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http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page110.html(未定稿)


  日知り事典   周忌〜周尺

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・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆★●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

▲自由・・・・・・・・下記の「自由民主」で述べる。

周忌・・・・・・次ページの「13佛信仰」、及び別ページの「年忌」を参照。

宗教・・・・・・・・元の教え。神仏を祭る教え。人と動物とを区別するのは言葉や道具を使うかどうかではない。本能に
従って生きるか、其れとも神仏を祭るかどうかの違いであり、或いは更に自分の意思だけで行動するか、其れとも先人
の教えに従って自分を律して生きるかどうかが宗教性である。

宗教性は、人間として最も尊い観念であり、特に宗教と言う場合は、特定の時期に先人や神仏を一定の暦法により祭
る行為である。暦法とは今のようなカレンダーとは全く違う。暦とは天と人と地を繋ぐ理法であり、天地一体の「祭政一
致」の道理でした。其の祭り事の道理が言わば宗教である。

宗教とは「元の教え」であり、「元の教え」とは天地に通じる普遍の原理であり、其れは天体の動きで合意形成する事で
した。つまり天の暦を知り、地(足元)の先祖を弔って、蘇り再生する事を祈る行為でした。其れには此の世にも彼の世
にも通じる普遍の原理としての因果律を教える事であり、今風の仮説・進化論を説いてはならない。

暦法も今風のカトリック式・偽太陽暦で誤魔化してはならない。何れも物ではなくて心が主体となる。以上の点から見れ
ば、在来の宗教は殆ど此の「宗教」とは異質の権威、もしくは既得権益、もしくは集金・集票を目的とした宗派拡大を狙
う組織となってしまった。

よって此処で推薦できる所はない。ないとすれば以上の点に留意してご自分でご自分の先祖を大切にして祭りをする
のが一番と言えます。宗教とは宗(もと)の教え、親や家の教えである。それが日本の伝統的な風習となった。とすれば
信仰を自分に取り戻すべきであり、他力本願で貴方任せにしてはならない。

先祖は本家だけが守る存在ではなくて自分の一部であり、本家に預けていると思うのは良くない。或は祭り事を政府に
任せたのが祭政一致の時代でした。戦後は其れがGHQ指令によって逆の政教分離となった。

政府は其れを良い事にして靖国神社も祭らず遺骨収集も怠り、国民は其れで享楽的になったが道義は退廃して犯罪
多発の社会にした。宗教を嫌って貴方任せにした事が良くなかった。とすれば、先祖は自分の一部(円系図を参照)で
あり、自分の物であると言う意識(信仰・宗教性)が必要です。他人任せでは自分を失う事になるのです。

ともあれ人と宗教と暦法と祭りと政治とは本来一体不可分の関係にある。こうして祭り事(政治)のための制度として税
法、科学・学問が発展し、併せて事務職としての官吏の職掌が定まり、各地に各民族が広がって多彩な文化を花開い
た。或いはその神域を守るための暦制や度量衡制や刑法、治安が定まり、社会の組織化となった。

また神仏に捧げるために文学や芸能・芸術・美術・音楽が発展・継承され、其れに伴って各種の教育も行われた。併せ
て神に捧げる工学・技術・料理、或いは建築様式が発展した。人のためには方位学、医学と言う教育も行われた。所
が世界各地で温暖化と共に食糧増産と人口増加となるに従って戦争が続くようになりました。

人の心が薄れれば欲望のコントロールが出来ないので、やがて欲望のぶつかり合いに伴って発展したのは戦争と兵
法であり、軍事科学でした。その副産物として物質科学が目覚しく発展したものの、此れは自然のものを人工的に加工
するテクノロジーに過ぎなかった。そうした技術が発展しても良いが、宗教は本質的に発達しなくて良い立場です。

此れは保守すべき役割が強いからです。其れが逆に近代は物質科学が発展したために、商品経済と物質科学万能主
義と変わって、政治的には分散よりも統一が善と誤解されるに至った。過去を否定し、前文化や伝統を軽視し、少数者
が多民族を統一支配するためには、多岐に分かれた暦法や宗教が邪魔になります。

ですから祭政一致体制をやめて、祭政(政教)分離と言う方便を使ったほうが誤魔化し易い。其の目くらましが見事に
成功した日本では現在、精神的な文化を伝える宗教のような分野は先ず第一番に強く批判される側に立たされた。多
数の人々が心の底から感謝し歓喜する事を忘れて、便利さとモノ集めにだけ執着し出した。

そして寧ろ、世界の戦争の原因と責任が総て宗教に着せられて来た。しかし今の政府が行う実力の伴った治安や防
災、或いは文教教育が実質的に旨く機能しているかと言えば矛盾ばかりで弊害が多い。巨額な税金を徴収する政府の
行う立法、司法、行政が今は諸問題を解決するのではなく、寧ろ矛盾を再生産する所となりました。

例えば自由や人権の看板に隠れて無責任となり、軽薄な浪費社会にしている。其の暴走を止めたり矛盾を解消して来
たのは実は民主政治ではなくて宗教であった。納税した上、個人が会費で賄う各種の宗教基盤による貢献が政治の失
政をカバーし、更に社会浄化を果たして来たと言える。

政治は利権の政争だけだったが、諸宗教はその叡智によって長い期間かけて人々の良心を培い教育した。また其れ
を支持する人類がいた事が幸いでした。底辺に広く染み渡った宗教基盤が崩れ行く社会を押し留め、或いは世俗の中
から良い文化を守り、或いは優れた学問・芸術を支援して残した。

其れに対して逆に作用する唯物的で反動的な人達の犯罪を防止し、公序良俗を守って来たのではないか。何れにせ
よ宗教は人類の築いた文化遺産と言える。譬え大多数の人が宗教を批判・断罪し、否定して、「自分は無信仰・無信
心」と自慢して見ても、其れは無知の公言でしかない。

そうした輩も実は無料で、何の実権も持たない少数の信仰者や宗教者たちの支える社会の恩恵に浴している筈であ
る。それに冠婚葬祭と言う人生儀礼を通じて何らかの宗教の世話になります。宗教嫌いな人でも必ず生まれ、そして死
ぬ時が来る。だから嫌っていても始まらない。

嫌うべきは宗教ではなくて其処まで心身を汚した利権やイデオロギー(異教性)なのです。今は日本人同士が争っては
ならない。本当の敵は渡来の宗教である。政教分離と言い、宗教嫌いと言っている間に日本はすっかりバタ臭くなり、
欧米流のキリスト教社会に組み込まれてしまった。ですから他人任せでは自分を見失う事になるのです。


宗教嫌い(非宗教性)・・・・・・・・「宗教は金が掛かるから」とか、「宗教が戦争の原因だから」とか「宗教は非科
学的だから」と言って嫌う事。だが宗教とは元の教えと言う意味です。ならば日本古来の宗教は先祖祭りです。此れは
蝋燭と線香と花程度だから、毎日していても金はあんまりいらない。寧ろ、要るように仕向けたのが今の宗教です。

或いは祭り事を政治として徴税し銭集めしてる今の政府です。勉学一辺倒の余り、其れに直接関係ない宗教に拒否反
応したり、或いは「食わず嫌い」から無心論者を気取り、自慢しているケースが無信心である。宗教を嫌(否定)って宗
教音痴になる人が特に戦後の日本で多くなった。

だが「非宗教が科学的で進歩的」と誤認しているのは今の日本人だけである。

非宗教化した分だけ、エコノミックアニマルと化したので海外からは日本人全体が軽蔑される事となった。日本人が憧
れる、かのフランスでさえ、「この世に存在して欲しくない国は日本」と言うアンケート結果である。宗教嫌いの宗教音痴
が宗教に免疫性がない為、手を変え品を変えて新興宗教や如何わしい占いが出るたび其れに簡単に引っかかる。

そんな人間でも単なる物質や機械ではないので、一人前に人生儀礼に立ち会う筈である。日本では毎年歳時記に従っ
て盆・正月があり、また人生の節目には家族や友人の冠婚葬祭もある。古今東西、此れは風習と言うより宗教文化の
一端としてなされる事柄です。

宗教嫌いの彼らでも誕生も死もやって来るが、其れは神社や寺院、或いは宗教団体など、何らかの宗教によってなさ
れる。其れを彼らは一々拒否するのだろうか。また観光旅行で海外に出ても、例えば世界遺産の半分は宗教施設であ
る。「宗教嫌い」を押通すならば、彼らは人生儀礼でも観光地でも宗教的施設や精神を除外して参加するのだろうか。

とすれば自らの狭量で自分や周りの人生を狭める事になる。そうした彼らの価値観が正常なものなら何も言う事はな
い。何をどう処理しようとも自由であるが、誤解による判断は頂けない。問題は彼らの狭い価値観が宗教とイデオロギ
ー(異教性)を混同している点です。

例えば学問や科学に限ってみても、其の由来は過去にあり、原因は未来ではなくて昔にある。だが昔に遡るほど宗教
色が強まるのです。この場合、宗教を拒否しては見えるものまで見えなくなる。其の例が考古学の失敗である。

考古学者、西洋式の歴史学者、そして発掘関係者たちは宗教に無知な上に、古の東洋の宗教はアニミズムとシャーマ
ニズムだと言う先入観で見下して来た。そうした誤解と固定観念からは正しい判断も結論も導き出せなかったのです。
文学でも読書でも、宗教を否定して判断すれば半分しか理解できない。

のみならず時間や費用を掛けても本質が理解できない。或いは宗教に無関心の余り、思想もイデオロギーも分別でき
ないし其の本質も知らないで他の物事を判断し、裁く公務員の立場ともなればハタ迷惑である。ご本人が宗教を拒否し
て動物的な人生を歩むのも其れは自由である。

無機的で数量的・機械的な価値判断が「文化的」と誤解して其れに満足するのも結構である。薄っぺらで詰まらない銭
金やセックスしか話題にしない人間たちとだけ付き合って「心が通じない、友達がない」と後悔するのも自由でしょう。

だがそうした哀れな大多数の日本人を相手に幾ら激論を戦わしても平行線であり、話し合いが無理。時間の無駄と分
かって実に疲れる人も後を絶たない。人間性を失えば非宗教性に傾く。そうすると動物性が強まる。動物と人間とは話
が出来ないし、話し合うのは無理であるから話が通じない。

無信心者は嫌いなものを拒否するだけであり、理解しようともしないために真の人間関係が出来ない。また彼ら動物系
の誤解による主観と偏見によって他人を不当に差別し評価する。此のため他人を困らせているケースも多い。従って
宗教嫌いは社会的な損失であり罪悪である(「最後の審判」を参照)。

宗教性・・・・・・・・人が神仏を信仰している度合い、或いはある物事に宗教色が見られる度合い。但し政治と学問
は政教分離の原則を標榜して宗教性を排除した所にあると言う立場です。しかし皇室はじめ歴代の首相など多くの日
本のリーダーたちがキリスト教徒であるし、公明党のような創価学会丸抱えの政党が与党である。

とすれば先の原則は嘘となる。学問もまた其の素性は全て宗教から出たものである。極論すれば、政治も学問も宗教
性を否定すれば歴史を否定する事になるので、先の政教分離と言う原則は欺瞞と言える。「宗教性があるのがいけな
い」と言うのではなく、あるものをないと否定する事がソモソモ間違いなのです。

但し神仏を信仰する事と其れに便乗する事とは区別しなければならない。神仏を信心する事は人間として実に貴い精
神性です。けれども他方、其れに便乗して祭り事を独占し、或いは団体を作ってゼニ集めすると言う行為は宗教性では
あっても営利活動に近くなる。

また例えば西欧の皇帝は王権神授説を利用して自力で築いた権力を正当化したが、この場合は皇帝が人一倍信心深
かったからではなくて、自分の保身と権力に神を騙り宗教性を利用しただけである。よって神のような立派な事は出来
なかった。寧ろ世界で植民地を作り、巨大帝国とするために大量殺戮をして来たのが民主化と言うキリスト教である。

宗教戦争・・・・・・・・人は「宗教は構わないが戦争は悪だ」と言い、或いは「戦争を起こすのは宗教対立が原因であ
るから宗教は悪だ」と見る人もいる。結果的に見ればそのようにも見えるが、大東亜戦争が宗教に起因したと断言でき
るだろうか。日露戦争でも日清戦争でも宗教が原因ではなかった。

確かに此れまでには聖戦とか「十字軍の遠征」と言ったものもあった。だがそれらは宗教や神の権威を利用した利害
や利権戦争である。一番の原因は宗教よりも権力や利害であり、次は無知と無理解である。後者については「三族の
習性」と「日月星の暦法」を参照。憎むべきは宗教ではなくて其処まで心身を汚したイデオロギー(異教性)なのです。


周期律・・・・・・人は生まれて以来、休み無く息をしています。息はリズムであり、リズムがあるのが生き物です。
さて例えば「象とネズミ」の寿命には大きな差が有り、其れは体の大小に比例した心臓の鼓動(心拍数)と関係する。人
のリズム(体内時計や寿命)もまた同様に、心臓のリズム、即ち時間当たりの周期律と連動している訳です。

また例えば真竹の寿命が凡そ60年であり、世間では「其のときは一斉に花が咲く」と言う知見を持つ古老や知者が必
ずいるものです。だが木星が12年、土星が60年、帚星が76年と言う周期を知る人はもっと少ない。地球の周期では
太陽が銀河を一周する25800年でマクロの四季を彩っている事を言う人があれば笑われる。

けれども其れは古代から知られていた時間当たりの周期である(別紙の「日読み」「星読み」を参照)。
其れよりも人は、好況と不況との景気循環が略何年単位で繰り返すとか、次の戦争は?とか、地震は何時またやって来
るのかと言う話の方に関心が向くものです。

其れについて世間では常に色んな予測と講釈がなされ、それは西洋では常に「7」であり、東洋では十二年とか六十年
と言った具体的な時間(数字)で示される。でもその数字は一つの信仰から観念的なパターンとなっているので注意す
べきです。

周期とはリズムや波、即ち、一回りの時間であり、渦の周期です。其れを日月星などの内、どれを基準とするかで世界
観が違って来るものです。例えば日周運動は一日単位で365日を刻み、エトは十二であり、月は略29日で循環する。し
かしこれらは一つの目安であるから全てに通じる便利な係数とか真理であるとは言えない。

しかもその数字は、本来は方位と言う基準から出て来る単位であり目安・物差しなので、混同すれば人を惑わす。特に
世間にデマわる諸説は、数詞に魔力とか「数霊」でもあるかの如く、一つの数字そのものが万能であるような仮説を強
調して説いたり、或いは其の数で虚構を作ったり「数の論理」にしてしまうから予測にならない。

更に日本人は四を死、九を苦と見て忌み嫌う性向があるが、これも根拠に乏しい言霊迷信なので、占いの根拠にして
はならない。序ながら言葉は国によっても違うし人類の言葉は猿にだって通じない。此れもお互いの周期が違うからで
ある。其処で以下、本来の周期律の根拠としての数詞の意味について、天体との絡み(時空)から略説する。

尚、周期律には、このほか「元素周期律」などがあるが此処では除外する。

・・・・・一つの太陽、または月、または北極星の事で、この内、何れを神として信奉するかで当然、違った解釈になる。
この内の特定の星だけを唯一絶対の価値観として全ての基準としたのが一神教や原理主義である。つまり1以外は全
て間違い、またはランクが下とし、もしくは敵とする極端な観念。

・・・・・日月、父母、陰陽、左右、東西、子午、表裏、善悪など、相対する概念であり、点と点で線になる。或いは例え
ば今のデジタル方式も振り子式二進法である。ですから此れを濫りに使えば事実も矛盾した二つの基準、もしくは二元
論となり二律背反になる。

・・・・・3は奇数であり、または3点で三角形を作る。日月星を三星と言い、定点からこの三角関係(ないし三位一体)
で天体観測をすれば略妥当な結果を導き出せる(それが暦法である)。天象と地理の整合のために古代の口分田法な
どは三進法を基本とした。三の倍数は水の周期であり、作物の成長にも機能した。

作物は水の持つ三拍子で成育する。つまりワルツが良い。次に三角形は例えば後述の八方(九枡)の理法によれば、
実は四角形になる。方形を3で割り、3×3=9とする形です。そうすれば3が実は4になる。ワルツとブルースのリズムが
月のリズムになります。水の世界は3ですが、月の世界は4=方形(領地)管理の世界です。

・・・・・十文字と方形。子午線と東西線の交点、つまり定点から四方を見れば四季が観測・識別できる。要するに4は
交点、四つ角であり「結び」にリンクする。定点から等間隔で四方を計れば方形となる。凡そ布地・領地や建物は四辺
形であり、面積になる。4拍子のリズムは演歌やブルース。踊りならスクェアダンス。

・・・・・定点と四方で五方と言い、この関係で見た世界観を五行と言う。従って前項の4とリンクする。特に五は「五行」
の基本であり、円と方形との関係式である。其処から五色と五星(辰・太白・螢・歳・鎮)が重視された(星読みを参照)。
また天気は四季により移り変わり、五風十雨のような周期性が有ります。

ただ其の循環が崩れる事が多ければ異常となる。此れを異常気象と言っているが誤解である(天人相関性を参照)。
誤解したのは洋式の頭で対処するからである。また現代の五行の解説は主として西洋式または軍事的な星型五行説
であり、ペンタグラムと言う形の五角形星型図式を使うので本来の意味とは違う歪んだ答えになってしまう。

因みに米国・国防総省をペンタゴンと言うが、其れは五角形の建物である。

・・・・・1年366日を一つの円として其れを六分割して六季とすれば一季が61日単位になる。因みにかつて六地蔵と
か六斎念仏の風習があり、更に仏教には六道輪廻の教えがあるのはこの6を基準とした因縁話である。また18×6は
108となるが此れを煩悩の数として説いた。

また雪の結晶は三の倍数の六角形であり、或いはダビデの紋章もイスラエルの国旗もダブル・ベルタ、即ち六角形で
ある。

・・・・・欧米(星の世界)では古来、ラッキーセブン信仰が支配する。聖書に「神は7日で此の世を創造した」とあるから
です。夜空にも北斗七星が廻っていますから此れを時計として、或は7つの惑星から七曜カレンダーを作った。7が完全
数であると言うのです。そうした信仰から多彩な虹を「七色の虹」としたり、音楽を7音階と決めた。

また天空を円として、其処を進む天体を黄道28宿に分割すれば四方に7宿配当する事も可能です。或いは北斗七星
の動きが古来、天空の時計盤であった事から遊牧や海洋民にはラッキーセブン信仰が行き渡った(星読みの7星を参
照)。

また聖書には「神がこの世を七日で創世した」とあるため、7を完全なる聖数と信じてユダヤ教は「七枝の燭台」をシン
ボルとし、キリスト教の天使も使徒も7人に限定する等、西洋では何でも七並べを好む。此のためラッキーセブン信仰
が根強い。よってカレンダーでもこの七曜信仰を基本とし、虹は七色、音階も七音階と決めて来た。

だが元々七彩や七つのリズムの根拠はない。日本でも方位を忘れて単に数字だけの因縁を信奉する種族が北斗七星
を七星妙見信仰と言い、或いは七福神信仰に繋げたり、先の28宿や人の死後7×7=49日とする風習を定着させ
た。以上から7は要するに北斗七星。妙見信仰。キリスト教の七大天使。七曜日。ラッキーセブン信仰。

次はインターネットから引用する。[12]お初です 05/12/16 03:40 jADTc56amj「7」は、聖書の「創世記」から始まって、
「ヨハネの黙示録」に至るまで、随所に出てきます。神聖な数なんですね。一週間の単位も、ここから来ていて、インドに
も伝わったと、百科事典に書いてありました。

だから、中国経由で日本にも伝わって、「初七日」とか、「四十九日法要」なんていうのがあるんですね。六角形や八角
形は、人間の手で作れても、七角形は、人間の手では、厳密には、正確に作れないんですね。このことからも、7という
数は、人間が侵すことのできない、神聖な数だということが、わかります。

[13]ハンザキ 05/12/16 06:54 *M/A6z.rzbuy*b6z/yzrzyV自然界でもわりと特別視されてそうな数字です。正七角形の
面を作る結晶構造はありませんし、基本形が七枚の花弁を持つ植物もありません。動物にも例えば基本七点対象の
体を持つヒトデやクラゲはいなかったりします。

と、例を挙げてみましたが、考えてみたらこれ9でも同じなんですよね。むしろ自然界では5が特別なのかも。

[22]オニアニ 06/01/20 22:27 3O5CrG9qMm「初めまして」。興味有るテーマです。[12]お初です様の説に同感です。此
れはユダヤ・キリスト教の七曜信仰、ラッキーセブン信仰ですね。今の日本人も其れにどっぷり浸かって曜日ロボットに
なってしまったのが残念です。ただ七角は以外に簡単に作れます。

数字では小数点になるので煩雑ですが、実際の作業は七つの玉に10cmの針金か糸を付けて輪にすれば七角でも七
角形でも簡単に出来ますから「案ずるより生むが易し」です。また次の[13]ハンザキ 様のご意見には少し異議を述べた
い。

正七角形は知らないが、植物の基本形は偶数が少なく奇数が多くて、三、五、七枚も例外ではなくて九でも同じなんで
すよね。つまり聖数ではなくて自然数と言うべきです。

・・・・・四方の倍数が八方である。何れも方位を等価的に見たものです。此れにはヤタの原理や曼荼羅などがあり、
その倍数が蓮、更に倍数化したのが16弁菊花紋である。しかし自然界には四葉のクローバも8弁とか16弁をしたハス
や菊は極めて少ない。無いのを紋章にしたのは蓮や菊ではなくて方位と法理(法華・ダルマ)を示す為でした。

・・・・・今の社会は10進法を基本としているが、古代の口分田法などは三進法を基本とした。従ってその二乗が九に
なる。これは前記の八方(九枡)の理法による。従って古代シナでは九を陽数の極として一番上に評価した。定点と四方
で五方と言い、この関係で見た世界観を五行と言う。

其処から五星(辰・太白・螢・歳・鎮)を重視し、更に八方に広げて九星とした。此れが九星循環の一白、二黒、三碧、
四緑、五黄、六白、七赤、八白、九紫である。其の配置が年月・日時により一定の動き方で移動すると見て占ったのが
陰陽道(九星術・気門遁甲・四柱推命)の吉凶判断である。

基本の配置は一白(北=坎カン)、二黒(西南=坤シン・ゴン)、三碧(東=震)、四緑(東南=巽ソン)、五黄(中央)、六白(西
北=乾)、七赤(西=兌)、八白(東北=艮ゴン)、九紫(南=離)であり、一白は水星、二黒土星、三碧木星、四緑木
星、五黄土星、六白金星、七赤金星、八白土星、九紫火星とするのが一般的。

また此の数字は縦横斜め全方位に対して〆て15で完結する(魔方陣を参照)。

10・・・・・前項の九の次は一番低いゼロに戻る。渦が一回転して次のステップのゼロ点・原点(振り出し)に戻った数で
ある。ただ一桁アップした意味で1をゼロに付けて10とした。今の数学は10進法である。此れは両手の五指で10にな
り、此れで十分(充分)完結、と見る観念である。

だがこれは広い自然界を見ずに、自分の両手の指を数えただけの蛮族の数観念であり、特に進歩した算法とは到底
言えない。ハイテクの基本であるデジタル二進法でも特に不便がない訳です。しかし現代文明は此の何の根拠もない1
0進法でマクロからミクロまで数えて規定している。従って其れで分割した概念は全て何の根拠もないものと分かる。

ともあれ10は五角星形をズラせて重ねた形に過ぎない。

11・・・・・太陽の周期は略11年であり、其れが日本人の気持ちを高揚ないし停滞させて例えば日本の景気の波を作
る(日の暦の「太陽の黒点数」を参照)。

12・・・・・全天を360度として見た時、木星の周期が全天を30°の角度で移動するので丁度旧暦(厳密には太陰暦)
の12年の節目に再び元の位置に戻って来る。其処から12をエトとし、一年間も12の月で分割した。それを観測する四
方・四季と絡めて五行循環を掛けて60干支とする数字循環暦が成立した。

でも方位を外してこの12の数字だけに囚われると、人は12エトで性格も運命も分類できるし、また景気循環や戦争の
周期も此れに符合するように思えて来るので見間違う。また例えば06年夏にチェコのプラハで開催される国際天文学
連合の総会で新惑星12ヶが決まる。

国際天文学連合(IAU)が新定義を提案してセレス、カロン、第10惑星を加えて・・・計12個になる可能性があった。しか
もIAUは、こうした惑星候補がセドナや小惑星のベスタ、パラスなどあと12天体があるとして此れも検討候補に挙がっ
た。さて12と12、どうも彼らは12の数に執着する。

少なくとも同様の星が50ヶほどあると言うのに、EUのマークも12の星であり、何れもキリストの12使徒やユダヤの12支
族に起因するようである。つまり信仰的な観念によって科学的な根拠を今も変更しようとした訳だが、今回は何とか回
避できた(惑星を参照)。

以上、12の数について、纏めれば、12方位。12支・エト。天球12星座。木星の周期。1年12ヶ月。ユダヤ教の12支族。度
量衡の1ダースの数。

13・・・・・一年間は必ずしも12月で完結するものではない。此の為、例えば太陰暦などでは5年に2度の閏月を入れて1
年を13ヶ月にした。下記の13仏信仰も参照。

15・・・・・・・・九星学の基本は魔方陣(別項参照)である。此の形は縦横斜めの何れの合計も此の15になる。つまり15
が方位と物事の整合する完結の数字である。数字が完全に働くのはこうした方位の裏づけと物質的な現物が有る場合
です。

16・・・・・四方の倍数が八方であり、八はヤタの原理や蓮形の曼荼羅であり、その倍数が16弁菊花紋である。また其
の倍数が32、次が64(遺伝子、八卦を参照)となる。

18・・・・・18日は観音様の縁日。9の倍数が18だが縦横18マスの場合、四周が72マスの碁盤となる。此れを囲碁で
は19目×4=76目として読むのだろうか。また18の2乗が324、そして18の二十倍が360であるが、324は27宿及
び1ヶ月(恒星月と分点月が27.32)の倍数である。

19・・・・・四角四面の碁盤の目が此の数である。御堂のシトミの桟の数を仮に19本とすれば四面で76本になる。そうす
れば定期的にやって来るハレー彗星を一点で確認できた。事実、ハレー彗星の76年周期を基準に19年づつに四分
して暦法としたのが四分暦やメトン法である。

四分としたのは1年を御堂(別項参照)の四面で割って観測したからである。

21・・・・・・・06/12/21日にトルコのニヤゾフ終身大統領が死去した。ニヤゾフ大統領が21年間統治して21日に心臓病
で死去したが、彼は92/6/21日に再選されたので21日は因縁の日である。しかも此の命日はスターリンの誕生日であっ
た。またスターリンの出身地であるグルジアの現大統領(サアカシュビリ氏)の誕生日も12/21日である。

因みにペルシャ文化圏には12/21日に生まれた子供を「悪魔の子」と呼ぶ迷信もあるとか(06/12/28朝日)。

24・・・・・四方×三ヶ月が一年12ヶ月である。また太陽の黄道を24に区分して季節感を具体化したのが24節気であ
り、更に細分化したのが72候である(別紙の「図説」を参照)。尚、毎月24日は地蔵様の縁日として来た。因みに六地
蔵×4が24になる。

・・・何れも単なる数字に意味があるのではなくて、一回りの渦(一巡する命)に何回の波があるかを方位で分割して見
たものである。

27・・・・・円を三等分して各々九星を位置付ければ27宿になる。インド系の宿曜経では古来27宿として来た。

28・・・・・太陽の黄道を月が朔望を繰り返しながら略一月で巡回するので、其処に関わる特定の星座のグループに特
有の名前を付けて宿としたものが28宿である。高松塚古墳には4方位×7星の28宿がハッキリ図示されていた。シナ
でも此の28宿を採って来た。また女性の生理も略この周期で繰り返すので月経と言う。

29・・・・・上(月の周期)に同じ。

30・・・・・月の周期(朔望月が29.5)であると同時に土星の周期(360:30)である。全天を360°と見れば、土星は略3
0°、もしくは旧暦(太陰暦)の30年に一度、元の位置に戻る。其処から全天を30°づつに等分して、30×4=120
とした。また其の1/2で最大公約数の60干支として数え、更に30×12=360となるので360度法を成立させた。

同時に一年12ヶ月で一ヶ月を30日とする暦法も成立する。だが方位を無視して西暦のように数字だけ追えばこの原
則は無意味となる(星読みの「ダビデの紋章」を参照)。

32・・・・・四方、四季、そしてヤタの原理など、八方の先祖を曼荼羅の形とし、或いは蓮の形に図示して説き、更にそ
の形を倍数化したのが16弁菊花紋であり、更に倍数化したのが32方であり、其れに元の定点(自分)を置いた地点を
加えた理念が33ヶ所観音霊場である(但し今は誤解されたまま)。

33・・・・・前項の32+1の法理。

36・・・・・6×6は36であるが、12×3、即ち一ヶ月を十日刻み、即ち一旬として数えると年に36旬を数える。口分田
や条里制、そして土地区割りには三倍数から九画を基本とした。其の四方倍がこの36であり、外にも和歌では三十六
歌仙を選び、今も其の絵額を拝殿の鴨居に掲げる社寺があり、例えば壁の四方に九枚づつ掛けて36枚とした。

だが36に格別意味がある訳ではなくて、例えば京都東山36峰(別項参照)と言っても如意が岳から稲荷山まで実際其
れほどの峰がある訳ではない。

寧ろ此れは金閣寺や御所の御堂の東面を36に区切って景色を分けて見たものであり、其のスパンで36×2の4周が
288となるので月の巡りを数え、または36×60方で2160年とする天文単位(シトミを参照)を確認したものと推定できる。
    
48・・・・・12×4倍、または24節気の二倍。此れについて文字では「縺v(桑)の字で示した。またイロハ48や相撲の四
十八手がある。外にも箱根峠のイロハ坂、或いは各地の48滝などの名所、其れに赤穂浪士の47(48)士、そして今は
都道府県の47知事。或いは人の死後を7×7=49とする先の七仏事が有る。

49・・・・・49は48プラス中心点1で49とする法理を説いたもので、弥勒信仰と薬師信仰の聖地巡礼の原理であり、行
基の49院にも見られる。

60・・・・・全天を360度として見た時、木星の周期が全天を30°の角度で移動するので丁度太陰暦の12年の節目
に再び元の位置に戻って来た。其処から木星を歳星と呼び、歳星の作るエトを12で数え、それを観測する四方・四季
と絡めるため五行循環を掛けて60干支とする数暦が成立した。

また土星は全天を360度とするとき、三十年周期で回帰するので、この合一を確認する方法として、六十干支の一巡を
太陰暦の還暦とし、時刻や度量衡も60進法とした。でもこの数字だけに囚われると、景気循環や戦争の周期も此れに
符合するように思えてしまうのです。

64・・・・・東洋には四方×16方で64のパターンで見る八卦の原理が三千年前からあった。それに対して近年は生化
学の面で遺伝子工学がDNA遺伝子について四種類の塩基が16のパターンを作って64のゲノムパターンを構成する
事に気付いた。でも其れはヤタの原理や円系図で大昔から分かっていた事である。

72・・・・・先の12を6倍、18を4倍・・・と言う風に整数倍で再分割して、更に詳しく見たのが72であり、実際、72候とし
て旧暦で使われて来た。条里制や土地区画も碁盤の目のようになっているが其れはこの72の升目である。72を5倍
すれば360となる(太陰暦)。逆に言うなら、72候では略五日ごとの細かい節気で季節感を知る事が出来た訳です。

いや寧ろ地球の自転も歳差運動からこの72のリズムで星座が移動したので太陰暦では古来一年を5日刻みに等分し
たものを72候とした。銀河を回る太陽の一年もこの72×30=2160年×12エト=26920年と言われる。次は余談
である。

72を「数の論理」で金利計算で使う場合、72を年利(%)で割れば元金が二倍になる期間が出るので、これを「72の
法則」と言うそうだ。

76・・・・・19×4の事。御堂の様式は、ハレー彗星が76年周期で訪れる事をハレーが算出する以前に、紀元前から
既に古代人が知っていた事を示すものである。例えば19本の桟の格子戸の蔀戸を四面に嵌めた御堂から天体を観
測すれば、19年の四倍の76年目にこの彗星が再び同じ桟の目に戻って来る。

其処から19年に一度の閏月を置いたのが古代の四分暦やメトン法でした。四分暦としたのは御堂の中に座して四面
を観測して四季の暦を編んだからです。

88・・・・・八方を重ねると言う意味、及び漢字で88と書けば米の字になる。米作地帯の聖地「四さい国88遍路」を参照。

108・・・・・釈迦は人間には108もの煩悩が災いする事を説いた。此れは18×6の数字とも意味が重なる(「煩悩」を
参照)。但し歳末の大晦日の除夜の鐘が、108の煩悩の数に合わせて突くと言われていますが、実は1年12ヶ月と24節
季、其れに72候を合計した数が108つ。強弱54づつで108回、突くのだと言われます。

122・・・・・122×3が366になる。つまり366の約数である。例えば銅鏡の櫛目紋様が此の数に合致する場合は、
其れで366日の太陽を方位で観測した暦盤だった事を示すものです。

342・・・・・・月の暦の1年。28.5×12ヶ月=342日。古今和歌集の四季342首。

360・・・・・・太陰暦の1年の日数。円の一周の角度(全方位)。時刻と度量衡の基本単位。

366・・・・・一年は365日であるが、方位と重ねるには366方として見なければならない。例えば2/29が慶弔日の
人もあり、その人にとって誕生日や命日が四年に一度しかないのでは合理的ではなくて不当であるからです。

1260・・・・・・21×60=1260年。詳しくは「しんい説」を参照。

▲しゆうく・・・・・・・・
▲しゆうこ・・・・・・・・
▲しゆうさ・・・・・・・・

十三佛信仰・・・・・・・本来は1(本尊)プラス12佛(方位)の事。今でも古寺に行けば自然石に1(主尊)を刻み、そ
の下に12佛を配して13佛とした石塔に出会う事がある。此れは旧暦つまり仏教暦では1年が12ヶ月と閏月の年には
13ヶ月になる事があったからなのか。そうではなくてエトの12方位に中心点の1を加えて13としたものと思われる。

また仏教では中院法要と言って人の死後、初七日(不動明王)、2−7日(釈迦如来)、3−7日(文殊菩薩)、4−7日
(普賢菩薩)、5−7日(地蔵菩薩)、6−7日(弥勒菩薩)、7−7日(薬師如来)と言う風に七日毎に法事をする習慣が
あるが、中院(中有)と言うのは、別である。此れは死の瞬間から次の生を得るまでの永い期間を言う。

シナではその中院の間には閻魔の裁きが有るとする十王信仰が生まれて日本には鎌倉時代に特に禅宗によって広ま
った(不動尊を参照)。尚、死後49日目の7−7日(薬師如来)以後は百ヶ日(観世音菩薩)、一周忌が勢至菩薩、三回
忌が阿弥陀如来、七回忌がアシュク如来、13回忌で大日如来、そして33回忌が虚空蔵菩薩(別項参照)となる。

ただ日本では十王に七回忌、13回忌、33回忌を付け加えて13仏事としたとか、或いは十王に各々本地佛を設け、地
蔵信仰と閻魔を結び付けて13佛信仰になっているとも言われている。特に山形の月山は、13佛の山であり、また福
岡の篠栗新四国霊場は各所に13佛像が見られると言う。

何れにせよ、13佛信仰は日本の故人に対する追善供養の基本である(年忌を参照)。

十三詣り・・・・・・男子は昔の元服に当る。会津では円蔵寺、常陸の東海村では虚空蔵堂、京都では法輪寺など、虚
空蔵菩薩(別項参照)の縁日(旧3/13日)に厄落としの意味で参拝する。神社では白河市の南湖神社などが有り、以下
同社のHPから一部引用する。

---今は男女とも、数え13歳のお子さんが大人への第一歩を踏み出す節目としてお参りします。生れてから丁度、干
支が一回りする時期にあたり、気のバランスがくずれ、女子は初潮の時期でもあるため厄を招き易いと言われていま
すので、厄除け・健康・知恵授けの祈願をいたします。

十三詣は特に北関東や南東北で盛んに行われている行事で、学校の遠足などで神社やお寺にお参りする所もあるよ
うです。丁度小学6年生のお子さんが該当します(引用以上、「歳祝い」を参照)。



▲しゆうし・・・・・・・・
▲宗旨・・・・・・・・

宗旨替えの問題・・・・・・暦法や葬法などは極めて保守的に守るべきものであって、簡単に変更したり最先端の技
術や流行に左右されてはならないものです。だが現実の歴史を見れば保守するのは中々難しかった事が分かる。寺
社の縁起を遡ると、例えば役の行者が開創した後、行基が堂宇を建て、その後に弘法大師が興隆した所が多い。

其処もやがて別の宗派に変わり、特に明治の神仏分離令以来、今は寺ではなくて神社として残っている所もある。だか
ら例えばラッキョウの皮を剥いて行ったら神社ではなくて寺となり、其の前は密教や山岳修験道で其の先が不明とすれ
ば、大いに悩む。そうであれば一個人の宗旨替えなどは取るに足らない問題かも知れない。

ただ檀家や氏子の枠から急に離れて宗旨の違う新興宗教に走った場合はかなり批難されよう。世間体も有るだろうが
供養の原点に関わるからです。ご本人はそれで満足としても例えば先祖供養の場合、其の先祖が今の新興宗教を理
解できるとは思えないからです。

つまり先祖の多くが生前に交流していた同じ宗派の仲間と一緒の世界にいる。とすれば、旧来の宗派の教義・儀式で
供養しなければ供養にならない。所が先の話のように、一社寺の歴史でさえ今となっては分らないとすれば先祖の宗派
も中々突き止められない。でもその点、仏教渡来以前の、日本古来の祭事で執り行えば一応問題がない。

その先祖に対して例えば天皇家と同じ方式で祭式を行うならば大した問題ではなくなるのです。だが江戸時代まで幕府
が寺請け制度を採り、神仏習合で祭政一致を旨として来たのに代わって明治政府になると一転して急に皇国史観の神
国となり、仏教を捨てて神道を国教とした。

つまり此れは国家的な変心であり、宗旨替えをした上、更に西暦(カトリック暦)を採用した。しかも戦後は神道を捨てて
祭政(政教)分離を標榜してしまったのですから転々と欺瞞を重ねたとも言える。特に問題は西暦への改暦によって過
去の先祖の縁日さえ不明としたのですから弊害が大きい。

こうした文化破壊を政府が率先して繰り返したのでは日本の更なる発展はない。

▲しゆうしく・・・・・・・

十字軍・・・・・・キリストがそうであったように、「十字架を背負う人」はキリスト教社会では「崇高な使命感」を持つ特
別な人と見られる。聖職者ではなくて喩え軍人が行う単なる人殺しの戦争でも「十字架」があれば「聖戦」に変わった。

その美名の下(目的)で中世ヨーロッパは11〜13c末、「回教徒の征伐」のためにパレスチナとエルサレムに戦争を仕
掛けたが当初の目的を果たせなかった。単に200年間の遠征で200万の人命を奪ったのが十字軍だった。

そして今また、01/9/11の同時多発テロを口実にしたアメリカは「イスラム社会の民主化」と言う、十字軍と正に同じ因
縁を繰り返すためにアメリカ製の「正義」を担いだ十字軍をアフガンとイラクに出して失敗した。イスラムでは多くの犠牲
者を出したが米国は負けて一人勝ち(石油利権の確保には成功)した。

よって此れからは更に十字軍を世界全体に拡大して「ハルマゲドン」を演出して最後の生き残りを賭ける。

▲しゆうしや・・・・・・・

周尺・・・・・・・・周時代の度量衡では大尺と小尺とがあり、大は22.5cm、小は18cmだった。従って単に、大の8
0%が小と理解されて来たが実は三平方の定理でした。先ず22.5cmの棒を基尺として円を描き、その80%の地
点、即ち18cmの地点で四角形を描きます。次に18cmの棒で円を描けば113cmの円周になる。

其れを四等分すれば、四方に18cmの直線、つまり十文字が描ける。其の一辺の底辺から13.5cmの長さの水平線
を引いた所に、今度は中心軸から斜線を引いて結べば其れが長さ22.5cmとなり、即ち大尺の長さになる。そしてこ
の三者、13.5cm、18cm、22.5cmの比は、3:4:5、即ち「三平方の定理」を示す尺度でした。

此れを日本では「ミ・ヨ・イ」と言った(「尺」、または円周率を参照)。

▲しゆうしゆ・・・・・・・以下、次ページへ


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