http://hijiri.tamajiri.com 「日知り事典」 page180.html(未定稿) ![]() 日知り事典 紙〜神の道 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ ●■▲◆★●■▲◆★▲◆★ ■紙・・・・・・・西洋と中華史観では、「シナの四大発明」として火薬・磁石・紙・シルク(絹)などを掲げるが、シナが発明 したのは火薬と磁石くらいなものである。紙と絹は其れを必要とした文化の、湿気の多い日本の発明である。日本は古 来、森の国であり、木と紙の高度な文化を築いて来ました。 よって漆(別項参照)とか紙漉き・木匠のテクノロジーも有りました。特に日本は天文観測を重視して来たので其の日誌 を残す為に紙の必要性が強かったし、竹之内文書にも古代の紙の発明が記録されている。既に神代に紙漉きの技術 が出来ていたが、残念ながら紙ですから遺跡を発掘しても出土しない。 ともあれ、日本には紙を必要とする文化があったのに対して、遊牧民などは紙を使う文化さえなかった。但し例外として パピルスがある(別項を参照)。 和紙の原料も全てシナではなくて日本特産のものである(和紙を参照)。例えば楮は春に伸びて秋には伐り取れるので 環境破壊となるCO2排出防止産業である。工程が工夫されていて楮からの歩留まり(効率)が非常に良く、しかも世界 一紙質が良い。 其れがシナに渡って例えば蔡倫紙になり、イスラム軍の捕虜となった職人がキルギスに伝えたものがヨーロッパに伝わ った。洋紙はしかし丸太を砕いたチップから造るため50年でパラパラになってしまうが、和紙は200年経ったものをク シャクシャにしても直ぐに元に戻る(一部を05/4/16、NHK総合TVより引用)。 西欧では紙よりも数字の世界でした。ヨーロッパに紙を伝えたのは蒙古軍やマルコポーロ以後である。大陸には聖書 やカレンダーがあり、ギリシャ哲学が有ったとしても、紙はなく、よって粘土板や石に刻み、或いは葦のようなパピルス に書き、もしくは遊牧民は最も手近にある羊の皮に書いて来た。 其の点でシナでは紙がない時代には竹を使った。漢字以前は亀甲に、そして漢字を作ってからは竹簡として書き残し た。竹が幾らでもあったからです。だがヨーロッパにはその竹さえなかったのだ。シナの文書については以下、NHK教 育TV、05/3/28から引用する。殷の時代の文字は甲骨文字でした。 シナの場合は紙を発明したのではなくて漢字で「紙」と言う字を作ったくらいである。紙の字にしても繭の糸と文字を書く 氏(なめらかな)絹布を意味する文字であり、つまり植物性の紙ではなくて絹布を意味していたのです。絹布は2100年 前の前漢時代の馬王堆墓の遺跡から出土した。 史記は竹簡で130編であったが、1編27cmのものに10ページ分を書き綴っても130編もの分量になった。其の点で 絹紙(絹布)は帛画(絹布に描いた絵)、帛書(絹布に書いた書)として使われた。後者は前漢時代のものである。此れ なら竹簡や木簡よりも軽くてたくさん書ける。ただ高価だった。 馬一匹と絹一匹(50cm幅で9m)が等価交換された。後漢書には「蔡倫が新しい紙を作った」と記述している。彼は木 の皮や麻魚網を使って新たに紙を作って皇帝に献上した。この1900年前の紙が蔡侯紙の起源とされているが、既に 考古学的には前漢時代の遺跡から発掘した麻紙を認めている。 8cまで先の蔡倫による蔡侯紙の製紙技術が外部に出る事がなく秘密にされていた。10cには敦煌で竹紙が作られ た。だから中東以西の地ではまだパピルスや羊皮紙が使われていた。 紙はなかったが、今のキルギス共和国で751年にタラス川の戦いがあり、捕虜となったイスラム教徒がいて麻紙の製 法をかの地(サマルカンド)に伝えて製紙工場を作ったと言う。其れまでのヨーロッパには羊皮紙が有った。あったが高 価だった。 ●神(本質・正体)・・・・・・・・神の定義については百人百様あって良い。だが基本が大切なので一応述べて置く。凡そ 大別して三種の神がある。第一は歳(季節)を分けて時を知らせ、人の社会の約束事を見守る神である。次は豊饒の 神であり、最後に戦いの神がある。其れを表象するために各々神器を持って表わされる。 例えば鏡は太陽、勾玉は月、剣は星祭りの神である。其の点で世界各地には歴史の古い国ほど太陽を祭る文化が色 濃く残る。其れが今は廃れて、各種の宗教がある訳ですが、凡そ神を大別すれば其の本質は日・月・星の三種の系統 となり、何れも即ち暦神と判明する(三種の神器を参照)。 日本の場合は特に御柱を立てて太陽を祭る「日知り」の神々であり、次に大陸に進むに連れて月に因む農耕・豊饒の 神々が祭られた。そして更に西に進むほどに漁獲や獲物を守る神、或いは抽象的・観念的な星の神、一神教の神々と か武神や軍神になります。 其れが今は廃れて、各種の宗教に分派して変質し、或いはニセ神が増えた為に本物が見え難いが、究極の神の本質 は日月星の何れかに行き着く。別紙の「日ヨミ」(真の太陽暦)でも日神について述べたように、昔から太陽が世界の神 でした。 其れが各地で別々の名前に変化し、しかも今は夜見の世界となっているため、見え難くなっているに過ぎない。 さて日本では昔から神をミワと言い、カモとも呼んだが、其れをアイヌはカムイと呼んだ。また、大陸ではキム(金)とか カン(漢)となり、或いはハーンとなり、例えばジンギスカン(ジンギスハーン)も武神としてそう呼ばれた一人である。 そしてずっと離れた西洋ではキングが王様であり、其の上にキリスト教ではエンペラー(皇帝)ではなくて神としてゴッドG odを置いた。日本の事(コト・祭り)が西洋ではゴッド(最高神)となり、また同時に「金」がコンスタント(不変)を意味し、 コンスタンタン(銅)となり、更にコンスタンチヌス(ローマ皇帝の一人)となった。 彼が自分のいた都をビザンチンからコンスタンチノーブルと改称したのである。 日本神界には八百万の神々がマシマスが、其の実体は出雲神話に出て来る神々であって、歴代天皇などはそれ以前 の神皇や天皇から見て一段下の、人皇として昔から扱われて来た。例えばニギハヤヒの系統は十種(とくさの)神宝 (かんだから)を持っていたのに対して、神武天皇は弓矢だった。 海外の場合は魔法使いが杖、キングは剣、キューピッドは弓矢である。神武と同じです。天皇(すめらミコト)とは言えど も神々の世界とは別の人間界の系譜でした。固有の院号から歴代の天皇に書き換えたのが明治になってからである。 しかし一定の方式により蘇りが設定された場合にのみ人もヒジリとして尊敬され、人霊も神霊となり得た。だから全国に は無数の神社が出来て、全て何らかの神を何座かは祭っている。無論、狐や蛇を誰かが立派と思って神に祭り上げた 所もある。でも其れは渡来系の農耕に関する月世界の仏教やアニミズムや多神教圏の流れです。 此れについて一神会・会報060414号では「神社と人社は違う。神様が人間を創ったのであって人間が神様を拵えるの は間違い」と述べている。 何れにせよ、日本では祭り事を牛耳る所を「お上」(幕府)とし、その外にも領主がいて、相模守とか武蔵守と言うお殿様 が各地に出来た。此れは天神地祇の内の国津神の祭祀者を意味した。外にも各家には「山ノ神」とか「お上さん」まで いる訳です。 ですから歴史の古い日本では神々が益々増えまして八百万の神々(「天神地祇」を参照)がいます国となって、其れが 海外にも知られていたし、日本では幸いにも「石を投げれば神に当たる」と言う「神だらけ」状態の国になった。ただ現 実に西洋人が来日して日本の山伏や仏像を見たときには腰を抜かした(「一神教」を参照)。 一神教の彼らにとっては神とは唯一・絶対の架空の存在でなければならなかった。所が日本に来て見ると、人間の目 に付く所に沢山神々が有るので彼らは許せなかった。彼らの目には特に仏像などは、神とは逆の未開な民族のアニミ ズム世界の偶像であり、要するに日本の神仏は野蛮な「悪魔である」と即断した。 確かに、獅子頭や五大明王などの尊像の顔つきは異様であり、彼らの目には魔物としか写らなかったろう。其処で、多 数の宣教師を来日させて、何れは日本を破壊してキリスト教化によって支配しようと計った。其の動きを察知したので 日本は以後「バテレン禁止令」を出して彼らを追放したのである(いづち会主宰・藤平 一先生の解説から一部引用)。 しかし明治に入ると欧米の力、つまり外圧を借りた日本改造があって、此の機に乗じて蛮族の日本上陸が始まった。よ って日本の神仏は幕末の廃仏毀釈と明治の神仏分離と戦後のGHQ指令によってズタズタに引き裂かれる事となっ た。その結果、神社は純粋な神だけを祭る所と決められ、寺院はインド仏教の教えであると刷り込まれました。 でもその様にした結果において、日本の神を何も分らなくした。此の為に中韓による「靖国反対」「反日デモ」の不当な 内政干渉に対して、ハッキリ言うべき政治家や外交官が何も言えず、ただ禰宜様バッタのように何度もお詫びして銭を 出すロボットになった。ですから神を知らない者が祭り事をしてはならないのです。 ●神(神人の一体化)・・・・・・・・神は人の目の前に中々姿を見せないので色んな人がどうとでも言える存在です。其 れだけに頼りなくて直ぐに消される哀れな存在とも言えます。実際、神を信じようと信じなかろうと一切影響がない。だ から無視しても生きて行ける。だが何か困った事があれば人は神頼みします。 其の時に呟くのが南無とかアウン、アーメン等です。此れは別項で述べた通り、神と人とが一体化しようとする唱え言 葉です。でも一体化したケースはそうザラに見られず只の独り言で終わります。独り言になるのは恐らく神様を良く知ら ない為です。アウンとは神人合一の「受け日」の瞬間の「帰命頂礼」と言う祈りの言葉であり、呼吸である。 アッラーと言う場合も、神がアレますようにと言う祈りです。全て日本に原点がある。ただ、こうした祈りと言う行為によっ て、神と人との一体化が出来るのかと言えば、今は少し障害がある。 其の第一の問題は祈る人の意識が弱いからであり、神の事を全く無理解である上に特に瞑目してしまう事である。暗 闇でなければ目を瞑る必要はないのです。寧ろ神を見定めようとハッキリ一定の方角を凝視するほうが良い。例えば 雨乞いをして見てはどうか。天や雨が神ではないとしても、神様の一端を感じ取る事になるでしょう。 雨乞い(別項参照)のために精神を集中すれば天地人が一体化します。何処からともなく雲が湧き上がって来る事を実 体験出来ます。黒雲がご本人の周りに下って来て渦巻き始めます。此のときに誰も想像さえ出来ず誰も体験した事の ない壮大な世界の中にご本人が立っている事に気づくでしょう。 其れを実体験したなら天気や万物を生かしてくれて、何時も色々心配してくれているのは龍神や先祖であると気づくで しょう(祓いを参照)。其れに対して「お上」や病院は神を知る反面教師です。天気や健康は科学や医学がやってくれて いる訳ではないのに金品だけ巻き上げます。 しかも政府は予算を潰して問題を山積させ、科学は公害を撒き散らし医学は病人を増やすのです。さて、神との遭遇 が中々出来ない方は普通は神社に参ります。でも其処には第二の関門として言わば門番がいます。神社ではさも神様 に一番近い存在として、或は独占する権限を持つかのように神主がいて聖職者として振舞う。 そして氏子総会(寺は檀家)を通じて寄付を要求した上、其処を聖域であるとして様々な禁止事項を無暗に増やす事を 何処の寺社でも横並びで平気でするようになって来た。でも、「神様は神社にいる」、と本気で信じている人が果たして どれだけいるだろうか。一見すれば子供でも其処に「神がいない」事は分る。 だから譬え賽銭を上げても何も反応がないし、こちらの願いを聞いてもくれませんから、何かにつけて期待が裏切られ ます。ですから人が困った時には「神も仏もない」と嘆く事になります。此れは先のように神を誤解している結果であり、 其れが今のようなどうにもならない日本を現出したとも言えよう。 とすれば、此処で「実は、神は方位であって神社にはいない」と明言する時期ではないか。神社とは一定の時期に神が 降る場であって、犬小屋のように狭くて暗い本殿にジッと潜んで日々供えられる洗い米や塩を舐めながら生き延びてい る訳ではない。僅かな賽銭で暮らしを立て、狛犬にまで守って貰わなければ存在出来ない代物でもない。 仏像の胎内に仏が入っていないのと同様に、神像にも神が宿っていないし、譬え「ご神体」とする鏡や石ころにも神は 入っておりません。では「お守り」を戴いて肌身離さずぶら下げていればその内、神と一体化するのかと言えばそれも 証明された事例がないので無理と分かる。お守りとかお札にだって神々は入っていない。 それらは売り札であり、銭を出したという、仲間内だけの印(領収証)でしかない・・・・と白状した方が今となっては救い となり、関係者にとって気が楽ではないだろうか。そしてもし神が何かに入る(宿る)と言う様な現象が見られる場合が 有るとするなら、其れは第一には血の繋がりの子孫にである。 また第二としては一定の時期・方位に、何か適当なものを依り代として祭りをすれば極く一瞬だけ降臨する。神社は、こ うした各種の祭りでその一時の、一期一会の場を提供する催し場の立場です。従って其処は銭をかけた施設や管理者 や祝詞の有り難味に重要性がある訳ではなく、ご祭神にとってゆかりのある綺麗な自然であれば良い。 だから古来、寺社は24時間オープンで誰にも解放されて来た訳です。何故なら神様は土日だけとか8〜5時に亡くなっ て、また8〜5時の勤務時間内に再臨する訳ではないからだ。従って氏子たちは、何時でも自由に出入り出来たのです が今は「警備上の理由」などで夜間出入り禁止を公言する所が増えた為に障害となっている。 其れはともかく、昔から人々は普段は俗人でも、ハレの祭りの時だけは清い心を精一杯捧げて聖の心を受けようとす れば神に触れられたのでしょう。神に接近遭遇する第一要件はハレの場と血筋です。血筋は誰にもあるので誰でも神 様と密着しており、言わば「同行二人」ですし、傍流であっても何れかの神へ接近出来ます。 ただ普段は神は見えない存在ですから、確認するのが難しい。其れを感じ取れる場合も多くは年齢を積んでからであ る。例外的に幼児や女性が神童的・第六感などで「神を見た」と言う神懸り的体験をするのは見間違いか偽神(妖怪) の類である。ですから其れよりも苦労を重ね、何度も頭を打った後に人は道理が分かって来る。 道理とは神が敷いた言わば法則ですから、神ならば其の法則に沿って顕現する訳です。此れは今の常識では理解で きない事かも知れないが、人間の思考とは理外の理(別の因果律)があるので、其れに気づくのには時間が掛かりま す。人の力や科学や銭金が無力と気づくいた時とか、先祖や神には逆らえないと気づくときに悟りを得るものです。 こうして漸く神々に接近出来る事になりますし、従ってあの世へ一歩近づき、安らかに死んで行く事も出来るでしょう。 ですから接近遭遇するのが幸か不幸かは本人の受け取り方次第です。 苦労した経験のない若者たちやナマクラな大人たちの方がずっと幸せであるかも知れないが、そうした彼らでもひとた び苦難に出遭った時に気づけるように、予め未知との遭遇を経験した者として悟りと道を知る熟年高齢老成者が神の 存在を説くのも1つの友情・愛情・功徳であるでしょう。 さて何らかの形で運良く神の存在を知った者は限りなく幸福感に包まれる。或いは次々と妙智を授かる。或いは大きな エネルギーを与えられる。此れは宇宙や人類が進化したからではなくて昔からの繰り返しに過ぎない。其れを「日の元 に新しきものなし」と古人は教えて来た。神代から実は、何でもあったのです。 ですから人智以上の叡智も、神智もアイディアでも、人が求めれば与えられる。例えば画家なら神の姿をキャンバスに 描き残したい欲求に駆られて素晴らしい作品を残すでしょう。とすれば神に近づくのも悟りも早い時期が良い。或いは 大工なら自分の建築した神殿に神を招いて閉じ込めようとするでしょう。 その結果、彼は其処に数百年も残る優れた建築物を残す。或いは学者は神を探求しようとして優れた真理や方式、ま たは法則を打ち立てて実証しようとする。そして芸術家は神に褒めて貰おうと常に研鑽努力して何時かは天国にいます 神の物かとも思えるような優れた作品を完成させる。 例えばバッハのような音楽家は今誰が聞いてもうっとりするような讃美歌を多数残した。其れに比べれば神とは逆の今 のニューミュージックなどは新人類として進化した音楽になっているだろうか。ではなくて逆に流行性で動物的なゴミ騒 音になっている気がします。つまり神を外した場合の人間性の進化は何もなかったのです。 要するに神や完全性と言うのは過去にあり、従って未来には希望的な可能性しかない事を認識するべきである。今の 日本人は唯一の神・一神教的進化論以外のものは絶対否定してしまうが、此れは因果の道理の逆を言うイデオロギー (異教性の仮説)なのだから科学でも法則でも何でもない。偽装科学だから絶えず疑問視するほうが良いのです。 さて先のように神に対して何かを達成した場合には、不幸者ではなくなり、其れまでの苦労が消えて喜びと感動とに変 わります。ですから神を感じた熟年者は若人たちに彼らが未知である神の道を早い時期に説いて励ましてやるべきで す。 ●神(祭り)・・・・・・・・ウグイスはこの世に生まれた事を喜んで精一杯鳴き続けます。だが人は、ウグイスのように鳴き 続ける一生は無理ですから、死ぬまで仕事で働き続けて馬齢を重ねるか、或いは目先の競争に明け暮れたり戦い続 け、最後は闘病で死ぬとか、或いは穀潰しで道楽を重ね、犯罪を重ねて一生を棒に振る方も有るから人生色々です。 其の点で、ウグイスのように歌い、祭りをして暮らすのが日本人でした。人は仕事や戦いよりも、この世に生きる喜びを 神に感謝する立場でした。今も海外からは毎日のように戦乱のニュースが伝わって来るが、其れとは対照的に、日本 は毎日のように何処かで祭りを続ける国である。 祭りの主は殆どが出雲の神ですが、其の神については最早分らない事のほうが多い。祭式についても今のようなもの だったとは言えないので「玉串の祭り」として別記した。ただ▲人が神を祭るのは貴い行為です。けれども神様から創っ て貰った人間が、神様を作るとすれば逆さ事である。 従って神を祭る神社と人を祭る人社とは区別しなければならない(▲以下は一神会会報より引用)。 何れにせよ手始めとして天皇から近づく必要があります。ただ天皇霊は神としては扱われない点については前述した。 よって本論では分っている事実を寄せ集めて神への道を辿るため、先ず、有史以来の天皇の命日と宮と陵との三点セ ットを検証して神々に一歩近づく方式として、「ヒジリ事典」と、「神々の歳時記」を併せて掲げました。 此処からもし日本の神々の一端でも知る事になれば、日本文化の本質(原理)に触れる事もきっと容易いでしょう。また 其れと共に自分がどの神に繋がるのか、と言う苗字と地名と其処に鎮座する氏神や氏族の系譜について実に多くの事 も分かって来るでしょう(「円系図」を参照)。 ▲紙子白木綿・・・・・・神衣白木綿。かみこしらゆふ。古来、聖人が纏った衣。律宗の僧衣。白い厚紙に柿渋を塗って 晒し、揉み柔らかくして継ぎ接ぎのパッチワークで仕立てた衣服(和紙を参照)。また西埜先生によれば、和紙には祓い の作用が有る。よって呪術を使う者は邪気祓いに此れを着けたと言う。 着物を買う金がない貧乏聖が、已む無く紙の衣類を身に纏ったと思っていたのですが、別の効能が有ったとは・・・・ ▲神風・・・・・・・・蒙古襲来時、第一回の元寇(文永の役)は、文永11年10月20日(西暦1274/11/26)、第二回目の元 寇は、弘安4年閏7月1日(1281/8/23)でした。台風は日本に災害を齎しますが(サンケイ、2003/9/4、小林弦彦氏の 解説から引用した)、こうして外敵を滅ぼす事もあります。 無論、神風と言うからには其れなりの呪法によった。諸記録によれば、鎌倉幕府の要請により、西日本各地の寺社が 各々加持祈祷の結果に於いて譬え時期外れであっても巨大な神風を起こした訳である。所で日露戦争で日本が勝って 以来、世界各地の諸民族は大いに驚き、発奮して各国が独立を果たした。 その後の日本は太平洋戦争末に背水の陣となった時に神風特攻隊を出して米軍を大いに恐れさせたが神風は吹か ず惨敗を喫した。だが中東(パレスチナ、イスラム圏)では今もKAMIKAZEと言う勇ましい行動をとっている。ただ日本 のマスコミは全て其れを決まって「自爆テロ」と誤訳して国内に報道している。 ★「神々の指紋」・・・・・・以下、「ヤフー知恵袋」に回答した中から転載する。 回答日時: 2008/3/23 23:02:33 回答番号: 47,764,612 ----グラハム・ハンコック氏の「神々の指紋」は、ピラミッドや遺 跡が其の当時の星座の位置関係から位置を決めて設計・建設されたという実に合理的で天文学的で、しかも其れを実 証している点でも申し分のない優れた理論です。 でも考古学者は地下ばかり見てしまうので、この説を信じないだろうし、また天文学者は遺跡を考察してもゼニにならな いから無視していると思う。 次にフォン・デニケン(スイス人)などの本を見てはいませんので其れは別としても、太古に繁栄した文明があった事は認 めざるを得ません。例えば日本を中心として神代から偉大な文明が起こり、西に伝播しました。ただ其れが今の歴史で は解明できないので、今は全てが大陸から東に渡来したものと言う観念で見ています。 其れを無知と誤解による「渡来史観」と言う。日本では遷宮の方式、及び各地の古式祭りや古墳と寺社の祭りが太陽 の方位によって命日を確定し、その方位に向かう方式を何千年も続けています。其の例を列挙したのが例えばhttp:// kami.tudura.com/「神々の歳時記」 従ってグラハム・ハンコック氏の遺跡の分析と同様に、日本の遺跡も古来、天文観測によって並んでいるのです。但し 日本は星座ではなく、太陽観測を続けていました。ただ地震国のため、太古の遺跡が10mから100mも地下に眠ってい るため、考古学的な発見には至らない訳です。 ●上座とは・・・・・・・上座とは神の座である。従って主神の方角を言う。太陽ならば南である。夜間で、太陽が北にあ る時は北になる。しかし北には其の時に星もある訳ですから、此の点の認識が無ければ上座が意味不明となります。 石灯籠や狛犬、或は仁王様の配置を見ても阿吽(別項参照)の位置関係が上座を良く示しています。 まぁ一般に上座と言えば一段高い場を言うが、其れにしても神仏を祭る台や祭壇の名残であって人の座る場ではなか った。台に近い所が言わば上座である。だが奥まった所が上座であるとは言えない。 京都市の場合は大極殿を中心に東に左京区、西に右京区がある通り、大極殿が南面して東から日の出があるので左 京が上座、右京が次座としていた。大極殿はお上(神様)を祭る所であって、天皇は其の裏の内裏に位置した。だから 上座に天皇や将軍が座るべきではなかった。しかしやがて奥の間の一段高い座敷を上座としてお代官様でも座った。 家長も座ったので、だんだん神様を忘れて自分がお上さんになってしまったのです。ただ便宜上、演壇などは一段高い 場にあったほうが良いので其れは臨時の上座になる。だが何時も同じ人が上座に例えば社長のイすを置いて座ってい ては弊害になります。 日本では古来、「長幼の序」を重んじた外、尊属・卑属の分脈・分限(ランク付け)を決め、血筋の濃い順番で祭りを主 宰する神主・酋長を選んで来た。また家族や集団では其の順位によって上座から順番に席に着いた。特に太陽神を祭 政一致で祭る場合は、天子南面の原則から神主・酋長の位置は北に位置し、此処を上座とした。 京の配置の場合は南大門に正対して北に内裏が位置し、民家の場合も南向きの和室の場合は正面(北側)の奥、ま たは床の間であり、もしくは入り口(下座)から一番遠い場所となる。或いは旧家の場合は大黒柱に対して妻柱が奥に なる。このように太陽に正対する所が主(上座)となります。北で北向きではなくて、北に位置して南面する位置でした。 其れに対してユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教も含めた諸教は原則として、「神の前で人は平等」とする一神教 の一面が強いので、牧師・僧侶以外の信徒たちは神の前で司祭以下、横並びする。序列に従うカトリック等の外は上 下なく横並びで整列する。但し何れも星神であるから北天の下が祭壇であれば、北で北面する突端が上座であろう。 次に仏教は多神教とは言うものの月の教えですから矢張り「平等に横並び」する。ただ其の仏教の究極が西方浄土と する以上、仏壇を西に設えて東から人が西面する位置づけとなる。 次に日本の「上下」の呼称については天皇の玉座を最上位とし、其の都を「上方」とし、テント張りの幕屋であってもお 役所を「お上」と言い、命令は上官から部下に「上意下達」とした。また皇居が今は東京になったので、交通機関も東 京・日本橋を基点に「上り、下り」の方向付けをします。 しかし天皇様が居ないのに今でも関西を「上方」と言うのは言葉の濫用かと思う。 ▲神棚(仏壇)・・・・・・・・神棚と仏壇は一緒にせずに何故か別々の所に祭って来ました。またどうして神棚は白木なの に仏壇は黒漆を塗るのでしょうか。白木作りの神棚には伊勢神宮の大麻などを並べるだけで神像を祭らないのに、仏 壇にはどうして仏像と先祖の位牌を祀るのでしょうか。其の原因が神仏習合にあるのでしょうか。 それとも宗教宗派によるのでしょうか。それとも日本古来の「祭りの方式」にあったのでしょうか。因みに昔の神事は黒 を基本としたのですが、明治以来、「白を黒」に逆転させました。詳しくはこの「ヒジリ事典」を読み進めてご判断下さい。 ▲神棚(処理)・・・・・・・・ペットと同様、買うのは楽だが後が大変なものの一つ。神棚は伊勢神宮など、典型的な神 社の形を表した物(形代・依り代)であり、そのお社の扉の中には伊勢・産土・特定神社の順でお札を入れる構造にな っている。と言っても其の順番よりも真ん中に祭る方が主神です。 さて神棚は市販品があるし、護符も神社で売っているので誰でも気軽に手に入れられるが、逆に其の処分について詳 しく教えてくれる人も無く、気安く処理出来ないから悩む事になる。特に異教徒は神社や神棚などを嫌う。嫌えば目の前 から早く消したいと思うし、直ぐにも焼却するかゴミに出そうとします。 でもそうであるとすれば特に宗教家や何かを信仰している人とは言えず問題です。人はこの世に生まれて必ず死ぬも のですから、手に入れる時だけ熱心で、手放す時には粗末にすると言うのでは道理に合いません。それでは譬え信仰 を深めて他に改宗したとしても何の意味も無く、或いは一角の「宗教家」と言われてもこの点から先ず失格です。 ですからもしゴミのように捨てれば人間性が問われます。仏壇でも墓石でも猫の子を貰うように簡単に買い揃えられる けれども、モノを入手すれば何でも同じ数だけ廃棄する機会を持つ事になるのがモノの道理です。従って電気屋だって 新品を売るだけではなくて、故障した冷蔵庫の処分をして当たり前と心得ています。 とすれば宗教家は宗祖を敬い、教理に精通しただけでは足りず、人の誕生・成人に関わると共に死者や霊廟の処置に も明るくなければならない。特に他人に伝道・宣教・折伏活動をする人は更に心得として、以前の祭壇を無事に廃棄す る作法を心得ていなければ一人前とは言えない。 昔に海だった所は今でも洪水になり易く、或は山だった所は草や木が生えて来ます。同様に仏壇や神棚があった所に は神霊・幽霊が集まり易いので物質と見て撤去してもジ・エンドでは無い。日本では幕末に廃仏毀釈の嵐が吹き荒れて 目出度く「神国」になった。しかし、戦後は逆に戦前からの皇国史観の神社や神道を批難し排除する風潮が強まった。 此れは進歩ではなくて国家的な宗旨替えでした。八百万の神々がいますアニミズム信仰と言われる一見平和な日本で もこのように極端から極端へ津波のように人心が揺れた。日本人は決して八百万の信仰でもアニミズム信仰でも無信 仰でもなかったのです。 ですが先祖を捨てれば芯(コア、バックボーン)がなくなり、日々の生活からも眼中からも精神文化が消えてしまう。 生活は戦後、一見豊かで楽になったが、ひとたび芯がなくなり、アイデンティティー(先祖)を共有しなくなった時の日本 人は、寧ろ一神教的に「異教徒弾圧の激しいエネルギー」を燃やしてしまう側面があるのです。其の時に問題となるの は祭壇の処理である。 神棚や祭壇・仏壇・護符・位牌などの内、先ず仏壇は極楽浄土を象ったものですから、其れを捨てても意味はない。其 処に仏や先祖の存在を確認出来る人もザラにはいない。其処で「見える物だけ」で判断し、好き嫌いで処分する事にな る。先祖はいないと見たり他教を邪宗と見なして排除し、その依り代(お札や位牌)まで焼き捨てる事は簡単だ。 依り代は何をされても文句を言わないからです。また簡単に墓石を取り去る事が出来ても其の地下には遺体や遺骨が あり、また仮に堂塔を焼き払っても仏舎利や鎮壇具が埋設されている訳ですからご本尊を無視しては何も片付きませ んし、大変危険です。 体験を積んだ霊能者やヒジリなら兎も角、異教徒や未熟者では其の辺りの判断が効かない。であれば敵だと決めて粗 略にせずに寧ろ最大の敬意を払って丁寧に扱うべきだろう。仏教には仏教の作法があり、キリスト教にはキリスト教の 作法があるのだから其れを貴ぶ事が第一である。 ですから勝手に判断せずに其の元の鞘に収めるために送り返す礼儀が最低必要です。天には日月星があるように人 には神仏儒・天主の教えがあり、其の祓い・贖いの方法として先ず方位があり、または空・火・水・風・土などがある。 とすれば日月の暦の別を知り、其の吉日を選び、贖いの供物を捧げて事情を述べて元の所へ送り届ける工夫をする か、或いは入手時と同様の、もしくは逆の方法で、お金か心を添えて送り届けるべきかをその道の先輩に教えを請うべ きでしょう。ただ嫌って、避けていては解決しない所か寧ろ問題を生んでしまうのです。 例えば墓石では僧を呼んで地下の祖霊供養と墓石の入魂式と御霊抜きをするし、仏壇も入魂・脱魂・お焚き上げ(「護 摩」を参照)を行う。無論、位牌は寺へ預けて永代供養願うのが一般的です。また仏壇店でも有料で引き取り、供養後 にお焚き上げしている。 或いは古くなった護符や神棚は神社の社務所の近くに納札所を用意しているので、其処へ持って行けば何時でも処分 可能である。でも其処へこっそり運び込んでゴミとして捨ててはならない。臨時の場合は社務所を通すべきである。 ★雷・・・・・・・イカヅチを参照。平安の昔に雷が三度鳴ると、清涼殿や紫宸殿前には天満天神を恐れて近衛の大将 以下「雷鳴の陣」を張って弓の弦を鳴らして雷除けのマジナイをした(「枕草子」)。さて皆さんはどうするか。雷よけのま じないをする人は先ずないだろうが、無視するのも困るし逆に怖がっていても解決しない。 今、日本に落ちる雷は年間50〜100万とも言われ、落雷事故で犠牲となる方があるので、甘く見ないで車に退避する ほうが良い。雷は竜神と違って気短かなので、ク゜ズグズせず直ぐ終わる。だから一寸待てば良い。雷は「落ちる」話が 多いが実は横っ飛びするのでご用心。 太陽や星は決まった天空を動くのに対して、雷は人の目に一瞬しか姿を見せないし出没時間も方角も人には分かり難 い。ただ普通は雷神さんを祭った神社を軸にして飛び出す。そして大体、パカッと空を割って現れて大音響を轟かせ、 暴れ回って怒り散らし、天空の端から端まで横っ飛びで走り回り、元の神社に戻る。 暫くするとまた出て来て当たり散らして落ちるべき所をジグザグに、時には何本もの雷光に分散して何れも同時に旨く 落ちますから言わば「同時多発」と言うような芸当も見せる。其れで一通り気が済んだらサッサと去って行きます。です から雷雨も鶏が追い立てられて慌てて走り回るように気まぐれで乱暴な降り方になります。 こうした雷神様を唯物科学的に理解しても正解ではない(「落雷」を参照)。 自然は生き物ですから譬え電気物理的に分かる事が有っても、其れは半分しか分からないのであり、後の半分は謎で ある訳です。後の半分をどう認識するかで人間の幅と深さが違って来ます。 昔から人は「地震、雷、火事、親父」と言って雷は二番目に嫌われて来ましたが、そうした雷にも多大な恩恵を受けてい るとの認識が心の幅になる。心の余裕は相手を嫌わず知る事である。例えば昔は雷神の具体化した形をお寺の天井 に尊像で飾っていた。江戸時代にも俵屋宗達の「風神雷神図」屏風のような形で図示し絵解きしていた。 この方が物理よりも親しみが有ります。人はまた雷を「神なり」とも言う。その役割は光りと音で大掃除する事です。だ から例えばもやもやした気分の日でも落雷の後はスカッとした空気に一変する。人が風邪気味の時に、咳をしてスッと するような感じです。 其れまで蒸し暑くてグッタリしたり眠気を催したり、空気が乾いて気分がモヤモヤ、ムカムカして体がだるくなっていた場 合でも、其処にいったん雷光が閃き、ザーッと夕立があれば人の気分までサッとスッキリ、シャキッ!とさせます。植物 も生き物もシットリと生き返ったように変わるから不思議です。 此れが掃除屋・雷公の役割です。其れに雷鳴が多い時期には不思議に果物やキノコなどの育ちが良い。だから「鳴り もの=成りモノ=生り物」と言ってお百姓さんが喜んだ。無論、稲田の稔りも良い。よって雷光を稲光とか「稲つるび」と 言った。其れに日本海側では初雪の頃の雷を「ブリ起こし」とも言う。 雷で沖の海が荒れるこの時期には、雷鳴の後に富山湾にはブリが押しかける事からそう命名された。ブリの外にハタ ハタも雷に関係する。ハタハタを漢字で「雷さんの魚」と書くからです(この点はNHKラジオ04/10/31)。 さて雷の発生原因について現在の科学では、「積乱雲の中で摩擦によって電気が起こり、上下に電離してプラスからマ イナスに放電するから稲光となる」と説明しているが、実は雲の中ではなくて地表面とのスパークであり、電位差の解消 である(「スプライト」を参照)。 だから地表面の大掃除になるのです。またこの、雷の放電現象のため巨大な電磁波が費やされるので、此れを「勿体 無い」と思う人は古今多数出た。例えばフランクリンが電気を取り出そうとしてタコ実験した結果、多くの学習をしたのは 有名である。また鉄道線路に落雷した場合は瞬時にレールを永久磁石にする事もある。 けれども元より雷の役割は、人類が人類社会のみならず自然を汚染した尻拭いをするために、必要最小限のエネル ギーを使って最大の効果を挙げるべく精一杯働いてくれているのであって、人類の更なるエネルギー浪費や一部の 人々の功名心や願望を叶えるために活動する気持ちは少しもない。 従って雷に感謝して多くを学ぶのは結構だが、物質科学に利用しようとか、個人的な金儲けの道具に利用したいと思 おうとも、そうした驕った姿勢は嫌われ、失敗を重ねるのです。此れは地震や台風にも同じ事が言えます。 ●神の国・・・・・・・・日本は古来「神の国」として内外から評判だった。其れは大海原をはるばるやって来て、日本の 港に入った時にも分かった。良い匂いがしたり光り輝いていた。今、飛行機で海外から来ても、外国とは別の幾許かの 感動を味わうに違いない。また例えば宮崎の横瀬地区は「住民の人口より神様の数の方が多い」と言われる。 川には水神様、山には猿田比古、家には天照大神を祭る。農家は大黒様である。川では油ハヤを獲ってウナギを釣 る。山ではハチク(淡竹)が採れる。山には「お伊勢様」と言われる大岩が有って、各家には200年来、神様の部屋があ り、日々村人たち各々が自然の恵みを感謝して暮らしている(06/6/10のNHK総合TV)。 此れが日本の原風景(本来の姿)である。しかしかつて森首相が在任中に「神国」発言をした点について、当時のマス コミが大ブーイングで問題にした事があり、よって国内でさえ「神国」発言について喧々囂々たる批判論が巻き起こっ た。だが其の批判論の多くは要するにイデオロギーと的外れと誤解(「神」を参照)による感情論ばかりでした。 例えば我が国では日本神話があるが、其れは諸外国の神話より体系的であり、しかも最古の歴史を持つ。其れと共 に、神に纏わる苗字を日本人は人名の上に被せて来たが、海外では末尾につける。神に関する事が内外で尊卑の観 点が逆なのです。また日本は各地に神に繋がる地名が無数にあるが、諸外国にはそうした地名が無いに等しい。 此の三点だけ見ても彼我の差は歴然としているだろう。ただ個人には好き嫌いがあるし、無知や井の中の蛙やイデオ ロギーによって批判するのも自由とは言え、神を蛆虫か毛虫を嫌うように排除しようとする現代社会の洋式観念が果た して戦後の「人間性」と言えるものだろうか。 「神の国」の批判論の多くは、品性もなく、日本史や文化について凡そ何の素養も見られず、単に何かのイデオロギー (異教性)に毒されて動物的に宗教を嫌う「似非文化人たち」でした(下記の「神の子」を参照)。 ●神の子・・・・・・・・大多数が「人は人の子であって決して神の子ではない」、と思っている。肉体だけを見る目しかな ければそのように考えても良いが、もう一歩踏み込んで見れば精神世界に気づくでしょう。或いは物として見た場合で も、其の物を作ったメーカーがあると気づく筈です。其れが親であり先祖であり血筋である。 先祖については戸籍や墓石から確認できるし、苗字を付けている事実にも気づく。日本人の多くは皇別、神別、天孫な どを示す姓氏を苗字として自分の名前の上に冠して使っている事実から更に自分の先祖を円系図(別項参照)にして 調べれば、そうした姓氏が倍数の理で無限に増えて行く事が分かる。 つまり人は多くの神々の結晶であり、分身であると気づくでしょう。其のうえ日本各地では毎日何処かで祭りがある。此 れは既に亡き先祖が新たな神としてこの世に再び、毎日生まれ出て来る仕組みです。とすれば、各個人の誕生日はそ の神や祭りに縁がある。よって此れを縁日と言う。そうした深い読みから日本人は暦に精通して来た。 其の点から見ても並みの人類や諸蛮族(もう少し進化すべき猿人類)と日本人とは全く違う(上記の「神の国」を参照)事 に思い至る筈だ。因みにシナ朝鮮以外の諸外国では苗字(別項参照)の種類が極端に少ない上、苗字を自分の頭で はなくて、自分の名前の尻尾に付けます。此処に彼我の差と主客転倒が見られる。 ●神の存在・・・・・・・・神は宇宙の何処かに唯一絶対の不動の神として存在するのか。其れとも八百万の神々としてア チコチに散在するのか。其れなら自分の傍にも付き纏っている神があるのだろうか。或いは呼べば時々やって来て答 えてくれる微細ながら大きなパワーのある存在なのか。其れなら具体的に何処に存在するのか。 見えるものの中では例えば一番大きな存在として「神は光」として存在するのか。取り合えず目の前にある物としてなら 太陽であるのだろうか。ただ宇宙にはもっと大きな太陽が無数にありますから色々悩みます(答えが出ない)。其処で 一応の答えを述べる。神は全ての中心に位置する。つまり方位の神として存在します。 宇宙なら其のコアとして、太陽なら其の中心軸にあり、見かけの大きさではなくて小さな存在です。宇宙の存在の殆ど が丸くなっていて、丸い物なら全て神が其の中心に位置する。不定形の人類の場合は額、臍、足の何れかに移動す る。草木や生き物や獣は殆どが足に位置する。種や細胞は核にあり、神の振動により成育します。 では有りますが、別に信じなくても良いのです。寧ろ「頭から信じろ」と言われれば戸惑うだけであって無理かと思いま す。例えば西欧の神様は人に命令ばかりして戦争をさせた。各地で各時代、大量殺戮を重ねて巨大帝国として、次に はまた滅ぼし、今も植民地を広げたり他国に戦争を仕掛けています。そんな神まで信じる事は無い。 日本人なら寧ろキッパリと否定すべきです。日本にはそんな神が渡来してくれなくても何も不自由しない。神ならば先ず 天候を変えて見よ。日本の神々は昔から天候を守り、地震や火山噴火をも鎮めて来た。其れ程の力があれば戦争を 防ぎ、作物を育てる力も有り、病気治しも出来る。なにせ人間を作ったのだから。 インターネットの出会い系サイトの力を借りなくても縁結びをして来たし、体を弄り回す医療の力がなくても手も触れず に子宝を授けて来ました。こうした歴史の重みと実績を知り、目の前で起こる色んな現象を見たならば、其の時は信じ なければ日本人では有りません。 以下、「有神・無神論」について引用する。---神が存在するかどうかを論うのが有神論と無神論です。でもこの世を神 様が創った時に其れに手を貸した人がなかったのですから、人間が今頃、「神様がいる」とか「いない」とか言える立場 では有りません。神様がいなければ、此の世の中も人間も存在しないのであります。 さて神様が人を創ったが、人類は何を作ったのか。人が神様から創られた存在であるのに、其れを弁えずに逆に神様 を作るのは傲慢である(大要は「ソロンの預言書1」、及び一神会会報より引用)。 ●神の道・・・・・・・・海外諸国には唯一絶対と胸を張る一神教の神や五穀豊穣の職能神・地方神・荒々しい武神・戦い の神・恐ろしい魔神などの如何わしい御利益神が無数にある。其れに対して日本神界の神々は日々の営みを粛々と 継続する律儀な神々であり、例えば四季のめぐりを方位に対して寸分の狂いもなく運営する方々である。 其れは太陽を見れば分かる。太陽がこの宇宙を作ったのかどうか、或いは何時、創世神がこの世を生み出したのか、 と言う事は今の所では不明だが、太陽を基準として地球を調和の中で運営している神々と思って略間違いはない。 さて日本には神道が有り、此れは良く分からないが、漢字の並びは日本鉄道と一字違いの名詞です。つまり鉄の道で はなくて神の道であると示している。人の道でもないが、祭りの時の神幸と言う行列を見れば、神道とは神社の建物に 意味があるのではなくて、一定の時期に送り迎えする行為と分かる。 つまり人が地上で行う神の道とは天文暦法による方理(道理)によって神を送り迎えする道(参道)であり、またその道 理方式に従って御幸や例祭をする行為である。また類似の事を「かんながら」(随神)と言う場合があるが、此れは少し 汚染された言葉で掴み所がない。或いは英語では行ったり来たりする行為をcome(カム)と言う。 此れも神の道から来たものだろう(?)。 ●上宮聖徳法王帝説・・・・・・・・聖徳太子の伝記。以下http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/index.htmから引用す れば、----平安初期の成立と考えられる聖徳太子の伝記を集成した一卷より成る書。皇極・天智朝にさかのぼる資料 が使用されているとも見られる。撰者不詳。 ●神柱・・・・・・・・以下、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=1221481842「ヤフー知恵袋」 に回答した中から引用する。-----神柱とはどういう意味でしょうか。神柱が立つ ‥とはどういう現象でしょうか。 hadohado8さん -----onia222さん。 やや違った角度から説明します。神社ばかりではなく、昔から日本人は死者を1柱として数えました。其れは人を墓地 に土葬した場合には、その上に主柱、つまり木の墓標を立てたからです。日本人は其の日の日影を地面に印して、命 日を確認して来ました。 数字式のカレンダーだけが正しい暦ではなくて、日かげの示す方位こそ、今の西暦よりも伝統があり、しかも正確なも のでした。つまり柱は日時計でした。其れをするのがお寺の役割となり、従ってシナでも「土に寸」と書いて「寺」としたの だと思います。 「柱」と言えば、現代人は数本で家の軒を支える棟持ち柱だけと固定観念で決めつけていますが、本来は喬木、つまり 一本柱をハシラと言いました。其れに対して神社では寧ろ「1座」として御祭神を数えます。此の「座」は平安の延喜式神 名帳にも出ています。 次に「神柱」については、此れは元々「みはしら」と言いました。ミハシラは先のハシラであり、「棟持ち柱」とは意味が違 うために「見柱」とすれば良かったのでしょうが、今は「御柱」と書く例が多い。此れを長野県の諏訪地方では「おんばし ら」の祭りと言います。縄文時代からの名残を留める古くからの祭りです。 此処の場合も其の「柱を立てる」事が今は主役になっていますので、何処かで「神柱が立つ 」意味に繋がるかも知れま せんね? ●神は完全・・・・・・・・神は唯一絶対で万能と規定するのが西洋式一神教です。でも其れには異論が多くて全人類 の支持は得られていない。世界の殆どは多神教であるからだ。ただ両論並立では困るので、此処では別の観点から定 義する。其れは完全性である。其れに対するのが進化論(別項参照)と言う科学でも何でもない偽の仮説です。 完全性は例えば過去です。過去・歴史は全ての条件が満足したから成立し完結出来た。よって此れを神業わざとも言う 事が出来ます。また不完全なら存在できないのが自然界です。人間も植物も、完全性であるから存在し生き続けられ る。其の生きる諸条件が全て完結した時には死去して此れまた完全に終わる。 自然は完全性によって共生しているので嘘をつかない。天の動きも地殻変動も完全性を保つために流動しています。 但しその中で、人間は現在進行形の中でしばしば嘘を吐く。此れは獣にも劣る行為ですが、必要悪として一部許されて 来ました。嘘や誤魔化しは決して完結しないものです。 其の為、嘘が多くなると07年の日本のように「偽装社会」が現出しました。こうなっては困るので、古来日本は各地で祭 りを行ない、完全な神を一定の方角を往来して迎えて饗応して讃えたり神楽や舞楽を奉納して来ました。神が蘇って、 其処に完全性が復活する事を全員で祈ったのです。其れが世の乱れを正した。暦法の間違いも正した。 そうすれば天候が乱れる事もなかった。天気の実に絶妙な動きを誤解して「異常気象」などと煽動する勢力に惑わされ ずに、正常性を上手く受け止める事になるからです。 ●神は清浄さを好む(お正月)・・・・・・日本神界の神々は低俗さ、不潔さ、臭み・・・などによって誘き出されるように フラフラやって来るのではなく、清潔な場を選んで光や薫香と共に降臨し顕現し宿る。従って神社の境内は凡そ清浄に してある。またお正月様を迎える場合の日本の家庭でも古来、迎春準備が年の瀬の慣例となっている。 このため各家庭や職場では、年末までに家の内外まで大掃除を済ませ、その場を清めて、家の外には門松を立て、床 の間には鏡餅を供えて、大晦日には夜も寝ずに夜明けまで待ち続けて初日の出を祝ったのです。 でも観光地や料理飲食業、或いは接客業者などが、「お客様は神様です」と言っている通り、心底から思っているなら ば、神を迎えるように精一杯清浄にしていなければ、如何に豪華な造りにしようとも客足は次第に遠のいて行くもので す。それに対して寺はさほど「清潔さ」に頓着しなくともよさそうです。特に葬式仏教なら何ら客には困らない。 格別の努力なしでも多くの葬式に招かれるからだ。また観光拝観寺院として目立ちたいなら清潔さよりは、汚れた俗界 にまみれて放ったらかしの方が寧ろ流行るかも知れない。同様に一般家庭でも、お盆の前にするのは家の大掃除では なくて「七夕流し」と墓参りや盆の「送り火」をして来ました。要するに対象が神でなければ「清潔さ」は無用だと言える。 ●神代・・・・・・・・ ●神代文字・・・・・・・・「ジンダイ文字」で述べる。 または パテント・著作権は本会に属します。 「鬼の会」 |