http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page112.html(未定稿)


  日知り事典   自由〜春分

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自由主義・・・・・・・・心のまま。其の点では虫や動物が有る。彼らは本能によって行動するので考えて行動する事
がない。其の意味では自由であるが、考えて選ぶという自由はない。其れに対して人間の自由は自分で考えて行動す
る特権がある。

しかし多くの人は「考える自由」ではなくて、自分の肉体の欲求に押し流されて本能のまま飯を食い、大便をしてセック
スするのが自由であると決めている。でも其れでは単なる動物本能ですから問題です。其れでも「フリー」と言ったり自
由主義と言えば、日本人は全て南蛮渡来の西欧の近代思想と思って満足している。

しかし「自由」の語ならば日本書紀や後漢書にもあるし、仏教語・禅語でもある。其の一々を解説するのは無理なので
一例を示して、其れとは異質の今の論理の虚構性、出鱈目な点を指摘する。

例えば目の前にある物を説明するのは簡単ですが、目に見えないモノを説明するのは大変難しい。従って現実に捉え
所のない愛を語りあい、或いは自由や平等を論じるのは誤解を生み易く、下手をすると嘘つきの汚名を着せられる危
険性がある。特に現実にはない架空の「自由」の場合は、他のものと比較しようもありません。

敢えて憲法で比較して見よう。今は憲法で自由を謳っているので如何にも自由であるように思いこまされているが江戸
時代よりも不自由です。例えば病気になれば加持祈祷で治すのが昔は当たり前でした。百姓にもなる自由があった。
それに対して今は職業選択が自由と言うが、農地法によって農家以外は農業が出来ない。

農家になれば様々な恩典があるが、一般人は高い税金を払って宅地で野菜を植える外はないのです。或いは狩猟免
許のない者が譬え目の前に出て来た鳥や獣でも勝手に捕まえたり殺せば罰せられる。また仮に病気を治す名人がい
たとしても、医師でない者が治せば医師法違反で処罰される。

医師なら銭をとっても治さない自由があり、譬え殺しても責任から自由である。にも拘わらず一般社会には自由がない
のだ。こうした矛盾を近代国家とか法治主義と言う日本が実はまだ積み残しているのではないか。教育もまた自由を教
えると言うなら、誤解や錯誤を植えつけずに、先の本質から問うべきであろう。

では世界中に「自由と民主化」を押し付ける米国はどうか。此処も今は、自由のない窮屈な監視社会になっている。

▲しゆうせ・・・・・・・

修正会・・・・・・奈良の長谷寺で行われる修正会(韃靼祭)や東大寺・二月堂で行われる修二会が有名。有名にな
ったのは鬼が出て来る観光アトラクションが人気となったからだが、本来は無論アトラクションではなくて、正月の月日
を正すと言う暦事に意味があった。祭りには祭られるべき主神があるように、暦事は天文と方位が主となる。

ただ天文は暦法の主体を太陽か、月か星とするかで全く違って来る。方位についても、四天王寺は四方に門や鳥居が
あり、伽藍が南北(子午線)にある。つまりコレは太陽を主体とした事を意味する。磁石の無い時代に、磁北よりも正確
な真北・真南に配置していたのである。この点では東大寺も同様である。

ただ東大寺の場合は、元旦(冬至)と夏至に合わせて子午線に当たる若狭から見通した大仏殿の参道上に南大門を
建てていたにも拘わらず、改暦によって、正月が節分頃になったために真北ではなく、二月堂で行うように変化したも
のと思われる。だから「修正」ではなくて「修二会」と称するようになった(「歳旦祭」を参照)。

▲しゆうそ・・・・・・・
▲しゆうた・・・・・・・

絨毯・・・・・・南蛮の毛織物。幾何学模様が基本のカーペット(「曼荼羅」を参照)。

▲集団検診・・・・・・・成績の良くない医師が役場と提携して「早期発見・早期治療」と言う掛け声で団体割引のように装
い、或いは脅して患者を増やす方法。

▲しゆうち・・・・・・・・
▲しゆうつ・・・・・・・・
▲しゆうと・・・・・・・・

▲しゆうな・・・・・・・・
▲しゆうに・・・・・・・・

十二支守り本尊・・・・・・・・「偶像」を参照。

十二神将・・・・・・奈良の薬師寺ほか各地の薬師寺には本尊の薬師如来(別項を参照)の脇侍として日光・月光
菩薩の外に十二神将が並べられている。横一列に整列している場合が多いが其れは間違いであり、本当は円座(曼
荼羅式)に並んでいた。恐らく、円座では場所をとるので一列にしたものの元の意味が忘れられたのであろう。

また本来の薬師如来は医学の神ではなくて東方を観測し、方位と暦を司る方でした。従って日光・月光が並び、また天
球12星座に対応して12方位に十二神将を配置したものである。其れによって一年12ヶ月と一日12時間を示した。

また12の干支に対応する呼び名として彼ら・十二神将は子(夜12時)から亥(夜11時)の全方位に対して各々クビラ
(子=0時)、バサラ(丑=1時)、メイキラ(寅=2時)、アンヂラ(卯=3時)、マニラ(辰=4時)、サンヂラ(巳=5時)、イ
ンダラ(午=6時)、バイラ(未=7時)、マコラ(申=8時)、シンダラ(酉=9時)、ショウトラ(戌=10時)、ビカラ(亥=1
1時)と呼ばれた(無論、これ以外の呼び名もある)。

とは言っても梵語(しったん語)であるから理解出来ないだろうし、更に漢字に当てて難解になっているので今では全く
不明になっている。ただクビラとかインダラ、マニラ、と其のまま聞けば蒙古のフビライカン、印度、そしてフィリピンのマ
ニラと気づく。

此れはつまり、フビライカンのような猛将軍を別とすれば地名に因む呼称であり、同時に方位にリンクさせたものと理解
出来る。例えばチベット高原を中心点とすれば、フビライカンの制覇したシベリア方面と印度は南北(子午線)関係にな
り、軸足のチベットからマニラは辰の方角になるではないか。

そうすると差し詰め日本や奄美はバサラかメイキラになる。バサラはサンスクリット語でダイヤモンド、つまり金剛石で
ある。因みに其の方位に当たる北朝鮮や日本には金剛山があり、後者はニギハヤヒ(薬師如来と習合)が日立から来
て降臨した所である。メイキラは不明だが仏教用語に冥鬼があり、此れは夜明け前の日の出の方位である。

次に薬師は東方瑠璃光如来とも言う。東方は此処ではアンヂラである。山東には安位(アンチウ)、杭州北には安吉
(アンチー)があるが、太平洋を越えればアンデス高地もある。次に先のマニラ(辰)から30度の方角がサンヂラ(巳)で
ある。此れは少し難しいが、其の方位にはインドネシアのスンダランド(列島)がある。

04年末にスマトラ大津波があった地域です。ただサンヂとスンダを結びつけるのは無理があるので宿題として次に進
む。西の方角はシンダラ(酉)である。アラビアンナイトのシンドバットに響きが似ているが、もっと先のアフリカのニジェ
ールにはジンデルが有る。此処も高地であるから方位を決する観測点に適していた事だろう。

次にバイラ(未)はチベットの麓にバイラグニアがある。また其処から逆方位に30度の所にはエベレストが位置する
が、エベレストは標高8153mであるから定点観測の場としては無理である。よって其の手前のサンカル山(7144m)
辺りを今の英・グリニッジに相当する基準点としていたものと推定できる。

そして其処から西に60度の方角に位置するのがアフリカのアンゴラにあるマケラ・ド・ゾンボの高地である。更にショウ
トラ(戌)と言うのは何処だろうか。ウイーンの近くにドイツのシュトラウビングやストラスブール(シュトラスブルグ)があっ
た。

最後のビカラ(亥)についてはロンドンのピカデリーくらいしか思いつかなかったが、チベットから見て何と地球の裏手に
当たるキューバの近くにピカラ岬があった。正しくこの亥の方角であるから驚く。とすれば当時既にチベット高原を定点
として、世界を12等分して観測していたものと判明する。

だがこの様な昔にどうして其れほど全地球規模による観点と観測点を得ていたのかと驚くしかない。しかもこの方位は
今のような北緯ではなくて太陽の黄道に沿っているように思えるのだが、一項目にこれ以上時間を裂けないので打ち
切って、何れ次の機会に精査したいと思う。

序ながらもう少し述べれば、今は薬師12本願とか、各地の49ヶ所・薬師霊場と言うのがある。此れは12×四方で4
8、其れに定点1を加えた数字であるが、数字の意味よりも実は方位である。其処からまた死後49日を満中院とした。

此れは1(初七日、不動尊)プラス12菩薩で13佛信仰を伝え、或いは13回忌(大日如来)を数えたものだが、更に死
後7日×7日=49日目には薬師如来を迎えて満中院とし、或いは1プラス32=33回忌で「弔い上げ」とて来ました
(「13佛」、「33観音」を参照)。何れも数よりは方位に意味があった。

▲しゆうは・・・・・・・・
▲しゆうひ・・・・・・・・

自由・平等・・・・・・・・良い言葉ですが人の心には響かない。此れを言えば誰も反対できない正義になるが、手垢
に汚れた看板用語です。元々何処にもない自由平等を掲げれば貧乏人と馬鹿者は喜ぶかも知れないが、安倍総理の
言う「美しい日本」も、此の程度の民主化イデオロギーで作られるなら無意味である。

日本人が憧れる欧米の民主化と「自由平等」とは、「キリスト教化」であるからだ。つまり改宗と奴隷化が目的である。
キリスト教の平等とは「神の前の平等」である。異教徒は別なのだ。異教徒は平等ではなくて差別して格差を作らなけ
ればならないのです。バチカンのような一握りの貴族たちを支える為にAA諸国と言う植民地が必要とする自由です。

昔も今も変わらない。其の本質を身近にいて身をもって知っているイスラム社会ではだから此の「民主化」に対して反
発し、頑強に抵抗し続けているのだ。如何に民主化と自由とを掲げても、教条主義の教会と威圧する警察と軍隊が支
配する世界には自由平等は存在出来ない。

日本では戦後遂に天皇家が改宗したが、一般国民は政教分離が幸いして助かった。助かった筈なのだが徐々に浸透
して今や遂に米国の属国と化した。ブッシュのポチと言われた小泉総理の最大の功績(欧米にとって)である。

だが例えば子供と親では平等ではない。其れを今は一律平等としている。神を否定して祭政分離政策を善とする神ナ
シの欺瞞の民主化により、気ままに振舞う馬鹿と貧乏人が「自由平等」に嵌った。此れを言えば正義の側に立てると思
った。

だが子供が親を同列と見て互いに自由平等を振り回せばどうなるか。子供が先ず勝手気ままに火花となって星のよう
に飛び出して行くので広い世界も狭くなります。此の地球だけでは足りなくなって銀河に飛び出しても足りなくなり、宇宙
のような広さが必要になります。

秩序と調和を知らずに別々に動き出せば、太陽のような大きな光の塊には決してなれずに冷たく暗い星の空間にさ迷
う外ない。彼等が自由勝手に振る舞った結果として今の日本の街としました。此れはかつてマッカーサーやリベラリスト
の夢見た世界がやっと今達成できた事になる。だが「自由平等」が蔓延すれば収拾がつかず手が付けられなくなる。

此の為、欧米では古来武力を使って民衆を鎮圧して来た。自衛隊では無理なので「自由平等」のためには改憲して軍
隊にしなくてはなりません。其処で国防省に昇格する。無論予算の面でも限度があるので低給の徴兵で国民皆兵とす
る計画なのでしょう。

▲しゆうま・・・・・・・・

終末医療・・・・・・・人生最後の医療。延命治療や尊厳死、或いは自然死など色々問題になっている。昔は何でも家
で済ませましたが、今は昔とは逆になって、誕生でも死去でも殆どが病院である。其れが良い事だったか、反省の時期
に来ている。

人生の終末期の医療が例えば末期癌治療です。此の段階になると先ず意識が無い。植物人間の状態であれば家族
の了解を得て、更に延命治療をするか中止するかを医師一人で判断する。複数の医師とか倫理委員会で決定するの
が望ましいが中々出来ない。

日本は高齢化から既に高齢社会となったが、医療面では限界に来ているし介護保険も未熟で役立たない。全部の
方々を病院かホームと言った施設に入れるのも無理であり、保険コストからも限界がある。此のため国は在宅医療を
見直し始めた。高齢社会の次は大量死の時代が来る。

今は99%が病院で死去する時代ですが、其れは良い事と言うより問題であり、高額医療費を抑制する目的からも訪問
診療と看護に力点を移そうとしている。以前から「病院でよりも自宅で死にたい」と言う人が多い。そのためもあって自
宅への医師派遣、つまり往診制度の復活に向けて往診料金のアップを図るとか(「死」「死後」を参照)。

▲しゆうみ・・・・・・・・

自由民主・・・・・・・・日本は憲法で自由と民主を謳い、自由民主党もあるので「自由で平和だ」、と思っていれば何れ
面食らうだろう。自由や民主は偽看板であって、其れは何処にも無いのです。政府と国民の関係は民主ではなくて官主
主義で管理されていて、其の根底には唯一絶対の神による一神教支配が有るのですから自由もなく窮屈な国である。

例えば個人情報が一手に握られて税金データも投票権も健保も管理されていますので、自由に料理出来るのは官吏
だけであって国民には存在しない。であれば、文化国家ではなくてバランス感覚の欠けた一律主義の統一統制・権力・
資格-管理主義による硬直的な社会国家の状態です。例えば医療は病気を治す事が目的である。

其の目的を達する為なら温泉でも薬草でも肩たたきや民間療法であっても構わない筈です。実際、現在の医学では殆
ど治せないにも関わらず、此れ以外で治せば褒められるのではなくて、医師法と薬事法違反で処罰される。医療の手
段が違えば犯罪になるのです。また天気予報は誰がやっても当れば良い。

所が、気象庁の認可を受けた者がすれば違反です。何れも国民の利益よりも、官と業者の利権構造が見えるだけで
す。暦法でも同様です。日本は政教分離の国と言いますが、カトリック式のグレゴリオ暦以外は認めない。尺貫法と言
う昔からの優れた度量衡法があるにも関わらず、此れも認めない。

古代の歴史認識も考古学者や歴史学者が米国のGHQに命じられた通りでなければ認めない。少なくともテストではペ
ケにされる。日本には古い歴史がありながら、大化の改新以前の歴史は歴史ではなく、神話としなければならず、真実
よりも中韓の歴史認識に迎合しなければならない。

また家の周りをうろつく狸や猫や猪や熊がいても、此れを獲るのは狩猟免許を持ったハンターでなければならず、魚介
類も漁業組合の許可がなければ採れない。河原の石も勝手に採れない。公園の草を抜くのも違反です。農業も農家と
指定されたものでなければ農地さえ買えず、登記も出来ない。

その土地を手に入れたとしても、税金は農地ではなくて、宅地並み課税を負担しなければならない。或いは、文部科学
省検定教科書による学校教育法によらない教育は修業とは認めない・・・・・・・列挙すれば切が無いが、此れらが自由
や民主と言えるだろうか。

▲しゆうめ・・・・・・・・


▲襲名・・・・・・人名を参照。
▲しゆうも・・・・・・・・
▲しゆうん・・・・・・・・

▲重力加速度と遠心力・・・・・・・・以下、「ヤフー知恵袋」http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/
q1121733256から引用。chihichan1990さん -----緯度が高い、北極は遠心力が0だから。赤道上では遠心力最大。
遠心力は重力と等しいから、緯度と重力加速度は反比例している。

▲しゆあ・・・・・・・・
▲しゆか・・・・・・・・

▲主観的・・・・・・自己中心の観念。主観の逆は客観である。このためこれ等が哲学、宗教、文学、法理、倫理などの
用語に二極対立の論理で使われる。特に科学は客観性を基本とするので主観的な事を一切排除して来たが、宗教や
倫理は主観の問題である。例えば幸福については他人が一般的・客観的に見て判断出来るものではない。

つまり主観的に本人が「幸福だ」と思えば他人がどのように思おうとも幸福を得ている事になる。要するに如何に物質
科学が発展しようとも、幸福感はこの主観によって判決を下される。従って今の科学の最も苦手とする問題が主観、つ
まり「心の分野」と分かります。

▲しゅきょ・・・・・・・・


▲儒教・・・・・・・・孔子を祖とする教学である。シナ文化は四書の中の論語が説く「仁」など、優れた道徳があるので、
儒教がシナ文化を代表するものとして大いに誇って良い。また、「シナ仏教」と言う存在も大きかった。

仏教には大蔵教、キリスト教にはバイブル、道教には道蔵があるが、儒教には魏の「論語集解」、其れに四書・五経を
経典とする儒学が有り、また明代の「四書大全」、清代の「四庫全書」があるものの、儒教経典を網羅的に集めたもの
はないとして其の集成が待たれる。

▲しゆけ・・・・・・・・

修験道・・・・・・山伏の事であるが、此れを修験道と言うのは金峰山を本山とする天台宗(山王一実神道)であり、
真言宗(両部神道)では三宝院に属する山伏を勤士と言う。何れにせよ修験道を文字通り解釈すれば「験を修める」事
である。

つまり神法・結界護摩法・仏法を学んで神通力を得、其れを雨乞いや祈祷に試して人を助け、或いは兵法・武術に応
用して其の結果を確かめる修練である。だが今は服装が違う程度で単なる登山と大差が見られなくなった。

定番の出で立ちは被髪、兜巾(ときん)、篠懸(すずかけ)、結袈裟(九条袈裟)に笈(おい)を背負い、金剛杖を突き、法
螺を鳴らし、山野を巡る。此のほか昔は太刀を帯びた。確かに今でも護摩を焚き、呪文を唱えて祈祷し、山伏問答をし
たり法螺貝を吹いて回るし、時には岸壁を攀じ登ったり山野を駆け巡ったり火渡りや滝行などの難行苦行をする。

だが其れだけでは本質が分からない。出羽三山の山伏は月山を「死の山」として死に装束(白)で登り、其処で生まれ
変わって下山した。つまり登山は死と再生の意味があった。ただ山の事は「語るなかれ聞くなかれ」と言う不文律が有
った。此れは出羽に限らず全国共通である。裏には軍事演習があったからだ。

ともあれ修験道の由来は8c初め、文武天皇の頃に役小角(別項参照)が開いた日本独自の山岳宗教と言われる。た
だ東北の出羽三山の場合は聖徳太子の弟(蜂子皇子)が開いたとされるからもっと古い。また関東にはその後、道鏡
の後に勝道上人が出て二荒山(日光)修験を興している。

また筑波・加波山とか秩父は三峰や御岳があった。日本海側では泰澄の開いた白山・立山修験があったし、西日本で
は先の役行者が犬鳴山から葛城、そして吉野の大峰山(山上)に修験道を開基したが、其の後、近江には叡山に円珍
が出た。また醍醐天皇の時には聖宝(真言)が出て再興し、三宝院流を打ち建てた。

次に堀河天皇の時には増誉(天台)が出て聖護院流を建てた。室町時代に此の二流が繁栄し、大坂は能勢、紀州は
高野山と熊野、中国には伯耆大山、四国には石鎚、九州は彦山など全国各地で続けられて来た。だが明治5年に禁止
されて以来、すっかり低迷していたのを140年ぶりに聖護院が奥駈け修行を04年に復活した。

京都のこの聖護院と醍醐寺とは古来、門跡寺院(天皇が退位後に住持する寺)でした。さて円珍以来、京都の聖護院
系を本山派と言い、そして山科の醍醐寺三宝院系を当山派と言う。また吉野の金峰山寺を修験本宗と言い、更には根
本道場として桜本坊が存在する。其処から熊野に向かって大峰奥駈道がある(「熊野」を参照)。

因みに本山派は熊野から大峰に入って此れを順峰修行と言うのに対して、当山派は大峰から熊野に入って此れを逆
峰修行と言う。面白いのは、役小角の足跡を行基が歩き、行基の後を空海が歩いて密教に取り込んでいる点と、また
大峰山は今でも「女人禁制」とする男子の道場であるのに対して、熊野は観音信仰の場であった。

修験と言うよりは古くから伊勢・熊野が「お伊勢参りと蟻の熊野詣」で栄え、其れに今も33観音など、女性の参拝が多
い事である。以下、少し個人的見解を述べてみる。江戸末期の修験者は学識・見識・実力共に兼備し、住民から尊敬さ
れていた。

此処は特に士農工商の身分制の埒外にあったので住民も青少年の内から富士講・御嶽講・伊勢講・山上講・庚申講な
どに参加して単に登山だけではなくて色々学んでいた。講に参加する事は薬屋など、次の就職先にも繋がる言わば教
育機関の意味も有った。従って先輩は先師・先達であり、教師でした。

山野を駆け巡っているので体力や気力・胆力もあり、武芸百般に通じていたため事務官僚化した武家よりも実戦的で
博学であり、知力や力量(組織力)でも勝っていた。のみならず例えば農事・山仕事・馬術、操船、狩猟に通じ、天文暦
術・軍事・兵学・探索・砲術を実践していた。

其の外、論語・史書・漢学・薬(本草)学・医術・薪炭・火薬・鉱山・タタラ(冶金術)・鍛冶、及び航海術、各宗派に通じて
自在に加持祈祷し、験を修めた者が多かった。武士には城士として城内に在番する者の外に在地の郷士、其れに海
賊がいた。郷士は野武士と山伏とがいて、各々幕閣の隠密として、または柳生1万石の家来として動いた。

だが多くは村目付けとして自由の身であった。ただ各地に寺社と講、それに近江商人や薬種商などの情報システムと
地域活動ネットワークで繋がり、藩士の演習・訓練に活動していたと思われる。特に彼らは城外に起居して藩とか領地
と言う枠を超えたボーダーレスの諜報連絡網が出来ていて各地の情勢に通じていた。だから秘密にしたのです。

譬え幕府が無くても経済基盤があった。藩からの家禄で暮す定給の武家よりも経済的に自立していた筈である。のみ
ならず家禄で支配される武家とは違って、ゼニカネ抜きで団結し行動する宗教性があった。だから藩や幕府以上に地
元に密着していた。武家は既に官僚化・サラリーマン化していて実戦的ではなく藩外の組織もなかった。

今の官僚たちは何十億もの公金を横領・着服しても何ら罪に問われず雲隠れするので、其の尻拭いを国民が税金を
払って精算する構図になっているが、当時の武家は少なくとも責任を取り、遠島・切腹・断家・改易などで厳しく処断され
たので、今のサラリーマン官僚とはこの点で全く違った。藩財政も窮乏し、商人の「大名貸し」に武家は依存していた。

藩や幕府より民間の方が経済力が有ったのです。彼らの中には幕閣の隠密がいたし、日光(輪王寺)や醍醐寺、或い
は多武峰(談山)など何れも門跡または皇族に直接繋がっていた訳です。当時の寺院は神社よりも権威も権力もあっ
た。だから幕末から明治に廃仏毀釈となって明治に寺社が解体され、特に修験道は禁止となった。

其の点で当時と今とを同列に比較するのは誤解となる。当時と今は祭政一致と祭政分離の違いがあるからです。明治
になってやっと幕府を潰して天下を取ったものの、薩長土肥は不安だった。元からの別の信頼関係や信仰の為ならゼ
ニカネ抜きで動く組織や修験道が残っていては明治新政府としては脅威でした。組織力だけではない。

歴史的にも伝統ある情報ネットワークと士農工商の枠を既に超えて、地域的な制約の中でも領内外でポーターレスに
活動して来た財政基盤も確かな組織があっては目障りでした。しかも修験者たちはサルやイノシシのように山野を駆け
巡ったので南蛮人から見れば人間離れした彼らを脅威に感じたのか魔物のレッテルを貼った。

だから寺社の内、特定の神社だけを残して神道を国教と定めて管理し、其れ以外の諸教の寺を廃仏統合して解体し、
修験道を禁止した。神社もやがて合祀・統廃合するのであるが・・・・・

▲修験道資料館・・・・・・此処は元山上と言う大阪・泉佐野市の犬鳴山・七宝滝寺 0724−59−7136

▲しゆこ・・・・・・・・

守護霊・・・・・・先祖が子孫の霊的バリアとなって心身を守っているので此れを背後霊とも言う。だが何れにせよ、
其れは血族の霊であって、それ以外は別である(「憑依霊」を参照)。霊体を魂と言う通り、魂は玉であり、其の実相は、
別紙の円系図から判明する通り、円環の相になっている(魂の実相を参照)。

人体には額と臍があり、此処が人の霊的要所であり、父母が幼年期を守る位置である事を示している。次は青年期の
四股・五体を祖父母が守る。やがて成人すると人の八方は曽祖父母が守る。此処は八方神の位置である。其れは手
指の数が1対4で五本をなし、手足が四本ある事で示している。

そして次の壮年期まで、16人の高祖父母が、上下32本の歯として現れている(だが、一部が歯肉に隠れて28本しか
見えない)。こうして髪の毛や歯にも化けた先祖たちが昼夜にわたって子孫を守護し、その後はミソフ(32)神たちの振
動数がより高くなるため肉体から離れる。

此処からは幽体(プラナを参照)となって更に高次の異次元世界に羽ばたいて行くのである(「八柱の神」を参照)。だが
人の多くが先祖ではなくて無縁の浮遊霊や動物霊を「守護霊」と感じ取ることが多く、従って常に多くが心から迷わされ
ている。

▲しゆさ・・・・・・・・
▲しゆし・・・・・・・・
▲しゆす・・・・・・・・

▼数珠(じゅず)・・・・・念珠。大小様々あるが、一般的な物は49ヶの玉をギッシリ繋いだものである。房の部分は特大
の玉で地蔵菩薩を意味し、逆の側は釈迦如来の位置づけとなる。或は他の玉は24節気、またはイロハ48の巡り、また
は桑門(48方位)を意味し、全体で49日、または49院を意味する(13仏、年忌を参照)。

▲しゆた・・・・・・・・
▲しゆつ・・・・・・・・


十干・・・・・・南北線を軸として平面上を四方に分け、其の中心を定点としてすれば五方が決まるので、その場を太
陽観測の場とし、其の場で観測される太陽の位置を十干とした。

これは、御柱を木として、東西南北に対して日と日影が見える位置を分けたものであり、木の上、木の止、日の上、日
止、土の上、土の止、金の上、金の止、水の上、水の止とし、其れを漢字では甲(きのえ)乙(きのと)丙丁、戊己庚
辛、壬癸としたものが十干であり、其れを二つづつ括り、「木火土金水」の五つにしたのが五行である。

またこの五行(別項を参照)に木星周期(12年、エト)倍したのが 60干支である。所が日本人は五行や十干がシナから
渡来した説と思っている。無論其れは誤解であって元より日本独自の哲理でした。

出家・・・・・・人が其れまでの俗世間から隔離された所の寺社に入る事であり、単なる「家出」とは違う。ただ同じ信
仰者でも身分によって違った。帝や公卿が剃髪して仏門に帰依した場合は門跡とか入道と称した。

帝が佛徒となっても、後白河法皇のように院政と言う形で政治の実権を握ったり、また北条政子が尼御前(尼将軍)とし
て源氏軍に檄を飛ばした話などはテレビドラマでもお馴染みの所です。そうした在家者に対して、出家とは庶民が在家
で信仰する事とは全く違う別の厳しさがあった。坊主頭になり、戒律厳しい仏門に入って修行する事でした。

仏門に入るとは出家・在家を問わず得度・受戒・具戒・度牒(官府)を受ける事であり、従って幾つもの戒律を受けて其
れに従う事であるが、更に出家の場合は僧侶として僧籍に入る事であり、それには先ず妻帯しない事になる。其の厳し
さがあったが故に、「出家」と決まった場合は譬え殺人犯と分かっていても免罪される事となった。

神代に於いてスサノオノミコトが「神やらい」されたように、また罪人が遠島処分となったように、出家制度もある種の隔
離処分であった。従って黒衣を纏えば俗人もすぐさま偉くなるのではなくて、「寺に預けられる」と言う事は寺院に閉じ込
められて僧徒衆の監視下に置かれる事であり、言わば今の「刑務所」と同じとも言える。

また「妻帯しない」と言う事は、本人が例えば反社会的とか、悪い因縁があった場合に、其れをこの世の子孫に引き継
ぐ事が出来ない境遇とした訳なので、故にそれ以上の罪を問う事がなかったものと分かる。

▲しゆつさ・・・・・・・・

出産・・・・・・・・女性が胎児をこの世に人の子として出生させる事。学校教育ではセックスの結果として肉の塊を生
産する行為と教えて来たが、無論其のように見るのは間違いである。更に言えば、人の子であっても先祖の蘇りであ
り、人の子の形をしていても言わば「神の子」でもある。

譬え神様であっても初めから神様として出て来たのではなくて、多くは人の子として生まれて、やがて神(別項参照)とな
った方である。とすれば要するに女性は出産と育児とを通じて神を作るメーカーである。従って気楽な男性とは違って
一段も二段も格が高いとも言える。

其の点からも無責任な男性に比べて女性は、生まれつき人生に対する真剣味が違います。所が最近の女性は色んな
勉強をして出産準備します。でも肝心な事を知らず、また年長者の誰かから教えられても軽蔑して見下してしまう。自分
のムチを恥じることなく相手を小ばかにするのですから驚くほかはない。

殆どが「足らないものは無いかどうか」と物を買い揃えて百点満点と誤解しているので、開いた口が塞がらない。つまり
心の貧しさに驚くほかは無い。此れが唯物的進化論による学校教育の成果です。

工場や台所で肉体と言う物を生産するなら其れでも良いかも知れないが、心を持った人の子を産むのですから何百年
もの実績のある安産祈願くらいは常識として心得て置くべきです(「日立帯」「少子化」「不妊」「利子」を参照)。
また西埜先生の07/3/28日のお話では、日本人と外国人では懐妊の年月が違うと言います。

日本では「10月10日」で生まれるのが当たり前ですが、外人はもっと早いと言うのです。日本の子は、オタマジャクシか
らネズミのプロセス(過程)を経てサルのようになって生まれます。爬虫類--哺乳類の因縁を経験した上で人の世界に
入る形が出来る。其れに「10月10日」の日数を要するのは日本人だけです。此れはしかし世界の例外です。

外国は忙しい為か、其れまで待てずに生まれてしまう。つまり人としては未熟児なのです。競争と争いに明け暮れ、ゆ
っくりしていられない。充分体験できない内に生まれてしまう。なので不安と恐怖の心を持って、スピード社会を生きる宿
命です。と言うのだ。

次に、人の子の出産の場合は頭から出て来ます。其れに対して馬や羊など、動物は足からです。何故でしょうか。

進化論で言う「猿の子孫がヒト」なら、猿と同様に足から出るべきです。だが古来、足から出る場合を世間では「逆児」と
言って来ました。医学的にも異常分娩の1つとして骨盤端位と言う。原因として骨盤狭窄、羊水過多などと見られている
が、本当の理由は別にあり、一言で言えばケモノのように脚で働く使命である。

或いは大陸や西洋に出て働く役割が有るのでしょう。人としての本質を知ろうとせず、何も考えずに本能的・反射的に
素早く行動するのは蟲やケモノだけで良いのです。其の逆に、頭から此の世に出た多くの子供は、蟲や獣とは別の、
人として頭を使って考えて判断する役割が有ります。

出生の瞬間に、其の頭に先祖の魂が入る。別紙の「円系図」を記入すれば、先祖の代表として人が頭から出る理由が
認識出来るかと思う(死去を参照)。所が、こんな話をすれば現代人はイヤーな顔をする。こんな話よりも医学的な処置
を求めて来た。其れならば、人間の誕生ではなくて肉の塊の生産と言う観念である。

しかし07/1月に柳沢厚労相が「女は産む機械」と言ったとして大ブーイングとなった。野党は挙って彼を批難し、マスコ
ミも無論、彼を問題として連日繰り返し放送したが、何れも同レベルであり、女性自身も「産む機械」と思っていた。ただ
其れを他人に指摘されたくはなかった。特に担当大臣に言われたから感情的に反発し、腹を立てているに過ぎない。

▲しゆつし・・・・・・・・
▲しゆつせ・・・・・・・・

出生の意味・・・・・・・・この世に誕生する事。単に肉体が肉体を機械的または労働生産的に再生産する事ではなく
て、先祖の分霊が子孫の体に憑いて、人の子として再生(蘇る)する事とも言える。ただ其の先祖が果たしてどの先祖
であるのか、については別項の「円系図」や「円暦」で見た上でなければ分からない。

例えば先祖の命日が旧暦ならそれを西暦に換算して見直さなければ特定の先祖の魂の復活かどうかを明確には出来
ない。

出生・死亡者数・・・・・・・・04年の出生数が111万721人、死亡者数は102万8602人なので一日平均3043人が生ま
れて、2818人が死去している。しかし05年には逆転する見通し、つまり出生数が107万人に減る見通しから、「日本は
人口減にな」ると川崎厚生労働相が05/12/16日に発表した。とすれば人口の峠、少子化の年である。

06の発表では出生率が1.29としたが、更に06/6には1.25と修正した。少子化の加速である。日本の大多数がモノカネ
主義となり、しかも数年先に破局(未来カレンダーを参照)を迎える。此れを先祖たちが知らない筈がない。だから生ま
れ出て来る子供たちも躊躇い、若いカップルたちも「二の足」を踏んでいるのだろう(西埜先生)。

十方暮れ・・・・・・・・暦注の一つ。八専、十方暮れ、天一天上、一粒万倍日、不成就日、三隣亡、天赦日、三伏日、
土用、犯土・・・等の中、十方暮れ(じっぽうぐれ)は八專(別項参照)の日とは逆に、干と支の気が相克する日。甲申(きのえさ
る)の日より癸巳(みずのとみ)までの10日間をいう。

天地の陰陽気が合わない日なので労して功少なく、新規事の開始や相談事・婚礼など和合事や旅行移転には凶とす
る。また十方暮れの最終日は次の天一天上の日となる。以上http://homepage3.nifty.com/zatsunen/koyomi/koyo_ks.
htm 「暦関連語句解説」より引用。

▲しゆと・・・・・・・・
▲首都・・・・・・・・王都。

首都移転・・・・・・・・古来、日本では「天皇の一代一宮」の制を採り、皇祖の祭りと人心一新を画し、併せて新たな
地域の経済活性化を図って遷宮(別項参照)を行って来た。其の点、今の東京は江戸時代まで含めれば、既に400年
の歴史を此処で刻んだ。この間には関東大震災や東京大空襲があった(「都会」、「東京大空襲」を参照)。

だがその後も東京への一極集中が激しく、ために今は日本の癌となっている。つまり危機管理上、世界でも最も危険な
都市となっている。このため首都圏移転構想が度々浮上したが、何故か直ぐに立ち消される。此れは国家予算の殆ど
が人件費で占められている事と首都圏の人たちの既得権益の保身による妨害工作なのか。

何れにせよ、今は都内に入る車まで規制しようと言う高慢ちきな段階に入った。こうなるとエゴである。逆の立場で考え
れば分かろう。全国民は用事もない東京駅でも無理やり乗り換えさせられ、車も首都高速で都内をグルグル回され、
遠回りして通過するように仕向けられるが、その必要がない人にとっては此れだけですっかり疲れる。

通行人から金だけ取るのは江戸時代の関所並みの悪質さであり、他地域が同じ事をしていない以上は他地域の人に
対してフェアではない。無用の人を渋滞で長時間待たせるなどは江戸時代よりも高度で文化的とも言えず寧ろ最悪の
システムである。もし東京と言う大都会が邪魔してなければ全国民にとってどれだけ幸福だろうか。

他の全国各地と同様に、当然ながら只で素通りできるならば大変便利で快適な旅となる。だが都内に全く何の用事も
ないのに今は関所のような駅やゲートで何度も止められ、混雑に巻き込まれて高額料金まで支払わされるのは至って
迷惑です。

今の都民が其れでも敢えて生存権とか既得権を主張し、此処に居座る自由を守りたければ、少なくとも他地域の人の
通行の自由を確保してから言うべきである。昔から日本人は「他人に迷惑を掛けない」生き方を心掛ける律儀さが美点
だった。だが今は江戸っ子気質が滅びてしまったのか上記の例のように逆に傲慢で横柄になっているのではないか。

以上2点から、都内を通行する航空機・電車・車両は、なるべく早く通過させるべきであり、具体的には先ず一本の幹
線道路を新造して全国民に開放して通過車両を短時間で通過させる事であろう。

▲田中角栄の「日本列島改造論」以来、全国に新幹線や高速道路が出来た。それらが東京に一極集中したが、これ
からは空港も益々出来る。関空も赤字であるのに、直ぐ近くに神戸空港を造った。続いて06/3/16には新北九州空港
が開港した。今や新空港が100ヶ所に迫る勢いです。でもどうしてそんなに造るのか。理由は簡単である。

戦争を始める為であり、其の為に日本を米軍の「不沈空母」とするために全国各地に赤字空港を乱造中なのであろう。
日本列島の特に太平洋ベルト地帯は車の洪水で有事の際には到底役立たない。よって空港を使って防衛しようとする
のだろう。此れが中曽根の「不沈空母」であろうが、自衛ではなくて此れは要するに米軍基地化である。

だがもし将来「不沈空母」が残っても日本人が全滅しては元も子もない。やがて無人島の日本がUSA日本州となって、
米国から植民団がやって来ると言う夢は見たくない。見たくなければ一極集中を止めて地方分散化に転ずる必要が有
ろう(「東京一極集中」、「東京大空襲」を参照)。

戦後の日本は経済復興を果たそうとしたり便利さと快適性を求めたり合理化を目差したが、其の結果が大都市一極集
中となった。特に今気が付いて見れば、日本列島には東京都と言う大きな癌が出来てしまった。此れは交通マヒと環境
悪化の癌である。この悪性癌の為に例えば首都高速にパンク車1台出ても延々と交通渋滞する。

だが警官も出て来ない。パトカーが駆けつけようとしても車列が混んでいて現場に到達出来ない。しかし交通整理や誘
導する警官も出て来ない。事故処理の担当者が2〜3人出るだけで交通渋滞を事実上放置しているのです。日本は役
人天国である。交通事故があってもその他大勢は責任を取らない。土日は当然のように全員休み、時間外も出ない。

そんなお役人たちが何万人いても働かないのでは日本は機能停止である。だから単なる役人天国ではない。譬え経済
大国と言って見ても公共の機能が麻痺しストップしている点では中進国並みである。今の都心では通過車両が2時間
掛かる。よって不必要な排気ガスも大量に発生する。パンク車両や故障車があれば更に2時間づつ渋滞が重なる。

だからもし一朝有事の際は機能麻痺または停止するに決まっている。かつて東京大震災や大空襲もあった。都民は外
に助けを求めるだろうが此れでは他の府県からどうして救援に向えるだろう。東京は大消費地であり、地方にとっては
「お客さんである」と言う意識があった。だが東京は単にゴミの生産地であり、実は環境破壊の癌になっていた。

のみならず危険地帯となっている。ならば東京都は今のうちに潰すほうが良い。首都圏移転案に対して都民が今は既
得権と保身から「ノー」と言い、またこの様な有様なのに石原都知事が次期オリンピック開催地としてに名乗りを上げ
た。それならば先ず都民は高速利用を自粛して、此れを全て都外からの通過車両に開放すべきだ。

同時に人口流入を直ちにストップさせ、建物の新築も禁止して避難場所や空港として常に使える空地で残すべきであ
る。或いは皇居も徳川の借り物に安住させずに、もっとスモッグのない綺麗な地方に然るべき時に遷宮して新築し、新
宮とすべきだろう。

所が石原知事は06/7/20に次のオリンピック2016を招致と発表した。此の年までもし都内がまだ残っていたとしても、
益々渋滞して政府の機能も国民生活も麻痺するだろう。

▲しゆな・・・・・・・・
▲しゆは・・・・・・・・
▲しゆま・・・・・・・・

▲しゆみ・・・・・・・・

▲須弥山・・・・・・仏教の世界観で帝釈天の住む世界。因みに其れを四方から護るのが四天王である。北から東(持国
天王)-西(広目天王)-南(増長天王)-北(多聞天王)-の順に配置される。彼らは帝釈天の下で仕えて各々八部衆を従え
る。下記の須弥壇も参照。

須弥山儀(和時計)・・・・・・・明治直前までの日本の時刻は一日を昼夜に分けて、各々6等分して一刻を一時(「ト
キ」「シバ」を参照)として数えた。一刻の長さは季節で変化する自然時間、即ち「不定時法」だった。

其れに対して西洋から16c中頃、機械式時計が伝来したが、以後も従来のアナログ時間を守るため、日本独自で和
時計を開発していた。特に此れは棒テンプで時間のリズムを刻む目盛りがあり、文銅の位置を其れによって変えて季
節調整をしていた。

此れは今の単純な時計よりも複雑で精巧、かつ自然の時間に対応した優れた時計だった(和時計を参照)。例えば江
戸時代に堺の鉄砲鍛冶が作り上げた和時計に須弥山儀と言うのがあり、現在も数台残っている。

此の天文時計は縦68cm、直径が33cmの円筒状のもので、天空の日月星の動きを今のプラネタリウムのように機械仕
掛けで連動して見せるものでした。動力源は約5kgの錘(おもり)。

▲須弥壇・・・・・・天台や真言宗寺院の本堂にはご本尊の前に須弥山世界をミニチュア化し具現した物として四角四面
の祭壇が設えてある。其処には五方に五色の花が添えられ、護摩や香が焚かれる。また四角の壇以外に円壇を設え
た所も有る。其処は今は何の変哲もない寺であっても昔は相当権威のある寺だったと分かる(天円地方を参照)。

寿命・・・・・・日本ではかつて「人生50年」と言われたが今や平均80年の高齢社会になった。長寿は社会悪ではなく
て何処の世界でも理想としたものでした。だが保険も年金も削られて楽しくなくては長寿となった意味も有りません。政
府が薄情では人生も儚い。

其れなら早く死んで墓地に入ったほうが楽かも知れないが、其の墓地も借地権なのに地価相場の4倍以上の高額永代
使用料をとっている。所が各地の墓地で、江戸時代の墓石が残る所は例外的である。子孫に家屋敷を残しても20年で
廃屋にされる時代ですから余り感謝されない。

或いは目出度く墓地に納まっても永代は幻想であって、墓地の寿命は精々150年と弁えていた方が良い。其の点で寺
を建てれば数百年残っている所が幾らでもあり、中には法隆寺のように1300年の歴史を刻んでいる所も珍しくない。だ
から財産を残して墓石に刻むよりもお堂か小寺でも建てて置くべきかも知れない。

其の点、天皇家は各世代各地に多くの寺を残した。神社ではなく寺でした。だから各地の寺歴と共に曲りなりにも2000
年もの皇統を伝えました。此れは世界一である。其れに比べるとソロバン勘定でアクセク築き上げた企業の平均寿命
は50年、一時の栄華は見ても人生50年より儚いと思うのですが・・・。

▲しゆも・・・・・・・・

呪文・・・・・・日本には、マムシヨケや火伏せ、など実に様々な呪文がありますね。「ちちんぷいぷい痛いの痛いの
飛んでゆけ〜」の類いです。そんな民間の言霊を少しご紹介しましょう。腫物ができたときの呪文:「朝日さす 夕日
かがやくからゆむぎ、よそに散らさでここで枯らさん」。

からゆむぎとは唐蓬の事で、庭や畑などあちこちに生えない内に、ここで枯らしてしまおうと言う比喩です。腫物を広が
らせず、今腫れている場所だけで抑えようと暗示している訳ですね。こういったタイプの歌は、歌の中にわざと呪文の意
図を隠匿する事によって、呪文の力が強まるとされていたのです。

また、同じ語句を反復する事で、力も増すと考えられたタイプもあります。血止めの歌:「血の道や父と母との血の道
や この血は止まれ父のこの道」。そしてもつれた糸を解く歌:「ちゃちゃむちゃちゃ、やちゃちゃが浦の、ちゃちゃむ
ちゃちゃ、やちゃちゃなければ、ちゃちゃもちゃもなし」。

糸の歌は韻を踏むだけでなく、更に糸がもつれた状態を表していますが、その響きに解説なんてもはやどうでもよくなり
ます。裁縫の糸だけとは言わず、人間関係のもつれた糸にも試したいものです。-------以上は、「作務衣の専門館 
伝統芸術を着る会」http://www.samue-e.com/ →まぐまぐ ( http://www.mag2.com/ )より引用。

修羅(シュラ)・・・・・・・・藤井寺市の道明寺天満宮に置いてある二股ソリのような木船。近くの三ツ塚古墳から出土
し、06年に国の重文に指定された。赤樫材やクヌギ材で大きなものは全長約8.8m。当時は此れを使って巨石や石棺を
運んだ。具体的にはコロを使って移動したものと考えられている。

だが当時この一帯は湿地帯であり、半分水に沈めれば重量と摩擦抵抗が減るのでコロがなくても楽に運搬できたと思
われる。

▲しゆり・・・・・・・・

★狩猟・・・・・・・狼は羊の群れの中で一番弱っている羊を追いかけて餌食にします。弱肉強食の世界とは言っても、そ
れ以上獲る事がなかったため自然界は旨く調和していた。アイヌのイオマンテも熊に感謝する祭りをして共存共生を図
って来た。

だがペリー来航当時の欧米は、鯨油を採るために鯨を採り尽し、今はまた人間の欲や単なるゲーム(スポーツ)感覚で
全てを食い尽くし滅ぼそうとしている。

★狩猟採集・・・・・・・縄文時代の暮らしは、狩猟採集であったと言い、其れよりも次の時代の弥生時代は稲作農耕を
始めたので一段と進化した、と此れまでは稲作優越論で説明して来た。だが何れも正しくない。縄文時代とは森の文化
社会であり、立体的な生産力の中で暮らしたのであり、稲作もあった。

ただ和人やアイヌは、多様多種の立体的な豊かな森を潰して、薄っぺらな農地に変えて、其処に単一種の耕作栽培を
する愚を選ばなかったのである。三内丸山では栗の栽培も続けて1500年間暮らしていた。海岸が近いので、天然の冷
蔵庫である海や川に行けば新鮮な魚介類を最終出来たろう。だからゆったりと生活出来た筈です。

また森に行けば、此処にはウサギや熊、イノシシやシカも捕まえられたに違いない。其れに対して水田耕作は何時も多
忙であり、労働集約でも機械化でも、農薬を使っても失敗続きである。其れを知って畑作や水田による一律単一栽培
を選ばない知恵があったと言える。


■しゅん・・・・・・・
◆旬・・・・・・・

◆純・・・・・・・

・・・・・・日は東から出て西に沈むのが順(右巻き)であり、こうした自然の理(普遍の理)に従って人も万事を考え
るのが順当(普通の考え方)であり、其の道理に従えば無理がない。日中活動する人たちは南天の太陽を物事の基準
とした。だが中には西から日の出が有ると仮定して考えようとする屁理屈もある。其れを逆理・逆順(左巻き)と言う。

其れもまた役に立つ場合も有るが、無頓着に使い過ぎれば平気で「逆さ事」をして世間を欺き狂わせてしまうので要注
意。例えばホタル火のような星空の下で暮す人たちは北天の星を基準とした流れが今の近代化である。其れが渡来史
観や進化論科学である。

或いは主客転倒した今の非民主的な税制審議会や何もサービスになっていないのに「受益者負担とか公共サービス」
と言う用語を定着させたお役所の欺瞞性。此れは順当ではなくて不順か逆さ事である。

循環型社会・・・・・・・・高度成長時代は大量生産・大量消費が国策であり、美徳となった。だが今はそうした一方通
行の動脈流だけではなく、静脈流も必要であると認識されて来た。つまり此れ以上の大都市や工業化を進めずに自然
環境と共生する工夫をして環境破壊を食い止めようと言う時代となった。

この為、リデュースReduce減らす(ゴミ発生の抑制)ためリターナブルreturnable回収再使用し、リユースReuse再使用し
易くして、リソースresource資源をリサイクルRecycle再利用して循環しようと言うもの。循環社会のためのこの標語・キ
ャッチフレーズが3Rの原則。でも英語で分かるものではない。

本質的に浪費性向の外国からよりも、江戸時代の日本人の生き方から学ぶほうが確かな知恵が得られるでしょう(環
境を参照)。

▲しゆんさ・・・・・・・・

旬産旬消---------天つ神が季節の作物の旬を賜る事を「旬産旬消」と言い、或いは其れを美味しと認識して味わ
う日本文化。其れに対して国津神が造る季節の物を4里四方の産物として近場で消費する「地産地消」の思想もある。
旬産旬消・地産地消、共に健康増進と省エネにも叶う。

何れも軽薄な欧米風の偽学・栄養学的な見地よりも新鮮さ、そして本来の旨さと滋味に価値を見だす日本の知恵であ
る。別項の「地産地消」も参照。

殉死・殉職-------言葉は有っても現代ではほぼ有名無実。職責と言う看板を名目に屯して飯にしている輩たちが
使う修飾語に過ぎない。職場がある以上、職責と言う立場の責任者はいても国民や社会に対して迷惑をかけた時に責
任をとって辞職することも切腹することもなく居座るからである。

職務中に事故でもし死去すれば、本人に職責の自覚や殉職の気構えが全くなくても周りが気を利かせて「事故死」、で
はなくて殉職とか殉死扱いをする程度である。

順序の理・・・・・・・間違えると断滅因縁となる。月日、陰陽、上下、左右、男女等の事で、「順序の理」と言う神理があ
る。此れを知らぬと大変な事になる。例えば、長男が如何なる理由にせよ親を捨てれば断滅の運命となる。親元も同じ
である。また次男、三男が長男より先に結婚すれば、断滅の運命となり、やがて女性ばかり生まれて断滅因縁となる。

判らない時は教えて貰いなさい。判らないのに知ったかぶると、やがて気の間違い(気違い)となってしまう。其の様な
人を「偉いさん」と言います(以上は「一神会」会報06/12/21号より引用)。

◆順番・・・・・・・

春分の日・・・・・・・以下、ヤフー知恵袋に回答した中から記述する。回答日時: 2008/3/22 18:56:25 回答番号: 47,
706,757 ----春分の日と、秋分の日は地平(または水平)線からの日の出と日没が東西線上になりますので、方位磁石
がなくても正しい東西を知る事が出来ました。

なので其れに直交するラインが南北ですから、南北も自動的に知る事が出来ました。そうすると、カレンダーがなくても
1年間の暦まで知る事が出来ました。1年を円とすれば、其れを四方で割れば四季を確定できたのです。

また彼岸の中日は昼間と夜が同じ長さになる日ですから、この日の日没を拝みますと、自動的に西方浄土の先祖に祈
る事にもなりますので、古来日本では、此岸(此の世)から彼岸(あの世)の先祖に対して感謝し、または墓参して来まし
た。例えば南大阪でも、お彼岸には先ず墓参します。

でも今の若い人たちは休日も祝祭日も買い物かレジャーかな? 因みにお彼岸は年に2回有って、春のお彼岸と秋のお
彼岸とは季節が逆になるだけです。 次は回答日時: 2008/3/20 19:14:13 回答番号: 47,613,785 -----春分の日(彼岸
の中日)は日の出入り角度がほぼ東西線に走ります。なので日没の時刻が略6時で真西に沈む。

其の方位が西方浄土、つまり極楽が有ると信じました。その方角に向かって先祖に祈る事が此の世の岸から、あの世
(彼岸)に祈る行為となりました。詳しくは「日知り」http://hijiri.tamajiri.com/を参照。


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