http://hijiri.tamajiri.com 「日知り事典」 page362.html(未定稿) ![]() 日知り事典 ワヲン ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ わ● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ わ● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆▲◆★ ●わ・・・・・・・・「わ」は母の事。及び「私、和、輪、罠、羽、倭、我、枠、割る」の「わ」である。 ●わ(輪)・・・・・・・わっぱ。輪、環。 ■和・・・・・・・・聖徳太子が推古12(601)年に「和を以て貴しと為し、さかうる事なきを旨とせよ」と17条憲法の第一に 掲げ、其れ以下の条文にも民主的な政治運営の理念の幾つかを掲げた。 これはロックやルソーが西洋民主主義を唱導してフランス革命に導く1100年以上も前の理念であり、当時から既に日 本人は「和」の理念の民主化を実現しようとした。無論、「仲良き」事は良い事だが、其れも時と場合で違う。 例えば泥棒や強盗に出遭った場合でも「和の精神」で争わず、素直に身包み剥いで与えるのが良いのかどうか。或い は官公庁に行けば見られる、お役所の「内部処理」のような「和を重視」して「馴れ合い」を認めるのが良いのかどうか。 職場や町内会のような場合でも、多数決の論理で組織ぐるみの悪弊となっている事柄が多い。 其れも此れも何でも和が良いのかどうか。この為、聖徳太子は勧善懲悪も唱えた。但し、善悪二元論では善悪がハッ キリと対立する概念となるが、現実はそんなに単純ではない。このため多くの場合に多くの人が悪事を許す事になる。 自分の保身やエゴの為に一時の和を口実に、日常に目前の悪を見ても見て見ない振りをする。 「長い物には巻かれろ」と諦めて、見逃している。だが、此れでは他人の悪事に加担したのと同罪である。其れでは譬 え後から陰口を叩いても其のツミは許されない。だから日本には「和して同ぜず」と言う諺も有った。「血に交われば赤く なる」と言う諺もあった。 善でも和でも民主化でも言うは易いが継続するには「馴れ合い」を避ける厳しい覚悟が必要であり、特に公務にある者 は「馴れ合い」や「付和雷同」を厳に慎むべきである(「悪」を参照)。聖徳太子は「和を貴い」と説いたけれども、この時 代も決して平和ではなかった。 彼は仏教の訓えを説いて、「和を以て」物部氏を事向けや和したのかどうか不明だが、結果的には馬子に与くみして守 屋を武力で滅ぼしてしまった。隋に「日出る所の天子」に始まる有名な国書を送ったが、此れも決して今の外務省の「お 詫び外交の親書」と同類のものではなかった。 中国が靖国批判で反日を煽り立てるのは、歴史的事実ではなくて、此れを外交カードに利用するほうが有利だからに 過ぎない。だから商売優先の経済界の輩と同列になって、「和をもって」お詫びしては国を売る事にしかならない。 だが其の後は太子も49歳で奇怪な死となり、やがて太子の子(山背大兄王)一族も、身内の蘇我入鹿に襲われて法 隆寺で自害(11/1)している。「和」を守り維持するのは大切だが、其れにはかなり厳しい心掛けが必要のようです。 其の点で日本人は統一国家を美化している。 洋式教育の結果、大陸的な帝国だけを国家の完成と誤解しての観念です。だが例えば一神会会報06/4/14には「一つ では和にならず」としてコーランの一節を紹介し、「世界を統一して治めるのではなく、異なる国々が、民族が、人種が、 宗教が、それぞれ他を認め合って、助け合って通ることが、神様の御心に適った通り方」と言う。 更に「一では和にならず。多を以って和となる」とし、「沢山あって賑やかでよい」とし、「此の世の中は神様の御心通りで なければ、平和に治める事ができません」として、続いて、この世を拵え、人間を拵えて整然として治めておられる神様 のお働きを手本として国を治め、家を治めることが、世界平和への道と言う事です」と言う。 其れに対して、「宗教的なお説教は聞きたくない」と耳を塞ぎ、それよりも民主主義を標榜して戦後日本は神を外した。 政教分離(祭政分離)と言うイデオロギーで事を進めたが、政党同士も企業間も家庭内も争いの場となった。此れでは 百年河清を待っても本物の「和」から遠のく。 ■和歌・・・・・・・・ウタ(ウタを参照)。日本(やまと)の歌。厳密には31音の定型歌。本来は神を迎える場としての若宮 で詠まれる歌だったと思われるが、一般には古事記のスサノヲノミコトの櫛稲田媛の妻籠の「出雲八重垣」の歌を和歌 の起源としている。 だがホツマでは彼の姉(稚姫)が、和歌の浦の玉津島で返し歌出来ない回り歌(恋歌)として恋人の思兼命に対して詠 んだとされている。其れが今の和歌山・和歌の浦の地名や和歌の起源ではないか。ともあれ以来、和歌は、男子が漢 詩を詠むのに対して、女性の文学とされて来た。だが、文学と言うより、寧ろ言霊を使う呪術の一つだった。 踏歌もその類例だが踏歌の場合は言霊よりも座相、即ち動き方、移転による何れも方位による呪(まじない)かと思わ れる。 ■和歌集・・・・・・・・万葉集、古今集、新古今和歌集などが有名だが、そうした古典では太陽に関するものが少ない。 太陽は天子、月は皇后、星は皇族・臣下を意味したからです。月に比べると星は少なかった。星は七夕以外では詠ま れなかったが、建禮門院が例外で、「星の宿り」を謳った。だが近代になると星が沢山出てくる。 また天象の例えば虹についてはシナでは天地の結婚と見たので、虹の下に市が立ったが、日本では「男女の結びつ き」を意味したので「女は見てはいけないもの」としていた。因みに西行は虹を「にうし」とか「をふさかかれる」と形容して いる。また王朝和歌の世界では肉体の部分を歌うのも異端とした。 今は「食の歳時記」などがあるが、宮廷和歌では酒でさえ避けた。飲む・食べるの飲食(おんじき)も、性的行為も詠ま なかった。戦いの歌も古典和歌にはない(例外は西行くらい)。古典和歌は美意識があったが、其れは狭い制約で窮屈 だった。其れに比べると短歌は自由で、何を歌っても良い(東大名誉教授・久保田淳)。 ▲和楽器・・・・・・・日本の楽器。和式文化を代表するものの一つに雅楽があるが、其れらは実は唐風・朝鮮式の楽 器である。日本本来のものは寧ろ鈴や鼓、或いは笛や琴であったろう。特に其れらは音楽と言うよりも神事に使われ た。記紀には中津彦(仲哀天皇)が占いに琴を弾いたと記録している。 笛や鈴も神を鳴り物で迎え、和ませようとしたものであって、現代の西洋音楽のように人間が自らを慰めよう楽しもうと するものではなかった。琴については古代のものは一弦琴。現在、鳴り物博物館にある一弦琴は、梅花が象嵌で鏤め られていて、各々の梅の花弁が音階になる。 今は13弦が普通である。琴は龍の口と言う箱で共鳴させて良い音にする仕掛けです。弦の数が増えれば弦を支える人 形形の琴柱(ことじ)も増える。17弦の琴は低音用に作られた。20軒80弦も作られている。 外に琵琶や三味線も一般的に使われた。鳴り物博物館には60種の琵琶が残されている(06/8/12NHK教育TVより引 用)。 ▲わかま・・・・・・・ ▲わかみ・・・・・・・ ▲若水・・・・・・・おかい水ともあかい水とも言われる水で、神仏に供えられ、或いは茶の湯に使われる水の事。本来は 立春の朝に宮中の主水司(もひとりのつかさ)から天皇に奉った水。此の水は1年の邪気を祓うと信じられた。同様の 意味で一定の井戸から早朝一番に汲み上げられる冷気を含んだ水を言う。 東大寺・二月堂のお水取りもこの種の意味から行われる春の神事である。五行の理から言えば時刻は寅の刻、即ち 子・丑の方角から東の「木性」に向う最初のエネルギーを含んだ水となり、陽の気を動かすエネルギーがある。 茶の湯に若水が好まれるのは冷気を含んだこうした若水が健康に良いと知られていたからであって、シナ伝来のお茶 の成分の能書きの信心から茶を好んだ訳ではなかった(吉方、お水取りを参照)。 ■若宮・・・・・・・・仲哀天皇の若宮は応神天皇だが、一般に言う若宮は応神天皇を祭る八幡様の場合に言う若宮であ り、此の場合は仁徳天皇を指す。此れは殿様に対する若様と言う関係と同じである。 外の若宮の場合も、先祖神を迎える場として、王の御子が青春時代から新婚時代に過ごした所であり、其処で縁日に 詠んだ神迎えの歌を後世漢字で「和歌」と書いた。天皇家でも都の東を東宮・若宮としたが、東京遷都では訳が分から なくなった。江戸城は無論徳川の城であり宮寺だった。 其処を乗っ取り、東宮に置くべき皇太子を西に置いた。東には本丸か大奥が有ったからだろう。よって其処を東御苑と し、西の丸に御所を作った。しかし西の丸とは大奥を引退した老婆が西方浄土に向かって先代の弔いをした場である。 ▲わかむ・・・・・・・ ▲わかめ・・・・・・・ ▲わかも・・・・・・・ ▲若者文化・・・・・・・昔は子供たちを餓鬼、または小僧・若僧と言った。子供などは掃いて捨てるほど多かったから だが、其れでも当時の子供たちは極楽トンボのように楽しい時期だった。或いは若いうちから働いて親に仕送りを続 け、やがて大東亜戦争ではお国の為に散って往った。此れこそ当時の若者たちに共通する見上げた魂だった。 所が今は少子化のためにどんな質の悪いのでもチヤホヤされているが、殆どの若者がナマクラで使い物にならない。 其れでも小遣いは持っているので商売人までチヤホヤして「若者文化」と持ち上げた。しかし其の小遣いも身に着いた 金ではなくて親の脛齧りで持っているに過ぎない。或いはスポーツの成果を見せる万引きかひったくりで得たものだ。 自然界から奪う事しかしなかった現代社会は、其の因果故に「子供に与えるのが親だ」と言う逆転した若者を作った。 其れでも年寄りたちは自分も仲間に入ろうとして若者に擦り寄って機嫌をとろうとした。こんなものは文化でも何でもなく て、堕落と退廃である。 ▲わかや・・・・・・・ ▲わかゆ・・・・・・・ ▲わかよ・・・・・・・ ▲わから・・・・・・・ ▲わかり・・・・・・・ ●分かる・・・・・・・・「分かる」と言う事は「分ける」事と弁(わきま)える事である。「分け前」は公平であるべきで不公平 では全体に歪みが出るし他に不満を残す。物事を「分かり易く」し、理解出来るかどうかは説く側の言葉使いとか論理 の問題も有るし、聞く側の頭の良さとか悪さのレベルにもよる。 だから一概には言えないが、今の日本では何でも「易しく分かり易く」と言う人が多い。通り一遍の、要するに水で薄め て説けば良いと言われる。しかし其れよりも、説く側にこの「公平分割」や「事分け」の視点があるかどうかが肝心であ る。単に水で薄めた話であれば面白くも何でもない。味が薄れて意味不明とします。 其れでも三文エロ小説なら読む人も有ろうが、学校の授業や会社の研修会なら無味乾燥で眠たいだけの話で終わる。 ですから水で薄めてだらだらしゃべる今の日本社会の説明法よりも、寧ろ昼夜・冷暑の別、苦楽の違いをハッキリさ せ、頭と手足の違いを分けて解説したほうが理解し易く、より印象に残るのではないか。 無論、更に論理的に話せれば満点であるが・・・・ ▲わかれ・・・・・・・ ▲わかろ・・・・・・・ ▲わき・・・・・・・ ▲ワーキング・プア・・・・・・・定職を持てずにフリーターなどをしている内、手に職がないまま益々仕事がなくなった 若者。今は単純労働のパート全盛の時代である。ただ誰でも出来る仕事は好況の時にチヤホヤされるものの不景気 の時は真っ先に切られてアブれる。手に職を持つプロでも仕事がなくてホームレスになる時代では厳しいのだ。 真面目に仕事をして来た青年でも、手に職が付いてない場合は30歳過ぎになって益々仕事がなくなる。今は3人に1人 がアルバイトであり、ワーキング・プアが量産されている。また秋田県では離村して無住となった村が100を数えるまで になった。米作地帯は特に米価の下落で離農促進となった。 05年は秋田県で6000戸の農家が減った。政府は「景気回復」と言うが地方は逆に、商店街も客が激減して潰れてい る。其れでも必死に頑張って働こうとするが、税金と保険料が2倍になり、医療費などもアップして払えなくなった。生活 保護も一定の条件が付けられるので「貧乏人は早く死ね」と言う事である。 此の問題について政府は何もしない。財源は国民の財源であり、譬え政府に期待して「貧しい人をもっと救え」と言う声 が上がっても財政的に無理。ワーキング・プアがどれだけいるのかさえ行政は何処も把握さえしていない。「個人の責 任」だから仕方がない、と言うのか。取材した中で働く意欲のない人たちは一人もなかった(06/7/23のNHK総合TV)。 格差社会、現代日本の病理である(「貧しさ」を参照)。 ▲わく・・・・・・・ ★惑星・・・・・・・・・人を惑わす星。別紙の「星ヨミ6」を参照。 ▲わけ・・・・・・・ ▲分け御魂・・・・・・神霊の一部(分かれ)。例えば全国には伏見稲荷、宇佐八幡宮、四国の金毘羅さん、天神様、諏 訪明神、・・・など根本社から其のご分霊を勧請して祭ったとする神社が多い。この場合の分霊とは如何なるモノか。物 は有限だが霊の場合は幾ら分割しても無限にあると言うのだろうか。 例えば全国に八幡様があるが、第一は応神天皇を勧請した神社である。次は宇佐八幡からの勧請、そして武家時代 には鶴岡からの勧請である。無論此れ以外もあるが、其の仔細は別として、此処では人の生死から考察する。所で彼 あの世とは霊界である(黄泉の国とは違う。黄泉の国については別紙の「月読み」を参照)。 あの世とこの世は逆転する事が多い。この世で人が生まれるのは「結び=産霊」の力である。そしてやがて死去すれ ば「往生」と言うが、其れは彼の世に生まれ変わる事を言ったものである。 其れは魂が分解する事を意味する。だから人は此れを「解け=ホトケ」と言う。彼の世(ホトケ)にもこの世と同様の社 会や職業が有るが、かなり秩序が整い、ピラミッド形の階層になっているため魂はいったん解体して、この世の想念の レベルの所に個々に向って帰着する。従って自由がない反面、想念の世界であるから幽体としては実に自由である。 ただこの世との大きな違いは「実体験する」事が出来ない点である。其れに対して食事を味わったり子供を作り、分魂 (わけみたま、魂を増やす)と言う行為もこの世の特権である。彼の世へ入れば肉体と言う邪魔物がないから何処へ旅 行するのも原則として一瞬で行けるし、戦争でも結婚でもやりたい放題である。 ではあるが実体験がなく、譬え結婚しても子供を生む事もない。従って再びこの世へ生まれ変わると言う可能性も狭 い。さて、この世に再び生まれ変わるには彼の世で親族の代表として選ばれる場合と、この世で祭り事をして迎えられ た場合である。 でも生まれ変わるためにはいったんバラバラになった魂を再び「結び直す」必要が有る(「円系図」を参照)。 ですからこの世に人として、或いは動植物として存在する事は実に嬉しく貴い事であり、其れも多くから支えられている のです。さて、ワケ御魂については無限ではなくて、円暦の方式によるなど一定の制約の中で有効となる。 ▲わこ・・・・・・・ ★倭寇・・・・・・・・・藤原定家の「明月記」には「松浦党が高麗の民家を焼き払って私財を奪った」とする記事があり、此 れが倭寇に関する古記録と見られる。彼らは九州西部の海人、其れに朝鮮人やシナ人が加わった勢力だった。 倭寇は時には数百隻の船団で相手の村を襲い、私財を奪って家を焼き払い、人民を拉致したのでシナ、朝鮮の沿岸 部の人たちや国々を悩まし続けた。だがそうした結果として先ず倭寇に対抗するために李ソンゲが出て朝鮮国を建て た。次に明の光武帝が日本に倭寇の禁圧を求めて来た。 よって足利義満は「日本国王」として、正式な交易船には勘合符を与える勘合貿易を発展させる事となり、「琉球」や 「十三湊」も栄える事となった(05/7/5、NHK教育TVより引用)。 「明月記」は元寇の前の記録である。よって元寇となった。こうした関係事件はコトの善悪と言うより因縁である。 其の元寇の仕返しにまた倭寇が荒ら廻って、更に秀吉の朝鮮征伐も明への視野から繰り出したものである。秀吉を侵 略者として韓国は今見ているが、明の素性は蒙古族であり、元寇を送り出した事への日本からの報復であったに違い ない。 ★倭国・・・・・・・・・和国は大和、つまり奈良県を中心とした日本国でした。だが「魏志倭人伝」にあるように「倭国」と書 く場合は日本ではなくて当初は朝鮮半島北部にあった匈奴の一部の騎馬民族の可能性が強い。 彼らが後漢から金印を貰ったものの大陸から追われて筑紫の伊都の志賀島に漂着して日本の王家・出雲の庇護を受 けようとしたものの、出雲王朝も滅ぼされて弾圧されたために急いで金印を埋めたものであろう。やがて三国時代とな り、魏の庇護を求めて冊封体制に組み込まれようとした。このため生口と言う多数の奴隷を提供したようである。 朝貢として娼婦を提供して接近する手口(外交)は日本にはなくて、男尊女卑の風習を持つ騎馬民族の常套手段であ った。 ▲わさ・・・・・・・ ▲わし・・・・・・・ ■和紙・・・・・・・和紙は中国の発明とされているが、実は日本で発明したものであってシナから渡来した訳ではな い。何れにせよ洋紙以外はヨーロッパの発明品ではない。ヨーロッパには紙を必要とする文化さえなかった(「紙」を参 照)。和紙は洋紙よりもずっと軽くで丈夫です。よって昔の和綴じ本は今の本よりずっと軽い。 しかも原料が優れていたし長持ちする。洋紙の原料は主として丸太を粉砕したチップからパルプとするのに対して、和 紙は其の年に育った細い楮(こうぞ)の皮を剥いだものから作るから環境を壊さない。明治の太政官符にも使われた 越前和紙は1500年の歴史があり、封書紙として名が通っている。 佐賀の名尾和紙の場合も梶の木の一年ものから作る。大きな木になると繊維が荒くなるからです。名尾和紙は梶の木 を一度蒸してから皮を剥ぎ、其れにトロロアオイを混ぜて漉く(NHK総合TV、06/1/25より引用)。 此の名尾和紙は300年の伝統があるが、今は一軒しかない。梶の木は繊維が長いので丈夫であり、昔は提灯和紙と して使われた。外にも和紙のチャンチャンコや座布団にも使われる。特に柿渋に漬けた物は洗濯しても破れないほど 強いと言う(衣類としては「紙子白木綿」を参照)。 其れに今の洋紙は石の粉を混ぜるからテカテカしているものの重くて破れ易いし、ポリコーティングしたものもテカテカ ツルツルしているが燃やせばダイオキシンを発生するから始末が悪い。其の点でも和紙は純粋な植物繊維を絡み合 わせてネリ(とろろ)を混ぜて作るから丈夫である。しかも柿渋を使えば水を弾くので水に強い紙になる。 この為、雨傘や合羽としても使われて来た。また和紙の伝統は高野山の麓や高知の伊野町など各地で細々と伝えら れて来たが、当時の和紙はお経を書く用紙として必需品でした。高野紙は楮で作って経本や絵巻物にしたが、丈夫な ので番傘にも使った。材料は楮のほかにも三椏(ミツマタ)やガンピ(雁皮)が使われた。 ガンピは栽培できないだけに集める苦労があるが特に丈夫なので江戸時代に藩札として刷られ使われていた。日本の 社寺の文化財を修復する場合は、このガンピを使った名塩和紙が使われる。其の技法を一人で守ったのが人間国宝 の谷野武信氏である。紙透きには水道水が駄目なので山水を使う。ガンピには岩石を砕いて混ぜる。 これで色づけするのである。砕いた岩石の泥水に漬けて、其の後に灰で攪拌して紙透きに入る。他方、飛騨市は和紙 の産地として800年の歴史を持つ。此処では雪が多いほど喜び、楮(こうぞ)を雪に晒す。秋10月頃に伐った楮の皮を 剥いで雪に晒せば、水蒸気からオゾンが出て凡そ10日で白くなる。 其の後で緑色の部分を洗い、タクリコと言う器具で削ぎ落とす。此れをタクリと言う(07/1/23、NHK総合TVより引用)。 其の近くに美濃がある。美濃と言えば和紙の代名詞であった。此れは障子紙として優れていた。此処では主として楮を 使う。先ず楮を伐って、その表面を削り落としてから鍋で煮る。その鍋には灰を入れてある。 更にトロロアオイの根を加えて練る。其れを紙漉きして天日で乾燥するのである。楮は春に伸びて秋には伐り取れるの で環境破壊となるCO2排出防止産業である。工程が工夫されていて楮からの歩留まり(効率)が非常に良く、しかも世 界一紙質が良い。シナの場合は紙を発明したのではなくて漢字で「紙」と言う字を作った程度です。 シナの紙は例えば蔡倫紙があった。此れはイスラム軍の捕虜となった職人がキルギスに伝えたものがヨーロッパに伝 わった。其処から洋紙の時代となるが、洋紙は木を砕いたチップから造るため大木を伐る必要が有るので環境破壊産 業である。また紙質の欠陥として50年でパラパラになってしまう。 其れに対して和紙は200年経ったものをクシャクシャにしても直ぐに元に戻る(一部を05/4/16、NHK総合TVより引 用)。 また京都・北野天満宮にあった北野天神絵巻も今はニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されている。鎌倉時代 の和紙なので楮とガンピで作られた物。糊も蕨わらびのりを使った事が分かった。一度蕨糊を使えば二度と剥がれなくな る(NHKTV05/12/13)。 ▲和式文化・・・・・・・「和文化」、「日本文化」を参照。 ▲和食・・・・・・・果物、生り物、刺身や寿司など生ものを主とする。日本では山の幸、野の幸、海の幸を新鮮な内に先 ず神前に供えた後に、其の「お下がり」を直なお食らいとして戴いて来た。此れを神人共食とも言った。此れは諸外国が乾 物や漬物、或いは穀物や加工食品や保存食品を主とするのとは対照的である。 和食は新鮮さが第一であり、従って近場の土産を採るものでした。言わば地産地消のスローフードでした。調味料とし て昔は味噌や醤油を多用したがもっと昔は塩味だけでした。其れに対して、シナには「医食同源」を有り難がる習慣が ある。此れも一面の真理ではあるが人間主義的で薬効(実利)主義的な教えであり、経験主義的風習である。 其れから、羊の群れか軍隊蟻のような星の諸国では軍隊食として利便性の高い乾燥肉などの保存食や加工品、其れ にインスタント食品を発達させたが、日本もすっかり其れに嵌った。従って、和食文化と言っても、今や自給率も低下 し、偽物ばかりとなった(ヨモツヘグイを参照)。 ★例えばウドン。小麦粉も大豆もトウモロコシも1万キロも隔たった所の米国産輸入品ですから地産地消に反する。ま たテンプラに使う海老の場合、世界の1/3を日本人が食べる。其の殆どがタイのマングローブの森の海岸を潰して、海 老養殖場に換えた所から運ばれる。其の養殖場も5年で駄目になる。 不自然な養殖によるためです(★以下は06/6/29のNHK教育TVより引用。「自給率」を参照)。 ▲患い・・・・・・・・「わずらひ」はケガレの浄化作用である。ケガレとは先天性の精神面、つまり因縁が大部分であり、 次は後天的な患いがある。例えば肉体面の病気の診断では、先祖からの遺伝的な先天性と、自分の想念(恨み、ひが み)や不摂生(無養生・怠惰)による後天性、或いは高齢化特有の老人性疾患などに分類出来る。 病気、つまり肉体的なケガレは老廃物の蓄積が汚濁となり、毒素となったものであり、其れを払うのが祓いである。通 常は排便が其の役割をするが、それ以外のものを排泄するのが種々の症状(病状)となる。従ってケガレを払うと言う 生理現象は少しの病状を見せても余り心配しなくて良い。例えば風邪と下痢である。 血の浄化が風邪となり、食べ物の浄化作用が下痢として払われる。其れが生理の病理である。其の払いの働きを知ら ずに対応すれば祓いを邪魔し、従って悪循環に入ってホントの病気にしてしまう。其れか病みツキである。この様に今 の医学的な処置をすれば毒素の排除に失敗する。そうすると毒素が体内をグルグル回るかコビリ付く。 そうなると五行の理でも方位でも祓えない。よって此れをワズラヒと言う。ワヅラヒとはツキの変化であり、難病奇病に 仕向けて行くように変化する。不幸の道のりの悪循環に嵌めるのです。ですから風邪や下痢を心配せずにやり過ごす 心得が大切です。 此れは寧ろ元気回復のための必要な生理作用であり、過程(節目)なのですから、一時的な現象に煩わされて余り過剰 反応しては逆効果となる例が多いので、何もせず静かにして自然治癒を待つのが良い。其れでも心配ならば祓いによ り禊をして清まれば治癒を早める。 或いは按摩(マッサージ)、鍼灸(針灸)、気功(手翳し)、などが医薬よりも実効力があります。と言っても現代人は、科学 文明の恩恵を実体験した世代なので、こうした話を決して信じようとはしないが、其れこそ科学信心に汚染された生兵 法であるから、自らの業で苦しみ、自ら身を滅ぼしてしまうのを他人は座視するしかないのが残念です。 古代和方は病気を作らない医学として数千年の実績が有るが、西洋医学は病気を減らした実績がなく、寧ろ増やして 来ただけの魔物の医学です。何れにせよ患いからの回復には血液の浄化が先決であり、其の為には其の方位の先祖 の力を回復するのが確実です。 病気の多くは先祖からの戒告、または因果の仇花、即ち今見える現象の一つであり、その一つの現象に対して西洋医 学では太刀打ちできない。アレコレと対症療法を施すが治せない。西洋医学の力では根治には程遠い(無力)結果を見 るのが現実です。体を心配して「犯人探し」している内は健康を取り戻せません。 犯人を挙げて病名を付け、「一件落着」とするのは遠山の金さんのお芝居であって、自分の体を犯人にしても落着しな いのです。肉体の先の根本にある心的原因(種)に触れずに、物質面だけの偏った表皮的施術に終始するのは自分い じめ、自虐行為であって健康から遠去けます。 或いは頑固に他人の言う事を拒絶し続けたり、もしくは他人の苦しみを思いやる気持ちがなければ、次は自分が怪我 や病気をして其の苦しみを身を以って味わう側になる。そうして心も耳も閉ざした場合に、今度は自分の体から教えら れ、身に凍みて味わう事になるのです。 百獣の王と言われるライオンや無敵の猛虎であっても自らの中の「獅子身中の虫」(別項を参照)に苛まされるもので ある。其処に至っても尚、人が気づかなければ、そのままあの世に持って行く事になるでしょう。或いは先祖からの戒 告を否定して病気と言う仇花を切り刻んだり、薬を掛けても次世代にまた其の根や膿は残って芽を出します。 そして再び仇花を咲かすのが因果の種であり生命体である。其の悪因果の根を絶つには、自分の体を犯人にするの ではなくて、「何十年も良く頑張ったね」と褒めてやるべきです。そして先祖を慰め、感謝して霊的力で肉体の浄化力を 高めるしかないのです(「因縁」、「ケガレ」、「霊主体従の理」を参照)。 ■綿・・・・・・・・繭から採ったものが真綿であり、つまり絹綿の事であり、其れに対して今一般に「綿」と言っているのは、 綿花から採った木綿である。 ▲わだ・・・・・・・・海の事。 ▲渡し・・・・・・・・河川を船で渡す交通関係者や漁労、航海民。渡辺とか渡里と言う地名や苗字の由来である。因みに 水戸には渡里の地名、伊勢には度会の郡名があり、大坂には渡辺の地名が残り、神戸には大和田があり、瀬戸内海 の大三島には大山祇つみ神社があって「ワタシの大神」と呼ばれている(別紙の神々の歳時記「9/22」を参照)。 ▲ワダチ(轍)・・・・・・・・車馬の車輪の通った跡に出来る二本並行した軌跡。多くの場合、其処が水溜り(わだ)にな る。 ▲・・・・・・・・ ■海神(わだつみ)・・・・・・・・安積氏や海部氏など海人族。とは言っても謎が多い。住吉三神や金毘羅神はワダツミの 航海安全の神とされる。また上記の大山祇つみ神も海神である。海部はアマベとも読む。大和でアマと言えば天孫族を 指す事が多く、其れは関東人であったが、関東では凡そ「渡り」と言う。アマとは海女、海士、天、海人とも書く。 其の海人の事を沖縄では今でも「うみんちゅー」と呼ぶ。海人は彼ら自身の事なのだ(「水軍」を参照)。また大阪・岸和 田市には今は市街地になった所に夜疑神社があり、和多罪・豊玉彦の児・布留多摩命を祭っている。近くに縄文遺跡 がある。此処は安積族の八木氏がいた「岸の和田」であった。 ▲渡り鳥・・・・・・・・宮城県には伊豆沼と蕪栗(はぶくり)沼があり、前者は県内最大の沼である。此の辺りでは日の出 前に空を覆うほどの何万羽もの真雁(マガモ・まがん)が飛び立つ。ラムサール条約指定地であり、観光資源にもなっ て来たが、沼の水質が2倍に悪化し、ワースト2(COD-2)となっている。 原因は農地の其れまでの化学肥料と農薬使用、其れに生活排水だったが、今は糞害が加わった。此の12年間でマガ ンは3倍増、其れに他の水鳥や小白鳥も多い。日本の渡り鳥の80%が此処にやって来るようになった。彼らは半径12k mの落穂(モミ)を拾って食べる。昭和40年には狩猟にってマガンが数千羽にまで減って、天然記念物に指定された。 だが此処10年で急増した。原因は産卵地であるロシアの温暖化と見られている。ただ此処にマガンが密集すれば伝染 病で集団大量死の危険も有ると心配している。また葦の類のマコモが沼に広がり出した事も心配されている。其れまで は、水草が水質浄化に役立つと見られていたが、実際は機能していない。 其れよりも農家の協力で、冬水田圃にする試みが過密化解消に役立っている。渡り鳥の集中化から分散化である。無 農薬によるコシヒカリの品質向上と価格アップにも成功した。ただカメムシ害が当面の課題である。また蕪栗(はぶくり) 沼の場合は行政的な支援をしている(07/1/20のNHK総合TVより引用)。 ●和時計・・・・・・・・明治直前までの日本の時刻は一日を昼夜に分けて、各々6等分して一刻を一時(「トキ」「シバ」を 参照)として数えた。一刻の長さは季節で変化する「不定時法」だった。西洋から16c中頃、機械式時計が伝来して以 後も、従来のアナログ時間を守るため、日本独自で和時計を開発していた。 特に棒テンプで時間のリズムを刻んだ目盛りがあり、文銅の位置を其れによって変えて季節調整をしていた。此れは 今の単純な時計よりも複雑で精巧、かつ自然の時間に対応した優れた時計だった(須弥山儀を参照)。 ●わに口・・・・・・・・鰐口。寺社の正面の軒先にぶら下げてある鋳造の鳴物。下に引き手の麻綱や布編み綱があっ て、参拝者が其れを引けば鈍い音を出す中空の鳴り物。他にも「鰐口」はガマグチ(財布)、鞍のない所の一つ(彎曲 部)、恐るべきもの、人の噂、世評、などの意味もある。 ▲侘び茶・・・・・・・・千利休は精神性を重視して侘び寂と言う洗練された茶の湯を確立した。茶道具とする茶碗も美濃 の志野焼きが使われた。此れは素朴だがセンスがあって一服の絵画である。やがて同じ美濃焼きから織部が生まれ て更に楽焼が出て時代を変えて行った。 ■和風・・・・・・・・ ■和風建築・・・・・・・・掘立柱式の板葺き建築。例えば神社建築。屋根は瓦ではなくて檜皮葺き(ひわだぶき)である。 しかし今は和風建築と言えば瓦屋根の木造家屋と思われている。でも其れは誤解です。此れは地震の少ない大陸式・ 朝鮮式建築様式であるから地震に弱い。 例えばNHK総合TV(07/7/18日)のクローズアップによれば、07/7/16日の被災は柏崎市に集中して木造家屋の倒壊 が300軒以上もあった事。此の辺りは砂地の上に市街地が広がっていた。砂地が流動化現象を起こして、地震の衝撃 を2秒ほどのゆっくりした揺れにした。 建物を大揺れに揺らした為に特に瓦屋根の二階建ての倒壊を齎したと言う(日本建築を参照)。 ●和文化・・・・・・・・昔からの大和文化、日本文化の事。しかし実際の所、日本文化と言えば今では正月の風習や雅 楽が挙げられ、「和風」と言えば呉服や和食が挙げられる。でも雅楽の中身は唐風のものであって純和楽ではないし、 和服にしても呉の国の衣装であって呉服としか言えないのではないか。 茶道や正月行事なども世界的に知られているが、此れだって禅宗渡来以後の唐風文化であって、元からの和文化で はない。何れも和風文化として今の日本では商売とか業界ぐるみで成り立っているものの、大多数の日常にとっては雅 楽も呉服も茶道も正月用品も和文化の中心ではなかった筈である。 日本国内では優雅な晴れ着や侘び寂よりも日常茶飯が中心であり、中でも大和言葉が基本でした。つまり和食と会話 である。其の点で感心するのは今のお年寄りたちが此れを復活しようと努力している点である。彼らは戦中戦後を駆け 抜けた。戦前は学校があっても学徒動員で狩り出されて労働奉仕はしたが勉強が出来なかった。 其れでも今、微かな昔の記憶を辿って例えば「おふくろの味」や草鞋(藁草履)や注連縄作りの復活を試みている。其 れは彼らの両親や祖父母が戦前に伝えたものに違いない。本物を知る事となったのは、多忙な中にも家事の手伝いを したお陰かも知れません。それらが見事復活して今の子供たちに伝えられれば素晴らしい事です。 其れを今して置かなければやがて日本人はスーパーに売っている商品だけしか知らない、薄っぺらな体験しかない事 になり、本物の和文化を知らない世代が増える。 机に向かった勉強でそのまま成人するよりも、勉強以外の体験をした明治の人たちが、小学卒でも尊敬される立派な 多くの人たちとなったのは、その間に寧ろ日常の会話で当時の社会を学び、人の世に生きる知恵や常識や経験を養っ たからなのでしょう。言葉や土地柄や風習・風俗を目の当たりにして人との和を図るのも和文化です。 ただ其れらが今は急速に廃れつつあります。文化庁は日本語などは文化と認めず、「文化とは芸能に限る」と勝手に 決めて威張って来た。これではどうしようもない。しかも今は英語を第二公用語とした。更に外来語の氾濫とパソコン・ インターネットの普及で益々日本語は絶滅に向かうように仕向けられています。 しかし芸能よりも言葉や親の躾が和文化の基本です。例えば言霊には天に通じる力があり、其れは50音をハッキリ発 音する事に有ります。人口構成から言っても中国語や英語圏の方が広いけれども、日本語を失っては日本人としての 意味がなくなります。 日本文化とか伝統文化と言えば雅楽や茶道が勝っていて、言葉の問題にしても教育界やマスコミがビジネスとして利 用しリードして来た。従って日本人に最も大切な言葉を文化として守ろうとはしていないのですから問題です。和文化の 基本をそんな商売絡みの所に預けて来たのが間違いでした。 オヤが自ら其れを認識して家庭にしっかり取り戻し、家庭料理と同様に子供たちにもチャント言葉を教え、守って言い 伝えて行かねば滅びてしまうのではないか(「ことたま」を参照)。 ●わらべ(童子) ●わらし(童)・・・・・・・・座敷ワラシ、座敷ぼっこ等と言われる小学一年生くらいの顔が赤い妖怪で家の守り神。 岩手の遠野のケースは柳田國男、花巻は宮沢賢治が童話に書き残した(06/7/23のラジオ深夜便)。 ■割り箸・・・・・日本は世界の中で例外的な風習として神代から箸を使って来たが、其れは神様へのお供えのためで した。自分の食事は素手のほうが良いに決まっています。特に南洋では素手のほうが実は衛生的である(此れに気づ かない西洋医学信者は異論もあろうが)。 箸にも火箸(金箸)、塗り箸、竹箸など色々あるが、食事の場合でもうどん等には割り箸が最適です。寸法については 古来最も一般的な箸は七寸であり、子供用が五寸と思って良い。 外にも無論8寸(24cm)、7.5寸(22.5cm)、7寸(20.5〜21cm)、6.5寸(19.5)、丁六(18cm)、其れに弁当 バシとして5.5寸(16.5cm)や5寸(15cm)が使われる。其の外、長いものは1〜2尺大の菜ばしがある。 外にも用途や種類によって吉野地方では、高級「天削げ」(上を斜めにカットしたもの)、利休(祝い箸・丸箸)、元禄(全 体を面取りしたもの)、上小判(一部面取り)、弁当箸・・・・などに区分している。 因みに割り箸は「資源の浪費だ」として毎度近視眼的な人々から槍玉に挙げられるが、実は何も浪費ではない。化石 燃料から作るプラスチックなどと違って、木竹類は再生可能なリサイクル用資源であるからです。 しかも杉やヒノキの割り箸は建築材の一尺未満の端切れを廃物利用したものである。其の同じ一尺から五寸と五寸を 採れない場合に八寸を採って歩留まりを良くした。或いは白樺材の箸は、此れも白樺が他に用途が無いからである。 白樺は曲がりくねっているため製材し難いし、板にしても釘を打てば割れてしまうので建築材にも家具にも使えない。 ぺらぺら燃えてしまうので燃料としても力が無い。だがほのかに甘い香りがするので割り箸、爪楊枝、シャモジにだけや っと用途があるのです。其の点で近年は南洋の竹や泥桐などを使った割り箸が過半数を占めるに至った。だがコスト 削減のために安い物を使うのも程々にしたい。この種の竹は直ぐにカビが出たり虫が出て使い物にならない。 或いは泥桐などは悪臭を放つので、折角の料理も台無しとするのです。 ●和暦・・・・・・・・普通は旧暦を言う。旧暦と言えば陰暦と断定的に思い込んでいる人も有る。其れは太陰暦を言って いるのかと言えば違う。「旧暦」と言っている暦は天保年間に改暦した天保暦を今も継承しているものであるが、此れは 太陽太陰暦である。では天保以前の旧暦はどんな暦だったのか。 全て太陽太陰暦であって太陰暦が一つもなかったのか。と言う点になると詳しく分からない。文献では確認出来ないか ら諸説があるものの確定的なものにはなっていない。ただ、歳時記と古墳や参道の位置・方位を検証して行けば正解 が得られると期待出来ます。因みに本書の場合は、古墳時代の和暦は純太陽暦であったと見ている。 其処で当会は別紙「神々の歳時記」によって各地の古墳の被葬者の特定をした。因みにウィキペディアにも和暦・古 墳・天文などについて解説したのであるが、何者かによって無断で直ぐに書き換えられてしまうため、気がついた時点 でまた加筆すると言う無駄な作業が続いて中々真実が発表出来なかった(よって此処で解説する)。 歴史学者は従来から、「其れまで我国には暦法がなかった」と断定して来た。しかも、「欽明、持統天皇」の時になって 初めて、我国は渡来したシナの暦法を採用したと講釈し続けている。更に我国は「大化の改新」によって国が出来たと 講釈して来た。 此れはしかし和暦の説明ではなくて、我国の成立を歴史的に歪めるものであり、しかも大陸から渡来した渡来系陰陽 暦を文献から拾い上げて述べたものに過ぎない。つまり歴史認識と暦法の認識に決定的な勘違いがあり、もしくは文 献主義による誤解、もしくはGHQ史観によるイデオロギー(異教性)である。 後者の色彩が一番濃いので問題が深刻である。日本が神代から存在したと言う戦前の歴史観を否定するためのイデ オロギーの押し付けである。日本の精神的なバックボーンを奪って歴史文化を否定しようとする占領軍によるGHQ政 策の仕業である。 であるとするならば、日本人なら此れを鵜呑みにする必要はないのであって、寧ろ正々堂々と反論すべきです。例えば もし国も暦法も度量衡法も日本になかったとするならば、約束も集会もなく、従って宮も祭りも古墳も出来なかった筈で ある。所が記紀には神代からの期日が暦法によって逐一記録されている。 此れは他国の歴史書には見られない正確無比な記録です。或いは神社の中には神武天皇の頃からの古い由緒を持 つ所や、皇居跡も各地に伝わり、しかも古墳が20〜30万基もあって、其の起源が分からないほど古いものが有る。し かも其れらを円暦と対比して見れば、記紀の命日と歴代天皇の陵と遷宮の原理が逐一整合するのです。 従って当時には立派な太陽暦が日本にはあった事が分かって来ます。そうであるにも関わらず敢えて其の和暦を否定 する御用学者は、其れらの事実を悉く否定できる事実を明らかにした上で和暦を否定すべきであるが、其れも出来な いでいる。 戦後の御用学者は多分、ドサクサの中でGHQの命令を黙って呑み込んで保身を図り忍従して来たのだろう。此の為に 我国の政府と暦法の起源は大化の改新が定説になり、或いは元号が暦の起源だとする暴論が通説となった。元号は 暦法の起源とは別問題である。其れ以前は元号を使わず、「高津宮の天皇何年」等と数えて来たのだ。 だがこうして筆者一人が今更異議を唱えても覆す事が出来ない。ですからテストの場合も教えられた通りに答えなけれ ばバツになります。しかし・・・・・暦法がなかったとすれば、社会生活は成り立たない。暦がなければ他人と日時の約束 をするのも無理ですから一定の時期に祭りをする事も出来ない事になります。 従って一定の期日の祭りのために一定の期日に税金(歳費)を集める事も無理となります。なのでもし和暦が無かった ならば、其れまでの日本は無税で自由な楽園(パラダイス)だったと言う事になります。此れは実に素晴らしい事です が、決してそんな時代は日本にはなかった。とすれば今の歴史で習う「暦の起源」には矛盾がある事になります。 しかしながら現在は「我国には暦法がなかった」「国もなかった」と教え込んでいます。其の矛盾に気が付いた方々は、 其れを教えたGHQの手先に対して、是非、問い質して貰いたい。日本が先の「楽園」であったのかどうかを再確認して 頂きたい(「暦法の渡来」を参照)。 どのような証拠でも良いから、「無税天国」を是非証明して貰えないかと頼んで見て頂きたいと思うのですが、其れも無 理でしょうから此処では重ねて言えば、和暦は神代から存在しました。其れを認めたくなければ是非、円暦(真の太陽 暦)を全否定出来る事実を並べ、古墳や宮の検証・実証をした上で、和暦否定を主張して見てはどうでしょうか。 ▲我々・・・・・・・・我は自分の事だが、同時に関西ではワレは相手を指す言葉でもあった。従って「我々」と言う場合は、 「俺もお前も」・・・と言う意味である(西埜説)。 ▲ワンクリック詐欺・・・・・・・インターネットを使った犯罪。相談サイトとして例えばhttp://www.rizardon.com/~1sagi0/「撲 滅!!ワンクリック詐-リンク集」 ▲わんど・・・・・・・・大川の岸辺の水溜りの事。 ■ ■・・・・・・・・ ■・・・・・・・・ ■ ▲◆★ ●い(ゐ・ヰ) ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●う ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・・・・ ・・・ ●え(ゑ・ヱ) ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●を● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ を● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ◆■▲★ ●を・・・・・・・・ア(父)ワ(母)に対する「ヲ」は子供であり、自分であり、天人地の「人」であり、天地の中心点(定点)であ る。 ■をうと・・・・・・・・夫。 ■をうな・・・・・・・・女。 ■をさ・・・・・・長。 ■をはり・・・・・・終わり。 ◆■▲★ ん● ・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ん● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ◆■▲★ ■終わりに・・・・・・・・古くからの日本語が現代まで伝統的に息づいているのは世界的に比類のない高い精神文化であ り、其れを守ってきた日本人は実に立派です。日本には其れほど高い精神性があった事になり、其れは比較的保守的 だったとも言えるだろう。 だが例えば火(ほ)が「穂」に置き換えられたように稲作・仏教・漢字・・・の渡来と共に少しづつ意味が歪められた。日本 は弥生から稲作、そして平安時代も渡来風の公家文化となり、鎌倉から江戸、そして戦前までは漢字と仏教文化と武 家と軍人の時代でした。そして現代社会は商売人の時代であり、今は全てが銭金で換算されるようになった。 時代の変貌と共に元の意味が益々薄れて来ます。だがモノカネだけを価値観だとするような時代は長い歴史の中で、 ほんの一瞬である。現代の物質科学や人文地理の学問で定義した意味だけが決して最高のものとは言えない。いや 寧ろ、現代文明はもう直ぐ崩壊する兆しが見えている。 今の貨幣価値や数値主義も、市場原理と言う観念も「正義」や論理も、そして財産とか所得と言ったものも、あと五十 年通用するかどうか、大いに疑わしくなっています。例えば戦後を風靡した共産主義が今や消滅したが、其れを誰が5 0年前に予知しただろうか。資本主義も米日両国の巨額の負債で崩壊間近です。 この様に、物質文明や今の価値観もやがて崩壊し消滅しようとしています。モノから心に人の関心は移行している訳で す。少子化で日本人は漸減する。折角財産を残しても、跡継ぎが無くなれば否応無く発想を変えるしか有りません。そ うしますと、例えば「人の幸福」とか、「生き甲斐」と言うテーマとか、本物志向が関心の的になって行くでしょう。 そうした今、此処では「日知り事典」として、古の日本語の内の、主に大和言葉を軸にして昔のヒジリの哲理を述べた。 日本語自体が外来語の氾濫で既に滅びかけている今、大和言葉も万葉語も既に死語・古典と見られる。であれば、ヒ ジリ語などは完全に反古「没語」となった。従って本書は言わば「没語事典」となるかも知れない。 だが古の日本語の真意が不明では、幾ら古典を読んでも分からないし、また例えば方位の指針である「北」が何れの 方位をであったのかが分からなければ古の日本文化を伝える祭りの意味も伝統ある古墳の事も謎となり、其れでは当 然古暦も分からない。 そうであれば今の暮らしも曖昧で自信が持てないまま見落とす。そうした懸念から今回は此処に「ヒジリ詞」を書き残し て少しでも文化破壊のストップに役立てたいと思う。 ■日知り事典の「参考文献」・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 巻末に記載。 次は パテント・著作権は本会に属します。 「鬼の会」 |