、或いはハーンとなり、例えばジンギスカン
も其の類系で呼ばれた。そしてずっと離れた西洋のキリスト教ではゴッドGodに変わる。

家紋・・・・・・家紋は花鳥風月や器物を象った物と言われている。だが其れは的外れの解釈である。誤伝となったの
は其の由来を正しく伝えられない事情が幾度もあったからです。其れでも親は、嫁入りする娘に黙って鏡に家紋を入れ
て後を託し、或いは定紋を染め抜いた風呂敷や羽織を持たせ、或いは器物に家紋を刻んで贈り伝えて来た。

もし其れを嫁入り道具として、或いは親の形見とか一生の宝として残すならば、見る目を持つ人が見れば何れ素性が
分かる。言うまでもなく、家紋の意味は花鳥風月ではなくて家の伝統や素性を伝えるものです。例えば、鏡で太陽暦を
観測した家は鏡を丸輪として示し、或いは放射状の図柄に変えた。

暦法を伝えた家は日月星の天文図を他の文様に隠した。因みに各国の国旗(別項参照)も、其の多くが日月星をデザ
インして固有の暦法を明示したものです。国家や氏族が何を神とするかを明示したのが国旗や家紋であり、国旗は日
月星の何れを採っているかの暦法を明示する意味で国境に掲げたものです。

家紋の場合も天の神、つまり暦法の神(先祖の素性)を紋様にして明示した。冠婚葬祭の場合はそれを掲げて天地の
神に感謝しました。合戦に旗揚げしたのは、私怨や功利ではなく、其の神のために戦うと言う立場や目的の意思表示、
或いは兵法(手立て)の明示でした。

例えば日紋には日章旗や朝日新聞社のような日足紋があって、此れらは斎藤氏などが伝え、月紋や三日月紋は佐竹
氏や天野・中山氏が使い、妙見系の月星紋は千葉・遠藤氏が使った。そして星紋は海族系の毛利・渡辺氏が使った。
ですから家紋も国旗と同様の素性があり、或いは軍陣には信仰する神の印をノボリに印して揚げた。

特に生死を懸けた合戦の場合は、単なる日用雑貨を幟に掲げても無意味であり、何を神とし、何を信条とするかが肝
心でした。ですから花鳥風月や器物を争ったとは思えない。軍のシンボルとして染め上げた旗指物を奪い合ったり、血
で染めても何の意味もなく、其の紋様の裏に隠れた呪術戦があった。

例えば火を神として来た鍛冶師や修験者は、護摩や左義長(何れも別項を参照)を修法した。そうした筋の家では、
内・外法の別を、或いはゴマ壇の配置や組み方を円か方の違いで図示した。或いは薪とするヌルデやハゼノキ、ヒノキ
など木の種類などにも各種の作法があったので、それらの特徴を図柄にした。

此れは昔からの呪術でありハイテク兵法でした。敵が金なら火で対処し、敵が火であればコチラは水神を神とする。或
いは水神に対しては土を盛って止めるのが呪術の五行(別項参照)の理(ならい)でした。また例えば藤原氏の九字
紋、安倍晴明の五角星紋、武田系の組山形、北条氏の三つ鱗、物部系加藤・遠山氏の千木・堅男木紋がある。

其れに松平・波多野・松田氏の直違(すじかい)紋、旗本・酒井氏の井筒紋、など何れも調伏の呪術を隠さず伝えてい
る。他の家紋は花鳥風月や器物に装飾を加えて巧みに隠してしまった。豪商の三井、三菱、住友のマークは何れも護
摩の修法を図示した形である。此れらは火の神かもしくは拝火教を意味する。

この内、三井は井桁・四つ目結、三菱の菱紋は水生植物の菱を図案化したものであり、花唐菱が渡来紋と見るのは疑
問だ。住友の井桁も護摩壇、武田菱と佐々木氏の四つ目結も壇を図象化したものである。尚、菊やハスについては別
項で述べた。茶道を参照。

かも族・・・・・・・・賀茂の付く地名や神社は京都の上賀茂・下鴨などが有名ですが、各地にも散在する。何れも、古
代の出雲、カモ族のいた所でした。其れが何故全国に散在するのか、と言えば、本来は河内と大和に跨る葛城山を中
心に暮していたので御所市には鴨神の地名が残っている。

だが、神武東征以後、其処を追われて流浪し、各地に散って、其処に先祖の出雲の神を祭った事になります(前項の
「かも」、及び「葛城王朝」、「エビス」を参照)。

かや・・・・・・・・

火薬・・・・・・火薬とは可燃物と燃焼を助ける酸化剤とを混合したものである。歴史的には元寇の時に蒙古軍が使っ
て日本軍を悩ませた。現在の火薬や花火には煙の多い黒色火薬(ブラックパウダー)を使い、銃砲には発射薬として綿
火薬と言われる無煙火薬(ニトロ・セルロース)を使い、爆破にはダイナマイトやカーリット、或いは硫安を使う。

硫安は爆発に至るプロセスに問題が有るので敬遠されるが爆破能力が大きい。硫安やダイナマイトは今も肥料のほか
土木工事に使われる。ただダイナマイトは軍事用には適さない。軍事基地で長期間保管している間にニトロが変質して
極めて危険な状態になるため温湿度管理など取り扱い上問題が有るのです。

其れにダイナマイトは衝撃力が大きいが爆発力が局部に限定されるので砲弾、爆弾、地雷、機雷にはより爆発力の大
きいTNTが使われる。このため今も原爆の規模を比較する場合にTNT換算と言う基準になるが、TNTとはダイナマイ
トではなくてトリニトロトルエン(別項参照)と言う高性能爆薬である。

また今は各方面でプラスチック爆薬が使われる。此れは可塑性爆薬の事で車両や土木建築物、橋梁の爆破などに貼
り付けて使う。また導爆線の場合は、異質の金属の溶着に活用できる。此れを爆着と言い、コストを別とすれば鍋窯や
ガス管の製造に適している。点火方法として昔は導火線を使ったが今は電気雷管である。

因みに導火線はライターでは着火しない。ダイナマイトもライターで点火しても爆発しない。着火するのはドラマの中だ
けの話である。次に注意すべき点として何れの場合も火薬は順番が大切であり、此れを間違えば爆破に失敗して大き
な事故となる。

車で例えれば旧型車のミッションはギアチェンジで運転したように、バックの次にトップに入れたらエンストになる。だか
ら点火の順序が大切であり、此れを火薬系列と言う。また火薬の特徴は空気がなくとも爆発する点にある。従ってミサ
イルとして宇宙空間に飛ばしても機能するし水中では魚雷として役立てる。

また水に触れるだけで爆発すると言う厄介な火薬も昔からある。地雷については別項参照。


かゆ・・・・・・・・

かよ・・・・・・・・

唐金(からがね)・・・・・・青銅器を日本では古来「唐金」と言った。日本には元々火色金(ひひいろがね)、黄金(こが
ね)、白金(しろがね、プラチナ、)、(赤がね)、クロガネ(カンナ、鉄、悪がね)、・・・等があった。火山国である日本
は古来、冶金と鋳物技術が進んでいたのです。

他方、シナでも夏(殷以前の3000〜4000年前の王朝)時代の古くから鉄器を嫌った。其処で神器は専ら硬玉が使わ
れ、或いは唐金(青銅器)が重用されて製造が進んだ。其の一例が近年四川省で発掘された龍山文化、三星堆遺跡
の仮面・三足青銅器である。

日本でも出雲の銅鐸や銅剣、そして漢鏡が多量に発掘したが、これ等も言わば唐金である。従ってこうした製品を考古
学では渡来の銅剣や舶載鏡と判断している。確かに材料や製品は渡来したものもあるが、本来の鏡や銅鐸の文化そ
のものは日本独自のものであり、日本の方が歴史があった。ただ残念ながら湿気と錆で古いものは溶けてしまった。

もっと古い日本のものは火色金(ひひいろがね)で造られていた。だが此れは火山灰に埋もれてしまった。或いは残っ
たものも「悪貨が良貨を駆逐する」ように火色金は金に、その金は銅に、銅は唐金などにすり替えられたり、権力で没
収されて鋳潰され、或いは他のニセモノに鋳直されて行ったものと推定する。

カラクリ・・・・・・・・岐阜・高山祭りや近江・長浜祭りではカラクリ人形が活躍します。さて幕末の加賀には大野弁吉
がいた。彼は京都生まれの指物師。長崎に行ってシーボルトから蘭学を学んでいた。天保元年に加賀に行ってカメラを
作ったが、此れは当時、世界最新式の発明だった。また根付けにカラクリを付けたのが人気となって有名になった。

当時の実用品だった発火器(ライター)も精巧な芸術作品だった。長時間燃える油圧式ランプやオルゴール、或いは距
離計である記里程車など次々と発明。彼は当時の最先端を走っていたが清貧の中、M3/4/12日死去73歳。彼は生前
に「人間がやがて空を飛ぶ。針金がモノを言う」と言った。前者は飛行機、後者は電話の予言となった。

彼は今、「加賀のダヴィンチ」と言われて親しまれていて、現地には大野カラクリ記念館が出来ている(06年同日の読売
TV「今日は何の日」より引用)。


唐獅子・・・・・・・・高倉健さんの背中にはかつて唐獅子牡丹があった(但し映画)し、各地の寺社には唐獅子が鎮座
し、夜空には獅子座が有るが、獅子はシナ王権の象徴だったためアジア各地に広まった。沖縄のシーサー、日本各地
の唐獅子もその流れか(狛犬を参照)。

と述べたが、06/12/11朝日によれば、中国・浙江省で東大寺のものと略同じものが見つかったと言う。東大寺・南大門
の獅子一対は重源上人(1121-1206)の指揮で南宋の工人4人が中国の石を輸入して1196年に作ったものと伝わる。
其れに対して現地のものは、上級官僚の墓前に武人像等と共に並んでいたものを移築していた。

カラス・・・・・・カラス(烏)は熊野のヤタガラスの伝承以来、太陽の使いと言われ、其の伝説は太古のシナにも伝わ
った。外にもカラスは伝令とか掃除屋の役割りがあった。烏は日の出と共に飛び立ち、夕日と共に東のネグラに戻る。
このように太陽の下で暮らす日暮し族ですから太陽と似て、カラカラに枯らす立場です。

其の上、死体や腐敗物を処理する役として存在する言わば「益鳥」でした。人はカラスを嫌うが、神は自然界にとって不
要なものは何も存在させない。でも其れに無知な人はカラスを異常に嫌うのでそれではお互いに不幸です。確かにあ
ガアーッと鳴く声は人を小馬鹿にしたように聞こえますから耳障りなのでしょう。

せめて「カネカネ」とでも鳴くなら金に泣く人と同じですから人の共感を得るだろうし、それなら中には鳴きカラスを宝の
ように大事にする人が出て来るかも知れないのですが、泣き声と共に色の黒いのも不吉と思う人にとっては不気味に
感じる。特に人が死ぬ前には近親者の耳に届くようにカラスが鳴く。伝令ですから実に悲しそうに鳴いて見せます。

また「闇夜にカラス」と言うくらい、人には夜目にカラスが見えませんからね。そんな訳で最近は「カラス公害」に悩む所
が多い。寺社、マンションのベランダ、車の屋根・・・・など、所構わず糞を撒き落として汚すからです。しかも人はウッカ
リ忘れるのにカラスたちは、ごみ収集日までチャント心得ていて寄って集って荒らし回るので手が着けられません。

現代人はカラスとの付き合い方が下手なのでカラスとの仲が悪くなって誰もがボヤき、泣き言を言うのでカラスに笑わ
れているに違いない。被害関係先は防鳥ネットを張ったり、役所も餌付けを禁止したり、何とか駆除しようと努めている
がイタチゴッコで負けている。例えば、「30秒で読む環境情報!」: http://plaza.rakuten.co.jp/eco30/によれば、

『 東京のカラス対策 』・・・・都では、カラスによる人的被害等を抑制するために、2001年度末から都市部を中心とした
カラス対策に取り組んでいます。対策の柱は、「捕獲」とカラスの餌を断つ「ごみ対策」です。5.1万羽カラスの捕獲の結
果として、生息数はピーク時の36,400羽(2001年度)から19,800羽まで減少しています。

一方、ごみ対策では以下のような取り組みが行われています。
防鳥ネットの設置拡大として2002年9月 9.8万ヶ所 → 2004年 12.7万ヶ所。ごみの収集・排出方法の工夫として
戸別収集ごみ容器での排出・繁華街や駅周辺における夜間早朝収集など。

そして普及啓発として、ごみの排出指導の強化、チラシ・リーフレットの配布などを実施。なお、東京都のカラス対策
プロジェクトに寄せられている意見総数は364件。カラス対策は必要・・・98% ごみ対策が必要 ・・・98% 
捕獲が必要   ・・・都民63%、全体53%。

カラス対策の必要性と、ごみに対する取り組みが必要であることは認識されていますが、捕獲に対しては議論の余地
がありそうです。【拓也's コメント】5.1万羽捕獲して、生息数の減少は1.7万羽。効率面ではどうなんでしょう?あと、個人
的に「処分」って言葉には抵抗があります。

処分しなくて済むような、中長期的な対策の推進を進めて欲しいと思います(以上)。
要するに人智による抵抗は無駄なようです。此処でもう少し発想を変えて、人に役立つようにカラスを養鶏場で飼い
馴らし、我慢強く「益鳥」に育て上げる工夫をして見てはどうでしょう。

友達になるとか、何か用事を頼んで直ぐ行動して貰えるようになったらカラスでも可愛く思う人も出て来ようと言うもので
す。郵政民営化・合理化による人手不足解消のため、賢いカラスの郵便屋さんなんかが羽ばたけば楽しいと思うので
すが・・・そうした発想もなく努力もせずに、ただ敬遠し、敵視するのは知恵がなく関係改善にもならない。

近代の西洋式科学やイデオロギーは、弱肉強食の論理で有限な資源を奪い合う競争社会にして其れだけを「文明の
進歩」として来たが、其れはとんでもない愚かさでした。自然に増えているカラスを有効利用して共存する知恵があって
こそ人が万物の霊長と言えよう。

そんな知恵もないのにカラスを馬鹿にしても全てが失敗し、無駄に終わって手を焼いただけと言うのは、人が最早「万
物の霊長」ではなくなった証拠。だからカラスは人を小馬鹿にしたようにガアーッと鳴くのでしょう。人間が神から遠ざか
った以上、人の命令に従うのは今ではペットフードをやっている子犬くらいなものです。猫だって嫌がります。

烏だって同じです。因みにカラスの好物は肉や石鹸などの油脂類、そして音で反応して「逃げろ!集まれ!」などの交
信をしている。人は其れを真似た音を発信すればカラスを操れると思うのですが・・・・・興味有りませんか?

▲ガラス・・・・・・グラス。硝子。和名ではハリ(玻璃)。ビードロ。ギヤマン(オランダ語ではダイヤモンドを意味した)。

・・・・・・生物、及び人間の身体、つまり肉体。動物は肉体機能や反射神経が優れているのに対して、人間の場合
は肉体や運動能力よりも精神的な機能が優れています。つまり人は「心が主」なので「体を従」とする存在ですから勘違
いしてはならない。凡そ生き物は情報や食物を次々と体に入れて流しています。

特に人類は情報や養分を次々とコピーし、或いは蓄積して成長して行きます。ご本人が其れを自覚するかしないかは
別として、余ったものは流し去り、大小便として排泄した後は水に流してキッパリと忘れ去ります。そうするとカラダは
「殻か空だ」と言う事が分かります。そうなのです。カラダは魂魄が滞在する宿であり箱(容器)である。

もしくは一時的な蓄電池(バッテリー)付きのメモリーかコピー機と言う事になります。或いは心とか情報を所有する意識
体の一時収納庫とも言えるでしょうか。一個の肉体にはDNAが60兆個も詰まっているが、其の上に毎日三度、食物を
吸収して蛋白質にコピーし続ける仕組みです。

知的な情報を収集コピーして忘れずに蓄積して置くためには、火が熱く、氷が冷たい事とか、料理を味わう楽しみを正
確に知覚し、或いは味覚を認識するセンサーが必要(五行を参照)です。喜怒哀楽に素直に反応し、感動する感性も
豊かでありたい。所で人は、ご親切にも「カラダを大事にしろよ」と言ってくれるが此れは余計なお世話である。

本当に大事にしなければならないのはカラダ(空だ)ではなくて魂であり、心なのだ。この世は物質世界ですからそうし
た体験を心から楽しみながら次々と自分の体に刻み付けてインプットし、コピーしているのがカラダです。其れに対して
魂はこうした一連の流れを管理する司令塔のような役割です(「魂の実相」を参照)。

ですから身体より心を大切に。体を鍛えようと努力して無理にケモノに近づく必要はない。此れまでの体育教育と言うの
は間違った教育であり国を滅ぼします(スポーツを参照)。筋肉を鍛えるよりも、魂を置き忘れないように常に自分の体
に縛り付けて置くように注意する事だ。魂が離れてしまえば死に直結ですからね。

樺太(サハリン)・・・・・・・・北緯50度が日ロ両国の国境。その南端西能登呂岬と北海道宗谷岬とは、43kmの距離で
ある。 約36,000平方kmで、北海道の約43パーセント。関東1都6県と山梨県を合わせた位の広さである。 昭和16年の
国勢調査──40万6千余人

カラフトの語源には諸説あるが、アイヌの伝説に基づく西鶴定嘉説が有力である。太古、国造りの神が大きい島を造
り、後でそれを北海道と樺太に分けた。それをアイヌ語では、カムイ(神)、カラ(造る)、プト(河口)、アツイ(海)、ヤ・モ
シリ(丘・島)という伝説である。そのカラフトを島名として用いたのは、日本人のようで、唐太の字を当てた。

カラプトが、その後カラトまたはカラフトに転化した。徳川幕府は当初北海道・樺太を総称し、蝦夷地と言ったが、
1809年(文化6年)からは樺太を北蝦夷と公称した。その後、北方の経営が進み、1869年(明治2年)開拓使を置いて、
現在のように北海道・樺太(カラフトと読む)という公の名で制定した。いずれも松浦武四郎の意見による。

サハリンの名は、北方民族ツングース語で、サハリン・ウラ・アンガ・ハタ(“黒龍江口の山”という意)から呼称される
ようになった。ロシア語ではない。・・・・ 以上は戦後50年を語る生きた樺太の歴史『樺連情報』HPより引用。
◆因みに樺太にはアイヌ語で川を意味するペト(別)やナイ内)の付く地名が多い。

「内」に限って見ても今は久春内(イリンスキー)、内幌(ゴルノサボロスク)とロシア語に呼び変えているが、外にも遠
内、幌内、知内、泊内、妻内、河内、鉢子内、珍内、芳内、知古内、本内、内幌、利良志内、特内、江戸内、沃内・・・・
など。因みに北海道にも多い「幌」の意味は「多い、大きい」である。

樺太から間宮海峡に出れば冬には黒竜江(アムール川)が凍結するので大陸に歩いて渡ることが出来た。ヨーロッパ
へ行くのもシルクロードより北回りの方が近くて安全だった。

さて06/3/6朝日記事によれば、日露や米国などのロシアSE社による天然ガス民間開発がサハリン1として行われ、日
中に対して輸出しているが、次はサハリン2として巨大LNGプラントを建設中である。06/8/12の関西テレビによれば、
朝鮮人と日本人がまだ残留しているが、王子製紙工場跡地が廃墟になっている。

知取町(マカロフ)には知取神社跡と日本人墓地があり、豊原市はユジノサハリンスクとなった。最南端は西能登呂(ク
リリオン)岬で、此処から稚内まで70km、カヤック(手漕ぎボート)で13時間を要した。

カラル遺跡・・・・・・・・ペルーの、現在は砂漠地帯から発見された数千年前の遺跡。六基のピラミッドの外、数基
のマウント(古墳)が散在する。石器、漆喰、塗料、土器なども発掘されており、此処に大量の労働量を投じた事と、そ
れを指揮したリーダーが存在したものと推測されている。

しかも此処には交易の跡が有ったが、武器や戦争の跡は発見できなかった。石を包んでいたイグサの袋が見つかり、
イリノイ大学が年代測定をした所、BC2600年(4600年前)のものと分かった。とすれば、エジプトのピラミッドと同時代で
あり、此れが伝説の「マザーシティ」かとも噂されている。

この都市の主要部は、六基のピラミッドと円形(半地下)の広場と神殿で構築されており、其の周りに住居地が有った
が、他国の都市と違うのは防塁や砦らしい物が何一つない代わりに、骨で作った笛が多量に見つかった。当時は其れ
を造る専門職や音楽を楽しむ風習があったと推測されている。此処は内陸部であるのに魚の骨も発掘された。

此処は今は砂漠であるが古い水路が縦横に走っており、当時は何本もの川が有って、其処から灌漑用水を取って農
地とした証拠として、マメ、コカなどの木の実、綿なども発掘された。また海岸部からは5000年前の魚網が発掘されて
いる。此処ではつまり農産物や綿花を栽培し、綿布や魚網を作ってアンデス山地や海岸部の漁師と交易していた。

また指導者と思われる住居地の床の下からビーズのような石類と丁寧に埋葬された生後二ヶ月の乳児の遺骨が発掘
された。当時は大切な子供の遺体を離れた墓地に埋葬せず、死後も家族と共に過ごそうとする愛情に満ちた暮らしも
あった事が分かって来た。

そうした平和な暮らしが此処では約1000年続いていた(04/12/5のNHK教育TVより引用)・・・以上の事柄は日本人
の風習に良く似ている。

カルマ・・・・・・カルマと運命とはイコールではない。カルマは業(ゴウ)とも言い、運命は先天的なものと後天的なも
のとにより決まる。先天的なものが言わばカルマ。この部分は進化論では分からない。今の科学でも否定する側にあ
るが、人もリンゴも、凡そ此の世もあの世も因果の法則によって生成消滅する。

従って「生まれた」意味は因果律により偶然ではなくて必然である。その後はカルマを背負って因縁により動きます。自
分の意思も半分は許される。よって運命が自分の意志で開けると考えても半分は当たっている。その人に与えられた
固有の使命を人は業(ごう)とも言う。

使命であるからカルマがなくては生きられないが、其れが強すぎた場合は「業」となるので一生の間に徐々に解く(解消
する)役目がある。役目とは使命であり、其れを生涯を通じて先祖供養や孝行・善行で解消する事である。

ただ人は色々な人生を送るが、普通は解消ではなくて寧ろ再び繰り返す。例えば交通事故を起こして迷惑を掛け、或
いは病気になって保険の世話になる。或いは犯罪を重ねて更にカルマを強めてしまう例が多い。此れが業(ごう)であ
る。先祖の業は、例えば先祖に無関心な子孫に繰り返す。

此の世は仮説の進化論ではなくて因果の法則で循環している。あの世も因果律である。よって普遍の原理と言う。カル
マは業(ごう)とも言い、因業とも宿命とも言う。人は色々な人生を送るが、カルマの解消のために生まれ出て来たにも
拘わらず、解消ではなくて寧ろ再び繰り返すので「此れも因果か」と言われる。

例えば盗癖や色情、喧嘩、殺人などを自ら繰り返す。其れによって自ら先祖が体験した意味を味わう(追体験する)た
めである。ただ其のカルマを解くには先祖を世間的な評価で子孫が裁いてはならない。身内や子孫は、何故其れが起
きたのかを理解して上げる事が自然消滅と次なる発展になる。

其の彼を世間的な評価を下して軽蔑したり憎むのではなくて、その事で家が絶える事を避けてくれた事(散財と言う精
算による罪障消滅)に感謝すれば解けるのです(「因縁」を参照)。日本人は定住民族であり、昔から先祖の土地で何
代もの子孫が後をついで「一所懸命」に暮らして来た。

カルマはつまり地縁と密着したものであり、此処には良い意味でのカルマがある。或いは「前世に何かを行った時に、
溜まった感情の鬱積をカルマと言う。つまり拘りです。其れを引きづったまま、また同じ場所や人に自分を引き寄せ、其
処で其れを晴らすために無意識のうちに歪んだ形で再発したり繰り返すのもカルマの実態です。

またカルマとは悪業に限らずこの世での生存要因であり、生きていること自体がカルマに基づいており、従ってカルマ
を果たした時が死ぬ(他界する)時である。最終的には全てのカルマから解脱し、命の本源に還り着きます」。しかし其
れまでには成すべき事があり、簡単に想念だけで其のプロセスをカットして本源に辿り着けるものではない。

「其のプロセスが人生です」(「」内は「前世」浅野信著・たま出版より引用)。階段でも一段目から一挙に五段目へとジャ
ンプするのが難しいように、其の一段毎のプロセスを実体験する事が人生である。

▲カルラ・・・・・・迦楼羅。インドのビシュヌ神が乗る金の羽を持った鳥(ガルーダ)が起源。釈迦を守って説法に会座す
る守護神とされ、阿修羅などと共に八部衆の1つに数えられる。鳥頭人身の神で、龍を食い、炎を吐くと言う。

▲かれ・・・・・・

枯葉剤・・・・・・・・米軍は71年までの10年間(ベトナム戦争の時)に除草剤やダイオキシンなどを枯葉剤として撒き散
らした。当時、南ベトナム解放戦線がゲリラ戦の拠点としていた密林を米軍が枯らすのが狙いだった。例えばハノイに
は7200リットル。主成分に猛毒のダイオキシンが含まれていた。其の被害の後遺症は今尚解決しない。

米国が自ら其れを狙って撒いたのに、今は「因果関係云々」と逃げている。ただ数百万人が後遺症に苦しんでいるが、
医学的には断定されていないと言う(ダイオキシンを参照)。

★カレンダー・・・・・語源は最初の月の出を発見した時に大声で告げ回った事からローマ暦の朔(ついたち)を意味す
るラテン語である。つまりカレンダーとはツキの暦であるから、太陽暦を「カレンダー」と呼ぶのは翻訳間違いである。ま
た、今の日本では旧暦より進歩したものとして新暦と言うが、其の新暦は西暦(別項参照)の一つに過ぎない。

西暦の正体はカトリック暦であり、星の暦ですから太陽暦とは言えない。またカレンダーと言えば紙製品が当たり前と
言う固定観念で今の日本人が見ているが、紙(別項参照)が昔からヨーロッパにあった訳ではなくて、日本からシナ、そ
してヨーロッパに伝播した。ヨーロッパで紙が作られたのはロシアを通じてやっとマルコポーロ以後である。

つまりカレンダーは星座であり、或いは月そのものであり、天文位置関係であり、もしくは方位でした。其れが四角四面
の紙になった歴史は西暦では特に浅いと言える。


▲かろ・・・・・・

▲かわ・・・・・・

・・・・・・教科書的になるが、水には風化、侵食、運搬、堆積作用が有る。川は其れを継続的に営むシステムであ
る。其の為蛇行し、流域を変えながら扇状地を作り、洪積平野を形成する使命がある。自然の流れはこうして絶えず流
動的である。ですから例えば洪水は「天災」ではなくて川にとっては本能的で当たり前の営みである。

その意味・役割に無智な今の洋式観念の土木関係機関は、其処へ固定的な堤防を築いて「水害防止の治水・防災対
策」として来た。此れは実に無駄で危険な対策でした(「防災」を参照)。

例えば利根川でも大和川でも昔は各々東京湾や大阪湾に注いでいた。其れを江戸時代に改修して人工的に流域変更
をした。その結果、一時だけ洪水は減ったが、利根川の場合、1948年のカスリーン台風で小山市で決壊した土砂が
東京23区を水浸しにして東京湾に向ったのです。

大阪でも大和川を江戸時代に付け替えたが、今も大和川と石川の合流地点が毎度浸水している(ナイを参照)。

河原ナデシコ・・・・・・秋の七草のナデシコの事。晩夏から初秋にたおやかなピンク色の花弁を付ける。別に大和撫
子の名があり、一見して弱々しく優雅だが芯は強い。名の由来は唐撫子に対して付けられたものであって、日本女性
に対して付けた形容ではなかったらしい(雑草ノオト」より引用)。

▲かを・・・・・・
▲・・・・・・


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