http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 p173 (未定稿)


神々の歳時記 後書き
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巻  末 ・・ ・・・ ・あとがき ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ★○●◎◇◆□■△▲▽▼☆★

●梅花は厳寒の中、健気に咲いて春の訪れを人に見せる。其れに伴って「梅にウグイス」が2月中頃にやって来る。今
筆者の傍には毎朝一番にウグイスが「遊っそぼー!」と言うようにモーニングコールしてくれる。相手になると一日中纏
わり付いて日暮れまで美声を聞かしてくれる。と言っても此処は山奥ではなくて人口12万人の市街地の中である。

それにしても辺り一帯にも天にも届くかと思えるような鋭く響く大きな声をあの小さな体でどうして出せるのか不思議で
す。鳥類は好奇心が強いので筆者を仲間と思って寄って来るが姿は中々見せないが、大体が気短かで焼餅焼きであ
るから正直言って手に余る時もある。

だがあの声や鳴き方の微妙な変化、特に06年は各地で鳴き方が下手に崩れているので気になり、仕事も手に付かなく
なるが、何れも楽しく可愛いい。

早く伴侶を見つけて欲しいと思いながら口笛で応じて様子を探る毎日ながら、彼らと比べて数千倍の体重のある筆者
の口笛では彼らの声には到底及ばず小さい。彼らの声が大きく力強いのは、この世に生を受けたのが嬉しいと鳴くか
らだろうか。鶯が昔から鶯色と言われるように彼らは黄緑色である。緑は五方・五色では春、即ち東方を示す色です。

暦時法で東方は朝の時刻を意味するので、要するにウグイスが来れば厳しい冬が去る兆しであり、其れはまた夜の終
わりを知らせる。こうなると星影は薄れ、月も光りを失い、陽光によって悪事も暴露する。今は丁度その時である。そし
てこの夜明けも春も、必ず日本から始まるのが昔からの法則である。

春は景色や気温で訪れるがこのように音声でも訪れる。麗らかな春の今頃は筆者にとって気分的には忙中閑有です。
今が過ぎれば6/11から梅雨になるのでヒジリとしては天気が気になる。此の侭では今年は冷夏で不作となり、米屋
がまた元気になろうが増税とインフレ前の不景気となろう(05/11/25現在、幸いにしてこの予測は外れている)。

ともあれ祇園祭や梅雨が去れば台風ですから雲行きや気圧の変化に一喜一憂の毎日となれば、当然にして竜神たち
の動きに目が離せない。龍は音声ではなく普通は忍び寄って来て何時の間にか表象で現れますから筆者もうっかり出
来ません。梅雨前は夜空に響くカエルの大斉唱、そして梅雨明けからは朝から晩まで蝉の大斉唱です。

あの小さな体でどうして大音響を出せるのか此れまた不思議ですが、何れもこの世に出た幸せを精一杯楽しんでいる
かのようです(そうなると流石の鶯の美声もかき消されてしまうが)。

●さて今の日本には何でも有る。「ないのは希望だけだ」と言う人も有る。ウグイスは大喜びで囀っているのに今の日
本人は悩み沈んでいます。確かに今のような真っ暗闇の日本では「春の兆しは当分ない」と諦めるのが普通でしょう。
けれども耳を澄ませば春の朝を告げにウグイスが近くに来ているのに気づく人は幸いです。

夜明けは必ず日本から始まり、春は着実に来ている。其処で此処に「日知り事典」と「神々の歳時記」と言うような大そ
うなテーマを掲げて書き出した訳ですが、竜頭蛇尾で終わるのは申し訳ないので言えば、龍には決まって髭があり、ま
た龍尾があります。

例えば天の龍座ならα(ツバーン)、x、λからなる箕宿(みぼし)がある通り、其の尾には輝く歯車のような金玉がなけ
れば竜頭蛇尾の蛇の尻尾と変わらない。だから此処では青龍に金玉を付ける。このように筆者は時々こ生意気な言い
方をしてしまうので「一体何者なのか」と怪しまれて色んな方が調べに来られる。

ですから「何を隠そう」、筆者は他に何も特徴がないから一つだけ自慢すれば、先祖に「○○小町」が何人もいる家系
のため代々美男美女がゴロゴロの一族であるが、今の筆者はヒジリと言うより垢塗れの只の俗人であり、特に聖書を
持つクリスチャンから見れば「中々煙草を止められない蛇」の一味と誤解されている男です。

其の程度の俗人であっても武芸百般は兎も角、何でも出来る百姓(百の姓を持つ)、つまりマルチの快男児でありたい
と心掛けて、盗っ人殺人以外は一応は何でもやって来たと思っている。だが如何せん、譬え泥まみれ、血まみれも厭わ
ず働こうと思っても、また譬えどんなに暴れても余命幾許もなし(精々あと数年)。

この老境に入ってもまだ何の人脈も知脈も金脈もなく、或いは他人様への影響力がゼロなので、何事でも他人に頼ら
ず一人でするしかない詰まらぬ男ですから一応はご安心を。つまり、お役人にも政治家にも取引先にも宗教団体にも
縛られずに(つまり相手にされずに)、自由勝手に振舞える結構なご身分でもある。

譬え其れが「痩せ我慢」と見られようとも此れもまた「お構いなしの強み」ですから、其の点でも「使命」を託されたと決意
を新たにする事もあります。医者は患者の命を預かるので立場上「強み」を持つが、其れ以上に筆者は死後の地獄の
沙汰も、或いは来世まで左右できる「鬼の道」を独力で掴んだ。

だから自戒し自重してはいますが、生身の人間ですから中々思うようには行かない面も有ります。

●筆者は最近、大事な親友を数人の主婦の前で紹介するのに「彼は魔法を使う事が出来る男です。なので言わば魔
男」と言ってしまった。すると「アラ、何か変ですね」と彼女たちが笑ったのでスグサマ訂正を試みたが後の祭りだった。
言葉と言うのは実に難しいので、其の程度の筆者が書いた事典は怪しい部分がある。

事の序に白状してしまえば筆者はコメンテーターではないし、コラムニストの柄でもない。また天文や暦法はズブの素人
であり、自慢ではないがオモチャの望遠鏡さえ持っていない貧乏人である事も「素性探り」の過程で分かってしまうの
か、今の所は何処からも「お咎め」はないし、格別危険視される事もなかったようだ。

無論、鳴き女でも鳥追いでもマタギでもなく、修験者の端くれでもなく、歴史の授業を受けた経験もなく、聖書や華厳経
も拾い読み程度ですから宗教家でもない。

このように何事にも中途半端者で、物事のイロハも知らず、系統的な学識もなく文才も劣るのに、・・・・チリヌルヲまで
書こうと言うのですから冒険的でやや危ない(致命的欠陥とも言える)面が有ります。

では有るものの、無学だから逆に固定観念に囚われずに、素朴な疑問をボーダーレスに考えて、常識的な観点から自
由に料理出来ると言う強みも有る。まぁご多分に漏れず、人生の大半を仕事で生きるのが精一杯の境遇だったし天文
にも考古学にも触れる機会も少なかった。

ですから以上の記述は、新聞記事やテレビドラマからの断片的な知識の継ぎ接ぎに味付けした程度の三流のダイジェ
スト版と言った部分も多い。

ただ其処まで言ってしまえば読者は裏切られた感じで気分が滅入るかも知れないし、また特に専門家は此れを見て
色々文句を言うとか、或いは全体を理解できずに言葉尻を捕まえて言いがかりを付けるかも知れない。

●確かに異論が出て当然の部分もあるので、次に石を投げられるのは筆者であるとも覚悟して、適当な緊張感を持っ
て独自の責任で書いたし、実際ウイルス感染メールと言う集中砲火を浴びている。ただ此の道にのめり込んだのは社
会風刺で誤解の反発の石ツブテを受けたい為ではなくて、自分の先祖調べがスタートでした。

以来、官学的な資料や体系的な学理は余り真実の解明には役立たなかった。役に立ったのは矢張り記紀や古典でし
た。ただ下記の参考文献は別として、近世以後の学術的文献など在来本の多くが空理空論か、もしくは一つの種本か
らの孫コピーの類いが多くて翻弄された。

真実は一つであるのに仮説や小説・諸論が増えて行けば色んな人物像が出来上がりますが、其れも歴史ドラマとして
は面白い。けれども、そうなって来ると先祖の実像の把握と確定が困難になる。例えばある方の命日に供養や法要を
しようと言う場合に、一人の人の命日が幾つもあっては始末に負えない。

このため歴史資料について別の観点から種々の方法で吟味し直す煩わしさが増えました。そう言う訳で筆者は独自の
方法を模索する中でやっと完成した方式を見出した訳です。

●従って此れは「物知り博士」のパッチワーク的な単なる「雑学事典」ではなくて、一貫性の理に基づく方法論・方式学と
も言えます。しかし格別格調の高い難解なものではなくて、誰にでも分かっている有り触れた事実と諸情報(既存のデ
ータ)を打ち込んで、方位で結び付けたら全く別の結論が得られただけの話です。

ただこうした見方を「抹香臭い」と嫌い、異文化のように受け取って「分からない」と拒否反応する人が意外に多いもの
です。拒否するのは要するに「悪意」で見たり、もしくは「無関心」と言う事であって、頭がない訳ではない。例えばウグイ
スは決まってホーホケキョと鳴く。

此れを当たり前だと聞き流すのではなく「法、法華経」と受け取り、昔からの先祖の教えがある事に気づく人は幸いで
す。ウグイスは着の身「着のまま」で暮らしているのに毎日大喜びで囀る。或いは梅雨になると蛙たちが一斉に声を張
り上げて「天にも届け」と言うように大合唱を始めます。龍たちが其れを聞き届けて活動し始めるのです。

蝉たちも精一杯小さな体を震わせて、短くて儚い命なのに「嬉しくて仕方がない」と言うように鳴き暮らす。其れに比べる
と人間たちは長く生きているのに何が楽しいのだろうか。人間は学歴を付けて良い服を纏っていても毎日誰もがイライ
ラした不満の顔を他人に向けて馬齢を重ね、長い一生を食い尽くすのです。

ただ何かを信じている人たちの目は澄んでいますが、昔からの教えや大自然の事実に無関心の人にはどれをどんな
に水で薄めて解説しても所詮理解は得られないのでお互い時間の無駄となります。例えば誰にも一人の母親がいる
が、出産の実体験のない男の子には母の気持ちの全て分かる事もない。

同様に此の「日知り事典」も別紙の「神々の歳時記」も、実体験のない人達が文章面だけ読んでも理解出来ない部分
があって当然であり、其処が限界点である。同様に幾ら述べても日本文化は特に外人には理解できないし、特に本書
を翻訳されて誤解の種を蒔かれても困る。

また外人に真に理解されても実は困るので、公開するのは日本人だけにしている。つまり本書を逆説的に言えば、学
識のある専門家でも宗教を排除した見方では分からないが、常識程度の知識があり、日頃信心に努めている方々に
はこのマニュアルさえ有れば先祖と其の命日を確定出来るようにした。

従って彼らならば歴史の接点を堀り明かして正しい祭り事を継承できるでしょう。日本文化とはそうしたモノでした。この
点で、大陸仏教が経・律・論の三蔵「一切経」七千余巻など万巻の経典を拠り所として複雑怪奇な説教論に使うのとは
対照的です。

ともあれ本書を理解した方は、自然界の力と目に見えない霊的な期待と助力を常に一身に受ける立場になって来る。
その結果、自立出来て、より味わいのある豊かな人生となるでしょう。と言っても気休めではなくて古来此れは実績が
有る方法論であり、其れゆえに秘伝・口伝とされた「乙女流」でした。

此れは在来の入門書のようなものではない。入り口から出口まで曝け出して、しかも中心点の奥津城までバラしてしま
った。更に其の理論と応用まで説いて万能のものとした。つまり初めから核心部に入った専門書であり、かつ応用編ま
で示した極意書である。本書の基本は一本の柱と二つの円であり、柱は神であり自分です。

円暦は天理であり、それに対する円系図は地(血)の理です。天地人を柱で結ぶ者、其れが王の字です。王は方形の
祭壇を設えて方位で見た。このため本書は方位の指南書としても機能する。要するに本書は天地人の王道の理を説
いたつもりです。

王道とは「天上天下・唯我独尊」を示したお釈迦様の教えであり、王権による人民支配ではなくて、他力本願でも自力
本願でもなく、天地の先祖との一体関係に気づいて自主自立する道となります。其れがなければ先祖に無関心のま
ま、親や夫に頼り、金に頼り、会社に頼り、国に頼ると言う意識の悪循環になるでしょう。

この点に気づかなければ実際、何も出来ず解決もしない。だから悪循環から離脱する意識転換の方法、即ち真理を説
いて実証した極意、此れが聖王・帝王学の真髄であり、よって古来独占されて来たものの、地下に潜っていた。更に今
ではモノカネ主義に押し潰されてすっかり見失っていたのです。

其れは兎も角、無位無官で非才な筆者が、誰に頼まれた訳でもないのに、恋に生きる道も避け、実業にのめり込んだ
筈の人生から、一転して事業的野心も投げ捨ててやっと知りえた秘法をどうしてまたインターネットで公開する破目にな
ったのか、自分でも理想とは別に、内心では納得できないまま書き綴って来た。

其れは既に改暦・祭日の変更や古墳の破壊に見られるようにもう「待ったなし」の事態になっている事と、また知的な推
理から始めて問題の解決、そして実証と言う過程で得られる感動の連続に魅せられた。

其れでツイツイのめり込んだものですから、其の同じ感動を平素から神仏や先祖に心が向き、時には求道に努めてい
る方々が雑情報に汚染されて無駄な働きをされないように、老婆心ながら書き記して其のお裾分けのつもりです。

其れが今は譬え理解されなくても、時が至れば指摘した点と点を繋いで何か大切な事柄があると気が付かれるように
仕組んで見ました。或いは求道者のみならず専門化して、愚学の犠牲となる後進たちの為に、問題提起と其の解決方
法の論を建て、また単なる方式学ではなくて、ご親切にも幾多の事例を掲げて其の検証・実証例まで並べて置いた。

此れはもう1ボランティアの能力を上回る大仕事であり、世が世なら実に国家事業の基本です。従って「今売れればよ
い。後は知らないよ」と言うマスプロ教育の大学(売学)や人気流行性の市販の売本とは異質ですね。つまり広めるの
ではなくて譬え一人でもこの道の理解を望む方が現れればトコトン付き合って伝えましょうと言う姿勢です。

ともあれ最後にもう一点。

●夜明けが始まり、朝になっているのに、まだ星影を追い、月の幻影に染まって惰眠を貪り、寝惚けている所が多いの
で、この方法論(マニュアル)を著す序に、行き掛けの駄賃にと目障りな所には破魔矢を射って置いた。マンネリ化し、
馴れ合いから腐敗しきった穢れ地に破魔矢を放って問題提起しようと思っている。

「希望がない日本」とした元凶はお役所・公務員など組織ぐるみの不正体質であり、或いは特権利権企業やゴミ商品を
濫造し続ける企業など、要らないものが山積し出した。其処でこの矢で仮に「お上」が改心すれば打ち続く地震や風水
害も少しは減るのですが、多くが其の矢を握り潰そうとするので恐らく其の流れも止まらない。

止まらないが一部では其の矢で自分の手を怪我して毒が回り、早速悪事がバレたり大事故を起こした所も有る。こうし
て此れまでの闇夜に栄えた如何わしい所は朝の光の中で次々瓦解して行くのでしょう。日本には何でも有るが「希望が
ない」国となった。だが最早、不良公務員や今の若者たちに期待する事も出来ない。

若者たちも渡来文明に汚染し堕落しているから到底無理なのです。モノカネ主義に染まった老人たちはもっと悲惨だ。
若返りは無理であるし、意識転換さえ出来ない。だから長寿に甘んじ、更なる長寿を目指しているがこれまたハタ迷惑
となっている。今の日本では年金制度も破綻した通り、60歳を越えたら何時死んでも惜しまれる事はない。

失礼だがハッキリ言えば唯、保険屋が悲しむくらいであろう。ですから「今が幸せだ」と言う人たちも現状のままの保身
に甘んじてはいられない。もう既に人類全体が地球のゴミとなり、悪魔の一部となっている事実に気づく方は幸いです

お役所や大組織のみならず、大多数の人も自然界の邪魔者となっている以上、厄介者が消えれば皆が大喜びだと覚
悟すべきかも知れません。ですから残された道は、どうしたら皆をもっと大喜びさせられるか、或いはもっと悲しませる
演出にするかの方法(死に方)を自分で選ぶ事くらいです。

後はただ、どう言う風に死に花を咲かせるかの方法の選択に腐心すれば良いのですが、大多数の人は「他人事」とし
て白けていますし、もしくは「自分は死なないとか、死にたくない」と思ってしまう。このように死に方を自分で選べない人
は、何らかの形で人としての魂を抜かれてサルの世界に戻るのだろうか。

或いは龍神界に閉じ込められて再び永い3000年間を違った形で修行し直して頂く事になるのでしょう。

このように言えば、同時に筆者も破魔矢の「返し矢」の雨で痛めつけられる。既に卑劣な覆面ゴミ人間からの嫌がらせ
メールとスパイ行為が多い。次ページのブラックリストに載せた通り、連日石ツブテ(ウイルス感染メール)が飛んで来
る。此れは、人だと思って小判を投げたら喜ばれたのではなくて猿に噛み付かれたような驚きである。

今の読者に学歴があっても、此れに関心や理解力がなければ殆どが「猫跨ぎ」である。猫よりも猿は好奇心が強いから
拾っては見るが、「食えない」と気付けば直ぐに怒って集団で人に襲い掛かるようなものである。

少なくともインターネット読者の殆どが低質であり、理解するよりも反発して其の30%が攻撃して喜んでいる実態が分
かる。只で公開して更にニュース解説付きのサービスでもこの始末なのですから割に合いません。だが言うまでもなく、
筆者は全てポケットマネーで此れを運営しているのであって、税金や読者の金はびた一文貰っていない。

従って猫や猿から文句を言われる筋合いはないし、文句なら寧ろ徴税して義務を履行しない政府や公共の場に向けて
貰いたい。とは言っても立小便のような礼儀知らずは何時の時代にもあるから気にもしないが、此れは売学ではない
のでそんな愚鈍な読者にまで媚びようとは思わない。

其の点では古来、武士やキリシタンたちは命を懸けて自分よりも、もっと大切な領地や信仰を守って来た。そして今も
筆者の隣人である「エホバの証人」の会衆たちが「もの見の塔」の冊子を携えて伝道奉仕に回っておられる。もし筆者
にお金があったら彼らを買い占めて飾って置きたいとさえ思う。

天使たちのような彼らに敬服しながらも到底及ばないのが筆者の現状ですが、少しは矢を放ち、闇夜に警笛を鳴らして
行くつもりです。

●堕落した今の社会は闇世界の潮流に大きく流されて最早止まらない為、春の嵐や秋津波で最後の局面を迎えるに
違いない。日本人は明治以来、外圧を借りて古き良き日本文化を此処まで滅ぼした。日本人全てが此れまでの行為が
万死に値する事を大いに悔いて先祖にお詫びしなければならない事にもう少し前から気づくべきでした。

余りにうっかりしていたために此処まで来てしまった。各国に資金援助して経済大国として君臨しようとしたが失敗して
当然です。或いは洋式教育をAA諸国にまで拡大推進しようなどと言う誤解と思い上がりも失敗でした。今の日本には
他人を教育する資格さえない事に気づかなければならなかった。

古の日本は世界の王であったが、今の日本が仮にも世界の王となるのは無意味なのだ。日本政府も堕落した国民も、
ゴミや企業も存在の意味がなくなり殆ど無用となった。これ等を全て滅ぼす為には、北朝鮮ミサイルが東京と大阪に落
ちれば多少は掃除できるであろう。その様な手段を待って、無用な物を一掃する時期に来ている。

残すべきは自立可能な一人、または多く見積もっても1万人中、数人で良い、と神々は考えているに違いない。だがミ
サイルは良くないし地震や津波も弊害を残す。霊能者ならば他人を呪って国民総病人にする事も可能でしょうが、神々
ならば元々生殺自在ですから其の様な下手な手は使わない。そうではなくて個人の自由を奪う別の手を使うだろう。

犠牲者を出せば霊界にまで恨みを残すからです。だから筆者は下手な手段を採らずに此処に円系図と円暦と言う二つ
の神器を只で公開する方法を選んだ。

この方法ならば生きるか死ぬかは個人の選択肢に委ねられる。自分の先祖にも祭りにも、円系図や円暦にも無関心
な99999人の方々がこのままで生き続けようとするならば、納得づくで自動的に99999人の死者の側に流れて自ら
自由に死出の旅路を選ぶだろう。

その様に仕組めば私たちの世代が絶えた後に、次世代が活躍できる綺麗な場が整う。其処で本当に住み易い平和で
安心できる日本になって皆が「幸せ」を実感してウグイスのように鳴いて喜べる日本になって欲しいと祈ります。そのた
めになるなら今の満身創痍で泥まみれの苦労も無駄ではない。

余生が譬えもっと厳しくなろうとも我慢出来ると思っている。では締め括りとして、日本の一部で先祖の働きに気づき、
或いは先人の精神文化を見直す方が少しでも現れまして、日本再生の道を残して下さるように期待する。

もし一粒種でも残れば、日本の未来は明るく輝くと信じて、一矢と共に此処に「鬼の置手紙」として残した(合唱・南無法
華経。南無円相経)。




・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ■ 奥付き ■ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

■題名    ●「日知り事典」  ●「神々の歳時記」
■発行者   ●円相学会    ■文責・シバタニヒデオ

■著者プロフィール・・・・・・出自は藤原系。昭和18年水戸市生まれ。今は大阪府在住。

少年工科学校、立命館大学卒。在職8年後、会社専務、府協同組合専務、市団体理事を歴任。石油ショックを機にリ
サイクル展示場を開設して大いにマスコミに受けて13年、以後事業を縮小して自営の傍ら各地の社寺・遺跡を参拝す
る内、幾多の神託を得て独自の理法を発見し、講演、講座を続けたが今は休止。

■「本書に対する問い合わせ」・・・ ・・・ ・・・ 下記。

■販売予定先・・・・・未定。
■配布予定先・・・・・学校図書館、新聞社、神社庁など、FAG(データベース)に転記。
■参考文献

(「日知り事典」の参考文献については各々の巻末に掲載した)。


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