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    日知り事典       ヤ〜ヤタ


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●や・・・・・・「や」は「矢、屋」の「や」であり、数詞の「ヒフミ」では「八つ」の事。
やえ・やヘ(八重)・・・・・・・・単(一重)、二重、三重、七重などに対して八重は16、または8×8=64倍の事。

●八百万の神たち・・・・・・八百万と書いてヤオヨロズと読むが、「百」は本来「も」と読むのであるから、「やお」ではなく
て「ヤモ」と読むべきではないか。例えば八百万の神と書いて「ヤオヨロズ」、八百屋と書いて「ヤオヤ」と読むよりも「ヤ
モヨロズ」と「ヤモヤ」ではないか。と言えば聞く人を困らせる(八百八を参照)。

けれども、「四方、八方」と書いて古来、「ヨモ、ヤモ」とも読んだので、この場合は「方」が「モ」または「ホ」であり、「百」と
同音となる。何れにせよ「百」が「オ」であるとは言えない。そもそも、「八百万の神々」と言う神は実在しない架空の存在
である。実在するのは誰にでもある八方をヤホと言い、誰もが持つ八方・八代の先祖がヤホである。

焼畑・山焼き・・・・・・商品作物栽培が常識となってしまった現在では、昔からの焼畑について、「未開な農法」と蔑視
し、しかもCO2を問題に絡めて環境ファッショたちが悪例として槍玉に挙げて来た。だが此れに「ソーダソーダ」と付和
雷同し同調するのは無知による誤解(お門違い)からである。

焼き畑農業に批判的な人達は、此れまで「近代化」としてエンジン付きの機械化と大量の化学肥料と農薬漬けの近代
農法を進めて来た事を先ず反省すべきです。或いは他人にCO2を叫ぶならば先ず自分が車にも飛行機にも乗らない
事である。

歪な近代農法に比べて焼畑は世界各地で古来行われて来た実績のある自然農法であり、此れは800度程の炎で土
地の表面を焼く。その結果、害虫や雑菌を死滅させるし、焼けて炭化したものには酸素供給材と微生物培養器となり、
植物の成長を助けるので要するに土壌改良になり、灰は次の肥料になります。

表面だけで地下茎や地下にある種まで傷める事がないので2週間くらいで再び芽が出て来ます。そして丈の短い草花
が一斉に咲き揃うのです。やがて次第に背丈の長い植物が生えて来ます。また古墳時代から日本では山焼きが盛ん
に行われていました。此れは墳丘上で日影観測をする時に視界を広げるためでした。

此のため古墳の周りには類焼防止のために環濠を設けていました。その環濠が稲作時代には溜池に改造され利用さ
れました。稲作は固定的な場所による農法ですが、焼畑は森を伐って焼きながら場所を替える。同じ所を使い続ける
農法ではなくて焼いた後は順繰りに森に戻すシステムであり、森を再生させる。

日本のように山間部の多い暮らしには元々水田は不向きでした。其れよりも段丘を利用して100%の陽光を活用して樹
木や果樹栽培するほうが立体的な生産となり、豊かな実りが得られた。其の為にも此の焼畑が一番無難な農法であ
り、環境維持にも優れたシステムでした。

宮崎の椎葉村を訪れた柳田國男は此の焼畑に感動した。焼いた歳の1年目にソバを植え、次々作物を替えて4年目に
は大豆を収穫してから其の畑を焼く。その次は放置すると言う循環過程を見直した。椎葉村の農地は私有地ではなく
て村の共有財産として冨を共有する暮らしでした。此処から後に彼は遠野物語を書くことになる(民俗学を参照)。

・・・・・・厄年(下項を参照)は数え年で決めるが、此れは満年齢に一歳を加えた年齢の事である(誕生日前は二
歳を加える)。男性の厄は25、41・42(本厄)・43、61であり、女性は19、32・33(本厄)・34、37、61である。この様
に、数え年を元に一定の年齢に達すると男女別の前厄・ホンヤク・後厄とがあると言う俗信である。

男性の場合、この年には誰かに包丁か火箸を貰うのが良いとされているのに対して、女性の場合は婦人病の霊験の
ある粟島様(加太など)に参拝するなどの風習がある。だがこうした事は、奈良時代以前の日本の文献には出て来ない
ものでした。

其の点から推察すれば、古来、日本人には死者に対する物忌み期間を「穢れ」とする風習があり、或いはその他の問
題に対する定期的な「祓い」の思想があったが、此れに渡来の仏教観念(浄土思想)が同化したものかと思われる。関
西では「門戸厄神」などが厄払いの専門の名所になっているが、其処は画一的なベルト・コンベアシステムと聞く。

言わば大勢の人を一度に厄払いするマスプロ・ビジネスである。だがこうした形では「厄祓い」が無理な筈です。祓いは
普通の場合、他人が簡単に出来るものではなく、ましてや個々の因縁をビジネスとして行うには無理があり、本人にし
か出来ないのである。

事実、阪神淡路大震災ではこの一帯が一番大きな被害を受けたが、門戸厄神も其の例外ではなかった。其れとも此
処が我が身を犠牲にして人々の厄を祓ったのだろうか。

薬害・・・・・・薬害エイズ。イレッサ(抗がん剤)。其れに最近はタミフル(インフルエンザの特効薬)など枚挙に暇なし。
06/6/21には、大阪地裁で薬害C型肝炎訴訟で国と製薬会社の責任を認めた。

此れは出産時出血多量の患者30万人に投与されたフィブリノゲンによって不治の病となり、苦しみと高額医療費の二
重の負担を強いられている被害者の訴えに対する判断でした。

▲やくさ・・・・・・・

▲やくし・・・・・・・

薬師十二神将・・・・・・仏教が正法として栄え、やがて像法時代になった頃、仏教に代って偶像を禁止するイスラ
ム教が栄え出した。彼らが仏像を破壊する寸前に敦煌遺跡からスタインが発掘した薬師三尊の壁画をインドへ持ち帰
った。其れが今ニューデリー国立博物館に保管されている。

インドはヒンズー教徒が多数を占めているが多神教なので此処では守られている。日本では奈良の薬師寺ほか各地
の薬師寺に本尊の薬師如来の脇侍として日光・月光菩薩が三尊として並ぶ。其の外に十二神将が並べられている。横
一列に整列している場合が多いが其れは間違いであり、本当は円座(曼荼羅式)に並んでいた。

先ず本尊(薬師)の脇侍として東西に日光・月光が並び、また天球12星座に対応する役割の12方位には十二神将を
配置している。其れによって一年12ヶ月と一日12時間を刻んだ。

また12の干支に対応する呼び名として彼らは子(夜12時)から亥(夜11時)の全方位に対して各々クビラ(子=0
時)、バサラ(丑=1時)、メイキラ(寅=2時)、アンヂラ(卯=3時)、マニラ(辰=4時)、サンヂラ(巳=5時)、インダラ
(午=6時)、バイラ(未=7時)、マコラ(申=8時)、シンダラ(酉=9時)、ショウトラ(戌=10時)、ビカラ(亥=11時)と
呼んだ(無論、これ以外の呼び名もある)。

此れは古代にチベット高原を基点に世界を12等分したものと分かる。また1(初七日・不動尊)プラス12菩薩で13佛
信仰を伝え、7×7=49日目(薬師)を満中院とし、更に13回忌(大日如来)や1プラス32=33回忌で「弔い上げ」と
する風習とした。

此れは観音様の立場・役割が各地に今も33ヶ所・観音霊場としてあるように本来は1プラス32方位に対して祀った事
を示している。今は薬師12本願とか、各地に49ヶ所・薬師霊場があるが、此れは12を4倍したもので、更に48方位、
プラス1(薬師)=49としたものである。其処から今でも死後49日を満中院とする。

此れが一つの命、小さな魂の一つの一周地点を意味した。

薬師如来・・・・・・今は薬や目の神とされているが、本来は暦・方位の神(少彦名命)でした。医学も和方、漢方と言
うように方位学の一部でした。ただ用明天皇の586年に病気平癒を祈願して聖徳太子が造像して法隆寺に祀った。其
処から各地に広がって今は「目の薬師」、そして医学の神と変化・誤解されている。

所で地蔵菩薩は国常立命、または大名持命(大国主命・牛頭天王)である。地蔵尊と六地蔵とは24日が縁日です。何
故6と24なのか。例えばニギハヤヒはニニギノ命が天孫降臨する前に十種神器を携え、25部族(一説に32伴神)を
引連れて河内に降臨した。此れは1プラス24方位(24節気)、或いは32方位を意味する。

其の子、大歳神は木星が12年周期で回座する事を教えた。さて大名持命と共に国土造りをした少彦名神の子孫がシ
ナに渡って伏義から神農になり、以後「薬草の神」として信仰された。インドでは彼が「樹木の神」やコヨミと方位の神と
されて来たが、其れが日本に逆輸入し始めた奈良から中世頃には薬司や薬屋が薬叉を信奉して薬を売って廻った。

此処から以来、彼は薬師と云われるようになった。薬師はマントラ(真言)では「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワ
カ」と唱える如来であるが、古来「東方瑠璃光如来」とも言われるように本来は日本から、つまり東北から渡来する神と
して「東方を守る神」とされた(不動尊を参照)。

以上の証拠として先ず薬師三尊像が薬師の脇侍として左右に日光・月光の両菩薩が付く。其処から見ても方位、つま
り日の出の時空と月の観測を司る神であって薬の神ではなかったと分かる。また殆どの薬師如来は十二神将に取り巻
かれている。この諸将は各々十二支の冠を付けている。

其れはつまり12方位と一年十二ヶ月の暦と昼夜十二時間との守護仏である事を黙示している(上の「十二神将」を参
照)。

このため、薬師を祭る古刹では「目の薬師」を売り物にしている所が多い。このように本来は高台で観測して方位を見
る神であった彼が中世以来、薬上・薬王と混同されて「薬の神」と化し、或いは目医者として、更には「医王」(大医王仏)
と言う医学の専門仏と誤解するご利益信心に使われている(「薬叉・ヤシャ」を参照)。

屋久島・・・・・・・・屋久島は7000年前に一度滅びて裸山になった。北にある喜界ヶ島(硫黄島)が大噴火して南九
州一帯を廃墟化したからです。其れは土壌分析による花粉の量から分かった。7000年前には今よりも杉の花粉が多
かった。其れがいったん滅びて、3000年前になってやっと回復した。

杉の再生が4〜500年間で可能と思われていたが、実際は4000年間も要したのです。屋久島の土は薄くて養分にも
乏しい。その分を黒潮(別項を参照)が助けていた。黒潮は屋久島に湿った空気を送り込んで世界有数の年間1万m
mもの降水を齎す。此れが火山灰を洗い流して樹齢数千年の樹木を育てた。

つまり黒潮が屋久島を育てたとも言える。世界自然遺産に登録(05/8/17のNHK総合TVより引用)。因みに縄文杉は
島の中央部にあり、樹齢が7200歳と推定されている。

役所・・・・・・・・税金を取って其の予算の範囲で目的とする事業を行って精算する所。役目に対して責任を取る所。
でも今は浪費するだけで精算もせず責任も取らない。ともあれ昔は寺請制度で寺が役所を代行していた。要するに素
性は寺だが寺は仏教寺院であり、言わば水神を祭る「蛇使い」でした。

其の仏教は月の教えの経典が山ほどある。何れも難解な漢字の羅列で長文であるが、水で薄めた教えなので内容が
無い。蛇は内容よりも笛の音や歌のようなお経を喜ぶ。つまり今の法令と経典は相似である。法令は難解でかつ大量
にあるのでお役人は意味も分からず裁量権を行使し、或いは上意下達で命令するので何も実効を及ぼさない。

つまり「月並み」な事しかしない所だから税金に見合うものを期待しても無理だ。噛み砕かずに蛇のように丸呑み、丸暗
記である。鵜は小魚を丸呑みしても必ず吐き出してくれるが蛇は返さない。蛇は鳥の卵を狙う。丸呑みして木に登り、
苦しくなるとドタッ!と落ちる芸しかしない。其れと同類だから国民が期待しても正義とか遵法は此処には無い。

此処にあるのは前例とか約束事の積み重ねで自分の地位と俸給を固めるために住民を締め上げるシステムである。
法令よりも腸内(庁内)の論理が働く職場ですから憲法の精神や国民サービスとは無縁の、無用の長物となり易い。だ
から民衆は「長いものには巻かれろ」と諦めて来た。いや嫌われて来ました。彼らは人のみならず鳥からも嫌われる。

蛇もまた鳥が嫌いだ。カラスのようにガアガア騒ぐマスコミは特に苦手ですから逃げ腰となります。でも「お役所仕事」と
形容されるほど仕事が遅いし、ぬらりくらりと逃げ回って責任を取らないので矢張り蛇集団である。水は低きに流れ、蛇
も低湿地を好むが、お役所も「へいこら」頭を下げて来る住民の中に安住するのが好きだ。

毎度ナンマイダの名号さえ唱えて黙って手を合わせるような住民とか、投票、納税、徴兵にも従う納税投票ロボットや、
檀家的町内会を握り、貧乏人風の住民や何も知らない新住民にだけ頼られていれば楽である。役所は度々改正と言
って増税するが搾取するだけで責任を負わない合法的擬似システムに乗っかった蛇のような盗賊団である。

蛇は毎度、ニワトリ小屋に忍び込んで卵を失敬する。其れは蛇の本能ですから罪の意識はない。だが同じ事を人間が
行えば罪に問われる。でも彼らは蛇のようにこっそり地方税や保険の料率吊り上げをするのがお得意(お手の物)で
す。ただ其れも「庁内の論理」では合法的ではあっても、世間の常識では泥棒に等しい行為です。

今の役所をこうした強盗や犯罪者たちに任せたのが大失敗でした(「お役所」を参照)。

▲やくそ・・・・・・・

約束事・・・・・・何処に有るのか得体の知れない会社や詰まらない男と約束するよりも、神との契約が出来れば其
れは最高の幸福と安心が得られる筈ですから一番都合が良い。よってユダヤ教やキリスト教は聖書を「神との契約」と
して尊重し、聖書にある通りの生き方を守ろうとする。

でも普通の場合、神は人と約束しないものです。其処で熊野修験では人と人との契約に牛王宝印の用紙を使う。其れ
によって其の法律行為は神に誓った事になるから、契約の実行がほぼ確実と見て信用度が増したのでした。紙幣もそ
の一つである。だが紙幣の場合は神ではなくて政府と言う仮の権力機関が紙切れを保証するのですから少し怪しい。

よって普通は、人と人との約束事には銀行が発行する手形小切手類を使う。此れは言わばイスラム式である。しかも
関係者が裏書して保証する事になります。さて其の約束事には期日とか場所とか金額などが決められる。其の中心と
なるのは期日であり、コヨミが前提になります。此れが当てにならなければどんなに堅い約束でも殆ど空手形です。

所が日本の学者たちは全て、「日本にコヨミはなかったのでシナから欽明天皇の時代に渡来したのだ」とご託宣して来
た。そうすると、其れまでの日本人は空約束とか、何も約束しない無税社会だったと言うのだろうか。因みに女性は好
きな男には何ぼでもお酒を飲ませて幾つも約束させて自分の不安を埋めようとする。

でも、自分は約束を守ろう・・・・なんて決して考えもしないとか。

▲やくた・・・・・・・

▲厄年・・・・・・・人生の身体的な変調期を経験則から年回として世間で言い伝え警告したものと思われる。男女で差が
あり、一般的に女性33歳大厄、男性42歳大厄とする。因みに平成19年・厄年早見表は南湖神社・厄年早見表を参
照。

▲やくな・・・・・・・

役人・・・・・・・・役人たちは大勢ゾロゾロといるが、予算を丸呑み込みする蛇である。と云えば、蛇は執念深いから蛇
に睨まれたら最後である。だから「長い物には巻かれろ」と言う古言もある。お役人たちは口ばかりで手足が働かな
い。しかもお役所仕事はスローモーであるから矢張り口と胴体だけで手足がない蛇である。ですから働きが悪い。

国民がもし「費用対効果」を此処に望むなら、蛇よりも寧ろ百足(ムカデ)が良いかも知れないが、口八丁手八丁になっ
てはねー。其処で法的には存在しなくて一般に言う「お役所とか、お役人」と言う、曖昧な用語をもう一度再確認したい。
「役」とは選ばれた人を言った。でも今の公務員は職員や用務員であって、一般国民が頼んだり選んだのではない。

単なる使用人、労働者に過ぎない。だが彼らは時には役人の顔をして権力を行使する。そして都合が悪くなったら病院
とか人権(プライバシー)と言う蛇の穴に逃げ込んでしまう。失敗すれば顔を隠し、人権やプライバシーと言って逃げて
います。でもお役人とか公務員と言うならば、私人としてのプライバシーや人権を云々しては卑劣である。

其の点を一般国民もハッキリ区別して、こんなヤカラを「役人」とは言わずに、単なる使用人・公僕・職員として厳しく把
握し取り締まるべきであろう。そうしないで甘やかしたので国民の下にあるべき公務員を貴族にまで舞い上がらせた。
今はだから「役人天国-国民コジキ」の観となった。

▲やくは・・・・・・・

厄祓・厄落し・・・・・・前述の「厄」の厄払いのために寺社に参拝してお札を貰うとか祈祷して貰う事である。或いは
出産のあった家が、神社の社務所で「破魔矢」を買うのも厄除けである。でも単なる矢に飾りを付けて「破魔矢」と称し
た玩具を節分(昔の正月)に買うと言う風習が何処まで効能があるのか疑問である。

或いは節分の晩などに、辻にわざと物を落としたり、後ろ向きに置いて去ると言う災難除けのマジナイを「厄落とし」と見
る俗信もあったが、此の場合は多少は布施・喜捨に通じるだろう。また春の旧暦・雛流しと立秋の頃の旧暦・七夕に竹
短冊を川に流す風習なども一種の水神による祓いであり、元は同根(厄払い)と分かる。

また厄年になった人が、何らかの「役」について奉仕活動すれば厄払いになると言う観念もあったが、今は逆に役得を
得るから祓いでなくて汚職に近くなる。また例えば交通安全の御札を車のバンパーに貼り付けたら事故にならないだろ
うか。かなり下手くそなドライバーや飲酒によって暴走癖のある人のために、神様が前面に出て避けてくれるだろうか。

事故った前科者の多くがそう信じてバンパーにお札を貼り付ける訳だが、此れはまるで、「ぶつかったらお前から先に
犠牲になれ!」と神様に命じたのと同じではないか。そんな所に神様が宿ると信じる人は幸せです。でも高い学歴を持
ち、近代科学で洗練された貴方が此れを本気で信じる事はなかろう。

人生は、喜怒哀楽を誰もが享受できるように巧みに仕組まれています。ですから苦難もまた必要な事であり、其れが例
え「厄」と言う名の、以前から予知できる障害であろうとも、此処から逃げてはいけないのです。物を得たら払うべきもの
は払い、受けるべき時には受けるのが自然の法則であり、人間の採るべき道理と認識したい。

序でに老婆心から厄除け法を述べれば、自分の誕生日に、其の方角に当たる先祖の所縁の地に行って、其の関係寺
社や墓地にお参りする事こそ運気を向上させ、心身の変調を治す好機となるものです(「円系図」と「円暦」を参照)。或
いは夏と冬に神社では大祓いをしていますので、其の方位に当たる寺社で人形に気を移して祓って戴く。

厄日・・・・・・陰陽道では災厄に遭う恐れの有る特定の巡りあわせの日。七面鳥はクリスマス。ブロイラーは毎日が
厄日です。農家にとっては八朔(旧暦8/1)、210日、220日が台風接近時期。そして鬼にとっては各地で「鬼は
外!」といり豆を投げつけられる節分の晩が厄日。そして貧乏人も此の歳末(節分頃)でした。昔の話ですけど。

▲やくふ・・・・・・・

薬物・・・・・・ドラッグ。「麻薬」を参照。

薬物信心・・・・・・シナは古来、月神信仰のお国柄であり、月は女性的で依頼心が強い。しかも月は毎日其の形を
変化して行くのが特徴である。月は要するに「若さのシンボル」だった(月を参照)。このため古来、「不老長生」信仰が
続いて来た。今様の道教も薬物信心も其の流れである。

例えば不老不死の仙薬として不滅の信仰のあった鉱物の水銀や砒素とか鉛が使われ、丸薬として珍重されて来たが、
何れも毒薬であった。事実、歴代皇帝の何人もが丹(水銀)中毒で早死にしている。このように月性の人が陥る他力本
願(神仏や医学を何でも有り難いと頭から信心する御利益信心)の一つが薬物信心である。

或いは自然の摂理や病理を知らないために、人から聞いたり覚えた事を体験的・伝聞的・無意識的に繰り返す事であ
り、此れは対象とするものが薬物なので薬物信仰と言う。

信心の対象が科学とか医学の場合は科学迷信や医学迷信となるものの、依存する個別の対象が各々違うのは頼る
対象がお金か、科学か、地位か、神仏か、酒かオトコかの違いに過ぎない。薬物信心の場合は仏教と共に鑑真などに
よって日本に広まった。東大寺の正倉院には当時の薬種が今尚大量に保管されている。

薬物信心は僧侶など知識人が強く関わって来た。また信心は何れも年齢性別に関係なく、月性人が皆共通に持つ属
性である。薬物の場合は薬物信心と言うが、例えば病気は自己治癒力でのみ治癒し、元気回復するものであって、医
学や薬物の効能ではない。

所が薬物信心者が薬物と他の幾つかを併用して治った場合でも、治った原因は決まってスリ替わる。彼は自分の力
(自己治癒力)よりも他力信心ですから、自分が買い求めた薬や係った病院が良かったからだと思い、或いはカネを払
った分、元が取れたと納得しようとする。

或いは万能薬とか特効薬であると言う(この世には全く有り得ない)存在を信じてしまう。其れが自己暗示となって多少
の働きをする場合も有るが、本質とは反れるので根本解決とは違う。つまり自己暗示的に「自分には何かが足りない」
と誤解する人が嵌り易いが何も解決しないものである。

何れにせよ、自力ではなくて絶えず何かの他力に頼ろうとする依存心、即ち信心が過ぎれば慢性化して麻薬中毒者に
もなる。薬局方や医者の処方箋によるもの以外の薬物では、巷にもインターネットでもドラッグ、MDSA、向精神薬、シ
ャブ、大麻・・・など手を替え品を変えて色んな薬物が出回っている。

なので、若者の中でも一時の寂しさや甘えや好奇心や油断からつい手を出す者が激増して、今では子供の二人に一
人は此れを知っていると言う。薬物乱用者は推定200万人と言われる(この数字は05/9/5のNHK総合TV)。しかし此
れに手を出せば少年院か病院行きである。

シンナーやドラックをやっていると体中を虫が這い回る感じがしたり幻聴・幻覚に悩まされ、精神障害となり、一度罹れ
ば一生治らず、骨がボロボロとなり、死んだ場合は骨さえ残らない。

▲やくま・・・・・・・

▲やくや・・・・・・・

厄除け・・・・・・古来、京都では城南宮、難波の南では堺の方違神社が「方除け」のご利益があり、或いは中山観音
(宝塚市)が厄除けに良いとして信仰され、また夫人病の予防と祈願は粟島様(和歌山市の加太神社)が知られていた。

其れに対して阪神大震災で最も被害の多かった西宮市の門戸厄神とか、各地の成田不動などは新興ビジネス宗教で
はないか。一例を言えば、此の辺りを通れば必ず交通渋滞に巻き込まれるから分かる。此の神は自分の周りの交通
整理さえ出来ないのだろうか。

★ヤケ・・・・・・・

夜警国家・・・・・・近代日本では近代的を装うためか何でもカタカナを使うようになった。例えばネオ・ポリスと称する
新興住宅地が生まれたが此れは和製用語とは言えども奇異である。ポリスとは都会ではなくてポリス(警官)であるか
らだ。確かに古代ギリシャの都市国家をポリスと言った。其処から出た言葉がポリス、即ち警官である。

古来、星族の国家は今のような「何でもあり」の巨大アミーバ型の自由勝手で無責任な政府とは違って、夜警だけに専
念する小さな国家を基本とした。其のほうがコストが掛からず安上がりであり、しかも人民にとって束縛が少なく、自由
があったからだが、頭にギリシャラテン語のネオ(近代)を付けてもイタリア人が住む訳ではなくて日本人町である。

そうした日本人町の新興団地を近代警官都市とか自由ヶ丘と言ってもねー。

★ヤコ・・・・・・・

夜行性・・・・・・・人は昼に働き、ケモノは夜に出歩く。このためケモノを追う大陸諸国の人たちは遊牧など夜行性が
染み付いている。彼らは月や星を見て暦とし、或いは方向の案内をする神と見て行動した。其れに比べて古来日本は
太陽を仰いで暮して来たので太陽観測による日暦・和暦を使った。よって夜間行動はしなかった。

其処で例えば、古人は「夜に行動するのは夜盗追剥ぎの類」と見下し、或いは商人でも「夜来る客は客でなし」と警戒し
ていた。戦いの場も昼間に正々堂々と戦うのを旨としたが、其れも中世以後は流れが変わって軍事行動などは隠密行
動と夜襲(夜討ち朝駆け)をするようになった。

勝つためなら定法に逆らい、手段を選ばぬ辻斬り闇討ちでも卑劣と思わなくなったのです。尋常ではない闇討ちや暗殺
と言うのも其れだ。明治以来、其れが増えた。以来、今の日本の特に都会人や渡来文化に酔いしれる渡来種族も早朝
が苦手で午後や夕方から行動を始める。こうした渡来性・夜行性タイプの人が日本にも多数を占めるようになった。

だが此れは都会的に進化した姿ではなくて欧米化、即ち「黄泉化」となったに過ぎない。従って様々な問題を生んでい
る(「黄泉の国」を参照)。だから人は何かにつけて「この世は闇だ」と嘆くのだろうか。でも夜間は暗く、闇であって当然
なのです。其れを嘆くなら是非、此れからは明るい午前中に主力を置いた暮らしに転換して見てはどうだろう。

最近の科学的データを見ても、メリハリの無い生活が子供の睡眠不足となり、そうした事から睡眠障害となって今、1
5%の幼児が知能低下していると報告している。日に当たり、昼夜のリズムに慣れていれば問題ないが、夜行性が進
むにつれてメラトニン(ホルモンの一種)の分泌のサイクルが狂う。

そうすると脳の機能が低下して慢性時差ボケ状態となる様です。睡眠不足が子供の脳の発達を妨げる(「睡眠障害」を
参照)。此れは今危機的状況であると言う(NHK教育テレビ05/1月)。このように日本は急速に夜型社会になりつつ
あり、このためコンビニも増えたが、犯罪増加や幼児の睡眠障害など夜行性の弊害が目立って来た。

ヤコブ病・・・・・・・BSE(狂牛病=牛海綿状脳症)の発祥地・英国で100人以上の死者を出し、日本でも渡英一ヶ月
の患者1人が05/2/4日に死亡した事により、厚生労働省は此れを「変異性ヤコブ病」と認め以後、渡英1ヵ月の人でも
献血禁止を予定。

牛と人間では種が違うので、此れまでは感染しないとされて来たが、実は種の壁を超えて牛から人に感染した。このた
め輸血は元より、外食産業や輸入牛肉業界は大きなダメージを受けよう。だが米国の圧力で政府は米国牛肉の「全頭
検査」の特にプリオン検出検査の義務付けをなし崩しにしようとしている。

プリオンは調理によって死滅しない厄介な病原体なのだ。潜伏期間は20年。米国ではアルツハイマー病患者(認知症
を参照)が過去20年で倍増し、500万人に達する見込み。内13%がヤコブ病と言う指摘もある。

★ヤサ・・・・・・

野菜・・・・・・日本は四季に豊かな野菜が食卓を賑わす。野に出るものを野菜と言い、山に出るものを山菜と言う。
山菜でも野菜でも旬の時期に食べるのが一番美味しく健康にも良い。野菜などは国津神からの恵みですから輸入野
菜よりも近場のものが良い。その土地に育ったものを其の土地の料理法で食べるのが更に良い。

例えばキュウリはシナから10cに渡来したと思われているが其れは西日本のケースであり、酒田キュウリは在来種で
ある。赤カブも奈良時代以前に中東から北方経由で入っていた。何れも東北では焼畑で栽培していた。大根はシナ南
部から伝わったと言われているが、赤筋大根や豊栄大根も在来種だった。

此れらも中国北部と朝鮮にある大根と同種類である。だが戦後の高度成長と共に大量生産・大量消費時代となり、ベ
ルトコンベア式にそぐわないものは消えて行った。商品化し易いものだけが商品作物として栽培され、地場の特産品が
市場から急減しました。

其れに危機感を抱いて千葉大学の青葉 高教授が農水省に働きかけて地場産品の見直しを進めた(06/1/31の読売
テレビの「今日は何の日」より一部引用)。

★ヤシ・・・・・・・

夜叉・薬叉・・・・・・梵語のyaksaの音訳。仏教の八部衆の一。インドのマトゥラーでは紀元前二世紀から「樹木の神」と
されて今でもヤクシャと呼ばれる。一般には怨みを持つため容姿醜怪で威力があり、人の精気を奪うが、仏法に帰依し
て以後は正法を守護する鬼神となり、羅刹と共に毘沙門天の眷属として北方を守護するとも解釈されている。

だが彼を毘沙門の家来とか魔神の「役者」のように言う説は仏教的な解釈であって実体は別ではないのか。彼は実は
薬師(先の「薬師如来」を参照)に近い存在。

★ヤス・・・・・・・

靖国神社・・・・・・神社と言うのは氏地や氏子があって存続できる所だが、明治に出来て歴史の浅い靖国神社や
橿原神宮と言った所には氏子が無い。では国営なのかと言えば無論違う。戦後の政教分離政策の下、切り離されたの
で普通の神社と同じように見えるし普通の単立宗教法人に過ぎない。つまり独立採算制である。

でも其れが文明国とか先進国の政策として妥当性があるのだろうか。例えばノモンハン事件について見ても、日本軍
は17405柱の犠牲者を出したが、散華した死体の半数以上の遺骨がモンゴルの草原に放置されている。此れは厚
生省が遺骨収拾さえ怠って来たからである。であればせめて彼らの御魂を英霊として祭るのが国の責任であろう。

所が先のGHQによる政教分離の名の下で国が一切関与しない所とした。だから靖国神社では維新以来、殉国者の英
霊240万柱を一部の奉参者の協力の下で祭って来た。また戦前の日本には自由は無かった。国民の総意で戦争をし
た時代であり、国民皆兵・徴兵制の下で、赤紙一枚で狩り出されて上官の命令で死んで行ったのだ。

其の魂をどうする?(最後の言葉は05/11/18の民放テレビで細木数子氏)。

彼らは突撃や玉砕する時に各々「では靖国でまた会おう」と言い残して散ってしまった。こうした彼らの思いを遂げさせ
るのが残った者の使命と言うものである。其れを今の人達の価値観やイデオロギー(異教性)で裁いて葬り去って良い
筈がない。

中韓からの靖国批判の嵐が収まらない中の06/1/31日に麻生外務相が「天皇陛下万歳と言って死んだのだから天皇
に参拝して戴きたい」と言ったのが問題になった。国民の多くが彼を批判するよりも、一番責任のある昭和天皇がまだ
参拝していなかった事実に気付き、驚いた筈である。

いや昭和天皇は戦後8回だけ参拝した。所がA級戦犯合祀を嫌ってやめてしまったと言う(06/7/20ニュース)。更に従
来から靖国についてはキリスト教の一部(大多数のキリスト教団は認めているが)と仏教界の特に創価学会が反対し、
また「中国やマスコミがウルサイから」と言って国は責任回避して来たのである。

これでは人間性も愛国心も育つ筈もなく、どんな国にも戦わずして負けている。凡そ国難に殉じたような素晴らしい人
物は尊ぶべきである。所が今は犯罪者の人権を優先して被害者を見捨てるような歪んだ悪平等社会にしてしまった。
此れでは仮に、どんなに軍備をしても戦争すれば負けるに決まっている。

こんな腐った社会にしたのは、下らない人達のために優れた人達を犠牲にしたからである。天皇や帝国軍人の責任は
此処に有るのではないか。白人をアジアから追い出したから東京裁判に架けられたが、其れは犯罪ではなくて功績で
あろう。

朝鮮半島や満州や樺太などの領土を失った事とか、巨額の戦費を灰燼に帰した責任はあろうが其れも天皇の命令と
国民の総意でした。其れよりも、国家が大切な貴い人達を悉く犠牲にした罪がより重い。いや其れもGHQの政策であ
った。

大切な貴い人達の犠牲の代わりに売国奴を増やした。GHQに与してエゴで犯罪を犯し、しかも人権を主張するような
クズのような人達を増やした戦後の生き残りの責任はもっと重い。散って往った優れた人達に感謝せずに、犯罪者の
側に追いやった。

その代りに目の前のゴリヤク信心の蛇や得体の知れない新興宗教の神に感謝するのが平和主義の人間性と言うもの
なのか。人々から物事の道理も価値基準も見失わせてカオス社会とし、そんな所に献金する人間を増やすのが民主化
だったのでしょうか。

そうでないなら、せめて英霊を祭り感謝するか、お詫びしなければ今のような病的な社会が蘇る筈もなく、益々クズが跳
梁跋扈する社会とするのは明らかです。

靖国批判へ忠告・・・・・・中国の靖国批判に抗弁する。シナは此れまで日本にどれ程世話になったか計り知れな
い立場の国である。先史時代も有史以来も、日本には大恩があるのは否定出来ない。特に中国が今あるのは大東亜
戦争の御蔭であり、実に靖国の戦没者たちの御蔭である。

其れを隠して今は日本を内政干渉で批判して抗日・排日・反日デッチ上げの時代にしているが此れは見苦しい。此れ
は無頼「漢」的な共産党のヤラセ、つまり煽動であって、何時までもこの手口を使うのは大人気ないとは思わないか。こ
う言えばシナからよりも日本人からの反論が先ず有るので嘆かわしい。

何でもシナから渡来したと信ずる唐様崇拝、渡来史観の人たちが日本人には実に多いからである。だが先のような卑
近な例を見ても、日本が300万人と言う多大な犠牲を払って欧米列強をアジアから追い出したから今の中国や韓国が
あるのではないか。

日本に負け続けていた中国は日本の敗戦の結果、一転して戦勝国側となり、しかも国連の常任理事国となった。だ
が、それは彼らの努力で成し遂げた事ではなくて、「棚ぼた式」に転がり込んだものだった。日本国民が苦しい中から
戦費を注ぎ、軍事力を使って戦い取らなければ中国は今尚英国の属国として搾り取られる大国だったろう。

其れは香港・マカオが最近ようやく植民地支配から解放された事実から見ても分かる筈です。中国共産党は革命的な
事を幾分かはしたのだろうが、其れにしたって国内的な勢力争いに過ぎなかった。革命的な働きによって列強を追い
出す力は無かったのだ。追い出したのは外でもない、靖国の英霊たちでした。

でも其れを言われる前に中国は日本を逆に敵視したり居丈高にやり込めて済ますと言う心得違いの政策を続けて来
た。中国と韓国と日本の一部でも最近は「A級戦犯を合祀したのはけしからん」と言う。如何にも尤もらしい主張に聞こ
える。しかし其れは日本人が決めた犯罪者ではなくて、欺瞞の東京裁判で槍玉に挙げ、拵えた戦犯である。

当時の世界の良識から見ても連合軍の仕打ちは卑劣であり、また日本の歴史的事実を今から精査しても、「A級戦犯」
は寧ろ米国と中国である事が明白である。其れを逆に言うのでは旨く行く筈がないが、それ(内政干渉)を外交カードに
使う方が有利であるからだ。

そもそもシナ(中国と言う国は歴史的に存在しなかった)の歴代政権は、革命的に成り上がっても必ず大恩ある日本を
コケにする事で人民に君臨して来た前科が有る。

日本のアマチュア歴史家たちが記紀以上に信奉する魏志倭人伝も其の類のプロパガンダである。或いは虚構の敵対
関係を国外に拵える事で幾多の不満を外部の責任に摩り替えて国内を纏める手口を使って来た。だがやがて其のウ
ソがバレるからまた別の革命が起こり、政権交代が繰り返された国でした。

南京事件などをデッチ上げた中国の教科書に日本は一切クレームをつけた事がないにも拘わらず、中国側は事有る
毎に日本に対して居丈高に「歴史認識」を問い、更に教科書の内容について内政干渉を繰り返して来た。其の批判が
的外れである事は最早バレているのにである。

でもこの逆さ事に対してマスコミも政治家も何か貰っているかのように寡黙であるから国民はたまらない。中国が今あ
るのも日本のODA援助、民間資本と技術を借りて其れを日本市場で買って貰ったお陰である。彼らは其のお礼に感
謝するのではなくてデッチ上げで反日デモをした。しかも偽物・コピー商品を作るのが旨い。

偽物大量生産で最大の被害者は日本企業であり、年間2〜3兆円に達している。其の事は共産党政府が否定しても人
民が「百も承知」であり、だから密入国が後を絶たない。人民だけではなくて世界中が事実を知っているのだ。

だから中国は日本に足を向けて寝る事すら出来ない立場であり、其の恩を知らぬふりをして靖国批判をやればやるほ
ど「恩知らず」の国として国際的にも信頼されないだろう。同じ事は北朝鮮と韓国にも言える。創価学会など日本の渡来
式宗教界も同じである。此の苦言は筆者が尊敬する彼らのために言う忠告である。

★ヤセ・・・・・・・

野生動物の危機・・・・・・最近の車のデザインは各種有るものの、あろう事か、何れも運転する側の視線を空間に
設定している。此れは高速道路用にしているだけだ。日本は山国であり、山間部や街路を走る車を作るべきだが逆を
している訳である。従って車の直前の視界が実に狭いから危険になっている。

日本車はつまり致命的な欠陥を放置しているのだ。しかもヤタラ道路をぶっ飛ばす心無い日本人が多いため、野生動
物の交通事故死が急増している。野生動物の危機としては例えば沖縄県は05/1月、ヤンバルクイナの非常事態宣
を出した。

ヤンバルクイナは絶滅種として保護されて来たが、其れが更に交通事故死で死去が増えた事から危機的になって来
た。ツシマ山猫も事故死が多い。彼らは夜行性なので車の夜間走行を禁止するのが望ましい。道路の下に申し訳程度
の穴を開けて、通路として確保したつもりでも彼らは縄張り以外の所を決して通らないと言う習性がある。

第一、車のスピードに人間の目は付いて行けず、しかも夜間に彼らを見つける能力も心がけもないから通行禁止する
外なかろう。

ヤソ・・・・・・・八十。
耶蘇・・・・・・ラテン語から近代シナ語になった天主イエス、イエズス、救世主キリストの事。

ヤタの原理・・・・・・・八咫。「ヤタは長さである」と言うのが今の通説であるため、この誤解によって多くを混乱させて
いる。皇居には八神殿(賢所を参照)があり、また記紀には「八咫の鏡」が書かれているが、ヤタとは円を八方・八等分
する角度であり形であって長さの単位ではなかった(八神を参照)。

ヤードポンド法にも一部ヤタ(八分法)の名残が見られる。また仏教では法をダルマと言い、法華(別項参照)を説いた
がそれらは八方の理を説いたものである。

或いはギリシャ建築などの石木製の柱の頭部と底部をキャピタル、そして根っこの部分をベースと呼んでいる(「柱頭」
を参照)が、古代建築の特徴として彫刻部分の多くがハスの花のような等間隔のデザインをあしらっている。此れもヤ
タの模倣です。



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