http://hijiri.tamajiri.com       「日知り事典」 page353.html(未定稿)


     日知り事典      ミリ〜ム・メ

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 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

▲ミリ・・・・・・・・
▲ミル・・・・・・・・

▲ミレ・・・・・・・・
▲ミロ・・・・・・・・

ミロク(弥勒)・・・・・・・・釈迦は仏法が正法、像法、末法と言う三段階の時代に変化・衰退する事を予知していた。
当初は仏法が正しく伝えられるが、やがて仏像が作られて偶像崇拝の時代になり、その後は行も証(さとり)も廃れて
末法の世になると言い残したとされる。

釈迦は更に「現在、弥勒菩薩は天上界の兜ソツ天にいるが、4000歳になった時、この世に出現し、成仏する」と言
い、その間は地蔵菩薩が六道を輪廻する人間界を救うと予言した。其れが「仏説・弥勒下生・成仏経」である。釈迦(シ
ッタルダ)は「自分の没後4000歳には弥勒の世になる」とも予言した。

其れを後の人が「人間の年数では56億7000万年後」と解釈して来たが、此れは誤解ではなかったのか。釈迦はB
c.466/4/8日に生まれてBc.386/12/8日に入滅したので、例えば日本では1052年に「末法に入った」として法然、親
鸞、栄西、日蓮などによる鎌倉仏教が生まれた。

2005年現在でまだ2391年しかたっていないが、人口が56億を越えて63億になっている事実から言えば、56.7億と言う
数字は人間の年数ではなくて人口数ではないのか。釈迦の時代には到底考えられないスピードで人口が急増してしま
った。釈迦とて一人の人間ですから「予言が絶対」ではなくても良いし、多少の計算間違いがあってもいい。

いや其れを口伝する間に人口数が年数に変化してしまったのかも知れない。とすれば最早、末法時代は過ぎて、弥勒
の世に入りつつあるとも言えよう(「最後の審判」を参照)。

▲ミワ・・・・・・・・

三輪明神・・・・・・・神様と言えば「神」と書くが、古の出雲の神々は神とは言わずにミワと呼びました。また大神と書
いてもミワと読み、此れを三輪とも書いて来ました。奈良の桜井市に今も三輪山があり、此処は出雲の神のシンボルで
した。其の麓にこの山を御神体とする大神神社があり、ミワ(三輪)明神と呼んで来た。

ミワとは「神」を意味し、また其の氏子を神族と書いてミワ族と読んで来た。またミワの神は酒の神でもあると言われて
いるので前項のミノワと相通じる。が、実は三つの輪を見て読む神だったろう。三つとは日月星の日道(黄道)、白道、
赤道など三円観測の場であり、つまり三輪の軌道です。

其れが円軌道で回るのを追跡する暦の神だったと見て略間違いはない(明神を参照)。従って暦法は度量衡や測量とも
リンクする。だから此処は古来、「大物主神」として土木建築業者の崇敬が高い。けれども大多数がこの神を「蛇だ」と
刷り込まれて来た為、今も其の誤解が定説になっている。

神社側も今は其れを認め、時には蛇であると誇示してさえいるので、境内の彼方此方に生卵を供える信者が多いので
困る。

●みん・・・・・・

明国・・・・・・・・モンゴルの建国をした元を漢民族の朱元璋(太祖/洪武帝)が滅ぼして明として1368〜1644年に建
国し存在した。其の後に北京を首都として南海諸国を来貢させ、北は黒竜江から南はアフリカ東岸に及んだ。当時は
永楽帝が北京から南京を軸に鄭和(別項参照)を使って大船団を派遣した。コロンブスの100年前の大航海である。

だがやがて蒙古や倭寇の侵入、そして秀吉の朝鮮征伐と財政悪化と貧民の賊化で16世で滅亡した。さて元が銀経済
から紙幣へ転換したのに対して明は塩など現物による物々交換の交易をした。労力などは輪番制を採り、貿易は朝貢
貿易を採った。其れが赤字だったので朝貢回数を制限した。

それに対して15cのヨーロッパは1453年にオスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼした(「鄭和」を参照)。
其の後、1492年にコロンブスがサンサルバドルに到達し、日本では足利義満が明に絹織物を朝貢して、代わりに銅銭
を手に入れた。明はアジア各地やベトナム北部を銅銭による同じ経済圏に取り込んだ。

この銅銭を持つ者が明から認められた国王として権威を持つ事になった。従って日本も12c〜16cに銅銭が入った。
其れまで我国とシナとの関係では元がフビライの文永11(1274)/弘安4(1281)の二度も元寇として襲来して害したに
も拘わらず、足利義満は明から倭寇禁圧の「日本国王」と認められて交易し私腹を肥やした。

金閣寺は日本国王としての義満の迎賓館でもあったと言われる。しかも元銭ではなく11c中に鋳造された宋時代の「皇
宋通宝」(廃銭)のような古銭・贋金を大量に買って日本経済を混乱させたのです。其れが例えば近年、半島の沿岸部
の沈没船から大量の銅銭として発見されている。

当時博多に向かった交易船が過積載のため沈没して引き上げられたが、2万点を超える紫檀、白磁、其れに28トン
(800万点)に上る大量の銅銭が見つかった。元では14c〜15cに銅銭から銀銭へ切り替えていたので、銅銭は言わ
ば銅屑であった。日本は其の屑を貴重な黄金によって買い込んでいた。

南北戦争で鉄屑となったライフルを大量買付けして長州に巨費で売りつけたのがグラバーと竜馬でした。其れで大帝
国日本の基礎・明治維新が成ったように、敗戦国日本が現在、米ドルや国債を大量買付けしているのと同じ構図の愚
行である。

さて琉球も15cに明に中山王が朝貢した(05/7/11のNHK教育TVより一部引用)。因みに奉天(瀋陽を参照)が清国初
期まで都だった。

▲民主化・・・・・・・・民主化と言えば日本では誰も逆らえなかったが、イラクは逆らった。民主化の正体を知っていたか
らです。民主主義と言うのも西洋民主主義であり、其の実体はキリスト教民主主義であり、キリスト「教徒主義」であっ
て、初めからキリスト教徒と非キリスト教徒を差別し、ランク付けして格差社会を目差す物でした。

キリスト「教徒主義」はバチカンにいる一握りの貴族が全世界の上に君臨して一極支配する事であって、一般民衆が貴
族と利権屋と同列になる事ではない。日本の民主主義を看板にした保守たちも従って本来の保守(別項参照)の思想
は無く、渡来のキリスト教イデオロギーによって烏合する利権集団に過ぎなかった(「多数決」を参照)。

▲民主主義・・・・・・・・デモクラシーと言う愚者の宗教である。もしくはブッシュ程度の支配者の使う道具である。日本に
於いては愚民政治である(官主主義を参照)。其れに西洋民主主義とはキリスト教民主主義である。

キリスト教は信者か非信者か、白か黒かをハッキリさせる選民(エリート)主義であり、格差社会を増長するランク付け
の観念であり、日本人が思い込んでいる観念とは違う(「天皇のロザリオ」より)。
民主主義とは銃を執り、納税する者に選挙権を与えるシステムだが具体的には徴兵制である。

国を守る為に銃を持つのが嫌な者は、一定期間ボランティア活動をするなど、責任感を持たせるべきである(後半は05
/6/5の読売テレビから引用)。

▲民主的・・・・・・・・「民主的」の言葉を使えば日本では何事も旨く行くので乱用されているが実体はない。此れは独裁
政体に対比した言葉であるから独裁的なお役所内部では通用しても国民側には存在しないない観念。国民の意見は
個人ではなく、束になって署名活動などで集めた場合に、やっと議会で採決される程度である。

つまり美名だけ一人歩きしている。言葉としては有っても、初めから「民主」ではなくて「官主」しかないのだ(官主主義を
参照)。

▲民族・・・・・・・・人種的・地域的起源、及び歴史的運命と文化的伝統、或いは宗教、言語を共有する人たち。
▲民俗学・・・・・・・・フォークロア。柳田國男氏が遠野物語を著して日本民俗学がスタートした(焼畑を参照)。

民族主義・・・・・・・・上記の民族の由来や精神を訴えて同族の確立と自立、或いは独立を目差すエネルギーとして
主として他民族または他国による干渉や弾圧に対抗し排除しようとする政治的思想(攘夷を参照)。

其れに対してコスモポリタン(無国籍主義者)や国際主義とかグローバリズムと言う対立概念を持つ第三者からはシバ
シバ「偏狭な」民族主義と言う冠詞付きで形容される。だが其れこそ偏狭な色眼鏡であろう。自分の民族や国を優先す
るのは極く自然な観念であって、民族自立は正義である。

だが其れを「邪道」と看做して其の国の内部対立を煽動し、内戦を起こして侵略して来たのが此れまでの欧米勢力であ
った。彼らは米国流ないしキリスト教的正義の名によって多くの国を侵略して来たのである。所で06/5月には皮肉にも
米国でヒスパニックの大規模デモが広がった。だが此れは民族主義の例外である。

米国は赤字の中で好景気を支えている。其れは安い労働力が不法移民と言う形でヒスパニックとして押し寄せるから
である。其れを保護主義で規制しようとしたので彼らが反発して気勢を上げたと言われる。米国民は此れに対して「ゴ
ーホーム」(帰れ!)と反発したが矛盾である。帰るべきは米国人だ。米国南部は元々メキシコ領だったからだ。

其の因縁から移民が増えて当然なのだ。米国は植民地で移民国であり、以後領地を拡大した国であるから今の米国
で出て行くべきは欧米から渡来した人種である。だから移民こそ実は本来の権利者である。「出て行け」と言うなら、出
て行くべきは此の地に縁のない西欧から新大陸に渡来した人種であろう。

▲民謡・・・・・・・・
●民話・・・・・・





● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ■▲◆★ 

●む・・・・・・・「む」は「睦月、婿、棟、胸、村、群れ、室」の「む」であり、数字の「六つ」である。

ム・の字義・・・・・・・マとムの字は似ているが、よく見れば其の三角形は▼と▲と、つまり逆方位を示している。
中でも天上の架空の世界や天象とか勾配と言うような抽象的な事には「ム」の字を付け、其の逆のマの字は天下にあ
る具体的な物を指していると仮定出来る。いや此れはマジな話です。

例えば「ム」では云、去、至、牟、矣、室、弁、台、鉾、公、法、参、參、勾、鬼、魂、魄、・・・・・等があるのに対して、
「マ」では了、予、矛、野、勇、柔、序、務、預、舒、橘・・・・等になっています。「マ」はつまり「了」から変化したと云える。
「了」は剣を地に突き刺した形の全体ではなくて、影の部分だけ略して書いた文字と思われる(「矛」を参照)。

こうした具体的な物質ではなくて、架空の天象とか勾配と言うような事には「ム」の字を付けた(「法のり」「勾配」を参照)。

ムー大陸・・・・・・・1.3万年前に太平洋に有ったと言われる幻の大陸。其の一部が今のポリネシア諸島に残るとも
見られている。戦前に英国のチャーチワード大佐が粘土板を解読してこの説を発表した。因みに「竹ノ内文書」にはミヨ
イ、タミアラと言う謎の古代大陸が記録されている。

ムカデ(百足)・・・・・・・・湿地に棲み口から毒を出す。天井でも地下でも自在に這い回る外、鎧に包まれているので
人が数回叩いたくらいでは故障しない高性能の節足虫。あの硬くて鋭い歯で自然界の硬いものを分断して消化する解
体屋であるから、人類社会にとっても貢献度が大きい。だが人は彼らを嫌う。

何も悪い事をしていないのにゴキブリと共に人に嫌われる哀れな存在。嫌われるのは毒歯で人を噛むからであるが、
人もまた彼らを捕まえて呉公と言う強壮剤にするのでお互い様であり、両者がこの因縁を改めればもう少しは仲良しに
なれるものと思う。

因みに百足封じの呪いは「茶」と書いた紙を部屋に逆さ張りする事。茶の字が20+8+10+8=108を意味するので
数の上では百足の100に勝つ。よって百足が退散するだろうと期待する遊び心でもあるので、効果のホドは請け合え
ない(05/8/18の毎日新聞より一部借用)。

所で上杉謙信は七歳で僧となり、北を守る多聞天(毘沙門天)を信仰したが、ムカデは古来、其の化身とか眷属とされ
て来た。無論、上杉謙信も百足を旗印とした筈であり、今も丸百足紋などが家紋として伝わっている。とすれば昔は百
足にとって今より棲みやすかった事だろう。

蛇足であるが、今のお役所が蛇のように手も足も働かせない所から脱皮して此の働き者の百足のように進化すれば、
日本はきっと素晴らしい国になるでしょう。

ムクリ・・・・・・・・和風・寺社建築様式で、軒先やハブ(波風)、或いは弓形に反った紅梁を上に起こして凹形にしたも
の(「御堂」を参照)。因みにムクリの逆は「伏せ」となる。

★ムサ・・・・・・武者(ウエモサ、衛門、サムライを参照)。

脱酸素水・・・・・・・雨水は酸素の多い水で健康的な水です。但し、手術の場合とか病弱な方にとっては空気を抜い
た脱酸素水が良い場合もある。堺市の福島氏。

(字義)・・・・・・・虫は「中にム」と書く。此れはコンパスを意味する。考古学で言う石釧に横棒を通したものである。
左端を中心軸に置いてこの虫を回して行けば自動的に同心円が描ける。つまり天文観測のための円陣を地面に描くコ
ンパスをリアルに図示した文字が「虫」の字でした。

其処から虫は、這い回るように動くやコンパスで美しく描いたような虹の字のパーツとして使われた。従って虫は「蟲」
とは別である。虫はコンパスであり、従ってコンパスのような長い足を持って動き回る蛙や蟹、或いは蜂、蟻、蚊などの
昆虫を蟲の類とした外、コンパスのように地面を這い回る爬虫類の蛭や蛇の字にも虫のパーツを使った。

特にコンパスのある蟲とか羽蟲には翅の字、そしてジャンプするシラミには虱とし、天空に架かるニジには虹を充て、虻
はアブ、蚓はミミズ、蚤はノミ、蚋はブユなどとした(下記も参照)。
やがて其れらの蟲の略字として「虫」が多用されたので今では混同されて元の意味が不明となった。

・・・・・・・昆虫などの蟲類の事。上記の「虫」と同一ではなかった。因みに若い女性たちは決まって「私は虫が嫌い
だから」と言うが、其れは自慢にはならない。虫がいなければ女性が好きな花や作物も自然界では育たないのです。で
すから「自然は好きだが虫が好かない」と言うのでは「自然が好き」と言う先の言葉と矛盾します。

其の矛盾にも気づかず、蟻一匹にも大騒ぎして無闇に平気で殺虫剤を振り掛けるとすれば優しい人とは言えず、人間
性に欠けた無神経な女性とか「虫の好かない人」と言われますよ。

虫払い・・・・・・・・虫や魚は突然降って湧くように出現する、不思議な生き物です。其れは彼らの本質が自然界の
要求と使命によって生成消滅する存在だからです。ただ、そうは言っても稲穂にイナゴが群がれば農民が大損害を受
けるので古来「いな虫祓い」の呪文があった。

ではイナゴは何故発生するのか。大和(御所市)の大歳神社には、牛肉を食べた人の糞尿を田に肥料として使った為
に神が戒めの為にイナゴを放ったと伝えています。次に、「言霊-ホツマ」鳥居礼著・たま出版によれば、虫送りの起源
として、イナゴに対して、和歌姫が向津姫と共に「稲虫祓い」をしたと有ります。

また関西では大和神社がお正月に氏子に対して行なっている筈です。其のほか、「年中行事辞典」西角井正慶編・東
京堂、或は「民間信仰辞典」桜井徳太郎編・東京堂・・・・などに詳しい。さて先のホツマに戻れば、和歌姫が歌にして蟲
送りを教えたものでした。農民たちが其の通りにしたので以後はイナゴの大群に悩まされる事がなくなった。

此のように、昔の日本人は同世代に生きる仲間たちをいきなり殺すような無作法な事を考えもせず、先ず「言向け、や
わす」事に務めたので、つい最近までは寺で子供の「癇虫封じ」の祈祷が行われた(次項参照)。

其れに比べると現代人は虫がいてもいなくても大量の殺虫剤をマニュアル通りに散布するし、誰かが病気になれば心
配して医薬を多用する。とすれば「虫が好かない」と言う表現は、ムシケラ側から見た人間嫌いの風刺語(形容詞)かと
さえ思えます。

現代人は何かと言うと「環境保護」を言い、「農薬漬け」を嫌って「無農薬野菜」を志向します。だが他方で、アリ1匹にも
大騒ぎして殺虫剤をバラ撒くのですから矛盾です。或いは「水道水が不味い」と言うので、厚労省も水質基準を50項目
も羅列したものの、其の中で農薬の項目は一つだけですから実に疑わしい。

多種多様の農薬をたった一項目でチェック出来る筈も有りませんから、この基準はザルと分かります。その代わりに大
量の塩素ガス(猛毒)を封入する。其の矛盾に誰も抗議しない。学校や行政が間違った「洋式の衛生観念」を植え付け
た結果に於いて、神経過敏な「殺菌消毒と害虫駆除」対策を進めた。

また其の結果として環境汚染と環境破壊を自ら招いたのですから、此れは「虫の好かない」「天に唾する行為」でした。
ですから、そうしないためには例えば、ハイキングで蜂や蟻に接近遭遇した時とか、家に彼らが無断で入って来た場合
には異常に大騒ぎをしない事です。「怪物」に驚いてるのは彼らであって、人間は驚くべき資格も立場にもない。

彼らは自然界では人間よりも先住者なのですから「家宅侵入者」は寧ろ人類側であると言う自覚を持ち、順序を弁え、
恐れたり嫌ったりする前に先ず人類側から「今日は虫さん!」と挨拶するのが礼儀かも知れません。

ですけれども、何らかの事情で蜂や蟻がいては困る場合には先ず「此処は私がしますから、貴方たちはアッチに行って
て下さい」と頼むか窓を開ける事だ。そうすれば必ず消え去ってくれます。彼らは「お掃除」と言う自然界の役割りがあ
り、其の使命を担って存在します。

と言いましても人情として、誰だってゴキブリが走り回っているのを見た途端に、つい追い掛け回し、平気で殺して後で
後悔します。何も、殺さなくても良かったのです。私たちが彼ら先輩たちを「殺す権利」は少しもないのですね。そう言う
訳で、人が虫を好かないのと同様に、彼らも人間嫌いであり、寧ろ殆どが「対人恐怖症」に罹っています。

なので、実際、人に見つかった時は、いち早く感知して一瞬、ビクッ!とタジログ哀れな生涯を送って死んでいます。し
かし此処まで言っても、ゴキブリを貴方がどうしても「厭!」と言うなら少し面倒でも「此処は私がお掃除しますから出て
行って下さい」と言葉を掛けて、原因となるナマ物などを見つけて片付けましょう。

或いは、水気の多い場所なら風通しを良くする事。乾燥させる事が先決なので、換気扇をつけっ放しにして置けばOK
です。それでも聞き届けられない場合は、まだまだ「人間」として未熟であると悟り、もう少しムシ先輩たちと心を通じる
術が出来るまでの間、彼らが嫌う煙などを吹きかけて去って貰うか摘み出す程度にしましょう。

また野外で突然、蜂に出会った場合には無用な戦いを避けるべきですから、姿勢を低くしてやり過ごせば良いのです。
或いは、蜂の巣を見つけた場合、不用意に殺虫剤を散布すれば逆効果となります。

蜂の巣程度に人が驚いて大騒ぎしなくても、雨の日ならば簡単に摘み出す事が出来るし、晴れた時ならバケツ一杯の
水を掛ければ素手で取れるのです。そうした体験を通じて、彼らの営みに人が敬意を払ってなるべく妨害しないように
務めるなら心が少しは通じて、人の営みも彼らに妨害される事が無くなるでしょう。

虫封じ・・・・・・・・子供に疳(カン)の病気が起こらないように呪(まじなひ)をする事。または疳虫封じの護符。

結び・・・・・・・記紀にはタカミムスビや神ムスビの神があり、また今の若人達にも出雲の神は「縁結び」の神である、
と知られています。でもお年寄りでも「結び」の本来の意味については的確に答えられないと思うので述べる。結びとは
自分を中心として天地、或いは四方を結ぶ事である。

其処から方位と四季の暦を知れば、五行を理解できるし四祖を祭る事が出来た。其のシンボルが「+」の字であり、田
や囲の字であり、キリスト教のクルス、クロス、十字架もまた其の流れに有ると推定出来る。其れが結ぶ意味のプラス
であり、クロスであり、その祭がXmasであり、それをするのがクリスチャンでも有った。

彼らはロザリオをシンボルとして首に掛けるが、ロザリオとは十字架である。ケルトもまた十字架をシンボルとした。何
れもムスビを原点とし、基本とした(男女記号♂♀を参照)。所が、仏教は折角神が結んだものを動かした。そのシンボ
ルが万字であり、卍はこの「結び」に動きを与えて変化させ、或いはホドいて平べったく分りやすく説こうとした。

そのような観念を「ホドケ」(解け、ホトケ)と言った。

結び方・・・・・・・・諸外国には少ないが、日本には色んな結び形がある。此れも1本の紐で作る優れて文化的な歴
史遺産であり、其の多くは太陽観測の祭りから発展したものである。日影観測では今のようなレンズ天文学ではなく
て、丸柱と糸張りで行ったのです。それが神結びやタカミムスビであったと言われるが今は不明。

相撲の廻しの結び方や髪結いの結び方は別として、故事来歴を知らずに他国にもある漁労・農業・建築、運搬などか
ら発展したと見た説明では事実に反する。先ず陰陽関係から男(角)結び、女結びが有り、次に結節として「ひとえ」、八
字、ま結びがあり、四方関係からトンボ、蝶、アワビ、松、竹、梅、菊・・・・・と有り、また一重、二重の別もある。

また結着法には、先ず軸に平行に曳く場合の例として水引(後述)に伝わるが、一般には、「すごき」、ヒバリ、カコ、てぐ
す、はた結び、一重繋ぎがあり、また軸に直角には、腰掛、すごき、もやい、碇、カコ(巻き)、ヒバリ、ひと、ふた(かぎ)
結びがある。因みに今でも「もやい」をトラック運転手が「荷絞め」に使う。

また「自在結び」も日常便利に使われる。しかし今は学校では教えないから一番基本的な常識である「真結び・本結び」
さえ知らない世代が大きな顔をしている。此れでは他の結び方は当然滅びる。其れだけではない。共同作業の時に馬
鹿者を信用して任せていれば誰かが命を落とす危険が常にある。

その他、特殊のものに「花結び」があり、此れには「かなえ」、鞭、五行、もろ、鳥の首、ウサギ頭、真のトンボ、草のトン
ボ、真の宝珠、かけ帯、アサオ、菊とじ、アゲマキ(総角)、アワビ、にな、華鬘、胡蝶、トンボ頭、東、六葉、封、桜、桔
梗、荘厳、翁・・・・等があり、外にも、じゃぐち、・・・等がある。

そして先の「水引」には、ほん、片わな、もろわな、アワビ、相生、せきしょう、逆アワビ結びの外、鶴、亀、宝船などの形
もある。

ムスリム・・・・・・イスラム教徒の事。その意味は「同胞」である。イスラムでは銀行でも利子を取らない所が多い。利
子は不労所得と見るのが伝統的であるためです。彼らは一生に一度、メッカに巡礼するのが悲願である。イスラム教
徒の人口は、中東よりもインドネシアとインドに多い事もある。

巡礼月にはメッカに240万人ものムスリムが訪れてカーバ神殿を反時計回りに回る。9番目の月がラマダーン(断食
月)で、其の時期にはどんなに暑くても日中には水さえ飲まない。でも彼らにとって此の宗教は辛いものではなくて生活
そのものである(05/4/6のNHK教育TVより引用)。尚、メッカに巡礼したムスリムはハッジと呼ばれる。  

▲鞭・・・・・・ムチ。鞭、拷、韃、笞、策・・・とも書く。「拷」を使って人を打ったから拷問と書いた。ムチに革偏が多いのは
人を打つ場合は革が効果的だったからだろうが、乗馬の騎手がウマを打つ場合は、革ベルトのようなものでは駄目
だ。皮よりも竹が良いだろうが、竹は割れる。其処で竹に糸を巻いて策としたに違いない。

或いは楮やヌルデのような長い枝の葉を扱しごいて使った筈である。

無知・・・・・・

▲六つ・・・・・・朝夕の分岐点。六つに付く八の字は分ける意味で「分」の字にもなっている。「分」の字は刀で切り分け
る事。「公」の字は角度で分ける事。「六」の字になると地平線の中に柱を立てて、其の日影に糸を張って観測して朝夕
の時刻を割り出し位置を示した(「八」を参照)。つまり東西線に対する位置づけ。

要するに日の出と日没の時刻、其れが「明け六つ、暮れ六つ」の鐘でした。方位としては卯、または酉。因みに今の五
月と九月の六つは同じ六つでも季節差のため時間差にして1:15分ほど開きが出る。

陸奥・・・・・・青森。

▲陸奥湾・新田遺跡・・・・・・青森市。10世紀後半から11世紀前半の遺跡。陰陽道の物忌み札、儀式に使う檜扇、木製
の祭祀具、仏像、荷札、椀、下駄などが見つかっている。奥州平泉が成立する半世紀前に当たる為に注目されてい
る。

当時の日本は、盛岡付近が北限で、津軽は蝦夷の住む異界だと考えられて来たが、出土品は平安京と同様の祭祀、
行事や習俗が、この地で行われていた事を物語る(07/3/13朝日記事)。関連先として「喜界島」を参照。


無痛文明・・・・・・多くの人が此れまで便利さと快適性を追求して来ました。そうした便利主義と欲望追求型に急傾
斜して快楽主義化した現代文明を風刺した言葉が「無痛文明」である。寧ろ今は無痛や苦痛を避けて手軽な「気持ちよ
さ」とか、「快楽・享楽」を求めたり歓迎する事に懸命ですから問題です。

それでは次の世代に精神的な何を残せるのか、と思う時、心配になります。例えばひと頃、「無痛分娩」と言う処方が流
行った。でも此れでは「生きている」と言う実感や、深い喜びや感動が味わえないだろう。其れに代弁される通り、現代
人は暑さ寒さを避けるエアコン式の便利な温室暮らしが当たり前のようになった。

でも其れは一定の気温や水温を選んで生きる獣類や魚類の生き方であって人間的とは言えない。人間は夏と冬との
別のある四季の中、寒い冬を越して春を迎え、或いは暑さを味わって寒さを感じ、暖かさも寒さも天地の恵みとして感
謝する生き物である。

其れに比べると、年中平均気温の温室は快適であるかも知れないが、それでは不自然な飼育器的生活であって、無
感動な人間にしかしない。自然な暮らしとは、昼と夜の別があり、また夏と冬と言う極端に違う季節があるものです。ぬ
るま湯に浸かる暮らしとは別の所に本物の自然がある事を知る必要が有ります。

人間にとっては無痛よりも、時には氷や熱湯が必要であり、或いは中性的な両親ではなくて男性と女性と言う両親があ
り、厳しさと優しさの中で育てられる事が大切です。また人間は何事も「生みの苦しみ」を味わうように仕組まれており、
其れを乗り越えて出産した場合に、より大きな誕生の感激を得ます。

或いは苦しみながら坂道を登った後に、峠に出て下界を見下ろし、「一風千銀」を喜び味わう事も出来ます。其れを古
人は先憂後楽、つまり「苦有れば楽あり」と諭した。そうした本物の厳しさよりも、理屈なしに便利さと快楽を求める今の
社会では益々変になって行くでしょう。

教育の場で教師が拳骨を与えれば「暴行」と批判され、また仕事の場でも「安全第一」のみ優先されて軟弱な人間しか
出来ない。この様に現代社会が如何に無痛だけを求めてもそれは「先楽後憂」主義となり、今の借金のツケを後で誰
かが苦しんで支払うようにする宿命とする。

例えば成人式では毎年不祥事があるのは、こうしたケジメのない堕落した社会で、無痛の子供たちが何となく大人にな
って傷付く心配への反発であろう。

▲ムックリ・・・・・・アイヌの伝統楽器。竹で出来ている。
▲むて・・・・・・
▲むと・・・・・・

▲むな・・・・・・
▲むに・・・・・・

▲むぬ・・・・・・
▲むね・・・・・・

棟上式・・・・・・・・上棟祭。祭神は主として例えば天御中主神、大日霊貴、月弓尊で、この三神の大幣三本をシルシ
として屋上祭壇の中央に立てる。次に岡象女(みずはのめ、いずのめ)命、青帝竜王、赤帝竜王、黄帝竜王、白帝竜
王、黒帝竜王の六神を各々左右六本の幣のシルシとして以上九神を屋上の祭壇に祭る。

次に面足尊、かしこ根の尊、手置帆負命、彦狭知之命、天目一箇命、思兼命、太玉命、天児屋命、聖徳太子の九神を
九本幣として柱根の小祭壇に祭る。また別に、榊を一本立てて木綿紙(しらゆう)を掛けて産土神のシルシとし、また別
に数本を同様に立てて天神地祇を礼拝する・・・云々(江戸期の「匠家故実録」より)。

▲むの・・・・・・
▲むは・・・・・・
▲むま・・・・・・

▲むや・・・・・・
▲むら・・・・・・

・・・・・・・人々の住む集落。人々が社会生活をする以上、其処には明らかなシルベを元に一定の合意が図られ
る。例えば其の集落の中心には見柱を立てて太陽観測の日時計とし、其の高木の立つ所を村と言った。木の作る日
影を見て誰もが暦時を知って集落の中の約束事のシルベ(標)としたのです。

このため村の字は「寸の木」と書く(「寸」「木」を参照)。
また朝鮮ではこの木(見柱)を堂木と書いてタンモクと呼んだ(「京・町」も参照)。

ムラジ(連)・・・・・・・古代氏族の職能階層の一つ。「連」の実態については従来から余り解説された事がなかったの
で一言すれば、此れは一つの同族組織であるのみならず、ある目的で一定の方位に一族が点在して並び、長期間、
祭りの主務を司る一団だったと推定出来る。

ある目的とは年に複数回の祭りの為に一族が道中に点在して祭りの御幸の各地点で駅屋を運営し、一族の為に先導
するなど連係プレーで奉仕する事、及び祖先神の祭りのための加持、つまり「呪」などを司る職能集団だったと推定す
る。

▲むん・・・・・・





め●● ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・  ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●●■▲◆★◆■▲◆★

●め・・・・・・・「め」は次項の「目」であり、草木の芽であり、男女の場合は「女」で有り、メリハリの「め」でもある。

・・・・・・・目は左右・両眼あり。此れについて記紀には天テルとスサノオと記しているので、以後、一般的に左は心
眼、右は肉眼と解する。心眼は例えば、目に見えない事象を考える目で善悪や方位を判断する。目の瞳孔は先祖の霊
的結晶体である。瞳孔は指紋以上に個人を特定する多くの情報を秘めている。

特にヒジリは天を見る目であり、その場の司を「サカン」とも呼んだ。大臣はオオキミの眼となり、組織には頭目がいた。
また幕府には幕閣として「大目付」があり、奉行所の端役には「目明し」、村方には横目が置かれた。何れも「役目」で
ある。其れに対して肉眼は世俗的な目であり、物の値打ちや異性を物色し、見定める目となる。

其の他、仏像には第三の目があり、宝石が埋め込まれます(松果体を参照)。また女性がアイシャドウなどで目を強調
する化粧法は、男に「目にもの見せよう」とする意識なのか、其れとも・・・・・・?

(節穴)・・・・・・・健常者は目だけでモノを見ますが、目の不自由な人は肉眼に頼らず気配でモノを見ますから健常
者よりも目利きである。そう言っても健常者は不思議に思うだろうが、彼らはテレビでも町でも見ている。世間は広いが
古今を通じて目開きに目利きは少ない。

其れは目が有っても心眼がなくて肉眼だけの人が多いからです。特に今のようにモノカネ主義時代になりますと歴史遺
産は消え失せて行きます。日本や東洋は世界一古くからの歴史文化の宝庫でしたが、次々其れが消えてすっかりプラ
スチックのゴミの山に変わった。

此れが物金の数を追うだけで目利きのない肉眼(独眼・毒眼)の特徴であり、此れを「節穴」と言う。このため各地で偽
ブランドや偽装が蔓延る事となった。因みに加齢と共に節穴のような目も患うようになります。此れは五行(東洋医学)
では東、即ち肝臓が原因であり、西洋医学では失明の第一の原因が「糖尿」と診たてる。

そうすれば日本国内には1600万人の糖尿予備軍がいるとの計算もあり、当分患者に困らない。

(字の意味)・・・・・・・目は肉眼を象った字のように解説されて来た。確かにそうかとも思えるが、其れならどうして
「四」や皿の字のように横目として横形に書かなかったのか。横でなければ象形とは言えない。或いは貝や見の字、其
れに頁や夏(「貝」「夏」を参照)の字にも目の字が使われているのは、どう説明するのでしょう。

或いは目の字をどうして「モク、ボク、め、ま」と読むのでしょうか。矛盾ばかりでは困りますから本書が正解を記す。目
の字は実は肉眼を象形した字ではなくて、立てた見柱の「目盛り」の事であり、シナでは其の見柱を「表」と書いた。其
の「表」の面、即ち定規・「尺」(物差、スケール)の目盛りを「目」の字に象形したのです。

スケールを立ててご覧になればこの点を納得出来るでしょう。其の表(定規・見柱)は、立てた「木」ですから、其の目を
「モク・ボク」とも読んだのです。序に言えば目の字には眼の外に「見る、貝、買い、直、県、観」などがある。何れも目が
主であって「目抜き」の目や頭では通り一辺の理解しか出来ない(貝、直、県を参照)。

(数)・・・・・・・今の日本は「数の論理」が幅を利かす社会ですから何事も多いほうが良いので、目も余分に有った
ほうが良いのかどうか、と言えば、昔から一つ目は神、二つ目は生き物、三つ目は化け物と決まっている。一つ目小僧
はタタラ神、台風の目、多度の天一箇目(ひとつまめ)神、もしくは太陽か月である。

両眼を持つのが虫やケモノや人間です。三つ目は仏像か三つ目小僧など化け物。此れ以上はこの世にない。尤も「四
つ目結ゆい」と言うのがあるが、此れは四角の家紋の一つなので名前だけで実体もないので目の仲間にも入れない。八
つ目ウナギと言うのも昔からいるが、人の目には目に見えても彼らにとっては敵を脅す飾り(紋様)に過ぎない。

畳の目も沢山あるが此れも別。もし畳に目が有ったらスカートでは歩けないでしょう。

明治維新・・・・・・・・徳川幕府を倒して天皇親政の体制としたもの。其れまでの攘夷思想を岩倉具視と薩長がすり
替え、逆に外圧を利用し、卑劣な手段を弄しつつ、無血革命で江戸城を明け渡させる事に成功した。其の過程は先ず
慶応三(1867)年10月、将軍慶喜が大政奉還、12月に明治天皇の王政復古宣言となった。

慶応4(1868)明治元年には江戸幕府の倒壊を経て新政府成立。続いて新天皇による「五箇条のご誓文」など、一連の
政治改革過程により封建制から殖産興業と軍国資本制に転換し、唐風から欧米風に、地方分権から中央集権体制に
転換した。皇居は京都からなし崩し的に江戸城に転居(皇居に転用)して江戸を東京と改めた。

1868年の鳥羽伏見の戊辰戦争で官軍から一転して賊軍になった東北列藩に対して賊軍が俄か官軍に一転した。幕府
側は攘夷のため、国のために涙を呑んで禅譲したのに対して、薩長土肥が天下を取った後は「白川以北一山百文」と
挑発的に嘲り、徹底的に弾圧した。確かに士農工商の身分制はなくなったが、此れで何が良くなったのか。

★明治天皇の素性・・・・・・・・以下は「ヤフー知恵袋」から引用。-----明治天皇(=大室寅之祐)の祖父は海賊?jige_
yasumasaさん ------明治天皇(いれずみしていたほう)の祖父は名もない文政時代に麻郷村(いまの田布施町)をあ
らしまくっていたノイローゼーの海賊ってほんとうですか?

(昭和天皇もこの海賊の血をひいてて)現在の皇室に海賊の血が混入したためにガラがわるくなった。(要はいわゆう
る右翼化した)イギリスのメディアがそのことにふれて「どうして昭和天皇のような雲の上の人を支持する人たちが右翼
(同和 在日)なのか理解できない。

右翼と天皇では身分が違いすぎるのに・・・」といってましたが明治天皇の祖父が海賊だからなんですね。
明治天皇の父作蔵の代に海賊から足をあらって廻船業をはじめたみたい。村の名士の寺家吉左衛門家に作蔵が元
服のころ養子にはいって地家(寺家)河内作蔵となのり麻郷村の地家の西円寺に家をたて

西円寺の寺の住職の娘スヘと結婚。(スヘが満13歳の時!)のちに明治天皇となる地家寅吉をスヘの実家西円寺でし
ゅっさん。しかし寅吉かぞえ5歳の1854年にスヘと作蔵が離婚。スヘが寅吉をひきとる。寅吉かぞえ6歳の1855年1月ス
ヘと大室弥兵衛が再婚。スヘは弥兵衛の2号になる。地家寅吉は大室寅吉(のちの大室寅之祐明治天皇)になる。

幕末大室家は大室弥兵衛の代に断絶した。(大室弥兵衛と本妻ハナとのあいだの2人の子は早死した。)
大室家に海賊の血が混入してガラがわるくなる。その後明治維新のとき大室寅之祐が明治天皇とすりかえられる。
明治維新後の政府は終戦まで殺し合いの戦争の歴史となる。"質問日時:2010/1/10 05:02:37

瞑想・・・・・・達磨大師は「面壁九年」して足が立たなくなった。瞑想は気持ちが良いので立つのが面倒となって時間
が長くなるが、其れでは障害もあるので注意したい。座禅や瞑想は短時間に集中して行うべきであり、長くするのは有
害です。

出来るだけ良い場所と暦・方位を選んで其れに正対する事と、滝行の場合は清潔な場所を選ぶ事は勿論ですが、決し
て単独でしてはならない。瞑想・座禅・滝行の基本は神との接点であり、其れは方位で決まるので時間の長さではな
い。

だが効果は兎も角、これらに共通する難点は獣化した霊に憑依されて、一時別人格になる場合があるので有害性・危
険性もあると言う事です(「死霊」を参照)。

▲冥途・・・・・・冥土。あの世(冥界・異界・異次元)の事。仏教では西方浄土の阿弥陀世界であり、主神は阿弥陀如
来、もしくは閻魔大王・冥王。日本では地蔵菩薩=国常立命。

メイドイン・・・・・・製造元。昔から日本人は渡来の文物を有り難がる。明治以前も以後もこの点では全く不変であ
る。特に戦後の日本人はMADE IN USAの横文字の付いた工業商品に憧れた時期が有った。いや今でも舶来品礼賛
の日本人が圧倒的に多い。そんな中でもメイドインジャパンの商品で世界の市場を荒らした事も有った。

でも今は違うのだが、相変わらず海外旅行でブランド品を高く買う日本人客が後を絶たない。しかも世界の工場が中国
になった今はメイド・イン・シナ(チャイナ)の横文字の入った商品が日本に溢れる事となった。で、其れはアレもコレも
中国で作ったものと分かる。そして中国製品は日本の技術で作った物だと認識する。

つまり中国は低賃金だから日本の下請け先になっているのだと言う常識が出来た。でも中国は、もっと低賃金の北朝
鮮を下請け先にしている。つまりメイドインシナの商品の、一部はもっと日本に近いメイドインコーリャン製品ではない
か。此れに気づいた時に初めて日本人は漸く、渡来の文物や舶来志向の悪弊から離れられるのだろうか。

名誉毀損(インターネット)・・・・・・以下、「ネット被害」について毎日新聞から引用する。発信者情報:同意なしで開
示へ、「ネット被害で業界が新指針」---インターネット上のプライバシー侵害や名誉棄損について総務省と業界団体
は、情報を書き込んだ発信者の同意がなくても被害者に発信者の氏名や住所などを開示する方針を固めた。

これまでは発信者が開示を拒否すれば、誰が悪質な情報を流したか被害者側には分からず、泣き寝入りするケース
が多かった。業界団体は新たなガイドライン(指針)を年明けに作り、来春から導入する。【ネット社会取材班】

02年に施行されたプロバイダー責任制限法はプライバシー侵害など正当な理由があれば、被害者がプロバイダー(接
続業者)に対し、書き込みをした発信者の情報開示を求める権利を初めて認めた。しかし、実際の運用では「どのよう
な内容が侵害に当たるか明確な基準がなく、業者側で判断できない」(社団法人テレコムサービス協会)との理由で、
発信者の同意が得られなければ事実上、開示できなかった。

このため、業界は総務省とも協力し、同法に基づく自主的な発信者情報開示のためのガイドラインを策定することを決
めた。原案によると、他人の氏名や住所、電話番号など個人を特定する情報を掲示板などに勝手に書き込む行為を
幅広く「プライバシー侵害」と認定。個人を名指しして病歴や前科を公開することも含まれる。

こうした場合にプロバイダーが被害者からの要請を受け、発信者の同意がなくても、その氏名や住所、電話番号、電子
メールアドレスなどを開示できるようにする。

一方、名誉棄損については、プロバイダーによる任意の発信者情報開示をあまり広く認めると「政治家や企業経営者
らの不正や問題点の内部告発までネット上からしめ出す懸念もある」(業界団体幹部)と判断。これまでの名誉棄損裁
判の判例も踏まえ、公共性や公益性、真実性などが認められない個人への誹謗(ひぼう)や中傷に限って自主的な開
示の対象とする。

被害者は裁判で発信者情報の開示を求めることが多かったが、悪質な書き込みをした発信者を早急に特定し、損害
賠償請求できる可能性も高くなるとみられる。業界と総務省は一般からの意見も募集したうえで、早ければ来年2月に
も導入する方針(以上、毎日新聞 2006年12月26日)。 

めおい(めゆい)・・・・・・・・・雨の少ない瀬戸内地方の四国、高松三豊市には個人所有の小さな溜池が多数有って、
其の水を夏は田圃やミカン畑に使い、冬は鮒を採ってから空にする。寒に入れば其の鮒を酢塩に漬けて伝統の「てっ
ぱい」と言う料理にする。

農閑期に近所の人たちが野菜や魚を持ち寄って鮒料理に「打ち込みうどん」を入れて鍋料理にします。言わば割り勘
による会食です(07/1/16のNHK総合TVより引用)。因みに此の「めおい」の元は「女結い」(「結ゆい」を参照)から来た
言葉かも知れない。

目からウロコ・・・・・・・新約によれば、サウロはイエスを迫害して、やがて目が見えなくなった。其の彼の元へイエス
の使いが来て「手カザシ」(別項参照)をした所、彼の目からウロコのようなものが落ちて、また見る事が出来るようにな
った。彼は改心してやがてイエスの熱心な伝道者となり、其れまでのサウロの名を改めた。

其れがパウロである(05/12/22のNHK総合TVより引用)。

目利き・・・・・・・既に「サカン」の項目でも述べたが、昔の高位高官は何らかの「目利き」がいた。しかし今は高給を
貪る目暗がのさばっているに過ぎないから社会を暗くしている。

目利きがいなければ偽者が跋扈するのを許して本者が世に出るのを妨げるし、真贋を見分ける人がなければ「悪貨が
良貨を駆逐する」ように混ぜ物・代物・偽物を増やす。其れでは偽物・コピー時代となり、サギ商法が罷り通ります。国
は税金をとっても祭り事をしないと言う欺瞞を重ねる為、上が上なら下も其れを見習う。

例えば地震予知連や気象庁は警報を乱発する事で予算増額を重ねたが、予報が外れても知らぬ顔である。偽物たち
はこのように甘い言葉を羅列して人の関心を集めるけれども、結果は当然、先の言葉と裏返しの結果となり矛盾が出
るが誰も責任を取らない体質を作ってきた。

政治家や行政官の仮面を付けた犯罪者や悪徳商社が増加するから、青少年の犯罪増加と化すのも理の当然である。
また建築確認書を検査する役目の行政官や民間検査機関が強度偽装を見破れなかった中で、(有)アトラス設計の渡
辺社長が姉葉設計士の偽装を見抜いて指摘していた。

建築のプロと言う多くの目明きメクラの中で、彼一人が目利だったのか(建設業界を参照)。

メキシコ・・・・・・・メキシコは火山を囲む湖から出来た町である。Bc.1500〜Bc.100年にオルメカ文明が石の人頭
像や力士像を残した。また、Bc.100〜750年にティティオワカン文明が巨石人像を残し、ケツアコアトルと言う水を支配
する蛇(水神・農耕神)を祭る神殿を造った。

ケツアコアトルとは、「神々が生まれる場所」と言う意味がある。またメキシコの北部に位置するティティオワカンにはピ
ラミッドが造られ、当時10万人が暮した。今でも民博の前では雨乞いの儀式をする。高い柱を立てて、其処に縄を巻き
つけて、巻きつけた縄を使って4人が舞い降りる。メキシコは湖から出来た町であり、水神を祭り、雨乞いをした。

3c頃にはチャルチートリチェと言う巨大な水の女神が造られ、雨の神・トラロックが祭られた。今「トラロックの楽園」と
言われる所は神官の部屋だった。其処にはトウモロコシが描かれている。トウモロコシはBc.4000年から栽培され、粉
にして主食とする。今でも一番人気があるのはタコスとして食べる事である。

メキシコにはまた14c〜16cのものと言われる「太陽の石」が残された。此れは太陽と4つの心臓、其の周りに20の月
を配置した直径3.6m、重さ24tの石のカレンダーであり、太陽と大地の恵みに生贄を捧げるために使われたと言わ
れる。

1300〜1521年にアステカ帝国が出来て、其の中央にテンプルマヨール神殿を残したが、此処では生贄が行われた。
1521年にスペインに滅ぼされ、以後300年、スペインに支配されて1821年に独立したものの、白人の支配が続いた。
混血のメスティーソと言われる人々により1910年に革命が起こって真の独立となった。

此れがメキシコ3500年史である(05/10/31、NHK総合TVより引用)。

★メディチ家・・・・・・・・イタリア・ルネッサンス期のフィレンツェに君臨した豪商・銀行家。銀行と貿易業により巨富を得
て、王侯・君主などに貸し付け、またヨーロッパの名家と婚姻関係を結んで政治権力を握った。文芸の保護奨励者とし
ても有名で、イタリア・ルネッサンスに重要な役割を果たした(以上は「外来語辞典」より引用)。

また16cのメディチ家当主・夫婦が砒素で毒殺されていた事が死体の分析から判明した(07/1月のニュース)。

メタボリック・シンドローム・・・・・・肥満体質の特に内臓脂肪症候群の事。車や携帯電話の普及によって筋肉を使
う機会が減った事により、40代から心筋梗塞や脳卒中などの生活習慣病の引き金になるので要注意と言う。

厚労省によれば今や全国の患者数940万人、予備軍1020万人、併せて1960万人と推算(06/5/8のNHK総合TVニュ
ース、5/9朝日新聞より)。此れは元々医療機関の内部の目安だった。其れを厚労省が採り上げた。診断基準として男
子ならウエスト・サイズが80cm、女子は90cm以上とした。

こうして肥満の人の内臓脂肪が増えればレクチンなど悪性物質が出ると言うが、体格も多様な中で、機械的一律の基
準を示して良いのかどうか。厚労省は「そうする事で生活習慣病を予防・改善して医療費の抑制を図ろうとした」と言う
ものの、其の狙いが外れたらどうなるか。此れが何に役立ち、何のための基準なのか疑問視されている。

2000万人の新たな予備軍を作って患者を増やすと言う狙いにしか見えないと批判され出した。結果は各地で健康不安
に怯える人々が病院に殺到して膨大な医療費が費やされる心配が出て来た(06/7/19のNHK総合TV「クローズアッ
プ」より引用)。

メタンガス・・・・・・自然界から大量に産出される。今は都市ガスとして利用されている。ただ★温暖化のブレーキ
を壊す要因ともなる。極地では氷や雪で覆われ、太陽エネルギーの80%を宇宙に反射していますが、氷が溶解し、地
面や水面にあたり太陽光の吸収が進めば、熱に変換され、気温上昇を引き起こします。

其れに加えてアラスカやシベリアの永久凍土(水分が凍って岩石のように硬くなった土)は、夏も地中の温度が氷点下
であり、ここには、大量のメタンガスが閉じこめられています。気温上昇により、永久凍土が融解し、二酸化炭素の21
倍もの温暖化効果を持つ、メタンガスが大量に放出される可能性があります。

「温暖化」が更なる「温暖化」を引き起こす「フィードバック・ループ」を抑制するための、取り組みが必要になっていま
す。また北極海での環境変化は、ホッキョクグマやアザラシの絶滅を引き起こす可能性もあります。 ̄ ̄ ̄★以下は、
日本コパック(株) 石井正彦 info@copack.co.jpから引用しました。

メディア・・・・・・マスコミなど媒体の事。つまり媒介者であって主体ではない。所がマス・コミともなれば市民を人質
にとって主権者の代弁をする存在として、「社会の公器」と期待された。政府や企業に対する主体に成り上がったので
す。此処に本質の取り違えがある。無論政府(権力)の批判をする場合には、「公器」が市民の武器となる。

そうであるならマス・メディアの役割は市民にとって有り難い。けれども双方向性が確保されていない状況では一方から
他方へと、何かを垂れ流す機関となり、特に其れにイデオロギー性や利潤追求が加われば公共性はなくなる。例えば
吉本興業や球団と結びついた今のマスコミは、「公器」ではなく、利潤追求の一企業の主体となった為に堕落した。

この為、購読者を「無言の子羊」と見て傲慢・不遜となり、購読者の意見や希望は握り潰して、大口の広告スポンサー
重視に流れた。この結果、もう既に国民の「野球離れ」、「ゴルフ離れ」が進んで止まらない状況であるのに、絶えずそ
れらを垂れ流し続けている。その上更に目に余るドタバタ低俗番組を垂れ流している。

連休が続く場合は特に安上がりのコピー番組が増える。そしてどのチャンネルも吉本に支配された録画芸能かスポー
ツ番組となる。一体どうなっているのだろう。此れは楽な仕事である。

学芸会で下手な芝居を演じても拍手され、或いは読者の作文を理解できないディスクが「読者は三流」と見下して握り
潰し、自分の作文だけをカネをとって三流の読者に読ませている訳だ。こうした今の状況は読者・視聴者の知性のレベ
ルを小馬鹿にしたものである。視聴者を舐めるのもいい加減にして貰いたい。

そう言われたくなければ、「此れが日本のメディアの知性である」と評価されるような優れた紙面や番組を一つでも良い
から作って見せて貰いたい。だが無理だろう。今のままでも十分客があり、金を取れるからだが、此れでは如何にテレ
ビの性能が良くなっても無意味であり、テレビ・新聞離れは止まらないだろう(ロイターを参照)。

メテオラ・・・・・・ギリシャではギリシャ正教のアトス修道院が有名ですが、其処がトルコに攻められた。このため奥
地に逃れて高い岩窟の上にメテオラを建てた。以来メテオラ修道院は600年間、静かに祈る場として残った。ただ此処
はイコン(聖人画像)のみで偶像崇拝はしない。此処にも600年間には苦難の歴史が何度もあった。

だから其の平和について、ある修道女は「心に平和がなければどんな手段を使っても平和は得られない」と言う(祈りを
参照)。ギリシャでは聖人の遺骨には目に見えないチカラがあると信じているので、其の祈りは先ず聖人の遺骨に接吻
し、聖人を讃える聖歌(賛美歌)を歌う。

此処で言う聖人の多くは3c頃、ローマ帝国の迫害に遭ってギリシャ正教に一生を捧げた人(殉教者)たちの事である。
さてイエスキリストは、ヨルダン川で洗礼を受けたと言われるが、此処では大きなお釜にぬるま湯とオリーブ油を垂らし
た中に裸の幼児を三回入れる儀礼をする。子供は一歳になるとこの洗礼の後に洗礼名が付けられる。

所で日本は古来、特定の方位に墳墓と寺社を設けて年に2度の祭り(神幸)をして点と線で繋いだ地点で何代にも亙っ
て定住して1000年以上祈って来た。其れに対してギリシャ正教のメテオラでは600年間、修道女たちが「人を愛する神
を愛する心で」祈り、毎日4時間、イコンと言う聖人像を描き続ける。

其の外、庭には花壇を作ってラベンダーを育てている。此処は静かに祈る場としてこうして苦難の歴史を綴って来た
(05/12/22のNHK総合TVより大部分を引用)。

目の薬師・・・・・・薬師は暦・方位の神だった(「薬師」「12神将」を参照)。しかし各地には「目の薬師」と言われる所が
有る。其れは、天文観測の場に薬師が祭られたからである。其処から今は眼病にご利益があると信じられるようになっ
た。またやがて薬屋が薬の神として利用し、宣伝したため、以来「医学の神」と誤解されるようになった。

しかし薬師は元々観測の「目」を意味したのである。









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