http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page070070.html  (未定稿)


   日知り事典        形〜竈

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・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎■◆□◇△▽▲▼☆★▲◆★
・・・・・・・

カタカムナ・・・・・・・神代文字の一つとして戦後、楢崎氏により発表された文字であるが、無論一般的には受け入れ
られていない。

其れについて筆者が一見した所では、まだ解読し終わった訳ではないが、我が国の古典「ホツマツタヘ」のヲシデと言う
文字と好対照な文字であり、前者が北半球から太陽観測した文字であるのに対して、後者は南半球から観測して其れ
を図示した聖文字である事までは判った。

方違たが・・・・・・・陰陽家の説で、平安時代の貴族に流行したが今は迷信の一つとされる。例えば外出のとき、天
一神(ながかみ)など特定の星の回座する方角を「方塞がり」として避ける事。

よって其の日に赴く先の方角がこの方角に当たれば、凶と占断して、前夜にいったん別の方角に向かって吉方の家に
一泊し、翌日改めて当初の目的地へ向う事を「方違え」と言った。この時代は天皇の行幸の場合もこの「方たがえ行
幸」の例が多数に及んだ。

その後、民間でも方よけ(ホウジョ、方除け)のために寺社に参拝してお札を貰う風習が残った(「吉方」、「恵方」も参
照)。

とは言うものの、方位は迷信ではなくて、元々不動の存在であり、直ぐに虚数やバブルやバーチャル空間に惑わす数
字や物質科学、或いは偽宗教に対して、寧ろそうした偽物や迷信を方位が正す目安となるものであり、一番信頼でき
る存在である。

所が仏教やヨミの暦法の渡来によって人の行動を別の面から束縛するようになり、平安貴族を浄土(触穢)思想や「方
違え」で縛った。源氏物語にも此の頃の流行として「方違え」を口実に色んな女の家を転々と泊まり歩く不心得者(光源
氏)が描かれている。

要するに当時の「方違え」や「方塞がり」は、今の男たちが「仕事」を理由に朝帰りするのと同様、方位の観点よりも正
当化の口実に使える第一の隠れ蓑であった?今は不倫を隠す言い訳として仕事を理由にして自由に出張や外泊をす
る男たちが多い。でも職場の事は女房だって大体分かりますから何れバレる。

其の点で女性は方位を言われても弱い。「地図の読めない女」と云われ、方向音痴も女性の方が圧倒的に多い。だか
らもし、此の「方違い」を理由にして上手く外泊する事が出来たなら、たいへん都合が良いのではないか、と思うのです
が・・・・家庭と職場の平安を保つ貯めの「嘘も方便」と言った所で、ヒジリの指南も此れだけはお叱りを受けるかな?

蝸牛(カタツムリ)・・・・・・・・・「デンデンムシ」またはマイマイの事。カギュウ(蝸牛)とも書く。左巻きと右巻きとがあ
る。一対の触覚があるが視力はない。雌雄同体。螺旋系の殻の中に軟体を持つ。湿気や夜を好み、細菌や若葉を舐
めて生きる。団体行動しているのを見かけないので、大体は「一人」でいるのがお好きなようです。

人間でもカタツムリになる人が居ます。例えば女から男に対して余り愛を囁けば、其の幸運にオトコは気付かなくなりま
すし、美しさを見ようともせずに、固く口を閉ざしてしまうでしょう。そんな時に彼女が更に、「だったらお金返してよ」と言
ってしまえばきっと殻に閉じ籠ってしまいます。

或いは夫が「もっと掃除しろ」と言った途端に其の場は「シラーッ」として其の場から妻が消え去ろうとしますります。子供
に「もっと勉強しろ」って言うから、子供は自分の部屋に閉じ篭ってしまいます。蝸牛のような殻に籠って。

◆かたて・・・・・・
◆かたと・・・・・・
◆かたな・・・・・・・

・・・・・・刀剣。例えば近藤勇の虎徹(曽爾の)、或いは関の孫六や長船(備州)等、日本は世界一の名刀を残した
が、中でも三名刀とされるものに正宗、村正、正国がある。

相模正宗は相州鎌倉の名工・正宗によるもので、焼き刃の「沸にえの美」を最高に表現し、「地に真砂子を敷くが如し」と
言われる地肌の美しさと「雪の叢むら消し」と例えられる湾のたれを基調とした刃紋に正宗の真髄が有る。無銘物に秀作
が多い古今第一等の名匠。

伊勢村正は室町時代の名工で、「妖刀村正」と呼ばれ、数々の伝説を残した名匠である。家康の祖父・清康が殺害さ
れ、長男信康の切腹の介錯刀、家康自身が関ヶ原で手傷を負ったのが、全て村正の刀であった。鋭い切れ味が拡大
解釈され妖刀伝説となったのかも知れない。表裏の刃紋が揃った村正刃も有名。

肥後正国は室町時代の刀工で、「同田貫」一門の祖と言われる。初め国勝と銘し、後に加藤清正より一字を賜り正国と
改める。実戦本位の豪壮な造りと鋭い斬れ味の肥後・同田貫は、当時の戦国武将に競って愛用された。重ねが厚い造
りと直すぐ刃小乱れの刃紋、異色の作風を持つ名匠として名高い。

因みに日本刀とは本身(刀身)の外に柄や柄巻き、鞘、鍔(つば)、諸金具(縁・頭)などの拵え(装飾)までを含めて言う
(「日本アンチィックギャラリー」広告より一部引用。「伝家の宝刀」を参照)。

刀狩り・・・・・・秀吉が太閤検地(検地を参照)と併せて行った政策。下克上による戦国乱世が終わって平和の有り難
さが実感できた頃になされたものだが、此れは今の武装解除である。と同時に身分固定であった。此れまでは各々武
器を持って自力救済して来た。秀吉も百姓出身であったので此れは自己否定であるとも言われる。

其れまでは自力救済の時代でした。其れに対して秀吉は大名たちに惣無事令を出して領国を安堵する形で天下統一
を成し遂げた。其の次の政策が此の刀狩りだった。此れで一揆を防止して戦乱を繰り返さない目的もあったが、庶民を
武士と百姓にハッキリ分離して身分を固定する事になった。

よって次の時代の士農工商の魁とも言える(06/9/12のNHK教育TVより引用)。

◆かたに・・・・・・
◆かたぬ・・・・・・

◆かたね・・・・・・
◆かたの・・・・・・

◆かたは・・・・・・

カタバミ・・・・・・・・家紋の一つであり、正三角形を含むので太陽観測の場を示したものとも言える。植物のカタバミ
は三つ葉のクローバーに似た草で、何処にでも生えるので厄介な雑草として片付けられる。薬草としてはカタバミが酢
漿草と書く通り、酸い物草であり、酸味がある。痔や脱肛には煎じた湯で洗えば効くと言われ、火傷に塗り付けれる。

また腫れ物の時の貼り薬として知られる。家の周りに生えるのは其の住人にとって必要だから生えてくれるものであ
る。其れを厄介者として嫌うのは自由ですが、無知で除草剤を撒くのは勿体無いばかりか薬害になり、藪枯らし(除草
剤)は毎度火災の原因ともなった。

◆かたみ・・・・・・

片身(形見)・・・・・・・親が死んだ後などに子孫が親族や親友たちに「形見分け」として其の故人の所持品などを分け
合う風習の事。此れは「遺産分け」とは別の、ある大切な意味合い、つまり霊的な役割です。亡き人を弔い、そして日迎
えするには単に祈るよりも、其処に本人の依り代(形しろ)が必要だからです。

其れと共に、其の故人の両親の片身もあれば尚、再生の祈りも確実に通ると思われます(「日迎え」を参照)。本人を
再び生み出すには、両親が必要であり、片親のものが片身であり、片身が二つ揃って始めて一体となれる訳です。


◆かたん・・・・・・

◆かち・・・・・・徒士。足軽。歩兵。地名の例が徒(おかち)町。

かちかち山・・・・・・・日本五大御伽噺の一つ。狸に婆を殺された爺のために兎が復讐したと言う筋書きで勧善懲悪
の寓意と知恵の勝利、また任侠と復讐との精神を表したもの(広辞苑)。アフリカにも同類の噺があって黒人と共にアメ
リカに渡った。

ただアメリカには狸がいないので狐の噺に変った(06/6/22NHK教育TVで詩人・アーサー・ビナード氏)。

価値観・・・・・・・・・今の世界経済は8兆ドルで貿易の決済が出来るのに30兆ものドルが出回っている。お金と
は違う価値観を持たなければ、自然も人間も駄目になる(以下は05/11/12のNHK教育TV「もう一つの日本は可能
か」で内橋克人氏と菅原文太氏)。

「命の次に大切なものはお金である」と言うのが今の日本の世間相場です。でも何が一番値打ちがあるかと言う価値観
は人により元々多種多様です。年齢層でも違います。若い女性は「愛こそ命」と思うかも知れないが、病人は「健康が
一番だ」と言うでしょう。

このように価値観は個々に別々ですからグローバル化とか一律化と言っても、一様に規定する訳には行きません。そ
れなのにテレビはどうして一様に毎日どのチャンネルも低俗お笑いとスポーツばかりを垂れ流し続けるのだろう。価値
観は時代によっても変化します。昔はお金よりも血筋や義理でした。そして地域性もある。

例えば一神教の世界の価値観は唯一絶対の神ですから崇高です。其れが多神教圏になると多様化し始める。此処か
らは横並びの価値観となりモノカネ主義の実利優先社会になります。そうした点を本書では日月星の「三族」として詳し
く解説した(同項を参照)。中でも日本では古来、太陽信仰でした。太陽は月に代替出来るものではない。

にも拘わらず明治政府は旧暦(月暦)から星の暦である西暦(カトリック暦)にすり替えてしまったから問題です。此れで
は暦法のみならず価値観のすり替えです。火を神とするか、それとも水神を敬うかの価値観は時代や地域、そして人
により異なる。其れに付いて回る因果律も心身・物心で異なって来ます。

此の道理を日本では「背に腹は代えられぬ」と言った。物々交換なら兎も角、元のモノと異質なものをやり取りしたので
は全部を精算出来ないので一部に因縁を残す。例えばハムラビ王(別項参照)はバビロニア時代に「目には目を、歯に
は歯を」と書き残した。

此れを「敵対する相手への激しい憎悪」と解釈する事も出来るが、寧ろ因果律と贖いの道理を説いたものと見るべきだ
ろう。贖いは例えば金を借りたら金で返すべきであり、また人の命を奪った場合は自分の命で返すべきであって、金で
代物弁済出来ない事であると言う道理です(「贖い」及び、「祓い」、「責任」を参照)。

だが現代日本では全ての事を打算的に金銭で処理出来るとする唯物的価値観からゼニカネ万能主義により市場価値
と胸を張っている。此れを先のハムラビ法典に照らして見れば、命を奪った人が金、もしくは紙幣と言う紙切れで片を
付けようとするのは間尺に合わない不合理(すり替え・誤魔化し)と分かる。

ですから例えば人から愛されてしまったらやっぱりで応えるべきです。置手紙なんかして逃げたくなっても、そうすれ
ばスリ替えですから泣く人が出ます。

◆かつ・・・・・・

学級崩壊・・・・・最近の学級は先生が授業をしようとしても生徒が勝手に走り回ったり私語を止めないので授業に
ならない。其処で生き残りを賭けて、一部では塾の講師を先生に迎える事となった。学校が言わば自己否定して職務
放棄した形である。さて戦後、政府は政教分離を建前とした。その結果が此れではないか。

更に日教組が跋扈して教育と言う聖域に占拠した。教育には飴と鞭、つまり信賞必罰が不可欠であるが、無見識で過
保護の父兄たちは熱血漢の教師を「暴力教師」のレッテルを貼って締め出して来た。従って教育現場には子供への愛
情も熱意も知性もない単なる労組員だけが残った事になる。

今の先生たちは資格や立場はあっても生徒への愛情がない。愛情の反対は無関心であると言われる。そうなると形式
的になる。だが資格や肩書きだけで形式的に労働時間を潰すような授業では子供たちも呆れて厭になって当然です
が、日本文化の継承を担うべき教育者がこのままではお先真っ暗になります。

ならば政府はこの際、教育からも手を引いて公教育の撤廃(学校全廃)を宣言して其の分の税金を削ってはどうか。教
育などは宗教性がなくては出来るものではないのです。政府は失敗を反省して、昔、寺子屋がしていたように塾か宗教
に教育を任せたほうが良い(一部は06/1/11のNHK総合TVより引用)

■かつこ・・・・・・

学校教育・・・・・上の理由によって学校の一部は06/1月に塾の講師を迎える事とした。立派な考えと言うべきか呆れ
た話と言うべきか。先生たちの無力化が此処まで来たか・・・・逆天下り。

★かつし・・・・・・

活字・・・・・・仁和寺は皇族に縁りの寺。此処から近年になって木製活字が発見された。活字は13cのシナで発明さ
れ、その後、15cにヨーロッパでは鉛活字がグーテンベルクの印刷機となってラテン語の聖書の印刷に成功した。日本
では16cに家康が木製活字を作ったのが伏見版だった。略同時期、仁和寺の活字が出来ていた。

此れは大中小の三種類になっていて、小さいものは幅5mm。材質は伏見と同じ桜かと言われる。倭玉ゴク篇と言う当時
の漢和事典も此の活字で印刷されていた。明治になって活字は新聞によって一層発展した(06/5/29読売テレビの今
日は何の日より大部分を引用)。

★かつす・・・・・・
▲渇水・・・・・・・・・「水不足」や「雨乞い」を参照。

★かつせ・・・・・・

合戦・・・・・・・戦わずして勝つ事を上策と言い、戦って勝つ事を愚策と言う。このため戦国時代と言えども無闇に戦
わず、先ず牒(公文書)を交換して敵の様子を探り、弱点を見て外交交渉によって妥協点を見出すとか謀略によって自
滅させ、或いは諜略によって味方に付ける工夫をした。

お互いに犠牲を少なく目的を達しようとしたのです(イクサを参照)。

直接戦って華々しく散るのが武士の誉れであるが、例えば秀吉は摂津・三木城を「兵糧攻め」で落として三木長治を自
害させ、残った兵員を許した。彼は以後もこの「兵糧攻め」を得意として行った。だが其の後の日本はABC経済封鎖に
遭い、更に大東亜戦争では前戦の兵站、つまり軍需物資の物量補給戦で破れた。

此の反省から戦後の日本は経済重視に急傾斜したけれども戦争は物量戦だけではない。日本は今、表面上は平和で
あるが、海外から諜報・謀略・間接侵略の餌食にされているのである。

合戦のルール・・・・・・・戦いにルールや誠の武士道がなければ見苦しくなる。其の点で日露戦争の乃木大将は
世界の名将と評価された。戦いにルールがなければケモノの戦いとなるものです。命を奪う事に躊躇いがなくなれば更
に獣以下となる。其れを譬え聖戦とかスポーツと言って見た所で同じ(獣以下)である。

例えば米軍やイスラエル軍のように、憎しみや快楽ゲームの感覚で殺戮を繰り返すならば、其れはケモノ、魔物の類で
ある。★このため日本の古式戦法は先ず両軍が対峙し、互いに書を交換し、次は言葉争いをした。後三年の役の場
合は千任(ちとう)が義家を恩知らずとして詰(なじ)った。このため戦後に彼は義家の手で処刑されるのであるが・・・・

ともあれ互いに大声で罵りあい、敵を批難しあった。次に鏑(かぶら)矢を射って合戦の合図、戦闘開始とした。次に
「矢合わせ」である。次は騎馬で互いにハセ弓により「走り矢」を射駆ける。そして最後に白兵戦であるが、此れも大将
が名乗りあい、正々堂々と戦った。その後は其の大将の馬を射って落馬させ、取っ組み合いして首を刎ねる。

或いは熊手で敵の兜を取って首を斯き切る。こうして大将一人を降参させれば勝敗が決するので戦いが終わる。凄惨
な戦いではなく、華々しい戦いにしました。決して皆殺しの愚はしなかった。その後は集めた首の首実検により功の大
小によって論功行賞が決まった。

だがその後の時代は卑怯な飛び道具や「夜討ち朝駆け」などが使われた(★以下は05/5/31のNHK教育TVより一部
引用)。昔式の正々堂々な態度や手段よりも今は勝敗を優先するため、卑劣な行為が当たり前となり、更に集団戦(大
量死)と言う愚劣な戦いにして行った(鎧を参照)。


■かつそ・・・・・・

★かつた・・・・・・

活断層・・・・・・断層の中で今も活動している断層の事であるが、大きさや深さも活動周期も異なる。阪神大震災の
後に関心が高まり、例えばM7.3の確率が野島断層は8%、中部地方は11〜14%、四国に跨る中央構造線が1%
(M8)と見られている(06/1/17のNHK総合TVより引用)が疑問である。

では活断層が当てにならなければどうして予測するのか。電磁波や電磁波の起こす雲の観測なら予知の可能性もあ
る。所が政府は地震分析としては雲の観測もしないし活断層も個人に公表しない。つまり問題はもう一つ、情報公開で
ある。一般に知られている活断層は全国で98支と言われるが市町村は其れさえ積極的に公開しない。

最近はインターネットによって公開されているだろうが、其れは一部であろうから多分役に立たない。全国の都道府県
には平均40ヶ所位はあろうが、実際の活断層は其の二倍、全国に2000ヶ所以上あるだろう。此れを全部観測するの
は無理なので、此れによる地震予知も無理である(「ちゆるぎ」と「自然災害」を参照)。

つまり物理的にも無理がある。しかし政府は日本が地震国であると認めた上で、「予知」などの無理な希望に夢を持た
せる手法に銭を掛けるだけである。全部を明確に公表すれば、固定資産税の減免など、財政基盤が揺らぐと心配する
からだろう。

でもそれでは「生命財産」を保証した憲法の基本に反する。此のままでは国民が建築物を建てるときに市役所で建築
指導を受けても意味が無いし、また譬え「地震予知」がなされたとしても脅されているだけでは具体的な対策を採りよう
がない(「地揺るぎ」、「建設業界」、「建築偽装」を参照)。

お役所は細部まで活断層を公表して、其の上には家を建てないように行政指導する義務があろうが無策だった。実
際、耐震基準の偽装問題が05年に発覚して政府と建築業界の無責任が暴露した。市民が危機感を感じていても、行
政側がこの様に欠策・怠慢ではどうしようもない。


■かつな・・・・・・

■かつは・・・・・・

河童・・・・・・・カッパ。川や沼を綺麗にしたり守っている蛟(ミズチ)の部類。日本から中国沿海部の淡水部に棲み付
いてミズチや水神として祭られて来た。好物がキュウリであるとか相撲好きで子供と相撲を取りたがると言う伝説が九
州や遠野に残る。或いは馬を川に引っ張り込んで死なせるとして恐れられた。

カッパのミイラも寺院などに残されている。沼地が日光を受けて水面の波紋をキラキラと輝かせているとき、その下に
はカッパがいるらしい(05/8/31のNHK教育TVより一部借用)。

また利根川の上流の新潟(新治)赤谷川にも河童に纏わる民話が30ほどあり、「河童を実際に見た」と言うお年寄りも
いる。思ったよりも河童は小さかったが矢張り、頭にお皿があった。河童は川の淵に棲む。だが今はダムや護岸工事
で淵や河原も少なくなったので何処かへ行ってしまったようである(06/6/25のNHKラジオ深夜便より)。

皆が上京するので河童も東京に行ったのか。東京台東区には合羽橋があり、其の由来は浅草の干潟の治水工事に
河童が活躍したからだとも言う。干潟から漁村になり、漁村からやがて街になり飲食街に発展した。其の浅草の飲食店
の道具を一手に引き受けるのが日本一の道具屋筋となった。

■桂・・・・・・

葛城王朝・・・・・・・神武以後はかつて欠史八代と言われ、更に戦後GHQによって大化の改新以前の歴史は抹殺
されたけれども、日本人なら記紀の史実を尊重したい。初代の天皇を神武として第九代・開化天皇までを葛城王朝と言
う。其処は今の大和盆地で、当時、平野ではなくて奈良湖とも言うべき湖だった。

そして湖が南から干上がるのにつれて宮古も南部から北部へと移動して行った。其の点を歴代の陵から見れば、

@神倭磐余彦尊「神武」はニギハヤヒ(鴨王)の婿養子となって柏原の宮(今は橿原市とされているが実は御所市掖上
にあった)に即位したが、やがて崩御により、陵が御所市に造られた。其れが今は畝傍山東北領陵とされているが、こ
こは明治に新造した所であり、本来の陵は御所市と高取町の間にある。

A次の神渟名川耳尊「綏靖」もまた鴨王の婿として葛城の高(丘)岡の宮(御所市、葛城山麓)に居つき、33年夏五月
癸酉の日、崩れて陵を倭の桃花鳥田丘上陵とした。

B三代目の磯城津彦玉手看尊「安寧」も鴨の姫を皇后として片塩の浮穴(孔)の宮(大和高田市)に居つき、38年冬1
2月、庚戌1日(乙卯日)崩れて陵は南御陰ほどの井上陵とした。

C四代目の大日本彦耜すき友尊「懿徳」天皇は宮を軽の曲峡おの宮、または軽境崗宮(今の橿原市内)とし、34年秋9
月甲子1日(辛未日)崩御により陵は畝傍山の南の繊沙上まさごの谿たにのうえの陵とした。

D第五代の觀松彦香しね尊「孝昭」天皇も磯城県主、即ちニギハヤヒの末裔・物部氏と同族の姫を皇后として、
葛城の掖上の池心の宮(御所市内)を置いて83年秋8月丁巳1日(辛酉日)崩御により、掖上の博多山上の陵に葬ら
れた。

E第六代の日本足彦國押人尊「孝安」天皇は葛城の室・秋津島宮(御所市内)で102年正月戊戌、1日丙午の日に崩
御し、玉手の丘上の陵に葬られた。

F第七代の大日本根子彦太瓊尊「孝霊」天皇が黒田・廬いおり戸を宮(田原本市内)として76年春2月丙午朔、癸丑日
に崩御し、片丘の馬坂の陵に葬し祭られた。

G第八代・大日本根子國索くる尊「孝元」天皇の場合は橿原市の軽・堺原の宮で57年秋9月壬申朔、癸酉日に崩御に
より、劒池の嶋上陵に葬らる。

H第九代目の稚日本根子彦大ふと日日尊「開化」天皇の時に北行して春日・伊耶河(率川)の宮(今の奈良市内)に遷っ
たが、60年夏4月丙辰朔、甲子日に崩れ、春日・率川の坂本の陵に葬しまつる。そして

I十代の崇神から三輪山麓に下って磯城・瑞みずがきの宮に遷し、以後を三輪王朝、もしくはイリ王朝と呼ぶ。所が葛城
一族の多くが神武時代に東北に追われ、其の後、残存勢力が雄略時に土佐に流され、僅かに残った一族も三輪山か
ら木津、そして京都鴨川、亀岡、そして現在地の島根に至った。

その他、各時代を通じて、安房や南伊豆(下賀茂)、六甲や吉備などにも散らされたが、何処もまるでインディアン居留
地のような扱いで閉じ込めたものである。よって其処が加茂や「出雲」と言われた。要するに元の出雲国は葛城に有っ
た(「出雲」、「かも」を参照)。従って其処から追われた出雲族は各地に出雲の神を祭った。

このため各地の神社のご祭神の90%が天皇家の皇祖神ではなくて、出雲の神々である訳です。因みに其の因縁から
であろうか、今の出雲大社(大社教)には大阪の初芝と土佐(高知)、そして茨城その他にも分祠を置いている。但し今
の出雲大社は出雲系と言うより国造系である。


●・・・・・・・・

葛城28宿・・・・・・・「紀伊山地と熊野古道」は世界遺産に登録されたが、それに隣接する古道として葛城古道が
有り、また葛城山には28宿と言う尾根道が有った。葛城山は大和葛城、本葛城(金剛山)、南葛城、和泉葛城の四つ
があり、其処を繋ぐ長い尾根道に28宿が点在した。

現在の川には橋が架かっていて何処でも自由に通行できる時代になったが、古代の平野部は川を渡る事が困難だっ
た。其の点、いったん尾根道に出れば京都へも大和へも河内にも紀州にも道を迷う事もなく其の日の内に自由に行く
事が出来た。つまり古代の幹線道路は平野部ではなくて見晴らしの良い尾根道でした。

実は其の尾根道は古墳の巡拝路であり、軍用路であり、通商路であり、生活道路でもあったから軍の要塞、寺社、宿
場、店舗、民家が密集していた。だが現代では此処を通る人は登山客くらいとなり、今は大阪府のダイヤモンド・トレー
ルと言う寂れたハイキングコースとなっているに過ぎない。

さてこの28宿は役小角が開いたと言われるもので、以後中世になると修験者が此処にお堂や宿坊を建てて居付き、
その後は行者や僧都が巡拝読経の場として経塚を造った。今も天台修験の聖護院と犬鳴山七宝滝寺が古式伝統を
守って交互に巡回している。

また高松塚古墳の天文図や現在の暦・天文学でも太陽黄道の28宿、月の28宿、星座の28宿の概念があるが、此処
には友ヶ島(妙経・序品第一の地)から亀の尾(普賢菩薩・勧発品二十八の地)に連なる現実のコースがある。

この葛城28宿の各宿(及び其れに繋がる108行所もあった)については市販の地図にも一部示されているが、その大
半は見晴らしの良い場である。つまりこのラインは修験道や密教などの宗教的ポイントであるものの、其れ以前に実は
天文観測と暦術(兵学)鍛錬の場だった。

淡路島の篝場山を定点として、それに対する全天の28宿を1/4に集約してこの葛城の山々に投影し配置した座であ
ったと考えられる。

■かて・・・・・・
■糧
◆過程・・・・・

▼仮定
■家庭


『 家庭用燃料電池 』−−−−−家庭の電気は、家庭でつくって消費する時代が到来。排出物は水だけの究極のク
リーンエネルギー「燃料電池」が世界に先駆けて日本市場に投入されます。燃料電池とは、水素と空気中の酸素を化
学反応させて電気を発生させる装置のこと。電気の他には水蒸気(水と熱)が発生します。

燃料電池はすでに自動車などにも搭載され実用化されていますが、家庭用に販売されるのは日本が初めてになりま
す。家庭用燃料電池は、発電に必要な水素を天然ガス(メタン)やLPガスから取り出す仕組みになっており、発生する
電気と熱を合わせたエネルギー利用効率は70%超と、従来の発電効率を大きく上回っています。

導入コストは、天然ガスを使用するシステムの場合10年間100万円、LPガスなら一ヶ月5000円で3年間のレンタル契約
で、どちらもコスト度外視のサービス価格です。ただし現状では、維持補修とデータ収集を重視するために、設置場所
が関東地方に限られており、全国への展開は来年以降になる予定です。

日常生活に燃料電池を使う時代が近付いています。−−−−−−【拓也's コメント】こちらで、家庭用燃料電池の設置
希望の受け付けをしています。http://home.tokyo-gas.co.jp/pefc/fc04.html
本来の製品価格を考えると、破格の価格設定なのですが、電気料金の回収を考えると、それでも、まだまだ高価です。

トヨタのプリウスも、発売当初は売れば売るほど赤字でしたが、販売台数が増えるに従って、スケールメリットが生じる
ようになったように思います。日本の技術開発が進んでいる分野であり、燃料電池の未来には、非常に期待していま
す。以上、記事提供 :http://www.mag2.com/m/0000125755.htm 日本コパック−−−−−−


家電業界・・・・・・・・戦後、家電業界の果たした役割を多とするものの、今の同業界は退廃的である。其の現象とし
て「安売り合戦と叩きあい」もあるが、退廃と零落の原因は高学歴化である。此れはスーパーや官庁などにも通じる弊
害であるが、家電業界の場合は特に顕著だ。大卒の習性として、多くは楽な仕事・デスクワーク・厚待遇・出世を望む。

其の資質が有れば無論問題はないが、電気などは「好きこそものの上手」でなければ勤まらない。お客の問題を電気
の知識で素早く解消したいと言うサービス精神である。所が今は其れが皆無である。修理専門の所に運んで検査しな
ければ分からない、と言う決まり文句を係員がロボットのように当然の事の様に客に言うだけだ。

だから、その場でも直ぐに治せるようなチョットした故障でも全て「二週間預かる」と言う実にどうしようもないシステムを
慣行化してしまった。此れでは国内でなら兎も角、海外で勝てる訳がなく、メイドインチャイナに食わせて貰うまでに零落
して当然である。其れに比べて車の場合、車検は其の日のうちに済む。其れがサービス業ではないか。

所が電気製品の場合は、故障でない場合でも一々二週間も留守(入院)で使えなくする。此れでは、官僚化した販売店
の仕事にはなっても、ユーザー側の仕事は「業務停止」の状態で仕事にならないのである。だからすっかり台湾・韓国・
中国などに市場を奪われてしまった。例えば韓国のサムスンは04年の純益を1兆円と発表した。

此れは官僚化した大卒と中卒との差で、大卒が束になっても負けた事を示すものだ。彼らは日本から部品の大半を仕
入れ、パテント料を支払い、安売りして其れでも此れだけの利益を出したのである。つまり日本は完敗である。先輩の
マイクロソフトやインテル社もサムスンに出し抜かれて世界一の座を譲ったのも当然の帰結である。

其の上、06/4月から悪法・電安法(電安法を参照)が出来た。此れにより家電業界が買換え需要で最後の生き残りを期
待するのだろうが、寧ろ自己否定で自滅する事にならないか。

カトリック・・・・・・・・普遍的、公同的と言う意味の階位制の神の機関で、一般的にはローマカトリック教会を言う。
此処は異端に対する正統派を標榜する。歴史的には1054年の東西教会の分裂以後、東方教会に対する西方教会
の自称(バアルを参照)。異端とは其れまでのユダヤとグノーシス派を言う。

更に411年のカルタゴ会議の論争によって、アウグスティヌスの論理が勝って以後、ドナトゥス派を異端として弾圧した
ものであり、彼の論理は「教会は神の団体であり、司教は神によって任命されていて、聖職制度には聖霊が宿ってい
る」と言う独善的なものであった。

彼ら一神教は、異端は悪魔(サタン)と決めつけて魔女を仕立て上げて火あぶりにして来た。或いはキリスト教圏以外
は未開で野蛮な未文明圏であると決め付けて多くの国を侵奪し、植民地化した。因みにカトリックに対してはルター以
後プロテスタントが派生した。

カトリックの総本山はバチカン市国であり、ローマ法王が君臨する。これまではポーランド人のヨハネ・パウロ2世だった
が、05/4/20、ローマ法王庁は秘密の法王選挙会議(コンクラーベ)でドイツ人のヨゼフ・ラツィンガー枢機卿団長(78
歳)を265代目の新法王に選出した。法王名はベネディクト16世である。

カトリック教会の信者数は11億人とは言うものの、その大半は白人国ではなく中南米であり、次はアフリカである。何
れも植民地の人口増によって維持しており、ドイツなど白人国は少数である。

東洋の文明国日本でも明治以来西暦(カトリック暦)を採用したが、更に大日本帝国の敗戦によって軍服を着たカトリッ
クの宣教師・マッカーサー(プロテスタント)が赴任して天皇以下、日本国をカトリック教国に仕立てようと様々な占領政
策を垂れた結果、其れが見事に結実してフィリピンも韓国も日本列島と並んで米国の前線基地となった。

ミーハーがあのオーソドックスな教会儀式に憧れる気持も分かりますけど・・・・日本は特にバックボーンを抜かれて腑
抜けの国になった(オプスデイを参照)。


・・・・・・・門とは、「家の外側に設けた出入り口である」、と理解されているが誤解である。門の字は、二本柱に日
を二つ置いた形にしてある。つまりは日の出と日没の印、つまり観測の目印であり、もしくは日影の通り道であり、其
れが今の鳥居に変化した(「モン」、「鳥居」を参照)。

実際今でも古社の場合は二本柱を鳥居として設けている例も少なくない。
さて、日が下に沈めば「間」の字になり、即ちいったん仕事を終わる休憩時間、または夜であり、日のない時間は魔界、
即ち「夜見」の時間でもある。でも必ずこの世には「夜明け」がある。

其の時が朝(日月を+で結ぶ)であり、門のこちら側から日神を拝礼したのが日本人でした。つまり門の内側から外側
を拝した。よって「門構え」に「人」の字を重ねて「内」の字としました。門の外は陽であり、内側は陰を意味した。即ち門
は、神と人とを隔てる境界を示す地点でした。其処からか、女院(天皇の生母)の居ついた所を「門院」と言った。

また大砲を数える場合には「○門」と数え、銃の場合も、敵側の目印を照星と言い、手前を「照門」と名付けた。そして
神社の鳥居に代わって、寺には門主や門跡(上皇など)が住持して山門や総門を構えたが、天台宗には寺門派があ
る。こうした所を宗門と言った。

仏の周り48門を構える事を桑門と言った事から、寺院の僧侶まで桑(48)門と言い、其処に学ぶ弟を「門生・門人・門
下・門弟」と言い、一門や門流を形成したが、其処に出入りする者を門客とし、そうでない者を「門外」として、気に入ら
ないものを破門にした。そして同門の間柄を優先したのが門閥である。

寺はやがて「門前」「市」をなし、民家が広がったが、平安京の場合、門とは間口五丈、奥行き十丈の行政区画の単位
でした。民家や商家には表門と裏門があり、鬼門と裏鬼門の観念もあり、また会社や組織には各部門の縄張り意識が
あります。其れに専門家とか門外漢が大勢いる。

何れにせよ、本来の門(もん)は門(かど)であり、角度の「角」とも通じる。これは、柱の日影が一定の角度を示し、其
れが暦作りに役立てられたからであり、其れを見る方が「ミカド」、つまり見角、即ちでした。また朝廷(別項参照)と書
いてミカドとも読みました(次項、及び「門松」、並びに「帝」を参照)。


・・・・・・・カミ(上)は神、そうした方、其の方位をカタと言う。それについてカトがある。カトは角(カド)であり、其れ
を見るのが門でした。其の門で日の出入りを見張るお方を昔はミカド(帝)と言った。何れにせよ、角はカト(カド)であ
り、其の「カ」とは日であり、ト(ド)は土地、処、度であった。日の出入り角度は日々変化する。

其のカドを見定める事を「目安」と言い、その目安を付ける事を「メド」(目処・目度)を付ける、とも言った。目処を付ける
にはどうするのか。それには円暦が必要ですが、其れがない場合は指度と言う方法を使う。此の場合は、まず方位の
東西南北を知って、更にその中間点を次々と定めます。その地点は暦の時節、つまり月日と一致します。

その内の方位、または暦日の何れの目処についても以下の方法で算定出来ます。例えば、指一本の幅は、身長(また
は両手を伸ばした長さ)を仮に165cmとすれば、165cm×パイ(3.1415)÷366=カドでは1.41625度となりま
すが、5本指ではカドとして7.08度となります。

所で、距離と長さの計測については360度法の1°幅なら500m先では約10mになり、1km先では約20mになりま
す(星の暦の「ミリ」「ミル」を参照)が、それ(360度法)より幅が狭い366度法のカドは、360/366=0.98カドです
から、366度法の1°(1カド)幅なら500m先では約9.8mになり、1km先では約19.7mになる。

また指1本(1.41625カド)では1キロ先が約14mになります。また、5指では約142mとなるのですが、此れは個人差
がありますから、一度はカドを算出して置けば便利かと思います。

また、此の方法によって例えば本日11/15の暦・方位を概算するには、その年の立冬の日が11/8の場合は、そ
の日が方位では西北に当りますので、其処から片手を伸ばして見ます。指1本分のカドが前記の1.41625カドでした
ら、5本分のカドは7.08となりますので、其処が本日11/15の暦・方位であると目安が付く訳です。

門松・・・・・・・お正月飾りの筆頭が門松。其れは歳神様を迎えるシンボルでした。歳神様について今は「稲の神」とか
「福の神」とも解釈されているが、門松は寧ろ、冬至の太陽観測のシンボルだった。だから今でも田んぼではなく、家の
玄関や門口に立てられる(松迎えを参照)。

●カナ・・・・・・

仮名・・・・・・仮名には平仮名と片仮名があります。日本には元々文字が無かったので漢字の一部を採って仮名にし
たと言われて来た。しかし此れは以下の二つの理由からも少し訂正する必要がある。「文字が無かった」と書き残した
のは「古語拾遺」を著した忌(齋)部廣成(c8c〜9c初)でした。

しかし彼は後に五位の官吏になったものの其れまで神官として神代文字を使っていた立場の人でしたから先の話は嘘
と分かる。次に万葉仮名がある。此れは彼が生きたよりも前に書き残された文字である。万葉仮名も7c末頃に柿本人
麻呂が完成したと言われて来た。だが06/10/13日に難波宮跡遺跡から7c中頃の木簡が出土した。

其れには万葉仮名で「皮留久佐乃皮斯米之刀斯」(春草の初めの歳)と書かれていた。無論此れは漢字を並べたもの
であって今の仮名とは違う。けれども次の徳島市の観音寺遺跡から出土の木簡(672〜686年頃)には、「奈尓波ツ尓
作久矢己乃波奈」(難波津に咲くや此の花)とあった。何れも和歌の断片である。

柿本人麻呂以前に仮名は有った。神代文字を使わずに漢字に似せて全く別の形の仮名にしていたのである(文字を
参照)。

カナン・・・・・・・・旧約聖書の「出エジプト記」と「申命記」で神(ヤーウェ)がユダヤの民に約束した地で、ヨルダン川の
東南から西岸。約束とは神の掟、即ち良識と信仰を行うためである。

所が「約束の地」と言う言葉を振り回して今の地を奪って占拠し、イスラエルを建国したユダヤ人のやっている事は異教
徒(パレスチナ)を虫けらのように殺戮するだけであり、此れでは神との約束を何も果たしているとは言えず、寧ろ裏切り
行為である。とすればこの神は早晩、彼らを打ち砕くに違いない。

▲かに・・・・・・・・

・・・・・・・・例えば三浦半島では夏の大潮(別項参照)の前に、赤手カニの年1回の産卵のための集団移動が始ま
る。彼らの足では産卵する海岸までかなり長距離の旅である。大潮になると海岸の潮位が2mも高く上がるのですが、
山で暮らしている赤手カニが其れをどうして予測できるのか不思議です。

珊瑚も大潮に産卵するが、赤手カニの場合は、日と月の時間差を計る特殊なセンサーが目の所に付いているらしい。
そうして無事、海岸に辿り着いても海にはカニの卵を食べようとシャケや鯰の仲間の幼魚など大量の魚たちが待ち構
えている。でも一匹のカニが2〜5万個の産卵をするので生き残った卵がやがて山に戻って来ます。

卵の大きさは1ミリ程度だが、アマゴ(海草)の草原で育って3週間で1.5ミリのカニになる。そうして秋には1センチほどま
で成長するので、海から出て少しづつ山へ登り始めます(06/12/17NHK総合TVより引用)。

▲かぬ・・・・・・・・

カヌー・・・・・・・・日本人は縄文時代に南米にまで渡航している。其れはカヌー程度の船だった。無論、構造船もあっ
た。記紀(応神・仁徳期)に記載の枯野(軽野)、神戸市や大阪・河南町の加納、或いは河野等の氏族名は船人に関わっ
た場所だったろう。船人の神を綿津見の神と言った。和田氏や大阪の渡辺等も海(わだつみ)族である。

カヌーの次にあったのがタミール語のカッター、即ち筏(いかだ)である。

▲かね・・・・・・・・

カネ・・・・・・・・金・鐘・兼は何れもカネと読むが、昔は┐と書いて通じた。店の看板に増¬とか松¬と書いてあれば、
カネマスとか、兼松を意味したのである。┐の字はアルファベットの「L」の逆字であり、ギリシャ文字のΓ(ガンマー)の
反対であり、何れも下記の曲尺を象ったものと推定できます。

此処から其の役目の部署を「丁」とし、役所を「庁」、或いは「司」とした。また┐の字から丑、円、ヨ、カ・・・としたものと
も考えられる。とすればカネはとっても大切な字でした。¬をカネの外に鉤(かぎ)手とも読んだ。曲尺と鉤(鍵)の意味
でした。ただ今では「」をドアの鍵よりも文章で「カギ括弧、括弧閉じる」などと使います。

▲金・・・・・・・・「キン」または「紙幣」を参照。

・・・・・・寺の境内の一角に吊り下げられて、今では大晦日に鳴らされる釣鐘。たった其れだけの意味しかなかっ
たのだろうか。仏教の功徳を周辺の住民に行き渡らせ、鳴り響かせるように梵鐘の周りには梵字や龍が刻み込まれて
います。国家仏教の言わばスピーカーのような存在。でも其れ以上の役割が有った。

律令制は稲作で成り立ち、稲作は土地と水利で成り立った。水利とは限られた水を平等に分配する事にある。此の為
に鐘が必要だった。「時は金なり」ではなくて昔は寧ろ「鐘鳴り」でした。水田から税金を取るためには土地だけでは無
理でした(水が行かない田圃からは税金を取れなかった)。水田に必要な水はお上が保証しなければならない。

此の為、寺は予め、祭りや納税時期を知らせる暦を住民たちに知らせ、一定の時期には満遍なく水を配った。暦を作
るために御堂(別項参照)のシトミで観測し、同時に時刻を決定して梵鐘を衝きました。其れによって主水(水利役人)
が村の水門を切り替えて、甲村〜乙村〜丙村へと水を回して行った。

とすれば当時はまだ「金は天下の回り物」ではなくて、「水は天下の廻り物」であったのでしょう。ただ梵鐘は鋳造した青
銅器なので注意して衝かなければヒビが入る。ヒビが入ったひび鐘や割れ鐘になれば使えません。ですから素人が衝く
のは怖い。思いっきり衝いても良いが、次に衝く場合は、余韻が納まるまで待つ心得が必要。

余韻がある間に衝けばヒビが入る危険があるのです。

かね・・・・・・・神話時代のシナの伏義が発明したとも言われる計算尺で、角度儀と定規と計算尺を兼ねたもので
有る。此れは「差金」とも言い、「矩尺」とも書かれる。日本では、聖徳太子が四天王寺の建立の際に取り寄せたとも言
われ、同寺の太子像も曲尺を持っている。L字形であるが先ず表面には普通の寸法が刻まれている。

ひっくり返せば「裏目」が出る。裏目とはルートの目盛りであるから其の寸法の平方根が刻んである。此れを白銀比(別
項参照)と言い、外にも上部には「丸目」の目盛りもある。丸目は円周の答えが刻まれている。此れはつまり単に直線
を測る道具ではなくて、直角を確認したり、曲線を計ったり計算するのに便利に出来ていた。

要するに数字を使わず、従って計算もせずにメモリ(答え)だけを読み取ると言う優れた道具である。特に丸太に当てる
だけで円周を読み取り、平方根を読み取るので、立ち木から製材までを逆算するには算盤や電卓よりも早くて便利で
あり、良い仕事が出来た。

また丸太を輪切りした面に曲尺の直角部分を当てれば丸太の円周と曲尺が3点の接点を作る。なので直角以外の2点
を結べば直径の寸法が目盛から読み取れる。更にタスキ掛けするように曲尺を丸太の面に置けば、もう1本の対角線
が出る。此れも丸太の直径である。

此の2本の対角線(直径)の交叉した所が丸太の中心と分かる(07/4/6NHK教育TV)。
この様に、色んな工夫がしてあったので、曲尺は材木業者、大工、建具屋、桶屋などの必需品となって来た。所が今は
大工も数字主義となり、曲尺の使い方に無知な業者ばかりとなっている(上記のカネを参照)。

以下07/3/1NHK教育TVから引用する。---もう1つ、曲尺には角目が刻んである。此れは1/√2を刻んだ目盛りですと
言う。ただ、現在市販の曲尺の角目と普通のメートル尺との比は10目:14.1cmの場合がある。此の比ならば裏目であ
って角目ではないので、使い慣れなければ誤解する。



▲かの・・・・・・・・
▲かは・・・・・・・・
▲かひ・・・・・・・・

(カビ)・・・・・・・・「日本は資源が少ない」とボヤク人が多いが、少なくとも黴に関しては豊かである。其れは年中湿
気が多いからであり、例えば納豆、味噌、醤油、酒を発展させた。麹菌からは日本酒を作りました。医薬品のペニシリ
ン、そしてアオカビからはスタチン、・・・など、皆カビの働きで出来たものです。

ただ黴菌は150万種あると推定されているが、其のうち、人類が知り、利用しているのは8万種程度と言われる(「微生
物の働き」を参照)。このため医薬品の開発など、新たなビジネスとして脚光を浴びている。だが原産国と開発国との利
害の対立で国際的に争う時代となった(06/5/18のNHK総合TVより一部引用)。

だが高松塚古墳の壁画を考古学や遺跡関係者がカビで駄目にした。此れは洋式学理に傾倒して日本の歴史を軽視
し、日本文化や風土や黴にも無知であったからである。

★カービン銃・・・・・・・・フランス語で騎兵銃。

▲カピタン(加比丹)・・・・・・・・原語は英語のキャプテン。ポルトガル語のcapitao、ラテン語のcaput(頭、カブト)。長崎
のオランダ商館長。南蛮船の船長。

▲かふ・・・・・・・・
▲カブ・・・・・・・・子狐。ボーイスカウトの幼年団員。ホンダのバイクの人気種名。


花粉症・・・・・・・・杉やヒノキから出る花粉によってアレルギー症状を起こすもので05年は花粉の飛散がかなり多く
なると心配されたが大した事はなかった。2〜5月に激しく撒き散らし、残暑の年の秋の11〜12月にも多少噴出する。

このため春は5人に1人は罹っていると言われる都会人たちの、特に花粉に弱い人達にとっては憂鬱な時期となる。で
も原因は人間です。稲作民が田んぼに田植えをするのと同じように、山にまで無理やり人工植林をし過ぎて、愛着も無
いため儲からなくなって放置したからです。

しかし植林や放置に直接関わらなかった今の世代の人達は「自分は知らない」と、シラを切るだろう。でも其の人の場
合も先祖がして来た訳だし、今また外材ばかりを使って来た結果責任があります。その結果として山林が疲弊した。山
の緑は人類が育てたものではなくて、山が自ら育てたいわゆる雑木が主人でした。

其れを「雑木では儲からない」として刈り取って、稲作農家の商業主義で単一種を田植えするようにギッシリ植えた結
果、鳥も虫も育たず木自身さえ息も吐けない窒息状態にしたために、その山の土は日陰で真っ暗となり死んでしまっ
た。下草も腐葉土もなくなったから雨が有っても保水出来ずに土も一緒に流れてガラガラの土壌にさせてしまった。

「だからもう駄目だ」と杉やヒノキが根を上げ、悲鳴を上げて、雄花から断末魔の花粉を飛ばして都会人たちに訴えて
いるのが今の現象です。ですから都市住民が特殊ゴーグルとマスクで防御をしてもやっぱり目も鼻も痛めて其の辛さを
味わうのです。現代人は機械と電気仕掛けの純粋培養の部屋で育ったために、自然界のものに過剰反応し過ぎます。

心が神経過敏性のために、免疫細胞の過激な働きを促して逆に皮膚も腸も自ら痛め、犯してしまうのです。此れにつ
いてかの細木数子先生はテレビの中で、「他人の話を聞かない人が目に来るし、思い上がった人が鼻詰まりと呼吸が
苦しくなる。だから心を柔らかくして消化するようにしなさい」と"ご託宣"していた。

何れにせよ余り花粉を嫌わずに寧ろ、杉エキスや花粉茶でも作って飲み親しめば心身を和らげて免疫力を高めるでし
ょう。05年は昨年の猛暑のために史上最多と言われ、昨年の19〜65倍もの花粉の大量飛散が予想された(が嘘にな
った)。

それに対するマスクやゴーグルの外にも免疫細胞の舌下滴下など予防法や治療法が色々あっても決め手はなかっ
た。山間部の人たちは昔から花粉の中で仕事をしていて何ともなかったのです。所が機械文明に漬かった都会人に影
響が大きいのは以上の理由からですが、地方の人でも罹るのは神経過敏性からでしょう。

此れまで薬物を頼り過ぎて血液を濁した結果として、体質的に過剰反応してしまうのです。「病気は気から、病気は
から」来るものです。カラスやウグイスは毎日元気で今日もいい声で飛び回っていますよ。人も彼らのように歌でも歌っ
て大らかに過ごしませんか(病気と血の各項目を参照)。

貨幣・・・・・・・・銭。但し貨幣の貨は化の下に貝の字で有る。よって貨幣は貝殻から進化したと説明される。確かに
貝は「買」にも変化する。だが本来の貝は海の貝ではなくて埴輪の象形文字である。類似の文字に豆があるが、これも
食べ物のマメの事ではなくて壷の事でした。埴輪や壷は祖先の墓地に奉る供物を意味したのだ。

子孫に譬え問題があっても感謝の供物を捧げれば其れを先祖が解消する。其れが「祓い」になったのです。次に幣に
ついては神社で紙を切って今も作って祓いの場で振っている。此の「幣」には神の力によって「祓う力」があるとの前提
が信じられていた時代には通用した(「祓い」を参照)。

でも御幣を切り、幣(ヌサ)を振っても、何の効果もない時代となれば話は別だ。昔から払いは物々交換が行われて来
た。貨幣は無用だった。紙幣なら尚更信用が無い。でも今は神や紙より現金主義です。鏡と言う神器が使われた時代
は現金以上に祓う力があった。

鏡と紙幣とでは価値観が別ですから等価交換も不能なので貨幣の話に鏡は馴染まないかも知れない。だが鏡のノウ
ハウがなくなると同時に、祓う力もなくなる(鏡を参照)。

其処で天武天皇の時代になると朝廷は鏡に代わって銭を出現させた(富ほん銭を参照)。銭にも多少は因果を払う力
(決済力)があった。因みに今も使われる「悪貨が良貨を駆逐する」と言う格言は貨幣経済時代の諺であって紙幣の場
合は文字を「悪幣」に変えないといけない。

今も貨幣は小銭として生きてはいるが次第に紙幣から更にカードに代わってしまった。紙幣やカードは金・鏡などの裏
づけも実体もないからインフレに弱い。

さて実力のある貨幣の第一は金貨であり、江戸時代までは大判小判や分銀などが使われた(次項を参照)。所が金の
含有量を減らしても見分けが付かないので時代と共に悪化や贋金が増えて来るのが世間相場と言う訳です。贋金とは
誰も言わないが紙幣の場合もインフレに弱い以上、悪貨「悪幣」の一部と言える。

紙幣は、金がない政府が其の証文として印刷したに過ぎない代物「悪幣」です。従って其の政府に信用がなかった明治
初期は兌換券と言う紙幣でした。これは「銀行に持参すれば金貨と交換します」と言う一文が書いてあったのです。
カトリックが廃れた時代は決まって免罪符を出して来たが、国家も崩壊が迫ると徳政令を乱発した。

同様に、御幣や紙幣・国債の大量乱売時代は其れに比例して神社や国家に祓う力がなくなった事を意味する。此れで
は葉っぱを小判に化けさせて人の財物を騙し取る性悪狐と同様(すり替え・誤魔化し)と言われるに違いない。其れに
比べて紙幣は更に問題だ。

紙幣がモノから独立したのは1971/8/15のニクソン大統領によるドル・金交換停止宣言(ニクソンショック)からであ
る。此の時から紙幣はモノ(金)の裏づけから開放された訳だが、千年の歴史の中で見れば、僅か35年しか経っていな
(▲以下はPISC06/10より引用)。

貨幣(江戸時代)・・・・・・・・金銀銅の三種が有った。金一両が銀五十匁、銭四千文の比率で交換された。但し相場
で多少変化する。金貨(別項参照)や銀貨は幕府直轄の場所で鋳造されたが、銭だけは一時、民間が鋳造を請け負っ
ていた。大坂では高津辺りで造られていた。

例えば四角の穴が開いている銅銭の寛永通宝は、文字体が造られた地方によって微妙に違っているとか(05/12/8の
毎日新聞記事より引用)。

★カーペット・・・・・・「曼荼羅」を参照。
★ガブリエル・・・・・・・・ヘブライ語でGabriel(神の人)。大天使。旧約では予言者・ダニエルの見た幻を解き、新約では
バプテスマのヨハネにキリストの誕生を告知する(コンサイス外来語辞典・三省堂)。

カブレラ・ストーン・・・・・・1.2万年前、ペルーに先史文明があった事を裏付ける多量の丸い石である。其れには恐
竜と人類が共存し、人類は高度な外科手術をしている絵など、先史時代のテクノロジーが詳しく刻まれている。

オーパーツとしては既に「黄金のジェット機」などが複数発見されているが、考古学的には矛盾するので説明できず、謎
とされて此れまでにも多数が闇に葬られてしまった。「ナスカの地上絵」等は航空機のない時代は判読さえ出来ないも
のである。また現代では航空機が有りながらもその用途さえ分からない。

また最近は宇宙からしか分からない謎の矢印がナスカで見つかった。此れは長さ50kmに及ぶものである(04/8/26の
関西テレビ「アンビリバボー」より引用した)。

★カーボン・デモクラシー・・・・・・・・地球上の人類は皆平等であるべきだ。炭素の消費についても平等であるべきだ。
所が英米など先進国がエネルギー多消費CO2排出大国であるから後進地域と比較すれば不公平である。この為、ロ
ンドンは2050年までに60%削減を目標として進んでいる。「温暖化」を参照。

・・・・筆者からのコメント。結構な事だけど、併せて「不戦」を目標にして欲しいね。エネルギーと火器使用で全てを破壊
し焼き尽くす戦争が最大の問題だからね。
▲カボチャ・・・・・・南瓜(ナンキン)。カンボジアから渡来したので此の名がある。不美人の代名詞。

★かま・・・・・・・・
★鎌・・・・・・・・

★釜・・・・・・・・
★窯・・・・・・・・

▲ガマ・・・・・・用水路の出口。山麓の泉や地下水を集めて暗渠キョで引いて来て棚田の配水に使うため配置したもの。
大阪府能勢町にも見られる(06/7/19のNHK総合TV)。

▲ガマ蛙・・・・・・蛙の一種でイボイボをもつもの。江戸の町には筑波山の四六のガマの軟膏を売る大道商人がいた。
そんなガマがいたとは思えないし、刀に仕掛けがある事は先刻承知で、切り傷に効くと言う触れ込み口上を面白がって
聞く大らかな江戸っ子も昔はたくさんいたようだ。

▲ガマ口・・・・・・口が大きい事。いや財布の話です。

鎌倉武士・・・・・・・・「関東武士」で記載。

カマイタチ・・・・・・真空切りの事。ある日突然何もない所で切られる事。つまり犯人は風(空気)か妖怪でしかない。
従って第一として風の妖怪、第二としては気圧の谷の起こす徒と見られている。更に第三として自爆論がある。乾燥し
た時期には人の皮膚が突っ張っているので、チョットした衝撃でも裂けてしまう現象と見るもの。

何れにせよカマイタチは痛みも出血も少ないと言う特徴がある。

(かまど)・・・・・・・・関西でもハングル語でも「へっつい」と言う。




★かみ・・・・・・・・以下、次ページへ・・・ ・・・ ・・・ ・・・・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆★
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