http://hijiri.tamajiri.com 「日知り事典」 page201.html (未定稿) ![]() 日知り事典 コタ〜子安 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ ● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●■▲◆★▲◆★ ●コタキ・・・・・・・ ▲子沢山・・・・・・・・子は子宝と言った。しかし其の宝が増える筈なのに現実の暮らしは厳しく、寧ろ貧乏となるケース が多いので親たちは「貧乏人の子沢山」と自笑し、世間も其れを通念として来た。しかし子供は不思議にも「自分の一 生の食い扶持を背負って来る」とも言われる。 確かに当面は貧乏するけれども、長い目で見れば其の家の幸であり、宝となる事を知者は心得ていたのでしょう。でな ければ不公平です。子のない家から見れば其れは羨ましい事と写る。だから嫡子が出来た家を先祖や神が一時貧乏 にさせる。世間も霊界もこうした公平の原則に立つ。 ある家だけに子供も財力も同時に与えては不公平なので、子を得た家は一時困窮して当たり前とするのです。しかし 親はそうとは知らず只々苦しく大変なので昔は「子沢山」となるのを恐れて間引きをしたり新生児に「お止め」の名をつ けた。男子ならば「留吉」とか「留五郎」とし、女児には「オトメや留子」などと名付けた。 つまり子宝と言って喜んだ時期は最初だけであり、其れを過ぎて、更に、子沢山になるのを止めたいと思った時、親は あの世へそうした言霊の言挙げによる意思表示を送った。無論、外にも色んな方法があって不思議と次の子供が生ま れる事はなかった(「オトメ」、「少子化」を参照)。 其の為かコンドームなどを使わなかった日本が、何度も少子化の時代が有ったのです。 ▼木匠・・・・・・こだくみ。木で細工する仕事。大工さんや指物師。或いは木地師がいて木を薄く加工して曲げわっぱの ような食器にした。やがて仏師になる人もいた。仏師から歯医者にもなった。木で入れ歯を作ったので、日本の入れ歯 技術は少なくとも1539年から1799年まで世界の最先端だった(入れ歯を参照)。 ●木霊・・・・・・・コダマ。 ★コタン・・・・・アイヌにとってコタンは「神々の世界」を意味する地名であり、道内にはカムイコタンがある。其れに対し てフランスのセーヌ川の河口にコタンタン半島があり、其の近くにブルターニュ丘陵があります。この辺りはヨーロッパ 最初の文明の跡がある。 日本の東北から北にはストーンサークルが残っているが、エジプトではピラミッド以前の、6500年前の積石塚や巨大 な石列群が六ヶ所見つかっている。ロクマリアと言う地名が何箇所かあるが、その意味は「死者の場所」である。其処 にマウンド(丘)や古墳があり、積石塚内部には巨石の全面に渦巻き文様が刻まれている。 此れは、日本の隼人塚や常陸の古墳と類似の文様である。現在、イギリスとフランスの間は海になっているが、8000年 前は川であり、イスと言う華麗な町が有ったと言われ、ストーンサークルが残っている。 因みにパリス(パリ)とは、其の「イスにも匹敵する」と言う意味で付けられた都市名である(一部はMBSテレビの「世界 不思議発見」2004/2/14、を参考にした)。アルルを参照。 ●コチ(東風)・・・・・・菅原道真は彼自身が遣唐使に選ばれる、と言う立場にいったんは身を置いた上で、その遣唐使 の派遣をやがて廃した。既に唐風文化が氾濫して国風文化が廃れていた事への反省時期と見て、危険を冒してシナ から更に学ぶ意味がなくなったと判断したからだった。だが彼は右大臣の身分から太宰の権の帥へ左遷となった。 其処で彼は、「東こち風吹かば、匂い起こせよ梅の花、主あるじなしとて春を忘るな」の歌を詠んだ。この場合のコチについ て異論を言えば、渡来の西風・唐風文化によって滅茶苦茶にされた国風文化の再興の夢を後の人に託したものであ り、そして「主」は彼に重ねて実は亡き先帝、もしくは神に意味を重ねたものと解釈する事も出来よう。 ▲こつ・・・・・・ ▲骨・・・・・・ ■国会・・・・・・ ▲国会議員の犯罪・・・・・・76年・ロッキード事件で★田中角栄・衆・が受託収賄罪など。★佐藤孝行・衆・同罪。★橋 本登美三郎・衆・同罪。79年・選挙違反・宇野 亨・衆・公選法違反。86年・撚糸工連・横手文雄・衆・受託収賄罪。稲 村左近四郎・衆・収賄罪。88年・砂利船汚職・田代富士男・参・受託収賄罪。 89年・リクルート・藤波孝生・衆・受託収賄罪。池田克也・衆・同罪。90年・脱税・稲村利幸・衆・所得税法違反。92年・ 共和汚職・★阿部文男・衆・受託収賄罪。93年・脱税・☆金丸 信・衆・所得税法違反。学歴詐称・新間正次・参・公選 法違反。94年・脱税・大谷忠雄・衆・所得税法違反など。ゼネコン汚職・★中村喜四郎・衆・斡旋収賄罪。 脱税・近藤 豊・衆・所得税法違反など。95年・2信組・★山口敏夫・衆・背任など。97年・オレンジ共済・★友部達夫・ 参・詐欺罪。98年・防衛庁汚職・★中島洋次郎・衆・受託収賄罪など。00年・建設汚職・☆中尾栄一・衆・受託収賄罪 など。秘書給与詐取・★山本譲司・衆・詐欺など。01年・KSD汚職・★小山孝雄・参・受託収賄罪。 ☆村上正邦・参・受託収賄罪。02年・林野庁汚職・★鈴木宗男・衆・斡旋収賄罪など。03年・献金虚偽記載・★坂井隆 憲・衆・政治資金規正法違反など。秘書給与流用・☆辻元清美・衆・詐欺罪。04年・学歴詐称・古賀潤一郎・衆・(起訴 猶予)。05年・強制猥褻・★中西一善・衆・(告訴取り下げ、不起訴)。 覚せい剤所持・☆小林憲司・衆・覚せい剤取締法違反。★西村信悟・弁護士法違反か・・・・・ ★は逮捕。☆は議員辞職・落選後の逮捕。無印は在宅起訴。敬称略。05/11/28の毎日新聞記事より転載。金が集ま る所には権力も集まり、権力が集まる所には腐敗が進行するのが「世の常」であるのか。 ■国家の存立意義・・・・・・人が集団を作る時は凡そ天地の理から合意を形成する。例えば「三日後の日の出に集 まろう」と約束したり、或いは「国旗」で述べた通り、各国は日月星の何れかをシンボルとして国旗を掲げた。其れが其 の国の暦時の約束となる。次は血縁・地縁である。 気候風土や人の親族と地理的条件のバランスが多様な集団を各地に分化形成し発展させた。天は日月星の三種に 大別できるが、地は多様であり、血も多様である。其れが各地に存在する三族(別項を参照)であり、或いは世界各地 の人種の存立意義とすれば、其れらを武力制圧・統一しても余り意味がなかった。 無理解な他人が割り込んで一極的に統一管理するのは困難であり無意味でした。其の辺りの事を無視して机上の論 理で封建主義より帝国主義。或いは共産主義より自由な民主主義と言った政治学理論は所詮空論に近い。個人や国 家の存立意義は、個別の人の上下にある天地との関係性であって、他人や他国の武力やイデオロギーではない。 だが確かに其れを統一しようとする試みが何時の時代にも行われた。ただ一時的にしか成功しなかった。天地の理法 に逆らえば軋轢を生んで絶えず戦乱としただけでした。20世紀は特に戦乱の時代とした。科学が発展して豊かにな り、デモクラシーが頂点に達した筈の時代に於いて、血で血を洗う愚行をしたのです。とすれば国家の意味がない。 三種の暦と各地の多様な人々が各々関係性を持つなら秩序と平和があるが、気候風土、宗教、風俗、植生(食性)、 言語、地縁、血縁が個別に違う個性的な所に全国的・国際的に一律の規定で統制管理したり、イデオロギーによる支 配、或いはグローバル化などとして画一的な支配を図るのは問題であり、初めから無理があった。 其れとは別に、今はデモクラシーの社会ですから、凡そどんな国にするか、と言う国民の意識や希望が其の国を形成 し存立させる。例えばアメリカの建国精神は「自由」にあった。だから世界中がアメリカに憧れた。所が今はどうか。世 界一「不自由」で嫌われる国となっている。 となれば日本が犠牲になって戦争経済国家・米国の双子の赤字を支えるほど意味のある国ではなくなっている訳で す。米国に対して日本の現状は、米国と心中する事ではなくて、例えば苦難の戦中・戦後を生き抜いて経済発展を遂 げた功労者たちの老後の安心を保障する事であろう。 其れをせずに日本政府が好戦的なブッシュのポチとして働いているため、列島は今日も揺れ続け、シナでは反日デモ が広がり、日本の天命の変わる兆しを示しているのではないか。人は肉体のみに有らずして魂の主体である。 其処から更に繰り返せば、人や国家の存立はイデオロギーでも自由化や民主(キリスト教)化でもない。天地の関係 式、つまり暦法・先祖祭りであると気づかなければまた戦乱とするだけである(他人との同盟関係で「存立するのではな くて滅びる」のだ)。 国の為に殉じた国民を狭い千鳥が淵に遺骨など凝縮し、毎年8/15(終戦記念日)には東京武道館で戦没者慰霊祭と 言うセレモニーをして、靖国神社に英霊として祭っている。国家として此れは実に不十分な姿勢と行為であるが、其れ にさえ中国の顔色を伺ってツベコベ言う状況であれば国家の存立意義はない。 ■国旗・・・・・・ブログ「桜」投稿文から下記に引用する・・・・各国の国旗は、イデオロギーや神国日本のシンボルでは ない。其の国が日月星の何れを暦法としているかを明示するため国境や外港に掲げたものに過ぎない。つまり郷に入 っては郷に従えと言う明示である。其の点、日本人は太陽信仰と言いながら太陽に無関心だ。 また太陽暦を使っているとは言っても、今の西暦はカトリック暦であり、騙されている。しかも国旗に反感を持っていて、 国旗を掲げると右翼と見るのが今の世間である。其れに耐えて掲げる人こそ天晴れなヤマトオノコです。<2006/02/ 11 : オニアニ> 国旗はこのように其の国のシンボルであり、実は其の国境から其の旗の示す暦法に従うと言う合意があった。このよう に国旗は特定のイデオロギーではなくて暦法の明示の印に過ぎないのだから政治的な道具としたりイデオロギーで賛 否を論じるのは的外れである。 国旗は天体の中の日月星の何れかをデザイン化したものなので其の地域の暦法を明示するシンボルである(但し国 連旗は例外)。国際社会で一番多いのが月を信奉してカレンダーとした国が国旗にも月をデザインとしている(図説3を 参照)。だが世界の例外として日本のように太陽信仰から太陽を「日の丸」として掲げた国もある。 或いは星を第一の基準としたカトリック教圏では国旗にも暦にも星や数字を並べる。日本の国旗は日章旗であり、白 地に赤い「日の丸」は世界に誇れる国旗です。けれども譬えどんな国旗であっても其れを掲げる国にとっては何れも誇 りであり、其の地域の風俗習慣を無言で明示したシンボルなのですから優劣はない。 日本にも「郷に入っては郷に従え」の諺があるように、人が其の地に入った途端に従うべき規範は暦法と時報と度量衡 である。そのような国旗を前にした場合、誰もが敬意を持って姿勢を正して立つのが礼儀であり、国歌でも此れは同じ であって、個人の感情を差し挟む余地はない。 所が05/3/28日、NHK総合TV「クローズアップ」を見て都民の教育現場を任された教師たちの資質の低下が此処まで 酷くなっていた点に驚いた。卒業式の国旗を前にして立つ事にさえツベコベ言う先生が大多数で、其のNHKの態度も 此れに同調しているのには呆れた。 彼らは憲法とか自由とか理屈を言うが、国旗や国歌の前には立礼するのが世界の常識である。其れさえ弁えない礼儀 知らずの非常識な輩に放送や教育を任せてはおけない。彼らは社会人として先ず落第である。高給取りかも知れない が社会人として失格であり、教師としてなら尚更落第(不適格)だ。 この種の人々は公共とか教師と言う職場をサッサと辞めて、彼らが言うようにもっと自由な世界の例えば人間をやめて はどうか。或いは動物園か北極か何処か国旗のない世界で自由気ままな余生を送って頂きたい。国民は誰もNHKや 今の先生たちに「やってくれ」と頼んだ事はないし、辞めるのなら誰も其れを止めはしない(誰もが大賛成なのである)。 だが06/9/21には先の都の先生方の訴えを勝訴とする驚くべき判決が出た。裁判官も狂って来た。裁判官でもコトの本 質を知らないのは日本の教育レベルの問題だから仕方ないとしても、法以前にある公序良俗と言う規範を専門家とし て尊重しないならば法曹界から退去すべきであろう。 ▲こて・・・・・・ ●事・・・・・・事とは「生起し、消滅する現象」(大辞林)とあるが、コトとは実は祭りであり、法事・祭事・行事・神事・仏 事・・・である。物事として、今は一体の熟語になっていいるが、物と事とは昔は「物の怪」のモノ、それに心の伴う行為 であったが、今は物質と心の両面と理解され、或いは物質に付着した意味くらいに理解されている。 でも本来はコト(心や意味)が先にあり、物はそれに付随するものでした(下記の「事始め」も参照)。 ▲琴・・・・・・・・楽器の一つであるが、琴は龍の化身である。和琴の場合、例えば龍口、龍尾のように各部の名称に龍 の字を付けて呼ぶ。だから人間業とも思えないような妙なる音色を奏でる事が出来ます。特に和琴の場合は神の依り 代と考えられて来た。 例えば自分を取り巻く48の神を各々言霊で和歌として詠み、其れに五弦・七弦の糸で音色を奏でるものでした。 ★コートジボアール・・・・・・アフリカの「象牙海岸」の事で旧宗主国はフランス。内戦の過程でフランス軍基地が誤爆さ れ、其れに対してフランス軍が反撃したため04/11月には在地のフランス人や白人14000人が危険となり、暴行・略奪 にあったので其の一部が着の身着のままでフランスに続々と脱出した。 丁度このドサクサの時、パレスチナのアラファト議長がパリで亡くなった。 ●古道・・・・・・古代の道。06/10月には大津市関津遺跡で幅18mの大街道が見つかった。此の道は奈良時代から平 安時代に存在した。道鏡が761年に奈良の都から近江に新京(保良宮)を造営した。其の往来の為であったろう。以 後、有名な所では七道として東海、東山、北陸、山陰、山陽、南海、西海があり、此れは京都を起点にした見方です。 古い道ほど山道です。葛城ルートや東山道も山道です。例えば古くから伊勢(伊賀・志摩を含む)、尾張、三河、遠江 (とおとうみ)、駿河、甲斐、伊豆、相模、武蔵、総ふさ(上総かずさ、下総、安あ房わを含む)、常陸(ひたち)、陸奥(むつ)など が日本七道と言われた。其の他に東山道があった。 東山道は近江、美濃、飛騨、信濃、上野(こうずけ)、下野(しもつけ)、陸奥、出羽(でわ)に至る八国街道で、明治元年 に陸奥が磐城(いわき)、岩代(いわしろ)、陸前、陸中、陸奥の五国、出羽が羽前(うぜん)、羽後の二国に分けられた ので13国を通過する道となった。要するに山道です。 山道は峠道が多い。山道では例えば世界遺産となった熊野古道が脚光を浴びている。其の外に、大和と河内を結ぶ 古道として竹之内街道があり、此れは反正天皇の頃に造られた日本最古の官道でした。古道は何れも山道ですが、其 れとは別に里道があり、これは川沿いに歩く道です。 時代が新しくなるに従って平野部に道が多くなり、都会には網の目のように広がった。東海道53次なども海岸部を辿っ て京都に入った。京都の先は西国街道で平坦ですが、大阪は特に川筋の道が多い。此の辺りが浪速(ナニワ)や河内 と言われたように都市の多くの殆どが扇状地であり川筋に広がったものでした。 従って、川に寸断されるので目的の場所に中々行けない。京都八百八寺に対して大坂八百八橋と言われたのは後の 時代です。其の点、山道の特に尾根道は自由が利く。例えば大阪・奈良・京都・和歌山の四つの屋根のように跨る葛 城山にいったん登れば、其の日のうちに何処へでも行く事が出来る。 昔は川に橋が少なく、里道を進むのが楽ではなかったのに対して、古道・山道の特に尾根道は見通しが効き、かつ何 処を行くより便利な交通路でした。因みに大和の「山の辺の道」や葛城古道には標高に添って各々上つ道、中つ道、下 つ道があった。この様に古道は標高が高い所から始まった。 2500年前に神武天皇が熊野から大和に入ったコースも峠道であり、大和では標高60mの所を進んで来た。其れ以下 には里が無く、まだ海や川だったと分かります。日本最古の古道と言われる道に丹比(たじひ)道が有った。竹内村か ら竹ノ内峠を越えて河内に向かうので竹之内街道とも呼ばれる。 聖徳太子の時代の太子道と言う古道も奈良に複数残っている。此れは南北に対して斜行し交差している。07/6/6日の 朝日には、「山田道、掘ったら山田道」とあった。大化の改新から7c半ばの壬申の乱以後の史書にも登場する飛鳥の 東西に通じる国道で幅は18m。 また信州信濃の善光寺に向かう古道は善光寺道・金の道・北国街道と言われ、其の中継地点に海野宿が位置した。 また弘法大師以来、大坂から高野山に向かう道に複数の高野街道が出来た。此れは川筋に沿って船と共に上下する 道でした。高野街道は南北に走る。これにもコースによって各々東、中、西の高野街道(別項を参照)となっていた。 更に天野街道が平行して走っていた。何れも道幅は荷車が離合するのがギリギリの幅一間(1.8m)ほどでした。其れに 交差するように東西に伊勢巡礼道とか丹比道があった。其れに比べて例えば鎌倉時代の鎌倉の若宮大路は現在見る スケールと同じだった。日光街道は長さが凄い。 此のコースは関東平野なので長さ25里(100km)、両側に並木を持つ幅4~5間(8m)くらいのゆったりした大道が伸びてい た(徳川の遺産を現在の国道123号線に其のまま使っている)。だが優れた古道も祭りや暮らしとは無縁とする政府の 税金集めと軍隊の役には立たない。其処で近代化につれて船便や平地の道を主流としたので古道は消えました。 ■五道神・・・・・・古来、皇都の中心(内裏)には皇祖神を祭り、都の四方には四方神を祭った。祭るには四方(東西南 北)を明示する四門、其れに続く長い四大道を通し、其の先に個別に壇を設けた。シナでも「詩経・礼記・儀礼」には中 心に皇帝を祭り五道神を祭った事を記し、また揚子江周辺には其の遺跡を残している。 此れが今では道路神とされているが誤解である。天体を方位角で観測するため、中心からの四方を長いスパンで明示 して暦法の確認をしたのである。 ●ことたま・・・・・・元からの日本語の別称。特に大和言葉では、「敷島の大和の国は言霊の咲き映う(幸わう)国」と して、或いは「言霊の助くる国」として万葉にも歌っていた通り、日本人は言葉に宿る神霊の働きや言葉の持つ霊妙な 働きによる助けがあると信じた。言霊は身分や資格や年齢や性差と言った区別なく、皆平等に神が働く。 無論、今は暴力団や漫才師も言葉を使って暴言を吐いて人を脅したり、金を取ったりする以上、神仏とか言霊の力な ど信じる人はいない。信じられないのに其れを他人に言っても「一つの信仰」にしか見られないかも知れない。 ただ言霊は古来、和歌として朝野で重んじ、或いは俳句として、或いは日本文学として、或いは禰宜の祝詞として或い は呪術的な意味も語り継ぎ、言い継ぎして伝えられて来た高度な文化でした。であるが、其れを世俗の信仰として在来 のものと一緒くたにすれば本質から離れてしまう。 結論から言えば、言霊は天に通じる力のある言葉である。其の点では外国語とは全く異質である。よって言葉を使う場 合はその力を期待すると同時に、その「言挙げ」には気をつけなければならない。日本語は50音をハッキリ発音する。 其れが言魂の働きを弥増す。 其れに対して大阪弁とか外国語は中国語でも英語でも極めて曖昧であり、人類から離れた動物的な言語である。本質 が違うために、例えばこのヒジリ事典を全文翻訳しても外人には到底理解できず、寧ろ分かる部分だけを曲解する事 になる(「穂」とヤマタノオロチを参照)。 言霊は文字ではなくて幼少の時から家庭で親兄弟が言い継いで教えるものであり、また学校教育では教師が十分に 理解させる役目にある。だが今は外来語が氾濫して政府が英語を公用語に指定する有様ですし、また知育偏重主義 で納税ロボットを養成するだけですから無理であり、パソコンやインターネットでも英語主義だからお手上げです。 このため言霊の咲き映う国に言霊の影は薄れ、天に通じる力も無くなろうとしているので、憚りながらこの「日知り事 典」が欠けた面を補完しようと言う訳です。だがあくまでも主体は家庭であり、直に子供を躾る事である。言葉の理解は 子供の時からの人との会話が第一であり、長じてから文字や頭でするには限界が有るものです。 例えば普段の親の心掛けや会話や立ち居振る舞いが子供にコピーされ、その後の其の子の人生の万事を決するの で、日常の親の心の有り方、特に普段の会話で「言わけ」と「言挙げ」に注意する事です(「不妊」を参照)。言葉の力は 天気も変え、神を揺り動かし、人の生死を左右する力も有ります。だが其れは人類の特に日本人が強い働きをする。 動物や植物相手には日本語よりも農耕民、遊牧民の中国語や英語の方が寧ろ適しているかも知れない。日本文化と か伝統文化と言えば雅楽や茶道が勝っていて、言葉の問題にしても教育界やマスコミがビジネスとして利用しリードし て来た。或いは伝統文化と言えば文化庁が「文化とは芸能だ」と勝手に決めてしまった。 従って日本人に最も大切な言葉を文化として守ろうとはしていないのですから問題です。和文化の基本をそんな商売絡 みの所に預けて来たのが間違いでした。オヤが自ら其れを認識して家庭にしっかり取り戻し、家庭料理と同様に子供 たちにもチャント教え、守って言い伝えて行かねばならないようです(「和文化」を参照)。 ▲事始め・・・・・・・・例年12/13日になると京都では事始のご挨拶として舞妓さんがお師匠さんの家に行く。其処で 新しい扇子を戴く。或いは西日本では出雲の歳神迎えの準備のため12/8が事始、2/8が事納めで正月棚を外す 事になる。所が関東地方で事始めとは2/8であり、12/8日は事納めである。 つまり地方により日取りの意味が逆転したり期間の長さも違うが、その意味については諸説ある。関東ではタケミカヅ チ(鹿島)神の鹿島発ち、或いは八幡太郎義家(2/8〜12/8)、或いは恵比寿講(2/10)などを基準として12/8を「御事 終」とも言う。 また其れとは別の話となるが実は3/8の祭りの粟島明神が最古の事始であると言う。因みに鹿島の場合は古来2月初 申日が春祭(祭頭祭)だったが、其れは今の3/2である。また、そうした祭り行事が新旧暦の違いで正月の時期のズ レとなり、其れを挟んで事始を東西で別々にしたものとも推定できる。 其処で方位から言えば徳島の淡島と関東の鹿島との位置関係が9/2--3/2となる。旧暦なら9/8--2/8頃になる。だか ら先の鹿島・粟島説が正しいと判明する。 詳しくは今日のことあれこれとhttp://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/ 295d0fe2ad1cf7925c775865d0b229ae ★子供虐待・・・・・・・・今は少子化が深刻な中、05年6/20の厚労省発表によれば、前年の全国の児童相談所の集 計では子供虐待処理件数が前年の24%アップし、遂に3万件に達し、過去最多であると言う。無論、今の若者たちが 社会人として未熟であり、生活が苦しいなどの理由もあろう。 だが親となる資格がない無資格者が子を産んで虐待しているとすれば問題の本質は夫婦間の問題であり、其の元に は性の乱れとか霊的な原因がある。子供は親の鏡、つまり今の親よりも先の祖(おや)の意思を反映している。今の親 の生活態度の間違いを元の祖(おや)が忠告している事になります(「少子化」を参照)。 ▲言葉・・・・・・・・ ■ことわざ(諺)・・・・・・格言や俗諺。例えば「伊呂波カルタ」などには人生や世渡りの指南書とも言うべき教訓や金言が 七五調で覚え易く集約されています。その他にもコトワザは「言葉による技」があり、此れはカジリ(呪術)や口喧嘩に使 われた。コトワザは言葉のワザでも有る。技にも技芸・技能・頓智など色々有ります。 肉体的な技には軽業(かるわざ)や寝技や手わざ・足技と言うのも有ります。其の外に仕業(しわざ)と言う手があります が、特に相手よりも腕力が非力と思って口を使えば、此れが腕力に並ぶ力となる。よって口ワザはコトワザでした。腕 力を使えば体力を消耗しますが、口は中々減らないから便利です。 でも「口は災いの元」とも言いますから、不用意に使えば逆効果となります。またコトワザが日本語ならば其れを分かる 人にしか通用しないので外人やケモノには利きません。其の外、コトワザには比喩(例え話)で説得するものがある。 或いは天候に関する教え(生活の知恵)も多い。また民間信仰や俗信と言われるものも有る。 何れも簡素で明白、分かり易いものが多い。「釈迦に説法」とか「人を見て法を説け」と言った風に、或いは「猫に小判」 とか「竜頭蛇尾」など簡潔に風刺したコトワザも使われる。 ▲こな・・・・・・ ▲こに・・・・・・ ■この世・・・・・・浮世、現界、顕界。この世は実体験する世界である。其れに対して「あの世」、つまり幽界・霊界・冥土 は「表象」の世界であり、イメージは幾らでも早く深く広がるが、殆ど「体験出来ない」と言う本質的な違いがあるので、 その代わりに人はこの世に生まれ出てきた。生き物はこの世で体験するチャンスが与えられています。 だから人は瞑想に耽ったりバーチャル空間で遊ぶ事よりも、この世で多くの事実に触れ、実物で実体験し、身をもって 喜怒哀楽を味わい、体験を積む事が大切です。 ▲コハ・・・・・・ ●小判・・・・・・・・武田信玄は甲州金を分け与えて人を使った(山金を参照)。其の為に開発した金山を後に家康が手 に入れた。彼は甲州金山と佐渡の相川金山と石見の銀山を手に入れて豊臣秀吉を上回る豊かな財力を持った。大久 保長安を使って旧来の竪堀から横堀をして水を抜いた。 竪堀では水が出て来て作業が進まなかったのだが、大久保には横堀を進める測量術があった。秀吉は金箔瓦で城を 飾ったり黄金の茶室を作ったが、家康は其れほどの金を何に使ったのかと言えば、慶長小判を発行して広く天下に流 通させた。以後徳川は累計1000万枚を作った。幕末まで推定300トンの金を採掘して其の1/2を小判にしている。 ただ江戸期前半の金含有率が85%だったのに対して幕末の其れは57%に落ちていた。銀を多量に混ぜれば黄金色 ではなくて白くなってしまう。此の為、銀を溶かす薬を開発して其れを塗って山吹色(金色)にした。誤魔化しである。幕 末には万延小判と言う小さな小判を出した。明治維新の8年前だった。 幕末には外国船が頻りにやって来て両替をしたが、彼らは両替するために大量の銀を持って来た。当時の国際相場 の比率は金:銀=1:15だった。其れに対して日本では1:5だったからだ。彼らは両替するだけで3倍儲かった。此の為、 50〜100万両(12兆ドル)が海外に持ち出された。 黄金島・ジパング伝説が彼らには正夢になったのである。日本はしかし猛烈なインフレとなった。打ち壊しと一揆が広 がり、下級武士が貧窮して来た。此れが幕府崩壊の原因となった。だが明治になっても金流失が続いた。日清戦争で 清から巨額賠償金を取って、漸く金を買い戻す事になる(以上は06/9/28のNHK総合TVより引用)。 05年現在の日本は外貨準備高で世界一となった。但し黄金ではなくて紙切れに等しいドルで持っているに過ぎない(金 を参照)。 ▲コパン遺跡・・・・・・・・中南米には紀元1cからオルメカ文明があり、その後このコパン文明が700〜800年頃に出 来て初代カリスマ王から以後16代・ヤシュパサフ王朝まで400年間続き、巨大なピラミッドを残して突然消え、やがて マヤ文明に移る。オルメカとは「ゴムの人」を意味し、マヤの母体となった。 マヤの王墓・パレンケのピラミッドの中にはパカル王の石棺があり、其の中には青水晶の仮面が載せられていた。また 古代にあの硬い翡翠を加工していたのは日本とマヤだけと言われるが、特に此処は金属や車を持たない文明だった。 ▲またパカル王の石室の絵にロケットエンジンに囲まれたパイロットの図が描かれていた。 (「オーパーツ」を参照。▲以下は06/6/3のabcTVより引用)。 ■碁盤の目・・・・・・正倉院の宝物の一つに碁盤も有る。さて碁盤には目があるが、9の倍数の18である。縦横18マ スだから四周で72マスとなる。しかし囲碁の場合は碁石を升目の中に入れるのではないからマスは問題外であり、マ スではなくて筋目(モク)の線上に置く。つまりマスではなくて筋目を19目×4=76目として読むのだろう。 何れにせよ先ず18の2乗が324、そして18の二十倍が360である。とすれば此れは旧暦1年の日数と度量衡・角度 の数字である。18日は観音様の縁日でもあるが、観音堂には方眼の目のようなシトミ戸が張り巡らせてある。御堂(別 項参照)の格式(建築様式)も尺貫法の3×6の倍数でなっている。 つまり18の倍数のシトミや碁盤は天体観測と暦法、そして条里制の方眼盤としての基本形であったろう。と同時に次は 肝心の筋目である。碁盤の目筋は19本づつ4方にあるので合計76本ある。此れはハレー彗星が76年周期で訪れる 事と附合する。つまり碁盤とは御堂のシトミと同じ形式になっている。 御堂には碁盤の目のような格子戸が嵌められている。其れは囲碁ではなくて天文観測の方眼盤である。御堂の中の 中央に座って見れば、シトミ(格子戸)戸が丁度碁盤の目のようになります。ですから星の見える晩には、天空に散らば った星座がシトミの桟に碁石が透けるように見えるのではないか(「御堂」と「シトミ」、「タタミ」を参照)。 ▲こひ・・・・・・ ●五風十雨・・・・・・・天気は四季により変化する。地球は生きており、四季を通じて其の息吹を見せています。例え ば四季は東西南北の四方により雨風を齎す以上、「五風十雨」が天気を見るヒジリの鉄則(公式)であり、日本の公式 である。とすれば今の気象官であっても此れを無視しては日本で誤報を振りまく事となる。 また「五風十雨」は四季の色彩も変えて見せる。日本にはハッキリした四季があり、四海がある。四方に対して中心と なるのが個別の私たちです。四季の変化、つまり太陽のめぐりを「五行」と言った(五行を参照)。私たちの周りは、春 は緑、夏は赤、秋は黄色か紅葉となり、冬は白い雪景色を見せてくれます。 同時に春は東風、夏は南風、秋は西風(何故か気象学では西風や北風だけを「季節風」と言う)、冬は北風が吹いて、 同時に風は雨を土産に持ってくる。四海とは古来、四方(よも)の海と歌われた今の日本海、北海(オホーツク海)、太 平洋、東シナ海であり、此れを四境で分けて見た。 四海と四方山(よもやま)の中心地にいて私たちが天気を見ていますと、五日に一度の風があり、十日に一度の雨とな りますので、此れを天気の順行・循環と言う。 此れは人が神との関係を良く保っていればこの正常な循環が続き、逆に悪化すれば順行が崩れるとした教えでした。 従って天気は天神の気まぐれで変わるのではなくて、天と地に相対する神と人との同調共鳴現象です。此れを「天人相 関の理」とも言います。 よって人類が自らお掃除に勤め、環境浄化に注意を払っていれば、常に五風十雨の晴れと慈雨が繰り返し、四季折々 に花と実りの穏やかな暮らしが守られる。繰り返せば、五風十雨とは、360度、または360日単位で四方からの四季の 巡りであり、其のリズムは5日に一度、10日に一度の割合で雨風がほぼ順繰りに繰り返す事です。 所が、天子が天神・鬼神を祭るのを怠った時や暦法の間違いの放置、或いは人民が不正な心や不潔な状態になった 時には、古来天変地異や大洪水、或いは旱魃が続いて国内が乱れた。 其れを見せて神が、天子と人民に反省を求めた訳ですが、それでも天下の祭り事や暮らし方が改まらないときは「天 命」が変わり、シナでは其の都度「革命」の理由となった。つまり度々政権交代があった。 今も人類の作る大気汚染や環境悪化の程度に応じて、天神・鬼神や観音様、或いは祓戸の神の眷属たちが雨嵐の現 象として、常に掃き清めてくれています。 所が今の科学者、マスコミ、お役人たちは、自然界も人も天気も生き物である事を認めない洋式の唯物的観念に捉わ れ、物理現象としての側面だけを数値的に観測して分かったと勘違いして断を下すために予知も予報も狂い、誤報や 被害としました(防災を参照)。 しかも予報が外れてばかりなので、其れを必ず天気の責任に転嫁して、即ち「異常気象」と解説し、また防災関係者も 自分が予算を食い潰した事を棚に上げて必ず「天災だから仕方ない」と責任回避を繰り返します。 とすれば天気が異常なのではなく、今は天から、暦法、科学の間違いや人の心が問題提起されているようです(「天気 予知」「天気カレンダー」、「天人相関の理」を参照)。 ■護符・・・・・・・荒神や不動尊は金属製の剣形をシンボルとし、その他の神仏は木片や紙片に墨書きした。神社では 神代文字を秘印し、寺では梵字を記したものを護符として来た。また道教では「急々如律令」と命令体の呪文とした。人 が神に命令したのです。 また陰陽師は其の呪文とセーマンと言われる五角形の星型と、九字即ち、「ドーマン」と呼ばれる形を一対で使った。 セーマンとドーマンの形は何れも悪魔のつけ入る隙を与えない「お呪まじない」とされて(「ドーマン」を参照)おり、伊勢志摩 の海女さんたちは昔からこれ等を一対で潜水着や手拭に印した。 更に一般社会でも武家などはこの形の何れかを家紋や陣地の午印・旗印として用いて来た。今でも軍人や警官も星型 の階級章やワッペンを付ける。自衛隊は五角星を桜に変えたに過ぎない。 両部曼荼羅、阿弥陀籤や囲碁・将棋盤もまたこの種の応用とも言えるし、また古い建築物の棟札にはこの二種の陰陽 印が「火難除け」の護符として付けられた例が多い(「お札」を参照)。 ★コプト人・・・・・・・Copt<アラビア>Qibt<コプト人>コプト語でgyptios<エジプト人>ギリシャ語でAigyptios<エ ジプト人>古代エジプト人の子孫で、原始キリスト教を信仰する人たちと其の文化。神秘的な教義を持つコプト教会に 属し、ギリシャ文字を改変したコプト文字を持っていた。現在300万人がエジプトに居住(コンサイス外来語辞典)。 ▲コブナ草・・・・・・野草の一つ。八丈島の黄八丈はこのコブナ草を染料とする。 ●古墳・・・・・・古い墳墓。此処では特に古墳時代の墳墓を述べる。例えば前方後円墳の場合、現在の研究では、円 部が埋葬のための丘陵であり、前方部は元々死者を祀る祭壇として発生・発達、次第に独特の形態を成したと考えら れている。但し時代が下ると前方部にも埋葬がなされるようになった。 次に問題となるのは築造方位である。 古墳は各々違う方位を向いて築かれている点に特徴があるが、此れについて史学、並びに其れを発掘した考古学は 何ら回答を出せなかった。従って一番肝心の命題である被葬者を特定できなかった。よって本書が天文暦法の観点か ら結論を言えば、其の方位は命日を指示するためだった。 古墳の殆どが良好な視界を採るように設計して墳丘を盛り上げたのは此の観測のためでした。序ながら言えば、太陽 の日影は日々移動して固有の暦日を示します。当時の和暦は今のような数字式カレンダーではなくて、方位によって正 しい暦日を刻むものでした。 其の固有の方位は一万年不変の暦日であり、従って改暦の弊害を今も免れて記紀にある天皇の崩御日と正しく合致 する例が多い。・・・・・・以上は、ウイキペディア・フリー百科事典http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%A2%B3へ の筆者の投稿分を転載。 古墳は死者を埋葬しただけではなく、命日の暦日を観測して祭りを繰り返した場であった(「墳墓の祭り」を参照)。別紙 の「天皇陵」、「古墳の方位資料」、「神々の歳時記」を参照。其処から例えば、時塚(亀岡市)とか弁天山(三島)、妙見塚 (播磨)、大歳塚(播磨)、そして各地の聖塚や星塚など天文、時報に関した名称で残されて来た。 だが縄文人を追い出した渡来人が弥生文化を持ち込み、また大和と河内に古墳文化を造った人々を大和朝廷が追い 払って滅ぼした。だから此処はもう渡来勢力の支配地となって古墳の意味は消し去られた。エジプトにピラミッドがあっ ても謎の建造物となっているように、日本も仏教の教理が古法を埋没させた。 更に明治と戦後の洋式イデオロギーに毒された史学と洋式考古学が消している。古墳を破壊・発掘して益々「謎」を深 め(別紙の「陵資料室」で詳説)、或いは由緒有る地名を市町が改名して消し去っている時代ですから古墳も当然謎に したし、更にゼニカネにならない無価値の物と見て、何れ住宅地に転売し古墳も日本文化も消し去るのでしょう。 因みに最古の古墳は考古学的には奈良・ホケノ山古墳とされて来た。此処は3世紀半ばのものとされた。所が07/3/15 には徳島の鳴門市で萩原2号墳が最古級と発表した。此処は弥生時代末から3世紀初めの築造と言う。考古学は前言 を翻すので、歴史を守るのか、書き換えるのか不明である。 ▲こへ・・・・・・ ●御幣・・・・・・五平、またはシデとか「ぬさ」とも言う。御幣とは割り箸に紙片を挟んで垂らした形のもので、古来、神の 依り代として神社の神前で立てられて来た。この場合の紙片は神の衣を表したものともされる。従って紙片の切り方に はランクが有るかと言えばそうではない。 その様式は例えば物部神道の「いざなぎ流」では各種作られるが、普通の神社の其れは数種の定形がある。ただ何れ も御幣の役割は祓いのヌサである。また青森のねぶた祭りに使う岩木山の御幣は鉋屑であり、此れはアイヌのイナウ と言う木の御幣と同類である。何れにせよ、上記の役目は祓いの道具である。 とすれば先の「神の衣」と言う意味で「祓う」と言う役割を果たすとすれば矛盾する。ただ御幣にはもう一つの意味があ る。其れはヒモロギと言う意味であり、その原点は「御柱」、つまり墓標に至る。ヒモロギとは「日、即ち霊を貰う木」の事 であり、其れは先祖の墓標でした。昔は「墓標」と言う漢字名ではなく、普通は「しるべ」や「御柱」と言った。 所が今の神道では墓標の代わりに榊を立ててヒモロギと言う。ただ其れで行き止まりであって其れ以上の所に踏み込 んでいない。所で民家ではお正月になると門や家の前に門松を立てるが、これだって歳の初めに神を「門で待つ」ため の依り代であり、ヒモロギと同類である(「御柱、及び「ヒモロギ」を参照)。 太陽を観測して暦日を知るには日影の形を見る必要があり、其の日影は四季によって変化します。とすれば家紋の杉 紋や御幣の紙の形に隠された本来の意味は、上の形が夏至、中の形が彼岸、下の形が冬至とする、何れも四季を観 測した形を示したものかも知れない。 ★五芒星・・・・・・・五角形の星形の事。この形はその内角を辿るとまた五角形が出来ると言う無限・迷宮の形でもある (ファイを参照)。古代日本には円と方形の形で五行の理を説いたが、其れがシナに渡って以後、五角形の星形五行 の相生・相克の論理に変化し、其れで漢方の解釈をするようになった。 また其れが西洋に伝わると、此処では星が神ですから五角形が敵から守る魔力があると信じられて古今東西で広く呪 術に印され、ペンタグラムともセーマンとも云われた。セーマンは平安時代の安倍の晴明が使ったマークとして知られ るし、江戸末期の函館の五稜郭や今の米国国防総省のペンタゴンがこの形で造られている。 其の外、各国の国旗や軍人の階級章は今も全てこのペンタグラムの形になっている。其れは何れも科学的な理由や 実績からではなくて、「魔よけ」になると言う伝統的な信仰からである。 ●五方・・・・・・・・中心に対する四方を加えて五方とした。場の中心から四方を定めて、其処に対する天体の動きを観 測し、暦日を編んだ。五方には其れに固有の五時・五色があり、其れは五行によって配分される。五行、五大、五道神 を参照。 ★狛犬・・・・・・・狛とはコマであり、つまり高麗犬の事、もしくは唐獅子とも言う。獅子はシナ王権の象徴だったためア ジア各地に広まった。沖縄のシーサー(獅子さん)、日本各地の唐獅子もその流れとすれば神社は唐の支配を受けた シンボルだったとも考えられる。因みに神社の前には今でも必ず雄雌一対が主軸に正対して置かれる。 ただ稲荷神社だけは狛犬の代わりに狐が正対して置かれる。或いは水神様には、雨乞いを祈ってカエルが狛犬の代 わりとして、或いは御手洗の所の龍神の代わりにカエルが置かれる(「カエル」、「アマガエル」を参照)。 狛犬は木製、金属、陶器製もあるが、石像が一番多く、地方色豊かで中々面白いものです。 寺には山門に対峙して阿吽(別項参照)の呼吸を示すかのように口を開けたのと閉じた一対の仁王像があるが、狛犬 の場合は更に表情が豊かである。例えば角突き、玉持ちに対して「子持ち」などもあるが、此れらが雄と雌を意味す る。同時に正殿の左右・東西関係に位置する定位置に対峙させて置くものと決まっている。 では何故、狛犬を置いたのかと言う目的については謎である。海幸・山幸の伝説からだろうか。山幸が降参して以後隼 人舞を演じて海幸の皇家を守護する犬となった事を社前に印したものとも考えられるが、其れでは古代オリエントや中 国に唐獅子が有った事の説明にはならない。では犬を使って狩猟した狩猟民族の名残りなのだろうか。 確かに犬鳴山・七宝滝寺には猟師を救った犬の伝説があり、此処は大峰山以前の元山上と言われる霊場として残っ ている。他方、天智・天武の時代には、近江に新羅・百済・高麗の文化が入って新羅明神が祭られ、その後、其処から 源氏の新羅三郎も出たように、高麗・新羅とは縁が深かった。 また近江には叡山が創建されて天台宗として各地に広がっている。同時期に、高野山に初めて弘法大師を案内したの が狩場明神であり、この神が大師を白黒二匹の犬に案内させたと言う伝説から紀州各地に祭られている。其れが四社 明神であり、真言宗寺院では鎮守・丹生高野明神として祭って来た。 また其処から出た両部神道によって西日本の神社では狛犬が広がったとも考えられる。或いは武州や大坂には高麗 橋が作られたが、高麗(コマ)の特徴が石橋でした。狛犬も日本の石工によるものが多いので渡来の石工とどれだけ密 接な関係があったのか不明では有るが、狛犬の意味については一般的に「魔除け」と言われる。 だが寧ろ、魔除けよりも暦法の備品とも取れるので此処では其れを明かす。狛犬一対の場合は何れの場合も陰陽関 係であり、石灯籠と同様に日の出の方向に雄が置かれ、石灯籠の場合は火袋が○(日)、反対側は三日月となる。 狛犬の口の形をアウンの相と言い、ア(開口)が雄・ン(閉口)が雌である。 これは日本が日の出から日没までを司るヒジリの王である事を黙示する様式である。それに対してエジプトではスフィ ンクスやアケル神が置かれる。日が明けるのは東方からであり、東方には当時獅子座が見えた。或いは春分の頃に は獅子座が見えた。従って其処では狛犬のように向かい合わせではなくて、東向きに置かれた筈である。 またエジプトから大西洋を渡ってメキシコに行けば、此処では一対が反対向きに並ぶ。日本が日の出の位置であり、暦 法の基点であるから狛犬も向き合う形となるのに対して、日本の裏側になる大西洋と太平洋が日月星の交点(春分 点)になるので、中南米では逆に「尻合い」の形で暦法の閉じ目を黙示するのです。 何れにせよ、此れは太陽黄径で同一ラインにあるので太陽暦のシンボルとも見受けられるが、同時に星座信仰の名残 りとも見えるので何れとも即断出来ない。日本では海があるが砂漠や草原がない以上、星空がハッキリ見えないのに 対して漢、唐、高麗からの渡来人が星座信仰を持って来た。だが日本の古墳に狛犬が置かれた例がない。 この点から言えば狛犬そのものが日本的な造形とは言えない。其れに比べれば日月の形を示した石灯籠のほうがま だ日本的と言えよう。灯篭にも火袋に日月が象られて陰陽(阿吽)関係が明示されている。 さて狛犬は日本文化ではなかったが、寺社の特に神社には必ず置くようになったのは奈良時代以後、つまり太陰太陽 暦の渡来と関係する。そもそも寺社は暦法のメーカー側でした。暦法観測のために寺社でも昼の祭りとは別に、定例 の月並祭や星次祭をするようになり、時報を告げるために鐘楼が建てられた。 獅子座や子犬座のシンボルとしての狛犬は必ず東側に設置された。ただ日本の狛犬の歴史がハッキリしないので日 本の狛犬の歴史は「浅い」と考えられる。狛犬に関しては長い歴史が寧ろ大陸側にあるので、星座信仰の起源に遡る 事も出来るだろう。 狛犬は現実の犬やライオンではなくて星座のシンボルである。但し子犬座や猟犬座、或いは大犬座や狼座ではなくて 黄道にある獅子座であると考えて良い。第二候補としてシリウスがある大犬座の可能性も有るが、此れは黄道や赤道 から離れ過ぎるのです。 さて銀河を巡る太陽が天の獅子座→蟹座→子犬座・双子座→御者・おうし座→雄羊座→魚座→から今の水瓶座に戻 るまで各々2160年掛かる。よって狛犬の起源が其処からの伝世物とすれば、何と13000年前からあった事にもなり ます(獅子座、獅子舞、神楽獅子、唐獅子・・・・を参照)。 因みに今はそんな事より、狛犬の足に熨斗袋の紅白の水引糸を縛り付けているのを見掛ける事がある。此の意味は 謎であるが、密かに巻かれている事からすれば、恐らくは家出人を探す家族や、連れ合いの浮気封じの為、或いは安 産を求める必死の祈りかとも思われるが、其れは「お門違い」かとも思える。 ◆護摩法・・・・・・ゾロアスター教やサンスクリット語で「ホーマー」と言い、火を神として火祭りを行う事。修験道では護 摩、寺社では昔から左義長(別項を参照)とか「お焚き上げ」と言う事をして来た。護摩の修法としては、先ず不動尊な ど特定のご本尊を祀り、其の前で護摩壇を組み、其れに使う火も別火としてキリ火(浄火)を切り出して用いた。 ご本尊の違いで其の前で捧げるお経や祝詞も違って来るし、修験者の階級や祈祷の目的によっては内・外法の別が あり、ゴマ壇の配置や組み方にも円壇か方壇の違いがあった。家紋(別項を参照)の形には護摩木の組み方を黙示し たものが結構ある。護摩木の並べ方、つまり方位と形と配置の方法、其れに何段に組むかの段数の別もあった。 或いはヌルデやハゼノキ、ヒノキなど木の種類など各種の作法があって各々に意味が違っていた。因みに日本には旧 住友銀行の井桁の紋など今でも各種の井桁紋が伝わっているが、これ等は何れも井戸枠ではないのであって、呪術 が尊重された中世の貴い文化遺産である。 外庭法では屋外で大・木・水壇の別で修法し、また内庭法は護摩堂・不動堂などの火炉で行うが何れも釜が用いられ た。其処では護摩木に代わって乳木を用いた。其の釜は「湯釜神事」として占いや祓いに使われ、やがて茶の湯にも 発展した。つまり元は一緒であって、一つの鍋や窯が別の用途に転用されたのでした。 所で世界中には古来、水神を祭る種族が圧倒的に多い中で、左義長とか火祭りと言う悪魔祓いや護摩のような方法を 採る種族が有ったのは、「火の因縁は火でなければ払えない」からでした。従って何かにつけて火の神に滅罪を願い、 または神の力で願いを叶えようとする行為が見られる。 かつての台所にお不動様や荒神様を祀ったのも同種の意味から「火の用心」とする意味の重ねが有った。 護摩は各々宗派により流儀が有る上、秘伝・口伝も多いので意味不明となるのも無理もないが、モノカネ主義に偏った 現在は方位の基本も護摩の基本も知らずに、ご本尊も不明で読経もなく、丸太や護符や神棚祭具まで一緒くたにトンド するようになっている。 陶磁器を焼成する焼き物の業界も窯には火の神を祭り、また今の日本は死者を火葬にするが、此れも火の神の力で 火の力で天に御魂を煙と共に送り届けようとするゾロアスター教と同様の因縁を受け継ぐ。しかし其の厳粛な祭りでもト ンドでも、公然と護摩木代として銭集めしても「ゴミ焼き」同然の観光行事にして誤魔化している。 此の事態を誰も恥じない嘆かわしい時代にしているのです。 ▲ゴミ・・・・・・・・・ゴミを出すのは文明のバロメーターである。とすれば、消費生活が其れだけ旺盛だと言う証拠とも言 えます。でも其れは高度成長時代の観念でした。石油ショック後は省資源の観点から、そして環境破壊が問題となった 今は、「ゴミを出すのは資源を再利用する知恵がない証拠」と言う風に意識を転換する必要が有ります。 一例として「プラスチックごみから都市ガス」、及び「漂着ゴミ」を参照。 相変わらず買い食いしてゴミを散乱させて歩く小中高校生が多いが、其れはカラスや狸の習性ですから決して人間的 とは言えない。其れでも「人間並みに扱え」と言うなら恥ずべき行為です。 ▲ゴミゼロ・・・・・・・・・クリーン作戦。良い事ですが、身勝手なやり口でもある。お役所は税金を取っている手前、ゴミ 処理をして当たり前である。しかし今は各地からゴミ箱を撤去して「ゴミゼロ宣言」を唱える。であるなら先ず税金を取る な。『 ごみゼロ宣言 』は正義の御旗ではなく、横着の念仏だ。ゴミ箱を撤去したら散乱するに決まっている。 不法投棄が増えて当然です。本気でクリーンを図るならもっとゴミ箱を増やしたり回収車を増発すれば良い。其れなの にゴミ箱を撤去したり、住民に分別を義務付けて下記のように過大な負担をさせるまでになった。金だけとって責任の 放棄をして、不法投棄を助長させてしまった。 本当に「ごみゼロにしたい」と言うならば、徴税の事実に従った義務の履行が先ず前提であり、「減量化」と言う問題は また別次元の問題であろう。 ▲ごみゼロ(ゼロ・ウェイスト)は、1996年にオーストラリアのキャンベラで始まった政策。他にトロント、サンフランシスコ 等で行われています。徳島県の上勝町では、日本初の「ごみゼロ宣言」と取り組みが行われています。上勝町は人口 2172人(2005.4.1現在)、山林が86%を占める山村ですが、2003年9月に日本初のごみゼロ宣言を行っています。 未来の子どもたちにきれいな空気やおいしい水、豊かな大地を継承するため、2020年までに上勝町のごみをゼロにす ることを決意し、上勝町ごみゼロ(ゼロ・ウェイスト)を宣言します。1.地球を汚さない人づくりに努めます。2.ごみの再 利用・再資源化を進め、2020年までに焼却・埋め立て処分をなくす最善の努力をします。 3.地球環境をよくするため世界中に多くの仲間をつくります! 具体的に、2020年といった目標達成年度が設定されており、焼却・埋め立てを無くす画期的な内容です。そして、これ を実現するために、34種類の分別、生ゴミ処理機による堆肥化などの取り組みが行われています。 現在、リサイクル率は80%(2003年度)。一人あたりのごみの量は、150kgと全国平均の1/3。 町外に持ち出されるごみの量は半減しています。また、会員制のNPO法人の「ゼロ・ウェイストアカデミー」が設立さ れ、今後さらに、様々な取り組みや教育が予定されています。<参考資料>http://www.kamikatsu.jp/土木学会誌, Vol.90 No.5,68-71(2005)▲以下の部分は「30秒で読む環境情報!」(http://plaza.rakuten.co.jp/eco30/)より引用。 ▲ゴミ有料化・・・・・・・・・家庭やオフィスで人々が社会生活を営む以上、ゴミは必ず発生するものですが、90年代から ゴミの増加が目立って来た。其処でお役所は「ゴミゼロ」の目標を掲げて各地で「有料化」を始めた。だが人の暮らしを 止めない以上、「ゼロ」は始めから無理だった。 04年現在、331市で行っていて、当初は減量化に成功したかに見えたが以後は横這い、今は寧ろ増加に転じてい る。埋立地の余命は後13年とは言うものの、結果から言ってもお役所が銭にしただけである(ゴミゼロを参照)。 ▲こむ・・・・・・ ▲虚無僧の服装・・・・・・以下、「ヤフー知恵袋」から引用する。回答日時: 2008/3/24 23:57:42 回答番号: 47,817,881 ---虚無僧の服装などは幕府によって規定されており、市中托鉢の際には藍色または鼠色の無紋の服(材質は綿か 絹)を着て、平ぐけの男帯をまえに結び、腰には袋にいれた予備の尺八をつける。 首には三衣袋をかけて、背中には袈裟を掛け、頭には「天蓋」と呼ばれる深編笠をかぶり、足には五枚重ねの草履を 履き、手には尺八を持つ。旅行時には藍色の綿服、脚袢、甲掛、わらじ履き。と、決まっていたそうです。 回答した人: junichi_suzuki_1966さん ▲小麦・・・・・・・マムギとも言った。小麦は同じイネ科の作物だが米とは対照的である。稲作は水田に栽培するが、小 麦は乾燥地帯の畑作で栽培する。秋冬に種を蒔いて春に刈り取るので稲作の後に蒔いて田植えまでに刈り取る事も 可能である。大陸で水利の良くない所では稲作を出来ない(陸稲は別として)が、そんな所でも小麦なら栽培できた。 此の為、メソポタミアの昔から世界各地で栽培されて来た。ただ雨に濡れると発芽してしまうので晴天の続く時期を見 計らって24時間体勢で一気に刈り取り、製粉して小麦粉(メリケン粉)にして保存し、パン・うどん・菓子にした。粉にする 為の石臼は小麦栽培地帯で古代から使われた。小麦ワラはパナマと言い、編んで帽子にした。 日本では麦藁屋根の屋根材にした。 ▲コメ(米)・・・・・・・・日本にはコメの神は存在しない。存在すると思われていたのは全て誤解と刷り込みによるもの だ。従って米に関われば貧乏する。其れは過去2000年間の日本史を見れば分かる。今尚、農家(別項、または「稲作」 を参照)は国民(政府)にオンブニダッコで支えられ、其れでも泣き暮らしているではないか。 存在するのは米の神ではなくて八方にある大自然や月神である。例えば文字でコメを米と書くのは、田の四隅に種を 蒔いた後で、四角形を取り払えば米だけ収穫として残る意味からとも言われる(稲荷を参照)。 つまり米の字は四角(境界)の中の八方(四季)を意味する。よって人は、四角の中に種を蒔いたら八方の自然の四季 の恵みに感謝して、育つのを待っていれば良い米が出来ると言う事だった。所が現代の日本人たちのコメ消費量は限 りなく低下する一方である。 其れは八方に感謝してではなく、特に農家が、月ではなくて「創作された偽神」に御利益信心したからであり、次に星の カレンダーに従って、機械的・打算的にビジネスとしての農業を保身や執念で守ろうとしたからである(「稲作」を参照)。 06/10/9のNHKTVによれば毎年外米を日本は170億円輸入している。 此の為、輸入米の在庫が180万トンに達している。其の倉庫代が年間此れも170億円であると言う。此れまでの倉庫代 が計930億円。此れも国内の米作農家を保護する為であると言う。ホントに農家の為なのか、もしくは輸出企業のため なのか、何れにせよ日本は無意味な犠牲を払っている。 ▲こも・・・・・・ ●子守・・・・・・・各地には子守・小森・籠の名の付く神社があり、下記の子安・子易などと同様、此処が「子育て安産信 仰」と思われている。特に付近に産湯の井戸があったり、其の伝説が残る場合は確かにその場は「子守」の場だった のかも知れない。 だが子守は墳墓を盛った「小盛り」で小森になった所とか、其処にお籠りするために居ついた方があったから「斎の 宮」、もしくは「籠りの宮」とした。或いは下記の「子安」と同義で、「子」つまり北に位置して南を観測し、太陽暦を刻む 「ネモリ」の場であった。 ●子安・・・・・・・子安・子易などの字の付いた観音や地蔵があり、「子育て信仰」と思われているが実は子(ね・真北)か ら南の太陽を観測する場(易を参照)であり、もしくはその場に居ついた聖や巫女の事だった。そうした場には境内の古 い水鉢や灯籠などの石に無数の円錐状の穴が穿たれている事が多い。 いや雨垂れが開けた穴かも知れないが、中には安産祈願(日立帯を参照)の為に女たちが、石面を必死に鉢状に削 り、其処に水を入れて糸を垂らし、神魂のミアレを祈った跡もある。無論、日立帯や鬼子母神も安産と「子育て」の神で ある(各項目を参照)。子安観音は各地にあるが、例えば大阪天神橋の鶴満寺(天台真盛宗)が本尊としている。 此処は奈良末期に大和に創建された所を1753年に此の大阪に再建した寺である。また鬼子母神は大阪では河内長 野の観心寺にカリテイモとして祀られている(「縁結び祈願の寺」を参照)。 ▲こゆ・・・・・・ ● ●こよ・・・・・以下次ページへ ● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ■▲◆★ ![]() パテント・著作権は本会に属します。 「鬼の会」 |